← 7 月と 8 月の1行日記  

6 月30日、都会というと、「ここは都会なんだ」と信じ込んでいると、ふと現れる田舎にびっくりすることがある。なんで、こんな所に、こんな風景が?と目を疑うような。まあ、それは、例えば大阪梅田と言えども新淀川のキワまで街が続くわけではないし、旧淀川の周囲が必ず開けているかというと、そうでもない。茶屋町も、ちょっと前までは家屋が立ち並ぶ地区だった。京都は、都会になったりサビれたり、そんな歴史を繰り返した場所だけあって、田舎は幾らでもある。神戸は? 私の見た所では、田舎に隣接するオシャレな街というのが神戸の魅力だ。田舎っぽーい所は、メインストリートにもちゃんと残っている。

6 月29日、ラウンジという言葉、どういう意味で使われるのだろうか、今は。思い出してみると、昔通った中学校には、確か3階にラウンジという名前の場所があった。いま思うと、なかなかシャレた空間だった、観葉植物があったり、自動販売機が置いてあったり。その風景、バッチリ思い出せるか?というと、実はそうでもないのが不思議。いまラウンジというと、ええと、空港の所々には確かにラウンジというものが残っている。他は?どうも、日本語的には、ラウンジという言葉は「賞味期限の切れかかっている横文字」のような気がしてならないのである。ええと、私の個人的感想なのだけれども、開放感のある空港ロビーに比べて、ラウンジはどうも狭苦しいので、使える場合にも使わないことが多い。どうしても充電したい、という場合を除いて。

6 月28日、うどん県の出身だから、という訳ではないのだけれども、うどん粉に悩むのである。いや、うどん粉ではなくて、うどん粉病。葉っぱに、メリケン粉のような白いカビがどんどん生えるという、難儀といえば難儀な植物の病気。防除は比較的簡単だと言われている。防除剤をスプレーするだけ。薄めた酢だとか重曹でも良いのだとか。小さな鉢植えだったら、これで対策は OK なのだけれども、ひとたび伸びてしまった植物に発生した時には難儀。広範囲にスプレーするほど大量に薬剤をまくことは、周囲に薬剤が飛んで行ってしまうという都会特有の問題を引き起こす原因となる。こまめに退治しながら、冬が来て、完全に葉が落ちるのを待つしかないかなー、そうなったら、残った枝を剪定した後で、表皮の生きていない部分を丁寧にはいで、チョイチョイっとスプレーして終わりだから。

6 月27日、日没がいちばん遅いのは、この週末辺りらしい。何となく夏至の日の日没が一番遅いような気がするのだけれども、天体観測用の恒星時を調べてみると、少しズレていることがわかる。三次元的な天体の運動というものは、かくも理解しづらく難儀なものなのだと再認識する。そもそも、惑星という言葉も、ふらふらーっと天空上を運動して行く「ように見える」明るい星々の姿から「惑」の文字が当てられたのだった。ここで、はて、洋の東西どちらが先?という問題になる。調べてみると、古い中国の天文学では「行星」と呼んだらしい。とすると、惑星の「惑」の文字はギリシア語に当てた文字ということになる。学問の始まりは、まず言葉の使い方から、そんなことが、ふと頭をかすめた。

6 月26日、あんに〜模型という研究対象がある。綴り字は ANNNI Model だ。Axial Next Nearest Neighbor Ising Model の省略。漢字になおすと、軸性次近接 イジング模型となる。イジングが漢字ではないじゃないか?と突っ込みが入りそうだ。じゃあ変換してみようか、いじんぐ、イジング、偉人具なんて変換されるぞ。この模型、バチッと、そのまま当てはまるような物理系が、存在するともしないとも言い難い所が何なんだけれども、フラストレーションが平衡状態を変えてしまう端的な例としてポツポツと研究されている。こういった複雑な(?)模型を取り扱う手段は、昔は平均場くらいしかなかったから、実に様々な相が提案されて来たのだけれども、最近の数値計算は「そんなに相にバリエーションないよ」というデータを吐きつつある。見守るか、それとも飛び込むか、何らかのアクションを起こそうかな。

6 月25日、ピアノの練習で、時々「日頃から少し重たい鍵盤で弾いておかないと、発表会で大きなグランドピアノの前に座ると沈没する」という話を聞く。私はピアノ奏者ではないので、あんまり感覚が良くわからない。パイプオルガンでも似た話があって「大音響で弾く時には鍵盤がものすごく重くなるからシッカリ鍵盤を押せ」と書いてあったりする。数少ない経験則を基に話すと、実は重たい方は意外と早く順応する。意外とクセ者なのが、小さな音でパイプオルガンを弾く時に出くわす、超軽い鍵盤。充分に力を抜いて、弱い力で正確に押さないと、鍵盤がハネたり、横の鍵盤も押してしまったりと、ロクでもない事が起きる。ついでに、鍵盤に触っている感覚が無いような状態に陥るので、どこを弾いているのかよくわからなくなる。力んではいけない、端的な例だろうか。

