← 1 月と 2 月の1行日記
12月31日、大晦日。スーパーやデパートなどは 2 日間の休業日を取る所が多くて、それまでに賞味期限を迎えるものや、正月 3 日に賞味期限がやって来るものでも、惣菜などを中心に半額セールへと突入する。閉店までに続々と人々がやって来て、お店は超混雑。人の波がすごくて、商品にまで手が届かない様相となっている。割とミクロ経済学で説明がつき易い状態と言えるだろうか。来客が計算しづらいのが難儀な所で、不確定要素を抱えたまま、だんだんと値段を下げて行くのだけれども、20 パーセント引き、30 パーセント引き、半額、そして閉店となって廃棄。その廃棄の実態については、あまり伺い知る所はない。最後に従業員向け激安セールを行なって少しでも回収するお店もあるけれども、大きなバケツに続々と捨てて行く光景も。念のために付け加えると、この廃棄は「アフリカの子供たち」という不思議な定型句とは全く無縁のことである、というのが経済学的には正確なのだろう。知らんけど。
12月30日、ヤスリがけの続き。今度は平面の部分を削る。平面のはずが、なぜか周囲が盛り上がっている。これは難儀。真ん中へと向かって球面になっていれば、外から段々と削って行けば自然と全ての面が出るのだけれども、その逆ということは長い長い周囲を削らなければならないということ。一瞬、それならば真ん中に塗料を盛れば良いのではないかとズルい考えがよぎったけれども、今の寒い時期に塗料を盛ると乾くまでに一ヶ月はかかる。というわけで、中間をとって、周囲を適当に削った後で、塗装を繰り返すことにする。まあ塗るのは暖かくなってからかな、今は木地に集中しよう。ああもう 2025 年が終わる。
12月29日、午後までダラダラと過ごし、陽が傾いた頃に月曜日であることを思い出す。arXiv が出ているのだ。みなさん、年末にも関わらず結構な量を投稿していて、何だかなーと感じる所はあるかも。どちらかというと、中華圏の方々の投稿が目立つ。これは単に、それ以外の地域がお休みに入ったということなのだろう。例年、春節の頃になると、逆に中華圏の方々が少なくなって、目立って投稿量が減る。こうして arXiv を眺めていて、今年感じるのはともかく量が増えたこと。論文それぞれの文章も長くなっているし、投稿数も激増中だ。AI で論文が書きやすくなったわけか。やがて arXiv は人間が目を通すものではなくなるのかも。
12月28日、昨日までに用意した治具を使って、下塗りした木工作品にやすりがけする。塗料が乾いた面は硬くて、最初はヤスリの粒が滑ってしまう。どこかが剥がれて削れ始めると、ザクザクと削れて面白いものだ。平らにしておいたはずの木肌も、塗料を含むと凸凹に戻ってしまうもので、こうしてヤスリがけしていると、窪んで穴の空いたような場所や、出っ張って木まで削れてしまう場所が出てくる。ということは、下塗りをもう一度かける必要があるわけで、上塗りまではまだまだ作業が続く。まあ2度目の下塗りでは、そんなに凸凹が復活することはないだろう、そう願っている。
12月27日、ラップフィルムの芯に紙やすりを貼り付けて、にわか工具を作る。木工で円筒形の穴のような凹んだ面を磨く時に、けっこう重宝する。手で磨けば良いような気もするけれども、測りながら慎重に削らないと、すぐに鈍ったようないい加減な曲面になってしまって、仕上がりが良くない。紙やすりは、適度に弱い接着剤で紙か布に研磨剤が貼り付けられていて、過大な力がかかると粒が落ちるようになっている。意図せず大きな傷を面に与えないような工夫だと思う。これを嫌う時には、あらかじめ別の接着剤を浸透させておいて、接着力を高めておく。そこまでするくらいならば、2倍か3倍の量の紙やすりを使えば良いというのも、まあ正しい意見だと思う。というわけで、ラップフィルムの芯を常に何本かは常備しておくのである。
12月26日、今日は arXiv の更新がお休み。昨日もあまり投稿数が多くなくて、もうクリスマス休暇の模様。海外の方の SNS 投稿を眺めていると、今日もまだクリスマスという感じ。年末までクリスマスを楽しむ文化なのだろう。日本ではもうお正月の準備がクリスマス前からじわじわと始まっている。北風が吹くと松の枝が折れて、木の実も空から (?) 降って来て、自然とお正月飾りの材料が揃う。稲藁だけはどこかから調達する必要があるか。お餅も次々と売り場に並んで、そういえば冷凍のエビカニも普段はアイスクリームを置いている保冷庫に置かれている。こういうものが次々売れるのだから、まだまだ経済は堅調なのだろう。形式的には仕事納めとしよう。
12月25日、今日も雨。流石に畑仕事も尽きて、デスクワークに取り掛かる。今年中にケリをつけるべき事は色々とあって、そういえば写真の整理なども放置したままであった。返事をせずに溜め込んでしまったメールなども掘り起こさないと。年賀状をやめる卒賀の一環として、これまでに受け取った年賀状も裁断して紙のゴミに。情報の時代だからこそ、溜め込んだ情報は捨てて行かなければならない。AI に全部吸われてしまってからでは、捨てることもままならなくなるかも知れないのだ。そういえば今日の arXiv はお休みだろうかと思っていたら、ちゃんと更新されていた。お休みになるのは明日の配信らしい。段々と投稿数が増えて来て、毎日眺めるのもどうしたものかとは感じている。
