← 9 月と10月の1行日記  

8 月31日、今日は快晴。散歩のつもりで、ちょっと脇道に入ると、どんどん先へ先へと道が続いて、途中で分かれ道に。1つは山の上の Cerler に向かう道、もう1つは隣町の Anciles または元の Benasque へと通じる道。Cerler に再び登るのも悪くはない選択だけれども、今日は内職の仕事もあるし、時間がないからパス。そして、その先の Anciles への分岐も見送って Benasque へと戻って来る。結局、2時間もウロウロと山道を歩いていた。途中で、マウンテンバイクの兄ちゃん姉ちゃん(?)とすれ違う。ちょっと信じ難いことであった、あの道を自転車で走破するなんて。でも、思い出してみると、確かに泥道となった場所に、自転車らしき轍が残っていたな。

8 月30日、宿泊しているホテル (Hotel Ciria) は、なかなか快適。シャワーだけというのが、山小屋の普通のスタイル。真夏でも、バスルームはちゃんと加温してあるので、ともすれば有りがちな「寒いシャワー」ということがない。ネットも、まあまあ速い。すぐ下にカフェがあるので、人々が集まって来ると iPhone が自動的に接続して、スピードが落ちることは時々ある。まあ、そんな時には頭を使う仕事に切り替えると良い。今日は土曜日だから、公式行事はナシ。午前中、3時間と少しの時間を角転送行列形式やら、シュウィンガー模型の議論に使う。誰も居ないかな?と思いきや、次々と人々がやって来て、ボソボソと仕事をしている。物理屋稼業に休みなし。

8 月29日、今日の昼食は、待ちに待ったパエリア。でも、ここは山の中。シーフードではない。鶏肉のパエリア。その上に、何やら貝が。よーく見てみると、それはカタツムリ。こちらでは「カラコレス」と呼ぶ、何となく殻っぽい名前だ。そして、生きているかのように、角を出した状態で仕上がってます。うーん、なかなか可愛い。パクッと食べる人あり、気味悪がる人あり。確かに貝は貝、貝の味がする。ただ、少し柔らかいので、海の貝のような塩味と歯ごたえを期待すると、物足りないかもしれない。ともかくも、今日はスペインまでやって来た目的の半分を達成した。いや、そうじゃない、国際会議の議論と発表が本来の仕事。さあ、準備を頑張ろう。

8 月28日、スペインの昼食時間は、ここベナスケの場合おおよそ午後1時過ぎくらいから3時半くらいまで。マドリードでも大差ないか。昼食時間の頃になると、小学生らしい子供が家に戻って来るのを見かける。そう聞くと、お母さんは主婦のように聞こえるかもしれないけれども、この山の街では大抵の家が何か家業を持ってるから、手の空いた家族は年齢性別によらず、何らかの仕事をこなしている。ただ、昼間の昼食時間はノンビリ過ごしてるし、夜遅くに仕事が終わった後 ― 夜の9時や10時が終業時間だったりする ― は、日付が変わる頃までくつろいでいる。ようやくシーンとするのは1時頃だろうか。そして、朝食時間の始まりは朝の8時。ごくわずかの人々が、朝の6時頃からテーブルを上げ下げしたり、ゴミを集めたりしている。学校などは朝の10時かららしい。2時間は時計とズレているけれども、実は、太陽の南中とはバッチリと合った生活時間なのだ。

8 月27日、あちこちでキノコを売っている。宿泊しているホテルの一階のレストランでも、ラテスの前に箱が置いてあって、キノコが山盛りに飾ってある。なんじゃいな、と思って、昼休み(いわゆるシエスタの時間)に、ちょっと山道を散歩してみた。あるある、どこもキノコだらけ。それも、売ってるのと同じ種類のキノコがどっさり。ただ、美味しいポルチーニは見つからない。サッサと、地元の方が採って行った後なのではなかろうか?ハツタケらしいのもあるなー。日本のハツタケと違って、赤い汁が出たり青くなったりしないけれども、あれはハツタケだ。(私の出身地では、ハッタケと呼ぶ。マッタケと同じように。)生は持って帰れないから、とりあえず、地元の販売店で、乾かしてあるのを仕入れた。それでも、凄い香りがする。さて、どんな風に調理しようかな。

8 月26日、スペインは卵料理が豊富。プリンだけでも、硬いのから柔らかい普通のプリンまで、色々とある。ただ、ゼリーや寒天などの入った柔らかいプリンは見かけることがなくて、卵でシッカリと固めてある。多少の「す」が入ることは全く気にしない模様。卵、砂糖、ミルク、カラメルでキッチリと狙った味にする技量は流石。オムレツもまた、硬くて大きい、大きな円盤形。昼食も、安上がりなのは卵2個の目玉焼きとハムか何かの付け合わせ、そんな感じが多い。ミックスサラダを頼むと、これまたゆで卵がボンと。コレステロールを気にしておかないと …。聞いてみると、昼食と夕食の両方ともタップリ食べることはあまりなくて、どっちか一度がメイン、他方は軽く、ということらしい。

8 月25日、ワークショップの初日はボチボチと、と、思ったけれども、初日から色々と興味を引く話題がポンポンと出て来るので、いきなり集中モードに突入。もともと無い英語能力が、更に錆び付いている訳だけれども、こうして過ごしている内に「話す方は」段々と鍛えられて来る。一方で「聞く方」は、なかなか身に付かないので、よく「それなに」と聞き返すことに。大抵、英語が母語でない人の英語は片言であってもわかり易い。一方で、生まれつき英語を話す人は要注意。ともかく、なーんにも気にせずに話し始めるから、よーく聞いておかないと、何を話しているのかすら、見当がつかないことがある。それが物理の知識の欠如に起因する場合は、英語を幾ら鍛えても無駄なことだ、さ、物理の勉強!

