← 9 月と10月の1行日記  

8 月31日、畑に捨てた、いや堆肥にしたカボチャの種から生えて来たカボチャが実を付けると、色々な色や形に育つことから、元々のカボチャが F1 であったことがわかる。品種が安定していないから、種を取っても商品としては使い回しできません、ということなのだろうか。種苗法のややこしい所は不案内なのだけれども、こうも不安定であればそもそも商品にならない。自給自足に使う場合は、まあ法律がどうかはよくわからないけれども、誰かが確認に来るわけでもないので、採って料理して食べても目立った問題はないのだろう。昔の人々は色々な種を混ぜて植えてみて、その年の気候に合ったものから収穫を得ていたとも聞く。多様性というのは、大切なことなのだろう。

8 月30日、人に何かを頼む場合の指示は、これでもかと思うほど具体的でなければならないものだ。例えば「草を抜いてください」という指示だけだと、何でもいいから抜きやすいものから抜くという作業になってしまう。大切なのは、農作物やら、水路などを覆うように生えている草であって、全く関係のない場所に生えている草は、ことさら抜く必要もない。ついでに、何が草なのか? ということも逐一指摘しないと、植えたばかりの苗から少しばかし伸びて来たような作物の、大切に育てている芽を次々と抜かれてしまう悲劇にも出会う。日本人に日本語で伝えてもこのような有様なのであるから、外国人を農業実習になどという業務には、想像し難い苦労があるのだと思う。今の世の中、AI もロボットも進化しているので、こういう単純作業 (?) は機械に任せるのが良いのではなかろうか。

8 月29日、今年は 9 月が月曜日から始まるカレンダーになっていて、この週末に夏休みの最後感がタップリとあるらしい。今日はすでに、そんな雰囲気の三宮になっているのだろうかと、仕事帰りにちょっと立ち寄ってみたい気もする。大学はまだまだ夏休みというか、授業のない期間が丸々一ヶ月あって、次に学生たちが戻ってくるのは 10 月になる。この微妙な (?!) 期間に設定されているのが学会や研究会などで、これまでに得られた研究成果などを披露し合う機会が何回かある。SNS からは、既に国外へと足を運ぶ人々からの投稿が。海外出張も業績とカウントされるのが、まあ学会というものの不思議な風習で、いつまで続くのかなーとも感じる。そういう話の持って行き方をすると、そもそも大学の授業なるものも ... そうなる前にトンズラするのが私たちの世代だ。

8 月28日、非常に簡単な物理設定や問題は、誰でも思いつくことだし、当然ながら論文にもなっているだろうと検索してみると、意外と引っかからないことがある。当たり前のことだから、共通の認識として論文にもならないし、書き留める価値もないと思っているからなのだろうか。こういう時はどうしたものか? と思うのだけれども、とりあえず短いノートを作って、arXiv かどこかに掲載するのも一つの手だと思う。それでレスポンスがあれば更新して行けば良いし、何もレスポンスがなければ続報を加えて論文として投稿してみるのも良いだろう。AI の方が広く素早く検索してくれるので、AI に食わせるエサを arXiv のような形で散りばめておくのも良いのかも知れない。それにしても妙だなー、どうしてこんな単純なものが文章として転がっていないのだろうか、うーん。

8 月27日、朝方に雨が少しだけ降る。寝坊していたら、坂を登る途中でにわか雨に当たるところであった。そのまま降り続いてくれるのかと期待したのだけれども、涼しくなるでもなく、程なくして薄い日差しが戻って来た。もう太陽がだいぶん南に傾いて来たなーと感じる。これからは夏を惜しむ時期となるのだろう。職場に植っている植栽を見て回ると、夏の間に伸び放題となっている。基本的には伸びた部分だけを切り戻せば良いのだけれども、そもそも勢いの強い枝である場合には、もっと根本の方から切ってしまうのが、長い目で見た時には手間を減らすことになる。そういえば、大学へと通じる坂道を覆っていたツル植物、昨日には綺麗に刈り取られていた。これでようやく、楽に登り降りできる。雨さえ降らなければ。

8 月26日、富岳の次のスーパーコンピューターが話題になっている。さすがに 1000 倍の計算能力獲得は無理で、100 倍という計画でスタートしている。スーパーコンピューターの課題の一つが、並列計算機としてのダウンサイジングだろうか。京コンピューターにしても富岳にしても、大きな広い部屋に冷蔵庫が並んでいるような構造になっていて、全体として同期して動くにしても、この大きさ自身が速度の限界を形成している。どんな計算でも独立・並列に処理できる部分はあるから、散らすという計算アルゴリズムの開発があって今のようなデカい計算機も何とか使えているのだけれども、小さくまとめるに越したことはない。その鍵となるのが低消費電力で動かすことと、ちょっと壊れていてもサッサとカバーしてしまうタフさ。生物の神経回路にはまだまだ学ぶところが多いような気がする。

8 月25日、素人がお金の貸し借りをするものではないと、よく言われるし、それはとても大切なことだと思う。予算の貸し借りというのも良くないことで、というか、そもそも禁止されていることだ。A と B が予算というものを基にした活動資金について何かできるかと考えるならば、予算配分の時点で A と B に流れる資金を調整しておく事くらいだ。他にも手があるぞ、という意見のある方がいたら、よくよく胸に手を当てて考えてみると良いのである。それはそうとして、配分についての A と B の約束事などは、やがて雲霧のように消えてしまうのであって、いつか戻って来るという筋書きがあるわけでもなければ、そのようにする義理もない。そういう目で国の財政を眺めると、積み上がったものをいつしかチャラにするしかない、そんな気もするし、その方法は色々とあり得るようにも感じる。逃げ足の速さを鍛えておこう。

8 月24日、雨が降るかなー、降るかなーとレーダー画像を眺めるものの、海辺には雨雲がやって来ない。今日は山で雨が降る日。特に、和歌山県や三重県の山中で良く降っている。あそこは確か、どこかの大学の学生たちが毎年のように何日もわけ入って活動するクラブ活動の場で、年中常に雨が降り始めるという難儀な場所と聞く。昔から宗教的な修行の場でもあるし、日本史でも歴史が変わる反攻の集結場所 (?) として何度も教科書に登場する。その雨を少しでも、海辺の畑に持って来てくれないかなーと期待した熱帯低気圧は消滅。仕方がないから、今日も散水に励もうか。雨降れー!

