← 1 月と 2 月の1行日記
12月31日、黒豆が仕上がる。最初、糖度が十分に低い所からスタートして、途中で火を落として水分吸収させるようにすれば、とりあえず失敗しないようだ。これは今までの経験則。また、最後の最後で、欲張って煮詰め過ぎると、糖度が上がって豆が硬くなるばかりではなく、部分的にカラメルのような香りが付き始めてロクなことがない。世の中に「圧力釜」というものがあるのならば、「低圧釜」なんて物もあって良いのではないかと思う。圧力を下げ続けられるならば、ローストビーフなど温度管理が微妙な調理も楽になるんじゃないかなーと想像している。ともかく、黒豆が仕上がったので試食。黒砂糖を使ったので、今回は塩気ゼロ。というか、黒砂糖の成分の中に、少し塩類っぽい味も含まれているから、塩という隠し味があまり必要でなくなる。まあ、黒砂糖は製品ごとに味が違うので、一概には言えないことなのだけれども。
12月30日、今年最後の arXiv 更新日。先週木曜以来の更新なので、普段の火曜日くらいの分量は溜まっている。じーっくりタイトルを見て、引っ掛かりそうなものをリストして行く。むかーしは中身までじっくり読めるくらい、投稿数が少なかったのに、今ではタイトルとアブストラクトを流し読みするのが精一杯だ。とはいっても、ロボットによる検索は、全文検索しない限り、まだアテにはならないし、全文検索は禁止されている。最近少し助けになっているのが research gate からの情報。しかし、research gate が facebook のように「投稿多すぎ状態」となるのも、たぶん時間の問題だ。そのうち、専門職が出現するかもしれない。「日刊物理」なんて、立ち上げる人が現れそうな来年。と、勝手に振っておいて、わしゃ、そんな面倒なモンには参加しないぞと無責任発言。
12月29日、冷やしたイワシを試食。イワシは小さい方がウマい、と、思った。パサついた味なので、油を足す調理を考えないといけない。バターで焼き直すという手はあるか。動物性の油脂は使いたくないないー。植物油だって、採り過ぎれば同じことなのだけれど。精進料理だとミソとゴマ油を練ったものが登場するか、こういう場合には。味のブラックホール、カレー風味のスパイスミックスに頼るという手も、あるかもしれない。まあいいか、数日間は、このイワシと遊びましょう。ということは、お正月の料理もまた、イワシ?
12月28日、頭を落とした、丸々とした大きなイワシが積んであったので、20匹も買って帰る。これだけの数があると、三枚におろすと40回の手間となるわけだ。魚屋のように、サッ、サッと身が取れれば問題ないのだけれども、そう上手くは行かない。中骨に身が付かないようにと神経質になりすぎると結局は骨を切ってしまうので、刃の角度と力加減が難しいものだ。ともかくも、30分くらい格闘して全ての作業終了。中骨も、よーく煮ると食べられるのだけれども、今回は身と一緒に煮て、ダシが出た所で捨てる。一応味見はしてみたけれども、大きいイワシの中骨はやっぱり骨だ、努力してまで食べる必要はない。食べられるように煮詰めるならば調味料の方が高く付くかもしれない。さ、煮上がった身は、一旦冷やして、オリーブオイルでもかけて食べようかな。節約したから、これでどうにか年が越せそうだ。
12月27日、伊達巻を買って来る。美味しい …. か? いや、自分が知っている伊達巻とはイメージが違う。これは甘い卵焼きだ。やっぱり、自分の味というものは、守らなければならない。今度は、ちゃんとすり身を買って来て、調味料を合わせて、卵を加えて、焼こう。この伊達巻、どこのメーカーのものでも、結構な値段がする。生産ラインを普段とは違う設定にして、一時期だけ流通に乗せるというコストが、けっこう高く付くのだろう。似たようなものがあるかなー、限定で出てくる普段とは味が異なるカップラーメンは、値引きがあったとしても定番商品の特売価格にはかなわない。新商品になると、パッとでて、サッと消える運命が普通。確か、この辺りを風刺した歌があったっけ、「カップミュードル」とかいう。
12月26日、大掃除をしていて、パソコン関連製品の箱を解体する。リサイクルできる、という印が付いているのだけれども、紙の表面に薄い樹脂膜が貼り付けてあって、紙リサイクルとプラ・リサイクルの、両方の印が印刷してある。そんなん、ないよ、と言いたくなった。ちゃんとリサイクルするには、薄い樹脂膜をはがして、紙は紙、樹脂は樹脂と分別しなければならないではないか。こういう事例は、珍しくはない。飲み物のペットボトルも、ボトルとフィルムには別の印が貼ってあって、分けてから廃棄しないといけない ... ようだ。いや、分別して収集したあとで、何がどうなってるのか想像もつかないのが、この「ようだ」の3文字の原因なんだけれども。なんか、分別収集したものも、場合によっては同じ場所で焼却処分してしまうことがある、なんてことも耳にするんだけどなー。
12月25日、燃料電池について、今の今まで何も知らなかった。なになに、電解液に同じ金属の電極を2枚入れて、電気分解をした後で電位を測ると、電池になってる? そして、電気分解で生成された酸素と水素を電極近辺に与え続けられる限りは、取り出せる電流は小さいものの、電池として作動する? なるほど、酸素と水素が直接出会って水に戻るのではなくて、いちど電離するのがミソか。電池としての動作原理は普通の電池とさして変わらないけれども、電離する前の、元の物質が「燃料として使える」所が、燃料電池という名前の由来なのだな。調べてみると、メタノール電池という商品もある。エタノールでも発電できるな。え?飲む方が人類のためだって?!
