← 5 月と 6 月の1行日記
4 月30日、ドーナツをよく眺めると、真ん中の穴の直径と、食べた時の断面の直径が、おおよそ同じになっている。物理学者が「同じ」という時には、倍とか半分くらいの違いは許容範囲に入っているのだけれども、ドーナツの場合には 1.5 倍にもならないのが普通だ。ドーナツの内側の曲面は負曲率の面となっていて、最も内側は綺麗に (?) 鞍状である。ここに、まあヘリカルにコイルを巻くと、初期の核融合炉のコイル配置っぽくなる。核融合では段々とノウハウが蓄積されて、今ではドーナツっぽくない容器の断面となっている。ドーナツ型、つまりトーラスには、まだまだ物理や工学の発展のポテンシャルが隠れていそうだ。
4 月29日、休日の大学でゴソゴソと報告書の執筆準備に取り掛かる。窓からは本部の景色が目に入る。今日は国旗が掲揚されている。祭日には掲揚するのだろう。バスにも国旗が掲げられている。お店によっては店頭に国旗が。毎日掲げている酒屋さんもあったっけ。日本の国内では国旗を掲げる事由があるのだから、おめでたい時には掲げるのが良いことだと思っている。国境から外側では、それぞれの国の慣習に従うのが無難だろうか。SNS には国境がないとも言われるけれども、国旗を貼ったからと言って特定の信条を固く持っているかのような突っ込まれ方、突っ込み方をするものではない。大昔から日の丸は日本を表すものとして定着しているのだ。
4 月28日、カノニカルアンサンブルでは系と熱浴が弱く結合している建前になっている。これは、強く結合してしまうと系の固有状態が説明できなくなるから。ただし、時々ならば強く相互作用しても良くて、その瞬間は忘れてしまうか、あるいは補正を与える効果として取り扱う。系全体がガチガチに相互作用している場合は、それが加算的に切り分けられるかどうかが問題となる。分けられるならば別に気にしなくて良いのだけれども、長距離相互作用がある場合には、そもそも熱平衡がうまく成立しないことすら有り得る。結構微妙なことを知れば知るほど、説明の前置きが長くなるのが統計力学の悪い所で、初学者にそんなウンチクは並べない方が良いと考えている。
4 月27日、カレンダーを眺めると、月末までに報告書を書いてしまえと指示してある。まずい。月末まであと 3 日くらいしかないし、明日は授業日だし、水曜日にはセミナーも予定されている。ということは、祭日の 29 日にも普通に働くということだ。これは大学に勤める者の日常と言えるだろうか、だいたい、研究には休日も夜も昼もなくて、何か他のことをやっていてもアイデアを得ようと、ずーっと戦っているのである。昔は湯水の如く、色々と思いついた者だけれども、もう枯れている。かのバッハも、とある年齢から後はアレンジャーっぽい作曲の割合が増えているのだから、まあ枯れたら枯れたなりに、その土壌で戦うべきなのだろう。その前に報告書だ。
4 月26日、とある花屋さんで、苗が安売りされていた。よくあることだ。少し季節外れになったもの、大きく育ちすぎたもの、花色に人気のないもの、などなど。どんな苗でも、置き場所を考えればそれなりに役立つものだから、二束三文で売っていれば購入する。直ちに枯れてしまうことも、まあ時々はあって、それでもポットに入った土だと思えば百円ショップで購入するよりも安かったりする。土になったら何を植えようか、と思案している最中に、何かが勝手に芽吹いてくることもある。農家で育てている内にどこからか種が飛んで来たのだろう。雑草であることが殆どだけれども、それでも緑が伸びる様子を眺めるのは楽しいものだ。
4 月25日、職場に近い園芸屋さんはどこかなーと、検索してみる。ずっと以前は六甲登山口のすぐ下に花屋さんがあって、色々な苗も売っていたのだけれども廃業。近くに、幾つか花屋さんとかグリーンを扱うお店があるにはあるのだけれども、品揃えに幅がなくて、特に野菜の苗などは並んでいない。駅近だった新在家のコーナンという手もあるけれども、阪神は他の路線が止まらない限りは通勤に利用しない。うーん、と検索してみると、なんと六甲道のすぐ西に結構大きな園芸屋さんがあるではないか。これはびっくり、今まで神戸大学に何年通っているのだ、全然気づかなかった。というわけで、お店に立ち寄ってみると、これが激安。パッと見て、どれも通販より安い。時々は利用しよう。お店が永く続いてくれるといいな。
4 月24日、研究は多角経営が基本。量子物理学とか統計物理学とか、これら現代物理学と呼ばれている 100 年程度の若い学問の研究を柱とはしているけれども、流体力学を含む古典力学や電磁気学などは今も理系学問の基本にして最前線なのであるから、これらの昔ながらの研究分野にも当然のことながら色々なネタが潜んでいる。目に見える世界のことは、工学的なテクノロジーに直結しているとも言える。情報科学はもう少し若い学問分野なのかな、ゲーテルやチューリングやガロアあたりまで遡るならば百年を超えてはいるけれども、フォンノイマンからの 80 年の発展が著しい。これらをエイヤッと合わせて、さて恒星の世界へと漕ぎ出すエンジンを作る目標を立てようか。今は亡き旧友と約束したことだし。破ってばかりの約束なのだけれど。
4 月23日、もうあと一週間くらいでゴールデンウィークとなる。そろそろ大学生協の食堂も落ち着いて来た。二週目以降は、そんなに真面目に授業に出なくても何とかなるか、という目測が付く頃合いなのだと思う。そんな中でも、語学とか実技実習とか、真面目に取り組むしかないものも多いのが、大学の落とし穴である。特に、実験は場所を取るし、準備に多大な労力を要するし、その割に国が定めている単位数が少ないということもあって、段々と実施時間数が減っているのではないだろうか。その場で現象を眺めるという所に、どれくらいの重点を置くかは時代とともに変わるものなのだろう。今は映像素材も多いし。でも実験は実験であって欲しいな、今しばらくは。
