← 5 月と 6 月の1行日記
4 月30日、まずは昨日の強風の後片付けから。あちこちに落ち葉の、いや吹き飛ばされた若葉の吹き溜まりができていて、これらはそのまま天然の肥料になってもらう。この時期の強風は北風や西風なので、海辺ではあるものの塩気だらけになることはない。恵みの雨も降ったのだから、まあ良しとしよう。日が差すと、辺りはオレンジ色の芥子の花だらけとなる。これが、オレンジ色ではなくて白っぽい青紫だと、栽培禁止の芥子となる。広い河川敷などでは普通に見られるものらしくて、毎年のように刈り取り部隊が抜き去っているのだとか。お巡りさんも大変だなーと感心する。
4 月29日、今日はお休みの日だけれども、志望者向けの研究室紹介があって、大学に詰めて過ごした。物性理論というのは、理論物理学の中では地道な存在で、わざわざ志望する理由というのをこちらが知りたい所もある。私自身はどうだったかというと、ずーっと素粒子理論志望で、実際に4年生の時は素粒子の研究室に所属していたのだけれども、居並ぶ先輩方が弦理論の道を歩んでいて、その方向で自分が何か足せるのか? と自問した上で、統計力学を学んだ頃から好きであったイジング模型を研究対象とすることを心に決めて、物性理論の道を歩み始めた。なお、大学院生の間は「高温超伝導の仮面」をかぶって、それを研究しているフリはしていたけれども、興味関心はイジングモデルにあって、今に至るのである。
4 月28日、春の雑草のスタートダッシュの後は、土の中に含まれる養分が随分と少なくなっている。その後で何も生えて来てほしくない場所であれば、草を抜き去ってゴミとして捨ててしまうのが正解だ。一方、その場所でサツキなどの木や、何か農作物を育てたいのであれば、ゴミではなくて堆肥としてどこかで熟成させて、肥料として戻さなければならない。もちろん、資金に余裕があれば肥料を買って来れば良いのだけれども、貧乏人には縁のないことだ。それで思い出すのがインドの田舎の光景。いや、都会でも結構そうなのだけれども、生ゴミがフツーに道路脇に捨ててあって、運ぶ気配がない。そのまま分解されて土に戻る、そういうサイクルの中で人々が暮らしていた。あれで正解、なのかもしれない。
4 月27日、Feynman Lecture はどの巻も、どの章も、いろいろなレベルの読者が取り付けるように書かれている。物理学を習い始めた人が読めば、サラリと通過できるであろう箇所も、一度いろいろと知ってしまってから読むと、引っかかるし興味深いのである。例えば二重スリットの伝搬関数をブラとケットで計算してあるけれども、スリットの間のどういう状態を指しているのだろうかと考え始めると、結構難儀なことになる。もちろん、ちょっと積分を使うと、ちゃんと書き切れるけれども。結晶に中性子を入射させる実験では、結晶全体として中性子の運動量を受け取っていることを、暗に仮定してある。この辺りも真面目に考え始めると延々と計算することになる。つまる所、ファインマンは「拾える所をサラリと拾うのが上手だ」ということだろうか。
4 月26日、今年はサツキの育ちが良い。今の時期に一番怖いのが水切れで、新芽が伸びる時期に水がないと、いつまで経っても株が緑っぽくならずに、やがて枯れてしまうことすらある。幸いにして今年は、この時期にとても降雨日が多くて、もう花も咲き始めている。勢いよく根元から長い枝が伸びて来る、そんな株は安泰だ。結構微妙なのが、大株で茂っているように見えて、表面の一層だけ緑色のもの。こういう株は大抵の場合、芽吹きが良くない。それぞれ見極めて、適当な世話が必要だ。さて午前の講義、昔の例年通り人数が減って来たけれども、ハイブリッドの zoom 参加は逆にどんどん増えている。選択肢が多いのは良いことなのだろうと思う。
4 月25日、昨日仕込んだあずきあんが、まあまあ良い仕上がりになっている。硬い芯は残らず、最後の水気飛ばしも焦がさずに、砂糖は少しだけ少なめで豆を食べている感覚も多少は残っていて。元々はカップ一杯半くらいの豆だったけれども、けっこう膨れるものだ。小麦粉があれば、きんつばでもドラ焼きでも作れるなーと思い至るも、そういえば小麦粉は常備していないのだった。普段から色々と揚げ物やら何やらと粉を使う調理をしていればすぐになくなる小麦も、惣菜を買って来る日々ではなかなか減らないものだ。強力粉を買っておいて、余ったらパスタにしてしまうという使い方はあるかもしれない。ともかくも、無ければないで仕方なく、トーストにあんを添えて食す。食感としてはまあ、どら焼きにも似ているか。
4 月24日、... 治ったはずの Mac の不調が復活。finder の設定を捨てると、しばらくの間はサクサクと動くのだけれども、丸一日くらい経つと復活してしまうのだ。うーん、対症療法がわかっているだけ、何もダメなよりはマシなのかもしれない。かの難儀な NEXTSTEP でも、これほどの不調は経験したことがない。まあ NEXTSTEP は底にある unix をいじれば何でも出来た牧歌的な時代の産物だから、今の MacOS と比べて議論しても仕方ないか。というわけで、仕事マシンとしてはやはり別のクリーンな、何も入っていないデスクトップかノートブックを選ぶことにしよう。次の OS update でも完治しないようであれば、もう server としての MacOS の運用はやめてしまおうかな。この辺りに focus してグダグダとウンチクを傾けるのが、そもそも前時代的であり非生産の根源であるというのは、確かにそうで、全部クラウド任せというのが現代的な判断なのかもしれない。
