← 9 月と10月の1行日記  

8 月31日、何年の間かサボって放置していた包丁の研ぎを、ふと思い立って再開する。というのも、日常の調理に使っているペティーナイフの刃がいよいよ小さくなってしまい、丸いキャベツを二つに切り分けるのにも不自由しているからだ。まずは中くらいの大きさの包丁の研ぎから。これは刃が薄かったので簡単に研げた。問題は長方形で重い薄刃包丁。こちらは、薄刃というのが名ばかりで、鋼と地鉄を合わせて最大で 2 mm くらいの厚さがある。刃の根本が厚いのは問題なくても、切先は薄くなければ包丁としての使い勝手が悪くなる。というわけで、白いアルミナの砥石を使って、ああでもない、こうでもないと研ぎを繰り返す。アルミナで研ぐと地鉄に砥石の粉がメリ込んでしまうので、最後はサンドペーパーで落として、仕上げに天然砥石で艶出しする。これだけ手をかけても、またすぐに研ぎが必要となるのが鉄製品の宿命。

8 月30日、台風一過の秋晴れが来なくて、太陽が登ったら普通に蒸し暑い熱帯に戻ってしまった。まだ夏を楽しみなさいというお告げなのだろうか。大学にやって来る道中の人はまばら。電車もバスも空いていて涼しいこと限りなし。閑散とした三宮で遊びたい気分だけれども、待て待て、幾つか仕事をこなさなければならない。遊ぶのはアフターファイブにしよう。台風は来ないのだけれども、これだけ人々が居ないと開店休業状態なのだ。普段は予約の取れない店など、席が空いてたりするのかも知れない。色々と思い描きはするけれども、まずは仕事の仕上げから。いつもズルズルと締切間際まで引き延ばしてしまうのが悪いクセ。

8 月29日、台風が来る台風が来る台風が来ると、ここ数日の間ずっと報道されていて、台風に備えて食物など仕入れたのだけれども、やって来る気配がない。それでも、大きな渦で周辺の大気をかき回して、雨と涼しさがやって来た。夏と秋の境目となる台風なのかも知れない。まとまった雨が降ったので、木々が新芽を吹いている。夏の間に十分に光合成が進んで、蓄えていた養分が使えるのだろう。アジサイも春に出た葉が夏に枯れ落ちて、脇目から新しい葉が伸びて来た。今の時期はまだ、どこに花芽が付いているのかは判然としないのだけれども、いま切ったら翌年のアジサイは花がつかない。こうして秋風が吹いて来ると、そろそろ本気で書類を仕上げなければならない。常々、書き物は色々と抱えているのだけれども。

8 月28日、長い間にわたって部屋を使い続けると、いつの間にか不合理な所にも慣れてしまって、何かを改善しようという気も起きないものだ。改めて研究室を見渡すと、今はもう使えないものも結構あることに気づく。この 20 年間の間にインターフェースが変わってしまって、VGI とか大きい方の USB などのコネクターの類のものが、ほぼゴミと化してしまった。今は辛うじて使えていても、先がないものにはサッサと見切りをつけるのが良い。Wifi のルーターは数年くらいで保守が切れてしまうので、今は使えていても 10 年も前のものは買い換えて行くべきだろうか。紙のファイルを収納することに特化したスチール家具もまた、もう鉄屑に戻すべきだ。居室はスッキリしている方が良い。

8 月27日、ネットワーク設定には管理者という落とし穴がある。管理者に管理アカウント権限を与えて日々の運営に当たってもらうのだけれども、その管理者当人が転出したり退職する時に、管理者であるということを皆が失念していると、管理者の居ないままの惰性運営となってしまう。そもそもネットワークというのは水道のようなもので、うまく使えている時には誰が管理しているかなど、誰も気に留めないものだ。そしてある時、ちょっとした設定変更をしようと試みた時に、誰も管理していないことが発覚するのである。こういう場合には、まず新しい管理者を立てる所から始めなければならない。こういう煩わしさがあるので、そのうち AI 管理者に任せてしまうという世の中になるのかも知れない。さて、ブツブツ言ってないで、まずは同じような惰性運営がどれくらい存在するのか、チェックすることから始めよう。

8 月26日、今日は晴れて、とても暑い。こういう暑い日には鳥が口を開けている。カラスは木陰に入って、互いにカアカアカアと声を交わしている。そういう姿を眺めると迷惑そうに隠れてしまうカラスもいれば、こちらを向いて話しかけて来るような素振りをするカラスもいる。誰かが餌付けしているのかも知れない。雲がモクモクと沸き立つ様子を眺めながら、その雲がこちらに来て雨が降ったらいいなーと思うものの、ちょっと陽を遮ったと思ったら散り散りに。いわゆる発達のセンスがない、という雲だった。気象レーダーを眺めると、降る所では雷と共に激烈に降っているようで、こういう気流の緩い状況ならではの天候、スコールとなっている。まだまだ熱帯の気象だ。秋が待ち遠しい。

8 月25日、昨日のカレーの味を再現するべく、今日は自宅で調理実習。レシピにある通りの順番で、スパイスや野菜を火にかけて行く。詳細はまあ、ちょっと検索すると色々と出てくるし、実は読むレシピごとに材料や調理の順番が全然違う。ただ、共通しているのが粉になったスパイスを入れてからは、あまり長時間調理しないこと。華やかな香りが飛び去ってしまうのだろう。鶏肉やエビなどは調理を仕上げる少し前に加えると、硬く縮まない。とは言ってもカンピロバクターは怖いので、それなりに加熱する。最後に塩味の最終的な調整をして出来上がり。ここで粗塩を振ったりすると溶け広がるのを待つ必要があるので、薄口醤油を使った。あれば梅酢などでも良い気がする。最後に、ホールスパイスの塊などを拾って取り除き、チャパティと一緒にいただく。昨日よりは少し和風のカレー、これも美味しかった。

