← 1 月と 2 月の1行日記  

12月31日、大晦日、ええと、何を仕入れておこうか。明日から開いてる店もあるし、明後日には商店が普通の営業に入るから、特段、何かを揃えておく必要はない。一方で、今日を狙った商品というのも多く、クワイのように時期を外すと、お目にかかれないものもある。チラチラと眺めつつ、何でもかんでも買うと財布が空になってしまうぞ、と、注意しつつの買い物。レンコンの大きなものが目に入る。あれは、沢山、穴が空いている ... ああ、これは、サンポーニャになるではないか! 笛として音が鳴るかどうか、また音程の調整が簡単かどうか、ちと、調べてみよう。レンコンでフォルクローレ、悪くないかも。

12月30日、梅田に「つるんつるん」というスケートリンクが、冬の間だけ開設されている。今年は、氷を使った「本格的な」リンクだ ... と聞いたので、滑りに行ってみた。普通のスケートリンクの、サブリンクくらいの大きさがある。これだけあれば、空いていれば十分に練習になる。平日の昼間など、結構、閑散としているそうな。今日は、年末の休日で、結構人が多い ... いや、単純に密度が高いだけで、人は多くはない。滑った感じは「スキーのリフト乗り場前」のような感覚。屋外リンクだし、流れてる音楽はスキーそのものだし、人々も防寒服だし。屋内スケートリンクだと、派手に動くと暑くなるので、薄着の人も多いのだ。ともかく、十分に楽しんで、引き上げて来た。

12月29日、今年の年末年始は、ずーっと働き詰めとなりそうな予感がする。周囲の人々が、色々と計画を立てたり、良いアイデアを得たり、データを取りまとめていたり。計画を立てて何かを申請するにしても、論文として取りまとめて提出するにしても、誰かが、何かを書いて、文章に落とさなければならない。誰かが ... という所を、今までは可能な限り人任せにしていたのだけれども、どうやら、お鉢が回って来たようだ。こういう時には、文章を書かせていただいて有難いことだと思って、作業にあたることにしている。イヤイヤ書いても、ブラックな気分が増すだけで、何も良いものができない。やっぱり、楽しく作業するのが一番だ。ブラックな時こそ、ブラックな笑いをタップリと浮かべて、1日が終るときに「ぬヘラーッ」と緩んでから沈没するように眠るのが一番である。なお、このモードを他人に強要するのは完全にブラックだし、ブラックな楽しみは自分一人のものにして楽しみたいから、誰にも、こんな作業の段取りは勧めない。

12月28日、野菜をたくさん食べるには、スープを作るのが簡単で良い。が、このパターンを繰り返すと、段々とアキてくる。少しズボラして、何かの野菜を中心にスープを組み立てると、野菜の種類だけバリエへションを手にすることができる。朝はセロリ、夕方はカボチャ、その翌日はキャベツ、そして玉ねぎ、... ここへ、色どりも兼ねて、少しずつ野菜を足して、後は火まかせ。日によって、ダシを変えスパイスを変え、肉や魚の種類を変え。トマトを加えるか、加えないか、ショウガの香りとするか、それとも唐辛子とするか、あれこれ。今朝はブロッコリーを丸々使って、緑色のペーストを作ってみた。ともかく、野菜が買える時には買って、年末年始の調理に備えよう。

12月27日、さあ今日も論文読みだ、とプレプリントサーバーへ検索しに行くと、今日は新しい論文なし。クリスマス休暇なのであった。次の更新は、明日の午前10時だ。火曜日は論文が多く公開される日なので、今日の分と明日の分で、結構な量になるだろうなー。また、年末のクリスマス休暇の時期に「投稿の割合」が増えるのが、中国から投稿の論文。彼らの休暇は主に旧正月で、その時期まで、休みなく働く人々も多いようだ。少なくとも、物理学諸分野の研究者たちは。なお、プレプリントサーバーはアメリカ東岸標準時で夜の8時に更新されるので、冬時間の今は朝の10時くらいから閲覧できるようになる。明日も頑張るぞー。

12月26日、1月9日は成人の日で、祭日である。その日の講義を、今日おこなう。初等的な (?) 物理学では、微分、積分、微分方程式、ベクトル場などを「ひと通り」理解することが大切だ。式の詳細は、実のところ、どうでも良くて、そこで取り扱われる関数や、ベクトル関数が示す所の物理的な意味を、ハッキリと頭に思い浮かべることが、後々の為になる。ありがちなことが、数式を見て、計算をルール通りに行うと、ひとまず「正答が得られた」と言う、単なる確認をもって、学習した気分になってしまうこと。これでは先々が思いやられる。そのような罠に引っかからないように、引っかからないように ... と、注意しておいて、実は自分が真っ先にハマってしまって、黒板の前でしばし思案したのであった。

12月25日、クスノキには面白い性質がある。勢いが良いように見える枝であっても、あっけなく枯れてしまうことがあるのだ。そうかと思えば、幹の太い場所から突然芽吹いたり。この、一見すると節操のない所が、環境へと臨機応変に対応して大木になる強さなのだろう。この強いクスノキも、根元がやられてしまうと、サッサと枯れ木になる。枯れてもなお、なかなか腐らないのがクスノキのしぶとい所、切り株が消え去るまでには、まだまだ長い年月が必要となるし、しぶとく「ひこばえ」から別の株が立つこともある。鳥が種を運んで来るので、クスノキは意外な場所から芽吹いて来る。そこでは大木に育たないんだけれども、まあ、様子を見て眺めよう。

12月24日、空の色は何色か?と問われて、青というのは、実に単純明快な返答だ。青だとしても、どんな青?薄い水色か、それとも濃い青か、抜けるような空の青か、ともかく色々とある。旅客機から眺める真上の空は、紫がかって暗い。夕日に照らされる空は朱色であったり、もっと赤かったり。では赤い部分と青い部分の中間は?紫には見えないし、白くもないし、えーと、竹筒で他の部分が見えないように工夫するなどして、真面目に眺めないと、よくわからないのである。こういう時に、写真をアテにすると、現実と違った色に幻滅することが多い。写真の色は、あくまで、参考くらいに考えておくのが良い。さて、何色なんだろうか?