4 月23日、MacOS 不調の原因、ついに判明。Home Folder の下の /Library/Preferences/com.apple.finder.plist が正しくない、というもの。これをターミナルで消去して、再起動。あらあらあら、なんとサクサクと動くこと! 今まで、file を開くのに 20 分も待っていた(!)のがウソのように治ってしまった。この半年ほど、不毛な努力を積み重ねていたことが、まさに不毛であったと、改めてガックリと来るのである。Finder の設定だけの話なら許せるのだけれども、例えばターミナルで cd するだけでも待たされていたし、他のあらゆるアプリケーションでもファイル操作が絡むと途端に固まってしまっていた。file manager の一翼を担っているのだろうか、Finder という名前の衣をかぶって。
4 月22日、どんなに大きな組織でも、日頃の営みは小さな単位で行われる。大部屋で仕事をしていても、常に何百人もの同僚を意識しているわけではない。そこに新人を加える、採用するという時に、どのように考えて人集めするか? ということには選択肢が色々とある。システムだけに言及すると、大きな単位で「人事部隊」を立ち上げて、ともかく能力のありそうな人を採用して、後で部門に分けて行くという、そんな方法がある。全く別の方法として、小さな部門それぞれでアタリを付けておいて、最後に全体的に承認を回す、そんな方法もある。おおよそ、大企業とか官公庁は前者で、大学とかグループ会社のような企業体が後者だろうか。2分できるものではなくて、どちらかの傾向が高い、そんな感じでしか言えないのだけれども、このように様々な取り組みがあるから、とても幅広い人材が社会で雇用されるのだろう。
4 月21日、どんなに大きな組織でも、日頃の営みは小さな単位で行われる。大部屋で仕事をしていても、常に何百人もの同僚を意識しているわけではない。そこに新人を加える、採用するという時に、どのように考えて人集めするか? ということには選択肢が色々とある。システムだけに言及すると、大きな単位で「人事部隊」を立ち上げて、ともかく能力のありそうな人を採用して、後で部門に分けて行くという、そんな方法がある。全く別の方法として、小さな部門それぞれでアタリを付けておいて、最後に全体的に承認を回す、そんな方法もある。おおよそ、大企業とか官公庁は前者で、大学とかグループ会社のような企業体が後者だろうか。2分できるものではなくて、どちらかの傾向が高い、そんな感じでしか言えないのだけれども、このように様々な取り組みがあるから、とても幅広い人材が社会で雇用されるのだろう。
4 月20日、Zoom が浸透した理由の一つが、その通信情報量の少なさだ。けっこうボロい通信路でも破綻なく通話できてしまう。昔から「テレビ電話」という概念はあったのだけれども、広帯域あっての事だと考えられていたので、逆向きの進化でもある。このまま突き詰めて行くと、映画から講談への進化というか、通信するのはアバータの種類と言葉と抑揚くらいの文字列で、後は AI が勝手に「イマジネーション」を働かせて「演技する」ということになるのかもしれない。この類の通信手段は太古の昔からあって、文章を暗記して述べ伝えるという役割の人々が旧約聖書にも登場する。結果として、創世記には繰り返しの部分が多い。黙読すると、なんだ繰り返しではないかと思ってしまうのだけれども、光景を思い浮かべると2回目はアバターとして声に出されたもので、想像を働かせると楽しい場面にもなり得る。ともかく演出というのは大切な要素で、携帯の通信画面も結構「盛って」いるなーと思う。
4 月19日、先々、いろいろと未来があると、判断に迷うことが多いのだろうと思う。その感覚を忘れてしまってもう何年になるのだろうか、迷いがあることが羨ましいような気もする。そして今は毎日、さて今日は新しい仕事をするのか、継続的にやっている何かを続けるのか、それとも遊ぶのか、そういう判断を細かくするだけの惰性のような日々を送っている。あまり無理が効かないので、若い頃のように夜が白々と明ける頃まで何かに熱中することはできない。要するに退化の日々を送っている訳で、円熟には程遠いのである。YouTube でアーティストを眺めるに、若い頃のある時期に芸事の頂点に達するケースが多いような気がする。中身は進化しているけれども、体が追いつかない ... というパターンばかりではないのだ。
4 月18日、春だと思っていたら、もう初夏になってしまった。夏至へ向けて、日差しは真夏よりも厳しい頃である。このクソ暑い時に、野外の実習も始まるのである。キャンパスのアチコチで、草木の芽を観察しているグループもあれば、測量の道具を抱えて歩き回っている班もある。座学ではなかなか身につかないことも、こうやって実習の中で考えながら、段々と学問は道具と方法を考えながら進めて行くものであることを習得するのである。最近は便利な道具もあるので、たとえば関数電卓とかカメラとか、あまり必要ないかもしれない。測定器の場合には、誤差について吟味されているか? という点が要注意で、理想的には幾つかの異なる手段で計測した量を突き合わせて真の値を推定したい所だ。そんな風景が戻って来たことに感謝しよう。というか、この2年間のバカ騒ぎは何だったのだろうか ...
4 月17日、成田から野菜が届いた。ヤーコンという見慣れない根菜も入っている。今回は菜の花が大量に入っていた。花というか茎が主体の野菜で、葉物野菜というよりはブロッコリーに感触が近い。というか、ブロッコリーも放置すると菜の花のようになってしまうのだ。大根もカブもキャベツも白菜も、同じように菜の花になる。今回の配達にはニンジンも入っていた。根だけ見ると大根みたいに映るけれども、あれはセリの仲間で花の形も全然違う。ニンジンの花は硬くて食べられない。たくさんあるので、スープにして食べようか。箱の底の方に、ジャガイモとエシャロット ... いや実はラッキョウも。(洋食で使うエシャロットは、もっと太くて丸い。)どちらも、いま植えることも出来る野菜だ。ジャガイモは楽に増やせる、さて食うか植えるか ...