8 月24日、阪神香櫨園駅に降り立って、辺りをキョロキョロ。Google Map に載っているお店は、どう考えても車道には面していない。獣道でも通って現地にわけ入るのだろうか、それとも河川敷に秘密の通路があるのだろうか? と不思議に思っていると、何やら地元の人々の生活道のような裏路地が見えた。これで良いのかなーと思いつつ進むと、忽然と素晴らしいカフェレストランが。今日はここでアフタヌーンティー付きのコンサートを楽しんだ。演奏者の一人が作曲家で、その作品であるクラシックの楽曲も聴かせてくれる。こういう機会はとても貴重だ。とても楽しい時間を過ごして、そのまま香櫨園から三宮へ。夕食には美味しいカレーをいただく。カレーの作り方も教えてもらった。そしてまた電車に乗って海辺へと帰宅。帰ってからもカレースパイスの香りが身体中から立って、これが南アジアの健康法なのだと実感する。

8 月23日、研究室を眺めてみると、けっこう古くて使えないというか、使う気がしないものが色々と転がっているので、断捨離の気分で整理を始めることにした。何かの役に立つかもしれないと考えて、とりあえず置いておいた貰い物や、記録として紙に印刷しておいたものなどは、放置するとどんどん貯まる一方なのだ。そして気がつくと人々の居場所を圧迫してしまって、日常の風景が雑然としてしまう。部屋が綺麗になったら、少しだけ小さな花などを買って来てさりげなく飾って、研究室紹介の写真撮影をしよう。これも大学に所属して働く者がなすべき、ご奉公の内だろうか。

8 月22日、年に一度の健康診断に行く。どんな役職でも年齢でも、お医者さんの前に立つと公平平等、誤魔化しは効かないのである。診察ではお医者さんから意外な言葉を頂戴した、「もっと太りなさい」と。統計によると BMI が 21 を切ると死亡率が上がってくるのだそうな。その理由の一つが、何かの病気で入院した時の体重の落ちだと教えてもらった。高齢者になったら、最後の最後に回復するだけの蓄えが体に付いているかどうかが命定めになるらしい。「あなたも、もうあと○年で高齢者ですよ」と、これはまあお医者さんならではの定型句だろうけれども、普段は医者にかからない私、ハイハイと聞き込んでしまった。さあ、朝飯抜いたから、今日のうどんは特盛り2玉だ!!

8 月21日、風がなくて凪のような朝昼を迎える。天気図を見ても、等圧線らしき等圧線が見えないし、太平洋には熱帯低気圧とも何ともつかない小さな弱い渦巻きが沢山ある。北西とかオホーツク海には涼しい空気があるようだけれども、まだ降りてくる気配がない。幸い、昨日に引き続いて雲が多めの天候で、コンクリートの建物や地面が焼け付かずに何とかなっている。地面にも湿気があって、どうやら夜のうちに少しは雨が降ったらしい。そろそろ柿の木が目立って来る時期なので、学内で探してみるとあれあれ、昨年に強く剪定されていて、ほとんど細い枝がなく、ほんの少しだけ実が付いていてる程度であった。

8 月20日、久々に朝のコンビニに立ち寄る。飲み物、カップ麺のミニ、チョコレート、ポテチを仕入れて大学へ。昼食は、これらの内から⚪︎⚪︎分間で食べられるものだけを食べて、さっと歯磨きして再び業務に戻り、三時のおやつ時から論文の検索などを始める。幸い昨日から小雨がちの曇りで、朝から結構涼しくてエアコンの効きも良い。ようやく暑さも一段落、やれやれ。それと同時に締切のある仕事もまた復活、さあ片端からこなして行かなければ。文章を読む仕事というのは、読まないと進まない。その文書が、整然と書かれていれば楽なのだけれども、常にそういうわけではない。それでも読むのが仕事。

8 月19日、水素原子のシュレディンガー方程式を考える時には、いつも重心系に移って相対座標で現象を記述する。では、重心が常に原点にあるような水素原子を考え、外部から眺めるとどう見えるのだろうかと、ふと考えた。(水素原子が面倒なら? ポジトロニウムでも良い。)重心が原点にあるのだから、陽子が X 方向にズレていれば電子は必ず -X 方向にある。要するにエンタングルメントがあるわけだ。これは面白いぞと思って、しばらく思案した後に、かなり非物理的な状態について言及していることに気づいた。こんなふうに原子をトラップするには、凄く強い束縛ポテンシャルを用意しなければならなくて、そんな場の下に水素原子を置くと、バラバラになってしまうか、あるいは全く異なる束縛状態になってしまう。別の表現をすると、水素原子という粒子をキッチリと原点に固定すると、不確定性によってあらゆる運動量を持ってしまうので、エネルギー期待値が無限大になってしまうのだ。量子力学は落とし穴が多いな。

8 月18日、橋を渡って四国に入る。JR 高松駅に降り立つと、オルネという商業施設の営業が始まっていた。オルネ、讃岐の方言で「居るね」を意味する言葉だ。讃岐弁の中でも標準語とは大きく違う表現は段々と消えつつあるのだけれども、こういう、ちょっと引っ掛かっているだけのものは永く語り継がれる。コトデンの高松築港駅へと移動して ... そういえば築港は聞き慣れた表現で、人々は単に「築港へ行く」などと日常会話の中で使っているのだけれども、これまた大昔の表現だ。地名・駅名は昔ながらのものが多くて、鉄オタの聖地でもある仏生山駅は、まさに仏が生まれる山にあるお寺へとお参りする入り口だ。東急や京急、昔は阪神電車などから仕入れた中古車両ばかり走っているコトデン、少し速く走るとジャンプしそうになる保線の状態だけは、ちょっと気になる所であった。

8 月17日、人材不足の世の中になりつつあり、昔のバブル景気の頃と同じくらい卒業予定の方々の就職(の内定)は順調だと感じる。バブルの後には氷河期がやって来たけれども、これから先に人手不足が解消される要因は乏しい。きっと、若い働き手が重宝される時期が続くだろう。定年という考え方は、音楽家のようにもともと無い職種もあるのだけれども、これから先は定年なしの職種がどんどん広がって行くだろう。教員業はどうだろうか? 大学教員や研究職から定年を外すと、うまくポストが回らない気がするし、更にマズいのが時代遅れの研究がズルズルと続けられてしまう可能性がある。最近の公募を眺めると、時流に乗って情報関連のものが目立つ。いつの時にか、情報すら時代遅れになるのだろうけれど。

