← 1 月と 2 月の1行日記  

12月31日、年の瀬の買い物に行く。商品がたくさん並んでいる。生鮮食料品の中でも、葉物の野菜とか、パック詰めされた肉など保存期間の短いものが、閉店の時間近くになっても山積みになっていて、次に店が開くまでは保たない。スーパーでバイトした事がある学生さん達は、この辺りを垣間見ているのだろう。むかーしバイトしていた人によると、閉店したら酒盛りが始まったとか、色々と武勇伝を聞いたものだけれど、SNS 時代の今には通じない気がする。デパートなどでは、食品のロスについてだいぶん取り沙汰されて、最近では閉店時間には売り切れ続出という状態になって来ている。その方が買う方も安心して購入できる。計り売り自体が消滅して行く風習なのかもしれない。

12月30日、期待通り?に、昼過ぎから寒波がやって来て、通り雨が過ぎるごとに気温が下がって行く。日本海には小さなポーラーローも形成されて、ようやく冬らしい雰囲気だ。日が照ると明るくて、冬至の頃の雰囲気はどこへ?という光の春を迎えつつある。地面が湿ると、様々な草のロゼッタが目立つ。七草の準備は万端なようだ。餅つき風景は絶滅、門松などの飾り付けも控え目な街の風景を見て、お正月そのものがやがては消滅するような予感さえ覚える。さて今日は年内の残務整理 ... いや、とても沢山いろいろな事が積もり積もっている。仕事が幾らでもあることは喜ばしいことだ、貯めずに片端から片付けよう。

12月29日、めちゃくちゃ暖かい、これぞ小春日和?という感じの午後となった。午前中は薄曇りで、午後になって綺麗な晴れ空に。夕刻からはウロコ雲も出て、少々怪しい雰囲気に。この先、お正月寒波が控えているとは想像できないような暖かさだ。風が全くないのが、一番の要因だろうか。気象の全球シミュレーションを見ると、10 hpa のアリューシャン高気圧がとても元気で、じわじわと北極上空の気温が上昇して来ている。早々に大規模な成層圏の突然昇温がありそうな予感がする。南極は 10 hpa の極夜渦がすっかり消えて夏の雰囲気に。さて明日の天気はどうなるのだろうか、買い出しのタイミングなどに気を配らなければ。

12月28日、割と暖かい午後になったので、散歩に出かけることにした。街中をウロウロ。神戸の街はよく知っているようで、全く何も知らないという事は何度も書いている通りで、少し裏通りに入ると全くの別世界が待ち受けている。商業地の裏通りは全国どこでも、単なる裏通りと思っていると、良い意味で期待を裏切られる。こんな所に、どうしてオシャレなお店が?という発見だらけになるのだ。家賃の問題になるのだとは思うけれども。大阪の裏通りはどちらかというと問屋さんとか町工場の連続で、神戸とは対照的だ。まあ神戸も東の方に、そういう生産の現場が少しは集まっているけれど。そして、またまた海まで歩いて出てしまった。やっぱり神戸は海の街だよなー。

12月27日、夕暮れ風景の撮影にノコノコと海辺まで出かけて行くと、コスプレで賑わっていた。風景撮影という目的からすると、これは難儀なことで、レンズを向ける先がかなり制限されてしまう。コスプレイヤーを画面から外して、絵になる先をひたすら探さなければならない。一番安易なのが、水際まで歩いて海に向かって撮影すること。だが、そこが撮影スポットである場合は、譲り合いながらということになる。やっぱり別の場所で ... と撮影場所を開拓するにも、体力はなし。ついでに、今年はフォト婚が大流行りで、街中は行く先々で新婚さん?の撮影ばかり。海辺にとどまっていると夕日が当たる時間もあったので、地面でも撮っていたら、実はそれが一番良い出来栄えの写真だった。光さえあれば何でも輝くのである。

12月26日、クリスマスが終わって、スーパーマーケットの食材はお正月モードに。クワイが並んでいる。これは、出たらすぐに買い求めて、間髪を置かずに調理すべき食材のひとつだ。保管すれば保管するほど表面からどんどん傷んで行く。八方くらいに皮をむいて、軽く下茹でして表面の澱粉を取り去ってから、味醂を加えたダシ汁でしばらく煮る。この寒い時期に小さなクワイを収穫して、大して腹の足しにもならないのに調理するというのは、飢饉の時には池をさらえという昔からの教えなのではないだろうか。寒い時期にはクズ湯も飲む、そのクズもまた、掘っても掘っても出てくるのはアクの強い根ばかり、よほど飢えなければ、あんなものを食べようとは思わないだろう。田作りも、その名前の通り、肥料にするものを食べることになるのだろうか。

12月25日、今日は実質上の仕事納めとなった。在宅ワークが定着してしまったので、仕事を納めるも納めないもない日常が年末も続くだけ、年末という実感はあまりない。コロナ騒動が始まった春節の頃に、ようやく一年が回ったという感触に至るのではないかと、そんな気持ちのまま冬至を過ぎた。午後の太陽が戻って来て、気分的には少し夕暮れが過ごし易くなった。ここ Japan ではクリスマスも今日でおしまいだし、明日からは餅を焼いて食べようか。... と、ここまで考え始めて、ようやく年末であることに真に気づく。雑煮の出汁をとったカスを生ゴミにすると、回収は随分と後になる。肥料にするか?

