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4 月30日、アカハライモリ、という名前のイモリがいるんだそうな。名前の通り、腹が赤い。おしまい。... 何だか、妙に私のことを指してないか?という気がしなくもない。アカデミック・ハラスメントを短縮してアカハラ。「こんなんじゃダメぢゃないか!」と、頭ごなしに怒鳴り散らすとか、無視するとか、そういう目に見える所から始まって、微妙なやり取りにイケズな所があるとか、えこひいきをするとか、ともかくも学生の視点から見て不都合な点があればアカハラなのである。これを治すには、自分がアカハライモリであることを認識して、日々、明日は少しでも真人間になろうと努力することが大切なんだろうと、自己解釈して、今日を過ごし、明日を過ごす。ついでに、アルハライモリとか、セクハライモリとか、パワハライモリなんていう病気にもかかっているんじゃないかと、そんな気もするのである。

4 月29日、ヘリコプターというと、空中に静止できる乗り物というイメージがある。そういう使い方を期待されていると言って良いかもしれない。しかし、飛び立って、そのまま真上に上昇することはごく稀で、前進しながら速度を増しつつ上昇して行くことが殆どだ。降りてくる時もまた同じ。真下に降下して着陸するのは例外的。エンジンが止まった時に、ローターが回って滑空状態へと移れる余裕を常に持っておくには、高度か、運動エネルギーが必要なのだ。また、風の無い時に鉛直に上下すると、タバコの煙の輪のように回る気流に捕まって、墜落する危険もある。そういうことを色々と聞かされると、ヘリコプターで遊覧飛行という気が起きなくなるのである。

4 月28日、傘を忘れたので、取りに行く。行き先は、スペイン料理のバル。取りに行くだけでお店に伺うのも、何だかバツが悪いので、飲み物一杯とタパスを頼んで飲んでいると、何も言わなくても、店主さんが傘を持って来た。最初に気づかないフリしてくれた気遣い、なかなか、いいなーと思った。また行きたい。なお、飲んだのが何時であるとか、アルコールが入っていたとかいないとか、場所がどこであったとか、そういう細かいことは、飲み物で記憶が流れてしまったので、詳しいことは覚えていない。と、いうことにしておこう。

4 月27日、大数の法則というものがある。まず、読み方が問題だ。大数は「たいすう」と読む。おおかず、とか、だいすう、ではない。これは、数学用語として「代数」が定着しているので「だいすう」とは読めない、という裏事情 (?) があるからだろう。さて、この、大数の法則、大抵の場合に「証明は省略します」と言って導入してしまう。どうやって証明するのだろうか?と疑問に思うと、少し困難な道のりを歩むことになるからである。比較的簡単なのが、二項分布から出発する場合。これは、スターリングの公式を使えば、一発でガウス関数になってくれる。但し、ピークの周辺だけのことである。そこから遠ざかると、妙なテールを引いていることを、目にするだろう。ではスターリングの公式は?鞍点法を使うと、まあ導出できるし、使わなくても低い次数の公式は簡単に導ける。ともかくも、こうやって裏を取って行くことが、地に足のついた研究の素地となることを信じられれば、未来は明るいと思う。

4 月26日、もう初夏となる。はっきり言って暑い。この日照りの中を、リクルートスーツを着て歩く人々、そのようなことを「常識」としてしまう風潮は、一体どうしたものかと思うのである、毎年のように。亜熱帯の標準的な正装は?と、ポリネシア文化やら、ベトナムやら、色々と見て回ると、涼しそうな格好で、かつ清楚なのである。じゃあインドはどうなんだ?と、見に行くと、文化が多様過ぎて、何が普通なのか、よくわからないのであった。ともかくも、既に亜熱帯へと突入しつつある季節の日本、日中の外気の中をスーツで歩くというのは、体力とエネルギーの無駄遣いに他ならない。もう頑張るのは止めて、夏はアロハシャツで良いことにしようではないか。

4 月25日、ブヨに刺されると、ブヨブヨに腫れる。何でも、何十箇所も刺されると命に関わるかもしれないとのこと。さて、昨日、チクリとやられた所は、一生懸命、毒を吸い出してはおいたのだけれども、やっぱり、腫れてしまった。抗ヒスタミン剤が効くとのこと。風邪薬にドッサリ入ってるので、とりあえず、いつもの風邪薬を飲む。一応、効いている様で、効き目がある内は痒みが少しおさまる。少しでも掻くと、そこから浮腫が広がってしまうので、痒くても我慢。気にしないのが一番らしい。さて、あと何日で腫れが引くことやら。とりあえず、ミントは効くので、時々、スプレーする。→ 翌日には、もう腫れが引き始めて、肩透かしを食う。「体質によっては半年間も痒い」なんて書いてある文書もあったものだから。

4 月24日、神戸大学から延々と登って行くと、六甲登山口へと至る。そこから、東へと登る道があって、延々と登って行くと老人ホームへと至る。その駐車場の脇に、何やら細道がある。これが、六甲山の油コブシへと至る道。神戸大学から、油コブシまで、2時間もあれば余裕だろう。そこから先は、一度少しだけ下り、稜線を越えて六甲山の「メインストリート」へと至る。六甲山に上がってしまえば、再び都会に戻る。雰囲気だけは。人が居るし、自動車もバンバン走ってるし、山の中という気がしない。少しだけ違いがあるとすれば、神戸大学が眼下に広がっている (?) ことだ。結構、敷地はあるんだなーと、上から見て思うのであった。もちろん、阪大みたいに、だだっ広くはないんだけれども。

4 月23日、海を眺めると、いろいろなものが見つかる。今の時期は、まだコンブみたいな海藻が長く伸びている。その間をクラゲがプカプカ。水クラゲは、まあいい。あの、傘のように放射状に広がる茶色い筋を持ったクラゲが、タチが悪い。刺されると、ピリピリと、ヒリヒリとするのである。幸いなことに、カツオノエボシに刺された経験はない。その横を魚がスイスイ。たくさん居る。海の中に、どれだけの魚が居るんだろうかと思ってしまう。そして磯には巻き貝がたくさん取り付いていて、ヒトデが寄って来ている。ヒトデって、石みたいなのに、結構、歩くのが速い。その横の、まだら模様の石は何だ?と、よーく眺めていると、耳が伸びている。本当に耳とは思わないのだけれども、あれは耳だ。ウミウシかと思ったけれど、後で調べてみたら、アメフラシであった。あんなに大きくて、柔らかいものが、どうして魚の餌にならないのか、ちょっと不思議。美味しくないのかな。