8 月16日、お盆休みが終わって、大学は今日から平日。生協も 1 日だけ営業して土日はまたお休み。学生はクラブ活動以外では殆どお休みで、チラホラと姿を見掛ける程度だ。大学の教員はそこそこ。色々と、この時期ならではの仕事があるらしい。空は曇りがちで、大きな大気の動きを感じる。青ヶ島の港のカメラには、暴風雨がライブで映っていて、嵐の凄さを垣間見れる。台風は大きな扇風機みたいなものなのだろう、涼しい風を引き込んで欲しいものだ。欲を出して、今日も雨が降ってくれないかなーと、雨乞いのお祈りをする。求めよ、されば与えられん、とはよく言われるものだ。予算は申請書を書かないと降ってこない。頑張ろう。

8 月15日、何だか雲行きが怪しいと思っていたら、激しい雨がやって来た。突風が吹いて、その瞬間はとても涼しかった。このまま夜まで涼しいといいなーと思っていたら、雨が去ったら湿っぽい熱気が戻って来て、まだ秋まではもう一歩だと思った。雨上がりの辺りを散歩すると、街路樹の枯葉が溝に詰まっていた。既に枯れていた葉が雨の重みと突風で吹き飛ばされて、更に側溝へと雨水の流水で集められたのだろう。近所の用水路には結構な水量が流れていて、そのまま海へと流れていた。プランクトンが増えて赤潮になったりするのかな。さてひと仕事、もうひと仕事。コロナ以来、在宅ワークがいくらでも出来るようになったのは良いのだけれども、幾らでも積んでおけるので、結局は休暇の日に仕事。自己管理能力ゼロの証である。

8 月14日、中京から西日本は軒並み 35 度超えで酷暑の午後となっている。昨日は西宮の方では雨が降ったらしいのだけれども、畑のある海辺では全く降雨なし。今日はモクモクと入道雲が成長しているけれども、さて雨は降ってくれるだろうか。お盆休みにも、arXiv は待ってくれない。今日は Sine Square Deformation の論文も出てたな。あれは数値計算する時に境界条件による効果をなるべく減らそうと、色々と工夫した時に偶然に見つかったものだ。最初は機構がよくわからなかったのだけど、理論屋さんが連続理論の背景を見つけてくれた。離散で完璧に成立するという点については、まだ個々の事例で証明するしかないような気がする。この辺りは、離散的な CFT がどういうものか? という辺りにもつながるのだろう。

8 月13日、Apple が昔に取り扱っていた Wifi ルーターの速さは、数十メガ bps くらいだった。その頃の LAN は 100 Mbps くらいだったから、当時としてはまあまあのパフォーマンスと言って良いだろう。無線接続は、電波が拾えさえすると、速いのかどうかあまり実感が湧かないので、それくらいの製品をずーっと使い続けている所は多いのではないだろうか。今は 1 Gbps の LAN 接続は当たり前で、Wifi も数百 Mbps の時代に突入している。戸建ての住宅だと 10 Gbps の光ファイバー接続というのが、だんだんと浸透しつつある。その方が、間に噛む機器が少なくて済むからだ。そんなに速くても仕方ない、と思われるかも知れないけれども、速ければそれに応じてコンテンツも重くなるというのが世の常だ。そろそろ、あちこちのボトルネックを解消して行くか。

8 月12日、月曜日なので、振替休日ではあるのだけれども、日常通りの arXiv 検索から1日が始まる。今はバカンスの季節なので、投稿数が少なくて助かる。その割には、テンソルネットワーク関連の論文投稿が目立つ。いろいろな分野で使われ始めたから、当然と言えば当然なのだけれども。物理学から遠く離れた所まで追いかけて検索する必要はないのかも知れない。それでも、まだまだ不自由な道具であるテンソルネットワークには8点の余地があって、どんなものが出てくるか想像もつかないので、少なくとも在職中は現在の arXiv リスト作りを続けるつもりだ。仕事してるフリするには良い (?) 言い訳なのかも。

8 月11日、北風が吹き続けた一日。北風なのだけれども気温は高い。雲ができないフェーン現象らしい。風が強い日にはヤブ蚊がやって来ないので、屋外での作業で防虫剤を使う必要があまりない。畑の片隅に植えておいたラベンダーはどうなっているだろうかと、久々にマトモに観察すると、ラベンダーらしく半分以上の枝が枯れている。パッと見ではわからないのが特徴で、株を下の方からじっくり眺めると枯れた枝が少し目に入って、それを取り除くとその内側にも枯れ枝があって、結局の所、緑色なのは表面の薄皮一枚だけだとわかる。丁寧に取り除いておくと、光の当たる枝から芽が出てきて、そのうちの幾つかはまた枯れ枝となる。ご隠居さんの盆栽みたいなものだろうか。

8 月10日、北海道は涼しいのかなーと気象庁のアメダスを閲覧すると、確かに涼しいようだ。地図をよく見るとあちこちにカルデラらしい湖が見える。そういえば、物理屋さんにカルデラという名前の人が居たっけ、と調べてみると caldera という、鍋を意味するスペイン語であった。ラテン語由来の言葉で、語頭の cald- は熱いという意味でロマンス諸語に受け継がれている。名前に鍋か、日本の人名にも鍋さんとか真鍋さんとか居るなー。さて大学では、研究している人、勉強している人、涼みに来た人など、いろいろな目的でやって来た学生さんたちをチラホラと見かける。休日の大学はいい環境なのかも。