6 月24日、生物のことには「うとい」のである。細胞の中にミトコンドリアと、葉などに色のついた植物ならば光合成を行う葉緑体がある。細胞分裂するときに、増えないとマズいじゃないか?と思って検索してみると、細胞分裂に同期してミトコンドリアなどもパカッと2つに増える場合と、細胞分裂に関係なく増殖する場合があるようだ。じゃあ核はどうなんだ?と、ついでに検索したら多核体というヘンテコなものに遭遇した。でっかい細胞の中に、核が幾つもあるんだそうな。うーん、生物って多様だなー。こんな仕組み、いつ出来上がったんだろうか?たった一つの細胞で起きたことなんだろうか?こういう具合に根源へと興味を向けるのは、物理でいうと、素粒子理論モードかな?

6 月23日、昔の論文が「引用されていない」ということについて、いちいち目クジラ立てても仕方ないなー、と思いつつあったのだけど、ちょっと方針転換。きっかけは、とある外国の方の論文何編かが、同じような経緯で引用されていなくて、著者から疑問の声が聞こえて来た事。単純に「昔の論文の存在」が知れ渡っていない事かもしれないし、それならば確かに、新しい論文の著者知らせてあげることが親切につながる。そうねー、全部やってたら、単にウルサイ親父になるから、ポイントを押さえて、時々、「こんな論文あるで」と投げる。そういう方針で行こうか。ともかく、幾つかの論文について被引用回数が「ジリジリッ」と伸び続けているのは有り難いことだ。

6 月22日、梅を漬ける季節となった。というか、関西ではもう、その時期を過ぎつつある。これはいけない、急いで梅を仕入れないと。どこを回って梅を仕入れたものか、ええと。梅干しくらい、幾らでも売ってるから仕入れる必要ないじゃないか?と言われそうだけれども、その辺りで売ってる梅はどうも、洗った後でエキス分に漬け込んでいるような味がして好みではないのである。とても酸っぱくて、そして塩たっぷり。これぞ梅干し。賞味期限などというケチなものはないのである、放置しておくと何十年先でも、た・ぶ・ん、食べることができる。少なくとも、クエン酸と塩分は変化しない。なんて、書いてると売り切れるから、さあ売り場へ Go! → 無事、赤くなり始めた梅を仕入れました。これは塩を速く回さないと痛むので要注意。

6 月21日、ズッキーニというと、どんなものを想像するだろうか?キュウリのような形をしていて、キュウリではないもの。まあ、そんな所だろう。... そう信じ込んでいると、トンデモないものに出逢うのである。ヘチマくらい大きい巨大なズッキーニあり、パンケーキのように平たくて大きいものあり、スイカのように丸いものあり。大きくなっても、若い内はズッキーニ、煮れば柔らかくなる。栽培していて放置すると、表面が硬くなって、中も繊維っぽくなるし、種もできる。こうなると食えない。ズッキーニの特徴は?というと、パッと2つに切ってくっつけておくと、そのまま再びはりついてしまうこと。それくらい、エキス分たっぷりなんですね、料理にすると、ほんのり甘い。カボチャの親戚だけのことはあります。

6 月20日、今日、あちこちで見かけたのが、あくびや、眠そうな眼差し。朝早くからでしたからね、自宅で見てた人は別として、どこかに集合して応援してた人は徹夜モードだったかもね。遠い所へと飛行機で飛んで行った時の感覚に少し似てるかもしれない。そんな時には、まあ、講義もゆっくりやりましょう。まずは電子にスピンがある話から。... と話を組み立てるつもりが、いつの間にか陽電子へと道草した。陽電子の電荷は電子と符号が違い、質量は同じ。そう断言した後で、あ、いけないと思って訂正。測定できる範囲内で、電荷の絶対値や質量に差は見いだされていない。まあ、こんな所で明示的に対称性が破れてるとは思わないんだけれども。

6 月19日、ええと、フーリエ変換を記述する変換行列Aは、エルミート共役を取ると逆行列になる。AA* = 1 という関係があるわけだ。もうひとつ隠れた性質として、Aの4乗が1になることが知られている。ユニタリー変換であって、かつ4回繰り返すと元に戻るわけだ。フーリエ正弦変換とかフーリエ余弦変換の場合は、変換行列それ自身が逆行列となっている。ふーん、そんな関係もあるんだ、と、再認識。これらの行列の固有ベクトルはどうなっているのか?と問われると、シッポを巻いて逃げたくなる。