4 月22日、カレーを食べる。カレーにはナン、というのが定番らしい。そう思ってインドへ出向いた時のことを、今でも思い出す。行った先はインドの南の方。ナンではなくて、薄く焼いたクレープのような、チャパティが次から次へと、食べる分だけ運ばれて来た。ナンはどこに?と周囲を見渡すと、まあ、そのレストランでは、頼めば出てくるようだった。カレーの方は、サラリとしていて、香料が塊のままゴロンと入っている。間違えて、唐辛子を丸ごと口に放り込むと、えらいことになる。辛くなくても、シナモンの棒を口の中でガリガリとかみ砕くのも、何か妙な気がしたものだ。これも、周囲をよく見渡すと、食べないで皿の上に残しているようだった。ともかくも、異文化に接するときには、まず周囲を見渡すものだという事を学んだ。というわけで、今日はカレーにした。

4 月21日、世界の殻物生産量は云々、と、ここまで違和感なく読めた方が多いと思う。殻物って何じゃ?もちろん、穀物が正解。漢字を注意して読んでいるかどうか?という点も去ることながら、小さくても文庫本サイズに印刷されて来た活字に比べて、携帯の画面が小さいので、「そんな細かい所まで見てられるかい!」という方も多いだろう。この殻という字、毎年、黒板に書く文字なのだけれども、一年に一回くらいしか書かないので、毎度のように忘れる。昔は、漢字を忘れるという現象自体が、よく理解できなかった。実際に「次から次へと忘れる」ようになってみると、漢字は常に覚え直しているのだという事実に気がつくようになった。漢字を読む機会、書く機会が減ると、記憶が維持できなくなるのだ。最後には、全く読めなくなってしまうのかなーと、そんな気もしている。

4 月20日、ベル状態は、量子情報の基本的な道具の一つだ。このベル状態の「使い方」を示す有名な例が、量子テレポーテーションなのだけれども、それがなぜ画期的であるか、初めから理解するのは難しいことかもしれない。その前段階として、量子暗号の初歩の初歩を学ぶのも、有効かもしれない。アリスとボブがベル状態を共有している前提で、アリスが測定を行い、ボブに「右に進むのは0、左に進むのは1」と電話で伝えると、ボブは確実に右か左かを「誰にも知られずに」アリスから教えてもらうことができる。(←手続きを簡略化してあるので、実は多少、危ない所がある。)... そういう話を、セミナーでしていて、確率の絡む物事には、表現を気をつける必要があることに、改めて気づいた。「ハズレの宝くじを、確実に買い求めることは、実に困難なことである」なんて、周囲の人に言ったら、笑われるだろうか、それとも真顔で頷いてくれるだろうか?

4 月19日、写真屋さんに、USB からプリントしてもらおうと思って、ファイルを持って行くが、認識されず。「その」Windows マシンでは、MacOS の拡張フォーマットされたメディアは認識されないようだ。というわけで、予備で持っておいた、DOS フォーマットの USB を刺す。が、こちらも認識されず。何か妙だなーと思って、OS のバージョンを聞いてみると、Windows 7 とのこと。ああ、そりゃあかん。あの頃は「まだ」 Windows 天下の世の中であった。Unix のファイルシステムが読めなくても、問題なかったのである。現在は、Android の底にある Linux と、iPhone の iOS の底にある Darwin が世の中を席巻している時代だ。さすがに、ファイルシステムやフォーマットの差は、互いに吸収できるようになって来ている。... いやまあ、マウントするだけだったら、昔から互いに OS の壁は低かったのだけれども ...

4 月18日、カビが原因の、植物の病気には、ボルドー液が良く効くとある。硫酸銅と生石灰で作れと。どっちも、安く手に入る薬品だ。但し、生石灰は取り扱いが厄介だ。そのまま触ると皮膚を痛めるし、目に入ったらエラい事になる。放っておくと、湿気を吸って、消石灰になり、固まってしまう。どうして固まるのか?という話には突っ込まない事にして、ともかくも、自家製ボルドー液は調合が面倒なのでパス。市販の、ボルドー液を購入する事にした。が ... 通販のボルドー液は、単位がデカいのだ。石灰と硫酸銅の混合粉が 5 kg で、何アールも散布する時に使うものばかり。ちょっとあれば良いんだけれどもなー。まあ、余れば捨てれば良い ... いや、ちょっと待て、銅イオンを含むものは、希釈してから捨てないと、確か、法律に引っかかるんだった。まあ、気長に、ゆっくり使って行こうか。有効期限が5年もあるそうだから。もちろん、無機物なので、原則として期限もへったくれも無いのだけれど。これはむしろ、パッケージの寿命か。

4 月17日、昨日から、衛星写真の雲のパターンや、上空の天気図を見比べて、思うこと: 今回はノルウェー学派の前線の描き方では、ちと、実情に合ってない。Keyser-Shapiro model に近い形になっている。まあ、どちらにしても、急に発達したものだ。こういう日には、都会の街路で歩く気がしない。建物の中や地下でゴソゴソと。上から、何が降ってくるか、飛んでくるか、危険タップリだ。実態としての風の向きや吹き方の予報の方が、ずっとタメになる ... と、要望しても、なかなか、難しいだろうなー。「風の息」の予測なんて、夢のまた夢かもしれない。

4 月16日、ノートパソコンの、キーボードが故障してしまったら、外付けキーボードを取り付ければ良い。液晶ディスプレイが故障したら、外付けディスプレイを使えば良い。両方ともオシャカになっても、少なくともハードディスクとしての使い道は残っている。少し達人になると、サーバーとして使い、必要に応じて画面を他のパソコンに飛ばして使ったりすることも可能だ。そこまでするか?という疑問はさておき、使えるものは使い切りたい、と考えてしまうのが、パソコンマニアの道。消費電力の割に、できる仕事が乏しいという点には目をつぶって。ただ、中には、電源を入れると、何だか焦げ臭いような香りが立ちのぼるものもある。火災とは天秤にかけられないので、こういう品は、もう、お払い箱だ。

