← 3 月と 4 月の1行日記  

2 月28日、朝から曇りで、昼過ぎに少しだけ雨が降る。暖気が入って来て、木々の芽が膨らんでいるのが目に見えてわかる。桜の木は、遠目にも桜色になって来た。今の時期が、木としての枝ぶりが一番よくわかるものだ。条件の悪い場所に出た枝は自然に枯れて、光も風通しもある場所に新しい芽が膨らんで来る。そういうわけで、今が植栽管理には都合が良いのだけれども、雨で湿っていては、冬の間に積もったホコリなどが泥っぽくなって作業がし辛い。今日は畑仕事もお休みにして、雨読というか、雨の日の研究に勤しもう。いやその前に、APS を目指してドコドコ投稿されている arXiv 検索から。

2 月27日、入試が終わった学内は、今日も静かだ。何人か教員の姿が見えないような気もするのだけれども、まあそういうことなのだろうと思う。近辺の不動産屋さんには、いろいろな物件が貼り出されている。昔は、A4 のシートを眺めて見比べたものだ。今ではもう、ネットで閲覧するのが当たり前となっている。どこの不動産屋さんがオーナーに一番近い所に位置しているか? という所から、検索する人までの一連の枠組みが整備されて、落ち着いたということなのだろう。合格を確信した受験生なのだろうか、それとも在学生の住み替えなのだろうか、不動産屋さんの車もポツポツと見かける。コロナ騒動の年には、かなり遠くの自宅から、ときどき通学という学生もいたなーと思い返すと、今日の平穏はありがたいものだと思う。

2 月26日、ふわっと暖かい朝になった。このまま昼も気温が上がって ... と思いきや、まだ上空の風は強いようで、雲が西から東へと流れている。流石に雪が舞うことも、にわか雨が降ることもなくて、直射日光を浴びると暑くさえ感じる。如月と昔の人が言う天気なのだろうか。今日は、ちょっと某所にお邪魔して、日頃の研究について短く語ることになっている。一般公演に近い形になるのだろうか、あまり慣れていない発表形式で、出たとこ勝負という感じもある。何か一芸を持っていれば良いのだろうけれども、YouTube のギター映像くらいしか出し物がないので、まあそれは封印しておこう。物理学を少しでも好きになってもらえれば幸いだ。

2 月25日、天気予報通り暖かなというか、風のない穏やかな朝になった。のこのこと起き出して、まずは畑の水やりから。陽の当たる場所ではもうスイセンが満開になっている。朝の電車では、受験生が最終チェックの臨戦状態。阪急六甲駅には予備校の先生の姿も。神戸大に focus して教えている学習塾もあるのだなー。交通機関の乱れも特になくて、スムーズに受験会場へと進めたのではないだろうか。合格したら、毎日のように登る坂道は、どのように感じられただろうか。神戸大学に通うようになると、余程のことがない限り、大抵の大学の坂道と称されるものが坂でも何でもなくなる。これは東京の坂道も同じで、道玄坂とか渋谷とか赤坂とか書いてあっても、なだらかなスロープに過ぎない。知らない間に、毎日のように体を鍛えていたのだ。受験生は頑張って。

2 月24日、畑のあぜ道などを管理する時に、どこにでも生えているのが、モッコク、モチノキ、ナンテン、シュロ、クスノキ、etc. ともかく鳥が実を食べて糞として落とされた種から、どんどん芽が出てくる。放置すると、あっという間に薮になってしまうので、見つけたら抜き取るのが吉。どれも強いので、抜き取った株を植えると、枯れずにまた育って来る。つまり移植できるわけで、モッコクなどはイザという時のために集めておくのも良い。どうせならばザクロでも生えて来て欲しいのだけれども、出会ったことがない。日陰ではシダがどこからともなく生えてくる。これは、毎日のように吸ったり吐いたりしている空気の中を胞子が漂って、落ちた先で複雑な過程を経て発芽したものだ。そう考えると、抜き取るのも何だか可哀想な気もする。園芸は気の迷いを楽しむ芸なのかもしれない。

2 月23日、最高気温は 10 度以下のままだけれども、風が弱くて暖かい1日になった。今日の思案は縄張り。縄というか、ロープが一本あった時に、それで囲える面積を考える問題だ。もちろん、土俵のように丸く縄で囲むと面積最大となるのだけれども、証明するとなると面倒が先に立つ。そもそも面積の概念を曲線に対してどう考えるか、という所から扱い始める必要がある。小学生に考えてもらうと、どんな回答が戻ってくるのだろうか? 四角と三角で比較してもらえるのだろうか。三角形の面積は底辺と高さの積の半分と習っているはずだから、質問の意図さえ理解してもらえれば、試行錯誤や工夫をしてもらえるはずだ。もちろん、初等教育では質問するという言葉のやり取りの中で、意思の疎通を図ることから始める必要があるけれど。

2 月22日、バッハのオルガン曲 BWV531 は、若い頃のバッハの作と伝わっている。最初に聴いた時には、これがバッハの曲? と思ったのだけれども、よくよく眺めると同じモチーフがパターンを変えて次々と攻めてくる所は確かにバッハだ。当時のオルガンの音域が狭かったのだろうか、おおよそ譜面のままでギター演奏することができる。その時代だと、ひょっとするとリュートの方が楽譜の上での最低音は低かったかもしれない。オルガンには色々な音色のストップがあるので、ギター演奏する場合にはオクターブをわざわざ押さえたり、高い音域に移したりと、よく響かせるには色々と工夫が必要だ。いや、まあ、オルガンがそもそも、レジストレーションやら弾き方やらと、工夫が必要な楽器だった。収録できるように良く練習しよう。

2 月21日、通勤で都会を通過する生活で、うっかりハマり込んでしまいがちなのが半額セールに手を出すこと。いや、半額のものを購入する事には何の問題もないのだけれども、半額を目的にして特定の店に通うというのが、すでに術中にハマっているのだ。半額になりそうな時間帯になると、三里に灸をすえる心持ち?! になって、そわそわ、いそいそと売り場へ向かい、今日は大漁だったとか、もう何も残っていなかったとか、博打と全く同じ心境へと誘い込まれてしまう。結果として支出は増えるばかりだし、翌日の食事の選択肢が賞味期限切れの半額品ばかりとなる。よくよく考えると、基本的な調味料と米や粉、野菜や肉があれば何でも安価に作れてしまうのだ。まあ手間はかかるのだけれども、これまた半額品目当てに店に向かう手間とあまり変わらない。今日は手を出すまい。

