← 3 月と 4 月の1行日記  

2 月28日、歴史は繰り返すというか、20年も前の仕事になると、特別に有名なものを除いて、誰の記憶からも抜け去ってしまうものだ。結果として、昔どこかで見たような研究が、堂々と繰り返されることになる。そういう時に、横から「既に研究されていますよ」と呟くのは、あまり好印象を持たれないことは重々理解しつつも、やっぱり必要なことだと思うので、見かけたらお知らせすることにしている。拒否反応に近い応答が返ってくることもあるし、「再発見」ということに自信を持たれる場合もある。まあ物事は考えようなのだ、必ずしもがっかりするばかりが能ではない。ただまあ、連絡あったら、昔の論文は引用しようね。

2 月27日、今日は気温が低くて、花粉の飛散も一段落。というわけで、木の棒にノコギリを取り付けて、懸案であった「通路側に出すぎた南京ハゼの剪定」に取り組んだ。剪定と言うよりも、二股になった枝の片方を切り倒したと言う方が正しい。スンナリ進むはずだったのだけれども .... 倒すまでに1時間もかかってしまった。これは、背丈よりも高い場所にある枝を、棒の先に取り付けたノコギリと言う不自由なもので切ろうという、無謀さが原因。力のモーメントは、高校の物理で学ぶよなーと思いつつ、力の入らないノコギリで地道に切る。腕を上げて背筋を使うと、息が上がる。日頃、こんな運動しないもんなー。そして、ようやく、バキッと倒れる。やれやれ、昼休みが、潰れてしまったではないか。

2 月26日、Wikipedia を見ていて面白いと言うか、ボランティアが比較的しっかりしているのが、生物学の分野。百科事典が潰れてしまったと言うのも、よく理解できる。さて生物の進化を眺める時に、元々の種より大きくなったのか、小さくなったのか?という所に結構、面白味があると、勝手に思い込んでいる。節足動物は、どうやら非常に小さかったようだ。脊椎動物も、たぶん、鉛筆くらいの大きさから。鳥類はどうなんだろうか、鶏くらいの大きさから始まったかのように見える。と、すると、スズメなどは、進化の結果、小さくなったことになる。人間のサイズはどうなんだろうか、元々は大きかったのだろうか、また、今は大型化しているのか、本当は小型化しつつあるのか。物理学に目を転じると、あれあれ、なんじゃ、この情報の少なさは ...

2 月25日、木々の芽が動き始めた。こりゃまずい、まだ切っていない木もあるのだ、タイミングを逸すれば、次の機会はまた来年。その間に、台風がやって来たりして、あらぬ方向へと大木が倒れたら責任問題になる。サッサと、伸びすぎた枝は切ってしまうのである。と、ノコギリを持って歩こうとした瞬間に、そうそう、今日は外来者が沢山やって来る日だと気づく。こんな時に、ノコギリを持って歩いていたら、一発で退場を言い渡されるのである。でも、もう本当に時間がないよなー、今週中にはケリをつけなければならない。いや、あの木は強いから、ちょっとくらい動き始めてから切ってもいいか?!

2 月24日、トマトと目が合う。野菜の中で、トマトは、まあまあ値段の高い方なのだ。というか、そんな売り方しかされていない。大量に出来る夏の時期に、ドカっと箱入りで仕入れると、トマトってこんなに安い時もあるんだと、びっくりするのだけれども、そもそも今は冬というか早春、トマトが安く手に入る要因が全くない。缶詰でいいじゃないかといえば、缶詰で良いし、料理の仕上がりが悪いわけでもない。でも、トマトと目が合ってしまったのである、既に調理法を考えてしまっている私であった。湯むきして、サッサと食べるのが一番美味しいんだけど、芸がないしなー。焼くか?漬け込むか?何でも出来るのが、トマトの有難い所。

2 月23日、神戸の街を歩いていたら、神戸市についてのアンケートに遭遇した。お役所が、街中でアンケートとは珍しい事だ。色々と答えたけれど、神戸に住んでいて、一番困る事が「神戸土産」であるという点は強調しておいた。神戸のお菓子は、けっこう全国区になってしまっていて、その辺りの土産物屋で買っても珍しいお土産にはならない。かといって、その辺りの小さな店でマイナーなものを買い求めても、神戸の品と認識してもらえない、というか、要するに地域性がない。原因を手繰って行くと、要するに地元の産品という価値観に乏しい、どちらかというと中継地点として稼ぐような地域なのではないかと、そんな気がしてきた。神戸牛は例外なんだけど、土産には高いし、日持ちしないんだよなー。

2 月22日、普段の朝食はとてもシンプルで、あまりカロリーを取らないようにしている。普段は。ホテルの朝食は ... ここで貧乏根性が丸出しとなる。ちょっと前までは、まず丼かお皿にご飯をたっぷりとよそって、梅干しとか海苔とかキムチとか、要するに高血圧いらっしゃいという食べ方そのものを準備しておいて、更に惣菜やら魚やらソーセージやら卵やらと、あれこれと皿に盛り、納豆も頂戴してフルーツへ、仕上げはコーヒーか紅茶、既に朝から満腹というパターンであった。朝からカレーという、更にメタボな朝もあった。流石に反省して、普通の昼食くらいまでの量に抑えるようにしている。もっとカッコ良く、コーヒーとフルーツくらいで、サッサと仕事に出かけたいものだけれども。

2 月21日、既に解が分かっている問題を、演習として解くという事は、まあ、一度やってみるという程度であれば、教育効果を見込んだ上で、やってみる価値がないわけではない。と、前置きすると、書きたい事は明らかなのだけれども、それ以上の価値はないのであると、主張したいのである。解がわからない、つまり未解決問題というものに挑む時、解答集を盗み見する訳には行かないし、誰に聞いてもロクな答えは返ってこない。そもそも、解こうとしている問題の価値すら理解してもらえないことが多い。問題を見つければ、仕事の半分は終わったようなものだ、と、最前線で言い伝えられている理由は、ここにある。今日は、3年生に研究室紹介を行った。これから先は、未解決問題に挑戦するのだ、という事を、ソフトに伝えたつもりなのだけれども、さて、伝わっただろうか?

