← 1 月と 2 月の1行日記  

12月31日、近所のスーパーマーケットは、夕方に閉まってしまう。新年に食材が尽きてはマズいので、大根など買いに出る。丸いキャベツを狙っていたのだけれども、すでに品切れ。ネギなど買い求めて、一度自宅に戻る。さて、閉店間近になって、そろそろ値引き品が出て来たかなーと思いつつ、もう一度買いに出ると、店内は黒山の人だかり。これがコロナを気にしていた人々なのか、ああもう「流行病の幻影」には世の中が惑わされなくなったなーと、しみじみ感じつつ半額品を狙いに行く。一種のスポーツで、ブロックする人、家族で買い物に来てパス回しする人々なども。流石にタックルしたりボールを奪ったりは無かった。そして閉店の音楽は蛍の光。年末だなー。

12月30日、海産物を買いに出る。海老がパックの中で動いている場面とご対面。売り場係さん曰く「明日はもう出ない品ですよ」と。年末には定番の売り文句だけれども、活き車海老ならではのおいしさがある。生でも食べられるのだけれど、少しだけ火を入れた方が美味しい。頭からたっぷりとダシも取れるし、海老味噌も味わえる。冷凍だと、有頭エビでもこれほどは美味しくない。まあ、エビにはそれぞれに見合った調理法があるのだから、どれがどうと言っても仕方がない。そういえば富山の白エビは美味しかったなー、あれはこちらでは手に入らない。鯛のサクも入手して半分は刺身、あとの半分は昆布締めにした。刺身用のブリも入手して、塩水で洗って水気を取る。そしてまずは刺身になる大きさにハネてから、柳刃でスライス。生魚は美味しいものだなー。

12月29日、とある航空会社を利用した時に、一度だけの利用だけれどもアカウントを作って、それっきりにしておいたらアカウントが消えていた。これは正しい運用と言えるのだけれども、問題はメールマガジンが届くこと。メルマガの停止申請を試みると「アカウントがありません」と表示されて、そこから先に進まない。着信拒否するのも何か違う気がするし、かと言ってメルマガを消すだけの目的で英文のメールを書いて出す気力もない。この例に限らず、あらゆる不要なメールマガジンの着信を少しずつ減らして行こうと、あちこちのサイトを回って設定する、そんな大掃除の年末となった。

12月28日、論文を読む。けっこう分厚い論文なので、じっくり隅々まで読むよりも、まずは主題をざっくりと掴むことが大切だ。... と読み始めて、ありゃ、なかなか進まないのであった。体力が必要だから節制しないといけないなー。途中で気力が尽きて、誰もいないオフィスでギターを手に取る。広い場所でギターを弾くと良い音が出る、いや、良い音に聞こえる。残響は音楽に大切なものなのだと実感する。同じように残響があっても、ギターマイクで拾った音に電子的に残響をつけてヘッドフォーンに戻して聞く音は、どことなく狭い。頭を振っても聞こえ方が変わらないからだろう。音は不思議なものだ。

12月27日、生協食堂でカツ丼をいただく。生協食堂の年内の営業は今日のお昼まで。カツ丼の列を待っている間にも、次々とメニューが品切れとなって行く。玉ねぎを敷いた鍋にカツを 3 枚乗せてダシ汁をかけ、ガス火で十分に加熱した所へ卵を注ぎフタをする。仕上がったらスルリとご飯に乗せ、ネギを盛って出来上がり。こうしてその場で作られるカツ丼には、単に卵あんを上からかけただけの「あんかけカツ丼」にはない美味しさがある。この3日間で、カツ丼と親子丼が何食出ただろうか? 時々は復活できるくらいの数字にはなっていたと思う。次はいつ頃、どの食堂で提供されるのか、楽しみにしておこう。

12月26日、生協食堂でカツ丼をいただく。親子丼は早々に売り切れたそうで、提供メニューがカツ丼に切り替わっていた。さて今日は火曜日だけれども、arXiv の更新はクリスマス休暇、じゃなかった、年末のホリデーでお休み。そういえば、先日の企業合同説明会の時に撮った写真を、まだ整理していなかった。というわけで、写真のフォルダを開いて眺めて行く。暗いとか照明が妙な色であるなど、条件の悪い場所で写真を撮る時には、一応の押さえとしてモノクロも写しておく。AI 着色もかなり進化しているので、モノクロ写真をカラー化した方が、悪条件下でカラーにするより綺麗な仕上がりになることもある。人間の視覚も、そんな作業を行なっているのかも知れない。

12月25日、生協食堂でカツ丼をいただく。生協 LANSBOX 店で3日間限定の復活で、今日と明後日がカツ丼、明日は親子丼。とても久しぶりで、あっという間に完食。美味しさは昔のまま、いや、カツの味が昔より良くなっているようにも思う。カツは豚肉で、豚とイノシシは家畜化されたものかどうかの違いなので、うりボー丼と名付けても良いかもしれない。養豚では生まれて半年くらいで出荷となるそうで、うり坊から少し大人っぽくなったくらいの豚肉を頂いているわけだ。なお、神戸大のマスコットは「神大うりぼー」が正しい綴りで、うり坊とかウリボーは間違いだ、何かに使う折には、ちょっと注意が必要なのだ。

