← 3 月と 4 月の1行日記
2 月28日、穏やかに日が暮れて行く。学業を締めくくる発表会も終わって、論文などの提出にも一段落すると、もう教え伝える機会は残っていないのである。色々と伝授したいことは多いのだけど、大抵はガラクタのような知識ばかりである。例えば、因数分解で x*x*x - 1 = ( x*x + x + 1 ) ( x - 1 ) なんていう数式を高校で習う。ここで 1000 - 1 = 999 という数式を書いて見せて、ニヤリとしてくれたならばガラクタの伝授、大成功。位取り記数法というものは、べき多項式の係数を並べたものと深い関係がある。こういう、どうでも良い知識の中から、今日の社会を支えるまでに育ったのが2進数という化け物。むかーし、2進数というものを「いじって遊んだ」人々が、現代に蘇ったら、どんなにびっくりするだろうか?と、思わずには居られない。どうかな? あなたも「原子そろばん」で遊んでみないかな?
2 月27日、普段はボケーッとしている私も、1日働いて、疲れている時に色々と催促されたりすると、イラッとすることがある。特に今日は仕上げなければならない書類も多く、そんな作業の時に電話が再々鳴るものだから、受話器を挙げるなり大声で「ウルサイ!」と怒鳴りつけた。しかし、このような湯を沸かす行いは自分にもハネ返って来る。沸騰が冷めるまでにしばらくかかるし、体力も浪費する。結果として仕事が更に遅くなるという悪循環を産む。何事にも、降ってくる雪をサラリと交わすように、飄々としていることが理想である。ただ、世の中には、理想論では片付けられないことも多い、このことは確かだ。さて、さて、思い出してみると、私も大昔に、とある先生に電話口で怒られたことがある。あの温厚な先生がなぜ?と不思議に思ったものだ。その翌年、風の知らせで、その先生が病死されたことを知った。いま、その当時の出来事を思い出して、今更ながらに、先生を怒らせたことを悔やむのである。きっと、貴重な時間だったに違いないのだ。
2 月26日、MacOS で「メモ」の同期がおかしくなる。そういえば、しばらく前から iCloud の調子もイマイチだったなー。どないしよ。こういう事もあろうかと、毎月のようにメモのバックアップを取っているのだけれども。またしばらくの間、メールに色々とはりつける事にしようかな。たぶん、いちど、メモを消去してしまって、iOS 側からもクリーンにしてしまえば、もう悪いネタは残っていなくなると思う。ただのアブリケーションなのだから、そんなにキバらなくても良いか。→ 単に、とあるデバイスから iClowd へのログインが外れていただけでした、再度ログインすると、あら不思議、解決。ただ、こうして解決するまでは「データが二重に存在する」という悪しき昔の記憶がよぎり、ちょっと心配した。
2 月25日、高校の制服が目立った駅周辺。濃く効率大学、あ、誤変換、どうせならもう一発、酷効率大学、いやこれは自粛。ともかくも、国公立大学の入試があったのだ。大学から一人暮らしを始める、そんな未来も見えてかどうか、緊張もあるんだろうけれども、大人っぽいなーと思う受験生達であった。4月に入学して来る頃まで、この「りりしい姿」を保ってくれるかどうか、それを期待すべきかどうか、よくわからない。色々と自由な経験をしてみないと、何が危なくて何が大丈夫なのか、よくわからない所もあるんじゃないかと思う。危ないもの、強いもの、見てみませんか?
2 月24日、先週はマラソンのあった東京、その後は春節の来日客がどんどん押し寄せ、そして大学入試のシーズンでもある。思い出してみると、いつの年も、この時期に宿を確保するのは大変だった。4月の初めとか、11月もまた、なかなか宿泊が確保できないのである。ところで、神戸という田舎に暮らしていて、たまーに首都圏に出てくると、色々と面白いものが沢山あるので、ついつい寄り道してしまう。芸人が多いし、けっこう上手いのも時々居る。そういう時には、自らの時間を削ってでも見物して行くかどうか?と、一度は自問自答することにしている。ボーッと見ていると、結局は、その日にこなすべき業務が終わらないという事にもなりかねない。今日はパス。やっぱり、溜まった仕事はこなさないとネ。
2 月23日、ダンサーの踊りを拝見する機会があって、1ステージでどれくらい収入あるんだろうか?と計算してみる。ショーチャージと、食事のレシートに書いてあるその額を「そのまま信じても」、見渡すテーブルの数をかけて合計したものが1日分の生活費に足りるとは思えないのだ。1日に何ステージか踊る?いや、平日もあるから、毎日ステージに立てる訳でもないだろう。どこかで、ダンス教えてる?これは、お弟子さんの数次第か。それとも、昼間は別の仕事なんだろうか?とも。そう考えを巡らせた後、さて教員の収入というのは何から発生しているんだろうか?と思案する。仕事としては、講義をこなしたり、研究したり、学生生活全般のサポートにあたったり、その他いろいろとあって、全部あわせて教員。いや、これは教員の視点からの考えであって、はて世間一般にはどう思われているんだろうか?