2 月20日、ウッドデッキ、木の上を歩く感触は悪くない。が、高所のウッドデッキには、一抹の不安を覚えるのである。下から見て、ウッドデッキが腐って穴があいても、落ちないようになっていれば問題ないのだけれども、大抵そうなっていない。踏み抜いたら、真っ逆さまに転落 ... いや、転落するほど大々的に抜けなくても、足がズボッと突っ込むだけで大怪我の素。というわけで、ウッドデッキを歩く時には、必ず鋲やネジの上を歩くことにしている。その下にあるのは鉄骨だ。鉄骨が錆びていれば ... いやいや、折れるほど鉄骨が腐食する事は非常に稀で、赤サビが少々出たくらいでは肉厚が減ったりしない。ウッドデッキが古くなると、ささくれが出てきて、これまたサンダルなどで歩く夏場には怪我の素。どんな場所でも注意を怠るな、という戒めにはなるのだろう、きっと。

2 月19日、某所の木の枝をノコギリで適当に切り払う。地植えの木は、大地の栄養を吸い放題なので、広葉樹であれば幹のど真ん中からぶった切っても、あっという間に枝が伸びて茂ってしまう。従って剪定も、伸びて欲しい枝だけ残して、後はバッサバッサと取り除いてしまう形で進める。一年前に、同じように切り払ったのに、もう人が立ち入れないほどに枝が積んでしまっているのである。一方で、針葉樹は要注意。杉や松などの場合、ぶ厚い皮が出来てしまった幹からは、新芽が出てこない。皮を剥いたら、出てくるのかなー、それは知らないけれども。こちらは、盆栽仕立てのつもりで、時々、世話をする必要がある。初夏から木枯らしが吹くまでは、ヤブ蚊との戦いが待っているぞ ....

2 月18日、金曜日に足を痛めてから後も、ずっと歩き回る必要があって、騙し騙し歩いていた。痛めた足をなるべく使わないでおこう ... として、実はどんどん悪化させていたことに気づいて、痛みに関係なく、なるべく普通に歩くことにした。すると、あら不思議、いや当たり前ながら、昨日の重量物運搬中も含め、どんどん回復。骨格に頼って動くと、必ず軟骨を傷めてしまうのだ、なるべく衝撃を筋肉で受け止めなければならない。これは全身について言える事で、荷物を手に持つならば、腕をまっすぐには伸ばさず、少しだけ軽く持ち上げておく。これだけで、足にかかる負担が随分と減るのだ。意識して体を使う必要があるというのが、既に治癒力の低下を意味するのだけれども。

2 月17日、日頃、重量物を運ぶような仕事に就いていないので、力仕事になると非力さを実感する。それでも、毎日の登山で鍛えた足腰だけは、それ相応に役立つようで、片手で 10 Kg を超える物を吊り下げて歩いても、まあまあ何とかなる。形によりけり、と言っておくべきだろうか、体の中心軸から、離れた所で持つような荷物は、どうにもならない。水がめは頭の上に乗せて運べ、という事らしいけれども、電車の中で、そのポーズは取れないし、首も鍛えていないから、無理。幸い、電車には車椅子スペースがあって、大きな物を運ぶ時には重宝する。今日の荷物は重たかったなー、それにしても。

2 月16日、列車接続を考えて、久々に「こだま号」に乗る。デッキから座席へと向かう自動ドアを通過すると、中の人々が一瞬、フリーズしたように見えた。はい、車内は完全に宴会状態でした。なるほど、少し走ると確実に停車して、駅弁も酒も調達し放題、おつまみにも事欠かない、トイレもすぐそば。テーブルが狭いことを除けば、完全に動く酒場。車内の空気も酒。東海道新幹線で、昼から飲み続けて東京へ向かうというのも、悪くはないのかも。ただ、完全に出来上がってしまうと、東京駅で降りた時に、ギャップを感じる事になるのだろう。そんな事を考えながら、しばし車窓を楽しんだ。

2 月15日、「にがり」を、ようやく店頭で「発見」した。にがりブームが訪れた頃には、豆乳コーナーへ行けば、幾らでも並んでいたにがり、ある頃から見かけなくなった。何に使うのかというと、単純に、肥料。薄めたにがりを、少しだけ植物に与えると、パッと緑色になる。クロロフィルにはマグネシウムが必須、ということが良くわかる現象だ。ただ、増えるのはシアノバクテリアの方が速いので、鉢の受け皿に水が溜まったりすると、緑色に濁ってしまう。発見したので、とりあえず購入したけれども、後で調べてみると、ネットで塩化マグネシウム粉末を購入する方が、ずっと安いのであった。まあ、そんなに大量に持ってても、仕方ないんだけれども。

2 月14日、柑橘類の芽は、忘れた頃に生えて来る。例年、ハッサクやらポンカンやら、柚子やら何やら、種のある柑橘類を食べては、タネだけ植木鉢に放り込んで、忘れてしまう。種の表面に何やらヌルヌルとしたものが付着している間は発芽せず、乾いた頃にようやく芽が出て来る。条件が整わないと発芽しないようで、植木鉢の底の方に埋まっていた種が、土を掘り起こした途端、芽を出したりする ... ように見える。単に、地表の種と混ざって区別がつかなかっただけかもしれない。ともかくも、こうして芽生えたものから、また実が成れば儲け物なのだけれども、今のところ、植木鉢でヒョロリと伸びるだけで、何のご利益もないのである。それでも、芽生える植物は可愛い。

