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2 月28日、お弁当の話。この所、諸物価高騰の折、お弁当の具材が段々と貧しくなっている気がする。まず、鳥インフルエンザの影響で、卵焼きの類が消えてしまった。溶き卵パックの値段が倍にでもなったのだろうか。それ以外も、調理の電気代も人件費も上がって、段々と利益が圧縮されるか、あるいは弁当の中身が圧縮されるか、その中庸あたりで何とかやりくりしているのだろう。スーパーに並ぶ弁当を毎日見ていての感想と言っておこうか。駅前中華の盛り盛りの弁当が懐かしいなーと、改めて思う。生協の弁当は、そんな中、健闘しているのではないだろうか。少なくとも今の所は。

2 月27日、すっかり春らしくなって来た。道端のカラスノエンドウは既に繁りはじめ、アジサイの芽も日向では膨らんでいる。桜の花芽も何となく目立つ大きさになっている。樹皮に光を受けると、根本から枝先へと樹液が巡り始めるようだ。何だかんだと言っても、西日本は「放置すると樹海になってしまう地域」なので、人々が住み続ける限り、これから先の季節は自然を守るというよりも、伸びるものを刈りまくる戦いとなる。厄介なススキを見かけたら、早々に引き抜かなければ大変なことになる。あるいは、葉にちょっと塗ると全部枯れてしまう、例の除草剤を使うか。不自然なことはしたくない気もするのだけれども。

2 月26日、ガサゴソと書棚をいじっていたら、高校の頃の印刷物が出てきた。クラブ活動や同好会などの、ちょっとした冊子だ。当時はオフセット印刷が一般的で、黒のベタは白く浮きやすいので、スクリーントーンやかけ網などを背景に使って、色々と絵を描いたものだ。改めて眺めてみて思うのは、そこに込められたエネルギーだ。無駄なものにも隅々まで、バカバカしいほど情報を詰め込んである。遊び心とも言えるだろう。そういえば、大学で下宿していた頃も何人か集まれば、ともかく遊んでいたなー。今は、そのエネルギーが紙ではなくて SNS のような場で披露されているわけで、時々は記録を残しておくのも悪くはないだろうかと思った。

2 月25日、手品、マジックを見る機会があって、色々と華麗な技を披露してもらえた。とても素早く、かつ素っ気なく体を動かす術や、思い込みを誘導する話術など、興味が尽きない時間を過ごせた。途中で、パッと燃えてしまう紙も登場。あれはセルロイドだろうかと思って、帰ってから検索してみたら、フラッシュペーパーという名前の商品として販売されていることがわかった。成分は、想像通りのニトロセルロース。紙や繊維のように引火しやすい状態で乾燥すると、ちょっとしたことで誘燃するので、けっこうな危険物だ。使う量だけを、こまめに乾燥させるようにとの注意書きがあった。

2 月24日、ここに書いてあるように口語をそのまま文字に落とすと、何となく無駄の多い文章になってしまう。例えば「何々することができる」など普通に使う表現でも、文章では「何々できる」で充分だ。ついつい使ってしまう爺さん言葉もまた要注意で、さすがに「けだし」は使わないにしても、「いわゆる」とか「せざるを得ない」とか「ゆくゆくは」など、何となく予算申請の書類には盛り盛りと書き含めてしまう表現も、一般的には文章の読みづらさに直結する。入試問題でよく見かける「何々であるものとする」の「ものとする」もまた、何となく威圧感のある表現だ。いま風には「何々としよう」「何々と定めよう」くらいだろうか。同じことを二度書きするのも、文章的にはクドクドしていて良くない。難しいなー。

2 月23日、祝日だけれども、arXiv に論文が次々と投げられているので、平日のような感覚。そろそろ締め切りとなる査読もあるし、論文の手直しのチェックもある、研究会のネタ仕込みも、そろそろイメージ固めして行かなければならない。今年はいよいよコロナ明けで、研究会などの活動が再開されつつある。まだ国内の大学は動きが鈍くて、行動制限のレバーをなかなか 0 まで下げないのと対照的に、海外、特に欧米はもうイケイケ状態で、大人数が集まっての国際会議も活況を呈している。そういえば、行列のできるラーメン屋では行か列しかできないけれども、予防接種会場は行列になっていたなー、しみじみ。打ったことないけど。

2 月22日、毎年恒例の研究室見学の日。3年生に研究室やら文献など見ていただいて、もし気に入ってもらえたら研究室配属の志望先として検討してもらうという、そんな感じだ。理論系の研究室は素っ気ない雰囲気なので、何か特に見ていただくものが転がっているわけでもない。どちらかというと4年生や大学院生が活き活きと発表資料作りなどを行なっている光景を見ていただきたかった。それは先週までの光景なので、今日は閑散とした状況を見ていただくことになった。理論系は人気がなくても良いのというか、本質的に人気がないものかも知れない。毎日パソコンや紙に向かっていて、時々ふと物質に触りたいものだと思うことがある。そろそろ、そういうハイブリッドな研究にも手を出してみようか?!

2 月21日、松本零士の作品、一番最初に出会ったのは何だっただろうか? 銀河鉄道 999 が、ちょうど雑誌連載中だった頃だったかなーと思ってみたり、もう少し早くおいどんの頃の絵も見たような気もする。色々とある中で、コンパクトに完結している作品がどちらかというと好みで ... いや、松本零士のマンガは長い連載であっても、ネタを仕込んでおいて物語が展開するということはあまりなくて、サザエさんのようにそれぞれ短い物語の集合になっている ... まあともかくも、大純情くんが綺麗に完結していて、何度も読み直したものだ。電子書籍で「全集」とか出ないかなーと期待している。

2 月20日、書き物が溜まっている時に限って、査読やら、論文審査やら、寄稿やら、原稿チェックやら、色々と同時に降って来る。たくさん仕事が入っていれば処理効率が上がるだろう、と一般には考えられるのだろうけれども、私の場合は真逆。たくさん目の前に並ぶと、ふらっと現実逃避の散歩に出てしまう。あるいは、ひと仕事終えるたびに SNS をしばらく見て ... と悪循環が始まるのだ。これで「落とした」仕事は幾つもあって、世間的には信頼できない人とか、怠け者と思われていることは間違いない。同じことなのだけれども、これはイケるという物が見つかった時には、全てを捨ててそれに専念する。世の中には沢山の人が居るので、ちょっとイケそうなことは同時に誰かが手をつけているものだ。良いアイデアには、そういう恐怖心も付きまとうもので、研究者というのは枕を高くして眠れない商売だと思う。... どんな商売でも、それは同じことか ...

