← 3 月と 4 月の1行日記  

2 月28日、文章は、それが短いものであっても長くても、誤読を完全に防ぐことは難しいものだ。裁判の判決などに、独特の表現が用いられるのも、誤読の芽を可能な限り、自動的につんでしまうことが目的なのだろうと推測する。仮に、どこにも誤解される要素がない文章であっても、一度だけ短い時間で読んだ時に、きちんと内容が頭に入るかどうかは、保証の限りではない。誰もが先入観に支えられながら文章を読むからだ。先入観があるからこそ文章が読める訳だけれども、それが誤読につながることも多々ある。全く誤読の隙間のない文章は、存在しないものだと達観した上で、それを減らす努力を惜しまないことが大切だと思った。

2 月27日、エネルギーという言葉、一般用語としては幅広い意味で使われるものだ。エネルギッシュ、エネルギー切れ、エネルギー補給飲料など。だいたい、主役は人間となる。化石エネルギーとか再生可能エネルギーという場合には、工業的に利用可能なエネルギーのことを指す。一方で、物理学では、利用可能かどうかに関わらず、エネルギーはエネルギーであって、厳格な意味を持っている。従って、物理屋さんがエネルギーと口にした時に、はて、それはどんな意味でエネルギーという言葉を使っているのだろうか?と、ついつい気にしてしまうのだ。今日はというと、昼間にたっぷりエネルギーを使ったので、エネルギー切れ的にぼーっとしている夕暮れとなった。

2 月26日、下草を眺めていると、春の訪れを感じる。芽が伸びたとか、花が咲いたという程度の事ではなくて、もう種ができている種類の下草もある。この時期の種が、そのまま発芽するのか、夏の間はじーっと休眠しているのかは、わからない。舗装の隙間という隙間から顔を出して伸びては種を残す、したたかな戦略だ。そのまま放置すると、やがて何年かで雑草ボーボーとなり、舗装された道が緑に襲われて消え去って行く。そうなるのを防ぐかのように、あちこち掘り返して、舗装し直し。掘った場所から取り出した古い配管は赤サビでボコボコに膨れていたりする。公共インフラの行く末、果たして現在のレベルを維持できるのだろうか。ま、草ボーボーの田舎に還るのも、悪くはないんだけど。

2 月25日、美味しいものには訳がある、という訳ありの昼食を楽しむ。ゆーっくり時間が流れて、曇り空はパリの冬空という感覚であれこれと、思い出を手繰りつつ過ごした。覚えていることが色々あるものだという記憶の不思議、食べ物から思い出す昔のこと、あんな光景、こんな出来事。そして、最後はチょっと、アタフタと戻って来て、園芸に打ち込む。園芸は芸なので、余分なものは削ぎ落とさなければ美しくない。ついつい、雑草ボウボウとなってしまいがちなのだけれども、複雑に見える鉢や箱庭の中にも、筋の通った論理に従って枝葉を整理することが肝要だ。そうでないと、堂々巡りしたまま、また次の年となってしまう。

2 月24日、物事の最前線には議論がつきものだ。議論を避けていては、つまらないものが出来上がってしまう。それでは何も行わなかったに等しいわけで、どんな些細なことであっても、気がついたら議論のテーブルに乗せる。その結果、議論が一周してしまったら、何か根本的な部分で設計がマズいということかもしれないので、一度頭を冷やして、出直しの議論となる。教育も、実はそんな過程の中にあるものかもしれない。大昔から、人々はきっと同じように議論して来たのだ。自由な発想が力を得る源である、色々と学ぶことが力を得る源である、ゆとりの時間こそ力を得る源である、など。力学は難しいものだ。

2 月23日、誰かが、誰かの怒りを買う場面に遭遇すると、第三者として何を避けるべきか、よくわかるものだ。大抵は、些細な行き違いが原因で、どちらかの受容の限度を超えた時に怒りが爆発する。側から見ていると、その「怒りの源のたまり具合」が見て取れることが多いのだけれども、当事者にはピンと来ないものかもしれない。1つハッキリとわかることは、怒りを爆発させても誰の得にもならないということだ。その前に立ち去った方が、はるかに良い。不利益の種をまくことは避ける、というわけで、見て見ぬフリをしつつ、傍観者も静かにその場を去った。大都会には、こんな冷淡さが必要なのかもしれない。

2 月22日、久しぶりに研究打ち合わせを行う。非常に単純なことについては、何でも綺麗なデータがあって、よくわかっているものだと思い込みがちなのだけれども、そういうものに限って、十分な計算が行われていなかったりする。と、いうことが、明らかとなった。ある時点では十分に思える計算結果であっても、時代が進むと世の中の計算機の能力も飛躍的に伸びるものだから、昔々のデータというものは、とても荒く見えるものだし、そこから導かれている結論にも疑いの目を持って見直してみる必要があるわけだ。こういう点が、数値解析の弱さで、数学的に証明されることに比べると「蒸し返される」危険がたっぷりなのである。ま、いいか、今の研究は、後々の人にバカにされる種を蒔くのだから、それも功徳のうちか。

2 月21日、この前、電車の中で仕入れた SU(N) ネタを、素粒子の研究者に披露した。ちゃんと、ご理解いただけたようだ。SU(N) とは、まあ数学屋さんが使い始めた対称性を表す記号なのだけれども、物理で SU(2) やら SU(3) 対称性が自然界にあることが見出されてから以降は、素粒子屋さんの標準言語となってしまった、そんな専門用語だ。エス・ユー・エヌと読む。その SU(N) を、幼稚園児が大声で叫ぶ場面に遭遇したのが、先週の電車だった。SUN つまり太陽の綴りを覚えようと、一文字ずつ読んでいたに過ぎない。ただそれだけのことをネタに日記が書けるのは、物理屋だけの特権だろう。