8 月24日、昨夜はもう、機内食でお腹いっぱいだったので、水を飲んで早々に眠る。朝食は、スペインお決まりの甘い「粉もの」と、カフェ。粉もの、というと揚げたチュロスとか、クレープとか、プリンみたいな焼き物だとか。近くの国のワッフルやクロワッサンなども含めて、適当に並んでいることが多い。そして、昔の習慣ではないだろうけれども、今ではチーズやハムやソーセージも適当に並んでいる。朝から、ハモンが食べられるなんて贅沢だ。これだけの朝食をつけても、大した値段にはならない … と数年前は思っていた。が、今では、ユーロと日本円の比率が倍くらいに変わっているので、日本円で考えると結構な違いとなる。まあ、こっちに入ったら、ユーロのことはユーロで考えることにしよう。午後に空港で、懐かしい面々と出会い、バスに4時間乗って Benasque に到着。以前、5月に利用した時には閑散としていたベナスケの街が、今日に限って、村祭りでにぎわっていた。これから、段々とバカンス客が減って、閑散として来るんだろう。たぶん。

8 月23日、関西空港への到着便が遅れる。普段は 10 時半頃に KLM が出発、その1時間後に Air France が出発というスケジュールだけれど、今日は AF が先だった。1時間と少しも遅れると、アムステルダムでの乗り換え時間が無くなる。いや、あそこは良くできた空港だから、人間だけなら20分もあれば乗り換え可能。でも、荷物の方は、そうは行かない。これは、ラッキーにも、アムステルダムで一泊できるかも?と思っていたけれど、結果はバルセロナ行きの便を40分遅らせるというもの。同じ航空会社の運航便での乗り換えには、こんな融通も効くのだ。結果として、バルセロナ到着は予定よりも30分程度の遅れで済んだ。

8 月22日、サツマイモは、どういう植物か?サツマイモに限らず、ツル植物というものには補給の限界がある。いやまあ、補給に限界があるのは全ての多細胞動植物に共通することなのだけれども、サツマイモは分が悪いのである。ツルが長くて、葉が大きい。その限界を補うように、ツルが地面に接すると根が出て、途中で新たに補給できるものは補給してしまう。このように、いつでも容易に根を降ろしてしまうのがツル植物の特徴。(例外はある。)補給がないと、伸びが止まる。例えばコンクリートの地面にサツマイモの鉢植えを置いて、ダラーッとツルを周囲に伸ばすと、水にありつけない場合には、段々と、先細りとなる。一方で、地面の条件が整っている限り、どこまででも伸びる ... 本当に際限なく伸びるのかどうかは、試した事がないからわからない。アサガオの場合には、細胞分裂の回数に限界があるらしくて、段々と花しかつかなくなって、最後に伸びが止まるのだが ...

8 月21日、MS-DOS とやら(?)のことを調べていると、CP/M というキーワードに、久々にお目にかかる。ああ、あれか「ただの四角い箱」に、あれさえ入れれば、ありとあらゆる「オタクの作品」を使えるようになるという、当時は便利な道具くらいにしか思ってなかった、OS だ。また、これを指して「パソコンはコンピューターではない」とメインフレーム屋さんからケチをつけられるような事もあったっけ。まあ確かに、数十万人が同時に一台のパソコンを利用することはできないから、現在でもメインフレーム屋さんからケチがつく余地があるにはあるのだけれども、パソコンも随分とコンピューターらしくなったなーと。その奥深くに、素人が簡単にはアクセスできないという意味も含めて。

8 月20日、昨夜、facebook で突然チャットの窓(?)が上がる。「共通の友達」が居る方からだとわかる。誰だろう?と思いきや、小学校の同級生だった。そういえば、某小学校の同窓会の方でも、ネットで検索できる人を探すという仕事があったっけ、これを機に、少しばかし掘ってみる。3年前に堀った時には全然ヒットしなかったのに、今では全体の20%はヒットする。facebook 様のお陰である。当たり前のことながら、おおよその傾向として人前に出る仕事の人はヒットし易い。大学教員なんか、その職業についた瞬間に「検索されないというプライバシーは無い」のである。一方、ポスドクの間ずーっと10年間くらいは検索にかかっていたのに、突然「行方不明」となることもある。検索されない権利、それもアリかもね。

8 月19日、カボチャを切る時に、どういう刃物を使うと切り易いのか?今までの経験では、少し大きめの刃で、切っ先に向けて「くさび型」の刃が付いているものが、スパッと切れ易い。ごく薄いステンレス刃が良さそうに思えるのだけれども、それだとノコギリが食い込むような形で切れ止まることが多い。縦に加えた力が、割るような形で身に働きつつ、刃先が切り進む、これが理想。但し「くさび型」の角度があまりに大きいと、オノでカボチャをぶった切ったように、割れてしまう。これでは切り口も粗いし、刃先のコントロールを一瞬の間失うので、危ない。そんな訳で、カボチャ用に薄く研いだ出刃包丁が一本あるのである。いや、あんな研ぎ方したら、もう出刃とは呼べないか。

8 月18日、乾燥そらまめを煎って煎って、皮の所々がこげ茶色になるまで煎って、暖めておいた甘めのダシ汁に投入する。じゅーっと音を立てて、湯気が立つ立つ、しばらく待てば汁を吸った豆のできあがり。これが郷土料理のしょうゆ豆。発音は、どちらかというと「しょゆまめ」と4音節。出来立ての「粘りある歯ごたえ」は自家製ならではの味わい。翌日になると、確かに歯ごたえは残るのだけれども、粘りは失われてボロボロと崩れる感じになる。こちらの方が好きという人も多い。それぞれの味わいがあるのが、郷土料理というものか。

8 月17日、遠くから盆踊りの音が聞こえて来る。昨日の雨で順延となった、神戸うみの盆踊りだ。神戸の盆踊り?ええと、昔の摂津地方の、それぞれの地域に盆踊りがあるわけなのだけれども、(狭義の兵庫ではなくて)神戸というと港から開けた街、どっちかというと輸入音楽・輸入風俗の街なわけで、盆踊りと聞いてもピンと来ない所がある。では、どんな企画なのか?というと、実は「全国各地の踊りが踊れる盆踊り」という珍しい構成となっている。ステージ前にボーッと座ってるだけで、2時間で全国踊り巡り、なかなか神戸らしいものだ。

8 月16日、最近、何だか包丁の研ぎが遅い。以前はダイヤモンド砥石でガシガシと研げていたはずだ、と思い出して、違いをよーく考える。謎を解く鍵は、砥石を置く台にあった。騒音を抑える目的でひいていたタオルが、砥石の安定を妨げていたのだ。面が揺らいでは、正しく研げるはずがない。そこで、硬い木のまな板(オーストラリア製)にダイヤモンド砥石を乗せてみた。おお素晴らしい、圧力をかけた面がガシガシと、木を削るように減って行く。これは、他の砥石にも共通することだろう。よし、段ボールで型枠作って、ラップで防水して、コンクリート流し込んで、研ぎ台つくるか。それとも、庵治の石屋さんに特注品つくってもらおうか?

