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2 月28日、文章は何度も読んでみて、いちばん読み易い所に落ち着くよう、表現を工夫する必要がある。特に、短時間しか目に触れないようなものの場合、見た目の印象がとても大切だ。道路の表示や看板は、ちゃんと文言を選んで注意深く掲げられている。何かの説明文も、似たようなものだろうかと思う。電気製品のマニュアルは、おおよその物品で、実際に使う様子を想定してユーザーにわかり易く表現されている。メカに強い?人にとっては、ちょっと苦手な書かれ方かもしれない、そんな冗長なことをせずに、製品の諸元を箇条書きにするだけで良いと。そういうわけで、解説書が2冊に分かれていることもある。さて、共通テストの問題を見ると、色々と議論があるのだけれども、文章は読み込んであるという印象だ。それでも、新傾向のおかげ(!)で、とても読みにくい設問もある。この辺りは、大学入試では永遠のテーマだろう。

2 月27日、疫病騒ぎの最初の年は、何とかなるかと積み立てを崩したり赤字を積み増したりして休業、あるいは人を減らして開店休業という感じであっただろうか、2年目の昨年はもう少し現実的な対応がなされて来て、今年に入ってからの自粛モードの下ではもう「赤字の営業はしない」という経済的には至極当たり前のことに社会の理解も追随して来たように見える。さてこの間に無い袖を振ってしまっているので、個人にも社会にも国家にも世界にも戦時下の経済のような状況が生じつつある。巨大な赤字を抱えていると、誰しも思うのである、インフレ来い来いと。あるいは、無いものは何処かから調達しようという、そんな気運となるのかもしれない。世の中が不安定化している昨今と、経済を切り離しては議論できないはずなのだけれども、とういうわけか誰も語らない。

2 月26日、木曜日にあちこち出歩いて、いや道中は走って移動した。今朝は何だか、右足に疲労感があって、筋肉痛。翌々日に影響するようになったか。お遍路さんの言い伝え?では、こういう問題は歩いて治せということになっているらしい。実際、じーっとしていても固まるばかりなので、ゴソゴソと買い物したり部屋の掃除をしたり。いや、ひとつ書類を仕上げなければならない。よし、と気力を使って書類に立ち向かうと ... 今度は眠気が襲って来た。これが、若さの欠如というものだ。昔だったらここで馬力を入れて ... など思うのは良くない、自分を含めて誰にも無理は勧められないものだ、正直にしばらく居眠りすると、あら不思議、体が軽い。さて夜遊びに出かけるか?!

2 月25日、前期試験の朝となった。去年は自粛モードで鳴りを潜めていた様々な業者が、朝の駅に立って激励&宣伝活動を行っている。昨日の下見から二日連続で営業されている方々も。下宿はさっさと決めて、という方々も多いようだ。倍率が3倍程度であれば、ある程度まで合格が読めていたら、先に気に入った場所を確保しておくのも良いものだろう。今は敷金も礼金もないような、あっても少額の時代だ。それに比べると、ええ、「同業者」ながら、私立大学の入学金はどうなっているんだ?という気もするのである。まあ、入学辞退が珍しい国公立大学から見た視点であって、社会でどう考えられているかは、正直なところよくわからない。

2 月24日、音楽は、それが流れている時のものであり、それを思い浮かべている時のものでもあり、それを共有している人々の間に存在するものだ。目には見えない心というものが、音によって引き出されるという、不思議な力も持っている。音楽を楽しむ人もいれば、音楽を生業として提供する人もいる。音楽というお祭りは、たぶん毎日のものであって、かつ特別な日のためのものである。生まれた日に音楽があり、世を去る日にも音楽がある。神の息にも例えられるオルガンの音は、時に冬の北風のように響き渡る。コンサートホールのドアが開いた時、会場に差し込む夕日のように、暖かい音色も思い出される。力強くペダルを踏んで、今は天空の階段を登っているのだろうか、いやきっと道草しているに違いない。

2 月23日、宇宙線というと、遠くのよく分からない宇宙の最果てから、小さな粒が光の速さで飛んで来る、そんなイメージを持つものだろうか。大気の上層が素粒子検出器になっていて、そこで原子核に?当たると、二次的にミューオンを生成する。我々が地上で目にするのは、主にそちらの方だ。けっこうな段階を踏んだ量子力学的な重ね合わせ状態の中から、最終的に手元の検出器に引っかかった終状態だけが、我々の知る所となる。これは量子力学的な測定のプロセスそのものであって、検出した結果として、宇宙のどちらからどんなエネルギーの粒子が飛んで来たかを、ある程度推定できることになる。測定の前から、一本の筋を描いて飛んでいたと考えるのは、どうなのかなーと思ったりもする。

2 月22日、三年生向けの研究室紹介を行った。一年生の時に、物理学概論「のような」講義を行って以来の、ご対面となる。この学年は、少なくとも一年間は普通に大学に通っていたはずだし、クラブ活動も普通に経験した方が多い、あるいは皆無ではないだろう。その後、専門科目の教育は多くが遠隔となった。四年生は研究室での議論が中心となるから、まあ卒業までの一年間はもうしばらく、大学の雰囲気を味わえるのではないだろうか。現在の研究について話していて、ちょっと思った ... 思いを新たにしたのが、量子コンピューターの現世御利益のなさだ。シリコンの世界が莫大な利益を生んでいることを、ついつい横目に見てしまうわけである。ま、とがった研究とは、そういうものだろう。

