← 7 月と 8 月の1行日記
6 月30日、今日から場の理論の講義に入る。「今度こそわかる場の理論」で行こうかと思ったけれども、講義ではもう少し圧縮しなければならないので、生成・消滅演算子の交換関係から導入する、いわゆる近道を経由することにした。最初は真空から。そこに 1 つ、演算子が作用して 1 粒子状態に。ここまでは Fermi と Bose の区別はあまりない。2 粒子になった所で多粒子っぽい雰囲気が出てくる。今日はそのあたりまで。来週は、多粒子状態に作用する演算子を考えてみよう。ハミルトニアンが、とても簡単な形の演算子で書かれることが大切なポイントだ。今日は配信視聴者が多かったなー、梅雨明けして暑いから、そんなものかな。
6 月29日、高松へ向かう。が、岡山駅の瀬戸大橋線の様子がどうも普段とは全然違っていて、綺麗に着飾った女の子だらけだ。どこかでイベントがあるのかなー、きっと直島かどこかなのだろう、茶屋町に到着したら降りるのだろう .... いや、全員が高松駅で降りて、ゾロゾロとアリーナへ。サンポートにホールができて、こんなに人の流れが変わるものなのだと、ちょっとびっくりした。夕方を過ぎると帰りで混雑するそうで、早めに神戸に戻って来たのだけれども、その頃の X ポストを眺めると、マリンライナーは全車が女性占有車両となっていたらしい。積み残しも出たそうで、イベントに合わせて増発しろとか何とか、いろいろと恨み言とも提言とも取れるポストが舞っていた。
6 月28日、畑の作物の葉がどうも白っぽい。よくよく眺めると葉の裏にびっしりと虫が。こういう時にはオルトラン粒剤。... でも、畑で作物を作っている間にオルトランをまくと、食べられなくなってしまう。雨が降ってくれれば多少はマシになるのだけれどもなー。クレオソート液を使えという話もあるけれども、あれはあれで成分不明の物質だから、海辺の畑で使うには躊躇する。そもそも虫が出るような詰んだ状態で苗を植えたのが間違いという説もある。まあほっとけば、晩秋には姿を消してしまうから、その頃に刈り取って堆肥にしてしまうか。翌年にまくと卵や蛹が生き残っていたりするから、2 年は熟成させる必要がある。畑作りは気長に取り組まなくては。
6 月27日、梅雨が明ける。記録的に早い梅雨明けだそうな。ジェット気流の予報を見ても、しばらくの間は背の高い高気圧が南岸に停滞して、天気はまずまずのようだ。太平洋高気圧は時々、勢力が弱まって西日本に雨が降る。これを梅雨の戻りと呼ぶかどうかが、今後の天気予報の焦点 (?) になるだろう。何となく、7 月の末までに、そんなことがありそうな気がする。また、台風がやって来るというイベントも。今年はどうなのだろうか、当たり年なのかハズレなのか。ともかく、ここ一週間は雨が降らないので、畑の水やりが結構大変だ。自動散水機でも入れるといいのかなー、でも風向きによっては道路まで水が飛んでしまうかも。
6 月26日、地面を眺めると石が転がっている。大学の辺りは御影石の産地であった場所の片隅なので、基本的には鉄の錆びた色の小さな御影石が地表に出ている。それ以外の石は大抵が外から持ち込まれたものだ。黒い灰色の砕石は角が立っていて、歩道の舗装の基礎や駐車場など空き地の整備にばら撒かれている。砕石は案外安くて、輸送費の方が高くつくくらいだ。元々が自然のものだから、まあ手間賃だけなのかな。庭石には白くて丸い石が重宝される。あれは、どうやって作っているのだろうか。大学の工事現場をチラリとのぞくと、大きな御影石も転がっている。十分に大きければ価値もあるのだけれど、適当なものは値がつかないらしい。昔の人々は、そういう石を積んで石垣を作った。今も、大学の近辺にそんな石垣が残っていて、眺めて歩くのも楽しい。
6 月25日、月曜日に拾って来たヒノキ苗 (?) が、どうもそれらしくない。針葉樹は芽生える時には、松のように最初は細長い子葉をパッと広げる場合が多い。拾って来た苗は、最初からヒノキの葉のように広がっていて、かつヒノキよりも目が細かい。よーく調べてみると、実は針葉樹ではなくて、針葉樹と広葉樹を含めた分類とも遺伝的に離れている、どちらかというとシダっぽい植物に属するイヌヒバだった。大昔は、石炭になったロクボクも、この仲間らしい。化石から遺伝子が拾えるのかどうかは知らないけれども。こんなヘンテコ (?) な植物なのだけれども、イヌヒバは盆栽にもできるらしい。まあ育ててみよう。
6 月24日、スイカやメロンが最盛期となる。小学校の給食にも登場する頃だろうか。昔の記憶を辿ると、種を食べるの食べないの、皮はどうする、そんな話があったっけ。種の部分は甘いには甘いのだけれども種を発芽させない成分も含まれていて、苦味があったり、どことなく塩っぽい感じもあって、普段は食べない。唯一の例外が、少し発酵が進んでピリピリとしたような状態になっていた場合。こういう時には種ごと軽く加熱して溶かしてしまって、繊維などを濾し取ってメロンジュースにする。メロンの皮は、流石に使い道がない。スイカの皮であれば、表面を除いて瓜の代わりになるのだけれど。捨てる部分は畑にポイッと投げておくと、カラスが寄ってきたりもする。近寄っても逃げない。