4 月15日、紙のゴミを、まとめてゴミ捨て場へと持って行く。それが、どこであるかは、まあ、ご想像に任せよう。紙のゴミ捨て場なので、もちろん古い書物も積んである。書物というと、ついつい、背表紙を眺めてしまうのである。おお、これは往年の名著、アマゾンで売れば値段が付くではないか、と、思うようなものも、時として、転がっている、ような気がする。(と、わざと弱めて書いておこう。)もちろん、こうやって、価値のありそうなものもドンドン捨てられて行くから、新しい書物が売れて、その恩恵にあずかる人も居るわけであるし、また、世の中に整理した形で、必要な情報だけが残って行くのである。ついでながら、こうやって、毎日、雑文を書いて並べる事には、何の価値もない。やがて忘れ去られるものを毎日のようにセッセと書く、ツイートする、これ、人間の性なのである。ともかくも、何千年も伝わるフレーズを吐いた人はエラいなーと、思わずにはいられない。

4 月14日、段違い平行棒という、女子体操競技を「知らない人は居ない」と思う。(←厳密には「ほとんど居ない」と書くべきだろう。)そういえば、コマネチという名選手が居たと思い出して、動画を見てみると、あれ、何だかおかしい。棒に腰を引っ掛けるような運動ばかりで、大車輪がない。比較対象として、近年のビクトリア・コモワの動画を見ると、こちらは鉄棒競技そのもの、と言って過言ではない。この違いは?そもそも、二つの棒の間隔が全く違うではないか。競技として、こんな進化があったのかーと、びっくりする。コマネチを遡ること数年、「決めろ!フィニッシュ」という器械体操スポ根物のテレビドラマが放送されていた。器械体操がドラマのネタに成った時代なのである。当時、そんな宇宙人みたいな技は不可能だと、誰しも考えていたことだろう。が、今のD難度F難度の技は、その上を行く。地球の重力が、少し弱くなったのではないかと信じたくなるほどに。もっと昔のチャスラフスカ、物心ついた頃には伝説の人物だったけれども、まだご存命だとは知らなかった。

4 月13日、機器としての寿命はまだまだなのだけれども、インターフェースが先に絶滅してしまったものが多数ある。SCSI 機器は、ほぼ全滅。使おうと思ったら、中古パソコンを呼んで来ないといけない。まあ、小金をはたくと、ブリッジが買えない訳ではないのだけれども。もちょっと深刻なのが、光りもの。optical disc に記録した情報は、かなりの確率でダメになっている。あれは恒久的じゃなかったのかい?と、ボヤいても仕方ない。ドライブの方が先にオシャカになる。結局のところ、稀にしか使わないようなものは、タンスの肥やしとなるという、世の中の常識がパソコンの世界にも成立しているということだ。こうやって、大切にしているデータだって、ゴミに過ぎなくて、人類は、その「データごみ」の中から、共通して受け継ぐべきものは何かという、壮大な選択(そして洗濯)実験を行っているのである。

4 月12日、早合点の私。新しい Mac には、無線で充電ができる画期的なキーボードとマウスが装着されているのだと、見た瞬間に信じてしまった。これは実に物理屋らしくない発想だ。キーボードはアルミ合金でできているから、誘導電流を有効に使うには問題が多いではないか。電池を「外から入れる」スペースの無い、これらの機器には、充電できる電池が内臓されていて、細いケーブルで充電する。あんなに細くて大丈夫かい?というくらい細い。まあ、それで電力勘定が合っているんだろう。内臓の電池がクタる頃には、次の Mac を買って下さい、という Apple からのメッセージだろうか?それにしても、これまでに一体、何台の Mac に接して来たんだろう、思い出すこともできない。科研費で一番最初に買った Macintosh II si, なかなか良かったな。

4 月11日、ディスプレイ解像度の高い iMac に乗り換えてみる。当初は順調。あら、「復旧アップデート」というものが出てる(←いつ出荷した Mac やねん?)と、飛びついてインストールしてみると、起動直後に画面が真っ暗になる。セーフブートは可能。原因は? とりあえず、外部ディスプレイとして接続してあった LED Cinema Display を外す。すると表示は元に戻った。一度認識されると、二度目からは正しく起動するはず .... というのは幻想であった。毎回、再起動する時には、LED Cinema Display を引き抜いてブートして、後から接続する。ああ、面倒くさいことだ。そもそも、解像度の違うディスプレイを二台接続するというのが、妙なことなのかもしれない。確かに 5k ディスブレイは美しく、高いコントラストを持っていて、隣の Cinema Display がボケて見える。しかし、新品には色々な問題が潜んでいるものだ、早速引っかかって、色々と無駄時間を生んでしまった。

4 月10日、ディスプレイが一つ、お釈迦になる。それも、新しいインタフーェースを持ったディスプレイだ。これが映らないということは、接続してある MacPro が使えないということだ。もちろん、固定アドレスを与えておけば、ディスプレイなんか必要ないのだけれども、面倒なので Wifi で設定してあるので、固定ディスプレイが必要なのである。もういいや、しばらく転がしておけ! と、観念する。いや、確か、古いディスプレイであっても、コネクターさえ接続しなおせば良かったっけ?と、コネクターを探す。ガラクタ箱をひっくり返して見るも、発見できず。こういうのを、徒労と表現するのだろうか。余計なことは重なるもので、日本語環境の動作も妙になる。英数と全角文字の間で、切り替えが正しく行えなくなるのだ。これも、キーボードショートカットをひとつ消して解消。やれやれ、便利さを追求するのは、どうなんだろうなー。

4 月 9 日、エビと目が会う。デカい。動いてる。安い。買うしかない。大きなエビは大味になる、とは言われているけれども、車海老は大きい方が食べ甲斐がある。殻からもダシが取れる。赤い魚のホウボウと目が合う。半分は刺身、もう半分は煮付けに。残った部分は、エビの殻と一緒にして、スープ取り。ブイヤベースか、パエリアか。まあ、何でもいいや、カレーくらいでも良いかもしれない。ダシを取った上で、よく煮てから残ったガラだけ捨てると、ゴミの分量が減る。ただし、その分だけガスを使う。まあ、風呂釜に比べれば微々たる量だから気にする程ではないのだが。イシダイとも目が合う。塩焼きにしてみる。タイよりも、随分と皮が厚い。皮だけ煮付けてみようか。そして、運良く、ホウボウは卵を持っていた。ありがたくいただく。海は生命に満ち溢れているものだ。魚が栄える前の海って、エビとカニだらけだったんだろうか?

