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2 月29日、2月のおまけの日。1光年の定義をよくよく確認してみて、けっこう微妙な所があるものだと思った。朝のうちに、北海道産の「とら豆」を茹でる。昨日の夜に水に浸しておいた豆を火にかけて、一度茹でこぼして、更に弱火で沸騰しないように加熱。途中でアクだらけになって来たので、もう一度茹でこぼして湯を加えて再び加熱。サラダにも使えるので半分は湯を切って、ゆで豆のまま冷蔵庫へ。もう半分は砂糖を加えて煮豆に。豆は、茹でが浅いうちは野菜っぽさがあって、加熱時間が長くなると段々と穀物っぽい味に変化して行く。どの辺りでサラダにするのか、煮豆はどこで調理を終えるのか、色々と工夫できるのが楽しい。
2 月28日、天気が良くて気温も上がり、ルンルン散歩に出かけたい所なのだけれども、花粉飛びまくりの状態となっている。可能な限り部屋にこもって黙々と積み上がった予定をこなして行くしかない。月末までの仕事は、ええと、何から先に手をつけると良いのだろうか。買い物の時間にも余裕を持っておきたいなー。昼寝の時間 (?) も大切だなーと、欲張りなことばかりを考えて、結局の所は SNS を閲覧してしまうという、怠惰な午後を送ってしまった。午前中にエネルギーを消費してしまったのだろう、こういう時には休息を取るに限る。まずは散歩から ... いや花粉が ...。
2 月27日、昼食はお弁当。ペットボトルのお茶もいただいた。外出時などにお茶を買い求める時、普段は綾鷹を選んでいる。割とスッキリしていて、それほど後に残らないのが好みだからだ。今日は、おーいお茶。お茶屋さんのお茶らしく、煎茶っぽい味を前面に出してある。カフェインも少し多い気がする。そこで検索してみると、少しだけだけれども綾鷹よりも多めだ。とはいってもお茶はお茶で、缶コーヒーなどは(容量あたり)何倍ものカフェインが含まれている。道理で、ペットボトル入りのコーヒーが自動販売機に見当たらないはずだ。お昼が終わったら、再び仕事に戻る。頑張るぞー。
2 月26日、ラーメンの真っ直ぐな乾麺は、トータルの加熱時間が大切なのだと理解し始めた。袋に記載のゆで時間そのままだと、湯切りの間や、盛り付けている間にどんどん伸びてしまい、結果として薄い印象のラーメンになってしまう。生麺に比べると細いので、素麺のように水を吸いやすいのだ。ガスによる加熱も、湯切りするしばらく前に落として全く問題ないし、他の作業時間も含めて早めに湯切りを始め、手際よく具材を盛り付け、さっさと食べると、まあまあ美味しい。乾麺はどちらかというと、水で締めて食べる冷麺に向いた麺なのかもしれない。素麺がそのようであるように。さて、麺を食べたら餃子にチャーハン ... と食べたくなるけれども、我慢我慢。そもそも中国の人は、そういう主食をちゃんぽんにする食べ方をしないらしい。
2 月25日、中華鍋を温めて油を注ぎ、刻んだニンニクと赤唐辛子を入れ、じっくり加熱する。香りが立って、焦げずによく揚がった状態になった所で味醂や醤油やダシを加える。少しばかし化学調味料と塩で味を整えた後に鍋を冷やし、ほぐしておいたタラコを混ぜる。茹で上がったパスタを鍋に入れ、温めずにソースと絡めるとタラコのパスタの仕上がり。海苔や紫蘇を加えても良いけれど、今日は冷蔵庫に在庫なし。シンプルな方がタラコの味がハッキリと出て良い。今日のパスタは rotini あるいは fusilli と呼ばれるネジネジになった短いもの。厳密には、両者の区別があるようなのだけれども、日常的には混用されているようだ。今日はタラコをほぐす前に、ティッシュでドリップを丁寧に拭き取った。表面の細菌も取れるし、後の扱いも簡単になる。こうして手間をかけたパスタも、一瞬で胃袋へ。
2 月24日、砥石のメンテナンスを行う。アルミナセラミックの白い砥石は、ダイヤモンド程ではないのだけれども研磨力が強くて鋼もザクザクと研げる。使用後によく洗って、表面を平らに修正しておくことが大切なのだけれども、ついつい後処理を怠ってそのままにしておくと、鉄が表面に乗ってしまって砥石としての引っかかりが無くなってしまう。こうなると、刃を当てても虚しく滑るばかりで、研げなくなる。修正の方法は平らな面を持つ荒砥石と擦り合わせること。延々と擦って、ようやく半分くらい平らになった所で、とりあえずは良しとして作業終了。これからしばらくの間は、砥石を使うたびに修正をかけよう。さて、刃物を研いだのは段ボール箱を解体するのに必要だから。研いだ後は刃筋が変わって来るので、用心しながらの解体。
2 月23日、今日は祭日、そして arXiv の更新日。論文を検索していると、これまでにキーワードだけで行って来た方法では取りこぼしているものの「新パターン」を発見、さっそく検索方法を修正した。そろそろ自動化するべきかなーとも。その後で北海道の産品を買い求めに行く。乾物が値上がりしている気がする。一方でカニは安くなっている。とは言っても、どちらも我々のような貧乏人には手が出るものではなくて、もっと安いものを買い求める。珍しい豆も 2 袋買った。煮豆にして楽しもう。一つ二つは植えてみようか、豆は普通に数倍になって返って来る、土地さえあれば。