12月24日、静かなクリスマスイブがやって来た。これで良い気がする。小学校の頃のクリスマスは、ある日突然クリスマスになって、パッと正月がやって来る、そんな感じだったなーと思い出す。バブル景気の頃からだろうか、クリスマスは誰かと過ごそうという雰囲気で商売が始まったのは。まあそれを楽しめるのであれば、それはそれで良いことだ。楽しめない人々の楽しみもさまざまある世の中になって来たのが Happy Holidays の良い所だろうか、日本であればお正月をゆっくりとするのが本来の楽しみ方だ。お独り様でひなびた神社にひっそりお参りする、そんなのが好きな私であった。

12月23日、クリスマス寒波が来る気配がない。今日も移動性高気圧がやって来て、風はなくポカポカ陽気。もともと商売が低調な昨今、これではコートなど冬物は早々にバーゲンセール行きだろうか。いや、そもそも正月明けにバーゲンなどあり得ないという雰囲気となって来た。この、横並びの自粛へと向かう雰囲気は「隣組」と称しても良いだろう。豊かさの象徴とされたものから次々と自粛のターゲットになった一年だった気もする。高い学費を払って通う大学もまた、この流れに抵抗することが出来なかった。次の攻撃ターゲットは入試らしい。それを標的にしたら、国の行方がおかしくなりまっせ、と、誰にでも語りかけたい。

12月22日、スケートの入門で、インエッジが使えるのは当たり前で、アウトエッジがどこまで自在に使えるかが勝負だと説明されることがある。確かにそうなのだけれども、アウトエッジにはフリーレッグを自在に振り回せる利点があって、インエッジで同じような動きをしようとしても、支持足が邪魔になってうまく行かない。達人に聞くと、どっちにせよ体幹が大切で、しっかりエッジに乗って上下運動しなさいと指南される。曰く、練習の前に片足ずつでリンクを3周なのだとか。それを毎日やったら、太ももの周囲がウェストと同じくらいになるだろうなー。まずは贅肉落としから始めるべきだろうか。

12月21日、肉の煮込み汁で野菜スープを作る。食べていると、ガリっと歯で噛む感触が。あ、カルダモンの塊だ。肉を似たくらいだと、まだまだ香りが残っている。ひとつくらい食べても、毒になる物でもないので、ガリガリと噛んで香りを楽しむ。さて、カルダモン、よく見かけるスパイスだけれど、どんな植物なのか見たことは全くない。検索してみると、遠目にはササのようにも見える、見たこともない不思議な植物だった。ショウガの仲間なのだそうな。ではショウガの種は?こちらも見たことがないし、結実するのかどうかすら不明だ。検索すると「種ショウガ」ばっかりヒットして、使い物にならないのであった。

12月20日、マウスの電池が切れた。仕方ないので、トラックパッドを使い、マウスには充電ケーブルを接続。さて、そろそろ充電されただろうか?と引っこ抜いて使うも、またすぐに電池切れ。なんじゃこれ?と、ケーブルを点検すると、充電ケーブルが USB ポートに接続されていなかった。よくある思い込みの一例だ、USB ケーブルはパソコンに接続されているはずだという、非現実的な仮定にハマり込んでいたわけだ。それはそうと、OS を update してから、なぜか事あるごとにレインボーカーソルが出るようになった。めちゃくちゃ遅い OS になったしまったのだ。ぐるぐる回るようになったら、iPad でも見てしばらく時間を潰して ... では仕事にならない。次の update はいつのことか。

12月19日、さあ仕事、とパソコンに向かうと画面が真っ暗。うーん、新しい Mac OS は M1 チップに魂を売り飛ばしたのだろうか?まあ仕方ないので、電源ボタンを長押しして再起動。2画面で作業していたのだけれども、全てのウィンドウが片方に寄ってしまっていて、まずはその整理から。文句言ったらバチが当たるかな、大昔は爆弾マークが出たらおしまいなのであった。マルチタスクになった NEXTSTEP でも、小さなコンソールが突然開いて、どうにもならなくなる事が多かった。Mac OS X の初期でもカーネルパニックには遭遇したな。落ちない OS というのは幻想でしかなく、どんなマシンを使っていても、落ちるときには落ちるのである。

12月18日、とある理論形式が、ある時、ものすごく流行ることがある。適用の限界を超えて、どんどん応用「されてしまう」のが特徴で、猫も杓子もナントカ法によるコレコレの解析、そんな研究にハマってしまうのだ。そして、ある時を境にパタっと見かけなくなる。それは当たり前で、使い物にならないものは、どんなに流行っても役には立たないのだ。一方で、とても実用的で応用範囲が広いにもかかわらず、長年に渡って日の目を見ない理論形式というのもあって、例えば数値計算の能力が追いついただとか、他の研究分野から着目されたなどの理由で、これまた突然表舞台に現れるのである。こういう場合は、その後もずーっと長く使われる道具となる。研究の世界でこうなのだから、工業生産の現場とか芸術などでは、更に色々と流行があるのだろう。

12月17日、昔は連絡手段も限られていたので、実質的に同じ内容の研究が世界のあちこちで同時に、いや時代を越えてポツポツと散発的に行われることが、よくあった。現在はプレプリントサーバーなどの情報網も発達して、このような並列的なことは少なくなった ... 訳ではない。研究分野が広がって、そして細分化されて、専門のタコツボに入ってしまう研究者が多いので、こちらで議論されていること、新発見と重宝される最新(のはずの)報告が、隣の隣の分野では何十年も前から常識ということが、相変わらずある。数理物理のように、研究者が少ない分野でトピックスが異なると、互いに比べるのも大変という側面もある。似たような研究を探し出してくれる自動検索というものが、今後は提供されて行くのだろうか?