8 月23日、MacOS の Library の下にある Group Containers は正体がよくわからないファイルの集合体で、中でも group.com.apple.secure-control-center-preferences は鬼門だ。アクセス権を見る限りは普通のファイルなのに、いざ cat とか ls とか何とかしようとすると、アクセス権がないと表示される。これは super user になっても同じらしい。不思議なことに、いくつかの Mac では super user から ls できてしまうし cat も通る。そして、作成者が wheel である group.com.apple.secure-control-center-preferences.av.plist は何が入っているのか皆目見当がつかない。どうも、ここが妙なことになると、あらゆる災いが起きるようである。もうちょっと掘ってみよう。今日は時間切れ。

8 月22日、大学への行き帰りは、いつもクズとの戦いとなる。斜面の通路に覆い被さるようにクズのツルが伸びていて、人々はそれを避けつつ黙々と、いや関西人が多いので賑やかに通り過ぎるのである。大学の敷地の外側に根本があるクズのツルが越境して来た時に、勝手に切って良いのかどうかという、杓子定規な話はどうでも良くて、ともかく機会があれば切ってしまおうとも思うのだけれども、昨今は公共の場所で大きなハサミなど振り回すと、1発で SNS 拡散されてしまうので、例年恒例の草刈り部隊がやって来るのをじっと待っ日々なのである。残暑のまだ厳しい頃に、パッと草刈りが済んでスッキリするのが恒例のだ。今年はいつ頃になるのだろうか。

8 月21日、未明に気象庁のサイトを閲覧していると、何やら熱帯低気圧が爆発し始めている。昼間に、熱気が集まって雲が発達することは良くあるのだけれども、こんな風に真夜中にどんどん雲が生じるのは低気圧として確実に発達している証だ。レーダーを眺めると、時々、目のような構造も現れている。こういう時にはドローンでも飛ばして、熱帯低気圧発達の過程についての基礎的なデータを収集すると面白いと思う。これに限らず、割と局所的な気象現象というのは、天気図にデカデカと描かれない所が興味深い点で、ついでにあまり理解が進んでいない側面もある。そうだ、物理学者というのは、研究分野の垣根を超えて攻め込むので有名なのであった。局所的な気象現象をライフワークにしようか。

8 月20日、封印された作業棚を発掘してみると、カシュー塗料が出てきた。未開封だから、たぶん今でも使える。クリア塗装用であった。欲しいのは白なので、これは購入しなければならない。ちょっと迷いがあるのは、同じ白でもラッカーにするかどうか。木に塗るものは木のセルロースが一番似合っているような気がするので、ラッカーが第一候補なのだけれども、重ね塗りが難しい面もあって、簡単に (?) 重ねられるカシューに傾きつつある。ポリウレタンという手もあるのだけれども、触った感じがちょっと無機質なところがあって、一応は候補の外に。色々と考える前に、下地のサンディングを完了しないと。

8 月19日、熱帯低気圧が九州の南西にあるのだけれども、こちらには全くご利益なし。勢力が弱くて、太平洋の湿った空気を運んでくれないのだ。上空には背の高い高気圧があって、にわか雨もなかなか降ってくれない。こういう天気が一週間ほど続くらしい。畑の作物は、散水しても昼間であれば数時間で水不足の状態に陥ってしまう。これが畑地と水田の違いなのだろう、もともと畑を造るのは水捌けの良い、少しだけ小高い場所なのだ。住宅もおおよそ、そんな場所に建っている。一方で水田は、河岸段丘の内側とか、大昔にそうだったような地下水の豊富な場所に造ってある。次の夏からは畑の作物をオリーブとかイチジクとか、乾燥に強いものにしようかな ...

8 月18日、お盆休みが終わる。大学生は、今頃からが本当の意味で夏休みになるのだろうか。学期が終わったばっかりの頃には合宿があったり、セミナーがあったりで、その後に帰省となると、今頃から 9 月中が本当の自由時間となる。昔は鉄道の旅などノンビリと楽しむ人も目立ったものだ。今年は? 万博に何度も出かけるのが流行しているらしい。海外旅行なんて当たり前のように出来ていたはずの時代が終わって、疫病 (?) はやって来る、戦争が身近になる、そして円が暴落する、おいそれと海外には行けなくなった今、万博の非日常が重みを増しているのだろう。私はと言うと、今日も arXiv を通じて海外とつながるのである、たくさんの論文が投稿されているなー。そろそろ AI に任せてしまおうか、Tensor Network 関連の論文探しの仕事は。

8 月17日、サツキやツツジは夏になるとあまり育たない、という文章を時として目にする。街路樹のように誰も水やりしない場所では、まあ正しい記述だ。庭木のように、常に十分な散水があれば、実は夏こそぐんぐん伸びる。これは当たり前のことで、強い直射日光の下で光合成がどんどん進むし、枝葉を作る積算温度もたっぷり確保できるのだから、育たない理由がない。公園のような場所で池の周囲に植えられた植物は、サツキに限らずどれも巨大に育つものだ。放置しておくと、人が立ち入れないように茂ってしまうので、真夏にも剪定が必要となる。バッサリと切ってしまうのが手軽で、強い植物であればまた繁ってくる。単子葉植物たちは夏に伸びるので、今時は気が抜けない。

