← 7 月と 8 月の1行日記  

6 月30日、お米のパスタなるものを買って来る。グルテンフリーなのだそうな。ゆで時間 6 分と書いてあったけれども、冷製パスタで食べるには 8 分でも良いくらいかなー。味は小麦の香りがしないパスタ。うどんや冷麦とも違っていて面白い。どちらかというと、韓国冷麺の麺の味に近い。うどんだしをぶっかけて、酢を注いで、ごま油でいだく。冷製パスタというよりは冷麺の味付け。バクバクと食べて、あっという間に完食。あ、付け合わせはキュウリとハムの千切り。ともかくパスタは茹でたてが良い。茹で麺はまあ便利なのだけれども、時間がある時には生か乾麺から調理するものだと改めて思った。

6 月29日、挿木苗の植え替えを行う。アイスクリームカップくらいの紙の容器に鹿沼土や赤玉土を入れて、サツキやラベンダーを挿し木したのが去年の秋冬。その時期の挿し木は春になるまで結果がわからないのだけれども、おおよそ発根してくれて、そろそろ植え替えの時期となった。まだ苗としては小さいので、今度は一食分のヨーグルトくらいの紙容器に一本ずつ植えて、並べる。たくさんの苗ができたので、並べる場所も確保しつつの作業となった。まだ屋外で一日中カンカン照りの光を受けるには弱い苗なので、もう少しの間は窓際での管理となる。秋になる頃には定植できるだろう。どこへ植えようか。

6 月28日、1 次元の散乱問題は量子力学の教科書では定番のものだ。反射、透過という基本的な概念が詰まっていて、また、後で 3 次元の散乱問題を扱う時にも、等方的である S 波の散乱は 1 次元問題に帰着できるので、少し物理的な解釈をし直す必要はあるものの、1 次元散乱で習ったことが生きてくる。これらの取り扱いでは、最初は実空間の波動関数から考え始める。散乱なのだから、運動量空間が良いのではないかと、そう思ってしまうのだけれども、散乱が起きる位置で phase shift が起きるような平面波は、極限操作を使って正規化しない限りフーリエ変換できないのだ。この辺りの技法はグリーン関数を習う頃には身につくのだろう。量子力学は難儀だ。

6 月27日、肉を煮た汁を使って、トマトスープを作る。美味しいスープになったかなーと味見をすると、確かにトマトスープで不味くはないのだけれども、何かが足りない。甘みは玉ねぎなど他の野菜からも出ている。トマトはやっぱり酸味。でも、サラダとして食べるような大玉のトマトは酸味が少ないのだ。フルーツトマトのような、小さな甘いトマトは酸味も十分に乗っていて、あれをスープに使うと美味しく仕上がる。但し財布に優しくない。缶詰のトマト水煮はプロも使う素材で美味しい。何回分もあるから、缶を開ける度に小分けして冷凍するのが、ちょっとだけ面倒なのだけれども。大きな冷蔵庫を買おうかなー。

6 月26日、レフリーコメントそれぞれに回答して論文を再投稿する。今回のように丁寧なレフリーコメントを頂いた時には、真摯に対応しようと思えるものだ。専門的な学問分野でのやり取りには、そのような丁寧さがある。ただ、全てに満足に答えることは不可能なのが学問の最先端では普通のことで、ある所までで線を引いて、そこから先は将来に取り組む課題として残す選択もあり得る。そのような回答を許容する査読者も居れば、とことん追求して来る査読者もいる。長くこの業界にいる研究者にとっては、何をどのように指摘されても淡々と回答するのが常で、他誌への投稿も含めて選択肢は潤沢にある。初めてレフリーコメントに接する若い人々には、この辺りの作法から順に伝えて行くのが良いだろうか。淡々と作業を進めるようにと。

6 月25日、神戸大学には LANS HALAL Vege Dining という菜食やハラル対応の食堂がある。厳密な意味でのハラル認証は受けていないのだけれども、ハラル、菜食、ビーガン、グルテンフリーのそれぞれに適合したメニューを提供している。特に、「インド風カレー」が全てを満たしていて、食堂メニューの中核となっている。このカレー、大盛を食べても午後に眠たくなったりしないし、胃もたれしない。これは不思議だなーと思って、普通に誰でも (?) 食べている業務用カレーの原材料を眺めてみると、牛脂と豚脂を混合したものが結構入っている。なるほど、スパイスの味に隠れて油脂を大量に摂取していたわけだ。もう一つ気になるのが調味料で、ハラルには「何とかエキス」という類のものは大抵は使えないし、単にグルタミン酸であっても原材料によってはアウトだ。調べてみて、ますます「インド風カレー」が好きになった。ちなみに、この食堂の唐揚げは妙な下味がなくて、揚げる油もほぼ専用なので、とてもアッサリと美味しい。他の食堂の唐揚げと食べ比べると、その違いがハッキリとわかるはずだ。

6 月24日、夏至も過ぎたけれども、日の入りの時刻はこれから月末にかけて、もう 1 分くらい遅くなるようだ。7 月に入ってからは段々と日の入りが早くなって、その月末には 14 分ほど早い日没となる。今の時期は北国へ行くほど夜が短くなるわけで、札幌は? と調べてみると、神戸と同じくらいの時刻の日没となっていた。札幌の夜明けは 4 時、神戸よりもずっと早い。夜があるんだろうか? とすら思えてしまう。北欧へ出張している人々からは、白夜の様子が SNS で送られて来る。ちょっと思うのは、そういう北欧の「夜の街」とはどういう光景なのか?! ということ。真昼のナントカ新地のような感じでは趣がないなーという気も ...