2 月13日、生物が酸素を運ぶ時に使うタンパク質について、やけに詳しい解説が Wikipedia に転がっていたので、シゲシゲと夜遅くまで読む。ヘモグロビンに幾つも種類があったり、普通に動脈血・静脈血で見られる色だけでなくて、酸化してしまった茶色の状態もあったり、親戚にミオグロビンがあったり、真ん中の金属が銅に入れ替わっているヘモシアニンもあったり、ミミズの赤い血液がヘモグロビンに似て非なる巨大な分子である事を知ったり .... まあ仕入れた知識としては断片的なものの集合体なのだけれども。一番驚いたのは、pH によって酸素との結びつき度合いが変わって来るという所。なるほど、人工血液というものが、目的を酸素の輸送だけに絞ったとしても、なかなか難しいものであることの一端が理解できた。生体は不思議な仕組みで満ちているなー。

2 月12日、ネーブル・オレンジのへそ。花の付いている方にへそができる。あれは何だろうか、どうしてあんなものができるのだろうか?と、ふと不思議に思って検索してみた。結果は、みかんの中に、みかんが「入れ子」になった状態で、重嚢 (じゅうのう) と呼ぶのだそうな。小さい実の外側に、大きな実が被さるようになっているのだそうな。確かに、断面はそうなっている。3重になっているものも、探せばあるとか。あの部分が美味しいか?というと、身の部分は普通にオレンジだけれども、皮のニガい部分が入り込んでいて、総じて美味しくない。というわけで、食べる時には、切って捨てている。じゃあ果肉だけなら美味しいか?というと、そうでもないのがオレンジの不思議。少しだけ、皮の香りが移らないと、単なる「みかん」なのである。贅沢なコメントを並べてしまった。

2 月11日、バレンタインという名前は、健太郎さんみたいな感じで、現代でも広く使われている。ではバレンタインとは何じゃいなと調べてみると、強いとか、健康なという意味が込められているらしい。価値があるという動詞から来たともあり、それなら英語の Value と親戚かと、何となく納得。さてバレンタインデーに向けて販売されているチョコレートが、価値あるものか?というと、まあそれは何をもって価値ありと称するかによりけりなのだろう。どんなチョコレートも、チョコレート以上でもなければ、チョコレート以下でもない、それはパンやご飯と同じこと。誰から贈られるか、という事の方が大切なのだから。

2 月10日、十分に明るければ、カメラのレンズを小さく絞ってしまえば、ピント合わせしなくても、何となくボケた感じで、手前から背景まで同じように映る。近視や遠視の人が、裸眼で日中に見る風景に少し似ているだろうか、真昼の日向であれば、見えるものは見える。被写体をソフトフォーカスで撮る時に、たまに、この方法を使う。暗い所では、ピントを被写体よりも少しだけ手前に合わせたり、フィルターを使ったり、撮った後でソフトを使ってボカすとか、敢えてブレさせるとか、あれこれ工夫が必要だ。絞り込んだ、ピンホールカメラ的な画像は、太陽光のご褒美だと思っていいかもしれない。但し、背景のボケは全く出ないので、平面的に、絵のように写る。

2 月 9 日、ビルを眺めていると、飽きない。どんなビルも、設計者が居て、様々な制限の中で、目的に叶うように造ってある。その中で最適な解が存在するわけではなく、多様な選択肢の中から取捨選択して、現在の形に至っている。地上階と、最上階、屋上は変化があって、他の階と比べて見るのが楽しい。四隅の角も注目すべき所で、真四角に造ってあるとは限らない。敷地境界がどこにあるのか、階段はどうなっているのか、機械室はどこだろう?窓の少ない妻壁がある?柱は?と、見て行くと、長い時間が経過していることがある。そういえば、建築に興味があった頃もあったな、大学の1・2年の頃だっただろうか。

2 月 8 日、三連休、三連休、三連休 ... と三回連呼して ... フルには休めないな、と、覚悟。いや、働いている人ならば皆、そういうモンだと思う。ちょくちょく SNS を見に行って一服したりしているから、仕事が積み残ってしまうのである。特に要注意なのが、今日はやらなくてもいいや、という締め切りが先の仕事。大抵は、前日になって気づくのである。幸い、全て連休明けの火曜日が締め切りなのだけれども、今の段階で気づいてしまうと、三連休は無いのである。まあ、もともと、休みの日は執筆のために確保してあるわけだから、特段、いつもと異なることもなのではあるが。

2 月 7 日、ニュートン方程式を微分方程式の形で書き下す時に、3 次元空間中での物体の位置 (x,y,z) を「何の前置きもなく」使う。空間は連続なのか? x や y や z は実数値なのか?その上限と下限はあるのか?時刻 t は無限の過去から無限の未来まで続くのか?なんて、考える人はまず居ない。こういう重箱の隅のようなことを考え始めると、力学で扱う数学の枠組みが、実は局所的な座標系を用いたものに過ぎないことを、改めて認識することになる。じゃあ、局所的ではない所まで視野を広げたら何が見えるのか?なんて問うても、普通は何も有益な答えが返って来ない。普通ではない人々が考えるのが、宇宙というものなのである。... と、ちょっと思った、宇宙の話を聞いて。