4 月22日、昨日の統計力学の講義では、ミクロカノニカルアンサンブルをサラリと通過する。あのアンサンブルは、本当はあまり触れたくない所でもある。可能な状態全てというのが、あまりピンと来ないものである、というのが主な理由である。母集団からサンプルするだけ、と考えれば統計力学の統計力学らしい所だと言えるのだけれども、そういう議論で書かれた教科書は見たことがない。ところで、昨日の夕方にアゴの下をブヨに刺されてしまった。両手を使って作業すると、顔面が無防備になるわけだ。場所が場所、少し膨れると、見事に二重アゴなのであった。元に戻るのに 4 日はかかることだろう。
4 月21日、今の時期に色々とこなさなければならないのが、報告書。前年度に何をどのように進めたのか、進まなかったのかを文字に落として記録しておく作業だ。あちこち飛び回って色々と講演をこなすと、まあ色々と書くこともあるのだろうけれども、すでに半分は隠居の身、なかなか盛り込む材料に乏しくて作文に苦労する。あるいは、ちょっとした進展をわざわざ文章にする意義を見出せないという事なのだろうか。昔々は、どうでも良いネタでも論文になったら嬉しかった。それが、少しばかりの未来へと食いつなぐ足掛かりとなることもあっただろうし。今は足をかける先が、ええと。そんなことを突き詰めずに、ともかく目先の報告書をまとめてしまおう。
4 月20日、相思樹の歌、歌詞と旋律が伝わっている。沖縄戦の少し前に作られた楽曲で、探した限りではオリジナルの楽譜がない。生き残った方々の間で、歌い継がれたのだろうか。幸いなのが、旋律には異なるバージョンがないこと。前打音が半音違う、というだけでも全体の曲想がガラリと変わってしまうことがあり得るだけに、元々の曲がそのまま伝わっていることは、とても有難いことだと思う。和声の方は、誰がつけても恐らくは同じという場所から、だんだんと手探りで広げて行くことになる。小さな相違は別として、大きく違う伴奏が何通りか考えられる。どれが曲を活かす流れなのだろうか? もうしばらく思案するか。
4 月19日、畑の脇に植えてあるサツキ、勢いよく新芽を吹いているのは良いとして、何だか無用に広がっているような気がして、地面を眺めると、やはり広がっていた。低木は油断ならないのだ、地下茎のような形でどんどん伸び広がって、意外な場所から枝が伸びて来るのだ。そういう場所は、丁寧に掘り取るしかない。うまく掘り上げられたら、それはそれで移植苗になるので一石二鳥だ。今は移植の適期と一般には言われる時期なので、植えても良いかなーと思う空き場所に穴を掘って、植えて、水やりする。水切れさえしなければ、芽と同じように根が伸びて、定着するだろう。
4 月18日、ツバキの花が咲いて落ちる。その頃にはすでに種ができ始めていて、即刻取り去っておかないと、どんどん種に栄養が吸われてしまう。同時に、新芽が伸び始めるので、枝の取捨選択が問題になってくる。長く伸びる枝にどんどん勢いがついて行くので、放置すると条件の良い方へ良い方へと枝が伸びてゆく、変な木になってしまう。特に、中庭に植えられたような、光が当たる向きが一定している場所で、この傾向が強く出る。剪定して、樹形を整えて行く必要があるのだけれども、強く切りすぎると今度は木が弱る。うーん、何だか、研究指導にも良く似たものがあるなーと、教員歴も先が見える頃になってようやく気づくのであった。
4 月17日、低木を増やす技、取り木をどんどん進めている。畑の周囲にはいくつか、植栽として低木を植えているのだけれども、真夏に乾燥が続いたりすると、あっさり枯れてしまう。枯れるかどうかは、ランダムというか予測がつかないもので、ちょっと様子がおかしいかな? と思った時には、もう枯れる運命にある。そうなる前に、地面のそばから出てきた枝は全て一度、土に潜らせて発根を促す。それで根付いてくれれば、こちらのもの。取り木の苗は、元の幹から離れる方向へと、ドンドン伸びる性質がある。うまく利用すると、どこまででも枝を伸ばせて、株をどんどん増やして行けるのだ。さて、次はどの枝を潜らせようか。
4 月16日、日本語は、というか言葉は難しいものだ。省略が激しいと、何だかおかしな表現となってしまう。x が a だけ増加して x + a になると ... などと言ってしまうと、待てよ、x というのは変数なのだから、どんな値を取っても x は x と書くべきではないのか? という風な、言葉のアヤに引っかかってしまう。一度引っかかると、正しい表現にはなかなか辿り着けないものだ。f(x) と f(x+a) を比べると、というふうに増加という言葉を不用意に使わないのが、ひとつの解決方法ではある。そう考えると、では「増加」とはどう定義するのか? という事が気になり始める。数学屋さんは、この辺りの訓練が良くできていて、常に紛れがないのだけれども、彼らと話すと別の要因でコミニュケーションが難しくなることも多い。繰り返すと、学問を言葉に落とすのは難しいものだ。
4 月15日、朝はいい天気だったのだけれども、昼前から急に曇って、にわかに強い雨が降った。と思えばまた晴れて、空には入道雲が幾つも見える強風の午後に。そして、おやつ時にはまた曇り。落ち着かない気象状態だ。上空にほとんど孤立したような寒冷渦があって、そのすぐ下に地上低気圧ができていて、スケールは大きいのだけれども、性質としてはポーラーローによく似ている。中心の北側から西側に、横に寝た前線のような構造があるのが、特徴的だ。中心は輪島のあたりを通過した後に、日本海側を転がるように北上している。ともかく雨が降ってすぐに上がるのは良いことだ、畑仕事が楽になる。
4 月14日、今日からまた講義を始める。統計力学の講義、今年はどこから始めようかなーと毎年のように思案する。年々、だんだんとボルツマン因子から出発するのが初学者向けなのではないか、そう考えるようになって来た。というのも、ミクロカノニカルアンサンブルには不自然な記述が付き物で、typicality の話だとか色々と注釈を付けている内に、本来の物理現象から離れた議論になってしまっている --- と感じる受講者が出てしまうからなのだ。もちろん、この感想は短絡的なもので、本当はそこに物理の物理たる議論があるのだけれども、初学者に食わせるか? というのが本音。さてどこから ....