2 月21日、楽器は何でも気が抜けないものだけれども、ギターは音を出すのも、伸ばすのも、切るのも意識しないといけなくて、一旦出てしまった音は後から強めようがないというオマケまで付いている。それはピアノでも同じではないか?といえば、まあそれはそうなんだけれども、左右の手それぞれの共同作業で1音が成立するという難儀さがあるのだ。少しでも気を抜くと、左手では音がビビったり消えたり隣の弦に触れたり音程が狂ったり、右手では音の強さが適当ではない、濁った音、揃わない音質、リズムの狂い、そしてどちらかの手で消音しないと音は伸びたままだ。何度弾いても満足ということはあり得なくて、意識して練習して、少しでも理想へと近づけて行くばかりだ。

2 月20日、オリンピックの効果絶大、全国各地のスケートリンクは大賑わいの日曜日となったことだろう。子供たちの「スケート滑る」という意欲に、スケートリンクへやって来た保護者もたくさん居たはずだ。確率的には、けっこう事故の起きやすい状況であったことは想像に難くない。リンクに響き渡る「どこーん」という音がしたら、誰かが転倒している。頭を直接打っていたら、救急車の出番かもしれない。さて今日の自分は、エッジを深める基礎練習 ... とバックで荷重をどんどんかけて行くと、エッジが引っかかった後に抜けて「ドコーン」と後ろ向きに転倒。肘・腰・背中で受け身を取っていたので何事もなかったけれども、リンクで馴染みの皆さんの目が笑っていた。スケートは楽しいなー。

2 月19日、今日と明日の昼間は、研究室のネットワークが日中は停止する。基幹スイッチが収められている場所が、建物の電気設備の改修で停電するからだ。ネットワークなき場所は昔の海辺のようなもので、のんびりと時間が流れる。17時になると工事作業が終わって、ネットワークが開通するのだそうな。この辺りは、軍事技術でもあった TCP/IP のしぶとい回復能力の見せ所だろう。さて、雨の土曜日に何をしに大学までやって来たのかというと、ええと、紙と鉛筆があればできることに集中しようという、そんな心持ちで進められる仕事にあたるのが目的だ。あれ、鉛筆が見当たらない ...

2 月18日、相変わらずジタバタと iMac の不調と格闘する。その過程で気づいたことが: 今の MacOS は、それぞれのアプリケーションが結構絡んでいるということ。どこにでも Siri の提案が顔を出すし、自国が出るとカレンダー、ちょっとしたことでもクラウドとの通信が発生して、etc. どこかで詰むと、そこで処理が止まる。古くから知られたデッドロック状態に陥ると、強制的に kill するしかない。というわけで、日頃から使っている他のマシンでも、これらの連絡を切るように設定し直してみた。さてさて、本丸の iMac の方はというと、T2 チップのリセットには電源を抜いてしばらく放置せよとある。うーん、機種事に対応が異なるものだ。さて効果は → 効果絶大であった ... かのように見えたけれども、結局は元に戻ってしまった。何らかの積分効果らしい。

2 月17日、Mac のトラブルを色々と追跡していて、T2 チップというものに到達した。何やら、よくわからないというか、その動作について簡単に理解できる文章に到達し辛い存在だ。どうも、このチップのファームウェアに関するトラブルが色々と起きていたらしい。SMCリセット、と呼ばれるおまじないで、症状がなくなったという報告もある。システムの根幹に関わる部分のファームウェアは、更新に失敗すれば直ちにマシンがお蔵入りとなる。まあそれでも良いんだけれど ... というほど、結構色々と問題が生じているから、そろそろエイヤッとリセットしてみようか?という気もしている。でも、その前に、お蔵入りしては困る仕事を仕上げよう。

2 月16日、雪が舞う1日となった。雪は舞っているだけれども、何となく寒さを感じない。陽が暖かいからだろうか、地面も何となく熱を持っていて、下草がもう伸び始めて ... いやいや、だいぶん茂っている。それどころか、近づけば近づくほど花盛りの様相を見て取れる。木々では、モクレンなのだろうか、芽が膨らみ始めたものもある。新芽は鳥の好物らしくて、よく野鳥がつついている。山に餌が満ちるまで、もう少しの辛抱なのだろう。まだ昆虫はあまり見かけない。あの、緑色のカメムシ以外は。知らない間にもう冬が終わっているのだなぁ、という感覚、ちょっと寂しい気もする。

2 月15日、OS を update したらプリントできなくなった。色々、しばらく格闘して、ようやく「プリンター用のドライバー」ではなくて、「一般的な PostScript プリンタードライバー」をシステム側から選ぶと、普通にプリントできることが判明した。不毛な時間なのだけれども、こういう格闘も久しぶりである。Unix をインストールする時のジタバタに比べれば、どうという事はないのである。思い返してみると、この手のトラブルに耐えるというのもまた若さのエネルギーそのものではないかと、そんな風にも感じる。段々と、メーカー任せに慣れてしまっていたのだ。ドライバーを I/O のレベルで触れる人なんて、世の中に一握りしか居ないもんなー。昔とった杵柄で、声をかけるとワラワラと湧いて出て来るかもしれないけれども。

2 月14日、修士論文や博士の学位論文をどのように審査するか?というのは、これと言った決まりがあるわけではなくて、大学や研究科・専攻それぞれの裁量に任されている。もう少し正確に言うと、審査できるだけの準備ができている組織が大学院として認定されているわけだ。同じ分野、例えば物理分野に沢山の研究室がある大きな大学の場合、論文発表それぞれに審査員を何人か割り当てて、その人々に向けて実質的な審査を済ませた後で、一般向けの時間の短い講演を行うのが普通だろうか。規模の小さい大学の場合、全教員が審査に参加するスタイルも可能である。どれくらいからが大きな大学なのか?という明確な境界があるわけではない。教育的効果も含めて、適正あるいは効率的な、審査のあり方は常々検討を続けて行くべきものなのだろう。

