← 1 月と 2 月の1行日記
12月31日、お正月の準備いろいろ。卵焼きを作る。百合根を下処理して軽く炊く。カキを煮詰める。さつまいもを甘く煮る。そういえばエビを仕入れるのを忘れていたので、この正月はエビ抜きだ。黒豆は時間がないので、今回は見送り。旧正月に向けて、年明けに仕込もう。シイタケなども買わなかったなー。そうそう鶏の煮込み、これは欠かせない。煮汁が十分に出て何にでも使えるし、煮詰めた上で煮上がった鶏と合わせても美味しい。あれこれと料理している内にもう日付が変わる頃となる。海辺の我が家からも、神戸港の汽笛が聞こえる。遠い向こうの方で花火も上がっていた。大阪湾はダイナミックな海だ、レーダーを見るとカウントダウンしている船あり、プレジャーボートあり。寒いだろうなー。
12月30日、大昔のことは段々と記憶から薄れて行くので、大阪大学に通っていた大学1年生の頃の記憶もまた、断片的なものでしかない。夏休みの初めに、低学年セミナーという1単位の集中講義があって、4次元超立方体を見るという課題に取り組ませてもらった。その時の先生、顔と声はハッキリと覚えていたのに、名前が記憶から吹っ飛んでいた。確か、自動間取りの研究をしていたはず、という薄っすらとした記憶から、キーワード検索するもヒットせず。ええと、キーワードが悪い。「大阪大学計算機センター 間取り」で検索すると、後を継いだ (?) 研究室の存在がわかり、そこから参考文献を辿って、吉田勝行先生のお名前に到達。ああそうだ、吉田先生だ、地下道の人流のことなども含めて、色々と教えてもらったなー。それから、研究論文を検索してみて、またまたびっくり、当時にしてはとても多くの報文を書かれていて、仰天した。あの温和な語り口の背後に、その尽きないエネルギーを秘めていたとは、当時は気づかなかった。
12月29日、スイートスプリングは晩柑のようにぶ厚い皮を持つ「みかん」で、全重量の半分くらいが皮なのではないだろうか? その皮は、そのまま放置するとなかなか乾かないのだけれども、ハサミで切って細かくしておくと、あっという間にカラカラになってしまう。半径の方向、つまり皮に対して垂直な方向にはあまり水が移動しなくて、水平方向にはドンドン水が移動するような繊維の構造になっているのだろう。カラカラに乾けば、そのまま地面に撒いておくと良い肥料になる。思い出してみると、バナナの皮も似たような所があって、繊維に対して垂直にハサミを入れるとサッサと乾くのであった。双子葉植物でも単子葉植物でも、種のできる植物は同じような構造なのだなーと思った。
12月28日、大羽いりこが入手できたので、嬉々としてダシを取る。まずは頭と腹を取って、昆布を切って、鍋に水を入れて一番ダシから。大羽らしい濃い味が出る。二番ダシもしっかりと出るのが大羽のいい所だ。その後に残る、ふやけたイリコも薄味が残っているのだけれども、これに湯を足してダシを取っても、カスっぽい薄味の液体となって、あまり美味しくない。一番、二番と合わせたら美味しいぞ、という説もあるのだけれども、同じ量の水を足した方が雑味がなくて良い。まあ業務用には十番ダシまで取って合わせるという技もあるようで、商売には商売で厳しい所もあるのだろう。それはそうとして、麺にかけるダシは「少量で良い派」の私、あちこちで「うどん」を食べると、いつも残った汁が気になるのである。飲めば塩分、捨てるには忍びなく。
12月27日、望遠鏡を望遠レンズにすると、迷光が派手に出る。中心解像度に特化したレンズの組み合わせになっているので端の方は色々な収差が残ってしまう。これらは、普通に写真を撮る場合にはあまり好ましくないものだ。一方で、夜や暗い場所でステージ写真などを撮る場合には、照明に使われる色とりどりのライトが差し込んだように写って、どことなく空気感を出してくれる。これは、キッチリと写るカメラレンズとしての望遠レンズには無い味なので、少し他人とは違った写真を撮りたいと思うならば、検討して良いと思う。但し、望遠鏡は望遠鏡なので、焦点距離だけの長さがあって、超望遠になると取り回しが難しくなる。下手をすると近隣の人をレンズでぶん殴ることになる。望遠鏡の中古は幾らでも安価なものが入手できる、その点は救いなのだけれども。
12月26日、スーパーマーケットの売り場が、一気にお正月モードになる。まずは野菜から。金時人参、雑煮大根、水菜、三つ葉など、お雑煮に似合ったものが次々と並ぶ。里芋や定番の白菜も堅調だ。クリスマスの主役であったブロッコリーやキャベツも、そのまま並んでいる。切り餅も、既に数種類は並んでいる。お鏡はこれからだ。ハムとかテリーヌは、クリスマス・正月を問わないので、いつでも売っている。数の子は 12 月に入ったらもう販売されていた。季節感がない世の中なのだろうか。田作り、黒豆もチラホラ。栗きんとんも並び始めた。ソバは大人気で、普段から売られている商品に加えて、年越しそばも並んでいた。そんなにソバばかり食べても、飽きないのだろう。
12月25日、通称ポーアイ、ポートアイランドスポーツセンターで氷に乗る。全日本選手権で 1 位 2 位となった坂本花織・三原舞依が育ったリンクだ。今日は日曜日なので、子供連れが多かったし、大学生らしきグループも見かけた。初心者が多く訪れる週末には、いろいろなことが起きる。よくあるのが、リンクの逆走。これは誰にとっても怖い。リンクの横切りもまた、確認せずに走り出されると恐ろしい。リンク上で手をつなぐのも実は怖いもので、転倒しそうになった時に、つないでいる方の手の自由が効かない。今日は肩を組んでいるペアも居て、これは流石に指導員に注意されていた。そのまま後ろに転倒したら、体をひねって手を付けないので、背中で衝撃を受けるしかないのだ。スケートリンクで一番安全なのは、1 人でリンクに立つこと、それだけだろうか。手すりを持って何か練習をするというのも、全くお勧めできない。
12月24日、老後には、老後にこそ、夜型人間になろうか? と思う。おおよそ半額の食材は閉店前か、開店直後に売り場に並ぶ。そこを狙っての競争率もまた高い。売り場をブロックする技も色々とあって、カートや杖などでお目当ての品の前に立ちはだかるのも、定石の一つだと言える。朝に特徴的なのは魚介類の売れない部分。魚のアラとか、昆布の切れ端とか、どうぞ持って行ってくださいという店さえある。これは儲け物だと思って拾って帰ると、それなりに処理に時間を食うので、その時間を何かに使って稼げる人には全くの無駄である。食べようと思わなければ、鍋に放り込んでスープにしてしまう手もある。ラーメン屋さんのように、空気を吹き込む鍋を仕入れようかなー。