8 月 9 日、今日も隣の学部でオープンキャンパスが開催されている。授業が終わって大学生の姿がまばらとなったキャンパスが、高校生で満たされて、何だか高校に迷い込んだようだ。近くの生協は購買だけの営業。日陰になるベンチあたりには、結構な数の生徒が自販機で飲み物を買って休んでいた。来週はお盆休みの週で、一応は休暇を取ることになっている。まあ大学の教育研究業務はやらなくても良いので、他の仕事に時間を割ける。畑の水やりも、少し時間をかけてタップリまこう。雨降ってくれないかなーと思いつつも、雷は落ちてほしくないし、台風は来てほしくない。ワガママな願いばかりだ。

8 月 8 日、昨日の夜から、カラリとした風がずっと吹いていて、日陰にいると何だか涼しさを感じる。空が青くて陰影が濃い風景は、秋のようにも映る。畑の植物にとって、この乾いた風は過酷だったようで、ツルの先の方で水切れが起きた作物も。ともかくホースで散水して回る。日が短くなって来たので、ようやく朝顔にも蕾が付き始めた。サツマイモも短日開花するらしいのだけれども、関西では花を見たことがない。今日は 9 月からネットワークの設定を変更する場所を見て回る。手元の設定表と実際の配線が一致しているか? を確認すると、いつも意外なものを目にするものだ。10/100 Mbps 自動切り替えの HUB などはこの際、一掃したいものだ。

8 月 7 日、今日の神戸大学周辺は晴れ。雨が降る気配が全くない。昨日降った雨の後、枯れ草が目立つようになった。乾燥で枯れかかった植物は、最初は緑色のままカラカラになるのだけれども、雨が降って濡れると、どういう反応が起きるのだろうか、黄色く、あるいは茶色に変色する。本当に枯れているかどうかは、雨が降った後でわかるようになる。ところで、昨日・今日・明日と学部ごとに曜日をずらして、オープンキャンパスが開催されている。近場の高校生が次々と訪れて、設備を眺めている姿を見ると、ああいう風に学問の専門に興味を持っていたこともあったなーと、ふと思った。

8 月 6 日、海辺から山を見上げると、暗く境目のハッキリとしない雲がかかっていて、今日は雨が降るのだろうかと思いつつ電車に乗ると、到着した阪急六甲駅は既に雨の中。これはもうバスに乗るしかない。しかし、バス停は駅から少し離れた場所に。ここに阪急六甲駅の不条理がある。色々な系統のバスが行き交う拠点なのに、充分な広さのバスターミナルがないので、車道のあちこちにバス停が設置されていて、風のある日には雨に濡れながらでもバスを待つ必要があるのだ。そして文理農学部前に到着。ここもまた危険なバス停で、見通しの悪い場所で車道を横断する必要がある。こういう所を少しずつ改善して行くよう働きかけるのも、大学の役割なのではないかとも思う。ともかく雨降ってホッとした。

8 月 5 日、お昼頃に、待望の雨が降る。これで、乾いていた畑への水やりも楽になる。気流の流れが遅いのか、それとも次々と同じ場所で雲が発生するのか、けっこう長い時間にわたって雨があり続いてくれた。雷もゴロゴロと鳴っている。阪神間の川はどれも短くて、あっという間に海に流れ落ちる。街を流れる川には、地面に吸い込まれないまま周辺から雨水が流れ込むので、こういう雨の時には、濁流が一気に押し寄せて来る。こういう時に河川のモニターを閲覧すると、河川敷が河川敷であるのは、何でも流されてしまうから何にも使えないということだと、実感できる。さて、雨が上がったら昼食に出かけよう。

8 月 4 日、某所でギターの演奏を収録する。機材はいつも、Panasonic の GM5 という小さなカメラ。けっこう昔のカメラなのだけれども、これに代わるものがなかなか見つからないほど、コンパクトで使い勝手が良い。カメラを設置して、ギターの演奏を始めると、何だか緊張する。いや何というか、雑念が音楽を妨げてしまう。途中までうまく弾けると、頭の中で「最後までトチらないように演奏しよう」などと、余計なことを考え始めて、音楽が萎縮してしまうのだ。ダメな所を色々と含んでいるのが生の演奏の良いところだから、開き直って弾けば良いのである。そういう境地には、経験を重ねつつ段々と到達するべきものなのだろう。

8 月 3 日、大阪のギターコンサートに行く。アルゼンチンのギターリスト、カルロス・モスカルディーニの演奏はバンドを聴いているような豊富な音楽で、今まで耳にしたことのない、楽しいものであった。どうやって出しているのか見当もつかない音も。ラテン音楽の中に現代音楽の響きが入り込んだような、不思議な世界だった。休憩を挟んでの第二部では国内の演奏家との三重奏もあって、終演までの二時間はあっという間に過ぎた。ホールを出ると大阪はすごい人出。ああそうか、今日は淀川の花火の日だった。あの花火はとても盛大で関西一円から眺めることができる。どうやら、神戸大学から眺めていた人も居たらしい。

8 月 2 日、暑さ Max どこへ行っても暑い。ただ今日は、昨日とは違って雲の量が多い。夕立が来てくれないかなーと願いつつ降雨状況を眺めると、あらあら、どこにも雷雲がない。雄大積雲止まりのようだ。これだけ熱気に満ちているならば、台風もやって来そうなものだけれど、熱帯低気圧の姿は太平洋になし。小さな渦は所々にあっても、そこから大きく発達しない。さて、天気を眺めていても仕方ないので、締め切りのある仕事から片付けて行く。今日はネットワーク関連の機器を見て回ろう。あちこちに、結構古いものが転がっている。100 Mbps のスイッチング Hub は、見かけたら更新かなー。

8 月 1 日、畑を見て回る。朝に水やりしたはずなのに、ちょっと論文読みなどしている間に、またカラカラになってしまっている。どんな状態なのだろうと掘ってみると、土の下の方がガチガチ。乾いてしまっている。なるほど、この状態になってしまうと少々の水やりでは弾かれた水がどこかに流れて行くだけで、肝心の作物に届かないわけだ。昼間に水やりするなとか色々と書いてあるものだけれども、全部無視。どんどん散水した。ちょっとだけ畑が涼しくなった気がする。作業の後で電車に乗って、三宮の涼しい所で一服して、大学にやって来たらもう陽が西に傾いていた。これくらいの時間から後の方が研究タイムという感覚は、学生の頃から変わっていないかも。