2 月22日、各地で行われるマラソン、その催しに携帯電話は耐えた(耐える)のだろうか?普段は、車両が走っている場所を、たぶん一桁はゆうに高い密度のランナーと観客が押し寄せるのである。中継局にとっては、試練である。携帯電話のシステム自体に、今もってあまり柔軟性がないのも問題なのだ。どこまででも、限りなく低いサービスまで落としてでも、なるべく端末を拾うという方向への進化は、商売として華がないので放置されているようにも見える。無線 LAN も同じ。今のプロトコル、滑らかさに欠ける所がある。もちろん、技術的な観点の問題とは言い切れない所も多々あるから、そういう垣根も何とかしなければならない。何でもいいけど、電波の無駄遣いを減らすというのもまた、規制緩和の対象なのである。
2 月21日、地下鉄大手町駅で延々と歩く。なぜそうなったか?というと、都営浅草線に乗ろうと移動を始めたのが本郷三丁目。が、東京に不案内な私は、そして携帯端末も持ち歩かない私は、大江戸線ではなくて、うっかり丸ノ内線に乗ってしまったのだ。まる〜く皇居を囲むように新宿まで行ってしまうのでは、いつまで経っても浅草線には到達できない。そこで車内の路線図とニラメッコして、大手町で東西線に乗ればいいじゃん、と、思い込む。が、その乗り換えは延々数百メートルも、上がったり下がったりの難コースなのであった。今日は、地下鉄は地下鉄で閉じて考えてはいけないことを知った。それは関西でも同じか。乗り入れしている私鉄のネットワークは、けっこう広いものだ。意外な2点間が、ごく短時間で結ばれていたりする。その逆もあるけど。一つだけ良いことがあったとすれば、それは、地下鉄の車内アナウンスをずーっと聞くことができた、そんな事。あの音声は、なかなかヨイ。
2 月20日、睡眠時間3時間の後に朝一番で公演。体力持つかなー、と思いきや、自覚上は案外大丈夫だった。むしろ、昨日の方が危なかった、酸素分圧の低い場所が直ちに把握できるような状況というのは良くない。今日は、それは大丈夫であった。但し、揺り戻しは昼食後にやって来て、もう眠いのなんの、目は開いていても、マイクロスリープしてたことは間違いない。どうも、年齢とともに、このマイクロスリープが増えているような気がする。昔は、少なくとも目覚めている間はずーっと見聞きしたことが頭に入っていたから、授業を90分も100分も受けることが出来たんだと。そういえば「共通一次」なんか、2時間も試験時間があったなー。模試をあんなに、毎月のように、最後は毎週のように、よく受けてたもんだ。
2 月19日、四国沖からゆっくりと関東沖へと進んだ低気圧が停滞している。この、ノンビリとした動きが春らしい。真冬だと、低気圧は東に抜けると、どんどん北上してサハリンやアリューシャンへと進んで発達して行くことが多い。今回そうならないのは、上空の気圧の谷がプッツンと「切れて」団子のようになって居座っているから。この切離現象は珍しいものではないけれども、晩秋からの日本直上で起きることはあまりない。また、時々やって来る時雨のような雨も、晩秋のものとは香りが違っている。同じ雨でも、湿度が違うのだろうか、それとも地面から立ち上る香りが違うのだろうか。ともかく、日差しとともに、春がやって来ていることは確かだ。
2 月18日、繰り込み群の論文を集めて眺める。概して、長い論文が多いのが、この分野の特徴かもしれない。コンセプト的には単純なものなのに、何かを数式で書き下そうとすると、その瞬間にコマゴマと込み入った、見通しの悪い形になってしまうのだ。そもそも、数学の道具が、こういうスケールを含む対象を上手く扱えるようになっていないからだろうと思う。そういう意味では、繰り込み群の数学を教科書にも書けるような簡潔な形で与えるには、どう工夫すれば良いか、そんな研究があって良い気がする。ところで、卒業者の研究発表の方はというと、会場で次々と有難いご指摘が相次ぎ、それを受けて修正すべき点が沢山見つかったはずだ。質問を受けた事を喜びとして、論文の修正に熱意を持って取り組んでいるはずだ、さあ、ちょっと現場をのぞいてみよう! ... 言うまでもなく、そこにあった光景は ...
2 月17日、久しぶりに MacBook Air に触る。久々の感触は?うーん、しばらく前に出た Air に触るくらいならば、iPad に無線キーボード付けた方が使い易いかもしれないと思った。何がそう思わせるのか?というと、何となく人間工学的に機能していない部分、つまり画面やらキーボードの枠が大きいと感じてしまうのだ。また、四隅が潰れやすいという構造上の弱点もまた、ちと気になるのである。以前、ずっと持ち歩いていた Air は、ちょっとした衝突で隅が曲がってしまった。ただ、こういう風にクラッシャブルだったから、中身が助かったのかもしれない。さて、今日の MacBook Air の出番はというと、単純に「時計」なのである。腕時計よりも、ずっと大きい画面で時刻を知ることができるし、時計のアプリも充実している。さて、現場へ。→ 無事に時計を使ったイベント終了。こんだけ役に立つんなら、もっとパソコンを広く時計として使えればと思うのだけど、携帯やパソコンを持ち込めないような場所もあるので、時計はまだまだ現役だ。(じゃあ時計型の端末はどうしてくれる?という疑問はあるのだけれども。)
2 月16日、暗い場所では、メガネが合っていないと悲惨なことになる。文字が見えないのである。そういうこともあるから、プレゼンの準備というものは、口頭での説明だけを聞いても理解できように工夫しておくべきだし、プレゼン画面を見てもだいたいの内容は想像がつくようにも準備し、双方あいまって、重要なポイントだけは誰でも理解できるように準備しておくべきなのだ。また、とりあげるキーワードや概念の数も絞った方がいい。これは、どこか選挙活動に似ている所がある。実際のところ、学問の分野での発表の中には、「この研究は意義深いですよ」と、なんか実際の価値以上に盛り立てよう盛り立てようという傾向がないわけではない。それが高じて、昨年はなんだか訳のわからない騒ぎがいま頃の時期に起きた。え〜と、その、あれくらいの騒ぎのネタだったら、探せば毎年のように、毎月のように、いや毎日のように出てくると思うんですが、まあ、それは、学問の世界の事情ということにしておきましょうか?!
2 月15日、修士論文や博士の学位論文、指導教員が審査員を兼ねる場合が殆どなのではないだろうか、日本国内では。海外の、いくつかの国で、そうではない事例を目にして来たし、そういう「外部審査員」の任についたこともある。審査という仕組みの理にかなっていると思う。スポーツの試合、例えばスケートの試合で、ジャッジが選手の指導者であるという事は聞いたことがない。(←マイナーな大会は除く。)審判と指導者を兼ねると、両方の立場が相容れない状況下では、自己矛盾に陥ってしまう可能性がある。そうなったら身の破滅なので、指導者として頑張るという、そういうベクトルは生まれるかもしれない、審判と指導者の兼任下では。うん、そうポジティブに受け取って、今日も頑張ろう。
2 月14日、1日間、完全に OFF とする。従って、今日も氷の上。課題は、引き続きフォアとバックの、ほぼ静止している状態からの片足での滑り出し。今まで、どうやって動き始めるのか全く理解の外だったのだけれども、ホンの少しだけ光が見えて来た。要するに、初心者がスッ立った状態からツルッと転倒するような感じで、エッジを一瞬滑らすと、動き始めるには動き始めるのだ。しかし、その後で転倒を防ぐようにエッジを深くかけてカーブし、遠心力との釣り合いを取って円を回り始めることは容易ではない。いわゆる、硬いエッジ使いに陥って、せっかく動き始めたのにガチッとエッジが無駄に氷を削ってブレーキをかけてしまう。転倒の恐怖心が先に立つのである。こういう、滑るスポーツは、恐怖心の克服が大切だ。但し、暴走しない範囲で。こういう時には、地面がすぐそこにある、小さな子供たちが羨ましくなる。転倒しても、全く痛そうにしないのだ、彼らは。