2 月20日、生協の書籍棚に、数理科学が並んでいる。3月号は、量子論的思考法のすすめ、ということで、よく存じ上げている研究者の皆様に混じって、私もチョロリと統計力学の話を掲載している。著者の面々を見て、これは怠けられないな、と、ちょっと力みすぎたかもしれない、と読み返してみて思う所あり。雑誌原稿は、もちょっと洒脱に書かないといけないものだと思った。同業者の記事は、読んでいて為になることが多い。物理は、筋の通った学問ではあるのだけれども、アプローチは人それぞれで、どこから主題に入るか?という話の組み立てにも引き出しの多い方が豊かな表現に結びつくものだと、読んでいて感服するばかりだ。と、いうわけで、立ち読みしてください。

2 月19日、文章を推敲する時に、画面を見ていて気づかない点に、紙の上だと気づくということが、時々ある。締め切りが迫る原稿を見つつ、何度も見直したはずなのに、ブリントしたものにはドンドン赤が入る。紙の時代に勉強した経験が、今でも頭の中に染み付いているのだろう。もっとも、そうやって手直ししたものを、再び画面で見ると、また気に入らない部分が出てくるのである。推敲という作業は、キリがないので、どこかで完成にしなければならない。同じ目的を持った文章は、実に様々な形で書けるので、最終形態というものが存在しないのだ。よし、もう2回読んで問題なければ、完成とするぞ!

2 月18日、久しぶりに氷に乗る。ただし、羽生効果により、続々とリンクに子供達が降りて来るので、いち早くリンクに入って、練習したいポイントは押さえる。フォアのアウトを回転中に深くする練習。アウトでずーっと回り続けるのが理想的なのだけれども、これはインに比べて、随分と難しい。バックは、つま先の蹴りで稼げるので、いい加減に回る分には問題ない。やっぱりフォアのアウトが難しい。と、ひとしきり練習した所で、リンクは満杯に。こうなったらもう、転倒しそうな練習はできない。ところで、子供と手をつないで練習している親を見ると、達人でない限り「離れて」と言いたくなる。親が転ぶと、子供が下敷きになるのだ。それで動けなくなった子供を見たことがある。子供が一人で転んでも、ヘルメットをかぶっている限り、大した問題は生じない。... なんて考えている間に、アウトエッジの片足ブレーキの練習中に、エッジが氷の溝に吸い込まれた後に宙へ滑り、背中からボテッと落ちた。この手の転倒なら受け身は問題ないけれど、周囲に誰も居なくて良かった。

2 月17日、この時期は様々な行事が目白押しで、机の上に、いやメールフォルダに、次々と仕事が積み上がって行くのが通例だ。しかも、どれも締切が短いものばかり。昼間が会議で埋めつくされていると、夜にこなす。夜がダメなら ... あんまり書くと誤解されて周囲に迷惑がかかるか。どの仕事も、それなりに楽しいものなのだ。余暇時間が減ると思い込んではイケナイのである。片端から、書類に手をつけて、あれこれ計画を練って。この作業、料理の段取りに良く似ている。どれだけ手の込んだ料理も、盛り付けて食べてもらうのは一瞬なのだ。料理の楽しみは仕入れや準備、いやその前の構想から始まる。タマネギの皮むきも、楽しまなければ。

2 月16日、量子力学の凄い教科書が届いた。普通、教科書というと、まあ通り一遍のことが書いてあって、学習が終わればお払い箱になってしまうものだけれども、時として何回読んでも何か潜んでいるという魔物のような教科書もある。ぶ厚い冊子を開くと、次から次へと、一応は物理を専門としている者でも、容易には答えられない謎かけが繰り出されるのである。キャベンディッシュの引き出しのノートをマクスウェルか楽しんだという、そんな光景が浮かんで来る一冊なのである。早速全てに目を通して見たい(通す、と、解読する、は別物)のだけれども、まずは目前の締切を次々とこなさなければならない。

2 月15日、教育の効果かどうかは別として、在籍期間中の伸びが最も明らかで、とても大きい教育機関は幼稚園だと思う。その次は小学校。大学では、伸びる部分と固まる部分があると思う。固まるのが、社会的な立ち振る舞いで、伸びるのが学問的知識ということが、社会一般には望まれているんだろうと推測はしている。長くはない経験から考えるに、天真爛漫な天才は、固まる部分が比較的少ないのではないかと感じる。もう大学で教えることのない、これから卒業して行く学生さん達には、たぶん、心配なところが沢山ある方が、後々の伸びが大きいのではないか?そう考えるのである。何の心配もないと思い込んでいると、そこには落とし穴が待ち構えている。

2 月14日、助詞の「に」の用法で、外国人に説明し辛いものがある。「山田さんに本を借りました」という文章の「に」だ。起点を表す「から」を使って「山田さんから本を借りました」ならば説明は容易で、「山田さんに本を貸しました」という動作対象を表す「に」も同様なのだけれども、最初の例はどちらでもない。「山田さんに意見を聞きました」と「山田さんから意見を聞きました」の、2つの文章が同じ意味かどうか、という悩ましい問いかけに似ているかもしれない。疑問文の場合は「誰に借りたん?」が自然であって、「誰から借りたん?」は、ちょっと立ち入って尋ねる印象がある。助詞や、名詞の格というものが、この辺りで微妙にウロウロすることは、どんな言語でも同じようなものかもしれない。

