← 5 月と 6 月の1行日記
4月30日、雨の1日。ふと中庭を眺めると、伸び放題になっていたカシの木の枝先から、新芽が出ている。はっきり言ってマズい状態だ。カシの木も放置すれば大木になってしまう。一度大きくなってしまうと、幹も太いので枝の整理が難しい。そうなる前に何とかとは思っていたのだけれども、季節が先にやって来てしまった。春先ならば丸坊主で済んだものも、今から何とかしようとすると、長い枝だけを選んで抜くということになる。そして、ヤブ蚊の季節もすぐそこ。これはもう放置で、次の秋冬にバサッと切るしかないか。というわけで、今日は雨読の日。おっと、報告書は書いておかないと。AI さん、頼みますよ。
4月29日、園芸店の一角を占めているのがバラ苗のコーナー。バラ苗を売りにしている、ほぼバラ専業のような園芸店もある。小さな草花のポット苗が千円以下なのに対して、バラは数千円から数万円までと単価が大きいのが要因のひとつ。そして、高価であるにも関わらず次々と売れるのが、もう一つの要因。珍しさや花の美しさを競うバラでは、もともと根が弱かったり、扱いの難儀な接木苗であったりして、環境が変わると枯れやすい。バラ愛好者は何度も枯らして経験を積むことになる。気がついたら乗用車一台分くらい投資していた、ということも稀ではない。それだけ枯れているのである。一方で、ノイバラとかモッコウバラなど、駆除しようと根本から毎年のように切っても切っても、またすぐに復活する難儀なバラもある。ともかく日向に向かって伸びるのが、これらツルバラの特徴。花が可愛いからと、庭に持って来ると大変なことになる。
4月28日、高い場所の枝を枝のついたノコギリで切り落とす時には、まずは安全な角度からノコギリを運んで適当に短くして行く。切り取った部分が地面に落ちて来て、跳ねたりする所までよく考えておく必要がある。難儀なのが、途中でどこかに引っかかって落ちて来ない場合。引っかかった部分まで含めて切り落とすか、竹竿のようなもので突いて落とすか。あるいは、ヒモにフックでも付けて、投げて引っ掛ける手もある。但し、飛び道具を使うとそれ自身が枝に引っかかって、ますます難儀なことにも。こうして切り落とした後で、最後に切り口を綺麗に仕上げる必要がある。これがまた大変。単に切るだけではなくて、美しい切り口を出さなければならない。その場所で美しいとは、どういう造形なのかをよく考えつつ。植栽管理はアートではあるけれども、そこへ至るには作業上の論理も必要なものだなー。大抵は失敗してから学ぶことになる。
4月27日、統計力学、ミクロカノニカルアンサンブルを使って 2 準位系と調和振子系をサクッと計算してしまう。どちらも、量子力学的なエネルギー準位の導出は省略した。これもまた、枝葉末節は AI にお任せするという方針の下で。今はもう、レポートなんて課すのは時代遅れだろうか、AI から出力されたものを書き写すという写経を押し付けるようなものだから。実力のつく学習とは何か? という視点、なかなか難しいものがある。次回はゴールデンウィーク明け。とりあえずは、等重率を仮定した上で、カノニカル分布へと移行する。Typicality から一瞬で全てを導出するような教育の道筋はないかなー、探したいものだ。
4月26日、日中は薄曇り。もう連休が始まっていて、スーツケースの旅行者もチラホラと。神戸は、それほど観光客が集まる街ではない。どこにでもある、西欧化された、普通の地方都市。だんじりなどの祭りも楽しいものだけれども、あれは参加型の地元のお祭りなので、傍から眺めるだけでは面白さの半分も味わえない。せっかくの港町なのだから、島に渡る船とかあれば楽しいのだろうけれども、渡る先が乏しい。瀬戸内海はたくさん島があるのだけれど、大阪湾はとうの昔に、歴史的に大昔に低地が埋まってしまって、全てが陸地化している。対岸とか和歌山とかに向かう船もあっていいのではないかなー。
4月25日、屋外の、非常階段にも使われる場所が何だか薄暗い。昔はそんな陰鬱とした雰囲気ではなかったはずなのに、いつの間にか暗くなってしまったのだ。その理由は、木が伸びてボサボサになり、太陽を遮っているから。よし、と意気込んで剪定に入る。放置された木は、こんなにも枝数が多いのか。枝を落としても落としても、スッキリとする気配がない。よくよく観察すると、そもそも幹が何本も縦に走っているのがマズくて、何本かを取り除かない限りは、根本的な解決にならないことがわかる。というわけで、大きめのノコギリを持って来る。途中で体力が尽きて、残りはまた次回の作業日に。
4月24日、今日は天気が回復するという予報が出ていたのだけれども、前線の南下は予想外に遅くて、昼頃にもポツリポツリと雨の降る曇天に。この条件は広葉樹の新芽が伸びるのに適していて、あらゆる木々が新緑や、少し赤みを帯びた葉を次々と広げている。こういうヒョロリと伸びた枝はまだ細くて、水を運ぶ道管が少ないので、少し強い風が吹くと萎れてしまう。幸いここ何日かは、そんな風はやって来ないようだ。こういうわけで、どの枝が残るのかが不明なので、伸びすぎた枝を整理するのはもう少し後になってから。研究の芽というものも、何となく似ているのかも知れない。今まで、研究指導と称して枝葉を刈りすぎだったと思う。伸びるだけ伸ばすのが指導者の役割で、邪魔をしないように心がけなければ。何年か後で、また気が変わるかも知れないけれども。
4月23日、頭上に糸で剣がぶら下がっているというギリシアの (?) 逸話、実は日常的なものである。木の下を歩く時は、常に上から何かが落ちてくると身構えておくべきなのだ。葉や小枝が降ってくるとか、鳥の糞なら見過ごせば良いのだけれども、太い枝が落ちて来たら怖い。そういうものは、風が強い日に折れているはずで、晴れた静かな日は大丈夫とは思うのだけれども、用心に越したことはない。通路にかかる枯れ枝は、早々に切り落としておくのが無難だし、枯れ枝になりそうな枝は先に落としてしまうか、あるいは光を遮って枯らせている別の枝を抜くのも良い。こういう作業をしていると、木を切る悪い人に映る場合もあって、万人の理解は難しいものだ。国政というのも、きっとそんな感じなのだろう。どの枝を生かして、どれを狩るか。
