← 5 月と 6 月の1行日記  

4 月30日、とある交差点で、地図を持って困ったようにしている人から、某大学はどちらですか?と聞かれる。なるほど、困るのは当然だ、その交差点から某大学までは、えらく遠回りをしない限り、道がどちらに走っているのか、把握するのも面倒な路地をクネクネと進まなければならない。教えることは、ほぼ不可能。ちょうど、そっちの方向へと向かって歩いている途中だったので、目処がつく場所まで連れて行った。どうやら、講演会か何かを聞きに行くのが目的だったらしい。こういう人助け(?)にはチト注意が必要で、あらゆる詐欺への入り口である危険もあるので、アンテナを張りつつ油断せず。どうやら、そんなにアブナイ人ではなさそうだった。もちろん、自分の事は棚に上げておいて。

4 月29日、文章で、物事を書き記すのは難しいことだ。一覧表とかテーブルのなかった昔は、もっと苦労したらしい。旧約聖書に、民数記という冊子があって、これには延々と人々の名前が書き記されている。そこに、どのような意味が込められているのかは、良く分からないけれども、現代人の名前の多くが、同じ名前であるという意味において、受け継ぐ価値は大きかったのだろう。ええと、そんな高尚な事ではない所で、今日は延々と堂々巡りをしたのであった。そろそろ落ち着くかな?と思う瞬間が最も危ない。ちょっとの事で、根底から議論がひっくり返るなんてことは、珍しくないのだ。まあ最後は少し進んだかな?

4 月28日、大学の庭木をよーく見ると、いや、よく見るまでもなく、枝ぶりがおかしいのである。これは庭木の宿命で、殆どの木は放置すると大きくなってしまうのだ。低木と言われるものであっても、植え込んだ時には想像もできないくらい大きくなる。サツキは放置すると、人の背丈くらいになってしまう。言わんや中木をや。それぞれ、大きくなり切った時に、その樹木の本来の姿が現れる。その形を、少し小さく再現するのが庭木の面白い所で、これには管理が欠かせない。そんな管理をする余裕は何処にもないから、枝が生え放題で、詰んだ所から枯れ枝となる。大きさだけは保とうと、荒く外側だけを剪定すると、妙な枝ばかりの樹となる。あーあ。手の届く場所だけでも、ちょっと手を入れておこう。

4 月27日、プライベートという接頭語が付くと、どういう語感が生じるのだろうか。プライベートビーチ、プライベートフライト、プライベートカンパニー、うむ、何となく高価であって庶民の関与する所ではない雰囲気が漂う。プライベートネットワークはどうだろうか? Wifi で接続すると、大抵の場合はどこかのプライベートネットワークに入っている。そういう意味で、実は毎日のように誰しもお世話になっているものが、プライベートネットワークである。こちらは、高級感ゼロである。欲しかったら、その辺りでルーターを買って来たら、一発で構築できる。こういう、貧乏人の高級用語が転がっているのが、コンピューターの世界の面白い所だ。プライベートネットワーク、プライベートネットワーク、ああ夢に出て来そうだ。

4 月26日、理学の範囲はとても広いので、生物学の研究室へと足を踏み入れると、別世界にやって来たのではないかと感じる。何らかの形で生物を飼っているか、集めている場合が多くて、あちこちに容器がある。ここで研究していますよ、という雰囲気に満ちているのだ。研究スタッフや学生の、女性の比率が高いのも特徴だろう。アチコチ見て回って、元の物理学の研究室へと戻って来ると、ええと、ここはここで、楽しい雰囲気に満ちているのだけれども、きっと外から見て何か研究しているようには見えないだろう。理論物理学は特に、頭の中に物理的イメージを置いておくのが商売なので、尚更である。裏返せば、仕事をしているフリをするのもまた、簡単なのかもしれない。長い目で見ると、怠けの結果は明らかではあるけれども。

4 月25日、骨まで食べられる煮魚が食堂の惣菜に出ていたので、どんなモンだろうかと食べてみた。アッと驚き、カレイの煮魚が本当に骨まで食べられる。背骨も柔らかい。鮭の中骨の缶詰と同じような食感だ。青い魚の場合は、時間をかけて煮れば骨が柔らかくなるけれども、白身魚でも同じように骨が柔らかくなるとは知らなかった。どうやって?と、検索すると、出ました出ました、圧力鍋が。沸点を高くして骨の中の有機物を溶かしてしまうらしい。調理に酢を使うとカルシウムが抜けて柔らかくなるけれども、それとは作用が異なるようだ。ひとしきり味わって、ウチには圧力釜がないし、買ってメンテナンスするのも面倒だから、梅酢の在庫を使ってイワシでも煮てみようかと思った。

4 月24日、電磁気学を、まあ一通りは教えるくらいのことは誰でもできるのだけれども、電磁現象を意のままに操ることができるか?というのは別問題だ。世の中に様々なアンテナが存在して、現在なお発展中というのが、そういう状況を如実に語っている。これは電磁気学に限ったことではなくて、古典力学もまた同じである。流体力学になると、毎日付き合っている水や空気という流体であるにも関わらず、まあ何というか、派手に複雑な運動をしてくれる。それに比べると電磁気学は綺麗な世界ではあるものの、やはり運動が絡んで来ると見当のつかない問題だらけとなる。そんな状態で、電磁気学を教える訳なんだなー、仕方ないか。

4 月23日、間もなく空港に着陸、もう空港の敷地に入った所で機体が急に沈み、何とか立て直したものの左翼が浮いたままの、バンクした状態で滑走路にタッチ。バウンドして一旦浮いて、再度タッチ。この時点で、まだ補助翼を使っているのでギリギリかなーと思っているとスロットル全開。はい、ラッキー、ゴーアラウンドで再び空へ。一回のフライトで二度美味しい空の旅。田舎の小さな空港だと小回りでおしまいだけれども、都会の大きな空港になると、迂回も長いものになる。低空で直ちににスローダウンしてくれるので、写真撮影には好条件だ。普段は見ない角度での地上撮影をしばし楽しんで、今度は風もおさまって無事着陸。