8 月15日、太陽が出ないので、幾つかの植物は日照不足か根腐れか、どんどん枯れて行った。これまた自然の淘汰。そういう鉢は土に戻して、しばらく寝かせた後に、新しい株を植える。あまり寝かさずに植えると、病気になってしまいがちだ。完全に乾燥させて、天日干しした土を使うという手もあるのだけれども、干している最中に風でもやって来ると難儀なことになるので、自然に任せている。あるいは、ビニール袋に入れて1年くらい密封しておくという手もある。これまた、場所取りなので、庭の狭い家ではあまり実効的ではない。結局、弱い作物は作るな、と、いうことか。

8 月14日、昨日はカニと格闘。小樽で注文しておいたカニが届いたのだ。タラバガニと花咲ガニ。生きたままにしようか?と思ったけれども、浜茹でをお願いしておいた。まず、そのまま味わう。花咲ガニの身は、とても濃厚。ダラバニは、それに比べると薄味だけれども、肉の量が多い。文句無し。少し身を取り分けておいて、ラップで包んだあと蒸し、再び冷やす。これは翌日にも食べられるように。そして今日も食べる。これまた美味。クズになった身などを寄せてスープを作る。カニ汁。味噌を少し入れてもいいかな。こうして、北の海からやって来た真夏のカニは、きれいに食物連鎖されました。

8 月13日、お盆の新幹線に乗る。昔ほどは混雑していない。喫煙ルームのある連結器付近に立っていたけれども、空気はクリーン。N700系の喫煙ルームは、うまく煙を逃さないようになっているものだ。混雑している時には「喫煙順番待ちの列」が出来ることを知った。興味深いのが、若い女性が何組か、それも必ず2人連れでやって来て、火をつけたらスースースーっとごく短い時間だけ吸って、サッサと戻って行くこと。順番待ちの列がなくても、そんな具合。タバコは吸うけれども、全身がタバコ臭くなるのは(自覚症状があるかどうかは別として)好みではない、そんな所だろうか。グリーン車からも、どんどん「来客」が。飛行機の中は至ってクリーンなので、ついつい比べてしまった。

8 月12日、台風の風は、環境が充分ではない草木にとどめを刺す。自然の除草、自然の剪定、自然の伐採。台風一過の庭を見ると、アチコチに葉やら折れた茎やら、ともかくも色々なものが隅から出て来る。湿気を含んでいるから、積んでおいたら自然の堆肥となるだろうか。また、水やりが追いつかないような植え方となっている植物は、台風の風で葉がしおれてしまう。こういう場合には、そもそも水不足に陥り易い状況にあるのだから、枝葉を短く切り詰める必要がある。さて、どう切ったものだろうか?あまり切り過ぎると、逆に枯れ込んだり、花付きが悪くなったりする。しかしまあ、物事には思い切りが必要だ。さあ、チョキチョキ!

8 月11日、新千歳空港に戻って来る。千歳空港がすぐ隣にあることを、今日まで知らなかった。ゲートについて、ぼーっとしていると、隣のゲートでフライトを示す掲示に「女満別」と書いてある。これも、ずーっといままで「にょまんべつ」だと思っていたのだ。正しくは「めまんべつ」。ああ、勉強になった。時間を遡って、今日は北海道大学のミニ視察にも行った。あそこは広い。もともとは農学校から始まったこともあって、地域の核である。これだけ自然な形で街と一体となっている大学は、ええと、京都大学くらいか。街もなんだか、京都に似て碁盤の目のようになっている。ともかくも、これだけまとまった形で大学が存在しているというのは、今となっては貴重な存在だ。うらやましくもある。帰りのフライトは、少し遅れたけれども、順調。寒冷前線の上を、波乗りするようにして神戸まで戻って来た。機内は、完全に沈没スリープ・モード。

8 月10日、午後3時頃までを札幌学院大学で過ごした後に、小樽港に移動となる。実は、今の今まで、札幌の地理的な位置をあまり知らなかった。陸地の真ん中にあるんだろうなー、と思っていた。が、意外と海が近いのであった。小樽は港町、やっぱり神戸と同じ香りがする。少なくとも、夏の今は。ガラス工芸でも有名な場所らしい。「検討会」では、3日間で研修したことについて、立場を超えて色々と話し合う機会があり、ポンポンと意見が飛び交うのであった。勢い良すぎたかも。ちゃんと、日々の活動に活かせるかどうかは、これからの工夫次第だ。

8 月 9 日、無理をすると、必ず疲労蓄積して翌日を棒に振る。今日も、電車に乗って会場に到着。そこで、ハッと気づいたことが、参加票の持参忘れ。そのままでは、特定の会場に入場できないなど、色々と不都合があるので、また電車に乗って戻り、参加票を拾って、会場にトンボ返り。無駄足とはこのことか。これは、貴重な経験であった。物忘れの原因は「今日一日持って回る荷物」の軽量化。もともと小さい荷物だったから、ぜーんぶ持って歩けば良かったのだ。ともかくも、この不注意もまた、疲労の表れの1つに間違いない。時差ボケも、そう一気には解消できないものだ。日頃は夜型、今は朝方。

8 月 8 日、早朝の神戸空港へやって来ると、沖合にいかついシルエットの船が見える。あの船は何?と思って、写真を拡大して調べてみると、「護衛艦さみだれ」であった。神戸は港町で、航路も目の前にあるから、潜水艦も含めて色々な船を見ることができる。有り難いものだ。ただし艦船の砲が火を吹かないことを願っている。さて空港から飛び立って、到着した所は新千歳空港。ああ北海道だ、涼しいぞ … さして涼しくない。確かに日陰でじっとしている限りは汗が出るようなことはないけれども、日差しは厳しい。だからこそ、米も含めて色々な農産物が採れるわけだけれども。札幌まで電車で移動。電車の冷房も、何だか「ぬるい」のである。関西のようにキンキンに冷えてない。窓を開けた方が涼しいのでは?いや、今の時代、電車の窓は開かないのであった。さてホテルに到着、荷物を置いたら、札幌学院大学へ。長ーい一日であった。実行動時間 20 時間、あったかも。