12月24日、クリスマスイブ。夕食も終えた頃に、スーパーマーケットへ行く。夕食の準備の時間までに売れなかった惣菜などが半額になっているか、あるいは売り場が空っぽになっているかの博打となる。最近ではフードロスの意識も浸透して来たので、少し前のように大量の売れ残りが出ることはない。今日は運よく鶏のローストを 2 脚ゲット。まあ、元々がクリスマス特別価格で普段よりも高い値付けとなっているので、半額で丁度といった感じ。持ち帰ったら、まずは冷たい状態で骨と肉を分けて、肉は食べやすい大きさに切って耐熱皿へ盛り、オーブンで再加熱。骨は冷凍しておいて、適当に貯まったらスープ取り。明日もクリスマスはクリスマスなので、もう一度勝負しようか。

12月23日、らっきょう酢が半額で販売されていた。らっきょうの収穫時期は初夏なので、次の初夏まで賞味期限が持たないらっきょう酢は、二束三文で売るしかないわけだ。ただ、中身はあらゆる野菜の酢漬けに使える濃いめの甘酢なので、「らっきょう」酢という商品名でなければ、今の時期でも定価で売れるはずのもの。商品のネーミングが、売れる時期を限定してしまうこともあるのだなーと感じた。似たようなことが論文や単行本にもあって、タイトルが限定的であるが故に、流行が過ぎ去れば誰からも読まれなくなる論文は珍しくもない。それらが中身の詰まった論文であったとしても。

12月22日、とある OB・OG の Facebook アカウントが乗っ取られてしまった。それまでの書き込みが全て、AI が拾って来たか生成したような画像と文章に置き換わってしまい、アカウントの情報もまた、配偶者と死別など、よくある偽アカウントの定型 (?) のものとなっていた。このようにゾンビ化したアカウントと友達のままでは、いつこちらも乗っ取られるかわからないので、友達から消去。こんな風にして偽アカウントが生成されることもあるのかと、勉強となった。以前から、長い期間に渡って書き込みのある偽アカウントに何件も遭遇して、どうやって生成するのか疑問を抱いていたのだけれども、現場を目の当たりにして理解できた。自分のアカウントの認証は強化しておこう。

12月21日、MacOS を 14.2 に upgrade してから、AirMac Base Station との wifi 接続が不安定になったので、仕方なく撤去。部屋の片隅に置いてある演算サーバーの iMac を ethernet に接続して、インターネット共有をすることにした。wifi の設定をそのまま書き写して、電波を出して、設定完了。テストしてみると、MacBook やら iOS デバイスから電波は拾えるのだけれども、DHCP がうまく働かない。どうしてなのかなーと、思案中に他の仕事が入ったので作業中止。しばらく後に戻って来たら、あら不思議、wifi 接続が完了している。信頼できる接続先であることを確認していたのだろうか。最近の MacOS はブラックボックスが多いな。

12月20日、論文を書くという作業には慣れが必要だ。書く内容がハッキリとしていれば、それほど難儀ではないしサッサと書けるのだけれども、少しインパクトに欠ける場合には筆が進まなくなる。文才のある人は、どういう材料でも上手に読み易くまとめてしまうのだろうか。そういう時には、書いた場所から推敲を始めるというのも良くて、結果として追い出されたキーワードなどを他の段落や節や章に回して、文章全体としてのまとまりを考え直したりもする。執筆者が、このように気づきながら書くことが大切なので、論文指導の場合には、最初の段階では細々とした注意を行わない方が良い。待てば自然と文章が良くなって行く。ケースバイケースではあるけれども。

12月19日、今まで大学で使っているメールアドレスを様々なアカウントに登録していた。思う所があって、私用のものは全て、別のメールアドレスに変更することにした。これが結構、難儀なのだ。というのも、登録した時とはシステムが変更になっていて、二段階認証しないと変更できないとか、複数のサービスの間で登録が共有されていて、一見すると変更できそうに見えて、最後の最後で「こちらでは変更できません」などと応答されたりする。どうも、携帯アプリが最上位にある場合が多くて、web 登録は補完的なものとなりつつある。段々と、携帯というものに個人が吸い取られつつあるような気もして来た。

12月18日、コンピューターで実数値を近似的な取り扱う方法として、浮動小数点形式が最も一般的に用いられている。普通は (?) それで困らない。けれども、とても小さな数や、微妙な数値の差を考える場合には限界も見えてくる。乗除算に限って言うと分数表現で十分だったりする。しかしながら、足し算が入ると面倒なことになる。色々と考えてみて、ハタと気づいたのが、情報理論が欠けていること。有限長の bit 列で、与えられた実数値を程よく近似する表現形式は何だろうか? と言う原理だけから、どのような数値表現が導かれるのだろうか?

12月17日、一気に冬がやって来た。木枯らしに吹かれて散った枯葉の掃除をと、思い立って外に出たものの、冷たい北風に舞う枯葉を見て即刻、撤収した。風があるので体感温度はマイナスだ。こういう時に素手の庭作業をすると、一気に肌荒れして日常生活に差し障る。手袋をして、と一瞬は思ったものの、風がおさまってからでも遅くはないとナマケ心が出て来て、それに従った。昔だったら頑張っていたから、歳を重ねるのも悪くはないものだ。室内に戻って、大掃除もどきの作業をする。久しぶりに引き出しの奥など眺めると、時間とともにゴミと化したものが見つかるもので、次々と捨てた。

12月16日、成田から野菜が届く。冬の産直はとても充実していて、とても楽しみにしている。大根やカブの葉がなかなか美味しい。ホウレンソウも小松菜も、葉が分厚くて香りが濃い。土付き野菜は、植物が土に根を張って育つのだということを気づかせてくれる。大根の皮にも風味があって、捨てずにいただく。里芋は皮を剥いて下茹でして、調味料を加えてしばらく加熱する。ニンジンは、とても青臭い香りを放つ。激安スーパーでお馴染みのニンジンの葉は堆肥になるのだろうか、入っていなかった。野菜が届いてからは、午後を潰して野菜の洗浄と下処理。とても幸せな時間だった。