4 月22日、天空橋、てんくうばし、何と素晴らしい橋の名前だろうか。日本橋の、更に上を行くスケールの大きさを感じる。さて、天空橋とはどんな橋なのだろうか?というと、ええと、うーん、確かに空港へと渡る場所にある橋なのだけれども、何と言ったら良いのだろうか、どこにでもあるような小さな橋だ。いやまあ、それを言ったら日本橋だって、高速道路に覆われた地味な場所にある。東京のことは揶揄できないか、戎橋だって、あの場所になければ、特に目立たない橋だ。思うに、橋というのは橋だけで見ていてはダメで、その存在意義で知名度が決まる、そんなものなのだろう。虹の橋は渡れないから、価値がない、とは言えないけれども。

4 月21日、神戸空港にやって来る ANA の便は、全て ANA だと思っていたら、思いがけず ANA ウィングスがやって来た。つまらない突っ込みを入れると、Wings はウィング「ズ」ではないかと思うのだけれども、それは阪神タイガー「ス」でお馴染みのジョークだと思っておこう。なかなか良いサービスで、というか、働いている CA さん達の表情が良くて、ピリピリした雰囲気を感じることなく目的地へ到着。いちばんビックリしたのが、機内アナウンス。国内便だけの運行なのに、バリバリの英語アナウンス。あの、いつもの、ちょっと澄ました感じのゆっくりした弱い発音の英語ではなくて、ヨーロッパでよく耳にする「自分の言葉」で機関銃のように出して来る、ああいう感じのアナウンスであった。どこかから引き抜いたんだろうか?と、感心しきり。空の世界はよくわからないものだ。

4 月20日、仕事なんか忘れて、さあ遊びに行こう! そんな天気の1日であった。こういう日には仕事もはかどる .... はずである。空を見上げれば、熊蜂。どうして花もない所で、ブンブン飛び回っているのだろうか?と観察していると、近寄って来てカメラの前でホバリング。毎日、毎日、同じように、同じ場所で、同じように空中静止してくれるのである。書き物を信じるならば、動いているものがメス蜂かどうかを確認しに来たオス蜂であるらしい、ということになる。そのオス蜂は、針がないから刺さないのだそうな。まあ、熊蜂は庭のお友達だから、ミツバチと同じように、飛んで来ても知らんぷりしていれば何も悪さはしない。熊蜂と遊んだから、さあ、仕事。

4 月19日、抜いても抜いても抜いても生えてくる単子葉植物、これぞ生物の進化のなせる技である。大木となる事は稀である、単子葉植物、そもそも永く耐える作りをしていない植物だけに、ここぞという時の瞬発力がずば抜けている。ちょっと油断すると、その辺りから芽を出し ... いや、見つけた時には、細っそりとしていても高さだけは一人前だ。そこで放置すると、根元からどんどん株分かれして、いつの間にか辺り一面が草だらけとなる。地上を張って増えるものはタチが悪く、最悪なのが地下茎を伸ばすタイプの単子葉植物。辺り一面がササだらけだとか、ススキだらけになってしまうと、もう手の施しようがないのである。単子葉植物に油断するなかれ、初夏は楽しまずに、格闘しよう。

4 月18日、花粉がほぼ去って、新芽が伸びる季節となった。さてここで問題となるのが針葉樹の選定。アッサリと枝ごと枯れてしまうのが針葉樹の特徴で、放棄された枝はサッサと切り取ってしまわなければ、そこだけ穴が空いたような樹形になってしまうことがある。また、放置しておくとドンドン育って、要するに巨木となってしまうので、これまた庭として成立するだけの大きさを残して、ブッタ切るのも仕事の内。特に、地面に生えている樹木は要注意だ、幾らでも根を伸ばせるので、気がついたら手が届かない大木に、ということも珍しくない。キリの木は特に成長が速いので、毎年のように切り倒しているのに、いつの間にか大木に戻ってしまう。生命の力強さだ。

4 月17日、カード決済にすると、現金決済よりも消費が伸びるという話を聞いて、ずーっとウソだろうと思っていた。どちらで払うにしても、結局は自分の財布から支払うのだから。もちろん、支払いを受ける側は、ある金額を境にカードの方が手続きが簡単になり、時間の節約にもなるから効率が上がるだろうけれども、少額の買い物にカードは使わないだろう、そう思っていた。が、最近の電子マネーでその面倒さも無くなって来た。そして経験することはと言えば、以前だと「今日は財布の中に幾らしかないから、この中で買い物を組み立てよう」という考え方が薄れて来たこと。家計簿をキッチリつけていれば、今日の支出は千円を超えないようにしようとか、自分なりに最高額を決められるのだけれども、ナマケモノたる私には「財布の中の金額」が、実は良いタガになっていたらしい。

4 月16日、朝8時の京急・天空橋駅は駅中が整髪剤や化粧品の香りで満ちている。通勤電車ではありがちな事なのだけれども、あの駅は根性の入り方が違う。これから、どこへ飛んで行くのだろうか、1日に何度飛ぶんだろうか?と、不思議な感覚を覚える。ひと駅前の穴守稲荷の朝も、空港関係の施設への出勤でスーツ姿ばかり。こちらは男性の率が高く、みなさんどんな業務にあたっているのだろうか?と、興味深く見届ける。自分がもし、これらの職業にあたることがあれば、きっと大事故になるだろうと思いつつ。やがて空港に着くと、空路の通勤時間は過ぎているようで、結構いろいろな人々が待ち時間を過ごしていた。