12月24日、今朝も寒くない朝となった。雨が時折降ってくるので、降雨レーダーを眺めつつ買い物などに出かける。おっと、今日は燃えないゴミの回収日であった、年末だからみなさん大掃除で色々なものを袋に詰めて出していて、眺め方によってはサンタクロースが背負っている袋にも見える。キーボードとかギターとか、こういうものは捨てる人あれば拾う人あり、フリーマーケット屋さん (?) らしき方が品定めしている姿も。今日のお昼ご飯はどうしようかな? と思案して、近所の餃子屋さんでドカッと焼き餃子を仕入れて職場へと向かう。誰も来るな、来たらニンニク臭が漂うぞという意思表示でもある。職場はというと、これまた大掃除。
12月23日、クリスマスイブイブの暖かい日。冬の寒くない日の例に漏れず、今日も夜半から雨になるようだ。何度も繰り返し書くことだけれども、不思議なことに暖かい日に落葉が進む。既に幹から栄養が絶たれた葉が暖かさで脱水や分解が進み、自然と枝から落ちるのだろう。畑には少しばかし花が残っている秋の植物も茂ってはいるけれど、そのまま新年を迎えるのも風情がないことなので、今日の内に、雨が来ない内に刈り取ってしまおう。すでに地面から次の季節に備えた芽が伸び始めているので、そちらを大切にしたい。あらら、かぼちゃの芽も出ている、これは枯れる運命だ。軽い雨 (?) の前は種芋を植えるのにも、まあまあ適している。小さなジャガイモは安いので、まとめて植えてしまおうか。太陽エネルギーは植物に受けてもらうのが、一番理に叶っている。
12月22日、よくよく考えると、年末まで毎日を年次有給休暇にしても今年の割り当てに足りない。とは言っても何かと年末には用事があるもので、丸一日を休暇というのは難しいし、結局は仕事が積み上がってしまう。ありがたいことだ。これから先、段々と仕事が減って行くのだろうか? あまり大きな計画を立てなければ、恐らくそうなるのだろう。デスク上の to do リストなどを眺めると、書きかけの文章が目立つ。手をつけたものを全て仕上げるというのは非効率なことで、イマイチなものは放置。そうしてゴミのように並んだものも、今の視点から眺めてみると新しいアプローチもあるんじゃないか? と思えてくる。これがゴミ拾い。完全に大掃除とは逆の考え方だ。やはり捨てられないものも多い。
12月21日、朝から雨で畑仕事はお休み。晴耕雨読、ええと、読みたいものがあまりない。レフリーの仕事も頭によぎるけれども、今の時期は苗床の準備も考えなければならない。春に暖かくなり始めてからバタバタするとロクなことがないのだ。というわけで、古いポットをかき集めて状態を確認したり、空いた鉢に土を入れて並べたり。まだ種まきは早いかな。ただ、果樹の種は乾かすと発芽率が落ちてしまうので、手に入った順番に植えて水やりしておく。発芽が抑制されているらしくて、しばらくの間は芽吹かない。お昼ご飯が済んだら、午後は白菜の浅漬けづくり。さっさと食べてしまうものなので、最初から刻んでおき、粗塩をかけて漬け込む。サラダのようにバリバリといただく場合には、食べる前に水洗いして塩を落とした方が、現代的には健康に良いのだろう。
12月20日、とても気温が高くて暑さを感じる日になった。神戸市内では 18 度にもなったのだそうな。畑はというと、水やりしている訳でもないのに土が昨日よりも湿っている。空気中の水分が冷たい土壌に結露しているのだ。寒くもないので気持ちよく農作業していると、何だか辺りをブンブンと飛び回るものが。まずはミツバチ。こんな時に活動してもらっても、花は咲いていない。カメムシも動き回っていた。難儀だったのがブユ。時期で活動が決まるのではなくて、気温が羽化のスイッチになるようだ。そして見事に足首をやられてしまった。作業はそこそこに、刺された箇所から毒の絞り出し。さっさと毒を抜くかどうかで経過がだいぶん違う。午後は三里塚から届いた野菜の調理。よく育ったほうれん草は美味いなー。
12月19日、現代の情報テクノロジーで一番遅れているのがエネルギー消費。速さを追い求めた設計に、妥協の産物のように消費電力を抑える工夫を盛り込んでいるだけなので、ちょっとした処理にも大きな電力を食ってしまう。時計や電卓のように、電源がとても限られたものから出発した機器とは大きな断絶があって、電源を四六時中探し回るか、あるいは充電済みのバッテリーを何個も持ち歩くという、本末転倒のようなことも珍しくない。と、言いつつも、そもそも人間を始めとする生物の多くが、イザという時にそなえる為にかなり大きなエネルギー消費を継続する設計になっている。体力を温存すると食べるだけ食べて、どんどん太ってしまう。山に登って、少しは精進しようか。
12月18日、快晴無風の1日を迎える。今の時期にはクリスマス寒波というのが恒例行事のはずなのだけれども、今年の西日本は気温が高いまま推移している。まあ暖かいのは畑仕事に向いているので、年内に行っておくべき作業をサッサと済ませる。風がなくて暖かいので、ついつい油断して手袋なしの作業を続けてしまうのだけれども、土は冷えているので触れば冷たいし、だんだんと手を痛めて行く。そういう時には日向に出てラジオ体操。全身が温まると、手の指先まで血の巡りが良くなるものだ。これは研究にも通じるものがあるのだろうか、疲れたらラジオ体操。でもなぜラジオなんだ? 今の時代に。
12月17日、暖かい朝を迎える。こういう時にこそ冬の (?) 畑作業だ、朝の仕事は午後にシフトして、あれこれと作業に取り掛かる。動物が入らないように畑の周囲を固めている柵や防鳥の網など、放置している内に穴や隙間が開いた場所を重点的に埋めて行く。網の方は素材が朽ちかかっていることもあって、紐を巡らせて補強しつつ、穴の部分にはワイヤーを細かく配置して、小鳥はともかくとしてカラスやヒヨドリは入れなくした ... つもりだ。やれやれと思っていると、作物が齧られた箇所が見つかる。どんな動物が?! と不思議に思う所もある。ネズミは可愛いから、駆除するのも何だか気が引ける。