8 月16日、ギターの弦を全て外して、指板に触れてみると案外フレットの端がギザギザしている。普通にギターを弾いている時には、そういう端の部分には触れることが滅多にないし、そもそもフレットは手で触れるものではない ... ミュート奏法でもしない限りは。弦楽器は弦に触れるものだというのが、弦を外してみて初めて実感できるのも不思議なことだ。とは言っても、長年ギータを弾き続けると、特に安物のギターでは段々と木が痩せて来て、フレットがはみ出してしまうので、少しずつフレットを削る必要に迫られることもある。最近ではダイヤモンドやすりが百円で買えるので、それを使って削る。昔はサンドペーパーを角材に貼り付けたりしていた。サンドペーパーの方が安価なのは確かだけれども、長持ちしないのが難点だった。今の世の中は便利なものに満ちている。

8 月15日、敗戦の日。海外、と言っても訪れたのは欧米文化圏と中華文化圏の国々だけなのだけれども、どこへ行っても国旗は大切にされていて、野山の目立つ所にも都会にも、綺麗に掲揚されている。それらの旗よりも、随分と前から対外的に日本を表す旗のひとつとして使われて来た日の丸があまり掲揚されていない社会的な背景には、世界大戦を経た今日の国際的な枠組みがあるのは間違いない。羽田空港を利用する度に、何とも不自然な飛び方をするものだと感じるのも、成田空港なるものが東京から離れた場所にあるのもまた、これらの歴史を経てのこと。次の世代は次の世代で、それぞれ平和的に国際関係を構築して行けば良いと思う。くれぐれも過激に走らないように、しかし対等な関係であることも忘れずに。

8 月14日、朝になって畑に散水していると、今日のヤブ蚊は指を狙って来る。手が温かだったのだろうか、それは要するに体が目覚めていないということだ。それもそのはず、ついつい、オールナイト万博から流れてくる X ポストや、YouTube のライブカメラなどに見入ってしまって、結構な夜更かしをしたのだから。ライブカメラのコメントで遊んでいる人々の書き込みも面白かったな。これもまた、コロナ騒動の遺産なのだろうか、人々がネット媒体を使って real time なコミニュケーションを楽しむ術が、確実に定着していることを再認識した。オリンピックの頃よりも、気楽に楽しめるようになったのかな。少し遅い朝食を摂ったら、追加の眠気がやって来て沈没。ジジイはこれくらいのスローテンポが似合っている。あ、arXiv を見ないと。

8 月13日、お盆休みは雨から始まって、今日は曇り時々晴れ。畑はまだ湿っているので、今日はともかく夕方まで、サボっていたツルの整理や、花殻詰みなど。昆虫が飛んでいなかったら受粉もしなければならないかも。イノシシなどが来ないように、電気柵の点検もボチボチ行う。ネズミとモグラは防ぎようがない。プロの農家はどうやって捕獲または排除しているのだろうか。そうこうしている内に、レフリーの催促がやって来た。スパッと通せる、あるいは落とせる論文ならサッサと返事できるのだけれども、微妙な所はいつも迷うなー、こまごまと指摘しても、どうせチョロっと書き換えた程度で戻って来るだけだし、それなら適当に褒めて通してしまおうかとか、うーん。

8 月12日、お盆休み。何をするでもなく、半額で仕入れた豚肉を下処理する。セール品というのは最後まで残っただけあって、脂ばっかりだとか、筋があるとか、何かといわく付きなことも多い。手間がかかるから半額になっているのだ。そこに手間をかけるのが貧乏人の特権。まずは塩を振って、ペーパーで巻いて一晩。よく洗った後で下煮。冷やして取り出して、鍋に付いた脂などもよく落としてから、適当な大きさに切り分けて、調味料を入れて、薬味も少しだけ足して、中火にかける。沸騰したらこまめに火加減して弱火へ。常に弱く沸騰している必要があるので、ちょっと面倒だけど鍋のそばで他の作業をする。今日は茄子の下処理から、油炒めまで。お盆休みだなー。

8 月11日、祭日の arXiv、お盆の arXiv は、クリスマスとは違ってお休みではないので、普通の日のように眺めて回る。それでも、まあバカンスの頃合いなので、投稿数自体は少しだけ少なめとなっている。要注意なのは、ルーチンワークのような重要度の低いものが増減し易いということ。注目論文の数が減るかというと、それほど顕著ではない。テンソルネットワークを使う人々の場合、ともかく計算に使ってみたという論文は増減が激しいけれども、新しい手法を開発したという感じの論文は普段のように流れて来る。良いアイデアというのは、意外とバカンスの最中にも得られるものかもしれない。

8 月10日、雨が続いて、やれやれやれ。これまで、少しばかし乾燥に神経質過ぎたかもしれない。夏場の乾燥で枯れる植物というのは、夏場に枯れたのではなくて、春の内にしっかりと根を張っていなかったのであって、枯れる運命にあったのだ。梅雨の頃に、あまり元気がないなーという株はすでに手遅れで、夏になるとほとんど枯れてしまう。こういう場合にも、ひこ生えとか、脇芽とか、ツルから根付いた株など、その地の環境に合わせて成長して来た部分は、最後まで残って翌年に命をつなぐ。これが植物のしぶとい所なのだと感心する。動物のように動かないというのは我々の時間感覚であって、長い目で見ると地道に動いて、手近なオアシス (?!) に居つくのだ。すごいなー。

8 月 9 日、神戸空港への ANA 便は、最近では第2ターミナルの北側から出発することが多い。この前は、保安検査場から 1 km ほど歩いた先にある搭乗口となって、羽田空港の大きさを実感した。段々と、外国でよく出会う巨大な空港へと変貌しつつあるのだろうか。今日はバスターミナルから。流石はお盆休み前だ、どの便も満席なのではないかと思われるほど、待ち合いが混み合っている。バスターミナルからの搭乗では、ほんの少しの間だけ空港の空気を生で吸えて、とても気分が良い。ついつい、写真など撮っていて、サッサと乗りなさいと促されるのである。雨が降っている時も、少しだけ濡れるのが好きだったりする。海外の空港で、見知らぬ街へと歩み進む時を、ふと思い出したりする。