2 月22日、今日は前期試験の前の平日だ。明日は祭日で、明後日が土曜日。学生たちが卒業・修了でキャンパスから姿を消して、普段とは違った雰囲気を感じる。明日は付近の人々が犬の散歩を楽しむ、のどかな日になるのだろうか? 明後日は受験生が下見にやって来る。前期試験の頃は雪が降ったり寒波がやって来たり、色々と寒い思い出が多いのだけれども、今年はなんだか、底冷えというものがない。月曜日まで生協の営業はお休み。合格発表の後で、生協加入の案内などを送るという作業が待ち受けている。入学したら、どんどん利用して欲しいな、購買店も生協食堂も。
2 月21日、この所、雨続きだ。これが菜種梅雨か。湿度が高いので、気温が少しでも上がると壁面にどんどん結露して行く。凝結熱が壁に与えられて、冷えていた建物がどんどん加熱されている上に、エアコンのヒートポンプにも同じように熱を与えるので、室内が暖かい。さて今日は、神戸空港にベルーガがやって来ているそうだ。天気が良ければ神戸大学からでも充分に見えるのだけれども、今日は霧っぽくて視界が最悪。カンテレNEWS がストリーミングしてくれているので、その様子をボンヤリと眺める。こんな風に荷物を出し入れするのかーと、ちょっと不思議な映像だ。さあ、今日の論文検索へ。その前に一休み ... 何事も休み休みが良い。
2 月20日、仕事が幾つか溜まっている時に限って、論文の閲読が回って来る。忙しいからと、断ることはできるのだけれども、研究分野が同じであれば、特に良い論文はサッサと審査を終えて掲載することが誰にとっても Happy であるので、意欲を持って引き受ける。少し面倒なのは、サラリと「いい論文だから通せ」と書いたら、他のレフリーが否定的であった場合に、Editor に negative な判断をされるので、良い論文でサッサと通るべきであっても、ちゃんと読んで中身を把握しましたよとアピールする必要があることだ。この辺りの民主制 (?) がとても妙なことだとは思うのだけれども、サイエンスというものは人間が言葉で書き落としたものの集合体なので、仕方ない部分がある。さあ、サッサと片付けよう。
2 月19日、暖かい雨の日。大学の周辺ではカラスノエンドウが伸び始めている。スイセンが植わっていた坂は .... ありゃりゃ、斜面の改良工事で今年はお休み。全面を掘り返したわけではないので、またそのうちポツポツと顔を出すだろう。一面のヨモギだった南面の坂は、一年を経て段々と元の植生に戻りつつある。すぐにツルを伸ばすクズは最強で、あらゆる植物に覆い被さって枯らしてしまう。そのうち、木々が生えて来るのだろうか、あるいは秋の草刈りが定期的に行われて、木々は伸びる前に切られるのだろうか。放置すればすぐに照葉樹林となるのが、海に面した温帯の常。日の恵みは豊かだ。
2 月18日、神戸大学から阪急六甲へと向かう道に、うちわサボテンを育てている家がある。サボテンは暖かい地方の植物と思われているかも知れなないけれど、乾燥地に適応した植物で、けっこう寒い地域にも分布している。とは言っても、マイナス数度を下回るようになると凍って枯れてしまうので、そんな冬には春になる頃に枯れた枝葉 (?) が地面に落ちる。ところが、今年は全くそんな気配がない。凍らなかったのだ。アジサイの芽も、もう膨らみ始めている。春先のアジサイでは枝先の芽がアッサリと捨てられることも多い。そんな状況を目にしたら、ハサミを入れて剪定してしまう。今年はどれくらい花が咲くかなーと、楽しみにしつつ。
2 月17日、三里塚からワンパック野菜が届く。冬の間はともかく箱が重くて、今回も色々な野菜が入っていた。例の如く、まずは葉物野菜からいただく。ホウレンソウがともかく甘くて、パクパクと食べてしまった。三浦大根はポトフの具に。ちょうどバラ肉のローストがあったので、それをサイコロに切って、塩昆布などパラパラとかけ、鍋に放り込む。まずは冷蔵庫のストック野菜からキャベツ、生姜など適当に取り出して添える。最後にわずかな調味料と水を加えて、後は 2 時間コトコトと煮るだけ。一瞬、ソーセージも入れようか? と思ったけれども止めた。今日は自然素材のものだけで食べよう。決して硝酸塩や添加物を忌避する訳ではないのだけれど、今日は元々の食材が見えているもので鍋をまとめたかったからだ。美味しかった。
2 月16日、卒業研究も修士論文発表も終わった。おおよその学生や大学院生にとって、今は自由の身を楽しめる時間だ。そういう時に、研究を続ける人、勉強を続ける人が一定の割合でいる。好きこそ物の上手なれ、という言い回しがあるけれど、そういう姿を拝んでいるようだ。思い出してみると昔の自分もそんな感じだった。春休み、夏休みなどに、専門書を色々とあさって、次々と読んでは挫折した思い出が懐かしい。物性理論の教科書も、あれこれと読んだ覚えがある。そして、結局は統計物理学に軸足を置いて専門の研究を始めることになった。恐らく、イジング模型に出会った時の驚きが大きかったのだろう。こんな簡単な模型で、非自明なことが起きるのかと。
2 月15日、今日で、今年度に指導している学生の発表が全て終わった。それぞれ、発表するに足るだけの成果に基づいて堂々と発表してくれたことが嬉しい。細かいことは抜きというか、その辺りに心血を注ぐよりも先へ先へと、どのようにサイエンスを進めて行くかを考えたい。最近になって、ようやくそう考えられるようになって来た。さてこれから春休み、研究に使う時間が潤沢に確保できる。ついでながら、春本番となって来たので、今年の種まきや苗作りを本格化させないと。去年に採った種子を全部撒くと、どれだけスペースがあっても追いつかないなー、空き地にゲリラ植えしようか??