4月22日、赤いケシがあちこちに咲いている。雑草ではあるのだけれども、綺麗だし、抜くのも簡単なので、植え込みに生えて来ても放置してある所が多い。草刈りを毎年行うような広々とした場所には、もうお花畑のように咲き乱れている。もう少し後の時期には、ポツンと薄紫色のケシが咲いていることもある。アツミゲシだ。もう野生化して久くて、ケシの性質から抜いても抜いてもまたどこかから生えて来るので、根絶は無理。ただ、群生しているのを放置するわけにも行かないので、たくさん咲いていれば自治体などに連絡することになる。バイオ技術で毒のないケシって作れないのかなー。
4月21日、統計力学のミクロカノニカルアンサンブルは、統計力学の基礎というものがいかに頑丈であって、そしてとても危ういものであるかを示す場なのだと思っている。マクロスコピックな系が熱平衡になり得るというのが大前提で、熱平衡状態にあれば孤立していようと、熱浴に接していようと、その性質は熱力学的には等しい。では微視的な状態の出現確率はというと、特に低エネルギー状態の確率が孤立しているかどうかで大きく違う。ただ、そのような低エネルギー状態の全状態(?)に占める割合はとても小さいので、熱力学には寄与しない。系が小さくなるほど、この違いは段々と無視できなくなるのだけれども、それを定量的に議論するのは、少なくとも初等的な統計力学で語るべきものではない。今のところは。将来的には、統計力学の教え方が段々と変わってくるかも知れない。
4月20日、畑の草抜きをして、まあまあ綺麗になったと思いつつ、最後の点検にグルリと見て回ると、あれあれ、抜き残しがある。それも抜いて、今度こそと最後の最後の見回りをすると、抜いたはずの場所に、また草が生えている。次元の迷路にでも入ったのだろうか? いや、作物の隙間に隠れていた雑草が、隙間ができたことを察知して、表に出て来たのだ。植物も動く時には動くのだと、頭ではわかっていても、こんな風に目の前で披露してくれるとは思わなかった。こうやって今度こそ綺麗になった畑は、近いうちに収穫となる。抜いた草はもちろん堆肥へ。... どうせ耕すのであれば、抜く必要もなかったのだろうか。プロの農家はこの辺りの判断にはシビアかもしれない。
4月19日、畑のあぜ道にヤツデが生えている。放置すると大きくなるので、毎年、適当に小さく剪定して、人の背丈くらいで納めてある木だ。葉が大きくて分厚いので、ゆっくりとしか伸びないのだけれども放置すると結構な大木になってしまう。切った枝は堆肥にしているのだけれども、検索してみると挿し木苗を作っている人もチラホラと。意外と簡単らしい。今までは、根本から芽を吹いた時に、短い根の付いた芽を切り離して新しい株にしていた。こうしてポット苗のヤツデがいくつか出来上がっているのだけれども、さて植える場所はどこに? ヤツデ並木というのは見たことないし、あったら怖い気もする。はて ...
4月18日、職場に近い場所に育っている金木犀の大木 (?) を眺めて、ついつい首を傾けてしまう。大人の腕よりも太い幹が四本も柱のように立っていて、その間を縫うように細い幹が立ち上がって枝を出している。これが自然樹形なのか? 広場に一本だけ生えているのであれば、これもまた許容範囲なのだろうけれども、周囲にも木があって過度に光を遮るのもマズい。思案してみると、絡みついている細い幹は根本から切り取ってしまって、太い幹も一本は抜けそうだという結論に達する。その作業を行うには脚立を使うか、木登りするか、あるいは肢の付いたノコギリを使うか。木登りはダメだ、幹が折れたら低い場所であっても危な過ぎる。脚立もあまり使いたくはない。もう少し思案しよう。
4月17日、電磁気学には共形性という妙な性質があって、点電荷や n (重) 極子が作る電場の間には変換性がある。磁場についても同じで、違うのは磁気単極子が存在しないということ。この性質はとても微妙なもので、ひとたび量子性まで考えると、少なくとも今日知られている量子電磁力学の範囲内では、共形性自体は小さく (?!) 破綻してしまう。そもそも微視的な理論があって、それのコヒーレント状態として出現する古典的な電磁場に対称性があるだけだと考えれば、パソコンの画面上で画像を回転して眺めるようなものだと考えることも可能だ。パソコンの画面、ピクセルの並びそのものには、連続な回転対称性があるはずもないのだから。でも空間って、場って、そういうものなのかい? という問いかけは、今世紀中にはスッキリ説明されることはないような気がしている。知らんけど。
4月16日、大学院講義の方は早くも 2 週目に入る。大学院の量子力学? は場の理論から、ともかく生成・消滅演算子の使い方と、物性でよく引き合いに出される hopping model くらいは直感的に理解できるようにしなければ。ここでディラック円錐とかトポロジカルと言い始めると沼に突っ込むのだけれども、それは専門家に任せることにしよう。自分のテリトリーは強相関、と言うとウソやろーと外野から揶揄されそうだけれども、もともとテンソルネットワークに没頭した理由が、多体問題をどうにかしたいからであって、テンソルネットワークから物理学を学び始めたわけではない。紆余曲折あって、今では情報畑のような場所で働いていることになってはいるけれども。
4月15日、コナラの木が芽吹き始めた。古い枯葉が落ちたのが 3 月の末で、これが新芽を伸ばす準備だったのだ。枝をよく見ると、緑色の芽が出ていない枝も結構あって、冬のうちに木が枝を選んでいたことがわかる。もっと早い段階で選択が行われていたのかも知れない。枯れた枝は取り除かないと、何となく見栄えが悪い。とは言っても、コナラは結構な大木で、空中の枯れ枝には手が届かない。ついでに枝は細くて、木登りするわけにも行かない。高枝用の枝のついたノコギリやハサミが必要だ。それぞれ、それほど高価なものではないのだけれども、こういう器具を一つ一つ揃えて行くと、結構な分量になる。根切り用のバールなどあれば、切り株の処理も楽なのだけれども、それはもうプロというか、園芸家の領域になるのかなー。ともかく、季節季節で可能なことを進めて行こう。