8 月 8 日、そうめんカボチャを仕入れる。これは少し面倒なやつで、まず表皮がとても硬いので注意深く刃物を進めて真っ二つに割った後で、ざっくりと切り分ける。種を取った後で、大鍋で下茹で。これを水で冷まして、スプーンで食べられる肉の部分だけをすくい取る。皮は堆肥の箱行き。中身だけにした後は、調味料で味を整えつつ更に煮る。使い方によっては、水の中でバラバラにしてから、ザルで水切りすることもある。但し、けっこうな分量が水に流れてしまう。繊維質で食感が大切な食材なので、冷えた料理に使う方が失敗が少ない。丼一杯の煮物が出来上がったので、少し冷やして冷蔵庫へ。あとの半分は、また日曜日にでも調理しよう。さて午後からは雷雲がモクモクと湧き出て、西宮の方では雨が降ったらしい。畑のある海辺でも、ちょっとは降ったのだけれども、あっという間に上がってしまった。仕方がないので、今日も散水。日没後の散水は、ヤブ蚊との戦いとなる。気がついた時には既に吸われているので、音をよく聴いて、近寄ってきた段階で撃退しなければならない。あるいは、わざと腕にとまらせておいて、確実に仕留めるか。もう一つ、吸われてもいいから放置するという、仏法に沿った対応もあり得る。蚊の刺され跡は、まあ 30 分も待てばスーッと引いてしまって、強引に掻かない限りは、意識の外に放り出すことができる。お盆も近いしなー。

8 月 7 日、待望の雨が降る ... 降ったには降った。期待していたのは、ザーザーとにわか雨がたくさんたくさん降って、あたりが水浸しになる光景だったのだけれども、ちょうど神戸の辺りだけ穴が空いたように、しょぼい雨で終わった。レーダーを眺めると、一応は二番手、三番手の雨の列もあるらしいのだけれども、さて来てくれるだろうか。梅雨前線 (?) の北側に入ったので、少しは暑さが和らいでくれて、やれやれと言った感じだけはある。雨も降ったし、ちょっと早いけれども、ジャガイモも植え付けてみようかなー。しばらくの間は、少しずつ雨も期待できそうだし。

8 月 6 日、オープンキャンパスで高校生がたくさんやって来ている。神戸大学が志望というよりは、近隣の大学のどこかの見学に行って、大学がどういう場所なのかを知るという風な感覚なのかも知れない。それで十分だと思うし、その中から少しでも理学に興味を持ってもらえれば良いし、あわよくば神戸大学への進学を考えてもらえればという程度の期待感で現場に臨む。理学の中でも、物理学はその姿が見えづらい分野かも知れない。不思議なことに、より具体的なイメージが持ちやすい地学は、選択者がとても少ない。宇宙学とか、もう少し派手な名称だと良いのかも知れない。geology + cosmology の幅広い意味を「地」学では表せていないのだろう。今日は少しだけ雲が空に広がっていて、にわか雨も降ってくれそうな気配もある。降らなければ、いつもの如く、夕方になってヤブ蚊がブンブンと飛び始めた頃に、散水だ。

8 月 5 日、朝の畑は湿っぽくて、未明に少しだけ雨露が降りたようだ。朝の山は雲の中にあって、避暑地とされるだけのことはあると実感した。そのまま雲が濃くなって雨が降るかと期待したのだけれども、陽が高くなるにつれてどんどん晴れて来て、今日もまたカラカラの午後となった。少しだけ風が強いのが、これまでと違うところだろうか。高温で風が強いと、畑の作物からどんどん水が抜けて行く。マズい状況なので、散水して、余分に伸びたツルなど処分する。一つのツルに実らせるのは一個か二個まで、という当たり前のことも、サボってしまうのが素人の畑作業。土地を引き継いでも農家にはなれないなーと思う。

8 月 4 日、木の平らな面の一部に穴が空いていて、そこに別の木材を埋め込んで、最後に全面を平らに仕上げるという作業、なかなか面倒だ。元々の面も含めて、全面をサンディングするのが最も簡単なのだけれども、すでに仕上がっている面も含めて削るのは、綺麗な場所に傷をわざわざ付けるようなものだ。後から埋めた木を少しずつ削るしかない。これは、歯科技工で詰め物を削る作業に似ているだろうか。平面の出ているものにインクを塗って、凸凹のある面に押し当てて、インクが乗った凸部だけを少しずつナイフやノミで落として行く。工作機械や造船の現場でも、同じような作業をするそうだ。地味だけれども、何となく飽きのこない作業だと感じる。仕上がると楽しい。

8 月 3 日、アルゼンチンのフォルクローレなる音楽を聴く。ペルーのフォルクローレ (の一部?) ならば、街中で民族衣装を着たベルー人 (?) が、笛や太鼓を叩いているのを良く見るのだけれど、アルゼンチンは初めて。現在までに、ジャズもロックも、いろいろな音楽を吸収して来たとのことで、パッと耳にした感じは、テレビドラマや CM で耳にする環境音楽。ギターの響きを大切にするギターらしい音楽というのが、率直な感想。積極的にギターマイクやエフェクターを使うのも特徴なのだろうか。エレアコの文化なのかも知れない。南米のギター音楽に、これだけのバラエティがあるのだから、広い (!) 日本にもさまざまなギター文化があるのだろう。広い意味では、三味線を使う邦楽がそうなのかな。暇に任せて吸収したいなー。

8 月 2 日、久しぶりに、音の出るクラシックギターに触る。普段は、サイレントギターで練習しているので、こういう機会は貴重だ。そこでハタと気づいたのが、タッチが崩れていて、割れたような音しか出ていないこと。ギターは、うまく弦を弾けば輝くような音色になるのだ。その音色で、粒を揃えて音を出すのが練習のポイント。サイレントギターの何がまずかったのか? を探ると、実はボディーからビビった音が出ていて、タッチで微妙に変わる音の変化を隠していること。ビビる部分を取り外せば良いのだ。というわけで、電子部品は全部取り去って、残ったプラスチックボディーは木部との接合部分をパテで埋めた。だいぶん良くなった。しばらくは、これで練習しよう。行く行くは、木製の小さな共鳴胴を作り込もうかな。