12月24日、調理酒が切れる。何のために、調理にアルコールを使うのか?はじめに煮切って使う場合には、残った甘味旨みなどと、ほのかな酒粕の香りなど、調味料としての役割。煮込み料理のはじめに使う場合には、沸点が低くて気化し易いので、フタをした鍋の中で温度を速く伝達する効果が期待できる。その他は?「肉が柔らかくなる」と、書いてある文章もよく目にするんだけれども、タンパク質などの変性にどういう効果があるのかは、化学屋ではないので何とも言えない。ところで、いま台所に置いて使っている調理酒の中には、吟醸酒もある。もったいない事を! と揶揄する人が多いのだけれども、そういう方には必ず質問を返すのである。「いろいろな日本酒を煮切って煮詰めて、味見したことありますか?」と。えー、こんなの飲んでたの?という気分になるかも?!
12月23日、しばらく前から取り組んでいるペティーナイフの研ぎ。「裏」と呼ばれる、刃の左側の面を、元の両刃からベターっと平たい状態へと持って行こうとしているのだ。ここで、砥石との面倒な関係が問題となる。刃物を研ぐと、砥石は凹むのである。従って、そのまま研ぎを続けると、やがて刃物の側面は曲面となる。それを防ぐよう、砥石の各部分を使うように意識して研ぎ進めても、やっぱり、いつかは砥石が凹んで来る。そうなったら、また砥石の面を平らにする。これには、砥石同士をこすりつけるか、それとも専用の道具を使うか。ともかく手間がかかる。そうして平らになった砥石で、また刃を研ぐ。最終的には、あまり力を入れずに、軽く往復させて、鏡のような面を出して行く。面倒なんだけど、出来上がった薄い刃は、リンゴなどのフルーツを扱うのに適していて、カットしていて気持ちが良い。切れ味の良さは大切だ。物事の準備とは、何でもこんなもんだろう。
12月22日、ミリカンの油滴実験というものがある。高校生向けの読み物にも、ときどき載っている。さて、あれはシュレディンガーの猫なんでしょうか? というのが今日の疑問。まず、初期状態として「油滴の充満した実験環境」は、古典的に準備できるんだろうか? まあ、今の世の中なら、油粒の一滴を理想的に宙に浮かすことは、インクジェット・プリンター屋さんに頼めばやってくれるだろう。その油粒を帯電させる、これは量子力学的過程だ。異なった電化を持つ状態の「重ね合わせ」が、観測前の量子力学的始状態となる。そこに電場をかけるのは古典操作。さて油滴がどちらに向かって動くか? これを観測した瞬間に、荷電状態の重ね合わせは壊れてしまう。これはいったい、どの段階で「観測」されているのだろうか、我々の情報処理系まで含めて、よーく考えてみないといけないな。
12月21日、氷に乗る。今日、改めて気づいたことは、左足の片足でバックエッジに乗って、フラットに滑ってしまうと、右にも左にもターンできなくなるということ。当たり前のことなのだけれども、上体で無理やりヒネらない限り --- この動作を急激に行うのは良くない --- インかアウトのエッジに乗っていないとターンはできない。だから、フラットに乗ってしまうことが、そもそもマズいのだけれども、そこから早々に脱出する方法を身につけなければならない。スネークして脱出というのは効率が悪いし、氷の上で自由に動くのに「無駄足」を運ぶのは禁物だ。ええと、どうしたら良いのだろう、今シーズンの課題になるだろうか。体が横向きのスネークは、少しづつだけれども、感覚がつかめて来た。ともかく、物理の知識は、スケートにはあまり役立たないものだ。
12月20日、往年の、いや現役の歌手がドラムを叩いている動画に行き当たる。昔はポップス (?) を全く聴かなかったので、まあテレビに時々 (?!) 映る歌手、というくらいの認識しか無かった。見てびっくり、ばーっちり音楽にハマってる。そこで、むかーしの映像から今まで次々と見て行けるのが現代の良さであり、また悪さでもある。一時間ほどを映像視聴に費やしてしまった。人々が良いというものは、ひと通りは見聞きしておくものだと思った。それにしても、この歌手、いやアーティストと呼ぶべきか、通して見てみると年々どんどん上手くなっていることがわかる。これから先が楽しみなのである。アカン、ハマってしまった。
12月19日、昨日、ササッと1時間で作った web page を見直すと、色々と粗い所が目につくので、推敲。それとともに、他に停滞していた文書書きについても、やっぱり早々にカツを入れて仕上げてしまわないとダメだなと、思い直すことあり。一年の計は元旦にありと言うならば、今日が元旦だ。片端からどんどん、書いて行こう。やっぱり、この時期になると、人々の文章を推敲することが重なるので、自然と文書力、いや文書執筆への勢いがつくのだ。他人に「文書書け書け」とけしかけておいて、自分はノンビリしているというのでは、ネ。この4行ほどの文章も、ダーラダラと時間をかけずに、せいぜい 10 分くらいで書いてしまいたいものだ。
12月18日、熱力学、今年もやって来ました、ジュール・トムソン過程。これは、毎年、チト考える熱力学過程で、うまーく装置を組み立てないと非平衡過程が紛れ込んでしまうのではないかと、疑ってしまうのだ。理想気体を通すと、温度が全く変化しないという点がポイントなのだけれども、何となーく、温度が上がってしまう気分になる。まあパナマ運河のように、仕切りを入れて開閉しつつ圧力差のある場所を通過させるというモデルを立てると、その連続極限として確かにジュール・トムソン過程が再現されるから、完全に無理解という訳でもないと思いつつも、後味の悪さは残るのである。皆さん、どうやって教えてるのかな。
12月17日、2年ぶりに、オフィスの模様替え中である。この2年間、部屋をちょうど半分に割って、ポスドクと共有していたのだ。その間、できるだけ状況に変化がないようにと、本棚の配置など何も手をつけていなかったので、中に入っているものも「そのまま」に放置されていた。良く言われることだけれども、1年間も手にしなかったものは、基本的にはゴミと変わらない。つまり、2年という時間の経過とともに「ゴミばかり」に囲まれて仕事をしていた訳だ。そもそも、理論物理学者の仕事場には、机と紙切れと、今ならパソコンくらいあれば十分なのだ。よし、これを機会に、ガサッと捨てるものは捨ててしまおう。パッと目に入ったのが、日本物理学会誌。そう遠くない将来に、今よりもアクセスしやすい電子冊子になるだろう、よし、エイヤッ!
