← 3 月と 4 月の1行日記  

2 月28日、一気に暖かくなって、ついでに「緊急事態宣言」の解除とあって、人出が増えた。今までの1年を緊急事態と思うかどうかは、歴史的に検証されることだろう。大昔から疫病に対しては、常に「危ないバイアス」がかかるので、家に閉じ込めて火を放つとか石を投げるとか、まあ伝説が真実とは限らないにしろ過剰反応が起きるものだ。中世のペストは本当にヤバかったらしい。それに比べてコロナは ... 毎年のインフルエンザ流行を消し去るという功績があったにはあった。何年か続けてインフルエンザが流行しないと、実はその方がヤバいのではないか?という気がしなくもない。普通の(?)インフルエンザが、コロナ以上の脅威に化ける日が、やがて来るかもしれない。

2 月27日、天気が良い割には寒い1日で、花粉の飛散量は少なかったような気がする。ひな祭りが近いので、スーパーにはひなあられなど色々と売っている。甘くない甘酒などという不思議なものもある。白酒はなかなか目にしない、あれは本当にアルコールが入っていて完全なお酒だ。去年は、ひな祭りカマボコも並んでいたような気がする。お内裏様とお雛様、毎度のごとく、お内裏様 とは何だろうかと検索するようになってしまった、使わない記憶は定着しないものだ。いや、きっと、当時の政治のシステムを大枠で理解していないから、詰め込んで覚えようとしても定着しないのだろう。ここは腰を据えて取り組んでみようか?

2 月26日、Benasque から(?)オンライン開催されていた国際会議が終わった。前半は深夜の時間帯で、残念ながら朝早くの仕事が詰まっていてパスせざるを得なかった。後半は夕方の時間帯で、一応は参加できたのだけれども、やはりこちらも雑事と並行してという感じとなってしまった。国際会議には、山奥で合宿するという世捨て人モードが大切なものだと感じた。旅行せずに出張扱いとなれば、国際会議に専念できるのだけれども、そういうシステムは職場にあるのかなーと、思うのであった。もっとも、山奥に集まって国際会議しても、半分くらいの人はパソコンか何かを開いて内職しているような時代だから、何というか、こうやってリモートに専念すると宣言しても、実際には日々の雑事からは離れられないかもしれない。

2 月25日、今の時期は国際会議のラッシュだ。去年までならば、どこか1箇所の国際会議に出席していれば、会期が重なる他の会議には顔を出せないものだった。今年は、みんな遠隔でやってるので、あちらに顔出し、こちらに顔出し、それもタイムゾーンが異なれば一日 24 時間ずーっと出ずっぱりという超人的(?)なことも可能だ。結果として、つまみ食いというか何というか、あの公演は聞いてこちらは流して、と、会議に参加しているのかセミナーを次々と聞いているのか、訳がわからなくなって来るのであった。一番おもしろくないのは、やっぱり discussion time だとか、散歩だとかできない事。あと、参加者にレンズを向けまくることも ...

2 月24日、生業というものは、何事も限界があるもので、請け負ったもの、請け負うべきもの以上の手をかけようとすると、恒常的な活動は不可能になり、やがては破綻する。学校教育はその辺りが曖昧になっていて、熱血指導、懇切丁寧な応対が尊ばれる、そんな素地が「社会的に」あるように感じる。ではコストがどれくらいかかるのか?というと、それは塾なり英会話学校の料金設定を見れば明らかだ。真面目に計算すると、学校では、単位時間あたりにして、塾などの何倍も税金を投入していることになる。その延長で「更に1時間の追加指導を」となると、さて。自動車学校のように考えるか、学校は学校だと考えるか、事情に応じて、できる範囲のことから、優先順位に応じてやって行くほかないか。

2 月23日、カボチャは時として裏切ってくれる。単に「購入者」の目が効いていなかったとも言える。外側から見て立派に見えても、切ってみると皮の下が、乾燥したようにアチコチ塊になっていて、少なくとも皮を一緒に調理することはできない、そんなことがある。丁寧に、傷んだ部分を取り除くと、皮という部分の密度の濃さと分量に驚いてしまう。残ったのは、半分くらい、そんなこともある。大昔に和食の調理現場を見学した際に、丸いままのカボチャの皮を所々スライスしていた状況を目の当たりにして、何をしているんだろうか?と不思議に思ったものだ。冬を越したカボチャには、結構よくあることなのだろう。さて、そろそろ、煮えたかな?

2 月22日、サツキは今頃になると、枯れている部分と生きている部分の違いがよくわかるようになる。一見すると綺麗に丸く育っているように見えて、実は半分くらいが枯れていることも。そういう株は、夏頃には本当に枯れた姿となってしまう。おおよそどの株も、葉が茂っているのは表面の一層で、下の方は光が届かなくて枯れ枝だらけ。ちょっとわけ入って、枯れた部分を切ってしまうと、あらあらスカスカで全体の形も保てないくらい弱々しくなってしまう。枯れ木も山の賑わいとは、このことか?と思ってしまう。こんな状態の中に、何年も枯れたまま放置された株を見つけることもある。早く取り除いておけば、今頃はそこに周囲から枝が伸びていたはずだ。何だか輪が五つ並んだものを想像してしまった。

2 月21日、松に触っていて、松やにが手についたら?水で洗っても石鹸で洗っても、なかなか取れない。ところが、油を塗ったティッシュで拭くと、あら不思議、どんどん取れて行く。不思議ということはないか、油性のものだから水には溶けなくて、油ならどんどん染み込んで行くだけだ。そういえば、松やにを集めてオイルにして、動力に使うなんていう話も大戦の折にはあったようだ。お城に松を植えておくと、城攻めに遭った時にも、どこかは食べられるとか、燃料になるとか、そんな昔話も伝え聞いたことがある。松は鳥が種蒔きするのか、あちこちから生えて来る。放置すると松だらけになるので、適当に抜かなければならないくらいだ。で、抜こうとすると、また手が松やにだらけとなる。難儀。