12月16日、熱力学を学ぶと、示量変数と示強変数なるものの区別を習う。もともと熱力学は、少なとも科学の初学者には明示的に語られることの少ない話題で、習う時くらいしか示量変数・示強変数という和語を使うことはない。専門になると extensive, intensive と、補語としての形容詞で語られることがほとんどだ。熱力学関数はなぜか、エネルギー、エントロピー、エンタルピーと、カタカナ語で習うことになっていて、これはそのまま英語での discussion に持って行ける。カタカナ語のまま発音しても、別に変に思われることもない。インテンシブで良いじゃないか?とも思うんだけれども、インセンティブとインテンシブは紛らわしいので、やっぱ無理な気もする。

12月15日、朝食を抜いて健康診断へ。本来の診断日は月頭だったのだけれども、都合もあって延期となっていた。ということもあって、データベースにイレギュラーな処理が起きたらしく、診断項目に予め割り振られている個人ごとの識別番号と、一覧表に記載されている番号が一致しない現象が起きた。修正できる端末が限られているのか、あちこちバタバタと。昔は紙に書いていたから、その紙を持っている人が紙に書いたものが紛れもなく本物だったのだけれども、今はデータベースの方が偉い時代となった。やがてまた、遠い未来には個人ごとのデータ処理に移って行くのだろうか?

12月14日、焼きリンゴを作る時の芯抜きのナイフ、細長い小刀をさらに細長く研いだものに柄を貼り付けて加工したものを使っている。両刃なので、曲線を切ることはできない。十分に使い物になるのだけれども、片刃かつ丸刃のものを、もうひとつ作っておこうか。こうやって、細工用の刃物づくりにハマると、次々と刃物の種類が増えて行き、収拾がつかなくなるような気もする。ともかくも、芯は抜いたので、砂糖を詰めてオーブンに。シナモンスティックは切らしていた、少々残念。どのくらい加熱したものを焼きりんごと称するかは、それぞれ好みの問題だろう。りんご飴のような状態でも充分に美味しい。今日は焼いたものを4つに切って、甘いシロップにつけたまま冷やすことにした。明日が楽しみだ。

12月13日、週末、ワークショップに顔を出した。さまざまな国々からの参加なので、背景の時刻がそれぞれ異なっている。朝日の所、夕方の雰囲気、真夜中。流石に、丸一日ずーっと出席というのは、主催者周辺の方だけだっただろうか。最初は、ぎこちなく始まって、段々と発言のタイミングなどがこなれて来る様子も見ていて面白い。自宅からの接続なのだろうか、時々、家族らしい声も聞こえて来る。少々、いや大いに残念なのが、自然発生するような discussion を、なかなか持ち得ないことだ。現地で集合する研究会であれば、食事の時も含めて色々と情報交換できて、意外と新しい研究の芽が早々に育ったりするので、その辺りを何とかしなければならない。discussion 用の meeting room を並行して立てておくのかなー、何か味気ない気もする。少し早めに切り上げて帰宅の途につくと、朝練の高校生たちがもう登校して来ていた。

12月12日、最も日が短くなる、この頃にニューヨークまで直行便で飛んだのは3年前だっただろうか。原因不明の胃痛を抱えた初冬の頃で、現地で動けなくなったらどうしよう、と不安を抱えつつの行脚であった。(この不調の原因が服薬にあることが、続く春先に判明した。)日本との交信時間も限られていて、ヨーロッパよりも遠い国だと感じた。日中も氷点下というのは、仙台の冬の一番寒い時期に似ているだろうか、もう少し北の盛岡あたりかもしれない。その短い滞在の中で、異国の現地よりもさらに、遥かに遠い国があるのだということを知り、灰色の空を見上げた。

12月11日、コロナ、コロナで人々が籠ってしまった、その要因のひとつがネットであり、そして SNS なのだろうと思う。人々が、これまでに築いて来た社会での交流活動や、旅行や外食などの消費行動が絶え、結果として会議もコンサートも配信の形態へとシフトし、ポチると運んでもらえるという新しい業態が伸びる。病院の利用の方法も変えようとしているのだろうか、少々の不都合を抱えても病院に行かず、待ち時間のない遠隔での初診も容認されつつある。どれを取っても、情報の利用に資金と人材が注ぎ込まれる流れとなっていて、ますますコロナ怖いですよと世の中に強く宣伝する訳である。この流れに巻き込まれるまいと、あちこちに出歩き、顔を出して行きたい。

12月10日、スコップで土を掘る時、難儀なのは根がビッシリと詰まっている場所だ。ゴルフ場で柴の管理をする時に穴を開けるような、足で踏める道具があったらサッサと掘れるのだけどなーと思いつつ、さてスコップに柄をつけ足して足で踏もうかと思案。いやいや、市販のスコップは柔らかい鉄で作ってあるから、そんな力を加えると曲がってしまう。色々と試して、辿り着いたのは、ステンレス製のスプーンの丸い方を握って、細い柄の方で土を掘ること。力学的に考えると、実に理にかなっている。ミミズなど、土の中で暮らす動物が細いのは、当然なのである。そういえば、圧力を先端の一点に集中するのはイノシシの鼻先も同じだ。大学の花壇に球根を植えたりすると、一瞬で掘り返されてしまうな。

12月 9 日、世の中、割の合わない事に腐心している。同じ条件で、さまざまな感染症に対するデータを取得した上での判断が見えて来ないのだ。ひょっとするとまだまだ、そのようなデータが取れる時代にはなっていないのかもしれない。遺伝子検査の黎明期ならではの過剰反応とでも言えるのだろうか。インフルエンザが十分に恐ろしい感染症であると言われたら、これまでの経験に照らして首を縦に振る。結核は忍び寄り重大な結果をもたらしますと言われれば、それはそうだ。毒性大腸菌にノロにと、それぞれ命に関わることもある。これらの恐ろしい感染症があるからといって、社会活動を今日の状況まで絞ったことが、かつてあっただろうか?後の人々からは、まだまだ未開の時代の出来事であったと総括されるんだろうなー。歴史というものは、おおよそ常に、そんな流れだけれども。