4 月 8 日、世の中、誰しも、なかなか、思い通りには行かないようだ。ン十年も生きていて、こう感じるわけだから、若い人々にとっては、もっと障壁だらけの世の中なのだろう。ふと来訪者あり、あれこれとお話しを聞く。なるほど、なるほど、確かに、こんなはずじゃなかった、というフィーリングが良く伝わって来る。困難な壁は蹴って取り払うか、あるいはそこから離れるか、そういう解決がシンプルだ。けれども、その壁が「自分と自分」の間にある場合は、そんなに簡単ではない。壁をぶっ壊すことは自分を傷つけることになり、壁から離れようにも自分からは離れらない。うーん、こういう場合には、壁の位置を微妙にズラさなければならない。その微妙な調整、これまた難儀なことなのである。自らの良い部分を、多少なりとも捨てることになるのだから。

4 月 7 日、桜散らしの雨、だけかと思いきや、関西空港の辺りでは強風が吹いている様だ。そのまま、兵庫県の辺りまで大荒れになるんじゃないか?という予報もあったけど、それなりに強い雨風だったことは確かだとしても、暴風は吹かなかった。ま、いいか、警報なんだから、空振りもあって問題ないのだ。この警報によって、午後がお休みになった学校も数多いことだろう。購買、食堂、コンビニは、商売上がったり、仕方なし。これだけ雨が降ったら、また、ススキが伸びて来るではないか、明日こそ、引っこ抜けるものは引っこ抜いて、文字通り根絶してみせるぞ。雨の翌日は、草抜きに限る。ヒノキさえ、植えてなければ ....

4 月 6 日、今日は桜が、パラパラと散り始める陽気。さて、ヒノキの植え込みを見ると、根っこの辺りがススキやら、ツル植物やらに占拠されていて、やがては「草に飲み込まれる」こと必至。そもも、南国に針葉樹は似合わないのだ、成長速度が遅いので、すぐに埋もれてしまい、枯れる。そこで、整理整頓、どんどん剪定しよう ... と作業を始めて、直後に撤収。ヒノキはヒノキなので、小さくても、花粉をバンバン飛ばすのだ。これはたまらない、すぐに離れて、顔を洗って、くしゃみが治まるのを待つ。ということは、ここそこに植えてあるヒノキもまた、今の季節に花粉を飛ばしているわけだ。ヒノキやスギ、庭に植えるべからず!

4 月 5 日、Apple ID に引っかかる。作ったばかりの Apple ID で、さあパソコンに OS をインストールして、環境設定開始だ! と意気込んだものの、支払い情報がヒモ付けされていないアカウントは、Apple Store で使えないのであった。どないしよ、と右往左往して、学生さんの見つけた解決方法がなかなかよかった。とりあえず、どこかのパソコンで Apple ID を入力して Apple Store を使ってみて、サインインを拒否された所でレビューボタンを押して、住所入力するというもの。この回避方法を実行するには、必ず、動く状態のパソコンが一つ必要だ。こう言う理由があるので、クリーンインストールする目的で、中身を消去したパソコンをネットブートしようとすると、上記のようなトラブルに見舞われたわけだ。しかし難儀やなー。

4 月 4 日、昔の歴史を見ていると、「やんごとなき人」、つまり叩き上げではない、何代も続くような名士の家系の出の人が、ポックリと病死することが、しばしばある。そんなの、貧しい人でも、太古でも現代でも一緒じゃないか、と言うと、もちろんその通りだ。ただ、大人になってからかかると重症になると言われている、おたふく風邪、はしか、そういう感染力の強い、子供の頃にはかかっているだろう病気になって、歴史が変わる、そういう事も起きたのだそうな。水戸黄門様も .... おっと、あれは歴史の真実じゃなかった。さて大学では、新入生の健康診断の時期だ。みんな、これまでに様々な免疫を獲得して来た事だろう。大学の4年間で新たに獲得できる免疫は、どれくらいあるのだろうか?

4 月 3 日、全卵を泡立てる時には、砂糖を入れて湯煎しろと書いてある。砂糖を入れないと、うっかり熱い湯で湯煎した場合に黄身が固まり始めるのだとか。また、湯煎なしで泡立てようとすると、なかなか泡が立たないのだと。待てよ、ジュール加熱というものがある。卵という粘性の高いものに対して、混ぜるという力学的な仕事を繰り返すと、すぐに温度が上がって行くはずだ。そこで、エクササイズも兼ねて、湯煎「せずに」どんどん泡立てる。確かに、最初はどうなるかと思うほど変化に乏しかったけれども、冷たさが緩んで泡が立ち始めると一気に生地らしくなって来る。ミキサーを使うという、悪魔の囁きが頭の中に浮かぶも、文明の利器は「理由はともかく」却下。休日なんだから、むかーしながらの、手作業で全てを。もっとも、これは「一度だけ」手で感触を覚えておくための作業であって、それが体でわかったら、次からは機械で問題ない。

4 月 2 日、電気オーブンの、予熱の温度は信頼してはならない … ことが多い。内部の温度が、センサーの示す値であったとしても、周囲まで熱が充分に行き渡っているとは限らないので、食材を乗せた皿などを入れると、一気に温度が下がってしまう。予熱された状態から、さらに「無駄な数分間」を経て、ようやく準備 OK となることがある。調理する食材によりけりだけれども。特に、加熱の立ち上がりが重要な、泡立てた卵を使ったお菓子の生地には要注意だ。釜の温度が低いと、どんどん泡が潰れて、大きな穴が空いてしまう。理想は、充分に熱容量がある重い材料でオーブンの壁が出来ていることだろう。下準備を始める前に、オーブンを温め始めないといけないかもしれないけれど。結局は、石窯への道を歩むのだろうか?