4 月16日、サツキの調子が何となくおかしい、そう感じたらもう手遅れで、手を尽くしても大抵は枯れてしまう。そういう株では、枝を切ってみると形成層が枝の一部にしか残っていなかったり、中央付近に細菌感染があったりと、ロクなことがない。勢いの良い株であれば、今の時期に新しい葉を伸ばし、低木らしい強い芽が根本から出て来る。その根本のあたりが土に埋まっていると、横へ横へと株がどんどん広がって行き、辺り一面がサツキになる。一方で、枯れた株では、植え付けた時からどこにも根が伸びていないケースも。どう対策すれば良いのかというと、枯れそうな株はどんどん切ってしまって、隣の株が広がるのを待つ、これに限る。一時的に見すぼらしい外見になるのが、この対策の欠点だけれども、まあ許容しようか。
4 月15日、イタドリがニョキニョキと生えて来た。太いものは、食用になる。美味しそうなものが生えていないかなーとみて回るものの、あまりない。前年に大株になって、地下茎にたっぷり栄養を蓄えておかないと太い芽が出ないらしい。この辺りは、夏の間に一度か二度の下草刈りがあるので、大株になる前に堆肥となってしまうのだ。ということは、荒れ地に分け入っての山菜探しということになる。工学部の真南に、ちょっとそんな斜面があるのだけれども、あそこへ分けいると戻って来れなくなりそうだ。落雷実験していて、その辺りには定期的に (?) 雷が落ちるという説もある。下宿性が昨日の落雷を次々とツイートしていたのが、何だか面白かった。
4 月14日、農学部の南側の斜面の工事が終わって、広々とした見晴らしの良い場所になった。斜面をコンクリートで固めてしまうのかと思っていたら、地面に腐葉土のようなものを吹き付けてあって、雑草が芽を出して来た。道理で、林を伐採する時に切り株を抜かずに放置していたわけだ。杭を打って、その間にワイヤーを通し、錆びないようにコンクリートで固める、そういう作業だったのだと、今になって理解した。もうここにイノシシがやって来ることはない。大学の周辺を散歩すると、工学部の東側でも斜面工事がおおよそ完了していた。次に工事が行われるのは、学生会館の周辺になるのだろうか。そういえば自然科学系図書館の周囲も、昔に比べると随分と開けたなー。
4 月13日、Mac 不調の原因究明策として「何の欠陥もない新規ドライブ」に OS をクリーンインストールして、タイムマシンバックアップからアカウント移行してみることにした。結果は、アカウント移行した段階で Finder 操作を含む、あらゆる動作が緩慢となる。フォルダの移動すら、レインボーカーソルがしばらく出てから移動する始末だ。どうも、何かセキュリティーに触れるものがあるらしい。アプリケーション毎にフルディスクアクセスにするという手は、この場合無効だ。Finder に対してフルディスクアクセスという項目はない。今日は、起動セキュリティーオプションから試してみよう。また、一度この状態になった後で、アプリケーションやフォルダを順番に削除して行っても、回復することはない。どうなってるんだ、MacOS よ。 NeXT の頃が懐かしい ...。現実的な対応として、使い続けているマシンは「半分放棄」して、隣にある空っぽのサブマシンで仕事をしている。壊れた物と自動的に File 同期すると両方ともダメになるから、仕事レベルでの同一性保証を手動で行うことになる。難儀だ。
4 月12日、新学期の初回の講義。今回はフーリエ変換についての話。最初は N 次元複素ベクトル空間の直交基底の話から入って、次は有限区間でのフーリエ級数。ここで痛恨の板書ミス。[0,2π] 区間を考えていたので、指数関数を exp[ijx] と書くべき所を、ずーっと [0,1] 区間を考える場合の exp[ijx/2π] と書いて講義を進めていて、途中で間違いに気づいて訂正。講義のことは頭に入っているとタカを括らずに、ちゃんと講義ノートで確認しながら授業を進めないと、こういう落とし穴に入ってしまう。とは言っても、講義ノートをセッセと書き写すだけでは、味気ないし、そもそもスピードオーバーになってしまう。難しい所だ。
4 月11日、大昔の学生便覧を開くと、卒業単位の数え方がとても簡素だ。そういう時代が長く長く続いた後で、大きな大学(総合大学?)では大学改革の時代へと突入して、色々と新たな取り組みが導入されることとなる。設置基準で 124 と決まっている卒業単位の中に、新しいものを入れて行くと必然的に「方程式」いや「線形計画」が難しくなって行く。いや非線形計画か。仕組みを複雑にすると、あらゆる所へと影響が及んで行くことになる。思うにこれから先、再び簡素化への揺り戻しが起きるのではないだろうか。同じようなことが、大学入試にも言えるのだけれども、共通一次、センータ試験、共通テストと進むに従って、問題の難化が起きているのである。... とブツブツ言う前に、まずは授業だ授業だ、新学期だ。
4 月10日、この所、就職関係のお世話係の役目もぼちぼち進めている。企業の関わる人事の世界は、基本的にはメールでやり取りが行われているので、いわゆる「電子メールの慣習」に従って物事が進んで行く。ここに LINE のやりとりのようなものが混ざって来ると「昭和のおじさん」的には目が点になる。でもまあ、就職して働き始めると自然と風格が身について来るはずで、在学中にはちょっと抜けたような所があるのも、成長する伸び代がまだまだある証であるとも言えるだろう。逆に、ちょっとした連絡に、妙に体裁の整った書面のような文章でメールが届くと、これまた心配の種となる。人間社会、色々とバラエティーに富んでいて面白い。社会全体が、一つの方向へと向きだしたら、それは危険信号だ。