2 月13日、成層圏の、高さ 30 km 付近 (10 hpa) の風向きが、ここ数日で大きく変わった。師走からずーっと、北極の上には低気圧が居座っていて、アリューシャン列島の真上には高気圧という、例年の気圧配置、ええと、高層天気図では高度配置か、まあ例年通りだったのだけれども、この循環がビヨーンと伸びて分裂してしまった。その傾向は、少し前から 70 hpa で見えていたのだけれども、とうとう 10 hpa にもハッキリと現れた。成層圏の突然昇温を、こんな風に目の当たりにすることができるとは、良い時代になったものだ。その成層圏の暖かさは、地上とは今の所は縁のないもので、雪がチラチラと降り、冬の終わりの雪を感じさせてくれた。

2 月12日、羽田空港に到着。見上げると、全国的にダイヤが乱れている。連休の終わりで、どの便も満席に近い状態で飛んでいる、という事情もあるだろう。機材繰りがつかなくて欠航という便もあった。神戸に戻って来る便も、約1時間遅れで離陸。機内への乗り込みに、結構な時間を費やしたことが印象的だった。次々と、バーコードが引っかかるのである。荷物が多い、あるいは着膨れしているという要因もあるようだ。神戸空港に到着したのが22時半ごろ。空港の運用時間である22時を過ぎていたけれども、海上空港だったことが幸いした。伊丹だったら1分オーバーで関空行きである。とりあえず、戻って来れて、良かった。

2 月11日、羽田空港に到着して、よく泊まるホテルへと移動する。いや、移動したつもりだった。フロントで挨拶すると、意外な宿泊客が来たという感じで、何となくいつもと雰囲気が違う。しばらく調べるも、予約なし。あれれ〜、ボケたかな?と、パソコンを開いて検索すると、実は今日は満室だったので、系列の他のホテルに予約していたことが発覚。この経緯について完全に忘れていた。予定表に、ちゃんと書いてあったにも関わらず「見て、理解していなかった」わけだ。無用な迷惑をかけたな〜と、勘違いを詫びつつ、再び電車に乗る。1時間と、電車賃が無駄になった。幾ら、慣れた地であっても、確認を怠るなという教訓を得たのであった。

2 月10日、氷に乗る。今日の課題も、相変わらずバックアウト。トウに当たらず、かと言ってフラットにコントロールが効かない食い込みにもならないよう、うまい位置に乗って、しっかり氷を押す練習を 30 分ほど続ける。子供達が増えて来てからは、フォアの練習に切り替える。フォアの方の課題は、エッジチェンジした直後の押し。特に、8の字を描き続ける時の、フォアアウトの押し。押すことについては、バックよりもフォアの方が難しいかもしれない。つま先と、かかとの、どちらを使えば高く飛び上がれるか、そんな問いかけに似ている。そして、クラブの子供達は楽々と、どのエッジでもループ図形を描く。あんな風になりたいものだ。(コーチ代をケチってはいけない、という突っ込みもあるだろうけれども。)

2 月 9 日、急に暖かくなったので、眠い眠い。眠い時に限って、眠れない用事が詰まっているのである。用事が詰まっているから眠いのである。というわけで、サッサと昼食を食べて、午後の準備に取り掛かる。今日はポスター発表のボードを、倉庫から移動しなければならない。ゾロゾロと移動して、立てて、ポスター貼って、終わったらまた元に戻す。ただそれだけ。単純作業といえば単純作業だけれども、年に一度しか行わないので、去年の経験で覚えているはずの手順は、幾つかを忘れ去っている。どの階段を使うと、コーナーを曲がる時に苦労するとか、その手のしょーもない経験なのだけれども。

2 月 8 日、卒業研究発表会の、会場準備のために、朝一番で職場に入る。問題は寒さ。どれほど空調を効かせても、朝一番の部屋はとても寒いのである。しばらくの間、暖房をガンガンに効かせて、机や椅子も含めて温めなければならない。本当は、下の階の部屋も温めておいて床から暖かくなるのが理想的なのだけれども、そんな無駄遣いはできない。そうして準備を進めて、さてプロジェクターの ON と OFF を確認しようとして、OFF の方でつまづいてしまう。OFF ボタンを押しても電源を切れないのだ。困ったなー、いや、そんなに直ちに問題があるわけではないのだけれども。マニュアルを開くと「OFF ボタンを二回押す」と書いてあった。なるほど、安全対策だったわけか。うむ。

2 月 7 日、朝のラッシュアワーを避けて、今朝は少し早い時間に電車に乗る。結構、閑散としているものだ。今は受験シーズン、中学生や高校生の3分の1は、受験生ということになる。もっとも、最近ではAO入試とか推薦入試など、より早い時期に進学を決めてしまっている学生さん達も多いので、かつてのように受験受験した雰囲気ではないようにも映る。AO入試って、どうやって進めるんだろうな〜?と思う所がある。ともかく、のんびりと阪急六甲まで通勤して、そこから先は、寒い道をひたすら早歩きする。風が弱くて、低い角度からではあるけれども日差しも十分にあり、昨日ほどの寒さは感じない。春だ。

2 月 6 日、最近気になること。それは教科書のぶ厚さである。職業柄、高校の教科書を開く機会もタマにある。物理、化学、生物、そして数学。地学はというと、残念ながらあまり見ることがない。これらの教科書が、どれも厚くなっていて、学問の本質的な部分以上に、各論を詰め込もうとしている、そんな印象を受けるのである。「発展」と称する部分が散りばめられているのは面白いといえば面白いのだけれども、それが「ひとまとまりの学習」につながっているか?という疑問もある。いや、まあ、それは良いか。最悪なのは「身近」とか「役に立つ」とか「使われる」など、応用を前面に出した記述。仕方ないのかなー、高校では工学と理学の考え方が、まだ分かれていないからかなー。理学は役に立とうと立つまいと面白ければ良い、そんなものだかなー。