6 月23日、学内ネットワークの更新へ向けて、にわかに慌ただしくなって来た。どこに新しい機器を設置するか、という要望をまとめなければならない。同時に、現状把握も大切だ。前回の更新は 2017 年で、すでに数年以上が経過している。難儀なのは、この間に「どの部屋を誰が利用しているか」という利用実態が変わっているということだ。これは現在進行形の問題でもあって、新しい機器が導入される 2025 年にはどうなる予定なのか? までを、よくよく把握しておかないと、設定に齟齬が生じかねない。こういう地道な確認作業の準備は、たっぷり時間が取れる週末に行うのが良い。週日は授業やセミナーや研究に専念できるように。

6 月22日、白花豆を茹でる。最初に皮を剥こうかどうか迷って、そのまま何度か煮こぼして、皮ごと水煮した。出来上がったものを冷やして食べてみると、やっぱり皮が気になるので、その時点で剥く。最初に皮を剥くよりも面倒だけれども、まあ仕方ない。そのままサラダにしても良かったのだけれども、野菜スープを仕込んだ鍋に上から放り込んで、白花豆スープにした。半分溶けるくらいまで加熱した方が、豆としては美味しいし、溶けたスープもまた豆っぽさがあって良い。白花豆が栽培できると面白いのだけれども、夏に暑くなる地方ではマトモに育たないらしい。また百貨店の北海道展などで仕入れるとしよう。栽培の方は、もっと手軽な緑豆にするか。

6 月21日、ラベンダーの刈り込みを始める。神戸の気候は地中海っぽい所もあって、品種によりけりだけれどもラベンダーの栽培にはまあまあ向いていると思う。暑い夏も割とそこそこ大丈夫なのだけれども、梅雨だけは要注意だ。枝葉が込み入っている状態のままだと、日光が届かない梅雨の時期に枝ごとアッサリ枯れてしまうことがある。そうならないように、花がついた後は少しだけ葉は残すけれども、シッカリと刈り込む。その状態でしばらく経つと、自然と新たに芽吹く枝と、そのまま枯れてしまう枝に分かれる。枯れた部分をこまめに取り除くのが管理のポイントで、光が入れば太い枝からでも新たに芽吹いて来る。台風による潮風の強風が来たら、流石に祈るしかない。

6 月20日、シソの芽がたくさん出てきたので、試しに日当たりの良い場所にゲリラ植えしてみると、ぐんぐん育ってびっくりの大きさになった。いつかは雑草として刈り取られる運命ではあるのだけれども、植物こそがソーラーエネルギーを最も自然な形で蓄えるものだと、改めて思った。シソは元々が雑草だったかな、確か。ハーブの類は大抵はその辺りに生えているものから品種改良して来たものだから、野に返すと野生が復活するのかも ... と、非科学的なことをボーッと考えて、ボヤけた午後を過ごした。さて、溜まってる仕事を済ませてしまわないと。執筆もしなければ。

6 月19日、解析学に比べて、代数は取っ付きが悪いような気がする。ひとつの原因が、代数学を学ぼうとして代数の教科書を手にすると、いきなり抽象的な定義から詰め込まれ、それでイヤになって勉強を止めてしまうからだ。もちろん、新しいスタイルの教科書ではそういう事も減ってはいるのだけれども、図書館へとわけ入って古い教科書を手にすると、ガツンと一発喰らってしまう。図書館へ行くのは止めて、AI にお伺いを立てる方が良いし、英語の文献はいくらでもフリーで転がっている。現代における図書館の役割は、今までに溜め込んだ情報を積極的に AI 学習に使わせることかなー、著作権の問題はあるのだけれども。

6 月18日、山芋の見切り品を台所のシンクに置いておいたら、芽が出てきた。だいたい、梅雨の時期になると狙ったように生えて来る。雨を知っているというか、蒸し蒸しした雰囲気を感じるとようやくスイッチが ON になる感じだ。一度伸び始めるとすごい勢いで芋の養分を芽に注ぎ込み、1日に 10 cm も伸びる。やがて葉を広げて光合成を始める頃には、ようやく伸びる勢いが止まる。今度は栄養が葉から、新しい芋へと運ばれる番だ。こうして新芋が太る頃には冬を迎え、また翌年の成長サイクルに備える。イノシシなどに食べられても、少し残った部分からまた芽吹くらしい。あのネバネバで細菌をガードするのだろうか。この週末には、海辺の畑に地植えしよう。

6 月17日、リー群とリー代数は、行列の掛け算や対角化を学ぶ頃に、それとなく接するものだと思う。昔の人々も、そのあたりから発見的に論理を整えて行って、だんだんと抽象化したのだろう。量子力学を学ぶと、隠れた形で (?) リー代数に接する。交換関係のことをリー代数だと声高に叫ぶ必要がないので、特にリー代数を意識しないのかも知れない。また、そんなに厄介な群構造のものが実用上は出て来ないのも確かだ。いや、物質の格子の対称性など、低い対称性の下では色々と要注意な所はあるか。さて、どれくらいの範囲までリー代数を講義しようかなー、あまり深煎りしても仕方ないしなー。

6 月16日、神戸三宮は賑やかな街。そこから少しだけ東へと歩くと、あれあれ、賃貸マンションなどが建ち並ぶ閑静な都会的のような田舎のような住宅街となる。特に、山手へと進むとどんどん田舎度が増す。昔はフラワーロードが生田川の流れている場所で、そこより東は街ではなかったとも聞く。ということは、やがては現在の生田川まで三宮の街がジワジワと移動して行って、元町の方は新開地のような感じになって行くのだろうか。まあ百年くらい経って、初めて目に見える程度のゆっくりした変化だとは思うけれども。今日は、そんな界隈 (?) でインド料理をいただいた。体の中が香りに満ちる感覚が面白い。