4月14日、バラは気難しい植物で、少なくとも半日以上の日当たりと、あまり湿っていない環境を好む。これらの条件を整えるのは面倒なものだけれども、庭木として植えてある場合には、条件の悪い場所から順番に枯れて行き、残った場所では根本から新芽を吹いて段々と広がって行くので、自然と好条件の場所だけに住み着くようになる。どこかで茂っていて、とても美しいバラがあったら、枝をもらって来て挿し木もできるのだけれど、定着させるには元の場所に似た環境を用意するのが無難だ。トゲがあることと、枝が根元で折れやすいという性質から、花壇や公園の通路に面した場所には、あまり植えていない。愛好者はセッセと軒先に鉢を並べているので、鑑賞しようと思えばどこでも眺められるというのも、バラの良いところかも知れない。何となく、物理学の研究の難儀さに似ているかも。見せたがりが多い点も含めて。
4月13日、大昔の集合写真を切り出してきて、AI に upload して、綺麗なカラー写真にしてくださいとお願いしてみると、なるほど AI っぽいなーとは思う絵柄なのだけれども、とても綺麗になって戻ってくる。この時に、どういう形で AI に学習されているか、一般にはわからないのが気持ち悪いところだけれども、今の段階では名前と画像と日時のセットでも燃料として投下しない限りは、他資料から切り離された一枚ものの写真だけの提示に大きな危険はないと思われる。特段の要注意人物として多数の検索がある人物でもない限りは。まあ、結局、利用数が多くなければ、行く行くはそういう隠れたリスクが表面化するのだけれども。
4月12日、葉の分厚い庭木の見分けは、なかなか難しい。まず誰でも知っている? のが、ツツジ目モッコク科モッコク属のモッコク。うっかりするとモッコクに間違えてしまうのがキク類モチノキ目モチノキ科モチノキ属のモチノキ。自然樹形はモッコクとモチノキで随分と違うのだけれど、剪定していると同じような立木になる。少し小さい木の、バラ目バラ科シャリンバイ属のシャリンバイも、花が咲いたり実がなったりしなければモッコクのような顔をしてその辺りから芽吹いて来る。キク類セリ目トベラ科のトベラも、パッと見は同じような植物。これらに共通するのが、実がなって鳥が運ぶこと。そしてしぶとい。選んで育てると、意外と楽しい木々かもしれない。
4月11日、今年はツツジの花が膨らみ始めるのが少し早い。植物によって成長はそれぞれで、桜の開花はむしろ遅い時期であった。ここ何日かの降雨と空中湿度の高さにより、木々はますます緑濃くなり、葉桜も楽しめる時期に突入。葉が出ると、当然ながら虫もどんどん増えるわけで、毒蛾には要注意だ。剪定作業などで、気づかずに毒蛾の枝に触れたりすると、あたり中に毒が撒き散らされて大変なことになる。芽吹きの最中に剪定?! とは思うのだけれども、ブドウのように樹液だらけになる木でなければ、変な向きに伸びようとする枝は、早めに落とすのが後々のためだ。大きな樹木になれば、強風がそのまま自然の剪定になる。そんな木が楽しめる巨大な庭を持ってみたいものだ。
4月10日、真空中の電磁場には共形変換性がある。とは言っても 3 次元空間なので、並進と拡大と、もう一つが球の内側と外側を入れ替える変換しかないのだけれども。これだけで何ができる? 例えば無限に長いソレノイドが作る磁場を変換すると、双極子磁場になるなど幾つかの例がよく知られている。これは古典場の場合。その変換性を量子化した、いや場は元々量子なのであって、量子化という言葉遣いは放逐したいのだけれども、ともかく量子場が受け継いでいるとは、直ちには思えない所がある。このあたりを AI に問うと、直ちにアノーマリーという言葉でまとめてくれるのだけれども、何かとシックリ来ない所が多い。素粒子物理学については、ずーっと素人のままでいいや、と改めて思った。
4月 9 日、投稿論文が Editorial Office の段階で reject となった。まあ仕方ない、電磁石の設計が論文誌の扱っているカテゴリーのどれにも合わなかったと、そう判断されたということ。もう少し Theoretical な側面を出して行く必要はあると思っていて、その方向での検討も密かに進んではいたので、Version を改めて別論文として投稿するか。ここで、同じ雑誌に投稿するかは思案する所で、テクニカルなものを扱っている雑誌を選ぶのが普通の判断だろう。けれども、理論物理というのは「懐が広い」ものであると確信しているので、わざわざ、再度の reject を狙って再び同誌に投稿しようと考えている。そもそも、DMRG を統計物理系に応用する論文も、2 度の reject を食らっているので、reject 自体に悪い印象は全くなくて、そこに新しい分野が開けている証拠なのだと感じている。
4月 8 日、授業開始。お昼時になると食堂に行列ができる。今日、明日、明後日がピークなのだろう。一度週末を挟むと少し慣れてきて、4 月も後半になるとそろそろゴールデンウィークが目に入ってくるのか、キャンパスの学生数も段々と減ってくる。それが大学の良いところ。中間試験の辺りで少し増えて、期末試験の週に一瞬増えて、日に日に激減した後に夏休みが訪れる。今年度は、それまでの間に生協を十分に支える収益が得られるだろうか? というのが気になる所。経済原則から言うと、安いご飯の提供には自由競争があるべきで、学内のコンビニや生協と言えども、いつ撤退するかどうか? という危機感がある程度が、本来の姿なのだと感じる。実際に厳しい状況なので、改善をはかる工夫は絶やさないようにしよう。