12月23日、一昨日に、思わぬ場面で足がつり、はて何でだろう?と思う。昨日は、メガネが合ってないような感覚で、眠気を覚え。いよいよ、老化も佳境に差し掛かったかと思い、観念した境地に。さて、今日は ... ノドが腫れている。あ、これまでの経緯は、インターフェロンとかサイトカインとか、医学が専門じゃないからよくわからないけれども、ともかく、風邪にかかる前の、恒例の症状で合った。と言うことは、これから2週間は、軽く、ウィルスと付き合うことになる。最後の方は、ウィルス感染した自分の細胞を駆逐するのに費やすのだけれども。生体とは何かと、生物から眺めるか、医学から眺めるか、物理屋から眺めるか、色々と思う所あり。ともかく、今日は、氷に乗るの、やーめた。

12月22日、フライパンは何が良いか?というと、鉄のものが一番のお気に入りだ。鉄にも色々あるはずなので、どんな鉄が?と問われるとチンプンカンプンなのだけれども、強いて言えば、ちゃんと錆びてくれる鉄。ステンレスは除くのだ。ステンレスは油馴染みの悪さもあるのだけれども、熱伝導がイマイチというのが、焼く調理に一番都合が悪い。じゃあ銅はどうなのか?と問われると、持ってないので何とも言えない。銅の卵焼き器を使った経験から言うと、あれは「ヤケドに要注意」なのだ。熱伝導が良すぎて、ちょっと触れたら、もう火傷になってしまうのだ。程々の熱伝導を持つ鉄が、やっぱり、人間が使う道具としては、無難な線かと思う。長く続いた「鉄器時代」に合うように、調理器具が進化しただけだ、という可能性も、あるにはあるけれども。

12月21日、草抜きをしていて、ふと思う所があって、その辺りに積もっている「雑草の腐葉土」を取り払ってみた。すると .... そこには、緑色をした、単子葉植物の根株がびっしり。うわっ、これを退治しなければ、また来年、同じように次から次へと雑草が生えてくる! こうなったら、方針転換だ。怪しい場所は掘り返してみて、そこに雑草の地下茎や株があれば、即刻抜き去り。この作業をしていると、辺り一遍が腐葉土の山となる。袋を持って来て、適度に腐葉土を回収して、その辺りに積んでおいて熟成させ、雑草を取り去ったことが確認できた場所に、少しずつ戻すことにしよう。

12月20日、順番がバラバラの答案というものは、100 人を超えると点数の登録だけでも、ひと苦労なのである。順番がバラバラにならないように集めればいいではないか?と、思うかもしれないけれども、それはそれで周到に準備しなければならない。順番がバラバラの答案を揃えてくれるロボット、あればいいなー。氏名と学籍番号を読み取って、一枚一枚、丁寧に正確無比に順番を揃えて行く姿がまぶたに浮かぶ。... いや、そもそも、答案というものは努力の賜物なので、時としてしわくちゃ、時として穴が空いている、時として濡れて乾いた跡がある、時として消しゴムのクズたっぷり。こんなの、ロボットに食わせたらどうなるんだろうか?やっぱり、努力の跡は、人間が見てあげるのが、教育の改善にも繋がって .... と、ついつい根性論に走ってしまう、保守的教員のつぶやき。

12月19日、教室に、他の建物から反射した夕日が刺した。こういう、ソフトな水平照明は写真撮影に面白みを与えてくれる。スポットライトのように使えば、教室の中から一人だけを浮かび上がらせる写真になるし、壁が明るく輝く様を使って、露出を上げて光に囲まれたように撮ることもできる。この光は、わずかな時間ですーっと消えてしまうし、待ち構えて利用するにしても数日で太陽の位置が変わって消え去ってしまうので、なかなか捉えることが難しい。良い、と、思った瞬間に捉えるのがミソだ。しかし、その時間の教室って、授業中だよなぁ。

12月18日、氷に乗っていると、神戸大学の学生さんが十何人も集団で滑っていた。こういう若者集団では、誰か「比較的うまい人」がいて、注目を浴びたりするものだけれども、今回は珍しく、おおよそ皆さんがコトコトとした動きであった。こういう時に、教える効果というものは、実はあまり期待できない。経験的には、「(運よく)いい靴を履いていれば、ジタバタしている内にちゃんとエッジが立って、滑る感覚を会得して行く」のである。初心者に、グネグネに柔らかくなった靴を履かせても、なかなか上達しないものだ。ここに、貸し靴の功罪というものを感じるのだけれども、自分も貸し靴でスケートを覚えた一人なので、スケートするならマイシューズとは思いつつも、貸し靴否定論にまでは走れないのだ。

12月17日、写真は、時間を少しシフトしてくれるものだ。少し、というのが何秒かのこともあれば、何十年のこともある。写真を撮った後に、写真が残るという、当たり前のタイムシフトは置いておくとして、撮った写真が、撮った時点よりも「先の時間を捉える」こともあるという意外性が、面白いのだ。何のことかというと、ズバリ人物写真。皆さんいいですねー、少年少女の時のままの眼差しを、時々見せてくれるのです。時々。その一瞬にシャッターを切っていれば、大成功。今回はどうだっただろうか?