12月23日、凍える朝となった ... ようだ。確かに昨夜は雪も舞ってそれなりに寒かったのだけれども、海辺では氷点下にもならず、道路が凍りつくブラックアイスもなし。まだ水の感触が残るくらいであった。これくらいの気温が一番難儀ということは、あるのかもしれない。もっと気温が下がると、雪が降って来てもサラサラと落ちてしまうし、足もとはカチカチに凍っていて、どこにも水気がなく、砂だと思って踏んでいたものが実は汚れた氷の粒だったりする。神戸大学にやって来ると、それなりに気温が下がっていたようで、水たまりには昼間でも溶け切らない氷が残っていた。そろそろ野鳥も本気でエサ探しする季節に差し掛かっただろうか、3 月の声を聞くまでは、秋に実った種などを食べるしか生き残る手段はない。
12月22日、スイートスプリングが届く。晩柑の一つで、外側は八朔よりも分厚い皮で、中はソフトなみかん。そのまま剥いて食べようとしても無理なミカンだ。半分に切ってスプーンで食べたり、絞ってジュースにするとか、色々な食べ方がある。自分の好みは、グレープフルーツを処理する時のようにぶ厚い皮を包丁で剥いて、薄皮も取り去って実だけを食べる方法。こうすると、皮の苦味が出て来ないので、あっさりとした味わいを楽しめる。そして、スイートスプリングは本当に「みかん」の味なのだ。オレンジもそうなのだけれども、ジュースにするとかなり皮の味と香りが混ざるのだ。さて今日は氷に乗って休暇を楽しもう。
12月21日、書き物は、とても難儀な作業なのである。何も予備知識を仮定しない所へ、少しずつ新しい概念を紹介して、確実に理解できるように丁寧に数式や図や説明を添えなければならない。悪文の兆候は、短い部分に同じキーワードが何回も出てくるとか、まだ紹介していない内容を先に使ってしまうとか。数学的なロジックの世界でこれをやったら一発アウトなのだけれども、物理はそのあたりが曖昧で、先に概念を紹介した後で数式で固めるということもあるし、その方がわかり易いと読者が感じるかも知れない。この辺りのサジ加減は、一度文章を書き上げてからでないと何とも言えなくて、全体を見渡してみると「やっつけ仕事」的な所が目につくので、また手を入れて ... という無限ループに入る。どこかでエイヤッと仕上げなければならない。
12月20日、先週の北海道フェアで仕入れたハムを頂戴する。これもまた肉の感触がそのまま。日頃ハムとして食べているものは、だいぶんゼラチンか何かで膨らませてあって、また妙に甘く味付けされていることがよくわかる。まあ魚肉ハムのように、最初からカマボコの親戚であるとわかっていて食べる分には美味しいし、ソフトで甘いハムもまたパクリと食べられるのだから文句を言ったらバチが当たる。たまには、肉肉しいハムもいいなーというだけのことだ。ついでに、財布には甘くない。現地で買うともう少し安価なのだろうか。ともかく北へ行くと、どんどん丼物のトッピングがデカくなって、ああやっぱり北海道はいいなーと、そう思うものだ、また訪れたいなー。
12月19日、クリスマスも、楽しめるのはもうあと 1 週間だけ。とは言っても、クリスマスの楽しみとは何なのだろうか? と考え始めると、何なんだろうか? となる。クリスマスツリーが飾ってあって、辺りに電飾がキラキラとしていて、クリスマスプレゼントを交換して、お菓子がチョコレートとクリームたっぷりになって、サンタクロースが出て来て。と、都会ではそうなのだけれども、さてここ六甲山の麓の神戸大学までやってくると、辺りは里山の冬。ふと見上げると、ああ、ここにクリスマスツリーがあった、GHQ の置き土産のヒマラヤスギが、文理農学部の間にあるロータリーに植っているではないか。と、いうことは、ここでは年中がクリスマスなのであると勝手に納得。
12月18日、届いた野菜から、昼はブロッコリー、大根の葉、ネギの葉、ほうれん草、白菜など、夜はまたまた大根の葉、カブの葉、小松菜の上半分、白菜、里芋などをいただく。また、巨大な大根は二つに切って冷蔵庫へ。少し小さくなった白菜も、ようやく冷蔵庫に入るサイズになった。これだけの食材を調理するには、美味しいダシが不可欠なので、頭と腹を取ったいりこと昆布でダシを取り、色々な調理に使った。素材が良いと、料理していて楽しい。まだまだカブも大根の本体もニンジンもたっぷりある。特に、大根は切り口から傷みが入り易いので、どんどん食べなければ。おでんのようにダシでよく煮ようか、それとも大根サラダにして食べようか、考えるだけでも楽しい。
12月17日、成田から野菜が届く。12月は大サービスなのだろうか、とても沢山の野菜が大きな箱に詰まっていて、こんなに沢山いただいて良いのだろうかと東北東を拝むばかりだ。あっと驚くのが大根の大きさ。普通に大人のふくらはぎくらいあって、これこそ大根足なのだと認識を新たにした。その大根の葉もしっかり付いている。「おしん」では大根飯が貧しさの象徴となっていたけれども、真冬に白米ばかり食べていたら病気になるのではないだろうか、大根の葉も根も、玄米と一緒に炊いて栄養を確保したのだろうとも思える。白菜も素晴らしく大きなものが。今日はダシでサッと煮て、まだ歯応えのあるものをいただいた。大地の美味しさ、とても安価なので助かるばかり。
12月16日、昔々は教授会というと、退屈なことばかりだと感じていて、何度かすっぽかして論文を書いていたりしたら上司に怒られたものだ。今は、もちろん議題によって注目度の軽重はあるけれども、出席して色々と見聞きすることの大切さを実感している。どんな話も学生さんの教育研究に直結することばかりなのだけれども、それが具体的に、いま指導している学生、直近に入学して来るであろう方、これから社会へと一歩を踏み出す方に関係することであれば、聞き逃してはならない。あまり時間的に余裕のない手続きなど、聞き漏らすと人生を左右しかねないものもあるからだ。いや、そのように表現すると、同僚から「それで人生を左右するとか思うからイケナイのです」と諭されて、痛く恥いったこともあったっけ。