12月16日、京都では、研究会の「中日」で、大いに盛り上がっている頃だと思う。私も、昨日に続いて参加したかったけれども、教育を受け持つ身分では、そうそう留守にもできない。この辺りが、教育が本務か、研究が本務かという事の違いなんだと思う。特に、今週で年内最後という講義は、キリの良い場所まで進んでいない場合、休講という選択肢はありえないのである。神戸から京都、新幹線なら、とても近い .... いや、京都大学は、JR 京都駅から随分と離れている。神戸からは、阪急電車の四条河原町経由で行くことが多い。片道に2時間を見ておかなければならない。そういう事情もあって、結局、今日は神戸で「おとなしくしていた」1日であった。気分だけ、京都へ。
12月15日、テンソルネットワークが「輸入学問」であると捉えられているフシがある。うーん、確かに計算方法の改良にシノギを削った年代では、日本国内からの寄与はマイナーだったかもしれないけれども、基本設計やら部品づくりでは、大阪大学に基盤を置くグループが「門を開く」仕事をしているのだ。学問は、宣伝なんかしなくても、中身で勝負だから、文献を転がしておけば良いだろうと思っていたのが、そもそも甘かったのかもしれない。その反省を込めて、「またあの昔話か」と揶揄されようとも、無視素通りの類を目にした時には、コメントを入れることにしている。自分はもう、こんな年だからジタバタしても仕方ないんだけど、当時から一緒に仕事をしている周囲の方々の評価にもかかわることなので。
12月14日、久しぶりに、氷に乗る。進行方向に向かずに片足でスネークする、という課題に取り組むつもりであったのだけれども、今日は団体の子供達やら一般客で、けっこう混雑していた。スケートの大会がテレビ放映された翌日には、こうなるものだ。そんな中で、今日のリンクは「明るい」と感じた。その日その日で、色々な表情を見せるのがスケートリンクの面白い所で、怪我人が出まくるような荒れた日もあれば、黙々と練習する学生だらけの本気の日もある。平日は概して、本気組が多いようだ。平日の午前など、すばらしい氷が待ち受けているのだと、リタイアされた方から聞くこともある。うらやましいけれども、今は無理、週末に楽しもう。スケートリンクで目立つ秘訣をひとつ: 水平付近より高く手を挙げること。全身運動なので、足腰だけに気を取られてはならないのが、ポイントかも。
12月13日、書類書きの1日。英文と、それと同じような内容を含む和文の、一対の報告書を用意する。但し英文の方は、先方から届いたもので、手はつけられない。まずは、和訳を準備して、それから和文の文章を推敲して行こう、そのように作業していると .... 全く上手くゆかない。英文の方の構成が、あまり整理されていないことに気づいてしまったのだ。そういう場合には、もう、1から書き始めるしか手はない。そこで、作業の手順を変更。まず、キーワードを英文から拾って、適当な順番に並べ直す。そして、肉付けをして行って、なるべく筋の通った、スンナリ読める文章に。うまく行ったかな?とりあえず、今日のうちに作業を終えたので、明日は休日にできる。
12月12日、大学への通学路の一角に、コンビニが開店した。この近辺のコンビニは、これで何件目?もちろん、それぞれに狙いがあるのだろう、西側にあるコンビニは駐車場付きで、よく自動車で来店している。南側のコンビニはバス停前、近隣の住民もそこそこ多い。今度は、通学路沿いだけあって、人通りは抜群に多い。但し、人通りが多いからといって安泰ではないのが商店の常、近隣にオープンしたレストランは、次々と撤退して行くのである。じっくり落ち着いて何かを楽しむ立地ではないのだ。コンビニは、さて。ともかくも、これで六甲登山口は、グルリと商店が取り囲む場所となった。むかーし昔は、六甲登山口から上は林だったのだ、世の中変わるものだ。
12月11日、アルコールの蒸気圧を調べてみると、体温ぐらいで大気の分圧で勘定して10パーセントは行ってることがわかった。そうか、酒臭いという表現は、そのまま、アルコールを吐き散らしている現象を述べたものであるわけか。さて、対応する血中アルコール濃度は、0.1 パーセントくらい。体重が 50 Kg の方ならば、その体重を全部水だと勘定して 50g。10 倍に薄めても 500g のアルコール飲料分にしかならない。一気には吸収されないとか、分解速度が最大で 10 g/h くらいまでは行くとか、色々あって何とかなっているけれども、悪条件が重なるとビール一本でも沈没してしまうわけだ。これだけの負担を日々かけ続けると、やがては健康に影を落とすことになる。やーめた、そう悟るのも悪くはないかも。
12月10日、電車に乗って、色々と考察を深める。2次元平面を、まずタイルの敷き詰めのように分割する。分割は、どのように行っても良いとしよう。一枚のタイルに目をつける。それは、適当に凸型をしていて、その面には「周」が一周している。さて、この上で、Ising Model でも何でもいいから、統計物理学のモデルを考えるのである。周を N 分割して考えよう。普通に考えると、正方格子の周は各辺に 4 分割して考えるか、角を L 字型に囲む領域で4分割するか、その辺りが常識的な分割だけれども、どんな分割をしても良いことにしよう。(但し物理屋のセンスの範囲内で任意ということ。)いわゆる、Corner Double Line は、この周の「継ぎ目」に必ず現れるものだ。だから、計算量の観点から言うと、分割 N は小さい方が有利となる。すると、3分割が最低ということになるな。よし、その線で、最小アルゴリズムを見つけることにしよう。