12月16日、今日は、会議の間に次々と「書類をしたためて返答してください」という類のメールが入り、どないなってんや! と叫んでも仕方がないので、積もったものは週末に何とか片付けなければならない。いや、今から片付けなければならない。が、こういう週末に限って、忘年会なるものが入っていたりするのである。つまるところ、ノラリクラリとしている間はなくて、常に何かを頭の中に入れておき、解決したものから文章にどんどん落として行かなければならないのである。締め切りのあるような、ないような文書執筆も、進めて行かなければならない。こちらは楽しい作業なのであるけれども、時間もかかるものである。このような執筆業がメインになると、大昔に想像していたかどうか、それはよくわからないのであるけれど、ともかく、これから先、文筆業へと舵を切ることは間違いなさそうだ。

12月15日、クリスマスケーキに、クリームが「贅沢に」たっぷりと塗ってある。贅沢なんだろうか?エアを十分に入れたクリームの原価を計算してみると、苦労して焼いた生地よりも目立って高価ということはない。(苦労せずに、機械的に丸い生地を大量に焼くならば、話は違って来るのだけれど。)まあ、どちらも価格の主要な部分とは思えないフシがある。料理にしてもお菓子にしても、売ったりレストランで提供されるところまで整えようとすると、調理そのものよりも手間と時間がかかってしまうのだ。ちょっとしたお菓子を買うのに、デパートの店員が 15 分も包装にカード登録に、あれやこれやと、奮闘している姿を見ると、もう、それだけで十分なコストであることは明白で、要するにクリスマスケーキは、クリスマスという雰囲気を演出してくれた人々の労力に感謝しつつ口にするものか、あるいは遠ざかっておくべきものだと思う、そんな日々なのである。

12月14日、日本に植民地というか、海外領土というか、要するに日本人が少数派であるという領土があったならば?という、そんな話を SNS などで目にすることもあるのだけれども、そのような国々は必然的にテロの対象となっているのである。海に囲まれた島々以外の領土が存在しないというのは、平和の源なのではないだろうか、そんな事も感じる首都圏の年の瀬。それにしても、人がうじゃうじゃ、居るな、東京は。羽田空港は、もうクリスマス一色。普通のお土産に、クリスマスのシールを貼ったりラッピングがクリスマスだったりというのは、ちと興ざめなんだけど。

12月13日、機械学習と占い、ひょっとすると関係しているんじゃないだろうか。占いの多くが、何らかの確率過程を経て「出た結果を読み取る」ことで、次の行いを決める。このような行為を繰り返していると、良い結果を出した占い師が生き残り、良くない結果を出したものは淘汰される。大昔だったら、命を賭けた占いというものも、あったかもしれない。確率過程そのものには、何のフィードバックも存在しないのだけれども「占いの目的に応じた読み取り方」の流儀に、ひょっとすると学習の要素があるかもしれないのだ。占いの中に、道具が入るという所が、ちょっと機械っぽいわけ。祈るだけで、御宣託を得るタイプのものは、生体学習ということになるか。

12月12日、ベレジンスキー・コスタリッツ・サウレス転移について、ちょっと研究発表する。まず、この「転移」という言葉自体、一般には誤解され易いものなのである。「移転」は、お店や営業所などが場所を移す際によく使われる。「転移」はというと、お医者さんの世話になる場面で多く使われ、その使い方であれば、耳にしたくない言葉だ。今回の発表の転移は「相転移」の意味での転移で、転移点、転移温度、一次転移、二次転移などの用法で使われるものだ。なんのこっちゃ?と、ケムに巻いて、もう寝る。

12月11日、出張の道中のこと。前の座席は、ニューヨーク在住の、ブリスベン出身のお母さんと、子供二人。隣の座席と、通路を挟んで隣には、これまた子供連れの日本人のお母さん。初対面ながらペラペラと、あれこれ、子育てのことを話し合っていました。同じように、苦労していることが伺えます。若いお母さん方にとって、英会話は普通のことになり始めているのでしょう。次の世代はもっと、英語が定着して、その次の世代には … 日本語が滅びるかも … まあ、どの言葉を選択するか?は、それぞれの時代の人々の権利の範疇にあるわけです、そっと見守りましょう。

12月10日、板宿ってどんな所?神戸に住んでいても、JR神戸駅と須磨駅の間は、ごく稀に新開地に足を運ぶ他は、降り立ったことがない。元々は、神戸市街の西の端で、このあたりから山陽電鉄が西へと走る起点だった界隈だ。今日、実際に歩いてみて、納得。面白い街だ。商店街に、懐かしい雰囲気がある。神戸の狭さがなくて、少し広々としているのも良いし、西側の眺めも良い。社寺が幾つもあるのも、古くから開けていた証拠だろう。しばらく散歩して、またまた、用水路と竹やぶに囲まれた、なぜか海辺に面した神戸の自宅へと戻る。晴れた日の波の音は気持ち良いものだ。

12月 9 日、りんごが届く。ちょうど、Apple から、恒例のセールのメールが舞い込んだばかりだったので、その続きかと思った。箱の中には、ギッシリとリンゴが詰め込まれていた。りんごには、果物のイメージが強いけれども、野菜として考えると、色々な調理方法があり得る。普通に、サラダにスライスしたリンゴが入っている、というのは北国の味覚だろうか。スープのベースにもなるし、カレーとの相性も良い。時間のある時に、何個かはジャムにもしておきたい。りんご酒、というと、発酵させる方のシードルもあるけれど、自宅で発酵させたら酒税法違反。焼酎に漬け込もう。... ただ、果実にアルコールを加えて置くだけでも、厳密には酒税法に引っかかるのだ。ともかくも、色々な方法で味と香りを楽しみたい、りんごだ。