8 月 7 日、入道雲がいっぱい出ている。よく空を観察すると、その入道雲、下の方は東に傾いてて、上の方は西向きに大きく広がって行き、全体として弓なりになっている。「シア」がある状態だ。高層の気流はどう流れてるんだろうか?と思い、12 km くらいの高さの天気図を眺めると、日本のすぐ南に寒冷渦と呼ばれる高層の低気圧が居座っていた。なるほど、そのヘリがちょうど神戸の上空に居るから、あんな雲の形になった訳だ。もう少し北の方へと目をやると、一旦は北に上がり切っていたジェット気流が、またまた段々と南下して来ている。秋は上層から始まるのである。ともかくも、ようやく太陽が戻って来て、今日は青空が出た。夏のこの時期になると、大学には「見学者」がやって来ることが多い。講義も一段落して、学生の姿をあまり見かけなくなる8月の初旬からお盆休み前までが、このような「見学」に適している。大学って、こんな楽しい場所ですよ、日々が研究と学習ですよ、と宣伝する良い機会だし、そういう事実は「百聞は一見にしかず」モードで確認してもらうのが手っ取り早い。ただ、研究の中身というものは、研究を始めてみないと理解できないことも多いから、見てもらえるのはサイエンスの真実のごく一部だけ。後は、入学した後の楽しみに取っておくと良いだろう。皆さんいらっしゃい、神戸大学へ。

8 月 6 日、笹の葉、ゆかた、吹き流し。七夕祭り、京都では8月にあるのか。7月は祇園祭だからなのか、いやいや昔の暦どおりに七夕やってるからなのか、ともかくも、祭りだらけの京都の夏は、いつ訪れても何となく祭りっぽい。そして、目立つのは外国人の多さ。コスモポリタンな東京には、街に混ざり込むような感じの外国人達だけれども、京都にやって来ると完全に観光客。あ、留学生なんかも多数いらっしゃるか。京都行って、何を見た?と問われると、パッと思い出すのが外国人の姿なのである。聞く所によると、外国人観光客をターゲットとする犯罪者も居るのだそうな、それはそうやろなー、と思った。

8 月 5 日、阪急電車の 8313 という番号の車両に乗って、電流計とニラメッコ。100 km/h を超える速度でも、軽く 500 A を超える電流を流してしまう制御に感心する。京都の市バスに乗って、オートマチックのスムーズさに感心する。ちょっと違う場所へと出かけて行くと、普段とは色々と違った光景が目に入って来て、楽しい。現代的には、ホイッと携帯で撮影して、どこかに飛ばすんだろうけれども、アナログ人間の私は頭の中にしまいこんで、そのまま忘れてしまうのである。辛うじて記憶にとどまったものだけが、文章になる。それでいいか。

8 月 4 日、京都のバス車内の英語放送に耳を傾けていると、京都を「きーよーとー」と発音していることに気づく。普通に「きょーと」と日本語の長音で流すと、混乱が生じるのかもしれない。「きょと」とか「きょーーーと」と覚えられるよりは「きよと」と3文字に焼き直して覚えてもらう方が日本人と話す時に誤解が生じ難いのだろう。試してみようか、「ちょっと、きよと行って来るよ」とか「昨日きよと行って来た」と発音して、誰かに妙な顔をされるかどうか。神戸もそうかなー、下手に「こーべ」って教えるよりも、文字どおり「こうべ」と3文字に分けて発音しておく方が親切かな、外国人には。不思議なことに、外来語などを中心にうまく行かない例も多いのである。ショートを「しよと」と発音すると、とんでもなく妙に聞こえるのだ。何故かなー。

8 月 3 日、ちょっと前にチラリと書いたけれども、緯度の低い所で発生する低気圧が熱帯低気圧かどうか、また熱帯低気圧だったら台風(←正確にはトロピカルサイクロン)かどうか、そういった判断は各国の気象センターで独自に行われる。結果として、日本で台風と呼んで天気図にも載っている熱帯低気圧が、他の機関では「台風じゃないよー」と考えられていたり、その逆という事象が発生する。いま、四国に大雨を降らせている「台風」について、とある海外機関が台風だと認定したのは、昨日のことであった。その気分、わからないでもない。確かに、世界アチコチで海の上にできる低気圧、台風かどうかと問われると、判断に苦しむことが多くある。判断は別として、そこに低気圧があったという事実と測定データは積んでおいて、誰でも後から追って解析できるようになっている。気象もまたサイエンス、一次データへアクセスできることが大切だ。

8 月 2 日、雨の日は遠くの音が良く聞こえる、という説がある。上空に暖かい空気が入って来ると、音が地表方向に曲がるというわけである。まあ、そんな物かい?と思ってタカをくくっていたら .... 今日の夜の花火は大学からでも良く見えた。いや、見えるのは当たり前か、大学からでも音が良く聞こえた。いやいやいや、聞こえたなんてものではなくて、隣に爆弾が落ちたかと思うほどであった。さて今年の花火、少し景気が良かったんじゃないか?という気がする。色とりどりの花火が次から次へと。あれは安くはないぞー。付近から、かぎやー、たまやー、という声も聞こえて来る。東京の真似しなくても ... とは思いつつ、ちょっと検索してみると、玉屋は一代で江戸追放となっていたり、その頃の花火はン十発の単位を楽しむものだったとか。「公式発表」によると今夜は一万発だったとか。

8 月 1 日、台風がやって来た。角運動量が大きくて、なかなか中心付近にまとまりが出て来ない、いわゆるドーナツ型の台風。こんなの台風かいな?と言いたくなる形をしているけれども、定義に照らして台風は台風、風は充分に強い。(注:この時点で米海軍はまだ「台風」と認定していない!)ついでに、まとまっていようといまいと、雨風は時に強く、思い出したようにやって来るから、要注意なのである。ナメてかかるとエラいことになる。何年か前にもドーナツ型がやって来て、長々と居座ったので和歌山県をはじめ、アチコチで土砂崩れが起きた。神戸も山の南側斜面なのだ、ちょっと雨が強く降ると、凄い流れが川を下る。川遊びを良く見かけるけれども、この辺りの川は護岸工事をしているので、増水したら絶壁をよじ登るか、少し移動して避難はしごを登るしかない。常に、逃げ場を確保しておくのが、水際での鉄則。