12月 9 日、神戸の海辺に浮かぶ船を見ていて、そこに照準を合わせるようなイメージが頭の中に浮かぶ。そうそう、これは幼少の頃にやったことがある。デパートの屋上かどこかで、照準を覗いて、引き金を引くと、光が走って沖を進む潜水艦がドッカーンと沈没する。あれは何?と、今更ながら正体を確かめようと検索してみると、「ペリスコープ」というアーケードゲームであるとのこと。英語で検索すると、ちゃんと動画も転がっていた。側から見るとショボイのであるが、あれは照準という光学系を通して見るのが、面白さの秘訣だったのではないかと思う。はて、マイクロプロセッサーも無い時代のことだから、どうやってシーケンサーを作っていたのだろうか?あの頃のトランジスターは、それで順序回路を作るには高価すぎたのではないかと思う。リレーシーケンサーかなー、それとも裏で紙テープみたいなものも、一部使われていたのだろうか。ともかく、昔のアーケードゲームは奇想天外な発想の塊で、スクラップにしてしまうのは実に惜しいものだ。
12月 8 日、オフィスの模様替えに着手する。今まで、ポスドクの席を部屋の半分「も」確保していた。年期明けで、そのスペースが空いたので、自分の研究スペースに詰め込んでおいたアレやらコレやらを、移動し始める。そこで発見したことは、不要物の多さ。紙になったものは、使わなければただのゴミなのである。書物は別物だと、まだ今の時点では考えているけれども、将来どうなるかは不明だ。ポスドクが使用していたパソコン機器も、ヘビーユーザーに分配しなければならない。そうして、玉突きのようにして出てきた古 Mac は、それなりに使ってもらい、とうとう命脈尽きる状態となったら、その場合に限り、捨てる。但し、これも、保管コストとのバランスを見ての話である。その玉突き作業に取り掛かって、判明したことは、ソフトウェアのアップデートが必要な Mac がゴロゴロしているということ。おかしいなー、一応、ユーザーには管理者権限を与えているはずなのに。
12月 7 日、先週、arXiv:1412.0732 という論文がプレプリントサーバーに出た。何気ない論文に見えるかもしれない。けれども、これは、実空間繰り込み群にとっては一大事なのである。Kadanoff 以来、実空間繰り込み群というのは、コンセプト的には良く出来ていても、実際に何かの物理量を精密計算しようとすると、使い物にはならないと思われて来た。ここに風穴を開けたのが、1992 年に White が提唱した密度行列繰り込み群と、それを遡ること十数年前、Baxter が提唱してあった角転送行列の手法だ。但し、両方とも、元来の繰り込み群とは少し毛色の異なるもので、最後まで「生の自由度」が残ってしまうものであった。この点は 20 年に渡って無関心に放置されていたと言っても過言ではない。そんな、闇雲な状態が一気に晴れたのである。それも、こんな簡単な形で。アッと驚くとはこのこと。さて、このインパクトの波及は、これから始まるのである。例えば、厳密解に新しい流派を産むのではないだろうか。また、Wilson 繰り込み群の「繰り込み可能性」が、一気に緩和される余地も見えて来た。CFT の陽な構成方法が一つ明らかとなるだろう。いや、高次元の臨界現象を支配するハミルトニアンも、その形が見えて来るのではないだろうか?今まで誰もが苦手としていた (?) KT 転移というものにも、一つの指針を与えるかもしれない。一方で、見えて来ないものもある。例えばランダム系の場合。MERA でも、ランダム系はなかなか扱えなかったのだ、どんな所に disentangler を置くべきか、事前にはわからないからである。このように、構造が未知である状態の解析に、道具として Tensor Network Renormalization が使えるかどうかは、これからの試行錯誤にかかっているのである。
12月 6 日、関西空港に戻って来ると、出口が物々しい雰囲気。カメラを抱えた人がずらーっと。それも、報道陣ではなくて、どこかの団体の方。SP というバッジを付けている方もたくさん。そして、着物を身につけた華やかな女性が文字通り花道を作っているし、黄色い袈裟のお坊さんが並んでいる。総選挙の最中だし、これはきっと、どこかの政治団体の大物さんがやって来るんだと思って、SP の方に聞いてみたら「いえいえ、違います」と。しばらくして、お坊さんが看板を開き始めた。何でも、仏教に関する世界的な集まりが、何年かぶりに神戸で開催されるのだそうな。へー、知らなかった。こういう歓迎の場として空港の出口を眺めてみると、羽田にしろ関西空港にしろ、もう少しスペースを取っておいた方がいいんじゃないか?と感じた。北京の空港がメチャ広かっただけに、ますます、そう感じるのかもしれない。
12月 5 日、昨日書いた「会議開催のお手伝い」のスタッフは、研究所の職員とは全く違った制服を着ている。職員専用のカフェにも、同じ制服の人が働いていた。あの人々は?と、聞いてみると、研究所が契約している、そういった福利厚生サービスの会社の職員なのだそうな。なーるほど、そういう形ならば、日本の私立大学でも、近隣のホテルと契約してケータリングやサービスを継続的に依頼している事例があるな。但し、研究会の会議に、ずーっと人を複数名貼り付けておくだけの費用が出るか?というと、それは日本では無理がある、と感じる。研究分野によりけりなのかもしれない。例えば、ナントカ医学会が開催されると、広場にゾロゾロと屋台が立ったりする、なんて話も聞いたことがあるから、物理屋が貧乏というか、諸経費を全て研究に注ぎ込む「ストイックな慣習」に従っているだけなのかもしれない。ともかくも、ここ北京で日常とは違う文化に触れられたことは、実に良かったと思う。