12月15日、春になった。日本海に低気圧があって、そこへ湿った温かい南風がどんどん吸い込まれているらしい。曇りの日なのに全然寒くないし、上着も必要ない。このまま、明日のお昼時くらいまでずーっと同じような天気らしい。冷えた大学の建物は結露で湿っていて、建物の中の方が気温が低い。ただ、湿度も飽和に近い状態となっていて、体感温度はそんなに低くならない。春先には、よくこんな状況になるのだけれども、冬のこの時期は珍しいものだ。六甲山は雲のモヤモヤの中に隠れていて、何だか妙な光景だ。さて今日は、wifi の繋がらなくなった iMac の修復を試みよう。recovery がうまく行くと楽なのだけれども。

12月14日、接着は要注意。紙と紙を糊で接着する場合は、とてもカッチリと張り合わせができて、糊を溶かさない限り剥がれない。糊が食われたり風化しない限りは。布と布を同じように糊で接着すると、あっという間に剥がれてしまう。紙よりも布の方が引っ張りに強いので、大きな力がかかり易いから、という側面もある。皮と皮を接着するのは更に難儀で、一見すると強い皮も、強い繊維質が表面にある訳ではなく、引っ張るとペラペラと剥がれて行く。布にしても皮にしても接着剤は補助的なもので、糸で縫ってちゃんと固定することが大切だ。危うくストラップの紐が切れて、カメラが落下する所であった。補強しておこう。

12月13日、スープを作る鍋に唐辛子を一本投入。普通はそんなに辛くならない。今日の唐辛子はとても辛かった。思い出してみると、縦に二つに切って種を出していた時から既に香りが普段とは違っていた。エスニックな (?) 料理を朝からいただくのも悪くはない。干してある唐辛子にも、辛い・辛くないの「揺らぎ」があるのか。一味唐辛子のように粉にしてしまうと統計平均が取られて、ほぼ均一になるわけか。製造業者は辛さの違いをうまくブレンドで調整しているのだろうなぁ。ああ、何となく、生活に密着した数学の演習問題が作れそうだ。次に唐辛子を丸のまま使う時には、まず細い輪切りを味見してから使うことにしよう。

12月12日、研究室で過ごす人々のうち何人かが、広い意味での統計物理学モデルに挑んでいる状況は、何年か前と同じようにも映るし、何かが違うようにも感じる。あの頃よりも随分と手ンソルネットワークの認知度が上がって、機械学習にも広く使われ始めて久しい。昔は何もかもが手探りであった、そんな風にも記憶している。卒業や修了までの限られた時間の内に、何か成果を挙げて納得の行く研究を取りまとめよう、そのように考えての取り組みは普遍的なものだろう。様子を眺める毎に、大学や大学院で過ごす研究者の姿に一歩近づいたなと感じる。色々な未来が広がっていることを祈る。

12月11日、朝は晴れ、昼も晴れ、昨日に続いて小春日和を通り過ぎて春そのものだ。九州から雨が近づいているらしくて、灰色の低い雲が時折り通り過ぎて行く。お昼の今時を過ぎると段々と曇りになって、おやつ時から夕刻にかけて雨となるらしい。雨の間もあまり気温が下がらないのだそうな。花壇に植えておいた球根が、この雨でかなり発根するのではないだろうか。芽が伸びて来ると真冬に凍結の恐れも出て来るのだけれども、この冬に凍る日がやって来るのだろうか? まずはクリスマス寒波となるかどうか。暖かさが続くならば、ノースポールなど植えて花を楽しもうかな。

12月10日、冷蔵庫の移動は何かと注意する点が多い。低温であったものが常温に戻ると、雪解けのように色々なものが表に出てくる。気づかない汚れは、臭いを発するし、凍っていた水が溶け出して来るし、冷えた部分に結露して水を呼び込む。製氷皿のように普段は全く使っていなかった部分に霜がビッシリだと、そこが水浸しになる。水抜きの手順は冷蔵庫によって全然違う。水以外にも、固定のために床面に降ろす補助的な脚だとか、貼り付けておいたシールが加水分解でドロドロだとか、裏や下面がホコリだらけになっているとか。何よりも、移動によってアチコチにガタが来て断熱性能が落ちるというのが一番怖い。慎重に作業しよう。

12月 9 日、スーツケースを持って移動する時に、進行方向にケースを持って走るのは危険だ。何かにつまづいた時に、咄嗟に出す一歩がケースに当たって、ケースごと転倒してしまう可能性がある。2 度ほど、このパターンでバタっと倒れたことがあって、それ以来はケースを右手に持って歩き急ぐことにしている。同じように、エスカレーターでスーツケースを進行方向に置くのは危険で、体とケースが横並びになるのが比較的安全。いや、エレベーターが使えるなら、そちらで昇降するのが無難だ。電車では進行方向に対して前後にスーツケースを置くと、同様に転倒の危険がある。楽器を持ってあちこち出歩くのは、段々と体力的に厳しいかなー。外で弾く時にはギターではなくてウクレレにしようか? ネック幅を広くした改造ギタレレという手もあるか。

12月 8 日、季節外れの暖かさがやって来た。こういう日には木々も活き活きとしている ... というわけでもなくて、落葉樹はむしろ暖かい日に葉を落とす。葉の根本にある組織が落葉へ向けて変化する速さも、気温と相関があるらしい。落ち葉がたくさん辺りに溜まると、清掃の方々が袋詰めして行く。大変な作業だなーと、常々思いつつキャンパスを行き来する。師走という言葉もまあ、そろそろお払い箱行きなのだろうか、わざわざ挨拶回りするという非効率を許容できる社会ではなくなりつつある。落ち葉がお札に化けるのを夢見て、そろそろ年末のモンテカルロ、ジャンボを楽しもうか?!

