← 1 月と 2 月の1行日記  

12月31日、大きなエビと小さなエビが、偶然のような、必然のような経緯によって手に入った。ちょっとつまみ食いすると、大きい方は大味。小さい方は、これこそがエビという濃い味。というわけで、大きい方は味噌汁になった。小さい方はそのまま食べて、煮汁と殻でダシを取り、雑炊を作ることにした。さて問題は食べる順序。味噌汁をスパイシーに作ったら、後でも良いのだけれども、持ち味は小エビ雑炊の方が上なので、味噌汁からいただくことにした。殻がいっぱい出たので、肥料にでもしようかなー。こういう時には、ガリガリと粉砕できるミルがあったら便利と思ってしまう。普段は使いようがない代物だけれども。

12月30日、年内の滑り納め。11 月と 12 月は結構いろいろと行事もあって、あまり滑れなかったので、この冬の滑りは、これからが本番だ。ずーっと、自分のできる範囲でエッジを深くする練習ばかりして来たので、たまにはターンの練習もしてみるか。と、始めると、あら、いくつかのターンが安定してできるようになっている。ターンした後で、しっかりエッジを引っ掛けてコントロールすることが大切だ ... と、どこかに書いてあったことが、ようやく理解できた気分である。エッジが浮いていると、荒れた氷の溝に足を取られて、転倒しそうになる事がある。その都度、浅かったと反省して、また練習。

12月29日、帰り道の駅は、人で溢れている。子供連れが目立つのは、年末の定番。たくさんの荷物と共に移動する。はた目にも大変そうだ。まだまだ、ネットが人々を「隣に居るかのように繋ぐ」時代ではないのだろう。帰省して、顔を合わせて、同じご飯を食べる。しばらく振りの積もる話、そんな年末年始になるのだろうか。幸い、今日の太平洋側は天気も良くて、ダイヤの乱れも大きくはない。それでも、少し遅れるのは、致し方なし。... などと、安堵している時に限って、プッツンと止まったりするのである、用心用心。... 無事に神戸に辿りつく。東京よりも、だいぶん日没が遅い、そんな事を感じつつ、また日常に戻る。

12月28日、平日の首都圏の朝の電車は ... いや、何だか休日のような雰囲気だ。そうか、もう年末なのだと、再認識。昼はボチボチ、観光しながら (?!) 過ごして、首都圏の夜に突入する。コスモポリタンな雰囲気で、誰が日本人なのかよくわからないし、西欧の人々も結構いる。忘年会は1次会、2次会と段々と濃い議論になり、解散。ふと気付くと、議論ばっかりしてたので、あまり食べていなくて、空腹であった。軽く胃袋を満たして、メール Box を開くと未読 20 件。仕事の要件が舞い込んでいないことを祈りつつ、ひとつ、ひとつ、開く。幸いにも、緊急対応が必要な要件はなかった。神戸も、もう年末なのかな。

12月27日、夜に移動する予定を立てていたのだけれども、待てよ、年末だから、いかなる遠距離交通機関も、時間が遅くなればなるほど運行の遅れや、運行停止となる可能性が高くなる、そんな気持ちに急き立てられ始めた。目的地に移動できなければ、明日の「観光 (?!)」打ち合わせはない。(←ここに書く事は、常に多少の脚色がある。)というわけで、昼過ぎに出ることにした。目的地に到着したのは、それでも日没後。やっぱり、少しずつ様々な乗り物が遅れている。ただ、近郊電車の遅れというのは、利用者にとってみればあって無いようなものだとも感じる。どのみち、電車がやって来て、乗って、すぐ発車なので。

12月26日、管理している web server を、ン年振りに更新した。web server としての応答能力に問題があった訳ではなくて、server とコンソール用のパソコンの間で、ファイル共有がスムーズに行かなくなった事が、主な原因だ。理由はよくわからないのだけれども、Sierra くらいから後の MacOS X で、古い Mac をマウントすると、デスクトップの応答が極端に遅くなるのだ。更新した現在、web server の演算能力が、見渡す限りのパソコンよりも高いという状況になっている。勿体無いから、job も入れて ... など、欲を出すと web server としての機能にも影響しかねないので、我慢我慢。演算サーバーは、演算サーバーで、ちゃんと更新しなければ。まず先立つものを稼ごう。

12月25日、幼少の頃の記憶として、七輪と火鉢が残っている。七輪の方は、勝手口を出たような場所で魚を焼く、そんな使い方だった。火鉢の方は、随分と大きいものだと思っていたのだけれども、自分のサイズが小さかっただけなのだろう。あまり広くはない家の中で火鉢など使っていれば、一発で一酸化炭素中毒になりそうなものだけれども、窓枠に隙間のある時代のこと、適度に換気されていたのだろう。さて、炭を燃やすと一酸化炭素が出る、その理由は?ええと、統計力学を学んだのだから、化学平衡についてよーく考えてみると、炭素ばっかりの環境で燃焼が終わるならば、一酸化炭素だらけになる事も不思議ではない事が理解できる。かといって、七輪や火鉢の上に、触媒の塔を立てたら用をなさないしなー。

12月24日、肉料理がクリスマスの定番。と思わされて肉ばかり食べると、飽きてしまう。豆腐はどうかなぁ、白くて雪みたいだし、暖かいし、絹ごし豆腐ならクリームっぽい食感もあるし。よし湯豆腐にしよう。どんな味で食べる?どれくらい食べる?それだけでお腹いっぱいになったら、やっぱり飽きてしまう。タンパク質だけでは、何かを食べた気分にはならないのが、日本人の食生活なのだろう。炭水化物が必要なのである。炊き込みご飯かなー。と、思案しつつも、なるべく簡単に調理が済ませられるように、段取りを頭の中でシミュレーションしつつ、時間が刻々と過ぎ、結局はいつも通りの休日食となる。そんな日々。

