← 7 月と 8 月の1行日記  

6 月30日、帰国。体力を使い尽くして、梅雨の日本に戻る。養生しておかないと、この夏は乗り切れないぞ、と、用心してかかる。幸い、今日は気温が比較的低い。が、涼しかったブラジルの Natal や San Paulo や、乾いて涼しいアムステルダムに比べると、既に汗ばみ始めている。また、10日ほど、ほとんど歩かない生活を送ったので、これから先の神戸大学登山は、しばらくの間リハビリとなる。養生しつつ、がんばらないと。さて、週明けの月曜日から仕事、という感覚なんだけれども、月曜日は吸い込まれて消えてしまっている。その消えた1日の間に届いた仕事を、まず関西空港で少し前処理。連絡というのは、連絡を受けたヨという確認をまず先方に出すことが肝要。さ、仕事、仕事。

6 月29日、圧縮された1日、とは、このこと。もともと、ブラジルと日本の時差は 12 時間なので、戻る時には3日間の旅程から半日分がどこかに消えてしまうことになる。さて、エールフランスで提供されていた大西洋横断航路でのインターネット、KLM でも使ってみようかと電波を探すと、ない。何もない。よーく思い出してみれば、KLM の使っている 777-200 は機体の背中にアンテナを収納した突起物が無いのであった。航空会社によって、サービスもそれぞれか。アムステルダムで乗り換えて、今度は大阪行き。続けて乗ったら、絶対後の方がしんどいだろう、と、思っていた。が、実際は逆。最初の大西洋超えに比べると、なんと日本行きの便の快適なこと。気持ちの持ちようなんだろうかな、疲労というのも。

6 月28日、Natal 空港からの出発は午前3時よりすこし前。この時間に出ると、サンパウロで朝一番から活動できる、という夜行便なのだ。眠たい退屈な3時間、付近からゲホゲホと咳き込む声、こりゃ、また、帰国した頃に風邪っぽくなるかな? まだ雲の中と思っている内にサンパウロに到着。高地なので、朝霧がかかっていたのだ。空港での待ち時間12時間以上。色々と考えて、空港内の Fast Sleep を利用することにした。造りは、木銭宿に近い。江戸間3畳くらいの縦の半分に2段ベッドがあって、それっきり。水回りもちろん無し。近くに共用のトイレ洗面所あり、そんな感じ。わざわざタクシーに乗って、空港を出てホテルで過ごすよりも、気楽に使える。足りないものは、チョイと空港を回れば手に入る。電源と wifi が使い放題なのはいい。まあ、CDG では両方とも無料で提供されていたものだけれども。→ と思ってたら、昼になってお客さんが増えてくると、ネットが再び落ちる。どこも細いね、接続が。乗り継ぎの Amsterdam 便に乗り込んで、やれやれ。

6 月27日、さあインターネットでフライトにチェックイン。と、考えていたら、意外なことに「この便は web チェックインできません」との表示が。航空会社をまたがっての便なので、それぞれの窓口へ行って、古典的にチェックインする必要があるのだと、説明書きが。まあ、次のフライトはサンパウロまでなので良いだろう。サンパウロには、自動チェックイン機があるはずだから、そこで作業するか、あるいは Air France / KLM のデスクで、のらりくらりと質問すっか。大切なことは、搭乗券の半券を紛失しないことだ。これを紛失したら、改めて有料の搭乗証明を取り寄せる必要がある。ともかく、空港への移動の「午後11時」まで、もうひと休みしておこう。→ ガタガタと田舎道を走って空港に到着。中に入ると冷房ギンギン。冷房するのがサービス、ということなんだろうか。ここで、日付が変わる。

6 月26日、会議も終盤となり、今日は夕方からポスターセッション。すぐ 15 分ほどバスに乗った場所に研究所があるから、そこでポスターセッションを行うというアナウンスとともに、バスに乗り込んだ我々は、果たして、郊外の豪邸のような場所へと案内された。入り口はガードマンも立ってて研究所という感じ。中も、まさに研究所。が、案内されたのは、その裏庭。導かれるままに進むと、プールに噴水があって、ミュージシャンがギターを抱えて生バックミュージック、テーブルの上に沢山のつまみと、バーカウンターから次々と運ばれて来る飲み物。そうだった、ここはラテンアメリカだということを忘れていた。そういう中で、あちこち、立ち話しつつも物理を語ってるのが、これまた物理屋の悲しい習性か。ひと通り飲み食いしたところで、一人、また一人とポスター会場に足を運び、そこでもまた、熱い議論が。

6 月25日、今日は研究会モード。朝から、公演が、ええと、11 件か。さすがにみんな、最後の方は頭がフリーズしてたみたい。コーヒーブレーク入れても、なかなか気力が続くモンじゃないね。夜に、徒歩で近くのレストランに行く。何だか、洒落たメニューが書いてある。何かな〜と思ってると、まず前菜がマヨネーズっぽいクリーム四種にカリカリのパンを突っ込んで食べるもの、一皿目がエビのマヨネーズソースのパイ包み。これは、ファーストフードの揚げ物を想像するといい。ただ、中に入ってたエビはうまかった。二皿目がエビのリゾット。そしてデザートが、これでもかと重くて乳脂肪たっぷりのチョコレートムース。さすがに完食できず。全体的に、油っ気のあるものでまとまっていた。中くらいのエビだけは、美味しかった。日本で食べてる冷凍エビ、あれ、冷凍前の下処理で美味しさが逃げてますね、たぶん。

6 月24日、またまた未明のメールチェック。水曜日には仕事のメールも増えて来る。今日は午後がフリーだから、昼寝しよう。どこかに旅に出るなんていう時間と体力は残っていない。そのまま日本に居ても、こなせないくらいの量の仕事が溜まっているのだから、片端からやっつけて行かなければならない。そういう、仕事か、あるいは休養に充てることにしよう、この貴重な午後の時間は。昨年の、スペイン出張の時も、そうやって切り抜けたことを思い出した。→ こちらは今、雨季。土砂降りのような雨が降り続く季節。今日の午後は、パッと珍しく晴れ渡ったので、昼寝するのはもったいない、海岸に出て、ずーっと海を眺めて過ごした。いろいろと話したかもしれない、遠く離れたブラジルの海ならではの、想いもあるんだと思う。