2 月 6 日、... と書、昨日書いておいて、自分の専門分野が「物理学者一般」にどう映るか、どの程度説明すれば理解あるいは納得に至るのか?という点については、全く自覚できないのであるという事実が、指摘によりありありと判明したのであった。そうなんだよなー、これが review などを執筆する時に、最も苦労する点の一つなのである。その分野ではどう読まれるか、初学者にはどのように利用されるのか、関心のない人にも少しは読んでもらえるように書くには、どうすれば良いのか ... 関心のない人に近寄ってもらうのが良いことかどうかは不明だけれども ... 思案する所なのである。

2 月 5 日、毎年恒例の、論文の書き方について講釈をタレる時期となった。論文の書き方とは言っても、日本語がどんどん変化して来ているし、英語を使うにしても英語そのものの使い方も時代とともに変わる。何が正しいという、絶対的な尺度がないのが言葉づかいという難儀な代物だ。たぶん、しばらくの間は変化しないであろうポイントが、透明性と再現性、そして読み易さだ。読者が、結果を再現しようと思えば再現できるように、最低限度の情報・条件は並べておかなければならない。最初から一読しただけで内容が頭に入ることが理想的で、定義・紹介・説明していない専門用語をいきなり登場させたり、論理の構築の順番が乱れていると上手く行かない。同じ言葉やフレーズを反復する必要に迫られる時には、文章の順番が妙であることが多い。科学的事実に語らせ、著者はその紹介者に徹する ... というのが伝統的スタイルだけれども、最近では、少々は自慢するくらいの方がウケが良いのかもしれない。

2 月 4 日、暖かい朝を迎えた。暖かい、というよりも、湿度が高いと言った方がいいかもしれない。気象学的にはエントロピーか。ともかく、冷え込んだ1週間の後にやって来た温かさだけに、あたり一面、どこもかしこも結露だらけである。特に、鉄筋コンクリートの建物がドロドロ。ドアノブまで、ビッチリと結露しているではないか。地面の草も、葉に水分が当たって、青々としている。これからどんどん、伸びるのである。ただ、この温かさも一過性のもので、しばらくの間、気温は下降線をたどる。上がったり下がったりしつつ、段々と春になる、寒いばかりではないのが2月のいい所かもしれない。

2 月 3 日、ネットのなかった時代に聖書が果たした役割の「一部」として、ともかく人々にテキストを読ませるというものであった事は、想像に難くない。読んでみるとわかるけれども、じっくり読もうと思えば、全部読むのに何ヶ月もかかる。ちなみに仏教聖典は、どれくらいの分量があるのか見当もつかない。人々に語って聞かせたこと、やり取りした手紙などを、時間をかけてテキストに落としたものだけに、読み甲斐があるのが、これらの聖典の特徴だ。もちろん限界もあって、図表が使えなかったり、口伝だったりするので、繰り返しが多いとか、表にまとめるべき内容がベタ記事になっていたりする。時代背景を知る手がかりになるとも言える。人々と神との関わり、生活の中での禍福などが次々と書いてあって、繰り返し読んでも面白い。浮気するな、なんてことも、ちゃんと書いてある。「あなたの若い時 (から) の妻を愛せ/裏切るな/共に歓べ(箴言 5:18)」

2 月 2 日、昨日どこかで聞いたような話が、今日はもう SNS で拡散したり、掲示板に書き込まれている、そんな事がよくある。特に、情報ソースが限られている場合を目にすると、「よく書き込む気になるなー」と思う。というのも、掲示板はもとより、SNS についてもセキュリティーが完璧とは言えない。また、プロバイダー責任法の下で、正当な理由があれば捜査当局に情報提供しなければならない責務があるから、よほど注意深くアクセス経路の偽装をしない限り、誰が書き込んだか特定できる状態のまま、書き込んだ内容が氷漬けされるわけだ。というわけで、匿名の投稿というものは行わないことにしている。一方で、このような匿名の投稿を読むのは、それは楽しみの一つである。結局は、昨日どこかで聞いたような話が、今日はもう書かれているんだよなー。

2 月 1 日、修士論文提出日の神戸大学には、うっすらと雪が積もっていた。いや、積もったというよりも、地面に雪を振りかけたような状態であった。今日の六甲山は上の方が白く、スキー場では自然降雪のパウダースノーが楽しめるらしい。こんな都会でパウダーもヘッタクレも、と思うかもしれないけれど、気象条件によっては本当にパウダーになる。そのような世界を夢見つつ、論文に目を通す。昔は、とことん赤入れをする主義であったけれども、最近は、原文が生かせるなら、それはそれで良いのではないか?と思うようになって来た。読者の気持ちに寄り添って、流れがプッツリと切れる箇所には、やっぱり赤入れするのだけれども。

1 月31日、珍しく長い雨。南岸に前線や低気圧がやって来る季節となった、ということだ。早春の香りがする、ような気がする。足元を見ると、ロゼッタを作っていた雑草が、そろそろ花芽を出し始めている。南向きの斜面では、もう開花しているものもある。イネ科の雑草は、一見すると枯れているように見えるけれども、根本は緑色。こういう雨の日には、引っこ抜きやすいので、雨上がりに作業しよう ... いや、今日はたぶん、時間を取れない。そもそも、まだ終業時刻から日没まで、そんなに間がないのである。雑草の根絶にあまり腐心しない方がいいかなー、どのみち、また生えて来るのだし。

1 月30日、新聞を読むと、高校教員が喧嘩をしたという記事があった。まあ、大学教員もそうだけれども、先生稼業というのは巷で「センセー」と、半ば軽蔑を込めて呼ばれる職業であるから、こういう事があっても驚かないのである。大学の先生同士が取っ組み合いの喧嘩をしても、ニュースにもならないだろう。いや、そういう現場を目にしたという訳ではないのだけれども、最先端の学問というのは常に口先でつばぜり合いしているようなものだし、そういう慣習をそのまま日常にも持ち込みがちな所がある。うっかり、その業界ではない所で、目立つ物言いをするならば、言葉の暴力と受け取られても、申し開きができないのである。沈黙は金とは、この事なりとも思う。