4 月 1 日、新年度になる。今日は、春になったなーという、東風の1日。だいたい、この時期の東風の日は天気が悪い。今日もその例にもれず ... と言いかかったけれども、途中で「まあまあ」の天気になって来た。寒気に勢いがないのが春の春らしい所。でも油断は禁物、何年か前には、この時期に爆弾低気圧がやって来て、あちこち水浸しになった。夕方には上がった今日の夕方、みなさん、ちょっと肌寒い花見酒だろうか?何事もすっかり新年度と言いたい所、でも報告書作りという、旧年度関係の仕事もまだ残っている。これは企業でも同じことか、決算報告は新年度だもんね。

3 月31日、さあ決勝戦だ、応援バスは60台に迫ったと聞く。一進一退、どちらも大崩れする事なく、手堅い守り。いい試合だった。皆さん、長い昼休み、中継放送にカジりついていたに違いない。「耳だけは」とか「時々チラチラと見た」とおっしゃる方も含めて。(←言ってるだけだと思うけど。)さて日常に戻って、ええと、ついにドン詰まりの年度末、web ページの更新作業も本番だ。これが結構細かい。本来、どこかに web object があって、そこをチョイと修正すれば、アチコチに波及すべきものなのだけれど、そんなシステム、入ってないのである。一箇所書き換えたら検索してみて、他に当該箇所が無いかどうかを確認。なんと原始的な作業だろうか、もうチト効率化したいなー。要するに、情報は、多く掲載してはならないのである。絞って掲載、これが肝要。

3 月30日、高松商業が準決勝で勝った。香川県民としては ... あ、自分は兵庫県民になってしまってたんだ ... そんなのどうでもいい、改めて「香川県民としては」画期的な快挙、今夜は明日の「いきなり高松祭り」の準備が着々と進んでいるに違いない。平日の今日でも、応援バスが30台も出発したそうな、明日の連戦を控えて、急遽、今日も阪神間に宿泊という方も多いだろう。(交通費だけ考えると、一旦帰ってもトントンくらい。)明日は奈良と香川の戦い、えー、阪神なんば線が大活躍する1日となりそうな予感が。なお、ローカルな話に徹すると、高松商業高校のすぐ隣が、中央高校で、道を隔ててしばらく行くと高松刑務所がある。その辺りは、昔、毎日のように通り過ぎたものだ。

3 月29日、文部科学省のシンボルマーク、というものがある。スターウォーズに出てくる、ロボットの BB-8 に、ちょっとコンセプトが似てるかもしれない。冥王星とカロン、地球と月、そんな風にも見える。ルーレットに玉を投げ込む直前のようにも見える。まことしやかな説明として、パイならぬバウムクーヘンを切り分けて提供する光景だという寓話も作れそうではないか。コキ降ろしているのかって?いやいや、描きやすくて、シンプルで、扇を広げたような感じで、なかなか良いマークだと思う。他の省庁も、いろいろなマークを採用しているので、比べてみると面白い。内閣府にもロゴがあるなんて、知らなかった。こうやって、形のないものに形を与えること、これが人間の認識と何か関係があるのか、興味のあるところだ。

3 月28日、朝はカーリングとともに始まる。あれは絵になる氷上のスポーツだ。頭の体操にもなるし。さて、遠方(?)より、お客さん来たる。物理学者様でござる。語る。物理は面白いものでござる。科学は語るネタが尽きないもので、気がつくと日がとっぷりと暮れていた。さて今日は、昨日よりも風が弱く、暖かな1日であった。が、それが雲を呼び込んだのか、また午後に降雨あり。その後は綺麗に晴れて夕暮れを迎えた。平穏な1日であった .... と、思いきや、海の向こうからエラい騒ぎが聞こえて来た。高松商業が4回戦に進んだのだと。これは、ホンマにえらいこっちゃ。また、何十台ものバスが讃岐から海を渡って甲子園にやって来るぞ! お帰りは、神戸の風景を車中から楽しんで、その後で明石海峡大橋を渡ってくださいな。

3 月27日、タクシー乗り場で、待っていると、やって来たのはでっかいワゴン車。外国では、時々、ワゴン車に乗ることがあるけれども、神戸でエアポートリムジン以外で目にしたのは初めて。大きい車って料金が高いんじゃないか?と引いてしまったのだけど、降りてみたら普通の料金であった。まあ、セダンだって、車体の長さは変わらないのだから、燃費も大差ないような気もする。この辺りは、車に疎い私には、全くわからない。さて、急にタクシーが必要になった理由が、午後からの雨。降雨レーダーを見ると、神戸に意地悪するかのように、細長い降雨帯が長い時間居座っていたのであった。上空に寒冷渦がやって来て、雨が降りやすいとはいえ、この場所に集中したのは淡路島という地形的な影響も大きいのだろう。まあ、恵みの雨ということにしておこう。

3 月26日、病み上がりで氷に乗る。今日は、ガンガン滑る体力なし。エッジ感覚を磨く目的で、スケートリンクの隅っこでグルグル、ああでもない、こうでもないと、完成していない動きを繰り返す。単純に半円を描くだけでも、結構難しいものだ。大きな円を綺麗に描くこと、小さな円を機敏に描くこと、その間の接続。エッジにちゃんと乗れていると、次にどんな動作をするのも簡単なのだけれど、問題はその「ちゃんと乗れている」かどうかの自覚症状がなかなか得難いことだ。自分では乗れていると思っても、そのままずーっと円を描くまで破綻なく動作を継続できるか?と言うと、これができない。スリーターンの出口で、円の半径が小さくなってしまうとか、ブラケットターンの出口で直線、つまりフラットエッジになってしまうとか。まだまだ精進あるのみ。

3 月25日、職場の大学では、卒業の日となった。細かいことを言うと、それぞれ所定の学習を修了したことを、大学から認められた日、ということになるだろう。(経歴上の学籍は、年度末まで残るはずだ。)就職して新しい環境へとチャレンジする、その目標への第一歩として退学される方もいらっしゃるだろう。これからの、様々な道の前途が、幸多きことを祈るばかりである。自分の思い出から、苦い経験を一つ。就職した初任地の仙台市で、体力を過信して「街の隅々まで歩いて体で覚えてやる!」と、3日間歩き続けると、その直後に足が全く動かなくなってしまった。思い返してみると、これは体力的な問題のみならず、精神的に参って「ブレーカーが落ちた」のだと思う。疲れに気づいて、必要があれば十分に休む。この事を、頭の片隅に置いておけば、大過なく過ごせるはずだ。

3 月24日、赤い人は色々と居るけれども、細々としたアイテムまで赤くしているのは、珍しいことだろうという自負があった。が、某所で真田幸村の装束を見て、まだまだ精進が足らないことがよくわかった。赤いマスクとか、赤い兜とか、赤い小手だとか。ペンが赤いだけで満足していたが、これからは PPC 用紙も赤にしよう。赤い紙に赤ペンを使うというのは狂気の沙汰であるが、囲碁のプロは黒石と黒石で対戦しても何の問題もないのだそうな。(そもそも、碁盤がなくても対戦できてしまうらしい。) 当然ながら思想も多分に赤いわけであるが、今の時代に赤いゲバ棒を振り回す気はない。やはり、貧困の問題をよく考えるべきである。そういう想いもあって、教育関係の学会にも顔を出すことにした。受け入れてもらえれば、の、話ではあるが。