6 月23日、朝は曇り。六甲駅に降り立つ頃にはもう雲行きが怪しかったけれども、授業に間に合わせて山に登る間は何とか雨に遭わなかった。講義を始めてしばらくすると、辺りから「夕立ち」の音が。夕の字を朝に変えてはならない。そのまま雨の1日になるかと思ったら、お昼過ぎにはもう薄雲になって、太陽の熱気を感じる。夏至の頃の強い日差しは、植物をガンガン育てるので貴重なものだ。雨に濡れた地面を眺めていると、ヒノキの苗が目に入った。こんな場所に芽生えても、伸びた頃には植栽管理で引き抜かれてしまう。そっと掘り出して、鉢植えの苗にしよう。その後の使い道は、まだ決まっていない。
6 月22日、飯田橋駅に降り立つ。どんな場所なのかなーと思いきや、駅の出口が江戸城の史跡になっている場所だった。そうか、東京の山手の地理の把握には江戸城をイメージすることが大切だったのか。そういう事は、東京に住んでみないと直感が湧かないのだろう。日曜日の東京は空気が穏やかで、気持ちよく過ごせると思ったのは一瞬のこと、お昼過ぎからどんどん人が多くなって来て、田舎人には窮屈な空間になってしまった。まあこれは商業地に限ったことで、東京と言えども何もない場所では歩行者もチラチラと目に入るだけだ。首都だからミサイル飛んで来るような危機感は常にある場所なのかも。
6 月21日、自然石を並べてみる。丸い石は珍しくて、大抵は伸びていたり角があったり平かったりする。丸くないのは、石材そのものの硬さがや割れやすさが向きによって違うからだろう。どれも不定形というか、同じ形のものは無いので、並べた結果の見栄えが良いようにと、いろいろ考える。答えの無い課題を出された気分である。改めて、石垣を積む職人さんはすごいなーと思う。基礎のない場所に置いた石はやがて土に沈んで埋まってしまうので、それを基礎にして上からまた石を積むことになる。そういう積み重ねで、段々と地が固まって行くのが太古の道づくりだったのかな。
6 月20日、カタカナで書かれる花の名前は、おおよそ英語でもそのままだ。ガーベラはガーベラ、アマリリスはアマリリス、ハイドランジアはハイドランジア。あ、これは落とし穴があるパターンだった、アジサイもまたカタカナ表記されることがあるけれども、こちらは日本語の紫陽花で、ajisai と発音しても英語では通じない。江戸時代から日本語に定着している花が、大抵は英語にはならなくて、キク、ヒマワリ、アサガオ、サツキ、ツツジ、この辺りの和語が要注意だ。花の名前のような固有名詞がタップリと自前の言語で揃っているのは良いことなのだろう。英語での花の名前は、さて外来語と表現したものか、それともインド・ヨーロッパ語族の共通資産と言い表すべきなのだろうか、ちょっと思案する。
6 月19日、暑い時に坂を上ると、体の中に熱を蓄えてしまう。冷房に当たっても、なかなか体が冷えなくて、しばらくはただ涼むだけとなる。これを避けるには、陽が高く昇る前に丘に上がり、日没を待って下るのが理想的なのだけれども、夏至の頃は昼が長いので、そうも行かない。夏はずーっと丘の上で過ごすというのが、進駐軍の六甲ハイツの暮らしだったのだろうか。その頃の遺構は探せば残っているはずで、最も代表的なのがロータリー付近に生えている巨大なクリスマスツリーだろう。海の向こうからやって来た軍人さんたち、夏の神戸はどう感じたのだろうか。
6 月18日、テンソルネットワーク業界で、名前の知られているイランの研究者は何人かいて、いずれも結構アクティブに研究活動している。そもそもテンソルネットワークというのは、少なくとも今まではニッチな存在なので、その辺りにも人材が割けるというのは、物理学者がたくさんいて、教育研究を日々行っている傍証なのだと考えられる。それらの研究者を訪れたヨーロッパの物理学者曰く、入国するまでが色々と大変だけれども、入ってしまえば天国だとか。何となく想像できるのが、外国から見た日本と、住んで知る日本の違いくらい隔たりが大きいのだろう。今の世の中、情報機器と電波さえあれば、どこに住んでも似たようなモノなのかも。
6 月17日、朝一番に結構な量の雨が降って、それから段々と雲が晴れて午後は快晴。気温はまだそれほど高くないけれど、日差しは夏至。これからしばらくの間は、あまり雨が降らないようなので、もう梅雨明けで良いのではないだろうか。ジェット気流も、ヒマラヤの南側を抜けるコースが弱ってしまって、北の空へと逃げてしまっている。こうなると、後はもうスコール、つまり夕立しか期待できなくなる。夕立来ないかな、夕立来ないかな、と思っても全然降らなくて、仕方ないから畑に散水して回るのである。近郊の農家は自動散水機を使っている。あれも導入しようか?!