2 月 5 日、随分と日が長くなった。建物の中で作業していると、外が寒いということを、ついつい忘れてしまう。昔々のこと、晴れた日の春スキーで、日差しと照り返しが眩しくて、汗ばむ陽気だった。ふと空を見上げるとタンポポの種のようなものが舞っていて、何だろうか?と思った ... あの日を思い出すのである。正体は雪であった。今日も、日なたに立っていると日焼けしそうに熱い のに、雪がチラチラ。こういう状態を、お日様は嘘をつく、と言い表すらしい。1月が終わり、2月に入った時、体重計は嘘をつく、そう感じるのと文字の並びは似ているけれども、体重計の真実は体重計にある、というのが正しかろう。

2 月 4 日、これだけ寒い日の夜の海辺には誰も居ないだろうと、そう思ったのが間違いであった。防寒バッチリなのかどうかは別として、さすがは神戸、ちゃーんと二人で海を眺める人々が、ポツリ、ポツリと距離を置いて、たたずんでいるのだ。誰も居ないだろうと計画して居た写真撮影スポットの幾つかがボツに。風景の一部として、そのまま撮っちゃっても良いのかもしれないけれども、SNS などに上げる前に、人物が写り込んでいる部分はカットしなければならない。そういう面倒臭さを思うと、風景の一部として、とも言ってられないのである。外国からの観光客の一人が、海を背にして岸壁に立って、友達から撮影してもらっていた。一歩下がれば海にボトン、命無しである。危ないのー。

2 月 3 日、スケートの初心者の滑りを見ていると、靴がペタッと倒れた状態で無理矢理何とかしようとしている人が、結構多い。スケート靴に必要な、本質的な部分は良いエッジ(金属部分)と、硬い靴底のみ。そこから上は、足をゲガから守るシールドのようなものだ。足首から上の部分の靴紐を結ばないで、真っ直ぐに立ち上がれるかどうか、まず試してみるのも悪くないと思う。スピードスケートの靴は、今でもそんな感じ。あの競技には、足首の自由度が大切だから。大昔には下駄スケートという冗談のようなものがあって、これでスケートを楽しんでいたとか。実に基本的な発想だ。但し、エッジで足を傷つけた人も多かったことだろう。

2 月 2 日、海辺では濡れているだけの地面であったのだけれども、トボトボ歩いて電車に乗って、阪急六甲に降り立ってみると、所々、地面が白く凍りついていた。神戸大学へと向けて坂道を登ると、所々どころでなく、全面に凍りついてツルリと滑る恐怖の坂道が出来上がっていた。これぞオリンピック競技、ええと、そうだ、ダウンヒルだ。こういう、トンデモナイ状況でも、寒冷地で育った人々は慌てずに移動できる。その妙技を初めて見た時には信じがたいものがあった。よーく見てみると、力学的に理にかなった足の配置で安定させておいて、何らかの原因で不安定になった時には、すかさず足を浮かして新しいポジションに移している。訓練してみようかな?

2 月 1 日、さて神戸に戻って来たぞ来たぞ、神戸は暖かいぞ ... いや、北京よりも寒い。ついでに、湿度が高くて、空気が重たく感じられる。(注: 湿度の高い空気は、実は密度が低い。)そんな事を言っていても仕方ないので、大学にやって来て、仕事だ仕事だ、仕事が ... いやその前に、溜まってるメールの処理から。会議中にスッ飛ばしていた、細々とした要件に返事を書いたり、あれやこれや、気がついたら日が暮れている。これだけ暗い空でも、成層圏まで上がるとまだ明るいのだと、昨日の経験に照らして思いつつ、夜の雰囲気を楽しむ。物理について考える時間も少しは残しておきたいけれども、今日は流石に封印しよう。

1 月31日、国際会議、朝の最初のセッションの後で、短く機械学習の研究者と議論して、その足でタクシーに飛び乗って北京首都国際机場へタクシーで移動する。その途中で、何だか身の回りが寂しいことに気づいた。あれあれ、もう1つ荷物があったよなー。あ、小さなスーツケースを忘れてしまっている。これはマズい、慌ててとって返す。英語は通じないので、こうなったら中国語としての正しさ無視の筆談。「忘物 戻中国科学院」と書いて示すと、ちゃんと戻ってくれた。次のセッションが始まっていた会場にコッソリ顔を出して、スーツケースを回収して、タクシーに戻った時の、運転手さんの笑顔が忘れられないな。

1 月30日、次の TNSAA、テンソルネットワークの会議を何処で開催するか?という話題で、まあ次は日本の番だろうということが「消去法」で決まりつつある。原則としては、アジアのタイムゾーンにあれば、何処でも良いのだけれども、開催場所に研究者が居ないのでは、どうしようもない。日本のテンソルネットワーク研究者が、そんなに多い訳では無いのだけれども、「漢字を使わない国々」では、もっと稀な存在なのである。この、漢字を使うという図形に対する興味と、テンソルネットワークの相性がホンモノであるかどうかは、さてどうだろうか。本当は、まだテンソルネットワークに触れていない国々の研究者を増やして行きたい所なのだけれども。

1 月29日、中華料理の回転テーブル、なかなか面白い仕組みになっている。パッと見た感じでは、回転軸に丸い板が乗っただけに見えるのだけれども、それでは重い皿を置いた時に傾いたり、ひっくり返ったりしてしまう。かといって、何かタイヤのような支えがあるわけでは無い。結構重いガラスのテーブルを、十分な半径のある支えの上に置いてあるのだということが、力学的考察からわかる。どれくらいまでの、重量の偏りに適応しているかは、不明なのだけれども。回転軸としては、あまり良くない条件の下で、毎日毎日良く活躍してくれている道具だと思う。バラエティーを楽しむ中華料理、なかなかイケるのであった。