2 月14日、研究室で使用しているパソコンを Mac mini から Mac Studio に乗り換えた。今回はまず、管理者用の適当な名前のアカウントを最初に作って、そこでソフトウェア update を済ませてから、移行アシスタントで自分のアカウントを乗せた。一番最初に作るアカウントと、乗り換えるアカウントが同じ名前だと、色々とトラブルが起きる可能性があるので、別人のアカウントを先に立てておいたわけだ。今のところ、これでうまく動いているように見える。ただし、メールで消せない下書きがあって、これはまだ何か潜んでいそうな気配がある。最近の MacOS は色々と楽しませてくれる ...
2 月13日、今日から修士論文の審査が3日続く。先立って論文をよく読んでおいた、と言いたい所だけれど、これが結構難しい。特に理論系の論文だと、そこに何が書かれているかを解読するのに、本気で取り組まなければならない事もある。おっと、審査のポイントはそこには無いはずなのだ。色々な読者を想定して、傍観者に近い方にはダイジェストを提供し、ちょっと心得のある方にはポイントを押さえた解説を、同じ分野の研究者には再現性のある筋の通った説明を提供する、そのように論文が書かれているかどうかを審査することが寛容だ。これは普通に難しいことで、特に初めて学位に関する論文を書く学生に全てを求めるものではない。書くことがまず大切で、書いている内に色々と気づく過程が重要だ。さて今日はどんな話が聞けるだろうか。
2 月12日、梅の花がもう終わりに近く、桜の木々も芽が充実し始めている。明日からはもう春になるらしい。祭日の今日は月曜日なので、普通に arXiv の論文がサーバーに上がっている。このサーバーが更新を停止するのはアメリカの祭日と年末年始だけなので、我々にとっての休みの日は海の向こうが休みである日に限られている。さて今日もテンソルネットワーク関連の文献を拾って行くことにしよう。最近ではデータサイエンス関連の文献が多い。当然ながら、対象となるデータをどのようにサンプルするか? というデータサイエンス特有の問題に行き当たる。そのような考察は物理学にもフィードバックできるので、文献がゴロゴロと並んでいるのは有り難いことだ。さあ検索、検索。
2 月11日、中学理科の範囲の授業を参観する研修で、某所へ。理科室を訪れるのは久々で、そこに並ぶ色々な機器に目が移りまくりであった。最近は機材がコンパクトで、高度な機能を持つものも色々と揃っているんだなーと感心。大昔は分銅と天秤だとか、計算尺だとか、今から考えると冗談のようなものばかりだった。アルコールランプも、今ではガスバーナーに取って代わられているはず。最強にして凶悪なアイテムが石綿付き金網。毎日のように使い回す道具で、しかもボロボロになり易いことから、理科の先生たちは暴露されっ放しだったのではないだろうか。ちょっと検索してみると、私たちくらいの年代の方にも犠牲者が居ることがわかった。教職は命懸けなのだなーと思った。
2 月10日、なぜなら、という文章の書き出しに対しては、... (だ)から(なの)です、などで結ぶという係り受けがある。ここを崩されると肩透かしにあった気分になるのだけれども、口語ではよく耳にする。大抵はロクでもない場面で口にされ「なぜなら皆んな迷惑しとる」とか「なぜなら、とーっても美味しい」など、丁寧さが求められない時に、係り受けの部分が省略されてしまうのだ。この、少し妙な感覚は耳に残るもので、こういう表現をわざと使った CM も存在する。普通に攻めるよりも奇策を使おうという事なのだろう。予算申請なども、流石に文法は崩さないものの、単語レベルで「ありえへん日本語の単語」が登場することは日常茶飯事だ。まあ気にしないでおこう。
2 月 9 日、モンテカルロシミュレーションで難儀なのは緩和時間。初期条件が typical なものでない場合、その影響が消えるまで緩和時間の数倍のステップに渡ってデータを捨てる必要がある。影響が消えたかどうかは統計的に判定しなければならないのだけれども、このような処理には統計揺らぎを知っておかなければならないので、結局の所は「全てを目の前の系に聞け」ということになる。温度が低くなると、どんどん緩和時間が長くなって行って、有限サイズの系でも準安定状態に引っかかってしまい、実際的には抜け出せなくなる。これを何とかしようと、色々な拡張アンサンブルの手法があって ... という所まで行くと、もう戻って来れなくなりそうなので、自分はテンソルネットワークで攻めている。
2 月 8 日、今日は4年生の卒業研究発表の日。朝から色々と発表を聞いて楽しんでいる。まだ研究を始めて半年くらいなのではないだろうか、研究背景や目的などを具体的に把握して語るには、まだまだ経験を積まないといけない状態で、いきなり発表の機会を与えられるわけだ。当然のことながら、色々と珍事が起きる。質疑応答でふと不用意に口にした言葉を誤解されたまま、それに引き続く質問が出て来てしまって、質問者にとっても発表者にとっても禅問答のような状況となることも稀ではない。傍目には、この食い違いが手に取るようにわかるのだけれども、当事者が冷静に受け答えするのは難しいものだと思う。これから経験を積んで、だんだん色々と身につければ良いことだろう。
2 月 7 日、お昼過ぎからどんより曇り。この天気は何だ? と気象庁を見に行くと、降雨情報には弱い雨が表示されている。でも、窓の外を見ると地面は乾いている。神戸大学あたりでは、上空にモヤモヤと雲があって、上空では雪が舞っているらしいけれど、かなり高い所で蒸発して消えてしまっている。曇ってはいても地表の気温は 9 度に近いし、湿度も低いからだろうか。もっと上空はどうなっているか、シミュレーションを見に行くと、250 hpa では強い西風が吹いていた。ゾーナルっぽい時には曖昧な天気になるわけか、と、一応は納得して休憩時間を終える。研究もまた休憩時間みたいなものか?!