12月 4 日、研究者を支えるスタッフが、どれくらい居るか?という点も、研究を円滑に行う上で大切なことだ。中国科学院を見て感じるのは、この辺りのサポートが厚いということ。昔は日本の各地の、どの研究室にも居たような永年勤務の手慣れた秘書さんが居て、その補助をしつつ会議開催のお手伝いをするスタッフが居て、廊下はいつもピカピカに磨いてあるし、建物の出入り口に守衛さんが必ず立っているし、門という門にも同じように。人的資源の差が大いにあるんじゃないか、という感覚を覚えるのである。また、いつでもポスドクとなって海外に出られますよ、という鍛えられた博士学生がたーっぷり居るのも末恐ろしいものだ。
12月 3 日、研究会の中日となる。そろそろ疲れも見え始め、特に、風邪が蔓延しつつあるような気がする。外は氷点スレスレ、朝夕は軽く (?) マイナスなので、室内は猛烈に乾燥している。冬の乾燥は北国の宿命、風邪ひきのノドには、あまり良くない。私はといえば、どういうわけか、時々、猛烈に眠くなる。毎日のように、食事に出てくる唐辛子が原因かもしれない。いや唐辛子だけではなくて、山椒も贅沢に使っている。辛いものは、じわじわーっと来て、頂点に達した頃に「辛いことすらわからなくなる」トランス状態となり、意識してかしなくてか、ダラダラと辛いものを食べ続けるようになる。良くない食べ方だ。但し、ある意味で、ダイエットにはなってるかもしれない。
12月 2 日、中国科学院物理研究所のビルが新しくなっていた。何でも、2年前に移転したのだそうな。そういえば、その少し前にやって来た時に、周辺の工事がまだ続いていた。そして、そのすぐ向かい側にも、大きなホテルが建っている。いや、建物は2年前から有った。何の建物だろう?と不思議に思っていたのだけれども、なんと、2年以上かけて内装を整えたのだそうな。今日は、その、真新しいホテルで、国際会議のバンケット。中華料理は万国共通。日本で食べるものより、少し辛みが強いかもしれない。ベースとなる味は、中華料理そのもの。さすがは中国三千年の … いや、唐辛子が到着したのは、新大陸からだから、かなり後のことかな。中華鍋も、歴史的には比較的新しいものらしい。歴史的に大昔には土鍋だったのだとか。
12月 1 日、巧克力味狭心 奥利奥 って何じゃ?想像を働かすに、巧克力味はチョコレート味で、奥利奥がオレオか。農夫山泉・飲用天然水・浄含量 1.5L と書いてあるぞ、「農」の簡体字にはテコずったけれども、一度読めるようになったらこっちのモンだ。さてこれらは、ホテルの横にあるコンビニで売っている商品。あれ?と思ったのが、コンビニに笑顔があること。レジで顔を会わせると、ニッコリしてて、お釣りも丁寧に渡してくれる。売店のレジにも接客が浸透して来ているのだ。衣食足りてから既に久しく、礼節も広がりつつあるのではないかと、来て見て思う北京での光景であった。コンビニでの買い物の価格と、青白い蛍光灯の下で机が並んでるだけの飯屋の飲み食い代も、以前より差が縮まって来た感じがある。そして、何よりも、人民元が強くなった。いや、日本円が弱くなったのである。両替が厳しい!
11月30日、漢字というのは、読むには便利なシステムだと思う。何となく、文字から物事や情景や心情が浮かんで来るのだ。そんな事を書いたら、それは文字を持つ言語に共通のことではないかと揶揄されそうだし、実際に楔形文字でも、ヒエログリフ(の内の表意文字)でも同じことなのかもしれない。マヤ文字なんか、表音文字でも何となく表意文字的に見えてしまう事もある。まあともかく、漢字人口の9割が大陸に、残りの1割が日本列島に住んでいて、言葉のシステムはかなーり違うのに、日本語と中国語である程度の意思の疎通が「文字では」可能なのであるから、ありがたいことだ。ついでに、漢字というと、一点一画を疎かにするなと小学校では教えられる。けれども実は、漢字は元々がそんなに厳格な文字体系ではなくて、活字の時代になって形が決められてしまったという側面も大きい。そんな事もあって、同じ形の簡単な文字でも、台湾、中国本土、日本で止めやハネが異なるなんてこともザラ。あんまり気にしないでおこう、些細な違いは。
11月29日、包丁の柄の管理で、物の本によると ― という表現は絶滅してるだろか ― 柄の木口から椿油を「しみ込むまで染み込ませて」おく事となっている。実際に、椿油を塗ってみると、しみ込む、しみ込む、いくらでもしみ込んでいってキリがない。もともと木は、水をどこまでも吸い込むように出来ているから、サラサラの油もまた、しみ込んで行くのだ。中に水が入ってサビが出てはマズイのだけれども、油がいくらでも吸い込まれて行きキリがないし、油でベトベトになるのも怖いので、適当な所で切り上げ。最後にオスモカラーで目止めした。この塗料は強力で、固まりにくいはずのオリーブオイルや椿油も固まらせてしまう。触媒の威力ってすごいなー。
11月28日、保証人の立場というのは、重いものだ。何も起きなくても、常に、何か発生した場合まで想定して、そのマージンを確保しておかなければならない。今朝、その役割から解放された。ホッとした。よく言われることだけれども、家訓が「保証人にだけはなるな」という一族も多いのではないだろうか?しかしながら、現代社会では何かにつけ、保証人なのである。持ち家のように、担保のあるものであってもローンに保証人が必要というのが、どうにも不思議だとか、日本人でも頼みにくい保証人を、留学生はどうやって確保しているんだろうかとか、色々と考えることがある。こういう所の、社会的な仕組みとリスクヘッジについては、次の時代の経済学が何かを教えてくれるんだろうか?え?自分で経済学の学派を切りひらけって???