12月23日、テレビ放映されるフィギュアスケートの試合、いつも同じ氷の上で競技しているように映るかもしれない。いくつか、スケートリンクを滑り比べると実感するのが、スケートリンクそれぞれの個性。エッジを嫌っているかのように、めちゃくちゃ硬い氷や、ちょっと体重をかけるとバリバリと割れる氷、スキップしてみて硬い感覚の氷床から、ボコボコ音を立てる氷床まで、様々なのだ。また、同じリンクでも気温や湿度で感覚が変わって来る。整氷してから後も時事刻々と変わる氷の感触に、即座に慣れて演技しなければならない所は、屋内であっても(少々気まぐれな要素もある)ウィンタースポーツそのものだ。最終滑走者は穴と溝だらけのリンクに相対するのだ、尊敬あるのみ。

12月22日、昔の Mac Mini は小さなマシンだった。その代わり、同じくらいの大きさの電源ユニットを、その辺りに転がしておく必要があった。現在の Mac Mini は、けっこう大きい。その代わり、電源コードだけで接続できるようになった。Mac Mini の良い所は、インターフェースが豊富なこと。USB-C に移行する目標を立てつつ、デスクトップ機として、USB も HDMI もちゃんと付いている。ディスプレイの付いていない iMac といった感じだ。液晶ディスプレイを接続して、スイッチを入れれば、フツーに Mac として使える当たり前さ、Apple って、こんなに使い易いマシン作ってたっけ?というのが、率直な感想。昔は爆弾マークに散々やられたからなー。

12月21日、カボチャは要注意な野菜だ。硬い野菜なので、丸のまま仕入れた場合には、まずはどうやって切るか、思案することになる。ツルのついている方が薄いので、そこに切っ先を突っ込めば、大抵の場合はうまく切れる。その際、少し薄めの牛刀があると助かる。昔の人は、和包丁でどうやって切っていたのだろうか?さて、切り分けて煮る時にも、また思案。どれくらいの汁気が必要か?ということ。経験的に、汁は少ない方が栗のように、美味しく仕上がる。そして、そこを狙い過ぎると、焦げてしまう。少なめの汁気から調理を始めて、鍋の蓋から蒸気の上がり具合などを確かめつつ、火加減を調節すると、何とか煮上がり前に汁気が飛び、そのまま置いておくと、蒸かし芋のような状態になる。それで仕上がり。ナマモノだけに、一個一個、個性があって、いつでも同じ仕上がりというのは難しいものだ。

12月20日、前を向いて進む、と言うことをクドクドと説くのが「先人」の常かもしれない。いやいや、後ろを向いて進め、というのがフィギュアスケートというスポーツの良い所だ。近く始まる全日本の試合を見ればわかるように、演技の中ではジャンプの踏み切り・着地のように重要なポイントで後ろ向きに滑っていることが多い。スケートを習い始める時に、バックから習う人は居ないから、どうしても前向きにばかり進む練習をしてしまい、バランスを欠くことになりがちなのだ。従って、可能な状況であれば、常に後ろに向いて滑るくらいで丁度なのである。その先に、クルクル回れという、猿回しみたいな練習が待ち受けている。前に進まなくていいよ、ということを教えるスケートの考え方、教育や学習の現場にも取り入れたいものだ。

12月19日、日の入りはもう、段々と遅くなって来ている。では日の出は?調べてみると、来年の1月上旬が、日の出が一番遅い時期で、それまでは日の出の方も段々と遅くなる。どうして、このようになっているのか?は、地学の先生に説明してもらうことにしよう。こういう「他人任せ」は、サイエンス的には良からぬことで、自分で理解すべきなのだけれども、ちょっと調べる気力も浮かんで来ないのが昨今の無気力生活を物語っているのかもしれない。新年になったら、と言うのでは遅いので、今の内に、できる仕事は済ませてしまおう。こう言う時に限ってレフリーが降って来るのだけれども、幸いなことに (?) ここしばらくお声がかからない。

12月18日、野菜の種類は実に多くて、飽きることがない ... はずなのだけれども、特定のスーパーで毎日のように買い物をしていると、どうしても買うものが固定化して来てしまう。珍しいものに手を出そうにも、回転の悪い商品は高くて小さいので、割に合わない。こういう飽きを感じたら、地域の市場まで足を伸ばすのが良い。規格品とは違う、個性溢れる農作物が並んでいる。だいたい、下処理に手間がかかるものが多いのはご愛嬌。枯れた葉は取り除き、土や根は綺麗に洗って落とし、虫食いがあれば削る。なるほど、綺麗になって袋に入っている商品は、これだけの手間がかかっているわけだ。人件費より高いものなし、ということだろうか。

12月17日、冬はポトフ。根菜を適当に切って鍋に入れておいて、蒸発する分量を見越して水を張り、塩気のある肉や魚を置いて、必要に応じて香草を付け足して、火にかける。沸騰したら、弱火にしてひたすら待つ。野菜は大切りにしておかないと、弱火での調理であっても、煮終えた時に香りが飛んでしまう。食べ始める半時間ほど前に火を落として、後はスープの味が具に戻るのを待つ。大昔のポトフは、働き始める前に仕込んで、農場でひと仕事した後の dinner に、乾いたパンとともに食べるものだったらしい ... 知らんけど。冬の大根はとてもポトフに似つかわしい野菜だ。というわけで、今日も食卓に登場となった。

12月16日、Wikipedia をチラリと見る程度で放置しておいたポルトガル語の学習を、再開してみようか?と思い立って、午後に取り組む。殆どの作業が、フランス語、イタリア語、スペイン語との「置き換え」のルールを探ることになる。こういう、付け焼き刃の学習には落とし穴が沢山あって、ポルトガル語の固有の言い回しが出て来ると目からウロコがポロリと落ちる。例えば、ロマンス語の中で「私は寿司が好きです」という表現をする時、私と寿司のどちらが他方を好きなのか?というルールがマチマチで、どうしてこんな風に言語進化してしまったのだろうか?と不思議に感じるのである。この先、それぞれの言葉が相互作用して、再び統一されたラテン言語となるのかどうか、そんなこともチラリと頭に浮かんだ。