4月 7 日、花散らしの強風が吹き荒れる日中。今日はあちこちで用事を済ませる。地方税の支払いは毎年、4月にやって来る。今は銀行利子がプラスになっているので、分割払いした方が金額としては得になるのだけれども、年間に何十円かのことで何度も銀行に足を運ぶ方がコストが高いので、一括して支払う。一夜にして貧乏、いやいや宵越しの金は持たない、江戸っ子ではないのだけれども、そんな風情も桜が散る時期には似合っている (?!) のではないだろうか。もともとがが、国民から納められた税金が、こうして教員の給与として降ってくるのだから、それは市中に還元するのが「公僕」と揶揄される我々のつとめ。獲得したとか当たったとか言われる研究資金もまた、国内に還元するのが本筋なのである。なるべく国外流出を防ぐ使い方が、国家財政としては良いのだと思う。知らんけど。
4月 6 日、弁当などの半額商品を購入して、食べ切れずに余ったらどうするか? 冷凍するのも、まあ一つの手ではあるのだけれども、よくよく考えると冷凍庫を自分で持っているからタダで使えるだけのことであって、場所を占めるというコストというか、何を詰めておくかという選択の自由を失っている。おすすめなのが、ともかく何でも耐熱皿に盛って、マヨネーズとかパスタソースとか、適当なものとオリーブオイルを振って、冷蔵しておくこと。翌朝にでもオーブンに入れて十分に加熱すれば、グラタンのように食べられて、おそらく食中毒にはならない。こうして感じることは、半額品に手を出すと健康的な食生活の自由を幾つか失ってしまうということ。半額まで追い込まれた商品というものの経済価値は、やっぱり半分くらいなのだ。
4月 5 日、傘の壊れ方も値段次第。100 円の傘 ... 今ではもう少し値段が up してるのか ... は、ぐにゃっと骨が曲がっておしまい。修理を試みるならば、曲がった所に竹串を当てがって系を巻くなどして固定すると良いのだけれども、結局は他の所からも曲がって、あまり長持ちしない。より高価で軽い傘は、ポキンと骨が折れる。焼き入れ、焼き戻し、あるいは浸炭などの熱処理が施されていて、しなやかに曲がりつつ適度に硬い素材が使われているのだ。これもまあ修理しようと思えば何とかなるけれども、他の部分にも金属疲労が溜まっているのだろう。修理という意味では、竹製の傘に勝るものはないのだけれども、あれはあれで使いづらい。
4月 4 日、研究室の Home Page の編集に取り掛かる。あと n 年のことなのだけれども、教員が 1 名だけの小さな研究室となるので、それに合わせて内容も圧縮して、小粒な Home Page に書き換えようというのが、主な作業となる。ずーっと古いままの HTML で運用を続けていたので、デバイスの画面サイズによっては画面が切れてしまうなど、色々と問題を抱えていたので、この辺りで最新の HTML に移行しようかというのも、爺の手習いの一つにはなるだろう。朝の内はパラパラと雨、今日は花散らしの風も吹くらしい。チラチラと満開の桜が散る様子の撮影は、また来年に持ち越し。自然のものを写すのは根気がいるものだ。
4月 3 日、アルテミス、というかオリオン宇宙船が月への軌道へと移る噴射を終えたことを確認。このあとは、かなり先まで長い楕円軌道のような道筋を辿った後で、月のちょっと前で 8 の字っぽくクロスして戻ってくる。このクロスの具合は、図の描き方にもよるのが難儀なところで、月と地球を結ぶ直線を固定して軌道を描くと、少しだけ違った絵になる。今日は、満開の桜の下で、右へ左へと歩いてまわる新入生が目に入る。健康診断も始まったようだ。教科書販売の様子も眺めに行こうか。新入生が生協と遭遇する機会でもあって、下手なことをするとずーっと 4 年間、不信感を持たれてしまう。生協はあなた方のものだと、そういう意識を持って欲しいものだ。
4月 2 日、朝に何となく目が覚めて、SNS を開くとアルテミス 2 がトレンドになっていたので、YouTube で NASA のストリーミングを視聴する。綺麗に打ち上がるロケットだなーと、寝ぼけた目にも端正に映る映像に吸い込まれつつ、分離が完了した辺りで視聴中断。今日は朝だけ晴れていて、日中から曇りがちとなるのだそうな。モードを入れ替えて、今度は桜の撮影にイソイソと出かける。いや、桜ではなくて、桜の咲いた校舎の撮影であった。これが意外と難しい。すぐに散歩の人や、登下校の学生さんが画面に入ってしまう。春休みなのに、研究熱心なものだと、心強く思ったりもする。全力を尽くせるって、羨ましいなー。
4月 1 日、春の雨が降って、木々が一気に緑色になり始めた。この時期に目立つのが楠。新芽を出しつつ古い葉を落とすので、遠目に見た木の色がパッと映えるのだ。この時期ならではの樹木管理もあって、あまり伸びてほしくない向きに出た芽はさっさと摘み取っておいたり、芽が出ずに弱ってしまうような枝は取り去ってしまったりと。但し、樹木全体で葉の量を初夏までには確保しなければならないので、葉が重ならずに太陽光を受けられる程度には緑を残しておく必要がある。そこが秋の剪定とは異なること。また、木の種類によっては、これから伸びた枝に花がつく。こうやって考えてみると、樹木管理というのは何となく物性物理学に似ているなーと思う。統一した原理があまり存在しないのだ。
3月31日、高校の物理基礎には、エネルギーの変換という項目がある。モーターでは電気エネルギーを力学エネギーに変え、発電機ではその逆を行う。こう書いてあると、何となく完全に変換されるような気がするのだけれども、必ず熱損失がある。例えばモーターを起動する瞬間にはコイルに電流が流れて、力は生じるのだけれども停止状態からのスタートとなるので、流れた電流は回路のどこかで熱としてエネルギー散逸を生じてしまう。発電も同じで、負荷と回転数が調和していなければ、力学的エネルギーを無駄に捨ててしまう。こういう基礎的な部分の改良は今も地味に続いていて、遠い未来の人々が現在の電気機器を見たら、何と無駄で原始的なのだろうかと驚くことだろう。文化が壊れることがなければ。