6 月23日、未明に起きだして、メールの返事、ネットサーフなどする。日本との交信時間は限られているので、仕事関係のメールは、こちらの深夜早朝に応対する方が都合が良い。ついでに、ホテルのネットが貧弱で、みんなが使い始める時間帯にはロクな応答がない。今日の公演を聞いていると、高エネルギーの有限系と、低エネルギーの有限系を接続して、そこから先の時間発展を見るというテーマのものがあった。結果として示されたグラフに、対数スケールでヒヨ〜ンと曲がって直線に落ちるグラフがあって、会場の片隅から「それは q-exp だ」という鋭い指摘が上がった。声の主は? 言わずと知れた大御所でございました。神戸にも、ツァリスエントロピーの専門家が居ることを、後で教えてもらった。茨城の方に話を振ると、ああ、良く知ってるよ、と、ニコッとされていた。

6 月22日、「あの眼光鋭いおじいさんは誰?」というのは、よく経験すること。ありがたくコメントを頂いたので、お名前を調べてみよう、と検索して、えっ? … あのおじいさんが、かの有名な Tsallis でございましたか。事前に知らなくて良かった。知ってたら、統計力学について色々と吹聴することなんて、できなかったろうから。いわゆる entanglement entropy が additive に「必ずなる」かどうか、質問を振ってみようかな〜、会議の途中で誰かに。単純な反例として、トポロジカルエントロピーというものがあるけれども、これは熱力学には顔を出さないから除外して考えよう。massless な場合に、ひょっとしたら、Tsallis Entropy みたいな形のオツリがあり得るかもしれない。で、会議の初日の最後という、疲れが溜まっている所で、いきなり 90 分も公演したから、疲れ溜まって、もう夕食はパス。寝た。

6 月21日、日付が変わってサンパウロ。何となく雰囲気はスペインっぽい。でも、聞こえて来るのは、スペイン語とフランス語を足して2で割ったような、ポルトガル語。ええと、両替をし忘れるというミスをしたまま次のフライトに搭乗するゲートまで来てしまった。あ〜あ、行き先の Natal で両替するしかないな。極力クレジットカードで済ませよう。→ Natal 到着。両替する。地方の空港だからなのか、レートがえらく悪いけれども、まあ持ってないと困ることもあるだろうから、少額を両替して、ホテルへと向かう。空港に集まった参加者と一緒に、トコトコ一時間のバス旅行。熱帯らしい風景で、道路はガタピシ、赤土、道端はゴミというか風化しつつあるものが積もって、バイク多し。でも、何となく落ち着いた光景。

6 月20日、今日は移動日。まず 12 時間、ヨーロッパの某都市へ飛んで、そこで何時間か乗り換えを待って、その後またまた長時間のフライトでサンパウロへ向かう。そこが目的地ならば許容範囲とでも言うべきなのだろうけれども、そこで入国審査を済ませて、荷物を受け取ったら、ブラジルの国内便に乗り換えて更に4時間飛ぶ … という予定。たぶん、フライトの距離を全部足すと、地球の半周分を超えている。CO2 消費量で換算すると、エラく環境に悪い移動ということになるだろう。まだまだ、旅の途中なので、さて、これからどうなりますやら。→ 最初のパリまでのフライトは、今までになく短く感じた。これまでは、12 時間も缶詰になるのは大変だ〜と思ったものだ、「その先」があるのと無いのでは、こんなにも違うものか。→ ごく短い滞在のヨーロッパ、ここはパリの Charles de Gaul 空港。5時間ほど待ち時間があるので、主に国際会議の準備。が、しかし、段々と耐え難い睡魔が襲って来る。そこで散歩。しばらく散歩したら、また準備、その繰り返し。マカロン売ってたので、三枚ほど買って食べる。ユーロ高い。だれだ〜、発行しては日銀に引き受けさせているのは。そうこうする内に搭乗時間となって、またまた長いフライトに … いや、実は、どれくらいの時間だったか、あまり覚えていない。気がついたら、もう着陸時間となっていた、そんな感じ。ある距離を超えると、時間の感覚が狂って来るのかもしれない。準備しながら、実は居眠りしていた、というのが実情かもしれない。

6 月19日、小学生の理科の実験で、塩やミョウバンの結晶を作ったものだけれども、最近でも同じように作っているのだろうか?結晶には表面がある。そして、その表面は原子単位で平らだ。それだったら、平らな鏡なんか、結晶を持って来て表面に金属メッキすれば良いような気がするけれども、ある大きさを超える完全な結晶というものは、なかなか作れない。従って、目に見える大きさの結晶は、小さな「欠陥」を所々にかかえたモザイクのようなものだとイメージするのが良いだろうか。ともかくも、原子レベルで平らというのは、驚くべきことだ。室温では、色々と「平らなものも丸くする」熱の働きがあるとも考えられるからだ。この辺りのバランスをうまく説明するのが統計力学で、さて、月曜日にブラジルへ行って、どう説明したら最も良く理解してもらえるか、と、思案中なのである。

6 月18日、ルミナスという有名なレストラン船が、神戸でながらく活躍している。人口の多い首都圏では、もっと大きなレストラン船もあるんだろうと、今まで信じ込んでいたのだけれども、実は「日本最大」のレストラン船なんだそうな。船足もまあまあ速くて、急げば 20 ノットくらい出るらしい。急がなくても、その辺りを航行している客船に次ぐ速さで、大阪湾をスイスイと航行して行く。このレストラン船の上で、国際会議の夕食会が行われるなんて、想像できるだろうか?物理屋さん、化学屋さんが集まって、わいわいと、にぎやかな夜がふけて行ったのであった。

6 月17日、揚げ物は不思議な料理だ。最初に目にする食材は、ごくごく小さい。それに、薄く粉を引くだけで、もう重量が1割は変わって来る。そこに水気がついたりしたら、ますます重くなる。その段階で素揚げしても、素揚げではないのだ。衣を更に乗せると、全重量でも軽く「油と衣」が半分を超える重さになるし、カロリーで計算すると、とんでもない増加を見せる。これが、唐揚などの魔術。これは水増し、いや油増しやろ〜と思って、素揚げにすると、本当に味も素っ気もないものに仕上がるのだから、料理というのも不思議なものだ。素材を活かすという言葉と、素材そのままとは、方向が違う概念なのである。化粧という漢字の成り立ちをよく見ると、似たようなことなのかな〜と思ったりもするのである。