12月15日、ポートライナーは最初、ポートピア博覧会へのアクセスも含め、街開きされたポートアイランドへの交通機関として動き始めた。最初の頃は自動制御がぎこちなくて、カーブに差し掛かったり、駅に到着する前に一旦停止してから次のシーケンスへと移るなど、運転手が居ない未来の乗り物にしては (?) オモチャのような動きに幻滅したものだ。この点は、少しずつ改善されて今日に至る。ただ、今もまだ、不自然な加速・減速が皆無である訳ではない。神戸空港の開港に合わせて延伸された部分では、とてもスムーズな加速・減速が実現していて、30年という年月の進化を感じる。現在の車両が全て引退する頃には、また何か新たな進展があるのではないかと期待しつつ、空港まで1往復した。

12月14日、会議、会議、そして忘年会という、誠に師走らしい1日であった。人によっては、もう一つ会議が積み重なっている場合もあったようだし、二次会へと流れて行った人々も多かった。この時期になると、もう新年度の1年間がおおよそ fix され (始め) ていて、カレンダーという意味では、翌々年の3月までの予定を書き込むことになる。これは、天変地異がなければの話。大抵は、台風がやって来たり、地震で電車が止まったり、流行り病で行事が停滞したり、と、様々なことが積み重なって予定がズレて来る。そのような場合にも対処できるよう、十分に余裕のある日程となっている、はずだ。10 連休もあるし。

12月13日、フィギュアスケートの演技、華麗に滑っているように見えるけれども、あれはゴリゴリのスポーツである部分を、音楽と軽やか「に見える」身のこなしで、手品のように隠しているのである。バレエが、その曲芸のような技と、床をドコドコと突く騒音を、音楽で衣づけしているのに良く似ている。では音楽を取り去ったフィギュアスケートは?演技で滑っている時のほとんどで、エッジが深く入っているので、氷が削れるというか、割れて飛び散る、ゴリゴリという音が出っ放し。また、ジャンプを跳ぶ時と着地の時には、リンク中に音が響き渡る。という訳で、達人が演技した後のスケートリンクは穴や溝だらけになっていて、定まらないエッジで気を抜いて滑ると、足を取られてボテッと転倒するのである。一方で、世界の第一線のスケーターと、初心者が同じリングに立つというのもスケートの面白い所だ。自由に滑る時間があればなぁ。

12月12日、過去の記憶はあるのに、未来の記憶がないのは何故だ?と問うのは哲学者か物理学者くらいかもしれないし、あるいは誰でも一度は不思議に思うことかもしれない。現代の科学は、これに対する回答を持ち合わせていない。まだまだ、我々は科学的にも社会的にも文化的にも、未開の時代を歩んでいるのではないかと、感じることもある。一方で、世の中の変化があまりにも急なのではないか?とも思うのである。そのような状況の中で、希望というものを大切に育てて行くことを、常々、意識しておく事が必要なのだろう、それも自然な形で。難しい事ではあるのだけれども、日々実践して行きたい。

12月11日、全周が写るカメラレンズは珍しくない。と言っても、天頂に向ければ地面がグルリと写るという魚眼レンズで、全空間の半分少し先までしか写らない。人間の目も、だいたい、これぐらいの視野がある。では、グルリと前も後ろも右も左も上も下も、継ぎ目なく写るレンズはあるのだろうか?まず、複数のカメラを組み合わせれば、電子的には実現可能だ。だいぶん原理は異なるけれども、トンボの複眼も、狭い死角を除いて、ほぼ全周を視野に収めると聞く。では、ひと組 (?!) のカメラレンズでは?何枚もレンズを組み合わせれば、光学的には実現可能であるように思う。但し、そのようなレンズが「磨ける」かどうか、「取り付けられる」かは別の話だ。普通にレンズを研磨するならば、半球を超える曲面を綺麗に整えることは不可能である。また、光学的には OK だとしても、センサーをレンズの中に入れ込んでしまわない限り、死角ができる。更には、宙に浮かさなければ、支えが写り込んでしまう。やっぱり、複数のカメラを組み合わせることになるか。

12月10日、オリーブオイルは、木の塗装(オイルフィニッシュ)に、よく使われる。粘性が低くて硬化しない油なので、木によってはどこまでも吸い込まれて行き、油に濡れたようになってしまう危険もある。と言うわけで、布に軽く染み込ませておいて、擦るように薄く塗ることも多い。さて、硬化しないと言う「定説」は定説なのだけれども、化学を信じるならば、それは単に硬化が超遅いという事実に過ぎず、何年も待てばジワジワと粘くなって行くのだ。高温に晒すと、この変化が速くなるので、ガスコンロの周辺で、そして掃除の手の届きにくい所で、ネバネバになったり硬くなったりする。また、瓶に入っているオリーブオイルを何年も空気に晒すと、油臭い匂いが出てくる。そうなる前に、手荒れ防止のため、寒い日には手に油を塗る日々である。

12月 9 日、文具コーナーで、最近あまり見かけないものが、地球儀。昔は、どの家庭にも地球儀が転がっていて、海外の珍しいニュースが飛び込んでくると、地球儀の上で位置を確認したりしたものだ。ソビエト連邦共和国が、どういう位置にある国なのか、感覚的に把握できるものであったし、地球の裏側の人が、どうやって地面に立っているんだろうか?なんて不思議に思った覚えもある。今もまあ、探せば手に入るけれども、画面上で何でも表示できる時代になって、地球儀そのままでは何の役にも立たない代物となってしまった。継ぎ目のない球体ディスプレイとして、アート素材のくくりで、地球儀が復活する日は来るのだろうか?