12月16日、ふと地面に目を向けると、もうカラスノエンドウが生えている。今の時期に芽吹いて、春まで虎視眈々と準備をしているのだ。カタバミもたくさん芽が出ていて、放置すると大変なことになる。とは言っても、あまりに小さいものは抜くのも手間なのでしばらく自然淘汰されるのを待って、抜き易い大きさになった所で雨上がりの日などに除草する。地下茎も一括して抜き去らないといけない。たんぽぽのような感じのものは、とりあえず置いておく。雑草を全て抜き去ると土をとどめる物が何も無くなってしまい、雨が降ったら表土が流れてしまうのだ。雑草とは呼ぶけれども、生態系のワンピースとなっていることは間違いないのだ。
12月15日、今日はランダウ自由エネルギーの解説。ランダウと言えばソビエト科学アカデミーの、どちらかというと Feynman 的な自由人として知られている。教科書や論文以外の著作物があまり伝わっていない、少なくとも日本では知られていないのは、ちょっと残念な気もする。鉄のカーテンの時代が、多くを埋もれさせてしまったのかも知れない。ランダウの没後しばらくして作られた映画「惑星ソラリス」には、どことなくアカデミー会員っぽい人々が次々と登場する。ソビエト連邦の暮らしぶりは、あんな感じだったのかなーとも思えて来る映像が次々と。改めて見直すと、あれはエヴァンゲリオンに影響を与えているなーとも感じる。... などボチボチ感じつつも、今の時代にエヴァと発言しても、誰も振り向いてもらえない。救済が完了したということだろう。
12月14日、昨日は遊び呆けたので、今日は自己研鑽の時間を取る。とは言っても、それはギターの練習。うまく行けば YouTube に新曲を、と考えてはいたけれども、弾き始めて練習不足が発覚。こう弾きたいという思いと、技量の間に大きな断絶があって、ミスばかり連発して曲にならないという状況だ。その辺りは自問してギャップを埋める必要がある。そうそう、これは日頃から学生に指導している内容でもあるのだ、自分が持っている知識でかなりの研究が可能なのだけれども、着地点をずっと先に設定してしまうと、なかなか論文という仕事にまとまらないのだと。音楽は研究を教えてくれる、そんな感じかも。
12月13日、ライブハウスの老舗、SONEを訪れる。入れ替え制とか細かいことがなくて明朗会系なので、ケチ臭く過ごそうと思えばそれで大丈夫だし、気前よくガツガツ飲み食いするも良し。一番大切なことは音楽を楽しむこと。今日は地球の音楽といった感じで、ジャズの曲は入っているけれども無国籍風に何でも出てくる感じ。西洋音楽の根底にはクラシックがあるものだという事を認識させてもらえた気もする。ラテン音楽は果てしなく広がっていて、タンゴもまた登場。神戸に赴任したサラリーマンは云々とよく言われるけれども、確かにアフターファイブでこのノリだと、人生楽しむことが第一になるよなーと思った。
12月12日、種をまいて苗づくりして、植え替えて育てて、大きく育って枝葉が茂って。これから花を咲かせて豊かに実ろうという、まさにその時に突然枯れる木もある。後からよくよく思い出してみると、そういえば秋の落葉がはっきりしなかった、春の芽吹きが遅かったとか、葉の緑が少しだけ他の木とは違っていたなど、注意深く継続して管理していれば気付いたかもしれないとは感じるものの、その時その時に何か打つ手があったのだろうかと考えても正解はない。いま何かできるとすれば、目の前にある木々に、その注意深さを向けることなのだろう。それでも、何かを見落としていることは間違いない。不完全さを自覚して日々を送ろう。
12月11日、畑に果樹の苗を植える。ポット苗を、単に植えるだけのことなのだけれども、意外と気を使う。木には個性があって、どちらの向きに伸びようとしているのかを把握して、まずは水平方向の向きを決める。そして次に考えるのが傾き。根本を真っ直ぐにするのか、それとも枝が綺麗に見えるように傾きを決めるのか。これは植え付けた後で剪定するかどうかも関わって来る。いよいよ植える時になると深さが問題になる。浅すぎると風などで簡単に倒れてしまうし、深すぎると根が蒸れて腐ることもある。最後に十分な水やり。土が落ち着くまで、ともかく水をやり続ける。穴が空いたら、そこには土を足して、再び水やり。春になって、根が伸び始めるまで毎日のように様子を見守って、冬枯れせずに新芽が伸びることを期待する。研究指導と似てる所があるな。
12月10日、オーケストラの面白さは色々とあるけれど、普段は接することのない楽器の音を楽しめるのも良い。オーボエは、ソロとか室内楽とか、時には演歌などでも耳にするけれども比較的珍しい楽器だ。ホルンもまた、普通は軽音には出てこないか、ブラスとして華を添えるような使われ方が多い。それぞれの楽器のアルトやバスを担当するものも、オーケストラ以外ではなかなか目にしない。ビオラは味わいある楽器なのに、チェロとバイオリンに挟まれて (?) 地味な存在になっている。ユーフォニウムはアニメで知名度が上がったのだったっけ。ハープとかチェレスタとか、打楽器だとトライアングル、こうして眺めてみるとオーケストラは満漢全席あるいはバイキング料理のようなものなのかも知れない。第九では合唱まで付いてる。有名な曲で合唱が突然入るのは、他にはホルストの惑星のオケ版くらいかも。クラシック音楽は楽しいな。