12月 8 日、論文のレフリープロセスは、単に論文の価値を精査して掲載の可否を決めるだけではなく、論文の欠点を改善して、読者に読み易いようにという目的で「も」行われるものだ。そうではあるのだけれども、この点を全く理解していないよう感じるレフリーも居るには居る。気がついた所をともかく羅列して、そもそも掲載の意欲さえ削ぎ取ろうという魂胆にも見える。著者には対抗措置があって、レフリーの不備を指摘して、新たなレフリーを指定してもらうことも可能だ。で、そんなイザコザに近い場所に呼ばれて飛び込むと、既に解決策のない泥沼となっている事もあって、どっちもいい加減にせい! と思うのだけれども、我慢して落とし所へと持って行くほかない。大抵、長いレフリープロセスを経た論文は、元よりもまとまりが悪くなっているから、それを理由に掲載不可とするのも、著者の手前を減らす便法かもしれない。再投稿できる場所は沢山あるし、良い論文はプレプリントとしてでも何件も引用されるものだ。

12月 7 日、卒業生から Facebook の友達申請を受け取ることが時々ある。もちろん喜ばしいことだし、偽アカウントでない限り、直ちに承認する。(あまりに投稿の多い場合にはミュートすることもあるけれども。)その際に、共通の友人が何人も現れることもある。ああ、こんな繋がりがあったのだと、昔からの交友関係を知ることになる。その中に、もう会えない、大切な方の名前を見つけると、懐かしくかなしい、何とも表現しがたい想いが浮かぶ。そして思い出を大切にしようと、改めて思う。みんな、いつでも昔の時間に戻って会いに行けるよ、と、語りかけたい。静かに祈るばかりだ。

12月 6 日、劇場を油の薄い煙で満たしておいて、レーザー光を放って光の筋を見せるという演出がある。この光、見る方向によって、随分と印象が変わる。光源に向かう方向の、観客席から見ると派手に光って見えるのだけれども、左右や舞台袖から見ると、ボンヤリと光って見える程度だ。神戸港に走る虹の光も、こんな感じなのだろうか?少し遠くからでも見えるかなーと思って眺めるも、印象薄し。辛うじて、ひと筋の光がうっすらと見えるだけだ。メリケンパークの辺りから見れば、綺麗なんだろうなーと思いつつ、そんな暇もないかと家路につく。

12月 5 日、大学の目立つ場所に素晴らしいツツジが咲く場所がある。ツツジは常緑樹なので、冬になっても青々としているのだけれど、その場所のツツジは完全に葉が落ちていた。枯れているのだ。今年の夏は、雨が降らない時期が長かったので、その時に枯れ込んでしまったのだろう。枝を切り倒したい所だけれども、おおよそ人の背丈もある擁壁の上に生えていて、手前側の枝に辛うじて手が届く程度だ。周囲の生きている株から新たに伸びてもらうには、まず枯れた部分を撤去しなければならない。どうやって除去したものだろうか、いや放置しておくべきかと眺めつつ通り過ぎて、今日の仕事に取り掛かる。

12月 4 日、公共の場所に植わっている植物の管理は、歴史のある日本庭園でもない限り、大抵はいい加減だ。その場所で、何も管理しなくても伸び伸びと自然の樹形になることを許容する場合、あるいはそれが目的である場合は問題ない。大抵はそうではなくて、植えた時に、何となく見栄え良くなる程度に植えて、育って来たらボウボウになるか、あるいは思い出したように強剪定して見る影もない姿となったまま、その場に放置される。後々の管理の予算までよく考えて植えられた植栽が、どれほどあるのだろうか?と疑問に思う所だ。放置して良いのであれば、最初から自然に任せれば良い。その地に見合ったものが、自然と生えてくる。

12月 3 日、世の中、赤字だらけとなっている。普通に黒字の企業・商店もあるわけだけれども、赤字になっている所は、軽く10年分くらいの赤字を抱えてしまっているか、既に実態として破綻しているか、そんな瀬戸際に達している。国庫もまた借金体質はますます深まり、日銀が引き受ける債権もうなぎ登り。ここで株価が不思議に上がっているのは、いよいよ、インフレ来い来いというサインだろうか。借金が大きければ大きいほど、インフレへの期待は高まるのだろう。世界大戦から80年を経て、再びインフレとなると、そろそろ次の通貨の単位名でも考えておく時期なのだろうか。

12月 2 日、加熱殺菌して封入した保存食には、殺菌の方法が表示してあるものだと思い込んでいた。牛乳には低温殺菌とそうでないものの区別があるので、パッケージにデカデカと温度・時間が表示されている。では缶詰やレトルトでは?同じように書いてあるだろうと思って探すも、何もなし。消費期限が印字してあるだけだ。まあ合理的と言えば合理的だ、実際に必要な情報としては、いつまで食べられるか?が大切なので。最近では加圧殺菌というのもあるらしい。ポテトチップスなど油脂に満ちた水分の少ないものは、そもそも殺菌しなくても腐らない。酸素を奪えば良いだけのものには、脱酸素剤が入っていて、想像もつかないほど長持ちする。世の中、変わったものだ。

12月 1 日、神戸大学から降りた所には、パン屋さんとケーキ屋さんが何軒もある。学生さんも多いし、主食でもあるパンは売れるらしくて、いずれも長く営業している。一方で、ケーキ屋さんは老舗がめっぽう強くて、新規参入したケーキ屋さんは、あまり長続きしない。潰れていないケーキ屋さんの特徴は、ともかく安いこと。あれで利益が出ているのだろうか?と首を傾げるような価格で、どんどん売っている。売り切れが早いのも特徴的で、ロスが少ないという事なのかもしれない。建物のオーナーさんが営業している店なのかも。で、そのような激安の老舗の近くで開業すると、いずれも早々に撤退してしまう。ケーキ屋さんは厳しいものだと思う。