12月 8 日、大学の教育は、飽きにくいものだ。物理を教える、という「だけ」であっても、力学から始まって宇宙論まで、実に様々な講義科目があり、一つの科目を何年か担当すると、次の科目へと移って講義経験を積むことになる。既に身につけたハズの内容であっても、整然と学生に教えることは、けっこう難しいもので、同じ科目を教えている最中にも、毎年のようにアプローチを変えることもある。大学院での教育となると、それは半分くらい研究なので、学問の進展に応じて教育内容も変化して行く。さて、初等中等教育はどうなのだろうか?と、気になることがある。教えることに限って言うと「もう飽きました」と言う声も、チラホラと聞こえて来るのである。かと言って、「今年は教科書を最後から読み始めます」なんて過激な事をされても困るし、さて ...

12月 7 日、国際会議の間は、海辺の我が家を朝早くに出て、神戸の街中でポートライナーに乗り換えて、ぎゅーぎゅー詰めの車両を京コンピュータ前まで電車通勤 (?) していた。そういえば、京コンピュータの京という文字は、その計算能力を表しているので、一万倍速くなったら「垓」コンピュータである。ということは、そのうち、駅名も「垓コンピュータ前」となるのだろうか?ちょっと、見慣れない文字だし、音の響きもあんまり良くない。まあ、昔とは違って、電車の駅名も比較的頻繁に変更されるようになったので、その時その時の時流に乗った駅名へと、次々と変更して行くという考え方で問題ないのかもしれない。明治時代に付けられた駅名というわけでもないし。今日からは、電車一本での通勤に戻り、ヤレヤレである。

12月 6 日、今日から段々と寒くなるという予報を聞いて、構えていたのだけれども、幸い、雨風ともにそれほど強いものはなく、研究会の方もスムーズに終えることができた。なるべく新しいトピックスを集めようと、ギリギリまで講演者の決定を先延ばししたので、準備を始めたのが8月の半ばであった。それから、4カ月。一番心配したのがビザの手続きであった。無事間に合ったことに、感謝したい。また、あれだけの数の講演者が居れば、一人や二人は欠席の方も出て来るのではないかと思っていたけれども、結果として全員、無事に予定通りの日程で滞在してもらえた。有り難いことである。来年の夏と冬に、それぞれ、違った目標でテンソルネットワークの会合が開催されることがアナウンスされ、研究会はお開きとなった。

12月 5 日、今日は天気が回復して、日中は日差しが暑かった。国際会議3日目、今日は応用分野からの講演を中心に組んである、はずなのだけれども、やはり技法を磨いておく事には変わりなく、コアな話が次々と聞ける。こうやって、古い話から、新しい所までじっくり聞けるのが、1時間くらいの長い講演の特徴だ。あるいは、いくつかのトピックスについて話してもらえることもある。話が幾つかの分野に分かれている場合には、途中で質問を入れた方がいいかもしれない。と、主催者の一員として感じた。あちらへ走り、こちらで準備をして、という裏方の仕事も、ちょくちょく入って来る。講演スライドを集めて回らないと。後片付けにも気を向けて、さて明日はどれくらい来てくれるんだろうか?

12月 4 日、異常に暑い12月の1日は、とんでもない豪雨で終わった。雨が去ったら涼しくなるか?と思いきや、そのまま。亜熱帯に居る感覚、台湾の冬の天気にも似ている。ずーっとこのまま、という事はなさそうで、週末からは普通に寒くなるそうだ。それまでの間、束の間の「名残りの秋」を楽しむ事にしよう。さて、国際会議の方は、昨日に続いて濃い1日だった。興味深い話も、ドンドン続くと気力が途切れがちになって来るのだけれども、そこからが勝負である。ちょっとでも頭の中に、鏡のように入れておけば、何かの拍子で思い出すこともあるだろう。そんな調子で、半分寝たような起きたような、不思議な時間を過ごした後にバンケットに突入。あ、そういえば、discussion の約束してたっけ。と、別室に行くと、何組か既に、discussion が始まっていた。そうそう、本当は、人を集めて、ずーっと discussion してもらうのが最上なんだよなぁ。

12月 3 日、国際会議 TNSAA2018-2019 の初日となる。同じ建物の中で、もう一つ、別の会合が開かれていたので、朝一番に外国の方をフロアに見つけた時、どうして顔見知りでない人が多いのだろうか?と不思議に感じたものだ。初日は、日本とほぼ同じタイムゾーンからの参加者に講演してもらうようプログラムを組んで、かつ、どちらかと言うと「伝統的?! Tensor Network」... 新アルゴリズムの発掘 ... ではない分野からの講演を、それぞれお願いしておいた。と言うわけで、今日は若い講演者が目立ったと思う。もっとも、私たち古参の者は、もう博物館行きのお払い箱となりつつあるので、若手と思っていても既に中堅で、真の若手の発掘は難しい。これから先も、どんどん院生さんクラスの講演者を探して行きたいものだと感じた。

12月 2 日、穏やかな晴天も今日までで、明日からしばらく、暖かいながらも雨が続き、金曜・土曜と気温が急降下するという予報になっている。たぶん、十分に寒く感じるはずだ。しかし、最も寒い時期には、真冬日もやって来る神戸なので、週末に寒くなったとしても、まだまだ冬の入り口なのだろう。この急激な気候の変化を先取りするように、木々が葉を散らしている。木枯らしが吹く前に、バサバサと地面に葉が積もっている。風がないので、そのまま木の真下に積もる分、目立つのかもしれない。こういう所を、気を抜いて歩くと滑ったり転んだりする。配慮の足りない立ち居振る舞いが、つまづきの素になるという失敗は、繰り返さないようにしよう。