12月 9 日、加羽沢美濃の編曲したカッチーニのアベマリアの楽譜を仕入れる。Em なのでギターで拾い易いというか、移調する必要がない。移調自体は、楽譜が臨時記号を正しく表記している限り、そんなに手間のかかることではないのだけれども、落とし穴は幾つもあるものだ。一番よく引っかかるのが、楽譜に書いてあるままの音で澄んで響いてしまうと、本来は移調して弾くべきであることを忘れてしまうという、凡ミス。曲の流れを崩す場合には直ちに気づくのだけれども、1音だけの経過音がちょっと (?) 妙というのは、案外スルーされ易いものだ。移調しなくて良いのはともかく助かる。パッと眺めて、さてペダルというものが存在しないギターで、どのように演奏するべきなのか? という楽しみ方から考えて行こうかなーと。音楽はいいね。
12月 8 日、イジング模型の平均場近似に入る。これはすぐに解説が終わってしまうので、さてそこから先はどうしたものだろうか。繰り込み群の話に入るのも良いかもしれない。その前に Bethe 格子か。量子力学と統計力学の形式的な類似性というのもアリかも知れない。テンソルネットワークという題材に入るにしても、その応用を何に取るかで教え方が違ってくる。量子コンピューターは量子力学の方で教えれば良いのだろうけれども、そんな時間が取れるのだろうか。講義には定番のコースがあるにしても、時代とともに少しずつ圧縮と更新が続くべきだし、その模索を捨てたら大学講義ではないのだとも思う。毎日同じではダメ、そう思い込むのが教員の悪いクセかもしれないけど。... と考えていたら、実は平均場近似が「いかに悪いか」の解説に時間を割くのが良いのだと気づいた。
12月 7 日、少し前から取り組み始めたサツキの剪定を続ける。サツキは低木なので、長い枝を切り詰めて、少しずつ枝分かれさせて樹形を整えるという考え方があまり通用しない。途中で切った太い枝からは、太い芽が何十センチも伸びてみたり、垂直に芽吹いてブラシのようになったり、ともかくマトモには行かない。そのうち根本から新しい枝が伸びて来るので、それで更新するのが最終的には正しい方法だ。というわけで、新旧の枝が混在した状態がしばらく続くというか、ずっと続く。こんなに管理の面倒なものを、昔は街路樹にどんどん植えていたのだ。最近では、もっと管理が楽なものが街路樹に使われることが多い。畑の周囲の植栽としてサツキを続けたものかどうか、思案のしどころだ。
12月 6 日、大豆を買って来て煮る。まずは一日くらい水を含ませて、新しい水で一度か二度、煮こぼしてアクを取ってから 1 時間くらいじっくりと煮て、冷ます。それだけ。スープの具材に使ってみたり、サラダと混ぜてみたり、そのまま食べてみたり。主食として食べるならば小麦の方が安いし調理も速い。凝る人はそこから豆乳を取ってみたり、納豆を作るらしいけれども、その手間を考えると製品を買いたい派である。同じ大豆でも、煮上がりの硬さが豆によって違ってくるのは不思議なところ。大豆は大豆でも黒豆はけっこう柔らかくなる気がする。いまの時期は黒豆が高値で販売されているので、貧乏人には手が届かないのだけれど。
12月 5 日、スロバキアから共同研究者を迎えて、ゴソゴソと論文を作ること 1 週間、何とか出版論文の形になって来たのではないかと思う。今回は、今までの専門のテンソルネットワークとは畑違いの、古典電磁気学の論文だ。コンセプトとして変分的な最適化が背景にあるというのは確かで、どこかで獲得した研究者の視点というのは、いろいろな分野で応用するべきものだと実感している。そんなコメントを出せるのも、まあ論文がちゃんとアクセプトされてからか。いや、これからの時代はレフリーやエディターという限られた人が首を縦に振るかどうかより、AI も含めた閲覧数が勝負なのかも知れない。
12月 4 日、論文を書いている時に、難しい式は間違いがないかちゃんとチェックするのに、ごくごく単純な所でトンデモない記載ミスが誰にも見つからずに残ってしまうことがある。とても簡単な数式ほど、パッと眺めた時に「正しい式」に頭の中で変換されてしまうので、間違いがあっても気づかないのだ。たとえば熱物理学で 2πmkT と書くべきところを 2πnkT とタイプミスしてあっても、これを見つけるのは至難の業なのである。英単語にも似たような所があるらしくて、頭文字と最後の文字と、語の文字数が同じだと、パッと眺めた瞬間に正確な綴り字に変換されるのだそうな。今日は、とある式に 2 乗が抜けていることに気づいた。そんなのは次元を考えれば自明だろうと、学生がミスをすれば延々と語っている箇所なので、誰にバレた訳でもないのに、何とも恥ずかしいものだ。初心忘るるべからず。
12月 3 日、冬将軍がやって来る。今朝は寒くはないのだけれども、昨日のような暖かさはなかった。日中は気温が上がらずに、段々と寒い風が吹いて来る。木々が葉を落とすスピードが速くなって、紅葉も終わりを迎えた。畑のあぜ道に残っていた朝顔も、昨日に最後の小さな花を咲かせて、今日からは日々乾いて行くのみ。昔は寂しく思ったこの秋冬の光景も、今では枝や根元の状態を確かめられる大切なプロセスだと感じるようになった。下草が茂っていては根の張り方がわからないし、葉が茂っていれば妙な枝ぶりの箇所も気付きにくい。それぞれの木が管理されているのかどうか、何年も放置されるとどうなるのか、自然の木々はどう伸びるのか、それぞれ眺める楽しみが次の春まで続く。