3 月23日、年度の切り変わり時期は色々と要注意だ。人々の肩書きが変わる、仕事をお願いしようと思っていたら、他の人に引き継がれていた、何か始めるにあたって移動しようとしても、周到に用意しておかないと、どこから費用を捻出するか、どう届けるか、あれや、これや。基本的には、この時期は「何もしない」のが一番良い。新年度になったら、さあ待ってましたとばかり、計画しておいたものを、パッと吐くのである。予算は、前倒しで使うと世のため人のためになる (らしい) という話もある。当然、あれこれと、進めたいものはあるのだけれども、さて、どれから始めようか。

3 月22日、早朝に、航空会社の web page からログインして、フライトの座席を変更した。フライト日になると、座席のキャンセルなどが出て「より良いであろう」座席の候補へと席を移せるからだ。その時、珍しくサーバーの応答が遅く、記録にアクセスできるまで3度やり直した。多分、同じようなアクセスが朝に集中して、サーバーに更なる負荷がかかったのだろう。この時に行った操作が、ちゃんと運行システムに反映されているかどうか、心配していたのだけれども、空港でチェックしたら、ちゃんと操作した通りになっていた。さて空港は … 自動チェックイン機は正常に動いていた。モバイルの人々が、発券のために窓口に並んでいたようだ。仙台空港だから、これくらいで済んだのだろう。テレビで羽田空港の行列が報道されていたっけ。東京は人が多すぎる ... とタカをくくっていたら、搭乗便の到着が2時間以上遅れて、伊丹空港の門限に間に合わなくなった。飛行機の「機材」はそのまま、便名変更、臨時便「関西空港ゆき」となった便にゾロゾロと搭乗。この中に、一体何人の物理屋が居たのだろうか、少なくとも 10 名は知り合いが居たぞ?! そして、夕食代と交通費、合計 3000 円を頂戴する。200 人は乗っていたから、航空会社の負担は 60 万円。待てよ、欠航も 100 便の単位になったので、何千万円、ひょっとすると億単位の臨時出費となったわけか。それにしてもまあ、コンピューターの有り難さを思い知った1日でもあった。もし仮に、搭乗手続き等を人手に頼るならば、昔の空港のように地上係員も見えない所の職員も、何倍も必要になって来るのだ、10 人雇うと億単位になるぞ、何千人も追加して雇うとなると気が遠くなる … そういう、人手に頼る職場で働いている自分なのだけれども。

3 月21日、学会ポスター会場で面白かったのは、Jr セッション。高校生が自由研究したものの発表。大学との共同研究などもあって、学会の普通の公演にも出せる内容のものも散見されたけれども、そうでない身近な物理に題材を取ったものに (も) 大変な興味深さがあった。電池の起電力が、同じ種類の電極の間でも出てしまうという研究、パイプの開口補正の研究、蜃気楼の研究、どれも「教科書に書いてある題材で、記述が不十分なもの」だ。高校の物理の教科書には、そういう箇所がいくつもある。それだけ、研究のネタには事欠かない。そもそも、目に見えるものの物理が終わっているなんて、考える方がおかしいのである。カッコいい物理は、目の前にあるものだ。

3 月20日、先行研究という言葉、学会の会場でよく耳にする。巷でも使われるようになっているらしい。この言葉、研究会などでは、あまり聞くことがない。研究に先立つアイデアや興味というものが存在するのは、当たり前のことなので、必ず誰か、引用すべき人や研究論文などが存在するからだ。従って、いきなり、誰それが何について研究した結果は云々と、成果の紹介から入ることになる。思うに、そういう知識に欠けているから、「先行研究」という言葉でウヤムヤに誤魔化しているのではないかと。まあ、そういう感覚を身に付けるのが、学会という「教育の場」が果たす役割なのかもしれない。要するに、学会って、アカデミーであり、同じ釜の飯を食う仲間なのだということか。

3 月19日、中華スーパーレストラン、天龍はどこじゃ?と探すも、見つからず。記憶というものは、薄れてしまうものだと、トボトボ戻って来て、検索してみると「閉店」と。あーあ、時は流れたものだと、しみじみ。一番町のヤマハは、一階と二階が入れ替わったような感じになっていた。その向かいに、あんな空き地あったかなーと。一番町は、地下鉄の新しい駅ができて、随分と地価が上がったはず。藤崎デパートも、長年あの地を守り続けた甲斐があったことだろう。一方、西武の庭であった仙台駅前は、ガラリと店舗が入れ替わってしまった。こうして、コマゴマとした変化はあったものの、相変わらず仙台は仙台だ。お釣りを手渡す時に、かすかに手が触れるのも、昔のまま。化粧の眉毛は、ちょっとソフトに描くようになったかも。

3 月18日、仙台にやって来た。「戻って来た」という感覚も、半分くらいある。ちょっとびっくりしたのが、駅から郵便局辺りまでの、特段何もなかった場所に、オシャレな店がいくつも出来ていたことだ。片平キャンパスも随分と綺麗になった。青葉通りからは、青葉が消えた。地下鉄の仕上げで、あちこち工事だらけ。文句は言うまい、青葉山まで、雪が降ろうが凍結しようが、雨風に濡れず、いやそんなのはどうでも良い、春先の排ガスまみれの泥ハネ、梅雨時のいつ果てるない霧に苦しめられずに通えるのだから。もっとも、昔は歩いて通ったからこそ、青葉山の傍にある池からウシガエルが脱走して、車道を飛び跳ねていたのを、助けに出るといった、そんな経験ができたのだ。カエルの恩返しがあったかどうか?