12月 7 日、点電荷は地味に扱いが難しい対象だ。その周囲の電場のエネルギーを求めると積分が発散するというのは良く知られていること。同じことなのだけれども、正負の点電荷を近づけると、無限にエネルギーを取り出すことができる。もう少し難儀なのが、一様電場 E の中に点電荷を置いた場合に、点電荷 q が受ける力。もちろん qE が答えなのだけれども、これを電場のエネルギーの観点から求めようとすると「重ね合わせた電場のエネルギー」が発散していて、その微分を考えて力を割り出すことができない。電荷の半径を r として、受ける力が r によらない事を示すのが、まあ普通のやり方だろうか。電荷を含む閉曲面上で maxwell tensor を積分するのが正攻法かな。力は不変なのだけれども、電荷の加速度は r に依存してしまう。難儀なやつだ。

12月 6 日、農学部の農場で収穫された作物の販売があった。会場へ行くと、既に大根と白菜は売り切れ。梨とお米とキャベツと、併売のレトルト食品を購入した。キャベツは丸のままなので、それなりに重い。結構な量になった。そのまま持って研究室に持って行き、しばし休憩。販売は 13:30 までで、終了の頃に様子を見に行くと、まだ梨とキャベツが残っていたので、追加購入。キャベツは合計で 3 個になった。外側の葉は刻んで炒めるか、それともスープにしてドンドン消費しよう。内側は甘くて美味しいから、そのままサラダ? それとも軽く茹でて? しばらくは神戸大の作物で暮らせそうだ。

12月 5 日、researchmap を久々に開いてみると、何やら混沌とした状況になっていた。機関入力とか AI 入力とかが沢山承認待ちになってて、面倒だから全部まとめて承認すると、重複した登録がボコボコと出てきた。うーん、これではマズい。doi で整理できるものは整理してしまおう。この辺りに、google scholar の凄さがあるんだなーとも感じる。DMRG や Tensor Network の論文探しも、機械に任せてしまおうか ... と、ここで問題になるのが Bethe Ansatz とか NRG の扱い。あるいは、イジングモデルなどが全て拾われてしまうかも。なかなか一筋縄では行かないのだ。機械を補助的に使いつつ、人の目も通すというのが正しい (?!) AI の使い方なのだろう。

12月 4 日、google scholar には何の手も入れていないのだけれども、自然に論文が集められている。便利な道具だなーと思うし、こういうものを開発する文化は、なかなか日本には無いものだなーとも感じる。和風の考え方だと、どちらかというと大切なものは秘伝として、弟子に述べ伝えることで免許皆伝となる、そんな感じだからだ。ひょっとすると、宗教改革の辺りに、情報公開のルーツがあるのかも知れない。そういえば、日本には維新はあっても革命はない。それが島国の良い所でもあるだろう。さて今週は、師走といった感じの行事が色々とある。クリスマスはアドベントの今頃が一番楽しいのかも。

12月 3 日、日々を過ごしている場所でも、ふと見渡すと何年も使っていないものに満ち溢れている。それらを購入した時には、何かの役に立つと思ったのか、何かの役に立ってはいたけれども段々と使わなくなったのか、新しいものを導入した時にお役御免となったのか、貰い物だったので捨てられないのか。いずれにしても、今を生きるスペースを占拠しているだけのものが目に入ると、それは断捨離の対象となる。よくよく考えて、エイヤッとゴミ袋に詰め込んで、日常を優先しよう。役に立つかなーと集めたものが山のように積み上がるというパターンもあるので、役立ちそうだという考え方を放棄するのも肝要なのかも知れない。

12月 2 日、土曜日の午後は書き物。色々な資料からガサガサと情報を集めて落とし込んで行く。自分で書いた文章も、画面に現れた時には既に「読者のもの」になっている。書き手と読み手、その 2 役をスイッチしながら書き進んで行く。昔に比べると、筆の進みが遅くなってしまったのは、その習慣から来るのかも知れない。読み手の要素が強くなり過ぎると、書いては消して、また書くというバカバカしいプロセスの繰り返しとなる。文章は進められる部分から書いてしまうのが得策なのだろう。そして、全体がまとまった所で読み返してみると、やっぱりどこか妙だ ... まあ、ある時点で完成とする他に手はないのだけれども。

12月 1 日、昔にどんな研究をしていたか、どんな考えで研究を進めていたか、そういう事は良く覚えているものだと思っていたのだけれども、改めて昔の仕事を眺め直すと、色々と忘れていることに気づいた。これは研究という生業が、いつも少し先のことを目指していて、直近の関心に基づいて日々の作業を進めているからなのだろう。大昔の論文の共著者を眺めると、色々と教わったことを改めて思い出す。ふと自分が、そのような立場にあるのだろうかと自問しつつ、卒業研究や修士論文の指導をして行こう。さて、自由フェルミ系のスレーター行列式で記述できる状態が二つ与えられた時、それらが同じであるかどうかを速やかに判定するには、どうすれば良いだろうか。問題設定によっては自明になったり、難問になったりするから自由フェルミ系も侮れないものだ。