1 月29日、論文というものも、これまた競争社会の中の存在なのである。とても良いアイデアを得た時には、その本質だけで論文としての価値が高いわけで、こういう場合は直ちに掲載となる。ボールを、バットやラケットの芯で捉えて、打ち返す時の感触に近い。時々、価値が全く理解されないというアクシデントが無い訳では無いけれども、いずれは何処かで掲載されるし、段々と世間の理解が追いつくと引用数も伸びて行く。まあまあのアイデア、まあまあの結果の時が厄介である。複数のレフリーがついて、片方が掲載許可、もう片方が却下、こうなると長くなることが多い。ダメ元で投げた論文は、大抵は却下となるけれども、稀に掲載許可が出てしまうことがある。ちょっとまった、そんなもん掲載するな、と、著者自身が思っていたとしても。こんな意外な毎日が続くのが、研究稼業の日々なのである。

1 月28日、昔のアルバムを見ていると、何やら色がおかしい事がよくある。当時のカラープリントの限界もあるけれども、それを織り込んでも妙な色になっている。何がマズかったのか?というと、レンズ。コンピューターで設計ができなかった昔は、レンズの組み合わせを沢山試して計算を進めるということが難しく、経験則に基づいて無難な設計を行っていた ... らしい。そのため、太陽光がレンズに入ったり、明るすぎるものが画面にあると、レンズ内で反射した光などが、巡り巡ってフィルムに差し込むことになる。結果として、何だか焼けたような写真になって、妙なプリントになってしまったのだ。本気で現像する時には、それを補正する手間暇をかける手が残っているけれども、まあ、そんな事を普段の写真では行わない。この欠点が、最近では「面白い」という事になって、中古レンズがもてはやされるのであるから、まあ世の中、わからないものである。世の中わからないと言えば、教育たるものの周辺に満ち溢れる落とし穴。実の所、誰もが落とし穴に囲まれているものだ、用心しよう。

1 月27日、ダイエットの目的もあって、最近はブロッコリーをよく食べる。何もつけなければ、カロリーはご飯の数分の一くらい。マヨネーズを盛ってはいけない、ドレッシングをふりかけてもダメ、そのままが一番美味しいのだ、と、ストイックに語りたい。本当は、何か味を添えたいと思ってはいても。塩茹でするという手もあるけれど、サッサと湯から引き上げないと、塩味が染み込んだだけの、柔らかい野菜に成り果ててしまう。ブロッコリーは粒々の感触が命なので、本当はそこに焦点を当てて、熱湯にサッとくぐらせる程度で食べたい。そうすると、花の香りが出る。でも、それには軸に切れ目を入れるなどの下処理が大変なので、ついつい、長い時間、茹でてしまう。どんな切り方が、美味しくなるのか、研究してみようかなー、野菜ひとつでも、色々と工夫のし甲斐があるものだ。

1 月26日、靴を履いて、立ち上がる。これだけの事だけれども、まず足を引き寄せるのに腹圧が邪魔、グイッと立ち上がるのに力を込める。そんな日々であった。何かがおかしいと、体重計に乗ってみると、驚異の増加。いや、出るべきして出た結果である ... というのが、ちょっと前のこと。それ以来、減量に取り組む。空腹になっている時に、蓄えが使われるのであるから、まずは空腹を覚えよ、空腹になっても直ちに食うな、そして満腹になるまで食べるな、これだけの努力。こういう時に限って、電車の中で肉まんの香りが立ち上り、生協の食堂からは揚げ物の香りが漂って来る。我慢我慢、我慢こそが明日への道。結果として、毎日の六甲山登山が少し速くなった。脂肪は急には減らず、単に、消化器の中身が減っているだけなのでは?という気もする。

1 月25日、推薦という仕事が、稀に舞い込んで来る。私の推薦など、紙切れ一枚の価値も無いはずなのだけれども、まあ、その紙切れがないと進まない物事もある。この推薦という行いには、ちょっと気をつける部分がある。推薦するプロジェクト、人あるいは人々が「あたる」確率がとても低ければ、推薦状を何枚乱発しても、さしたる問題はない。しかしながら、「結構イケそう」という場合について、同一候補に、同じ時期に2通以上の推薦を行ったりすると、マズいのである。両方とも「あたってしまった」場合に、必ず、どちらか一方から恨まれること間違いなし。基本は、推薦は一時期に1通なのである。まあ、こんな風習もそのうち、無くなってしまうのだろうけれども。

1 月24日、勝手に生えて来る木々、カエデ、樫の木やクヌギ、針葉樹は松やヒノキやヒマラヤスギ、ともかく風や鳥が幾らでも運んで来る。その中で、これは何という木?と、直ちには名前の浮かんで来ないものもある。白い木の実が沢山できる、この木は何だろう?実だけだったら、ロウを取るハゼによく似ている。調べてみると、ナンキンハゼという、ハゼとは全く関係のない木であった。すぐに大木になってしまう生命力旺盛な木で、その辺りに生えて来たものを放置すると、直ちに太い根を伸ばして、手がつけられなくなる。掘り出してバラバラにして放置しておくと、そこから芽が出て来るほど強い。実が成るまで大きくなれば、また鳥が運んでしまう。そうなってしまう前に、切り倒そう。