12月 8 日、なかなか難儀な手荒れ。これに、強力な助っ人として活躍してくれているのが、オリーブオイルと、馬油。オリーブオイルは、台所にあるから、水仕事が終わった後で、チョイと手に垂らすだけで即効性がある。香りも悪くないし、ほとんど酸化しないので、何かについてベトベトになったり、臭気を放つこともない。馬油は、動物性油脂だけあって、少量で馴染んでくれるという長所がある。いずれも、ひび割れを未然に防いでくれる強い味方。手の皮が厚く感じるようになったら、既にあぶら切れのサインだ。昔は、ターップリ肉を食えば、それで治ったのだけれど、今そんなことしたら、一発で贅肉が付いてしまう。難しいコントロールだ。

12月 7 日、携帯使わない原始人の私。iPad mini は持っている。その辺りの free wifi を引っ掛けて、コソコソとメールを確認する程度の使用だ。そういうわけで、私を「コールする」のは不可能。さて、メールを使う場合、メールサーバーと、メールクライアントという「仕組み」を理解しておくことが不可欠だ。不可欠だ。不可欠だ ... いや、どうも、そうではない世の中になって来たらしい。メールサーバーと、メールクライアント(アプリ)に、同じ名称と、同じ「見かけ」(アイコンなど)を用意して、利用させるという「メールの囲い込み」が広く行われているのだ。ガラ携がそうだったと言ってしまえば、身も蓋もないけれども。もちろん、ちょっと苦労すれば、どんな設定でも可能なわけだけれども、普通そこまで凝らないことが多い。こうやって、世の中は便利で不便になって行くのである。

12月 6 日、蓮根を植えたら、芽が出るのだろうか?と、スーパーで買って来た蓮根を眺める。が、芽が出そうな部分はない。そうか、芽が出る、あの「くびれた部分」は、泥が食い込んでるし、どのみち切って捨てるから、最初から取り除かれて販売されているわけだ。では、節のある蓮根を買って来たら芽が出るのだろうか?これは試してみるしかないか。そもそも、植木鉢の土の中のような、比較的乾いた土で蓮根が栽培できるような気もしないし、泥を準備して「ヤブ蚊のお家」を庭に置くつもりもないのだけれども。ちなみに、ヤブ蚊は、自宅のすぐ裏の竹ヤブから、わんさか攻撃にやって来るので、庭に水鉢を置こうと置くまいと、大差ないといえば、大差ない。いや、更に自宅の脇の用水路からも、続々とヤブ蚊が攻撃して来る。夏場の話だけれど。神戸はやっぱり、田舎だ。

12月 5 日、ひらがなは、パッとは読めないものだ。「なかもり」と「かなもり」という名札を見て、どっちがどっち?と聞かれても「ナントカもりさん」としか答えようがない。もっと長い文章を、仮名だけで書かれたら、もうお手上げだ。これは、仮名文字を使って正書するという習慣がなかったので、書き方も、言葉の使い方も、「仮名文字仕様」では定着しなかった、ということなのだろう。と、書いてて、思い出した。昔、数学の専門書で、漢字を使わないものが本屋の本棚に並んでいたのだ。そんなものが、商品になるという、麗しい時代であった。あれは、一体、誰の本だったのだろうか?

12月 4 日、大阪大学ギタークラブの、OB会活動に顔を出させてもらった。今まで、こういう活動の存在すら知らなかったのである。さて、部活動のごくごく初期のことについて、何かお話を伺うことができないかなーと、思いつつ、恐る恐る問いかけてみると、あらびっくり、「私がつくりました」と。一番、最初のメンバーに声かけしていたのだ。ああびっくり。しかし、もっと驚いたのが、大阪大学でギターにハマっていた学生は、更に古くから存在していて、戦後すぐにフラメンコやら何やらを弾く面々がパラパラと居たのだそうな。いったい、どこからギターを仕入れたのだろうか?音楽というのは、ともかく、時代・場所を問わない趣味なものだと思った。

12月 3 日、大阪大学ギタークラブ定期演奏会へ行く。(神戸大学のギター部も、実は今日が定期演奏会だった。)アンサンブルが中心というのは、学生の音楽活動に共通するものだ。それでも、ソロの力は重要なものがあって、今年は誰が何をソロで弾いてくれるかなーと期待していた。今年はソロなしの舞台であった。その代わり、二重奏が頑張ってくれた。リベルタンゴの二重奏、なかなか良い出来栄えであった。全体を通して聴くと、やはり、阪大ギター部は、タンゴバンドが華だということが、再認識できたのであった。そんなことを去年も書いたような気がする。

12月 2 日、三角形の頂角の二等分線は、底辺を残りの二辺の比で分割する。この事実は、補助線を引けばユークリッド幾何学で証明できる。が、ピンと来ないのである。何となく、そのような比にはならない、そんな直感を持ってしまうわけだ。物事は、2つ以上の方法で説明できた時に、本当の理解へと至る。... と、Feynman も書いている。三角関数を使うと、幾何学と代数の接点としてこの事実を計算で導出できる。まあ、これも、直感には程遠いのであるが。となると、ええと、どうやって「ああそうだ!」という直感へと結びつけるのか、そこが問題となる。似たような、いや、にてないけれども、量子力学で取り扱うコンプトン散乱もまた、直感に押し込めるのは、ひと苦労なのである。

12月 1 日、大学入試の問題、あちこちに転がっている。数学や科学の各教科を、試しに解いてみると、なるほど、色々な背景があって、無駄に難しい出題というものは、あまり見かけない。「あまり」見かけない、で、あって、「全く見かけない」では、ない。高校の入試問題はどうだろうか?私見に過ぎないのだけれども、限られた知識の中から、解きごたえのある設問をという要請からか、単に難しいだけの問題を良く見かけるのである。その複雑さは、大学入試を遥かに超えるものがある。こういうものに立ち向かえるのが中学生であって、ひょっとすると、高校生になる頃には、もうエネルギーの源が落ちて行きつつあるのかもしれない。では大学教員はどうなのかというと、もう、すでに、ガス欠なのである。