2 月20日、いつも利用する食堂の南側に、一見すると丸くて綺麗な、小さな植木がある。よくよく眺めると、ほとんどが枯れ枝で、生きている枝が絡まっている。ちょっと様子を眺めると、根本からすごい数の枝が強く立ち上がって、互いに絡むように育っていて、園芸的には全く良くない状態となっていた。そこで、次々と変な枝を抜いて、春にツルが出て伸びれば仕立て直しができる状態にまで持って行った。まあ、これは大したことがない。真の問題は、少し離れた場所にあるツツジ。大株で綺麗に見えるのだけれども、内部にイバラが入り組んでいて、パッと緑に見える部分の半分くらいがバラの枝だ。今日の仕事もあるので、こちらはまあ先送りしよう。

2 月19日、お昼過ぎに雪が舞った。晴れた空から雪が落ちてくるような感覚で、もう春の雪なんだなーと、しみじみ思う。昔、スキー場の宿の人が語っていた言葉を思い出した。「もう春の雪。少しだけ湿っている。」パッと見には見事なパウダースノーなのだけれども、毎日のように雪に接していると、氷の世界の中にも季節の移ろいがあるのだろう。仙台では道端にたまった氷の砂が、融けたり、また固まったり、そんな風景も目の当たりにしたなーと。そんなことを考えている内に、さっさと雪が止んでしまった。地面が少しだけ湿り気を増していて、下草が勢いを増していた。

2 月18日、普通に冬の寒さが戻って来た。よく晴れているのだけれども、山越えの寒気で雪が舞っている。キラキラと輝いて美しいけれども、まだ春が来ないのかなーという気もする。これから1週間くらいは寒い天気が続くらしい。その間の畑作業はぼちぼちだ。寒い時には有機肥料を撒く程度の作業にとどめておくのが良い。じわじわと分解されて、少しずつ植物の栄養となるし、一気に腐敗することで目立って臭くなることもない。こんな寒さの中でも、地面はすでに雑草が覆い始めている。カタバミは、こんな寒さでも育つのだ。光が当たった地面は意外と暖かいのかも知れない。買い物に出ると、野菜はまだ高値のままだけれども、段々と株や玉が大きくなっていて、実質的には価格が下がって来た。お日様はありがたいものだ。

2 月17日、学内で、あちこちの Home Page が更新となっている。スマホに対応する画面への切り替えが主な目的だ。だいたい、Home Page は検索あるいは公式文書などの所在確認のために存在するようなもので、作ったら放ったらかし、ということも稀ではない。自分の Home Page も、もう 20 年以上、放置したままだ。公式な (?!) 個人ページに貼ってある写真は 30 年前のもので、それを閲覧して姿を想像してもらうのは詐欺に近い。SNS のプロフィール写真とリンクするというか、そもそも同一の情報についてアチコチに分散して更新というのが面倒の要因だ。この辺りは、まだまだこれから情報の取り扱いの「器づくり」が進んで行くのだろうと思う。さて、今日は届いた mac mini をサーバー用に設置しなければ。

2 月16日、ふわっと暖かくなる。これでスイッチが入ったのがアジサイの芽。特に株元にある芽が膨らみ始めた。そして、冬の間も付いたままだった葉がようやく枯れ始めた。明日からはまた気温が下がって行くらしいのだけれど、一度入った芽吹きはもう止まらないだろう。何より、日照が強くて南面では寒さを感じない。大学の中庭にあるツバキ? サザンカ? も花芽が丸々と膨らんでいる。よくよく眺めると、徒長した枝が幾つかあって、樹形を崩しているのだけれど、そういう先にも花芽が付いているので、まずは花を楽しんでからの剪定作業となる。しばらくは毎日、樹形をよく見定めておこう。元気な枝には、芽が次々と吹く一方で、弱い枝はもう枯れそうになっている。同じように中庭に生えているクヌギか何かの木は、春芽を吹く前に下枝を一段だけ整理する必要がある。生協食堂の前にある木も徒長しているので、人の居ない時に整理しておこう。

2 月15日、三里塚から野菜が届く。産直の草分けとも称される野菜で、今ではモダンにビニール袋や新聞紙などで包まれて、綺麗に段ボール箱入りで送られて来る。今回も色々な野菜が入っていて、次々と水洗いして土を落として、中華鍋で下茹でして調理に回す。下茹でしただけでも美味しい。野菜くずも大量に出るので、鍋に放り込んで野菜汁を取る。これは何の料理にでも使えて、特にスープに加える水気の成分としては秀逸だ。アクの強い野菜くずとか、香りの強すぎる野菜くずは、乾燥させて土に還すと、そのまま有機肥料になってくれる。こういう土にはミミズやらハエの幼虫やら色々と潜んでいて、畑には鳥がよく飛んで来ては土を掘り返している。山の木の実などを食べ尽くしてしまい、餌が足りなくなっているのだろう。時には植えた野菜の苗がそのまま食べられてしまうことも。鳥は憎めないな。

2 月14日、バレンタインデーが今年もやって来た。スーパーマーケットに並んでいる商品を眺めると、何が何でもチョコレートというよりは、機会を作って小さなプレゼントを交換しましょうという感じのものが多い。大福餅のようなものも。大袋から小分けにして配るという義理は、令和の時代には似合わないものだ。やがては年賀状と同じような道を辿るような気がしなくもない。今日の日中は風もなく日照も十分にあって、上着なしで散歩しても大丈夫。特に気温が高いわけでも無いのだけれども、もう冬の寒さには慣れてしまったのかも知れない。油断すると、手がバリバリになるので用心してはいるけれども。

2 月13日、いろいろな場所の植栽を眺めていると、最初の植栽設計がマズい場合によく遭遇する。最も目立つのが、植え込みできるスペースのキワキワの場所に植えられた株。そんな場所では丸く広がることができないので、越境するか、壁があると早々に枯れるか曲がって育つか。察するに、庭づくりした最初の最初から緑濃くあって欲しいという依頼主と、売れるならば売れるだけ苗を見積もって植え込んでしまおうという業者の思惑が一致したのだろう。やがて時が経つと、密に植えられた株は互いに絡み合い、トンデモナイ状態になってしまう。植栽は、ホンの少し未来を想像して管理することが大切だ。そういう目で見ると、人材というものは ...