4 月15日、何かの会話の録音テープに ... いや、テープはもう使わない ... 録音に雑音が入って、所々聞こえないという事が、よくある。それでも、だいたい、何を話しているかはわかる。ではノイズの入った部分を無音にしてしまうと?これは、電話で時々遭遇するように、無音に慣れていないこともあるのだろうけれども、とても聞き辛い。では、雑音の入った部分を切って録音を縮めてしまうと?これが最悪の選択で、何を話しているのか、わけがわからなくなる。言葉にはリズムがあるもので、知らず知らずの内に、そのリズムに乗って単語を聞き分けていることが実感できる。そういえば、世の中にはもう既に、24時間録音モードの人が結構居るんじゃないかと思う。あれだけ新聞ネタの録音が次々と出て来るのだから。

4 月14日、野菜料理は、物によるけれども、おおよそ煮込まない方がいい。カボチャがその例で、煮込むと必ず溶けてしまい、何を食べているのか訳がわからなくなる。溶かして食べる場合でも、ちょっと煮てから、マッシュして、スープか牛乳を足す方が美味しい。根菜などをローストする方は、水分が蒸発するので、結構長い時間調理しても、元の野菜の味を保つ場合が多い。葉を食べる時は、原則として火が通って色が変わったらもう食べ頃。煮込み料理の場合も、火を落としてから先の変化をよく頭に思い描いて、結構浅い所で火を止める。もっと若い頃に、これらの事に気付いていれば、無駄な時間を過ごさなかったであろう。

4 月13日、球状星団、その姿は大抵の人が理科の教科書か何かで目にしたことがあると思う。しかし「球状星団」と言ってピンと来るのは、天体観測に興味を持ったことのある人だけのようだ。望遠鏡で見るには、まあまあ適した天体で、10センチくらいの口径の望遠鏡でも、星が沢山集まっている様子を観察することができる。口径よりも空の暗さの方が問題かもしれない、人里離れた田舎や、大洋の孤島などへ出向いて望遠鏡を空に向けると、物凄く綺麗に星々が見え、球状星団も同様だ。球状星団は力学シミュレーションを行ってみる良い題材の一つで、点々と映る星々が様々に動く様子は実に興味深い。

4 月12日、高校数学では一時期「現代化カリキュラム」という、中身の詰まった教育が行われていた。中身の密度だけを見れば、旧制の教育制度の下で、もっと濃いものもあっただろうけれども、現代数学の香りをアチコチから網羅的に拾って来て詰め込んだという意味において、現代化カリキュラムほど幅広いものは今なお存在しない。もちろん、それが、教育現場の隅々にまで浸透していたかどうかは別問題で、その辺りのバラつきの大きさから、ゆとり教育へと軸が移っていったようだ。これまた、現場で忠実に「ゆとられた」かどうかは知らない。現在のカリキュラムでは、高校では微分方程式と線形代数を教えないので、これらは「大学数学」の看板となっている。この看板の下、どれだけ教育が浸透しているかは、よくわからない。いずれにしても、教育の効果は限定的である、これは間違いない。

4 月11日、演算用のパソコンは、古くなると使い道がない。捨てに行くにも、とても重たいなーと思いつつ、内部をよーく見ると、当たり前のことながら一番重たいものは電源部分であった。ここが、全重量の半分以上を占めているのではないだろうか。電源部の最大の部品はトランスだろう。あれは金属の塊なので、ともかく重たい。鉄も銅もタップリ使っているから、リサイクルするなら、あの部分だ。その次に重量があるのは、電解コンデンサーだろうか。昔のコンデンサーは、長く使うとよく液漏れを起こしたものだ。パソコンの場合は、ええと、長く使われることも考えてはいるんだろうけれども、その前にお役御免となるのが目に見えている。ともかくも、廃棄の準備あるのみである。

4 月10日、本棚をゴソゴソと整理していたら、矢野健太郎の「解法の手びき」が出てきた。この冊子を使っていた当初は、まあ演習書とはこういうものだろうと、何も気に留めていなかった。が、いま開いて見直すと、現在の教科書・参考書にはない、数学的に筋の通った主張が並んでいて、初学者をバカにしない姿勢というものに感銘を受けた。たぶん、同業者が読んでも十分に楽しめるということを考えつつ、執筆されたのではないだろうか。だいたい、どんな文章であっても自分で楽しめないものは、書けないものだ。きっと、初等数学の中に、様々な娯楽を見出していたに違いない。ほとんどの書物が絶版となっているのは、実に惜しいことだ。

4 月 9 日、今日は大学の粗大ゴミ回収日だ、というわけで、古くなった某機器を抱えて集積所へと歩いて行く。しかし、人影なし、ゴミなし。しまった、今日は回収日ではないのだ。仕方がないから、その重たい某機器を抱えて、元の場所に戻る。これだけだと状況が見えないかもしれない。最初は、坂道を降りて行く行程なのだ。帰りは当然、坂道を登ることになる。同じ荷物でも、どうしてこんなに、重さが違うものかと、笑いにも似た感情を持ちつつ、部屋の中まで戻って荷を降ろす。ああ疲れた。日頃、こういう仕事はしないので、アチコチ痛い。スケートでは使わない筋肉だもんなー。

4 月 8 日、八重桜が咲く時期となった。紅い葉が、花と一緒に伸びて来るのが、八重桜の美しい所だ。花の背景に葉があるので、うまく背景を作ってくれる。花にボリュームがあるので、夜にライトアップすると、一輪だけでも目立つ。もちょっと付け加えると、結構しぶとい生命力があって、切り株のようになってしまっても、根元から芽吹いて再び幹を作ってしまう。古木になると、もともと何処から生えたのか見分けがつかないほど、群生した桜となる。これだけ良い所が沢山あるのに、八重桜の花見はあまり人気がない。既に周囲の木々が芽吹いていて、春一番という感じがしないからだろうか。