3 月17日、拡散方程式があるならば、助さん方程式があっても良いではないか。... という冗談が通じるのも、いや、失笑を買うのも、あと何年のことやら。水戸黄門という番組が拡散したであろう、江戸時代の幻影幻想も、やがては消えて行くものだろう、史実の裏付けが無いものだから。じゃあ、その後釜は?よし、これからは関孝和を押そう。関孝和その人や、弟子たちが全国を巡って、殿様方、旗本方の姉弟に和算の手ほどきをする、学習番組ならぬドタバタ劇だ。むかーし、天下御免とかいう平賀源内の番組もあったではないか。あれを目指すのである。ちなみに、関孝和から先、和算に進展が無かったかのような書き方をする向きもあるのだけれども、トピックスごとに、コマゴマとした進歩は続いたのである。全体を把握し推進した人が居たかどうかは別として。

3 月16日、ススキを刈る。本当は、根こそぎ抜きたいのだけれども、大株となると無理だし、今日のように天気の良い日は土が硬くて、引っ張ってもビクともしない。次に顔を出して来た所を見計らって、株ごと抜いてしまうか、あるいは根気よく切り続けて枯れるのを待つ作戦だ。但しこれは、初夏のあたりまでに終えなければならない作業だ。それ以降は暑いし、蚊は寄って来るし、ススキの葉が硬くなって手や顔を切ってしまうし、ロクな事がない。さて、ススキが生えているのは二ヶ所。どちらも、雨が降った翌日は要注意だ。野菜を植えるわけではないので、除草剤という手が無いわけでは無いけれども、あの薬品臭はどうも苦手。

3 月15日、風邪にかかる、これは診断のつかない、厄介な感染症だ。人間、生まれてから生きている限り、常々、何らかのウィルスに感染しては撃退する、あるいは十分に抑え込むという作業を繰り返している。いま現在の時点で、どんなウィルスに感染しているのか、また、これまでに何を撃退して来たのか、そういう履歴は、ちゃんと調べれば出るはずだ。この解析は、現在のところ、安価には行えないものらしい。でも、これから先、どんどん検査キットが進化して --- そういう方向に「医療の収入源がある」という動機もあるだろうし --- ちょっと舐めるだけで「何に感染してる?」という診断が一発でつく時代もやって来ることだろう。そういう時代になれば、お医者さんの診断も「風邪です」から「ナントカウィルス何型に感染しています」になるわけだ。診断がついても、パッと治す特効薬があるわけではないのだけれど。

3 月14日、いつものように大学にやって来ようとすると、バリケードが築いてあって、進めないのであった。入学手続きにやってきた新入生たちが、会場に迷わず進んで、その後でクラブやサークルの勧誘のゲートをくぐるように、いろいろな障害物でガイドを作っているのである。もしそこに迷い込んだら、学生たちに冷やかされること間違いなし。隙間を見つけて、学生たちの後ろを歩く。こんなに沢山の学生団体があったのか、という驚きは毎年のものである。体育会系のサークルが目立つのも例年通り。いま18才だったら、さて、何を選ぶかなー、やっぱり、ギターを手にするかなー?

3 月13日、鳥が運んで来るもの、センリョウやマンリョウの種、珊瑚樹、楠、その他諸々。その辺りに生えている木の実をドンドン食べて、辺りに撒き散らす。鳥がいなかったら、森林の姿も大きく変わっていたであろう、とすら思えるほどだ。人間が森を切り開いて耕作地にしたり住宅地にしたり道路を作ったりしても、そこを維持管理しない限り、またまた木々が生えて来る。放置していれば、あっという間に林が出現してしまうのが、雨量が多くて気温も十分に高い日本の地だ。ぜひ、この勢いで、憎き杉林を根絶に追いやって欲しいものだ。そもそも、誰だ、辺りに杉ばっかし植えてるのは ....

3 月12日、エクソシストという映画がある。何でも、人気シリーズとなって、エクソシスト2とか、エクソシスト3もあるのだそうな。昔見た感想は、単純に、キタナイ。宗教的背景の違いなんだろうけれども、正体が見えないものが怖いのであって、そこに悪魔がとりついた人が居ても、私には関係ナイよ。そんな感覚で見ていたことを思い出した。それはともかく、永らく勘違いしていたことが、ひとつ。ずーっと、悪魔の一味がエクソシストなのだと信じていた。いやいや、実は、エクソシストは悪魔祓いをする人のこと。そりゃーそうか、悪魔はデーモンだ。ちなみに、この悪魔のデーモン達、皆さんの使っている iPhone を下支えしている大切な存在なのだ。ダーウィンにデーモン、Unix を司る人は、文芸を愛する人々らしい。

3 月11日、計算をチェックする。実に簡単な計算なのに、間違っているではないか。0 から n まで、整数は n 個ではなくて n+1 個ある。これは典型的なミスの要因であって、様々なバグの源でもある。話は数値計算に限ったことではなく、例えば級数の和であるとか、帰納法の証明など、様々な場面でコレに遭遇する。下手をすると、下限値が上限値より大きくなったりするものだ。ともかくも、こういうミスを見つけることに、人間は適しているのだろうか?コンピューターならば、一気に処理してくれる、と語る方も居るけれども、ホンマかいな?というのが率直な感想。Google が、カタツムリの 5 分先の移動先を予測してくれるようになったら、その時に初めて、ちょっとは機械を信用するようになるであろう。

3 月10日、最近、めったに聴かないもの、何だろう?と考えて、ふと思いついたのが飛行機の音声宣伝。ビラ撒きは、物心ついた頃には既に途絶えていたっけ。小さな頃に視聴したドラマかアニメの一場面に、ビラ撒きの光景が映っていたような記憶だけが残っている。覚えているのは、軽飛行機からの音声による宣伝。これもまた、最近では滅多に見ないものだ。飛行機を飛ばすぐらいの資金を使うならば、もっと有効な宣伝がネットなどで可能だということだ。キドカラーの飛行船、飛んで来ないかなー。スヌーピーの飛行船は、いま、鹿児島あたりを飛んでいるらしい。早く来い来い。待ってるぞ。

3 月 9 日、とある重責から解放されて、というか見納めて、自由の身に戻った。寂しい気もする。何事も経験、その経験は活かさなければならない。あ、それは言い過ぎか、活かせる機会があったらいいな、くらいに構えていて丁度だ。ここ何年かの活動で、東京の地理を少しだけ把握できた。山手線の内側は意外と狭い、そんな狭い所で日本を動かしている、あるいは操っているのかと、ふと思うこともあった。しかしながら、東京はまた、壮大な田舎でもあることに気づいた。関西の、街そのものが文化圏という風土とは、ちょっと違うな、という気がする。ともかく、しばらくの間は、シャトルのように往き来した生活から、落ち着いた活動に切り替えるリハビリが必要だ。さ、物書き、物書き。