12月15日、普通に寒い朝となった。もうこの頃になると、日の入りが更に短くなることもないし、太陽の角度も安定していて、ついでに薄曇りの雲も風が吹き飛ばしてしまう。冬至の頃は、しばらくの間おなじように太陽が照るので、夕焼けなどを狙い易い。春や秋だと、すぐに太陽が動いてしまうので、例えば夕陽がバッチリ道路の先に落ちるような光景は、予め地図を調べて計画しておかなければ撮れないし、その日が曇っていれば翌年まで待つことになる。方位の角度ごとに、眺めの良い道路をリストアップして毎日待ち受けるほどの熱意も出てこない者には、冬至頃の夕焼けは自然からプレゼントされたものなのだ。
12月14日、北海道の物産展で仕入れたベーコンをいただく。調理しようと、まず手に取った時にズッシリ。売り場で並んでいる時には気づかなかったのだけれども、スーパーに並んでいるベーコンに比べると、随分と大きな塊で販売されていたのだ。切れ端をそのまま味見すると、焼いた肉感がしっかりしていて、スモークも濃い。熱燻なのだそうな。脂の部分を十分に残してあるのも良い。ベーコンは脂身を食べるものだ。さて産地は? と、シールを眺めると富良野と書いてある。北海道の地理には疎いので、早速 map を見に行く。ああ、札幌の隣だ ... いや、大阪と名古屋くらいは離れている。北海道は大きいなーと改めて感じた。ストリートビューで富良野に降り立つと、あら観音様が。そういえば昔、赴任していた仙台にも大きな観音様があったなー。と、想う内にスープの出来上がり。ベーコンと野菜だけで、とても美味しい。冬だ。
12月13日、年越しそばは、もう今ごろから食べ始めるのが良い。ネギ、わさび、麺、ダシ、付け合わせ、食材が季節的に出揃っているし、ついでにお正月用の数の子などもチラチラと並んでいる。忙しい時代となって正月もさっさと開けてしまうから、クリスマスと同じように 12 月に入ったらお正月も楽しむ世の中になって来たのではないかと思う。モチもそろそろ品揃えが増えて来た。しめ縄もチラホラと見かける。ながらく神社とお寺が同居していた日本のことだから、そのうちクリスマスとお正月が混然一体となった年末年始がやって来るのかも知れない。さて、ともかくもソバだ、今日はゆがいてある麺を袋から出して、電子レンジで温めた後に、予め用意しておいたダシをかけるだけ。あ、もう胃袋の中に消えてしまった。
12月12日、カメラのファームウェアアップデートを行う。ファームウェアという名前が付いているけれども、パソコンで言う所のファームウェアよりも広義のものなのだろうか、オペレーティングシステムまでを含んだもののようだ。何が変わったのか、パッと体感できるものではないのだけれども、何となく消費電力の節約が進んでいるような気がする。バッテリーの減りが遅くなった。最近のデジカメは、受光部分の SN 比が上がって、暗い場所でもよく写るようになった。F 値の大きな、あまり無理のない光学系でもキッチリと写るので、芋のように大きなレンズを抱える必要がだんだんと無くなって来た。感度についてはこれから先、どんどん熱力学限界への挑戦が進むことだろう、まだまだ桁違いな進化が待ち受けている。
12月11日、三宮の商店街の入り口で、ギターを抱えたヴォーカル、カホン、ベースの 3 人組が歌っていた。pup というグループなのだそうな、なかなか上手い。最近、この辺りの音楽が戻って来て楽しい。歌う方も聴く方もマスクなしが普通になって来た。商店街では、アルコールのポンプが申し訳なく置いてあるけれども、誰も押す人なし。百貨店の入り口に立っていたガードマンも姿を消した。今から振り返ると、どれも過剰な用心であったのだ。一方で、この間にマスクがオシャレの選択肢となって、そのまま皆が顔出しする社会に戻るとも思えない所がある。特に冬の間は、マスクをしていると唇の荒れが少ないような気もする。ただ、六甲山登山の毎日では、マスクしていると死にそうになるので、流石に外す。
12月10日、北海道物産展が神戸にやって来たので、イソイソと買い物に出かける。きゃらうぇいふらの、というソーセージやベーコンのお店が出ていて、色々と見比べて何点か購入した。富良野という名前は聞いたことがあっても、地図でマジマジと確認したことがなかったので、google map でお勉強。札幌から各交通機関で 2 時間余り。空から眺めると、整然と畑が並んでいる。遠目には奈良盆地のようにも見えるのだけれども、拡大してみるとあらあら、それぞれの区画がとても大きい。こんな大規模農業と戦って勝てる農場が本州にあるのだろうか? と思ってしまうほどだ。ストリートビューは夏の観光シーズンのものとなっていて、道端がお花畑と化している。これは北国の証。富良野市の人口構成を見てびっくり、若い世代の人口が結構いる。住み良い地域なのだろう。
12月 9 日、魚のアラや野菜くずなど、そのまま放置すると直ちに腐り始める。細胞の中に「そのまま使える」栄養素やら核酸のカケラなどが豊富に詰まっているからだろうか。一度加熱すると、少しは腐りにくくなるのだけれども、常温の下ではやっぱり翌日になると腐ってしまう。最近やバクテリアや菌類にとって、使える栄養素がたっぷりと詰まっているのだろう。長時間煮込んでダシを取ると、その後に残るものはいわゆる「ガラ」となる。この状態のものは、放置してもなかなか腐らないし、すぐに乾燥してしまう。スープの中に養分が出てしまって、本当にカラカラになってしまうからだ。ちなみに、道端に転がっているワンちゃんの置き土産は春夏秋なら 2 日 3 日経つと本当に「肥やし」になって、地面に消えてしまう。今の時期はそのままなので、冬の散歩は要注意だ。
12月 8 日、今年初めて氷に乗った。スケート場の営業は 11 月から始まっていたのだけれども、仕事が詰んでいた上に週末に競技会があったりして、うまく日程が合わなかったので珍しく 12 月からの滑り始めとなった。氷の上は、平日の午後だけれども結構人がいて、皆さん考えることは同じなんだなーと思った。休日の一般営業中はバックやターンなど、エレメンツを練習するのにも気を使うので、休暇を取って平日にということになるのだ。最初から飛ばすと危険なので、今日は氷に慣れるだけ。で、転倒することもなく練習を終えて帰っている途中の陸の上で、舗装の凸凹に足を取られてバランスを崩し、その時にスケート靴を入れたスーツケースに引っかかって転倒した。周囲には誰も居なくて、巻き込まなくてよかった。よし、また来週に滑るぞ!