1 月28日、研究会で、論理的におかしいと思われる研究発表に出会うことがある。その手の発表に接すると、ついつい、発表している人に能力が無いのだと思ってしまうのだけれども、共同研究者が居る場合には要注意なのだ。というのも、その酷い発表をした人が、独立してから急に素晴らしい業績を残すことが珍しくないからだ。単純に成長と言う言葉では片付けられなくて、実は以前は「ボスに無理強いされていた」可能性すらあるのだ。ポスドクには自由を与えるのが良い、という信条を、キープしようと改めて思った。同じことが、博士課程の大学院生にも「原則として」言えると思うのだけれども、教育的配慮も必要なので、人それぞれに対応して行くべきかな。

1 月27日、北京へと向かって空を飛んでいる間は、しっかりと研究発表の準備をしようと思っていたのだけれど、思いがけず旅行客が少なくて、客室乗務員が色々と声をかけてくれるので、しっかりと空の旅を楽しんでしまった。乗客から、預け荷物に電子タバコを入れていた、という申告があって、そのチェックに30分ほどかかるという、思いがけない事もあって、これまたノンビリできた。思い出して見ると、一月に入ってしばらくは、北国への旅客は少ないのであった。二月に入ると、春節のこともあって、じわじわーっとアジアからの観光客が増え、3月にもなると春休みで爆発する。暇な時に旅して、良かった良かった。ところで、研究発表の準備はどうする?明日が発表だぞ??

1 月26日、スケートのクロスの練習の方法として、足をクロスしたまま延々と円を描き続けるというものがある。一見すると、これはとても怖い練習だ。クロスした両方の足のエッジが立っていると、コントロール不能になってバランスを失う。あくまで主体はクロスしている、つまり円の外側に出る足で、内側に添えた足は「蹴っていない時の軽い支え」にすぎない。この姿勢では、蹴り足のエッジが自然に倒れるので、「エッジを倒しなさい」と指摘されるまでもなく、倒れたエッジに乗ることになるのである。その体重のかけ方に慣れると、バックに対する恐怖心が少しずつ消えて行くから不思議なものだ。但し油断して、後ろに体重をかけすぎると、エッジが急に深く入って転倒するか、吹っ飛ばされるので要注意だ。

1 月25日、極寒の1日。こういう日に、あるいはその前日の夕方以降に、歩道に水を撒くと危ない危ない。道が凍りついてしまうのだ。もし故意であったら、何か事故があれば間違いなく犯罪に、故意でなければ過失である。そんな目で地面を眺めつつ、あそこに氷、ここにも氷と、注意しつつの通勤であった。家を出た海辺でも氷だらけ、丘の上の神戸大学近辺では更に地面もカチカチに凍っていた。暖かい地域なので、こういう日の為の融雪剤など常備されているはずもなく、滑る場所は滑るがまま。雪が降っていれば、もっとツルツルで怖かっただろう、関東のように積もらなかったことが幸いであった。

1 月24日、腹話術で、マミムメモ、バビブベボ、パピプペポを話すには訓練が必要だそうな。真似ようとしてみると、確かに簡単でないことが、直ちに実感できる。こういう場合、素人は「これらの文字を避ける」のが一番良いのだそうな。ここまで書いた文章の中に、すでに「真似」とか「場合」とか「文字」など、唇を閉じて発音する単語が出てきている。言い換えるならば、ええと、「文字」は単に「字」だけでいいか。「こういう場合」は「こんな時」かな。「真似ようと」は外来語でも使って「トライすると」か、ちと苦しい。物理学の講義で、腹話術を使って効果を高めようという訳では無いのだけれども、まあ、ヤバい事は人形に話してもらうという、そんな使い道はあると思うのだ。

1 月23日、縁日には色々なエンターテイメントがあって、その中でも、くじ引きは典型的なものである。昔は、五十円とか百円であったくじ引きも、今では何百円かになって、ちょっと高価なものも並べられるようになった。くじの引き方は様々で、箱の中から折った紙を拾ったり、スクラッチカードを引いてみたり。その中でも、ビジュアルにインパクトがあるものが、ひもを引っ張ってその先につながっている景品がもらえる、ひもくじ、あるいは千本引き。もっと色々な別名がある。これは誰でも知っているモノだと思っていた。が、周囲の人々に聞いて回ると「知らない」「見たこともない」と。そんなにマイナーかなぁ、検索すると結構ヒットするんだけどなぁ。確かに、輪投げに比べるとレアな出し物だけれども。なお、昔のことを思い出してみると、縁日の折には、結構コワモテのおっちゃん達に、可愛がってもらったなーと思う。

1 月22日、海辺の朝は東風であった。弱い風で、海面の波は穏やか。こういう日には、潮風散歩をしたいものだけれど、レーダーを見ると、じわじわと雨が迫っている。いつ、局地的な雨が降り始めても不思議ではない天気だ。サッサと職場にやって来ることにした。朝の大学はシーンとしている。これは、夜に沢山のツイートがある裏返しの現象だ。お昼前になると、ようやく活気が戻って来る。今日が月曜日ということも、朝の静けさの原因の1つだろう。日曜日の夜は、なるべく長く続いて欲しいものだ。大昔は、下宿の一室から、麻雀の音が昼夜絶えない週末だった。今は、そんな事も珍しいんだろうな。