1 月23日、高校物理には、波という難物が転がっている。波が波として伝わるということは、媒質に力学があって、部分部分で運動方程式に従う変化が起きているからなのだけれども、そんな連続体力学を高校では習わない。あくまで、質点 ... いや、質点という概念すら習わなくて、小物体に触れるのみなのである。従って、波が出てくると、全ては「暗記」に頼ることになる。暗記なので、波が反射する時に位相がどうズレるという点などについては、何の説明もないのである。また、強め合う、弱め合うという記述についても、それがスカラー量なのか、ベクトル量なのか、全く不明なのである。結局のところ、波というものについて、定性的に幾つかの現象を理解して終わり。後は必要になった時に、学習してね ... まあ、大抵の学問がそうなんだけれども。

1 月22日、さあ火曜日だ、論文、いや、プレプリントがたくさん公開されるぞ、と、身構えて arXiv プレプリントサーバーをアクセスする。が、昨日から更新された形跡なし。あれ?と思って Holiday Schedule を確認すると、あれ、まあ、マーチン・ルーサー・キングの記念日であった。1960 年代末の出来事が、1980 年代初頭には祝日化されるという、アメリカならではの時代感覚をちょっとだけ感じた。さて、今日が休みだとすると、明日には、更に多数のプレプリントが一気に公開されることとなる。いやー難儀、1時間くらい費やすのではないだろうか?そろそろ、目で見て探すという歴史的検索方法を卒業する時期かもしれない。

1 月21日、センター試験の、物理基礎の問題を眺めてみる。機関車が客車を二つ引っ張る出題が、ちょっと面白かった。物理基礎の問題としてならば、滑らかな床に二つの物体があって、糸で引っ張るというだけの状況設定で十分なのだ。ここに、機関車という現実的なものが噛んでいる所が、何となく新傾向である。こうやって実物を登場させたことで、高校では習わない車輪の回転運動からの寄与を考えなくて良いという、断り書きが必要となっている。物理の方の出題にも、屈折の問題の一部に、日常生活にも関係する問題が登場している。こんな風にして、少しずつ連続的にスタイルが変わって行くのが、センター試験の本来の姿なのかもしれない。

1 月20日、スペシャルオリンピックという活動を初めて知った。パラリンピックと、どう違うの?と、検索して色々と読む。なるほど、そもそもの活動の趣旨が異なっているのか。この、スペシャルオリンピックについて伝え聞いた場所は、氷の上。スケートリンクは面白い場所で、けっこう多くの人々が、同じ空間を共有することから、様々な情報が「日常生活を離れて」伝わって来るのだ。これもまた、平らな氷という、どちらかというと非日常の環境がもたらす、不思議なコミニュケーションのなせる技なのだろう。好きな人は毎日、朝から晩まで氷の上。羨ましいような気もするし、そうでないような気も。

1 月19日、餅を焼いていて思うこと、これは噴火の原理そのものではないだろうか?ということ。カビやすいもの、つまり物質と結合していないか、あるいは結合の緩い水分がウヨウヨしているものを加熱すると「沸点」に達する ... 但し沸点というものが上手く定義できるかどうかは要検討。しかし、その時点で直ちには膨れず、もう少しだけ温度が上がった頃に、一気に気化して物質全体が膨れ上がる。この時、物質の変形が起きた場所から次々と気化が起きることが肝要で、至る所から爆発的に膨らんで、餅が爆発するような音を出す。いや、爆発そのものだ。上手く条件を整えると、トンデモない大爆発になるはずなのだ。餅爆弾の研究。物騒だからやめておこう。

1 月18日、ロケットの打ち上げライブ放送の、収録されたものを昼休みにチラリと見る。打ち上げから先、高度と速さと方位が常に表示される。高度が上がるのは非常に速くて、濃い大気を抜けるまでは、ずーっと高度稼ぎをして行く。とは言っても、比較的小さな固体ロケットなので、音速はサッサと突破する。ロケットの常識と言えば常識なのだけれども、後の段になればなるほど、速さの稼ぎが大きい。これはまた、加速度が大きいことも意味する。そして、毎秒 8 km/s に到達すれば ... あれ、到達しない。第一宇宙速度の正確な値は幾らだったっけ?と、調べると、地表で 7.91 km/s であった。低い軌道なら、ほぼ同じ値だろう。何でも、確かめてみるものだと思った。

1 月17日、突然、周囲に鳴り響くアラート。地震だったら「地震が来ます」の音声だし、悪天候でもないし、これは例の J アラートか、ともかくも何が来てもいいぞと身構えるに、避難勧告情報の訓練であった。そういえば、音によって何の情報か区別できるんだったと思い出して、緊急地震速報など、まとめて YouTube で聞いてみる。あ、しまった、訓練に乗せられて時間を使ってしまったではないか。大バッハ様なら、この短い音を聞いただけで、色々な曲を作ってくれたんだろうなーと、ふと思うに、そもそも誰が警告音のデザインをしているのか調べてみると、それぞれに名の通った音楽家であった。各国それぞれ、どんな音なのかなー、と、民族性の違いに興味が出てしまい ... いかんいかん、ここまで。

1 月16日、気づかない間に、かなり体重が増えていたので、生活習慣を改めることにした。とは言っても、あまり急にダイエットすると、減るべきものが減らない内に、あちこちに悪影響が出るので、食事の回数とか量はキープしたまま、間食しない、運動量を増やすということを目標に定めて、海辺の我が家から阪急六甲まで電車に乗ってやって来たら、そこから先は経済学部前まで登って、理学部に降りて来ることをサボらずに行うことにしよう。無理は禁物で、雨の日は最短コース、体調が最悪な日はそれなりに。宴会の時も料理にあまり手を出さず、空いた時間には色々と考えてみる。その前に、まずは執筆だ。