6 月16日、熱帯夜が明けた朝の天気は晴れ。海辺が耐え難く蒸し暑いので、早々に電車に乗って標高 60 m の阪急六甲へと向かう。降り立ってみると、参議院に立候補予定の方の駅立ち光景が目に入る。そういえば昨日は尼崎市議会議員選挙で、その開票を夜遅くまで眺めていたのであった。パッと見、SNS にうまく乗らないと票も集まらないように映る。情報戦は虚々実々、選挙運動も様変わりしたなーとは思うのだけれども、思い出してみると親の世代では口コミという最強の伝達手段があって、ゴシップもそれなりに広まっていたようだ。この夏は暑くなるのかなー、ミサイルが飛んで来るのはゴメンだ。神戸が第一の標的だとは思えないけれども。
6 月15日、畑の土をおおよそ平らにする作業は意外と難しい。平坦になっているように見えても、歩いてみると部分的に水が溜まって、グジュグジュになってしまっている。そういう場所からは、よくない匂いが立ち上って来る。畑は腐葉土っぽい香りでなければ、作物が突然枯れたりする原因にもなる。水たまりには耕して水はけを促進した上で、土が低いようであれば土を少しずつ入れて行く。一気に多くの土を移すのは体力的に厳しいので、あくまで暇と時間と体力があればの話。今のように雨が多い時にはナメクジも大敵。葉の先から食べてくれると良いのに、必ず根本が狙われて、接木苗などは一貫の終わりとなる。
6 月14日、新神戸の少し上にあるハーブ園では、ラベンダーが最盛期となっている。例年、摘み取りのイベントもあって、それなりに賑わっているようだ。こうやって摘み取ったラベンダーは、下の方の茎を使うと挿し木ができる。種類によっては容易に発根して、サッサと葉を伸ばし始める。植えると梅雨の時期の今頃はよく育ち、よく年からは既に花をつけ始める。こういう所は普通の草なのだけれど、一方で乾燥に強い上に、茎がどんどん木化して太くなって行く。半分くらい木のような植物だ。ただし、木のように見えても、材木は全然取れない。繊維が縦に裂けやすくて、全然使い物にならないのだ。
6 月13日、学内にはアジサイもあちこちに育っていて、綺麗な花を咲かせている。もう咲き終わりになっている枝もあって、今年は季節の進み具合が少し速い気がする。アジサイは、花色が少し落ちて来た頃が花摘みの適期で、花から数えて 2 つ目くらいまでの葉を取り去る感じで、大き目の芽が吹き始めた場所の少し上で切る。切り花の方は、水に浮かしておけば一週間くらいは余裕で楽しめる。残した枝の方は、もし邪魔になるようだったらお盆過ぎに根本から切ってしまい、花芽のついた部分だけを挿し木にすると、翌年に花が咲く挿し木苗ができる。花屋さんで売っているアジサイは、このような挿し木苗の寄せ植えになっていることが多い。色々な色で鉢から咲くという利点はあるけれど、花が終わったらバラして、それぞれを大切に育てるのが無難だ。
6 月12日、天気予報は曇り、降水確率は 20 % の朝。お昼過ぎには、約束通り?! の雨がパラパラと降ってきた。海辺の畑のあたりにも少しは降ったようだ。自然の降水があるのと無いのとでは、畑の乾き具合も全然違ってくるので有り難い限りだ。これだけ雨が多いと、肥料も流れて行くので時々は追肥しなければならない。こんな場合に便利なのが、ダシガラ。昆布が結構良くて、ヨウ素やカリウムなど海からのミネラルを程よく運んでくれる。塩分はダシを取った時に抜けているから塩害の心配もない。イリコの頭や内臓も良い肥料で、これは乾物屋へ行けばいくらでも手に入る。価格を考えると、魚粉が一番効率的なのだけれども、これはすぐに分解されるので、手前のかけられない週末家庭菜園程度の畑であれば乾物そのままの方が良い。ただし、煮干しなどを転がしておくと、見事になくなってしまう。ネコが食うのかカラスが持って行くのか ...
6 月11日、本格的な梅雨に入る。前線の南側に入った時には熱気と湿っぽさがあって、日本が亜熱帯と化す時期になったのだなーと感じる。まだ建物が冷えているので、こういう時には窓やドアにビッシリと露がつく。クーラーの効いた店で買い物して外に出ると、老眼鏡が曇って辺りが見えなくなる。危ないので裸眼で歩くと、辺りの細かいものが見えなくて、何となく気分的に楽な気もする。ヨーロッパからやって来た方々は、ちょっとした雨では傘をささないのだけれど、こういう乾かない雨に遭遇しても、その習慣を堅持できるだろうか? モンスーンが吹いて雨季がやって来るアジアならではの風景がある日本、その田舎の風景は大切なものだと思う。今の時期はカエルだらけになるな。
6 月10日、いま時の講義の大敵もまた、畑ではないのだけれども、やぶ蚊。学生もたくさん座っている講義室なのに、狙われるのは講義していて、その運動により体温が高めとなる自分だ。そんなに何匹も飛び回る場所ではないので、数匹を退治すればそれでおしまいなのだけれども、気づかないうちに近寄って来て、痒みを覚える頃にはすでに手遅れとなっている。何かできるとすれば、血を吸って動きが鈍くなっている蚊を襲撃することくらい。いわゆる復讐であって、何となく血生臭い行為にも思えてくる。それにしても、あの小さなバイオドローンは何億年も前に進化しているのだから、節足動物は恐ろしく素晴らしい生き物だと感じる。やがては人類の工学もあの域に達するのだろうか?