4 月 7 日、暖かさに慣れた頃にやって来る、突然の寒い日となった。如月とはこのことか。旧暦の2月は、年によっては4月の初めに食い込むこともあったと聞く。まだ冬服をクリーニングに出してはならない、そんな寒さだ。むかし仙台で暮らしていた頃は、4月中よくこんな天気に遭遇して、ようやくゴールデンウィークの頃に街路樹の新芽が出て、コートを手放せたものだ。今日の風の吹き具合や、空模様は11月の後半を思わせるもので、空も暗いので、早々に海辺の自宅に引きこもって、波の音を聞きながら You Tube の視聴で時間を潰す。何を見ていたのかというと、スケーティングの解説。英語サイトで、結構マメにエレメンツを説明してくれる。見ていると、やはり、選手はスケーティングからして神業のように美しく、ダイナミックだ。

4 月 6 日、今日はゴミ袋に始まり、ゴミ袋に終わる一日。海辺の我が家の近くのゴミステーションのことはともかくとして、日中もゴミに付き合うのは、研究している部屋の模様替えを思い立ったからである。これまで、粗大ゴミというか、古くなった機器は、その辺りに積んでおくということが多かったので、段々と小山のようになって、ある意味で部屋の一角が墓場と貸していた。こういうものは、体力のある内に処分しなければ、後になればなるほど「ギックリ腰」の可能性が高くなる。担いだ途端に背骨が潰れたりしたら、一大事だ、骨が脆くなるような年齢になる前に、片付けておこう。一念発起して、今日はゴミ捨ての日とする。が、職場のゴミステーションも時間が決まっているので、残りはまた来週だ。

4 月 5 日、タケノコが、どうやって竹になるのだろうかと、不思議に思う。最初は細胞が平べったくて、それが縦長になるから、ああいう風に伸びるのだろうか?と思案してみるも、それだとタケノコはもっと肉厚でなければならない。調べてみると、節々に細胞分裂をする層状というか帯状の組織があって、そこから伸びるのだそうな。節ごとの伸びだと、そんなに驚くべき速さでもないわけだ。こういう事を聞くと、じゃあチューリップはどうして花が伸びるの?という、余計な疑問が出てくるものだ。だいたい、単子葉植物はどこから伸びているのか、よくよく考えると訳がわからない物が多いものだ。

4 月 4 日、新入生がスーツ姿で神戸大学に続々と集結。大学へ向けて、フォーマルな靴で登るのは大変なことだ。先輩方の中には、ハイヒールでカツカツと登って行く達人もいるけれども、それは鍛錬あってのこと。もちょっと付け加えると、そのハイヒールのまま坂道を下って行くスーパー達人もいる。ついでに、もうちょっと加えると、厚底靴が流行った頃に、凄いブーツで登り下りしている学生もいた。流石に、スケートボードやローラースケートはまだ見たことがない。ゲタは稀に見かける。意外と多いのがサンダル。夏は暑いのだ。きょう入学した1年生は、明日からどんな靴で毎日の登山を楽しむのだろうか。

4 月 3 日、研究室の模様替え、ということでガラクタを捨て始める。ここ何年か、廃棄すべきものを廃棄せずに積んでおいたので、めちゃくちゃ沢山のゴミが、部屋の隅に陣取っている。机の下などのデッドスペースに置いてあったので、あまり目立たない事もあって、ついつい廃棄が遅れてしまったのかもしれない。ともかく、今日からは意を決して、ゴミ捨て作業。ここで感じる事はというと、ゴミは容易に増殖するということ。もちろん、増殖させている主が居るから、増えるわけで、日頃の行いから見直さなければならない。ゴミになりそうなものは仕入れない、ゴミになったものは直ちに捨てる。簡単な事なのだけれども、実践は難しいものがある。

4 月 2 日、図書館のすぐ南から工学部側へと抜ける道が、長く工事中だった。今日、ふと見ると、通れるようになっている。通路だったら、単純に階段かスロープにすれば良いのだけれども、何やら中世ヨーロッパ?の「牢獄塔」のような、壁構造の建物が建っている。そこにあるのは、エレベーター! 凄いのである。建物の中には階段もあって、教会の塔を登るように、ぐるぐると上がって行くと、上の空中回廊へと出ることができる。建物には、所々、吹き抜けの窓が開いていて、登る途中に景色が見えるようになっている。これは写真撮影にもってこいの場所だ。様々な光の条件が、一度に実現できる。この建物、何か愛称があってもいいんじゃないだろうか。

4 月 1 日、珍しく?観光地へ出かける。桜の季節の観光地は、交通の便が良い場所であれば、どこも外国人だらけだ。少し先の日本全国の姿を見ているのかもしれない。日本人同士が、英語や中国語で話せるようになったら、香港のような雰囲気の街になってしまうのだろう、何度もここで書いているように。そこから電車で、少し離れた田舎へと行くと、田んぼと畑の広がる、日本の風景となる。そんな場所で、神戸や大阪の繁華街へと遊びに行きそうな出で立ちの若者が電車に乗っているので、ハテ、どこへ遊びに行くのだろうかと不思議に思っていたら、忽然とショッピングモールが現れた。なるほど、あの巨大な建物の中に入ってしまえば、全国どこでも同じような光景が広がっている。地域を支えている施設と言っても良いのだろう、たぶん。

3 月31日、ポートアイランドで氷に乗るのは、今日で今季は最終日とする。リンクは明日も営業しているのだけれども、所用あって明日は地に足をつけた人間活動の予定。今季は、氷がツルツルであればの話だけれども、ようやく片足で何回でも8の字が描けるようになった。スピードスケートの専門家から「ロッカーカーブの色々な所を使いなさい」と、教えてもらったことが大変参考になった、という話は過日掲載した通り。今まで、トウを引っ掛けるのが怖くて、前進の時についついヒールにばかし体重をかけていて、エッジのコントロールが効かなかったのだ。前後の体重移動は、うっかりやり過ぎるとボテっと転倒する。ただ、エッジがかかった状態ならば体が傾いているので、転倒しても氷はすぐそこにある。春夏は、どうやって練習しようかな?やっぱり、近場のリンクに通うのがいいかな。