6 月18日、古文を読んだり関西弁を聞いてて思うのだけれども、日本語に格助詞は本質的なのだろうか?格が必須の概念だろうとは信じているのだけれども、格が明らかな場合にも律儀に格助詞をくっつけるのが標準語の流儀。きっと、最初はみんな、なんか不自由な言葉だと感じたに違いない。ひとたび標準語で教育を受けてしまうと、そんなことには思い至らないバイリンガルになってしまうのだけれども、それでも動詞の変化などで格がわかってしまう方言の表現が今なお絶滅しないのは、方言なりの便利さあってのことだと思う。そろそろ、微妙な言い回しが、動詞の語尾変化に戻って来たりしないかな?(←言葉の一般的変化の方向とは真逆のこと言ってます。)

6 月17日、人前に立つ仕事を持つ人は、facebook で検索できる場合が多いようだ。よく、飛行機の機内アナウンスで、客室乗務員の「まとめ役」の方が名前を紹介している。日本語では名字だけ、英語の方ではなぜかフルネーム。検索するとヒットしますねー、律儀に職場の名前も公開してる場合が多いです。「同じ色」の飛行機に乗ってるのは、同じ会社に所属しているものと思いがちなのですが、実は雇用している会社は色々とあるという裏事情が良くわかります。なるほど、正社員の雇用に切り替えて行くという類いのニュースが流れるはずです。中には、タイムランまで公開してる方が。職場のイメージを思い浮かべてはいけません、一升瓶抱えてたりします、ま、OFF の時にはそんなモンでしょう。

6 月16日、ホテルのテレビ、耐用年数が来る前に更新される設備の典型例だろうか?あまり使われないものだから、画面の焼き付きも起き難いし、ボタンの類いの故障も同様。しかし世の中はドンドン進化するから、それに追随できない製品は淘汰されて廃棄処分となる。そのギリギリのものが、けっこう転がっている。思うに、ホテルにテレビなんか必要ない時代になったのだから、置かないのが時代に見合った設備なのではないだろうか?え?それではワールドカップを見れないって?その辺りのビルのどこかに、大写しの画面があるではないか。あれで何か文句あるかい?

6 月15日、人がドンドン通る、改札のような場所はスルッと通れるものだと信じていると、いつかどんでん返しを食らう。ほんの少しのバランスで、それこそ「人の山」が出来てしまうのだ。例えば朝、ポツポツと見かけるのが、切符やカードの入れ間違い。切符やカードを入れるという動作は「自動化された」人間の動作なので、カバンの中にあるものを掴んだら、それが何であれホイッと改札機に放り込んでしまう。しかし、それは、どこかの店のお買い物カードかもしれない、ただの紙切れかもしれない …. そして、ピンポーンと音が鳴る。その瞬間、すでに人の流れが乱れ始め、下手をすると後ろへ後ろへと、その波が進んで行く。ゲートの類いは早々に、余裕を持って通過しておくことだ。

6 月14日、ドラがない。ドラが欲しい。ドラやきを買う?いやいや、本物のドラ。船で、出航の時に鳴らすドラ。パエリアパンとか鍋の蓋で代用出来ないかなーと、色々と試してみたけれども、やっぱりそれでは駄目。ドラはドラなのだと思った。ひとつわかったこと:ドラは、分厚い素材では作れない。固有振動の最低振動数が、けっこう低くないと、高域の「ジャーン」という音が聞こえないのだ。この点はシンバルと同じ。シンバルにマイクを近づけて、柔らかいもので優しく叩くと、意外と低い音が出る。ファインマンが太鼓なんだから、物理屋は叩くのが好きなのかもしれない。

6 月13日、有志で読み進めている Dirac の量子力学、原書第4版、調和振子の所までやって来た。調和振子はまあ、無難に ... と思いきや、ここでも最初、ハイゼンベルグ表示がチラリと出て来る。油断大敵なのである。また、その節のおしまい辺りに、いわゆる第2量子化の考えを書いてある。Dirac の説明はこんな具合だった --- 場の真空とは a standard ket であって、そこに場のオペレーターが作用して任意の状態を造ると。ここまで読んで、あー、今まで Standard Ket は「論理整然としているけれども、使えない道具だよなー」と思っていた謎が氷解した。Dirac は ψ と書くものを、なるべく演算子だと思いたい、そういう考えが最初から出ていたのである。何度も読んでるのに、こういう流れに気づかなかった事を反省。やっぱり、本は熟読してみるものだ。