6 月15日、三里塚から野菜が届く。今回は、ズッキーニ、3度豆、キャベツ、スティック型のブロッコリー、玉ねぎ、レタス、セロリ、小松菜など。今はちょうど作物が入れ替わる時期で、葉物野菜には芋虫の食べた跡が。時々、芋虫がそのまま付いていることも。これは農薬を使っていない証でもあるので、見つけたら虫籠に入れて蝶になるまで育てる。バリバリと葉を食べて成長する姿は面白いものだ。節足動物と我々が属する脊椎動物は随分と遠い存在なのに、手足があって目があって、何となく似た対応がつくのが興味深い。どちらが、どちらを真似たというわけでもないのに。

6 月14日、さつき鋏を仕入れる。剪定鋏は強力なのだけれども、刃が曲がっていて、かつハンドルのすぐ先に短い刃が付いているので、細かい作業には向いていない。さつき鋏は、ハンドルの先が少し長くて、支点の向こうに短い刃が付く構造なので、枝にわけ入った場所にも刃先が届く。このおかげで、枝葉が二層になったような場所に花が咲いて実が付いたような場所にも、楽々とハサミを入れることができる。剪定が終わった時点で、地面までうっすらと見通せたら作業完了。どこか見通しが悪ければ、そこには何かが潜んでいる。向きの悪い枝、枯れてしまった枝、なげ込まれたゴミなど。地面まで光が届けば、根本からも芽が吹いて、穴があったら埋めてくれる。

6 月13日、ガットギターの苦手技は長音。エレキだったら、スピーカーの前で弾いている限り永遠に音が伸びるのだけれども、アコースティックな撥弦楽器では無理無理。ラスゲアードという手はあるけれども、どちらかというと持続音のためではなくて、リズムを刻む表現方法だ。トレモロは特殊で、和声の表現には向かない。結局は、アルペジオに置き換えるという定番の技を使うことになる。アルペジオとひと口に言っても色々なリズム・パターンがあるので、曲を通して破綻や矛盾が生じないものを基本的なパターンとして選んだ後で、旋律との関係を見つつ音符を拾って行く。どうしても埋まらなくなった小節には、同音反復とか禁則とか、なりふり構わず音を入れるか、あるいは休符にしてしまう。ともかく曲にまとめないと。

6 月12日、仕事がハネてから (?) 瀬戸内の物産展にイソイソと赴く。近場の物産ということで、北海道物産展ほどの活気はないのだけれども、神戸には西日本出身者がソコソコ居るので、それなりに賑わっていた。讃岐うどんは今や全国区で、生麺やイートインは行列ができる繁盛ぶり。練り物のような伝統のものでも、長い目で見ると年々美味しくなっている。昔の通りのレシピで蒲鉾を作ると、現代人には固くて甘くなくて、直ちには美味しいと思わないだろうから、いわゆる混ぜ物やつなぎも、味を整える上ではバカにならない。いちごのスイーツも売っていた。中新町交差点の近くにできた、新しいお菓子屋さんの出店らしい。あの辺りは、その昔に中学校に通っていた頃に、よく通り過ぎたなーと懐かしくも思う。中学生ばかりが乗り込んだ朝夕の通学バスは、いつも混沌としていたなー。

6 月12日、菜の花の仲間は、とっくに塔立ちして食用にはならない状態なのだけれども、もうそろそろ種が実った状態で枯れ込んでおしまい。これからの観葉植物はヒマワリだ。まだ時期が早くて、花をつけたヒマワリはあまり出回っていない。苗はたくさんあって、ホームセンターでよく売られている。少し太めになるまで日当たりの良い場所で育ててから定植する。そうしないと、梅雨の時期にはナメクジにやられてしまう。さて今日からは、神戸阪急で瀬戸内の物産展があるそうだ。海辺の自宅に帰る途中で立ち寄ることにしよう。今回は、あまり四国の産品が目立たないけれども、まあ良い良い、ともかく行ってみよう。

6 月11日、アジサイの花の楽しみ方いろいろ。アジサイは、ともかく増殖してたくさん花をつけて、しかも花持ちが良いので、いろいろな飾り方がある。お寺では、水を張った所にアジサイの花を浮かべて並べている所も、よくインスタグラムなどで見かける。もう少しモダンには、ガラスのお椀に沈めて楽しむという方法も。普通の花だと、そんなことをすると直ちに花びらが溶けてしまうのだけれども、アジサイは花に見えてガクなので、水の中でも溶けない。それどころか、光合成して茎から根が出てきたりもする。根が出たのだから苗にしましょうと、そういう考えを持ち始めると、やがて庭も散歩道もアジサイだらけとなる。これがアジサイの進化の知恵というものだろう。

6 月10日、大学の中庭のベンチをふと眺めて、そういえばコロナ前は向かい合わせになっていて、discussion などし易い配置になっていたことを思い出した。物は試し、背中合わせの配置から、元の (?) 配置にこっそり戻してみた。直ちに何か起きるような気はあまりしない。若い世代の交流はどんどん SNS に以降していて、向き合ってのお喋りという感じではない所もあるからだ。その後のお昼ご飯は生協で。ポツンと空いた席があって、そこに着席すると周囲から「そこにはムカデがいます」との指摘が。確かに、足元に巨大なムカデが。目に入っている間は問題ないので、眺めつつお昼を済ませて、さあ捕まえようと思った瞬間に、壁の隙間へと逃げて行った。

6 月 9 日、一日中、小雨が降り続く。庭作業にはもってこいの天気だ。ホコリが舞い上がることがないし、適度に涼しい。雑草を抜くのも容易だ。気温も低めで、ヤブ蚊もあまり飛んでいない。スイセンなどの球根ものは、もうおしまいだ。畑のネギや玉ねぎも、花が咲いておしまい。根元だけが株分かれして、小さな球根ができる。また秋風が吹く頃まで、どこかで保管しよう。風通しの良い場所でないと、すぐにカビてしまうので、保存場所は広く確保しなければ。納屋へとわけ入ると、色々なガラクタ類が積み重なっていて、まずはそこから整理を始めた。これがドロナワ。