12月 7 日、量子ウォークという研究分野がある。量子力学的な時間発展の影響がどのように及んで行くかを定量的に評価するようなもので、広く考えれば世の中の物理現象が全て量子ウォークであるという大風呂敷へと至るものだ。入り口はとても簡単なので、学部生が取り付くには良い題材だと思う。そもそも量子力学は、習っただけではピンと来ないものでもあるので、量子ウォークなどを通じて肌感覚を身につけるのは悪くない。また、計算機を使う訓練にもなる。量子ウォークのアプリは色々と転がっているのだけれども、それは使うにしても比較対象にとどめ、まずはプログラミングから入るのが今の世の中には合っていると思う。ターミナルを叩いたことがない、ファイルシステムに触れたことがない、そういうドロ臭い所は確かに、専門家の領域なのかも知れない。そして、物理の研究はやはり専門家の世界なのである。
12月 6 日、雨上がりの夕刻にスーパーマーケットに立ち寄ると、解凍エビが半額で販売されていた。エビは多い方が調理の仕上がりが良いので、ダメ元で買い求めて帰宅する。背中にハサミを入れて背わた取りをして、よく洗って調味料とともに軽く茹でる。綺麗な桜色になったら出来上がり。冷やして殻を剥いて、煮汁とともに保存する。殻の方は、適量の水を加えて煮立てると、美味しいエビ汁が出来上がる。残った殻は、干すとパラパラになって、肥料として使える。背わたを除いて、エビには捨てる場所がないものだ。食べる時に、何と合わせるか考えるのも楽しい。少し硬めの豆腐をサイコロに切って、エビも同じようにサイコロにして盛り付け、キュウリを添えてエビ汁と、ついつい蛇足でオリーブオイルなど。あ、写真撮るの忘れた ...
12月 5 日、12月になると、毎日が大晦日のような気分になる。今日の仕事で年内の仕事納めだといいなーと思う半分、今年1年で何かができたのだろうか? と考えると、まだまだ 20 日以上あるのだから、もうひと頑張りしなければという気持ちも起こる。但しこれは、自分に対してのことであって、そのまま他人に当てはめてはならない。昔はその辺りのことについて理解が足りていなかったと、今になって思う。おおよそ頑張るという言葉はハラスメントの温床になる代表格のものであって、軽々に口にはできないのである。しかしながら、頑張らなくていいよという言葉もまたチョー危険なもので、うっかり発言できない。年月を経て年齢がそこそこになればなるほど、何も言えなくなるのは確かだ。
12月 4 日、市販の生ラーメンを買い求めて調理する時には、いつもスープを半分だけ使うようにしている。麺だけを食べる場合には、2 玉で一杯分のスープで充分だ。それでも麺を食べた後に汁が残るので、投入できる茹で野菜を予め用意しておく。さて、このように調理を進めると未使用のスープが余ることになる。これが狙い目で、追加的に乾麺を含めてあらゆる麺を茹でたものに、ストックしておいたスープをかけるだけで、味としては再び同じものが味わえる。麺に応じて、少しずつスープにスパイスを加えるなど調味する楽しみもある。このように調理を進めるのは恐らく、讃岐出身だからだろうと思う。当時とはいえ 100 円のうどんに汁がたっぷりかかっているハズがないし、そもそも麺の美味しさをアシストするのが汁の役目なので、丼の底に少しだけ汁が見える程度で出食されるものが「うどん」なのである。そう信じたい。
12月 3 日、魚を買い求めるならば市場の魚屋さんへ ... 自動車を持っていれば色々と選択肢があるのだろうけれども、神戸大の近辺となると選択肢は限られている。その一つが、神戸大学最寄りの阪急六甲駅と王子公園駅の間にある市場だ。頑張れば昼休みに駆け降りて買い物して、また大学まで駆け上がれる距離というのは、ちょっと無理があるだろうか。土曜日・日曜日に研究室にやって来るような場合には、行き帰りの時間によっては「ダイエットのために一駅歩いて」王子公園駅から乗り降りすることで、買い物ができる。今からの季節が賑やかで、寒い季節ならではの食材が色々と並んでいる。狙い目のひとつは、常々書いているように雑魚。ともかく面倒臭くて、天ぷらなど料理が仕上がればとても美味しい。包丁さばきの練習にもなる。泳いでいるナマコも良さそうだ。
12月 2 日、とても久しぶりに千里中央を訪れる。ええと、最後に降り立ったのは修士を出る頃であっただろうか、30 年は経過していることになる。降り立っての感想は、あれ、何も変わってないではないか、というもの。相変わらず迷路のままで、どこが地上でどこが何階なのか、相変わらずのジャングルジム構造。ついでに、バスなどの車両は何回か信号待ちして、ぐるぐるっと回ってから千里中央に出入りする。当時と随分と異なるのが駅の北側だろうか、随分と街が開けた。地下鉄、じゃなかった、北大阪急行 (?) の延伸も完成間近となって、周囲も街という感じになっていてびっくりした。自動車の普及もさることながら、モノレールの効果は大きかったなーと思う。