2 月 6 日、卒業研究発表の予行演習を行う。4年生はそれぞれ別のテーマで研究に取り組んでいるので、互いに研究の内容はあまり知らない状態だ。10分間の発表を聞いた後で、「何の話だった?」と、数少ない聴衆に尋ねてみるのも恒例行事だ。どういうレスポンスであったかは、まあ書くと何かと差し障りのある世の中になったから内緒。その昔、home page なるものの黎明期には、ズバリ色々と個人情報を出していたような先生も居たっけ。今日で教員が付き合う練習は最後にして、明後日に修正の結果を本番で聞かせてもらうことにした。研究発表は素朴に興味を語るのが良いと思う。聞き手に伝える情報・概念の順番をよく考えつつ。
2 月 5 日、一日中雨の日。冬にこれだけ雨量があるというのも、瀬戸内では珍しいことだ。風向きは北東で、午後には時折強く吹くようになった。天気図は典型的な南岸低気圧で、少し暖かいので雪にはならない。一方で、関東ではこれから雪になるらしい。神戸あたりでも、昔は雪が降っていたなーと思い出す。六甲山の上では雪なのかも知れない。スキー場はどうなっているかなーと、六甲山スノーパークの X を眺めてみると、おやつ時の現在は雨とのこと。こういう時にはスケート場で氷を楽しみたいものだと思いつつ、週明けのあれこれをまず片付ける。その後は発表練習だ。スライドできたかな?!
2 月 4 日、流石に日曜日だと学生の数も少ないので、ゴソゴソと紙に絵を描いていたら、意外といいものができた。そのモデルの研究をしている学生さんが、たまたま作業していたので、色々と discuss する。研究が進む瞬間はこんなものかなーというのが、何となく見ていただけた気がする。そして実は、その瞬間というのは世界的には並行して起きるもので、どこか大陸の向こうでも同じようなことが誰かによって研究されているのかも知れない。データが集まったらサッサと論文の執筆に移ろうか。夕暮れになって、さて今日は何を食べようかと思案する。日没が遅くなって来たなー。
2 月 3 日、節分の日、スーパーに恵方巻きが並んでいる。一番多く盛られている品は、黙々と食べるには少し量が多いというか、それを食べるだけで食事が完結してしまう。そこで、細巻きを選んで買い求めた。海苔に酢飯に具材に、そして調味料に、あらゆる手の込んだものを組み合わせた寿司は、とても非日常なおめでたいものだ。今では毎日、巻き寿司やいなり寿司が惣菜・弁当コーナーで売られているのだから、現代人を一度経験したら昔には戻れないものだと思う。イワシも大きなのがたくさん並んでいた。血の気の多い魚で、重量にして半分くらいは生ゴミか肥料行きなので、週末に買うのはやめておいて、惣菜として調理されたものを頂いた。
2 月 2 日、研究発表のスライドを初めて作るというのは、雲を掴むような感覚なのかも知れない。発表するというよりも、聴衆と何かを共有するという考え方だろうか。最低限これだけはしっかりと理解してもらうという核が理解できれば、そこに肉付けして行けば良い。科学的な講演ではスライドをパラパラとめくるのはあまり良くないので、ある程度の情報は一枚のスライドに乗せておく必要がある。ちょうど、切れ目の良い所でスライドを次のページに切り替えると、聞いている方としては内容が頭に入り易い。あ、そうか、毎日のように日記を書くだけでも、だいぶん効果があるのかも。
2 月 1 日、arXiv:2401.16246 を読んでいると意外な記述が。量子化学の分野で ML-MCTDH という方法が 1990 年に提唱されていて、最近は結構使われているらしいのだけれども、これがテンソルネットワーク形式の一つである Tree Tensor Network (TTN) を使った多自由度波動関数の表現を使った計算方法なのだとか。これは(自分的には)アッと驚く情報で、いきなり勉強モードになった。量子化学では DMRG も広く使われているので、あちらの世界では両者の関係が認識されていたのかも知れない。物理学と量子化学、それほどまでに離れた世界だったのかと、今更ながらびっくりしている。改めて arXiv で検索してみると、arXiv:1808.01110 ですでに TTN との関わりが指摘されていた。
1 月31日、あっという間に月末になって、あれこれと忙しい時期になった。幸い、今季は講義形式の授業を受け持っていない。その時間を学生に向けて ... という所で、対象者が多い場合にはケーキを切り分けるように時間を振り分ける必要が出てくる。ケーキと少し違うのは、均等割ではない所だろうか。それぞれ、テーマや進行状況によって、サポートする時間も変わってくる。理想的には、研究成果が先にまとまって、それをサラリと短い文章やスライドに落として、発表練習するという流れになる。理想は理想で、実際的にはこれらが同時並行の作業となることも多いし、実際にその現場であれこれと作業中だ。
1 月30日、この時期になるとプリンターの調子が悪くなる。まず利用が増えるので部品の摩耗やトナー切れなどが起き易い。また、利用が多いので印刷の不良も目につき易い。そもそもプリンターが必要であるというのが、ペーパーレス社会になり切っていない証拠なのだけれども、電子データは消える時には一瞬で消えてしまって復元もヘッタクレもないので、木簡や石板やパピルス以来の伝統を引き継いだ紙への印刷は、まだ欠かせないのだ。消え難い電子データの取り扱いも可能だけれども、それにはコストがかかってしまう。うーん。思案して、新しいプリンターを購入することにした。これが最後であって欲しいけれども、さて何年もつだろうか?