6 月16日、職場の中庭に木が生えている。鳥が運んで来た種から育った木だ。もう、何年目になるのだろうか、人の背丈を越えるまでに大きくなった。鳥は色々なものを運んで来るもので、同じ場所に、カエデやら、クスノキやらと、色々と、それぞれ大木になる芽が生えて来ている。同じ種類の木であれば「双樹」という育て方もあるから、そのまま育てれば良いには良いのだけれども、クスノキやカエデとなると話は別だ。なるべく大きくならないよう、盆栽仕立てにしなければならない。地植えの盆栽は、しかし、結構面倒なのだ。盆栽は根が限られているから盆栽なのであって、地植えだと、どんどん幹が太くなってしまう。さて、どうしたものか。いずれにしても、木の寿命は長いものだから、誰でも管理できるようにしておかなければならない。

6 月15日、太陽は、すでに夏至の位置に座っている。正弦関数を見てわかるように、夏至の前後1カ月くらいが、本当に太陽が照りつける期間だ。ここに梅雨が入っていることに感謝しなければならない。神戸大学から見ると、摩耶山の向こう側がいつまででも明るい。その昔、仙台で働いていた頃には、かなり夜遅くても北の空が紅色であることを不思議に思ったものだ。そして夏至祭りの思い出。仙台に居た頃に通っていた、とある語学学校で、毎年のように夏至祭りが催されていた。始まるのが夜の9時頃で、終わるのが未明。そんなんエエんかいな?と思わなくもないんだけれども、なにぶん、おおよかな昔のことだから、成人してるかどうか怪しい参加者も居たような記憶がある。(←かなり遠慮して書いてある。)この時期は朝もけっこう早いので、未明に起き出すと、カナブンが地面から出てきたり、もうしばらく経つとセミが羽化したり、なかなか忙しい朝となる。夏だな〜

6 月14日、松の樹は、苗から育てると、真っ直ぐに立ち上がって、途中から左右対象に芽を出して行く。そのまま大木になるまで育てると、松らしい樹形となって行くのだけれども、最初はそうではない。フォークのような、みっともない形になる。従って、盆栽でなくても、小さな庭木に育てようとするならば、最初からバシバシと剪定して行かなければならない。なかなか面倒なことだ。本には「ゆっくり育てるほど良いとされる」なんて書いてあるけれども、針葉樹は切りすぎると予告なく枯れる。この辺りのサジ加減は、松に聞いてみるしかない。なお、西洋の庭園で松を育てる時には、このような松の性質を利用して、本当に幾何学的とも言えるように、真っ直ぐ仕立てることもある。デザイン感覚は、好き好きかな。

6 月13日、三宮のセンター街の入り口で、立って歌うオッチャンあり。立ち止まって聞く人なし。あっそ、カラオケ、頑張ってネ。と、横を過ぎ去ろうとした時、バッチリ素晴らしい歌声が聞こえて来た。ええっ?と思ったのであった。あの目立たないオッチャンが?そこで U ターンして、しばし立ち止まって聞く。上手い。と、1分も経たない頃、 B メロあたりに入った頃に、許可なき路上占有ということで中止の指示が出る。これは仕方ないよね、そもそも、あの場所で占有許可取るのは大変だから。ああ、残念。オッチャンに話しかけてみると、神戸辺りでライブやってるのだそうな。ストリートでファンを増やす、たぶん後ろ盾があんまりない芸人さんは大変やなーと思った。我々、物理学者は、何を芸にして生きているんだったっけ?

6 月12日、最近、よく画面の右側に出てくるメッセージが「電池残量低下」だ。これは、ワイヤレスにしなくても良いものをワイヤレスにしてしまったという、コンピューターの悪しき歴史が、電池という消耗品を必要としたからだ。キーボード、マウス、パッド。3個もあれば、何やかんやで、常に「電池残量低下」が出っ放しとなる。ちゃんとアルカリ電池使ってるし、そんなに使わないものでも常々通信して、エネルギーを無駄遣いしてるんやなーと。転送レートが高すぎるのかもしれない。昔の機器みたいに、キー入力して「しばらくしてから」画面に文字が現れるくらいでちょうど良いのかもしれない。あの「スローな」タイプライターはタイピングを鍛えるのに役立ったものだ、等間隔で、粒ぞろいに打って、間違いのないように入力すれば、それに答えて、「しばらくしてから」紙に印字してくれた。今は、打ったらその瞬間に画面に出る。結果として、バックスペースを押しまくるという、悪いクセがついてしまう。ま、キーボード自体が、あまり使われなくなったのかもね。

6 月11日、懸案の某コンパイラ、答えは「既に正しくインストールされていた」であった。じゃあ悪いのは何か?というと、プログラムを転送した手順。ごく短いプログラムだからと、ソースをメール添付にするのではなくて、ソースを「コピー・ペースト」で、メール文面として送っていたのだ。こここで、メールソフトが思わぬ悪さをする。スペースを、スペースに見える別のコードに置き換えていたのだ。これに気づいたのは、ターミナルの上でプログラムのソースを more したり cat した時に、正しく表示されないからだ。原因さえ突き止めれば後は速い。コードをスペースに戻して、コンパイルすると、一発で通った。この一連の騒動もまた、最初から定石に従って「コンパイルできないソースがあったら、半分にしてどこに原因があるか突き止めよ」という作業を行わなかったから、気づかなかったのだ。初心を忘れていた。

6 月10日、物理屋さんにとって苦手なことは何かというと、日頃使っている道具としての数学を、順序立てて教えること。例えば、線形代数というものを、代数の定義から始めて、線形性を入れて、表現としての行列やベクトルに立ち入って、という手順を踏み外さずに、また冗長でもなく、そしてわかりやすい形で提供することは、なかなか面倒なのである。パッと全部、体系として示しちゃうとエエやん、という声が聞こえて来そうだけれども、それは教育とは呼べないのだ。さて、どうしたものかと、思案、そして思案。ま、ササッとくぐり抜けて、実質的に面白い話へと飛んでしまうのが物理屋の常だけど。