6 月 9 日、新年度が始まったと思ったら、もう後半戦に入ってしまった。今日からはグランドカノニカルアンサンブルに入る。ここから先も、なるべく速やかに済ま背てしまって、最後の最後には場の理論に突入するのが今の所の計画だ。そのためには、少し足早に色々と済ませてしまう必要がある。細かいことは演習書に任せてしまおうか。今は AI が発達して、少々の演習問題であれば、簡単に答えが得られるし、説明も教育よりは上手だ。我々、教育の役目は研究の第一線に居て、その雰囲気を講義の中でも感じてもらえるような、そんな時間を持つことなのだろうと最近は考えている。初等的なことでも謎だらけなのだ。電荷素量って何なのだ? というのは人類がまだ説明できないことの一つで、それは恐らく微細構造定数とも関係している。知らんけど。
6 月 8 日、雨水を集める溝など水が常にある場所では、今頃から先は常にヤブ蚊だらけとなる。田畑では仕方ないのだけれども、家屋の周辺がヤブ蚊だらけになるのはマズい。幸い、海が近いので河川には海水が入ってヤゴが育たない。でも、道路脇の雨水溝はダメだ。雨がザーザーと降ると水流とともに蚊も幼虫も居なくなるのだけれども、数日すると倍返しで戻ってくる。昆虫の繁殖力は驚くべきものだ。人類がドローンなどを開発するずーっと以前から、目も羽もあってブンブンと飛びまくっていたのだから、生き物は、とりわけ節足動物には全く敵わない。蚊には出会いたくないけれども、畑の作業は待ってくれない。というわけで、刺されまくりで作業する。まあ、普通の蚊はいくら刺されても問題ない。海辺にはイノシシも来ないので、日本農園(?)ウィルスも大丈夫だろう。
6 月 7 日、植栽管理をしていると、ときどき石が必要になる。少しだけ土を盛りたい場所があれば、石で囲ってから内側に土を入れると、雨水で土が流れたりしない。雑草があまり生えてほしくない場所にも石を並べておくと良い。石くらい、どこにでも落ちているだろうとは思うけれども、落ちている場所の管理者なり所有者の持ち物であるから、拾って持ち去ると立派に犯罪となる。というわけで、毎日作業している畑から探すことになる。でも、田畑は代々にわたって石を除いて来た場所なので、そんなに転がっているものではない。うーん ...。園芸サイトを探してみると、10 kg くらいの砕石が数百円であった。送料の方が高くつくので、ひとまず発注は保留。ちなみに、関西や四国には吉野川があって、河原の石が緑色ですごく綺麗なのだけれども、どこを探しても売っていない。環境保全されている証拠なのだろう。
6 月 6 日、夜が白々と明けるころに、YouTube で i-Space の月面探索機を見守る。テレメトリーを皆で眺めつつ、司会者がコメントして行くのだと思っていたのだけれども、画面に流れるのは延々と関係者からのメッセージばかり。着陸の数分前になって、ようやくテレメトリー画面になったと思ったら、あっという間に通信が途切れておしまい。この辺りの広報は、SLIM が月に着陸した時とは随分と違っていて、どちらかと言うと出資者に向けた配信だったのかなーとも感じられた。全体的には、着陸のシーケンスにあまり余裕がなくて、それはランダーなど荷物を運ぶことを意識し過ぎたのかなーとも思う。この辺り、民間企業としては難しいものがあるのだろう。
6 月 5 日、快晴。炎天下と言った方が正しい。こういう時には畑作業は無理なので、書類書きやら論文読みやら文章執筆にいそしむ。報告書を一つまとめなければならない。ここ 4 年間の進展をワードファイルにまとめて、upload すれば良いのだけれども、凝り始めるとついつい時間が過ぎてしまう。この時間を使って、新しい数理に取り組む方が建設的なのだけれども、過去のことにチマチマとこだわってしまうのが、歳を取ってしまった証なのだろう。理学の良い所は、誰が見つけたとか開発したとかいう詳細はともかくとして、役に立つ論理形式は受け継がれて行くことだ。Tensor Network は皆がフツーに使う道具になって、その名称も意識されなくなるのだろう。
6 月 4 日、畑の作物の中で、季節をあまり選ばずに栽培が特に簡単なのが唐辛子だ。種というか、普通に売ってる唐辛子を刻んでまいておくと、自然に生えてくるし、フツーに育って、あっという間に青い実をつける。この時が一番辛い、いわゆる青唐辛子で、赤くなってからは乾燥して段々と辛みが抜けて行く。とは言っても辛いのは辛い。こういう実りが春から晩秋まで続いて、ようやく冬になって枯れ始める。暖かい場所に置いておくと冬も枯れずに、翌年にはまた実がなる。大株は扱いが面倒なので、無理に冬越しさせない方が良い気もする。こうして唐辛子は収穫できるものの、食べるのはわずかな量に過ぎない。あとは畑に戻して、肥やしにするのが精一杯だ。捨てたつもりの場所からもまた芽が出て来るので、辺り一面が唐辛子畑になってしまうけれど。
6 月 3 日、N 次元正方行列 A と B が与えられた場合に、両者の掛け算 C = AB を行う時に、浮動小数点形式での乗算を何回する必要があるか? という応用数学の問題がある。2 進数の足し算は、繰り上がりの処理はあるものの比較的ローカルに計算処理が進められるのに対して、乗算の場合には格桁の掛け算を何度も行った上で合計の足し算を行う必要があり、専用の乗算器などを持たない限り、掛け算には随分と時間がかかる。AB の計算では N^2 回の乗算が必要である、というのが普通の感覚。それよりも少し減らすのがシュトラッセンの乗算アルゴリズムだ。実は 2 進数の乗算にも似たような高速化が可能で、カラツバのアルゴリズムと呼ばれている。唐津馬さん? と思うけれども、実はロシアの数学者だ。応用数学には、こんな古典的な課題がゴロゴロと転がっていて、まだまだ研究を進める余地があって、何となく素敵な気がする。