1 月29日、冷凍コロッケをどうしたものかと思案。揚げるのが簡単なのだけれども、部屋中が油臭くなるし、揚げ油も大量に残ってしまう。まあ風味の付いた揚げ油は、それなりに使い道もあるので意識して使いまわせば一週間程度で消費は可能なのだけれども ... 毎日のように炒め物などに付き合うか、あるいはフライドポテトのように油を吸い込んでしまうものに使うか ...。そこで、バットに並べて上から油を少量ふりかけて、オーブンで焼くことにした。丁度の大きさのバットがなくて、一部重なってしまった所は型崩れしたけれども、何とかコロッケ味の焼いた食べものになった。バットの底に、茶色に揚がったパン粉が大量に残って、さてこれはどうしたものか。天かすの代わりに使えるかなー、諸物価高騰の折、このような屑でもなかなか捨てられないものだ。
1 月28日、オーケストラでシューベルトなどを聴く。いろいろな楽器の組み合わせで、フレーズを繰り返し、いや繰り返しているようで何かが違う、さまざまな音が楽しめた。指揮者の息遣いまで聞こえて来る。オーケストラで演奏した経験のある人々は、きっと、もっと違った視点から聴けるのだろうなーとも思うし、実際にアチコチでオケ談義が飛び交っていた。帰りに三宮で買い物しようかと思ったら、街は人だらけ。ちょうどバーゲンの季節で、ついでにバレンタインデー前。早々に退散した。自宅に戻って冷蔵庫を眺めると、昨日に仕入れた三枚肉がゴロリと。まず下茹でして、その後で水洗いして油と臭みを取り、四角く切り分ける。調味料とともに鍋に入れて、八角や生姜など加えた後に、じっくり加熱。まあまあ美味しそうな角煮が出来上がった。明日の食卓が楽しみだ。
1 月27日、きつねうどんセットを 2 つ、半額で購入する。麺とダシがセットになったもので、消費期限は麺の方で決まっている。ダシはたっぷりと袋に入っているので、セットで 2 パック買ったらダシは 1 つ余る。翌日の野菜スープのベースにするか、あるいは麺を買って来て素うどんを楽しむか、それは明日に考えよう。ダシが余るのはラーメンセットでも同じだ。特に、北海道のラーメンは濃い味のスープが豪快に付いて来るので、1セットと追加の麺 2 玉で丁度よいくらいの配分となる。追加するのは異なる種類の麺でも良くて、ラーメンにきしめんや蕎麦が混ざっているのも、ちょっと面白いものだ。ついでながら、先入観を抜きにすると麺とスープの組み合わせは結構タフなもので、パスタソースと蕎麦というのも結構美味しいのだ。
1 月26日、今年の共通テストの物理基礎に、バネはかりを買って来たので芋の浮力を測定しようという設定の問題が出題されていた。「バネはかり」というのが教科書用語らしくて、日常的によく使われる「バネばかり」ではない。バネばかりと「ばかり」を使うのは、単語の途中では子音の清濁をうるさく言わないという、日本語や韓国語の先祖である言葉から受け継いだ慣習なのだろう。物理・物理基礎の教科書で「はかり」を使うのは、表記揺れを嫌ってのことなのだろうか。ところで、日常的には芋を買って来る方が普通なので、芋を買って来たからバネばかりで浮力を測定しようというのが、自然な設問だと思うのだけれども、まあ測定手段に目をつけるのも仕方ないか。今日はジャガイモの「インカの目覚め」を買って来て、茹でていただいた。ネットリと味わい深くて、しばし南米に意識が飛んだ。
1 月25日、寒い日の 2 日目。西風はおさまって、今日は気温が上がるかと思ったら、昼過ぎから曇って来て、天気予報通りの最高気温となった。時折、雪が舞っているけれども積もる気配は全くない。寒いとは言っても地面に全く氷を見かけないので、今年は暖冬なのだと改めて思う。木々の中には春のスイッチが入って、もう芽が膨らみ始めたものや、すでに根本から伸び始めたものもある。そういえば下草も随分と充実してきた。光が戻って来て、大地を温めているのだろう。そうだ、既にシラバス登録の時期になっていたのだ、ええと、あの講義科目、この講義科目、どのように組み立てようか。
1 月24日、早朝に北風が吹き荒れて、どんどん気温が下がった。恐らくは、この冬でいちばん寒い日なのだろう。お昼頃には快晴になって、日差しは暖かい。上空に寒気の渦があって、けっこうゆっくりと動いているので、明日もあまり暖かくはならないようだ。今日はまず、あちこちのパソコンの MacOS アップデートから着手した。そのうち1台はインターネット共有のサーバーになっているので、他のパソコンとはタイミングをずらして作業を行う必要がある。小規模な修復だったようで、あっという間に再起動まで進んでくれた。インテルチップの古いマシンは、そろそろお払い箱になるのかなぁ。
1 月23日、そろそろ卒業研究発表などのプレゼンに目を向けなければならない。色々と成果があっても、最後の組み立てがマズいと、単に聴衆に見せたという事実のみが残り、知識の共有という発表の目的が達成できない結果に終わる。少しでも聴衆に寄り添って、未定義のものが先に出てきたり、いきなり難しい数式が並んでみたりしないよう、簡単なものから順番に提示する必要がある。これは昨年も書いたことだなーとは思いつつも、毎年繰り返す必要があるのが教育だし教員のつとめである。今年は指導する人数が少し多めなので、交通整理をうまく行わないと。あと何日の猶予があるのだろうか、ええと。
1 月22日、研究論文を初めて書く時に陥りやすいのが「万能語」の使い回しだ。仮に吸盤論理という専門用語があったとしよう。吸盤論理を使うと吸盤論理的な思考が可能となり吸盤論理の完成に向けて吸盤論理による新たな解析が可能となり吸盤論理を用いたデータ解析が吸盤論理の正当性を高め吸盤論理が完成する。演説ではありがちな言い回しなのだけれども、科学的にはトートロジーで全く意味をなさない。この事例でわかるように、文章の中の近い場所に同じ単語が何回も連呼されていれば、それは危ない兆候だ。これは自分でも常々、気をつけているポイントで、長い文章を書いた時には、それぞれの単語が何回出てきたか、チェックすることにしている。あら、この短い文章の中には「文章」が何回も登場している。ダメだ ...