4 月13日、雨が降って、地面が湿っている。これは絶好の草抜き日和りだ。畑の作物を覆うような形で生えている雑草は一網打尽にする。ただ、抜くと土が取れるので、抜いた株をひっくり返して、根が上に向くようにして、その場に放置する。それで枯れてしまうようなものであれば。厄介の限りなのが、この日記にも再々登場するヘクソカズラ。これは、土に這うように縦横無尽に伸びていて、しかも所々で地中深くに、人参のような根を伸ばして感想にも耐える。手では抜けないので、ラジオペンチやプライヤーを持ってきて引っこ抜く。その際に、反動で後ろに転がらないように気をつける必要がある。うっかり作物の上に尻餅をつくと、秋からの努力がパーになる。
4 月12日、神戸大学の近所、阪急六甲駅の近くに、インド・ネパール料理のお店が、いつの間にかできていた。ハラールフードにも対応しているようだ。テイクアウト OK という看板も出ていたので、帰りがけに寄って幾つかメニューから注文して、ちょっと散歩してから戻ってみると、もう出来上がっていた。美味しそうな香りが立ち上っていて、ああインドという感じ。電車に飛び乗って ... そこから先がちと長い ... 海辺まで戻った頃には熱も冷めていたので、電子レンジで温め直していただく。美味しい。シンプルにインドのカレーだ。豆腐みたいなパニルも入っているから、北の方の料理なのかな。時々、テイクアウトで利用することになりそうだ。
4 月11日、NHK のラジオ中国語講座の曲、昔は (?) 長く長く同じ曲で、いかにも中国の楽曲という感じの雄大な音楽がラジオのスピーカーから流れたものだ。あの曲は何の曲? と、ふと気になって調べてみると「北風吹」という、新年を待つ頃の冬を歌ったバレエ ... というかバレエの振り付けの入ったオペラのような舞台「白毛女」の楽曲であった。これは、中国の内戦に巻き込まれた若い女性を描いた物語で、ストーリーはとても政治的だ。そういうメッセージも込めて NHK から流れていたのか? と、一瞬は不思議に思ったけれども、よくよく考えてみると戦争には不遇となる多数の芸術家たちが、生き残りをかけて作った作品なのだろう。名曲だと思う。うまくギターで表現できないかなー。
4 月10日、一応は晴れの天気なのだけれども、ときどき雲行きが怪しくなって、にわか雨がやって来る。上空の天気図を眺めると、トラフの直下であることがわかる。いまの時期には偏西風が緩くなり、結果として気流の蛇行が激しくなって、冷たい空気の渦が切り離されることも珍しくない。雨が降っても時間は短いので、雨宿りしてまた作業に。雨降って、地面が湿っている時は草抜きの後期だ。カタバミを抜くと、地面の中に延々と地下茎を伸ばしていて、ゲンナリとする。そこで長期 (?) 計画。大まかに抜いておいて、顔を出して来たらそこに取り残した根がある証拠だから、根絶やしにするべく掘り進むのである。
4 月10日、御影の坂道をのぼる。阪急御影駅のすぐ上にあった冗談のように広いお屋敷、すでに一ヶ所は更地を経て広大な分譲地となっている。もう一ヶ所の方は、けっこうよく知られた坂道の脇にあるのだけれど、こちらも工事枠に囲まれて、取り壊し作業が進んでいる。あれだけ広い崖地にマンションを建てると、とても眺めの良い場所ができるだろうなー。今日の目的地は近くにある教育機関。一応、ご意見番のような副業を受け持っていて、ときどき阪急御影まで足をのばして、そこから延々と坂道を登るのだ。地域の人々が利用している裏道もある。意外な場所に路地が伸びていて面白いものだ。
4 月 9 日、とある場所で、枯れかかった木を切るという連絡が入った。現場を見にゆくと、なるほど、建物の間にある箱庭みたいなスペースの傍に、ヒマラヤスギの大木が生えていて、薄暗くなっている。本来、もっと日当たりの良い場所で、風光明媚な箱庭なはずなのだけれども、あまり管理しないうちに木々が成長して、鬱蒼としたスペースになってしまったのだ。結果として、弱い方から段々と枯れて来て、荒れてしまっている。枯れた枝とか、込んだ枝を抜くとか、色々と見えるのだけれども今は新学期で忙しいので、眺めるだけ眺めておいて、次の冬に何とかしようか。
4 月 8 日、桜が花吹雪になり始めて、もう青い葉が目立ち始めた。今日から授業開始で、食堂は大混雑だっただろうか。今の時期には料理をなるべく速く提供して、レジを速やかに通過していただくことが大切なので、普段よりはメニューのバリエーションが限られている。速い安い、と言いたいところだけれども、米価高騰、いや食材、労賃、キャッシュレス決済の手数料、全てが提供価格に跳ね返ってくる。これからブロック経済化が進んで行くと、百年前に通った道を辿るような予感もチラリとするけれども、一方で百を超える国々が万博に集って平和なお祭りが始まってもいる。一度は見学に行ってこようか。
4 月 7 日、堆肥を掘ってみると底の方から覚えのある香りがする。カナブンの糞の匂いだ。確認すると白い幼虫を数匹発見。これは根を切ってしまう悪い虫なので鳥さんに食べてもらおうと、畑のうねに放り出しておいたら、鳥が来る前に姿を隠してしまった。幼虫には小さな点眼しか付いていないのに、明るい場所からさっさと土に逃げ込む技を鮮やかに披露してくれたものだ。堆肥にする箱には、最初にハエの幼虫がやって来て、どことなくトイレ臭い匂いになった後で、ミミズやらヤスデやら何やらと、次々と掃除部隊が交代しながら草木を土へと変えて行く。条件によってはカビだらけになることも。安定した土に変化するまでに、おおよそ 2 年かかる。別の箱に入れておいた、完熟した堆肥は素晴らしい香りとなる。あれはまさに大地のウィスキーだ。あ、酒は飲まないのが良い。