2 月13日、春の雨の日となった。神戸大学には南向きの斜面が多くて、誰かが植えたのだろうか、もうスイセンが葉を伸ばしている。イノシシは急斜面が割と苦手らしくて、こういう斜面にはあまり出没しない。(そういう訳で夏になるとユリの花が咲くのも急斜面だ。)スイセンは球根に十分な栄養を蓄えているので、春先に必要なものは水だ。雪国では雪解けの水が、こういう球根植物を育てるらしい。南国?の兵庫あたりでは、南岸低気圧が持ち込む雨から始まって菜種梅雨に至る雨水がこの役割を果たす。さて早春には花粉という厄介なものがウヨウヨし始めるものだけれども、雨の日はその災難から逃れることができるので、春の雨は私にとっても大歓迎だ。しばらく晴れなくてもいいよ、と、言いたくなる。

2 月12日、ポートアイランドは神戸のオアシス?とでも言えるのだろうか、海にまで山が迫る神戸にはないノンビリとした、あるいは広々とした雰囲気がある。北半分は西側が大学などが集まる文京の場、中央が住宅、東側がコンテナを積み出す港となっている。南半分はまだ空き地が多いのだけれども、医療都市の中核となろうとしているらしい。大型計算機を設置してある理化学研究所もそこに位置している。この様子を一望に眺めるには、ポートライナーで島を一周するのが手っ取り早い。ポートピア博覧会の名残も色々と見て回ることが可能だ。島の要は何と言ってもポートピアホテル、あの船のような優美な曲線の建物は、すっかり神戸の風景の一部となっている。そんな光景を眺めつつ、海辺の我が家へ。

2 月11日、ちょうど今の時期のことだった、大学3年生だった頃に、4年生の卒業指導をS先生の所でと、同級生何人かで研究室に押しかけたのであった。S先生は、退官が間近であることから卒業指導はできないとのことで、押しかけ談判の目的は達成されなかったのだけれども、ついでに色々と聞けてタメになった。曰く「柳の下のドジョウを狙いなさい」と。大きい獲物は居ないのだけれども、小さいのが残っていると。駆け出しの研究はそういうものだから、まず獲物を採ることに慣れて、その後で何でも好きなものを自由に研究しなさいと、助言してくれた。その言葉を、ふと思い出すのは、教員として働いていて、同じような気持ちになることも多いからだろうか。学生には大きな獲物に立ち向かって欲しいし、無謀な挑戦で倒れて欲しくはない。そのバランスを個々に見極めるのが理想的であり、また見極められるものでもない。理想は高く、現実は現実。それで良いのだ、きっと。

2 月10日、研究発表はなかなか難しいものだと思う。何が一番難しいかというと、研究の背景と意図の説明だ。そこを理解してもらえないと、何も理解してもらえないのと、ほぼ同等の発表となってしまう。とは言っても、駆け出しの頃は背景もよくわからないし、研究の意図もつかみづらいものだ。そういう中で、あれこれと情報を集約した上で、一本筋の通った発表を組み立てるわけだ。経験も大切なのだけれども、経験を積めば何とかなるのか?というと、そうでもない。例えば研究会に呼ばれたのだけれども、どうも新しいネタで面白いものがないなーという場合もある。こういう状況に陥ると、やっぱり苦労する。日々、新しいものを探し歩くことが苦しまないコツなのかもしれない。

2 月 9 日、大阪大学には、通称「阪大坂」と呼ばれる坂道がある。昔は結構な坂道だと思っていたけれども、神戸大学で過ごす内に普通の道くらいの感覚になってしまった。さて、坂道があるということは山か丘であるということで、大阪大学の豊中キャンパスは確かに「待兼山」の上に建っている。いや、豊中キャンパスが待兼山であると言っても過言ではない。大学に通っていた頃は、山の頂上付近に目立たない古墳があって、訪れることもできた。今は整地されて、駐車場の片隅に痕跡が残るばかりだ。待兼山から出てきたワニの化石、これまた昔は箱に詰められていて他のガラクタ?と一緒に部屋に並べられていたけれども、今は立派に組み上げられたレプリカを近くの博物館で鑑賞できる。阪大坂下の飲食店は、もうだいぶん代替わりしてしまったなー。この2年間、石橋近辺の学生街?は、どういう風情だったのだろうか、また訪れて確かめてみよう。

2 月 8 日、フィボナッチ格子というものがある。平面上や球上で、点を「なるべく等間隔で」打つ方法の一つとして、よく知られている。この性質により、生物によく現れる格子構造で、特に花の中にある「小さな花」の並びがそうなっている。花びらの数がフィボナッチ数であることが多い事実も有名だ。また、球状のドーム構造の建物で、骨組みを接続する接点がフィボナッチ格子となっていることもある。もっとも、このように組み立てるには部材の形を一本ずつ異なるものにする必要があるので、結構めんどうである。さて物理の世界では ... 球殻をよく扱う。これを離散的なモデルとして取り扱うには?ということを考えると、やっぱりフィボナッチ格子へと辿りつくのである。というわけで、フィボナッチという名称が夢に出てきてしまった。朝起きたら、それしか覚えていなくて、何を考えていたんだろう?と不思議に思うばかりであった。

2 月 7 日、電車に乗って都会を走る、そんな時にビルをよく眺める。昔々のビルは、なかなか面白い構造をしている。変電設備やポンプ場の古い建屋では、壁構造の真四角な建物をよく見かける。ついでに、官公庁向けの意匠が入っている。見積り通りの発注で、ボチボチ稼げましたというオマケの感じだろうか。ラーメン構造の建物では、古くは柱の中央に壁が接続されていて、部屋の中にも建物の外側にも柱が出ていた。パッと見の構造がわかり易い。見かけが大切な場合、柱を内側に隠してしまうか、意図的に出して、時には随分と外側まで張り出して配置してあって、眺めるのが楽しい。建築も流行り廃りがあって、最近ではコストと居住性のバランスを取って少し柱を外に出す、そんな新築をよく見かける。鉄骨造りは軽い感じで、見ていてあまり面白くない。

