← 3 月と 4 月の1行日記
2 月29日、オイルショックの際に、大人たちがトイレットペーパーの確保に苦労していた様子が記憶の中に、かすかに残っている。香川県という田舎では、それほど深刻な不足にはならなかったようにも思うのは、当時子供だっただろうか。同じようなことが神戸で、今の時代に起きるとは思わなかった。これまた、神戸という「田舎」では首都圏ほど酷い不足ではなくて、よくよく探せば残っているところには残っている程度の不足であったし、朝一番には確保できるのであった。ともかく、紙が手に入って何とかなった。イザとなったら、新聞紙?だろうかなどと想像していた。今はキャッシュレスの時代だから、どんなに金持ちであってもお札で ... という訳には行かないだろう。
2 月28日、コロナ騒動のおかげで?物流は滞り行事は中止となり、要するにお金の循環が止まりつつある。時は金なり、という表現があるように、物事の経済的な価値は、それがどれだけ消費・生産に「時間あたり」寄与するか?という物差しで、おおよそ決まってしまう傾向がある。従って、ノンビリモードになると経済はどんどん冷えて行く。バカンスのように、その分、どこかで消費が起きているならば話は別だけれども。コロナ騒動に恨み言を吐くか、それともサイバースペースでの人間活動を加速する契機となった歴史的な転換スイッチが入った事象と捉えるかは、後世の人々が判断してくれるだろう。学会なども、実参加とサイバー参加の両方あっていいんじゃないか?それらが mix された形で運営されるならば、と、思う所がある。
2 月27日、大学入学共通テストの英語、民間業者による試験の導入は流れた。英語の理解を試すだけの試験が大学入試に重要であるか?という点について意識を新たにする良い機会であったような気もする。あちこちの大学の「二次試験の英語」を眺めてみると、業者テストのレベルを超えたテキストの読み込みが必要な設問が目立つ。文章に書いてあることを読み取るのは当たり前で、その上で記述内容について「英語で」よく考える、登場人物の心情について「英語で」寄り添い、自分なりの意見を英文に落とせる、そんな展開能力が必要なのだ。Gibbs が遺した統計力学の文献 Elementary principles in statistical mechanics の前文など読むと、理系にもこの能力が必須であることが理解できるだろう。
2 月26日、あらゆるイベントが中止となって、どうやら大学教員もまた「自宅研修が基本」という事になりそうだ。とある学部では普段からそのように行動している教員も少なくはない、と噂で聞いたりもするけれども、伝聞情報なので本当なのかどうかは知らない。学業とか理論的研究というものは、要するに座して何かを推論して行くという作業なので、乗り物に乗っていようと、自宅に居ようと、職場で仕事しているフリしようと、実態としては同じである。研究指導も、ある程度はメール等で可能だし、期末テストも卒業研究発表も終わった今は、大学で指導しようにも学会の予行演習くらいしか、面と向かって行う作業はない。あ、学会もまた、あらゆるイベントと同じ扱いになるのであった ....
2 月25日、風邪が吹けば歯磨き・歯ブラシ屋が儲かる、そんな時代になるのだろうか。新型肺炎が大問題とされているのは、ある程度の確度で診断がつくようになったからだ。昔だったら、何となく重症化する風邪が流行っている、という程度の認識だっただろう。もう少し技術が進歩すれば、誰でも毎日のように感染症も含めて健康診断ができるようになるだろう。病原体を持っている健常者を割り出せるようになれば、何も怖いことはないわけだ。そのセンサーとして使えそうなものは?と身の回りを見渡して、トイレットペーパーか、歯ブラシ・歯磨きか、その辺りかなーと。公衆衛生ここまで至る、という時代が来るのだろうか、来たらその先の人類・生物界はどう変化して行くのだろうか?と、ボーッと考えて週明けとなる。
2 月24日、Twitter の方へ、陽子と中性子の色について投げてみたら、結構皆さん関心があるみたいだった。素粒子について色を定義するとするならば、可視光領域での散乱スペクトルを基に議論するしかない。粒子が宙に一つだけ浮かんでいるならば、電磁気あるいは量子力学の散乱問題となる。プラズマになっていれば、また話が変わってくる。原子や原子核のように束縛状態にあるならば、そのエネルギースペクトルが問題となる。要するに、素粒子それ自身の色を問われても「どのような色にでもなりますよ」としか言えないのである。あなたの色は何色ですか?と問われたら、さて、どう答えたものか。赤いとするべきか、紅いとするべきか、はて。
2 月23日、天気が回復して、花粉が飛び始めた。これでは山歩きも散歩もままならない。家にこもって、あれこれと雑事をこなす。植木鉢の管理など始めると、ついつい時間が過ぎて行くのである。まず、室内の鉢は石灰か何か訳のわからない結晶で埋め尽くされている。水道水の中に、結構な量のカルシウムなど塩類が溶け込んでいるものだ。塩、NaCl も含まれている。放置しておいてもヘッチャラな植物もあれば、塩が増えて来ると調子が悪くなる植物もある。ともかく、見かけが悪いので、鉢の底、受け皿など、ゴシゴシと洗う。よくよく見ると、表面に生えているコケも結晶でバリバリに硬くなっている。これもはぎ取って、新しいコケを生やす。無駄な枝も切って、と、気がついたら日が暮れていた。
2 月22日、ドラッグストアに行くと、棚が空いているコーナーが目立つ。つい、この前まではマスク。最近は、紙類。大昔、石油ショックの際に、トイレットペーパーが売り切れて、スーパーマーケットでとんでもない光景となった。日用品の品薄が先なのか、それとも外為の大きな動きが先なのか、大局的な観点を当時は誰も持っていなかったような覚えがある。とは言っても、何せ小学生の折のこと、当時の首相の口真似などをして遊ぶのが関の山、あまり社会不安など感じなかったものだ。今の小学生も似たようなものだろうか、大人が心配そうにしていてはイケナイ。まず先に遊ぼう、コロナを避けて山歩きしようか。