6 月 2 日、講義室から中庭の時計が、ついに眺められなくなった。木々の伸びるスピードはとても速い。種類によっては、春に 1 m 近くは枝が立って伸びる。自然環境の中では、この能力を活かして光の獲得競争に勝つのだろう。この伸びを計算に入れると、いまの樹形では剪定しても焼け石に水で、もっと小さく管理しなければならない。でも、人の背丈くらいの所から脇枝が生えるような仕立てになっているので、強引に背を低くする剪定を行うと、妙な樹形になってしまう。うーん、どうしたものかと思案。こういう時には、無理なく切れる所から順番に作業して、長い時間をかけて目標へと進むしかない。
6 月 1 日、畑のアゼにツル植物が入ると難儀だ。ツタは、見ている分には可愛いのだけれども、どんどん枝分かれして面で増えて行き、伸びたところに根を下ろすので駆除が難しい。クズの難儀さは言うに及ばない。観葉植物のヘデラも、伸ばし放題にしてしまうと一面がヘデラだらけとなる。ツル植物ではないけれども、ツユクサやシバのように、ランナーを伸ばして行くものも要注意だ。ついつい、放置してしまうのだけれども気がついた時には、草刈り機を手にするしかなくなる。今日みたいな晴れた暑い日に行う作業ではない。ブツブツと文句を空に向かって口にしつつ、草を刈って回り、気がついたら昼寝していた。
5 月31日、まずい、明日は中間試験だ! と思いつつ慌てて試験問題を印刷して、ふとカレンダーを見ると土曜日。もう1日の猶予があったのだ。昨日の金曜日を、半分は休日のように過ごしてしまったので、何となく今日は日曜日だと勘違いしていたようだ。いや、そもそも、曜日の認識を常に持っているとは限らないかも知れない。講義のある日が何曜日、くらいの感覚で常に過ごしているので、予定表での確認が必須だ。休日なので、確認も何もせずに、日曜日だと思い込んでいたのが、そもそもの手続違いである。これからは示唆喚呼でもすることにしようか。日記よし、予定表よし、と。
5 月30日、今の時期の天気予報はアテにならない。ほんの少しの前線の位置の違いで、天気がガラリと変わる上に、前線が東西に寝ているのでハズレたらそのままの天気が1日中つづく。雨マークが天気予報に出ているからと言って、畑に水をやらないでいると、夕方に仕事から戻って来たころには作物がしなって枯れそうになってしまう。降雨レーダーをよく見て、気流を読んで、そして最も大切なのが空を眺めて空気を肌で感じること。昔から、古老が天気を言い当てるという話をよく聞くけれど、まさにその通りだと思う。特に湿度が大切だ。というわけで、日も高く昇らないうちにゴソゴソと水やり。電車に乗る頃には、もう疲れていた。
5 月29日、年に一度、大学生協の総代会がある。総会ではなくて総代会なのは、加入者数が多くて全員参加というわけには行かないから。加入者の色々な層から代表者を募って、議案について審議する。財務諸表を見れば、生協が滞りなく営業ができているのは、加入者の出資による所が大きいことがわかる。コロナ騒動の折にも何とか解散せずに済んだのも、加入者あってのことだ。総代会に十分な質疑応答の時間があるわけではないので、それに先立って総代の方々や生協加入者それぞれから様々な意見を集めることが大切だ。今年の論点は何と言っても価格高騰に尽きるだろう。インフレの世の中で、どのように加入者の大学生活を支えて行くかという視点から考える生協でありたいものだ。
5 月28日、コンピューターの計算能力が小さかった頃の数値計算の本やプログラミングの技術には、結構面白いものが多い。メモリーが足りないので磁気テープに記録して計算を進める場合には、磁気テープの巻き戻しが起きないように、起きても最小限度で済むように計算手順を定める。レジスターの数が足りないので、何をレジスターに残して計算を進めるべきか、メインメモリーとのアクセスを最小限度にするにはどうすれば良いかを、人間の頭で考えた。これらの技術は直接的・間接的に今日のコンピューターの礎となっている。このように堀った部分を担当する開発者の絶対数は、いつの時代もそんなに多くはない。こういう状況なので、計算技法そのものに名前が残ることもあって、Lanczos 法もまた、その端的な例だ。応用数学の分野には、けっこう物理屋が多い気がする。そんな仕事をしてみたいな、とも思う。
5 月27日、今の時期の花はクチナシ。一重のクチナシは花の後に赤い実がなって、黄色い染料が取れる。少量であれば料理に使っても目立った問題はないのだけれども、一応は有毒物である。そういう物は結構あって、誰でも口にしている唐辛子でさえ、毒物と言えば毒物だ。まあ、今頃から花の季節を迎えるキョウチクトウに比べれば、全く比較にならないので、無毒ですと言っても大きな間違いではない。ともかくも、クチナシは次々と白い花をつけて、また香りも良いので古くから大切な庭木として重宝されてきた。園芸商品としては八重の方をよく見かける。香りの強さは一重でも八重でもあまり違わない気がする。ちょっと可愛いティアレも栽培してみたいのだけれども、冬の寒さに耐えられないかも知れない。どこかに植えようかな、クチナシ。
5 月26日、授業を進めていて、あれ? と気づくことが時々ある。そういえば、2 原子分子の分配関数を求める時に、粒子の見分けというか、統計性について断っていたかなーと。もちろん、量子力学的にちゃんと (?!) 取り扱えば、Fermion なり Boson の場合にそれぞれ厳密な取り扱いが可能なのだけれども、そこまで掘るかどうか? という判断になってくるわけだ。1/2 の因子が分配関数に付こうが付かずとも、最終的に熱力学に顔を出すことはないので、どうでもいい話なのだけれども、整然と語れるに越したことはないわけだ。でもまあ、古典近似は近似に過ぎないからなー、やっぱりやーめた。
5 月25日、今日は涼しくて曇っているので、畑作業がとても楽だ。地面も湿っていて、草抜きも普段よりは容易にできる。ついでに木々の剪定にも手を出す。剪定の難儀なところは、切り過ぎてしまうと逆戻りできない割に、切るべき枝が多くあること。作業効率を考えると、できるだけ根本に近い部分でバッサリと切ってしまうのが楽なのだけれども、その結果として何も残らなければ、次に枝葉が伸びて来るのを待たなければならない。その間は、どうしてもスカスカの状態となる。これもまあ、最終的にどんな形へと植栽を持って行こうか、その判断によりけりなのだけれども。