6 月12日、全角運動量を表す演算子の固有値は、L(L+1) の (h/2π)^2 倍だ。これはまた、球面上に拘束されて運動する物体が持つ運動エネルギーの固有値に比例している。さて、軌道角運動量 L は整数値を取るわけなのだけれども、さっきの L(L+1) という数の最小値は、平方完了してみると (L+0.5)^2 - 0.25 と書けるように、L = -1/2 の所にある。角運動量が負の半整数値! うむ、こういうキーワード (に) は、理論屋が好んで飛びつくものだ。角運動量は軸性ベクトルだから、それが負になる場合には負計量を考えることになる。そんなものは「病的」と称され、病的であるがゆえに、それは何?と考えるわけである。ちなみに、磁性屋さんの一派には、1 状態ポッツ模型という妙なものへ走る人もチラホラとみかける。

6 月11日、0.8 x 0.8 x 0.8 = 0.512 これが今日の算数。球の体積は半径の3乗に比例する。丸いスイカをパカッと割って、皮の部分の厚さを測ってみると良い。見た感じ、皮の厚みは1割くらいに感じるんだけれども、実際に切って味わってみると、スイカらしい味がするのは皮から1割5分は中に入った部分から。更に、種の部分はスカスカしていて、可食部分の割合を減じている。よーく注意して、「食べられる部分」と「皮と種」に分けて計量すると、だいたい同じ重さとなる。これはメロンよりも、かなり低い割合。メロンは中心に種の部分があるじゃないか!と指摘されそうだ。しかし、たとえば半径の 1/2 くらいまで種が入っていたとしても、その体積割合は 1/8 にすぎない。丸いものの皮というものは、とかく多くの重量を占めるのである。

6 月10日、水素原子の講義を行う。原子は電磁場とも結合を持っているから、光子を吸収したり放出したりする、今日はそんな説明。そういう話は、教科書に幾らでも載っている。でもコレは、木に竹を継いだ話なんだよなー、電磁場の方を量子化して扱うのであれば、出発点はディラック場と電磁場の双方を含んだハミルトニアンか、ラグランジアンでなければならない。もちろん、非相対論的な取り扱いもあって、その場合にはディラック場の代わりにスピンの入ったシュレディンガー場を持って来ても構わない。場から入って、最後に大胆な近似の結果として「水素原子のシュレディンガー方程式」にたどりつく、そういう教え方ができないかなー、とボンヤリ何年も考えているけれど、良い解決策は今のところ見つかっていない。

6 月 9 日、カラリとした天気になる。空中を漂うものが何やら。下草から、綿毛のようなものが次々と放たれて宙に浮かんでいる。これが、あちこちへと飛んで行き、運が良ければ芽を出せる土の上に到着する。数から言って、ほとんどは「運が悪い」所に落ちて、何にもならない。それだけの単純な仕組みでありながら、地表面は草木に覆われているのだから、生物の種としての「しぶとさ」は凄いものだ。道端のちよっとした土、あれを掘って干してみると、乾燥重量は大したことない。土だと思っていたもの、いや土そのものが、実は生物の塊なのだろう。

6 月 8 日、6月は結婚式!? ... 街を歩くと披露宴帰りかな?という方々を次々と見かける。人口ピラミッドを見ると、20代半ばから30代の半ば間に、平らなステップがある。この世代が、安定した生活への道筋を見いだせるかどうか。さて結婚式は人生の一大事、でも結婚式場にとっては日常。(同じようなフレーズが医療現場でも語られるようだ。)定点観測すると、毎日とは行かないまでも、毎週末、次々と同じ場所で「結婚の誓い」をすることになる。そこで働いている人々、ひょっとすると、教員と同じような感覚なのかもしれない。卒業式が次なる生活の始まり、今頃みなさん、どうしてるかなー。

6 月 7 日、鋼の包丁を研ぎ続けている。研ぎは面白いもので、砥石の面と鋼が「うまく合えば」まるで木を削るように、鋼鉄の中でもひときわ硬い、刃先用の鋼が削れて行く。そうなるように、何個かの性質の違う砥石を用意しては、入れ替えたり、研ぎの粒子を足したり、研ぐ方向を工夫したり。刃を水平に運動させる時に、わずかに陰圧となる箇所ができればシメたもの、ザクザクと研ぎが進む。そうでなければ、鋼が石の上を単に滑るだけ。このような「石に嫌われた」状態をいかに脱出するか、それが問題だ。また、一見うまく研ぎ進んでいるように見えて、実は砥石の面が曲がって来ただけという場合もある。そういう時には、石自身をまず平らにしなければならない。いい加減に研いでも、使えるには使えるんだけどなー、そういうことは、あまりしたくない。