3 月 8 日、ギターを抱えて、大学でクラブ活動していた頃の友人と会合を持つ。こうして会うのは 10 年ぶりくらいだろうか。変わってないなーというのが、率直な感想。昔に比べて、みんな、優しくなったかな?そういう気がする。あと何年か働くと定年、ということらしい。生産活動では、リタイアが早いものだと思った。大学のセンセーは、どの道、世の中に役立たないので、長く雇ってもらえるのだろう。昔の細かいことも、話していると、いろいろと思い出すものだ。最後は、一同の集合写真をパチリ。撮影者は?ここで、昔の部長の人柄と統率力が出る。シャッターを押してくれそうな方を、即座に判断して、丁重にお願いするのである。身なりと、身のこなしは、こういう時に大切なものだと思った。私が頼もうとしても、多分、誰も振り向いてくれないだろう。

3 月 7 日、パエリアを食べに行く。壁にいろいろ落書きがしてある。Los borrachos, los ninos, siempre dicen la verdad. ええと、ロス・ニーニョすは子供たちだった。ロス・ボラチョスって何だったっけ?そんな単語、習ったことないぞ。後半は「ウソをつかない」だから、ナントカと子供はウソをつかない、と書いてある。酒場だから、これはきっと、酔っ払いという意味に違いない。調べてみると、酔っ払いの中でも、結構イッてる方の表現らしいことがわかった。スペイン語の表現の幅は実に広いものだ。知り合いのスペイン人曰く、スペイン語は「人をケチョンケチョンに表現する言葉」は世界一多いのだそうな。スペイン語は、ということは、お隣のポルトガル語なんかも、そうなんだろう。ラテン文化恐るべし。

3 月 6 日、パソコンにヘッドフォーンを差し込んでみると、何だか、左の音声があまり聞こえない。ありゃ、左耳がとうとう、イカれてしまってたか。そう心配して、左右を入れ替えてみると、今度は右側があまり聞こえない。イカれたのはヘッドフォーンか。でも待てよ、一応、左右のバランスも確認しておこう。パソコンの設定を見てみると、ありゃリゃ、いつの間にか、左右のバランスが右に偏っている。どうして、こうなってしまったんだ?バランスをいじった覚えは全くないぞ。まあ、何かの拍子に、設定が化けてしまったのだろう。ということは、この所ずーっと感じていた違和感は、バランスが悪かったからなのだ。最近聴きた音楽を聴き直した。バランスいいと、ますます楽しめるなー、... 無駄な時間を過ごしてしまったのであった。

3 月 5 日、スケートで、いまだに会得していないのが、片足で立っている状態から、半円を描いて進んで、止まること。半円を描くということは、少なくとも途中はカーブの内側に重心があるわけなのだけれども、そこまで加速する途中が非常に難しいのだ。いろいろ考えてはみるものの、まだ答えが見つかっていない。少し重心を落としながら出発するのだろうか?少し速度を得てカーブを描いている状態から静止することは、まあまあできるので、その時間を反転したような運動をすれば良いだろうことは「頭では」わかっているつもりだ。しかし、体とエッジの調和が取れないのである。練習するしかないな、頭で考えるばかりでは、何にもならないや。

3 月 4 日、地面を見て、今の時期に芝を探してごらんなさい、と、言われたら、どれが芝であるか見分けがつくだろうか?芝らしきものがあっても、それが野生の麦のような、広がらない、あるいは密生しない植物であるかもしれない。また、芝のように見えても、実はもっと細い、別の植物かもしれない。なかなか、ハードルが高いのである。欲しいのは、野芝。ランナーが伸びていれば、見分けやすいのだけれど、今の時期は枯れ込んでいることが多い。この芝、日光が充分に必要な植物なので、裏庭には生えないし、あまり定着もしない。日当たりの良い場所を、よく探してみることにしよう。

3 月 3 日、お医者さんのマスク、あの、マスクを通して聞こえる声は、くぐもっていて、印象が悪いなーと、密かに思っている。マスクは、細かい隙間を通して空気を出し入れする機能があれば良くて、柔らかい素材で作られている必要はない。少なくとも、部分的にでも、硬い多孔質素材で作られたマスクがあれば、もう少し声の通りが良いのではないかと思う。ターゲットとするのは、1 kHz 以上くらいの音の成分だ。ええと、波長にして 30 cm 以下か。... と、調べてみると「透明マスク」というものが販売されているではないか。表情が見える様に、マスクの大部分が透明になっているものだ。まあ、そういう解決方法もあるか。お医者さん向けだったら、もっと高価に、エアカーテン付きのマスクなんかも売れそうなんだけれど。

3 月 2 日、確定申告、昔に比べたら随分と簡単になったものだと思う。ブラウザーで自動作成できる様になる以前は、電卓片手にバタバタと計算しては切り捨てを繰り返して、ようやく出来上がったーっ、と感激して提出したら、「ここの計算が間違ってます」と、直ちに見つかって再計算、そんなことが何度もあった。我々、サラリーマンの確定申告は超単純なものなのだけれども、それでも慣れない作業に1日が潰れたものだ。今はというと、ものの 10 分くらいで書類が出来上がって、それを持って行って、税を納付しておしまいだ。税務署で立ち会う係員の数も、減った様な気がする。青色申告のコーナーは、女性が多かった。細かい作業と計算には、女性が向いているのだろうか?ともかくも、去年に出版した本の印税の2割ほどを、新たに納税することになって、今月はもう、月頭から財布が空なのである。月末まで、どうやって暮らそうか?

3 月 1 日、企業の就職説明会に、面白いネタが転がっていた。折れ線グラフに雨を降らせて、水を貯めるという問題だ。例えば x = 0 から x = 100 の間の、x が整数値の場所で、それぞれ高さを表す数値が与えられていて、その間を直線で結んだグラフを考える。このグラフは、単純に、整数値を順番に 100 個入力したら、定めることができる。グラフが凹んだ所には、雨水が貯まって池ができる。その池の水の総量を求めるんだそうな。出題では、コンピューター言語を用いて計算することとなっている。配列変数を使えば、比較的簡単に計算を進めることができる。ただ、バグを生まないように、また入力する数値のチェックなど、プログラミング上の注意点は多い。配列を使わなければ?多少、計算の手間がかかるけれども、スタックに積む方法で、メモリーの使用量を抑えることは可能だ。ただ、この方法はあまりお勧めではない。ともかく、この出題は、回答者のプログラム技術や経験を試すには、なかなか良いものだと思った。
1 と 2 月の1行日記