1月27日、月末に去る人あり、その手続きの打ち合わせをしようと思っていたら、既に発ちましたよ、という書き置きが机の上に。覚悟していたとは言え、去り際を惜しむことも惜しまれることもないのは寂しいものだ。こういう事態を繰り返さないように、今後は気をつけて行かなければならない。この2年間は、各地を飛び回ることが多かったのは確かだ。留守の間を、どう充実した学習研究の時間として行くか、そう考えてもらえるか、思案のしどころだ。そうこう考える暇もなく、週末には再び空港へ足を運ぶのであるが。
11月26日、雨の日に、傘をさすかどうか。霧雨のようだと、微妙だ。傘をさしてしまうと、どこかで傘を乾かさなければならない。それ以前に、タップリ湿った傘を持ち続けなければならない。一方で、ちょっとくらい濡れても、乾いてしまえば、さして気にならず。降り始めの汚い雨は別として、普通の雨水は浴びても黒くはならない。ガラスや金属の表面に雨水をたらすと、それは乾いた時に「焼け」として残るけれども、実のところ、その物質の分量は微々たるもの。さ、今日は、ささずに歩こう。
11月25日、江戸時代にオランダと交易があった、ということは義務教育で習って頭に残っているのだけれども、どうしてオランダなの?という所は、世界史が赤点スレスレだった私、今までまったく気にしていなかった。インドネシアが、オランダの植民地で、それが原因かどうかは別として、結局は第二次世界大戦で交戦に至った、そんな歴史があったのか。でも結局のところ、どっちも植民地という目論見は外れ、今に至るわけか。ポルトガルやスペインやイギリスも、結局は植民地というものは無くなって行く歴史を歩んだのだけれども、現地に言葉を残したという功績(?)がある。ローマ人の知恵が生きている、そういうことなんだろうか?
11月24日、氷の上の話。スケート靴で、左足フォアのインエッジ、右足アウトのバックエッジ、という切り替えの繰り返しで延々と進んで行く「技」がある。(こういう小技もエレメンツと呼ばれる。)これが難しい。サッサと減速してしまって、2回くらいで停止。理由はどうして?よーく考えてみると、片足のスネークを「体を進行方向に対して横向きにして」練習したことは今までなかった。そういう体重の乗せ方をしつつ、スネークで進めるようでなければ、足の踏み替えをした所で失速するのは、自明の理だ。さあ、次回は、一日中、この練習に明け暮れるぞ。
11月23日、水面の波は、波長が適度に長ければ、その速さは波長の平方根に比例する。どうして? 「方程式を解くとそうなります」と口にするのは素人物理学者。教える立場ならば、そういうエエ加減なことを言ってはだめだ。そこで、現象を簡単に説明できるモデルを立てる。水面波の場合、U字管中の水の単振動を考えさせるのが、簡便だろう。波の復元力の大きさは、波長によらないのだ。一方、加速する部分の質量は波長に比例する。復元力の所が空気中の音波などとは異なる事情で、これが長波長の波を速くする要因となっている。ただ、平方根というのが微妙な関数で、ある程度まで波長が長くなると、そこから先はあまり速さの差が目立たなくなる。
11月22日、船の航跡を探して、造波抵抗が生まれる現場を google map 上で押さえる作業を続行する。そこでわかったのが、船は色々な波長の波を造るということ。中でも、船の長さの半分くらいの波長の波が、いちばん強度が大きいようだ。どうしてそうなるのか?あまりよくわからない。船舶工学は複雑怪奇、物理屋は立ち寄るべからず、そんな領域なのかもしれない。オマケで、関西空港に着陸しようとする飛行機の画像も拾ってしまった。虹色に染まっている。高解像度カメラを積んで、色フィルターを変えつつ3回シャッターを切ったのだろうか?
11月21日、毎年恒例の、空気中の音波について教える時期となった。ここで、迷うことがあるのである。波を教える場合にはまず「釣り合いの位置からの変位」を2変数関数 u(x,t) として取り扱うことから始める。空気のような流体でも、それに習えばいいのだけれども、流体には「流れる」という性質があるので、どちらかというと圧力 p(x,t) の平均圧力からのズレを、音の正体として取り扱う方が都合が良い。どちらの立場を取るにしても、流体が流れている状況下での場の方程式は一段難しいので、結局は「流れていない場合に」と断って話を進めることになる。両端が開いた筒というものが、あまり教科書に登場しないのは、この辺りに理由がありそうだ。
11月20日、池に石を投げると、水面に輪が広がる。ええと、池に石を投げるなんてこと、都会ではまずあり得ない体験だし、そこで広がる輪をじーっと眺めるなんて、ないよねー。従って、この例を使って水面波の群速度と位相速度について素朴な理解を求めようとしても、成功しないのである。よし、自分で池まで行って、石を投げ込んで来よう。... 待て、誰かが管理している池に立ち寄って、誰のものか良くわからない石を拾って投げ込むなんていう映像を up したら、必ず通報されて、始末書を書くことになるぞ。池はアカン。水槽に水を張って、そこに玉を投げ込むことにしよう。水槽の水はどこから?誰の水なんじゃ?という所もクリアにしなければ。面倒な世の中になったものだ。
11月19日、区役所へ外国人を連れて行く。こちらから通訳するまでもなく、案内係は二人とも英語バッチリ、さらに受付窓口のお姉さんが完璧に英語ペラペーラ。そうか、自治体の窓口というのは「国際化」がまず進む場所なんだと、今更ながらに気づいた。ということは、中京圏では市役所でポルトガル語が、ロシア人の往来がある北の方ではロシア語の準備が必要となるわけか。さてその後、ICOCA の使い切りについて調べる。なになに、あれはデポジット付きのプリペイドカードなのか。スマート ICOCA と、普通の ICOCA を混同していた。Pitapa 使いの私には預かり知らぬ世界であった。
11月18日、健康診断の日。朝から、何も食べずに職場へ。何でも、食うと正しいデータが取れないのだそうな。この辺りに、まだ医学的な統計処理が、始まったばかり、歴史の浅いものであることが見えて来る。そういえば「標準体重」というものも、集団として病気になり難い体重のことを指しているから、個人個人がおしなべて「標準体重プラスマイナス1キロ」となるように無理な努力を重ねると、かえって病人を増やしてしまうことは間違いないのである。iPhone みたいに、iWeight だとか iMeal など、個別にカスタマイズされた健康目標について、考え、研究を進めて行く時代となったのではないだろうか?とりあえず、今日の健康診断はクリアしたらしい。さい、今晩から iLife だ。あ、それは Apple の商品名か。