6 月 8 日、そろそろ年末までの予定が入って来る次期となった。学会やら研究会やら、新年度になって準備を始めたものが今頃に募集を始めるか、締め切りを迎えるわけだ。旅費は余裕を見ておかなければならない、金欠になったら最後は自腹・手弁当が待ち受けている。この観点からは、海外渡航は難しいことになる。そもそも、往復でン十万円というのは「昔の感覚」では信じられないものだ。そんな事を思いながら新聞を開くと、昭和世代はバブルの頃の絶頂期が忘れられなくて、その栄光にすがって現状が見えない、というか、見たくないのだと書かれていた。それはそうだよなー、国際的に著名なスパコンの所有台数もまた、日本は片手で数えるレベルなのに、海の向こうでは一国で百台に迫る財力で研究しているからなー。

6 月 7 日、植栽の続き。今の時期に目立つのがアジサイ。花が美しい。そのアジサイの株の中に、去年の古い枝が突き出たままのものを良く見かける。誰も管理しないと、このような姿のままとなるのがアジサイの性質だから、仕方ない面もある。誰もそんなことを気にしていないとは思うのだけれども、ついつい、我慢できなくなって、ハサミを持って参上、古い枝をチョキチョキと。半分どころか、6割くらいが枯れ枝であった。作業の後は、花が前面に出て美しく見えるようになった。花の色は地質によるらしくて、同じ種類のアジサイでも隣の株は違う色に咲いたりもする。梅雨明けの頃には花を落としてしまうのが良いのだけれども、これは人の目があるとやりづらい作業だ、それは放置しよう。

6 月 6 日、理学研究科の生垣には色々な木が使われている。今の時期によく目立つのがレッドロビンだ。若葉が真っ赤なので、こんな名前が付いている。植物としての名前はカナメモチらしい。水やり要らずで、とても強い。ツツジもよく見かけるし、水やりなど管理していなくても枯れない。一方で、すぐにダメになってしまったのが沈丁花。植えられていた殆どが枯れた。サツキも、水やりしていない所は半分くらい枯れている。モチノキは常に元気に見える。ツゲなども乾燥に耐えて青々としている。藤棚のフジは、もともと山野に生えるだけあって、どこでも茂る。珊瑚樹も時々見かける。極め付けがヒマラヤスギで、これは GHQ が接収していた大昔から生えているらしい。どの樹木も、水やり要らずというのが、管理上とても大切なポイントだ。

6 月 5 日、イリコの頭は良い肥料になる。塩を含んでいるので大量にはまけないけれど、植木鉢に乗せておくと水やりの度に少しずつ養分を出して、程良い有機肥料として働いてくれる。田作りのように、そもそも小魚は畑にまく肥料として良く使われて来たものだし、園芸店で売っているペレット状の肥料も、封を切ると魚の匂いがする。もっと大きな魚になると、そのまま肥料にするのは面倒だけれども、アラからダシを取った残りの骨は、これまた良い肥料になる。庭に穴を掘って埋めておくだけで、周囲の木々の緑が深くなるから、海のものは何でも養分に満ちているものだ。イリコの身の部分はポリポリと食べて胃袋へ。

6 月 4 日、比較的新しい校舎のZ棟はコンクリート打ちっぱなしの外観で、壁や梁などの構造がそのまま見える。よくよく眺めると、梁は柱よりも幅が細くて縦長な形をしている。また、梁の縦方向の長さも場所によって色々と変化している。柱の間隔などによって、梁にかかる力が違って来るのだろう。昔は、こういう面倒なことをせずに、どこもかしこも金太郎飴(?)のように同じパターンで設計してある校舎が目についたものだけれども、コンピューター画面でサクサクと設計できるようになった今は、設計の自由度が広がったからか、色々と見て回って楽しめる建物が多い。さて今度は、どこを眺めに行こうか。身近な所にも隅々まで色々な設計に満ちているものだと。

6 月 3 日、空が青くて、適度に雲がある。こういう日は写真が撮りやすい。雲からの反射光があると、影が濃くならずに少しふわっとした感じで景色が撮れる。薄曇りの日に比べると陰影のエッジが残っているのもポイントだろうか。何か撮るものないかなーと辺りを見回すと、植え込みの植物やら、そこへ進入しつつある雑草などが目に入る。おおよそ、人間が観賞用に植えるものは弱いもので、ヒルガオなどツルでぐんぐん伸びる雑草が覆い被さっていることもよくある。ヒルガオはまだ花が付くけれども、ヘクソカズラのようにあまり鑑賞できないものは可愛げがない。抜き去りたくなるけれども、まあ公共物は放置しておくのが無難だ。

6 月 2 日、巻き寿司を作る。中身を何にするか思案しつつスーパーを見て回って、焼きあなごが目に入ったので、アナゴ巻きにすることにした。ミツバやシソを仕入れて、卵を焼いて、キュウリも切って。ここに甘みのあるものを加えると良いのだけれども、まあそれは次回のお楽しみということで、さっそく巻き始める。毎回、最初は色々と失敗がある。今日は、ご飯を伸ばしている間に海苔が傾いてしまった。そのまま巻くとヘンテコにはみ出た巻き物になってしまうので、チョイチョイと調整しつつ誤魔化す。また、最後は微妙な量のご飯が残って、細巻きにも足りないので、そのまま食べた。すし飯だけでもおいしければ、まあ良いのである。