11月30日、お昼前に離陸のフライトを見送ろうと、見晴らしの良い場所から眺めるも、目視確認できず。まず、着用していたメガネが長距離用のものでなかったのが失敗その1。散歩するような時には、ちょっと先に焦点が合えば良いので、星や遠くの飛行機を眺めようとするとボケてしまうのだ。次に、風があまりなくて霞が濃かった。クッキリと関西空港が見える時に、その方角を確認しておかなかったのが失敗その2。そして、もう一つの大きな要因が、フライトがアラスカから北極まわりでヨーロッパへと向かうコース取りであったこと。ちょっと前まで、ロシア上空を通過していたので、神戸のすぐ近くを通ってくれたのだけれど。難儀な世の中になったなーと思う。

11月29日、スロバキアからの来訪者との discussion も、今年は今日まで。2 週間は長いものだと最初は思うのだけれども、日々はあっという間に過ぎ行く。今は zoom でも何でもあるので、discussion を持とうと思えばいつでも可能なのだけれども、それぞれの地では日常の業務も待ち受けていて、なかなか余裕がないものだ。名残惜しいものだと思いつつ、また近い内に会う機会を持とうということで、しばしのお別れとなった。明日には長いフライトで帰途につく。フライトレーダーで見送ることになるだろう。天候が良ければ、神戸大学から関西空港を離陸する機影が見えるかも知れない。旅路が順調でありますように。

11月28日、スーパーマーケットへ行ってもパン屋さんを訪れても街中を歩くだけでも、すっかりクリスマス一色で、何だか楽しげだ。最近は宗教色を薄めて、ハッピーホリデーズとも称するらしい。よくよく商品やディスプレーを眺めると、サンクロースやトナカイは出てきても、十字架の飾り付けはあまり見かけない。この辺りが、八百万(やおよろず)の神々を崇める土着の慣習と、うまく溶け合っているなーとも思える。今日はお客さんがやって来て物理の議論を何時間か延々と。昔に比べると、自分が語る内容に大胆さが減って来たような気もしつつ。テンソルネットワーク黎明期は何を考えても凄い進展があった訳だから、学問には育つ時期というものがあるのだとも思った。次なる新しいドアはどこに待ち受けているだろうか?

11月27日、インド料理を食べることにして、お店探しから。三宮にゲイロードなき今、美味しかったショナルパへと赴くと、そこにショナルパなし。検索すると、Facebook アカウントで閉店のお知らせと、広島の新店舗での営業の案内に行き当たる。それではということで、今までお昼時にお店を眺めるだけで通り過ぎていたシャンカル三宮店へ。ドアを開けて中に入ると、そこはインド。当たり前か。大きな金属のプレートにナンとカレーという典型的なスタイル。端からどんどん食べて行く。どんなスパイスの調合になっているのだろうか、段々と体の中からも香りが立って来る。これは病みつきになる味だ。また食べに行きたくなった。

11月26日、挿し木しておいたラベンダーの幾つかが育って来た。恐らく発根したのだと思う。今は冬の初めなので、少し育って一度休眠して、次の春にグングン伸びるという皮算用をしつつ、他の挿し穂も見守る。同じように挿し木しておいたローズマリーはそのまま。あれは葉が分厚くて、普段から急には育たないから、こんなものかとも思う。ダメ元で挿しておいたサツキは、早々に枯れてしまったものと、全く様子の変わらないものに分かれた。簡単に挿し木できると思っていたシソは全滅。秋には花が咲いて枯れてしまうものは、今の時期に挿し木するだけ無駄なことだと、後から悟った。園芸はうまく行くものを選んで作業するのが楽。珍しいバラの挿し木などに挑戦し始めると、きっと面白くなくなる。

11月25日、 海辺の自宅からトコトコと、ちょっとだけ電車に乗って月見山駅で降りて、須磨離宮公園を初めて訪れた。入り口から植栽を眺めつつ、しばらく歩くと突然視界が開けて、ここは日本なのか? という開けた洋風の庭、いや巨大なガーデンが目に入る。至る所でバラがたくさん開花していて、こんな時期にも咲かせる技術が凄いなーと感じた。その後、陸橋を渡って隣の植物園へ。こちらは、どちらかというと和風で、茶室があったり紅葉があったり。温室に入ると中ではランの展示会が開催されていた。見晴らしの良い場所から眺める須磨の街並みは緩やかな勾配の住宅地で、日当たり良く海も良く見える。駅近には浅築のマンションもあって、それぞれの建て方が面白かった。

11月24日、比較的良い天候が続き、昨日は暑いくらいだったけれども、一転して北風が吹き、少しは冬へ歩み始めたようだ。今日はもう休みにして、4 連休を楽しもうか? 冗談はさておき、ついこの前に海外から visitor を迎えたばかりなのだけれども、早くも滞在の後半となった。幾つかの課題について discuss した後に、何件かのデータ収集を行うことになった。対面で議論すると色々と案が出てくるものだ。まあ、想定した通りにデータが出て来るかどうかは、数値計算をやってみるまでは何とも言えない。conjecture を語り過ぎてもダメだし、conjecture を持たないのもダメ、この辺りが理論物理学の難しい所だろう。

11月23日、JR や阪神に乗ると阪急よりも随分と南側を走るので、六甲山がよく見える。海辺の自宅にほど近い駅を出て一路東へ。塩屋の辺りでは山からすぐに海に落ちる崖のような場所を抜ける。その辺りから六甲山系を北に眺めつつの車窓となり、神戸大学に通う最寄り駅の六甲道では、駅近くのビルの谷間から神戸大学がよく見える。降りずにそのまま、大阪へと電車の旅を続けると、甲南大学、神戸薬科大学、甲南女子大学などのキャンパスが目に入る。そして、中学校や高校も散らばっていて、六甲山の南側は文教の街だなーと感じる。西宮の辺りからは山がずっと遠くなり、大阪平野に入って行く。ちょっとした旅もまた楽しいものだ。