4 月 6 日、日本語で文章を書いていると、書き方が色々とありすぎて困るし、何度見直してもなかなか落ち着かない。ナントカはこう考えられる、という簡単な表現でも、こうも考えられる、こうとも考えられる、こう考えてもよい、こう考えることが可能だ、こう考えよう、まだまだあってバリエーションがめちゃくちゃ多い。実用文は長さの制限が厳しいので、簡潔な表現を目指すのが通例だ。テストの問題、製品のマニュアル、広告、行政文書。この対極にあるのが週刊誌などの記事。ともかく長いし、色々な感情を持たせるように、飾り文句が多い。印象操作とも呼ばれる。いわゆる怪文書というものも、その雰囲気がある。詐欺でも、訳のわからない長文が使われるものだ。コールセンターからかかって来る電話も長いなー。
4 月 5 日、映画「ひまわり」の音楽のギター編曲、ギター曲の中でもけっこうよく演奏されるものだ。もともとがギター曲だったような感じもあって、6 弦でおさまり良く演奏できる流れとなっている。編曲にも色々なパターンがあって、このギター曲の場合は「ひまわり」を彷彿とさせつつ、自由に弾いてみたという感じだ。それでいて、耳に心地よく、演奏する方もあまり苦労せずに弾ける。こういう編曲は素晴らしいもので、ギターのことをよく知っているなーと思う。我々素人は音をできるだけ拾おうとして、自分では満足に弾けない編曲に陥ってしまいがちだ。シンプルに美しく、これは物理学にも言えることなのだろう。長い論文はたいてい、あまり内容がない。時として BCS の原論文みたいなのが世に出て来はする。
4 月 4 日、入学式の光景が次々と X ポストされて来る。場外では色々な団体がビラ配りしているようだ。昔の学生運動の流れを汲む団体も、いくつか見える。何十年か前までは、本当にヘルメットを被ってビシッと立っていたりとか、そういう光景も目にしたのだけれども、最近ではなかなか難しいところがあるようだ。部活動で防具やユニフォームを着込んで、新入生を囲むのは定番の勧誘風景だ。運動部の方々は健康診断の行列にも出没するらしい。午後はそれぞれの学部に分かれてのガイダンスとなる。大学で思うところがあるとするならば、専門科目があまり急には学べないこと。少し勿体無いなーと思う。キャップ制とかいうものにも、個人的には反対。規則には従って働くけれども。
4 月 3 日、花冷えの北東風が吹いていて、時折、にわか雨が降る。そんな天気だけれども、桜は満開で、地域の人々がキャンパスに花見にやって来ている。スタバ巡礼の方も、よく見かける。百年記念館が、よく知られた撮影スポットになっていて、相乗効果があるらしい。そのついでで (?) 神戸大学の良さも浸透すればと思う。桜で気になるのが、周囲の木々との干渉だ。落葉樹である桜は、冬の間に常緑樹に空間を占拠され易くて、あちこちで窮屈な植わり方になっている。庭木を植える時には、成長に応じて間引くか、大木にしないものは小さく管理するなど工夫が必要たなーと、桜を見ていて感じる。植物は植えるのが簡単で、管理するのが難しく、誰も処分できない・しない、世の中の縮図である。
4 月 2 日、神戸大学の近くには幾つかのケーキ屋さんがある。たいてい、割と交通量の多い道路に面した場所で営業していて、それぞれ個性的なお菓子を販売している。その中に、激安のケーキ屋さんが一つあって、その周辺でお菓子屋さんが開店しても、たいていは閉店に追い込まれる。どうやったら、あれだけ安くケーキを作れるのか不思議でもあるのだけれども、よく流行っていて何年も、記憶にないほど昔からずーっと営業している。少し離れた場所にある焼き菓子のお店もまた結構な低価格路線で、灘区は安価な地域なのかもしれない。東灘区は雰囲気が全然違う気がするし、芦屋市は言うまでもなく。
4 月 1 日、新入生がたくさん健康診断にやって来る。そこに群がるのは、チラシを手にしたサークルや部活動の面々。新入生はまだ高校生っぽい雰囲気が残っている方が多くて、勧誘している「青年たち」とは何となく見分けがつく。これから4年間は、そして多くの学生は6年間くらい大学に通うことになる。思うに、こうして大学生がたくさん居るのも、労働賃金が安いからなのだろう。我々、団塊の世代が労働人口から外れた頃には、働き手不足になるのかも知れない。そして労働賃金が上がり、大学での学習と勤労を天秤にかける時代となるのかも知れない。いや、減った労働者はロボットが埋めるだけなのかもしれない。ともかくも、近未来を支えるのは今日の新入生たちなのだ。
3 月31日、今日から生協食堂のご飯が値上げとなる。丼に山盛りの特大ご飯の場合、2 月以前の価格に比べて 110 円も高くなるわけだ。主な原因は報道されたり SNS で話題の通り、高騰している米価にある。もう一つ見逃せないのが労賃の増加。数年先には最低賃金が時給 1500 円となる目標が立てられていて、長期金利もまた 2 パーセントにジリジリと近づきつつあり、継続的なインフレの世の中に突入している。公務員や教員の給与は ... まあ税収も上がらず国庫は常に赤字なのだから無理難題を突きつけても仕方ない。そもそもお金というのは常に相対的なもので、ある日突然、お金の額面が 1/10 になるデノミを実施しても社会が変わるわけではない。もっとも影響が大きいのが、貯めたり借りたりしている長期運用の資産で、そんなものには縁がないから「その日暮らし」をこれからも楽しもう。