11月30日、「炎」という曲を今更ながらに知って、ハマってしまった。けっこう転調(借用)が頻繁で面白い。一応はポップスなので、検索するとコードから眺めてどこで転調するか?という考え方で解説してあるものに行き当たる。そして、その通りにコードをブロックで弾くと「何じゃいな?」ということになる。じゃあ4声体がいつでも当てはめられるか?というと、これまた常に4つ流れていると「うざい」というか、どこかに目立った音が出て来てしまって、旋律を邪魔することになる。ベース+移動ドで歌ってみてどこから?というのが、最も自然な気がするし、歌詞や息継ぎもそのように区切れている。で、無理が祟って歌だけが放り出されて寂しくなる所では、ベースが頑張って間を埋めている。最後までよくわからないのが、この曲の調性は?という疑問。サビは紛れもなくマイナーだよな〜。音楽は面白い。

11月29日、ふと、電磁気学の教科書でよく知られている先生のことを思い出した。かの高名な?著者はどんな方だろうかと、研究室を尋ねてみると、事前のイメージとは随分と違って、ギョロリとした目の白髪の方であった。理論物理学者とは何かと、あれこれと語ってくれたことは、貴重な思い出となっている。学内抗争にも巻き込まれたそうで、そんな世俗のゴタゴタよりもサイエンスに没頭したくて、平穏の地へと移ったとのこと。曰く、若い人々は未来に希望を持ってしまうけれども、実力は冷静に見つめた方が良いと。原子核の散乱問題では、出て来るものが色々あるので、散乱断面積は真面目に考え直す必要があって、その辺りで仕事ができたとも。何よりも、表情と声が記憶に残っているのが有難いことだ、これが活きた伝承なのだろうか。

11月28日、サツキは難儀な庭木だ。こんもりと茂っているように見えるけれども、よくよく見ると表面の一層にしか葉がついていなくて、あとは枯れ枝だ。とても太い枝でさえ、光が当たらなくなるとアッサリと捨ててしまう。剪定する時には、まずこの太い枯れ枝を処理しなければならない。が、細かな枯れ枝に遮られて、どの枝が枯れているかよくわからない。仕方がないので、ともかく枯れ枝を切り払って行くと、やがて大きな枯れ枝の存在に気づく。世の中の仕組みも、これに似ているのかも知れない。本当は既に枯れてしまっているものが、見えないが故に埋もれていて、小さな不都合を解決している内に、本質が見えて来るようになる、そんな感じだろうか。

11月27日、最近よく使う調味料は梅酢。ほとんど飽和食塩水なので、塩の代わりにしか使えない食材なのだけれど、スープに塩味を足す時には、ほんの少しの酸味を加えるので重宝している。クエン酸の酸味だけだと違和感があるので、同じように酸味を含むトマトやリンゴなどを鍋に放り込んで、調和を工夫する。アルカロイドという言葉、アルカリに似たものだろうか、それが渋みや苦味となって現れることをクエン酸が封じてくれるような気がする。雰囲気だけのことなので、実際に化学反応が起きているかどうかは知らない。梅酢の効果を高めるには、スープに加える水は少ない方が良いようだ。仕上がったスープを飲み、いや食べ、仕事へ。

11月26日、訳あって 1.7 m の塀に、アシスト付きでよじ登った。昔はよく、ブロック塀の上を歩いたなーと、そんな記憶が甦る。全身赤だと、作業員のように見えて、かえって違和感がないだろうか。そんな場所で飄々と動ければ職人なのだろうけれども ... いや職人は幾重にも安全確保するか ... 素人は恐る恐る。そして最後は、飛び降り。なるべく重心を低くしてから降りるのが鉄則で、本来ならば、塀にぶら下がった後で最後に蹴って着地するのだけれども、ちょい冒険して、かがみ込んだ状態から片手をついて、1.7 m の飛び降り。着地も決まって、カッコ良く。その最後の最後でバランスを崩して、パラシュート効果のように後ろに尻餅。大昔からだいぶん大きくなったから、イメージが狂ってるんだなー。

11月25日、水曜日がやって来た。連休明けの昨日が月曜日で、今日はもう土曜日のような気がする。色々なことを並行して進めると、時間が経つのが早いものだ。昼食は何にしようかと冷蔵庫を開けると、色々な野菜の小片が集まっていたので、全部まとめて鍋に入れてスープにする。仕上がる間にプレプリントサーバーにアクセスして、今日の新作を楽しませてもらう。このサーバーの存在は、学問の世界を結構ドラスティックに変えたものだ、大昔の「レターをまず出して、本論文は後から」などという悠長な習慣は、ほぼ消え去ってしまった。レターに supplemental matter など添付できるようにもなって、雑誌の方も昔と同じというわけではない。今朝は海の向こうから、投稿するだけで(掲載されなくても)投稿料が必要な雑誌もあるという情報が届いて、そんな守銭奴の雑誌のレフリーは断ろうという機運もあるらしい。

11月24日、海辺の我が家から阪急六甲駅に ... いや、昨日の踏切事故の影響で、今朝の神戸線は朝9時過ぎまで止まっていた。久々に六甲道駅からの登山を楽しむ。天気は良くて、日照たっぷり。山登りには、これくらいの気温か、もう少し寒いくらいがちょうど良い。通り過ぎるバスはけっこう混んでいる様子だ。阪神御影からのバスも、同じように混んでいるのだろうか。登り切ってキャンパスに入ると、意外と人々の姿は少ない。まだまだ対面授業の割合が少ないままだということを実感する。このままでは生協も立ち行かない。ただ、将来の大学が完全に対面授業 only に戻るとも考え難い。遠隔には遠隔の良さがあることも、段々と判明して来たからだ。遠隔だけの大学というものが、将来的には出現して行くのだろう。それも、規制の緩い海の向こうから。