2 月13日、とても長く付き合ってもらえた Dirac の読み会も、最後の章に入った。この教科書では、Fermi 場、Bose 場は、そのような名前で呼ばれはしないけれども、ちゃんと説明してある。そして Dirac 方程式も、もちろん登場。最後は量子電磁力学となる。但し、繰り込みの取り扱いについては、最後の最後の方で、やっぱり付き合ってられんわーと、突き放したようにも読める表現で終わっている。書き出しが実に面白いように、最後もまた味わい深いのだ。そこまで、年度内にたどりついて、1年と少し続いた読み会が終わる、何と名残惜しいことか。学部学生の何年生であっても、Feynman や Dirac のような「教科書」であれば、ちゃんと読破できるということ。「前任地」の東北大学で一度、Dirac 読破して以来、実に久々だけれども、ここ神戸大学でも同じように、熱意を持って読み会に参加してもらっている事に、感謝しなければならない。
2 月12日、Mac でターミナルを立ち上げ、新しいシェルを開くのに、なーんとなく時間がかかってるなーと不思議に思っていたら、それは .bash_profile の仕業だった。大昔に、とあるコンパイラを入れた時に、このファイルをいじっていたのだ。年月を経て、そのコンパイラは使わなくなったし、パソコンを乗り換えた時に指定してあった path の先も消え去ってしまったので、.bash_profile はシェルを開くたびに「ない場所」を探していたのだ。当然のごとく、警告も出ていたのだけれども、シェルを開く時に画面の上の方に出てくる「ゴミ」だなーと思って気にしていなかった。無駄なものを消去してしまうと、あら、なんと快適に動くことか。この辺りに「パソコンは常に新規インストールで使いなさい」と推奨される理由があるのかもしれない。古いものが動くというのは、片足を落とし穴に突っ込んだようなものだと思った。
2 月11日、文章を推敲する時に、赤ペンを用いる。自分で書いた文章でも赤はベタベタに入るし、他人の文章だったらもう全部真っ赤。そういう場合には、赤を入れるのも面倒だから「ちょっとファイルちょうだい」ということになる。赤入れする作業を、テキストファイルで直接行ってしまうのである。他人の文章の場合には特にそうだけれども、赤入れと、執筆は区別しなければならない。もともと文章に書いていないことであって、前後の文脈を補完するという類の微修正にとどまらないような「書き足し」は、行ってはならないのである。元の文章の、順番が狂っている部分、説明が足らない部分を補うのが赤入れである。でも、時として、いや往々にして、赤入れする前と後で、文章の量が倍になっているようなことがあるのだ。そうであっても、客観的に見て書き足しと揶揄されかねないような「悪い行い」には手を染めない。もともと reject されちゃったような論文原稿に、文才の衣を着せて有名雑誌に掲載されちゃった、かの案件を思い出すにつけ、「書き足し」は弊害ばかりの行為であることがわかる。ただ、推敲した前後の経緯について、元の文章の執筆者が何も学び取らない場合には、その推敲作業は「書き足し」にすぎないという事になる。従って、推敲作業の途中経過について、すぐ横で見ていてもらい、その都度説明することが肝要だ。その次のバージョンで、元に戻っているようなケースでは、がっかりするのだけれども。
2 月10日、マウスを両手で使う。右手だけでスクロールもできる、というのが近頃のマウスの売りなんだけれども、ちょっと人間工学的に考えて欲しい所もある。今日、キーボードを「手首を浮かして使う」人がどれだけ残っているかは知らないけれども、楽器でもタイプライターでも、ともかく指を使って押すような動作を行う時には手首を浮かす方が手の負担が小さいのである。(そのぶん、肩の負担は増すのだけれど。)ところがマウスは、手首を浮かして使うようには設計されていない。自然にホールドしたいならば、手首を机に置くこととなる。その状態でスクロールばっかりやると、手の甲の側が腱鞘炎となる。というわけで、スクロールしたい時には、左手をマウスに持って行って「なでなで」するのである。... マウスが2台あったり、パッドが転がっていたら、左手はスクロール専用とする私である。
2 月 9 日、さあ今日からの一週間も、修士論文への指導のラストスパートだ!と、意気にあふれて職場に復帰。現場を訪れると .... ううん、まあ、細かいことはともかく、手を尽くせる所から尽くして行こう。(←何も奥歯に噛んだりしていません。)まず、論文を書く、研究について発表するというのは、一種の「サービス業」であるという事を認識することが、大抵のケースでは重要だ。よくある「勘違い」というのが、論文は難解であるほどカッコいいとか、発表プレゼンはビジュアルに衝撃的(?)であるほど目立つという風な考えに陥ってしまうこと。料理に置き換えてみるといいかもしれない。もちろん、料理の「付加価値」はテーブルの花であったり盛り付けであったりする訳だけれども、どれだけ凝って皿に盛ってあっても、口に入れて飲み込めないようなものは価値がないのである。聴衆に知識を飲み込んでもらえるかどうか、そこの所が発表の要点であり、論文の書き方のコツでもある。赤入れを続けよう。
2 月 8 日、氷との対話を重ねる。片足のバックでスネークというか、ウィグルというか、クネクネと進むことは何とかなって来たのだけれども、まだ力任せで、リンク半周くらいしか体力が持たない。しばし思案する。よくよく考えると、姿勢がまずアウト。いつでも、どちら回りでもフォアにターンできるよう、常に背筋は伸ばしておかないとダメなのに、ついついトウにガリガリ引っ掛けつつの猫背になってしまう。まずは、後ろを見る時の視線の送り先から改善して行こうか。エッジの乗り位置も試行錯誤だ。なるべく、連続的に乗る位置を動かせるよう、柔らかなエッジ使いをしたいのだけれども、バランスを崩す恐怖感から、ついつい急激な動きをしてしまう。上達への道は、どこまで崩せるか?という、我慢比べなのかもしれない。
2 月 7 日、休養の1日。午後、ちょっと散歩へ。ちょっと、のつもりで、実際に距離も時間も知れていたのに、帰って来ると疲労困憊。そのまま絶不調の1日を終えるか?と思いきや、お茶を飲んでしばらくすると調子が戻って来る。ひょっとすると、すでにカフェイン中毒なのかもしれない。この一週間、ずーっとお茶ばっかり飲んでいて、ある日は茶葉を入れすぎてカフェインの毒性(?)を身を持って体験したりもした。何事にも適量というものがあるものだ。シルクロード(???)のような内陸の冬場になると、茶の含む微量の成分が栄養として重要らしく、番茶をガブガブと一日中飲むと聞いたことがある。その場合は同じ茶葉を繰り返し使うから、最後の方はタンニンだけになるのかな。今後は「節度」を持って茶に付き合おうと思った。