12月 1 日、大学の中で、生協の立ち位置は何だろうか?と考えるに、やっぱり、日々の飯なのだろうと思う。昔は、土曜日にも授業があったので、土曜日の夕食と、日曜日以外は生協でご飯を食べた。当時はまだ米食全盛期?で、女子学生も盛り盛りの中ライスを食べていた。カレーや丼の飯は、もっと多かったような記憶もある。いまも、学生や教員の昼食は食堂が中心だけれども、購買でおにぎりやサンドイッチなどを購入して食べる、というコンビニ的な昼食スタイルも、けっこう定着している。生協も、よくよく眺めると、大昔とは随分変わって、店舗も洗練されて来た。まだまだの所は、少しずつ改善して行くことだろう。というわけで、今日もごちそうさま。

11月30日、研究会 TNSAA の、準備にケリをつける作業をあれこれとこなす。が、次々と修正すべき点が Web Page に見つかって、要するに情報を盛れば盛るほど、仕事がドンドン増えて行くのである、という事に気づく。何事もシンプルにしなければ、良いものにならないのである。というわけで、削れるコンテンツは削って、すべて検索エンジンに任せる事にした。都会であれば、Google Map を見て、どこへでも到達できるものだ。迷ったら、メッセージを送れば、誰かが助けてくれる。どうしても削れないものが、例えば会議のプログラムだったり、タイムテーブルだったりする。こういう、オリジナルなコンテンツだけでいいのである。さ、削ったから、帰ろう。

11月29日、スロバキアの大学入試は、高校の最後に到達度試験をやって、そのスコアを基にして、大学を選べるのだそうな。但し、高校に通っている事が受験の要件で、日本の大検(旧大学入学資格検定) ... 今は高卒認定(高等学校卒業程度認定試験)か ... みたいなものは存在しないのだとか。たぶん、人口が少なくて、高卒認定のような仕組みを作っても、受験者が少な過ぎるのだろう。日本の高卒認定の方は1万人ほども受験者が居て、合格者が 5000 人から 6000 人ほど。これは、センター試験の受験者数の 1 % 程にもなるので、結構無視できない数字である。案外、身近な存在なのかもしれない、大検をパスした大学生・大学卒業生達は。

11月28日、ポスターセッション、経験した事がある人もいれば、聞いた事もないという人も居るだろう。あれを、世間一般的に表現すると、何になるのだろうか?私は行った事がないんだけれども、伝え聞く「食フェス」に、ちょっと似てるかもしれないし、似ていないかもしれない。どっちかというと、これまた私は行った事がないのだけれども、婚活パーティーに近いのかもしれない。興味の赴くままに、ズラーっと並んだのをチラチラと見て、お好みのものがあれば、捕まえて質問する。話してる途中で、もういいや、と思う事も、よくある。そういえば、小説の坊ちゃんにも、そんな風な場面の記述があるなーと。しかしなぜか、物理業界のポスターは、まだまだ男性ばかりなので、現在のところ、こういった比喩には苦しいものがある。歴史よ、進め!

11月27日、量子回路を行列積状態 (MPS) でシミュレートするという論文が、新たにプレプリントサーバーに上がっていたので、2004 年に投稿されていた、DMRG によるグローバーの検索アルゴリズムのシミュレーションの論文を思い出した。それを目にした時には、この論文こそ真っ先に、無修正で雑誌掲載されるべきだと思ったし、フレリーが回って来ればそのように返事しようと思っていたのだけれども、何の音沙汰も無し。かなり後になって、reject されたのだと聞いた。まあ何とまあ見識のないレフリーが居たものだと思ったし、今も思っている。そして、レフリー運の悪さというのは、世の常であることも確かだ。最初に、的確にレフリーを選べないという、エディター運の悪さでもあるかもしれないし、つまる所、雑誌社の ... まあいいか。

11月26日、国際会議の初日まで、1週間となった。事前の事務処理はおおよそ終わったハズなのだけれども、ここからが正念場、何が起きるかわからない。数多くの人々をお迎えすることになるので、様々な都合により欠席される方も出てくるだろう。プログラムを組み直すことは難しいので、そんな場合には誰かに白羽の矢を立てて、ピンチヒッターになってもらう事になるだろう。また、旅行の取り消し手続きなどもあり得る。一番面倒なのがビザの取り忘れ。大抵は大丈夫なのだけれども、アメリカ在住の合衆国ではない国籍の人が要注意で、稀に、ビザを取っていない理由で入国できない事がある。細かい事は、後回しにして、ともかく会議がつつがなく進むことに傾注しよう。

11月25日、エッジ研磨した後の初滑り。ブレーキの感覚が違うので、あまり派手には走れない。研磨して良かったことは、エッジがちゃんとかかる事。この、当たり前の事が、思い切った滑走に大切な要素だと、改めて感じた。エッジのかかりが悪いと、どうしても、エッジのフラットな部分で、当たり障りのないように踏んでしまいがちで、せっかく丸くロッカーカーブを描いているエッジの前後の感覚が、なかなか入って来ない。あるいは、そこで踏んだら、横滑りしてしまう。週末スケーターとはいえ、少なくともシーズンに一度はエッジ研磨が必要だと、身に染みて思った。一回の研磨が 2000 円。なお、スピードの人々は、自分で研磨するんだそうな。

11月24日、北半球、10 hpa の天気図は、すっかり冬。極渦が強く巻いている。南半球とは違って、とても伸びた渦になっているのが、北半球の特徴。陸地や山脈の影響が、上空 30 km にも、まだまだ及んでいることに、大気循環の不思議を感じる。今の時期は 200 hpa の高度も低いので、航空機がどんな気流の下で飛んでいるか?も、よくわかる。フライトレーダーを開くと、一見すると超音速で飛んでいる飛行機に出会う。強烈なジェット気流に後押しされて、(対地的には) スイスイと飛んでいるわけだ。稀に、逆風をモロに受けてトロトロ飛行する場合もある。なるべく避けるべき飛び方だけれども、燃費を増やさない条件の下で、避けられないこともあるようだ。と、色々と眺めている内に、共同研究者の乗った飛行機は関西空港に到着した。さあ、迎えに行こう。