2 月20日、ふわっと暖かい ... 時刻によっては少し風があったかな。雲があまりなくて陰影クッキリ。草花もまた活き活きと、と思って地面を眺めるも、どうも水分切れらしくて、下草はまだ目立たない。その日に歩く場所によって、それぞれ生育の度合いが違うのかもしれない。スーパーマーケットには、菜の花や豆は真冬から並んでいるとして、割と自然なものでは山菜が並び始めている。大根は油断すると、そろそろ硬いものを掴まされてしまう。筋ばっていないか、よーく確かめてから買う。但し、ノータッチのご時世なので、じーっとニラむだけだ。手に取ったら、戻すことなくカゴに入れる。ハズレであれば、それは眼力がなかっただけのこと。

2 月19日、確定申告に行く。電子書籍が少しだけ売れたので、少額の印税が入ったのが申告の主な理由。税務署の申告書類作成コーナーは、今年は開設されず。大きなホールの別会場で実施しているらしい。既に申告書類を作ってあるので、そのまま書面で申告。e-TaX という手もあるけれども、リーダーが必要とか、結局の所は領収書等を必要に応じて送付する必要も出てくるので、色々と考えると書面を提出する方が楽だ。申告しても、ほとんど数字が動かないのだけれども、まあ記録を残しておくという意味はあるので、必要のない年にも申告は続けようと思う。無収入の場合でも、無収入の申告はアリだろう。税務署は大変かも知らないけれども。

2 月18日、パソコンのスリープとスクリーンセーバーは要注意だ、何かやっている時に、少し席を離れたらスリープしていて、解除にパスワードが要求されたりする。映像の再生中にスリープされると、プロジェクターが初期設定に戻ってしまったり、通信が切れたり、ロクなことがない。というわけで、何か人前で使う必要がある場合には、スリープしない、画面の OFF はなし、スクリーンセーバーもなし。場合によっては解除パスワードも無しとする。大切なことは、利用が終わった段階で再び、それらの設定を通常の状態に戻すことだ。戻し忘れると、セキュリティーが低いままとなり、どこかで遺失したりすると、物がなくなるだけでは済まずに、中身も漏れてしまう。難儀なことだ。

2 月17日、西風が強い日には、数時間先の気温を予測するには、西を見ろという簡単な天気予報の方法がある。風上を見ろと言っても良い。そちらで、気温が上がり始めていたら、寒気もそれくらいのものかと予測がつく。高層天気図を見てもいいのだけれども、天気図を描く頃には条件が既に異なっていて、速い現象の予測にはイマイチ使い勝手が悪い。瀬戸内は、ちょっとした風向きの違いで、大きく気温が上下する。少しでも南から風が吹くと、海からの比較的暖かい風となる。アメダスのデータを見ても、あちこち、上がったり下がったり、面白い動きをしている。めちゃくちゃ気温が下がるような気配がない、風の一日だ。

2 月16日、座長、つまり司会者の担当の日。最近、思う所があって、なるべく何もしないことにしている。発表者と講演題目を紹介しても、改めて発表者が繰り返すことが多いので、可能な場合は予め発表者に確認して、自分で題目を読み上げる場合は任せる。タイムキープも、あと何分の予鈴とか終了時刻とか、誰にとっても気が散るばかりのものは使わず、時間超過が問題となりそうな場合にのみ口頭で伝える。交代時間もあるので、質問時間が少々余っても気にしない。逆に質問がボコボコ出た場合には、これは流石に、司会者として打ち切らなければならない。ともかくも、目指すは可能な限りの黒子。司会者が目立ったらおしまいだ、発表者と聴衆の間を取り持つことに腐心した。うまく行ったかどうかは、さて ...。

2 月15日、この時期にしては、大量の雨が降ったものだ。西日本では雨が降るだけで、風は晴れた後からやって来た。やがては強い西風が吹き始めて、夕暮れ時からまた寒くなって行くのだそうな。如月とはよく言ったものだ、昨日に脱いだ服は、明日にはも着込む、そんな日々がしばらく続く、かもしれない。寒くなるという天気予報は、外れてくれればいいなーと常に思ってしまうのだけれども、最近の中層の天気予報は概ね正確で、一週間くらい前になると、もうあまり動かない。それでも、凍りつきそうな日の予報は 1 度でいいから、上がる方向に外れて欲しいものだ。さて、この冬最後の氷結対策、海辺だとあまり気にしなくてもいいだろうか?

2 月14日、暑い1日だった。ちょっとした作業でも、もう汗ばんでしまう。日差しは高くて、空が澄んでいる分、マトモに当たると焼けるようにも感じる。風がないので、適当に体の向きを変えないと、陽の当たる部分だけが日焼けしてしまう。大学の坂道を上がるともう、汗だく。とは言っても、道中で T シャツ一枚になる訳にも行かない。脱いだものを入れておく手提げ袋もないし、服を抱えて歩くのも何だか無粋だ。というわけで、汗はかいて、洗濯機に放り込む。この先もう一度、氷点下の日も来る予報になっているけれども、もう木々の芽が大きく膨らみ、一部は伸び始めている。霜で痛んでしまわないか、少し心配だ。