2 月 6 日、有志学生たちと楽しんで開催して来た Dirac の教科書の読み会、今日は中心力場の下での Dirac 方程式の解法を学んだ。教科書としてDirac が心血を注いで書いてあるだけに、この辺りの議論は何となくスムーズに読めてしまうのだけれども、実は式の形が簡単になるような工夫がアチコチに散りばめられている。こんな風に、物理のエッセンスだけを上手く抽出した式変形を見せる所が実に Dirac らしい。但し、それぞれの式が、どういう物理に対応しているかは「読者の常識」に任せてあるので、微細構造については別途学んでおかなくてはならない。また、LS 相互作用の「近似的な抽出」というエエカゲンな事は書かれていない。その辺りの詮索は、読者に任せてあるわけだ。「Dirac の海」についても、サラリと読んで、次回からは電磁場の量子化へと入る。一冊読み終えるのは、もう目前だ。ラストスパートあるのみ。
2 月 5 日、ネットとしてつながるものは、細かい例外を議論しなければ e-mail から始まったと言って良いだろう。いま企業の中堅として働いている人々は、たぶん、e-mail 世代。「つながる」には、キーボードを叩いて文章にしなければならなかった。その後にやって来たのが投稿サイトとか掲示板。これまた、最初は実に長文の世界であった。そして、段々と掲示板は「荒らす」のが常識となって来て短文化が進んで行く。ブログも、この頃に一時流行ったか。やがて SNS の時代、ブログっぽいものを受け継いだものもあれば、短い方へと行き着いたものもある。短く書いて、より real time でつながる、これはひとつの発展で、キーボードを使う必要も、長文を練る必要もなくなった。この、世の中の「ベクトル」は、卒業論文や学位論文などを執筆するという作業に、明示的な形で現れて来たのではないか?と最近思うのである。昔ながらの基準に従って、これらの論文指導を進めるのか、あるいは「卒業ツイート」のようなものを許容する世の中になって来たのか、自問自答するのである。が、ひとまずは、世の中の流れにトコトン抵抗してみたい。
2 月 4 日、大学近くの街路樹が剪定されていた。あれは何の木だったっけ?そう、落葉樹は、ひとたび葉が落ちてしまうと、元々どんな木だったのか、その姿を思い出すことが、なかなか難しいのだ。木肌を手がかりにするか、樹形をよーく眺めて、何となく、どんな仲間の樹木なのかなーという事を知識と照合する、そういう努力が見分けに必要となる。普段から、木々の一つ一つに、あまり注意を払ってはいないわけだ。実は人間も同じようなものかもしれない。まあ、想像し易いように人間ではなくて、マネキンにしておこう。デパートに飾ってあるマネキン、それぞれ個性もあるし、普通の人のようでもある。が、ひとたび衣服をはぎ取り、髪の毛や帽子も取り去ると、ただの人形に戻ってしまうのだ。そういう静けさを目指すのが、仏教の「出家」という概念なのかもしれない。
2 月 3 日、またまた(?)フレネル・ゾーンプレートについて。白黒の同心円模様が並ぶだけの、このゾーンプレート、不思議なことにレンズとして働く。このプレートの作り方は、まず画用紙にコンパスで指定された同心円模様を正確に描くか、あるいはダウンロードした同心円模様をプリントアウトして、これを「フィルムカメラ」でモノクロ撮影して「現像する」と、ネガがゾーンプレートになっている ... と説明されるのが常である。しかし、ここに問題が。もはや、フィルムカメラは、写真芸術の表現道具として細々と生き残っているにすぎないのである。感光現象によって発見されて来た数多くの物理現象が、今日の日常生活の感覚から断絶してしまったわけだ。なお、ネガ・フィルムは今後、貴重な文化遺産となって行くであろうから、少々邪魔でも捨てずに置いておくと良いだろう。
2 月 2 日、Feynmann の Lecture Note in Physics, 実は1巻を通して読んだことがないのだ。2巻(電磁気学)と3巻(量子力学)は、大学に入学した頃に購入して読んでしまったのだけれども、1巻だけは、図書館で虫食いのように、所々をつまみ読みしただけ。というわけで、まだ読んでいない部分にも目を通してみようかと、ページをめくってみると、やっぱり面白いこと面白いこと、研究者に向けたメッセージというのも多分に含まれていると思う。ちょっとヒネると論文になりそうなものまで惜しげも無く披露している。いけない、いけない、味わっていていは最後まで行けないではないか。でも、ちょっと待てよ、2巻と3巻も、同じようにスピリットに溢れているのではないか?
2 月 1 日、MacOS X では、ディスクユティリティーで「ディスクのアクセス権を修復」することが(管理者には)推奨されているし、確かにやっておくべきだ。ただ、これが手強いのである。長年にわたって放置されて来た Mac の場合、「アクセス権の異常を修復した結果として、新たなアクセス権の異常がみつかる」という構造が入れ子になっていて、何度も何度も修復しなければならない。プリンタードライバー関係の、どうでも良いものが多いのが一つの救いだけれども、ともかく「何かが異常ですよ」と表示されるのを放置しておくのは、危ないといえば危ないことだ。今日も一台、そんな Mac に出会う。何回も、何回も、修復して、ようやく異常ナシにたどりつくとホッと一息。まあ、気にしすぎかもしれない。経験則から言うと、相当数の異常を放置しても大抵は問題ない。ただ、大きな作業でインストーラーがとつぜん固まるような原因は、なるべくなら取り除いておきたいものだ。
1 月31日、スケートリンクでは、必ず転倒がアチコチで起きる。転倒するのは初心者という認識があるかもしれないけれども、実は、たびたび転倒するのはスケート競技者なのである。フィギュアだろうとホッケーだろうとスピードだろうと、初めて取り組む姿勢やエッジの使い方では、ボテっと転倒する。従って、安全な転倒の方法というものは必ず習うし、ボテボテと転倒している内に自分一人ならば大怪我にならないような受け身も身について来る。但し、一般営業中のリンクで転倒が多発すると連鎖的な被害が起きかねないので、本気の練習は貸切で行うのが普通だ。ともかくも、スケートは転ぶことから学び始めるのである。ところが、初心者がリンクに初めて立つ時に、転倒方法から教え始められることは滅多にない。これは危険なことで、事実、営業中のリンク内で「歩けないほどの怪我」をする方を、ときどき見かける。ただ、転倒を教えるのも勇気がいることで、「お尻からコケてください」とか「ともかくアゴを引いて頭だけは守って下さい」というたぐいの指導は、プロテクターを着用していない状態では危険だし、特に大人には勧められない。この、年齢とともに増加して行く「習得時の危うさ」は、何もスケートに限らず、いやスポーツに限らず、色々なことに共通しているのではないかと思う。
1 月30日、この時期は、うまく時間を使わないと、全ての作業が滞ってしまう。10 件くらいの研究が並行して進んでいる状況を見守るのは大変だし、その間にも他の要件が舞い込んで来る。10 件の作曲を、細切れの時間で、それぞれイメージして行くなんていう場面を想像するといいだろうか、それが可能かと聞かれると、私の場合、本質的には無理である。せいぜい2つか3つくらいの事に集中して片付けて行く、その結果として10という数が満たされれば良い、そう思って作業して行くのである。ちょっと気をつけなければならないのが、半年とか一年先の要件だけれども、今すぐ何らかのレスポスンが必要だという類の用事。そろそろ、ブラジル行きの航空券のことも考えなければならないし、ポルトガル語も頭に入れておかなければ。