6 月 1 日、サツキの管理で判断が迷うのは、どの枝を残すか。綺麗に刈り込んであるように見えるサツキでも、よくよく観察すると勢いの悪い古い枝があったり、その下から若い枝が伸びて来ていたりする。覆い被さっている古い枝を切った方が、株としての維持には好都合なのだけれども、しばらくの間は不格好になる。この、しばらくの間という感覚が人によっては異なるもので、数年で元に戻れば良いという気長な方もいれば、毎年それぞれ美しくなければという方もいる。うまく中間を取って剪定を進めるのは難しく、その場その場での判断をしつつ、何度か違った角度から眺めて作業することが大切だ。

5 月31日、曇りの日かと思っていたら、小雨の日になった。実に微妙で、ほとんど曇りと雨の境界くらいの状態が日中ずっと続いている。植物には程良い湿りだろうか。傘を挿すほどの雨でもない。昨日に仕込んだ豚肉のコマ落としの煮物は、さてどうやって食べようか。100 g が 99 円なので 3 パックも買ってしまった品だ。そのままでも美味しいのだけれども、豚肉ばっかりでは飽きてしまう。売り場では野菜炒め用と書いてあった。今はまだ野菜の値段が落ち着いていないから、安いのは玉ねぎとかカボチャとか芋くらいだ。ホウレンソウは割と安いか。メロンは高止まりしていて、今年は食卓に並ばないかなー。

5 月30日、MacOS から Microsoft のメールサーバーへの同期が怪しくなって来た。Web Mail でメールの移動や消去などを行うと、それはサーバーにアクセスしている全ての Mac の mail.app に反映される。一方で、Mac 上でメールの消去や移動をしても、サーバー側には反映されない。このままではマズイので、おおよそ全てのメール作業を、まずは Web Mail の上で行って、ローカルに置いておく必要のあるものだけをローカルフォルダに移動する、そんな運用を行うことにした。Exchange という形式は IMAP とも違うんだなー、面倒なことだ。いや、そもそも、不要なメールを溜め込みすぎている。

5 月29日、何やら LUMIX が炎上しているそうで、話題になるくらいの製品とは何じゃいな (?) と見てびっくり。しばらくぶりにボディーに色のついた製品を新発売する上に、そこに付いているセンサーがフルサイズだ。お気楽フルサイズ ... とは言っても 500 g くらいの重量がある。どんな価格での提供になるのだろうか。また、26 mm F8 というフルサイズ用の針穴写真レンズも発売となる。そんなモンじゃマトモには?!と思うも、レンズ構成を見てひっくり返った、5 枚も使ってうまく光をセンサーの隅々まで導いている。まあそれでもスマホのレンズよりは十分に余裕がある設計だ。面白そう ....。

5 月28日、豪雨の日。けっこう強い雨が朝からずーっと降り続いている。降り止まないのが特徴で、ともかく長いし降水量も多い。ちょっと食堂との間を往復するだけでも、傘を挿さないとずぶ濡れになってしまう。靴は坂を登った時点ですでにすっかり濡れた状態で、一日中そんな感じのまま過ごした。今日はルジャンドルの陪微分方程式。陪の字は陪審員などに使われるもので、准教授に使われる准と同じ associated の訳語だ。ここから一気に球面調和関数へと進みたい所だけれども、来週は一休みして中間試験。さ来週には、少し復習くらいから始めて、直交性の説明へと進もう。

5 月27日、雨の日。こういう霧雨は大気中のゴミを洗い流してくれるので、実はとても好きだったりする。講義の日にもチョークの粉が舞いにくい。さて今日は、格子振動を連続体の方から攻めよう。二つのラメ係数から、縦波と横波が出てきて、振動モードが全部で 3 つ。それらを長波長から、切断する短波長まで数え上げると、ちょうど原子の数の 3 倍になって、辻褄が合う。ただし、分散関係には怪しい所があって、それはデバイ近似の限界でもある。ついでに光学モードも出てこない。光学という用語がどこから出て来るかを語り始めると、怪しい方向へと余談しそうなので、そちらは封印して講義しよう。

5 月26日ブドウを食べた後に残った種を堆肥に使っていると、ブドウが生えてくる。良い形質を受け継いでいる可能性は低いのだけれども、ブドウが伸びるのが楽しいと鉢植えにして室内栽培して、はや何年になるだろうか。室内だと、あまり陽も当たらないので、そんなに生育するものではない。時々、葉の裏側に白いポツポツができて、葉の表から見ると粒々のように盛り上がっている病変が起きる。これは一大事と、ボルドー液を仕入れてかけてもあまり効果なし。調べてみると、ブドウハモグリダニというダニの仕業だった。なになに、石灰硫黄合剤を冬の間に使え? この辺りの薬剤を、何か仕入れることになるのかなー。

5 月25日、たまには外食も楽しもうということで、海辺のパスタ屋さんで海鮮パスタをいただく。海辺ではあるのだけれども、阪神間は人口が多いので海産物は各地で水揚げされたものになる。トッピングされていたシラスだけは近海ものだろうか。産地はともかくとして、パスタの仕上がりは素晴らしく、あっという間に胃袋に入ってしまった。シラスがソースをうまく麺に絡める役割をしていたらしく、皿は綺麗に空になった。ああ美味しかった。が、あのソースはどんな材料から味を整えたのだろうか? 作り方が想像できないような和風の味付けであった。満足したので、ボチボチ海辺に沿って自宅まで戻って来て、余韻を楽しんだ。

5 月24日、海辺でもヤブ蚊が出てくる。浜の方の塩気のある所には居ないのだけれども、少しでも真水の溜まっている場所があれば、アッという間に増殖してブンブン飛び回る。落ち葉の裏のような、少しドロリと湿った場所でも十分だ。そのまま野良作業などすると、ヤブ蚊の餌食になってしまうので、まずは防虫対策から始める。植木屋さんのように完全防備が一番良いのだろうけれども、慣れていないと熱中症になってしまう。陽が傾く頃に、ちょっとだけ作業することにして、あらかじめ防虫剤を身にまとってから、田畑に分け入る。そんな作業の後には匂いが染み付いているので、外食は遠慮しておく。