7 月31日、各地の空港が夏休みモードとなっている模様。特徴は、家族連れが多い、いつもとは異なる混雑のパターン、保安検査が通過人数の割に遅い、飛んでいる飛行機が普段より大型、それに関係して家族連れが利用しない時間帯の便はガラ空きである、便が遅れていることが多い、お土産が良く売れている、などなど。よく空港のゲートやら機内で子供がドコドコと落ち着きなく動き回っていて、親が神経質になっているけれども、ありゃー仕方のないことだから、子供が何しようとで〜んと構えているのが良いのだと思う。そういえば、ヘッドフォーンしてたサラリーマンのおっちゃんが、四六時中音楽に合わせてドンドン足踏みしてたことがあったなー、飛行機は床が薄いから、周囲に足音と振動だけが響き渡るのであった。どないしてくれよか?と思ったけれども、よくよく観察していると、それはどうも「天然のこと」らしいので、そっとしておいた。

7 月30日、窓に入る日差しから季節を判断するのは容易ではない。日々、少しずつしか角度が変わらないからだ。都会で建物に囲まれている時には、少し事情が違って来る。近くの建物の窓から反射された日光が、思わぬ方向から差し込んで来るからだ。年にわずか数日しか起きない「珍現象」である場合もある。これが現代の日時計。春と秋に2度ずつ起きるのが普通かな。太陽の高さだけで言うと、今は5月の半ばくらい。高山では、お花畑がサッサと実りの季節を迎える時期だ。山や北国では夏が来たと思った瞬間に次は秋 … いやいや、関西では9月の半ばくらいまでは、真夏が続くのが恒例のこと。

7 月29日、鏡に映る自分の顔はアニメ顔かも?というのが老眼の日々。メガネ無しでは、どこにも焦点が合わないので、鏡を眺める時には常にメガネの自分。すると、目がぶわっと広がって見える。これが、日常的に接する自分の顔。だから、たまに証明写真を眼鏡抜きで撮ったりすると、ええと、これは誰の写真だっけ?という感覚に陥る、いわゆる目が点の顔なのだ。目の大きさで随分と印象が変わるものだ。そう感じて辺りを見回すと、女性の目が大きいこと!ほとんど、バレエメークではないか?と思うような目拡張化粧してる人も居る。目の下側にもアイラインを黒々と入れるのは、西洋人に時々みかける化粧の方法。あれは、もともと目の印象が薄いからで、何でもかんでも真似しなくても ...

7 月28日、仕事の時間をいきなり朝にシフト、する。形式上は。当然、時差ぼけ状態となる。時々、ちゃんと働ける時間が巡って来る、後は眠気との勝負。危険な仕事やら、人々に対面するサービスには向いていない自分を再認識する。学者(?)たるもの、自分の頭に引っかかる謎というか、埋まっていないピースの一枚に責任を持って解決にあたるのが商売、そのピースが埋まるまでは世の中の事はどうでも良いのである。時として、莫大な賞金を目の前にして、キノコ採りに出かけるような人さえ現れるのが、この世界の面白いところ。その心境、全くわからないでもない。私はそこまで純粋にはなれないけれども。

7 月27日、パソコンの OS はアップデートすれば良いものではない、但しセキュリティーに関するアップデートは遅れることなく行わなければならない。そんな体験の話。どーも、最近の、とある OS、サービス過剰で、少なくとも自分が常用しているマシンについて言うと相性が悪いのである。スリープ復帰に時間がかかってみたり、しばらーく使っていると、いつの間にか再起動したり。しばらく昔はそんな事なかったのになー。かといって、元に戻すのも難儀なことなので、いわゆる「騙し騙し」状態で使っている。ヤバくなる前に再起動してしまうとか、ネットの速度が落ちて来たらいちどログアウトするとか。結局、機械というものに人間が慣れて行かなければならない、そこはパソコンの黎明期から何も変わることはないのである。

7 月26日、真空管を久々に目にする。いいなー、しばらくぶりだなー、と感心しつつ、見た帰り道もまた色々と考える。真空管は電子の流れが目に見える … ような気にさせる大きさで、ついでに物理的にも増幅作用が良く理解できる構造を持っている。教育現場でも使いたいものだなー、と思う。唯一、ちょっと困ることは高電圧が必要なこと。高電圧と言っても、普通に増幅作用を持たせるだけならば2百ボルトくらいで、ブラウン管ほど高い訳ではない。電圧低くてもいいではないか?と思うかもしれないけれど、世の中は電磁的な雑音やら磁気やら電場やらに満ちているから、下手に弱い電場を持って来るとロクなことがない。また、内部抵抗が高いから電圧が低いと出力も得難い。じゃあ FET を使えばいいじゃないかって?あれは不透明で中身が見えないのだ。なんか、もっと安易で目に見える増幅装置ないかなー。

7 月25日、寒いですよー。というのは温度差の話。エアコンの温度設定は、あまり変えないという場所が多い。特に商業施設はそういう感じ。今日は特に外気温が高いから、汗だくになって店に入ると、すーーっと涼しくて、一息つく。が、実は、それは温度が低すぎで、しばらーく居る内に寒さを感じるようになる。こういう日にはエアコンもフル回転しているので、冷風が流れ出す勢いも強いか、あるいはとても冷たい。そんな場所で直撃を受けると、体感温度は20度以下。半袖では、とても耐えられないのだ。こういう時に思い出すのが、スペインのアチコチのお城。アチラも真夏になると、砂漠の暑さと表現して良いくらい気温が高くなる。ではお城の地下は?だいたい、地下の温度変化は地上よりも穏やかなもので、夏は涼しい。で、そんな所に何があるの?というと、大抵はお墓。禁じられた涼みとでも言えるんだろうか?