11月17日、時計を修理するために、地元の時計屋さんへ行く。いまどき、時計で商売できるんだろうか?と思って売り場を眺めていると、次から次へと客が来る来る。その目的は?金の地金やコインの取引。ああ、なるほど、時計屋さんは副業で、本業は金取引だったわけか。短期的には、円という通貨の信用がどうなるか、先行きが見えないと判断する方も多いのだろう、金取引は商売繁盛していた。金の相場って、どれくらい変化しているのだろうか?と、ちと不思議に思って見てみて仰天、主要通貨に対して数倍の幅で変化している。また、落ちる時には崖から落ちるようにガクッと落ちる。外貨より怖いような、手堅いような、そういう魅力あっての金相場なのか。ま、大学の教員には手が出ない世界だな。
11月16日、文具店で売っているハサミの切れ味に満足できないので、刃物専門店でハガネのハサミを買い求めた。価格は軽く10倍する。切れ味は?恐ろしく鋭利。なるほど、こんなにも切れ味が鋭い物は学校教育では使わせないはずだ。ハガネなので、切れ味が落ちたら研ぐこともできる。ハガネなので、無理して使うと、パッキーンと折れてしまうこともある。また、草花などのような湿気のあるものは切れない。あるいは、切った直後に「ぬぐう」必要がある。あ、そうか、時代劇でよく、斬り合いの後で日本刀をシャッと振るシーンがあるけれども、あれはサビを減じる意味もあるわけか。ご隠居さんは、毎日、日本刀の刃に粉を当てているし。
11月15日、フィギュアスケートは全身運動だと、最近になってようやく、理解の入り口に達したような気がする。例えば、右足のフォアインからバックアウトへのスリーターン。コンパルソリーだと、手を前に広げて体をひねり、ターンが終わるとひねり返すのが常道。近くの女子大のスケート部が練習しているメニューを、よーく見ると、ターンする時に「ラジオ体操の要領で」手を上にかざして広げ、最後にジャンプ後のチェック姿勢を取っている。見よう見まねでやってみると、見事に体のヒネリがおろそかに。氷の上に、みっともないトレースが残る。なるほど、これがフィギュアか。
11月14日、英文添削を行う。やってみてわかったことは?英文添削は、大抵の場合、日本語の文章を添削するよりも容易であるということ。日本語は、誰しも生まれながらに、それぞれ使いこなしている道具なので、何か妙なことを文章の中に見つけて指摘しても、スルリっと弁論の数々で修正を回避しようと試みられてしまうのだ。これはもう、弁論大会のようなもので、一行直すごとに10分議論して、という具合で、なかなか添削修正が進まない。英語の方はというと、書く方も添削する方も外国語を使っているわけで、理解していないことや、主張の論理が組み立てられていないものは、議論の対象とならないのである。なるほど、英語で論文を書く時には、共著者にネーティヴな英語使いが居ると、難儀なことになるんだ、用心しておこう。
11月13日、Facebook は会社・社会の裏口か? … というのは、業務上、名前を Open にしている職種って、大学教員に限らず色々とあって、そうして目にしたフルネームから検索をかけてみると、結構な割合でプロテクトされていない Facebook アカウントにヒットするからなのだ。ひとたび、そういう所を見つけてしまうと、その「友達」をゴボウ抜きに検索して行けてしまって、結果として「とある集団の現場での裏話」の類を垣間見ることになるのである。そういう事を度々目にしているので、日記だろうと Facebook だろうと、誰かの記事への書き込みも含めて、なるべく何処で公開されても困らないように配慮して書くよう心がけている。まあ、大昔の日記なんて読み返すと、ヤバイなーという気持ちはあるんだけど。
11月12日、建設中のリニアモーターカー、あれ、超電導磁石を使うことの理由をハッキリと説明してある記事をあまり見かけない。ぶっちゃけて言うと、路線となる地上側には、もともと超電導のチョの字もないし、車両側も「経済性も乗り心地も考えなければ」フツーの常伝導電磁石で車体を浮かせることが原理上は可能だ。ただ、それだけの磁力を安定して発生させる電力を走行中に得て、外部環境が常に変化する状態で常伝導コイルに安定した電流を流して、そしてコイルからの発熱を逃す、そういう所まで工学的に詰めて行くと「今のところは」超電導に軍配が上がるということ。だから、あの、テレビで「超電導体が磁石に浮かぶ」マイスナー効果を見せて、いきなりリニアモーターカーを写すのは、啓蒙的な目的とは言ってもちょっと、ヤバいんじゃないかと思うんだなー。
11月11日、電車に乗って、ボーッと外を眺めていたら、突如目の前に現れたのは、並走するお座敷列車。普通の通勤電車のようなロングシートの車両の真ん中に、ロングテーブルがあって、団体さんが飲み食い宴会中。こっちら側は帰りの通勤電車で、周囲はスーツに身を包んだビジネスマンだらけ。ほんの数メートル先に、別世界が見える、興味深いものであった。その団体専用車両は、貨物列車のように駅をスーッと通過して、何処へやら。夢、幻、そんな残像を残して。ふと我に帰ると、仕事は山積みのままである。今日の仕事はともかくとして、夜の空き時間には日常の業務に戻らなければならない。まずは論文チェックから。レフリー業もこなさないとダメだな。
11月10日、しばらく前に、デリカテッセンの語源の話をしてたことが頭に残ってたのか、今日はトアロード・デリカテッセンのお店でお買い物。ハムのような、テリーヌのような、ともかく色々なものが置いてある。おおよそ、大きなハムのような塊から薄く切り出してくるものだと想像すれば良いか。ドイツのデリカテッセンでは、注文に迷うと「ともかく何でも入れてくれ」と言ったら、適当に詰めてくれる … こともある。売り場によりけり。ここはどうなんだろうか?今日は、とりあえず日持ちのしそうな真空パック物を買っておいたのだけれども、今度行った時に聞いてみようかな。
11月 9 日、日本の大抵の場所で、ホテルの宿泊代金は金曜・土曜・日曜が高く、終日は安い。仕事が休みで遊びに行こうという観光需要が過半となるからだろう。大都市の都心の場合はチト事情が違っていて、勤務のある週日の方が宿泊料金が高い。ビジネスマンが利用することが多いということか。まあ単純に、週日の方が人口の集中度が高いということかもしれない。
11月 8 日、アシカ、アザラシ、セイウチ、トド。ええと、ニュースで良く聞く動物の名前なのだけれども、どれがどれ?と聞かれると怪しいのである。まず、ゴマアザラシの可愛い赤ちゃんは、ヌイグルミにもなっているので、一応は思い浮かぶ。ということは、アザラシは水を入れた袋みたいなのが転がっているのだと想像すれば良いか。アシカは、動物園で「ボール遊び」している姿を何となく思い出す。スクッと伸びて手を振ったりできるのがアシカか。セイウチは、調べてみると牙があるらしい。トドも、検索すると熊みたいなアシカみたいな、そんな写真がヒットする。ジュゴンは?もうこの辺りでお手上げ。海辺の動物は色々とバラエティーがあるものだ。近くの動物園に勉強しに行こうか?