2 月 6 日、氷は大きなエントロピーを持っている。これは、水素の配向の自由度が「凍りつかない」からである。じゃあ、そのまま冷やして行ったら?絶対0度までそのまま、ということは理論的に考えて(量子揺らぎが卓越するような事でもなければ)あり得ないように思う。実際には 72 K 付近で、強誘電性の氷 XI という相へと転移するらしい。この結果が得られたのが 1972 年で、実験では転移が速やかに起きるよう、不純物が加えられた水が使われている。純水で実験すると、じわじわと相転移の気配から感じられるものの、緩和時間が長過ぎるらしいのだ。(←但し天文学的には充分に短い時間らしい。)こんな知識を仕入れつつ、氷の相図を見ると、キロバール (←古い単位) 辺りで融点が少し下がる領域がある。それが、ツルッと滑るスケートの秘密とも言われるし、もっと冷たくても結晶面がズレて滑るという説もある。氷は身近な存在だけに、いろいろと議論があるものだ。

2 月 5 日、スケートの初心者は、まずエッジを立てなさいと指導される。スケート靴を初めて履いたら、ゴムの上で立って歩けるか?が最初に確認すべきことだ。ハイヒールとか厚底靴に慣れている方は楽々とクリアできる。男性には難関かも知れない。次はというと、ハの字をひっくり返した形に足を開いて、片足ずつ交互にまっすぐ進みなさい、と指導される。こうして、氷に乗って滑ることができたら、段々と指導内容も変わって来る。競技者として入門すると、エッジは倒しなさいと言われるのだ。また、力学的には同じことなのだけれども、真っ直ぐではなくて、常に円弧を描いて滑りなさいと指導される。それならば、最初からエッジを倒して円弧を描きなさいと指導を進めては?という事になるのだろうけれども、その一直線コースは天才を除いて上手く行かない。

2 月 4 日、卒業論文や修士論文などの発表は、研究会や学会発表とはちょっと趣が異なる所がある。研究発表であるという点はまあ、その基本は同じなのだけれども、必ずしも専門分野の人々を前にするとは限らないのが難儀な所だ。従って、多くの学生にとって、その難儀なものから取り組むことになる。また、聴衆にとっては、色々な分野の話を、懐石料理のように次から次へと「食わされる」状態となるから、休み時間を終えての冒頭の発表でもない限り、聴いていて「お腹いっぱい」になってしまう。まあ、お腹いっぱいになるのは学会でも同じことか。こういう状況の中で大切なことは、示すことがハッキリしていて、話の筋が明確であることだ。発表ではあるけれども、同時に聴衆との対話でもある。これこそが「対話的で深い学び」であり、どこかの入試問題のように、問題文中に会話があれば対話的であるというのは、全くの冗談である。あ、話の筋が蛇足へと逸れた ...

2 月 3 日、一昨年に、大学院生と4年生に解析を始めてもらった、格子上のスピン模型についての論文が出版された。まあ、こんな模型もありかと思いつつ、いくつかの候補の中から適当に計算してもらったら、思いがけなく良い性質を示してくれたので、けっこうビックリした記憶がある。ほとんど何も経験のない中で、新しいテーマに取り組んで結果を出した学生さん達の粘り強さは、偉いとしか表現のしようがない。ちょっと解説すると、系に何か摂動を加えた時に、その摂動が状態に全く影響を与えないことが良くあって、そのパターンの一つとして知られている SSD という形のものを一般化できないだろうか?という問いかけに対する、回答の一つを得たということだ。何のことかサッパリわからん?そりゃそうか。arXiv:2109.10565

2 月 2 日、それは昔々の東北大学に勤務していた頃のこと。大学院生の修士論文と発表がとても良く出来ていて、そのまま博士論文として提出もできる程度のクォリティーであった事があった。その出来栄えは、書いた本人の才能による所が大きいのだけれども、今となっては「もう一つのファクター」があったかなーとも思う。最後の半年間、私が神戸に転任となって離れていたのだ。近くに居て、チマチマとケチをつけてダメ出しする、そういう要素が少ないに越したことはないと、私が気づき始めたのはようやく昨年くらいからだ。そういえば東北大学のとある先生が、語っていたことがあった。卒業する時に、学業としても伸びている最中でなければならないと。卒業が頂点となるのでは教育効果とは言えない、その言葉がいま「は」よくわかる。

2 月 1 日、2月となって、就職関係のセミナーなどが学内で次々と行われている。この前、大阪大学へ出向いた時にも食堂横にデッカイ看板が立っていて、企業説明会の予定が細かく書き込んであった。それでも、2年前、いや3年前に比べると、OB・OGの訪問などが数としては少なくなっただろうか。求人や就職実績を眺めると、国公立大学は人材を社会へと輩出する役割を持っているのだと実感する。企業に限らず、研究者、教員、公務員、そしてアーティストなど、消費物・構造物の生産以外の仕事も、多くの卒業生が担って来た。こうした流れに無関係に、何もしないでブラブラと過ごす人材もまた貴重であるということは、誰かが言っておかなければならない。

1 月31日、仕事の記録をつけておく、という作業がある。大昔とは違って、教員もまた「この一年でこれだけ何をやりました」という報告書をまとめる時代となって久しい。この作業をいきなり始めると大変なことになるから、ときどき予備的に記録を残しておく。最近は research map という、まあまあ便利な道具もあって、昔よりはデータベースの作成も簡単になった。(昔は ... という不毛なことは書かないでおこう。)学会は、遠隔だったので何と記録したら良いのだろうか、やっぱり開催大学の名前を入れておくしかないのだろうな〜、こういう作業をしていて感じるのは、ネットワーク活用が一気に進んだということ。何事にも悪い面もあれば良い面もあるものだと思う。