2 月21日、ヒマラヤ杉と松を一年間ほったらかしていたら、ともにトンデモナイ枝ぶりになっていた。どないしよ、と、悩みつつ、とりあえず自明におかしな枝から切って行くと、段々と解決方法がわかって来た。要するに、幹をどのように伸ばしたいか、どの枝を最終的に残すかという基本的なことが見えていなかったのだ。ひとたび、このポイントが理解できれば後は楽々なのである。思い切って、バサバサと枝を落として、作業完了。少し寂しいような庭になったけれども、地面に根を張っている植物は春になると直ちに伸び始めて、また来年には頭を悩ませてくれるのである。やがて「どの木を切り倒そうか」という選択になるかもしれない。
2 月20日、教育の効果というものがどれだけあるのか?というのは、毎年のように自問自答するところだ。大昔のように、子供の頃から農作業を手伝って、時には大工仕事やら祭りやらと様々な社会活動も行いながら子孫へと社会をつないで行く場合、大多数にとって迷いもなければ無駄もない。経済の発展は付加価値の多様化、つまり手に入れたいものの選択肢が増えることだ。社会の発展も似た所があって、時間の使い方、人生の進み方が多様化して行くことが近代の流れだ。それを支える教育は「まあどこへ出しても大丈夫なように」とアレコレと教える訳だけれども、当然ながら教えられたことの殆どが無駄な知識となる。教育活動は無駄な所が良いのであって、教員は役に立たないものである、という社会認識がもっと広まって良いのではないかと思う。社会の発展の結果、必然的にこうなったのだ。無駄を惜しんではいけない、と、宣伝しておこう。
2 月19日、研究指導を受けるという場面で、教えられた内容がそのまま何かの役に立つということは、あまりないのではないか?と思う。そういう知識を昔の人々が得たんだ、という認識についての理解はできても、次に何か新しいことを行うときに使えるかどうかは別問題だからだ。むしろ、道具そのものを自分で造って新たな境地へと至るという場合が多いのではないかと思う。登山の歴史に似ているかもしれない。そのように考えると、大学院での研究指導というものも、あまり細かく行っても仕方ないのではないか?と思う所もある。少し先輩の研究者曰く、卒業する時には余力を十分に残せと。そこで疲れ果てては何にもならない。
2 月18日、花粉が飛んでいる、花粉が飛んでいる、花粉が飛んでいる。コロナウィルスはどうでも良くて、この花粉を何とか撃退する方法を考える方が先だ。後の人々のため、杉やらヒノキは、これ以上植えない、生えているものは片端から切り倒して材木にするか端材にするか燃料にしてしまう、日本古来の照葉樹林を復活させる、これらに限る。木がないと材木はどうするんだ?という話となるかもしれないけれども、それこそ技術革新なのである、培地の上に苔みたいな薄い膜を形成層として配して、材木を人工的に作る技もそろそろ実現していいんじゃないか?ともかくスギ花粉は消えろ! と叫ぶ春の日。
2 月17日、春分の日はまだ先だけれども、18時が暗くない日々がやって来た。地面を眺めると既に春の花が咲き始めている。カラスノエンドウが伸びて、ホトケノザとかヒメオドリコソウなども、可愛い姿を見せている。これらは雑草なので、美しいのは春先だけ。少しでも気候が良くなれば、伸びるだけ伸びて地面を埋め尽くし、タネを残したらサッサと枯れる。花壇などで放置すると大変なことになるので、目を光らせておく日々が続く。今年はデッキの上の花壇がなくなったので、管理がだいぶん楽になった。新芽が出ないうちに、もう一箇所の木々を剪定しておこうかな。
2 月16日、雨がやって来る。内科医が言うには、雨の日が続くとインフルエンザの患者が増えないのだそうな。感染が抑えられるという側面もあれば、湿度が高くて冷え込むこともないから、症状も抑えられると言うことらしい。コロナウィルスも、日本の梅雨を乗り越えてまで蔓延が続くとは、あまり思えない。雨よ来い来い、と思って天気予報を見ると、今日の雨のあとはしばらく乾いた寒風が吹いて寒いのだそうな。週明けは山籠りして人々との接触を断とうか ... いやいや、今週の前半には大切な行事が並んでいる。決算へ向けての様々な準備も始まる時期だ。昨今の日々で、様々な数字が予算から下振れしているに違いない。
2 月15日、新型インフルエンザでは、いち早く患者の診断が出て全国的に有名?となった神戸、今回の新型肺炎では奈良や和歌山からの報道となり、いまの時点では普通の日常風景だ。というか、新型インフルエンザの時も、マスク姿が目立つだけで特段の騒ぎはなかった。もっとも、これには微妙な運もあって、毎日のように報道されている客船が予定通り神戸に入港して、そこで留め置かれていたら、事態は全く異なっていたことだろう。ポートアイランドが文字通り、医療アイランドと化していたかもしれない。コンテナを並べて臨時の病院を建てるスペースもポートアイランドや神戸空港に広々と残っている ... 残っていること自体が問題か。
2 月14日、木々の枝、冬の間はどれが枯れていて、どれが活きているのか、よくわからない。やがて枯れる運命だとしても、緑色のままだとか、みずみずしいままの場合があるからだ。やがて春が近づいてくると、枯れるものはだんだんと色が悪くなって、細く乾いて行く。そして、選ばれた枝に水分や栄養分が集結して充実して来る。芽が膨らんで、新緑の季節となる。この見極めが結構難しくて、冬の間に剪定した枝が、実は「選ばれた枝」の方で、残したのが枯れる枝という「結果論としてのヘマ」に遭遇する。そんな場合には、枝振りがおかしくなるので、少し手前から切り直したり、全体の剪定の計画から練り直したりする。