7 月31日、そろそろ予算申請の書類を書かなければならない。まだまだ締め切りは先なのだけれども、外れたら研究活動に差し障りがある。教員を始めた頃は、教養部という所で働いていた事情もあるのだけれども、結構な額の研究費が大学から支給されたものだ。それから段々と大学の財務が厳しくなって来て、今ではどこの大学でも、ほとんど外部資金で研究を進めるようになっているのではないだろうか。私のような一匹狼、狼というほどエラくないか、の理論屋の場合、研究費ゼロでも研究はできる。ただ「活動」の方が無理で、学会に参加する費用などはやっぱりどこかから頂戴するほかない。それはそうと、1ドルが 150 円まで戻って来たではないか、さて今後の値動きは?!

7 月30日、大学の中庭に植栽管理業者が入って、草刈りや剪定を行っている。機械を使っての作業がともかく速い。ちょっと意外だったのが、打ち合わせの時間を結構取っていること。ここと決めて作業を始めると寄ってたかって、あっという間に剪定を終えてしまう。どこまで刈るのかの見切りがハッキリしている。そういえば、研究を論文にまとめる手順にも似たところがあって、何人かで共同研究する場合には打ち合わせ、つまりディスカッションが大切だ。どちらに向かって、どのように解析を進めて行くのか、どう手分けして作業にあたるのか、そして何が得られれば論文になるのか、その辺りを把握していないと、データが溜まるだけの状態になって、いつまで経っても論文にならない。

7 月29日、楽譜に向き合った時に、面白くないと思うことがある。例えば、最初からコードが C と G しかないとか、場合によっては C のまま最後まで終止形もなく終わるとか。アッサリと弾けて、特に何も難しい所もなくて、練習する価値もないと思ってしまう。まあ念のために、プロがどのように演奏しているのだろうかと、YouTube の演奏を聴いて、何であんなに活き活きと、この単純な曲を素晴らしく演奏するのだろうかと、打ちひしがれる。演奏家によっては、少し曲に手を加えて面白さを演出してくれている。これは参考になる部分が大きくて、我々が初等物理という枯れた学問を学生に講義するにしても、最先端へ向けた下地づくりに留まらない演出をすることが、モチベーション維持には大切なのだろう。さて期末試験の出席者数やいかに。

7 月28日、音楽家のプロフィールには色々と面白い定型句があって、何歳よりバイオリンなど特定の楽器を始めるとか、誰それに師事とか、何とかコンクール1位だとか、鴨ネギホール初演とか、その業界に限らず一般ウケしそうな言葉がツラツラと並んでいる。それに比べ得る記述が、サイエンティストにあるのだろうか? と、ふと思った。数学者ならば、きっと幼少あるいは学童の頃に、例えば素因数分解の不思議に触れるなど、割と理解してもらえそうな出会いがあるのだろう。生物学や地学・天文学の分野も同じようなものだろうか、数式も学問も抜きで、自然に触れ合える機会はどこにでも転がっている。化学はちょっと厳しいけれども、物理学ほどではない。物理学者に「あなたが物理を意識したのはいつですか?」と聞いても、大抵の場合、ロクな返事が戻って来ないだろう。

7 月27日、冷蔵庫には重ねて焼いた肉と野菜と、トマトソース。しばし思案して、ミートソースを作ることにした。肉はすでに加熱したものだから、まずは野菜を炒めて、十分にしっとりして水が抜けて来た頃に肉を加えて、あとは気長に味を見ながら加熱を続ける。まずは醤油から。薄口醤油なので、ほとんど塩水だ。次にお好み焼きソース。ここまでで仕上げれば焼きそば風のミートソースが出来上がる。今日は、さらにトマトソースを加えて、洋食屋さんっぽいというか、弁当に添えてある惣菜のような味に持って行った。こうして手作りしたミートソースは美味しいのだけれども、準備を始めてから 2 時間はかかるので、休日でもないとなかなか手を出せない料理だ。仕上がったソースに茹で上がった麺を絡めて、パクパクといただくと一瞬で食べ尽くしてしまった。

7 月26日、Bond Weighted Tensor Renormalization Group (TRG) で行われている、繰り込みの前処理は何を意味しているのだろうかと、しばし思案した。TRG にせよ HOTRG にせよ、繰り込み群変換は local に行われる。それは環境の効果を無視しているのではないか? という観点から、環境テンソルを作って繰り込み群を考えて行くのが Second TRG と呼ばれる手法だ。ここに、ランダム系に似た事情が生じて来る。Local Tensor と、それを取り巻く環境テンソルが、異なる確率分布を持っているのだ。両者を結んだ時に、初めて物理的な確率分布が出てくる。こういう状況の下で、どのように繰り込み群変換を行うか、たぶん誰も真面目に考えたことがないと思う。しばし考えて、何かを得たらこうしてネタバラシのような日記を書くこともないのだけれど、残念ながらまだ何も得られていない。BTRG の良い所は、TNR まで堅持されて来たユニタリーという縛りを一歩出たところだ。混沌としていて楽しい状況だと思う。

7 月25日、論文のガリ刷りが届く。LaTeX 入稿したものだから、そんな大きな組版の間違いは起きないだろうとナメて眺めていたら、そもそもの LaTeX 原稿に間違いが。2n と書くべき所が 2 の n 乗になっている。校正指示を入れなければならないし、戻って来たガリをもう一度眺める必要がある。それくらいの自明な間違いは放置しても良いのだけれども、まあ直せるのであれば直しておかなくては。そういえば、授業で自分の書物を講義ノートの代わりに使うと、よく間違いに気づく。いちど自分の手を離れたものは、他人の書いた文章のように冷静に見つめることができるからだろう。