3 月30日、日曜日に大学でゴソゴソ。その道中に、花冷えの花見を楽しむ。まだ緑色の葉が出ていなくて、桜らしい咲き始めの美しさがある。赤い色の葉と一緒に咲く種類の桜は、桜餅や桜茶を眺めるようで美味しそうだ。河津桜やおかめ桜はもう満開になっている。これらは新しい品種なのか、まだ大木を目にしたことがない。六甲山もうっすらと赤みを帯びた色になって来たので、山腹にポツポツと桜が浮かび上がる光景も、あと少しで眺められるだろう。ピクニックを楽しんでいる一行もチラホラと。けっこう寒いので夜桜は無理無理だろう。今日の夕食は暖かいものにしようかな。
3 月29日、春になると木々が芽吹くので、芽吹かない枝が枯れていることがわかる。こういう枝を切ると、断面のどこにも緑色が現れない。どんな大木でも、木は表面の一層で命を繋いでいて、そこが枯れてしまうと普通は復活しない。枯れ枝には菌糸が取りついて、キノコが生えたりして、だんたんと朽ちて行く。面倒なことに、この菌糸は生きている枝の内部へも伸びて行き、株の全体を枯らしてしまうことがある。桜はこのように傷みやすい木で、綺麗に花が咲いていても折れる寸前ということが稀ではない。これから葉が伸びて枝が重くなると、ある時ポッキリ。桜の老木には近づかない方が良い。綺麗な花は少し離れた方が美しいものだ。
3 月28日、実質的には今日が年度最後の勤務日。月曜日も、もちろん年度内なのだけれども、気分は既に新年度だ。ネットワーク関連の切り替え作業は結構色々とある。人々が移動すれば、空き部屋が出たり、新しく入居したりで、当然ながらネットワーク環境も再設定となる。それを誰かが裏で支えるというシステムは古いものだと思うのだけれども、全自動にするにはコストという壁があるものだ。DNS の設定もまた要注意で、今日的には DNS を意図して使う人は恐ろしく少数派だ。したがって、DNS の登録を眺めると、ほとんどが過去に設定したままの遺物となっている。使っていない登録は消してしまい、不要になったら固定 IP 自体を返上する、くらいで良いのかもしれない。セグメントという、ネットワークのまあまあ下層まで見えるというのは、近い将来にセキュリティーの観点から転換されて行くような気もする。
3 月27日、朝から大阪・梅田の、グランフロントの少しだけ南西にあるビルの一室で過ごす。まず最初に、入るべきビルを間違えてしまい、豪華なセキュリティゲートがあるフロアに迷い込む。そこに綺麗な受付係さんがいらっしゃって、目的地を聞くと「向かいのビルです」と丁寧に案内される。一等地に居を構える企業さんは、こういう贅沢なフロアにお世話係の人々を配置できるんだと、目が丸くなる。少なくとも教育機関とかお役所にはない文化だ。今日の用事は研究会。テンソルネットワークを使った研究と、その周辺で色々な話を聞いた。世の中、量子コンピューター実現へと着実に動いているんだなーと実感する。それが「人類を月に送る」ような感じでまず実現され、人々が実際に使い始めるまでには、人工衛星による中継からスターリンクへ至るような、長い道筋があるんだろうとは思う。
3 月26日、朝もどんよりとした霞み空のままで、日中はますます暑くなる。この暑さで、下草は伸び放題となり始めた。特に、カラスノエンドウのダッシュがすごい。もう花が咲いて可愛い豆のさやも見えて来ている。こういう具合に、春に一気に伸びる雑草は扱いが楽だ。そんなに根が深いわけでもないし、初夏の頃には全草の力を種に注ぎ込んで枯れ始めてしまうので、抜くのも簡単。一方で、ヘクソカズラなどツルになるものは、なかなかしぶとい。木の根本のように、どうやっても抜けない隙間からツルを伸ばすという頭脳戦 (?) の持ち主で、根気強くツルを引き抜くしか駆除の方法がない。それはそうと、昨日写した写真で、どうしても学部学科の同定できない人がいる。誰なのかを学生さんに聞いてみたらいいのかな。
3 月25日、卒業式の後、祝賀会と写真撮影が始まる。今年は、卒業式の時間が少し伸びたそうで、いつもよりも理学部に学生さんたちが戻って来るのが遅かった。まあ、そういうこともあるのだろう。写真撮影にも遅れた方がチラホラといたので、後で個別に、希望に応じて写真を撮る。こうしてたくさん撮り溜めた写真は、整理するのが大変だ。皆がやっているように、パパッとスマホで写真を交換するのが理にかなっている。写真は溜めるものではなくて、その時に交換する社交の道具なのだろう。ただ、保管してあるものはいつか AI に掘り出されてしまうので、うっかり流出しないよう、ウィルス感染には気をつけないといけない。消してしまうというのが、最も硬いプロテクトだろう。
3 月24日、明日は卒業式。今日はカメラ機材のチェックから。昨年、24 mm で撮影してみて、少しハミ出る感じもあったので、今年は 20 mm で撮影しようと、さてレンズを接続してみようとすると、あらマウントがない。まずい、別の場所にマウントを置いているではないか。機材のチェックは時間的な余裕を持ってというのは、こういう事もあるからだろう。当日だったら大汗をかいている所であった。望遠機材も少しは持っておく方が良いのかな。今日は昼過ぎから曇りになって、予報では小雨となっている。大きな F 値でマトモに写るかどうか、チェックできないのが少し気になるところ。明日は出たとこ勝負だ。桜は花開いてくれるだろうか?