11月23日、雨が去って、風の1日となった。まだ寒気という感じまでは行かないのは、11月という季節ならではだろうか。街路樹は葉を散らしているけれども、大学の中庭のモミジは、まだ緑色のままだ。付近で一番遅い紅葉が楽しめる場所と言って良いのかもしれない。そんな中庭は、例年だとベンチに座って昼休みを過ごす学生に囲まれている頃だ、今年はベンチが撤去されていて、どうも味気ない昼休みとなっている。で、今日は祭日ながらプレプリントの処理などのために大学で過ごしている。この時期は祭日だろうと土日だろうと、そろそろ卒業研究に本腰を入れている学生と出会うものだけれども、今年はそれも遠隔なのだろうか、何だかひっそりしている。研究室にやって来てみれば、近くの学生が集まって試験の勉強をしていた。最後の最後で、ちょっとした大学らしさに安堵した。

11月22日、週の半ばのような暑さはないものの、まあまあの陽気で街中は人々で埋め尽くされていた。コロナウィルスは既に検出されているだけで 10 万人、実際の感染者はもう一桁以上多いのではないだろうか、と、繰り返しこの場で書いているけれども、ともかくも既に感染症としては一般的なものになってしまったのだから、今更ジタバタしても始まらないのである。政治家があちこちで活動していた。衆議院選挙が近い、そんな雰囲気が夏前からずーっと続いているけれども、いよいよの感覚だろうか。彼らも落選したらただの人 ... いや、そんなことはない、国政に一度でも噛んだ人は、その仕組みを知っているので、後々まで政党の要職を務めるものだ。目立った違法行為で収監でもされない限りは。

11月21日、貴腐ワインは高価な飲み物として重宝される。その原料の貴腐ぶどうの栽培が難儀だからだ。カビの一種が葡萄に取り付いて、水分を少しずつ奪って行くことで、糖度の高い干し葡萄のようなものが出来上がる。糖度が高いので腐ったり、酵母菌が繁殖したりしないのがポイントだ ... 但し均等に干し葡萄になるかというと、それまた気まぐれなものだ。このカビが取り付く環境では、葉や芽にもカビが付いてしまう。銅イオンを含有するボルドー液でカビの働きを抑え、何とか栽培を成立させているのが栽培品種の葡萄では一般的だ。ボルドー液なしの場合、葉の色が悪くなり、穴があいたり、早々に黄葉してしまったりする。そんな状態でも、葡萄は枯れることがなく、また翌年にはカビと戦いつつ育つ。強いものだ。

11月20日、雨が上がって、寒気が入るまでの、束の間の暖かさが残った朝を迎える。教科書的には、この後でもう一度か二度か、天気が崩れる時雨となるはずだ。寒冷前線の仕組みは何度見てもよくわからないもので、暖域で雨が降ったり、前線のやって来た時にさして雨が降らなかったり、西と東は雨なのに真上だけ抜けていたり、パターンが多彩だ。こういう天気を確実に予測できるようになるのは、まだまだ先のことだろう。という状況なので、今日は空を見たり、気温や湿度を眺めたり、降雨レーダーに目を落としたり、暇になる暇がない1日となりそうだ。

11月19日、MacBook Pro を乗り換える。といっても、少し前に発注しておいた、intel チップの Mac だ。数値計算用にコンパイラが使えるというのは intel チップの捨て難い魅力だ。移行が終わって、あれあれ、メールが移行されていない! ということに気づく。いや、OS が古いまま、強引に乗り換えたのがマズくて、OS を update すると自動的にメールボックスの読み込みが始まった。スクリーンが少し広くなったかな?コントラストは落ちた気がする。キーボードは元の少し深いストロークに戻って、押している感覚はアナログで良い。手首を浮かせてのタイピングに戻ろうかな。

11月18日、これでもう何日目の、初秋のような陽気だろうか。今日も何となく緩い空気が流れていて、11月も半ば過ぎだとは思えない気分だ。ただ、年明けまでの時間は限られていて、実質的にあと1ヶ月しかない。1日遊ぶと、年末までに仕上げる仕事がどんどんタイトになって行く。というわけで、陽気に誘われて遊びに行きたい気分を抑えて抑えて?執筆にいそしむ。研究も色々と放置してあるものを拾い上げて、形にして行かなければならない。こちらも書き物だらけで、レフリー対応など複数のものが並行して走っている、というか積んである。並べている内は現役という怠慢な感覚を覚えてしまうのだけれども、何か新しいことへ次々とトライするのが研究生活だ、カツを入れないと。

11月17日、夜もめちゃくちゃ暖かくて、一度寝た後で夜半に起きてゴソゴソとしていると、何だか早朝の雰囲気になって来た。こういう時には、もう燃え尽きるまで作業して、それから二度寝した方が良い。と、腹をくくって作業に入る。色々と見落としていたものがあるなーと思いつつ、あーでもないこーでもない、何をどう書くかの考えがまとまって来た所で次の睡魔がやってきて、構想だけを箇条書きにして再び寝る。何もやっていないように見えて、この作業は非常に大切だ。文章が進まない時には、たいていどこかで構想にギャップが生じている。おおよその所、気持ちが入るとダメで、科学的な文章は冷静に書かないといけない。冗談を書く時も。

11月16日、11月にしては、異様に暖かい。暖かいを通り越して、暑いという印象だ。上着を着て歩くと、汗だくどころか、熱中症になってしまう。しばらくの間、寒気を溜め込む状態になっているのだろうか。10 hpa の曲渦は、今年は広く北半球を広く覆う形で発生しつつある。準2年周期の切り替わりの時期になるのだろうか。眺めていて面白いのだけれども、その下の 200 hpa までの立体構造が、なかなか頭に浮かばない。ちょっと面白い所は、下層の低気圧の周囲には 10 hpa で円形のタマネギ断面のような流速変化のパターンが形成されることだ。垂直にエネルギーが供給される現場なのかもしれない。逆に、上から下への効果は何かあるのだろうか、20 km 「も」離れているからなー。