6 月 6 日、ちょっと曇ってるけれども、どこにも雨雲ないなーとレーダーで確認して、傘なしで通勤。さて講義も終わって、やれやれ?うわー、すごい雨だ、水やりしなくても良くなった。こういう、空中湿度の高い日にはツル植物が良く伸びる。よしよし。さて、問題は帰り。ごく小さな範囲での降水なので、すぐに通り過ぎるだろう、とタカをくくりたい所なのだけれども、時系列を見てびっくり、ほとんど雨雲が動いていない。どこから水分が補給されてるんだ?と不思議に思う。さて、どうやって帰ったものか?雨がやむまで帰るな、というお告げかもね。

6 月 5 日、すごーく東風が強い一日だった。少し上を眺めると、雲の動きから低空では南北の風が吹いていることがわかる。けれども、ほんのちょっと下の地表の風は東。低気圧の渦があると仮定すると、地表では中心が南西にあって、高度が上がるにつれて段々と中心が北にズレて行くことになるのだろう。高層の天気図を見ると、その通りになっている。天気図では、閉塞前線で表現されていた。衛星画像を見ると、これまた面白いのである、高知県沖に奇麗な渦巻きが見える。これがさっきの地表の渦で、上層の渦は水蒸気画像で良く見える。ちなみに、全球を水蒸気画像で眺めると、でっかい寒冷渦があちこちにあって、夏っぽくなって来たなーと思う。寒冷渦の南東で、台風の種ができるかな?

6 月 4 日、キノコのてんぷら、面白いものを見せてもらった。丸々と太ったシメジを揚げて、パッと2つに切る。その時は、まだ中が生っぽいのだけれども、みるみる透き通って来る。細胞壁が壊れて、中に入っていた空気が出て行くのだろうか?どんどんジューシーになって行って、30秒ほど待ったところでパクリ。あちゃちゃ、ふほはほ、としつつ、汁を味わう。なるほど、キノコの味だ。このシメジ、天然だったら、もっと美味しいだろうなー、むかし採りに行ったキシメジはなかなか味わい深かった、ハツタケも良かった ... と思い出を語るのは止めておいて、その場の美味しさを楽しんだ。あのハツタケ、今でも生えてるかなー、あの場所で。

6 月 3 日、世の中インフレ?と思うことしばしば。増税分が上乗せされた価格改定があったはずなんだけど、中身が小さくなっているではないか、一品少ないではないか、という事がしばしば。努力の限界が、ちょうど改訂と重なったということなんだろうか。まあ、円安に振れてからずーっとインフレ圧力があって、耐えて来たことは確か。昔の仕入れ分がとうとう底をついた、という話もチラホラと耳にする。自宅の毎日のおかずも、一品減らして努力しようか?いや、むかし、先輩が言ってた、メシだけはケチるな、と。… 先輩、学用品はケチってたなー。

6 月 2 日、照明の色がとんでもなく白色からズレている場合、色温度の調整くらいでは全く効果がないので、どこか白い場所に向かってホワイトバランスを取り直す。すると?あら不思議、目の前の光景は真っ赤であったり真っ青であったりするのに、写真は普通に撮ったかのようにカラーで写っている。但し、色合いはもちろん自然ではない。ついでに、赤い光で青を撮る場合には青にノイズが乗り易い、青い光で赤を撮る場合も同様。カラーを放棄してしまって、白黒写真にした方が良いこともある、いや往々にしてそうだ。モノクロはいいなー、写真らしいなー、と、1人悦に居る自己満足、ま、いいじゃん。

6 月 1 日、海に浮かぶヨット。ノンビリ …. いやいや、速い。内海を進む、その辺りの船を追い抜いて行く勢いだ。何故?と思って、あの帆が受ける空力を考えてみて納得。うまーくインピーダンスマッチングできているのだ。今日は適度に風があったので、海辺はけっこう涼しかった、日陰でありさえすれば。風を受けて走ると、さぞかし涼しいだろう … チトまて、風下に走ると、空気との相対速度は低下する。風と斜めに帆走している時にはけっこう涼しいかもね。風上に向かって進む時には …. これは力技になるから、船縁にしがみついてるの、けっこうキツいかも。乗ってる人々、今日は涼しかったのだろうか?