2 月13日、ナツメヤシの高い樹の上で、ヒヨドリが休んでいた。まだまだ沢山の実がついていて、ヒヨドリくらいのサイズの鳥にとっては、冬も飢えることはないようだ。今日のように暖かいと、虫もそろそろ顔を出すのではないだろうか?大学の近くの南斜面では、もう新芽が膨らみ始めている。よくよく探せば、神戸辺りでは冬の間も咲いている野草の花は尽きることがない。大きくなる草が陽を遮る季節になる前に、先手を打って種を作ってしまおうという戦略だ。そして夏には休眠、自然の競争はうまくできているものだ。研究もまあ似たような所があるかもしれない。大挙して進む majority に覆い隠されない、小さな科学的真実を大切にしたい。

2 月12日、卒業論文や修士論文の発表会は、研究の入口はこんな感じですよーという、広報の意味も大きいと思う。新聞やら啓蒙書やら、今日では SNS が主体だろうか、サイエンスとかテクノロジーはキラキラしたものとして表現される傾向が昔も今も変わることなく続いていて、そういうイメージのまま大学院に進めば「研究の地味さ」に辟易とするだろう。では先輩方はどんな活動を?という広報の機会として、発表会は貴重なものだ。まあ、それでも一般の目線では 10 GPa (ギガパスカル)なんて言葉が出てきた段階でキラキラなんだろうなー??と、思わないでもない。日常のサイエンスがあれば非日常のサイエンスもある、その多彩さを垣間見れただろうか?

2 月11日、例年だと、賑やかだった研究室が、研究発表の終了とともに段々と寂しくなって行き、最後はシーンとした春を迎える時期だ。もう一年間くらいずーっと静かだったから、今年はこの変化をあまり感じない。実験系の研究室だったら、それでも実験はやらないといけないから、少しは人の気配があったのかもしれない。卒業旅行という気配も特になく、そのまま次の進路へ向けて、既に研鑽を重ねているのだろうか。神戸大学は(医学部と海事科学部とポーアイと ... を除いて)丘の上にあるので、人口密度を語る必要もないぐらいの田舎だ。ずーっと風邪にもかかってないし、実はコロナよりも、普通にインフルエンザに感染する方がずっと怖いような気もする。

2 月10日、すっかり日差しが高くなって、気温が少し低くても寒さを感じなくなって来た。いや、気温も高くなって来た。地面を眺めると、もう下草が新芽どころか、塔が立ち始めている。こうして菜の花のような可愛い花々が咲き、ようやく春がやって来る ... いや、まだ大学入試の 2 次試験が残っているか。卒業式の頃になると、もうすっかり春で、正装などして着込むと暑くて暑くて耐えられないことも。さて次の年度はどのように進むのだろうか、5つの輪はすっかりほどけてしまったけれども、よくよく振り返ってみるとロゴの頃から様々なゴシップネタを提供してくれている、それでもう「お祭り」としては十分だったではなかろうか、そろそろ誰かが close しなければ。

2 月 9 日、大きな会場になればなるほど、そこで使われている機器は古いものであることが多い。なんとかホールという場所へ出向いて講演する時には、VGA 端子しか無いことを想定する必要があり、変換コネクターを準備して本番に赴く。が、このコネクターが難儀なもので、接触が悪かったり、色がおかしくなったり、最悪の場合はプロジェクターから認識してもらえない。最も低い解像度で、辛うじて接続ができるなどの不具合にも遭遇する。音響は今でも、昔ながらの大きなジャック端子である。ワイヤレスマイクから無線でアンプまで直接届くという機器は、なかなかお目にかかれない。まあコロナの時代、こういう大きな場所がもう必要ないのかもしれない。プロジェクターという物も、よくよく考えると不要なのかなー。

2 月 8 日、今日は卒業研究発表の日だ。会場は ... 入口が開いたまま。まだ暖かい日で良かった。これが、日中もマイナス温度の日であったら、審査員は凍死の危機に瀕していただろう。入口が開いたままというのは、出入りし易いという利点もあって、何事も良し悪しだと感じた。そういえば大きな会場のスクリーンへのインターフェースは、今も大抵は VGA コネクターなのだけれども、どう考えてもレガシーだ。変換機という考え方もあるのだけれども、液晶プロジェクターの解像度も昔の機器は低いもので、今の 4K とは全く次元が異なる荒さだ。この辺りでエイヤッと機器更新する時期となったのだろうか。大型のプロジェクターは高価なんだよなー、あの望遠鏡のようなデカいレンズでは仕方ないか。

2 月 7 日、神戸港で運行されている観光船は、今はたった1隻。運行を停止して停泊している船が4隻。いつの間にか消えてしまった船とか、台風で沈んでしまった船とか、ともかく浮き沈みが激しいサービス業だ。昔は ... もう遠い昔に感じられてしまう ... 桟橋に呼び込みの掛け声が絶えることなく、次々と船が出ていたし、早々に満員になって次の便へ誘導していたり、賑わいがあっただけに落差は大きい。港へ来て感じるのは、実はたくさん外国人が日本に在留しているということ。岸壁で釣りをしているのは、半分以上が外国人なのではないだろうか。さまざまな言葉が聞こえてくる。彼らが SNS で受ける情報は、我々に日本語で伝わって来る緊急とか警戒という言葉ばかりのものより、ちょっと明るい印象なのかもしれない。気楽に休日を楽しんでいた。

2 月 6 日、不動産屋さんのサイトを見に行くと、もう既に新入生向けの下宿紹介が花盛りの状態だ。それはそうか、国公立大学の定員を足しても私立大学には全く歯が立たないくらいの数にしかならないし、私立大学はというと半分以上が推薦のような形で既に進学者が確定しているし、もう2次試験目前だし。また、今のように何事もリモートでできるようになったら、卒業シーズンになるまでもなく下宿を引き払えるし、早く次の活動場所へと引っ越した方が生活をスムーズに始めることができる。昨年度の新入社員はアフターファイブに長々と付き合わされるようなことも無かったんだろうなー。こうして、世の中段々と合理的になって行くのだろう。