4 月 9 日、Mac の不調、色々と調べてゆくと、どうやら内臓の SSD がおかしいのではないか? と思い始めた。ディスクユティリティーでチェックすると、0 ではなくて -1 とか -8 とか、よくわからない数字でディスクが壊れている、修復できないとの警告が出る。ハードディスクの頃であれば、壊れている部分を切り離して再フォーマットすれば良いだけだったのだけれども、SSD はどうなっているのだろうか。で、ノートブックに緊急避難しようか .... という計画が即座に頓挫。いま大学で使っているマシンはグローバルアドレスに接続されているのだけれども、ノートブックには Ethenet ケーブルが接続できない。まずはアダプターの購入から始めよう、トホホ。
4 月 8 日、今年も新入生歓迎会となった。全国的な傾向なのだろうと思うのだけれども、出身地に近い大学を選ぶ傾向が強まっているようだ。人口密集地帯である関東で、この2年間けっこう厳格に大学の「封鎖」が続いたことも、大きく影響しているのだろうか。自宅から大学に通えるのは、経済的にはメリットが大きい。一方で、通学に長い時間がかかるケースもあって、自宅が良い、下宿が良いと一概には言えない。個別のことはともかくとして、こうしていろいろな背景を持った学生たちが集まって来て、それぞれ影響し合うのが大学なのかなーと、例年の如く感じた1日であった。
4 月 7 日、どこかの学部のガイダンスで、開始時間の 30 分前に集合時間が設定されていたらしい。その心は何となくわかる。ギリギリに全員がパッと集まるように動くと、交通機関や歩道を含め、あらゆる場所でボトルネックが発生して大混乱になる。それを緩和しよう、また、交通機関の不意の運休などに巻き込まれても対処する時間的余裕は持とうということだ。大昔の話をすると、実はガイダンスというものはなかった。郵送されて来た時間割と学生便覧をよく見て、履修計画を自分で立てて履修登録「用紙」に記入して、「教務掛」に持って行くだけだ。今も基本的にはそれで対処できるはずなのだけれども、段々と社会一般に余裕がなくなって来たのだろうか、なるべく取りこぼしの無いようにという配慮もあって、手厚く?履修指導することとなった。
4 月 6 日、新入生のツイートを眺めていて、学歴コンプ(コンプレックス)なる言葉が目についた。とある機会に、他大学と比較して云々という感じの話を見聞きしたらしい。共通の一次試験が存在する現在の入試では総合力が求められるので、結果として特定の科目に突き抜けた才能がある人々が地方大学にも数多く進学している、そんな実態はあると思うし、実際にそうだと感じる。また、誰もが何かしら突き抜けたものを持っていて、それを探す機会が大学生活だと思う。入学した瞬間に、入試のことは忘れて良いのではないだろうか。クラブ活動などの機会に他大学と交流してみればわかる、同じようにそこにも学生が居て、同じように学んでいるに過ぎないことを。
4 月 5 日、パソコンの調子が余りにも悪いので、内蔵 SSD を一度クリアして、OS をクリーンインストール。そして、バックアップからアカウントを戻して .... 戻したら、やっぱり調子が悪い。どこかに、セキュリティー上の問題が潜んでいるか、それとも特定のアプリケーションとの相性が悪いのか。このようになると、試すのは二分法しか手がなくなる。file を半分に分けて、これを入れたら調子が悪くなるという原因を特定するという、とてもアナログな検証法だ。あるいは、メインマシンを別に立てて、一年ぐらいかけて、ゆっくりと乗り換えて行くという手もあるか。そろそろ、ゴミのような昔の file を捨てて行く必要もあるなー。
4 月 4 日、バックアップディスクを HFS+ から APFS に変えるのに、さて再フォーマットを ... という単純な?作業が、けっこうよく失敗する。経験的には、一度 FAT か何かに化けさせてから、APFS に持って来るのが成功率が高い。一旦、外の世界に出してしまって、まっさらにしないとダメ、そんな感覚だろうか。こうして、バックアップを空にしてしまう方法を全てのバックアップディスクに対して同時に行う人は、まあ居ないだろうし、当然やらない。一つずつ消しては入れ直して、という手順でも、一時的にはバックアップの数が減っているので、何となく心細い気もする。パソコン側に、ファイルシステムを壊すような欠陥が生じると、実はいくつバックアップがあっても無駄だという話もある。全部消えたら、それはそれで気楽なのだけれども。
4 月 3 日、普段使っているクレジットカードが、しばしば認識されないことがあって、どうしたのだろうかと模様眺めしている間にどんどん状態が悪くなり、とうとう常に認識されない状態となった。これではアカんという訳で、カード破損の扱いで新しいカードを発行した。届いた新品のカードは、やはり見栄えが良い。プラスチックだから、毎日のように使うと傷だらけの汚れだらけとなっていたわけだ。さて、古い方のカードは廃棄、よく見て故障の原因を探ると ... なんと、電極の部分に溝ができていて、その溝の端に「かえり」が飛び出して隣の電極と短絡しているではないか。この短絡さえ、ちょっと取り除けばまだまだ使えたらしい。接点の伝導度を優先するか、それとも機械的な強さを優先するか、その辺りのバランスは難しいものかも知れない。
4 月 2 日、普段は、仕事に使っている Mac それ自身の問題を解決する時間があまり取れない。次々とメールが降って来るので、それに応対しているとボリュームのチェックなど無理なのである。というわけで、土曜日に時間をかけて実施。そこでまず「発見」したのが、バックアップディスクが hfs+ であること。APFS が導入されて久しいけれども、当初はバックアップには使えなかった。この制約が取れたのは Sierra からだっただろうか。また、どうも起動ディスクに妙な傷があることが判明した。コマンドラインからでも修復できないので、うーん、これはもう再フォーマットするしかないか ... というわけで、まずはバックアップを取って、また別の日に ... いや、この際、新しいマシンに乗り換えようか ...