6 月 9 日、ノートパソコンで、久々に某コンパイラを走らせようとして失敗。つい、この間まで、乗り換える前のパソコンで使っていたものだから、同じ手順でインストールすれば良いだろうとタカをくくっていたら、見事に沈没。どうも、コードの処理がちょっと違ってるみたいで、理解不能の文字列があるとのコンパイルエラーが出る。初心に帰って、テストプログラムを食わしてみないとダメだなー、どこで引っかかっているかを調べるには。某コンパイラなんか使わずに c にしろというプレッシャーは感じるのだけど、無視。

6 月 8 日、今日の夕食は弁当。ひと通り、惣菜を買い揃えた後で、うなぎ屋のオヤジと目が合う。今日は、ウナギを食べるつもりはなかったのだけれども、まあ挨拶で終わっちゃぁ何だ、串を一本買い求める。さて、宿に戻って来て、さあご飯だ、と、惣菜を広げた所で、箸が無いことに気づく。う〜ん。手で食べるか?そこでハタと思い出したのが、ウナギの串。先に、チビチビと串から味わって、食べ終わった串を洗って箸にすればいいんだ。そして、その通り実行。何も問題ナシ。憎いサービスだねー、ウナギ屋に足を向けては眠れねぇ。ありゃ、言葉がうつったかい?

6 月 7 日、神戸空港から空を見上げると、ピーチ航空が飛んでいた。これは、旋回して関西空港に着陸して行くコース。じーっと目で追って行くと、どこまでも見える。そこで望遠レンズを取り出して更に追うと、関西空港がバッチリ見えて、着陸も捉えることができた。へー、天気さえ良ければ、関西空港という海面スレスレにある設備でも、神戸空港から見えるんだ。さて、そこから到着した羽田空港で、ぼーっと外を見ていると、カッコいい大型特殊車両がやって来た。ANA LAVATORY SERVICE と書いてある。あ、これは、バキュームカー。飛行機は、大きな鳥だもんネ、「うんち車」も必要だよネ。

6 月 6 日、地下食品売り場で、とこぶしを仕入れる。アワビだったら、まず取り外して、下処理してから調理となるのだけれども、とこぶしは小さいだけに面倒くさい。汚れは充分に取って、サッサと下蒸しする。そして身を殻から外して、処理して、食べる部分だけを更に煮込む。うん、まあまあ、いい味している。ちなみに、食べる部分の量と値段の比について語るならば、実はアワビの方が安い。体積というものは、物差しで計った長さの三乗だということを、台所の財布感覚で覚えるわけだ。だいたい、貝類は殻付きで買ったら、7割8割は食べない部分だ。魚も、身は半分くらいかなー、後は色々と苦労して食べる訳だけれども。

6 月 5 日、簡単な計算プログラムを一時間ほど眺める。結果が全然おかしいのだ。ぜーんぜん。一時間眺めて、みつけたことが、(sin x, cos x) の微分が (cos x, sin x) になっていたという、単純なミス。当然 (cos x, - sin x) が正しい。そんなの、値を書き出してチェックすれば、ものの5分で見つかったはずなのだ。デバッグの基本に立ち返ることを怠った慢心の結果として、一時間をドブに捨てたのである。昔と違うことはというと、バグを見つけた時の反応。「やった〜」と飛び上がって喜ぶのが昔。「あーあ、みつかっちゃった」という虚しさが、どどっと疲れを呼び、ついつい FB や Twitter に手を伸ばす。あかんあかん、仕事の合間に見るようなことしたらアカン。

6 月 4 日、ゴーヤを買って来て、切る時に、ちょっとひと工夫。両側から、種がありそうな所の手前まで、浅く刃を入れて、ぱっと二つに割る。種を傷つけないように取り出して、ワタも調理して食べる。それだけ。種は、植えて苗にする。収穫はちょっと遅くなるけれども、今からでも、十分に間に合うのである。都会ではソーラーパネルとやらが流行っているようだけれども、光が当たる部分にはサツマイモでもゴーヤでも花でも何でも、育てて欲しいなーと。そういう「都心農業技術」が未熟であるのが現代であるということを、後世の人々はきっと指摘するに違いないのである。理想的には、ビルなどの建物に薄く張り付いて、雨風を遮り、しぶとく光合成する「バイオ膜」なんだよなー、都会向けなのは。巨大サボテンみたいなビルはいかが?

6 月 3 日、三角関数のテイラー展開は、よく間違える計算の代表格だ。どこが難儀なのかというと、純虚数を使わない限りは、符号の方は (-1) の n/2 乗、係数の方は n 乗と、肩に乗る係数が倍になるので間違えやすいのだ。ついでに、偶数項だけのものと、奇数項だけのものがあって、これまた 1 を引く、引かないで面倒なことになる。結論は知っている、あるいは容易に検算できるので、結果が間違っていれば直ちにわかる。従って、よく遭遇するのが、途中の式はボロクソに間違っていて、最後の結果だけが「公式のように」バッチリ合っているという「式の導出」である。これには、二重丸をあげるのが良いと思う。決してバツにしてはいけない、たとえそれが丸暗記に基づくものであったとしても。

6 月 2 日、むかーしのノートをひっくり返してみたら、接続や測地線を延々と計算したものが出てきた。どういう経緯で、こうなったのか?というと、適当に凸凹した曲面の上を運動する粒子の量子力学的な取り扱いを考える時に、ひとまず古典軌道を押さえておこうと考えたわけだ。いつのノートかというと、D1 の頃のものであった。いま考えると、そんなものを計算する前に、おおよその予測を立てて、干渉効果による局在について予め何らかの見通しを立てておくべきなのだけれども、当時はともかく、測地線なのであった。まあ良いか、そんな経験もあったから、曲率テンソルなんていう用語が飛んで来てもビビらないようになったのだから。

6 月 1 日、月日は流れて、昔見た風景を逆方向から眺めることも良くある今日このごろ。あるいは当時は気づかなかったことなど、今になって思い返せば、その意味がじわじわーっとわかってくることなどもある。悪くはないことだと思う。今日いろいろと伺ったこともまた、きっと、後から後から新しい意味がわかってくるにちがいない、忘れてしまうという自然現象に抵抗することが幾らかでもできるならば。そういえば、マッチを見たのは、いつが最後だろうか?マッチをすったのは、いつが最後だっただろうか?大きな箱にマッチがたくさん入っていた、今はもう昔話である。