2 月13日、結露の朝、大学の辺りは霧の中。冷えている建物に湿った南風が吹き付けると、次々と結露して水たまりだらけとなる。相対湿度で考えると滅茶苦茶高い湿度という訳ではないのだけれども、大気が含むことのできる水蒸気の割合は気温とともにどんどん多くなる。結果として春先には、こんな朝を迎えることが多くなる。北国へ行くほど、この結露の時期が遅くなって、梅雨の走りの時期に結露に出会うこともある。そんな昔の、北国?暮らしの思い出もよみがえって来て、しばしボーッとしてからの仕事始め。やっぱり日本は海に囲まれているなーと、改めて感じる。水蒸気が運ばれて来て、春が来る ... 来た。
2 月12日、研究発表で大切なことはは意思の疎通だというのが、毎年の教え。発表している最中も、聴衆をよく見て理解しているかどうか、内職しているかどうかなどよく把握して話を進めて行く必要があり、その作業が可能なように話を組み立てなければならない。発表が終わって、噛み合った質問が沢山出てくるのが良い。意思の疎通が取れていないと、要するに何の話だったかよくわからないので、的を外した質問が飛んで来る。発表者は、ここでも意思の疎通を図らなければならない。何を意図とした質問であるか、よく理解できない場合には、質問の意図も確認しなければならない。まあ、研究の背景や目的というものは、その世界に何年も居ないと見えて来ない物もあるから、駆け出しの研究者に全てを求めるのは荷が重たすぎるのは確かだ。
2 月11日、今日は平日である。プレプリントサーバーに、たくさんの論文が積もっている。おおよそ春節が明ける今の時期に、中国からたくさんの論文が投稿されるのが今の時期の特徴だ。大陸で社会活動が戻って来た感触がある。火曜日に上がる論文の量は、もう目で見る限界に近づいていて、この先南米やインド、そしてアフリカの隅々にまで物理学者というか科学者がどんどん増えて行くと、プレプリントサーバーを閲覧する方法そのものを、何か工夫しなければならなくなるだろう。そのようになるのは次の世紀ではないだろうかと思う。私自身は、この先も「肉眼で」論文を読み続けることだろう。
2 月10日、この冬一番の冷え込みになるか?と身構えていたら、未明からわずかに南風が吹いて暖かくなって来た。日光が地面を温める効果が、もう効き始めていることを感じた。さて、今のシーズンは冬物が投げ売り状態なので、毛布などを仕入れるには良い時期だ。売り場へ行って購入して、商品の梱包など行われている間に、その辺の商品を適当に観察していると、とても良さそうな品々が目に入った。カシミアの毛布である。値札が凄くて、30 万円とか 70 万円とか。希少価値とはこのことか、と思った。ちなみに、私が購入したものは、その 1/100 くらいの値段のもので、これが分相応というものだろう。教員は貧しい、とまでは言わなくても、「富裕層」ではないのである。
2 月 9 日、寄せ植えという園芸がある。二種類以上の草木を鉢に植えて楽しむという趣向で、色々なパターンがある。何年もそのまま楽しめるように植えるのはバランスの維持や湿度の管理、そして根詰まりなどの理由により結構難しくて、どちらかというと1シーズン楽しんで、またバラしてという、生け花に近いスタイルの園芸かもしれない。そのように割り切ってしまうと、一つの鉢に幾らでも小さな苗を詰め込んで豪華な寄せ植えを作れる。ホテルやレストランで目にするのはこの類の寄せ植えで、ひととき人々の目を楽しませた後にはバラして、廃棄すべきものは廃棄となる。商売上、なるべく豪華な方が数字も上がる。日々の研究もそんな風になりつつあるのだろうか?
2 月 8 日、ブリが出回る季節で、安いものが沢山並んでいる。一番安くつくのが、丸々の一本買い。一匹だと高価にみえるのだけれども、切り身にした場合の値段を考えると半額以下で買える。ついでに、頭も中骨もついて来る。冷蔵庫が大きければお勧めの買い方だ。実際にバラしてみると、魚の切り身というのは手間賃そのものだと実感できる。プロはあっという間にさばいてしまうけれども、それでもあの大きいブリをバラすには数分以上はかかる。素人がやると、1時間にもなる。休日の時間の過ごし方としては悪くないような気もする。少しでも腕をあげたいとは思うのだけれども。
2 月 7 日、この冬一番の冷え込みで、大学周辺は氷点下になったのではないだろうか。ただ、あまり風がない朝で、寒いとは感じないのが不思議な所だ。午前中は曇っていて太陽の暖かさはなかった。さて大学では?今日は修士論文の提出日なので、締め切りの直前くらいまでは熱気というか殺気が感じられる。それを過ぎると院生たちは、ひとまず休憩。4年生の研究発表準備もあちこちで行われている。自分もまた研究の仕上げに協力する立場である。「指導」して何とかなるものでもないし、「お助け」を直接的に行うこともまた難しく、ただひたすら仕上げようという気力と体力を、「下支え」するほかない。
2 月 6 日、イジング模型という、よく知られた磁性モデルに対して、どれだけのアプローチが知られているのだろうか?と、思案するほどたくさんの解析方法がある。その中に Coherent Anomaly Method (CAM) という手法があって、一時期よく話題となったのだけれども、計算機の能力が上がるに連れて、発展的に他の計算手法に吸収されて行った「かのようにも見える」ものがある。実のところは、CAM がどのように収束して行くのか、ハッキリとは知られていない部分が残っている。もし指数的に速く収束するのであれば、今でも (いや今こそ?) 使う用途がある。いっちょ、調べてみるか???