1 月15日、スポーツをテーマにしたマンガに良くある(あった?)パターンが、段々と技が現実離れしたものになって行くもの。身長以上のジャンプを披露したり、炎が出てみたり、「気力」で球の方向を曲げてみたり、ともかく生理学も物理学も超越したものが次々と出て来る、そういう発想がなかなか面白いものだ。そして、繰り出す手が尽きた頃に、最終回となる。学問の啓蒙というか宣伝にも似たような所があって、まずは何か発端があって、それが伸びる時期があって、将来の夢を語る時期があって、そして誰も居なくなった、そんな結末を迎える。途中で何かが誇大広告されていても、それ自身はどうでも良くて、その中で全く関係ないような発端が、新しく見つかる事が大切だ。

1 月14日、成人の日、新成人は自治体からどんなお土産をもらえるのだろうかと、SNS 検索してみると、都会ではもはや、お土産がないのだそうな。都市に若年人口が集中していることや、そもそも税収に乏しいことなど、社会構造が変わってしまった、と、いう事なのだろう。だいたい、昔は「ふるさと創生事業」など、潤沢な税収をもとに、今から見ると、おとぎ話としか思えないような事が、官民を問わず世に満ち溢れていた。高収入はモテる、などという時に使われる高収入というのも、当時は年収ン千万という単位で語られるものであった。待てよ、何かをブツで頂戴すると、有難いと感じること自体が旧世代の証なのだろうか?アプリなどの方が、今の新成人にはウケるのかなー。

1 月13日、成人式の一日前の三宮を歩く。夕暮れ時になると、太陽光が眩しい。これだけビルがあるのに、太陽光が夕方に差し込むのは、道路が西南西の方向に伸びているから。それも、ちょうど旧正月の頃に日が射すように。これは偶然なのか、それとも、昔の人々がよく考えて道を造ったのか ... と、自問しても答えは見つからない。東を見れば、国道2号線がずーっと先まで伸びている。この辺りの海岸線を考えれば、西南西、東北東というのは道路として当たり前の方向なのかもしれない。夕日に当たりつつ歩くと、風があまりないこともあって、汗が出て来た。海辺の我が家まで、電車で撤収。

1 月12日、そばつゆなどの、濃いダシを取る時、色々と思案する。一番簡単なのが、削り節や昆布を大量に使って、少量の水で濃く出す方法。長く時間をかけると、出し殻がダシを吸ってしまって失敗するので、短い時間での勝負となる。この状態で二番ダシを取ると、普段の一番ダシより濃く出るくらいなので、三番ダシを取ることになる。一番と二番を、適当に調合すると、返しと合わせて丁度の濃さとなる。こういう風にして、ダシを取ってみると、ソバ屋のダシは、けっこう大切なものだと感じるものだ。何気なく瓶入りで売っているソバダシ、安いのと高価なものと、比べると原材料に違いがある。そうだよなー。

1 月11日、オマケだけが残って、本体は忘却の彼方、ということが時々ある。普段使っているプラスチック製のルーペは、Vixen の顕微鏡のオマケだ。その顕微鏡が、どれくらいの性能のものであったかは、あまりよく覚えていないのだけれども、少なくともアメーバの中の粒々は綺麗に見えた。もうガラクタの一つとして、どこかに埋め立てられていることだろう。何かの契約で頂戴したオマケのボールペンは手元にあって、時々使っているけれども、契約の方は終わってしまったというパターンもある。グリコのオマケは、時としてオマケの方が目的だったりする。... 久しぶりに買ってみようか?おっと、ダイエット、ダイエット、膝を守るために、少し体重を落とさなければならない。

1 月10日、朝一番、海辺の我が家から出て波打ち際を少し散歩する。たなびく雲と山の間から朝日が差し込んで、辺り一面を朱色に染めた。海は輝き、雲もカーベットのように空一面に広がって、それは素晴らしい光景であった。そのまま明るくなるかと思いきや、太陽が雲隠れしてしまって、再びドンヨリした曇り空に。同じ雲でも、太陽光の当たり具合で、こうも違って見えるものなのだ。陽がない冬の朝は寒いので、早々に自宅に戻って暖を取る。そうして、あれや、これやと、準備をして、電車に乗り、阪急六甲から「毎日登山」の末に、ようやくオフィスに辿り着く。既に気力と体力の半分を使ってしまったのではないだろうか?

1 月 9 日、地上 30 km の上空で、北極を反時計回りに動く風の渦が、どんどん中央アジア側へとずれて、この高度の一部で温度が(摂氏で)プラスに転じるという昇温が起きたのがクリスマスの頃。その後はずっと、北極の上空は時計回りの風、つまり東風になっている。温度の方は段々と落ち着いて来て、マイナス 40 度くらいになりつつあるけれども、東風の方は居座ったままだ。この影響で、中緯度の西風が強まっている箇所がある。気圧は 10 hpa くらいで、日常的な感覚では真空みたいなものだけれども、気象の境界条件としては押さえておくべき高度らしい。さて、この奇妙な上空の状態は、今後、何をもたらしてくれるのだろうか?

1 月 8 日、某所に植わっている木を剪定する時期となった。剪定というと、剪定ばさみで切り回すように聞こえるかもしれないけれども、登場するのはノコギリだ。大地に植わった木は、放置すると直ちに大木と化す。そうなってしまうと、もう、専門職を呼ばないと危なくて切り倒せなくなる。そうならないように、背丈を越えた辺りで、毎年のように切るのである。いずれは根元から切ってしまわないと、いけないだろうし、その土地が有効活用される時が来れば、掘り返して更地になるのだろう。それまでの間、二酸化炭素を吸い込み、しばらくの間だけ炭水化物として固定してくれれば、それで良い。さて、今年はどれくらいに切り詰めようか?