5 月23日、ネットワーク関係の業務を担当していると、年度が切り替わる時などに色々と更新作業が入る。間違えるとメールが届かなくなったりもするので、わずかに一行書き換えるだけでも、結構気を使うことが多い。まあでも、地道に確認すれば済むことなので、難しい作業ではない。新しくやって来る方の登録の場合、まずはメールアドレスなどをお伺いする所から作業が始まる。技術的には、どんなプロバイダーやサーバーのメールアドレスでも登録できるのだけれども、セキュリティーの関係で大学が委託してあるシステムを使うことになる。一方で、去って行かれる方の登録を抹消するのは、やっぱり寂しいものだ。

5 月22日、夕食の後に少し遠出して、街中のスーパーへと買い物に行くと刺身パックが半額だったりする。鮮度が落ちていそうなものもあれば、まだまだ新しいものもある。白身魚は、そんなに急には質が悪くならないので、塩を振ってから洗って、キッチンペーパーでキッチリ拭き取れば、まあ翌日は大丈夫。マグロはヅケにしても、あまりうまく行かないことが多い。冷凍品を半解凍の状態で切ったまま販売してあるようなものは、そもそも水気が多くて長持ちしない。イカやエビはまずダメ。ハマチは血合いの所が微妙だけれども、白い身の部分は何とかなる。とは言っても、翌日に必ず刺身を食べるか、煮つけるかという制約ができてしまうので、半額品に手を出すのは、お得とは言い難いかも。

5 月21日、ツタやヘデラは要注意だ。ヘクソカズラに比べると伸びが遅いとは言え、知らない間に至る所へと伸びて行って、最初は目立たなく拠点を作って、そこからまたまた八方へと伸び進んで行く。気がついたら辺りはツルだらけとなっている、そんな感じだ。これはマズい、うかうかしていると海辺の我が家がツタに囲まれてしまう。そういう風にツタを絡めてある家も時々は見かけるのだけれども、雨漏りしないのかなーと他人事ながら気になるし、虫や動物も屋根や壁面に隠れ住んでいるはずだ。大昔の竪穴式住居はどうだったのだろうか、やはりツタまみれだったのか、いやいやあれは何年も住むものなのか、次々と作り直すものなのか、何だか縄文・弥生のことが気になってきた。

5 月20日、vertex-IRF transformation という変換がある。統計力学では有名なイジング模型は、そのまま vertex model で、かつ IRF model という素晴らしい (?) 系なのだけれども、一般的な統計力学模型は、そのどちらかであるか、あるいはどちらでもない。vertex model と IRF model には、互いに行き来する変換があって、それが vertex-IRF transformation である。この変換は結構古くから、五月雨式に (??) 何度も再発見されつつ使われて来た経緯がある。テンソルネットワークの時代になって、またまた拡張された形で再発見されている。それを使うと、数値計算の安定性が増すことがある。だからどうだと言えば、まあその辺りにウンチクを傾けるのがテンソルネットワークであると言えるだろう。

5 月19日、雨の日。今日は昼頃から雨が降るという予報だったのだけれども、朝から雨となった。海辺で雨が降ると、畑の作業もできないし、散歩する気にもならない。届いた野菜の調理に専念することにした。葉物の野菜は、中華料理では「油通し」した後に調理に入ることもある。たっぷり油を使うのが中華料理だ。そこで、しばらく前に豚バラで取ってあったラードを使って、中華鍋で炒め物を作った。それなりに美味しかった、但し植物油の方が相性が良かったかなーと、一瞬だけ思って胃袋に落とした。近隣のコンビニは仕入れが外れたようで、お昼ご飯に向けて仕入れた品々が、半額で投げ売りされていたけれども、あまりの数の多さに閉店時間前まで売れ残っていた。バイトさんらの持ち帰りになるのだろうか、あるいは冷徹に廃棄だろうか。夜半に YouTube を色々と漁っていたら、青ヶ島の生活がヒットして、ハマってしまった。田舎暮らしで育った身ではあるけれども、絶海の孤島にはレベルの違いを感じた。

5 月18日、三里塚から野菜が届いた。まずはスナップエンドウとソラマメをそれぞれサッと茹でていただく。美味しい。葉付きの大根から葉を切り取ってスープでいただく。これだけ美味しいものが普段は商品棚に並ばないのは、まあ都会だから仕方がないだろうか。他にはコマツナ、ズッキーニ、レタス、キャベツ、サツマイモ、色々と入っていた。毎回楽しみにしているのが三里塚からの便り。新しい滑走路の整備に向けて田畑が段々と荒地に変わって来たという知らせもあって、何とも言い難い想いがあった。別の業者なのだけれども、成田空港に囲まれた中で耕作を続けている方々も。確かなことは、しっかりと有機物を含んだ土から育った野菜は、香りがシッカリしていて美味しいということだ。来月が待ち遠しいな。

5 月17日、金曜日には一週間の疲れ・歪みが溜まるものだ。体調やスケジュールなどに不調があっても不思議ではないし、突然の予定変更の知らせを受けても、一週間ご苦労さまと思うばかりである。という自分もまた、積み残してある仕事が幾つもあって、体力が許す範囲で優先順位の高い方から片付けて行く。今日気づいたのが神戸大学の扶養手当の規則。なるほど、扶養手当には年齢制限のあるものが存在するのだ。まあその分は、稼ぎを増やせば良いのであるから、精進を重ねるのみだ。自分が楽しいと感じることを重ねれば、自然と精進につながる、そういう事例を構築するのもまた、世の中へ向けての発信なのではないかと思う。物理学を楽しもう。