2 月 5 日、この冬は、まだ「自覚できる形で」風邪になったことがない。授業を行なったり期末試験を行なったり、あちこちの会議に出たり、毎日の通勤で電車やバスを利用すると、風邪になる機会はいくらでもある訳なのだけれども、今のところは明示的に感染せずに済んでいる。咳やくしゃみを繰り返す人を、あまり見かけないという気もする。ようやく「咳エチケット」が浸透して来たのかもしれない。それもこれも、新型肺炎への対策から生じた慣習で、人々の自己防衛の結果と言えるだろう。そういえば、バレンタインデーのチョコレート特設売り場も、何となく閑散としている。歴史の折り返し地点に立っているのかもしれない。
2 月 4 日、今日は雲がない1日であった。移動性高気圧が上空を覆っていて、スカッと晴れた冬空。いや、空だけを見ていると春になったような気分だ。神戸大学まで、最寄りの阪急六甲駅から登るだけで汗だくになってしまう。ついつい、周囲の学生と同じペースで歩いてしまうからかもしれない。汗が出る状態まで体が温まってしまうと、冬物の衣類も簡単に汚れてしまう。それでも、周囲が冷たければ、さして問題とはならないのだけれども、暖かい所にやって来ると異臭を放って、いわゆるスメハラ状態となる。冬の間に一度はクリーニングに出さないとダメかなーとも思う。その間の着替えはどうしたものだろうか、お古を掘り出してこよう。
2 月 3 日、節分がやって来た。赤鬼が里に降りて来て悪さをするのだそうな。豆を投げられて逃げ帰るというストーリーになっている。青鬼も降りて来るんだったっけ?さてこの鬼、記憶の中にある鬼は巨大なのである。ずーっと見上げるような感じ。で、ついでに、鬼の面は下からみると「人間のアゴ」が見えてしまうのだ。小さな子供の前で鬼を演じる時には、あまり近寄ってはいけない。見抜いて、シレッとしている子供たちも居て、それぞれ洞察力鋭いなーと感心する。というか、本質を見抜く能力に年齢は関係ないという気がする。教員として、指導の鬼になったとしても、間抜けな中身は見抜かれてしまうのだ。
2 月 2 日、ありがちなガラクタを探してみる。使われなくなった鍋、食器類、保存食用の瓶。長年触っていないチープなキーボード。工具類でも、錆び付いてしまったら復活させるのは、ひと苦労だ。机の中にしまったまま、何年もアクセスしていない小物類。裁縫道具。そういえば、小学校の家庭科で「つぎ当て」の方法など習ったけれども、穴があくほど使った衣類は布が痩せていて、通販で新しいものを買った方が安くつく。また、時間の節約になって、その分だけ働ける。昔とは中間マージンの取りどころが変化して、習ったことがさして役に立たないということだろうか。身に付けた知識が、まず最初にガラクタとなる。ここに勉学の本質があって、最終的には良いもの?だけが残る。
2 月 1 日、休日の大学にやって来るも、久しぶりの陽光に誘われて散歩に出かける。西へ行くか東へ行くかが分かれ目。西に進むと、すぐ山道に入ってしまう。神戸辺りは東へ行くほど、広々としていて六甲山麓に眺めの良い住宅地が広がっている。御影駅の上あたりが少し山っぽくて、そこから住吉へ入ると、山の中腹なのに豪邸が立ち並ぶ一帯となる。大昔には、資本を持った人々が学校くらいの広さの邸宅を構えていたらしい。今はさすがに細分化されているのだけれども、それでも鉄筋コンクリート造の立派な家々に外車の組み合わせだ。そんな風景を見つつ、岡本で阪急まで降りて、散歩は終了。少し(だけ)はダイエットになったか?