11月30日、ウロコの付いた魚の切り身が、そのまま食べられる調理方法を、目の前で見てびっくり。ウナギやドジョウや小魚のように、ウロコが小さいのであれば、もちろん、そのままで食べられるのだけれども、結構大きな魚となると、そうは行かない。ウロコの付いた皮だけをカリカリに揚げて食べるという調理なら、「何とか尽くし」でよく遭遇する。でも、そうではなくて、ウロコの付いたままの、魚の切り身。まず、そんなものを、どうやって切り出すのか、それがそもそも問題だ。魚を三枚におろす時に、ウロコがあったら刃が滑って、切り始めが難しい。調理のプロは、飽くなき探究心があるものだと、感心した。

11月29日、新幹線の、新神戸駅。乗客として利用する部分は、非常に限られたスペースにすぎない。地図を開いてみると、実に広いことがわかる。もちろん、立ち入れない場所がほとんどだ。その、新神戸駅を囲む道路にも、いろいろな穴場がある。もともと、布引の谷に一瞬だけ線路を地上に導くという、ちょっと強引な駅の作り方をしているので、幹線道路から離れた場所に駅がある。そのため、連絡通路・連絡道路が、かなりの面積を使っているのだ。そういう場所を、意識して歩くことは滅多にない。けれども、ひとたび「ここは布引の谷の下の端なんだ」という意識を持てば、実はいろいろな view spot が点在していることがわかる。... お客さん待ちの間に、あちこち歩いてみて、気づいた次第。

11月28日、4回転ジャンプの話。スケートのジャンプ、3回転のものは「何をいつ跳んだか」が、ハッキリ見てわかる。サルコウ以外のジャンプは、スーッとエッジに乗って、そのままパッと飛ぶので、実に明快なのだ。このように跳べるのは、どうやら3回転が限界らしい。3回転半のトリプルアクセルは、パッと前に踏み換える時に若干の回転力を前もって得ている。4回転になると?滑りながら、コーナーでクルリと飛ばずに1回転して、場合によっては2回転した後で、パッと踏切り足を「作って」跳んでいる。最初に見た時には「エッ、いつ跳んだ?何を跳んだ?」と、騙されたような気分になったものだ。見慣れて来ると、選手それぞれに入り方が決まっているから、「このタイミングで飛ぶな」というのが、わかって来る。こうやって、角運動量を稼ぐのは、何だかインチキのような気がしなくもないのだ。もちろん、そこに技量の分かれ目があることは良く理解できるのだけれども。

11月27日、そのあたりを飛んでるスズメ、まだまだ、秋の実りは十分なようだ。昼頃になると、大学近くの空き地に実った、雑草のタネをついばんでいる。地面には、タネの外側の部分だけが残っているから、うまく選り分けて食べているのだろう。これから先、春が来て花や芽が食べられるようになるまで、段々と食物が減って行く厳しい時間を過ごすのだ、たっぷり食べるが良い .... と思って、ちょっと調べてみると、スズメは「食いだめ」ができないらしい。それはそうか、ニワトリみたいに、でっぷりと太ったら、空を飛べなくなるか。カラスが舞うと、サッサと居なくなるスズメ、身軽さが大切なようだ。

11月26日、氷の上で、今日は、飽きもせずに、片足で延々とウィグル。単純に、ウィグル、スネークと言っても、色々な方法があって、体を前に向けたままガシガシと前進するのは比較的簡単。厄介なのが、半円を描いて、また半円という風に、回転に入る動作を含むもの。どうしても、アウトエッジに乗る回転が、疎かになりやすい。逆に、インエッジは深く入りすぎないようにコントロールするのが難儀。こういう回転は、実はバックの方がやり易いんじゃないかと思うことがある。人間、つま先で踏ん張れる分量の方が、カカトよりも大きいのだ。これを補うためか、スケートのエッジは、カカト側に少し伸びている。ともかく、延々、この練習の繰り返しで一日を終えた。

11月25日、草を抜いて、やれやれ、と、思って、抜いた場所をよく観察すると、まだ根が残っている。いや、根なら問題ないのだけれども、残っているのは茎の一部だ。つまり、根元で幾重にも枝分かれしていて、そのうちの一本だけが伸びて実をつけ、あとの芽は何かの時に待機しているのである。そして、育った茎を抜いて満足している人間の裏をかいて、すかさず、その地下のわき芽から再び伸び始めるわけだ。これを手で抜くのはとても手間がかかる。尖ったもので土を掘り返す必要があるのだ。そこで登場、飛び道具のペンチ。土ごと、ぐいっと挟んで、ひっこ抜く。いや、慌ててはいけない。ゆっくり抜かないと、再び取り残してしまうからだ。じわじわっと抜いて、どこもかしこも全て抜けたら作業完了。さて、見渡すと、まだまだ、そんな地下の芽だらけなのだが ....

11月24日、中国のお茶のいれ方を思い出す。改まったような席で、お茶をお願いすると、耐熱グラスに茶葉が入っていて、そこにお湯を注いだものが出て来た。緑茶を飲む日本の習慣からすると、茶葉が飲む邪魔になるのだけれども、よくよく思い出してみると、最後は綺麗に広がった茶葉がグラスの底に残った。「何も誤魔化してませんよ」という、証拠がそこにあるわけだ。じゃあ、日頃飲んでるお茶は?ええと、まずクズになった葉を集めた粉茶は、そこそこ良いお茶です。一度しか出ないけれども、まあまあ美味しい。茎茶も悪くない。抹茶ブレンドのお茶も、特徴を知って使うのであれば、問題ない。番茶は定番。アミノ酸添加のお茶も、結構あって、これは「昆布茶ブレンド」のような味がする。お茶漬けに向いているお茶かもしれない。どれも、ありがたく頂戴するお茶なので、どれを取っても、何も悪くはない。ただ、お客さんに自信を持って出すならば、茶葉の時から美しい煎茶を選ぶ。そのもてなしを、見える形で提供するか、それとも見せないか、その違いが文化の違いなのだろうと感じている。