11月23日、久しぶりに大阪大学の豊中キャンパスへと出向く。阪大坂を登っていて気づいたことが、コース取りが身についていること。次の角は右に曲がるから、この歩道ではだんだんと右側を歩くようにするとか、坂の緩急に応じたペース配分とか。大学院生の間、ずーっと毎日のように登っていたから、覚えるつもりがなくても、染み付いてしまったのだろう。学部生の間は、山の反対側に住んでいたので、桜井谷の方向からの道も、色々と覚えている。一方で、瀬川の方からのアクセスには、あまり詳しくない。阪大に勤めることがあれば、もっと脇道まで「研究」しようとも思っていたけれども、そういう機会は無さそうだ。

11月22日、iMac の Finder の動作が、超遅くて、何が問題なのだろうか?と、OS が Sierra になってから、ずーっと疑問に思っていた。原因の一端は、古い Mac をバックアップ用に共有していたことであった。共有を外すと、あら、突然若返ったかのようにサクサクと動く。でも、よーく考えてみると、これは妙なことだ。一応は、ファイルシステムがマルチタスクになっているのだから、一部のストレージが遅いからと言って、Finder 全体が引っかかるというのは、何とも Unix とは思えない動作なのである。それやったら、ターミナル使えって?うーん、そこまで割り切った Unix ユーザーには、もう戻れないよなー。

11月21日、随分と日の入りが早くなった。これから先の変化は?実は、もう、ほとんど「日の入りが最も早い期間」に突入していて、12月に入ると、冬至が来る前に日の入りの時刻は遅くなり始める。というわけで、日が暮れたから、仕事やめて帰ろう! というサボりをするならば、今がピークなのである。ちょうど、クリスマス商戦と重なる。一方で、正月は朝夕ともに、既に明るい雰囲気を持って迎えることになる。旧暦だったら、更に日が長くなるわけだ。昔の人々は、シッカリと太陽の復活を感じつつ、(旧)正月を迎えて、寒さを乗り切っていたのだろう。さて、日が暮れたし、そろそろ、手抜き仕事に移行しようかな?

11月20日、卵の値段は何で決まるか?と問われると、それは殻の厚さである、というのが経験則。たまーに高い卵を買って来ると、普段通りには割れない。テーブルに石でも叩きつけているかのような感触だ。普段よりも安い卵を買って来ると、持ち帰った時点でヒビの入っているものがある。そういうのは、さっそく加熱調理してしまう。中身は?というと、そんなに大差ないような気がするのである。鶏が1日に卵を1個産む、というのは驚異的な繁殖力だ。そのまま全部育てたら、鶏だらけになってしまう。このたくましさは爬虫類譲りの技なのかもしれない。卵を割ったら、サッサとオムレツにして、美味しくいただくのが手っ取り早い。

11月19日、学会の講演申し込みを行う。ええと、予約コードは?と探し始めて、あ、そうそう、学会のマイページからの登録に変更になってたんだと、改めて思い出す。マイページのログイン方法は ... 年に2度しか使わないログイン名とかパスワードは、すぐに忘れてしまうのである。こういう時のために、色々とおまじないをしてあるので (?) いつものように、あれこれと穴を掘ってパスワードを探す。こういう、連想の材料を全てパソコンに仕込むのは大変危険なので、紙やら、地図やら、歴史やらと、頼りになりそうなものを駆使して分散記憶する。が、きっと、いつの日にか、全て忘れて右往左往する日が来るのであろう。ま、その時は、その時で、楽しもう。

11月18日、昨日の練習で、もうエッジを研がないと、どうしようもないと悟る。というわけで、梅田の小杉スケートへ。休日は立て込んでいるので、靴を預けて、しばらく梅田のストリート・ミュージシャンを見てまわる。グランフロントでは、公認ミュージシャンのライブが。トコトコと JR 大阪駅までやって来ると、また別のアーティストが歌っている。器楽曲は珍しくて、大抵は歌曲で勝負している。昨日のスケートでもそうだけれども、音楽もまた、実力と年齢の相関の薄い世界だ。ひと声聴いた瞬間から、あ、これはヤバいという感覚が伝わって来る。そうこうしている内に、約束の時間となって、スケート靴を回収。コロネーションの研磨、お札が2枚飛んで行った。

11月17日、氷に乗る。先週はリキを入れ過ぎたので、今日は少し脱力して。夕方のスケートリンクには、ジュニアの選手が何人もやって来る。普通に前向きに滑っていても、ひと蹴りで進む距離が長くて、蹴り足が氷を離れる時のエッジの倒れ方が周囲とは全く違う。真ん中の狭い場所でコンパルの練習ができるのは、身長が低いジュニアならでは。ジャンプの練習に入ると、昨今はフツーにトリプルを連発してくれる。ルッツを綺麗に飛ぶ選手も。そういう雰囲気の中で、素人が周囲をトロトロと練習できるというのが、これまたスケートの良い所で、なるべく邪魔しないように、リンクの隅でヒールに乗る地道な練習に勤しむ。

11月16日、サツマイモを、なるべく甘く調理するには、ユーックリッド加熱、ちゃうちゃう、ゆっくり加熱すると良いのだそうな。それで、鍋にスチームプレートをセットして、水を入れて、芋を並べて、フタを閉じて、小さなとろ火にかける。2時間ほど待つと、どうやら出来上がったようなので、食べてみると確かに甘い。このまま水気を飛ばすと、激甘になるであろう。販売されている干し芋は、こうやって下処理しているのだろうか。ちなみに、このように甘くなればなるほど、糖分を腸内細菌に奪われ易くなる気がする。主食としてたくさん食べる目的では、あまり甘くない方が良いのかもしれない。

11月15日、紆余曲折を経た論文がアクセプトされた、との知らせが届く。始まりは昨年の秋口だっただろうか、元々は、とある学位論文の一部として使われるであろう形で、共同研究をまとめたものであった。しかしながら、その、学位取得の計画が宙に浮いてしまったので、内容をスリム化して学術論文として投稿した。学位論文には「何でも書ける」という側面があり、一方で学術論文は「忙しい読者に読んでもらうもの」であり、当然ながら、書き方が異なる。この書き換えに、結構、エネルギーを費やした。そして、戻って来たレフリーコメントに対して、検討を重ねて文章修正して、再投稿、クリスマより前にケリが付いて良かった。海の向こうで、学位取得の計画が復活してくれれば良いのであるが ...