1 月30日、昆布締めにした鯛を、まず身の薄い尾の方からいただく。その辺りは、薄切りにしたまま食べても、スモークサーモンのように美味しい。その名の通り身が締まっているので、生魚よりも切り分けにくい。切れ味よく、刃渡りの長い包丁の出番だ。こういう用途にしか使わない包丁は、まな板に強く押し付けない限り、刃があまり減らないので、出番に登場して、一瞬だけ活躍すると、また元の保管場所へ。板包丁というのは、何度も何度も使う厨房やカウンターで使うものなのだなーと実感する。ふと水場を見渡すと、昨日からずっと塩抜きしている、生わかめの茎が目に入る。こちらは下茹でして、細かく切って洗って、軽い味の佃煮にする。あれだけ塩抜きしてあったのに、煮詰めるとやっぱり塩味がハッキリしている。海のものは海のものだ。

1 月29日、鯛の切り身を買って来る。刺身にもできる立派なものだけれど、夕食を組み立ててみればその中に入らない、というか、量が多すぎる。煮つけるのも良いけれども、ひと工夫できないだろうかと目に入ったのが昆布。そうだ、昆布締めにしよう。というわけで、酒で洗って軽く塩をかけ、昆布で挟む。ラップに二重に包んで、軽く押すものがないので輪ゴムをゆるくかける。そして冷蔵庫へ。大昔、冷蔵庫のない頃でも水分を切って魚を保存する、そういう知恵から出来上がった下処理の方法だろうか。江戸時代の寿司ネタでは醤油を合わせた調味液に漬けたり、巣で締めたりと、色々と手間ひまかけたとも聞く。余談ながら、昔の握り寿司はおにぎり1個分くらいの分量がある。もちろん現在でも、さばいた魚がそのまま刺身や寿司ネタに使えるか?というと、少しは時間を置いて表面を拭き取るなど、手間をかけた方が美味しい。

1 月28日、大阪大学へ行く。学問のお仕事で訪れたのだけれども、神戸大学では生協の理事も担当しているので、当然ながら大阪大学の生協の様子も気になる。お昼ご飯のメニューはどれくらい揃えているだろうか、絞っているだろうか、夕食はどうだろうか、メニューの宣伝はどのように行なっているだろうか、そもそもどれくらい学生がキャンパスに居るのだろうか、など。残念ながら既に昼食を食べた後だったので、実際に利用して確かめることはできなかった。思い出すのは昔の大阪大学生協の夕食。学生だった頃は夕食が 300 円、400 円、450 円だっただろうか?一番安い夕食の最後の最後で、中身が突然変更となるのが面白いのであった。

1 月27日、M1チップの入った iMac を仕入れて、そこへ移行アシスタントでアカウントを移そうとして、ワナにハマってしまった。箱から出したばかりの iMac は、ひとつ前のバージョンの OS であったのだ。当然ながら、うまく行かないので、移行のやり直し。最近、メールやパスワードの移行があまり上手く行かないことが多い。何だか、MacOS も複雑になったものだなーと思う。ターミナルから手動で色々とファイルを移して、普通の unix のようにアクセス権を設定すると迷いないのだけれども、段々と色々なものが絡んで来ていて、強引に動かすと副作用が出ることもある。Linux 好きな人々は、これくらいのことを難儀と言っていれば笑うだろうけれども。

1 月26日、3月の学会の予定を立てようとは思うものの、その時点でどういう状況なのかは見通せないものがある。4月頃にはもう完全に治まっている、あるいは誰も気にしなくなるであろう、とある社会現象?は誠に読みづらいものだ。そうこうしている内に黒海がキナ臭くなって来た。不測の事態に国際的な金融がどっち向きに振れるか、それもまた難儀なことだ。3月のことは3月に考えることにして、舶来の製品などは今のうちに購入しておこうかとも思う。直近の2月はもともと短い上に予定が立て込んでいる。何も考えずに自転車操業するのが、気楽でいいだろうか。というわけで、今日は少し長めに散歩してから仕事を始めることにしよう。

1 月25日、球の上で、なるべく均等に点を打つにはどうすればよいか?という問題がある。ランダムに打てば良いではないか、と、思いつくかもしれないのだけれども、ランダムに打つと近寄った点が生じ易くて、マズいのである。これは、稀な現象が続けて起こり易い?(←言葉遣いが難しい)という事実にも関連している。こういう問題はどこで出会うかというと、例えば半球状のドーム屋根を作る時に、どのように骨組みを作るかとか、トンボの目はどう並んでいるとか、てんとう虫の点々はとか、そんな日常的な場面でよく遭遇するものだ。さて検索してみると、フィボナッチ数列がヒットした。なるほど、あの数列にはこういう使い方もあったのか、と納得できてラッキーな火曜日となった。

1 月24日、サボテンの中には低温に弱いものがある。原生地にもよりけり、ということなのかもしれない。砂漠は、とても寒くなることもあるのだけれども、砂漠は砂漠なので乾燥している。柱サボテンの栽培品種にとっては、日本のように、wet な冬はアウトらしくて、凍らなくても根腐れして枯れてしまうものもある。原生地では植え替えなどしなくても生育するけれども、鉢植えで栽培となると、定期的な植え替えが大切だ。有機分や塩分・石灰分などが流れて行かないからだろうか。もちろん、ちゃんとサボテン園芸を勉強して実践すれば、枯らす事なく常に青々とした状態を保つことができるとは思うのだけれども、そこまでの体力も気力もない。温室を作って、サボテンだらけにしているお屋敷など見るに、趣味にはどこまでも入り込めるものなのだなーとも感じる。