3 月23日、夕食は思い立ってインド料理屋さんへ。神戸の人なら誰でも (?) 知ってる老舗で、少し昔には三宮と垂水に店舗があった、あのカレー屋さんだ。コロナの折に両店とも営業をやめて、今は少し落ち着いた場所で小規模な店舗を運営している。味は昔のまま、いや美味しくなったと思う。料理人の目の届く場所で間近に調理してもらうと、その香りが漂って来るというのも良い。皿を並べる音なども、心地よく響く。カレーはスパイスが濃くて、食べると体の中から香りが上がって来る。カロリーも十分にとれて、お腹いっぱい。次はもう少し辛さを up してみようか、薬効上がるかも。
3 月22日、公共の花壇などで土を眺めると、痩せた赤土であることが多い。察するに、何年放置しても土が減らないように、最初から砂っぽいものを用意してあるのだろう。腐葉土を入れると水もちが良くて、植物もよく育つのだけれども、有機物は細菌の働きで元の二酸化炭素と水に分解されてしまい、結果として分量がどんどん減って行く。その分だけ、毎年のように腐葉土を追加すれば良いのだけれども、そんな手間をかけるほどの資金も手間も、どこからも出てこない。近所の方が手を入れているような場所では、良い土が盛り盛りしていることもある。まあ、大切なのは植栽がその場所にあるということなのだろう。
3 月21日、新年度が近づいて来た。そろそろ、講義の準備に取り掛からなくてはならない。まずはリモート講義の設定から。ハイブリッドで抗議する場合にも、zoom ミーティングなどの設定が必要だ。カレンダーを眺めつつ作成したリンクをコピーして、今度は受講者向けの資料に貼り込んで行く。そして、最後に忘れてはならないのが、受講者向け資料を閲覧可能な状態にしておくこと。この、最後のひと押しを忘れると、事前に何を準備していても、誰も内容を読むことができないままとなる。来季の統計力学は、さて何をどう教えようか。どうも、等重率をそのまま持ち込むのは虚しい気がしているのだけれども ....
3 月20日、とある大学の、今年の入試問題には、水面付近で運動する物体が題材になっている。この設定は浮力を扱う物理の問題では定番のものなのだけれども、運動が絡むと結構いろいろ気になることがある。水面で波が起きたり、自ら抵抗力を受けたり、そして最も忘れ去れらやすいのが仮想的に増加する物体の質量。流体の中で物体が体積を持つと、その形状によって大きさは変化するのだけれども、物体の移動に伴って流体を移動させる必要があり、その運動量は物体に与えられた力によって発生する。結果として質量があるように振る舞う、そんな感じだ。もちろん、こんな事は高校物理では教えないので、出題文にはそういった影響について考えるなと釘を刺しておく。ちなみに、水面から飛び出す物体でよく研究されているのが水中発射ミサイルだ。荒天で大波の海でも、発射したミサイルはちゃんと飛び出して行かなければ、兵器としては使い物にならない。その畑の人々とは交流があまり無いのだけれど。
3 月19日、昨日の夕方に突然 (?) 嵐がやって来て、今朝は冬っぽい天気に逆戻りする。時々、みぞれっぽい雨が降る、寒気が支配する空模様だ。雨が降ったので、畑の水やりは不要、折れたネギの葉っぱなどを片付ける。こうやって風が吹き荒れるのも悪くはなくて、木々の枝葉が互いにぶつかり合って、込み入った場所は自然と折れて隙間が空く。風でもつれたような場所があれば、そこは枝ぶりに問題がある箇所なので、剪定の対象であると自然が教えてくれる。こういうことは学問でもよくあることで、幾つかの角度から議論が伸びて来て、巡り合った時に矛盾があれば、土台がおかしいか、あるいは演繹の過程に飛躍がある。そういうイベントから、現代物理学が遠ざかっているような気もするのだけれど。
3 月18日、魚のウロコを取ってみると、おおよそ丸い形をしていて、互いに重なっていることが理解できる。コップの底に敷く丸いコースターがズラリと並んで、重なっている様子を思い浮かべると良いだろうか。そんな重なりの中にも、数学が潜んでいそうだ。例えば、薄い円板 4 枚を縦横 2 x 2 に重ねる場合、上下関係に順番がはっきり付くような重ね方は、ええと、6 通りくらいある。これが 3 x 3 だとか 4 x 4 だと、どうなるのだろうか。パッと思いつかない所が、この手の敷き詰め問題の面白い所だ。おおよそ予想が付くのは、並べ方の場合の数は枚数に対して指数関数的に増えて行くだろうという、定性的な記述にとどまる。そんな予想の中にも、では指数関数の指数は幾つなのか? という問いかけが存在する。いよいよテンソルネットワークの出番だ。似たような問題設定が、積み重ね型のゲームにも存在する。テトリスの落とし方の場合の数は、どれくらいあるのだろうか?