5 月24日、今日は研究室紹介で、土曜日の出勤。帰りに、六甲道駅でカレーのテイクアウトを仕入れて、海辺の我が家まで持ち帰る。道中の車内にカレーの香りを満たしつつ。今日はベジタリアンカレーを選んだ。インド料理には、必ずベジタリアンメニューが含まれている。ベジタリアンとは言っても、油脂はふんだんに使われているので、ローカロリーというわけではない。バターやヨーグルトを許すものと、植物油だけのものがあって、どちらもそれなりに美味しい。カレーは、少し辛めの方がカレーを食べた雰囲気を味わえるし、スパイスの香りを身にまとうことができる、そんな気がする。時々は利用しよう。ヒマラヤの山っぽい名前のお店だったっけ。
5 月23日、金曜日のキャンパスは、どことなく華やいでいる。新入生の勧誘も一段落して、クラブ活動などで歓迎会が行われる頃でもある。昨今では、あちこちにカメラがあるし、誰でも映像を撮影できるので、あまりハメを外し過ぎない方が良いのではあるけれども、まあ楽しんで欲しいものだと思う。障子を破ったり、自動販売機を蹴ったり、そうそう、遊園地で運営に迷惑のかかるような行為に及んだり、公共の場でいたずらに服を脱ぎ過ぎたり ... というのはまあ極端な事例だろうけれども、大勢集まるとついつい夜半に大声で話したりもするものだ。周囲の目は気にしつつ楽しむのが現代なのかな。
5 月22日、たまたま半額品の山に出くわして冷蔵庫が一杯になってしまう。これが金銭的にも精神的にも貧乏である証拠。例えば、半額でなくて無料で食品の山が目の前にあったとして、それらを冷蔵庫が一杯になるまで持ち帰るか? と問われると、ハテと思案するだろう。その翌日はもちろんのこと、下手をすると一週間くらい、主体的に食を組み立てることが難しくなる。季節の食材を新鮮な状態で仕入れて、自由な発想で調理して直ちにいただく、という理想郷があるならば、半額のものはいずれの要件も満たしていない調理品がほとんどだ。それでも、半額の値札が目につくと、ついつい買ってしまうのである。貧しい身分なので ... などと書くと、怒られるのだろうけれども。
5 月21日、スーパーマーケットで百合根の半額商品と目が合う。今の時期であれば、まだ間に合う、地植えにしよう。ニョキニョキと伸びて来て、赤い花が咲く。百合は土手など、年に何回か刈り込みが入る場所でよく見かける植物で、品種改良されていても野生の強さは十分に残っていて、植えるだけで花が咲くし、自然に株分かれして増えて行く。もっと増やそうと思うならば、球根をバラバラにしてしまって、あちこちに植えて回るという手もある。この場合には、植えた年や、その翌年には花はつかなくて、球根が充実した頃から花が付き始める。チューリップの球根は、そろそろ掘り上げの時期かな。
5 月20日、統計力学は何度講義してもシックリと来ないものだ。統計なのであるから、統計らしくサンプリングや中心極限定理が出て来るのかというと、そういう統計らしい所をスッ飛ばして、大数の極限 (?) だけを扱うのが、統計力学への入り口となっているのだ。この辺りについて、定量的なスッキリと整理された議論が、少なくとも教科書に掲載できるほどは整理されていなくて、その代わりというか、教科書それぞれにウンチクが傾けられている。教える相手が初学者なのであるから、まずは興味を持ってもらうことが大切、という観点もあるだろうか。学校ではウソをつきたくないものだ。
5 月19日、講義室から中庭の時計を眺めようとすると、植木の枝葉に遮られて見えない。これまた、植栽を放置するとこうなるという、良い事例だ。人が歩けるくらいの部分だけの枝を払って、あとは管理できる程度の高さまでで止まるように、冬の間に剪定しておくべきだった。今となっては、枝葉が込み入っていて、しかも藪蚊が飛び回る場所で作業を黙々と行う気にもならない。また冬が巡って来たら、今度こそ、見栄えは気をつけつつも、見通しを遮らないように剪定してしまおう。待て待て、そもそも、大木になるようなものを植えてあるのが間違いなのではないか? 根本から伐採なのだろうか??
5 月18日、サツキやツツジは、花の咲いている時が剪定し易い。側から見ると、花を次々と枝ごと落として行くなんて、言語道断に見えるに違いない。実はすでに、花が最も美しい時期は過ぎているのだ。だんだんと枯れた花ガラが雨に打たれてドロドロになって、見苦しい状態となる。そんな姿を見るくらいならば、綺麗に剪定された状態の方がマシだ。花がついた所からは枝が伸びていて、第一候補としては、その部分にハサミを入れる。でも、よくよく眺めると、妙な枝や逆さまに伸びたり立ち上がっている枝などもあり、放置すると後々の災となる。妙なものは、サッサと付け根から切り落としておくと、後の作業が楽になるのだ。
5 月17日、アジサイにはいろいろな種類があって、集め始めると止まらなくなる。植える場所によって色が変わるアジサイも多いし、枝変わりして同じ株から異なる花を咲かせるものまである。近縁のアナベルも、普通にアジサイと言われればアジサイそのもので、混植しても問題ない。剪定の方法が少し違うとは言われるけれども、アナベルをアジサイのように剪定しても何の問題もない。今日は、白に赤の斑入りの花が咲くアジサイを仕入れた。白い花も混ざっていたので、枝変わりか?! と思ったのだけれども、実は花色を混ぜて育てた寄せ植えであった。業者の技術を盗みたいものだ。
5 月16日、相思樹の歌 のギター演奏と、歌のギター伴奏を行う。この曲は沖縄戦を生き残った、ひめゆり学徒隊に歌い継がれたもので、ずいぶん後になってから採譜されている。その譜面上のキーは F になっている。今日では、いろいろな演奏が YouTube に上がっていて、D くらいのキーで歌われることが多い。歌える範囲で、最高音が綺麗に響くのが、その辺りのキーだからだ。今日は、A で演奏した。ギターは、一応は自由に移調できる楽器だから、もっといろいろな調を試してみる価値があるのかもしれない。C は演奏が容易な調だし、ギターの響きも良い。やっぱり F なんだろうか、うーん ...