11月22日、水挿ししてあるトマトの茎は、この時期になると発根が遅い。発根していない状態で土に挿すと枯れてしまうことが殆どなので、ちょっと工夫した。水挿しした茎をグニュっと曲げて、先端付近を別に用意した鉢の土に突っ込んでおくのだ。茎に十分な水が回っているので、土に触れた部分からサッサと発根して定着する。その後、水挿ししてある方も同じように土に突っ込むと、またまた発根定着する。こんな風に、トマトは無限に増えて行く ... 無限になどと語ると数学屋さんに怒られるか。そもそもこのトマト、プチトマトを鉢に転がしておいたら芽が出て、夏に伸びたものだ。同じように芽生えても伸びの速い遅いがあるのが、生物としての賢い所なのだろう。

11月21日、何歳になっても「やらかしてしまう」所はなかなか治らない。ホウホウの体で大学に辿り着いて、ようやく夕方頃からシャキっとして来る。その間にも discussion を重ねて、幾つか考えるべき方向性が見えて来た。具体的に進められる研究は、お客さんの滞在中に何とかデータ取得まで行けるように思う。今日のちょっとした驚きは、Potts 模型の境界では、状態の数によらず 2 次転移が起きるという話。何でも、状態数が多い場合には臨界指数βの値が 3 にもなるのだそうな。不思議なこともあるものだと思った。曲がりなりにもサイエンティストなので、伝聞や論文のアブストラクトのみを信じずに、そうなる理由も時間がある時に理解しておこうか。

11月20日、国際会議に行ける場合、行けない場合、色々とある。まず、講義や行事と重なっていて時間が取れないのが最もありがちなパターン。特に、滞在型の長い研究会が 2 月とか 7 月にあったら、それはまず無理だ。次に、行き先による制限が生じる場合。日本と国交のない国は稀だと思うのだけれども、渡航制限があるとダメだ。また、A 国に入国すると B 国への入国が非常に困難となる、そんな場合には塾考が必要となる。家庭の事情もまた色々とあり得て、生老病死という一大事に関係していたり、入試などと重なっていても、なかなか自宅を離れる気にはならない。あれこれとあって、invitation を有り難く頂戴しても、それに応えることが無理なことも多い。

11月19日、スロバキアからの来訪者 3 名と神戸の海を楽しむ。まずは船の選択から。同じように神戸の海を巡る船とはいえ、行き先が微妙に異なっている。明石海峡大橋を目指すもの・くぐるもの、神戸空港沖へ行くもの、ポートターミナルまで行くもの。小さい観光船は、その場所へ行くことが主な目的となっていることが多く、船が大きくなるほど食や非日常の演出へと焦点が移って行く。船の上で誕生日を祝ったり、プロポーズをしたり、そういう利用も盛んらしい。色々と勘案して、船遊びは景色眺めに徹することにした。海の上は広いなーと、いつも感じる。しばらく夕暮れを楽しんで港に戻って来て、夕食には海の幸のスパゲッティーをいただいた。やっぱり神戸は海の街だ。

11月18日、園芸品種のランタナは、茎が細くて可愛いい花が付くものが多い。おおよそ園芸品種というものは、人の手を離れると自然淘汰されるようなものが多いから、まあ当たり前のことか。同じランタナでも、野生のものは頑強で、一度根付いてしまうと駆除が難しい。地上の部分は何とか切り取れても、根が残っているので翌年になるとまた芽吹いて来る。この時点で、根気よく芽を詰むと、やがては根も枯れてしまうのだけれども、たかがランタナの切り株を毎日のように相手にするのは割が合わない。かくして、空き地があればランタナ、石垣にランタナ、どこでもランタナとなってしまう。この難儀さはウツギにも通じるものがある。園芸品種のウツギは綺麗な花を付けるんだけどなー。

11月17日、朝には気温が 10 度を下回るようになって来た。そろそろ、手袋を着用しないと、指先の皮がひび割れする。海辺の路地に植えておいたトマトも、そろそろおしまいだ。何本かを畑から引っこ抜いて、室内での水耕栽培に移すことにした。夏の間、大地に張った根は凄いもので、引っこ抜くとジャングルのように茂っている。細い根が切れた状態となるので、茎や葉を剪定して、根とのバランスを整えてから、まずバケツに放り込んでおく。水回りが落ち着いた頃合いに、スポンジで包んで準備しておいた容器へ。ここから先は、水の様子を眺めながら、時々、少しずつ肥料を与えることになるだろうか、うまく行けば。

11月16日、外国からのお客さんをお迎えして、ホテルにチェックインするまでアテンド。その後に大学の坂を登って日々の作業をこなす。この一年で神戸の街がどう変化したか問われて、ええとと、思案する。ボートタワーが改修された? JR 神戸駅の駅ビルが更地になった? キャッシュレス決済が進んだ? 神戸阪急が阪急らしくなって来た? うーん、そんなに思い当たるものがない。神戸大学の近くでは、六甲苑が閉店して、新六甲ビルがほぼ空っぽになってしまった事が最も大きな変化だろうか? あちこちの更地に建物が立ち始めたのも目新しい変化かも知れない。我々にとっては円安による物価高が、最も影響のある出来事だったなー ... など思案しつつ。