1 月21日、冬は鳥の季節だ。普段は見かけない鳥が北国から渡って来て、その辺りで餌取りしていたり、水の干上がった田んぼで延々と土の隙間を突いていたりする。ヒヨドリが里に降りてくるのも冬の寒い頃だ。スズメは年中どこにでもいる小鳥だけれども、繁殖が早いだけに今の時期はエサ不足となり、いつでも飢餓に瀕しているし、弱いものから先に食物連鎖を支える運命にある。晴れた日に空を見上げると、猛禽がグルグルと縁を描いて飛んでいるのが目に入る。そうかと思うと、カラスが屋根の上で暇そうにしていたり、他のカラスと遊んでいたり。空を飛べる動物になれなかった人間には、想像もつかない世界が広がっているのだろう。
1 月20日、三里塚からワンパック野菜が届く。産地直送の野菜で、それぞれビニール袋に丁寧に詰められているので、スーパーマーケットの野菜に慣れ親しんだ人々にも違和感なく受け入れてもらえるだろうと思う。普段は見かけないヤーコンなど、ちょっと珍しいものも時々入っている。今回は、大きなブロッコリーが入っていた。菊のような花の香りがとても強くて、茹でて食べる時も花をいただく感覚だった。有機肥料を使った大地の恵みあっての味、ひととときを楽しんだ。カブは葉付きで、茹でると少し苦味のある、春の味がした。調理の途中で葉の隙間から芋虫が出てきたので、虫かごに入れて白菜を与えた。どんな成虫になるのだろうか、無農薬野菜ならではの楽しみだ。
1 月19日、大学構内にスイセンの花が毎年咲く場所がある。そこを通りかかると、もう葉が伸びていた。他の植物に先駆けて葉を縦に伸ばして、既に明るさを取り戻した太陽の光を受ける作戦なのだろう。花が咲いて、梅雨前までそのまま長い葉で球根を太らせ、次の冬まで休眠する。ついでに、毒があって猪には好まれない。結果として、草刈りを行う場所では、段々とスイセンが増えて行く。大学で新たに球根が出来るのだから、これはスイセン入学と言って良いのであろう。あ、何だか危ない方向に話題を振ってしまった。同じ球根でも、チューリップは簡単には増えてくれない。植物にはいろいろな個性があるものだと思う。
1 月18日、arXiv の検索やレフリーなどリモートワークを済ませてからのんびり通勤すると、六甲駅を出た所で笛の音が聞こえた。年に一度の厄神祭だ。今年も禍々しいことがないよう心の中で祈ってから大学へ向かう。今日は菜種梅雨のような小雨が降り続く1日で、それほど寒くはなかった。湿度が高い日は、坂道を登る時の呼吸が楽だ。いくらでも吸い込めるし、喉が渇くこともない。こうやって毎日のように登山しているのが、まあ運動と言えば運動なのだろうか。もう卒業研究発表まで1カ月を切ったので、学生さん達がそれぞれ具体的な計算を進め始めている。大切なのは卒業する時点で意欲が残るように、あまり疲れさせないことだ。色々と考えてみよう。
1 月17日、ここ何日か、一本調子の円安が進んでいる。また、株価もバブルの頃に近い値に戻って来た。当時とは貨幣価値が結構違うから、一様に比較はできないけれども、何だか不気味な動きだ。ゼロ金利を何とかしようと、少しでも短期金利をプラスにすると、バブル崩壊のような急激な変化が起きないとも限らないし、放置すれば放置したでズルズルズルと円安インフレと名目上の賃金上昇が続いて、コントロールの悪い状態に遭遇するような感触もある。今晩あたり、介入があるかも知れない。テンソルネットワークを使った為替予測でもやってみようか、相手が持つ情報量によりけりという所は、この手の予測に共通のものだけれども。
1 月16日、お正月向けの食品がどんどん安値となり始めた。ナチュラルチーズやテリーヌが半額、海老芋がゴロゴロと最終値引き。というわけで、芋を拾って来た。もう売り場の貯蔵場所に届いてから 2 週間以上が経過しているので、傷んだ部分も多いだろうと想像しつつ皮を剥いて、下茹でしてみた。傷んでいれば、その時点で変色する。あら、小芋とは違って、大きな海老芋はまだまだ綺麗であった。これはラッキー、昆布といりこで取った良いダシで煮て、火を落としてダシを吸わせる。美味しい煮芋の出来上がり。... は良いのだけれども、ゴロゴロ買って来たので、とても沢山になってしまった。しばらくは芋が主食だ。
1 月15日、共通テストの問題が公開されたので、ボチボチと眺める。まずは物理基礎から。センター試験の頃の物理基礎はというと、問題を見た瞬間に答えがわかるような簡単なものが多かったのだけれども、共通テストになってから少しは考える過程が入っている。物理量の単位が(わざと)MKS で統一されていない設問など、物差しで測る実験を想定したような設問もあった。文章量が増えているのも特徴の一つで、これは理系科目であっても文章はしっかりと読みなさいということだろう。これが有利となる受験生もいれば、絶望的に不利と感じる方もいることだろう。何より、出題する側が文章を読み込む必要があって、大変だったろうなと思った。