5 月31日、北の空はうろこ雲、南の空は高層雲、きっと、その南には、前線の雲があるにちがいない。ジェット気流が真上にあるかと思って、天気図を見に行くと、それは日本海。既に、ジェット気流は北へと逃げていたわけか。これから先が、日本にとってのモンスーンの季節となる。(用語の使い方が間違ってるかもしれない。)日差しは、もう完全に真夏である。お昼時の影は、ホントに足元に落ちる。影法師の撮影は夕方の楽しみに。なお、職場では、夏の夕日は無いものとなる。夕方となる前に、摩耶山に太陽が隠れてしまうからだ。再び夕日が拝める頃には、もう秋なのだ。

5 月30日、野菜スープを日に2度つくる。自分の好みは、水気があるかどうか、わからないくらいのスープ。汁気がなければ、ちょっとだけ塩を振るだけで、塩味もつくし、野菜の甘いエキスも、濃厚な状態で味わうことができる。薄く水で伸ばすと、要するに水を飲んでいることになるし、塩味にも気づきにくい。タップリと塩を入れたら、今度は塩水を飲んでいることになる。やっぱり、野菜は、野菜らしい味で食べたいなーと思う、贅沢ものの私であった。巨大なズッキーニ、売ってないかな?!

5 月29日、とある国の領事館へ足を運ぶ。旅の開始は夜明け前、もう空は白んでいた。そして、ちょっとした長旅の後、到着。事前に調べた情報では、業務開始の定刻に行くと、既に行列が出来ているとのこと、1時間以上の余裕を持って出向いた。実際、それくらいで、丁度良かった。査証というのは、どこの国でもジックリと審査するものだ、何度でも出直す覚悟の上でやって来たのであるけれども、質問が出ると冷や汗なのであった。書面上の不備な点については修正ということで、とりあえず継続審査。ありがたい事である、継続なのである。そして、またちょっと長旅の後、お昼前に戻って来た。そこから先は、午後のセミナーを二つ。最初の方は、眠気がやって来て、何度か気が遠くなった。二つ目は、何とかなった気がする。

5 月28日、Hubbard Model, ハバード模型。これは Gutzwiller, Kanamori, Hubbard が、ほぼ同時期に独立に提唱した模型だ。この3名の名前で検索をかけると、nature の記事が引っかかって、ちゃんと3つの原論文が引用されている。wikipedia はどうかというと、フランス語のページには、ちゃんと3つ掲載されていて、英語は Hubbard だけ。ドイツ語と日本語は?Gutzwiller と Kanamori が引用されているか? というと、さにあらず。あかん。今まで、wikipedia の編集には関与しないつもりだったけれども、そろそろ、方針転換する必要あるのかなー。みんな見てるし、ちょっとどうかなーという誤記を目にすることも多いからなー。でも飛び込んだが最後、人生の貴重な時間を失うことは明らかだ。ちと、思案。

5 月27日、プログラムの虫、バグと呼ばれるのは、要するにプログラムに含まれる誤りだ。昔は、バグ取りというと、プログラムのあらゆる場所に罠を仕掛けておいて、そこに引っかかった情報からプログラムの動作を検証して、修正して行った。オブジェクト指向になった今、人々はいったいどうやってバグ取りしているんだろうか?というのが、ちょっとした疑問。バグが出ないように、変数の宣言にも気をつけるべしというのが、教科書の教える所なのだけれども、どうも、科学的なソースを見ていると、えいやっと全部の変数がグローバルなスコープを持っていたり、何でもかんでも最初にクラスインスタンスを造っておいて、あとはデッカいメインルーチンに突っ込んでるとか、こんなんでエエんかいな?というのが良くある。要するに、一人で計算が完結してしまうタイプの科学計算においては、一人の人間が気を配れる範囲というのは、あんまり変化していないので、昔ながらの書き方で動けばエエやんという開き直りなのではないだろうか。ちなみに N88 Basic、今のパソコンで動かしたら、きっとメチャ速いに違いない。

5 月26日、いも虫に毛虫。どんどん出てくる。取っても取っても出てくる。取る?摂る?獲る?補る?漢字はどうでもいいや、ともかく時間を変えて、補足。大抵、葉の裏側に居る。表に出てくるのは夜の間だけ。良くできているものだ。夜盗虫みたいに、夜にならないと出てこないのも居るので難儀。暗くなってから、外に出て探す。こういうのは、集団発生するから、気が付いた時には数十匹は軽く居る。目につくのを取って行くと、指数関数的に減少して行くから、被害も減るだろうと思ってしまうのだけれども、そうではない。個々の個体は、指数関数的に大きくなって行くのではないかと思う。取っても取っても、どんどん葉が減って行くのである。でも、取らないと全滅なのである。努力あるのみ。

5 月25日、簡単な物理ほど難儀なものはない。目の前に玉があって、それをグルグルと回すと回った、そんな問題でも、ふと質問されると沈没するのである。「回転している玉の、回転軸になっている点は、いつも同じなんですか?」... ええと、一番上に見える所は、そのまま同じように見えるんだけれども、ホントに動いてないかどうか?と問われると、不動だと自信を持って言えないのである。動くとしたら、その動きの中に何か物理があるはずなのだ。これは「非ホロノミック」な拘束系の代表例ではないだろうか、運動に自由があって、かつ球と言っても、必ず形が歪んでいるし、質量分布にも偏りがある。そんな摂動効果が、運動にどう反映するのか、そういう詳細もまた「運動を支配する可能性があるならば」関心を持ってしまう部分なのである。

5 月24日、中等教育 (?) の英語の授業を、原則として英語で行うという話が聞こえて来た。現場はどうなるんだろうかなー。英語にしても何にしても、言葉というのは「話す相手にどんどん影響を受ける」ものなので、教員といえども生徒と毎日のように話すばかりでは「学校英語」というヘンテコなものを形成するばかりとなる、そういう危険がある。春休み、夏休み、冬休みに、ゴールデンウィーク、年4回くらい「英語研修旅行」させるくらいの財布も用意しておく、それくらいの覚悟があるんだろうか?外注という手もありそうな気がするのだけれど、大学とは違って、初等中等教育では免状の無い者は原則として(主たる教員としては)教壇に立てない。さて、どうなるんだろう?