8 月 1 日、朝方は緩い感じの曇りで、このまま丸一日ずーっと曇っててくれるかと思っていたら、結局は晴れてしまった。気温が上がると、飽和水蒸気圧がどんどん上昇するから、たなびくような雲は消えてしまうのだろう。いよいよ大地はカラカラで、草木もしんなりと ... するはずが、斜面を伸びまくるクズは青々としているし、今もなおドンドン伸びている。かの、くず粉が取れることで知られる、葛根が浅い地下水のある所まで伸びているのだろう。背の低い木だと、クズが完全に覆ってしまっているものもあって、よくそんな状態で長年、枯れずに済んでいるものだと感心する。針葉樹など、背の高い木もまた同じ。桜の木も、乾燥に対しては耐性があるものだ。今年はどんな秋冬を迎えることになるのかな。

7 月31日、締切というものは、おおよそキリの良い日時に設定されるもので、月末というのはそういう日の代表例である。まだ締め切りまで日数があるからと、先に延ばしていた仕事が、気がつくと一気にやって来るのである。若い頃だと、さあこれからが勝負だと徹夜をしてでも片付けていたのだけれども、体力には限界があるもので、ひと仕事する度に少し休憩したり昼寝したりという、ノンビリとしたスタイルの生活しかできなくなって来た。そこで会得したのが「見切りの術」なのである。レフリーなど、一日二日なら締切から猶予があるものは先送り、少しはサバ読みしているであろう締切は催促があるまでほっといて、遅れたら恨まれそうなものがあっても、どうせ恨まれるだけだからゆっくり作業して、と。周囲からナマケモノと思われると、段々と要務を頼まれることも減って行くのである。自分の時間は大切にしよう。

7 月30日、気温がぐんぐん上がって、とても暑い日になった。神戸は海辺なので、北風でフェーン現象が起きない限りは 35 度くらいまでしか上がらないのだけれども、内陸では 40 度を超えた所もチラホラと。大阪大学や京都大学のある辺りは、相当暑かっただろう。これだけ暑いと雷雲ができそうなものだけれど、雲が発達する気配がない。上層に高気圧があって、全体的には下降気流となっているらしい。前世紀ならば、そろそろ讃岐辺りから水不足の声が聞こえてくるような天候、幸にして今は早明浦ダムに十分な貯水がある。琵琶湖から流れ出す淀川の水は貴重なものだ。あ、琵琶湖の辺りは瀬田川と呼ぶのだったっけ。

7 月29日、週末にストリーミングしていた鳥人間コンテストを時々眺めていて、ああいう軽いというか、柔らかい作りの飛行機のコントロールは難しいものだと感じた。滑空機の場合、テイクオフというか、ジャンプして間もない機速の遅い時に何らかの理由で -- 多くは横風や補助のちょっとしたアンバランスで -- 機体が傾くと、そちらに向けてダイブしつつ自然な復元力を借りるのが安全なのだけれど、ついつい慌てて補助翼で修正しようとすると、抵抗力の関係でスピンに入るような動きが始まって、湖面に翼端を引っ掛けてしまう。人力飛行機の場合も、特に速度を重視した設計にしていると同じような罠にハマる。そういえば、人力飛行機の場合には、最初に高度を稼ぐだけ稼いで、上昇気流を探すという手もありそうだけれども、昼間には陸上が暖かいので、湖面上では気流が期待できない上に、壊れて墜落しても比較的安全な高さで飛ばないと危ない。

7 月28日、恒例の、虫眼鏡で何度まで温度を上げられるか? という質問を講義で扱う。太陽の光球の温度である数千度が限度、というのが正答。ただ、光球じゃない部分、コロナだけの光を集めるとか、シリウスや白色わい星に向けるという手があるのかも知れない。量子力学的に真面目に計算すると、遠くの恒星からやって来る光のエネルギーは、とても微弱なので実現可能なレンズや反射鏡では、一番星のシリウスであっても温度を上げるのは至難の業かも知れない。だいたい、そういう微弱な光でなければ天体観測など成立しない。ともかくも前期の統計力学はこれにて免許皆伝だ。

7 月27日、畑の散水はどうやるのが良いのか、という実験も兼ねて、色々と試している最中なのだけれども、マルチングができている場所では、ホースの水をそのまま投じるのが最も効率的だ。ただし、ホースはこまめに揺らして、同じ場所に水が当たらないようにすることと、少し斜め上にホースを向けて、滞空時間が長くなるように水を散らし、空気抵抗により勢いを削ぐ必要がある。どちらの工夫も、土が掘れたり跳ねたりしないことを目的としている。種まきをしたばかりの場所だとか、小さな弱い苗への水やりは、シャワーノズルを使った方が安全だ。何だか、理科の自由研究のような日々を送っているなー。

7 月26日、東京で1日を過ごす。関東では、今頃に提灯を町内に釣っての夏祭りが行われるらしい。どこの祭りか? を書くと要務先がバレてしまうので、そこは置いておくとして、例えば羽田のお祭り、羽田祭りは明日の開催で、神輿がたくさん出てきて華やかだ。どちらかというとお祭りは参加型で、神輿を担いでいる人々の家族や知り合いなどが、沿道から声をかけている場面にもよく遭遇する。お祭りを楽しみたいのは山々なのだけれども、まあ、東京までやって来た目的は別にあるので、ストイックに業務をこなす。もう1日、遊び目的で滞在したい所なのだけれども、海辺の畑の様子が気になって、夜半には戻って来た。