1 月29日、通信の秘密というのは、通信にかかわる者が守るべき高い規範なのである。なんか、聞くところによると、大昔の電話というのは、交換台でオペレーターが線をつないで接続していた関係で、オペレーターは聞こうと思えば何でも聞けたんだそうな。ある時期の e-mail システムでは、網を張れば幾らでもメールがざっくざくと引っかかったとか。今でもそうではないか? という話もよく聞く。ともかくも、これ全て、バーテンダーとか寿司職人のように、さらーっと流してしまうのが、各人の利益というものだろう。教育者も同じで、何を見聞きしても、忘れたことにしてしまうのが肝要。覚えてしまったとしても、何らかの拍子に記憶の片鱗を外界に流すような素振りをしてはアカンのである。へ?何かあった?さーねー。知らん。はて。ボケる処世術、もっともっと身につけないと。
1 月28日、掲示板や SNS には色々な種類があるもので、その様子を見ていると生物学の微生物そのものではないかという気もしてくる。ウィルスは、その増殖過程で DNA の断片を拾って来たり受け渡したり、アチコチで遺伝情報を拡散してくれる。これは Twitter か。このあり難い働きのお陰で、普段は使っていない、あの有名な掲示板やら、存在は知っていても手を出していない SNS やら、外国語の飛び交う SNS からも情報が集まって来て、ついでに世話好きな人が「まとめサイト」なんかに上げてくれる。その結果が、また掲示板に流れ込んで .... 何倍にも増殖して行く。チラリと聞いた話では、遺伝子の内で使っている部分は一部で、後は使われないコピーだったりするとか。なるほどね、どんな所であっても、情報を扱う限り、最後は玉石混交の押入れ状態となってしまうわけか。人々の頭の中も、そんなモンかもしれない。今日も、壊れたテープレコーダー (←見ないな?!) のように、「聞く人の立場に立って」と繰り返し繰り返し話す私であった。
1 月27日、日付が変わって今日は、珍しく午前様で帰宅。そんなにヤル事があるんですか?と聞かれそうだけれども、まあ単にタイムシフトしているだけの事かもしれない。いつもは自動車が走っている道路が、スカーッと空っぽで信号だけが光って見える風景は、なかなか美しい。こういう時には信号を気にせずに ... なんて公言してはならない。道路交通法には、歩行者の従うべき決まり事も含まれる。車が来ないからと言って、車道のド真ん中でじーっと立っていたりすると、道路交通法違反で検挙されても文句は言えない。また、そのような状態に気づいた車両が危険回避の結果として事故を起こしたら、その要因の一つとして損害賠償の割分が生じることもある。横断歩道まで行って、青信号のありがたき光を浴びつつ、道を渡るのである。どの方向から何色の光を浴びたのかは、想像に任せる。
1 月26日、「私は何年生ですか?」 ... うん、これは実に興味深い質問だ。あちこちの大学のカリキュラムを見て回ると、何年次に学習する科目という風な記述がガイダンス資料に書かれていることが多い。しかし、規則をよくよく読むと、学生が何年生であるか?ということを判定する記述はどこにもない。これは当たり前のことで、単位制という仕組みを完全に「学年」に整合させることは不可能なのである。仮に「何年生」という称号を与えるとするならば、「2年生になれる要件」「3年生になれる要件」など事細かに定めて判定しなければならない。そんな面倒なことを行って、いや、面倒さから話し始めてはならない、そんな判定して学習の助けになるだろうか?ただ、多くの大学で「4年生になれる要件」に類するものは定めがある。卒業する前に、研究を行う、それに足りる学力がなければ、もう少し勉強しなさいという意味で設定してあるのだ。(←偏差値?!の高い??有名な???大学でも、この要件が無い場合もある。)一方、大学院は最初から学習と研究を並行して進める場であるので、修了以外の判定は、もともとは無かった。でも、色々と経緯があって、今日では毎年、何らかの研究発表を行わせる大学が多いようだ。しかしながら、それでも「大学院何年生」なんていう称号を定めているなんて話は聞いたことがない。従って、最初の問いかけに対する答えは、「貴方が何年生なのか、誰も知らないと思います」である。たぶん。
1 月25日、小中学校から高校までに使う理科の教科書について … というと、中身のことに触れるのだろうと思われるかもしれない … けれども、ここで書くのは印刷のこと。意図して余白を取っているか、それとも意図して余白を潰しているか?そこが注目する所なのだ。余白があれば、そこに落書きすることができる。また、余白を潰して、紙の隅々まで印刷すると、マンガのように写真や図版を大きく印象的に印刷することができる。こういう工夫を意図的にしているのが、ナントカ出版で、無難にまとめているのがナントカ出版、ええと、出版社名を出すのは控えておこう。大都市の大きな本屋さんに行くと、いろいろな教科書が並んでいて見比べると面白いものだ。その中で、日本古来の「たたら製鉄」が掲載されているものがあり、実に良いことだと思った。伝統的だから良いという意味ではなくて、直接製鋼という現代でも難しい技法が実は製鉄の始まりだったという点に面白さがあるからだ。鉄の有り難みを知るにも良い資料だと思う、全ての教科書への掲載を目指そう。まあ、こんな感触を持つのも製鉄の町、神戸に住んでるという影響があるのかもしれない。
1 月24日、研究者になりたい? あっそう。 それはいい心がけだ。 いつも何らかの問題が頭のどこか片隅にあって、ずーっと答えを求め続けるのである。芸術家も同じような感覚なのかもしれないし、どんな仕事を選んでも結局は同じことなのだと思う。どうすれば、眼前の問題が解決できるか、少し先の課題はどうする、遠い未来を見越して何を考える、そんな事が頭から離れないのである。ともかくも、研究者になりたいという相談は良く受けるので、それがどういう職業なのかは繰り返し説明する毎日なのである。そういえば、座禅は何のためにするのかというと、何のためでもないのだという話を聞いたことがある。座禅という言葉を研究に置き換えると、まさにその通りである。何かの役に立つから研究すると、「書いて埋めるべき書類」には書くのだけれども、本当は何の役にも立たないと公言したいのだ。役に立たなくても十分に面白いのだから。
1 月23日、コンビニに並んでいるチョコレートが、なかなかイケてるという話。現代の板チョコは非常に滑らかで安定した品質で、そのまま切り分けて銀紙に包んで箱詰めすれば、高価なチョコレートとして差し出されても見破れないというか、実は高価な食材そのものなのだ。この辺りにフェア・トレードだとか経済格差という話が潜んでいることは、今日の話題にはしないでおこう。板チョコよりも「少し美味しい」小袋入りの、トリュフのようなチョコレートが、何百円かで売られている。袋の中にゴロゴロと転がっている丸いチョコ、これが実は、ン千円のチョコレート箱詰めセットの中に入っている、あの「美味しいチョコ」と同じものなのだ。まあ、食品に関して言うと、こういう事は珍しくはない。料亭のお弁当の中身も、それぞれスーパーで売ってる、工場出荷のメーカー食材だったりするものだ。なるほどねー、美味しさというものは、食材をどのようにプロデュースするか?という方法によって、随分と変わって来るものなのだ。今日のオチは何かって? ハイ、しょーもない研究成果であっても、うまい文書構成でプレゼンすると、高級に見えるということです。そろそろ、例の騒ぎから一周年ですが、叩くばかりではなく、あの「取り下げ論文」が、どのように上手くプレゼンされていたか?という点については、学んでも悪くないと思うのです。… オチになってないか ...