12月 2 日、コケは不思議な植物で、コケだけ栽培しようと室内で育てているとダメになってしまう。太古の地球では、一時期コケのようなものだけが地表を覆ったようなのだけれども、今は他の植物と共生するのが前提になってしまっているのだろうか。時々は外へ出して雨ざらしの環境に置くと、まあまあ元気が戻る。あのように細い繊維が密集する生え方だと、常に水が毛管現象で上に上がって来て、石灰分などが表面に固まってしまうから、時々は水で溶かすことも必要なのだろう。一旦調子が悪くなると、なかなか回復しないので抜き取って更新する方が、早く綺麗になる。いや待て、単に空中湿度の問題なのだろうか、エアコンの効いた部屋の中は湿度が低いからなー。
12月 1 日、中間試験、期末試験など、どんな問題を出すべきか? というのは永遠の課題だ。明治時代の大学入試問題を眺められるようになって来て、その簡潔さに驚くことが多いし、学ぶべき所もあるなーと思う。国づくりを試行錯誤する中で、昔の人々も同じように色々と試してみたのだろうなーと感じる。何々について論ぜ。それだけの設問も多い。出題する側が何を意図して問いかけたのかは、今となっては知るよしもないし、回答がどうであったのかも不明。そんなところに物語があったのだろうか。本日に実施の中間試験では、記述式の良さを活かしてみようかとも思って、とても短い設問で済ませた。実力評価には、この方が良いのかも知れない。
11月30日、外国からのお客さんがやって来たので、久々に天ぷらを食べに行く。揚げたての食材をいただくのは、とても贅沢なものだ。いい油に、新鮮な食材、仕上がりを見極める職人の技があって、とても美味しかった。こういう時には酒の出番となるのが、和食としては普通のことなのだろう。今日はノンアルコール。いつも思うのが、ノンアルコールドリンクの品数の少なさというか、選択肢の狭さだ。グラス一杯が数千円というノンアルコールドリンクがあっても問題ないのではないかなーとも思うのだけれども、見たことがない。じわじわーっと、そんな世の中になって行くのかどうか、さて。
11月29日、草抜きをする。目的はただ一つ、育てたいものの邪魔になっているか、将来的に邪魔になるものを駆除すること。逆に、タンポポのようにその場で控えめに育っているだけのものは、放置しておく方が良い。より性悪な雑草の繁茂を妨げるし、うまく光を集めて育ってくれれば、やがては肥やしになる。また、根が適当に張っている状態が土にも良いらしくて、腐ったように変な香りの悪い土になりにくい。というわけで抜いたのはツルで伸びるものばかり。これをその場に放置すると、やがては網の目のように重なって地面を覆い、そして木々にも絡んでくる。この戦いは長く続きそうだ。
11月28日、神戸の老舗ライブハウスでジャズを楽しむ。店が昔からあっても、音楽は常に新しいものだ。特に、ジャズはその日限りのもので、全く同じ演奏を2度聴くことはない。... ビッグバンドはちょっと例外的かも知れない。クラシックとは鑑賞の文化が少し異なっていて、観客席から歌舞伎のように声援が飛ぶのも面白い。ブラボーおじさんは居ないけれども、拍手のフライングは共通しているのかも知れない。時々、手拍子が入ることも。よく笑い話になるのが、表拍の演歌的な手拍子。それでも、ちゃんと入ればエラいもんだと思う。裏拍でリズムがずれているのに比べれば ...
11月27日、朝の阪大坂を久しぶりに登る。いや、歩く。神戸大学に勤める者にとって、阪大坂は恐らく坂のうちに入らないだろう。昔は、あれが坂道だと感じていたのだから、日頃の環境というのは物の見方を根本的に変え得るのだと思う。阪大のある豊中市や池田市、そして近隣の伊丹市・吹田市の辺りは緩やかな丘陵地で、とりわけ険しい地形もないので空港があったり鉄道や道路の幹線もある。人々が話す言葉はちょっと上品な大阪弁で、何となく神戸の話し言葉にも近い。文化圏としては同じ「摂津」ということなのだろう。大学の周囲は一周 5 km のランニングコースで、昔は 5 人組で時間を競う大会も行われていた。先生方が、実験装置を持って走ったり、水泳部の屈強男子が「スクール水着」を着用して走るという奇習もあったっけ。今の世の中では炎上だろうなー。
11月26日、科学的な解析に使う数値計算というのはとても「罪深い」もので、無理数だろうと何だろうと有限桁の数に丸めて取り扱って、ともかく値を求める、いや出力するのが最終的な目標である。必要な計算精度を遡って行くと、どれだけの計算を行わなければならないかを把握できるのだけれども、いちいち精度を上げたり下げたりできないのが普通のことなので、大抵の数値計算が過剰な計算処理となってしまう。いったい何倍、何十倍のリソースを消費しているのだろうか? と、ふと思うことがある。また、とても精度の高い計算を行うにも都合が悪い。統計物理系を例に取ると、非常に低温で転送行列形式をそのまま取り扱うことは絶望に近い。行列要素の絶対値が、とてもマチマチなのである。こういう着眼点、昔の方がよく議論されていて、計算機の発達した今日ではマイナーとなっているのも、何とも不思議なものだ。
11月25日、落ち葉散らしの雨の朝。地面でカラカラに乾いていた落ち葉が、改めて水を吸って分解し始めている。元々が光合成から作られた枝葉なので化学エネルギーを蓄えていて、菌類などによって自然に? ゆっくりと分解されて行き、生態系をしばらくの間だけ支える。結局は元の水と二酸化炭素へと戻って行き、ごく僅かに永く残るものが土に加わる。それも時間の問題ではあって、最終的にはほとんど跡形無くなってしまう。気温が低いと分解が進まずに、泥炭として層をなすらしい。生物の進化の途上では、分解がうまく行かない期間があったらしくて、石炭が効率的にできたのだそうな。そうこう考える内に雨が上がって、しっとり雰囲気の散歩を楽しめた。