2 月19日、今日はまず青菜炒めから。風が吹くと土が舞う広々とした場所で育った野菜は、たっぷり土が降りかかっているので、まずよく洗う。葉がしっかりしているので、バシャバシャ洗っても折れたり溶けたりしない。ざっくり切って、鍋へ。好みのオイルと塩で炒め、最後にダシを垂らす。うまい。ジャガイモは短冊に切って、テフロン加工のフライパンへ。ハンバーグを煮た時に採れた油でゆっくり炒める。これも、少し塩を振るだけで良い。芋の塩は後で振る方が、全体の塩分量は少なくて済む。こんな具合で黙々と食べた後は、夕食のポトフに使う野菜の見定め。里芋も、土から離すと表面から乾いて行くので、ポトフに入れてサッサと食べることにした。こうなると、スープがおかずなのか主食なのか、訳がわからなくなるけれども、まあそれで良いだろう。

2 月18日、成田空港の周辺で栽培されている野菜が、大きな段ボール箱で届いた。この産地直送便で届く野菜は、日常的にスーパーマーケットで買って来るものとはハッキリした違いがあって、そのまま炒めて塩を振るだけでも充分に美味しく、毎月の楽しみにしている。送料まで含めても、けっこう安いのではないかと思う。特に、年末に届いた箱はめちゃめちゃ詰まっていた。さて今日の野菜の配達と同時に、もう一つ段ボール箱が成田から届いた。こちらは、航空会社のマイルがとうとう期限切れになるので、エイっとワインに交換したものだ。成田空港のすぐ南にある物流センターから届いたわけだ。同時に届いたのは偶然のことだったのだけれども、ちょっと不思議な感覚であった。空港周辺で産直を行っているグループはいくつかあって、それぞれ得意分野があるらしい。「派」が違うというのもあるのだろうか。ともかくも、届いた量が量なので、さっそくお浸しや野菜スープでいただき始めた。

2 月17日、春野菜の季節になって、ブロッコリーが充実している。野菜はやっぱり、旬のものが一番だ。とは言いつつ、キュウリが冬にあると食卓の組み合わせにバリエーションが出るし、夏でも大根やニンジンが無いと、スープの具材に思案することになる。夏はウリやトマトで良い、冬は根菜と葉物で良い、モヤシはいつでも良い、そう割り切るのはなかなか大変だ。そういう目でスーパーマーケットの売り場を眺めると、ワサビが年中流通しているのが、なかなかの驚き。うまく保存する方法があるのだろうか? と不思議に思いつつも、時々お世話になる。さて明日は産直の野菜が届く日だ、冷蔵庫の野菜は今日の内に使い切ろう。

2 月16日、あめ湯と聞いて何を思い浮かべるか? は、地方によって違うようだ。故郷では、片栗粉と砂糖を湯で溶いた、少しどろっとした感じの暖かくて少し甘い液体のことを、あめ湯と呼んでいた。大阪にも飴湯があるけれども、これは別物で、水飴を水に溶いてニッキを加えたサラリとした冷たい飲み物だ。(温めて飲んでも良い。)故郷のあめ湯に似ているのが京都や奈良が発祥 (?!) のくず湯で、これは粘りが強くて容器を上下逆さまにしても流れ出ないほどだ。さて台所を眺めると、そのくず湯の素が大量にある。粘りを出すと後始末が大変なので、今まで何となく敬遠していたのだけれども、そうだ、2 倍の水で溶けば、あめ湯になるのだとハタと気づいて、毎食少しずつ消費することにした。シナモンパウダーなど入れて、大阪風にもしてみよう。

2 月15日、小雪が舞う日、今日で修士論文発表もおしまい。あっという間に2月も半ばとなった。地面を眺めると、もうカラスノエンドウが伸び始めている。これは可愛い花を咲かせたと思ったら、すぐに小さな豆のさやを作って、やがては黒い粒々の豆を撒き散らす。周囲の植物に比べて、早い時期から伸び始めるのが勝負所のようで、陽の当たる道端でよく見かける。同じ豆科のスィートピーも、本格的に伸びるのは今頃から。こちらは少し、いや大幅に (?) ガッチリとしていて、付く花の大きさもまたデカい。この辺りで地植えすると、何でもウリボーに喰われてしまうので、あまり見かけないかな。

2 月14日、スレーター行列式で表される、平均場的な電子状態も、空間的に切り取る形で部分系だけを眺めると、それが平均場的であるかどうかは、容易には判断がつかない。逆に、部分系の任意の状態について、それを実現する平均場的な全系の状態があるのか? と問われると、何とも言えない。DMET という理論形式は、この辺りを何とかしようとジタバタする試みの一つとも考えられる。固体物理の相関を持った状態に対して、エンタングルメントの光を当てると言っても良いのだろうか。固体物性の分野の、特にバルクの性質を解析する研究分野への量子情報の浸透は、これからどんどん進んで行くだろうなーと、何となく修士論文発表を見聞きしていて感じた。経験的に得て来たものを、別の視点から数学的に枠組みを整備する、そんな方向性だ。