11月23日、トマトやナスや唐辛子やピーマンが多年草と書いてある書物は沢山あるものの、じゃあ何年くらい栽培できるのか?ということになると、どこにも書かれていない。普通に室内で冬越しさせると、まあ冬を越すには越すのだけれども、条件の悪い冬にはウィルスなどに侵されやすく、翌年はあまり収穫できないことが多い。本格的な温室や、温暖な地域で栽培すると、果たして何年くらい元気に育つのだろうか?一度、インドで、大木にナスビが成る姿を見たのだけれども、あんな風になるのだろうか?

11月22日、機械学習というキーワードが、世の中に満ち溢れている。これは、機械が自ら何かを学習するというもの。その機械学習の話ではなくて、機械の仕組みを学ぶ「機械の学習」の話。コンピューターが、いやいや、携帯やら何やら、ともかく中身に半導体チップの入っているものが、どんな動作をしているのか、その根本的な原理について知る人の割合は、理系人間の中でも、どんどん減少している。学校で「プログラミング」を習ったって?いや、あれは架空のコンピューターを相手にした学習であって、「生身のコンピューター」の特性を知る足しにはならない。じゃあ、コンピューターって、実際はどんなもの?と質問されると、「タワーマンションみたいなもの」と答える。京コンピューターは?あれは、京都の街中だ。どっちも、ちょっと人や車が増えると、すぐに渋滞してしまう。実は、そんな渋滞が、手元の機械の中でも、いつも起きているのだということ、これが「機械の学習」なのである。ああ、また、旧人類のグチが出てしまった。

11月21日、またまたスケート競技の話。スケートは、競技できる場所が限られているスポーツの1つで、特に選手が練習している「夏場も営業しているリンク」では、オリンピックで良く見かけるような一流の選手や、コーチとして働く、かつて活躍していた選手、また、これから選手として活躍するジュニアなど、ともかく「雲の上の人々」がゴロゴロしている、そんな場所で、初心者もまたヨチヨチとスケートを楽しむのである。←半分壊れた、長い文章だった。夕方からの練習では、トリプルジャンプをポンポンと披露してくれるのである。なお、一番信じがたい練習が、ごくごく狭い場所でクルクル、片足で延々と八の字を描く寡黙な動きを繰り返すもの。あれこそ、フィギュアスケートの原点だ。

11月20日、スケートリンクが霧の中。半周すると、向こう側が全く見えないのである。天井が高いスケートリンクでは、暖かい時期によく起きる現象だ。この霧は、夏場のスケートが「陰気なスポーツ」である、原因の1つでもある。霧で見えないだけなら、さしたる問題でもないのだけれども、伏兵が居た。天井からの、水の滴り。結露した水が、天井から降ってくるのである。たくさん降る所では氷に穴があき、少しだけ降る場所では逆に氷が盛り上がる。どっちが、より怖いかというと、盛り上がる方。こんなコンディションなので、本気で体力づくりする事は早々に諦めて、延々と片足のウィグルを練習した。

11月19日、卵の「お尻」にある、わずかな気室、ここを正確に探り当てる方法はないものだろうか?気室の部分に小さな穴を開けて、熱湯に放り込むと、綺麗に丸いゆで卵になる。穴が気室から外れると、茹でる途中で白身がハミ出して来て、また、気室の部分が膨らんでしまい、かえって窪みの大きなゆで卵になってしまう。というわけで、気室探しの方法を思案。叩いた時の音がわずかに違うのではないかとか、あれこれと試してみるも、今日は何も確証を得ることができず、ひとまず撤収。穴を開けた時に、気室でなければ、気室に行き当たるまで穴を開け続けるという、原始的な方法で、とりあえずの対処とする。

11月18日、コーヒー豆を、丸のままタップリ急須に入れて、熱湯を注いで待つ。コーヒーっぽい、何かが出来上がる。飲んだ感じは穏やかで、コーヒーっぽくない。しかし、カフェインは十分に抽出されているようで、コービーを飲んだ後のホットな感覚が体に満ちる。じっくり抽出されるので、丸一日、お湯を継ぎ足して飲むことができる。あ、そうか、これは、あの西部劇に出て来る、ヤカン入りのコーヒーなんだ、と、一人納得。なお、たとえ薄くても、結局は出がらしの豆になってしまうので、十分にタップリとコーヒーを飲んだことになる。カフェイン中毒にはご用心を。

11月17日、広島からの帰り際に、原爆ドームまで足を運ぶ。川が流れる、広々とした場所で、毎日でも散歩したいような、そんな場所だ。そこに、地域の小学生がやって来る、修学旅行もどんどん来る、海外からも人々が訪れる。普遍的なものが、ここにあることを感じた。また、生き証人として体験を語る方々がまだまだ活動していることにも驚いた。さて、ドームの写真を撮ろうと、あちこちから狙うも、なかなか構図が描けない。平和なのである、どこもかしこも。しばらく考えて、平和な風景をそのまま撮れば良いのだと思い直して、シャッターを切った。

11月16日、広島駅から西条まで、36 分。距離の割には、短い時間で到達できる。そこから先、広島大学までは、直通のバスならば 10 分くらいだろうか。普通でも20分で駅まで到着。バスと列車のダイヤは、ちゃんと接続するようになっているから、1時間もあれば、余裕で広島・西条間を移動できる。最初、地図を見た時には、もっとかかるのかなーと心配したけれども、電車と交通機関の連絡は、なかなか良い。ただし、うっかり売店で買い物したりして、その目の前で電車が発車して行くのを目にすると、結構がっくり来る。次は 20 分後、なんて、そんな。