11月14日、大学の一角に、石積みの高い擁壁がある。けっこう立派な岩の積み重ねだ。いつ頃から、そのように積んであったのだろうか。所々に土が溜まって、ちらほらと植物が芽吹いている。放置すると木が生えて来て石積みが崩れるので、毎年のように清掃作業が行われ、夏の間は枯れた状態に保たれる。秋も深まる頃になると、野菊が顔を出し、控えめに花を咲かせる。路面からは、人の背丈の2倍くらい高い場所で咲いていて、白い花びらが青空によく映える。どこから種が飛んできて、この石垣の狭い、そして高い場所に定着したのだろうか。そこから眺める風景は、どのようなものだろうか、登ってみなければわからないけれども、そこへと登る足掛かりがない。

11月13日、二十日大根、現在ではラデッシュと呼んだ方が通りが良いだろう。radish の語源は、簡単に辿れる所までだと、ラテン語の radix, 要するに根っこ。ローマ時代の大根や人参はどんな物だったのだろうか?と、想像するのも楽しい。壁画や、レシピなども残っているのだろう、きっと。室内であれば、まだまだ二十日大根の種まき時期 ... 通念と言って過言ではない ... だ、どこかに植えてみようか?しかしながら、観葉植物的に育ててしまうと、いつも見て楽しむために残してしまい、最後は花が咲いておしまいとなる。アブラナ科は、塔が立ったら根がガシガシになって不味くなるし、茎もまた硬くなる。この変化は糖からセルロースへの変化とも言える。セルロースが食えたらなー?

11月12日、クラシックギターの巻き弦、しばらく弾いている内に、音の輝きがなくなってしまう。その原因は、金属をまいてある芯のナイロンが伸びるからでは?と、ずーっと思っている。もちろん弦は伸びないと振動しないのだけれども、ここで言う伸びると言うのは、ジワジワっと長さが伸びて行く現象。高分子が高分子である限り、これはなかなか避けられない。紫外線でも当てて、伸びにくく分子を橋渡しするか?いや、そんなことをすると脆くなるのかもしれない。これから先の時代、ギターの弦が不変ということは無くて、どんどん科学の視点が入って行くのだろう。... 市場規模小さいから難しいかなー ...

11月11日、冷凍されたカニの身の茹で方、なかなか難しい。温度を厳格に管理できる、大きな湯で釜があれば、何度か実験してみて、適当な温度を探り当てると良いのだろう。家庭だと、温度変化の激しい小さな鍋に、(急ぎの場合は)凍ったカニの脚を放り込むことになる。確実に茹で上がるのは、身が浮かんで来た頃だけれども、これではもう、茹ですぎになっている。かといって、中が凍っていたり、生っぽい状態では食べられない。あくまでも、加熱調理用の食品なのだ。うーん、やっぱり、調理用の温度計を仕入れて、ちゃんと温度管理して、研究すべきかなー。生のカニは、冷凍ほど激しく加熱変化しないので、冷凍は冷凍ということなのだろう。

11月10日、氷に乗る。昨シーズンの最後に、スピードスケートの名士から聞いた「スラップスケートをイメージせよ」と言う助言を、実践してみた。スケートの蹴り足を離す際に、エッジの前半に力を込めて、最後はトウを引っ掛けない程度に蹴って、使える関節と筋肉の全てをスピードに変換するように走ってみると、あら加速が強いこと。アイスホッケーの人に聞いてみると、同じように走っているのだそうな。フィギュアの入門者には「トウ蹴りをするな」という定型の教え文句があるので、トウ蹴りではないにせよ、エッジの前半を使うことに、何となく躊躇していた私かもしれない。アイスダンスなどスロー再生すると、結構エッジの前半分を使っている。これとは別に、バックスケーティングでヒールに乗るのも、怖いんだよなー、練習あるのみ。

11月 9 日、街路樹のカエデ、あれはどんな種類のカエデなのだろうか?と、調べてみると「トウカエデ」であった。直立していて、葉は3つに分かれていて、あまり派手には紅葉しない。カエデはカエデなので、秋になると実をつけて、あちこちに飛んで行く。あるいは鳥が運ぶ。このカエデは、もともとが街路樹なので、芽が生えているからと放置したまま、地植えで育てると強い根が張ってトンデモナイ事になる。掘り上げて育てるにしても、枝をどんどん詰めないと、すぐに巨大化する。そして枯れない。切り倒したつもりでも、掘り上げたつもりでも、どこかに形成層が残っていると、根を出し芽を出し、復活する。どんな材質なんだろうか?