2 月13日、デスクトップのメインマシンを intel の iMac から M2 の Mac Mini に乗り換える。色々と落とし穴があって、インターフェースが足らないとか、ethernet ケーブルが正しく刺さらないとか、ロゼッタが必要だとか、再インストールしてみたり .... 一つずつクリアして、まあまあ使えるようにはなった。まだまだ罠が潜んでいる可能性は高いのだけれども、今のところ、未解決で残っている問題が intel の Mac Mini で運用している web server とのファイル共有だ。こちらも 2018 年からのもので、CPU 的には問題ないものの、M2 の iMac に変更しようかと、何となく検討中だ。

2 月12日、今日のお昼は、ちょっと散歩。海辺の我が家から、別の海辺へと移動してお昼の場所を探すも、どこも満席に近い状態。大衆食堂(?)が空いていたので、そこに決める。美味しかったことは間違いなく、充実した昼食時間となった。そして不思議だったのが、トマトソース味の魚介スパゲッティーに、粉チーズが添えられていたこと。イタリア料理店では見たことのない組み合わせだったので、用心して半分以上食べた後で、隅っこの方に粉チーズを振りかけて食べてみる。あら不思議、魚介の味が吹き飛んで、ミートソースっぽい味になる。それはそれで、美味しい。これもアリではあるなーと思いはしたけれども、魚や貝の味が薄まってしまうので、チーズ実験はそこまでにした。好みの問題なので、チーズたっぷりが好きならば、最初からドバッと振りかけて問題ないか。

2 月11日、土曜日の今日に、化学実験の授業を参観させてもらえた。高校生の親というわけではなくて、大学で働く教員としての視点で授業を眺めて、その後で色々と議論するという場に参加となったのだ。昔は、こんな風に実験していたかなーと、よくよく思い出してみると、高校 2 年、3 年と、男子クラスなのであった。共学の高校に男子クラスというのも変なものだけれども、物理を選択する女子生徒の数が少ないことから、こんなクラス分けとなっていたのだ。当時は現代化カリキュラムの下で授業が行われていたので、今に比べて教わる分量が多かった。角運動量も慣性モーメントも、軸を決めた形で習ったなー。では授業をたくさん受けたのか? というと、そうでもなくて、毎時間が実験ばかりであった。ああいう風に実験を組み立てて実施していた、当時の教員には脱帽しかない。

2 月10日、地面をよーく眺めていると、時々、ココスヤシの若芽を見つける。そのまま生やすと、少しずつ背が高くなって、最終的には 10 m くらいまでの高さとなる。けっこう大きな樹 (?) になるので、植える場所を選ばなければならないし、その辺りに生えているものは、最終的には切り倒されることになる。どうしてこんなに、あちこちに生えるのか? というと、甘めの小さな実がついて、鳥が好んで食べるからだ。同じように、鳥が運ぶものとして、クスノキやモッコクもよく見かける。これらのものも、苗木として買うと結構な値段となる。その辺りから頂戴して ... この辺りは法律的にはグレーか。ツクシの生えている場所から、それを抜いて良いかどうかという、そんな話となる。大学構内に生えているものも、大学のものか。

2 月 9 日、今日は 4 年生の卒業発表であった。それぞれに、発表まで何とか持って来れた姿を披露してくれた。中には、既に第一線の研究に着手していて余裕の発表もあったし、その逆に準備状況を発表したものもあった。どちらも、現段階を発表時間に合わせて、聴衆の受け取れる範囲で話すことが大切だ。理解してもらえない説明は、馬の耳に念仏である。いや、人の耳に念仏と言っても良いだろう。まあ馬のような人もいたかも知れない。時々遭遇するのが、パソコンの切り替えがうまく行かない場面だ。映像に関する信号の規格やコネクターの変遷はとても早くて、大昔のように NTSC のビデオ端子が出ていれば何にでも接続できる訳ではない。それでも VGA の時代はまあまあ長かったか。映像信号の記録も、その頃まではビデオテープであったなー。今はハードディスクや SSD に取って代わられつつある。来週に修士論文発表が終わると、研究室周辺も寂しくなるのかな。

2 月 8 日、10 hpa の天気図を見ると、極渦が随分と小さくなって、しかもヨーロッパの方に寄っている。しばらく前に、縦に(?)伸びて、かなりの運動エネルギーを熱に変えてしまって、冷たい空気が減った。まあ、もう陽が北極に届き始める時期で、加熱も始まっている頃ではあるか。去年の秋風が吹く頃の南極の極渦はとても強かったので、何か相関があるのかも知れない。気球騒ぎの高度はどうだったのかなーと眺めてみると、冬らしく西風が吹いていて、何でも飛ばせばアメリカまで行けるはずだ。そう言えば、風船おじさんは 1992 年の末頃に失踪したのだった、もう30 年も経ったのか。

2 月 7 日、エビは小さい方が美味しい。でも、ついつい、大きなエビに手を出してしまう。大きくなると、味が大味というか、食べる部分は多いのだけれども、どちらかというと「エビ肉」を食べているような感覚になる。クリスマスに出てくるエビにマヨネーズをたっぷりかけたものも、エビというよりもマヨネーズで食べているようなものだ。香草やニンニクを乗せて油をたっぷりかけてグリルするのも、同じように脂っ気を乗せた料理だ。そういう意味では、エビフライはまあまあの選択なのだけれども、大きなブラックタイガーでそれをすると、口に入らない大きさになる。事前に切り揃えてエビカツにする手はあるか。色々と考えつつ、結局は味醂醤油煮に。一度ダシに出た味を、もう一度戻してやる感覚だ。今度は小エビを買おう。そして、その時はその時で、下処理の面倒臭さをまた書き連ねることだろう。