1 月31日、頭上から、米粒のようなものが降って来た。この冬に初めて見る、自然界の氷であった。気温はまだ高いので、雪でもなく、みぞれでもなく、氷の粒になってしまっていたけれども、ようやく冬がやって来たという感覚を月末になって得た。もっとも、太陽の光は戻って来ていて、日差しは暖かい。これから一週間程度、この安定した弱い冬型が基本的には続くらしい。桜の木を見上げると、何となく花芽が充実している。大学の卒業式の頃には、桜が咲いていそうな気もする。今年も各地で「花のない桜まつり」が開催されるのであろうか。ついでに、上空 30 km では、突然昇温が起き始めたかもしれない。
1 月30日、MacBook Pro の MacOS を update しようとして、居室の wifi が落ちていることに気がついた。普段使っているデスクトップはケーブル接続なので、ノートブックを使わないと Wifi の切れに気づかないのだ。機器の点検をすると、電源が落ちていた。電源ケーブルを挿し直しても、ランプ点灯せず。これはもう寿命がやって来たかと諦め気分で、機器の入れ替えを行っている最中に、まあもう一度くらい、電源ケーブルの抜き差しを繰り返してみようかと思い立って、数回抜いたり挿したり。すると見事に復帰。まあ、やがては壊れるんだろうなと思いつつも、使える機器はなるべく長く使おう。そのうち、どうせ、セキュリティー関係で捨てる日が来るから。
1 月29日、最近、大学の周辺でよく目立つのが、伐採された樹木。大学の周辺と言っても、大学の敷地ではなくて、神戸市が管理している場所もある。近年では、強い台風もやって来て、その度に倒木が出るので、予め倒れそうな木は切っておこうということだろうか。道路を歩いていても、大きな木が切り倒された ... いや、道路では倒せないから上から順番に吊りながら切って行ったのだろう ... 跡が目立つ。桜の古木が切り倒された場所には、細い桜の苗が移植されている。どんな木も、放置すると自然のままに大きくなって、やがては切り倒すことになる。まだ小さい内から、小さく管理すると良いのだけれど、まあ手が回らないだろうな〜
1 月28日、嵐のあとの野山を歩くと、たくさんの枯れ枝が ... いや、枯れていない枝が落ちている。今年は本格的な寒さが来ていないので、落葉すべきものでも落葉がまだだったり、枯れ切っていない枝葉がたくさん、地面に落ちている。木の実もたっぷり、地面に並んでいた。ともかくも、こうして風が吹くと木々は風通し良く形が整い、来年、じゃなかった、これからの春に伸びる準備が整う。学業も同じようなものかもしれない、卒業というのは、ある意味「もうこの勉強は必要ないですよ」という安心を与えるようなもので、すっかり忘れ去って次なる場所に進むのが良い。ちなみに、大学では1から、0から、いやいや、−1から学問を整理して教え直す。そうしないと、先へ進めないからだ。
1 月27日、強い東風が吹いて、道ゆく人々が傘ごと飛ばされそうになっている。この時期の冬に、強い東風は珍しい。気温は10度くらいあって、風さえなければ割と暖かいはずなのだけれども、日光もないく、肌寒さを感じる。この後しばらく、前線と低気圧が北上を続け、日本海に低気圧が入る予報となっている。週の後半に差し掛かる頃に、ようやく寒冷渦が西から追いついて、冬らしい天気に戻るはずだ。ただ、地面も海も相変わらず暖かいままなので、めちゃくちゃ冷え込むことはないらしい。不思議な天気は、まだしばらく続く。そんな事を見ている内に1月も末となってしまった。
1 月26日、高校で学ぶ物理学の内容は、大昔からあまり変わっていない。科学と人間生活という章は、現場で適当に教えられるか、完全に「読んどけ」モードだろうからページ数が多少あっても勘定には入れない。それ以外で、昔と比べて増えたのは、クォークとかゲージ粒子などで、これも「サイエンスとは言い難い話題レベルのもの」に過ぎず、これまた本質的な変化ではない。逆に、角運動量が消滅していて、習う内容としては減っているような印象も受ける。ところが、入試問題となると少し風向きが変わって、昔よりも全体的に難しくなっている。予備校的指導が、予備校のみならず高校にも浸透して来たらしい。本質を学ぶだけでいいと思うのだけれども ...
1 月25日、ミクロ経済学は多少学んだのだけれども、経営学は全く学んだことがない。財務諸表などを見る力が無い状態である訳で、これではいけない、勉強しなければ。その表の中に、経営の実態が反映されているかどうか?は、あまり自明で無いこともある。本来、ある場所に付けるべき人件費が別の場所に飛んでいたり、仕入れなどについても区分が変わると片方にプラスが、他方にマイナスが加わって、あらゆる場所で赤黒の凸凹が出来上がる。こうなると、もはやどこに経営の実態が存在するのか、素人目には訳がわからなくなる。一つだけ、全部足して幾らやねん?という丼勘定の数字があるはずで、まずはそこから読み解いて行こうか。
1 月24日、球根は適度な湿気があると、すぐに根を出す。台所にあるものだと、玉ねぎとかニンニクとか百合根とか。エシャロットもそうか。玉ねぎは特に要注意で、内側に根を出して伸びる準備を始める。外から水の供給がなくても、花を咲かせて種を作るぞ、という魂胆だろうか。ニンニクは芽が伸び始めると、何となく柔らかくなってしまって、調理に使えなくはないのだけれども、どちらかというとニンニクの芽を育ててから食べたくなる。百合根は、もう少し気温が高くなるまでは待機状態。根を張って芽は充実して来るけれども、直ちに伸びるという訳ではない。それにしても、今年は春が早いなー。
1 月23日、暖気が入ってどんどん暖かくなる天気予報を信じて待てど、暖気は吹かず。アメダスを見ると、ホンの少し南までは暖気が届いて暖かくなっている。これが前線を挟んだ場合の天気予報の難しさだ。これから先の天気もまた、ずーっとBからC程度の不確実さを抱えたままとなっている。まあ仕方ないなーと思う所もある。雨が降ると湿度が上がって、ウィルスの生存期間 ... じゃなかった、あれは非生物なんだった ... 感染可能な時間が一般的には短くなる。これは、学期末には好都合だ。11年前の新型インフルエンザ騒動(による学校閉鎖)の繰り返しは、まっぴら御免なのである。まずは美味しいものを生協で食べて、体力をつける事から始めよう。