5 月15日、パソコンなど情報機器を購入した時に、保証サービスを付帯するかどうかは、考え方次第だ。商品価格の5パーセント程度を高価だと思うかどうか? というよりは、利用状況によるのだろう。研究費などで購入した場合には、保証期間外については何も付帯できないのが普通だ。また、パソコンなどは常に複数台を取り揃えているわけで、一つや二つが途中で使えなくなっても、さして困らない。また、今のところは数年間も使えば、もう旧式も旧式、少なくとも数値計算をバリバリとこなす目的では使い勝手が悪くなる。こういうわけで、保証を考えるとしたら個人的に常に 1 台だけをバックアップなして使っている、という風な状況なのだろうかと思う。知らんけど。
5 月14日、よい天気を通り越して、雲ひとつない快晴で気温もぐんぐん上昇。体調を崩す人々もけっこう居るようだ。SNS ポストを眺めていても、調子の悪さが伝わって来る。ゴールデンウィークは夢のように終わり、いよいよかき入れどき、という所なのだろうか。仕事をするには良い季節なので、ついつい働き過ぎてしまうのかもしれない。すでに太陽光がすごく強くて、夏至までひと月余り、日差しだけならお盆明けくらいの強さはあるのだ。ついでに、大気はまだ薄くて、水蒸気も少ない。こういう時は、あまり出歩かずに、室内で色々と作業するのが良いのだろう。でも遊びに行きたいなー。
5 月13日、桜の木が緑に包まれて美しい。葉があるということは、その分だけ枝が重たくなっているわけで、よくよく眺めると春先に比べて枝が垂れ広がっている。写真に撮って横に並べれば一目瞭然だ。そこかしこにある桜を、一本ずつよく眺めると、結構危ない木もある。真ん中が腐っているとか、枝分かれしている部分の樹皮が無くなっているとか、そもそも枝が枯れているとか、枝葉は生きていてもキノコが生えているとか。このような兆候があると、やがて倒れてしまうので、それならばサッサと切り倒して更新した方が良い。大学の近くでは、街路樹の桜が 2 本、伐採されていた。これまた桜の運命だ。ひこばえから伸ばすか、切り株を取り除いて新たに植えるかは、場合によりけり。公共物は眺めることしかできないけれど。
5 月12日、雨上がりの涼しい日には、遠くが見渡せることが多いので、望遠機材を持って大学の丘を登る。見渡してみると ... ダメだ、霧がかかっていて全然見渡せない。風が強くて、荒れているような日の方が遠くまでよく見えることを忘れていた。陽が登って対流が始まると、鍋の上の空気のようにユラユラとして眺めが悪くなる。晴れている日に遠くを撮るならば、一般には朝か夕方が勝負だ。今日みたいな天気だと、海の上から山を眺める方が撮影条件は良いのかなー。新緑の季節にしか撮れない山のモコモコした感じもあるし。と、想像しつつ、今日の午前は講義だ、講義だ。
5 月11日、相思樹の歌、ギター編曲がおおよそ固まった。ボサノバっぽい音がギター演奏には似合っているのだけれども、それでは歌詞から離れてしまうので、バランスを取るのが難しい所だった。あと、ギター特有の問題として、低音の支えが限られていることも難儀なポイントだ。バンドを組めばベースに任せてしまえるのだけれども、そういう自由なベースラインは期待できないので、限られた中での選択となる。高い音で飾る感じでコードを演出することも可能だけれども、それは指が忙しい。というわけで、素人でも何とか弾けるところまで、ようやく持って来れたので YouTube に short version を upload した。
5 月10日、畑を見て回ると、キュウリの苗が倒れていた。これはナメクジの仕業だ。甘さのある植物にはナメクジやカタツムリが寄って来て、先の方から食べてくれれば良いものを、決まって土に近い根本から食べられてしまう。鳥の餌にならないために、いつでも地面に逃げられるよう、プログラムされているのだろう。ナメクジの厄介な所は、どんどん遠くまで移動できること。目が可愛いからと、遠くに放り投げたつもりでも、やがて戻って来てしまう。本を開くと (?) 捕殺するようにと書かれている。いや、やっぱり可愛いので、遠くに放り投げて終わりにする。戻って来るなよ。
5 月 9 日、今まで、花の咲きそうな、あるいは花が咲いている草木は剪定できないものだと思い込んでいた。YouTube に上がっている動画を眺めると、開花中の剪定も結構行われている。そうすることによって剪定のチャンスも増えるし、何より花を目印にして樹木の状態を良く知った上で選定できるのだ。また、場合によっては奥に隠れている花がよく見えるようにも枝葉を整えることが可能となる。花や蕾がついたまま切り取った枝は花瓶に挿すこともできるし、そのまま堆肥になってもらうのも悪くはない。花数を減らすことによって、残った花が綺麗に咲くこともある。そういう方向を突き詰めると盆栽の剪定へと行き着く。結局は手間暇の問題になるのかな。
5 月 8 日、テラスに置いてある鉢植えが、何だか安定しないで、常に傾いている。妙なことだと思って、よくよく調べてみると、鉢の底から根が出ていて、塊になっていた。平らに根が出たらグラグラにはならないのだけれども、自然のものは平らには育たないのだ。太い根の上に鉢が乗ったようになっていたので、はみ出した部分をノコギリで切り取った。根の全体量からすれば、わずかなものだから、切り取っても直ちには問題ないと思われる。それよりも、少し大きめの鉢を用意して、植え替える方が賢明だ。いまの鉢から、どうやって抜くのかがまずは問題なのだけれども。最悪、そのまま大鉢に埋めてしまうか、それとも鉢を割るか。割った鉢も縄で巻けば再び使えるし。