2 月 6 日、花粉が飛んでいる。なんだか今年は沢山の花粉が舞うのだそうな。そんなに沢山の杉を植える必要があったのだろうか、これもまた、世界大戦の置き土産の一つではないだろうか。ベビーブームから人口が急増した辺りで、材木の増産を図った頃、ともかく植林植林と針葉樹を植えまくって、それぞれの地域の植生を破壊してしまったから、こんなに花粉が舞う国土になってしまった、そんな歴史が見えて来る。花粉が飛び始めると、雨の日が恋しくなる。雨よ降れ降れ、飛ぶ前に花粉を地面に落としてしまえ、そんな感じだ。被子植物が出てきた時に、裸子植物が劣勢になり切らなかった理由も、質問箱みたいな所に色々と書かれていて、花粉が飛ぶには植物学的な理由もあるものだ。南海の孤島に遊びに行こうか、花粉を避けて。

2 月 5 日、とても良い天気になった。今日もまた、休日出勤となる。窓から見える空はクリアで、遊びに行きたいよーとは思うけれども、仕方なし。数値解析の研究発表で陥りやすいのは、計算手段について延々と話した後に、結果がチョロリという罠だ。物理は物理なので、取り組む題材についての解説が必要で、そしてそれに対する計算結果をしっかりと提示する必要がある。もちろん、それを可能とする数値計算手法についても、そこに新しい技術があるからこそ、従来できなかったことが可能になるわけで、そういう進歩も少しは語る必要がある。進歩が進歩であることを理解してもらうこともまた大切だからだ。そういえば、スライドの区切りに工夫がないというのも、毎年のように指摘していることだ。マンガと同じで「めくる時」に、切るべきところは切り、つながるべきところはつながる、そんな区切り方になっていなければならない。ああ難しい ...

2 月 4 日、休日出勤となる。卒業研究のシーズンは、色々と手直しもあるので、休日はあってないようなものだ。毎年のように典型的な指摘を繰り返すことになる。研究発表というものが、何なのか? が要点で、発表時間の中で内容の中の最も重要な部分が聴衆に伝わるように話を組み立てて、ハッキリと説明しなければならない。どちらかというと、発表はサービス業に近いものがあるのかも知れない。そして、一方的に話をする形式ではあるけれども、同時に対話であって、発表者と聴衆の間で考えて行くという discussion の場でもある。題材について疑問意識が共有できれば、色々と良い feedback が受けられることもある。そういう状態へと何とか持って行けるよう、材料を色々と組み合わせて行くのが、今日の段階だっただろうか。

2 月 3 日、節分の日となった。今日は赤鬼になる日なのだろうか、赤鬼は来てもいいけれども、赤字は見たくないものだ。いや、赤字の時に耐える支えになるのが自分の役割で、黒字になったら後を任せるのが良いのだろう。そういう日がやって来ることを祈って、今日も巻き寿司を食べようか、売り切れていなかったら。その巻き寿司、昔は家庭料理として良く作られたのだろうけれども、今は買って来ることの方がずっと多い。たまーに自分でつくると、中身が贅沢なだけに美味しいのだけれども、具材の下準備が大変だ。これはおにぎりも同じ。これらが手軽に買えるというのは、食堂の昼食営業にとっては手強い相手で、コンビニの配送トラックを見るたびに、あんなに売れているんだと驚くばかりだ。さあ、赤字鬼になって、追い出されようか。

2 月 2 日、しばらく手入れしていなかった大学の庭木を見渡すと、どうも枝ぶりがおかしい。内向きに生えた枝、絡んでいる枝、ともかく込み入っている枝葉、既に枯れている枝。そのままにしておくと、何となく鬱蒼とした雰囲気になる。春の花粉が飛び始める時期になると、日光が当たった木々はスイッチを入れてしまうので、そうなる前に剪定するしかない。というわけで、ノコギリやら剪定ばさみやらを担いで、木と対面する。どの枝を切るのか? というのが、最初に考えるべきことなのだけれども、ある程度切ってからでないと見えて来ないものもある。手が届かないほど育ってしまったものは、もう仕方がないので専門の業者に任せる。そうなる前に切るべきだったかなーと思うところもある。日本は幾らでも木が生える国だから、切り倒してしまうのも選択肢の一つだ。

2 月 1 日、2 月に入って、色々と卒業・修了関係の準備が忙しくなって来た。喜ばしいことだと思うのは、あと何回、卒業生を送り出せるのだろうかと考え始めたからかも知れない。Generation Gap は大きいものがあるので、本当は間をつなぐ年代の方が身近に居れば相談にも乗ってあげられるとは思うのだけれども、居ないのは居ないで仕方ないので、まずは雇えるように稼ぐことを考えるべきなのだろう。物理業界の興味関心も、昔のままではないので、時代に合わせた「化けの皮」は用意しなければならない。そして、やはり物理の本質は物理なのだと、なるべくシンプルに原理に迫りたいのは間違いない。と、高尚なことを考えつつ、今日の暖かさに釣られて、どこへ散歩に行こうかとも思う。時間は限られているので、その中から一つを選ぶか、選ばないのか、その選択も楽しい。

1 月31日、冬は冬なのだけれども、太陽が戻って来た。昨日まで夕日が差していた道路から、今日はもう太陽が姿を消し、季節ごとにキラリと光る建物の窓も移ろっている。下草の中には、ノゲシのように花を咲かせているものもあるし、木々の芽も充実して来た。一方で、生きているように見えた枝葉が、アッサリと枯れてしまうのも今からの時期だ。植物は株として生き残れば良いので、条件の悪い部分はアッサリと切り捨てるのだ。大学の中庭に生えているクヌギか何かの樹も、冬の間は枯葉をまとったままで、春になると落葉する。あ、落葉する前に、冬の剪定を終えなければならない。今の状態だと、通行の邪魔になるだろう、下から何本か、枝を切り取ろう。