3 月30日、冬野菜がそろそろ終わりの季節となる。まだまだ寒い地域はあるし、冷蔵保存できる野菜もあるので、全く出てこない訳ではないのだけれども、春らしい野菜が次々とやって来るので、少しずつでも食卓に春を、と、考えつつの買い物をする。ところが、そう言う意識が先に立つと、高いものばかり買ってみたり、まだまだ季節が先で、暖かい地域から運ばれて来たものだらけになったりする。いま、ちょうどの物を探すには、その辺りの畑を眺めるのが良い。畑である。が、ここが都会の難儀な所、海辺の我が家の辺りは埋立地で、そもそも畑も水田もないのである。そうか、誰々さんの家庭菜園なんていう光景もまた、価値ある情報発信なのだ。

3 月29日、今日も桜。これだけ桜が綺麗で陽気だと、もう花見するしかないのである。今日は、花が咲いているというよりも、桜の木が花で覆われているという感じで、隙間がない。どうして隙間ができないのか?ということを真面目に考えると、それは枝が隙間なく伸びているからであって、その枝ぶりは昨年の日当たりで決まっているのだろうという邪推に至った。こういう、証拠のない考えを科学的には conjecture と言う。conjecture は conjecture なので、何を言っても構わないのである。その conjecture が、いつの間にか根拠ある学説、theory とか conclusion に化けるような語り方をする人々が居ない訳でもないし、注意深い人であっても、うっかり口が滑ることもあるので、何かを説明されたら、じっくりと真贋の判断をしなければならない。これが科学の世界の習慣だ。

3 月28日、素晴らしいモクレンを毎年のように咲かせる、とある通りに行ってみると、ありゃりゃ、スッと幹が真っ直ぐに立っているだけだ。うむ、この時期に強剪定してあるということは、今年の花は諦めて、樹形を整える判断となったということだろう。会計年度の末とは関係していないことを祈るのみである。これだけ強剪定すると、元のように沢山の花をつけるのは、再来年になるだろう。このモクレン、検索してみると、被子植物としては古い特徴を残す植物なのだそうな。そう言われてみると、花の付き方もどことなく、他の植物とは違って見える。仏教との関わりも深い花だ。眺めていると、お寺の境内が思い浮かぶ。

3 月27日、卒業式の日となった。式典はポートアイランドで行われるので、午前中の大学は閑散としている。午後は恒例の祝賀会。式典はパスして、最初から祝賀会を待ち受けている面々も。やがて、スーツを着た卒業生、そして和装洋装の華やかな面々も集って、祝賀会が始まる。ゆっくり時間を過ごして、という程の時間はなくて、次々と写真撮影が行われて、最後に全員の集合写真を撮ってお開きとなる。その後は卒業証書の授与。今日も天気が良く、満開の桜の下で「個人撮影会」が夕方遅くまで行われていた。桜の卒業式は、教員として勤める経験の中でも、初めてのことで、良いものだと思った。来年も、この時期に咲いてくれないかな?

3 月26日、春の陽気となり、桜が満開になった。... 満開になってしまった。あちこちの「桜まつり」は、随分と先に予定を組んであるから、全国各地での桜まつりは、ほとんど全滅となるのではないか?という危惧さえあるのだ。まあ、じっくり花をつける八重桜もあるから、全く桜の花が無いということはないかもしれない。造幣局の通り抜けは、どうなんだろうか、あれは営利に関係ないから予定をシフトできるような気もする。桜に目を奪われてしまうのだけれども、通勤途中の六甲登山口交差点で咲いているモクレンの花も素晴らしいものだ。美しいものは、素直に心に映し込む、これが平穏に日々を過ごす方法の一つかも。

3 月25日、桜の花がパッと咲く、という仕組み、なかなか良くできているものだ。蕾の原型は、もうずーっと前からできていて、小さく冬越ししていたのだろう。これが春先になると段々と膨らんで来る。膨らむに足りる栄養が供給され始めるから膨らむのだろうか、それとも先に膨らみ始めて、後追いのように供給が付いて行くのだろうか、それとも協力してのことなのだろうか。樹木の幹は、形成層という二次元的な層だけが生きていて、ここで何かが起きていそうだ。二次元系の統計モデルと関係あるのかなぁと、新しい研究ネタを探す春の日の午後であった。そういえば、この形成層に上下の方向ってあるのだろうか?

3 月24日、フェルミの熱力学、結構コンパクトにまとめられていて、熱力学の定番の教科書の一つだ。これは買うべき商品だと思っていたら、原書のスキャンがアチコチに上がっていて、ちょっとびっくりした。本の著作権は、著者の死後 50 年までらしく、53 才で没したフェルミの場合、既に 60 年以上が経過している。というわけで、原書に関する限り、これを教科書に指定すれば、講義受講者はテキストを無料で入手できるのである。一方で、ディラックは長生きしたので、著作権が切れるのはまだまだ先だ。しかしながら、ディラックの著書のスキャンもまた、広く入手可能なのである。Baxter のように、まだピンピンしている内に無料公開してしまう人もまた、居るのである。ありがたいことだ。

3 月23日、この時期に、急に伸びる雑草の一つが、ヒメオドリコソウ。最初は可愛く咲くのが、この雑草の特徴で、可愛さ故に残しておくと根元から次々と茎を立ててドンドン咲き、やがて可愛くないボケた色の葉になる頃には、もう種ができているという、ちょっと困った雑草。もう一つ困ったことに、根元までシッカリと引き抜いても、しばらくすると伸びて来るゾンビさ。これは、前年にこぼれた種から、小さな芽が「予備軍」としてアチコチに顔を出していることに、なかなか気づけないからで、抜いたものが生えて来るわけではない。でも、主観的には「抜いたのに生えてくる」と思えるほどシツコイのである。見かけたら、即刻抜き。とうとう、植物の伸びと戦う季節がやって来てしまった。