5 月16日、風の強い一日。日本海に綺麗に渦を巻く低気圧があって、その周囲で強風が吹き荒れている。上空の寒冷渦の直下で発達する低気圧で、何と表現して良いのか不思議な急発達をして、お昼過ぎにはだんだんと弱り始めた。ただスケールが結構大きくて、太平洋側でも強風だ。地中海でときどき発生するメディケーンに少し似てるかもしれない。神戸の観光船はコース変更したり運休したり。船乗りさん達から荒れる海の様子などもタイムランに流れて来る。そういえば昨夜には、寝台列車のサンライズ瀬戸が岡山止まりになるという知らせもあったなー。今日は、いや今日も室内でデスクワークだ。

5 月15日、郷里さぬき国の国立大学、昼食のメニューはどんなのだろうか? と、ネットで見てびっくり、色々と変わったのが食べられるではないか。香川県という地域の特色が出ているというか、海のものにしても畑のものにしても、ともかく農水産物には事欠かない上に、キャンパスが真四角にまとまっていて、食堂の運営に無駄がないのだ。うどんのメニューが豊富で、トッピングに練り物の天ぷらなどが並んでいるのも、これまた讃岐ならでは。一方で、キャンパスの外にも競争相手の店がゾロゾロとあるのだけれども、少しだけ中心街から離れているので、お昼休みという時間の枠で出歩くかは微妙。食堂運営には、なかなかいい立地だなー。ボヤいても仕方ない、神戸は神戸で考えて行こう。

5 月14日、4 行 4 列の行列式を相手に、固有方程式を手で解こうとしている。こういう場合には、対象となる物理系の対称性をまず見るのが肝要だ。大抵は一発で固有状態であることが示せる、自明な固有ベクトルが簡単に見つかる。1 つだけ単純ということはあまりなくて、もう 1 つ見つかることが多い。すると、残りは 2 つで、その 2 つは 2 次方程式の解であるということになる。言い換えると、固有値を定める正規多項式が簡単な形で因数分解可能だということだ。こんな所で高校数学や大学 1 年の線形代数に遭遇するのだから、初等数学は素晴らしいものだと再認識する。江戸時代の頃には、それが最先端数学だったというのもまた、驚くべきことだ。人類この先、どこまでの知識を蓄えるのだろうか。

5 月13日、統計力学の 2 順位系と調和振子系を、どう扱うかは色々と考える所がある。エネルギー準位を0とεにするか、-ε/2 と ε/2 にするか、そんな選択一つで数式の形が大きく違って見えるからだ。違う書き方になっているだけで、比熱や帯磁率などの物理量を計算すると当然ながら同じ値が出てくる。調和振動子のゼロ点エネルギーについても同じだ。ああ、そういえば、電磁場の0点エネルギーはどうしたものかなー。あってもなくても、別に比熱などには影響しないのだけれども、見えないエネルギーがあるというのも何だか気持ち悪いままだし。毎年のように、どう説明するか悩ましい所だ。

5 月12日、あちこちでオーロラが見えたとの知らせが飛び交う。ヨーロッパでは特に良く見えたらしい。あんなに高い高度にも大気があって、高いエネルギーを持つ粒子に散乱されて発光することがあるのだと、物理現象としては理解しているつもりでも、不思議なものだ。磁力線の繋ぎかえを通じてエネルギーが入って来ることから、両極に近い場所で発光するのか、勉強になった。それにしても、量子力学、統計力学、電磁気学、天体物理学、地球科学、分子化学と、いろいろな分野を総動員する必要があるものだ。来年の集中講義はオーロラの話にしてもらおうかなー、半分は本気。

5 月11日、そら豆を入手する。けっこう、地道な作業が待ち受けている。まずサヤをねじって豆を出す。ここまででも、結な時間がかかる。豆の縁に沿って切れ目を入れる。これが気の抜けない時間のかかる所だ。最後に、豆の皮をむいて下準備の完了。ここまで来れば、もう終わったようなもので、後は好きな調味料と一緒に少しの間だけ加熱するだけ。聞くところによると、そら豆は生食してはいけないようなので、一応は用心してしっかり火を通す。そもそも、火が十分に通っていない内は食感が悪いので食べる気にもならないのだけれど。仕上がったら、さあ食べよう。あ、すぐになくなってしまった ...

5 月10日、野菜スープにカレー味を足す場合には、野菜を細かく刻んでおいた方が良いらしいことに気づいた。カレーはそういう食べ物なのだという先入観があるだけでは無さそうだ。野菜の断面から出てくる甘味や粘りがあると、スパイスの荒々しさの角が取れて、花のような香りが出てくるからだ。かと言ってミキサーを使うと、カレー以外の何の食べ物かよくわからなくなるので、物事には限度があるものだ。今日はパプリカと玉ねぎ、ニンジンなどを楽しんだ。それにしても、最近は野菜も何もかもどんどん値上がりしていて、ともかく安い季節の野菜を探し歩く日々だ。自給自足の江戸時代に戻りつつあるのかなー。

5 月 9 日、シソを育てると、秋にたくさんの実ができて、辺りに種を撒き散らす。すると次の年には、たくさんのシソの芽が生えて来て、地面が緑でカバーされる。そのまま育つとどうなるんだろうかと心配になるのだけれども、不思議と育つ芽、いつの間にか枯れてしまう芽と自然に分かれて、秋になると適当な間隔で育った株がまた花咲く。という変遷を何度か眺めて来たので、今年は移植してみることにした。ミントが育つ場所ならばシソも育つので、ちょっとした隙間のような土のある場所にゲリラ植えしてみよう。大きく育って、葉を広げる頃になると、誰か気づくかな?!