2 月 5 日、金曜日、金曜日、全然金曜日という感覚のない金曜日、いよいよ来週は卒業発表や修士論文の審査が始まる週だ。この、時期の設定は大学によってだいぶん違っていて、東大は確か1月中に全てが終わるのだったと聞いたことがある。知らんけど。で、あらゆる物事の準備が直前になるまで始まらないのは世の中の常で、バタバタと様々な準備を行うわけなのだけれども、この段階で抜本的に何とかしなければならない、という問題が浮かぶこともよくある。いやまだ大丈夫、土曜日もある日曜日もある、来週も ... これからが準備の本番。こういう事を吹聴してはいけないんだろうなーと思いつつも、やがて本業に何を選んだとしても、修羅場の過ごし方、あるいは逃げ方は、経験しておくに越したことはない。

2 月 4 日、コロナが教育現場にもたらした効果は非常に大きいと感じている。授業や講義は講義室で行うものという、何かの一点張りのような主張がすっかり影を潜めて、これは大変良いことだと思う。クラブ活動に制限が、というのも中高では重要なことだろう。働き過ぎの教員の実態は何とかしなければならない。教員になりたい人が減り、働き始めたら次々と魂をすり減らすようではダメだ。また、学校に社会の目が届く、特に人権と法律がそこへ導入されることも実に大切なことである。この点は、AI というか、ハッキリ言うとレコーダーが果たす役割も大きいと思う。と、書いておいて「お前はどうなのか?」と問われると、目の前に監視カメラが置かれたならば、働いているフリをして遊ぶ方法の研究に没頭すると思う。

2 月 3 日、このところ、2着の着回しで何とか過ごして来たのだけれども、ついに G パンに穴が空いた。単なる穴ならば、G パンらしさが演出されて良いともされる。が、既に生地が限りなく薄くなっているので、どんどん拡大して穴というよりも長い切れ目へと移行中だ。これも夏なら、涼し気?で良いかも知れないし、若ければ色気があって良いのかも知れない。ジジイでは色気もヘッタクレもあったものではない。ストックから新しい G パンを、と探してみるも、サイズが合わないものが出てきて、即刻ゴミ箱へ。色がイマイチなやつも、またストックへ押し戻し。衣服というのは、やはりその時、その時で必要に応じて買い足さなければならないものだ。購入するしかないなー。ついでに、久しぶりに散歩して来ようか。

2 月 2 日、国際会議へ行かなくても、Zoom で出来るからいいや〜、という所に落とし穴あり。完全に日常と見切りをつけて、ヨーロッパやアメリカの時間に合わせてしまう一週間を、自分で勝手に設定できるならば何の問題もないのだけれども、そうも行かない。たぶん、自分ひとりで生活していれば可能なことなのだろうけれども、職場で働く日常というものがある限り、無理なのである。というわけで、国際会議に出席しているようで、実は YouTube をつまみ見るような感覚でズルズルっと行って、discussion も進まないなーというのが面白くない所。映像で何かをする時には、普段よりも多めにサプライズ?を詰め込まないと、どうも人々を呼び込めないようだ。さて何で?研究のネタは、そんなに湯水の如く出てくるものではないし、どうしたものかと思案する。

2 月 1 日、後になってよくわかること、そんな振り返りもタマにはいいかもしれない。2000 年頃の大阪大学理学部、大学院の理学研究科はテンソルネットワークの最前線基地であった。当時、我々は既にテンソル積状態 (Tensor Product State) という用語を使っていた。そこで取り扱っていたのは、変分形式、環境テンソル、update など、後にテンソルネットワーク界隈で標準的に使われる道具であった。ほんの数人でゴソゴソと進めていたことで、まさかその数年後に、爆発的に(?)テンソルネットワークが流行るなんて夢にも思わなかった。研究者の数は 100 倍くらいに増えただろうか。当時と今とで、最も異なるのが計算機の性能だろう。昔は想像もできなかったような、贅沢な並列計算で変分的な極小を見つけることが、今は普通に行える。その分、取り扱われる問題も複雑にはなっているのだけれども。

1 月31日、いつもはベーコンの油を取り去ってからスープにするのだけれども、思い立って、今日はそのままスープにしてみた。仕上がって、ベーコンが油っぽいか?表面が油だらけになったか?というと、全くそういう気配がない。ではあの油はどこへ?と、味わってみて実感。野菜と煮ている間に乳化して、スープの中に溶け込んでしまっていたのだ。そういえば、この味には覚えがある。レストランなどで、ちょっと出てくるスープの、こってり感のある味だ。油を食べていたわけか、と思ってみたり、そもそも家畜の肉というものは油が半分くらいあって、昔から人々は油を食べていたのだと思ったり。まあ放牧の国の話で、日本の過去とはあまり縁がないけれど。いまの食生活で毎日食べていたら、きっと体の具合が悪くなる。

1 月30日、3 次元の図は、凝り始めると難儀なことになる。丸い球から棒がニョッキリ、何本か突き出ている状態を描こうと考えると、その棒と球の輪郭が交差する部分で、後ろに位置する球の輪郭を少し途切れさせる必要がある。もちろん、真面目に 3 次元を考えるならば、なのだけれども。普通は、もう少しズルをして、輪郭の部分から棒が伸び始めるような、ちょっとダレた描き方をする。それで、パッと見は充分に 3 次元に見えるのだから、人間の目はいい加減なものだ。ただ、よく見るとやっぱりおかしいものはおかしいので、手を入れて図を描き直したものかどうかと、考え込んでしまう。でも面倒なのだ、あらゆる図形に前後関係が生じ、ちょっと輪郭がクロスする部分も全面と後面を分けて描くことになる。ああ面倒臭い、こういう地道な仕事には向いていないと、再認識した。