3月30日、数日前、カメラを紛失する。どこで紛失したのだろうか、そもそも紛失するような使い方はしていないはずなので、可能性としては日頃からの生活圏のどこかに置いてあるのだろうと思いつつ、どこかに置いた記憶もない。これがいわゆる老化現象だろうかと、気落ちしていても仕方がないので対策を練る。カメラなのだから代わりは幾らでもあって、レンズとの組み合わせで何でも可能なはずだ。何事もポジティブに捉えなければならない。同時に、諦めも悪い性格なので紛失場所を絞り込んで行く。探しても見つからないのであれば、ごくごく身近な場所のどこかに潜んでいるはずだ。そう推論を重ねた上で、常日頃カメラを置いてある机の、すぐ横の隙間を眺めてみると、探し物はそこにあった。なるほど、カメラを置いた瞬間に落ちて、紛失となったわけだ。置いた直後に別の用事でゴタゴタしていたので、そこで記憶が切れたのである。... どのみち、短期記憶が定着しないという意味では、老化現象そのものである。日々、何事にも気をつけよう。
3月29日、桜とともに理学部棟を撮影するというお題、頂戴してから一週間。桜はまだチラホラ、おそらくクライアントの頭の中には満開の桜がイメージされているはず。今となっては、AI に花を咲かせてもらうことも十分に可能なのだけれども、そこは素材で勝負したい所。問題は天気で、これから先は晴れが少ない予報となっている。雨風と共に桜が去ってしまってはマズいので、チラホラと咲いている内にも予備として撮影を済ませておく。ソメイヨシノは咲いたら緑色が出てしまうという、時間的な余裕が少ない桜だ。桜餅に使うような、赤い葉が出る昔ながらの桜が綺麗だと思うのだけれども、最近の流行は早咲きのオカメザクラのような品種らしい。ゲリラ植えして回るか?!
3月28日、先週の連休は風邪の養生で終わってしまったので、今週は楽しめるだろうと思っていたら、いやいや全くダメ。まだまだウィルスが染み込んだ細胞がたくさん取り憑いているようで、治った感じゼロ。嗅覚もゼロに落ちてしまって、臭いであろう場所 (?) を通ってもよくわからないし、コーヒーも何となく渋めの豆スープのような感じ。美味しそうなものを食べても、美味しいのだろうと想像しつつ、甘い辛い酸いくらいの味覚で何となく食べてしまう。うまみの感覚は全く落ちないので、そこには嗅覚の関与がないのだと再認識した。新学期までには何とかしたいな。
3月27日、卒業生が去って、新入生がやって来るまでの、束の間の静けさ。思い出してみると、コロナの年、2020 年だったっけ、その春は連休明けまでずーっと春休みだったなーと、懐かしく思い返す。色々と大変だった? 方々もいらっしゃるとは思うのだけれども、実は春休みをずーっと楽しめた稀有な年であった。仕事をリタイアすると、ずーっと休みという話を耳にしたりもするけれども、これは人によりけりなようで、動かないと落ち着かないような方は何歳になっても、文字通り「人が動いて働く」モードのままである。卒業式の写真を整理していても、同窓会の世話人の方々はいつまでも元気だというのが、画面に現れている。そんな風に年を重ねるには、常日頃から動いているのが良いのかも。養生はしつつ。
3月26日、MacOS 劇不調の原因がだいぶん絞れて来た。まず前置きとして、不調なのは特定のアカウント幾つかだけで、両方とも非常に古い時代、少なくとも MacOS 9 の頃から引き継がれてきたものだと明言しておこう。それらのアカウントにログインすると、iconservicesagent が root 権限のものと、ユーザー権限のものが立ち上がる。これは普通の動作でおかしくない。その直後にユーザー権限の iconservicesagent が何らかの原因でクラッシュしてしまう。いずれかのアイコンを描こうとした時にクラッシュしていることは確かなのだけれども、罠を仕掛けられないのだ。こういう時には、2 分探索が有効だということは理解しているのだけれども、ファイルを半分ずつ消去したり復活したりという実験が面倒臭くて、まだ実行していない。うまい罠の掛け方があると良いのだけれども。MacOS の究極的にマズい所は、iconservicesagent からの返事をあらゆるアプリケーションが「待って」しまうこと。アイコンが描けなければ、諦めてさっさと四角で埋めれば良いだけなのに、下手に待つのでいつまでもビーチボールが回り続けるのである。もう少しの間、この問題に付き合おうか。
3月25日、卒業式の集合写真撮影の準備を午前中から進める。お昼になったら、ちらほらと学生がやって来るので、それまでに準備完了しなければならない。という時に、マイクロフォーサーズのニコンマウントが見当たらない。うーん、どうしたものかと思案して、一度は 15 mm f1.4で何とか撮影する準備を整える。よくよく部屋を見て回ると、ああそうか、ニコンマウントは古いカメラにくっつけてあるレンズが使っていたことが判明する。というわけで、そこからマウントをもぎ取って来て、20 mm f3.5 に換装。いまどき f3.5 ?! と思われるかもしれないけれども、何ともいい具合に映るのだ、フィルム時代のレンズは光学系だけでケリをつけるので、中心を犠牲にしても隅までそこそこ合わせていたりもする。そういうの、面白い。
3月24日、明日は卒業式だから、これが最後のチャンスだよ、ええと、これはフィンガー5の「恋のダイヤル6570」だったっけ。いや、それは灘区の郵便番号 657-0xxx だ。こういう、どうでも良い番号はあまり永く記憶に残らないものだと思う。一方で、8080 とか 8086, 6800, 6809, 6502 など往年の CPU は結構覚えている。ちなみに 6570 も CPU の番号としては存在していて ... という話も AI に聞けば出てくる。TTL の 7400 シリーズに詳しい人も多いかな、CMOS の 4000 シリーズは、初期には静電破壊やラッチアップもあって、取り扱いが難しかった覚えがある。この辺りの人々にもあまり知られていないのが MC14500 という 1-bit CPU。マイクロプロセッサーの黎明期から、発展へと向かう中で、悠々とコントローラーとして現役であった不思議な存在なのだ。中身が素通しで見える数少ない CPU だったかもしれない。