5 月31日、暑い、ので、サンダルをはいて散歩に出た。趣が乗って、どんどん、どんどん。そして、帰るのがしんどいかなーと思う頃に足の甲が擦り切れ始める。まずい … 夏の始めは、まだ足の皮が鍛えられていないから、サンダルで遠出をしてはいけないのだった。仕方ないから、騙し騙し、なるべく擦れないようにサンダルをずらした歩き方をしたり、パタンパタンと歩いてみたり。まあまあ上手く行く。但し、体力消耗は激しい。どうにか公共交通機関までたどりついて、そこから先は立っているだけ。電力の有り難みである。今日わかったこと:都会の鉄道沿線というのは、どこでも似たような風景なのだということ。花壇やら、家庭菜園が並ぶのである。

5 月30日、重水。ああ、ノドが乾いた、ジュー水が飲みたい!とは行かない。重水は、神経対して毒性があるらしくて、ある程度以上飲むと命にかかわるそうな。だいたい、重水は滅茶苦茶(... 少なくとも真水に比べれば ....)高価なものだから、飲んだりしたら超もったいない。さて、この重水、どうやって集めるんだろう?と思って調べてみると、熱力学的な性質の差を使うもの、化学的な反応性の違いを使うもの、など、色々と引っかかって来た。確実なことは、一発で濃縮できるような容易な作業ではないということ。同位体の分離には、つきものの難儀さだ。まあ、少しでも「差」があるからこそ、最初に述べたような毒性が出て来るわけだけれども。

5 月29日、梅干しが出回る季節となった。いや、梅干しではなくて、生の梅。今が青梅で、これは梅酒にするとか、梅エキスを取るとか、カリカリ漬けを作るとか、梅ジュースを取るのに都合が良い。もう少し経つと、ほんのりと色づいた梅になる。これは、シッカリ固めの梅干し向け。もっと待つと、黄色い梅、これは柔らかい梅干しになる。もっと待ったら .... 何もなくなる。梅はハウス栽培したりしないし、北国や山奥で大量に生産されている訳でもないので、時期が過ぎればパッとなくなる。まあ、冬に生梅があっても、干す所がない。(梅の寒干しってあるんだろうか?)さて、今年は、どんな梅を、どんな塩で漬けようか?

5 月28日、一次元の量子力学。どんなに浅い井戸でも、必ず一つは束縛状態ができる。励起状態の束縛状態は、あったり、なかったり。この性質は「たぶん」有界な浅いくぼみを持ったポテンシャル問題にも受け継がれることなのだろう。証明してみろと言われると、なかなか難しい部分はがあるけれども。2次元だったら?既にここで、ノントリビアルなことに首を突っ込んでいる。そんなに簡単には答えられないのだ。3次元でも同じ。じゃあ、どんどん次元を上げて無限次元へと行ったら?これは一次元に戻って来るような問題(しかのこらない)かもしれないし、そうでないかもしれない。これらは、いずれもユークリッド空間での話。双曲空間だと、どうなるんだ?

5 月27日、昼間の食堂。留学生が、それぞれ「神戸化」している姿を見る。つまり、出身国ではあまり見ない出で立ち、神戸っぽい、神戸コレクションみたいな服装に身をつつんで、ついでに関西弁でしゃべっている。これがホントの留学の意味かも、と、最近ではよく思うのである。学問は、けっこうユニバーサルなもので、語学でもない限り、だいたいどの国で学んでも、「同じ分野であれば」内容は似ているものだ。(国ごとに強い分野・弱い分野というのは、もちろんある。)でも、日常生活や気候風俗は全く別物。そこに行ってみないと、なかなか体験できない。さて、彼ら彼女ら、何を本国に持ち帰るのだろうか?それとも日本に定住するのだろうか?

5 月26日、船の航跡を見ると、波が末広がりになっている。波の速度を超えて船が走っているからだ。じゃあ、ゆっくりならば波なんか起きないんじゃ?と思って実験してみると、非常にゆーっくり動かさない限り、そうはならない。重力が原因となる波は、波長が短い波ほどゆっくり進むからである。(但し表面張力のため、短波長側の遅さには限度がある。)船から離れた波は段々と広がって「微小振動」で扱えるけれども、船に近い場所では振幅が大きくて非線形効果が強く出ている。従って、波は「くさび型」で広がらずに、大の字のように広がって行く。非線形の波、海の波、なかなか付き合い辛い、そして面白そうな対象だ。

5 月25日、スイカの皮、あれの調理法を検討して、たどりついたのが(1)表面の硬い皮を薄くむく(2)皮の方に、繊維を切るように浅く切れ目を「骨切り」あるいは「蛇腹キュウリ」の要領で入れる。(3)普通のダシ、あるいは甘い蜜で少し煮る(4)冷やす。スイカには、少しばかしの酸味と甘み、そしてウリ系の塩っぽい味があるから、こうやって柔らかく透明に煮た皮は、おいしい和食の付け合わせとなる。刺身だと思って、ショウガやワサビなどを添えても良い。ちなみに、赤い部分と皮、分けてみると、おおよそ半々くらい。直感的には赤い部分が多そうに見えるのだけれども、種が案外いっぱいあって、それを除くとけっこう重量が減るのだ。料理用の種無し小玉スイカなんか、あったら面白いだろうな。お客さんに驚きを与えたい、ただそれだけの事なんだけれど。