7 月24日、英会話のなんとかスコアの点数がどうのこうの、時代は英語だグローバルだ、という話は良く聞くのだけれども ... そこでチト考えるのは二十年三十年先の世の中。これから生まれて来る世代は、特に都会では、幼少の頃から「近所に英語を話すおじさんが居る」とか「親戚に英語圏の外国人が居る」という環境で育って来る。バイリンガルとまでは行かなくても、特に英語にバリアを感じない青年が、ある一定割合居るという社会になった時、その時点での「中年部隊」が何を自分の武器にして世の中を渡って行くか、それは明らかな事だと思う。ごく一部の英語を専門とする職業を除いて、英語は「何かの目的のために必要な道具」であるから、英語「だけ」にバラ色の夢を抱いてはいけない。もちろん、それでも、結局は、使えないと苦労するんだけれども。

7 月23日、下層から上層まで西風が戻って来る。但し、上層の強い西風は、ずーっと北まで上がってしまって、もう関西の上にはない。これで、しばらくは夏本番 ... かなー?なんか、薄曇りの雲が残っている、というか、高気圧がハッキリした形で上空にある訳ではない。お陰さまで、多少の風がいつも吹いてて、助かっている。バス停のアスファルトの上には、蝉の抜け殻。夜目の効く鳥も居ると聞くから、蝉なんて羽化中に幾らでも狙われそうなものだけれども、日中に鳴く蝉の多い事、一気に集中して出て来るから、食べきれないのかな?人間にとっても、羽化したばかりの蝉は美味しい食材と聞く。昆虫食、流行っているらしい ...

7 月22日、さあ梅雨明けだ、夏本番だ、スケート場に行こう。と思いはするのだけれども、もちろん平日は仕事。平日に終わらなかった仕事は週末でも夜でもする。え?行きたい場所が違うって?うん、じゃあプールにしておこうか。泳ぎを鍛えるのに海はどうも都合が悪い。体力ギリギリまで頑張って、ヘトヘトになった時に流されたりしたら、浮かんでいるしか方法がない。また、海面が静かな時には浮力があって泳ぎ易いけれども、波が立つと、ひたすら安全な平泳ぎ立ち泳ぎ横泳ぎに徹することになる。ついでに、砂浜には貝殻やら何やらと、興味深い生き物が沢山居て、ついつい泳がずに見とれてしまう。(←拡大解釈しないように。)真夏のスケート場はいいですよー、本気モードの人々ばかりで。

7 月21日、今日は祭日、海の向こうでは既に夏休みが始まっているけれども、一応は平日。ということは、プレプリントはドコドコと投げられているはずだ。こういう時に、よく「日々の論文チェック」を忘れるのである。最近は「研究者つながり」で互いの論文投稿の情報が流れて来るから、ひと頃のようにプレプリントサーバーを血まなこでチェックする必要はないのだけれども、そういう「石器時代」に研究者として育ったから、なかなか過去のクセを放棄することは難しいものだ。そして、ちょっと面白い情報があったら、ササッと arXiv リストに掲載する。最近では会議録のビデオなんかも公開されているから、機会があったら掲載して行こうと思い始めた。

7 月20日、同じ曜日の、同じ便名の飛行機を利用しても、以前に見かけたことがある客室乗務員に出逢うことは滅多にない。どういう勤務になってるのかなーと思いきや、実はその機内で働いている乗務員も「初顔合わせ」ということが、たびたびあるのだそうな。また、先日もチョイ書いたけれど、国内便の乗務員はずーっと国内便、国際線は国際線と分かれているのだとばかり思っていたら、あら、今日は国際線、明日は国内、うーん、意外。こんな実状が掘れてしまう SNS は怖い道具だと思う。え?この一行日記で、日々の行状がバレているではないかって?まあね、色々と予防線は張ってるつもりなんですが。

7 月19日、風邪には前半と後半がある。前半は抗体ができるまでの戦い、後半は抗体がやっつけたゴミや、ウィルス工場と化した細胞の排除カスの片付け。この後半が、けっこう総力戦で、じーっとしていても体力が奪われて行く感じなのである。ゴミを細菌が餌にしたりすれば、更に白血球を使うという話も耳にする。風邪が治った直後に健康診断を受けたことが一度あって、その時には白血球が激減していた。これは予想とは逆だったので、意外だった。白血球が減る原因を検索すると、色々と悪い病気が並ぶ。知らないモンね。と、無視して過ごした翌年は至って正常な値。以後、あれほど減ったことはない。ともかくも、幼少の頃から風邪の治りは遅かった、特に後半戦が長い、免疫の働き過ぎとちゃうか?

7 月18日、昨年も書いた記憶があるのだけれども、ハミルトニアンが時間に依存するという考え方は、とても現象論的な気がする。何かの自由度を平均場的に扱ってしまうとか、作用反作用の反作用を忘れてしまったような悪質な近似を持ち込むと「時間に依存したハミルトニアン」が出来上がる。全ての自由度をマトモに扱えば、ハミルトニアンは空間や場の性質を記述しているにすぎないので、時間に関係ないはずだと、そう言えなくもないからだ。かといって、もちろん、全ての自由度なんかを知ることは不可能である。したがって、結局は不本意ながら?時間に依存するハミルトニアンに付き合うのである。いや、物理的な現象を簡単に記述するのが物理の目的だから、目的にかなった理論の使い方であると言うべきなんだろうけれども。

7 月17日、ベル状態(↑↓ - ↓↑)/ √2 の片割れを測定すると、もう片割れは瞬時に決まってしまう。「この超高速伝達(?)が量子テレポーテーションである」なんて書いてあると、思わずウンと言いたくなる。でも、いわゆる量子テレポーテーションは、Aの手元にある「任意の未観測状態」を、Bへと「古典通信を使って」伝達することであるから、最初に挙げたフレーズに接すると「それは量子テレポーテーションではない!」と強く否定したくなる。ただ、完全に間違ってるか?という事をよくよく考えてみると、量子テレポーテーションでは entangled pair、つまりベル状態をAとBで共有しておいて、片方を観測すれば「古典通信しなくても」もう片方が確定してしまうという性質を利用するのである。従って、正しく述べるならば、最初のフレーズに対しては「それは量子テレポーテーションの(操作の)一部である」とコメントすべきだろう。

7 月16日、「この物理系は強相関であって、従って内在するエンタングルメントも強い」と書いてあったら首を縦に振るか?いや、ぜんぜんダメ。まず、エンタングルメントは物理量ではない(!)という事を忘れている。例えばスピンが2個の例で言うと、↑↑は直積状態であるからエンタングルメントはゼロ。ところが、パタンと量子化軸を横に倒すと(↑↓ - ↓↑)/ √2 で、Bell 状態の片割れになるから最も強くエンタングルしていることになる。注意:この「横倒し操作」は、グローバルなユニタリー変換であることに注意しよう、ローカルなユニタリー変換でエンタングルメントを変化させることはできない。(余談:この横倒し操作は disentangler の一例である。)ともかくも、エンタングルメントは「物理系の表現の方法と分割のやり方」に依存する量であって、決して物理量ではない。エンタングルメント・エントロピーも同様に(全系について言及できる形の)物理量ではない。なお、そこまで断っておいて、ブチッと実空間で系を2分する場合に話を限ったとしても、強相関という(定義のハッキリとしない、意味不明な)用語とエンタングルメントの大小に何らかの定性的な議論を持ち込むことはできない。強相関ゆえに、状態が直積状態の積になってしまう事があるのである。(蛇足の注意:直積状態の積、という定義のハッキリとした考え方もまた、物理系の表現方法によって変わってくるのである。)