3月23日、昔の大工道具など、展示されているものを眺めると、その鉄板の厚さにびっくりする。今ほど鉄の強度が高くなかったのか、それとも刃の目立ての都合で十分に厚い方が耐久性があるのだろうかと思っていた。実は、丸太から板を切り出すような粗い作業を行う時には、ノコギリ自体に重量があった方が良い。単に、ノコを引くだけでドンドン切れ進んで行くのだ。そういえば、庭師さん達が使っていたノコギリにも重たいものがあった。長い枝の付いているものは、その枝がけっこう重たくて、刃先を枝に引っ掛けてチョイと引くだけで、バサッと枝が落ちる。この作業には、昔の自動車の半クラッチのような技量が必要で、下手に刃先を食い込ませると枝がしなって、全然切れない。できるだけ力を抜いて、軽く引くのが早道だ。
3月22日、風邪の養生も何日目となるのだろうか、年齢とともに回復が遅くなるのはコレ本当。免疫はちゃんと働いているようで、ウィルス感染した細胞と戦って、次々と撃破して行く。この時に体力を使うので、食欲は落ちないというか、どうも微増している気がする。自覚症状として食欲微増という時には、実はかなり増えている。鼻水などが落ち着き始めると、今度は喉の乾きが問題。正常な粘膜に戻るまでは、もうしばらくかかりそうだ。タンパク質やビタミン B を摂取すると良いのだろうか、こんな時にはコレステロールなど度外視した方が良いだろう。そもそも、コレステロールは必要なものであって、過剰に存在する時に統計的には良からぬ影響があるとされるもの、その時々で考えれば良いと思う。
3月21日、三里塚から野菜が届く。毎回、生産者による短い文章が入ってるのが興味深い。皆それぞれ考える所があって有機の産直に取り組んでいることがわかる。今回は菜葉が充実していて、サッと茹でて食べるとそのままで十分に美味しい。花の部分は香りが立って、葉は苦味も楽しめる。香川県では「まんば」という、やや苦味のある野菜を食べる習慣があって、自然といつも菜葉の苦味を求めているのかも知れない。「まんば」は、他の地域では呼び名が違うのかな。届いた箱の中には、他にも芋、大根、にんじん、そしてヤーコン。普通には売っていない野菜を時々見かけるのも産直の面白さ。定番のネギも入っていた。もう既に来月も楽しみになって来た。
3月20日、祭日。春分の日らしい。そういえば数日前から、神戸大学の周辺に 18:00 pm の鐘の音が響き渡る時に、まだ大阪湾に夕陽が落ちていた。連休となるので行事があちこちで行われているけれども、風邪をひいてしまって養生に努める。ソファーの上で毛布をかぶって横になると、何時間でも眠れる。但し、目が覚めたら咳たん鼻水、眠っている間のツケが一気に押し寄せるのだ。とは言っても、もう春、畑の作物は待ってくれない。水をやりに出かけたり、雑草を抜いたり、移植したり。あぜ道に植わっている樫の木たちもどうしようか、枝が伸び放題になっている箇所もあれば、幹が斜めに一本だけという変なのもある。今まで放置して来たからなー。
3月19日、雨上がりの朝。桜の木がほのかに紅く見え始めた。近づくと、もう蕾が大きくなっている。週明けにはチラホラと咲き始めるのだろう。都賀川の河口では、河津桜がもう花盛りを過ぎているらしい。神戸市はあちこちで街路樹の診断を行っていて、大丈夫な木には番号が打たれていて、危ない木は伐採予定のテープが貼られ、次々と撤去されている。ちょうど年度末なので、開花を前に伐採となった桜も何本か。植えられた時から、そういう運命だったのだ。このあたりは、いわゆる入会地の植栽管理をどう行うのか? という昔ながらの課題なのだと思う。田舎では、村総出で作業する日があるものだ。都会では、街路樹にも所有権が厳格にあって、ちょっと妙だなーと思っても手が出せない。そうこうする内に、バサっと切られるのである。桜が咲いたら大切に眺めよう。
3月18日、阪急六甲駅に降り立つと、何やら正装したお父さんお母さんと子供たち。どうやら卒園式らしい。もう、そんな時期がやって来ていたのだ。そう言えば、かの「日本タヒね」のフレーズで有名な、幼稚園・保育園不足は昔話となってしまって、今や少子化本番、まずは幼児教育現場で倒産のニュースが流れ始めている。その何年か後には小学校とか、小中、あるいは中高の一貫校あたりが怪しくなって来るのだろうか。大学はというと、そもそも定員の合計が世代の人口を超えているのではないかと、そんな気もする (?) 状況なので、倒産ならぬ閉学、統合という辺りでジタバタしている。まあ、その分、大切にされて伸び伸びと過ごせるのではないだろうか。将来は明るいと思う。
3月17日、神戸のポートアイランドに、可愛い目の (?!) 自衛艦が 3 艦集結する。神戸大学からは見えない場所だ。昔の神戸港には海軍の艦船がやって来たという話は時々耳にするのだけれども、大きさを調べてみると意外と小さい。瀬戸内海を航行している貨物線やタンカー、そしてクルーズ船などがとても巨大化しているのだ。飛行機とは違って、海に浮かぶ船には大型化の限界が、構造上は無いようなものだ。経済性や使い勝手から、普段目にするような大きさで運用されているのだろう。明日には自衛艦が一般公開されるらしい。散歩して見にゆこうか? そんな時間ないのかも。
3月16日、新年度はもう始まっている。学生それぞれに来年度の履修計画を立てて、どのように進路を考えて行くかを組み立てる時期なのだ。規則に照らし合わせて、ちゃんと履修を進めて行くのは、とても大切なことだし、新しいことが学べるのも楽しいものだと思う。そう言えば、授業はもう何年も受講していないなー、授業する立場になってしまってからは。今は YouTube の視聴などで、講義自体には接することが可能なのだけれども、クラスルームで誰かと一緒に学ぶというのは、学生の特権なのだと思う。そのお手伝いができるのは、貴重なことだと肝に銘じて、色々と詰めて行こう。