4 月 1 日、年度が切り替わって、在学している学生さんも1年進級した。学則をくまなく読んだことが無いので、例えば1年生から2年生に進級するという言葉の定義は、ハッキリとは把握していない。教員の側からしっかりと認識しておく必要があるのは、研究室に配属となる3年から4年への進級と、研究室での1年間を過ごした後の卒業あるいは進学だ。大学の教育に何が必要なのか?というのは、全く捉えどころのない問いかけなのだけれども、実際的にはこまごまと規則で定めた上で、運営して行く必要がある。数多くの事例にあたると、けっこう色々と落とし穴があるもので、キッチリと設計してあるはずの建物に隙間風が入るようなことも起こり得る。新年度は何かと作業が発生するものだ。
3 月31日、今日はお昼頃に2時間ほど、大学内のネットワーク作業があった。上流のネットワークが高速化されたのだそうな。その作業のすぐ後に、リモートでミーティング、まあ何とかなった。今日の「ネット」は、道路や水道管のように普通に提供されるものとなって、使えなくなった時に「無いと困る」と意識される存在となている。電気もそんな存在だけれども、少し違うのは国内の資源では賄えないということ。契約電力は今まで、とても安く提供されて来た経緯があって、どうやら大幅な値上げが迫っているらしい。これが、製造の現場にどう影響するのか、また、我々が購入するか利用する物品に、どれくらいの価格上昇として反映されるのか、目が離せない。将来を先に買ってしまう(結果として流通を確保する)先物が動き始めて久しい。
3 月30日、一昨日、昨日と、少し分野の広い?研究会にオンライン参加している。分野が変わると言葉づかいが変わるのが面白い。言葉づかい、というよりも発表のスタイルそのものだろうか、業界それぞれの空気を反映していると言っても良いのかも知れない。組織や研究グループをどれくらい背負っているのか、その辺りの考え方に違いがありそうだ。物理屋さんは、数学屋さんと並んで一匹狼な人が一般的な分野であることを再認識したとも言えるだろうか。さて、こういう場の発表では、最新のことはもとより、大学の教養で行われるくらいのレベルの一般知識の導入も重要となる。思うに、大学の教員も、いや、大学の教員こそ、大学の初年次に行われる教養教育に「受講者として接する」ことが大切ではないだろうか。
3 月29日、燃えないゴミは袋に入らなければならない。従って、少し大きめの物になると、何とかして小さくすることを画策することとなる。今日の格闘相手は鉄パイプで組まれたもの。軽量の鉄パイプとは言え、ちゃんと目的に耐えるように設計してあるので、そう簡単には折れ曲がれない。よし切ってしまえ、と金のこを取り出したものの、刃の進みが超遅くて断念。まずは、ピンなどを外してバラすのが先決と思い直して、ピンのカバーを外し始める。全4箇所のうち3箇所はすぐに外れて、もう1箇所で頓挫。カッターを買って来ようかなー、これに限らず色々と分解することもあるだろうから。鉄は鉄だから、雨ざらしにすればサビて朽ちるのだけれども、海辺に転がしておくのは不法投棄みたいなものだしなー、何とかしよう。
3 月28日、あっという間に新年度が近づいている。まず、カレンダーに講義日程を書き込むことから。朝1限目に、物理的に講義室に立って、カリカリと板書できる体力を再び養わなければならない。チョークは久しく握っていないなー、遠隔になってホワイトボードマーカーばっかり使っていたからなー。セミナーはどうしようか、どういう題材で、どんなレベルを想定して、ええと、あれこれ考えても受講者にソッポを向かれたらおしまいだ、その辺りは interactive に模索して行こう。そして、さまざまな理由により講義室までやって来れないという受講者にも授業内容の取りこぼしがないように、あれこれと資料を準備しておかなければならない。今年は特殊関数だからなー、あれは、本当は群論なんかと関係あるんだけれども、それには立ち入らないでおこうかなー。
3 月27日、植え込みや花壇の土は、知らない間に減って行く。有機質のものがあれば、年々分解されて、最後はガスと水となって四散してしまう。無機質の粘土や細かい砂もまた、雨水とともに段々と減ってしまう。草抜きなどをすると、その根っこについた土もまた、どこかへ捨てられてしまう。走行するうちに、あれ、こんなに土が減っていたのだろうか?という事態となる。どう考えても縁石が地面よりも高い位置にある場合、実は土が減ってしまっていることが多い。どうする?逆のプロセスで、少しずつ盛り返すという手段がないわけではない。草を抜いてもそのまま放置する。木の葉など撒いておく。土や砂があれば、そこへ積んでおくなど。一気にやると、目立ってしまうので、少しずつ、少しずつとなる。なお、ツル植物だけは放置してはならない、あれは繁殖が速い。
3 月26日、昨日の撮影に使った機材は LUMIX S5 + Nikkor-O 35 mm f2.0 (f5.6 で使用) と、LUMIX GH4 + Ai Nikkor 20 mm f3.5 (f5.6 で使用) の 2 種類。天気が良かったので撮影場所は理学研究科の渡り廊下の上で、後者の換算 40 mm の使用は少し厳しかったのだけれども、体を手すりに預けて何とか撮り切った。手すりが壊れていたら、2 m 下に転落 ... なので事前にチェックはしていたけれども。17 mm か 18 mm のレンズを見つけたら、来年以降のために購入しておこう。何も、こんなに古いレンズを使わなくても、と思われるかも知れないけれども、ともかく中古レンズはコストパフォーマンスが良いし、全てがマニュアルなので突然のトラブルなど起きようがないのである。レンズがスリムで重いのもまた、カメラ持ってる感があって良いのである。
3 月25日、卒業式の日。去年の卒業式は、理学部脇の桜の木が満開であった。今年はまだ蕾。特に寒い日がなかったこの冬、ゆっくりと寒気が放出されたからか、あるいは単に偏西風波動の気まぐれか、少し遅い春となった。入学式まで桜が持つか?というと、さにあらず。新学期に時間的な余裕を取っておくことの利点が、この2年間で明らかとなり、新年度は少しだけ遅めの日程が組まれているからだ。周囲を見渡すと、前期入試だけで済ませられる大学は、どんな行事も少しずつ時期が早いのである。そういえば、南の方の大学から、とある理系学部で追加募集を行うという知らせが届いた。共通テストの点数を使って判定するのだそうな。まあ確かに、そういう用途に使えるようにという設計があって、センター試験から共通テストに舵を切ったのであるから、正しい(?)用法の一つだろう。
3 月24日、電磁気学の学習で厄介なのが、電荷・電流・磁気双極子といった「場の境界条件」を、物体のように考えて取り扱う所だ。例えば閉じた電流が受ける力を考える時に、電流が存在しない時の外部磁場の下で、電流素片が力を受け、それを積分したものが回路が受ける力であると「計算すると」正しい答えを得る。でも、物理として現実に存在しているものは、電流も外場もある状態で考えている閉領域を取り囲む面にかかっているマクスウェル応力という力であって、その積分によって閉領域が受ける力が決まる。電流を含まない空間で領域を変形してもその力は変化しないので、領域を回路の細い線まで絞って行くと、上述の考えに到達する。この辺りを初心者に教える訳には行かないから、悩みが深いのである。