5 月23日、サボテンの栽培に良い砂は?と聞かれたら、川砂と答える。特に、美しい地層から削られて来た川砂は、とても見栄えが良い。が、これを入手するのは、けっこう難儀なのである。工業用の砂の浚渫を行っている川は多いけれども、農業用とか、一般の販売用に砂の採取を許可している川は少ないし、許可していたとしても一般人がバケツを持って行って採取できるような形態ではない。まあ流通はしているので、何らかのルートがあるんだろう。火山灰とかパーミライト入りとか、色々とある多肉植物向けの園芸用土だけれども、やっぱり、粒の揃った粗めの重たい砂が扱いやすくて、植え込んだ時の安定も良い。吉野川を歩くと、その砂は格別に美しい緑色なのだけれども、あれを園芸用として入手した経験はない。売ってるんだろうか? 砂とはいえ拾って来る訳には行かないので、常々、眺めて通り過ぎるのである。

5 月22日、日本の刃物が好きな外国人、結構居るようだ。和食とともに刃物が改良されて来た結果として、切った断面に「生の美しさ」が出るよう、硬い鋼を(少なくとも刃物の裏、つまり左側の面が)一直線に研いだ刃物が流通し、調理の現場でも使われている。これは、そういう刃物「も」あるという事で、大根をぶった切るような時には、ステンレス製の普通の洋包丁も良く使われる。さて、これらの包丁のことと、日本刀の伝統についての妙な知識が頭の中で混ざると、ヘンテコな話になって来る。日本刀まで行かなくても、剃刀や鉋の刃付けと包丁の刃付けを比較するような話を吹っかけられると「あんたエエ加減にせい」と返事するほかない。道具というのは、目的があって、選ぶものだと思う。勉強や学習にも、専門になれば、そういう一面があるかもしれない。一方で初等教育では、少なくとも時々は教室に集う、このことの意義の方が大きい。

5 月21日、荒れた天気が去って、すっきりとクリアな空。すでに夏の装い、と思うのだけれど、日差しが真夏よりもきつい。大気の高さが、まだ足りていないのだろうか。人の視界は、あまり紫外線に影響されないので、季節が変わっても、そんなに景色が違って見える訳ではない。ついでに視覚には恒常性があって、条件がチト変わったくらいでは、見え方に違いが出ない。脊椎動物は、たぶん、そんな感覚を共有しているんだろう。魚とか鳥とか、色覚が違うという話だけれども。昆虫はどうなんだろうか?今日みたいな日は、世の中が鮮やかに見えているんだろうか?聞いてみたいものだ。

5 月20日、飛行機の乗り心地は、どこがいちばん良い?これは難しい問題。主翼の上の中心線辺りが、フラフラとは動かない場所。ただ、スポイラーやフラップやギアダウンした時の振動がモロに伝わる所でもある。着陸時にも、いちばん衝撃が大きい。いちばん前は?確かに静かで、クラスの高い座席になっているけれども、ふわっと浮くような感覚があって、人によっては嫌うかもしれない。いちばん後ろは?エンジンの爆音からけっこう遠くて、比較的静か。但し、尾翼の細かい操作が増えて来ると、上に下に左に右に、突然振られる。結局のところ、どこに居ても気流から逃れられるものではない。長い時間乗るのは、江戸時代の「カゴ」に揺られて東海道を旅するようなものだ。あれはきっと、歩いた方が楽だったに違いない。

5 月19日、風邪が3週間でだいたい治った、と、喜んでいたのだけれども、また新しいのに感染してしまった模様。ここ1年間くらい、何も風邪をひかなかったので、世の中の進化に免疫が追いついていないのかも。ウィルスというのは、とっても進化が速いものらしい。生物ではない、ということになっているんだけれども、世代交代のある、変わり者だ、ウィルスは。何も好んで多細胞生物に取り付かなくても、世の中細菌など単細胞生物がウヨウヨしてるではないか、とは思うのだけれども、ウィルスの攻撃は等しく (?) やって来る。ま、追い出してあげましょう、私の免疫という辞書に記録した後で。

5 月18日、エレベーターの扉が開くと、グラス片手に上機嫌の、欧米系のオバサンが一人。ハロー、こんにちは、なんか話しかけてくる。てきと〜にやり過ごして、一階に到着したらレディファーストでアチラへ。既に、ゾロゾロとみなさん集まってる様子。やがて、集団でドドーッと歩いて出て行った。歩いて旅を楽しむ、これはなかなか良いアイデアだと思った。アジア系だと、大抵の場合、観光バスに乗ってということになる。旅の楽しみ方が違うな、そう感じた。そこまで理解してみると、さっきのオバサン、もう少し丁寧に扱っとけばよかったかなーと、ポツリと思う。

5 月17日、小さなメロンとナイフ一本、まな板は無し。さあどうする?しばらく思案して、まず、いちばん上の部分にナイフを入れて、クルリと小さく一周して「栓を抜く」ように穴をあけた。当然「栓」の部分にも身がついているので、ナイフで皮だけ取って、賞味する。後は、その穴を広げるように、四角いブロックを切り出しては、種を取り皮をむいていただく。赤道よりも少し下まで、その調子で行ける。案外、種は崩れないものだ。さて、そろそろ種の部分をビニール袋に捨てて、後の部分は皮をむいておいて、ガブリとかぶりつく。旅先で、まな板が無い時 ― 野山で良くそういう状況に陥る ― にも、大切な食料として果物が色々と食べられる、ありがたきこと。

5 月16日、飛行機で西から東へと飛ぶと、眼下の雲は東から西に流れているように見える。が、風の流れは、実は西から東。雲の形をよーく眺めて、風向を見定める必要がある。今日は前線の北側を飛行。教科書的には、北へ向かって雲の高さが高くなって行き、最後にジェット気流の筋雲へとつかながる、そんな絵を期待するわけだけれども、実際そういう場面に出くわすことは稀で、あちこちで雲が切れている。ひとつの不連続面ということはなくて、多重に層をなしているように見えるわけ。今日もそんな感じで、下層に雲があって、ずーっと北に、上層の雲、その間がスカッと晴れていた。中層って、なかなか直感の効かない層だと思った。