1 月14日、台所から小豆が出てきたので、ぜんざいを作ることにした。まずは、豆のアク取りから。小豆には植物的な青臭い香りがあるので、それを嫌うならばまず最初に何回か煮沸して茹でこぼす必要がある。この作業は何度でも繰り返せて、回数を増やすほどに無機質な餡となって行く。今日は2度だけにとどめ、少しずつ水さしを行って豆を柔らかく煮て行く。豆が煮上がったら、砂糖を何回かに分けて加えて、最終的な甘味を整える。甘味は控え目な方が、色々と応用が効く。出来上がった甘煮豆を別鍋に取り、更に砂糖と水を加えて弱火で加熱して、その間に餅を焼き、それぞれ同じ器に盛る。美味しいおやつは、あっという間に消えてしまうものだ。
1 月13日、台所からもち米が出てきたので、炊いてみることにした。チラリと蒸すことも検討したのだけれども、まずは水に浸さないとダメなので断念、普通に炊飯器を使った。米粒が白くて小さく、重量に比べて表面積が広いので、洗米している内にもどんどん水を吸い込んで行く。白米に比べると、かなり少ない水での炊飯となるので、炊き上がりが気がかりだったのだけれども、普通に美味しいご飯になった。餅を作る場合には、もう少し少ない水で炊く必要があるだろうか。ご飯の友は奈良漬と、ご当地名産の釘煮。炊飯中はグリーンカレーも念頭に置いてあったのだけれど、最終的には和食にした。グリーンカレーはまたの機会に取っておこう。
1 月12日、モンテカルロ法を熱平衡状態の計算に使っている人ならば、ミクロカノニカルアンサンブルのように状態を全て生成しなくても、数少ないサンプルで充分に熱平衡状態での物理量を精度良く推定できることを知っている。また、実際の物理現象でも、そんな莫大なサンプル(?)は生成されていないはずだ。これは古典的な典型性(ティピカリティ)と呼ばれるものの一端と言える。似たようなことが量子力学的な有限温度の状態についても言えて、こちらは場合によっては単一の状態ベクトルで熱現象が記述できてしまう。そして、この辺りの議論では、研究者それぞれが「独自のティピカルな視点」を持っているので、何人か寄り集まると延々と議論が続くのである。
1 月11日、渋谷に降り立って、少し時間があったので今まで行ったことのない渋谷駅の東側を探索。そちらも結構な登り坂。そうか、渋谷は名前の通り谷だったのだと、今頃にして気づく。これだけの谷であれば川が流れているはずだけれども、見渡す範囲に川はなし。不思議に思いつつ散歩を終えて、駅の西側へと歩き進む。歩き慣れたはずの道が、何だか雰囲気が違う。この数年の間に、店舗がガラリと変わってしまったのだ。付近を歩く方々で印象的なことが、まだまだマスク姿が目立つ様子だ。人口密度が高いのが原因だろうか。外国人はほとんどノーマスクだった。渋谷の川を後で調べてみると、元々は新宿御苑あたりから海まで川が流れていたらしい。今の東京の地下はどうなってるのだろうか。
1 月10日、物心ついた頃にはテレビに八代亜紀が映っていて、紅白にはいつも最後の方に登場して、ギトギトに飾ったトラックの映画にも映って、いつまでも歌ってる、1世代上の人という印象を持っていた。意外なことに、1世代も年齢が離れていなかったことを、今になって知った。芸能界では、若者がポンと大人の世界に放り込まれるとも聞くから、随分と若い頃から活躍されていたのかなあ。70を過ぎても現役で歌っていて、しかも新しい分野にどんどん挑戦するということも凄いなー。演歌を YouTube で聴いて、日々ちょっとは頑張らないといけないなーと思った。明日は、ちょっくら某大学で勉強させてもらいましょう。
1 月 9 日、お昼過ぎに、近くの中高一貫校から子ども達が下校して来ていた。年明けに力試しの試験でもあるのだろうか。今の時代は子ども達が少ないので、その誰もが将来を支えて行く貴重な人材だ。支えるのは彼らの日常であって、我々のように年老いて行く者ではない。我々は我々で、動ける内は何でもやって自活しなければならない。そうでなければ、社会が持たない。これは隣の韓国、中国でも同じことだろう。このように東アジアで共通して少子化が起きているのは、何故なのだろうか? と、ふと思った。歴史的には、農業で支えていた状況に、近代化が一気に押し寄せたことが共通している。そういえば、明治の頃に電気がやって来ると出生率が落ちたらしいから、インターネットの普及も同じような影響があるのかも知れない。
1 月 8 日、成人の日、海辺の我が家の近辺でも着物姿を見かける。さあ今日は修士論文の赤入れだ。今までは本当に赤ペンを握っていたけれども、今年は端末上で。Overleaf というものがあるのか、便利な世の中になったなー。でも、何のために赤入れするかというと、論文の推敲が自分でできるようになる、その能力を養成することが大切なので、こちらから手を入れ過ぎてもいけない。気づきが発生するように、部分的に手本を見せて、後はそれから実践してもらう、そんな感じが理想的だ。最も大切なことは文章を書くことの楽しみに気づくことで、白紙に向かうプレッシャーが発生していれば、それを取り除くことが必要でもある。この辺りのバランスはなかなか難しくて、自分で自分の文章を書く時にも苦労しているポイントだ。