11月24日、久しぶりに研究会に顔を出すので、スライドを作らなくては。実の所、この作業は AI に任せたいもので、「スライド作っといてね」で終わるならばそれに越したことはない。最近ハマっているスライドの作り方が、all in one スライドという 1 枚もの。よくポスターや案内図に使われている、色々な絵が一枚に組み合わされたものだ。そういえば、宗教画にもそんなのがあったっけ、生誕・受難・復活が基本的なセットで、加えて様々な奇跡が描かれているのがキリスト教の壁画だ。クリスマスの時期には、その生誕の場面だけが切り出されて、SNS などに流れて来る。そんな街中のクリスマスを眺めたいなーと思いつつ、スライドに取り組むのである。
11月23日、畑に花の球根を植えて回る。去年に咲いたチューリップは掘り上げなかったので、夏の間に球根のほとんどが腐ってしまった。掘り上げても半分は腐るし、大きさも小さいので毎年のように新しい球根を仕入れるのが楽だ。スイセンの球根はキッチリと残っていて、日本の厳しい暑さにも強いのだなーと感じる。そういう作業の途中で、植えたことないなーという球根が出てくることも。ニラの球根だったり、彼岸花だったり。珍しい所ではユリ根の場合も。勝手に育った百合根は、大抵が苦くてあまり美味しくない。もともと、薬味のように少量使われる食材なのかも知れない。栽培されて売り場に並んでいる大きな球根は、どんな風に育てているのだろうか。
11月22日、「いりこ」は貧乏人の心強い味方だ。丸ごとそのまま食べるのが最もコストパフォーマンスが良いけれども、けっこうアゴが疲れるし、内臓味のするものを延々と食べ続けると気力が折れる。酸味を足してオリーブ漬けにするという手もあるか。でもまあ、万能なのは頭と骨と内臓を取り去って身だけに整えたものだ。これは本当に最強で、そのままご飯のおかずに美味しいし、野菜スープの味付けを兼ねた具材にもできる。味付けに少しだけ醤油を添えるのも良いし、酢に漬けて柔らかくして惣菜にするのも良い。甘辛いタレを絡めて固めると、いわゆる田作りのような味にもなるし、個人的には田作りよりも美味しいと思う。頭などは畑に戻しておくと、色々な動物が食べたり、朽ちて肥料になったり、無駄になることがない。
11月21日、食事を終えて、研究室への帰り道で紅葉を見上げていると、目に入ったのは桜の枯れ枝。いや、枝という太さではない、完全に幹だ。桜は材質的に幹に細菌が入り込みやすくて、大きな断面が幹にあるとそこから枯れ込んでしまう。どうやらそれは繁殖の作戦らしくて、根本からは新しい芽が次々と顔を出して来て、放置すると何十年もかけてではあるのだけれども、あたり一面が桜で埋まってしまう。桜が増えるのは良しとして、枯れた太い幹は風で倒れて来る危険が高くて、放置する訳には行かない。でも太いからなー、手動のノコギリで切るとなると大変だなーと思いつつ、研究室に戻る。定期的な剪定の連絡が入った時点で、対処してもらおう。
11月20日、今はともかく芋が安い。それも、少し細めの芋が捨て値にも映る安さで売られている。土に埋めておくと冬の間は持つとはいえ、早く食べるに越したことはないので買っては蒸して、買っては蒸して。綺麗に洗って、凹んだ部分を切っておけば、特に皮をむかなくてもパクパクと食べられる。晩秋はいい季節だなーと感じる瞬間だ。小芋もどんどん採れる時期だけれど、もう少し後、お正月が見える頃によく出回る。その方が高値なのだろう。豊作のカキは次々と熟して、カラスのおやつになっている。地面に落ちた食べ残しは、夜の間にイノシシのおやつとなるのだろう。冬に向けて、野生動物が肥えるのだから、人間も見習って何でもパクパク食べて良いではないか。
11月19日、職場の近くにモッコクの植え込みがあって、毎年のように刈り込まれている。綺麗なモッコクだなーと眺めていると、何だか違うものが混ざっている。いや、混ざっている程度ならば良いのだけれども、場所によってはモッコクを覆うようにはびこっている。似たような葉の色の木が、こっそり、そしてしっかりと網の目のように植え込みに入り込んでいたのだ。こういうものは、定期的な剪定でも見落とされ易いものだ。周囲に馴染んでしまうものほど、駆除が厄介ということだ。こう書いていて、ふと思ったのが、いわゆる癌細胞というのもこんな感じの存在なのかなーと。遠目には同じように見えていて、しかし違う。さて、木の方は切ればおしまいなので、刈り取って来よう。
11月18日、エッフェル塔は錬鉄という難儀なもので作られていて、材質的には強度が弱い分たっぷりと鉄が使われていて、東京タワーの倍以上重たい。鋼鉄の東京タワーもまた、今から考えれば贅沢な造りになっていてまだまだ、まだまだ健在。パイプを組み合わせて作ったスカイツリーでさえ、遠い未来には贅沢な造りと呼ばれるのだろう。ともかくも、分厚い鉄で作られた構造物は永く保つものだ。神戸にあるポートタワーもまたその一例。そういう目で神戸の海を眺めると、船もクレーンも鉄だ。こんなに鉄がたくさんあるのも、恒星の中 (?) でどんどん (?) 作られたのだからと思うと、何だか不思議なものだ。
11月17日、授業中に秩序状態の話をしていて、水槽の中のイワシの群れの運動もまた相転移なのではないだろうかと、そういう流れで話していてふと気づいたのが、その運動の中にトポロジーが潜んでいないか? ということ。8の字や、もつれたパイプのような水槽を作ってイワシを泳がせると、元の場所に戻って来た時に何らかの位相が付いているのでは? と思った次第だ。位相とは言っても、それは断面の中心から眺めた場合の角度であって、この角度は途中の経路のトポロジーや、その間に重力がどちら向きに働いているのか? といった条件で変わって来るはずだ。なんだか、イワシを集めて実験してみたくなった。