5 月15日、ニンジンは、どこから太るか?という問題。そんなの、皮の所から太くなって行くに決まってるじゃん、そう思っていた。大根の場合は、当たらずとも遠からずで、ダイコンが太るのは「皮からごく浅い所にある」形成層が細胞分裂するからだ。浅いと言っても、1ミリくらい表面から潜った所にある。料理をする時には、この形成層の外側は「筋っぽくて甘くない」ので、和食では「大根の皮は厚くむけ」と指南される。内側は柔らかくて甘いわけだ。渋い外側は、刻んでキンピラ大根にでも調理すると良い。じゃあニンジンは?実は、表面から「半径の半分くらい潜った」所に形成層がある。そんな構造だったら、成長とともに表面が割れそうなものだけれども、表面の皮も何らかの役割を果たしているらしくて、うまく割れずに太ってくれる。もちろん限界は明らかで、大根のように丸々と太ったニンジンというのは聞いたことがない。生物学は難しいな。

5 月14日、台風の強風、その後も続く西風の乾いた強風、いまごろ花が咲く作物に影響が出なかっただろうか。ミカンなど柑橘類とか、ブドウとか。サクランボやアーモンドのように、既に小さな実がついているものは、まあ大丈夫だろう。今の時期は、まだ枝葉が固まっていないので、風に晒されるだけで、葉も茎も花も、チリヂリに縮んでしまうのだ。根が追いついていない、と表現しても良いだろうか。一方で、毎年のように毛虫が出る木を雨上がりに眺めてみたら、吹き飛ばされたのか、毛虫の姿は影も形もなし。これもまた自然の営み。なお、アイスクリーム屋さんの会計も、台風で吹き飛んだ模様。→蒸し暑くなったから、回復したかな?

5 月13日、簡単な電磁気学の問題でも、解くとなると苦労するものだ。まず、電荷が勝手に増えたり減ったりすることが不可能であることの証明。これは、閉曲面上で特異点のない磁場の渦度を積分した時に有限値にはならないという幾何学的要請と Maxwell 方程式が一致しない矛盾から示すことができる。抵抗が発熱するのは何故か?という伝統的問題についても、ちゃんとエネルギーが抵抗の周囲の空間から抵抗に向けて「宙を飛んで」供給されることから示せる。これを電子の散乱による発熱と説明するとドツボにはまる。更に難易度が高いのが、二つの超電導リング。平行電流は、引き合う力を受けるから、電流が流れている超電導リングを宙に浮かせておけば、互いに引き合って、最後はピッタリと重なる。本当のような気がする。一方で、超電導のリングに磁石を近づけると、反磁場でしりぞけるとも書いてあるぞ。さあ、答えはどこにあるかな?やっぱり、こういう時には、マクスウェル方程式にお伺いを立てることから始めないと、思わぬ間違いに遭遇する。

5 月12日、台風がやって来た時に、ちょうど西側から乾燥した空気がやって来る。これ、教科書的な前線の発達機構そのもの。そして、天気図の上では寒冷前線として描かれている前線のうち、台風よりも北側の本州上の部分 --- その南側の部分 --- が、実は温暖前線のような、あるいは閉塞しつつある前線のような性質を持っている。閉塞した部分は地上天気図から消えるという「作図上のルール」は、24 時間後の天気図を見ると実践される模様。そして台風は?というと、四国沖から八丈島辺りで時々みかける、太い人参雲を持った、前線を伴わない温帯低気圧に似て来た。これもまた作図上のルールの話で、異なる気団の間での不連続線で、かつ上空まで前線の構造を持っていて、ジェット気流の対応が付く時に前線を描くという暗黙の決まりごとから言うと、下層の収束が産む人参雲は天気図に表し辛い。なんでもいいけど、こういう時の天気図は、よーく見て頭の中で考えないと、天気が浮かんで来ないものだ。

5 月11日、日本はどう、日本人はどう、日本の教育はどうだ、この手の話を良く見聞きする。何となーく、そんな水準というものがあるんじゃないかと、一般的に考えられているんだろうか?個別に「そこまでやっちゃ〜ダメよ」とか「これくらいは最低限、知っておいてね〜」という個人個人の見識や受容の限度があって、そういう社会の中で人々が「ひどく不利益にならないように」行動する、そういう事にすぎない。「ちょっとした不利益を被るかもしれないけれども、わしゃ勉強なんか知らない」という判断も、「ガリガリ勉強して各賞総ナメにしたる」という判断も、それぞれ尊ばれて良い。教員としては、生徒・学生それぞれの判断を見守るだけである。教える立場から勧められることは「学習しておくと良いこともある」という助言の類いで、「勉強しないとダメになる」と口にするのは教員にあるまじき行為である。いやまあ、そういう風に日々「ダメになる発言」を吹聴しても「ひどく不利益にならない」からこそ、そんな発言が流布されてしまう可能性があるわけだけれども。

5 月10日、街頭で色々な活動を見る1日であった。まず三宮センター街の入り口では、ピンク色の上着を羽織った団体さんが啓発活動。この色の活動は有名な所である。さて、ふと道の向かいを見ると、プラカードを抱えた不思議なデモ行進が。よくテレビ等で報道される、全国的にも有名な活動でもなければ、メーデーの時のような赤い旗を立てる行進でもない。後で調べてみると、様々な団体名で活動している、実はみんな知ってる団体さんだった。「あの主張は何だったんだろう?」という謎も、後から解けた。さて、そこから歩いて元町まで行くと、音楽が聞こえて来る。警察の音楽隊が、交通安全の啓発運動でパレードしていたのだ。上手い。そのまま演奏で飯が食えそうに上手い。実態として、そうなのかもしれない。いいものを見「さ」せてもらった。

5 月 9 日、研ぎものをしていて、研ぎ汁の取り除きが不十分であることが重なったからか、台所に大量の「もらいさび」が発生してしまった。発生していたものに気づいて、取り除きの段取りを考える。簡単なものは、軽く洗剤をまいておけば、タワシの裏側のクレンジングで取れてしまう。問題は、もともとステンレス表面にあった傷に取り付いたサビ。包丁を落としたような時にできる深い傷を放置しておくと、こうなる。幸い、サビは裏面には達していないので、研磨して除去。ここしばらくは、ステンレスの表面との対話が続きそうだ。全部取れたら、最後にステンレス磨き剤でピカピカにしてあげよう。ともかく、動物性油脂が固まった所に鉄の粉が付着しないよう、毎回の研ぎ作業の後で十分にクリーニングすることが重要だ。