7 月24日、ガラスは割れると、破片を元の形に戻そうとしても、断面がくっつかない。それぞれの破片に都合が良いように、断面が変形してしまうからだ。くっつけるには、バーナーで加熱して溶かすか、あるいは断面を精密に平面に磨いた後で、ピタッとくっつける接合しかない。これと似たような現象はどこにでもあって、ランダムスピン系では系を2分割した時に、それぞれの部分で最も低いエネルギーとなる状態を拾って来て全体の低エネルギー状態を再現しようとしても、全体的な低エネルギー状態を得ることはできない。テンソルネットワーク形式では系を部分的なピースに分けて扱うことが多いのだけれども、一様等方的な系では何とかなるという物理系の性質に頼っている所も大きいのではないかと、最近になって思い始めた。一般原理は、探そうとすればするほど訳がわからなくなって来るものだ。

7 月23日、明日は土用の丑の日。スーパーマーケットの売り場は、これでもかとウナギに埋め尽くされている。近年はベトベトに味付けされたうなぎは姿を潜め、タレが別に付いているものをよく見かける。ノリのようにタレが塗りつけられたうなぎは、まず洗ってから新たに味付けした方が美味しいなど、あちこちに書かれているからだろうか。売り場の中でも、特に高価なものが白焼き。五千円など信じられない ... いやそれが経済原則というものだけれど ... 値段のついた白焼きは眺めるだけ。夏場はやめておいて、冬になって価格が落ち着いてから楽しむことにしよう。

7 月22日、三里塚から届いた夏野菜、沢山あったけれども玉ねぎ以外はもう胃袋に入ってしまった。モロヘイヤとツルムラサキとオクラのネバネバ三重奏は特に美味しかった。キュウリはトゲトゲがしっかりしていて、コリコリと食べると野趣があった。ゴーヤがまた肉厚で、苦味が濃くてビタミンたっぷり。空芯菜は油との相性が良かったなー。ピーマンを切ってみると種の部分が大きくて、パプリカのように充実していた。夏野菜の季節はあっという間、来月がまた楽しみだ。さて今日は統計力学の講義の最終回。学期初めは力学のような所から講義を始めて、ようやく熱力学とのリンクが色々と見えた所でおしまい。続きは後期の量子統計力学と相転移現象で。統計力学は一種の雑学で、なかなか引き出しの多い講義科目だと思う。

7 月21日、ミートローフを薄切りにしたものを、薄切りにした食パンに乗せ、タルタルソースやマヨネーズをかけて、サンドイッチにする。ケバブを使ったサンドイッチと同じようなものだ。割とイケる。肉が割引になる前の価格で原価を考えれば、贅沢な食べ方だ。食パンは少し小ぶりでシッカリとしているものが扱いが楽で、薄切りにし易い。なければ、普通の 5 枚切りか 6 枚切りの食パンを、よく切れる包丁で 2 枚に切り分ける。包丁の研ぎは、ハマグリ刃の牛刀よりも、裏をフラットに研いでしまった柳刃のような、特殊な和包丁の方が作業が楽だ。出来上がったサンドイッチを 6 つくらいに切り分けて、あとは片端からパクつく。そういえば、クレープを作っても、同じように食べられるなぁ。さて、ミートローフはまだまだある、今度は何にして食べようか。

7 月20日、合い挽き肉が安売りされていたので、たくさん買って来てサボったミートローフを作る。作り方はまず、小さめの両手鍋の底に薄切りの生姜を敷く。塩胡椒を少しして、合い挽き肉を 1 パック投入、スプーンで鍋に広げる。塩胡椒する。再び 1 パック投入、スプーンで広げる。塩胡椒する。これを繰り返して、肉が鍋いっぱいになったら、オーブンに投入する。180 度で数十分くらいかなー。その後、鍋を弱火にかけて 30 分くらい加熱すると肉の塊がしっかりするので、フォークとハシでボウルに出して、上下をひっくり返して更に 30 分くらい煮る。最後に、肉の塊と肉汁を分けて、塊の方を再びオーブンで焼いて表面を乾かせば、サボりミートローフの出来上がり。肉汁は野菜スープ 2 回分くらいに分けて使おう。

7 月19日、今日は月曜日の授業日だ。朝から統計力学の講義、今日は不完全気体を。昔の人々は、分子間力を考慮した分配関数の計算に対して、うまい展開式を見つけたものだと思う。さて、授業は月曜日なのだけれども、他の業務は普通に金曜日なので、午後はずーっと会議。そうすると、arXiv プレプリントサーバーを眺める時間がほぼ無くなる。後回しにして週末に眺めるのも、何だか残業みたいで後味が悪い。というわけで、騙し騙し時間をへそ繰って、それぞれの業務を無理のない範囲でこなす。そうそう、レフリー仕事がけっこうたまっているのであった、あちらも片付けなければ。

7 月18日、職場の Mac のキーボードが微妙にガタつくので、よくよく眺めると裏側が膨らんでいる。内蔵バッテリーの寿命が来たようだ。こういうものは使い続けても良いことが何もないので、サーバーに使っている Mac からキーボードだけ拝借して来る。新しいキーボードにはタッチ ID が付いていて、接続すると登録しろと催促して来るけれども、無視する。Mac のキーボードも、昔とはかなり変化したなーと、しみじみ思う。昔のパソコンは Apple II のように結構ぶ厚くて、その上にキーボードが載っていた。そういうパソコン専用のデスクもあったくらいだ。その頃のキーボードはストロークがタイプライターのように深かったものだ。今はもう、あの時代の機械はマトモに叩けないと思う。

7 月17日、青空が戻って来て、夏になった。これからお盆くらいまでが夏本番、そのあとは 9 月中旬くらいまでダラダラと残暑、その間に台風が何個かやって来るかどうか。このように晴れると、畑の水やりが大変だ。朝に水をやっても、夕方になると葉が萎れてくる。夜になって外に出ると、海辺なのにヤブ蚊がブンブンと出てくる。そうなる前に夕方の水やり。タップリとあげないと、夜の間にまたまた萎れたりする。特に、風が吹いている時は要注意だ。一方で光は十分にあるので、ナスビやキュウリは次々と実ってくれる。芋のツルは伸び放題で、これからようやく根が太り始める頃。夏はいいなー。