7 月15日、ウォルナットのまな板に遭遇する。なかなか奇麗な木を使っている。その価格、その辺りの材料屋さんで売ってる材木の値段よりも安いのである。これが流通というものかと思った。材料、材木専門店とは言っても、適当な大きさのウォルナットが常に売れる訳ではないから、ストックの手間賃がバカにならないのだろう。まな板として商品化されたものは、それなりにまとまった数を作って、コンスタントに売れて行くのだろう。その差が価格に反映されて、結果として素材よりも製品の方が安く「出回ってしまう」のだろう。私の目には、製品のまな板も「原材料」にしか見えていないので、工作で使う必要が生じた場合にはノコギリを入れることになるだろう。結局、こうして自宅でストックすると、その保存手間賃というバカくさいものを、自宅で発生させている訳なのだ ...

7 月14日、ニューホライズンズあと1年で冥王星に到達 / 風邪薬漬け生活一週間目。夏風邪だし、梅雨だから湿気もあって呼吸も楽だとナメてかかっていた風邪が、じわじわーっと体力を奪うのである。湿度センサーと化した喉は、エアコンの連続運転によって乾いた場所を容易に判定する。そういう場所で長時間過ごすと呼吸が怪しくなるので、予防を兼ねて風邪薬を服用。これは絶大な効果があって、ピタッと症状が治まる。ひとつだけ、冬の風邪とは異なることが … 夏場は汗をかくので、体の表面が塩気だけではなくて、風邪薬の成分に覆われるのである。これぞ風邪薬人間。そして、薬の効果は約6時間で切れる。これは冬に服用する場合よりも短い時間だ、発汗作用のせいだろうか。そのままでは、ゲホゲホ咳き込む人生に戻ってしまうので、再び薬にお世話になる。依存症に陥るような罠が隠れていないかい?と感じるのは私だけだろうか?

7 月13日、とある航空会社の機長が SNS でつぶやいた言葉がニュースに流れたことがあった。そうそう、機内アナウンスは、まず機長とチーフパーサーの紹介から始まる。名字だけの事も多いけれども、特に英語の方の紹介ではフルネームで流れる場合もある。覚えておいて、検索すると facebook ページがバッチリ見つかったりする。国内便に搭乗している客室乗務員の方は、ずーっと国内便だと思い込んでいたら、あらあら、先日のフライトでお目にかかった A チーフパーサーは、国際線の長時間フライトも担当されているのだった。珍しく、記事を公開されていたので、お子さんや留守を預かるご家族の写真などもバッチリ。まあ記事の公開非公開は個人の選択だから、公開なら公開でいいんだけど、ね ...

7 月12日、食事をしていると、歯の詰め物がポロリ。まあ、時間の問題だとは思っていた。そこは、2年前に、3週間の海外出張する直前に1度ポロリと落ちて、治療する時間がないから「そのまま」貼り直してもらった所だ。詰め物の一部分が欠けて、隙間が空いた状態だったから早々に再治療するつもりだった、最初は。しかし、意外と長持ちするので、ずーっとそのままにしておいた。再びガタが来たのは、この春くらいから。さて、治療方針は「ほとんど削らずに新しい詰め物を作る」ということで先生にお願いした。変色した象牙質には菌が居る訳なのだけれども、まあ酸とエサをなるべく与えないようにすれば、象牙質の再生作用とうまく均衡を保ってくれるのではないかとの読みから。最近は、そういう方針の歯医者さんも増えて来たと聞く。むかーし詰めた銀アマルガムは、35年持ってるもんなー、きっとその下にはカリエスが巣食ってるはずなんだけど、動き出す気配は今のところない。

7 月11日、量子力学はおおよその範囲をカバーして、演習的に補強する内容は何だろう?と考えてみて、No Cloning Theorem にたどりついた。量子力学によると「完全なコピー」はオリジナルを破壊しない限り、作れないことを容易に示せる。Bell State とか Entanglement も、深く立ち入りさえしなければ、導入は容易だ。調子に乗って、Quantum Teleportation も解説した。そして最後に、量子情報や量子コンピューターというものは、キーワードがカッコいいけれども、中身の本質的な部分は学部の量子力学さえやってれば簡単に理解できるモンだよ、と。ある意味、見かけ倒しみたいな側面もある、そこを良く揶揄されるわけだけれども、物事の価値というものは、評価が定まらない内は、軽くみられるものだという典型かもしれない。

7 月10日、ノドの調子は相変わらず。騙し騙しとは、このような状態のこと。ここ3日間ほど滞在したのは、ホテル日航福岡。梅雨時に、空港から荷物を持って雨に濡れずに到達できて、九州大学にもアクセスが良くて、ついでに朝食が美味しい所、と、探してたどりついた。ちょっと値が張るけど、まあ休養第一、そこそこ良ければそれで良し、そう思ってのこと。現地に到着してびっくりしたー、ロビーが美術館みたいに広いし、ホテルマンもゴロゴロと立ってる。空港に近いということで、外国人客も多い。アメリカンなスケール感覚も取り入れてあるんだろうか。偶然にも、開業25周年だったそうで、四季全曲ロビー演奏という豪華な演目も無料で聞くことができた。有り難い事だ。こういう機会を与えてくれた、福岡の方々に感謝。

7 月 9 日、先週ノドの調子を崩したまま、集中講義に突入。予想どおり?夕方の講義を終えた所で、ほぼ完全に声が出なくなる。それから先は仕方ないので、皆様にご迷惑をおかけしつつ、カスれ声で何とか意志の疎通をはかる。板書なので、OHP を使って喋りっぱなしの講義に比べると、ノドの使用頻度が低いのが唯一の救い。板書していると、どこで聴衆がフォローできなくなったか、肌の感覚でわかる。すぐ対応できる時もあれば、都合あって一区切りするまで書き通すこともある。まあ、無理は禁物、ノンビリ参りましょう、明日も。