7 月25日、毎日いただく野菜には、ほとんど必ず捨てる部分がある。多くは皮か芯かヘタで、種の部分も大抵は捨てる。キウイフルーツからタネを取り除いたらどんな味になるのだろうか? という興味はともかくとして、タネを食べるのは珍しいものだ。ヨーロッパの地域によってはブドウの種や皮など、ガブガブと食べてしまうらしいのだけれども、その様子を直接見たことはない。生ごみにすると腐って臭うばかりなので、大抵は畑に盛っておく。季節の野菜の種なので、そこから芽吹いても大抵は秋冬がやって来るのがオチで、マトモに収穫はできないことが多い。稀に、次の春まで眠っている賢い種 (?) があって、予想外の発芽に喜ぶこともあれば、即刻、ナメクジに食べられてしまうこともある。生物の世界はダイナミックだ。

7 月24日、夏は氷。今月、神戸に新しいというか、初めての通年スケートリンクが営業開始した。場所は HAT 神戸の、かの有名な「人と防災未来センター」の道を渡った北側。徒歩でのアクセスはそんなに良くなくて、鉄道の駅からは 10 分くらい歩く必要がある。でも、通年リンクを利用する主な競技者層は小中学生で、保護者が自動車で送迎することがほとんどなので、あのように幹線道路沿いに建っているのは理想的だと言える。駐車場も周囲に十分ある。中はというと、施設の全てが新しくて素晴らしい。西宮やなんばにも比較的新しい通年リンクがあるのだけれども、それと比べても快適さが数段上を行っている。空調が行き届いていて真夏でも湿っぽくないし、何よりも氷がフラットで少し柔らかさがあるので、エッジの掛かりがいい。オフシーズンには月に一度は通いたいな。

7 月23日、畑のかぼちゃがすごい勢いで伸びてきた。あれだけ広い葉があると、どんどん光合成が進むらしい。これだけの力があるからこそ、あんなに大きな実が付くのだと、毎年のように実感する。ただ、肥料はたくさん必要で、養分が切れると伸びが止まって、葉の色も途端に悪くなってくる。豪快な姿の割には繊細な作物なのだ。雄花と雌花が別なので、同時にたくさん植えておかないと受粉できないのも難儀なところ。畑の畝ひとつ分くらいは植えておくと何とかなる。あとひと月くらいが管理の勝負、作物にするなら一つだけ実を残して、という作戦となるのだけれども、家庭で消費する分ならたくさん実らせた方が楽しくていいかな。

7 月22日、昨日買ったタマネギを切ると、芯が腐っていた。廃棄して次の玉ねぎを切ると、これまた腐っていた。アンラッキー。3個続けて腐っていることは、まず無いだろうと次を切ってみると、これまた腐っていた。確率的にとても低いことが起きたのではなくて、きっと仕入れの箱ごと不良品の山であったに違いない。この時期にはありがちな事だ。掘り上げて干してから日が浅いので、ある程度痛んでいても外からは正常に見えてしまう。こういう、隠れた痛みを抱える品は、保管している内にやがて全体が腐ってしまうので、秋冬になると落ち着いた状態のタマネギが流通するようになる。不良品は、買ってきた袋に詰めて、レシートを添えて、さあ夕方にでも売り場で交換してもらうことにしよう。

7 月21日、熱い戦いが終わって、議席の確定した朝となる。落選した候補者の方が多いわけで、選挙もまた大変なことだと傍目にも感じられる。大きな鯛が用意されている選挙事務所とか、花束が出てきたり、深夜早朝に色々と SNS で楽しませてもらった。情勢判断でイケるとなったら、鯛や花束を買いに出るのか、それとも予め買っておくのか。鯛はけっこう長持ちする魚、当選したら祝勝会を ... いや、それは公職選挙法違反になるのだったっけ。などと、ボソボソと考えつつ、今日も木彫を続ける。畑の方も気にはなるもので、朝に自動散水で十分に水やりしたはずなのだけれども、昼になったら乾いた部分がないか、見て回る。こういう作業は AI ロボットに任せてしまいたいものだ。

7 月20日、木を削る。木には、というか、多くの素材・材料と同じように削りやすい向きと、削りにくい向きがある。削りやすいというのは、単にガシガシと削れて行くというだけではなくて、刃が進む先が十分にコントロールできることも重要だ。繊維にほぼ並行な向きが要注意で、うっかりすると削りすぎてしまう。繊維に垂直な向きにも削れる方向と、その逆があるのが不思議なところ。幹が育つ向きというのがあるのだろう。理想的には荒削りを行った後で仕上げとなるのだけれども、ちょっと細かい作業に入ってから、何だかバランスが悪くて荒削りに戻ることもある。これは何事にも共通することなのだろう。無理してそのまま続けると、後でもっと苦労するのだ。

7 月19日、針葉樹は成長の効率が良い植物だと思う。けっこう痩せた土でも、水と光さえあればグングン伸びて、あっという間に大木になってしまう。杉のような、チマチマと先が伸びるだけの針葉樹も、気がつくと 1 m くらい伸びてしまっている。広葉樹では、なかなかこのような伸びは期待できない。このあたりが、建材として針葉樹が重宝されて来た要因の一つなのだろう。この伸びで面倒なことになるのが、何度も言及している生垣のカイヅカイブキ。いつの間にか枝葉を張り巡らせて、空間を占拠してしまうので、気がついたら道路を塞いでいたりする。こういう時には、関係のない誰かに切ってもらうのが良い。身近に育つた木には愛着があって、そんなに簡単には切れないものだ。

7 月18日、阪急六甲からバスに乗っていると、信号を過ぎて角を曲がった所でガリガリガリっと擦った音がした。その後、次の停留所でも何事もなかったように停車して乗客が乗り降りしたのだけれども、六甲登山口前で停車。お巡りさんがやって来て、事故処理となった。乗客はすべて降りて、次のバスに乗り換えに。こんな事もあるんだなーと思ったけれども、よくよく考えればバスに乗客がたくさん乗った状態で、毎日毎日通る場所にしては道路が貧弱なのである。六甲登山口の周辺は、まだ計画道路の整備が終わっていない場所もあって、無理を承知で使っているんだなー。縦割り行政も、そんな状況の一因なのだろうか。選挙に行こう、投票して世の中を少しでも良くしよう。ねがわくならば ...