1 月22日、既に、菜種梅雨の様相を呈して来た。ということは、年明けの嵐はやっぱり「春一番」だったのだ。季節は速く進んでも、人間社会の営みは急には変わらず、これからが学期末だ。また、4年生にとっては大学生活の仕上げ ... とはならない。物理学を専門に学ぶ学生の多くは大学院に進学する。実質的には、医学部と同じように6年生まであるようなものだ。お医者さんの場合には6年で卒業したら(卒業できれば)とりあえずは、医者の駆け出しとして収入を得る道がある。物理学の場合、博士課程に進む時点で学振のような収入源を確保できることが稀で、しばらくの間は自助努力か、周囲からの補助が必要となる。いま、こうして教員業と研究職を兼業したような状態で働けるのも、親が補助してくれたからなのだ、ということを改めて実感。さて雨の前に帰ろう。
1 月21日、センター試験の物理、興味深い出題もあった。それは第1問の問5の「重心系で見た」2物体の衝突。高校物理では、重心系は発展として囲み記事扱いとなっている事から、問題文に重心系の言葉は出てこないけれども、設定はまさに重心系そのものだ。そして、衝突後の片方の物体の「運動の向き」だけが示されている。弾性衝突とも非弾性衝突とも書いてなくて、一体どんな運動なのだ?と、一瞬考える時間が生じる。初期状態で系の全運動量がゼロであることに気付けば、あとは簡単なのだけれども、そこへ至る試行錯誤があるという意味で、新傾向の出題となっている。大学入学共通テストへの方向性として、良いものだと思う。また、今年の出題に、会話文などの蛇足が付け加わっていないのも、大変良いことだと思う。
1 月20日、新聞を開くと、センター試験の問題が掲載されていた。物理の問題に訂正があって興味深かった。設問の文章の中に λ × [ウ] と書いてあって、ウの中に m + const. を候補の中から選ばせる出題だ。誰が読んでも、スルーっと係数λの m + const. 倍だと思ってしまう所が、落とし穴なのである。代入という概念ならそうなのだけれども、単に文字を書き写すという方式で式を起こすと λ × m + const. となって、長さの次元を持った mλ と、無次元量の const. の和になってしまう。このように解釈すると、適当な解なしとなり、出題ミスとなるわけだ。水際で防げたのは幸いと言えるだろう。それはそうと、元々の式も、数として代入を考えるにしても [ウ] λ の順番なのではないか?と思う所もある。問題作成は難しいものだ。
1 月19日、日曜日の朝だというのに ... 今日はちょっと少ないか。理系科目の受験者は、センター試験1日目の文系科目に比べると、随分と少ないようだ。昨日みたいに、予備校関係者が改札の前で立っているわけでもないし、今日はノンビリした空気が漂っている。さあ、今日はノンビリ、昼間の三宮散歩を楽しもう。神戸港のあたりまで、散歩しようか。それとも、バーゲンの売れ残りでもあさりに行こうか?まずはカフェに入って、一服することにしよう。... あ、大丸神戸店のカフェが改装で閉まってる ... エスプレッソのスタンドくらい、簡易でやってくれてたら助かるのだけどなーと、思いつつ、近くのカフェに入る。神戸のコーヒーは、割とどこでも美味しい。
1 月18日、土曜日の朝だというのに、海辺の我が家の最寄駅から三宮まで、通勤電車のような混雑ぶりであった。そうか、今日はセンター試験の日なのだ。参考書を手にしている受験生もいれば、携帯を眺めていたり、友達同士で屈託のない話をしていたり。中には浪人の決意を語るツワモノも。これから先は、受験生が選ばれる時代ではなくて、大学が選ばれる時代なのだから、堂々としていれば良いし、わざわざ浪人しなくても ... なんて言うと、個人の自由を無視した富国強兵論者だと揶揄されそうだ。全員が実力を出し切れるようにと、よく激励したりされたりする受験だけれども、それは無理というもので、結果や出来栄えが次の行動に悪影響を及ぼさないことの方が重要だ。
1 月17日、25年前に震災が起きた時には、仙台に住んでいた。その年のゴールデンウィークには JR が既に開通していて、その復旧の速さにびっくりしたものだ。その時の工事の痕跡は今もありありと残っていて、使えるものは何でも使う、使わざるを得ないという災害復旧の難しさを示している。ポートライナーに乗ってみると、震災の前に出来上がっていた軌道はあちこち波打っていて、何とか許容範囲の内に収めている。神戸空港の建設時に新設した軌道が実に真っ直ぐで美しいことには、眺める度に、ある種の感動を覚える。毎朝の通勤に使う阪急六甲駅もまた、よくよく眺めるまでもなく、あちこちに地面がズレた跡がある。内陸の直下型地震は恐ろしいものだ。
1 月16日、今年は野菜が巨大であるような気がする。白菜にしてもブロッコリーにしても、既に春野菜のような様相で売り場にうず高く積み上がっている。このまま行くと、本当の春先にどんどん塔が立って、端境期に野菜が枯渇してしまうのではないか?と感じられるほどだ。どんどん購入して食べられる内に食べてしまおう ... 単に食い意地が張っているだけか。大学を散歩すると、ハゼの実などもまだまだ残っている。鳥が飢えていないという事は、昆虫などが活動しているのか、それとも実をつけた野生の麦がたくさん残っているのか。ともかく、こんな時期まで雪も霜も氷も見ない年は、記憶にない ... 昔の記憶は薄れるものなので怪しいけれど。この週末も、まあまあの天気らしい。
1 月15日、この週末に大学で研究を行うために必要な「入構許可」の書類を学生さん達が持って来た。そうか、もう研究成果の発表の日まで、ひと月くらいしか無いのだ。指導者として書類に署名捺印して、提出してもらう。ついでに、次の学会まで2カ月を切っているではないか、研究の成果については、早めに「簡潔に」取りまとめておかなれば。何かをまとめる、という時に、大切なことはコアとなる部分の論理と順番がシッカリしていることで、それらを箇条書きして並べるだけで、全体像が浮かんで来るのが望ましい。ともかく、仕上がるまで推敲の毎日である。それらとは別に、自分の発表やら論文も仕上げて行かないと ...