2 月12日、修士論文審査の司会者を朝に担当。司会者はタイムキープや、その場の雰囲気作り、発表者への便宜を図る、そんなマルチな奉仕係だ。伝統的には、講演・発表のタイトルと、発表者を読み上げるのだけれども、それだけで 1 分弱は時間を食ってしまうので、私が引き受ける時には「始めてください」の一言だけに留めている。そんな司会の方法もあるのだ、と、気づいてもらえればと常々思っている。何事にも絶対はないもので、そもそも聴衆が集まっての発表会という形式が、どれくらい未来まで続くのかは予測できない。今を生きるその今から、少しずつ無駄を省くことで、段々と物事が変わって行くのだろう。そう信じている。

2 月11日、建国記念日。今日は市バスに国旗が掲揚されている。建国記念の行事が昔はあったと、小学校では教頭先生クラスの先生方から何度も聞いたものだ。祭日だけれども学校に集合して、建国を祝ったのだと。子供達が多くて、人口がまだまだ増えて行く時代ならではの未来への希望があったのだろう。今は、人間はあまり増えなくなった一方で、人間っぽい機械があたりを埋め尽くす時代になって来た。そのうち、機械が機械を設計・製造する時代になって行くのだろう。察するに、そのプロセスで結局は機械が文化を会得して、建国を祝うようになるのではないだろうか、そんな未来への夢を見つつ、祭日ならぬ平日を過ごす。arXiv は待ってくれない。

2 月10日、果物の皮むきをしていて、ふと包丁の一部しか使っていないことに気づいた。長い包丁だと、きっ先からアゴまで長く長く刃が使えるではないか。というわけで、すーっと刃を引いたり押したりして果物の皮をむいてみた。慣れない作業なので、刃が滑らかに切り込んで行くだけ刃を慎重に移動させる。ちょっと怖い感じもあるのだけれど、切り口はとても綺麗で、角が立っている。こういう切り方もあるんだなーと思いつつも、これを超スピードで繰り返せるまで修行するかどうかは、思案のしどころだ。下手をすると、スルッと刃が滑って、痛いことになる。いや、それは力加減に修行が足りないだけか。刃物つかいは奥が深いなー。

2 月 9 日、朝の路面は見事にブラックアイス。アスファルトがキラキラと光るのは綺麗なのだけれど、そこを歩くのは別問題だ。足を置くとバリバリという感じの音がする所はまだマシで、何も引っ掛かりのないツルツルの場所では、足の長さや幅でバランスが保てる範囲で、そっと耐えるしかない。今日も六甲駅からそんな路を進んで大学にやって来ると、辺りはシーンとしている。一部の学生を除いて、試験も審査も終わってしまって、春休みに入っているのだ。でも、まだ教えるべきことが多少は残っているので、最後のひと押しをする。近々やって来る本番に、うまく反映してもらえると嬉しいな、と思いつつ。山から降りる頃には氷も解けて、駅のホームには乾いた融雪剤の粒が転がっているだけだった。神戸では滅多にお目にかかれない光景だ。

2 月 8 日、今日の目的地は御影の丘の上。でも定期券は阪急六甲までなので、日常そのままに六甲駅で降りて、いざ御影山手を目指す。最初は西へと、ほぼフラットな道を親和学園まで進み、そこから坂道登りとなる。途中で公園へと続く、金網に囲まれた細道へと入って、しばらくの間は住宅地を少しずつ西へ、そして時々は北へと登って行く。やがて病院の裏の道へ出て、そこから先は短い下り道となり、目的地の附属中等教育学校へ到着。今日は 40 分かかった。これまで何度も「行き止まり」に遭遇して来た経験もあって、今回は迷いが少なかったかもしれない。と、油断していたら、ひと仕事済んだ後の帰り道では見事に「行き止まり」に阻まれて、4 分ほどタイムロスしてしまった。幸い、路面凍結が始まる前に帰途につけた。

2 月 7 日、柑橘類は春になると最初の芽を伸ばし始める。この春芽の中で、あまり強い勢いのない枝先に花が付くので、春芽をうまく伸ばせるかどうかが秋の実りに関わって来る。よくあるのが春先の強風で、芽が枯れてしまうこと。うまく春芽が伸びない場合には、やがて次の芽が出てくる。季節が進むほど芽吹きが強くなって来るのだけれども、その頃にはアゲハ蝶も飛んで来るようになるので、適当に初夏の新芽を食べてくれる。畑のビニールハウスに植えてあるミカンの木は、もう春の芽吹きを始めた。それだけ日差しが強まっているのだ。ハウスの中に蝶は飛んでこないけれども、雨が降らなければアブラムシが取り付くこともある。なかなか気が抜けない季節になって来た。今日は修士学生の中間発表だ。

2 月 6 日、卒業研究発表の日。4年生が、ひと回り大きく成長した姿を見せてくれた。予行演習の時にはどうなるだろうかなーと思っていた研究発表が、全体としてうまくまとまった発表に大化けしていた。発表練習も繰り返したんだろうなーと思う。こういう風に、定められた日時に照準を合わせて、発表の準備を卒なくこなすというのは、いろいろな機会を通じて既に鍛えられているのかも知れない。インターンシップとか、就職活動とか、大学院入試などが、その例なのだろうか。学生によっては、クラブ活動の発表や、自主セミナーでの経験が活きて来たのだろう。聴衆から constructive な質問があったのも良かった。

2 月 5 日、寒い冬よこんにちは。今週は、上空に寒気が居座るので、ずーっと冬型の天気が続くのだそうな。ただ、寒いとは言っても神戸で最高気温が数度、最低が -1 度までの浅いマイナス、つまり普通に冬の季節の気温で、真冬日になるとか寒気による降雪が続くという状況ではない。風だけはまあまあ強い。これもまた、故郷の香川県に比べると、そんなに強いものではない。思い出してみると、内海が北にあるというのが愛媛から香川、そして大阪の南部に共通する地形で、海から強い風が吹いて来る結果として、そんなに気温が下がらない。昔に通った大阪大学は豊中や吹田(今では箕面)にキャンパスがあって、あの辺りは軽く内陸になるので、都心よりも随分と寒かった。神戸大学で一番寒いのは名谷キャンパスだろうか。さあ、今日は明日の卒業発表に向けて、最終的な予行演習だ。研究室に来てるかなぁ。