11月 8 日、昔々のトースター、昔々に分解してみると、その中に入っていたのは、アスベストを含む薄い板に、ニクロム線が巻かれているものであった。固めてあるものとは言え、アスベストで毎日のように食べる物を加熱していたわけだ。分解した時に、板を見ただけで、サッサと捨てたのは良かった。切り刻んだりすると、繊維が宙に舞うのだそうな。ニクロムの方は、害は無いけれども最近では見なくなった。ほとんど、セラミックヒーターに取って代わられたからだ。だいたい、狭い家の中にトースターを置くなど不合理で、オーブントースターにその座を譲ってしまっている。アスベストを内装などに使った建物はまだまだ現役で、これから解体のピークを迎えるそうな。アスベストのみならず、まだまだ、現代社会には「見えない時限爆弾」が潜んでいるような気もする。不安を煽るわけではないのだけれども。

11月 7 日、熱力学や統計力学を教える時には、理想気体がよく登場する。物理屋さんは理想気体しか学ばないと言っても、良いかもしれない。不完全気体のモデルは、まあよく行ってファン・デル・ワールス方程式くらいまでだ。液体については、学ばないと言っても過言ではない。化学屋さんにとって、液体は基本中の基本で、「理想溶液」なるものを習うのだそうな。ギブスの自由エネルギーと、化学ポテンシャルが登場し、しかも多成分系を扱う。慣れない物理屋にとって、パッと見て把握するのが難しい世界だ。但し、全てが平衡統計力学の枠組みの中での記述なので、実際に応用する時には、実験が必要。こういう所は、物理でも同じことかもしれない。

11月 6 日、砥石にも使われる、炭化ケイ素。シリコンカーバイドとか、カーボラランダムとも呼ばれる。これ、全て真っ黒なものだと、ずーっと思っていた。が、黒いのは炭素やその化合物が混ざりこんでいるからなのだそうな。薄緑色の炭化ケイ素の板を見てびっくり、不純物を減らすと、青ガラスみたいな色になるんだ。その色でさえ、不純物があることを示しているとか。この手の驚きは、真っ黒なシリコン、つまりケイ素の塊を見た時にも感じた。電子部品の中身に使われている、シリコンの板は金属のように銀色に輝いているからだ。固体の色は、一筋縄では行かないものだ。目で見た色でこうなのだから、スペクトルを調べて行くと、更に様々な驚きが潜んでいるのだろう。

11月 5 日、大学にやって来ると、地図の前でうろうろする高校生あり。それも、あちこちで目にする。全学的に、模擬授業か何かを行う日になっているのだろう。本部前辺りで、ずーっと上にあるキャンパスへの道に迷っている高校生にも出くわす。時間があれば案内してあげたい所だけれども、今日は昼から用事があるので、方向を指し示すだけとなった。最初に訪れる人が、阪急六甲駅から、あの場所まで徒歩で登るのは大変だぞー。このように迷う人々は、当日になってから、携帯の地図に頼って歩いているのであった。昭和の人間は、一週間前くらいに、頭の中に地図を入れておいて ... と言いたい所だけれども、昨今は「当日になってから、google map とストリートビューを頭に叩き込む」に変わってしまった。

11月 4 日、氷に乗る。最後に乗ったのが3月だったから、半年以上のブランクがある。最初は、初心者のごとく、エッジがヨロヨロした感じ。何周か回ると、ようやく感覚が戻って来た。今年の課題は、フォアスケーティングでのエッジのトウ側の使い方と、バックスケーティングでの、エッジのヒール側の使い方。前進でトウに倒しすぎると、当然ながらトウに引っかかって、つまづく。同じようにバックでヒールに乗りすぎると、エッジが突き刺さって宙に舞う ... いや、そうなる前に、急激にエッジが回って、強いブレーキがかかる。この辺りをコントロールできるようになることが、今期の目標の一つ。ホッケーやってる人々は、フツーにこれらの技を見せてくれるんだよなー。

11月 3 日、最近の調理パターン。肉をまず煮る。その煮汁を残しておいて、後で野菜を煮たり、スープにしたり、カレーにしたり。同じパターンは、肉でなくても、魚でも、イカでも、エビでも使える。ダシを取る時には、安い肉の方が、味が良く出る。パックから出した時の状態で、まず肉を洗うかどうか判断して、洗うだけでは怪しければ、軽く熱湯に通してから、本番の調理に入る。それでもアカンようなら、一度煮立ってアク取りした後で水洗いする。だいたい、素人料理は材料費が高くて、手間をかけすぎるというのが定番。まあ、休日にリフレッシュするには、手間と時間をかけて、料理をマズくしてしまうのも悪くはない。

11月 2 日、船は意外と速い。時速 40 Km くらいで進むので、1日で 1000 km、10日かければ1万キロメートルも進む。北太平洋横断が、そんなモンか。内海を進む時は、もう少し遅いのだろうけれども、丘の上から大阪湾を眺めると、船の位置関係が刻々と変わっていることが実感できる。豪華客船と呼ばれている船の出航を神戸大学から眺めると、実に逃げ足の速い船だということがわかる。背は高いけれども、案外、中はスカスカなのかもしれない。コンテナ船は、どうしてあれが荷崩れしないのか不思議なほど荷物を積んで沈んでいるのだけれども、スーッと目の前を通り過ぎて行く。六甲アイランドの南の端、神戸国際大学の裏手から海を眺めると、波を立てて進む様子まで手に取るように見える。なんだか、ぼーっと海を眺めて、その後でまた、海辺の我が家に帰る、そんな金曜日である。

11月 1 日、とある SNS のログインに失敗したという、セキュリティー確認のメールが届く。この手のメールは、とても用心して開かなければならない、大抵の場合、それは SPAM だ。メールのヘッダーをよーく確認して、送信者が本物であることを幾重にも確認して、ようやく「純正の (?) 報告」であることがわかった。さて、これに対して、どのように反応するかも、ちと考えものだ。パスワードの変更をした方が良いような気もするけれども、わざとログイン失敗しておいて、ユーザーがパスワードを変えようと特定のページにアクセスすると、密かに仕組んであるウィルスから変更されたパスワードを拾うなんて、手の込んだ罠があるかもしれない。違うデバイスから変更してみるか。その SNS から出家しなさい、という御仏のお導きかもしれないのだが。

9 月と 10 月の1行日記