3 月23日、最近の MacOS でずーっと悩まされていた、Apple Store 以外からダウンロードしたソフトウェアの起動が異様に遅い現象の解決策の一端が見えて来た。どれくらい遅いかというと、20分くらい沈黙した後に突然起動するのである。タチの悪いことに、とあるアプリが一度引っかかると、そのソフトで作成されたファイルを添付しているメールソフトまでロックされてしまう。また、ドックやアクティビティーモニタも同様に引っ掛かってしまう。これでは作業にならないので、まず使いそうなソフトを全て上げておいて、なるべく再起動しないという対処法でやって来たのだけれども、ブチっと再起動しなければならない事態にもよく陥る。/Applications の下にあるアプリは、それほどまでに信頼されていないのだ。で、見つけた対処法は「option キーを押しながらアプリアイコン又はドックをクリックして《開く》を選ぶ」という方法。これを一度やると、現時点での MacOS ではセキュリティーチェックがパスされるのだそうな。もう少し甘い方法もあって、ターミナルから特権モードで「全てのアプリケーションの実行を許す」という設定も可能だ。これをやると何でもアリになるのだけれども、確かに昔のキビキビとした MacOS に戻る。なお、私から変なメールが届いたら、それは SPAM なので気にしないように。最近、身近な研究者から「本人が出したようなメール」を受信したので、ひょっとすると当方もそのマルウェアに感染しているかもしれない。こんなセキュリティー状況なので。
3 月22日、今日もレーダーを時々、見つめる。お昼頃には明石海峡大橋をくぐって、神戸空港沖でスピードを一段と落として、のんびりと航行している。式典か何かに合わせて、時間を調整しているのだろうか。今日は雨上がりの曇り、けっこう肌寒い。もっとも、季節が季節だけに、もう冷え込むということはなくて、このままの気温で明日の朝を迎えるようだ。またまた、たっぷりと降水があって、下草はますます勢いを増している。昔は、草が密集している所はワンちゃんの落とし物が転がっていたものだけれども、最近では持ち帰りエチケットも浸透して、なかなかお目にかかれない。雨でとけると、その名の通り、肥やしになっていたのが、ちょっと懐かしいような、懐かしくないような。
3 月21日、神戸大学の新造船、海神丸、ずーっと「かいしんまる」だと思っていた。いや、「かいじんまる」が正解。KAIJIN MARU で検索しないとレーダー画像上でヒットしない。今朝はまだ、岡山に居るらしい。いつ神戸にやって来るのだろうか?と、今か今かと待ち受けている。できれば、大阪湾を航行している姿をいち早くとらえたいものだ。船の大きさは、神戸港に浮かんでいる観光船くらいか、それよりも少し小さい程度だ。お披露目で神戸港にもやって来ないかなーと、密かに期待している。神戸大学の良い宣伝にもなるのではないだろうか、大阪の南港まで攻め込む?のも良い良い。いけない、いけない、休みの日には、ついつい調子に乗ったことばかり書いてしまう。さて、arXiv のサーチから。
3 月20日、秋の落ち葉は、なかなか分解しない。枯葉が吹き溜まっている部分をひっくり返すと、まだまだ原型を保った葉が積み重なっているだけだ。これからの季節に、カビが付いたり、生物が食べたりして段々と朽ちて行く。これが天然の寒肥だ。ゆっくりと栄養分を還して行き、段々と草木の根が伸びて行く。カタバミのように、いきなり表面に根をびっしりと張る、ちゃっかりした草もある。芝はもう少しゆっくりだけれども、一度生えると容易には枯れない。地下茎の存在が、乾いている季節に枯れない秘訣のようだ。そして夏に秋にと実を結び、やがてまた落ち葉が降ってくる。土が肥えるにも時間がかかるものだ。
3 月19日、今年度で異動する人々、退職する方々の写真を撮影した。カメラを抱えていて思うのは、こういう時間の限られた時に大きくミスらないためには、AI モードが役に立つということ。携帯のカメラは、おおよそ AI モードで動いているので、条件の悪い場合や、光の具合が目まぐるしく変わる状況下でも、ちゃんと絵作りしてくれる。全て手動のマニュアル撮影すると、黒潰れしてみたり白く飛んでみたり、ブレたりピントが外れたりと、ロクなことがないし、鮮やかさでも携帯の撮影に及ばないことがある。「カメラ持ってて、それくらいなん?」という印象を持たれるのは悔しいので、ミスっても後処理で何とかするのだけれども、やっぱり最初から外さないよう技量を磨くしかない。で、サブカメラを常に AI モードで、というのも「技量のうち」なのだろう。きっと。
3 月18日、雨が降ってホッと一息。春は、フワッと暖かくなるので体のバランスが狂い易い。冬のうちに溜め込んだ体重のままに、春の機敏な動作をするとアチコチに思わぬ負担がかかるのだ。これは身体的なものに限ったことではない。日本は春入学のシステムなので、入学するにしても卒業するにしても、あるいは退職するにしても、急な変化に力み過ぎると、その後に意識している以上の反動がやって来る。夢は見るものだけれども、夢にすがると今を失ってしまう。この点は個人に限らず、組織でも同じことだろうか。必要以上にあれこれといじってみても、後がしんどいはかりである。結局は元のサヤに戻ってしまう。いや、そういうジタバタ感も仕方ないのかもしれない。実弾が飛んで来る世の中は避けるべきだけれども。
3 月17日、場の理論を構築する時に、まず離散的な格子模型を立てておいて、最後に連続極限を取るという手法がある。極限操作なので、最初の格子モデルは適当に作っておいても、最後はスムーズな場となる。正確に言うと、うまく連続極限が取れる時には取れる。最初から長距離相互作用を含むような格子モデルでは、自由度が増えるとドンドンとエネルギーのスケールが乖離して行き、自明なものか、見たくないようなものしか得られないこともある。ともかくも、極限がうまく取れるケースは普通に存在する。では、最初のモデルはどれくらい最後の連続極限に「似ている」だろうか。この問いに答えるには、何に対して何が似ているかを定めなければならない。その点はちょっと置いておいても、たとえばイジング模型は、最初からその連続極限によく似ている。うーん ...
3 月16日、集合写真に使うカメラとレンズの下調べ、けっこう気を使う。晴れていたら、直射日光の当たる場所なので、絞り値を大きくできて、焦点距離の選び方や、四隅での画像の伸び、全体的な明るさの設定くらいを固めておけば、何とかなる。問題は曇りや雨の場合で、まず曇っていたら焦点深度が問題になる。画面中央はちゃんと写っているのだけれども、周辺の人々がボケていたら何にもならない。シャッタースピードも、あまり遅いと被写体の動きでブレることもある。さらにマズいのが雨で場所が変わる場合。教室の中というのは、照明があっても暗いし、光の向きもあまり調整できない。窓が一方にあって、そこから照明より強い光が入る場合、どこに人々を立たせるか?という問題もある。うーん、卒業式の当日まで、いろいろ考えないと ...