3 月22日、デビットカードで返金の処理をすると、何日か後に、再度、引き落としと返金が行われるということを初めて知った。日本に口座を持っている、外国のお客さんが、カードを使って決済する時に、ちょっとした手違いがあって返金処理をして、もう一度打ち直すという作業を済ませたのが、つい先日。その時の引き落としが、数日置いて再度行われて、これはなんじゃ?と思って連絡してみると、デビットカードは即時に引き落とし処理をした後で、「後から」正式な決済をするという仕組みを教えてもらえた。ただ、この時に、カード会社に連絡を入れないと、返金処理が随分と遅れることもあるそうな。うーん、便利なことには落とし穴があるものだ。もうちょっとマシなシステムになるまで、利用を控えようか。

3 月21日、1日中雨。いや、首都圏は真冬のような温度で雪が降った。物理学会間近ということで、続々と知り合いが上京して来ていることを、SNS で知る。結構みんな、雪について投稿している。そのまま気温が下がって、雪が積もる風景となるか?と期待していたけれども、夕方には雨に戻ってしまった。このように気温が下がって湿気があったので、花粉は皆無で、大変助かった。いつもこの時期には花粉に攻撃されまくる首都圏というイメージが、頭にあっただけに、やれやれという感じかもしれない。明日は、学会会場近くのフレンチレストランで、とある「同窓会」が開催されるのだけれども、色々と予定が立て込んで学会をパスする私は、明日早々に関西へとトンボ帰り。このように、人々とは逆の動きをするのが、アマノジャクなる私の本性であるかもしれない。ともかくも、海外からのお客さんが神戸に滞在している間に、幾つかの論文を仕上げてしまう、これがまずは大切なことなのである。そして、自ら手を挙げて執筆すると宣言して、かれこれン百日が過ぎた仕事、これも複数あったりして、うーん、要するにアマノジャクなのではなくて、単純なナマケモノであるというのが、本当の所かもしれない。頑張ろう。

3 月20日、とても様々なことが1日の内に起き、バタバタと手続きしたりメールを送ったりして過ごし、アタフタと大阪空港へと移動する。セキュリティーチェックに、新たに導入された「スマートレーン」が、ちょっとだけ速いらしいのだけれども、使ってみたら詰まってしまった。荷物が次々と出て来るベルトの上に乗っているトレーの荷物を、誰かが取らないでいると、そのトレーはいつまで経っても回収されず、レーン全体が停止してしまうのだ。効率化というものは、だいたい、このようなものだ、何かが起きれば、その影響がどんどん広がるのである。次からは、また、古い方のレーンを使おう。

3 月19日、少し遅い朝のポートアイランドへと向かう。通勤・通学ラッシュは既に過ぎていて、乗るのは楽々。海辺の自宅から JR に乗って三ノ宮へ向かい、そのままポートライナーへと乗り換えるだけだ。この乗り換えに、結構時間がかかるのが三宮の街のデザイン上の問題。ポートライナーが、なぜ地上 3 階に駅を作ることになったのか、その理由は不明だけれども、これが一つの原因で JR に向けての乗り換え通路が、とても長くなってしまっている。阪急は言うまでもなく。そして阪神、地下鉄。うーん、これから先、再開発される三宮、少しは使い易い動線となるのだろうか?まあ、海辺の自宅からの道のりを思えば、乗り換えの苦労は微々たるものなのだけれども。

3 月18日、日曜日です、日曜日です、楽しい日曜日です、はい、今日は仕事に潰します。日曜日の仕事と表現するとブラック感があるのだけれども、時間を好きなように割り振って、片端から片付けて行ける自由があって、楽しく過ごせるのである。いま、問題となっているクラブ活動顧問の「仕事」は、問題になっているのだから、きっと強制的にさせられている感があるのだろう。さて、どの仕事から手を付けて行こうか?ええと、その前に、まずは今日の新聞でもざっと眺めて ... という悪行へと走ると、あっという間に1時間を失ってしまう。イケナイ、イケナイ、今日は仕事の日曜日なのである。

3 月17日、繁華街から少し外れた場所には、職住近接地帯とも表現できるのだろうか、住み働き遊べる場所が広がっている。むかし仙台で住んでいた頃は、某ナントカ町という、ちょっと外れただけの場所に住んでいて、飯が食べたくなったら5分歩いて飯屋、買い物したくなったら7分歩いて ... と、ノンビリした生活を楽しんだ。職場へ行きたければバスに乗るか、あるいは徒歩でキャンパスへと散歩するか。都会は変化が速くて、むかし隠れ家だったような場所に、オシャレな街ができていたり、その逆に中心街であった場所が、シャッター街に変貌していたり。住んでいると、きっと気付かない日々の変化なのだろう。いま、三宮は北へ東へと、延びつつあるように映る。

3 月16日、高校の物理基礎で、気柱の共鳴というものを取り扱う。平たく言うと、笛の音が鳴る原理の物理だ。管の端が閉じている場合「そこで音が固定端反射して」定常波を作る。これは理解し易いらしい。管があろうとなかろうと、壁があったら音は反射するものだ。管の端が開いている場合は「そこで音が自由端反射して」定常波を作る。これは直感的にはわかり辛いようだ。仮に管がなければ、何もない空間が広がるだけで、音が反射するはずがない、そう考えてしまうからだ。開口端の場合、管があるかないかは、そこでの反射に本質的で、管があるからこそ開口部分で音の反射が起きるのである。これらの点について、なるべく直感に沿う形で説明をしようと試みるならば、音の正体が圧力であることを述べるのが、最も良い方法だろう。ただ、高校の物理では、波は必ず変位で理解するんだよなぁ、この辺りの整合が取り辛い所。