11月 7 日、先延ばしはロクな結果を生まないものだ。昨年仕込んだ「いかなごしょうゆ」、十分に熟成して、いつでも「ろ過」できる状態になっていた。いつでも出来るならばと、ズルズルと先延ばししていて、よーく見てみると、ああ、上面にカビが。元々、たくさんの麹を混ぜ込んで仕込んだものだから、麹カビの可能性がない訳ではないと、希望的観測を持ちつつも、ダメだろうなーと。今からでも、ろ過してみるか?その上で、火入れして、再ろ過して、その時点で判断するか。夏前に、シッカリと作業していれば、こうはならなかったろうに、ああ、怠慢は失敗の始まり。
11月 6 日、たまねぎ。むかーし、たまねぎ、あんまり好きでなかった。味気ない、というのがその理由だったように記憶している。今は、簡単にサッと茹でたタマネギも、炒めたものも、スープにしたものも大好き。ついでに、台所に転がしておいても腐らないというのが良い。てんぷらにしても美味しいけれど、これは油を吸い過ぎるのが難点。漬物やピクルスも悪くないな。安い野菜の割には重さがあるので、串刺しにしたツマミを刺す台として登場することもある。芋やタマネギをトマトのように投げ合う祭りはさすがに聞いたことがない。結構硬いので、あれがボールのように飛んで来たら怪我をするからかな。さて、今日はタマネギ、どう料理したものか?
11月 5 日、境界条件について説明しようとして、鏡映が頭にフッと浮かんで、黒板に書いた文字が「鏡界」。自分で書いておいて何だけれども、鏡界って、どんな世界なんだろうか?左右がひっくり返った世界だと、よく説明される。この段階で、毎度のごとく引っかかってしまうのが「心理学的な左と右」という有名な話。いけない、いけない、そんな雑談に入ったが最後、抜け出せなくなる。さて、波束が固定端条件あるいは自由端条件で反射される場合を説明する時には、入射して来た波を表す g(x,t) と、反射波を表す f(x,t) の重ね合わせが ... なんていう講釈を行う。でも、よーく考えてみると、妙な気もする。重ね合わせが波の正体なのだから、それを分離して片方が入射でもう片方が反射というのもなー。そういう、しょーもない事も、意外な「引っかかりポイント」である場合が無いとは言えないから、初学者への説明には気を使うのである。
11月 4 日、Many Body Localization という話を最近よく聞く。Anderson Localization の Many Body 版だそうな。そういう概念が、いま浮かんで来たのかというと、いやいや、ランダム量子系では温度が十分に高くても熱輸送が飽和して上がらないという話は随分と昔からある。そういう現象を、少し違った角度から眺める道具が幾つか得られたので、再び話題になって来ていると見るのが良いのだろうか。この辺りの論文で X. Zotos を引用しないのは、たぶんモグリのやること。さて、Localization の話は、1 次元では割とケリが付きやすいのだけれども、2次元、3次元となるに従って、何をやってるのか訳がわからなくなり易い。今回の「流行」では、どうなるだろうか?
11月 3 日、双極空間とか、ポアンカレ円盤というのは、数学屋さんの困った遊びだと思われているかもしれない。Mac を使っている人は、ドックの拡大に慣れているのではないだろうか、あそこに平面幾何とメトリックが隠れている「ような気がする」のである。もちろん、よーく観察すると、決して曲げて描いているわけではないことに気づくけれども、それでも双極平面的だ。よし、ここは、デスクトップに双極幾何学を使うというアイデアをブチ上げる時だ、モバイルにも使えるぞ! … いやいや、こんな事はきっと、もう誰かが登録しているに違いない。
11月 2 日、日銀が通貨供給量を増やすと宣言、さて新聞などではバズーカ砲とか何とか報道されている。でも、ちょっと待てと思う気分あり。まず砲門は何かを壊す時に使われるもので、さて壊すものとは何?という、まあ言葉遣いにシックリ来ない所があること。次に思うのが、一番大きな潮目は政権交代の時に起きた為替変動で、それに比べるとせいぜい「巨神兵の2吐き目」くらいなのではという程度に関してのコメント。さて、対ドルレートだけに目を奪われてはいけない。科学技術雑誌の多くが、ヨーロッパで出版されている。対ユーロで円安が進むと、大学によっては「もう外国から雑誌買えません」と根を上げる所が続々と出てくるんじゃないかと。グローバルな大学(?)に踏みとどまるならば、外国雑誌は読めないと、と、短絡的に考えるかどうか、よーく吟味したい所だ。
11月 1 日、デリカテッセンという言葉、聞くと何となく、美味しそうな惣菜が並んでいるコーナーが思い浮かぶ。では、その意味は?辞書を引くと、そのまま惣菜とか、something redy to eat なんて書いてある。でもこれ何語?デリカという言葉の響きはラテン系で、テッセンというのはドイツ語っぽい。そこで Webster にお伺いを立てると、直接はドイツ語からの外来語となっていて、その先ずーっと遡ってラテン語まで解説してある。こういう所が、Webster ならではのサービス、流石だなーと改めて感心する。
9 月と 10 月の1行日記