1 月30日、すでに卒業発表とか論文審査が終わったというツイートがあちこちから流れて来る。横目に見つつ、いまが佳境という仕上げの 1 週間が始まった。来週はいよいよ発表だ。昔は色々と指南したり赤ペンを入れたりしたのだけれども、近年では「なるべくいじらない」ことを理想としている。文章やプレゼン資料は、発表者しか作れないのだから、発表者の思考過程とは異なる順序で仕上げると、かえって悪影響が出てしまうのだ。また、発表の練習などして行くと、自然と自覚症状が出てきて「治る」ことも多いので、こまごまとイチャモン付ける理由も無いのだ。もちろん、そのような改善を阻む要因が見えた時には指摘する。そして何よりも大切なことは、卒業できるよ、修了できるよと、励ますことだ。わかっていても、ついつい些細なことを指摘してしまうクセは、更に改めて行きたい。

1 月29日、今日もボンヤリと量子化学のことを考えて過ごす。電子相関を扱う Configuration Interaction (CI) という計算方法は、どんな 1 粒子基底を使うかで、かなり精度が変わって来る。この辺りを取り扱うのが multireference CI という計算方法なのだけれども、エネルギーを指針として軌道の最適化が自動的に行われる。思案しているのは、entanglement がどのように最適化に噛めるか? ということ。下手な表現は、必ず (?!) 大きなエンタングルメントを生じてしまうので、これを切り口にして起動最適化ができないか? という問題意識だ。量子化学の分野には、理論物理屋よりもずっと多くの研究者が居るから、すでに誰かが研究成果を出しているかも知れない。検索しつつ、思案しつつ、調理しつつ、食べつつ時間が過ぎた。いい日曜日だった。

1 月28日、たまには分子軌道計算なんかも眺めてみようと思って、水分子をあれこれと見て回る。価電子は 8 個あって、高校化学的に考えるとそのうち 2 個 + 2 個が水素原子と共有されて、不対電子が 4 個あるように見えるかも知れない。分子軌道計算をすると、ほぼ酸素の 2p 軌道のまま残るのは、水分子が乗っている平面に直交する方向に突き出た軌道だけで、他の占拠軌道は結合前よりエネルギーが下がっている。こんな具合に、結局はシュレディンガー方程式にお伺いする他ないのが量子化学なのだけれども、その中から様々な経験則を、例外を恐れずに掘り出して行く化学という研究分野は、あくまでも実学なのだと改めて思った。もちろん、学問は学問だからロマンもあるのだろう。

1 月27日、春節の1週間、今年も arXiv への投稿がグッと少なくなった。理由の一つには、共著論文が増えたので、著者の中に中華系の人が入っている割合が増えて、結果として論文の最終チェックが春節の間にはできないのではないだろうか? そして、共著論文が増えた理由の一つが、予算申請システムにあるのではないだろうかとも思われる。誰もが、業績をリストアップしてアピールする時代になったので、1本の論文を何回にも分けて使えるならば、その方が効率的だからだ。ただ、このように共著論文ばかりとなると、誰かの代表的な業績というものがわかりづらくなってしまう可能性はある。いいアイデアを持った時には、周囲が補助しつつも単著論文をたまには書いてもらうという経験も、積んでもらう必要があるのではないかとも思う。ともかくも、今日は arXiv を眺めるのが簡単で助かった。ChemRxiv については、arXiv とは独立にまとめようかと、検討中。

1 月26日、量子コンピューターと古典コンピューター、ミクロスコピックな現象とマクロスコピックな現象がハッキリと区切られているので、このような区分けになる。もう少し正確に言うと、計算の操作を行うのは常にマクロスコピックな系(から)で、操作の対象となるものがミクロスコピックかマクロスコピックかの違いがある。じゃあ、その間はどうなっているのだ? と言う疑問が湧いて来る。繰り込み群的に考えると、量子コンピューターで支えていた量子的な情報が、対象を大きくする内に段々と落ちて行き、最終的には古典コンピューターになってしまうと言う階層があるはずだ。おおよそ古典的に動きつつ、ちょっとは量子の恩恵にも預かるような使い方ができないか、残り雪を眺めつつ思案の散歩道を歩んだ。

1 月25日、昨夜は雪で、朝は氷点下、あちこち久々の雪景色となった。今朝は大学へ登るバスが 2 系統とも運休で、少なくとも 4 限目まで、つまり夕方まで休講となった。5 限目だけ実施というのはナンセンスなので、実質的にお休み。さて大学でサーバー作業 .... あれ、MacOS 13.2 で smb の file sharing ができない。server 側の設定を見に行くと、なんとこの version から option が加わっていて、smb connection を許可 (allow) しなければならないのだ。と、転がしておいたら、同じように困った人々が検索で引っ掛けてくれるかも ... でも英語圏の人には読めないかな。

1 月24日、とても強い寒波がやって来るのだそうな。さて、今日は「化学のプレプリントサーバーって ... 」と、ふと思って探したら、ChemRxiv というものの存在に今頃気づいた。数年前から運用が始まったものらしい。DMRG とか "tensor network" で検索をかけると、それぞれ 100 件程度ヒットした。実用となる化学の世界 (?) で、テンソルネットワークが使われているということだ。うーん、どうやって arXiv と並べてリストすれば良いのだろうか、とりあえず日付を見て、時間のある時に作業することにしよう。arXiv は平日に見ているから、ChemRxiv は週末かな?