11月15日、全国的に販売網を展開して、広く営業している会社ならば、不評の一つや二つは必ず立つはずだ。ネガティブな単語と、その会社名をセットで検索してみると、引っかかる会社もあれば、ほとんどヒットしない場合もある。好評などポジティブな単語と検索すると、続々とヒットするのは当たり前で、その件数を眺めるのも興味深い。ヒットするページの種類もまた、参考になる。好評なのは、まとめサイトだけという珍妙な現象も。世の中、このようにお金を宣伝に使うべきだという、お手本がよくわかる。テレビが斜陽産業になるのは無理もないことだ、これだけネットの世界が跳梁跋扈たる(?)ビジネスの世界となってしまえば、一方通行のメディアは草刈り場ではなくなってしまう。似たような現象、アカデミックな世界でも起きてないかい?レフリーなど引き受けてて、ふと思うこともある。

11月14日、とても良い天気の中、少し遠出をして海風の香る街に降り立った。まずは風に導かれるまま海の方へと歩き始める。ひと昔前と、変わらない風景が広がっているようでいて、あちこちに新しい建物が建っていたり、印象に残っていた古い建築が消えていたり、時の流れも感じた。小高い場所でしばしたたずみ海辺に出ると、光が照り返しとても明るく暖かく、立ち去り難い風情だった。その後に、ウロ覚えの道をたどって歩いていると、段々と自分の位置を失い、方角の感覚まで鈍って知らない場所に踏み込んでしまった。こうして、何事にも油断と慢心は禁物であるという教えを受けた訳だ、有り難い不思議の一つと考えたい。日が傾いて来て、帰りの列車の時刻になってしまった。また訪れよう、今度はもう少し高い場所も目指したい。

11月13日、朝から MacOS の update 作業を行う。終わって立ち上げてみると、何じゃこれ、別のパソコンになったのか?と一瞬思ったけれども、しばらく作業している内に慣れて来た。Mac は Mac だ。時々、色々な箇所で引っ掛かるのは、まだ検索のキャッシュができていないから。作業している内に、段々と引っ掛からなくなって来た。バックアップが完了するのは、随分と後になりそうだ、今回の update は巨大だった。何となく、あちこちのフォントが小さくなったような、スペースを無駄遣いしているような来もする。アピアランスを、後で色々と調整して回ろう。段々と、Windows のように、何でも開いているウィンドゥの内部で処理できるようになって行くようだ。モバイルでの使い方が、そのまま反映されて来たということだろう。

11月12日、Tensor Network で何かを話すという時に、整理がややこしいのが Tree Tensor Network だ。Real Space Renormalization の中に、自然に溶け込んでいる概念なので、それを持って来るか?と試みると、どうも上手く行かない。Tensor Network の最適化という概念は Matrix Product State に対して構築されて来たもので、まだその自由さ、つまり flexibility を Tree Tensor Network には持ち込めていないのだ。じゃあ Matrix Product State だと簡単か?というと、これまた歴史が複線になっていて、統一感のある話にはならない。統計物理から見る流れだけで話すしかないかなーと、今頃になってゴソゴソと準備している。

11月11日、船の大きさを表すトン数、これについて今まで全く無知であった。昔は軍艦の解説ばかり見ていたので、排水トン数で艦船の大きさを表すのが常識だという固定概念のまま、全ての船でそうなのだと思い込んでいた。ふと、客船が「総トン数」を使って大きさを表していることに、ようやく気付いて、その定義を見て目からウロコ。船を密封してしまった状態での浮力が総トン数であると、ざっくり解釈することも可能なので、軍艦で使う排水トン数は随分と小さな値となる。貨物船の場合は上部が空いているとか、潜水艦の場合はどうだとか、結構難儀なものだ。そのうち、宇宙船にもトン数が拡大解釈されるのだろうか?(... 無重量状態では浮力ないけど ...)

11月10日、人々のプロフィールには、どこどこの講演会やら研究会で講演だとか、演奏会で○位だとか、海外での催しに参加だとか、少し改まった場での活躍を並べているものだ。今年は、そういう機会に乏しかったのではないだろうか。若手の登竜門が閉ざされた一年だったかもしれない。まあ、トップクラスの方にとっては、あまり問題ではないだろう。頑張って功徳を積もうという戦略に出るには、厳しい状況だ。物理屋さんの場合、主戦場は論文やプレプリントなので、単著論文であれば、良いものを投稿するだけで注目してもらえる。共著論文の場合には少し事情が違って来て、いったい誰がどんな役割を果たしたのだ?という疑問符がついて回る。こういう状況下では、実際に面と向かって話すことは重要だ。ハリボテの場合には、馬脚が現れてしまう。その逆もしかりで、聡明な説明に、尊敬の念しか湧かないこともある。やっぱり本物は凄いものだ。

11月 9 日、今年は(九州の西半分を除いて)台風が来なかったし、遅い梅雨明けの割には暑い夏が長かった。やませが吹き込むこともなく、特に北国へ行くほど米が(例年に比べて)多く採れた。もちろん、個別には日照り乾燥や長雨・日照不足に予期せぬ低温、急な集中豪雨などあって、SNS から特定の作物の全滅が流れて来たりもした。(西日本の米はイマイチだったらしい。)農業には、こういうバクチのような側面がある。特に、作付け面積が広い場合は収穫の凸凹が数字に見え易く、いわゆるアズキ相場の様相となる。果物の高級品は総じて値崩れした。これは人間の世の中での自粛が原因だけれども、高い安いというのも自由経済のなせる技だ。こういう状況で、生産や流通を安定して行う仕組みが先物相場であって、リスクヘッジとも称される。銀行の窓口で、リスクヘッジという言葉に接した時には、何が誰に向けてヘッジされているのか、いつも問い返すのだけれども、曖昧な返事しか戻って来ないのが通例だ。