5 月 8 日、熱平衡状態というものは、熱力学の基礎なのだけれども、あまり厳密には習わないものかもしれない。もちろん、厳密な熱平衡状態って何だ?ということを突き詰めると、それだけで色々と条件設定が必要になって来るから、そこそこの理解で良いとは思うのだけれども。熱平衡の下にある系は、それを「どんな風に分割して考えても」平均的には熱エネルギーの出入りが無い。これが大切な所。但し「流れ」の存在の下では、もう少し言葉を付け加えることになる。温度Tのドーナツ型の容器の中で、温度がTで一定の水がグルグルと回っているだけ、という状況では、部分系をどう考えるか、熱力学的に不明な所があるのだ。そんなの熱平衡でしょ?と言いたくなるのは山々なのだけれど、水と容器の中で熱のやり取りがあるからには、運動量のやり取りも存在して、必ず抵抗力を産む。それは、加熱の源となって、結局、容器が熱を受け取り、水の運動は段々とゆっくりになる。どこが平衡状態や?というわけ。面倒だね、熱統計物理学は。

5 月 7 日、さあ勉学の平日だ〜。あれ、何だか、学生の数が心なしか少ないような気が。10 日までの、なが〜い休暇なんだろうか。まあ、それも悪くはないと思う、その期間にしかできないことは、そこでやってしまわないとイケナイ。そこで気になるのが、春の宿。それも、オフシーズンの観光地の宿。昔は、大学生のクラブ活動の合宿で、よく利用されていたはずなんだけど、若年人口が減ってる上に、合宿というスタイル自身が、あまり流行らない。ネット断ちの合宿でもしない限りは、どこに居ようと、普段と大差ない生活なのでは、わざわざ合宿しようという気も起きなくて当然か。じゃあ、研究会というヤツはどうなんだろうか、これから廃って行く運命なんだろうか?

5 月 6 日、御影、職場がある六甲というか、灘の隣、東灘は、近いながらも足を運んだことがない場所なのであった。岡本まで行くと、甲南大学など複数の教育機関があるので、大学つながりで行ったことがあるのだけれど。よし、休日に、わざわざ職場の近くまで行くのは酔狂なことではあるのだけれども、どうせ明日からは職場に来るんだし、連休リハビリの足慣らしを兼ねて、御影山手を散策する。印象は、素晴らしいのひとこと。隣の六甲とは少しちがって、駅の北側が既に「山手」の雰囲気。本物の御影石である「本御影」の石垣がゴロゴロとしているのであった。本御影は、古くなってからの枯れ方、朽ち方が自然っぽくて良い。愛すべき光景が広がる御影、また散歩に来よう。

5 月 5 日、小松菜を買って来る。少し小さい株なのが良い。けっこう、砂っぽいので、一枚ずつ葉をバラして、水ですすぐ。すぐに砂だらけとなる。何回かすすいで、鍋に入る長さに切って、青菜には塩、そして油をふりかけ、しばらく炒める。色が変わる前に取り出して冷やす。ちょっと味見。うん、小松菜ならではの美味しさがある。やっぱり青菜はいいなー、と、イモムシのようなコメントを自分に向けて、ボソッと口にする。実は「まん葉」が欲しいのだけれども、どうも讃岐を出ると、あまり売っていない。あのニガ味のある、しっとりとした葉は、実に美味しいんだけどなー、今度見かけたら、即刻購入することにしよう。

5 月 4 日、世界的には、月曜日は週の始まり、既にプレプリントが今日もリストアップされている。見る。ああ、今日はエニオンを IRF 表現で扱って DMRG やる話が掲載されている。懐かしいな〜と思った。Heisenberg Spin Chain を total spin 表示で書くと、同じような IRF 表現となる。その表現に DMRG をかぶせて、計算すると、確かに速かったな〜と。同じようなことが、再び行われるというのは、必要性の証明みたいなモンだと思う。なんでも、物事は、数回の再発見の後に、一般に使われるようになるのだとか。しかし、どうだろうかな〜、IRF 表現は、そんなにコモンになるんだろうか? チト、扱いが面倒なのが、玉にキズなのだ。

5 月 3 日、昼間は天気が良かった。午後になって、雲行き怪し。こういう時には、jma とタイプする。www.jma.go.jp つまり気象庁のサイトがヒットする。断言できることなのだけど、官公庁が運営しているサイトで、いちばんヒットするのは気象庁の天気情報だ。決して、首相官邸ではない。さて、雲がだんだんと西から近づいて来ているけれども、雨はなかなか進んで来ない。こういう場合は要注意だ。連続的に雨が迫って来るのなら問題ないのだけれども、時として「雨がわきあがる」ように、突然、一帯が雨となることがあるのだ。こういう兆候は雲を見ていなければ、わからない。やっぱり、見るべきものは空なのだ。

5 月 2 日、ダイヤモンドとアルミナ、どっちが硬い? 言うまでもなくダイヤモンドが硬い。じゃあ、ダイヤモンド砥石と、アルミナの砥石、どっちが良く削れる?これは難しい問題だ。ダイヤモンドばーっかしを贅沢に使って固めた砥石があったら、たぶん、ものすごく良く研げるだろう。しかし、そんな高価なものは見たことがない。大抵は、鉄の表面にダイヤモンドを貼り付けたような構造のものだ。この場合、粒子の数があまり多くないし、目詰りも激しいので、最初は削れても、だんだんとダメになって来る。そういうわけで、実用上は、アルミナの砥石の方が、速研ぎには有利なのだ。お財布も助かるし。

5 月 1 日、gold と golden、どっちも gold の形容詞だ。名詞の gold と形容詞の gold は形が同じで、外来語としても「ゴールドカード」などで聞き覚えがある。調べてみると、こういう形容詞形の gold は、金そのもので出来ているとか、金箔が貼ってあるなど、見かけが金色っぽいものに付けるのだそうだ。一方で golden は常に形容詞で、「ゴールデンウィーク」など外来語の用法も ... いや和製英語としての用法も ... 多い。ウィークが金色なわけではないので、golden の方は見かけによらず「イメージ的に」黄金だと使えるようだ。さて、溜まっている仕事を、このあたりで処理してしまわなければならない。明日も仕事だ〜。
3 月と 4 月の1行日記