11月16日、畑の庭木の剪定を行う。けっこう何年も放置しておいた木なので、枝が異様に伸びまくっていて、パッと見どこから手をつけて良いのかがよくわからない。本来ならば、最終的な形を思い浮かべて、大枝から払って行くべきなのだけれども、まずは自明に変な枝を、なるべく太いものから幾つか切ってみる。そこで視界が開けると、何となく全体が把握できた。混みを招いているのが、何ヶ所かで三つ又になっている太枝で、これは真ん中の一本を抜くのが基本。その作業を終えると後は一本道で、最後に微調整しておしまい。今回の整理で枝の流れは把握できたので、来年からは簡単に済ませられるだろう ... と思いたい。
11月15日、大学のとある場所に植えられた一対のカエデの木を眺めて 10 年は経過しただろうか。向かって右の木の方が条件が良いらしくて、どんどん大きく育っている。左の方も、全体が枯れるわけではないのだけれども下枝が枯れ込みやすくて、あまり大きくならない。こうして今では高さにして倍、重量で比較すると何倍もの差がついた。これから先も差がついたままで ... と、ふと思って、どうなのかなーと。大きく育ちすぎた木の剪定は難しくて、予算の関係で伐採ということも珍しくはないし、台風がやって来た時にも倒れ易い。また、建物の側に植えられた木は、建物と運命を共にするので、いつかはバサっと綺麗さっぱり処分されてしまうものだ。この 2 本の木は、互いにクラスメイトのようなものかも知れない。
11月14日、同じ場所というと、いつも同じような場所を思い浮かべてしまうのだけれども、時が経てばそこに出入りする人々も入れ替わり、随分と違った場所になってしまう。そこにお店があったはずと、ふと訪れると更地になっていたりもする。その時、その場所というのは、当時を過ごした人々の中に記録された、大切なメモリーなのだと気づく。不思議なことに、まるで謎が解けるように後から振り返って見えてくる物事もあって、折々にふと浮かんでくる。眺め方、考え方なども移り行くものかも知れない。こんな形で、大切な思い出は今この時、この場所を支えているのだろう。
11月13日、右手の指の付け根にチクリと虫刺されしたのは一昨日。何の虫だろうかと不思議に思っていたら、痒くなって来てブヨだとわかった。ブユと呼ぶ地方もある。痒い部分は浮腫のようになり、そこには痒みの素となる物質が詰まっているので、感染の恐れが増さない条件が整っていれば、絞り出した方が早く治る。いわゆる瀉血療法というのも、この辺りの経験から来ているのだろう。あらゆる病に効きますというのは、それは統計的に有意ではない場合もあると思う。何が効果的なのか、最終的には統計的に判定するのが現代の医学の基本。これは科学の基本でもある。ともかくも、痒い症状には今日でケリをつけたい。
11月12日、いつの間にか日没が4時台になっている。これから一ヶ月間くらいが最も日没の早い期間で、ちょうどクリスマスシーズンとなる。イルミネーションを眺めて回るには都合が良い季節で、高くは昇らない陽が傾きかけると、ついつい今日の仕事はここまでと、ナマケ心が湧いて来る。そんな時期なのではあるけれども、卒業研究とか中間発表とかのスケジュールを考えると、この辺りでテーマの方向性くらいは固めておきたいものだ。なるべく自由にテーマ設定できるように、フリーハンドで考える期間を設定しておいたのだけれども、さて何が収穫できそうだろうか。何も生えて来ないようであれば、隠し持っていたタネというかネタを紹介することになるのだけれども。
11月11日、大学祭の演奏、色々と映像で流れて来る。当日は演奏と現場の準備撤収で大変で、そのあとは打ち上げ、ようやく今頃から映像の処理に手が回り始めるのだろうか。幾つか聴いてみると、ときどき達人が演奏しているバンドがあって、誰か一人でも天才 (?) がいたら、バンドの演奏が全体としてまとまって聴こえる。そういえば、神戸大学を卒業して音楽の道に進んだ人もけっこうな数になるのであった。軽音やってた学生が今や総理大臣という、そんな人材育成の場なのかも知れない、音楽の演奏というものは。みんな良い楽器を持ってるのも昨今ならでは。ギターなんか随分と安くなったもんね。
11月10日、今日からはイジング模型。例年よりも随分と早いイジング模型入りだ。というのも、前期に場の理論の入り口を終えていて、1 粒子 (?) エネルギー準位について延々と話す必要がなかったから。このまま続けると、アッという間に全てを終えてしまうので、統計物理学としては最近流行りの AI に踏み込もうと思う。LLM まで行くかどうかは知らないけれども。統計物理学がカバーする範囲はとても広くて、物性の方向へと走ることもできれば、量子情報へと手を広げることも可能で、その辺りは選択科目などの配置によって、取捨選択して行くのが良いのだろう。万年同じではないのが講義というものだと思う。
11月 9 日、一転して朝から雨。今日は大学祭とは別の用事で、またまた大学にやって来る。今日は流石に来客も少ないだろうと思っていたら、バスの方は相変わらず、満員になったら発車という運用を繰り返していた。少しだけ六甲祭もチラ見すると、テントの運営はほぼ取りやめ。もう撤収モードの所も。結構な雨量で、あちこちに水溜りができているのだから、仕方ない所だ。丘を少しだけ降りて、オフィスで今日のあれこれをゴソゴソと始める。午後2時頃になると、もう雨が上がったようだ。帰りにもう一度、お祭りの撤収を眺めに行こうかなー。明日は朝から講義か。