3月15日、買い物する散歩道でクスノキの仕立てを見て回る。わざわざ植えなくても、勝手に生えてくるのがクスノキの力強い所。結果として、そこかしこに生えているし、クスノキだからと大切にされて、いつの間にか大木になる。さて庭木とか街路樹の場合、大きさに制限があるので、どう仕立てるかが問題となる。大木の優美な姿を、そのまま小さくした盆栽のような仕立ての木もあれば、電柱のように一本だけ立って、秋に葉を落とすような簡単な管理の木もある。手間の問題になるから、どちらがどうと言えないのが植栽管理の常だ。一度、切り倒してしまって、末広がりに仕立て直したような木もあって、なかなか面白い。
3月14日、沖縄から戻って一日、もう手荒れが戻り始めている。沖縄は暖かだったなー、花粉も飛んでなかったなー、何となく時間がゆったり流れていたなーと、なーなー尽くし。想っていても仕方がないので、神戸で沖縄を探してみる。あるある、沖縄は北海道に並ぶ全国区だ、物産を売る店もあれば、料理屋もある。黒糖はどこのスーパーでも売っている。音楽を聴きたければ YouTube で幾らでも聞ける。あのエンドレスループのような歌と三線と太鼓の音は、耳につくと頭の中で何度でも再生されるのである。大抵はどこかで無限ループに陥っているのだけれども。
3月13日、沖縄の朝は強風。そういえば、滞在している間に歩き回った範囲では、あまり背の高い木は見かけなかった。台風が来たら倒れるか、枝を折られてしまうのかな。空港へ到着すると、海には白波が立っていて、どこかの映画でこの風景を見たことがある ... と思い当たったのが、ひめゆりの塔の最初の映画の冒頭映像であった。この空港がある辺りも、那覇よりも南側の最後まで戦った激戦地なのだ。そこに防衛の要が今もあること、その意味はよく考えるべきものだと改めて思った。単純に賛成・反対と主張するのでは何も得られないのだろう。今を生きたい。と、考えているうちにエネルギーが切れて、沈没。体力をまず蓄えないと。
3月12日、テンソルネットワークについての講義 2 日目。今日は朝から 80 分講義を 4 コマ。こういう時には、喉を潰さないように気をつけなければならない。今日は、Strassen の行列乗算アルゴリズム、カラツバの乗算アルゴリズム、高速フーリエ変換、直交ウェーブレット変換などから題材を選んで、まあまあ詳しく話したものもあれば、キーワードを取り上げたものもある。どれも、1960-70 年代くらいに計算量の削減要請から編み出された計算手法なのだけれども、それらは必然的にテンソルネットワークになっている。自然な形のテンソルネットワークというのは、どこにでも存在するものだという証でもある。そして、本題の角転送行列形式から量子計算へ。最後は体力が尽きたかもしれない。Algebraic Bethe Ansatz と Tensor Network はもう少し掘りたかったかも。
3月11日、沖縄で迎える朝。何だか夜明けが遅い。かなり緯度が西なのだと実感する。そして寒くない。手荒れも治り始めている。ホテルの朝食が美味しい。従業員がハイビスカス模様のシャツを着ていて、リゾートホテル感たっぷり。同じ系列のホテルでも、沖縄に来ると、こうも違うものかとびっくりする。新聞は沖縄タイムス。琉球新報とともに、沖縄を代表する新聞だ。当然ながら、1面の記事編集も沖縄に焦点を当てたものになる。どちらかというと、琉球新報の方が強めの政治主張だろうか。朝の散歩を楽しみたい所だけれども、午前中は web 会議に出席。リモートワークが可能になったので、出張していても欠席できなくなった。昔は、出張を始めた時点で校務は忘れることができたのだけれども。今はそうも行かず。午後すぐに講義。その後はポースターを回った後に、タクシーに乗って訪れるべき場所あり。
3月10日、合格発表の日。これから 1 週間は SNS から目が離せない。偽大学生もけっこう湧いて出てくる。アカウント運用歴が浅いことが多いので、おおよそ見当はつくのだけれども、中には乗っ取りアカウントでヘンな動きを試みる者もいて、なかなか気が抜けない。幸い、生協の偽物はまだ見たことがない。合格者を AI で探そうとしても、それは流石に断られるわけで、探し方だけが表示される。容易にアクセスできる AI には「良心回路」が組み込んであるのだ。それを取り外すと、ハカイダーのような魅力的な AI になるわけで、きっともう存在してバリバリと活躍しているのだろう。さて、今日は火曜日なので arXiv がたくさんやって来るぞ、これも AI サーチに任せたいな。
3月 9 日、arXiv が早い時間に更新されている。そうだ、もう夏時間になったのだ。夏になると時間をずらすという発想は、おそらく高緯度の国々のものなのだろう。まあまあ赤道に近い日本くらいの中緯度だと、夏至の頃はともかくとして、そんなに目立って昼の時間が長くなるという訳でもないので、普通にいつも通り、太陽が南中したらお昼で良い。こう書くと、必ず天文学の突っ込みが入るもので、いつでも太陽が正午に南中するものではないとか、何だとか、コメントが降ってくる。人日に突っ込める隙間を残しておくのもまた、教員の道。そもそも、学問は大きい所から美味しいものだけをざっくりと拾うべきもので、最初から小魚を探して回るものではない。小さいのも、少しは獲っておかないと、日頃の研究費には事欠くのだけれども。