3 月17日、夜半に強い風が吹いて、そのまま冬に戻ってしまった。今年の春一番は、もう少し先になりそうだ、3 月の末に桜が咲き始めるのと、どちらが先だろうか。今年は、卒業式に桜が間に合いそうにないので、卒業写真の撮影は神戸大学の旗を背景に撮影しよう。眺めだけは日本一と呼ばれる大学だけあって、海を見渡す風景も素晴らしければ、六甲山を背景にする空も美しい。どちらも、天気次第なのだけれども。まだ卒業式当日の天気予報は固まっていない。雨が降ったら、黒板を背景に撮影となる。ちょっと殺風景なのだけれども。今年は、撮影に参加しないのも自由、後ろ向きでの撮影、マスク着用など、色々なオプションを提示して、撮影を強要しないように心がけよう。今の時代、写真の 1 枚から映画が自動生成できてしまうのだから、レンズの前に立たせるにも、それなりの配慮が必要というか、必須である。
3 月16日、1日中雨の日。レーダーを眺めると、雨の帯が幾重にもなっていて、朝から夕方まで降ったり止んだり。そろそろ芋の芽なども動き始めるので、畑仕事をしたい所なのだけれども、小雨を我慢して作業していると本降りになって撤収、雨が上がったかなと作業再開すると再び雨が降り始める、ということを何度か繰り返して、とうとう意欲がゼロになってしまった。こういう日には、屋根の下で普段はできない農作業に勤しむしかない。まずはポット苗の整理から。何かが植えてあったはずのポットが枯れて土だけになっていたら、箱に古土を出して、新しい土をポットに入れて水やりして、次の種まきに備えるのだ。今からの季節だと、何を用意すればいいのかなー、キュウリなど、そろそろ室内で苗にして行こうか。
3 月15日、三里塚から野菜が届く。今回は菜葉の類が多い。もう春なので、ブロッコリーなどはだいぶん伸びている。小松菜も、芯のところに花が付いていて、そのまま花瓶に活けると花が咲きそうだ。ホウレンソウは比較的小さな株でやって来た。冬の時期のホウレンソウは甘くて美味しい。産直の野菜は、土を落とす水洗いが楽しい。何というか、水につけると花のような香りが上がって来るのだ。植物の表面には、色々な香りが付いていて、虫や動物を引き寄せたり撃退したりしているのだろう。そういえば、人類が野菜を食べるようになったのは、どういう経緯なのだろうか? サルが果物をよく食べるという話は聞くのだけれども、草も食べるのだろうか。そんなことを考えつつ、洗い終えた野菜をブツ切りにして、鍋に入れる。
3 月14日、鼻詰まりで口呼吸のまま、あまり眠らずに朝を迎える。こういう時は、海外旅行にでもやって来たと思って、動ける限り動くしかない。エネルギー切れになると、恐らくは座ったまま居眠りすることだろう。今日の午後には、海外からのお客さんを最寄駅からホテルまで案内するガイドを行う。研究の打ち合わせは、疲れも取れるであろう週明けからにしておこう。その後は散歩したい所なのだけれども、花粉は相変わらず飛びまくっていて、屋外でウロウロする気にもなれない。さっさとオフィスに戻って、新年度に向けて雑務 (?!) を色々と仕上げてしまうことにしよう。
3 月13日、朝の冷え込みが全くなくて、日中は半曇りながらぐっと暖かくなる。花粉も飛びまくっていて、杉の木だけを選んで切り倒すドローンを本気で開発するぞと、メラメラと心の炎を燃やす。燃やすのは心だけで良くて、山を燃やすと生き物も含めてことごとく炭にしてしまう。野焼きにできるのは、山の頂に丸く草地があるような場合だけだ。屋外に長居は無用、オフィスで黙々と遊ぶ。そういえば、研究者として働き始めた頃、定年間近の教員はなんてダラダラと雑務をこなしているような、遊んでいるような日常を過ごしているのだろうかと、疑問に思ったものだ。そういう年齢になると、おおよそエネルギーが枯渇して来るのだ。ちょっとカツを入れないと。
3 月12日、散歩していて、最近よく目につくのが生垣のように植えられた植栽。植えてある本数が半端ではないので、大抵はバリカンで刈り込み剪定してある。針葉樹の場合、穴が空かないように刈り込むと深くは切れないので、だんだんと大きくなって来て、道にはみ出してくる。広葉樹も、毎年のように同じ深さで狩ると妙に迷走する枝が表面を覆い尽くして、仕立てもヘッタクレもない状態となる。それでも、葉が茂る頃には矛盾が全て緑で覆い尽くされて、遠目には何となく植木として立派に見える。生垣というのは、そもそも、こういう雑なものなのかも知れない。綺麗に剪定されている木は、大抵がお屋敷に生えている。シーズンごとに庭師を呼べるくらいでないと、多数の木を美しい枝ぶりには整えられないのだろう。大学に生えている木々も、何となく乱れたものが多いなー。さてどうしたものか。
3 月11日、午前中は雨。曇りの予報が出ていたけれども、少しばかし雨雲が北上したようだ。午後になって雨が上がる。この時期の雨は花粉を洗い流してしまうので、とても有難いものだ。毎日雨がいい。天気予報を眺めると、今週はそこそこ雨が続くらしい。いよいよ菜種梅雨本番なのだろう。神戸の街を眺めると、煙突からたなびく煙は西に流れている。前線の北側に入った東風だ。少し上空の雲は北から南へと六甲山を越えて吹き、雲に隠れて見えない上層の大気は偏西風そのものの西風。暖かくなって来て、大気の運動もダイナミックになったなーと感じる。廊下の掲示は、すっかり後期試験の準備モードになっていた。
3 月10日、合格発表の日。昔は、合格したら次々と tweet してくれたものだけれども、今は鍵垢が主流な時代、なかなか表に出てこないし、ハンドル名のアカウントでも X ポストしてくれない。ごく一部の、昔はツイ廃と呼ばれた人種のみが、合格の喜びを流してくれる。これに対して、あらゆるサークルなどから反応があって、怪しい DM も流れて来る。実験的に、匿名のアカウントを立てて、ニセの合格ポストをしてみると、世の中の流れを実感できるであろう。そんな中で普通に日々を過ごせるのが今の世代なので、我々ジジイババアとは政治経済に対する感覚も違えば、情報ソースも全く異なっている。今日のように、入試に対して合格発表という社会の仕組みは、いつ頃まで保たれるものなのだろうか。少子化がどんどん進めば、大学なんて入れて当たり前ということになるのだから。