3 月15日、プレプリントサーバーの朝の更新が早くなった。そういえば、アメリカはもう夏時間に入っているのだ。ヨーロッパは、確か去年が最後の夏時間という話だったはずなのだけれども、どうも足並みが揃っていないらしい。あれだけ地理的に東西に長いと、夏時間云々以上に、東西で時間が統一されていることが、なかなかの驚きなのだ。中国のように時間は統一されているけれども、省庁の動き始める時間は地方ごとに違うという、そういう選択肢もあるか。行く行くは、ひょっとすると時刻自体はグリニッジに統一されてしまい、日付の区切りだけが各国が異なる、そんな運用になるのかもしれない。朝にプレプリントサーバーを眺める時間が十分にあるのは有り難いことで、さて、学会の講演を聞き流しながら、arXiv プレプリントサーバーを眺めようか。... そして arXiv:2203.06249 を見つけた。
3 月14日、暖かい雨、これから下草や木々のスタートダッシュが始まる。もう木蓮の蕾はだいぶん大きくなって来た。桜の枝も、何となく赤みを帯びて見える。そもそも木々の本体は、幹や枝の表面の形成層であって、この部分にスイッチが入ると「生き物」という感じが充実して来る。ツクシも探せばあるはずなのだけれども、普段の「通勤登山」ではあまりお目にかからない。これまでは、林の脇道のような場所を毎日登っていたのだけれども、その林が切り開かれて、斜面が鉄筋コンクリートの網で覆われたので、見通しが良くなった反面、季節感は少し減った。昔のように、この坂道でイノシシに出会うことは、もうないだろう。それはまあ、安全になったということで、めでたいことだ。
3 月13日、大学入学時に豪華パソコンを仕入れて4年間使う、そういう選択はあり得る。大学入学時に手持ちのパソコンをそのまま使い、必要に応じて目的に合ったものへと乗り換えるのも良い。パソコンが無いと本当に困るまでタブレットで済ます、これもありだろう。大学合格者のツイートを眺めていて、この辺りをどう考えているのだろうかと、ふと思うようなものも目にする。そもそも、パソコンというのは今日では情報デバイスの一角を占めるだけの存在であって、誰にとってもそんなに重要なものとは言えないのである。タブレットにもキーボードは付くし、おおよそのソフトはブラウザーがあれば(少なくともユーザーからの視点では)動いてしまう。きっと、パソコン、パソコンと叫んでいるのは、いわゆるパソコン世代の人々なのだろう。
3 月12日、春の陽気となった。これからしばらくの間、高温が続くようだ。冬用の上着は思い切ってクリーニングに出してしまおうか。冬の間は(自分では)気づかなかったジジ臭さが、春の熱気と共にむわ〜っと鼻を突くのであるから、これは歩く生物兵器と化しているに違いない。そうこうしている内に新学期が近づいて来た。ええと、シラバスをちゃんと書いて、新しく引き受ける講義についてのノートも準備して ... いや待てよ、まずは教える内容を復習する所から始めなければならない。合流型とかフックス型とか、もう頭の中でガタガタになってしまったものを掘り起こすのである。分野にもよるけれども、使わない時はとことん使わないからなぁ。
3 月11日、入試合格者のツイートを眺めていると、色々と情報を仕入れたいという要望があることに気づく。大学から郵送される書類にじっくり目を通せば、おおよそそれが(学務・教務上は)全てなので、よく読むべしというのが第一の助言である。... と、言いつつ、パソコンにソフトウェアをインストールする時に、いちいち約定など読んでいるか?というと、いや、一瞬で OK をクリックして終わりなので、他人にとやかく言う資格は無いに等しい。保険の契約も似たような物だろうか、イザ何か起きてから、問い合わせてみると「それは除外項目です」と返答されること、よくあるのである。で、元の話に戻って、履修した単位が「それは卒業単位には算入されません」と言うことになると、ちょっと難儀なことになるので、やっぱり書類にはよく目を通すべきなのである。で、わからないことがあれば、学科長に DM すれば良いのである。
3 月10日、レフリー業をやっていて思うのだけれども、とても良い論文の場合「問題ないよ、掲載して」というコメントでは不十分なことがある。複数のレフリーが担当していて、もう片方が難癖をつけた場合、editor は文句の方に着目してしまって、「問題ないよ」の方は仕事をサボったかのように受け取られることがあるわけだ。従って、全く問題のない論文の場合も、どこが良いのかをしっかりアピールしてあげないといけない。難儀なことだなーと思う。もちろん、editor がしっかりしていれば「良いものは良い」という意見が通るわけなのだけれども、いつもいつも editor が同じ専門分野だとは限らないのである。論文の査読プロセスは無駄が多いものだけれども、全廃したら全廃したでプレプリントサーバーと変わりなくなるわけで、厳格さというレバーの上げ下げは難しいものだ。
3 月 9 日、合格発表となった。今の時代、合格発表の祭り騒ぎは SNS 上で行われている。合格した、とつぶやくと、見る間に上回生が部活動の勧誘に次々とやって来るのである。接触の媒体が変わっただけと言えば、それまでのことだ。部活も、打ち合わせなどは多分にリモート化しているらしい。さて、この tweet なのだけれども、学部によって傾向が異なるのである。とある、お金が絡んだ学問を学ぶ学部では、合格者が一瞬でつぶやき始めるのに対して、何事も理詰めで考えるような学部では、なかなか立ち上がりがゆっくりしている。ナントカ学部気質、というのは入学前に、既に形成されているものらしい。一般的な傾向としては、書き物読み物に考察を深めるような学問分野へ進む学生は、それを表に出してつぶやくことが少ない気がする。