2 月 4 日、ホワイトボードを壁に取り付ける。壁の表面はアルミ合金で、その下が石膏ボード。そこへ、タッピングビス 4 本で 2 m ほどの横幅のホワイトボードを吊るす。荷重的には十分な強度があるのだけれども、ガタガタと揺れるとビスの所が緩んで落ちる危険があるので、まずホワイトボードの四隅のアルミ枠に両面テープを貼り付ける。そして、学生さん達の助けも借りて、まずネジ穴を合わせてビスを緩く締め、ホワイトボードを壁に押し付けて接着。テープの威力は素晴らしくて、粘着力だけで 10 kg ほどのボードがビクともしなくなる。そして今度はテープを押すようにビスを締めて、作業完了。タッピングビスなので、ネジを切ってしまうと全てがパーというのが難しい所だった。軽く数年は大丈夫だろう、粘着テープの樹脂の寿命が来るまでは。

2 月 3 日、1月に感染したコロナは免疫により撃退。まだ肺活量が元に戻ってないような気がするので、毎日の登山で鍛える。神戸大学への登山道 (?) で要注意なのが、向かって来るスマホ歩きの人々。経験的には数メートル程度まで近づいて、ようやく気づいてくれる感じなので、判断時間は 1 秒くらいしかない。可能であれば、1 m 以上の「安全な間隔」を空けて避けて通りたいのだけれども、前後を歩く人々、ランニングなど走る人々や自転車は急停止できないので、徐行で何とかしのぐ事が多い。声をかけて何とかなることも稀にあるし、留学生の場合には声掛けしても反応ゼロということも。そう遠くない未来に、携帯情報機器が自動運転ならぬ自動歩行や近接警告を出してくれるようになるのかなーと、淡い期待を持ちつつ、今日もリハビリ登山を楽しむ。

2 月 2 日、恵方巻きを作る。まずは午前中に具材の調理。水で戻しておいた干し椎茸には酒味醂醤油と砂糖を加えて、あとはじっくりと加熱するのみ。穴子も酒味醂醤油砂糖で、こちらは少し甘辛く、やや短時間で仕上げ。かんぴょうには、ダシも追加して味を含ませる。この調理用に取ったダシで、昼食は雑煮汁とご飯で一息つく。やがて、おやつ時から調理を再開。今度は卵から。厚焼き卵はけっこう難しい。パッとひっくり返す技量はないので、ハシで半分に切ってから、それぞれを持ち上げてひっくり返す。お米を洗ってご飯を炊いて。寿司酢を作るときに、1 合あたり 20 ml から 30 ml の酢が必要なのだけれども、どれくらい酸い味にするのか、甘さはどれくらいなのか、具材と合わせて考えて行く。海苔は、海のものだけあって、実はけっこう塩辛いのだ。あれこれと考えつつ、最後は巻き寿司を作って恵方へ向かってモグモグ。食後にスーパーへ買い物に行くと恵方巻きが山積み半額になっていて、経済とはこういうものかと思った。

2 月 1 日、畑の横の庭木の剪定作業もだいぶん慣れて来た。今の時期だとバシバシと枝を抜けるのだけれども、去年のうちに花芽がついている樹木は切りすぎると花が咲かなくなる。それでも、からみ枝とか立ち枝とか車枝とか、放置しておくとますます周囲に害悪を与えるような枝は早いうちに除去する方が、後々のためにもなる。穴が空いた部分には、条件さえ良ければ周囲から枝葉が伸びて来て塞いでくれる。来週は凍りつく寒波がやって来そうだけれども、そのあとで突然に春がやって来たら、もう剪定の時期を逸してしまうので、今のうちに作業を進めておこう。

1 月31日、春のような陽気の日になった。気温は、そんなに高くないのだけれども、風がなくて日照が十分にある。こういう日には、何を差し置いてもスキーに行くというのが、北国で勤めていた頃の日常だった。(←過去を美化した妄想による誇張を含んだ表現です。)昔のスキーはサイドカーブが緩くて、突っ立ったままアウトエッジを雪に取られるとボテっと転んだ。その分だけ、体重移動の大切さを叩き込まれたのかも知れない。とは言っても、今のスキー初心者にそんな難儀な道具を薦める気にはなれない。この辺りは情報機器の進化に似ているだろうか、今さら unix を記述する c コードをんで OS を学べなどとは、とても言えない。そういう意識を持って研究室を見渡して、不要なものは廃棄して行こう。でも、陽気につられて散歩に出かけるかも?!

1 月30日、気がつけば月末、もうだいぶん日も長くなった。節分が近いのだ。バレンタインという奇妙なものが流行る季節でもある。何か、共通の価値観の下で、人々が一斉に何かを楽しむというのは、クリスマスやお正月などと同じように、昔ながらの慣習の一つなのだろう。チョコレートの製品になってから輸入されたものは、今の円安もあって、今年は結構な値段で売り場に並んでいる。まあ、昨今の高い人件費を賄うには、それなりの価格が必要だ。日経のサイトを眺めると、長期金利がジリジリと上がっている。先々、もっとインフレの激しい時代がやって来るような気もして来る、チョコレート相場を眺めていると。

1 月29日、今朝は地面が湿っぽい。昨夕から夜半にかけて、何度もとけかけた雪が降ったからだ。積もったか? というと、遠く遠くに見える六甲山系がうっすらと白くなっている程度で、海辺の塩っぽい場所では跡形もなく地面に吸い込まれておしまい。海が近いと、それだけ暖かい。有難いことだと思う。こんなに寒いのに、畑に植えてある植物の中には既に新芽を伸ばしているものがある。オリーブの芽って、こんなに寒い時期に吹くのだろうか。しばらく前に、暖かい日が数日続いたので、その時にスイッチが入ったのかもしれない。沢山咲いていたキクの花はもうおしまい。挿し木するまでもなく根本から広がるので、種を取って増やす気にもならないので、花が終わったキクの枝は堆肥に。まあ今日は寒いし、デスクワークに専念しよう。