7 月 8 日、九州大学箱崎キャンパスまで散歩がてら歩く … つもりだったけれども、段々と気温が上がって来て、地下鉄を2区間使う。後でアメダスのデータを見ると、30度を越えていたようだ。現地に到着して、まず驚いたのが上空を飛ぶ飛行機の多さ。大阪空港の近く、新大阪くらいの感じだろうか。そして、ありゃりゃ、見慣れない飛行機も飛んでますよ、あれは自衛隊の輸送機。道路には何やら、京都の祇園祭りの矛みたいなものが飾ってあり、祭りが近い雰囲気。地元で山笠と呼ばれるものらしい。メインストリートがケヤキ並木で、何となく仙台の定禅寺通を彷彿とさせる。北と南、遠く離れた2つの街が何となく似てるのは興味深いことだ。

7 月 7 日、スイカの切り売りをよく見かける季節となった。スイカの切り売りである。断面をよーく見る。角が立っていて、細胞がキラキラと輝いていれば、良く切れる刃物でうまく切った証拠。こういう断面の場合、切った細胞以外は痛めていないので、しばらく時間が経ってもあまり痛まない。角が丸くて、表面がささくれ立ったようになっていたり、痛みが進行して表面が潰れたように変色している場合もある。切れ味の悪い刃物で、潰すように切った証拠なのである。刃物に種がひっかかったまま、引きずるように切った断面もある。これは悩ましい所で、こういう断面を出さないようにするには、種のない所を(とある方法で外からみつけて)切れば良い。しかし、それでは断面がノッペリと赤色で、美味しく見えないのだ。種が点々とあるからこそスイカ、そういう断面を出そうとすると、種が刃にひっかかる可能性を捨てきれなくなるのである。たかがスイカ、されとスイカ。

7 月 6 日、川が流れて滝となる場面を想像する。上流側から滝へ向かって進む大波を起こすとしよう。その後どうなる?波が、そのまま滝に吸い込まれておしまい、のような気がする。いや、ちょっと待った。滝の手前で川の流速が変わったり、直前では水面も曲がって自由落下(?)へと移行するではないか。こういう変化が起きる時には、波は散乱される。平たくいうと、波の一部が反射されて戻って来る。それはどんな波?こういう事を考えると、実験してみたくなるのが物理学者というもので、実際に装置を組み立てて実験した人が居る。実はその方、重力やブラックホールの専門家なのだ。なんでも、夢は「超流動ヘリウムの滝」で同じ実験をすることだとか。まあ、滝とはいっても、実験する分には机の上の小さな滝でいいんですけどね。

7 月 5 日、キュウリは、小さな内に収穫して、サッサと食べると美味しい。しかしそんなものは、なかなか流通しない。いや、流通しても、運んでいる内に少し大きくなって、スカスカになる。大きなキュウリは最初から硬い。そのままスティックにして食べるというのも悪くはないのだけれども、蛇腹に切って酢に泳がせる。蛇腹に切る作業では、包丁の刃の状態が大切だ。ちゃんと刃が鋭く研がれていたら、誰でも薄く切れる。研いでいない刃では、刃を引く量が増えるし正確には切れないし、ロクなことがない。というわけで、週に何回かは、夜中にゴソゴソと刃を研ぐ。油断すると、せっかく切れるようについた刃を丸めてしまうこともある。研ぎの最終段階では、なるべく力を入れないことがコツのようだ。

7 月 4 日、長方形の木から、斜めに楕円っぽい形を彫り出す作業に着手する。最初にノコギリで不要な部分を切り落とせば速い、ということはわかっているのだけれども、ナイフの使い方の習熟も兼ねて、全て手で削り落として行く。斜めに、という所がなかなか難儀なのである。どうしても、木の繊維が目に入ってしまって、いつの間にか、斜めでなくなっている。どうして、こんな面倒なことをするか?というと、切り口にゆる〜い木目が出て欲しいから。割に合わない作業だなーと思いつつ、ウォルナットに刃を入れて行く。この木には粘りがあって、なかなか面白い。海の向こうからは、夏休みに入ったという知らせが次々と届く。そうか、夏至が過ぎると、もう夏休みなんだ、あちらは。

7 月 3 日、高層天気図を見る。ジェット気流が、ヒマラヤで2分され始めている。北向きのコースだけになるのが梅雨明けの一つのパターン。こういう上層の流れが、何かの結果なのか何かの原因となるのか、見ていても判然としないことが多い。それはまあ、流体にはよくある事で、どこか一部分だけを切り出して来て、その流れを説明しなさいと言われても答えようがないか。南側のジェット気流は前線におおよそ対応している、ように見える。こうやって、図を見て云々という気流の把握の方法は、これからどう変化して行くのだろうか?「天気図が読める」という技術は、ひょっとすると、「機械語が読める」と同等の技量になってしまうかもしれないのだ、遠い将来には。

7 月 2 日、何気なく流れている音声、聞き流してしまうものが多い。もちろん、真面目に構えて聞く必要の無いものなんだから、聞き流すのが当たり前なんだけれども。交通機関の運行会社などが、その「音源」を有り難くも転がしておいてくれることがある。ヘッドフォーンをかぶって、さあ鑑賞。すると?素晴らしいステレオ音声ではないか。いま時、クォリティーの低い音は商品として納める訳には行かないのだろ。ひとたび、こういう事例に出逢ってしまうと、次から次へと、あの音はどうなんだろうか?と興味を持ってしまうのだ。

7 月 1 日、健康に、効率良く仕事をするには腹八分目、いや五分ぐらいで充分だ。と、わかっていても、定額のバイキング料理となると、ついつい取り過ぎてしまうものだ。結果として、控えたつもりなのに満腹、しばらーくして睡眠不足も重なって眠気たっぷり、仕事にならない。こういう時には「理論物理してるのじゃ」と言い訳しつつ、黙考の真似、実は居眠り。いや、真面目に熟考しているつもりなのに、時計の針が飛ぶのである。反省 … しているはずなのに、夕食となると、またアレコレと買い求めてしまうのであった。旅の途中は仕方ないことかもしれない、旅が日常にならない限りは。

5 月と 6 月の1行日記