5 月 7 日、ゴールデンウィーク終わる。が、まだゴールデンウィークだ。すぐに金土日がやって来る。ついでに今日は涼しい天気だ、万博日和だ。神戸大学からは万博会場がよく見えるので、今日も眺めて楽しむことにしよう。昨日の雨で、木々は一段と緑を増して日光を浴びている。山がモクモクと盛り上がっているように見えるのが新緑の季節。今日は午前中に講義を行う。途中で、何だか外でガサガサと音がする。不思議に思って ... 古文で言う「あやしがりて」だろうか ... 確認すると、カラスがやって来てゴミ袋を突ついていた。あの大きいのはハシブトガラスだ。大学のゴミ袋には、そんなに残版など入っていないはずなのだけれど。
5 月 6 日、久しぶりに? 雨が降る。畑に水やりしても、雨が降るほどには湿ってくれない。畑に植わっている作物だけに水やりすると、あっという間に水を吸われてしまうのだ。雨が降ると、地面がどこまでも雨に濡れて、必要な場所へとジワジワと湿気が伝わって行くような感覚だろうか。木々の葉にも十分な湿り気が降り注ぐ。そして雨上がりにも空気は湿っていて、一気には乾かない。曇り空で、陽の光が足りないのは仕方ないか。曇っている日にはホルモンの作用によって、よく育つという話も聞く。えと、科学者であれば、この手の言い伝えはデータを見てから信じるべきなのだけれど、確かにそういう気がする。
5 月 5 日、土を直接触っていると、手荒れする。気がつくと脂分が肌から抜けて、指先がザラザラになってしまうのだ。大昔の人々が、泥で髪を洗ったというのも良く理解できる。充分に泥を流せば、髪がガシガシになってしまうほど脂が抜けるはずだ。抜けたものは補えば良いので、オリーブオイルを手のひらに落として、寒い時のように擦り込む。今日は、キュウリの苗を試しに幾つか畑に出してみた。まだ根本が細いので、強い風が吹いたり、ナメクジがやって来たりするとダメになってしまう。そういう場合には次々と予備の苗を出して行くまでだ。タネもまだまだあるし、一度ツルが根付けば、畑を這うように伸びて幾らでも根付いて増えて行く。少なくとも夏至の頃までは。
5 月 4 日、思い立ってばら寿司を作る。家伝の寿司飯の配合は、一合あたり 20 ml の酢と、スプーンに半分くらいの砂糖。摺り切りにするとスプーン一杯はある分量だろうか。舐めてみて、甘い酢になっていたら大丈夫だ。塩を入れる代わりに、寿司飯と合わせる椎茸やらエビやら穴子などの煮汁を、配合した寿司酢と一緒にご飯に混ぜ込む。これでもまだ、すこし味が足らないかなーというくらいが良い塩梅で、盛り付けの時に甘辛いトッピングを次々と乗せて仕上げると、食べた時にちょうど良い味加減となる。最初のひと口で、少し物足りないくらいが良い。段々と食べ進むうちに自然と具材やご飯が混ざって、いい感じになって行く。そして、気づいた時には、もう丼が空になっている。準備に時間がかかって、パッと消えるのが寿司。
5 月 3 日、キュウリの種は、まあまあ小さい。炊いた米粒とか、シリアルの押し麦を思い浮かべると良いだろうか。種まきすると双葉が出てきて、それがびっくりするくらい大きい。もともと、あの種の中にあった双葉の形が、水を吸って数倍に大きくなるわけだ。双葉が開くときに、もう本葉の小さいものも見えていて、もともと種の中でそこまで形成されていたようにも映る。この本葉がすごく大きいのがウリ科の植物の特徴で、ツルを伸ばしてどんどんアチコチへと広がって行く。肥料と日光と水さえあれば、実もどんどんなって行くので、次々と収穫できる。一つ二つ、収穫しない実を残せば、翌年に向けて種取りできるけれども、これは結構時間がかかるので、毎年のように種を買うのが楽でいい。
5 月 2 日、今日は少しだけ、お昼の食堂が空いている。キャンパスを歩く大学生も、何だか少し、よそ行きの装い。これからどこかへ遊びに行くのだろうか。大学生が、どれくらい万博へと足を伸ばすのかは、ちょっと興味がある。今の時代に万博とは何か? という疑問はあるのだろうけれども、そもそも万博はお祭りで、人々が集う催しなのだ。昔々に大阪で開催された万博では、竹林が広がる丘陵地帯に突如としてヘンテコな建物が並び立ち、未来を見せてくれた。今回は何もなかったはずの海の上での開催。よくよく地図を眺めると、万博会場の沖にも、すでに埋立している区画がある。そう遠くない未来に、あそこまで陸上になるのだ。大阪湾は、次の世紀までに半分くらいまで埋まるんだろうか? と、ふと思った。
5 月 1 日、専門書というか、数学っぽい文章の英文は要注意だ。if and only if のように、普通は使わない表現が頻繁に出てくるからだ。一般に推奨される英語のスコアとは、少し違った読み込みの技量が必要となる。慣れれば、英語が苦手でもこれらの文章は読めるようになるのだから、言葉は不思議なものだ。そういえば、話すのが苦手という人はどこの国にも居て、native な英語の話者であっても、ほとんど喋らない人も時々見かける。実に要注意なのだ。黙って黙々としていても、学者として活動しているのであるから、きっと才能ある人なのだ。同じようなことが、英語が苦手な日本人物理学者にも当てはまる。誰に対しても、侮るような態度を取ってしまったら、後で酷い目に遭うはずだ。
3 月と 4 月の1行日記