1 月29日、文章を何気なく書いて置いておいて、後で読み直してみると、実は意図しない内容にも読めるということに気づくことが、よくある。長い文章であれば、そんなことは全体として起きないだろう、と、タカを括っていると、罠に引っかかってしまう。明日は共通テストの第2日程だけれども、ああいう「文章が長めの出題文」も、とても注意が必要で、長いが故にツッコミどころ満載どころか、長いが故に誤解を引きずったまま読み進めるという、そんな事がよく起きる。出題者は、何チームにも分かれて、多方面から検討を繰り返しているはずだけれども、何回も繰り返し読むと、チェックする前から、あらかじめ頭の中にある流れに沿って読んでしまうのだ。長い文章は恐ろしいものだ。それにしても今日の風は強いな〜

1 月28日、あちこちで地面の掘り返しが始まって、いよいよ年度末に向けた予算執行の時期になったのだと認識する。世の中では、自粛・時短により飲食業が危機どころではない状態というニュースが繰り返されているけれども、学生が全く来ない時期が長引き、今もって半分も通学できない状況では、大学内で営業している生協が持ちこたえるのは至難の業である。営業も半分の規模にしたら?という考え方もあるかもしれないけれども、短期的に働く人々も含めてレバーを上げ下げするような、単純な計算では済まない。この場では営業活動はできないのだけれども、事情を察して頂ければ有り難い。大学生協は穴を掘ったりペンキを塗ったりは出来ないのだけれども、今後は何でも屋として活動の幅を広げて行かないと、生き残れないかもしれない。

1 月27日、朝から暴風で、これは寒い風が吹き荒れているに違いないと、浜辺へ出てみると、あれあれ?風はまだ冷たくない。昨日、あまりにも暖かな気団がやって来ていて、一気には冷めないということだろうか、もう一度天気が崩れてから、寒くなるらしい。季節はまだ1月末で、例年であれば氷りついてもおかしくない時期だ。上空の 10 hpa の空気の流れを見ると、今年は派手に極渦が曲がっていて、何度もあちこちへとブレている。北極を高気圧に明け渡すか?というギリギリの所で、何度も踏ん張っていて、何というか角番の大関のようだ。30 hpa の北の空に暖かい領域が広がっていて、250 hpa はグネグネ。この辺りの接続を、うまく見る表示ができれば、大気の理解も深まるんだろうなー。

1 月26日、ウィルスというと、とかく悪者のように思われているけれども、生物の進化に大きな役割を果たして来たというか、影響を与えてきた存在だ。コンピューターウィルスというものも、とかく悪者として扱われるけれども、コンピューターがどのように守られるべきか?という意識を植え付け、情報に鎧を被せる貴重な働きをして来たし、ウィルスのような働きをしつつ機器を結びつける枠組みも造られて来た。さて、量子コンピューターの場合、ウィルスはどのように形成されるものだろうか?量子コンピューターに取り付いて、悪さをしたり、何もしなかったり、そんな存在を作れるだろうか?こんな素人の考えは、とうに専門家があれこれと研究しているはずだ。

1 月25日、長い文章を書いていると、同じことを二度三度と書いてしまいがちなのだ。あるいは、別の内容を書いていても、よく見るとキーワードが置き換わっているだけで、導入から章末まで似たような構成で、結果として通して読んでみると「さっきと同じじゃん」という印象を持ってしまうわけだ。自覚症状を持つことは難しくて、しばらく文章を置いておいて、他人の気持ちで読む必要がある。査読などで他人の文章を読む場合には、一発で何度も引っかかるのが不思議なものだ。小説とかマンガなど、スンナリと入って行くものは、あらかじめ結構練った上で作品に落としているものだと、感心するしかない。

1 月24日、今日は刺身だ刺身だ、と意気込んで街中までやって来て売り場をウロウロ、しかし人々の考えることも同じ、ついでに漁のない日だ。サク取りした魚は、ちゃんと処理してあれば数日は生で食べられるから問題ないと言えば問題ない。ただ、鮮魚が並んでいない売り場は何となく淡々としていて味気ないのである。仕方がないから生食用のホタテを仕入れて、少し小さく切って酢水を通し、わさび醤油に絡めて、薬味を散りばめてご飯と一緒に食べる。気分だけはミニ海鮮丼。ご飯に乗せる刺身とか寿司ネタは薄切り、刺身のままなら少し厚切りだったなーと、乗ってない刺身を思いつつ、次の機会を楽しみにして、お茶で締めた。今日も結局は雨の1日だったなー。

1 月23日、冷たい雨の1日で、海辺の我が家でじっと執筆を続ける1日となった。台所を見るとタマネギが転がっていて、さあ何にしたものかと鍋に放り込んで、水を少々加え、梅酢を入れ、冷蔵庫に転がっていた肉片を入れて、うーん、早煮昆布を切り入れて、あとは時間に任せる弱火の加熱。段々と良い香りが立ち、味見をしてみると、まあまあ整ったものになっていた。海産物と梅酢は相性が良いのだろうか、大昔は酢というと梅酢だったとも聞く、まあ色々と試してみよう。で、昼が来るともなく夜が来るともなく、何となく一日が同じような時間感覚で過ぎ去った。ネットのない頃だったら「暇な1日」になっていたのだろう。暇のないのが現代だと理解した。