1 月21日、スケートを習う時に、アウトエッジに乗るのが先か、クロスを学ぶのが先か?という、哲学論がある。片足のアウトエッジに乗れていれば、上手下手はともかくとして、クロスは簡単に出来るものだ。しかし、片足のアウトに乗ろうとする最初のモチベーションがクロスの学習であるとも言えて、初心者スケート教室では、ともかくクロスを教える。どっちが良いのか?という議論を吹っかけるのは、たぶん意味がなくて、どっちでもいいから、初心者には「足に合った」「クタっていない靴」に「良いエッジ」を与えて「寒くない服装」で氷の上の感触を楽しんでもらうのが一番だ。スケート場の子供を見ていると、大抵の場合、どの条件も満たされていない。... にも関わらず、上達する子も居るのである、子供の才能、恐るべし。

1 月20日、カレーを注文する時に、辛さをどうするか、思案する。判断は店によりけり。単純に、唐辛子の配分が多くなるだけの店だと、辛くすればするほど、他の味がわからなくなって、何の為にカレーを食べているのか訳がわからなくなる。一方、他のスパイスの量も増える場合には、辛味とともに香りも増して行くので、食べた後もカレーの香りに浸れる。もちろん、限度というものがあるので、激辛は決してお願いしない。その日の体調や、翌日の予定も考えて、えーと、やっぱり辛い味にしようと決心して、注文する。やって来たカレーの辛さと香りに汗をかきつつ、パクパクと食べて完食。次回も、このくらいの辛さにしようかな?

1 月19日、人間社会とは何かというと、コミニュケーションに長けた人間のネットワークが形成して来た「何か」だという気がする。それに、何か大きな不都合を感じるわけではないし、溶け込みはしなくても、ひっそりと、その一部として過ごす毎日には自由がある。その一方で、この枠組みに、容易には馴染めない人々も多い。どのように馴染めないのかは、それぞれあって、一概に何とも言えない部分があるのだけれども、マイノリティーとマジョリティーが逆転した社会というものを想像してみると、実は現在の「普通の人」が、「コミニュケーション取りすぎ症候群」と名付けられるだけの事ではないか?と、密かに思っているのである。

1 月18日、大学のそばに、市道山麓線という、片側一車線の部分が続く車道がある。大学の近辺では、桜が植えてあって、春の花は見事だ。この桜、もう結構な年を経て、幹が朽ちたものも多く、倒木の危険があるものから切り倒されつつある。その跡はどうするのか?と見守っていると、今年から花を楽しめそうな大株の桜が新たに植えられていた。どんな桜なのか、興味津々である。最近は、少し早咲きの桜を植えるのが流行っている。枝ぶりから見て、ソメイヨシノではなさそうだ。あれを植えると、また痛んで倒れてしまう。さて、桜の苗(?)を見た後で、大学の桜を眺めてみると、古木は根元から何本も幹が出ている。ヒコバエが、そのまま育ったという感じだ。桜の本当の姿は、ああいうものかもしれない。

1 月17日、結露の1日。それ以外にコメントすることはない。センター試験の週末は寒波襲来で建物も地面も冷えるだけ冷えてしまっていた所に、湿気たっぷりの暖風が吹き込んで、どこもかしこも結露だらけ。エアコンの無い場所では、湿気を吸うものは全てじとじと、グダグタになって、膨らむのみ。この、凝結熱ではコンクリートの塊を温め切れないので、壁を拭いても拭いても、次々と水がわき出るように垂れて行く。草木はたっぷり、この露と、地面に降り注いだ雨を吸い込んで春の準備を始めたことだろう。枯れているように見える地面も、枯れ草を分けてみると根本は緑色なのである、雑草はしぶといものだ。

1 月16日、電磁気学は、ある所まで進むと電磁波の重ね合わせを扱うようになる。ここまで来ると、波動についての基礎知識が必要となるのだけれども、波動についての勉強は並行して行われるため、その一部は未履修と考えて進めなければならない。いや、例え履修していたとしても、電磁気学という具体的な現象を扱う時には、やっぱり復習しなければならない。というわけで、フーリエ級数、フーリエ変換、デルタ関数など、手短に紹介する。これを使って、散乱などの計算を行う算段だ。もちろん、復習は何度も必要だ。この辺りのことは、量子力学でも再び習うことだろう。線形波動を扱う限り、似たような話を繰り返し聴くことになる。非線形になると、そうではない、というのが非線形現象の個性的な所だ、その辺りまで語れるのは、大学院に入ってからかなぁ。

1 月15日、今日はネットワーク機器の更新の日。朝から、おおよそ3箇所で並行して行われる工事を、走り回って見届けるという作業にあたった。見届けるだけなら楽なものだけれども、工事現場では必ず「例外処理」が発生するのである。事前の予定通り進めようとして、現場にやって来ると、想定外の状況にある、そんな事が時々ある。わからない所は、そのままにしておくという、冷徹な判断が一番良いのだろうけれども、作業員が居る内に解決できるものは解決しようとして、また走る。そして、午後のお八つ時に、ようやく終了。今回は、機器の更新だけだから、簡単といえば簡単だったハズなのだけれども、それでも疲れた。さて、今から日常のルーチンワークをこなして、えーと、今日はもう帰る。

1 月14日、毎年、センター試験が楽しみで仕方がない。どんな題材を高校の教科書から拾い上げて、どういう形で問うか、その調理にも似た作業の結果として、何万人もの学力が試されるのである。そこに穴があると、出題ミスと揶揄される事になる。そこまで行かなくても、際どい出題というのは幾らでもあるもので、色々な大学の二次試験の問題を眺めていて、こちらがヒヤリとすることもある。一度出された問題は、傾向と対策の対象となって、予備校などに詳しく解析される所となるのだろう。(これは推測でしかない。)段々とネタが尽きて、同じような出題になるのではと、気になることもあるのだけれども、驚きの技の数々で、それを回避してくれているのだ。今年も楽しませてもらった。物理基礎の、ピストルの音がビルに反射する問題は、ヤラレターと思ったなぁ、あんな料理、誰が思い付いたんだい?