1 月23日、揚げ物をすると、辺りが油臭くなる。あれは、どれくらいの小さな油粒が空気中に飛んでいるのだろうか。揚げている最中に、水分が泡となって油の表面で弾ける。その時に、パッと油粒と水分が適当に混ざったようなものが出来上がって、空気中に放出されるのだろう。と、書いているうちに、これも研究する価値のありそうな題材だし、実際に研究されているのだろうなーと思えて来た。こうして水分が食材から飛んだら、それを置き換えるように油が染み込んで行く。油は、酸素さえ絶てばかなり安定した食材なので、駄菓子屋にも揚げたものが結構並んでいたなーと思い出す。酸素がやって来ると酸化するので、乾いた揚げ物を大量に集めて放置すると危ない。ポテトチップスも、集めると自然発火するのかなーとか、色々と自由研究 (?) のネタを探して遊ぶ午後であった。

1 月22日、昨日の続きで、野菜のお世話。白菜の外側の大きな葉を 5 枚はいで、ボールの水に浸しておく。少ししんなりしていた葉が、みるみるシャキッとして来る。こういう風に処理が必要な部分は加熱調理に回す。油で炒めるのが簡単で良いのだけれども、昨日から少し油を摂取し過ぎている気がするので、あっさりと調理していただく。葉ニンニクも、土を落として、適当な長さに切って冷蔵庫へ。これは、一気に食べるとお腹に良くないので、おおよそニンニク 2 かけら程度の分量で、毎食の食材にしよう。里芋もあるぞ、さてこれは煮っ転がしだろうか。という作業の間に、300 語程度の英文をまとめて提出する。なんでも、最近ではこの手の仕事は AI に任せる方が良いものが出来るのだそうな。

1 月21日、野菜が沢山、成田空港の周辺から届く。Political にどうこう、と言うわけではない、simple に美味しい野菜が届くのだ。まずは葉物野菜をいただく。土付き野菜なので、まずゆっくりと土を落として、それから確実に加熱していただく。今日はフライドポテトを作った後で、その rich な香りが付いた油にチンゲンサイを放り込んだ。中華料理であれば、大量の油に野菜を浮かべる「油通し」が基本なのだけれども、家庭では難しいので炒め物っぽく作る。そこへダシを放り込んだら、とても美味しかった。野菜は土の力があってこそと、改めて感じた。そして、冷蔵庫の中を整理して、とても太い大根を収納する。これもサッサと食べよう。

1 月20日、鶏もも肉を4枚買って、鍋で煮る。鶏は水っぽい肉なので、ほとんど水分を加える必要がない。アクもあまり出ないので、少量の味醂醤油砂糖と香辛料で十分に美味しくなる。事前に漬け込んでおくという手もあるけれども、面倒くさいのでサッサと鍋に放り込んで待つこと1時間、そろそろヤバそうな香りになって来たので肉を取り出して、汁を濃縮する。今回は、肉から皮を取って、この汁と一緒に煮詰めた。そのまま皿に取っておくと、美味しい煮凝りができる。中華料理では、鶏の皮だけを集めた料理が結構あって、そんな感じに仕上がっただろうか。さあ、どんなものと合わせて食べようか。

1 月19日、遅い通勤で昼頃に阪急六甲に降り立つと、駅前中華の六甲苑でお弁当や惣菜を買い求めて、そのまま坂を登って中華の昼食、特に生協が営業していない週末に研究室で仕事をする時にはよく利用した。その六甲苑が、次の日曜日を最後に閉店するのだそうな。1966 年から営業しているとのことで、営業継続に感謝するばかりだ。コロナ騒動が始まった頃には、いち早く惣菜販売に切り替えて、けっこう売れているように見えたのだけれども、昔のように宴会で沢山の人がやって来るという状況にはなかなか戻らなかったのだろうか、建物が限界なのだろうか、働く人々が集まらないのだろうかと、色々と考えてしまう。帰りに色々と惣菜を買い求めて、持って帰って夕食の食卓にも並べよう。

1 月18日、大学生協の決済がカードからアプリに変わって大混乱、user もレジも多少は慣れて来たとは言え、依然として色々な問題が生じている。プリペイドカードを導入した時には、これほどの大騒ぎにはなっていないので、基本設計と検証にマズい点があったのだろう。全国的に、一気に拡大したのもマズかった、地区ごとに順番に乗り換えて行くなど、慎重に対応していれば、そういう提言をしておくべきだったというのは、振り返って思う所が大きい。さて、今のシステムは、少なくともスマホを持ち歩かない人々を切り捨てているので、その辺りも今後の検討課題になって来るだろう。いやそれよりも何よりも、あの重たい道具を決済現場でゴソゴソと操作するのか? という本質的な問題もあるだろう。将来的には「顔パス決済」になるのかなー、どっかの AI レジみたいに。

1 月17日、日付が変わった頃に、何だか見慣れた光景が twitter やニュースサイトに掲載されて、どんどん拡散されているのを目にした。なるほど、確かに、今の不具合が全国展開している有名なハンバーガーチェーンなどで起きたら、システムダウンとして全国ニュースに流れるレベルのもので、銀行だったら頭取りの交代にもなりかねない。ここで、大学生協という小さな組織が、どうして全国的に接続されてしまっているのか? という疑問が誰にでも生じるはずだ。大学生協の主体は出資した組合員であって、営業を委託している形態となっているのだけれども、大半の組合員が意識していない事業連合が日々の営業にも深く関わっている。この実態をピラミッドに例えるのは生協的な考えとは相反するもので、組合員に不便なことがあれば、それは改善するよう関係する誰もが指摘して行く、そういう組織でありたい。

1 月16日、さつまいもを特に美味しく感じる季節になった。寒いとカロリーを欲するのだろう。色々調理法があるけれども、単純に「ふかす」か「焼く」のが好みだ。鍋に少量の水を入れて、芋を入れて、蓋をして弱火で加熱するだけ。最初は蒸気が回って、加熱が速い。蒸気がほとんど無くなってからは、焼き芋になり始める。後は好みの問題で、時間をかけるほど焼き芋っぽいネットリ感が増して来る。もっとも、芋の種類の違いの方が影響が大きくて、パサパサの芋はいつまで待ってもパサパサということも。ネットリ系の芋は、時間をかけすぎると溶けたようになって、芋っぽくないものになる。味を突き詰めるにしても、限度というものがあるようだ。