1 月14日、街行く人々が急に着膨れしたように見える。少しは寒い日がやって来たという要素もあるだろうか。バーゲンで購入した衣服は冬のうちに着ておかなければ、という感覚かもしれない。中には、寒冷地で着用するような完全防備のコートもチラホラと。外回りの警備員が身につけているような、足まで覆う大きなコートだ。あれは確かに暖かいのだけれども、脱いだ時に置き場所を取るし、重たいし、トイレに行くような場合にも気を使う。どんなものにも一長一短があるものだと、しみじみ感じる。テンソルネットワークにも似たような所があって、ベストなものを目指すとプログラミングが面倒臭くなる。この辺りのバランスをどう取って行くかが、課題でもある。
1 月13日、ずーっと暖冬だ。今年は何か変わった所があるのか?と問われると、まず成層圏を見ることになるのだろうか。大流圏との境目のジェット気流は、ずーっと東西に流れるばかりだ。気流が南に蛇行するのは「今年は」北米付近となっている。そのまま、ずーっと上空 30 km くらいまで流れを眺めると、意外にも北極上空に綺麗な丸い渦が見える。例年だと、唇のように平べったく流れる高高度の極渦が、丸いのである。下から上への影響でこうなったのか、それとも上から下に影響が波及するのか?ということは、直感的にはハッキリしない。大流圏の天気図の一部が、中間圏に波のように現れる場合もあって、まだまだこれから、気象学は進んで行くのだと感じる。
1 月12日、焼き鳥をサッサと作ってしまう焼き鳥のタレ、惣菜として売られている焼き鳥は、おおよそコレのお世話になっている。カラメルがたっぷり入った甘い醤油タレで、蒸し鶏などでも、少しかけるだけで焼き鳥風になってしまう。燻製をサッサと作ってしまう、くん液というものもある。これにチーズを漬けておくと、チーズの燻製が一晩で出来上がる。卵などにも使える。どちらも、本格的(?)な方法で作られたものと比較すると、違いがわかる仕上がりとなる。違いがわかるというだけで、即席だと必ず不味く仕上がるという訳ではない。伝統的に手間暇かけたほうがエラいという価値観に縛られてはならない、ということだろうか?
1 月11日、時計はとても長持ちするものだ。中学校進学の時に買ってもらったクォーツ時計は特に高価なものでもなく、そして今でも問題なく動く。長じて金属アレルギーが出るようになってからは、身に付けることが減って、今はお蔵入りの状態だ。10年くらい前に買った赤い Swatch も、リューズに少し問題を抱えてはいるのだけれども、時刻は正確に刻み続けている。その Swatch のベルトが朽ちて来たので、時計屋さんへ。三宮では数軒の時計屋さんが隣り合って営業している。手持ちの Swatch と同じものが今も販売されていて、その半額くらいでベルトの交換ができる。常識的に考えると、半分壊れた時計は廃棄して新しいものを、と、なるのだろう。でも、そういう有様が愛着深く、ベルトの交換を選んだ。
1 月10日、大学受験というキーワードが飛び交った昨年末に思うこと: 要するに大学受験が問題なのではなくて、高校までの教育について議論すべきではないのだろうか。初等教育の場であったとしても「一定の割合で」学問の最先端に位置する、あるいは肉薄した経験のある教員が含まれているのは悪くないことだ。同様に、一定の割合で教員以外の経験がある者が含まれている方が良いだろう。最初から教員になるべくして教育された教員ばかりでは、教育のための教育の場と化し、誰にとっても効率の悪い日々が生まれかねない。教育の現場において客観性というものを、どうやって確保するか、それはそれで面倒ではあるのだけれども。
1 月 9 日、毎年この時期に思うこと: 学生から見て指導教員はひとりだけ。指導教員から見て学生は ... 大抵の年は複数。スケジューリングと割り込み処理という、コンピューターのような、あるいは接客業のような仕事をこなすことになる。応対に穴があると、クレームにはならなくても確実に不満足が生じてしまう。うっかりすると、必要な手助けを放置したままになっているかもしれない。どこかの研究室のように毎週、時間を決めて「検討会」を開催するのが手堅い対応なのかもしれない。この時に、相互に何を研究しているのか?ということを垣間見ることもできる。ただ、理解できなくて、チンプンカンプンな時間と化してしまう可能性もある。研究室って何だ?という問いかけに、答えはないものだ。
1 月 8 日、春一番が吹いて ... いや、春一番は立春から後の話だった。気温が一気に 10 度も上がって吹く風だから、春一番と呼びたくなるけれども、冬の嵐だ。ここまで強く吹くとは思わなかった。警報が出て、講義は休講。となると学生さん達も来なくて、生協の各店舗も午後早くに営業中止。弁当などは半額で販売されていた。今年度は、台風が相次いでやって来て、最後は冬の低気圧かー。いや、まだまだ年度末まで 80 日も残っているではないか、更に荒天とならないことを祈るばかりだ。いや、祈っても仕方ないか、統計的にリスクは予め折り込んでおかなければ。経験的に言うと、年に数日は突然の休講を見込んでおかなければならない。
1 月 7 日、雨の1日となるかと思いきや、雨は降らず。気温がだんだんと高くなって行く1日という予報よりも、気温の上昇が少し遅れて日中は肌寒いまま。アメダスを見ると、確かに九州は季節外れの高温になっているから、そのうち神戸辺りも暖かくなるのだろう。そして、その後は寒気の吹き出しで一気に気温は下がり ... いや、予報では、そのようにはならない模様だ。数日先まで、ジェット気流が東西に流れるばかりで、強い寒気が見当たらないのだ。これは地球温暖化か?と思って Wikipedia を見に行くと「南極や北極が凍りついている間は氷河期」との記述があって、実は人間は氷河期の生き物なのかもしれないと思った。氷河期が終わる頃には、カラスかタコ・イカの世の中になるのだろうか?