7 月17日、朝から雨。実に有難いことだ、畑の作物もぐんぐん茎を伸ばしているし、葉も一回り大きくなったようだ。ついでに、ツユクサも巨大化している。この雑草、最初は可愛いのに、次々と茎から根を出して株が大きくなって行き、気がついたら 1 m くらいの丸い塊となって、栄養も日光も奪って行く。引っこ抜くのは簡単なのだけれども、放置すると再び根を落とすので、吊るして干してカラカラにした後でないと、地面にスキ込めない。朝顔もツルをどんどん伸ばして、そろそろ花が咲き始めそうだ。さて今日は、芦屋市長のお話を聞く機会があって、色々と鋭いなーと思った。台風の進路変更ができるならば、それは国際問題にもなると。

7 月16日、夏至もすぎて、メロンの価格がだんだんと上がって来た。お盆を前に、贈答用の高価な、とても立派なメロンが売り場に並んでいる。時々、半額になるけれども、それでも高いので手が出ない。いま一番安いのがキュウリとゴーヤ。これはもう無料で配っているのではないかと思うレベルで、太陽の恵みは偉大なものだと思う。キャベツも、外の葉を取っていない中玉が百円で積んである。あの外側の葉は、よーく煮るか、漬物にでもして刻んでいただくか、あるいは時々潜んでいる青虫の餌になってもらう。葉を食べた幼虫が白い蝶になるのも、これまた陽の恵み。夏はいつまでも続いてもらいたいものだ。

7 月15日、阪急電車止まる。神戸線はまだまだ踏切が多いので、よく事故や無用の侵入が起きて運行が止まる。ゆくゆくは連続立体交差になるのだろうけれども、今は淡路駅の工事がいよいよ佳境、その次は十三から新神戸にかけての整備だろうから、今世紀末までに神戸線が立体交差になるかは見当もつかない。午前も (?!) だいぶん遅れて阪急六甲に降り立つと、ちょっと涼しい気もする。まだ、昨日に降った雨のおかげで地面が冷えているのだ。神戸大学まで登ると、それはそれは「熱い登山」なのだけれども、丘を吹き抜ける風は気持ちが良い。これからまだまだ酷暑が続くのだから、今日くらいは(は??)ダラダラと過ごそう。

7 月14日、Fermi, Bose 系の波動関数の対称性について、生成・消滅演算子の観点から講義する。これには幾つかのアプローチがあって、最初から一般の波動関数を相手にして、対称化や反対称化が可能であることを示す方法もあれば、一粒子軌道ずつ生成された状態について対称性を交換関係から調べる方法もある。どれが簡単ということもないのだけれども、少なくとも「粒子の交換」という未定義用語を持ち出す必要はないので、論理的にはスッキリとしている。最後に、シュレディンガー方程式との関係に言及する。これは少し難儀であった、デルタ関数の微分から導出する必要があるから。

7 月13日、選挙候補者の演説を見に行く。会場はすでにお祭り状態と言って良いだろう、どこの党にも仲良しグループというか、団体となって群れをなす人々がいるものだ。ちょっと面倒だったのが、プラカードを掲げる方々。アンチという訳ではなくて、支持者なのだけれども、事あるごとにプラカードを掲げるので、視界が遮られてしまうのだ。弁士が見えないではないか、と、チラリと思った。まあ要するにお祭りなのだろう、神輿が見えないと騒がなくても良いのかも知れない。警察が要人警備している方も来られていて、会場は手荷物検査などで物々しい雰囲気であった。

7 月12日、京橋で同窓会があって、駅には 1 時間も早く到着。そのまま涼んでいる手もあったのだけれども、ついつい、寝屋川の方へと歩き始めてしまう。河畔に立つと、当然ながら大阪城が見える。そうなったら、もう目指すしかない。バカと何とかはという、典型的な行動パターンである。この暑い時に、あの辺りを歩いているのは、ほぼ外国人であった。中には、ジョギングやら、よさこいの練習をしている人々も。大阪城天守閣は鉄筋コンクリートなので、外からは綺麗なのだけれど、中に入る価値は、自分的には見出せないので、しばらく眺めて京橋に戻ってきた。ともかく暑かった。

7 月11日、堆肥の山からカボチャの芽が出て、雨の後に大きく葉を広げるようになった。カボチャはカボチャ、どこまででも伸びてゆく。畑に植え替えようかとも思ったけれども、その場所で好きなように伸ばすのも一興だ。同時に花が咲いてくれると実りも期待できるのだけれど、一本だけではツルが伸びておしまいかも知れない。畑の脇にある防風林では、そろそろセミが鳴くようになった。まだ羽化したばかりなのだろうか、細々と目立たないように活動している。カナブンも出てきて、夜に街灯に当たったのか、ひっくり返ってジタバタしているものも。虫が出始めたらもう夏休みだ。

7 月10日、いりこを処理する。頭を取って、身を割って、骨と内臓を出して、食べて美味しい部分だけを取り分ける。これだけ。うまく行けば一匹が三秒くらい、ヘマをすると十秒くらいかかる。時々、ぐにゃりと曲がったまま煮上がったものもあり、これは時間がかかる。そういうものは、内臓が取れたら鍋に放り込んでダシ取りにしてしまうのが良い。大袋になると、作業に一時間以上かかったりする。いりこの良い所は、ともかく安いこと。こんな大袋でも、二千円しないのである。処理すると半分は頭と内臓で、これは畑に戻して肥料にする。あとの半分は、そのまま食べるも良し、酢に漬けるもよし、ダシを取ってもとても美味しい。ダシガラは飢えていたら食べるけれども、やはり肥料かなー。