3 月15日、短い文節で日本語変換するクセが付いてしまっていて、今の日本語変換について行けなくなりつつある。全部ひらがなで打ってしまえばいいじゃないか?と良く指摘されるのだけれども、そこは漢字ではなくてカタカナで書きたいんだ、という場合、いちいちカーソルを動かして、修正しなければならない。あるいは、一般的ではない送り仮名を、意図的に付けるとか。一番困るのが、標準的ではない日本語を書くとき。ぐぅおるで〜、など書こうものならば、片端から候補を示されて、修正がかかるのである。結局、これらの自動機能をどんどん外して、むかーしむかしのようなタイピングを続けている。

3 月14日、クスノキは、何処にでも生えている木だ。よーく目を凝らしてみると、陽の当たる場所ならば、必ず芽を出している。小さな内は、それがクスノキであると認識されずに、何の芽だろうか?何の雑木だろうか?と思われているのだろう。やがて大きくなって来ると、水不足などのせいか、呆気なく枯れてしまうこともあるけれども、やがて幹が太くなって、特徴ある模様の肌となる。この辺りで、大木となることを懸念されて切り倒されることもある。それをくぐり抜けると、いよいよクスノキらしい風情の枝ぶりとなり、人々の寿命を遥かに超える古木となる。その芽が、足元にあるのを探して回るのは楽しいものだ。何となく教育にも似ている。

3 月13日、大学の中が比較的ノンビリとした雰囲気に包まれる時期となった。入試もひとまず終わり、新入生が入学して来るまでは、研究に没頭できる時間を確保し易くなるのだ。明後日には、外国から大切なお客さん達がやって来て、しばらく研究打ち合わせをすることになっている。ついでに、今年の年末あるいは来年の初めに計画している、国際的な研究会の打ち合わせも行う予定だ。一方で、こういう時間のある時に、今年度に何か足りない事がなかったか、来年度はどう改善して行こうかと、立ち戻って考えることも大切だ。さて ... と、作業を始めた瞬間に、4月の予定変更の知らせが入って、アタフタと交通機関の予約を変更。常に、物事は予想のつかない形で進んで行くものらしい。

3 月12日、朝の阪急六甲駅に降り立つと、看板を持った案内役やら、高校や予備校の先生方やら、不動産のビラ配りやら、ともかく恒例のごった返し風景となっていた。前期入試に比べれば受験人数が少ないとは言え、付き添いの人々も含めれば、結構な人数が神戸大学まで坂道を登ることになる。この坂道、平地で暮らす方にとっては「ひと苦労」かもしれない。バスを使えば楽チンかと言えば、さにあらず。坂道を登る状態でカーブが続くので、慣れていないと足を踏ん張り手で支え、大変な苦労を強いられる。特に、誰にも触れないように安全にスペースを確保することが、朝夕は大変だ。というわけで、私はノコノコ、坂を登るのである。

3 月11日、今日は首都圏に寄り道。日曜日の電車は空いている。制服姿を多く見かけるのは、明日が大学入試の後期試験の日だからだろう。昼間の用事を済ませて、さあ帰宅という所で、新幹線止まるの報に接する。こういう時にはジタバタしても仕方ないので、ぷーらぷらと時間を過ごして、何となくいつの間にか神戸に戻って来ていた。戻る気力があれば、万難を排して戻れるのである。神戸は首都圏よりも少し涼しく、真冬の出で立ちでも汗ばむことはない。空気が少しは澄んでいて、騒音に囲まれることも少ない。都会を楽しむのも良いのだけれど、住むには神戸くらいの田舎の方がいい。さて、電車をもう少し乗り継いで、海辺の我が家へ。

3 月10日、朝5時半にホテルを出て、空港へ移動。チャンギ空港は、珍しく何時間前(?)でもチェックインを受け付けてくれる。あらゆる待ち時間を避けるには、早朝がいい。ホテルのチェックアウトの行列、タクシー待ちの行列、渋滞、あるいは地下鉄の駅まで雨の中を移動、こういうことが頭に浮かぶので、サッサと空港に逃げて来たというのが実情。一旦、空港に入ってしまうと、そこは24時間営業の世界、買い物をするも良し、見ているだけも良し、休むも良し。ただ、寝込んでしまって搭乗に遅れると本末転倒なので、そうならないように注意しつつ時を過ごす。→→→はい帰って参りました、「春休みの国」に。

3 月 9 日、研究室見学。データサイエンスの中でも、音声認識、空間認識、そして医療補助への応用について、紹介してもらった。中でも、幾つかの異なる言語が混ざって話されている場合に、それを正しくテキストへ変換するデモンストレーションが面白かった。誤変換もあるのだけれども、英語を話している最中に突如として中国語が混ざっても、文書変換されるのを目の当たりにすると、最初はちょっと信じられないものがあった。もっとも、今日の最大の収穫は、計量経済学という研究分野があることを知ったこと。それも、同じ神戸大学の研究者から教えてもらったのだから、シンガポールまでやって来た甲斐があったものだ。

3 月 8 日、ホテルを出て、地下鉄で南洋工科大学へと向かう。予想していたよりも、地下鉄のスピードがゆっくりで、現地に到達したのは opening が終わって、最初の講演に入った所であった。データサイエンスというものが、サイエンスなのかテクノロジーなのか、その辺りの境界を探しても仕方がないということは良く理解できた。きっと、産業革命の頃に熱機関を目の当たりにした人々が、興味を持ってその改良に取り組んだ経緯と良く似た現象が起きているのだろう。コンピューターが駆け出しの頃には、シャノンとフォン・ノイマンがシンボルとして定着したけれども、さて、今のデータサイエンスでは、誰がその役割を果たすのだろうか。