3 月 8 日、神戸の町でどんどん進んでいるのが地元化。そのうち戻って来るのではないか?と期待していた遠方からの観光客は、誰の目にも明らかな状況によりなかなか回復せず、そういう業態はどんどん先細っている。今日の惣菜の持ち帰りのような、日常の中のちょっとした非日常?をターゲットにした店が目立つ。まあこれも経済原則の下にあるので、供給過剰になると人気のない店から撤退となるのだろう。パン屋さんでは、高級食パンが苦戦している。神戸のパンは、元々が高級?というか、充分に美味しいものであったから、食パンだけでは継続が難しい。とか何とか、街を歩きながらブツブツ言うのが「社会に出たことがない」教員というものであるわけで、周囲の誰からも「オマエが商売してみろ!」と怒られるのである。
3 月 7 日、春をそのまま表現する歌を思い浮かべると?春の小川、は確かにそのように聞こえて、実は小川の周辺の様子を延々と語る歌だ。春よ来い、は、春の歌のようであっても歌詞には「遠き春よ」とあって、巡っては来ないであろう春を歌うような歌だ。キャンディーズの .... この辺りでもう、全てが昭和丸出しであることが如実になるのだけれども、これもまた「もうすぐ春」なのであって、春ではない。春というのは一瞬で通り過ぎてしまう季節らしくて、待ち焦がれるものらしい。春が来てしまうと、もう実感がない、そんな捉えどころのない季節なのだろうか。秋の長さとは対照的だ。で、もう春は来ているのだろう、合格発表も近い。
3 月 6 日、海辺を散歩する。よさこいの団体が練習していたり、発表した後のような団体も居た。この間、ずーっとイベントが制限されていたから、今こそという感じだろうか。そんな公園の風景の中で、靴磨きのお兄さんを見かけた。何というか、これもまた靴を磨くだけの仕事ではなくて、どちらかというと芸事の一つなのだろうと思った。キッチンカーが出店していたり、ドッグランがあったり。オープンスペースの小規模な催しが今のスタイルなのだろう。なんとかフェスという、タピオカの頃の流行は令和には似合わないということなのかもしれない。こうして歩いてみると、海という財産は神戸にとって大切なものなのだと、再確認した。さて、少し離れた海辺に帰ろう。
3 月 5 日、氷に乗る。オール兵庫が近いのだろうか、達人がいっぱい滑っていた。達人の滑り、特に基礎練習をよーく観察していると、色々と勉強になる。エッジに乗る時のフリーレッグの位置、手の置き方など。腰の捻りや上下運動をうまく使って、エネルギーをロスしないよう効率的に使って美しく滑っている。ああいう風に滑りたいなーと思っても、すぐには真似できない。技もさることながら、それを支える筋肉も必要だし、心肺能力も十分にないと直ぐに息が上がる。達人たちが横を通り過ぎると、一瞬、熱を感じるのだ。フィギュアスケートは物凄い運動量で支えられていて、ガチなスポーツなのだということが良くわかる。
3 月 4 日、楽器のドラムを放置していると、分子が飛んで来て膜を叩く音が聞こえるか?という興味深い問いかけがある。大きな音が出るほどの振動が生じるとは誰も思わないので、問題は「微かにトントン叩く音」の存在の有無である。あまりにも桁の違う問題を混ぜるな!と怒られそうなので、ドラムのサイズをどんどん小さくして行こうか。するとまあ、二つの有機分子の間でプロトンがやり取りされる「トントン音」を聞き取れるのか?ということになる。あるいはブラウン運動ということになるだろうか。測定すると、確かに不連続な現象が確認できるわけなのだけれども、それは量子測定というものの宿命なのではないか?この辺り、スッキリと説明したものにはまだ遭遇していないのである。
3 月 3 日、大学生の頃は、数学の大学入試問題「くらい」は楽々と解ける、そんな感覚であった。大学の数学で解析学やら関数論やら代数の入り口も学んだので、出題者の気分というか、問題の元ネタさえ見破れたら紙を使うまでもなく、頭の中で解答が構築できると考えていた。実際にそういう場合もあるにはある。最近ではどうか?というと、明らかに、もう無理。入試問題のように、限られた時間中ずーっと頭をフルに使うというのは、若いからできる芸当であって、もうエネルギーの尽きかけた今では不可能なことなのだ。近隣の大学はどんな入試問題を?いや近隣でなくてもいい、神戸大学の数学の問題もまた、毎年のように味わい深いのである、じっくり解くならば。その楽しさを、当の受験者は感じるヒマもないことだろうけれども。
3 月 2 日、大学はもう春休みだ。高校も、3年生は卒業したようなもので、もう学校に通うまでもない日々なのだろうか。国立大学勤めの身で、あまりよく知らないのだけれども、結構な数の大学生が「推薦」で既に進学を決めているらしい。私立大学で、それぞれの定員のうちの結構な割合を、推薦入試に割り当てているようだ。大昔だと、推薦での入学というのは非常に珍しいものであったから、ちょっと不思議な感覚だ。国公立大学でも、定員のわずかな割合を推薦入試に振り分けているのだそうで、既に「春から神戸大学」というハッシュタグが幾つものツイートに貼り付いている。例年と同じように、新年度の予定やら、いろいろな手続きのことが心配なようだ。いや、そんなのはどうにかなるから、春はあちこち出歩いて楽しまないと。
3 月 1 日、雨の1日となった。ちょっとホッとする、花粉が飛ばないからだ。明日以降、雨上がりで急に飛び出すのかもしれない。花粉症と、流行病が似ているとか似ていないとか、真な話も聞く。これは偶然に似たのではないという、そんな話も時折耳にする。花粉のように、それに反応すれば困るようなものに病原体が似せて来るという、そういう自然淘汰を経たウィルスなどの進化の結果、似たように炎症を起こすようになったのだと。なかなか説得力のある論理なのだけれども、専門家はこれをどうやって立証するのだろうか?という不思議さもある。短い時間スケールで、追えるように、検証実験できる生態系を選ばなければならないからだ。生理学って奥の深いものだなーと思う、それは先々の人類に任せよう。人類が生き延びるならば。... 滅んだらカラスが知的生命体として進化した世の中になるのかもしれない。
1 月と 2 月の1行日記