7 月 9 日、梅雨明け10日と呼ばれる晴天続きの日が、ようやく一段落するのだろうか。昨日は曇りがちで、夜半に雷雲が出た。雲が出ただけで、海辺の畑はカスった程度の雨しか降らなかったのだけれど。場所によっては豪雨となったようで、畑を持つ身としては少しだけ羨ましい。何事も程度問題で、雨に混じって雹などが降ってきたら、キュウリやカボチャなど葉の大きい作物は大損害となる。また、表土が流れるほど降ったら肥料のやり直しだ。天気図を見ると、見事なオホーツク高気圧が北日本を支配している。やませの年になったら令和の大凶作だ。生協の食材としては小麦を中心に組み立てることも、予め想定しておこう。

7 月 8 日、キュウリが安いので、浅漬けを作ることにした。調味液は塩と化学調味料。少しは酢も足した方がいいだろうか、いや酢味は後で足した方が香りも立つし、わざわざ塩よりも高価な酢を調味液に加えることもないか。水を加えて、味見をする。少し、いや結構濃い方がしっかりと漬かるので薄口醤油を足す。保存容器に液を入れて、切り揃えたキュウリを並べて行く。どんな仕上がりになるかなー。失敗するのは、液が薄いか、あるいはキュウリから出た水で薄まってしまう場合で、手間をかけて漬けた割には生のキュウリと何も変わらないものとなる。今日は、そうならないことを祈って ... 祈っても仕方ないか。失敗したら次に作る時の参考とするまでだ。

7 月 7 日、七夕。梅雨明けして、真夏の日差しの下で迎える七夕なんて、今までに経験しただろうか? 記録を眺めると、7/10 以前に梅雨明けすることは、10年に一度くらいはあるようだ。ため池に夏場の水を頼っていた大昔だったら、今年のような極端に早い梅雨明けを迎えると、皆が干ばつを恐れたことだろう。今日は特に暑くて、正午ですでに 33 度になっている。雨乞いしたいのだけれども、頼みの綱の台風は 2 つあるどちらも日本から遠く離れていて、近寄る気配がない。上空の気流の向きがマズくて、台風を呼び込むようになっていないのだ。来たら来たで、また難儀なのではあるけれど。

7 月 6 日、古いギターのチュンーアップの過程で、木に開いた穴を埋める作業を数箇所行う。丸い穴は簡単で、角材を鉛筆のように丸く削って、差し込んで接着した後に、ノコギリで切り取って、最後は工作ナイフで整形。最終的に塗装をかける前に、軽くサンディングすることになるだろうか。四角い穴は少し難儀で、ちょうど埋められる材木など無いので、カマボコ板でも何でも良いので、適当に持ってきて少しずつ穴に合わせて削った上で、穴に落とし込んで接着する。これらは美観の問題で、音に影響があるとは思えないのだけれども、楽器は人前で演奏するものだから、穴だらけでは格好がつかないのだ。

7 月 5 日、大阪を歩く。昔は御堂筋から一歩、脇道へと歩み進むと、そこはディープな大阪だったものだ。何もないか、ゴミゴミしているか、オッチャンがクダを巻いているか、寝ている人がいるか。あるいは延々と小さな工場やら事務所やら何やらと、働く人々の職場があって、ところどころに飯屋が並ぶ、そんな感じたった。その大阪が、いつの間にか、オシャレな街並みに変化しているではないか。時代だなーと思う。ディアモールと呼ばれている、ダイヤモンド地下街の計画は実現にずいぶん時間がかかったけれど、最近の進展には目まぐるしいものがある。大阪はどこへ向かうのだろうか?

7 月 4 日、アジサイは6月末くらいでスパッと切ってしまうのが良い。この時期だと、根本から切っても芽吹いて来た枝から花が付くことが稀にある。確率的には小さいのだけれども、数があれば何とかなるのだ。これは極論として、すでに枝分かれしている部分があれば、方向が良くて短い枝だけを残し、長い方を切るのが良い。どうしても枝が混めるだけ混んでしまうので、パッと見て向こうに何があるのかわからないほど枝が混んでいたら、幾つかを残して後は刈ってしまうのが定石。切り取った枝は葉を切ってその辺りに挿しておくと、結構な確率で根付く。アジサイの確率論だ。そして辺りが一面、アジサイだらけとなるのである。

7 月 3 日、曇っているのだけれども、雨が降らない。降雨レーダーを見ると、主にの上で強い雷雨が降っている。その影響で、高い空に薄雲が広がっているのが曇天のカラクリだ。まあ暑い日差しが無いだけで、建物の加熱が少しはマシになるので、エアコン代は助かる。今日から立候補者としての演説の日々を連続して送る人々も、少しは楽になるのだろうか。今日は内閣総理大臣が神戸にやって来ていたらしい。それくらい平和な日々なのだろう。候補者のポスターも次々と掲示されている。全部で 10 人以上なのだそうな、一体誰に投票すれば良いのだろうか、消去法かなー。

7 月 2 日、古いギターを引っ張り出してきたら、ペグが完全に錆びてしまっていて回らない。メンテナンスすると、どうにか回るようにはできたのだけれども、そのまま使えるか? というと、無理。ペグを全て取り外して、まずは木の部分を補修した上で、サビ落とししたペグを改めて付ける必要がある。そこまでして古いペグを使い続ける理由もないので、それくらいは新調するのも良いのかもしれない。ネックの方も、木が痩せていてフレットが飛び出しているので、研ぎ直す必要がある。全体的には、新しく作った方が楽なのだけれども、まあ古いものには愛着があるものだ。

7 月 1 日、朝は晴天、昼が過ぎておやつ時あたりから曇ってくる。雨がやって来るのだろうかとレーダーを見ると、雨は六甲山の向こう側。こちらに寄ってくるような気配が無いでも無いけれど、肌で感じる空気に熱気が乏しくて、どうも真上から雨が降ってくるような気がしない。地面に育つ草は深く根を張っているのだろうか、これだけ乾いていても緑色は濃くて、枯れそうにない。乾いているのは人間の方で、自動販売機には売り切れが目立つ。夕方まで何も降らなければ、海辺の畑はカラカラになっているはずで、夜には散水が必要だ。ウリの仲間は水をどんどん吸うので、気が抜けない。


5 月と 6 月の1行日記