1 月 7 日、エアコンは入っているはずなのに、どうも部屋の中が寒い。設定温度まで達しているとは到底思えないので、椅子に乗って天井近くの空気を探ってみると、そこはとても暖かい。ああそうか、これはセンサーに当たる空気が冷たいということなのだ。やっぱり、扇風機が必要かなー。とりあえずの解決策は、エアコンの動作が止まる度に、天井へ向けて「うちわ」で空気を送ること。こうすると、見事にエアコンが動き出す。しばらくすると止まるので、またパタパタとうちわを振る。扇風機、どこかから仕入れるか。下の部屋が十分に暖かいと、この問題は起き難いようで、同じ温度設定にしておいても、暖かい部屋もあれば、寒い部屋もある。陽は暖かそうでも、実は寒い。フランスの諺に「お日様は嘘をつく」というのがあるのだそうな。

1 月 6 日、太陽が段々と高くなって来ていることが、室内に居るとわかる。建物は、不動産と言う言葉どおりに動かないものなので、太陽光の入る角度が少しでも変わると、微妙に部屋の雰囲気が変わるのだ。段々と日の出・日の入りの方角が北へと移動を始めていて、南中時の陽が高くなっている。陽の光に暖かさが戻って来たので、風がなければ屋外でも暖かい。場合によっては暑い。この感覚はスケートリンクでも同じで、どこのリンクも「少しだけ」開いている窓から差す陽光が、少しばかし春を感じさせる。もっとも、直射日光は氷を融かしてしまうので、嫌われ者なのだけれど。今日は、エッジに乗ったまま、どこまで体をひねれるかの確認に、練習時間の全てを費やした。最後に、ちょっとだけターンやステップを踏んでみて、無駄ではない努力であったことを実感。

1 月 5 日、田舎に行くと、傘の開いた一本のエノキタケのような、巨大な電波アンテナを見かけることがある。いわゆるダイポールアンテナだ。この傘の部分について、何のためにあるのか今まで理解していなかった。ダイポールを生じさせるだけならば、ただの棒で何の問題もない。あの傘の部分はインダクタンスには「あまり」影響を与えないけれども、リアクタンスの方は「かなり」変えてしまう。大地との間で平板コンデンサーとして働くという解説が良く転がっていて、直感的でわかりやすい。結果として、共振周波数を下げることができるし、周囲への放射を効果的に行うことにもつながる ... らしい。まあ、本当の所は、ちゃんと計算する必要があるのだけれども。昔、コンピューターシミュレーションが容易ではなかった頃には、実験を繰り返したんだろうなー。

1 月 4 日、お雑煮を作る手順のまとめ。ダシ汁は、あまりこだわりなく、昆布とイリコから取った一番ダシを使い、野菜を切り入れ、白味噌を加える。そこへ温めたモチを浮かべて、しばらく加熱して出来上がり。白味噌も薄く使って、淡白に仕上げる。毎朝?!サッサと食べて、正月行事完了。後は、冷蔵庫の中の食材を、美味しい内に食べてしまうだけ。野菜も肉も、置いておいて美味しくなることはない。適当に鍋に放り込んで、二番ダシを使ってスープにした。ダシガラも有り難く食べてしまうべきである、という事がアチコチに書かれているのだけれども、経験則では美味しくないか、あるいは調味料の無駄か、若しくは市販のダシや化学調味料などの出動となって、労多くして得る所が少ない。というわけで、ダシガラは廃棄。

1 月 3 日、海辺へ行くと猛禽が空を舞っている。いつも、クルクルと舞っているだけで、何を得ようとしているのかはハッキリしない。その下を、カモメが飛んだり、カラスが舞っていたり、もう少し小さな鳥が直線的に飛び抜けて行ったりする。道を歩くと、植え込みや大きな木の中で、スズメも隠れつつ活動している状況を垣間見る。見るというよりも、鳴き声でわかると言った方が良いだろう。空もまた、食物連鎖があるのだ、という事実がハッキリと見える海辺はまた、鳥たちが魚を狙う場所でもある。船が出入りすると、その後ろをカモメがウロウロ。ときどき急降下して、失敗したり、獲物を得たり。そんな様も楽しめる、港町。

1 月 2 日、昨年に引き続き、今年も恒例の同窓会。会場のホテルに到着してみると、あら、他の卒業年次の同窓生も、別の場所で盛大な同窓会を開催していた。そこへ集まる若き華やかな人々を横目に、我々昭和組は居酒屋へ。ひとたび宴会が始まると、みな若くなること。同窓会という場で、昔は知らなかったけれども、近くにいた人々と知り合う、そんな感じ。その際に、共通の知人が必ず居る所がミソで、しばらく話していると、共通の話題が掘れて来るのだ。不思議な感覚。もうそろそろ、仕事の着地点を見据えなければならない、そんな年代になってしまったけれども、同窓会活動はこれからますます盛んになりそうな予感だ。

1 月 1 日、料理にはガスの炎。炭火でもいい。炎を眺めると、その中に構造が見える。さて、炎とは何なのだろうか?と、ふと思う。ええと、炎の温度は 1000 K のオーダーだから、化学的な結合エネルギーである eV よりも随分と低い。正面切って、解離反応と結合反応が起きているわけではないのだろう。ごく一部が解離して、ミリ秒くらいの間に次々と何かが起きている ... と想像しつつ、文献を漁ると、幾つも引っかかって、読み込んでしまった。よーするに、台所のガスの燃焼ひとつについても、まだ理解の及んでいない所があるのだ。高校で習ったキリの、化学の知識というものが、化学の入り口に過ぎないことを学んだ元旦であった。

11 月と 12 月の1行日記