3 月 7 日、海辺の自宅を少々早く出て、春の潮風が当たる大阪湾の緩やかな海を眺めつつ、とある税務署へと足を運ぶ。ちょっと講演に出かけたりすると、講演者金がわずかに出ることもあるので、そういうものは全て確定申告しなければならない。たまに、自分でも忘れているものがあったりして、秋風が吹く頃に、税務署から電話が入ったこともある。こういう手間は、なるべくかけないように、注意深く申告書を作成して、台紙に必要な書類を糊付けして、窓口へと持って行く。所得税の申告は簡単なもので、窓口でチラッと確認して、ホッチキス止めした書類が回収されて、納税すればおしまい。もともと、雑所得は微々たるものだったので、追加して納付する税金も微々たるものだ。もう少し、雑所得が多くなるように、ちょっと工夫しなければならない年齢に差し掛かったのかもしれない。→→→その夜に、大阪から成田へ飛んで、しばらく待ってから一路南へ。赤道近くまで、まあまあの時間のフライトとなる。7時間程度というのは、ちょっと中途半端な時間で、ヨーロッパやアメリカへ飛ぶほど、飛行機の中で過ごしたという感覚はない。そして、深夜の到着となる。ホテルまで、20 km ほどタクシーを利用する。深夜だし、長距離だし、結構な出費になるぞ、なるぞ、と身構えていたら、提示された金額を見て肩透かしを食らった。日本の半額以下、という感覚。シンガポールの常連さんに聞くと、タクシーがとても安いのだそうな。シャワーを浴びて、明日に備えて、サッサと眠る。

3 月 6 日、桜の木の寿命というものを検索すると、あれこれと書かれている。が、桜が立ち枯れするのを目の当たりにすることは、あまりない。強いて言うと、緑に覆われた真夏の桜を眺めた時に、太い枯れ枝が隠れているのを見つけることはある。こうなる前に切り倒されてしまうか、あるいは強風で倒れて、取り除かれるのだろう。誰も手を入れていない場所の桜は、朽ちそうな株の根元から新しい幹が伸びて、何本も群生したようになる事がある。このような樹を見ると、寿命も何も、永遠に生え続けるのではないかと思えて来る。その状態を、街路樹で保つことはできないから、最初の幹が腐って来た頃に、根元から取り除かれるのだろう。

3 月 5 日、暖かい雨の日となった。毎年、この時期は要注意。冬は体が冷えているので、運動する時には、まず十分に体が温まってから動き始める。が、春になると、その必要が「ないように感じて」最初の一歩からガツッと力を込めてしまう。結果は明らかで、関節を痛めたり、筋を伸ばしたり、ギクッと来たり。暖かい時こそ用心あるのみ。さて雨が降る気温が高い、結果として花壇の下草が、また次々と伸び始めた。この成長の速さに、植物の底力を感じる。アッという間に、吸える肥料分を土から奪い取り、他の植物の成長を阻む。見つけたら、抜き去るのみ、と園芸家魂が灯るけれども、もう少し放置しておこう。これだから、いつまで経ってもダメ園芸家なのだ。

3 月 4 日、スピードスケートの達人から貴重なコメントを頂戴した。まず、片足で延々とS字を描いて進む時には、足でS字を描くのではなく、ヘソで描けとのこと。体重の乗らない状態で足だけ先に回しても、無駄にエッジが氷を滑るだけ、ということらしい。もう1つが、ロッカー・カーブを有効に使えと。前進滑走で支持足から蹴り足に移り行く過程で、スラップスケートのようにエッジの前半を使うと、ひと蹴りが伸びると。指摘されてみると確かにその通りで、今まで「トウ蹴りの呪い」と「トウピック接触の怖さ」で、エッジの前半を使っていなかった。ふくらはぎの筋肉を使えると、確かに楽に楽に進める。別の達人から、バックスケーティングではアゴを引けとも。まだまだ修行の道は続くのであった。

3 月 3 日、氷に乗る。が、今日は満員で、既にガリガリの氷と化していた。こういう時は、エッジにかかる摩擦が大きくて、滑りが伸びない。どうやったら楽に滑れるかなーと、試行錯誤していたら、今更ながら気づいたことが「フラットに乗ると摩擦が大きい」ということ。氷との接触面積が大きいのだから、当たり前のことなのだけれど、ボーッと周回するだけでは実感し辛かった。試しにエッジを傾けて、常にカーブしつつ滑ると、まあまあ伸びる。これからは、このように滑ろうと思った。ただ、エッジの角度と加重の関係を間違えると、凹みにエッジを取られて、呆気なく転倒となる。滑って転ぶこともまた、スケートの一部だ。

3 月 2 日、朝 9:30 から夜の 8:30 まで、論文原稿の手直しに付き合う。心を無にして取りかかると、案外楽しい。もっとも、最初は雲を掴むような作業で、どこから手を入れれば良いのか、皆目見当がつかなかった。段々と考え方の流れが見えて来て、最後の2時間くらいで、その日の半分以上の作業をこなした。少なくとも、テキスト進捗状況に関する限りは。やれやれ、という具合には行かない。まず、同じように手直しすべきブツが目の前に2つ転がっている。そして、もっと大きなブツもあり、構想段階のものもあり、あれや、これや。要するに、物書き業を始めた瞬間に、この泥沼からは抜けることが出来ないということだ。何と楽しいことだろうか。

3 月 1 日、夜中から明け方にかけて、ビュービュー、いや「並の台風並み」と表現しても良い暴風が吹き荒れ、いつ眠っていたのかよくわからない一夜であった。時々目覚めたからだろうか、見た夢も沢山覚えている。「並の」と付けたのは、昨秋の台風が超強力だったという体験に比較して、並の一文字を持ち出しただけのことだ。雨の量がそれほど多くない所は、台風とは異なる、温帯低気圧ならではの荒天だった。寒気が入って、また寒くなるのだろうか?と身構えていたら、昼間は暖かく、もう季節は春なんだと勝手に納得。よくよく下草を眺めると、小さな青い花も咲いている。今年もまた、中庭の手入れをする時期となったようだ。

1 月と 2 月の1行日記