7 月16日、今日の物理数学は数値計算から。整数、浮動小数点形式、数値積分、数値微分、モンテカルロ法、擬似乱数。そういえば数値微分は微妙に繰り込み群と関係している。この辺りをウロウロとした後で、期末テストの要点について手短かに話す。勉強してくれることだろう。よくよく考えると、セメスター開講しているから全 15 回で良いのだけれども、まあ 16 回をフルに使おうか、来週は特異値分解だ。その話題に入ると、エンタングルメントについて触れないわけには行かない。するとテンソルネットワークへと話が続いて、どこまででも ... いや、そんなにネタがあるわけない。

7 月15日、ヒマラヤ杉は、おそらく西日本にはもともと生えていなかったのだと思う。神戸大学には、庭木としてあちこちに植えられていて、どの株も大きく育っている。そこから種が飛ぶのだろう、周囲の地面を見渡すと、かなり遠い所まで小さな芽が地面から顔を出している。そのまま育ったらアチコチがヒマヤラ杉だらけになってしまう。ただ、生育がとても遅いので、草刈りなどしない自然環境の下では、クズとかススキとかササとか、速く伸びるものとの競争には負ける。掘り出してきて庭木に、と一瞬思ったけれども、あの巨大な姿を思い出してやめた。松とは違って、小さく管理するのが難しい木だ。盆栽にしようと切り詰め過ぎて、枯れたことも。

7 月14日、天気もまあまあの梅雨空で、山本通にある海外移住と文化の交流センターへと、ちょっと遠い散歩に行く。年に1度のアルゼンチンのお祭りが催されていて、南米の音楽、とりわけタンゴをたっぷり楽しめた。料理や飲み物も楽しめるキッチン付きの会場は最上階にあって、とても広々としている。昔は食堂だったのだろうか。そこから下のフロアは芸術家が創作を行うレンタルスペースになっていて、色々な造形物が所狭しと並んでいた。こういう文化は、長い時間をかけて得られたものなのだろう。昔の建物は、今は無理なくらい色々と凝った造りになっていて、昔も豊かな生活があっただろうことを感じる。戦後は移民を考える状況だったそうだけれども。

7 月13日、大阪で関西に住む同期の同窓会を楽しむ。その前に、少しだけ時間があったので、ディアモールの今や、開発が進むウメキタを眺めて来た。大阪駅の南側はどちらかというと、第1ビルから第4ビルのように狭くてゴミゴミした賑わいがあって、そもそもが戦後のバラック街であった界隈の雰囲気を継承している。対して駅の北側は何もかもが広々としていて、見かけだけならここが大阪なのかと感じるのだけれども、聞こえてくる人々の話し声は大阪弁丸出しで、ああここも大阪なのだと納得する。同窓会では、そろそろセカンドライフという声も聞こえて来た。教員業の稼ぎでは、リタイアは無理だなーと思った。

7 月12日、乾燥イチジクを小さく切り分けて植木鉢に載せておいたら、芽が出たのが 1 年前。それからどんどん成長して、鉢がいちじくの苗だらけになったので、バラして個別の苗にすることにした。これが難儀な作業で、根が絡まっていてマトモにはほぐせない。結局、かなり根を切って、同じくらい地上の枝葉も小さく切り詰めて、挿し木苗を作るような感覚でバラバラにした。ここから、ヨーグルトの容器に入れて、土を盛って、ひとまず作業終了。しばらくの間は、あまり日の当たらない場所で根を伸ばしてもらう必要がある。トルコからやってきた乾燥いちじくから生えた苗は、どんなふうに育つのだろうか。

7 月11日、前線の北側に入って、ひんやり涼しく、小雨が時折降る曇りの日となる。何事もなく普通に一日が終わろうとしている頃に、外国為替が 2 円以上も動く。相場は、その先にどう動くかは見当がつかないものだけれども、とりあえず取引のタイミングとしては悪くないので、ドルを買う。月に何回か、ざっくりと売買して、外貨と円とを半分ずつくらい持っておけば、どんな値動きをしても損にも特にもならない。安くなった方の通貨へ少しずつ戻すことができれば、額面上はジワジワーッと増える。とは言っても、そういうアルゴリズムで増えることを期待するのは間違いで、あくまでもリスクヘッジの運用なのだ。なお、外貨預金は保護されていないので、銀行が倒産しそうになったら引き上げる必要がある。ちょっと面倒なものだ。

7 月10日、先週末が暑かったので、あちこちで「夏バテ」なのか、体調を崩す人が続出している。そういう自分もまた、週明けの月・火の午前中の講義は、騙し騙し、寝不足の体調と相談しながらの進行となった。そして今日は朝から曇りで、燃えるゴミを出した後で二度寝。夢の中で回収車がやって来たような気もする。夏至の頃の直射日光が降り注がないのは、はとても有難いことだ。このまま散歩に行きたい所だけれども、調べておくことが幾つかある。理学研究科のあちこちで wifi の接続を試してみて、大学の wifi 電波が弱い場所を特定するのが、その作業の一つ。これは結構、地道な作業で、暑い日にはやりたくない。今日やるか。

7 月 9 日、朝は晴れ、昼から曇り。ジェット気流はヒマラヤの北を通っているのだけれども、大きく蛇行して日本の上空に戻って来た。このブロックされたようなトラフが動くまでは、梅雨空に戻るらしい。暑さも一服、直射日光がないだけで随分と過ごし易いものだ。そういえば、山奥で夏合宿した時には、ずーっとスカッと晴れていることがあまりなくて、天気予報が毎日のように、晴れ時々曇り所によっては雨または雷雨、といった予報ならぬ予報で、事実その通りよく雷が落ちた。湿った空気が上昇すれば必ず雲となる、そんな教科書的なことを今週も実体験するのだろうか、ここ神戸の丘でも。