1 月13日、普通に思っていることでも、意外と素晴らしい?ものがある。ターミナル駅というのは、その類のものだ。JR 高松駅を幼少の頃から見慣れているので、昔はどこの県でも、これくらいの規模のターミナル駅があるものだと思い込んでいた。しかしそれは、流通を船に頼っていた頃の JR 高松駅だったからのことであって、ターミナル駅ならばどこでもそうだ、という規模ではないのであった。また、そもそも、ターミナルではない駅の方が普通なのである。そういう目で眺めると、阪急の梅田駅というのもまた、あまりにも慣れすぎて普段は大きさを忘れてしまっている。あれほど発着の多いターミナル駅は、なかなか目にすることがない。ヨーロッパのターミナル駅については、忘れておく事にしよう。あんな美術館のようなものは、作ろうと思っても作れるものではない。

1 月12日、英語の教育という、よくわからないものがある。ここしばらくの潮流はというと、使える英語を教えるという方向に重点が置かれて来た。特に、英会話。何年英語を習っても、全然会話にならないではないか、という批判に応えようとするものだ。一応、それなりの効果はあったようだ。ところが、というか、当たり前のことなのだけれども、論文の読み書きというオタクな英語と、会話能力の間には、せいぜい「正の相関」しかなくて、最終的には語ることの中身が問われることになる。良からぬ心配かもしれないけれども、これから先は、専門的な学問を英語で教えなさいという時代となるかもしれない。突き詰めて行くと、日本語で科学やら学問一般が語れなくなる、そんな日が来る恐れもあるのだ。そうなったら、もう、日本語を使うのは、単なる趣味の問題になってしまい、歴史の中に日本語が消えて行く運命となるのである。ああ恐ろしい?それでいいかも、という意見もあるかもしれない。

1 月11日、医者の不養生という言葉はあっても、教員のバカという言葉は一般的ではない。それだけ、医者には高い尊敬があって、教員がバカであることは普遍的な事実ということなのであろう。お医者さんは、現場で診断治療にあたるだけではなく、日々色々と研究していて、それをまとめて論文にしたり学会発表したり、専門医になる勉強をしたり、学位を取る準備をしたりと、様々な仕事を行なっているらしい。そういう中で、自らが病気になってしまうと、不養生と言われるのだから、大変なものだ。同じように教員も、日々教えるだけではなくて、研究して、結果を取りまとめ ... と苦労の日々を送るわけだけれども、「先生」という蔑称が付くだけだ。それで良いというのが、惑わない教員生活なのだろう。

1 月10日、複素数というものを習う時に、誰でも不思議さを感じるだろう。そんなものがあるのか?と、疑いの目で見てしまうのだ。一度、複素数の世界に慣れてしまうと、それを使わずに実数だけで数学を構築しようとジタバタする不毛さを理解できるので、必要不可欠というか、とても自然な概念であることが理解できる。思うに、実数から複素数を学ぶ時のギャップよりも、小学校で整数を習った後に、小数を習う時の不連続性の方が、概念的には大きいハズだ。が、ここで「不思議に」思う人はあまり居ないようだ。日常生活の中で、小数が良く使われるからだろう。オリンピックの採点が、小数の普及に貢献している気がしなくもない、今日この頃である。

1 月 9 日、インターネットは、どのように支えられているの?というと、答えは一つだ。電気や水道やガスと同じように、膨大なネットワークを管理する人が、地道な作業を行なっているからなのである。その管理費用は、他の公共料金がそうであるように、末端のユーザーには内訳がわからないものだ。たまに、工事を見かける事があっても、何だか簡単そうに見える作業に、どうして高いコストがかかるのか、直感的にわからない事がある。いや、あれは最後の最後の作業であって、準備も撤収もあるし、そして時として起きる、いや案外頻繁に起きる例外処理に、普段の何倍もコストがかかる所を均してあるのだ。さて、教育はどのように支えられているのかというと ... 実の所、その当事者でも、よくわからない部分が多い。

1 月 8 日、エスカレーターと階段が目に入ると、いつもどういう訳か、階段の方を駆け上がってしまう。その方が、概して速いからだ。2階分上がる程度ならば一発。3階分となると、少し心構えが必要だ。4階分となると、さすがにペース配分を考える。そして5階分くらいで、有酸素運動に切り替えとなる。6階まで一気に上がると、もう飛び上がる力が失せる。そういう根性で、辿り着いた電車の駅で、改札を通る頃に電車が入って来た。乗り遅れたら10分待ち。とっさに、エスカレーターをかけあがる。ここは駆け込み乗車NGの首都圏ではないぞ、と、閉まる前の扉にスッと入り、停止。これは、ちと誤った行動選択であった。運動を一気に止めると、呼吸との調和が取れなくなるのだ。素潜りから浮き上がった気分で、暫くの間、過呼吸にならないよう、息苦しさに耐えた。無理をするものではないものだ。