5 月24日、印刷物の原稿のページ組みを検討する。A3 の両面印刷を2つ折りにして、A4 の冊子を作る。となると、ページ数は見開きで P4 + P1 から始まって、次が P2 + P3、そして P8 + P5、P6 + P7 と続く。こうやって原稿を組んでしまった後で「もう1ページ追加」なんてことがあったら、全部のページをずらさないといけなくて、死ぬ。従って、まずは A4 片面の原稿を通しで作っておいて、いよいよ印刷という時に A3 に放り込んで印刷に回すことにした。この作業、きっと何処かで都合の悪いことが出て来るだろう、そう予想しつつも、ともかく作業始めるしかない。

5 月23日、井戸型ポテンシャル、今年もやって来ました、このシーズンが。手始めに取り扱うのが、大抵は無限に深い井戸。でもねー、これ、あんまり付き合いたくない要素タップリなんです。基底状態の波動関数は井戸の内側で sin 型、外側ではゼロ。当然ながら、その継ぎ目で微係数が不連続となります。ということは、微分するとデルタ関数が湧き出てくる。それを相殺する項は「とりあえず」周辺には見当たらない。もちろんコレは言いがかりで、有限の深さの井戸を考えておいて、壁を高くして行くと、ちゃんと接続条件を保ったまま極限が取れる。つまるところ、無限に深い井戸を最初に考えるのは全く教育的ではないのである。もうちょっと、性質のいいポテンシャルないかなー、束縛条件を説明するのに。調和ポテンシャル以外で。

5 月22日、日差しはもう夏。それはそうで、夏至が6月の後半にあるから、8月の太陽と5月の太陽は同じような照らし方なのである。アスファルトの地面は正直なもので、道路に向かってカメラを構えると、ちゃんと逃げ水が写ってくれる。植物も、この太陽は良く知っているようで、次々と葉を出して光合成する。そして、辺りはアッという間に雑草の山。ちょっと気を抜くと、ススキだらけとなるのである。あの鋭い葉は、草抜き作業の大敵。油断すると、スパッと切れてしまう。雨が降った翌日に、軍手をつけて、注意深く引っこ抜く。ここでも、グイッと引っ張ってはならない。肩を痛めるとか、ギックリ腰になるとか、ロクなことがない。

5 月21日、新茶の季節なので、茶葉を沢山仕入れる。業者が涼しい保管庫に入れてあるものを、必要な時に買うのが品質は保ち易いだろう。一方で、まとめ買いする方が安い、という「まとめ買い圧力」も存在する。まあ、1年くらいまでならば、どっちでも良い。古い茶も、それなりに味わいがある。もっと長持ちするものは?トイレットペーバーが年々値上がりするならば一生分まとめ買いしておくか?実はコレ、考えてみたことがある。自宅の生活空間を残して、天井まで積めば一生分くらいになる。あの紙が何十年も保つかどうかは知らない。もちょっと言うと、当座は使わない「可燃物」をそんなに集積させると、消防法に触れる恐れがある。そういわれると、茶葉も葉だから燃えるんだよなー、業者は何か、届け出してるんだろうか。

5 月20日、... と書いておいた矢先に、ポカひとつ。何か仕事を人に任せる時には、万が一の事も考えてバックアップをつけておくものだけれど、バックアップが居ない時に緊急事態が起きたらどうする?というマニュアル造りまで気が回っていなかった。これは制度の設計ミス。ともかくも、機転を効かせて現場で処理してくれたので、大事には至らなかった。スカイダイビングで予備のパラシュートを開く、その体験談を拾って読むことができるけれども、そんな感じかも。(命はかかってないけれど。)ちょっと「用心レベル」を上げて、今後の運営を準備して行こう。

5 月19日、何の作業でも、慣れた頃が一番危ないものだ。用心してかからないといけない。幾ら気を配っても、何かが抜けているからだ。そうわかっていても、やはり何か見落としがあるのが世の常。だから、何事にも初心を忘れてはならない。一方で、怖いもの知らずの状態というものを見ていると、それはそれで羨ましい気にもなるのである。大きな失敗をしたことがない、というのは、それが財産なのだと、ハタ目から見ていてよくわかる。常々、そんな風でありたいものだ。でも、失敗を繰り返すのが私の性格そのものだから、それはそれで納得して、失敗を繰り返す回数を1回でも減らす努力の糧としなければ。