11月15日、広島にやって来る。まず気づくのが、自転車の文化。ともかく、乗っている。平地ならではの文化なのだろうかと思いきや、山間部でも乗っている。故郷を思い出すものがあった。どどどーっと前から自転車がやって来ると、何と表現したら良いのだろうか、まず目のやり場に困る。丈の短いお召し物で自転車に乗って、時に立ち漕ぎ。同じように外国人もまた、自転車に乗って観光しているのだけれども、こちらは完全防備だ。そう、二輪車はどんなものでも、転倒の危険があるから、肘や膝を出したまま乗るのは、あまり推奨できないのだ。ま、いいか、自分のことじゃないし。

11月14日、11月の今頃は、先にも書いたように、日没が一番早い時期だ。また、曇天の合間に時雨がやって来る、そんな日が続く。そんな日々を思い起こして、ここ数年の11月を振り返ると、様々に考えることがあり、教育の中で何か改善をはかれたかどうか、自問する。大学の教育は1対1の要素が大きい ... と良く言われることもまた、本当かどうか、よーく考えるべき所がある。高校の先生の方が、生徒のことを、より明確に把握しているのではないか、そんな気もするのだ。成人と認めた上での、付き合い方、これを模索する日々は続くのである。

11月13日、荷物の「荷」の字を見て、中に入っている「可」の部分を「荷」と書いても、何となく荷の字に読めてしまうことに気づいた。再帰的文字構成と言う一群の新しい漢字を知る大発見である ... なんちゃって。漢字の中には、既に「回」のように、再帰的な構造を持つものがある。内側の口の中に、また口を書いて、ぐーるぐると、何個も四角を重ねる、そんな遊び心が、もともと漢字に内在されているのだ。旧字体は恐ろしいまでに複雑で、100画を超える文字もゴロゴロと存在する。こういう文化は、ちゃんと (?) 現代にも受け継ぐ価値がありそうだ。絵文字を漢字化する、そんなこともできるぞ?!

11月12日、ルミナリエが、もう、だいぶん組み上がっている。もちろん、まだ光っていない。が、電球は電球なので、太陽光が当たると、キラキラと輝く。背景が暗い所に、うまく太陽光が当たると、本当に光っているのではないかと思うほど、キラキラしているのだ。もチョット科学すると、その太陽光による電球の反射光や透過光は、夜に LED を点灯した時の輝きよりも、強いものだ。周囲が明るいから目立たないだけであって、光るものは昼でも夜でも、ちゃんと光っているのである。

11月11日、ここ数年、大学祭の週末には、必ず雨やら嵐やら、ともかく降水があるのが通例だった。時期的に、時雨がやって来易い頃合いなので、2日間も開催すれば、どこかで雨を引っ掛けてしまうのかもしれない。ともかくも、今年は好天なのだそうな。ところで大学祭ってなに?というのが、現役の大学生だった頃には大学祭に参加しなかった私が、長年持っている謎。音楽系の部活に勤しんでいたので、毎年、学祭の時期に合わせて合宿へと出かけていたのだ。定期演奏会前の、この時期の合宿は、本気。最後の日には、時間を測ってのリハーサルもやってみる。色々とボロが出て、必死にまた練習する、そんな日々。帰ってくると、もう学祭は終わって、大学は閑散としているのであった。うーん、学祭って、どんなんだろうか?

11月10日、計算機のプログラム実習というのは、ちょっと前までリスキーなものであった。自分のことは差し置いて、オタクというか何というか、ともかく計算機に詳しい学生が必ず居て、実習の内容なんかは、ものの10分でおしまい、ついでに周囲に「指導」して回って、2時間の実習内容が「あっという間に」終わってしまい、さてどうしたものかと、思案するような事態が起きるので、色々と「高度な内容」まで用意しておかなければならなかったのだ。ああ、長い文章だった。でも、昨今では、パソコンの中身、コンパイラなど誰も見向きもしないのである。枯れた技術として、ごく限られた人だけが、ソースコードを読む、そんな時代になった。いつか「誰もパソコンのことがわからない」時代が来るぞ。知ってるのは、機械だけって。しーらないっ。

11月 9 日、草が枯れ込んでしまって、根がどこにあるのか、わからなくなってしまった。この秋の除草作業は、ひとまずおしまい。今年の経験から、春先に芽が出てきた所をペンチで掴んで、周囲の根とともに抜き去ってしまうのが、効果的だとわかったので、来年の春には、もう少しマシな作業ができるだろう。草が止まったら、やっぱり、考えておくべきは、松とヒノキである。まず、ヒノキは根元から他のツル植物に巻きつかれて、訳のわからない状態になっている。根元を少し、風通し良く整理しようかな。そして松。ブチッと切ってしまって、盆栽のように仕立てるか?あの場所で大木になったら、倒れてケガ人が出るぞ?!