1 月 7 日、山根将太郎のライブにお邪魔する。元町商店街の南側に、最近だんだんとオシャレになって来た通りがある。新しい洋菓子の店とか、あれやら、これやら。その中で、長く営業しているカフェが会場であった。外から店内が良く見える、木の感覚が優しい素敵なカフェだ。どんな曲なのかは、YouTube で山根将太郎を検索すると色々と聞けるし、本人の SNS アカウントからも色々と情報が得られる。ゆったりと時間が進んで、海辺の自宅に戻って来ても、何となく歌の時間が続いているような、そんな感覚だった。音楽、とりわけ歌は人と人を繋ぐ大切なものなのだと、そういう気づきがあった。また機会があったらお邪魔しよう。
1 月 6 日、最近、よく博士論文審査を依頼される。海外からのことが多い。意外なことに、論文審査がネットワーク経由で完結してしまう大学が結構あって、日本のように「論文発表会」という場で学芸会の如く(←意図的な失言)丸一日、いや丸何日もかけて審査する訳ではないらしい。どこの国にも伝統があって、日本は日本で formal な発表はどうあるべきかを模索した結果、今日のようになったのだから、まあ何事も良し悪しだ。それで思うことはというと、審査員に負担が集中しないことが、良い審査の要因であるということ。一日に 10 件も講演を聞いて、さて何件まで精緻に審査できるか? ということは、常々考えておくべきだと思う。
1 月 5 日、今まで LINE は使わなかったのだけれども、とある会合の連絡を LINE で行うことになって、渋々アカウントを作成する。他の SNS のメッセンジャーと機能的には大差ない。まあ、こんな年齢になってから初めて LINE を使う人も珍しいだろう。さて、アカウント作成のために携帯の電話番号を入力すると「おかえりなさい、○○さん」と表示が出る。なるほど、いま使っている電話番号は再利用されているわけか。そういえば先日、営業とか迷惑ではない風の声で、知らない人から電話がかかって来たなー。とりあえず検索して調べると、電話番号の利用者が強引にアカウントを切って良いらしいので、そのままアカウント登録を続ける。この時点で、○○さんの LINE アカウントは封印されたわけだ。恐らくは既に乗り換えられているか、捨て垢だったのだろう。そういえば、Linkedin のアカウントも持っているけれども、ほとんどアクセスしていないな ...
1 月 4 日、今日から仕事なのかと、半信半疑の正月気分で職場に赴く。学生さん達はまだ帰省中か、あるいは冬休みを堪能中で人影はまばらだ。働き方改革 (?) で、年始に有給休暇というパターンも。研究職の場合、いつも頭に何かが張り付いているから、本当の意味で休暇になるのは寝ている時か ... 時々、夢の中で何かを考えていることも。朝起きた時には、何を考えていたのか、パッと忘れてしまうのだ。ああ、今年の初夢は何だったろうか、これも忘れてしまった。これからの夢は、学生さん達がそれぞれ次のステップへと進むサポートを行なうこと。教員なら当たり前ではないかと指摘されそうだ。夢をもって教育を進めることは大切だ。
1 月 3 日、朝はホテルのバイキングから。「あんもち雑煮」が提供されている。小さな容器にお団子くらいの大きさの餡もちが入っていて、そこに濃い白味噌だしを振りかける趣向だ。味わいは味噌団子。ちょっと雑煮ではないような気もするけれども、細かいことは言っても仕方ない。さて、今日は新幹線が混雑している。空路が乱れた影響が陸路に出た、そんな風にも思えるし、そもそも陸路も場所によっては絶たれている。野生動物とは違って、真冬に野宿ができないのが人間なのだと再認識するには十分過ぎる新年、贅沢なことは言えないのだ。うどんの国から港の街へと、トンボ帰りする道中は新幹線の連結部分で立って過ごした。乗り込んだのがグリーン車の隣、ちょうど車内販売の準備を行う部分で、割とスペースがあったのが幸いして、結果的に狭さを感じない立ち席の帰途となった。
1 月 2 日、高校の同窓会に 0 次会から顔を出す。そもそも 0 次会からという面々は既に濃過ぎるくらいで、最初から全開。やがて 1 次会となる。3 年 (?) 前はアクリル板が置いてあったよなーと、しみじみ思い出す。もちろん、当時であっても最初にアクリル板を隅に集めてしまったことは言うまでもない。全開を通り越して盛会となった 1 次会が終わった後は、さてどこで 2 次会? と言う話になって、店の前でたむろすることしばし。結局、1 次会の店でテーブルを片付けた状態で、2 次会に突入。deep さが更に増すのは昭和生まれのなせる技。昔は色々と理解できないままに過ごしていたことも、今になってみれば、その理由が一応は説明できる、そんな話題が盛り上がって、お開きとなった。
1 月 1 日、新年はまずダシ取りから。いりこと昆布で一番だし二番だしを取って、今日は混ぜて使う。別鍋で丸く切った大根とニンジンを茹でて、三つ葉にも軽く火を通す。この三つ葉の香りが雑煮のポイントで、これがないと正月の気分にならない。餅を電子レンジで少し温めた後で、熱湯で更に表面から柔らかくして、ダシに味噌を加えて椀に張り、餅をゆっくり落として、野菜を盛る。汁気の量を更に整えて出来上がり。お椀は「ぬりどころヒロ」作の会津塗りで、とても丈夫な漆器。毎年、ここぞという所で登場してもらっている。ぜんざいをいただく時にも、漆器に盛ると何だかグレードアップした気分になる。金属製のスプーンが使えないのが、ちょっと面倒だけれども。
11月と12月の1行日記