3月 8 日、かんぬき枝は、木の形を悪く見せるものとして嫌われている。ギリシア文字のΨのように、スッと立つ幹の同じ場所から両側へと伸びる枝を思い浮かべると良い。枝は交互に出るのがバランスが良くて、十字の枝分かれは人工的と感じられるものらしい。こうなってしまった場合、どの枝を切って形を整えるかを思案することになる。中を抜くというのが定説で、まあそこは臨機応変に対処するべきなのだけれども、真ん中を切るのが見た目が良いのであれば、そうする以外に選択肢はない。この作業、意外と難儀なのである。ノコギリを入れる場所が空いてないことが多いのだ。そういう場合には、まずノコギリを入れる場所を少しずつ切り開けてから、本番の作業に取り掛かる。何事も凝れば良いというものでもない、気長に取り組もう。
3月 7 日、掛け算は足し算より遅い、と言われる。確かに 202 + 101 は直ちに 303 と言えるけれども、あ、この例だと掛け算も直ちに 20402 になることがわかるか、まあそれでも掛け算は厄介だ。これは桁数によりけりで、1 桁の場合は 2 + 3 も 2 x 3 も大差ない。そこでハタと気づくことがあって、速いとか遅いとか計算速度について言及する時には、数を必ず位取り記数法によって表していることだ。石のように単に目にみえる個数 (?) で表現するならば、2 + 3 は石が 2 個の場所に 3 個追加するだけだし、2 x 3 は 2 行 3 列に石を並べて 6 個の状態にするだけだ。どちらも一瞬でカタがついてしまう。計算を遅くしているのは、位取り記数法なのである ... いやいや、チンタラ石を数えるのが面倒だからこそ、位取り記数法を取り入れているのだから ... うーん、計算量の話は単純ではないような気がしてきた。
3月 6 日、足し算と加法に違いがあるのか? というと、あるような、ないような、何とも言い難い違いがある。単に足し算と言ってしまうと、二つの数を足し合わせて、結果を確認すればそれておしまい。一方で、加法と言った瞬間に群を背景に背負うことになって、数は単に大きさを表すものから、群元に姿を変える。単に整数だけだったら、そんなに目立つ違いではないようにも思うけれども、剰余類とか言い始めると、段々と難儀なことになる。そういう難儀さに首を突っ込まなくても普通に仕事になるのが物理学で、この気楽さからいつの間にか自称物理学者となって、もう何年経つのだろうか。
3月 5 日、電車の駅を降りると、街中がもう卒業式モードになっている。私立高校の卒業式日程はそれぞれ違うので、チラホラとお祝いモードの登下校風景を目にするのだ。大学の卒業式も、そろそろ始まる頃だろうか。こちらは、夜の宴会モード ... というのは昭和の考え方なのかな。ペットボトルの飲料を手にして、その辺りで立ち話しているようなのが今時の風情なのかもしれない。もうすぐ大学の合格発表となる。推薦入学はずーっと前に決まってるから、不動産の引越しなどは、もう始まっているようだ。こういう光景に触れられる神戸という街も、なかなか素晴らしい環境なのだと思う。
3月 4 日、X ポストに、海中を漂うビゲロイという生物の記事が流れて来た。見た目が面白いだけではなくて、ニトラプラスト (?) とか呼ばれる窒素固定の細胞器官が備わっていて、今も進化途上なのだそうな。まあどんな細胞も、その器官も進化の途上であることには変わりないのだけれども、それが始まったのが 1 億年前くらいのことらしい。それはまだ、恐竜が活動していた頃であることを考えると、多細胞生物は細胞の基本的な構造的には進化がゆっくりしているものだと思う。単細胞生物は繁殖のサイクルが速いのかな。人類がうまくノアの方舟を作って、地球の生物を宇宙に広げることが叶えば、この進化は更に続いて行くことになる。そんな平和な社会発展は、いつ頃に達成されるのだろうか? それともスターウォーズに陥るのだろうか。
3月 3 日、今日の夕方は大阪で量子情報についての一般公演。昨日はその構想で、スライドを書きかけて時間切れで睡魔沈没。朝になって、作業続行 ... と思いきや、曇っていたので朝日を知らずにコンコンと寝続けてしまって、ガバッと起きたら既に日は高く ... いや雨が降っているけれども ... ともかく続きの作業に入る。まあ、今回作ったスライドは、バラして沖縄で行う講義の、各コマの枕に使うと良いものに仕上げたつもり。それはそうと、日々の大学業務はあるので、いそいそと坂を登る。今日は風が強い。衛星写真を眺めると、四国の南で雲が渦を巻いている。春先には、こういう前線から少し離れた雲の渦がよくできるものだ。季節は進んでいるんだなー。大阪を楽しもう。
3月 2 日、セミナーで話す内容をどう組み立てようかと思案していて、どうもまとまりが無いなーと思案のドツボにハマって久しく、うーん ... と思う頃に、要するに何か知っていることを語りかけようとする行いに間違いの第一歩があるのだと気づいた。科学者というものは、常に未知に取り囲まれているのだから、近いところも遠いところも含めて、何が未知なのかを拾って語れば、それが夢でありこれから先に人々が歩む道ではないだろうか。未知の道、未知への道、未知との遭遇。あ、映画のタイトルになってしまった。あれは Close Encounters of the Third Kind という原題の意訳なんだよなー、ヤマギワ電気みたいとか言われてたっけ。|未知との遭遇 〉を語って、周囲を取り囲む専門家と共有することにしよう。沖縄での講義もそれで行くか?!
3月 1 日、花壇を見て回ると、すでに紫色のカタバミが広がり始めている。これはツルでどんどん伸びて根を落として行くので、見つけ次第の駆除となる。間違っても花を楽しんだりしてはならない、すぐに実が弾けて大変なことになるのだ。とは言っても、どこにでも生えているものだから、風に乗ってホコリなどと共にタネが降ってくるのは防ぎようがない。対策は草抜きのみ。緑色の、球根を作るカタバミもまたアチコチに。こちらは広がるスピードは遅いのだけれども、独立に球根から生えているので、抜くのが面倒臭いし、残った部分からまた増え始める。もうカタバミの花壇にしてしまおうか。シーズンが終わってツルごとスキ込んだら栄養にもなるし。
1 月と 2 月の1行日記