1 月 7 日、バックスケーティングから、フォアに向き直る時、後ろ側に誰も居ない事を確認する際の首の振り方を逆にしたらしく、回転不足でエッジがアウトに倒れたまま、逆向きに引っかかってボテっと転倒した。軽く打った部分が、お尻と胸だったので、体が捩れたまま転倒したのだろう。まあスケートは転倒するものだから、それ自身は仕方ない。が、ポケットに入れてあったメガネが、見事に壊れてしまった。あーあ。災い転じて福となす、メガネ屋の初売り・新春割引セールに足を運ぶ。プラスチックレンズの球面と非球面、さてどちらにしようか。弱い度数だと、実の所、両者に目立った差はないとも聞くけれども、遠視の私が見た「個人的な感想」では、非球面の方が死角が少ない分、使い易い。遠視メガネの死角は、結構怖いものなので、非球面に決定。出来上がったメガネを使うと、あら見易いこと。元のメガネが壊れようと、壊れまいと、新しいものを作るべきであった。外歩きのメガネだけでなくて、仕事に使うものも、この際、新調しよう。

1 月 6 日、入試問題の出題ミス、というニュースを見る。物理の問題は、何をどこまで常識とするか?ということが、とても難しいことが多い。ここが数学とは学問的に異なる部分で、数学の場合には抜けがないように、集合から話を始めて、厳密に厳密に議論を進める。物理はというと、物体というと、「ひとかたまりのもの」と把握できるものを言い、それが砂粒であろうと、岩であろうと、惑星であろうと、物体は物体である。物理現象を考える、そのスケールに比べて、小さな塊であれば、それは物体なのである。この手の、暗黙の了解があちこちにあって、出題する側も解く側も、ある意味、あうんの呼吸で問題に取り組むのである。ここに、誤解というか、行き違いが生じることが、ままあり、それが個人的な範囲を超えて万人の認識するであろう明白なものとなった時、出題ミスと呼ばれるようになるのである。今回のは、見てみると、ああ、ミスと言われても仕方ない部分があるなと思った。もちろん、自分が、そのような罠にハマることも良くあるので、誰が悪いとも言えない。かと言って、運が悪いとも言えないのが、職業物理屋としての、微妙なスタンスだと言うしかない。

1 月 5 日、ケーブルにタグを付ける地道な作業を、有難くも、させて頂ける事になった。誰かが、この素朴な作業をしなければ、10日後の工事が滞ってしまうのである。仕事は、頂戴したその日に仕上げてしまうのが、最も良い。が、それ以前に引き受け中の作業もあって、とりあえず週明けに延期。まずは、何をどうするか、頭の中でシミュレーションしてみた。一箇所に30分かかったら、まるまる1日潰れるなぁと、お先真っ暗な気分がむくむくと浮き上がって来る。いや、1日で済むのであるから、御の字である。これは、ひとえに、他人の判断が噛む仕事では無いという、単純作業の有り難みである。どんなに簡単そうなことでも、人々の判断を得て行くことは、実際に手を付けると遅々として進まないものだ。

1 月 4 日、仕事始めの日。とは言っても、プレプリントリスト arXiv は1日、3日、そして今日と更新されていて、あまり新年に休みがあったという気がしない。まあ、投稿数が日頃の半分以下だったので、ざっと見渡す作業が随分と楽だったことは確かだ。むかーし昔の頃であれば、仕事始めは昼頃からやって来て、のんびり歓談して遊び帰るみたいな、そんなノンビリした風習もあったのだろうなー、今では夢物語である。経済指標は良いのだそうだけれども、世の中から余裕の時間が消えつつあることが、その数字に込められているのではないかと、ふと思う新年なのであった。今度は、世界のどこが発端となって、金融が立ち行かなくなるのであろうかと、歴史の教科書を開きつつ考えるのである。

1 月 3 日、山は、標高が低いからと言って油断してはならない。ちょっとした丘の上にある神戸大学、その周辺にも、装備無しには登坂できないような、崖に近い斜面が幾つもある。そういう場所に限って、木が倒れそうになっていたり、落ちそうな石が浮いていたりする。危ないからと言って、そこに近づこうものならば、まず最初に近づいた者から順に、滑落して行くこと間違い無いのである。おまけに、落ちた先は藪とか水たまりになっていて、誰にも見つけてもらえないかもしれない。もう少し山を登ると、六甲山は完全に自然の風情となり、冬の夜に迷えば命がない。電波が届かない場所もあるのだとか。大昔の写真を見ると、確かに、六甲登山口から上は、完全に林の中なのである。我々は、意識せずとも山岳民族なのである。ちと言いすぎか?

1 月 2 日、新幹線の駅には、英語とハングルと、中国語の表示がある。中国語は、繁体字と簡体字の両方で書いてあって、見比べることができる。字が違うだけだろうと思っていたら、時々、簡体字の方が少し漢字が多い箇所がある。関西弁と標準語ほどの違いではないにせよ、やっぱり、地方によって言葉は異なって来るものなのだろう。日本語と並べると、漢字が共通している部分もあれば、全く異なる部分もある。送り仮名などが付く分だけ、日本語の表記が横長となる。英語は、文字が小さくても読めるという点を忘れるならば、もっと長い表記となる。戦前の日本語は、もっと感じが多かったから、今より短く書けたのかもしれない。ともかくも、漢字を巡る表記のタフさを感じた、鉄道旅行であった。

1 月 1 日、おせち料理は、三が日に台所で調理をしないために作る、という言い習わしがある。ホントかいな?と、実は疑う所がある。どのみち雑煮は作るし、一日中飲み食いすると、必ず洗い物が出る。昔のように人々の出入りがあって、その都度、飲み物を出すなどすると、ドンドン台所作業が発生する。要するに、その合間を縫って、一汁三菜など作る暇がないから、まとめて料理しておいた。そんな所ではないだろうかと、邪推するのである。おせち料理らしきものは、昨日の内に食べてしまったので、今日は餅を焼いて雑煮とする。台所を見て回ると、結構、色々と食材があるものだ。特に、保存食の類は、この際、どんどん消費してしまおう。

11月と12月の1行日記