1 月22日、めちゃくちゃ暖かい朝 ... 室内で感じる朝の気温はとても暖かかった。が、外に出てみると何だか肌寒い。雨の湿っぽい空気が、重さを感じさせるのだろう。湿った空気は乾いた空気よりも質量密度が低いのに、感覚的には重たく感じるのだ。ここ何日かは、この菜種梅雨のような雨が降ったり止んだりらしい。球根が水を吸うには良い環境だ。北国では、球根は雪に埋もれて、雪解け水で育ち、チューリップも夏まで枯れないらしい。神戸のような暖かい地方では、初夏になるともうダメだ。この辺りではスイセンの栽培が似合っているのだろう。

1 月21日、電磁気学という学問体系(というか教え方)は、よく知っているつもりでも、常に「あれ?」という落とし穴が待ち受けているものだ。コイルの自己インダクタンスを考える時には、コイルを作る導線の太さは考えないことになっている。でも、実際にコイルを作る時には、特に高周波回路向けの小さなコイルなどで、導線の太さが無視できなくなる。また、導線の巻きの隙間から、外部にも磁場が少しは出て行く。有限の大きさの物を扱う時には、結局は電磁場を含めて全体的にシミュレーションしてみて、という事になってしまうのだ。抵抗もあるし、高周波になると電波の放射も無視できなくなる。この辺りは、高いクロック数で動く CPU でも事情は同じだ。まだまだ、電磁場は畏れをもって戦う相手なのである。

1 月20日、ふわっと暖かな朝になった。気温はまあまあ低いのだけれども、ほとんど無風で、日向に出ると暖かさを感じるのだ。特筆すべきは気圧で、1030 hpa を超えている。いや、これは海面補正した気圧で、神戸大学のように丘に登った所では 1000 hpa 以上であることが珍しい。それでも今日は間違いなく超えている。移動性高気圧がこんなに堂々と通過するのは、もう春だという証拠なのだろうか。今朝はプレプリントの投稿数が少なかった。大統領就任のお祝いムードか、それとも春節の走りか。最近は日本人の名前を(割合としては)あまり見ないような気もする。危うし科学立国。そもそも、そのベースとなる物がないのかも。

1 月19日、とある場所のアジサイが、バッサリと剪定されていた。アジサイの花芽は、昨年の秋には枝先にできていて、冬を過ぎて新たに出てくる芽は伸びても葉しか付かない。あーあ、とは思うものの、伸ばし放題というのも問題があって、植栽の適切な管理は難しいものだと思う。まだ何個かは、花芽が残っているようだから、伸びて来たら大切に保護しよう。そういえば、昨年まで綺麗に咲いていたツツジもまた、夏の暑さで枯れ込んでしまった。その枯れ枝を切る作業が行われた仕上がりを見に行くと、こちらもまた花芽の部分が落とされている。こちらは何とも言い難い所があって、サツキ・ツツジの類は、樹形を整えるならば、冬のうちに強く剪定するほか無い。それぞれかもしれない。

1 月18日、共通テストの問題が公開された。試行調査の問題に比べると、随分と「こなれた」印象がある。十分な時間をかけて検討されたものなのだろう。第 2 日程の問題が、同じようなレベルまでブラッシュアップされていれば、なかなか凄いことだと思う。これから科目間の得点差や、それぞれの設問の正答率など、統計資料が発表されて行くだろう。それをもとに、来年以降、特にさ来年以降の出題が調整されて行くことになるのか。長い道のりだ。歴史を辿ると、共通一次の頃は、けっこう出題形式に大きな変化・変遷があった。入試というものに「定常的な状態」はあり得ない、ということなのだろう。どのような形式であれ、難易度であれ、結局は数字化された学力が合否判定となることは間違いない。

1 月17日、カップ麺の消費期限を見ると、今日の日付だった。年に一度、震災の日にカップ麺を食べて、新しいものと入れ替える ... と思ってそもそもの消費期限を調べたら、半年くらいに設定されているのだそうな。もちろん、消費期限を超えても充分に食べられるし、「昭和の感覚」で言うならば、そもそも食べられるものと食べられないものは、自分の五感で判断するべきものだ。だいたい、昔は消費期限の押されていない舶来のビスケットなど、平気でバリバリ食べていた。いや、舶来物は高価で珍しかったから、我先に手を伸ばさないと、獲得競争に敗れるのであった。冗談だろうと思うのが、蜂蜜(純粋はちみつ)の消費期限。混ざり物のない、結晶化してしまった蜂蜜は変質のしようがない。何年経っても大丈夫だ。でも、あんなものだけ?でハチの子が育つのも不思議なものだ。

1 月16日、コロナの追跡で、夏の間にウィルスがどう生き延びるのか、少しはわかったのだろうか。インフルエンザのように???人々の間で細々とウィルスが受け継がれて、広まる条件が揃った冬場を待って、目立った感染拡大が起きる、そんな気もする。今の状況となってしまえば、去年の「コロナ検出騒動」は笑い話のようなものだ。もう感染者が出ても、全く特別なことではない、日常のこととなった。記憶を辿ると、大昔にもエイズ騒動があったあった、感染症に対する人々の反応というのは、時代を経ても変わらないものだと感じる。そして、結局のところは公衆衛生と健康増進が基本的な対策であることが再確認されるのだろう。これから先の行政では、人口密度の抑制が課題となるかもしれない。

1 月15日、今日は共通テストの前日で、午後は授業なし。ちゃんと下見に来る姿を見かけるのは例年通りだ。だいたい、受験生の年齢層にとってコロナは恐るに足らない存在だ。我々はそれよりも高齢とは言え、コロナが怖いから大学に来て仕事できないなどと公言したら、自主的に引退しろと申し渡されるだろうか。まあ、自然界には畏れを抱きながら活動するのが人類の常と言えるだろう。大陸に渡る時には、コロナよりも狂犬病の方がずっと怖い。あれは一本鎖 RNA ウィルスながら、免疫に交差があって、信頼あるワクチンが作れるのだそうな。コロナの方はこれから先、インフルエンザのように何年かに一回は自然に感染を繰り返す、そんな感染症になるのだろう。ともかくも、体調万全で受験生できますように、お祈りするばかりだ。