1 月22日、それぞれ長さの異なる4本の糸をつかって、5個の石を一直線に数珠つなぎにした。石は1、2、3、4、5と端から順番に数えることにしよう。さて皆さん、真ん中にある3番目の石に注目。その3番目の石の左側にある糸の長さというのは、何番目の石と何番目の石をつなぐ糸の長さだろうか? ... こう質問されたら、誰でも「2番目と3番目の間に決まってるでしょ?」と答えるだろう。しかし、右端から順番に番号をつけたのか、左端から番号をつけたのか、どこにも明示していない場合「3番目と4番目の間の糸」という答えも排除できない。また、仮に左端から数えるにしても、3番目の石の左側には「2本の糸」があるから「1番目と2番目の間の糸」も、答えになり得る。結局、どの糸も、質問の答えとして正しいのである。意外だったかな?
1 月21日、調理した食品を冷蔵して何日持つか?は、なかなか難しい問題。感触としては、鍋で完全に火を通したものは、そのまま食器に入れて放冷した後に冷蔵すれば、若干日は生のまま食べて大丈夫で、火を入れ直して食べるならば1週間くらいは何とかなることが多い。もちろん状態を見ての話だけれども。酢を充分に含むものは、特に糖度が高ければ、けっこう長持ちする。もちろん、持たせるのが本意ではない。冷蔵庫に、何日か前の調理食材がいっぱい転がっているという状況は、目にしたくないからだ。そういう事もあって、3日目に突入する頃に、保存しておいたものの残りを再調理するのが普段のやり繰りである。日持ちしないものの代表格が豆腐で、充填豆腐以外は冷たくても速やかに痛んで来る。そこで、適当に切って湯通しして、押し豆腐にしたり、炒り豆腐にすることが多い。中華料理だと、そんな水抜きした豆腐に甘辛く味付けすることになるのかな。
1 月20日、都会は、そのド真ん中に居ても大きさに気づかないものらしい。摩天楼のようにビルだらけという地区は、いくら都会といっても、そんなにあるわけではない。それに、近くの少し高い建物の陰にかくれてしまって、遠くの高いビルは案外見えないものだ。従って、ひとたび都心に入ってしまうと、見上げれば広々とした青空、都会ならではの幅の広い道。働いている人々が通勤する時と退社して繰り出す頃を除いて、人通りはまばら。ついでに、何かの用事は近くで済ませてしまえるので、あんまり歩き回ることもない。結局、全体が見えない中で、コソコソと1日を過ごす。そういう場所から、ひとたび郊外に出ようとした時に、はじめて「郊外までの距離」に気づいて、結果として都会やなーと、思うのである。街中に居る限り、都会も地方も無いものだ。
1 月19日、そんなに冷え込んでないはずの朝なのに、公園には霜柱が立っていた。都会でも、冷える時には冷えるんだ。風があまり吹かないから、気温の低さに気づかないだけかもしれない。霜柱が立つと、地面が少し掘り起こされて、溶けると濡れて、鳥が集まって来る。小さな虫の活動が盛んになるのだろう。小鳥は、いつも食事の最中。大きな水鳥のようにお腹いっぱい食べて、その辺りで半分寝そべるような真似はできないようだ。小鳥の中で、クチバシがクイッと曲がってるモズは、スズメを食べることもあるそうな。小さな小鳥の中にも、油断できない世界があるものらしい。しばらーく小鳥を撮影して、さて、今日も出勤。
1 月18日、日曜日の朝、たまーに早起きするのも悪くはない。窓の外は日の出前。バラ色に染まっている。その美しさにレンズを向ける。しばらくすると、朝日が出て、黄色に。そして、すぐに普通の昼間の色になってしまった。そこで早起きの反動がドッとやって来て、沈没。日曜日の朝は2度寝するのである。次に目覚めたのは、もう太陽が頭上近くに上った頃だったろうか、あんまり記憶にないのであった。午後に色々と活動したあとで、ふと街に出ると、もうとっぷり暮れていた。夜の街は、色がついたライトが美しい。パトカーがやって来る。カメラを構えてー、その磨き上げた車体を流し撮り。おっと、お巡りさんの顔や、ナンバーブレートなど写り込まないように、気をつけないと。電信柱の陰でライトを消して潜んでるようなパトカーは、大切な業務中なのでカメラを向けられる雰囲気ではない。
1 月17日、手押し車を押す若い人から、突然「あのー、近所で野菜売ってるモンですけど」とか「デザート売ってるんですが」と、声をかけられることが、最近良くある。大抵は、売り歩いている商品が自分のニーズに合わないので、相手しない。彼ら、彼女らの正体は?検索してみると、なるほど、絶滅した「行商」というニッチをうまーく埋めるような業態であることがわかった。コンビニに通わない層、あるいはコンビニに足を運ばない時間帯などに、商機アリというわけか。彼ら彼女らを管理する「商売の元締め」としては、いい目の付け所だと思う。行商してる人々は、まあ、色々と叩く書き込みも多いんだけど、商売に水が合ってる人は食って行けるだろうし、そうでない人は撤退するだろう、殆どの職業と同じように。私としては、魚の行商人、私の故郷で「いただきさん」という業態の行商人が、美味しい魚を売り歩いてくれればと思うんだけど、包丁を握った若い魚の行商人に出会ったことは、未だかつてない。
1 月16日、神戸空港に、カメラを持った人々が集結していた。何があったのかと思いきや、特別機がやって来て、着陸した後にコクピットから日の丸の旗が立ったのだそうな。そう、明日は震災から20年目。空港の建物の屋上の、普段は立ち入れない場所に臨時のマイクロ波アンテナも設置されていた。対岸まで、中継するらしい。今でも、ここぞ! という時にはネットではなくて、電波で中継するんだ。信頼性が違うと言われれば、それまでなんだけれど。報道に使う機材を持ち歩く人も。やっぱりプロが使う機器は、頑丈さが違う。当然、それを支える方の体も頑丈。あんなデッカイ筒に重いカメラ、持って歩く気も、構える気持ちも、出てこないぞ。そういう自分はというと、普通は皆さん携帯電話で済ませるか、あるいは iPad ぐらいで済ませるような所に、でっかいパソコンを持って現れる。フルサイズのキーボードと、湯水のごとく使えるバッテリーの電力は、仕事には必須のものだから。
1 月15日、低気圧が通過中。航空機向けの天気図を開くと、至る所に乱気流、積乱雲のマークあり。ついでにジェット気流の吹き込みもあって、東西の気流の流れが速い。今日は、あちこちの空港で、職員・係員がバタバタと動く日になるんだろう。空路は、こんな風に、風任せな所がある。じゃあ陸路は?というと、これも案外脆弱で、道路は凍結したり事故ったりですぐに渋滞するし、鉄道はどこかで詰まると、追い越す手段すら無くなるのでダイヤ回復が難しい。(網目のように鉄道が走ってるベルギーやオランダはチト別。)それぞれ長短あるものだ。二十世紀半ばの絵本なんか見ると「エアカー」が空中をフワフワと浮いて走る「未来予想図」が描かれている。そんな時代は来るのだろうか?それとも、巨人が都市に攻め入って来るような時代が来るんだろうか?