7 月 8 日、金曜日に arXiv の配信がなかったので、今日は 2 日分の preprint が一気に公開となった。通常、火曜日も週末の分だけ一気に公開で大変な分量になるのだけれども、何となく気分的にはそれよりも今日の方が検索が大変だった。Tensor Network 関連の preprint 投稿では、どちらかというと火曜日が嫌われる傾向があって、投稿数が少ない曜日を狙っての公開が多いからだ。今日は、ええと、8 つの文献が検索に引っかかった。DMRG を使った解析の場合、Abstract に Tensor Network などと断ってくれないので、Title, Author, Abstract などから気配をかぎ取って探す必要がある。半分くらいは見落としてるような気がするけど、まあベストを尽くそう。

7 月 7 日、今日は大学で七夕祭りが行われている。が、それは仕事が終わるまではお預け。まずは、溜まり込んでいる仕事を片端から仕上げて行く。先週の週末に、なぜか立て続けに作業が発生するメールが届いて、その瞬間に「日曜日が飛んだ」と思った。事実、そうなっている。その中には、レフリーのようなボランティアも含まれている。ボランティアとは言っても、ただ一方的に労働力を提供するというわけではなくて、常々誰かのボランティアのお世話になっているのだから、自分もその業務の一部は受け持つという具合の仕事だ。あまり抱え込むと爆発するし業務のクォリティーも下がるので、バランス感覚が大切だ。

7 月 6 日、大阪の本町から少し歩いて、綿業会館へと足を運ぶ。随分と久しぶりの大阪で、何だか別世界に来たように感じた。大阪というと、電柱が立っていて、アチコチがゴミゴミとしていて、時にはその辺りでしゃがみ込んでる人がいたり、というイメージを持っていた。あらあら、電柱がない。さすがは大阪、税収が結構潤沢にあるのだ。今日は、この綿業会館でタンゴのコンサートを楽しんだ。タンゴに接したのはいつだろうか、幼少の頃は「黒猫のタンゴ」というタンゴらしからざる曲がテレビに流れていた。大学でギターを弾いていた頃は、隣のバンドがタンゴ専門のバンドで、助っ人というか数合わせというか、何度か演奏に参加させてもらった。一言で言うと、カッコつけの音楽、弾いていて気持ちいいのだ。そんな思い出の曲も聴けて、楽しかった。

7 月 5 日、快晴となる。今の神戸は太平洋高気圧のヘリに位置していて、南からの強い風が吹いているので、それほど暑さを感じない。カラリとした感じが体感温度を下げてくれているのだろう。時折の突風が、日傘をひっくり返そうとするので、結構歩きづらい。ひたすら建物の影に入って、日光を避ける。こういう時には、滋味あるものを食べて、ゆっくり休むことが大切だ。この夏に向けて仕入れた鉄鍋で日々の調理を楽しむことにしよう。鉄の肌は黒いので、ステンレスの鍋よりも食品の状態がわかり易い気がする。ああそうだ、風が強い日には夕方にも畑の水やりをしないと。

7 月 4 日、夏は北海道の農産物がどんどんやって来て楽しい時期だ。大地の恵みというか、恐らく一株あたりの面積が広いのだろう、しっかりと育った野菜が箱詰めになったものが、驚きの価格だったりする。船で京阪神までやって来るのかな。加工品ではベーコンやソーセージなども、素朴な舌触り、味わいのものが、週替わりの食品コーナーで売られていたりする。原材料を眺めると、とてもシンプル。いつも食べているハムなどは、相当に水増ししているのか、あるいはカマボコのような舌触りを求めてわざとクリーミーに仕上げているのだと気づく。まあ、どっちにも良い所はあるから、日々の食卓のどこに、どんな形で食材を使うか? を考えた時に、当てはまるものを買い求めて使う、そんな感じで良い。さて次はどの場所で北海道物産展が???

7 月 3 日、夏になる。カラリと晴れて、熱帯に突入。雨が降らなければ、水やりしなければならない。畑を回って、乾いているところも湿っている所も、ともかく水撒きする。今の時期はキュウリがいくらでも取れる。スイカやメロンもそうだけれども、ともかく日照が必要で、8 月になるともうウリの季節は終わりとなる。気象シミュレーションを眺めると、ジェット気流が日本海側に入って、いよいよ梅雨もおしまいの雰囲気に。真夏は北海道より北に移動するから、もうひと押し。さて、今日は何を食べようか、こういう暑い時期には牛肉やウナギでも食べて体力をつけなければ。

7 月 2 日、今日は研究室周辺の人々で、ささやかに暑気払いのお茶と軽食の時間を楽しむとのこと。学生のセミナーの後ということで、今日もボチボチと生成・消滅演算子の計算を眺める。セミナーが終わって研究室に戻って来ると、あら綺麗な飾り付けでパーティーの準備、という感じ。何だかすごく凝っているではないか。と、思っている間に「今日の主役は西野さんですよ」とお声がけいただく。あらあら、思いがけずにお祝いしてもらった。日頃から人脈のない人間なので、こんな機会もないかと思っていたので、うれしかったなー。なお、こういう場でマトモに挨拶できない私、いつもの如くアチコチで不規則発言して、フラリと撤収。準備も後片付け大変だったろうなー。少しずつ、機会を見て n 倍返しだ。

7 月 1 日、すっかり梅雨の一日。エアコンの効いていない場所では、あらゆるものが湿気ている。昔の人々が米をモミの状態で保存していた理由がわかる気がする。玄米ならまだしも、白米にしてしまってこんな湿気を浴びると、カビてしまう。時代劇に出てくる蔵の建物が重厚で、出入り口も窓も小さい理由もこの湿気や、春先に暖かくなった日の結露からいろいろなものを守るためなのだろう。まあ西国はまだマシな方か、仙台では下手をすると夏中ずっと霧雨ということもあったし、青ヶ島や八丈島でもこの時期は湿気が過ごいと、YouTube の映像などから伝わって来る。次に晴れたら夏だ、それはそれで厳しい天候だなー。


5 月と 6 月の1行日記