5 月 8 日、野バラが咲き始めた。白い花が咲くので、ついつい自宅でも栽培したくなるのだけれども、トゲは多いし、図々しく大きくるし、その割には花の数が少ないので、モッコウバラのような美しさには見劣りを感じるようになり、やがては打ち捨ててしまう。やはり、野に咲くものは野外で楽しむのが一番なのだろう。オレンジ色のケシの花もまた、たくさん並んで咲いているから美しいのであって、自宅で育てると花がついたらサッサと枯れて、味気ない。研究にもそんな所があるのだろうか、一発勝負でわかってしまえば、それまでというものに取り付くと、労多くして何とやらになる可能性が大だ。いやまあ、そういう贅沢を言うから老人は嫌われるのだろう。

5 月 7 日、連休が明けた。授業に行くと、あら教室はスカスカ。ハイブリッド講義は、だんだんと zoom 参加が多数になるものだから、まあ仕方ないか。秋からは zoom のライセンスも切れるので、別の方法で講義しないといけないなー。Teams にするか Face Time にするか。zoom ほどの品質が得られるかは、実験してみないといけないな。中間・期末テストの時にでも試してみようか。四年生だと就職活動に重なっていて、試験と面接がバッティングすることもあり得る。まあ何事にも絶対にどうこうという論理はあり得ないものだ、臨機応変に対処しよう。そもそも教育を行なって単位を取っていただくのが我々の生業なのである。

5 月 6 日、室内で栽培している植物も、時々ナメクジにやられる事がある。室内だったら、片端から捕まえて行けば良いのだけれども、昼間は出てこない。鉢の裏側などに隠れていて、暗くなると出てくる。というわけで、夜は暗くしておいて、懐中電灯で辺りを照らして、のこのこ歩いている (?) やつを捕獲する。目が可愛いので、殺さずに室外にポイっと捨てる。これが海で生まれた巻貝みたいなものから進化したのかと思うと不思議なものだ。塩気があれば美味しく食べられるのだろうけれど。まあエスカルゴなど食べる習慣がある国もあるけれど。あれは貝自体にはあまり風味がなくて、海に囲まれた日本では重宝するまでのものでもない。

5 月 5 日、道端の雑草を眺めると、カラスノエンドウの伸びが止まっていた。豆がたくさんできると、もうあまり伸びないようだ。代わりに、背が高くなる草がぐんぐん伸び始めた。どこでも、年に 2 度くらいは誰かが草刈りするのだけれども、その合間を縫って花を咲かせて種を飛ばす。環境破壊とか砂漠化とか、海に囲まれた島国には無縁のことではないだろうか、放棄された空き家などがあれば、すぐにツタなどで覆われてしまう。さて、報告書の仕上げだ、気がつくともう締め切りまで間がない。書けば良いとはいえ、公開のものなので、それなりに中身をしっかり書かないと。

5 月 4 日、メリケンパークまで散歩に出かける。こどもの日の催しで、いろいろな遊び場所やブースができていて、たくさんの子供たちが楽しんでいた。婚礼写真の街中での撮影も行われていた。結婚するというのは、ある意味、怖いものなしになるのだろう、街中で堂々とポーズを決めて写真を撮るのも、夫婦のお披露目(?)の形なのかもしれない。北野ではインフィオラータが開催、ということを思い出したけれども、海から山への登り直すのは大変なので、そそくさと海辺の我が家まで戻った。涼しい海風を感じると、神戸・三宮は都会で暑いのだということを実感する。報道によると東京はもっと暑かったらしい。

5 月 3 日、5月の風が流れる素敵な晴れの日になった。上昇気流もあるようで、高い空を鳥が舞っている。おやつどきにプレプリントリストの更新などを大学で行なっていると、開け放った窓からだんじりの音が微かに流れて来る。お願い事をするには良い機会だ、大学近くの神社へと散歩する。神様はここにいらっしゃるのか、あるいはだんじりにいらっしゃるのか、ふと考えたけれども、無意味な問いかけだと気づいて、普通にお参りして身近な人々の平安を祈った。境内からは神戸の海がよく見える。海に向かって、空に向かって、宇宙に向かって、同じように平安を祈った。

5 月 2 日、朝の水やりに、海辺の庭へと向かうと、トマトの苗が倒れていた。ありゃ、根本からナメクジにやられているではないか。前言撤回、トマトも室内に取り込むことにした。これは本腰を入れてナメクジ退治に取り組まないと。ナメクジをおびきよせて一網打尽にする薬剤はあるのだけれども、屋外の地植えでは外から幾らでも入って来るから効果が薄い。ナメクジが嫌うような、木酢液やクレオソートを使うのが良いだろうか。アルカリに弱いので灰をまくのも良さそうだ。ガス火がなかった頃は、山に芝刈りに出かけて、幾らでも灰が手に入ったんだろうなー。旧約聖書にも灰が色々な場面で登場する。待っていろよナメクジ。あの可愛い目を見ると、ちょっと可哀想な気もするのだけれども。

5 月 1 日、キュウリの苗を仕入れて育ててみると、よく育ちはするのだけれども、なぜか突然に茎が折れて、その先が枯れてしまう。犯人は誰だ? と待ち構えていると、雨で暗い今日の朝、まだ小さなナメクジ様がお食事中の場面に遭遇。食べて美味しい作物というのは、そもそも茎も葉も美味しい香りに満ちているのだという、当たり前のことに気付かされた。十分に大きくなるまでは、ナメクジのいない場所に移そうかなー。よくよく見ると、同時に仕入れたトマトの苗にもナメクジが取り付いている。こちらは、どうもあまり好みではないらしく、茎が折れるほどは被害を受けていない。ナス科には独特の香りがあるからかも。


3 月と 4 月の1行日記