1 月14日、無線 LAN 機器(無線ルーター)が届く。これを3つの部屋に置いて、それぞれ SSID を与える。一つのネットワークにしなかったのは、この3つの部屋の間のドアを閉めてしまうと、部屋をまたいだ通信が非常に困難となるから。また、わざわざ遠いアクセスポイントを掴んだままになってしまうという、あるような、ないような問題も、起きにくい。SSID を違う名前にしておけば利用者から明示的に状況把握することができるからだ。一台目、二台目と設定が終わって、三台目に入ったところで問題発生。なぜか設定が上手く行かない。原因を探るために、とりあえず適当な Wifi ネットの拡張としてルーターを放り込んでみると、ファームウェアの update を要求された。なるほど、古い設定だったというわけだ。update が終わったら、目出度く三台目も設定完了。その後、号令をかける。「LAN ケーブル狩り」だ。今まで、部屋の隅の、最もゴミゴミとした所をスリ抜けていたケーブルを、エイヤッとむしり取る。すると?辺りがゴミだらけとなった。こんなにホコリが出るんだ、と、感心することしばし。
1 月13日、パソコンの OS をアップデートしていたら、途中でアップデートが停止して、ログインすらできなくなったという知らせを受けた。どれどれ、まずはディスクの状況の観察から。調べてみると、ディスクユティリティーで修復できない状態で、「バックアップした後で、ハードディスクをフォーマットして下さい」という警告文章が出る。こうなったら、もうお手上げ。バックアップするしかない。というわけで、ターゲットディスクモードに設定して、のらり、くらりとバックアップ。自分のパソコンだったら、どこに何があるか、何が必要か直ちにわかるのだけれども、他人のパソコンはバックアップをそのまま渡して、あとは適当にやってもらうしかない。まあ、完全にクラッシュしなかったのは不幸中の幸いだった。
1 月12日、サヤエンドウの筋を取る、ただそれだけの作業も、手順を誤ると上手く行かない。マメのさやの背と腹の両方に筋があって、その両方を取らないと食べた時に筋がひっかかる。その筋を取る方向は2通りあるし、最初にどこから手をつけて行くかなど作業手順を考えると、選択肢は非常に多いものとなる。その中から、うまく筋が取れて、作業時間も少なく、段取りも良い、そんな組み合わせをみつけようと苦心する。半分くらいむき終った段階で、ようやく、どうすれば良いか会得できた感じだ。マメは栄養のある実だから、虫によく狙われる。いま、食品への混入が話題になっているけれども、無農薬野菜のマメは、むいていると良く青虫さんとご対面となる。そうでない場合は、十分に選別されているか、あるいは農薬を効果的に使っているか。どっちがどっちと、目クジラ立てることはない。生マメばっかり一年中食べて主食としない限りは。さ、むき終ったから、炒めて、汁に漬けておこう。
1 月11日、夕刻のスケートリンクに、人々の間を超高速でスリ抜けて行くちびっこ達が大集合。その彼女たちは筋金入りのフィギュアスケート競技者。その中に、先日の全日本に出場してファイナルでテレビに映った方も居るのだそうな。確かに、その辺りの、ちょっとだけ隙間が出来たような場所でヒョイヒョイとトリプルジャンプを連発している。凄いなー。このように、一流の選手と同じリンクに立っていることは稀ではなくて、どこのスケート場でも夕方になると、特に平日の夕方になると、そんなモンだ。ただ、地味な格好で練習しているので、一流選手であっても、よく見ておかないと誰が誰だかよくわからない。滑りの差は歴然としているのだけれども。さて、この週末は新成人が街に繰り出す時期のようで、電車の改札を出た待ち合わせ場所は、晴れ着など色とりどりだ。門出を祝う日。卒業を目前に頑張っている学生さん達も、すこし前に成人したばかりなんだなーと、しみじみ思う所あり。
1 月10日、三宮、京町筋を何となく歩いていると、地味な看板が目に入った。チーズ専門店 xxx と書いてある。しかし、それはオフィスビルの入り口。自動でも何でもないビルの入り口に立ち入ると、そこは郵便受けが並ぶ、ただの入り口。その奥に、もう一つガラス扉があって、そこがチーズ専門店であった。中はチーズ屋さんの香り。ケースはおおよそ4分割、青カビ、白カビ、ウォッシュ、ハード、それぞれ何種類も並んでいる。裏方の冷蔵庫には、どれだけの品が詰まっているんだろうか?小さいお店だけれども、そこそこバラエティーもあって楽しい。職場のある灘区には、有名な大きなチーズ屋さんがあるのだけれども、そこまで歩いて行く、あるいはバスに乗って行くのは(私の場合)気合が必要なので、チョイと三宮で買い物できるのはありがたいことだ。
1 月 9 日、Dirac 方程式について、Dirac 方程式とは書いてない量子力学の教科書、なーんだ?これは、もちろん、Dirac の書いた量子力学の教科書。こういうのは、パイオニアならではの行いで、よく見かけるものである。ところが、最近、どうも、この麗しい慣習が怪しくなって来ているのである。ナントカ模型という、模型の名前が一般的になりすぎると、パイオニアも自分の名前そのままで論文に書かざるを得ない場合が増えて来たのである。どんなモデルが?と、ひとつひとつ挙げると、その方の道徳が低いと揶揄しているのではないか?と受け取られかねないから止めておく。ともかくも、人の名前で業績を引用するのは、あーんまり良くない方法ではないかと思うし、そのようなレフリーコメントをかつては良く、受け取ったものだ。
1 月 8 日、微分方程式、30年前くらいは高校の数学 III で扱っていた。定数変化法も練習問題に含まれていたから、今から思い返してみると、色々な特異点の周辺まで解を伸ばせるように、教えられていたわけだ。それが、一時期の「ゆとり」でスッパリと消えてしまって、大学で「変数分離形」なんてことを、一年生の最初の講義で口走れなくなった。聞くところによると、現在も、そして新課程でも、やっぱり微分方程式は正面切っては扱われないのだそうな。ところが、微分方程式を「習った」という学生もポツポツ居るのである。どうやら、囲み記事など、オプショナルな形で教科書に微分方程式など入れておくのは良いらしくて、副読本やら計算ドリルには堂々と掲載されているのだとか。そうだよねー、文化文明というのは、こういう風に、教える層が立場を超えて緩やかにスクラムを組んで、「良き伝統を守って行く」ものだよねー。
1 月 7 日、鉄というと、どこにでもありふれた材料のように思うのだけれども、スクラップでも1トンあたり何万円かはする。中には、その千倍以上の価格の鉄もある。生産量の限られた特殊鋼というのは、高価なものらしい。また、今では (ほとんど) 造られていない鉄もまた、希少性から高値で取引されている。高温の炉をひっかき回して取る錬鉄 (れんてつ) は、古い建物や橋などを壊した時か、遺跡を掘り返したような時にしか出てこない。砂鉄を溶かさずに、おにぎり状態 (?) で取り出して来る新和鉄もまた、製法が製法だけに値が張る。こういった直接製鋼は、一見すると合理的に見えるのだけれども実は難しいらしい。ともかく、このような高価な鉄は包丁など刃物にも良く使われる。鉄の歴史は、ええと、ン千年、冶金工学はン百年か、まだまだ歴史が浅い。将来は、どんな鉄、あるいは金属が、生活を飾ってくれるのだろうか?