1 月28日、聞き覚えのある曲をギターで演奏する時に、うっかりやりがちなことが、ともかく目立とうと技巧を盛り込み過ぎること。ひと通り編曲を終えて、通して弾いてみたら、継ぎはぎになっていて統一感ゼロということも。こういう、本筋に関係のない場所での過飾は芸事の定番なのかも知れない。金粉を振ってあっても美味しくないお菓子だとか、ディテールは凝っているけれどもデッサンの狂った人物画だとか。まずは基本に立ち返って、バスと旋律だけの流れを確認し、和声も把握する。この作業の中にも色々と発見があるものだ。コード進行はうまく行ったように見えて、内声が綺麗には流れていないというのは日常茶飯事。そもそもコードが取れないことも。ギターの場合、指が届かないとか、容易には演奏できないコード進行というのもある。そんな確認を経て、最低限のまとまりが保てると、飾るまでもなく、そのままで良い曲になっているものだ。聞き覚えのあるような曲は、そもそもプロが作曲してあるので、マズい曲であるはずがない。

1 月27日、校歌というものの扱いが、最近になって気になるようになった。楽曲なので、当然ながら作曲者がいて作詞者がいる。古文書から歌詞を取ったなどの例外もあるか。著作権の切れていないものもあれば、とうの昔に切れてしまっているものもある。楽譜が公開されている校歌、どこを探しても楽譜も歌詞もわからない校歌、YouTube に動画が上がっているもの、いないもの。校歌が歌われる時の伴奏はピアノが多い。伴奏のスタイルは、音楽教員が代々受け継ぐものなのだろうか、シンプルな曲が多いだけに、実は和声に幾らでも盛る余地が残っている。ジャズにしたりポップスにしたりロックにしたり、クラシック風に演奏したり。公の場では、そういう演奏はできないのだろうなーと、推察する。校歌は誰のものだろうか、卒業生なら歌っても、演奏しても良いのだろうかと、色々と思案する所だ。

1 月26日、パンジーの苗が届く。今時のパンジーはとても安い。ポット苗ひとつが百円を切っている。これに限らず、一度花が咲いた後のような、少し季節を外した苗木は安価に出回ることが多い。花が咲いたスイセンなども、これまたとても安い。年に一度しか咲かないので、蕾の付いた苗を買って開花を楽しむのが普通のパターンで、花が咲いてしまったら商品価値は落ちるばかり。とは言ってもスイセンはスイセン、しぶとくその場に居ついて、夏はひっそり耐え忍び、翌冬にいち早く葉が伸びて来る。何年も同じように花を楽しめるのがスイセンの良い所だ。パンジーに戻ると、日本では夏に枯れてしまうけれども、ヨーロッパの北の地域では夏もパンジーが咲いている。カモミールも同様。北国の夏はお花畑という感覚は、北国で味わうものなのだろう。日本の夏は朝顔でいいかな。

1 月25日、植栽の管理で最近になってようやく到達した見識が、地際というか、根本にアクセスできるように日々の手入れを行うこと。根本に何かが積もっていたり、雑草でボウボウになっていたり、枝が、それも枯れ枝が密に茂っていて手出しできない状態になっているならば、何かがおかしい。何もかもおかしい。木々を上から眺めただけでは、根本の妙さに気づかないこともあるので、しゃがんで良く眺めることにしている。そこに光が差しているかも大切なことだ。低木であれば、光があたれば芽が吹いてくる。根本からの枝というか幹は大切なもので、うまい具合に誘導すれば樹形を整えることが可能になる。この目標を立てると、根本から空を眺めて絡みまくっているような枝葉は、スパッと切ってしまう作戦に出ることが容易となる。というわけで、畑の木々を管理する午後であった。

1 月24日、大学入試問題の数学、案外難しいものが多い。単に解こうとするだけでは面白くなくて、まずは問題の背景から楽しませてもらう。代数の問題なのか、解析なのか、集合なのか。昨晩にチラリと取り組んだのは、フーリエ変換に関係した積分方程式であった。積分方程式という名称で高校数学に登場するかどうかは別として、大学入試問題には使っても良い題材の一つだ。面白いことに、関数が可微分であり導関数が連続とまで書かれている。アチコチ、飛び飛びの関数など考えなくて良いということだ。ルベーグ測度まで持ち込まないで下さいという、予防線でもある。数学は数学の問題なので、この辺りの厳密さは、高校生に提供する場合でも確保しておくのが大学入試の面白い所なのだろう。数学のことだから、詳しい内情は知らんけど。

1 月23日、共通テストの物理基礎の問題を眺めていて、並べられている文章のうちから正しいものの組み合わせを選ばせるという設問形式に目がとまった。これは良いアイデアだ。だいたい、こういう選択形式の問題を作る時には、誤答を苦心して準備しなければならない。間違った文章を堂々と掲載するのだから、5 つも 6 つも作ろうとすると段々と疲れて来るし、下手をすると間違っていないとも解釈できるようなものが出来上がってしまう。一方で、正しい文章は作成が楽だ。間違いと正しいものを同数くらい作っておいて、正しいものだけを拾い上げる組み合わせを選ばせる今回の試みは、問題作成のテクニック上も高く評価できる。また、文章量も減るので「正しい知識を持つ受験生」への負担が少ない。結果として学力が点数に反映される。素晴らしいではないか。

1 月22日、お米が高騰するくらい流通が逼迫しているのであれば、輸入米で良いではないかとノンキに考えていたら、一般的に入手可能な輸入米の枠については既に完売状態で、残っていないのであった。次に早場米が出てくる前に、さてどのように米を確保したものだろうか。幸い、大学は 8 月 9 月と夏休みに入るので、食堂で再び大量のお米が必要となるのは 10 月からとなる。夏休みの間は、カレーとか丼とかは「時価」にして、安いパスタなど麺類にシフトするのも一つの案だ。セルフのうどん屋を学食で目にする来る日があるのかも。でも、この高価な高価なお米、最後に誰かがババを掴むような気がするんだなー、買い占めた者は同時にリスクを負うものだ。

1 月21日、長年通っている大学でも、行ったことがない場所はたくさんある。他の学部の建物には、なかなか足を踏み入れ辛いものだし、下手をすると不審者そのものになってしまう。図書館や講義室など、学内の人々が普通に立ち入れる (?!) 場所でも、なかなか心理バリアがあるものだ。さて公道に接した部分から大学への入り口はどうだろうか? 神戸大学は丘の上にあるので、キャンパスの周囲はおおよそ崖か雑木林で、塀で囲むまでもなく立ち入れない場所が多い。こういう事情で、大学への入り口は全て知っているつもりだった。が、今日新たにひとつ、ヘンテコな場所を見つけてしまった。普段は使われていない通路なのだろうけれども、最近に捨てられたゴミも散らかっている。うーん、まあ良いか、そのうちあの斜面も改善工事の対象となるだろう。