1 月23日、神戸港のシンボル、ポートタワーは補修に入って、今は円筒形の足場に囲まれている。タワーが見えなくなって寂しいかというと、いやいや、あの足場はとても綺麗な構造物で、とても楽しい。「空中」を作業員が歩いているアクティブさも、普段にはないもので、芸術的でもある。また、一番上にはクレーンが設置してあって、全体としては以前よりも存在感が増している。円筒形の建物・構造物は珍しいものだ。ポートタワーがあそこにあるからこそ、神戸港は神戸港のままであり続けられる、そんな気もする。あそこが恒久的な?陸と海の境界なのである。日本は浮いたり沈んだりしてるから地質学的には恒久はないとしても。

1 月22日、スペアリブを買って来て、火が通ったところで骨と肉に分けていると、軟骨かなーと思う部分があって、とりあえず骨に分けておいた。さて、骨からスープを取ろうと、ゆっくり骨だけ加熱し続けると、その半分柔らかい部分がゼリーのようになって、骨ではなくて腱だったことがわかった。煮込んだ骨は軽くなっていて、何らかの成分が溶け出したようだ。細いあばら骨には骨髄がほとんどないので、豚骨のようなスープにはならない。そういえばイタリア料理で、豚の太い骨の骨髄を食べる皿があって、美味しかったことを思い出す。そのイタリアンレストランは、疫病騒動で閉店してしまった。

1 月21日、雪が舞う一日。めちゃくちゃ寒い、というパターンではなくて、ずーっとそこそこ寒い。標高?の高い??とある大学のとあるキャンパスでは、降った雪が溶けずに吹き溜まっているらしい ... そういう写真が twitter から回って来た。いずれにしても六甲山越えの気流による雪なので、そんなにドカドカと降り積もるわけではなくて、うっすらと地面を覆う程度だ。少しくらい雪が舞っていても、鳥は飛んでいる。あの雪の粒々が見えているのか、それとも当たっても気にならないのか、さてどうなのだろうか。雪国でドカッと雪が降り積もる場所でどうなのか、機会があったら見てみたいものだ。

1 月20日、今日はサイエンス社から月刊誌の「数理科学」が発売される日だ。今月号はテンソルネットワークを題材に取った特集号だ。サイエンスのあらゆる分野へとテンソルを使った計算のネットワークが広がりつつある現状は、とてもこの一冊には納まり切らないものなので、それぞれの記事から興味の赴くままにテンソルネットワークの世界を垣間見ていただければと思う。さて、ふと思い出すのが、ひと昔前の「某提案事項」の却下。ちょうど、テンソルネットワーク業界で新しい技法が次々と生み出されている割には注目度の低い時期であった。その時点で、何人かの著者とともに形ある文献集ができればと考えたままの「某提案事項」であったが、今から振り返ればプレゼンに費やす準備が不足していて、敢えなく却下となった次第だ。さて今ならどうか?現在もまた、情報工学分野へとテンソルネットワークが浸透しつつある好機である。プレゼンに費やす労力は ... そういうのが好きな人に任せたい。

1 月19日、菜の花がスーパーに並ぶ季節となった。どこで栽培しているのだろうか?と思いきや、産地を見れば南向き斜面であった。山間いは案外、風も無くて日中の気温が高いのかもしれない。菜の花にもバリエーションがあるらしくて、主に花を食べる品種もあれば、葉を食べる品種もある。どれも、菜の花には違いないので、混ぜて育てると種は「雑種」になってしまう。どちらも、少しだけ苦味があって、春の食べ物だなーという雰囲気に満ちている。最も大きな菜花の仲間はキャベツだろうか、春になって種取りのキャベツ畑へとわけ入ると、モンシロチョウの大群とご対面となる。収穫の終わったブロッコリー畑もまた同様。どれも花がつけば、ああ、同じ仲間なのだなーとわかる。春はもうすぐそこだ。

1 月18日、国際会議 TNSAA の二日目。今朝の座長となる。座長という言葉は日本独特なのだろうか、chair というか、単に整理役なのであるけれども、誰かがその役目を果たす慣習になっている。どんな仕事をするかは講演のタイプによりけりで、大ホールに一般の参加者を集めて行うような場合には、ともかく目立ちたいだけというか、自説を延々と述べるような質問者を刺激しないようにさばかないといけないし、数人に対して行う小さなセミナーでは、座長自らが講演者とやり取りして、質問などしなければならない、というか、自然とそうなる。今日は専門家向けのワークショップなので、どちらかというと気楽に思っていたのだけれども、結構難しい中身で集中力が必要であった。

1 月17日、国際会議 TNSAA が今日から始まる。テンソルネットワークに関するワークショップで、アジアの時間帯のどこかで開催するということになっている、今のところは。科学という学問の中心は歴史的な経緯もあり欧米にあり、アジアは東の端なのである。ずーっとそのようであったか?というと、いやいや、アラブ諸国がリードしていた時期もあるし、古くは中国に学問の最先端があった。きっと、ちょっとした積み重ねが集約されて行き、大きな流れとなるのであろう。科学の種をまく機会があれば、どんどん活用して世に広めて行くことも、これまた大切な営みである。なんて言い始めると、もう老人の世迷いごとなのだろうか?