11月 8 日、陸に上がった貝、カタツムリとナメクジと、その近縁の軟体動物たち、水からあまり離れられないとは物の本に書かれているけれども、結構どこでも見かける生き物だ。ちょっとでも湿度が高くなると、雨が降らなくても歩道に出て来る。好き好んでアスファルトの上を横断している訳ではなく、単に彷徨っているだけだとは思うけれども、その繁殖力の強さには脱帽するばかりだ。植木鉢の底に少し居るのを見逃すと、あっという間に食害が広がってしまう。これが美味しい貝だったら、人々が目の色を変えて探しまくる所だけれども、塩気がなくて食感も柔らかく、不味くはなくても積極的に集めて食べるほどのものでもない。スペインで、カタツムリ(カラコレス)のパエリアを食べたことを思い出すなー。

11月 7 日、大学入試の模試は、大勢の受験生(の予定者)が会場に集まってガヤガヤと、朝早くから夜遅くまで行われる行事だった。今年は様変わりして、ほとんどネットでの受験。本番も同様にネットだったら問題ないのだろうけれども、どうやらそうはならない。本番だけは、今まで通りの、受験会場での受験となる。ここで少し心配なのが、会場の雰囲気に慣れない方が出てくるのではないか?ということ。自分が受験した時のことを思い出してみても、ガタガタ机を揺らす音を立てる受験生とか、急に呼吸が早くなる人とか、まあ色々といて、そういうのを無視する訓練は模試で積んだものだ。さて、来たる入試の本番ではどうなるのだろうか、まあ、そういう部分も含めて入試は入試なのだけれども。

11月 6 日、例年ならば、今頃は夜遅くまで学生が学内で活動して、また、講義室からは逆に減って行く頃だ。大学祭はそれくらいエネルギーを傾ける行事となっていた。よやうく部活動も復活して来たから、今年も、それぞれ秋の創作・練習に明け暮れる素地はできているのだけれども、やはり披露する相手がいないと、いまいち機運が高まらないのだろう、キャンパスが何だかひっそりとしている。講義室の様子が把握できないのは、ちょっと難儀なもので、誰がどれくらい理解力があるのか?講義の理解が進んでいないならば何を加えれば良いのか?といったフィードバックを得るのに苦労する。メッセージのやり取りで良いではないか?と思われるかも知れないけれども、メッセージとはいえ文面に残るものには、書き込みのバリアが高いものだ。

11月 5 日、フィギュアスケートは、その華やかな印象に比べて、練習はとても地味だ。どんなに上手な人でも、氷に乗ると最初は基礎的な練習から始める。リンクの氷の状況を確認するという意味もある。そしてエレメンツやらシーケンスやらと、黙々と練習してからジャンプの練習に入る。リンクが空いている時には、ジャンプを抜いた演技の練習をしていることもある。リンクの営業時間が終わったら、あるいはその前に、音かけ練習してるらしい。スピードスケートの人々は、そもそも営業時間中には何もできないので、いつ何をしているのか想像するしかない。ホッケーの人々は夜遅く、時には深夜にも登場するらしい。氷の上はなかなか面白い世界だ。

11月 4 日、Mac の乗り換え。移行アシスタントで、おおよそ移行できるも、パスワード関係が歯抜け。どこに格納されているのか、よくわからないパスワードもあるので、まあ某所から紙に描いたヒント集とニラメッコして復旧する。幾つか思い出せないものがあった。それは仕方がないから再発行あるのみ。誰が見てもわかるように、紙にプリントアウトして貼るというのは超危険行為なので、それは避けている。イザとなったら、バックアップに回してある、元のマシンを復旧するのみ。結局は1日仕事になってしまったなー、スルリと移行できるように、やっぱりクラウドはある程度信用した方が良いのだろうか

11月 3 日、祭日だ祭日だ、と、のんびりしていて、ハッと気がついた。今日は火曜日なのだ。毎週、火曜日には arXiv にプレプリントが大量に掲載される。それを見て回るのは、とても時間のかかることで、何となく人生の無駄時間が増えているだけのような気もするのだけれども、そんな中に宝石が埋れいてることもあるので、油断はできない。そういえば、今日はパソコンの乗り換え作業も予定していた。昔は手動で行えたのだけれども、最近の MacOS は、そうも行かない。アシスタントに任せて中身を移した上で、ライセンス再登録が必要なソフトやら、再インストールが必要なソフトやら、色々と細かい詰めを行う必要がある。まだまだ、ハードウェアとソフトウェアは「一体のもの」で、ハードの上をソフトが「滑るように移動できる」時代は来世紀を待つ必要があるだろうか?

11月 2 日、朝から雨。神戸大学は山の中、というよりも雲の中。あちこちから雲が湧いて出るような、南風の朝となった。空がけっこう暗くて、上層から下層まで、色々と雲が重なっているかのようだ。こういう天気の時に飛行機を利用すると、最初は暗く、上空はすっかり晴れてという感じになる。途中で乱気流が少しあったりして、暇になる暇がない。そして外国の見知らぬ空港に着陸すると、また雨。それも、もう夜のはずなのに、まだ夕方という感じ。そういう空の行き来が、あまり必要ない世の中になってしまったなーと思いつつ、雨の空を見上げる。船を使って大陸を渡るという需要も、大昔にはあったのだろうな。

11月 1 日、今日は生暖かい秋の一日。低気圧が近づいていて、南風が吹いている。月曜日に雨が降れば、秋が深まるのだろうか。少しだけ桜の木の葉が紅葉し始めた。落ち葉を集めると、それなりに秋色となる。でもカエデはまだまだ緑色のままだ。あれは師走に入る直前に、ようやく紅くなる。ハロウィンが終わった海の向こうでは、今日は世を去った人々の日ということになるのだろうか。どうも、南国の日本では季節の入れ替わりと合わない風習だ。そんなことをボンヤリと考えつつ、予算申請の書類に心血を注いだ。ボーッと構想すること2カ月、執筆1週間、審査員に読んでいただける文章になっただろうか?

9 月と 10 月の1行日記