1 月20日、共通テストの物理と物理基礎の出題を眺める。全体的に、暗算でどうにかなるような出題が減って、少しは紙の上で手計算しないと正答にたどり着けないようになっている。もちろん物理の出題なので、次元解析や各パラメターの極限を考えることによって、選択肢から正当を絞り込むことが可能だ。共通テストの初年次には、その程度で即答できる設問が目立って、これが物理の出題なのかと目を覆うような所もあった。継続は力とは、よく言ったものだ。段々と無駄がそぎ落とされて、本来の物理的な設問に戻って来た。大問の数は、センター試験の頃に戻した方が作問し易いのではないか、とも思う所はある。

1 月19日、畑の横の植木に目が止まる。長年に渡って刈り込み剪定されて来たサツキツツジだ。絡むように伸びた細長い枝先に、ほんの少しだけ緑があり、その下側には枯れ枝が積み重なっている、そんな状態。所々で表面まで枯れ込んでしまっていて、みっともない姿は何とも言えない。仕方がないので枯れた部分とか、花芽が付いてなくて全く充実していない枝などをバシバシと切り詰めて行く。どちらから眺めても、根元までうっすらと見通せるくらいまで掃除できれば、次の春に何とか下芽が出てくれる。低い枝が広がって来たら、今の妙な徒長枝は全て切り払えるはずだ。何年計画になるのだろうか、地道にやるしかない。

1 月18日、三里塚から野菜が届く。ワンパックという老舗の産直野菜で、創業 49 年にもなるのだそうな。今回、とてもインパクトのあったのが巻いていない白菜。パッとした見た目が中国野菜というか、ミニ高菜というか、葉が一枚ずつ日光をよく浴びて、分厚く育っている。よく洗ってスープにしてみると、あら不思議、キャベツのような味がする。白菜は本当は緑色の濃い野菜だったんだ。そういう部分は、普通は捨てられてしまうのかな。これはキャベツの葉の外側の部分も同じ。捨てるような硬い葉も、長く水煮すると美味しいエキスが出てくるものだ。と、色々と思いつつ、有り難く、美味しくいただいた。

1 月17日、両陛下がいらっしゃる神戸の街から、次々と奉賛の X ポストが流れてくる。みなさん、寒い中に長時間並んで待っていたようだ。手荷物検査やら何やらと警備に当たった兵庫県警の方々は、いったいどれくらいの間、そこで働いていたのだろうか。この 2 日間で気づいたことの一つに、現代日本語が最上級敬語にあたる表現を堅持していること。そのような言い回しは、使う機会がなければ忘れ去られてしまう。日本文化の拠り所として、皇室にかわるものが無いのだと、改めて気付かされたわけだ。神戸での行事が全て滞りなく終わり、ANA2002便は大阪湾上空に弧を描いて飛び去った。

1 月16日、相変わらず、白血球が体中のお掃除中。ゲホゲホと上気道に染み出して来る免疫の残骸を捨て去り、水分を十分に摂る。睡眠もバッチリだ。嗅覚もだいぶん回復して来た。こういう時に、うっかりミスが出るもので、包丁を台所の天板からツルリと落としてしまう。それを拾おうとした訳ではないのだけれど、刃が回転しながら落ちる最中に右手の中指の甲に当たって、浅く切れてしまった。アンラッキーとはこのこと。仕方ないから、こちらも血小板と白血球に活躍してもらおう。今日は神戸の上空をヘリコプターが舞っている。臨時のフライト ANA2001 便で両陛下が神戸にいらっしゃられたのだ。空港からホテルオークラまでの道には、出待ちの人々がカメラや携帯を構えて待ち受けていて、次々と X ポストしてくれる。明日の午後まで、どんなスケジュールなのかな。

1 月15日、ふと思い立って、君が代の演奏を色々と聞く。典型的には、式典で演奏されるオーケストラかブラスの演奏。これは、明治に作成されたピアノ譜の延長線上にあるのだけれども、途中で雅楽風に太鼓を 2 回叩くことを 2 回繰り返すのが定番となっている。その次に多いのが独唱、あるいは単旋律のみ。法律に定められた旋律をそのまま歌うパターンだ。最初から最後まで雅楽として演奏されるものある。ブラジルオリンピックの閉会式の演奏も、そのモダンな変形だろうか。面白いのはジャズとして演奏される君が代で、これは何パターンでもあるのだけれど、演奏家が遠慮しているとしか思えないほど、映像の数が少ない。あるいはコメントに屈して消し去ったか。このように書いていて、私のポリシーが昔とは変わったのだろうかと思われる方々が居るかも知れない。そんなことはなくて、昔から国旗国歌は尊重しているし、昔から国旗国歌に接したくないという方々の姿勢も尊重している。両者をまとめようとするのは無理があるけれども、社会の中で両立できない意見ではないというのが、私なりの見解だ。

1 月14日、朝、ガバッと飛び起きて、まずは玄関のお飾りをおろす。今日は「とんど」の日、あるいは「鏡開き」である。ゆっくりしたい所だけれども、授業は待ってくれないので、そのまま講義室へ。道中の大学登山では、誰とも勝負する気なくトボトボ登る。講義では、まず臨界状態について復習した後に、ブロックスピンという考え方とスケーリング関係式の説明へ。これらは、統計力学の中でもまだまだ基礎づけの甘い部分だと思う。けっこう色々と現象論で渡るしかない部分が残っていて、これから先、考え方も教え方も時代とともに移り変わって行くのだろうなー。今日もまだまだ、咳に鼻水にと風邪の症状は続いていて、人前では隠していても、ついうっかりボロを出すことも。

1 月13日、今日も養生の1日。ついでに昼からは arXiv 検索。世の中は成人式ということで、X ポストにも着飾った写真が色々と流れてくる。携帯で撮影した写真にはフィルターがかかっていて、どれもこれも AI 生成したかのような画質となっている。人間の認識そのものが、こんなふうにフィルターされているのだろうとも思う。かわいいな、とか、綺麗だなと思ったら、そちらにどんどんバイアスされて行くものなのである。病み上がりのままの1日を過ごして、さて明日は 1 限から講義だ。発症から1週間は経過して、もう感染力は無くなっているはず。臨界状態のスケーリングを話すつもりではあるけれども、テンソルネットワークになるかも知れないな。あるいは今日的な AI の基本であるニューラルネットの話でもしようか。AI の実装は 10 年もするとガラリと変わるのが普通だけれど。