11月15日、筑波大学にやって来るのは 30 年ぶりくらいになるだろうか。昔と同じようにレンガ色の、ちょっと凝った設計の建物が立ち並んでいて、それなりに古色も増して昔よりも落ち着いた雰囲気になった気がした。さて昼時は生協でご飯を ... あれ、生協がない。検索すると、筑波大学には生協がないのだそうな。それもあってか、パスタとか大盛りの丼ものとか、普段は生協で見かけないメニューが色々とあって、visitor としては楽しかった。ただ、スパゲッティーと鳥の唐揚げを食べたい、という組み合わせには、なかなか応対できないわけで、その辺りのバランスが難しいものだと思った。フードコート形式にすると高くつくしなー。

11月14日、旅に出ると、ちょっとしたことに人々の優しさを感じる。ふと立ち寄ったお店では、商品の選択に右往左往しかかっている所で助け舟を出してもらえた。タクシーに乗って行き先を告げた時に、うっかり言い間違えるも、柔和な笑顔で行き先を確認してもらえ、感謝あるのみ。身近な人々に、そして一見さんに気配りするという慣習は、普遍的なものだとは思うけれども、都会を離れた場所へ旅すると、改めて気付かされるものだ。昨日の目まぐるしく変わる天気を経て、今日は穏やかな日差しが注ぐお昼時に。ゆったりと海から吹く風は、いろいろな記憶を運んでくれているようだ。

11月13日、思い立って海を渡る。昔は連絡船を使って、まず高松港から宇野港へと渡り、その後は快速で岡山へ、そして新幹線で新大阪、そんな乗り換えだったなーと、全く懐かしくない思い出も浮かぶ。時間がかかるばかりだったし、何より全ての乗り物がタバコ臭かった。特に、窓の開けられない新幹線が最悪で、満員になると車内が霞んだほどだ。... と、色々と思い巡らせるまでもなく、今日はあっさりと行き先の駅に到着。讃岐は空気が綺麗だなーと、いつも感じる。あれくらいの人口密度で、田んぼもあれば小さな街もあり。宅配とか通販が充実している今の世の中、地方と都会の違いも段々と埋まって行くのかも知れない。

11月12日、六甲祭の二日目。今日もまた、少しだけだけれども様子を見に行く。なんか少し音量が下がったような気もする。マスク姿もまた健在で、既にお洒落の一環として定着しているのかも知れない。終わった後は、一気に下山の人波が発生して、祭りがそのまま阪急六甲駅へと移動しているような感覚であった。人々が去ったあとのキャンパスはひっそり。その中で、撤収作業が続いていた。研究室に戻って来ると、何人かがそこで黙々と研究中。そろそろ修士論文などまとめる時期なのかな。博士論文は、もう形になっていないとマズい時期だ。審査直前に完成版を提出となると、修正指示の出しようがなくなるので、余裕をもって完成させることが大切だ。と、言いたい面々は ... まあ日曜日には言うまい。

11月11日、六甲祭の一日目。ちょっとだけ様子を見に行く。とても沢山の人々が集っていて、七夕祭りを超えた賑わいを見せていた。まず何よりも、辺りに響き渡る軽音、特にロック。ともかく叫んでいる。ともかくドラムを叩いている。コーラスが、濁っていようと何だろうと絶叫している。今年は、ようやく飲食物を提供する模擬店も戻って来た。学祭はこうあるべきだ、という所まで戻って来たとも言えるだろうか。明日は 2 日目。ますます絶叫となるか、相次ぐ絶叫に飽きてバラードとか演歌も入れるのか、ちょっと気になる。夜になると、あちこちで X の space が上がっていた。久しぶりの本格的なお祭りだったからなぁ。

11月10日、久しぶりの雨の日となり、今日で初秋の終わりとなるらしい。濡れて重くなった桜の葉が次々に散って、地面を覆っている。学祭の準備が雨の中でも着々と進んでいて、大学が何だか賑やかだ。週末の天候はまあまあ良いらしい。学祭の様子は twitter で楽しむことにして、この土日は海辺の我が家で過ごすことにしよう ... というのも、ここ何日か「半額の食材」を買い求め過ぎて、冷蔵庫がタンパク質だらけになっているので、食べて消費する他ないからだ。昨日に仕込んだミートソースは何に使おうかなー、そのまま食べて美味しいから、そのままおかずにしようか。

11月 9 日、故郷の高松の冬と、こちら神戸の海辺の冬を比較すると、同じように海に面しているとは言え、神戸の方が寒い。また、感覚的には高松の方が冬の西風が強い。季節風が瀬戸内海を北西、いや西北西くらいに吹いて、その間に若干の湿気を吸うことから、この違いが生まれるのだろう。高松では柱サボテンを地植えにしているのを見かける一方で、神戸でそのように育てると、最も冷え込んだ冬の日に凍りついて枯れてしまう。さて大学の近くに、うちわサボテンを地植えにしている所があって、冬に凍りつくと部分的には枯れるのだけれども、また次の夏には新芽が出て復活する。なるほど、条件の良い場所が自然に選ばれるような仕組みになっているわけだ。さて、今年はどんな冬に?!