11月 8 日、毎朝の通勤に使う阪急電車、日々少しずつ変化がある。ちょっと前に登場した、永久磁石を使った交流モーター搭載の、リニューアル 7000系はクセ者の1つだ。普通の 7000系車両は、低速での加速が「カクカク」しているけど割と力強くて、速度が上がるにつれてモーターの音が高くなる割には(?)加速しなくなる。これに対して、リニューアルした方は、中速での加速が良くて、立っている時には、ずーっと足で踏ん張っているような感じになる。ついでに、回生ブレーキの効きも抜群で、止まる直前まで、これまた「腰のある」減速を披露してくれる。この乗り心地は、豪華絢爛な 9000系にも通じるものだ。1000 系はというと、車両が軽すぎて、何だか落ち着かない。バスのようにフワフワとした乗り心地。じゃあ、何系が一番好きなのかと問われると、また 3000系の特急に乗りたいなーと、思ってしまうのである。あれはもう、退役間近かな。

11月 7 日、どんぐりが沢山落ちていた。そう、そもそも、この辺りの植生はというと、どんぐりなど、実が沢山成る木ばかりなのだった。舗装道路の上に落ちたどんぐりは、踏み潰されるだけの運命。まあ仕方ないか。動物が食べるにしても、そんなに野生動物が多い場所ではないし。あ、イノシシが食べるかもしれない。確か、イベリコ豚はドングリを沢山食べて、あの香りを身につけるのだとか。イノシシがどんぐりを沢山食べたら、あんな香りになるのだろうか?いや、普段は花壇を掘り返してるから、ロクでもないモンばっかり食ってるに違いない。どんぐりはリスにあげよう。... と調べてみると、リスが好むドングリと、好まないものがあるそうだ。誰からも見放される食い物は、やっぱりマズいのだそうな。

11月 6 日、日本で英語を教えている外国人は、どんな資格で在留しているんだろうか?と、調べてみて、なるほどなるほど、結構コマゴマと条件が付いている。一度、在留資格が取れたら、転職したり、大きなトラブルに巻き込まれない限り、更新するのは難しくなさそうだ。少し難儀そうなのが「思い立って、何か商売始めてみたい」という風な方針転換が、そんなにスムーズには運ばないこと。いわゆる、不法就労に問われかねないのだ。英語を教えるという事で在留しているならば、教えるのは英語であって、スペイン語ではない。たとえ、その人がマルチリンガルであっても。

11月 5 日、朝の7時は明るいのに、夕方の5時は夕暮れで暗い感じだなー、と感じる日々だ。神戸は山に日が沈むから、夕方が暗い?秋冬の夕方には雲が出やすくて暗くなる?それだけではない。実は、11月中の、太陽の南中時刻は15分ほど早まるのだ。当然、日の出も日の入りも、その分だけシフトする。結果として、朝7時と夕方5時では、30分ぶんくらいの「太陽高度の差」が出てしまうわけだ。というわけで、これからクリスマスまで、たーっぷり夕方の暗さを楽しめるので有る。暗いところには色々な光があるので、写真を撮る対象もまた色々とある。こういう、暗所の光は、焦点を合わさずに撮る方が綺麗に色が出る。さあ撮りに行こう!

11月 4 日、ポートアイランドにある、スケートリンク。ここの凄い?所は、夕方にやって来れば全日本クラス「となりつつある」若い選手が、トリプルジャンプをポンポンと飛ぶ光景が、いくらでも見学できることだ。また、助走ほぼ無しの状態でダブルジャンプをホイッと、いとも簡単に飛んでしまう、そんな光景も目にする。だいたい、小さい子供はサッサとアクセルを卒業してダブルまで飛ぶようになる、その成長過程も見届けられるのだ。これに比べて、我々スケート愛好家たる中年、いや老人達は、なーかなか上達しないのである。練習へのモチベーションもまた、低いのかもしれない。若いお姉様方がヨロヨロと滑っている所に現れて「教えてあげましょう」というのは、大抵、こういう愛すべきオッチャン達である。最も、この見え見えの行いも度を過ぎれば、スケートリンクから出入り禁止を申し渡されるのである。若い選手は成長すると、やがてリンクから姿を消す。プールなどに比べて「会社帰りにちょっと、立ち寄ろう」という場所ではないのだけう、スケートリンクは。

11月 3 日、朝がとても静かで、今日が祭日であることを知る。普段の朝は、自動車の音に満ちている。神戸という、狭い場所に人口が集中していることも、原因の1つかもしれない。海辺の自宅の、すぐ横に、とても若い番号のついた国道があって、信号も近い、もう、すぐそこは都会という、そんな場所に住んでいるのだから、仕方ないといえば、仕方ない。そういう、都会の真っ只中にあっても、やはり祭日の朝というのは、ノンビリとした空気が流れているものだ。普段はここから出勤して、阪急六甲駅で下車、そして登山となる。大学に到着すると、ああ、田舎に来たなーという、そんな感慨とともに、仕事を始めるのである。

11月 2 日、今年、梅田のスケートリンク「つるんつるん」は、本物の氷になるのだそうな。去年までの、プラスチックにワックスを塗ったものは、滑った人に聞いてみると「滑らない」そうで、評判が悪かった。曰く、幅広くエッジを表面に乗せるとダメだそうで、なるべく接触面積が小さくなるように、エッジの曲がった部分に乗るとツルッっと滑るんだそうな。これは、結構な高等技術で、下手をしなくても転倒が待ち受けている。ついでに、転倒すると表面に乗っているプラスチックの屑があちこちに付いて、難儀だとか。やっぱり、滑るのであれば、本物の氷でなければ面白くない。初日、26日の、お昼時に滑っていると、取材のテレビカメラ来るかもよ?

11月 1 日、文章を書くのはキーボードやら携帯やら音声入力で、だいたい紙の機能を代用できるようになった。数式は ... これはまだまだ、紙と鉛筆、百歩譲ってパッドとペンなのである。キーボードのようなもので、うまく数式を記述できないからだ。LaTeX があるではないか?と言われそうだけれども、あれには、「どうやって書くんだろうか?」と引っかかると、書き方を調べるだけで、何時間もかかる(?)という欠点がある。その場で、どうにでも書けてしまう紙とエンピツは、とても大切なのである。実験ノートというのもまた、物理では大切なものだ。別に、実験用携帯でもいいではないか?といえば、それはそうなのだけれども、神戸の何処かで起きた、例のアカデミック(でなかった)騒ぎでは「実験ノートに何も書いてなかった」ことが問題とされたことを、覚えているだろうか?
9 と10月の1行日記