11月 8 日、暖かい薄曇りの日。絶好の学祭日和で、生協のブースは賑わっているだろうかと、イソイソと大学へ向かう。土曜日の阪急六甲が、こんなに混雑していて良いのだろうか。バスも次々と臨時便が発車している。それを横目に登山を完了すると、あらあら、警察が来ている。政治的な活動を学祭の入り口前で行っていたようである。大学祭は専門分野など出自を超えてみんなで楽しむもの。まつりごとは似合わない。しばらくすると姿が消えたので、指導により撤収となったようだ。屋内の展示はなかなか凝っていたし、グラウンドは例年の如く大混雑の混沌。ステージも楽しかった。生協の販売も好調だったようだ。大きなうりボーも売れていた。
11月 7 日、天気がまあまあの金曜日。こういう日にはサボって ... いやいや、タイムシフトをうまくやって、コアタイムが終わったらサッサと散歩に出るのが良い。万博も終わって、海外からの旅行者が減ったような気がしなくもないけれど、秋の観光地には足を踏み入れるべからず。地味に裏山である表六甲を散策しようか。キノコの季節はもう終わりつつあるし、これからは落ち葉などを拾って来ようか。それは誰の持ち物? という議論は国有地であっても避けられないのだけれども、どのみち朽ち果てるものだ。など考えている内に冷たい北風が吹き始めた。やっぱり今日は海辺かなー。
11月 6 日、改めて朝にガバッと起きて、今日に出すべき分別ゴミを置く。今日は薄雲がかかっていて、それほど寒くはない。秋の行楽日和はこんな日なのかなーと思いつつ、仕事の方では月曜日の講義日なので早々に電車に乗って大学へと向かう。大昔に比べると、朝の電車も随分と閑散としたものだと思う。コロナの折に通勤・通学が絶滅してから、すっかりリモートが定着したのだろうか。クラブ活動も教員の手を離れて地域で運営する時代になったので、朝練とか段々となくなっているのかも知れない。そもそも、朝に部活、夜に部活、それだったら日中に部活して、朝夕に AI から学んだ方が効率的だ。そんな世の中になるのだろう。それまでの間は、まだまだ教員がこうして朝から電車に乗らなければ ...
11月 5 日、朝にガバッと、いや、イヤイヤながら起きてゴミ出しに行くと、あら不思議、ゴミが置かれていない。時間が早いから、というわけでもない。よくよく思い出してみると、今日は水曜日なのであった。これもまた連休によるタイムシフト効果と言えるだろう。いやいや単に寝ぼけているだけ。意気消沈しつつ、X など SNS をチラリと眺めた後で再び寝る。二度寝で何か夢を見た気がするのだけれども、何だったかなーと思い出せるものでもない。陽が昇らないのでまだまだ朝だと思っていたら、曇り空。今度はスッキリ目覚めて、ゴソゴソと活動を始める。生協アプリなるものをダウンロードして携帯に入れてみた。来年度からは、これを使わないと割り増しになるらしい。携帯の決済にも慣れておこう。
11月 4 日、赤本や青本と呼ばれる受験問題集が発売されている。入試問題自体は段々と公開されるようになって来たので、それらの存在意義はどちらかというと模範解答と解答へのアプローチなどの丁寧な解説にある。選択式とか穴埋め問題くらいであれば、出題した側から正答を公開することもできるのだけれども、記述式の場合には模範解答作成が難しい。言い回しだけでなく、考え方そのものにも複数のアプローチがあり得るからだ。受験参考書の模範解答はスッキリと書かれてあって、こんな風に誰でも解いてもらえればとは思うけれども、入試なのだから正答にたどりつけなくてもジタバタして欲しいという気もする。知らんけど。
11月 3 日、畑に出ると季節によらず植物の芽に遭遇する。今はキク科の植物がよく芽を出している。そのままロゼッタの状態で地面に平たく広がって冬を越して、春になると伸び始める。時々、春に芽生えるはずの植物が今の時期に芽吹くこともある。やがて枯れて、わずかばかりの堆肥として土に戻るのが運命だけれども、場所によってはそのまま春を迎えることもある。南を向いたコンクリートの割れ目から芽を出した芝のようなものは、なかなかしぶとい。カラスノエンドウも少し生えているけれども、さて冬を越えられるかどうか。スイセンなどはもう葉が伸びて来た。この冬は早く終わるのかもしれない。
11月 2 日、食品の紙容器などで管理して来た植物の苗を、黒いビニールポットに植え替える。ポットの方が大きいので、増し土の作業でもある。紙容器が本当に紙だけならば、そのままポットに放り込んでも良い。ただ、ほとんどの紙容器は表面にビニールコーティングしてあって、これはなかなか分解しないので、容器を剥がしてからポットに入れる。ビニールポットが黒いのは、少しでも陽の暖かさを取り込むため。冬場は、けっこう保温効果があって良い。夏には白いポット、これはどの植物でも大抵同じ。どれくらい春を迎えられるかな?
11月 1 日、スーパーの売り場にムカゴが並んでいる。よく、あんな面倒なものを粒と量を揃えてパック詰めできたものだと思う。1 パックで千円ほど。種芋だと思えば、まあまあ納得もできる価格なのだけれども、そのまま焼いて食べるのであれば、大きな山芋が同じ値段で買えるので、あまり魅力がない。お金をたっぷり使いたい人向けの商品なのかも。売れ残って半額になったら、種芋に使う分として購入しようかなー。いやいや、その場合も大きな芋を買って来た方がツルがたくさん取れて、挿し木や取り木で幾らでも増えるから、やっぱり得ではない。山芋盆栽でも作ってみようかなー ...
9 月と10 月の1行日記