1 月12日、朝になると、嘘のように痒みが取れていた。完全に無くなったわけではなくて、まだ背中にところどころ、痒い部分があるのだけれども、昨夜の地獄に比べると天国の一丁目だ。ついでに、喉の痛みが完全に去る。感染した細胞をターゲットとした白血球の活動はますます盛んとなり、丸一日中ゲホゲホと咳は出る粘い半分固まったような鼻水は続々と。こういう時は大人しくしているよりも、屋外で作業した方が代謝が進む。というわけで、放置してあった松の手入れ。畑の黒松は、ともかく芽吹きがすごくて、冬の時期に揉み上げるのが大変だ。だいたい、枝先に 2 本くらい芽を残して古葉を取れと言われて入るけれども、パッと見て 20 本くらい小さな芽が出ている。強いものや変な向きのものから順に切って、最後に残せそうな芽を選ぶまでが大変だし、ハサミの入らない向きに伸びた枝もあったりする。半分くらい作業したら日が傾いたので撤収して、再び養生。今日も辛いものが欲しくて、夕食は焼きそばにした。

1 月11日、ともかく休養の1日。レフリーの論文だけはぼちぼち読む。こういう時に mathematical なものが積んであるのは辛いけれども、完全に隅から隅まで理解する必要があるか? というとそうでもない。だいたいの主張が読み取れるように書かれているか、そこから先を理解できる材料が整えられているか? というところを詰めて眺めれば十分だ。さて体調の方はというと、食欲は少しあって塩辛いものが欲しくなる。買い物に出ると、大根キムチが目にとまる。これは美味しそうだ。韓国の人は寒い冬にキムチを食べて過ごすのだったっけ、夏にも食べてたった、ともかく買う。食べると美味しい。これで体力回復、スヤスヤと休めると思いきや、トンデモない伏兵が。夜半にかけて体表面に浮腫が次々と浮かんで、強い痒みとなる。痒くて寝てられない。どうやら、コロナに感染するとよくある症状のようだ。ということはコロナ感染してたのかなー。ウィルスが何であれ痒いのはたまらない。ようやく明け方近くになって、気絶するように意識を失ったようだ。

1 月10日、今朝からは風邪薬も断薬できた。自分の場合、イブフロフェンを長く飲み続けると胃を痛めてしまうので、なるべく速やかに服用を中止したい所なのだけれども、今回の風邪はけっこう症状が強かった。推定の感染初日から1週間で何とかここまで。自宅でぼちぼち進めている仕事は、ぼちぼち。今日は研究室に出没する人々が多そうなので、感染拡大を避けて自宅で過ごす。arXiv は待ってくれない。ちょっと用心しているのが座る時の姿勢。何だか脚の血流が悪い気がする。じーっと座っているだけで、エコノミー症候群になる可能性があるのだ。怠慢な座り方をしたり、キッチリ座ったり、寝転がったり。やめた、もう寝る。気力が尽きた

1 月 9 日、黄色の半分固まったような鼻水が時折出て来るようになった。免疫系が感染した細胞のマーク付けに取り掛かったようで、白血球がフル回転しているのだ。さむけがする状態は何とか過ぎ去って、安定の風邪ひき状態。相変わらず喉は痛いまま。昨夜は口呼吸で眠るしかない状態で、朝に起きたら身支度いろいろの後に 2 度寝。とは言っても平日だから arXiv は待ってくれないし、今の時期は卒論とか修論とかあるわけだ、寝込んでいるわけにも行かない。ついでに依頼を受けたレフリー仕事も積んだままになっている。これを早く仕上げなければ。というわけで、陽が高く高く (?) 登る頃にゴソゴソと起き出して、今日の作業に入る。するとキーボードを打つ手の爪が伸びたままになっていることに気づいた。ここ何日か、ギターも握らずにサッサと寝てたから、爪のメンテナンスも飛ばしていたのだ。とにもかくにも、今日は大学にやって来れた。

1 月 8 日、普段よりは熱が高い微熱の状態が続いて、喉も痛いまま。お腹が空いた感覚はないのだけれども、お菓子とか大福餅を食べてみると、それなりに美味しい。正月明けに有難く草餅を食べるのは、古くからの知恵なのだと思った。お腹いっぱい食べると糖分のとり過ぎだし、胃腸の調子がおかしくなると大変なので、少しだけ食べて満足したことにする。動けているのは市販の風邪薬に入っている「カラ元気の素」のおかげではないだろうか。お医者さんに行くと税金の無駄遣いとか医療逼迫の原因の一つになるし、何より多重感染するのが一番怖い。疾病は各個撃破が基本である。雨が降ってくれたら湿度も上がって良いのだけれども、これから週末にかけては寒気がやって来るのだそうな。室内でも、なるべく乾燥しない場所で過ごすことにしよう。

1 月 7 日、昨日は夜半にエネルギーが全て切れて早々に就寝。今朝は風邪薬を飲んで、お茶を飲んで、しばらくすると気分が悪くなる。これはカフェイン中毒の症状だ。血圧が下がっていると思われるので、しばらく横になったら体調が整って来て復活。糖分を入れる前にカフェインだけを摂取するのは、少なくとも自分の場合は良くないようだ。それくらい、肝臓から出てきて良さそうなものだけれども、還暦過ぎともなると活動が始まるまで時間がかかるのだろうなー。そして、騙し騙し活動再開。おっと、今日はいくつか面談の事項もあるのであった、感染拡大しないようにしなければ。ともかくも喉が痛くて、お茶を飲んでも水を飲んでも染みる。耳まで痛いような感じだ。確かこの日は風呂上がりに気分が悪くなって、床にへたり込んでようやく T シャツなど身につけて、まずは布団の上で体を冷やす。すると体調が整って来て事なきを得る。後はズボンなど身につけて、普段通りいつでも緊急避難できる体制で寝床につく。