1 月14日、今日は本当に春。はっきり言って暑い。体が寒さに慣れ切ってしまったのだろう。... と油断して、軽装で屋外作業を延々とやると、やっぱり寒い。フランス語では、お日様は嘘をつくと表現するらしい。日差しは春のように暖かなのに、気温は低いという状態だ。ヨーロッパの内陸では放射冷却も激しく、天気図では高気圧が真上にあるのに、朝もやがいつまでも晴れないという朝もあったな〜と、冬の時期の滞在を思い出す。そう言えば、アチラで夜中まで残って研究していたら、トイレ掃除にやって来たのが東欧からの外国人労働者という光景も目の当たりにしたっけ。冬のような春のような朝から、昔の記憶が甦って来た。

1 月13日、暖かくなって、地面を見ると草が青々としていた。枯れるべきものがスッキリと枯れてしまい、残ったものがその場を占めるという自然の摂理、季節が確かに進んでいることを感じる。空気が緩んで、何だか春がやって来たかのようだ。まだまだ冬の寒い時期だというのに。受験生にとっては、今がまさに勝負所、今週末は共通テストだ。初めての共通テスト、センター試験からどれくらい「衣替え」したか、実に興味のある所だ。難易度をそれほどは変更できないはずだけれども、ひょっとしたら、恐ろしく回答率の低い設問が登場するかもしれない。それはセンター試験の頃から、既にあった現象だとも言えるか。推移を見守ろう。

1 月12日、暖かい雪の朝となった。前日までの凍りつく朝に比べると、気温がプラスというのは何と暖かいのだろうか?と思う雪の光景である。というわけで、大学の辺りでも、日陰を除いて、あまり積もらず。これから更に暖かくなるので、残った氷をカキ集めて雪だるまを作っても、早々に解けてなくなるだろう。解けるといえば、長年の懸案?がひとつ、解けそうな気配を見せ始めた。まあ、それは自然の中にある構造だから、いずれは誰かが見つけるだろうという、その程度のことだ。科学者の難儀さは、この点にあって、どんなに余人に先駆けて何かを発見しても、それは神様が創り上げた自然の摂理に過ぎなくて、誰が見つけても同じものしか見つからないのである。

1 月11日、クロマメは高価なので、大豆を使って甘い豆を作ってみることにした。どちらも、植えると似たような芽を出して、同じようにマメができる。ただ黒豆の方がサヤが大きくて、中身が黒いだけ。黒豆として売られているのは大粒のもので、そして粒の大きさを揃えたものだ。粒が大きいほど高価で、小さい黒豆とか、欠けた黒豆など、選外品は案外安い。比べて、大豆は安い、激安である。農産物の国際価格がよくわかる代表例かもしれない。というわけで、安い大豆を買って来て水を注ぐ。最初は丸かった大豆の皮に、みるみるシワが寄って行き、続いて豆自体が膨らみ始める。そのまま放置すると大豆もやしだ。十分に水を吸ったら、忘れないうちに火入れしなければ。その後、甘くするか、甘辛くするか、思案するのも楽しい。

1 月10日、氷の朝となった。海から西風が吹いていたこともあって、気温自体は昨日の朝ほど低くはない。内陸部では随分と冷え込んだようだ。風速は、かなり穏やかとなり、よく晴れていることもあって、日向にいると暖かさを感じる。日陰に入ったり、時折吹く風に、やっぱり寒い日なのだという事実を再認識する。こう寒いとついつい、暖を取るかのようにオーブンレンジを使った調理を始めてしまう。そういえば冷凍室に凍った生の食材が置いてあった、あれをオーブンに放り込んで ... という具合である。鍋の煮込み料理も始めて、さて換気扇を回す必要があるか思案する。風の強い日には隙間風で十分に換気されている気もするのだ。まあ気休めに回しておくか。

1 月 9 日、大学の辺りは、気温がプラスにならなかったのではないだろうか?そんな気がするほど、いや事実かもしれない、寒い1日であった。地面に水をまくと、全く吸い込まれる気配がない。しばらく経って、もう一度地面を見ると、まいた水が凍りついている。これが噂に聞く天然のスケートリンクというものなのか。寒い地方では、運動場の片隅にスケートリンクを作って、冬場の運動はスケートという、そんな話も伝え聞いてはいたけれども、目の前で水が凍るのは、なかなか得難い経験であった。随分と昔には六甲山の上で、池に張った氷でスケートしていたという写真も検索するとヒットする。さあスケートを楽しもう、と、思ったら、土日祭日は事前の登録が必要なのだそうな。面倒なご時世となったものだ。

1 月 8 日、氷点下の朝となった。すでに昨日の日没前から氷点下だったので、水分が凍りついてしまい、道路から水の気配が消えた。北国ではよくあることで、砂だと思っていたら、雪解けの時期になって水浸しになってしまい、初めて氷だと気づくものだ。ロゼッタをしっかりと張る植物は、こんな寒い時でも元気だ。そうかと思うと、凍りついた大地から水を吸えなくて萎れてしまった植物も見かける。寒気の吹き出しは少しだけ弱まっただろうか、気圧の谷が大きくて、寒気が通り抜けるのは週末のことらしい。もう1日、氷の世界を楽しもう。見ていて面白いのは、人々の出勤風景。マイナス 20 度くらいの防寒服を着ている人を見かける。まあ、台湾の冬でコートを着ている人を見るくらいだから、普段よりも寒いという事なのだろう。