12月 1 日、師走になって、お約束の寒い1日となった。大学へと登る道中に、鳥の鳴き声が変わったことを感じる。冬の寒さを避けるように、南に移動して来た鳥だろうか。聞き慣れない高い音が聞こえて来る。キーキーキーと、さてあれは何の鳥だろうかと上を向いて耳を傾けていると、なんと目の前から音源が近づいて来た。鳥の鳴き声だと思っていたのは、ゆっくりと坂を降りる自転車のブレーキ音だった。よくあの状態に耐えられるなーと思ったけれども、毎日毎日、六甲山を登り降りするとブレーキの摩耗も早いのだろう、メタル同士が擦れ合う音になっていたわけだ。そういえば電動アシスト自転車の中には回生ブレーキが付いたものも登場していて、こういう坂道では使い勝手が良いのかも知れない。
11月30日、昨夜というか、未明というか、ともかく深夜に飛び立ったお客さん、今日のお昼にはドバイに到着していた。そこでトランジット、しばらく待ってからヨーロッパのある都市へ。コロナは明けても戦は終わらず、なかなか厄介な世の中になったものだ。フライトレーダーを見ていると、ウクライナの上空はポッカリと空白になっているし、ロシア上空もローカル便を除いて、閑散としている。一方で、北大西洋は空の賑わいが完全に戻っている。21世紀に戦争がなかったか? というと、アフガニスタンを含む色々な場所で紛争が続いていたのだけれども、主要な航路となっていない場所だったので、目立たなかったのだと気づいた。フライトレーダーから、そしてマリントラフィックから、色々と見えて来るのが楽しいし、怖いものだ。
11月29日、秋の終わりの暖かい雨の日。天気予報によると、この後で木枯らしが吹き、急に気温が下がるとのこと。それでも年内はまだ暖かい内で、年が明けてから凍りつくような寒さがやって来るのだろう。ともかくも、ようやく疫病を恐れないクリスマスがやって来る。この 3 年間の空騒ぎは何だったのだろうか、まあ世の中がリモートへ向かう速度を増した功績はあるかも。コロナ 1 年目の春は、本当に長い春休みで、今から思えば懐かしい。そして今年こそは忘年会。但し、世の中色々と進んでいて、特に忘年会などがハラスメントの温床であることが良く認識されるようになって来たので、その辺りは要注意だ。今日の雨も楽しもう。
11月28日、サワラの少し小さいもの、サゴシを買って来たのが土曜日。エラと内臓は捨てるしかないけれど、頭と中骨はダシ採りに。まずよく水洗いして、その後で 70 度のお湯で 2 度洗って臭み取り、次によく焼いて味が出易くしておいて、鍋に放り込んで水と酒と、少しばかしの調味料を加えてじっくり加熱。1番ダシは濃厚。2 番ダシも普通に採れて、さて 3 番は? いやこれが、まだまだ味が残っている驚き。最終的には骨やヒレがバラバラになって鍋底に沈んでしまうのだけれども、そこまでに「もう1番か2番」は行きそうだ。そうそう、エラや内蔵などは寒肥にもなる。気温が 10 度くらいになると直ちには腐らないので、土に埋めたら実にゆっくりと分解して行く。毎日魚を捌くと、そのような訳には行かないけれども。
11月27日、朝顔は短日開花の植物で、夏も過ぎようかという頃によく花がつく。そして、11 月頃になると花しかつかなくなる。葉を出さずに花ばかり付くようになって、最後に花だけがツルの先端に付いておしまい。そういうプログラムになっているのだろう。野朝顔やサツマイモのように、いつまでも伸びるということはない。週明けに雨が降って寒波がやって来たら、もう枯れてしまうので、最後の最後まで粘っている朝顔を引っこ抜いて、室内に水挿しした。残ったツボミの幾つかが、最後に可愛く咲いてくれれば良し、そのまま枯れても良し。種はいっぱい取れた。保管しておくのは面倒なので、実ったものは生えていた場所にそのまま置いて、自然にまた生えて来る次の梅雨時を待つことにした。
11月26日、スロバキアからのお客さんと、大学の近くにあるスロバキア料理のお店 FATRA cafeへ。例えて言うと、我々がどこかへ海外旅行した時に、現地で日本食やラーメンをいただくような感覚だ。出身国を離れて働いている料理人さんとお喋りするのもまた楽し、そんな目的もあるかも知れないし、現地の食材で作る自国料理 (?!) とはどのようなものか、そんな興味もあり得るだろう。FATRA とは何だろうかと google 翻訳にかけると、お父さんと訳された。恐るべしインド・ヨーロッパ語族、こういう所があるから、彼らは何ヶ国語もマスターするのだろう。蛇足ながら、スロバキア人やロシア人などは、割と日本語の習得が速い気がする。ともかくも、美味しい昼食をいただいて、また今度は1人でフラリやって来ようと思った。
11月25日、草刈りされた場所で、雨上がりの地面を眺めてみると、びっしりとロゼッタで埋め尽くされていて、びっくりした。光が良く当たる場所に目立つ種類のロゼッタあり、日陰には別の種類のロゼッタあり。地熱をうまく利用して、冬の寒い時期でも光合成を続けて春を待つのだ。ところでこのロゼッタ、日本語文献では英語から外来語として定着したロゼットが優勢らしい。その名ズバリの化粧品でも有名だ。ラテン系の言葉では女性名詞で、イタリア語とスペイン語ではロゼッタ。これに従ってロゼッタと書いてある文献もある。どこの国から外来語として定着するかによって、微妙に呼び名が異なるのも面白いものだ。びっしり生えたロゼッタ、さてどれが生存競争に勝つのだろうか?