3 月 9 日、レジでもたもたしない、というのが日常生活でのポリシーのひとつ。日頃から、生協のレジ通過をいかに速くするか? について耳にしていることから、自らレジで無駄な時間を作らないように注意をしている。商品を受け取って、ポイントカード登録も済ませて、カード決済してレシートを受け取って、さあ退散。その時に「カードお忘れです」と後ろから声が。やってしまったー。誰も後ろに並んでいないことが、せめてもの救いだ。でも、どうして忘れたのだろうか? と、時系列で記憶をたどって行くと、余計な画像記憶が出てくる。店員さんがネームプレートを外してデスクに置いてあり、ネームプレートを着用していない店員さんがスラッと見えて美しいなーと思ったような、思わなかったような。この瞬間に、カードの存在が認識から消えたのだ。君子危うきに近寄るべからず。
3 月 8 日、大学への坂道を登るときに、息を吸って吐いて、それだけの酸素で何十キロもある体を持ち上げる程のエネルギーが得られるのだろうかと、ふと思った。待て待て、原動機付自転車は排気量が 0.1 リットルくらいではないか、人間は数リットルも吸えるのだ。エンジンは回転数で稼いでいるのだけれども、燃焼効率や排気の規制もあって最もパワーが出るほどは燃料を燃やしていない。そう考えると計算は合っていて、驚くべきは大気の濃さなのだと気づく。それほどにも濃い酸素を提供してくれている植物の光合成は、素晴らしいエネルギー変換なのだなー。この辺りから、生活に密着した化学や物理の問題が作れないだろうかと、そんな風に思うのが大学教員の習性なのだろうか。
3 月 7 日、晴れたと思ったら、昼前に雲が濃くなって来て、北東風とともに雪が降って来る。高気圧が北に位置する北高型になりつつあるのだろうか。気温も 6 度くらいまで一時的に下がって、サボリ散歩、いやいや理論物理学の非演繹的考察の歩み (?) から急いで戻る。すると雲間から青空がのぞいて、陽光が戻って来る。何とも言い難い春の天気だ。こうして、少しは降水量もあるので地面は湿っていて、ますます木々の芽が大きくなって来た。桜の開花はまだ遠くても、遠目に見た桜林はすでに赤紫っぽい色になっている。桜餅でも仕入れようかなー、お茶菓子も桜色になって来た。
3 月 6 日、晴れると花粉が飛んでくる。スギ花粉のスギは針葉樹で裸子植物。本来であれば、温かい地方では被子植物の生えないような条件の悪いところでヒッソリと育つか、あるいは寒い高所で群生するか、そんな生え方をするはずなのに、なぜか山を見渡すと結構生えている。六甲山は一度はげ山になって、後から植林されているからなー。六甲山に限らず、戦後どんどん植林が続いて今日に至る、方向転換しても修正には半世紀は軽くかかるか。今日は、ちょっとカイズカイブキと呼ばれるヒノキの仲間と付き合う。けっこう枯れ枝だらけになっていた。芽吹きが紅葉樹とは全く違うなーと感じる。植物の進化は面白いものだ。
3 月 5 日、とある場所で、屋外の階段が二方向に分かれていて、片方はよく利用されている。もう片方は、ほぼ利用ゼロ。珍しいことではないのだけれども、利用のない方の階段はというと、植栽に邪魔されてマトモに登ることができない。そんなことに気づいてしまうと、何とかしようと考え始める。まあしかし、そういう場所はどこにでもあるよなー。管理権と管理責任といいうものもあって、ウカツには手を出せない。そういえば、法律相談などで、隣の家から越境して伸びた枝に果実がついた、そんな案件があったっけ。市民に親身に相談に乗る弁護士さんは、またある時は犯罪人の弁護もする、職人だなーと思う。階段の場所は、眺めるだけにしておこう。
3 月 4 日、MacOS を長く使っていると、昔に乗り換えを済ませて、今は使っていないデバイスの情報がずーっと Apple Account に貯まったままとなる。乗り換えた時に、こまめに消すべきなのだけれども、気づかずにそのまま放置してしまうのだ。何となく MacOS の調子がおかしいなーという場合には、まずこの部分を疑ってみる必要がある。というのも、iCloud の同期をデバイス間で取ろうとする場合、デバイスの数が増えると相互の認証の手間がどんどん増えて行くからだ。この点に気づいて古いデバイスを消して行くと ... 一時的には最近の不調が消えたのだけれども、しばらくするとまたまた復活。メンテナンス計画はまたまた頓挫。
3 月 3 日、朝から某業務。というか、朝だけ某業務。それなりの役職に就いていれば1日中が会議などの業務なのだろうけれども、幸いなことに、ひなびた准教授の身で後は定年を待つばかりなので、その後は予定が空いている。今年こそ e-Tax で確定申告を済ませてしまわなければ。昨年はカードリーダー云々の段階で挫折して、例年通り紙での申告となった。今年こそはと、イソイソと始めるも、あの独特のインターフェースに再度辟易とする。少なくとも、ブラウザーとスマホの 2 つ使い出なければ作業に入る気がしない。こういうソフトウェアデザインも、丸投げで中抜きなんだろうかと、ふと思ってしまうのである。仕方ないなー、世の中が昭和の三大⚪︎⚪︎査定から、そんなに変わるはずないのだから。
3 月 2 日、痒い痒い足元は置いておいて、今日も畑仕事を頑張ろうと思っていたら、雨がぽつりぽつり。雨の日に土の作業というのは不毛なので、切り上げる。職場へノコノコと出かけて、日頃サボっていた締切のある業務などを粛々とこなして行く。日曜日は何だか作業が捗るものだ、早々に仕上がったので、ひな祭りの買い物に出かける。別に何かを飾るわけではないのだけれども、この頃にしか出回らない食材なども多いし、運が良ければ大粒ハマグリの半額品などにも出会える。ハマグリの足は本当に美味しいので、貝を開いて、そこだけ切り取って生で味わう。残った部分は加熱して ... そんな想像をしつつ売り場を歩くも、半額どころか完売。自然な海岸が生活から遠くなって、砂浜が減っては仕方がない。川が綺麗になりすぎたという説も。代わりに、伊達巻などを仕入れる。甘くて美味しかった。
3 月 1 日、畑でボチボチ作業する朝が暖かい。とても気持ちよく作業していると、何やら目の前をチラチラと飛ぶ黒い影が。ヤブ蚊にしては時期が早すぎる。大したことないだろうと思ったのが間違いで、やがて足首の裏が痒くなって来る。何にやられたのだろうかと、よく見ると赤い点が。アンラッキー、これぞブヨ。地方によってはブユとかブトとか呼ばれる面倒なやつで、蚊とは違って痒さが引かない。寝ぼけて夜半に掻いてしまうと、ますます痒くなるのだ。刺されてしまったものは仕方ないので、気にしないことにして、作業を続ける。農作業も防寒対策から、防虫へとシフトする頃になったとのだ。ミントオイルを常備しておかなくては。
1 月と 2 月の1行日記