1 月 6 日、年明け。最初の勤務日ということになる。ノンビリと始まるような気がしていたけれども、あれこれと雑務が入って、一つ一つこなすうちに日が傾いてしまった。ついでに、昨年に積み残した仕事が随分とある。早々に掃き出してしまわなければならない。どの順番で?と考えもするけれども、手元にあるものは全てケリをつけて行こう ... というのが年始の誓い。それを実現するには、まず規則正しい生活と健康から。食べ過ぎないよう、体重が 60 kg を超えないよう、節制しつつ一年を過ごすことにしよう ... というのが年始の誓い。誓ったことは実行に移さなければならない、さあどれから手をつけようか?
1 月 5 日、飾ってあった、少し大きめの餅を食べることにした。今の頃であれば、まだ餅の内側は元どおり柔らかいし、水分の抜けも少ない。ただ、一番外側だけはとても固くて切れないので、少しだけ水につける。うっかりそのまま忘れてしまうと、餅の米が水を吸って行き、お粥のようになってしまうので、頃合いを見計って取り出し、注意深く包丁で切る。カビの付いている箇所も削り落として、下準備完了。さて、焼き雑煮にしようかな。そういえば、ハードチーズはカビカビの外見とならないよう、定期的に拭くのだそうな。鏡餅も、毎日オリーブオイルで拭くといいんだろうか?オリーブ餅、ちょっと実験してみよう。
1 月 4 日、この3年間ほど、年賀状を出していない。生来の怠慢な性格が出ただけ、ということが要因であることは間違い無いのだけれども、年末の時期に職場も含めて身辺に不幸な出来事が起きると、年が明けたから目出度いというものでもないだろうという、そんな気がするのも「半分は卒賀した」大きな理由である。寒中見舞いかなー、それともやっぱり、毎年のように律儀に年賀状を出してくれる方には近況もお知らせしなければなー、と、迷いながらの正月明けとなった。ポチポチと、寒中見舞いでも書いて投函しようか、そんな気分の週末を過ごしている。それにしても今年は暖かい。
1 月 3 日、高松城の内堀の内部、玉藻公園はお正月に無料開放される。やぐらも公開されているそうなので、見学へ。内部は、割と小ぢんまりとした三階建ての木造建築で、どの階からでも瀬戸内海が見渡せる。いや、再び見渡せるようになった、と言った方が良いだろうか。高松港の界隈は、再開発されるまでは雑然とした感じの場所で、必要に応じてあれこれと建物が不揃いに並ぶ状態であった。それを、サンポートとして綺麗に整理して、最後に手を付けられたのが、お城の周辺。お城の東側には「歓楽街の目隠し」に、美術館が建っている。お城があると、遊ぶ場所もあるというのは、全国共通らしい。
1 月 2 日、正月2日は恒例の、出身高校の同期同窓会となる。その前に、高松築港にあるホテルのロビーへ行くと、案内板にアチコチの同窓会が。この時期のホテルの大広間は、○周年記念同窓会で埋まってるモンだなーと実感。それだけの大きなキャパシティーを持つ店が、高松くらいの規模の都市には乏しいということでもある。地元で細々と?続けている同窓会ながら、毎年のように1クラス分くらいの人数が集まる。卒業生に対して 8 % くらいだろうか。同窓生の職業としては、教員の割合が多いという気がする。お医者さん達は正月も忙しいらしく、毎年のように交代で姿を現すように感じる。まあ皆さん元気なこと、来年まで生き延びようと思った。
1 月 1 日、煮物を幾つか作ると、必ず煮汁ができる。貧乏性なので、この煮汁は何かに使わないとという、強迫観念に取り憑かれて1日を過ごす。炊き込みご飯にしようか、それとも煮詰めて使おうか、あるいはスープの味付けに使おうか?などと。雑煮のダシにする手もあるけど、シンプルさが失われるなー。と、たどり着いたのが、年明け「ひやむぎ」の温かいバージョン。年明けうどんにしたかったのだけれども、麺のストックがないのであった。ひやむぎの麺も、うどんだと思えばうどんだ、それで決まり。ダシの味付けに、煮汁を利用しよう。どちらかというと、しっぽくうどん(←高松の方言かも?)に近いものになる。さて、調理に入ろう。
11月と12月の1行日記