11月24日、雷雨が去って、少しだけ秋が深まった。水分は植物の休眠へ向けての活動にも役立つのだろうか、一気に黄色くなった樹もある。どんぐりも、雨風が来るとどんどん落ちて来る。理学部・理学研究科の西側に生えている銀杏からは実がたくさん落ちて、香りを放っているのだけれども、いつの間にかなくなっている。拾う人ありなのか、イノシシの好物なのか。そういえば、どんぐりもまたイノシシの大切な栄養源なのであった。山にどんぐりが沢山落ちていると、冬の間もあまりイノシシが里に降りて来ないという説も聞いたことがある。また、沢山のドングリがあると、飢饉の時には渋を抜いて食べることもできるのだそうな。もっともこれは、人口密度の低い農村ではの話であって、都会の人々の空腹を満たすには少なすぎる。人口集中の時代から、田舎に戻る時代へ .... という人口動態はまだ無いようだけれども。
11月23日、高校物理で厄介なのが波動。大学の物理でも厄介なのが波動。大学院の物理でも厄介なのが波動。波を思い浮かべるというのは案外難しいもので、普通に弦の上を正弦波が移動するだけでも、その波がなぜ動いているのか力学的に、かつ直感的に説明しなさいと言われると、長年に渡って波動を教えていたつもりでも、一瞬、いやけっこう長く思案する。更に、実際の波となると非線形性が無視し得ないので、重ね合わせの原理すら怪しいものとなる。水の波は、振幅が大きくなると解析的には手に負えないものとなってしまうのだけれども、応用上は相手にしなければならない。色々と経験則が積もり積もれば、そこに新しい探索の切り口が生まれて、波に対する理解が深まるのだろう。さて、明日も波について語らなければ、準備、準備。
11月22日、生のハンバーグを仕入れて来る。そのままフライパンで焼くと「ジューシー」なハンバーグになる。それはそれで美味しい。でも、好みなのはじっくりと煮込んだハンバーグだ。少量の調味料だけ鍋に入れて、ハンバーグを並べ、後は加熱するだけ。最初は液体の量が少ないので、焦げないように少し弱火で。肉汁が出て来たら、鍋全体が温まるように蓋をして中火に。鍋の蓋から蒸気が吹き出し始めたら弱火に。肉汁はタップリ出るし、油もびっくりするくらい出て来る。ミンチ肉は半分くらい脂身だから、最終的には油の中にハンバーグが沈んでいるようになる。充分に固く小さくなったものを取り出して皿に並べて放冷、そして冷蔵庫へ。この状態だと数日は保つ。肉汁はスープに使えるし、油の方は集めておいて、ある時にまとめて溶かすと、充分な量の (ラード+ヘッド)/2 が取れる。炒め物に使ったり、少しずつパンに塗ったり、色々と使い手のある油脂だ。少しずつであれば、動物性油脂を使っても、さして問題ない。
11月21日、大根の葉、カブの葉をじゃぶじゃぶと洗って下茹でして、短く刻んでスープにする。刻んだままも食べられるのだけれども、少し繊維が硬い部分もあったので、更に火を入れることにしたのだ。ちょうど中華の惣菜があったので、それと合わせて水を入れて加熱するだけ。常に、こんな手抜き料理ばかりなのだけれども、まあ素材が美味しければ美味しくないはずがない。野菜の味も、どのように育ったかで全く変わって来て、しっかりと肥えた土で育った野菜は、それぞれの野菜の特徴が充分に出た味わいがある。場合によっては、下処理が必要である、そんな野菜だ。最近は、そんな手間が嫌われるのか、サッサと食べられるアクの弱い野菜が多い。そこに、産地直送という差別化が生まれて来るのだろう。また頼もうかな。
11月20日、食用菊を調理した。和食の外食では稀に見かける食材だけれども、わざわざ自分から買い求めることはない。たまたま産直の配送の中に、たっぷり入っていたので、これが食べられるのだろうかと思いつつ、まず枯れた花びらなどを取り除いた後で、花びらをむしって熱湯に放り込む。菊の花の香りが部屋に漂って、菊花展にでもやって来たのだろうかという風情。そして、網に取って冷やし、充分に絞る。レシピを検索すると甘酢とあるので、酢と砂糖と塩で濃い甘酢を作って、合わせて下処理完了。冷蔵庫を開くと、キノコを薄味で炊いたものがあったので、まず器にキノコを敷いて、その上に甘酢の菊を盛る。味見をすると、ほんのり菊らしい風味は残っているけれども、どちらかというと甘酢を吸い込むベースとしての食材。これだけ手をかけても、食べるとすぐに消えて無くなる。
11月19日、夕方に出港して、神戸港、神戸空港、ポートアイランド、六甲アイランド、摩耶埠頭、神戸大橋、とグルリ巡る観光に。摩耶埠頭の辺りは、六甲山がよく見えて、神戸観光の穴場なのではないかと思う。このコースを通る観光船を、神戸大学から眺めたことがあり、プカプカというか何というか、遠くからは小さく見える船がゆるりゆるりと進んで行く様子がユーモラスに映って、いつか乗ってみたいなーと思っていた。海の上での夕暮れは、光の具合が次々と変わって、ファインダーを覗き込んでいても楽しい。カメラによっては、ちょっと盛り過ぎの感じに写る。RAW でという手もあるけれども、後が面倒くさいので jpeg で撮った。帰って来たら、とっぷり暮れた夜に。もう冬至まで1ヶ月しかないのだと実感した。
11月18日、最高の観光日和、紅葉が待っている ... 日に限って、会議に次ぐ会議。明日も少しは天気が良いらしい。で、日曜日は雨。神戸ではマラソンが催されるらしくて、今週末のホテルはどこも満員らしい。神戸マラソンの日は、神戸の街の人出もすごく多い。走る人が 1 人居ると、応援も何人か、そんな感じで、家族・友人たちと楽しむ機会となっているようだ。マラソンのゴール会場付近にスケート場があって、当日はスケートリンクまで辿りつくのが大変。と言うこともあって、今日のような天気の良い日に、スケート場で思う存分滑りたいなーという気もしている。雨の日のスケート上は、湿気が高くて陰気。また、夏場もそうだ。シーズンオフに黙々と練習している、スケートの選手は凄いなーと常々思う。あ、書き物も仕上げないと。