1 月 7 日、連続体から流体へと至る物理学の教育課程は、後に場の理論を学習する時に大変役に立つので、とても重要なものである。けれども、物理学というよりは数学のテクニックに過ぎないので、量子力学やら統計力学やら電磁気学といった、真に物理的な内容の教育に対して「二の次」の扱いにならざるを得ない。学部でも大学院でも、どちらかというと、必要に応じて自習して下さいと言った感じのカリキュラムを組み立てている所が多いのではないだろうか。むしろ、物理を道具として使う工科系で、連続体がキッチリと取り扱われているように(カリキュラムを眺める限りは)感じられる。限られた履修時間の間で、どのように教えて行くかというのは、正解のない難しい問題だ。

1 月 6 日、一応は物性物理というものの周辺に身を置いているので、フェルミ粒子が幾つか以上ある系を相手にして物事を考えることが多い。このフェルミ粒子系、少数であっても色々と非自明なことが起きる。わずかに 4 つであっても、空間構造から予想されるよりも多くの対称性を抱えていて、まだまだ検討すらされていないような摂動もわんさかとある。そんな事を吹聴すると、じゃあ物理学者は行列の固有値と固有状態について熟知しているのかと、数学者から揶揄されそうだ。いや全然。広大な未知の領域が目の前に広がっている。その中から、手っ取り早く引っかかる獲物から引っ掛けて行くのだから、海に出向いて魚を獲ることと良く似ている。海の全てが明らかになる時、そんな日は来て欲しくないし、来ることもないだろう。科学は永遠だ。

1 月 5 日、嵐の前の静けさとは今日のこと。ここ何日かの寒さに比べると、風もなくて比較的暖かく、上着なしでも屋外で作業できる。これから一時的に天気が崩れて、その後に3日間の寒い日がやって来ると、まあ昔の人々も経験的にわかっていたので三寒四温という諺が伝わっているのだろう。さてこの暖かい午後に何をしようか?と考えてはみたものの、プレプリントは大量に公開されているし、年末年始に溜め込んだ仕事もまだまだ片付いていないし、そういえばそろそろ会計年度の締めも考えないといけないし、卒業研究は佳境に差し掛かる時期だし、考えるまでもなく目の前にあるものから手をつけて行くしかない年明けの授業開始日であった。

1 月 4 日、今年は故郷の金比羅山にお参りできなかったので、職場の近くの神社の金比羅宮にお参り。琴平のお酒をお供えして、本殿にもお参り。何事も、願うことがまず大切だという、その辺りの解釈が年々、自分的に変わって来た気もする。ただ願えば良いという訳にも行かないのは重々承知で、できることから対策を講じて最後に願ったり、これから何かを始めようとして最初に願う、そんな願い方が多くなっただろうか。予算申請の書類を書く時には当たるように願うのである。もちろん、事前の準備や計画を書面に端正に落とし込んで、審査員を含め、誰が読んでも通じるように推敲して、祈って出願・提出するのである。お供えに、思いがけず、お下がりを頂戴してしまった。

1 月 3 日、寒い夜に眠るには、どれくらいの防寒をすれば良いのか、ちょっと試してみている。起きていられる衣服のまま、何もまとわずに横になると凍死の危険があるし、そもそも寒くて眠れない。よく語られる新聞紙は確かに暖かくて、上からかぶる分には数重で何とかなる。下は段ボールが二重くらいは必要だろうか。どちらもよく燃えるので火気厳禁だ。毛布だと何枚だろうか、意外と空気を通してしまうので、三重にしても、まだ少し足らないくらいだ。登山用品のアルミコーティングしてあるシートは、確かに暖かい。赤外線に対して不透明であるということの重要さを教えてくれる道具だ。一説によると、岩石の泥のようなものを繊維に混ぜるだけで、この効果が現れるらしい。まだまだ防寒のサイエンスは進化しそうだ。

1 月 2 日、例年であれば1月2日は某所に集まって同窓会を行うのだけれども、今年はコロナ第?波が来て早々に中止。色々と面白い話題が「今だから聞ける」という貴重な機会だっただけに、少しばかり、いやとても、寂しい気分の正月2日となった。何というか、まだまだ枯れていない面々が集まっていたわけで、生々しい話もあったかなーと、昨年までを思い出して、しみじみ。そうかと思えば、既に鬼籍に入られた方も。どうして鬼の文字が「鬼籍」という言葉に入っているのか、少々は理解が進んだのがアニメによる学習効果だろうか。ほとんど連絡のつかない人も数多くいて、それはそれで、知られない権利が正しく行使されている証であって、良いことだと思う。物理屋として活動する限り、この知られない権利はあり得ない。

1 月 1 日、初詣で、りんご飴を購入する。小さな紅玉のリンゴに、薄く ... いや、結構ぶ厚く飴が塗ってあった。そのまま食べるにしても、まずは飴の薄い場所を探してガブリと噛みつき、そこから広げるように飴とリンゴを食べて行き、結構苦労して完食。縁日で売るには、あれくらい飴が付いていないと、すぐ柔らかくなってしまうのだろう。色々と苦労はしたけれども、美味しかったことは間違いない。デザートとしてリンゴ飴を食べるような時には、本当に薄く薄く、飴をフルーツに絡めると、とても美味しいものが出来上がる。その要素は、コース料理のデザートにも時々反映されていて、飴が系のようにフルーツに掛かっているものだ。コース料理を食べなかった昨年を思い出して、リンゴ飴の甘さに感謝した。

11 月と 12 月の1行日記