1 月 6 日、寒気がするなーとは思っても、暖かくなるまで衣服で体を包むと熱暴走が始まって、身体の調整の幅が狭くなってしまうので、少し寒い程度の環境の下で行動する。とは言っても、普段より暖房を抑えているわけではなくて、普段通りの空調だ。今朝の統計力学の講義は、不均一な 1 次元イジング模型という、マニアックなものから始めた。相互作用ていすうが左端から J, 2J, 4J, 8J, ... と空間変化する場合には、分配関数の解析形が容易に求められて、調和振動子と同じ形の式が得られる。比熱もまたその通り、温度が十分に高いと一定値を取る。これは、自分なりに指数変形と呼んでいる相互作用の変化パターンで、調べてみると散発的に色々な研究があるようだ。そのあとは厳密解から始まって幾何学的ベーテ仮設へと至る流れの紹介などの後に、地道にベーテ近似から。ベーテにせよハイゼンベルグにせよ、この時代の人々は色々な場所に顔を出すものだ。素朴な物理学の時代だったのだろう。さて、講義の間にも喉がイガイガとするのは飲み物で何とかする。無糖の温かい飲み物が良い。お茶はよくできたものだ。コーヒーも、薄いものを時々飲むのが良い。嗅覚が少し減退しているので、香りの強いものも眠気覚ましには良い。そうそう、免疫系が働いている間は、普段よりも体力を使っているので、眠くもなる。レフリーを終えて返事しなければならないものは何とか蹴り出して、さあ休養を取ろうと思ったら、またまたレフリー依頼が届く。できるだけゆっくり応対しよう。年末にうっかり待たせすぎて、レフリー取り消しの知らせなども頂いたばかりだけれど。そもそもクリスマス休暇にレフリー依頼するか?!

1 月 5 日、室内の気温が特に低いわけでもないのに、何だか寒気がするし、手足が冷たい。また、あちこちに筋肉痛に似た感覚がある。動き始めの時に鈍い疲労感があるのだけれども、作業を始めてしまうと段々と調子が上がってくる。ついでに、喉が何だかいがらっぽい。どうやら最初の免疫は突破されてしまったようだ。潜伏期間から考えるに、2 日の同窓会か、その場へと向かう列車内でウィルスを拾ったのだろう。皆さん、少々風邪っぽくてもアチコチ出歩くようになった訳だ、それはめでたいことだと思う。食欲には問題なし。こういう時には滋味あふれるものを食べて治すに限る。そうだ、りんご飴だ。さっそく、レシピを見て作り始める。飴の仕上がり具合の見極めが難しいものだ。最初のりんごを漬けた時には、まだ飴が柔らかくて、後で食べるのに苦労した。段々と飴が固まって行き、最後は見事にカリッと仕上がった。少しだけ残った飴にはコーヒーを注いで、甘い甘い「飴コーヒー」に。あれ、このフレーズ、飴・コーヒー・ ... どこかで聞いたことがある。大昔に、深夜放送で流行った言い回しだ。今のように切り取って SNS に流す慣習が無かった時は、結構いろいろとキワ者芸があったなー。明日は 1 限目から講義だ。朝起きた時に実行できるようならば、遠隔に切り替えよう。早々に布団に入ると秒で寝落ちした。ただ、夜中に何度も咳払いで起きていたような気がする。

1 月 4 日、冬の今の時期にめちゃめちゃ伸びているのが室内栽培のラベンダー。もともと強い雑草で、耐寒性も結構ある上に夏の日照りにも耐えて、そして条件が悪いとあっさり枝を捨てて株を活かすというしぶとい植物だ。水があって、温度がそこそこあって、冬の晴天という日照もあれば育たない理由がない。もう少し暖かくなったら、地植えしてあげよう。あと数十日待てばいいかな。唐辛子もまた室内だと楽に冬越しするし、挿し木するといつでも増える。どちらも、香り付けにはまあ利用できるかなーという感じの、脇役の植物だ。主役ばかりでは庭づくりにならない、そんな時にヒョイと持って来られるように、今は地道に準備する時期なのだろう。仕事の方も、地味に少しずつ前進させないと。まずはレフリー・レポートを返さないと。無給の仕事だけれど。

1 月 3 日、今日は正月明けの営業を始めるスーパーマーケットも多く、色々と見て回るのに好都合だ。福袋はまあご愛嬌として、新春ならではのセットが七草。食べるのも良いのだけれども、かねてより計画していたように、植えるのもまた一興。本当に雑草にしかならないものもあれば、カブのように育てると大きくなるものもある。あとは、賞味期限切れが間近となって半額で投げ売りされているカマボコ。もともと、新年価格で吹っかけて来たメッキがはがれただけで、半額で実勢価格なのではないか? という気もする。ついでに、半額だからと買い求めても、冷蔵庫で腐らせるだけだ。来る日も来る日もカマボコ、そんな食事は避けたいものだ。モチは買い足しておこうかなー。

1 月 2 日、高校の同期が集まる同窓会に顔を出す。今回は、久々の大同窓会で、百何十人も集まった。先生方は既にご高齢なので、今回はお呼びせず。少しずつ、音信不通の方が増えているような気がする。同窓会との付き合い方も人それぞれで、同窓会を卒業されるという尊い判断の方もいらっしゃる。以前とは少し違うのが、無茶飲みする方をあまり目にしなくなったこと。自然と節制が身に付く年齢になったということなのだろうか、それとも単に体力が減退したのだろうか。というわけで、日付が変わるどころか 9 時頃にはもう帰途につく。帰って来て、写真の整理などゴソゴソと。よくよく見ると、皆がそれぞれ深みの増した姿となっている。時間は一方通行、それで良いのだ。

1 月 1 日、「釈迦」という映画が限定公開されていたので、ついつい見てしまう。お釈迦様のあれこれは、ホテルに置いてある仏教伝道会の冊子をつまみ読などした際に半分くらい頭に入っているので、まあそな感じだろうかと思っていたら、けっこう作り替えられていた。つまり、言い伝えとは異なる部分が色々とあるということだ。テレビドラマではありがちな、ストーリーの再編成だろうか。釈迦の裏切り弟子とも言われるデーヴァダッタを完全な悪者に据えて、本来の主役である釈迦 (?!) よりも目立たせる筋書きとなっている。音楽とか、色々な場面の特撮とか、それぞれ面白い所は色々とあって、観る価値はある作品だと思う。全体を通して、素晴らしい映画なのかどうかは別として。


11月と12月の1行日記