11月17日、昨日、学生さんと話す機会があって、この 3 年間の騒動がどうして起きてしまったのか? について、けっこう時間を割いた。端的に言って、短時間でウィルスの遺伝子の一部を引っ掛けて示すマーカーが実用になり始め、そして情報が拡散する世の中になったから。30 年前に、いや 20 年前でも、ここまでの大騒動にはならなかっただろう。鳥インフルエンザも、最近ずーっとマークされた状態にあって、あちこちで鳥の展示などが中止となっている。まだまだ原始時代の住民であることを実感するばかりだ、1000 年経ったら、どんな世の中になっているのだろうか、歴史が教えるように国境もまた 1000 年の間に移動して行くのか、それとも国が消えるのか。奇想天外なところまで大風呂敷になりかけた所で、時間終了となった。
11月16日、twitter のトレンドに世界大戦が上がっていた。ポーランドに着弾したから云々という話にはなっているらしいけれども、そもそも武器供与した段階で参戦しているようなものだから、この事象を大きく捉え過ぎると、よろしくない事の連鎖が続くだけだ。南半球も含めて、地球上のどれだけの面積が、今回の事象と関係ないか、よーく眺めることも必要なのだろう。さて今日の遅い時間から、東欧の研究者をお迎えする。滞在中に、何事も拡大しないことを願い、収束に向けて戦の物的リソースが尽きるのを待つばかりだ。但し、人的リソースは減ってはならないものだ。みな、それぞれの時間を生きる権利がある。
11月15日、今の時期の古米は狙い目の食材だ。よく、新米が美味しいと言われるけれども、古米には主張が薄い食材としての古米の良さがあって、ご飯というイメージにこだわらなければ、とても美味しくいただける。ついでに、半額で売っていたりする。元々の米が美味しければ、多少古くなってもそんなに食味が落ちることはない。丼物など、米よりも強い風味のものをたっぷり合せるものや、チャーハンのようにコーティングしてしまう組み合わせの場合は、目隠しテストしても「違いはわかるかも知れないけれど、どっちも美味しい」くらいだろうか。というわけで、古米ファンなのである。
11月14日、暦は12年で一巡して、またもとの干支に戻って来る。毎日の少しずつの変化には気づかないものだけれども、12年前はどうだっただろうか。よくよく思い出してみると、今とは色々と違った状況が見えてくる。まだ今日ほど、社会の中に量子コンピューターという言葉が浸透していなかったし、毎日のようにお世話になっている AI 技術も、当時は民生品にはまだ使われ始めたばかりであった。世界的に人々が交流を始め、そのまま世の中がコスモポリタンへの道を歩み続けるだろうか、と、そんな気すらしていた。高い所から今の私たちを眺めたら、どう映るのだろうか。再び暦が一巡するまで、笑われないように一歩一歩、受け継いだものを活かして行こう。
11月13日、六甲祭の 2 日目。今日はお昼時がずっと雨、おやつ時になって、ようやく降り止んだ。流れて来た SNS 情報を見るに、屋外での演奏活動は中止となったようで、ちょっと寂しい雰囲気だったかもしれない。2 年間途切れた状態での再起動なので、この程度で良かったのかも知れない。いきなり沢山の人々がやって来ると、海の向こうの騒ぎではないけれども、事故が起きかねないからだ。今年は新たに始まった六甲祭で、それぞれ経験を積んで来年へと引き継ぐ、そういう機会なのだろう。大学生協もまた、この 2 年半の縮小営業から、ようやく再起への道を歩み始めている。来年の新入生が大学生活を始める時が重要だ。大学には色々と面白いものがある、そういう所を色々と探し出す試みも考えて行きたい。
11月12日、テン・リトル・インディアンズ(←曲名なのでそのまま記す)という歌がある。今日、この「数え歌」が公共の場で歌われることは、あり得ないだろう。アメリカ先住民は Native American(s) などと表記されるようになったし、そもそも特定の民族だけを単に数えるだけの歌というのもまた、差別的であると指摘されたらその通りだ。我々が幼少の頃は、英語でも数字が数えられるようにと盛んに歌われていた。実は、その当時に歌われていたものは既に「替え歌」になっていることを、検索から知った。元々の歌詞はというと、いやとてもとても語れない程の内容で、人種差別これに極まれりといった感がある。そういう世の中だったのだ。今日の私たちもまた、未来の人々から見ると原始的な差別にまみれた日々を過ごしているのだろう。
11月11日、何だかとても暑い日だ。今日・明日と陽気が続いた後で、土曜日に雨が降ったら少し秋が深まるらしい。こういう陽気の日には旅に出たいものだけれども、残念ながら平日、いや平日でなくても色々と仕事がスタックしている、ひとつひとつ着実にこなして行かなければならない。最近、何かやり終えると休息、また仕事して休息、昔に比べてテンポが落ちている。1時間でできるはず、と思ったことに半日かかったり。こういう状態なので、他人、特に若い人々に「そんなん 30 分もあればできるやん」とは、とても言えない。ちょっと前に、大学ではない所で、接客業ではない方の気配り気配りの姿を間近で見て、ああいう風に日々、周囲に接することができたらなーと思った。その姿を理想として、一歩くらいは近づきたいものだ。
11月10日、いま受け持っている1年生向けの講義は、連続体の力学で、浅く広く弾性体から流体・波動までを、全 7.5 回で一覧するという強行突破型のものだ。この中で扱っている項目それぞれが、何十年もかけて形成されて来たもので、ざっくりとした概念やキーワードだけを頭の中に引っ掛けておけば、それで充分だ。昔々に担当した時には、受講して充分に身につけておくことが大切だと信じ切っていて、色々と細か過ぎることを語った記憶がある。今の自分が昔の自分に出会ったならば、それは間違いだと断言するだろう。ざっくり、ほっこり、次の学年の講義を受講する気力を失わせないことが、最も大切なことなのだ。
11月 9 日、惑星探査の話を耳にする度に、赤外線天文衛星「あかり」を開発・運用していた同窓生のことを思い出す。その昔、ロケットのことを色々と語ってくれて、現場の雰囲気を伺い知ることができた。苦労して作り上げた観測機器が、宇宙に出る短い時間の間に窓の蓋が開かず、そのまま落ちてしまった話だとか、機器を振動試験にかけたらガタガタに線が切れてしまった話とか、懐かしい。大学院の頃から衛星の運用というか、運行のシフトに入って昼夜を問わず働いていた。数年先に、次の赤外線天文衛星が計画されているらしくて、そこにも青写真の段階から参画していたようだ。今は宇宙のどこら辺りを漂って、多彩な天体を眺めて楽しんでいることだろうか?