1 月15日、学会発表の予稿を提出する期限が迫って来たので、そろそろ何を発表するか、仮決めしなければならない。これはお行儀の悪い方法で、本当は成果がしっかりと固まってから講演申し込みするべきだ。だいたい固まったかなーという段階で申し込むと、こういうことになってしまう。まあ半年くらいあったら、散らかっている結果の内から何か当たるものもあるだろうし、途中経過もアリか、と。... いや、絶対に良くない良くない、毎日のように精進して研究する姿をちゃんと見せて、学生に研究生活を知ってもらわなければならない、よしよし、そう見えるように振る舞う研究をしよう。

1 月14日、この季節にしてはめちゃくちゃ暖かな雨の日、当然あちこち結露して水浸しとなる。こういう日には窓を開けてはいけない。室内にも湿気がどんどん入って来て、部屋の中が湿っぽくなるだけではなくて、天井裏とか外壁と内壁の間に結露して、建物の見えない部分が腐ったりカビたりする。その昔、仙台で働いていた頃には、どうして研究室の蔵書が全部腐ったように曲がっているのだろうか? と不思議だったのだけれども、全てを理解するのに、そう長くはかからなかった。北国では、温度が上がる時に湿気だらけとなって、むしろ秋から冬の方が(少なくとも街中での生活は)快適に過ごせたりする。そういえば、今日は高校生をたくさん見かけた。センター試験、じゃなかった、共通テストの日なんだな。

1 月13日、カレンダーを見て、ああ今日は 13 日の金曜日だったと気づく。日本には昔から使われて来た大陸伝来の暦があって、大安とか仏滅などの感覚が定着している (?) から、舶来の Friday 13th と言われてもピンと来ない所がある。まあ、今日は急に暖かくなったから、うっかり走り回ってつまづいたりしないように注意しよう。これから雨が降り始めるまで、どんどん気温が上がって行き、明日の朝には雨上がりの北風に変わるそうな。その先の気温の降下は平年の気温程度までで、それほど厳しくはないようだ。明後日の日曜日の夜には共通テストで物理基礎や物理の問題が公開される。今年はどんな工夫で楽しませてくれるだろうか?

1 月12日、移動性高気圧がやって来て、無風の日が続いている。週末の共通テストの日には、暖かい春の雨が降るらしい。どういう光景になるのだろうか。例年、この共通テストの週末はスケート場が大学生で賑わう。どういう相関があるのか、よくわからないのだけれども、ちょうど1年前の試練から解放されたということを、再び実感するのだろうか。あるいは単に旧正月の頃で、もともと人出が多い時期だからなのかもしれない。去年、一昨年とは違ってコロナ対策も随分と緩和されたし、ようやく日々の活動に差し障るような規制の無意味さも広く実感されるようになったのだと思う。この辺りは人それぞれで、まだまだマスク信仰を捨てない方も多いし、それはそれで構わないのだろう。

1 月11日、辺りから、微かに藁を焼いたような匂いが漂う。家庭によっては、今日でしめ縄を外して焼いた所もあるようだ。関西では旧正月にしめ縄を焼くのが習わしだろうか。これは野焼きにあたるのだけれども、寺社仏閣で火を使うのと同様に、伝統として行うものは法に触れないようだ。これもまあ場所によりけりで、街中の路上で焚き火をしたら消防法で一発アウトだろう。田舎に行くと、稲刈りの後に籾殻を炭にする光景も一般的だ。あれはゆっくりと炭化させるらしい。小学校のキャンプファイアーというのは、最近はあまり行われないらしい。研修施設ではどうなんだろうか、昔は火を使っていたよなー。キャンプ場は OK だったっけ、この辺り、色々と細かいところがありそうだなーと、そんな事を考えている内に海辺の我が家から最寄り駅まで到着してしまった。さあ目指せ阪急六甲。

1 月10日、電子化すると何でも使い勝手が良くなるのかというと、そうでもない場合が多い。例外処理にとんでもない手間がかかることが、よくあるからだ。誰も仕組みの細かいところまで知らないので、予想外のことが起きた時には、事情を知る開発者にすがるしかない。そして、システム更新の折には色々と支出が発生する。ではそのままで良いのか? というと、そこにも罠が仕掛けてあって、修理部品の枯渇、耐用年数切れなど、結局はシステム更新へ動かざるを得ないのである。いま使っているメールサーバーは、大衆向けの設定になっていて色々と不都合な面が多い。何でもかんでもメールに頼るのは昭和の発想なのかも知れないけれども。

1 月 9 日、暖かい成人の日。最近では、二十歳を祝う日と呼ぶのだそうな。そうすると、半分成人式とか呼ばれている小学校の催しもまた、十歳を祝う会となるのだろう。次は還暦まで、祝うことがないのだろうか、三十でも四十でも五十でも、10年ごとに祝って良いようにも思う。六十を迎える頃には1割弱の方がお亡くなりになるというのが、今日の統計らしい。最近は喫煙が珍しくなって、夜の営業接待なども敬遠されるようになったのだそうで、いわゆるモーレツ社員は過去のものとなりつつあるとか。これから先、もう少し若年の受難も減って行くだろうし、そのようでなければならない。教育現場もしかり。

1 月 8 日、いりこをむく。頭と腹を取って下処理。頭からは苦い腹を取って、これも例のごとく集めておく。苦い腹は、毎度ながら本当に何の役にも立たない。草花の肥料にはなるだろうか、撒いておくと寒肥となりそうだ。今回は、直ちに頭からダシを取る。これは魚っぽい感じのダシになるので、そのまま飲んでもあまり美味しくない。梅酢生姜などと合わせると、魚っぽさがどこかへと飛んで行き、野菜と合わせるとまあまあの下味となる。セロリなど、苦味のある野菜と合わせるならば、これくらい癖のあるダシ汁で丁度良いかも知れない。さて、書き物の方も大詰めになって来た。長い間抱え込んでいたものなので、読み返すと色々とポカがある。油断大敵だ。