1 月16日、今日のキーワードは噴火と津波。大気の振動で海面の波が誘起されるのか?と、ふと不思議に思うこともあるのだけれども、大気は一様な空気ではなくて、上方に向かって圧力が指数的に小さくなる、そんな連続体だから、一様媒体で説明できる波に加えて、垂直方向、つまり高さが変わる方向への波など、さまざまな振動のモードが存在する。そのどれかが、海面を進む波の速度と一致すれば、エネルギー伝達が行われて波の振幅が大きくなって行く。プラズマの中に電磁波を入れて加熱するような時にも、似たような仕組みを使うことがある。今回は噴火だったけれども、隕石が落ちて来ても、同じような効果が現れるのだろう、きっと。

1 月15日、午後に「紙芝居」の公演?上演?を見た。紙が乱れ飛ぶ、紙芝居というよりもコンテをそのまま映画にしたかのような舞台演芸で、時を忘れて見入ってしまった。バックミュージックはギター、最初の演目ではエレキでおどろおどろしい雰囲気を、2番目と3番目ではアコースティックで劇的に。その日、その時だけの即興の演奏もあったそうで、貴重なものを耳にしたことになる。後から聞くに、お芝居の方も同じように、その瞬間にしか体験できないものがあるのだそうな。演劇をよく見に行く知り合いも確か、そんなこと常に口にしていたっけ。準備した中にも、色々なハプニングはあるとか。そこは講義にもよく似ているかも。

1 月14日、今日はプレプリントサーバーに上がる論文の数が随分と少なくない。いよいよ中華圏が正月休みに入った、という実感がある。しばらくの間は、プレプリントの検索が楽になるという希望的観測がある。こういう時に論文を arXiv に上げると目立つので、皆さん頑張りましょう .... いや、中身で勝負すればいつでも目立つべきものは目立つので、些細なことは気にしないのが良いのかもしれない。時々、目立つだけが目標なのではないか?という表題やら中身の論文に出くわすけれども、大抵は埋もれてしまう。サイエンスの世界で名前を残す、ということに拘るのも何だろうか、どのみち、ほとんどの名前は失われてしまうのだ。ただサイエンスの真実のみが残る、美しいではないか。

1 月13日、インフルエンザが今年もやって来なかった。2年続けて来ないとなると、次に来る時はどうなるんだ?という気もする。あれは年齢を問わずに重い症状が「出ることもある」感染症なので、統計的には重篤なケースも多く見られるものだ。新型でなくて、旧型?在来型?のインフルエンザでも、ちゃんと症例を記録して、あるいは感染について地道に追跡して行くと、実はいま話題のウィルスと比べても、インフルエンザが怖いよーということになるのかもしれない。そのように判明したら、世の中どういう方向へと向かって行くのだろうか?インフルエンザワクチンも毎年、打ちましょう、そうなるのかなー。なんか、少し違うような気もする。

1 月12日、いつまで経っても鍵盤楽器初心者の私、練習もサボって何年目になるんだろうか、いい演奏がたくさん転がっていていつでも聴けるので、もっぱら視聴するばかりとなっている。さて、大昔に習った鍵盤楽器の師匠曰く「セキトオ・シゲオのメソッドがいいです」とのこと。メソッドの「ソ」の字が「ト」と書いてあるそうで、メトッド、確かにそっちの方が発音として近い気もする。残念ながら、その冊子は目にしたことがないのだけれども、セキトオシゲオの演奏もアルバムとして残っているものは誰かが upload してくれている。いま聴くと新鮮、とても楽しい。電子楽器が音の多様性を獲得する方向へと進化した今、あのような「電子音」こそ、電子楽器に相応しいのではないかとも感じられる。演奏を残した当人は昨夏に他界されたそうだ。

1 月11日、久々の雨の日となった。かなりの雨量で、道端の草も普段より青々としている。そろそろスイセンの葉が伸び始めた。草を刈り払う場所に植えられたスイセンは、どんどん増殖して何年も花を楽しませてくれる。ユリの甘い根っこはイノシシに食べられてしまうけれども、スイセンはあまりお好みではないようだ。北国では、スイセンやチューリップは雪の下で寒さをしのいで、春になると豊富な雪解け水によって葉を伸ばし、初夏に花をつける。その後、ずーっと涼しい夏の間、太陽光を受けて球根を太らせる。酷暑の日本では梅雨の頃には葉が枯れてしまって、品種によっては球が全く太らない。その点、スイセンは偉いなーと、妙な感慨もある。

1 月10日、とても暖かい朝になった。これだけ暖かくなると、もう下草が動いて来る。日照が戻って来たので、風のない日には触ると暖かさを感じるまで地面が加熱されるのだ。花をつけているものもある。大きな草が生えて来る前に、さっさと種を残して、夏は地味に潜んでいる下草の戦略も、なかなか興味深い。ロゼッタを探すと、ここに、あそこにと結構な密度で見つかる。噂によると、そういう地面観察をしていると、トリュフの仲間もゴロゴロと見つかるらしい。落ち葉をひっくり返すと、緑色のカメムシが密に寄り合っていてびっくりすることもある。寒い時期に目立つカメムシも不思議な生態の昆虫だ。生物の世界は確実に春へと向かっている。

1 月 9 日、水菜を食べる。あれは菜の花やカブと同じ種類の植物だそうで、混ぜて畑に植えていたら互いに交雑して適当な種ができてしまうらしい。その水菜、じっくり煮込めば柔らかくなって普通のスープになるし、さっさと火を通せば顎を鍛えるシャキシャキの食べ物となる。中華鍋で一気に火を入れたり、油通しするのも悪くない。普通の家庭で油通しというのは、ちょっと難儀なところもあるので、まあ炒め物が無難だ。こういう菜っぱの料理では、ダシを少しだけ振りかけるのが簡単でおいしい。塩だけでも良いだろうか。水菜の根元には大きな塊があって、これまで捨てていたのだけれども、あれも食べられる部分だ、さてどう料理しようか。