11月 8 日、カナダや中国からマツタケが届いて並んでいる。これはまさに輸入品、特にカナダ産は割安感が薄れた気がする。なにぶん、年に何週間かしか並ばない商品なので、去年の値段はハッキリとは覚えていない。今年は、ちょっと手が出せないかなーという感じなのだ。大昔は、国産のものがゴロゴロと並んだように覚えている。キノコの生える山は、ちゃんと手が入ってなければならない。シダなどが密生しているヤブには、お目当てのものが生えないか、そもそも立ち入れない。ケモノ道に遭遇したら、何が飛び出して来るか予想もつかないので、おいそれと山にも立ち入れない。この点、高山はなかなか素晴らしくて、そもそも木が生えていなくて、秋になるとビッシリと一面にキノコが生える。アルプスで沢山採れるハツタケの仲間が、とても安価だったのは懐かしい思い出だ。今頃その季節かなー。
11月 7 日、ミカンやレモンなど柑橘類の根は、ちょっと変わっている。ヒゲのように細い根が見当たらなくて、素麺くらいの太さの固い根がゴワゴワと生えているのだ。寒い時期だと、この根をかなり切り取って、強引に植え替えても春になると新芽が出てきて、大抵はうまく育つ。挿し木ができるほどの強さのある樹なので、なかなか枯れない。強敵はアゲハチョウ。これにやられると、結構な大きさの樹でも、すぐに丸裸になってしまう。枝だけになっても、枝の表面が緑色をしていて、それだけの光合成で復活するように、栽培している限りは見える。カイガラムシも要注意で、雨が当たらない場所ではどんどん増えて来る。葉が密集するとスス病が出てきて真っ黒になる。これだけ色々あっても、立ち枯れした姿を見たことがない。あ、日陰にはめっぽう弱いのであった。
11月 6 日、ヤマイモの一種に、長くならずに丸いまま育つものがあり、長いものよりも全体的に緻密で粘り気が強い。同じ種類なのか別の種類なのか、ええと、よくわからない。たぶん生物学的には交雑可能で、同種と判定されるものなのだろう。さて、長くなる方の芋は育てる時に、穴の空いたビニールパイプのような空間に閉じ込めて、芋が地中深く伸びないように工夫する。この点、丸い方の芋は単純で、そのまま育てれば良い。充分に陽が当たって半年が過ぎる頃には地中で芋が大きく育っていて、秋風と共に枯れ始めた頃が収穫の時期だ。この芋、美味しい芋なので、その辺りの路地にゲリラ植えすると、植えた瞬間に種芋ごとイノシシに食われてしまう。これはサツマイモや、他の根菜類についても同様だ。山で自生している山芋は、イノシシでさえ立ち入れないような急坂で見かけるのも、無理もないことだ。
11月 5 日、新そばの季節となったので、生そば、半生そば、そして乾麺など買い求めて、調理に取り掛かる。まずはダシ取りから。昆布を切って、イリコを鍋に入れて、一番ダシを取る。贅沢に一番ダシだけを使うと香り高いものになる。使わない分量の一番ダシは二番ダシと混ぜてスープなどに活用する。そして、味醂と醤油を煮切った小鍋に一番ダシを注ぎ、蕎麦つゆの完成だ。ネギを刻んでおいて、そばチョコと共に冷蔵庫で冷やしておく。いよいよ麺を茹でて、水で締めて。その時点で、蕎麦つゆの温度は色々あって良いと思う。暖かいのも香りがあって良いし、夏は冷たい方が喉越しが良いなど、その日の気分や、準備の段取りで適当に。かくして、長い時間を費やした準備はアッと言うまにお腹へと消える。蕎麦チョコのダシは、豆腐にかけて食べるのが好みだ。
11月 4 日、秋深まる ... のは、今の晴天をもたらしている移動性高気圧が去ってから。相変わらず旅行は堅調で、あちこち人で溢れかえっている。ホテルの宿泊に助成が出る、と言う政策はどうなのかなー、微妙に成立している需給バランスを一気に狂わせてしまい、例えば短期滞在で研究者を呼び寄せるにも宿がない、と言う状態になりつつある。特に、観光立地「も」良い神戸では、宿不足が深刻だ。外国からのお客さんに泊まる宿がないとか、場所がないから新幹線で毎日通うような場所に宿を ... と言うわけにも行かない。何となく、このままクリスマスに突入しそうで、この 3 年間の反動もあってか、研究訪問もままならない日々が続くのかなーと、少々暑い秋の日を過ごしつつ妄想中。
11月 3 日、続き: 統計力学の学習で厄介なのが等重率の原理 (?) である。ぶっちゃけて言うと、物理的に観測される範囲での測定値が何らかのサンプル平均になっていて、そのサンプル平均が考え得る全状態の平均に、統計誤差の範囲で一致していると言うだけのことで、あまりウンチクを語っても仕方ないのである。少なくとも初学者に教える時には。もちろん、量子力学的に考えて状態を一個、ポンと選んで持って来たら、それで十分に熱平衡になっていると言う計算事実は非自明なもので、それはなぜ? と問うのは学問だと言える。そしてかつ、初学者には食わせたくない学問だ。カノニカルアンサンブルへとサッサと講義を進めて行って、後でもう一度考えてみる程度で良いのが等重率、それくらいでスルーするのが私の好みだ。
11月 2 日、統計力学の講義で気をつけているのは、次元のある量の対数を取らないことだ。これは、今までに何度も書いて来たことなので、またか、と、思われるかもしれないし、思われても本望だ。次元のある量の対数については、どこかにそれをキャンセルする項があるはずなので問題がないという便法を容認する立場もあるし、実は同じ次元を持った量で割ってあると考える立場もあって、計算上はそれで辻褄が合う。それで何の疑義も生じないと言えば生じないのだけれども、やっぱり気持ち悪さが先に立つものだ。最初から明示的に無次元化しておく方が、どこにも誤魔化しがないし、気味悪さもない。さて、あちこちに転がっている教科書とか講義ノートで、次元のある量の対数が出てきた時、それをいちいち著者に指摘するかどうかは別問題で、場合によっては不毛なやり取りとなり兼ねないので、著者が知人であっても放置する。より良いものを、自ら提供するのが一番だ。
11月 1 日、あちこちの大学の学園祭で、来場者がどうのこうのと、ルール作りをしている。こういう所で「仕事した感じ」を演出するのは、島国ならではの風習だろうか。細かい数字、方式を延々と議論し始めると、いくらでも項目が増えて行って、野球のルールのようになってしまう。面倒なのは、一度創り上げたものは前例として活用され始めるということだ。なるべくシンプルに、そして学園祭とは何なのか? という所から考え始めるのが一番なのではないか? と、近年は感じている。商業主義というか、規模を問題にしたり収益を考えたり、イベントとして賑わいがあれば良いという方向に流れると、それでエエのか? とも感じるのだ。
9 月と10月の1行日記