1 月 7 日、冷蔵庫を空にする。年末に溜め込んだお正月食品は、だいたい今頃に賞味期限切れとなるので、この頃までに一気に消費することになる。毎年、計画性ゼロ。お正月っぽいものがあれば、とりあえず買っておこうというパターンで、冷蔵庫が一杯になってしまって、その後は自由意志なく賞味期限から先に食べるものが決まって行く。買い物の段階でストイックに品定めしておくべきなのだけれども、正月明けに半額品など目にすると、ついつい手を伸ばしてしまうのだ。半額ということは賞味期限が近いわけで、冷凍庫に放り込んでおいても国債のように塩漬けできるわけでなく、消費圧力は常々存在する。さて今日は何を食べようか。

1 月 6 日、論文の図版にも著作権がちゃんとある事は、あまり認識されていないのかも知れない。けっこう苦労して描いた模式図などが、コピペで誰かの発表に「引用なく」使われていたり、少しだけ変えた図が他の論文に「引用なく」掲載されていると、そういう人とは交流しないでおきたいと思う私なのである。(実際、交流を持ったことがないというか、意図的に接触を避けている。)そういう事もあるので、研究指導する時には、図版は自分でちゃんと描きなさい、流用するにしても引用は忘れずにしっかりと明示することなど、繰り返し伝える。自分の作ったスライドを見直してみると、まあ常々キッチリとしている訳でもないので、長く研究している内に慢心が出てしまっているかなーと、そんな気もする。今年の戒めとしたい。

1 月 5 日、細かい仕事を溜め込むとロクなことがない、というかイザという時に使える時間を失ってしまう。1日に使える時間の配分をよくよく考えておかないと、時間が細切れになってしまって、この作業は今は無理、あれも無理、とサボる口実が出来てしまう。途中まででも作業すれば良いはずなのだけれども、なかなか意欲が湧いてこないのが加齢のなせる技だ。若い研究者を見渡すと、やっぱりエネルギーに満ちているなーと思う。今日は仕事始めなので、公務も研究もあちこちからメールが舞い込んで、ますます仕事が積もるので、片端から雪をはたき落とすように処理して行く。あ、そうだ、忘れ物も取りに行かないと。と、あれこれやると、また忘れ物が出てしまうのである。

1 月 4 日、冷凍のエビを解凍して、背中に調理バサミを入れて背わたを取る。エビはお腹に神経、背中に腸だ。安いものは、砂がいっぱい詰まっていて、出荷前にあまり間を置かなかったのかなーとも思う。そしてまず、酒みりん醤油でサッと茹でる。皿に取り出して放冷、殻をむく。その殻は別鍋に取り、少量の湯でダシを出す。この時に、油で殻を炒めてからダシを取る方法もある。ともかくも、ダシを元の煮汁に合わせて、少し煮詰める。そして、煮詰まった煮汁にむいたエビを戻す。もう火は落としておく方が良い。後は冷えるのを待つだけ。おおよそ、正月が明けるとエビが安くなる。特に、この時期を狙って冷凍庫から出て来たものは、もう戻せないから目立った安売りとなるのだ、さあ買い物買い物 ... いや、節約も大切。

1 月 3 日、お正月になると蒲鉾が安くなる。投げ売り状態と言っても良いのだろうか。どれも賞味期限がとても短い。これも普通の食材なので、ラップで包んで蒸すとパスチャライズされた状態になって、けっこう長持ちする。空気がたくさん入っているものは途中で爆発してしまうから、包まずに蒸すか、あるいは低温殺菌の温度まで上げてそれを保つ。このように蒸し直すと食味が変わるのではないか? とも思うのだけれども、マトモな材料で作ってあるもの、特にチクワなどは、大して変化しない。エアで膨らませてある澱粉入りのものは、潰れて別の食品に化けたりもするけれども、それが不味いわけではない。なお、蒸す時にエネルギー消費する。一般にガス代は安いものだけれども、料理人向けの本にはメニューごとに必要なエネルギーがちゃんと書かれている。大抵は無視し得るほど安い。

1 月 2 日、讃岐へ、JR 高松駅を降りてから再び乗るまでの滞在時間 7 時間弱の短い帰省の一日であった。同じくらいの時間を公共交通機関などで費やしたかもしれない。今年も何だか長距離移動する人々の数が少ない気がする。感染予防というのは、長旅をしない良い理由づけになっているのかも知れない。高松駅に着いてみると、駅のすぐ北側に徳島文理大の新キャンパス予定地が整備されていた。香川大学には工学系と農学系はあっても、理学系がない。その隙間をうまく突いた形での拡張に映る。交通の便の良い場所にある大学は、じわじわと人気が出てくることが多い。阪神間を見渡しても、大学の都市回帰が進みつつある。いくら設備が良くても、不便な場所は常々不人気がつきまとう。神戸大学は? 登山云々とよく言われるけれども、30 分もあれば三宮へ到達できるのが、やっぱり人気の秘密ではないだろうか?

1 月 1 日、昼食は雑煮、おやつにぜんざい、夕食にはうどんを打つ。特別な意気込みがあった訳ではなくて、麺が切れたので、仕方なく強力粉から麺を作っただけ。小麦粉に塩を入れてよく混ぜておくか、塩水を適量作って小麦粉に混ぜると、家庭で食べるくらいの麺はすぐにできる。もちろん店に出せるようなものにはならない。どちらかというと、すいとんや「蕎麦がき」が長くなったような感じだろうか、結構太いうどんの出来上がり。家庭で作る時にはダシの原価を考えなくて良いので、昆布とイリコで取った一番ダシに返しを贅沢に合わせて、茹で上がったうどんに振りかけてネギを散らす。製パン用の強力粉だけで作ったので、コシは充分。年明けはうどん、ということにしようか。

11月と12月の1行日記