1 月 8 日、氷に乗る。今年のスケート場は2部制になっていて、午前の部が終わったら時間をかけて製氷して、午後の部の開始となる。とても良い状態で氷が仕上がっているので、毎年このように2部制で運営してくれればと思う。午後から入るお客さんは充分に体力が残っているので、午後5時を回っても、結構な数の人々がリンクに残っていた。リンクによっては、この辺りの時間帯からクラブの人々の専門の時間とする所もある。それで経営が成り立つだけの競技者が居るということが条件となる。大都市圏だと、リンクが過密でなければ大丈夫。但し、昔ながらの広々とした空間では空調負担(電気代)が大き過ぎるので、最近できた新しいリンクはどこも冷凍庫のような狭い空間となっている。

1 月 7 日、お正月の今頃は、餅の賞味期限?との戦いとなる。冷暗所で放置しておけば良い、というのは昔の隙間だらけの住宅でのことであって、いまの暮らしの中でそんな事をすると、室内でカラカラに乾いてしまうか、あるいはカビてしまう。薄く切ってカラカラにしておいて、フライパンで揚げるという食べ方もあるにはあるけれども、大量に作り置きできるものでもない。どんどん焼いて、砂糖醤油を少しだけ付けて味わうのが良い。餅はこのように味付けして食べるけれども、ご飯に砂糖をかけたとか、砂糖醤油だという組み合わせは目にしない。甘いおにぎりは ... それはおはぎになるか。焼きおにぎりが、辛うじて少しだけ餅とオーバーラップしている。きりたんぽは、もう少し餅に近いか。

1 月 6 日、木の形、枝振りは、自重を支え、風に耐え、そして何より生存競争に勝つようになっている。ふと思うことがあって、自然界にあり得ないような揺らし方をしたら、実は簡単にバサバサと折れて枝葉が落ちて来るのではないだろうか。切り倒しても良い樹木があったら、実験してみたいものだ。色々な振動周期で強く揺さぶって、どこが共鳴するか、それとも Q 値が低くて全く共鳴しないのか、そんな興味がある。枯れ枝だけを選択的に取り除くことができれば、これは大変役に立つのである。大体、日々の樹木管理は、枝が詰まって枯れてしまったような部分を取り除くことばかりだから。揺さぶったら、意外なものがたくさん落ちて来るかもしれない。

1 月 5 日、工事は続く六甲台第2キャンパスの斜面、段々とコンクリートで押さえられた部分が広がって来た。コンクリートを打つ前の状態を見ると、樹木を切り払った斜面で、切り株などを残した上に杭を打ち込んで、その上から鉄筋を張り巡らせている。この状態で、力学的には安定しているのだろう。コンクリートは主に圧縮に耐える構造物なので、このような施工の場合には、鉄筋や金網を錆びさせないように守る働きの方が重要なのかもしれない。ふと気になるのが、押さえた下の有機物が分解されて容積が減った後のこと。そこは間隙となるような気もするし、間隙はすぐに埋まって行くような気もする。もちょっと気になるのが、あそこを「探検」する者も出てくるのではないか?ということ。まあ立ち入り禁止になるのだろう。

1 月 4 日、今日は火曜日なのだけれども、arXiv プレプリントサーバーに tensor netwrok 関連の論文が続々と登場している。普段は、公開論文数が特に多い火曜日の注目度の低さゆえに、ちょっと凝った論文は火曜日を避けて投稿されるのだけれども、年始ということで少し傾向が異なっているようだ。また、中華圏からの投稿が目立つ。これは単に、欧米がクリスマス休暇に入っていて、かつ中華圏では春節の方が本格的な休暇であるという事情によるものだろう。日本人が著者の論文は数少ないけれども、ぽちぽちと投稿されている。これぞ正月返上?いや、普段が忙し過ぎて、休暇になってようやく論文に手が入ると言った状況なのだろう。プレプリントサーバーから色々と感じる年明けの雰囲気も楽しい。

1 月 3 日、月曜日となり、arXiv プレプリントサーバーにアクセスする。ハンガリーの研究者が一気に3つも注目論文を投稿している。かのグループは、テンソルネットワーク業界でも特異なポジションをキープしていて、計算にも強いし、新しい原理を次々と導入しては、その有効性を確認している。リーダーの方は、いちど企業に就職して、また研究畑に戻って来たとかで、共同して研究を推進することにも長けているように映る。さてハンガリーのアルファベットには、アクセント記号がたくさん付いている。周囲がスラブ系の言葉に囲まれているから、その正書法の影響を受けているのかもしれない。ハンガリーは未踏の地だ、いつか行ってみたいものだなーとも思う。

1 月 2 日、高松に一瞬だけ戻り、同窓会に出席する。出席者を見渡すと、有意に理系に偏っている。自粛ムードに飽々としているのが理系の民ということになるのだろうか。そんなに出席者が多いわけではないのだけれども、広い会場が割り当てられていて、例の透明アクリルボードで仕切ってあった。宴もたけなわとなる頃に、どのような状況になっていたかは、ご想像にお任せしよう。皆さん、めちゃ飲みすることは流石にない年頃になったようにも思う、飲むよりも語る、食べるよりも語る。病気の話題が多くなって来たのは仕方ないことだろう。でも、まだまだ夢見ることは多くて、これから家族が増えるなんていう話も。もうはまだ、まだはもう。

1 月 1 日、お正月となりました。週末のお正月ということで、arXiv プレプリントサーバーはお休み。お雑煮は .... もう少し先に取っておこう。まずは冷蔵庫の中身を空にすることが先決だ。いつも、大晦日には、とても食べきれないほどの食材を買い込んでしまう。お正月にはデパートも営業しているから、そんなに何も昔のように買いだめしなくても良いはずなのに。ここは、まだ昭和に生まれた遺伝子?が生きているのだろうか、生活習慣はそんなに急に変わるものではない。沢山食べようという時に、雑煮は良くない。水気と炭水化物と塩分しかなくて、他の食材を消費しないのだ。サンドイッチから始めようか。

11月と12月の1行日記