1 月 6 日、庵治石という石がある。少し目の細かい花崗岩。採石場に行くと、ゴロゴロと大きな石が転がっている。石の加工は、瀬戸内の町、庵治の地場産業の一つだ。一方、大阪湾をはさんで、対岸の阪神間にも、同じように目の細かい花崗岩があり、御影石の名前で有名だ。石にも色々とランキングがあるらしくて、「ほんみかげ」と呼ばれる石は、とても高価だ。何でも、不動産の開発などの時に掘って出てくる石とか、何らかの理由で山が崩れたような時にしか、もう取ろうにも取れないらしい。人類の科学は陶磁器の作成やら、金属の精錬など様々なことを可能にしてきたけれども、さすがに花崗岩は(今のところ)作れない。結晶成長のタイムスケールを稼げないのだ。ただの石や岩に、テクノロジーを超えたものがある、なかなか素晴らしいことではないか?!
1 月 5 日、阪急六甲駅から、経済学部前まで歩く。これは毎日の通勤経路で、一旦ここまで登って、後はゆっくりと理学部まで降りて行くのである。昔は気分が乗ったら、六甲ケーブル下まで歩いて行くこともあったけれども、さすがに最近では、よく登っても発達科学部前まで。さて、正月休みを挟んで久々に登ってみると、体が重たいこと。体重が増えたとか、筋力が落ちたとかいうのではなくて、循環が追いつかないという感覚。持久力が試される運動は、確かに、しばらく休んでいたな。今年は初売りで重たい買い物することもなかったし、初詣であちこち巡り歩くということもしなかったし。大昔、受験生の頃は、一日中机に向かって勉強していても、そんなに体が重たくなることはなかった、あれが若さなんだと、今頃気づくのである。今は、軽さを取り戻したければ、努力するしかない。
1 月 4 日、スキーをするならば、雪はパウダースノーがいい、それも圧雪された直後の。そんな風にずーっと思っていた。さすがに、春先の水をベットリと含んだ溶けかけ泥混じりの雪はゴメンだけれども、ガリガリのアイスバーンだとか、ザラメとなった砂のような氷の集まりもまた、それぞれ異なった感触が楽しめて良いものだと、ごくごく最近になって感じるのである。ずーっとアイスバーンが続く所では、雪を飛ばしてスピードコントロールすることは望めないので、エッジで氷を削るように滑ることになる。一方、そのような動きをフカフカの雪で行うと、深く食い込みすぎてスキーを取られかねない。その両方が同居していると、もう涙が出るほど楽しいのである。緩斜面や平地、あるいは緩い上り坂だとスケーティングで遊びたい。リフト券持ってて、わざわざ「二の字」でゲレンデ脇を登って行くアホウが居たら、それはたぶん私。そういう動きも、普段から練習しておかないと、イザという時に危機を逃れられないからね。
1 月 3 日、普段よく散歩する場所にも、数々の謎があるものだ。どうして、こんな所に大きな岩があるの? この石垣は何? 雨水を流す側溝が花崗岩の石組みなのは何故? この道は、いつからある道なの? 町の区画は、いつの間に出来上がったの? 数え始めるとキリがない。さて、今日の謎解きは、大土平町2丁目にある、小さな神社。現地に行くと、本殿らしき小さな社があるほかは、看板も立て札も何もない。そして、辺りはいつも綺麗に草刈りされている。この神社は、どんな神社? ずっと心に引っかかっていた謎なので、よし検索してみよう。判明したことは、少し丘を登った場所にある、大土神社の別宮で、厳島神社なのだそうな。ああスッキリした … わけではない。別の謎が生まれてしまった。この、すぐ西側にある、篠原北町の厳島神社との関係はあるのだろうか? いや、そもそも、神社同士の関係って? 人々と神々の関係は、サイエンスのように整理できないものかもしれない、そんな事をボーッと考えつつ、正月の三ヶ日は過ぎて行ったのであった。→ もうちょっと掘ると「摂末社」のキーワードで、一応の回答が拾えた。もちろん、一応の、であって、神々(複数形)を祀ることの始まりまで、興味は尽きないのである。
1 月 2 日、高価なデザートなど出てくるはずもない日々の食卓を彩ってくれるのが果物。今の時期は、やっぱりリンゴ。年内に出てくるリンゴはとても美味しい。年中食べられるとは言っても、やっぱり収穫して日が浅いものが、酸味もしっかりしているし、傷やカビなどのハズレも少ない。また、包丁の切れ味のチェックや、刃の使い方・研ぎ方の試行錯誤にも向いている。(リンゴを真っ二つに切る時に、出刃包丁の出番はあり得ない。) そういうわけで、毎日毎日、リンゴの皮むき。クルクルと巻いて剥くのが良いのか、それとも先に小さく切り離して縦に剥くのが良いのか、これも思案のしどころ。半分しか食べないような時には、もちろん縦剥きとなる。品種もいろいろ。金星という、美味しいリンゴ、新しいように見えて、実は昔ながらの品種。栽培方法や売り方が、サンふじの影響を受けて変わって来たのかもしれない。以前は良く食べていたジョナゴールド、見かけることもあまりなくなって来たかな?
1 月 1 日、ダシを取って、野菜は丸く、薬味っぽいものも用意して、味噌を少し加えた汁に、温めた餅を落とし、なじませて、漆器の椀に。会津の大森さんという漆器作家の方から購入した、朱塗りの漆器は気分と味を引き立ててくれる。味を引き立てるというのは冗談ではなくて、そもそも漆器は木の器なので熱伝導率が低く、冷えにくい。餅を食べている最中に、器に熱を奪われたら悲劇なのである。これには反論もあるだろう、陶器の器ならば、湯煎して温めておけば良いのだと。まあ、それはそう。でも、温めた丼に雑煮が入ってるのは、どうも、気分が出ないんだよなー。というわけで、最後は気分の問題という事にしておこう。何はともあれ、漆器というものに触れる機会を持つこと自体が、大切なのである、今日は元旦。
11 月と 12 月の1行日記