11月 8 日、夕方になって帰る頃に、大学にやって来る学生が目立ち始めた。神戸大学の大学祭、六甲祭が近づいて来たことを実感する。学生のお祭りなので、お客さんのメインは大学院生以下くらいの年齢層だ。まあ教員が見て回っても制止されることはないけれど。音楽は割と楽しめる出し物で、たまにガチ本気の演奏にも出会う。音楽の才能があっても、それを専門にはしないという選択をする人々は、まあまあ居るらしい。技量に関わらず練習成果をステージで披露できる貴重な機会でもあって、聴いていると求める音楽の姿が浮かんで来る、そういう楽しみもある。去年は雨天だった、今年は好天だといいなー。

11月 7 日、1 カ月後の日の入り時刻は 16:48 で、この頃に最も日の入りが早くなる。実は既に 17 時頃には日没なので、これから先の 2 カ月は太陽の位置があまり変化しない。一方で気温はこれからどんどん下がって行き、山は黄色く・赤く染まった後に落葉する。春とともに毎日の変化が目立っていて、六甲山が毎日のように異なる姿を見せてくれる。これから先は六甲おろしの季節でもある。そういえば日曜日の夜に六甲おろしが各地で歌われた 38 年ぶりのイベントもあったっけ。さて、ここ数日の間、頭の中で「なぜ」と思うシュトラッセンのアルゴリズムに何とかケリをつけないと。

11月 6 日、理系学問は理解に基づいて論理を構築するので、一度しっかり学べばその知識は一生物になる。というのは確かに基本なのだけれども、例えば2次方程式の解の公式を導いてみよ! と命じられると、平方完了すると良いとは覚えていても、実際に紙を前にすると高校生のようにスラスラとは導けない。自由フェルミ系の基底状態でハミルトニアンのエネルギー期待値を求めてみよ! と言われると、それは1粒子エネルギーの和になることは丸暗記で覚えていても、じゃあフェルミ演算子の交換関係と真空と自由ハミルトニアンだけから立証してみよ、と言われると、ええと、まずハミルトニアンを対角表示して、場の演算子を線形変換で作って、それから ... と、面倒なことを始めないといけない。これは講義ノートでも作っておかないとマズい案件だ。黒板の前でいきなり語り始めると、効率の悪い力技を見せることになって、見通しの悪い解説になってしまう。

11月 5 日、全ての曲が初演という演奏会にお邪魔した。ジャンルはクラシックで、日本語の曲名のもの。歌曲は全て日本語。歌詞が付いていると初めて聴いた曲でも何となく雰囲気が伝わって来る。ただ、ソプラノの高い音域になると言葉の聞き分けが難しくなるので、プログラムに掲載の歌詞を最初に頭に入れておく。この辺りは歌舞伎のような古典芸能でも同じか。作詞・作曲・演奏が全て分かれているのも、クラシックの楽曲・演奏らしい所。同じ歌詞に、別の作曲家・演奏家のセットで取り組まれた2つの曲を聴き比べることもできた。最後は出演者が総出で合唱。盛りだくさんだったなー。

11月 4 日、おやつ時に、野菜を大きく切って鍋に放り込んで、ベーコンの厚切りを加え、酒と水、そして塩昆布少々を流し込んだ後、鍋蓋を閉じてトロ火にかける。後はひたすら待つだけ。伝統的なポトフの仕込みだ。怪しく語り継がれる所では、農作業に出る前に大鍋に具材を入れてストーブの火にかけ、仕事から戻って来る頃には食べるスープが出来上がるというのが、元祖ポトフらしい。ついでに、固く乾燥したパンをふやかして食べるという話も目にする。いずれも根拠資料を直接目にしたことはないのだけれども。ともかくも、3 時間が経過して出来上がり。サワラの味噌漬けを炒めたソースのパスタも即席で作って、一瞬のディナーを楽しんだ。

11月 3 日、今日から連休なのだそうな。普段どおり arXiv プレプリントサーバーを巡回して、論文を拾う。今日はちょっと面白いのがあったかな。その後は電車に乗ってノコノコと職場へ。最後の登山は、ゆっくりと歩いて道中の秋を写真に収めた。祭日なので学生があまり居ない、ということは普段はカメラを向けられないような場所で、閑散とした風景が撮影できるわけだ。この感覚は、いつか味わったなーと思い返してみると、2020年の 3 月 4 月に人通りが全く絶えてしまった時の光景と、よく似ている。もっとも、人々は街へ海へ山へと赴いていて、大学には寄りつかないだけなのだけれども。学内で、電子スピン関係の研究会が行われていて、そこだけは少しだけ人々の姿を見た。web file の更新が終わったら散歩に出かけようか。

11月 2 日、久しぶりに風邪になる。タイミングから恐らく、先週末に大阪へ出た時に拾ったのだろうと思う。このように感染するのも、都会に集まって住む現代人の宿命だ。それを3年間くらい無理矢理抑えていたのだけれども、誰にとってもコストに見合わない努力だったのかなーとも感じる。まあ、感染力が無くなるまで、あと何日かの間はおとなしくしていよう。海辺の田舎なので、散歩くらいはするけれども。ちょうど明日からは連休に入るので、ここいらで年次有給休暇を合わせて取ると、ひとり黄金週間になるかなーなど妄想しつつカレンダーを眺めると、週明けに早速予定が入っていて幻滅した。

11月 1 日、物理で Fuzzy Sphere と呼ばれるものがある。名前の通りだと、毛の生えた球なのだけれども、球の上での対称性を保ったまま有限自由度の「格子」を持ち込んだもので、そのまま有限自由度の2次元系を構築したり、1+1次元のモデルだと考えたりする。似たようなことは色々な多様体で考えることができて、最も簡単なのがトーラスの上に構築した Fuzzy Torus だ。このように、対称性が高い多様体の上では数式を使って有限自由度のものが書き下せるのだけれども、このような考え方はジャガイモのような閉曲面の上でも考えられる。一般論あるみたいだけれども、数式の見た目が超難解。単純な現象も数式に落とすとなると難儀なものなのだなー。


9 月と10月の1行日記