5 月18日、神戸祭りの日。サンバストリートをチラリと眺める。素晴らしー、自分と同じくらいの年齢のダンサーが堂々と踊っている。そうだよねー、祭りの日には年齢なんか関係ないよねー。ちなみに、このサンバ、男の踊りは異常に激しい。下半身を相当鍛えないと、あんな空中浮遊は不可能だ。カメラを向けてもブレまくり。動物なみの素早い動きなのだ。ブレて動きが出た中で、視線だけバチッと止まってるようなカッチョいい写真を撮ってみたいものだけれど、技量に乏しい私の場合、マグレでそうなるまでひたすらシャッターを押すしかない。数を打つのも技術の内?

5 月17日、飛行機がゲートを離れる少し前に、電源の車両がやって来る。エンジンか、それとも補助動力のスタートに必要なのだろうか。接続するのは、でっかいコンセント。けっこう差し込むのも大変らしい。グイッと、全身の力をうまくつかって抜き差ししていた。こういう作業を行う時も、台車や足場を飛行機にぶつけないよう、注意深く作業しているようだ。図体は大きいけれども、デリケートなのが飛行機というものらしい。やがて、色々な機材が取り払われて、飛行機は滑走路へと向かって行く。軽くなった?いや、出発前はいつも、燃料で重たそうだ。行ってらっしゃい。

5 月16日、朝、スペインからのお客さんと物理ガチンコ談義みっちり2時間。午後は講義。その後、ドイツからのお客さんと帰国前のディスカッション、そして量子力学の読み会、その後論文を読んでると、可約表現と既約表現で質問を受けてしばし説明、その後で論文読みを完了して web 更新して、さあまだまだ業務は積み残されてるぞ、今日も午前様だなー、明日も仕事だなー、休日なんて夢のまた夢だなー、これも幸せと思って仕事にいそしむのである。仕事の間にくつろぐ、そういう技を身につけて行かないといけないな。書類を書くのは、もちろん楽しい、と、言えるように、常に楽しみをみつける準備をしておかないと。

5 月15日、検索に「奴隷船 旅客機」と打ち込んでみる。ああ、やはり。何が「やはり」なのかというと、誰でも気づくことに「グラフィックデザイナー」のハクを付けた記事が転がっていることだ。世の中、こういうことが良くある。要するに何回も再認識されていることなのだけれども、あまりにトリビアルなことなので原典もないし初出もよくわからないから、結局は「発見者」が相次ぐのである。しかも、その「発見者」は配信力が大きいほど、より有名になる。まあ、そんな事を行ったら歴史上の数学文献はどうしてくれる?という事になるのだけれども。まあ、ひとつのまとまった読み物としてレビューをまとめてあるのならば、それはそれで価値があることだろう。さて、その「奴隷船」、昔は何週間も乗ったのだという。エコノミークラスに何週間も乗せられたら、エラいこっちゃ ...

5 月14日、言葉に壁があっても意思の疎通が簡単であることは良く経験する。一方で、言葉の違いがあるかないかによらず、ごく単純なことに共通の認識を見いだすのに時間がかかることもある。後者が起こり得るのは、たいてい、話者のどちらもが基本原理に立ち戻ろうとしない時だ。ごくごく単純な例に立ち戻って議論するならば、何も疑う余地の無いことからひとつずつ確認できる。これは言葉の違いによらないことなのである。従って、私は常に「なぜ」と問う。理由を説明するためには、ひとつ立ち戻る必要があるからだ。それで原点にたどりつかなければ、もういちど「何故」と問う。5回くらい「なぜ」を投げた時に、それでも私の話し相手となってくれるか、それとも呆れて立ち去られるか、いずれかなのであるけれども、やっぱり適当な所で首を縦には降らないのが良いと思う。サイエンスの世界では特に。

5 月13日、力学現象の習い始めは、まず自由落下から。ごくごく単純な等加速度運動なのであるが ... 量子力学だと、どうだろうか?これが難儀なのである。数値計算的には、適当に波束を作っておいて、時刻 t=0 で水平に飛ばすように初期条件を設定すれば、時刻が正と負で時間対称な運動をちゃんと見せてくれる。じゃあ、解析形に落としてみようか、そう思った瞬間に凍る。まあ、ちょっとインチキすれば、等価原理を使うという手が無いわけではないのだけれども、固有状態との関係が見えなくなってしまう。ああ面倒。さて、冷蔵庫に安い味噌で漬け込んでおいた安い肉はどうなってるだろうか?安い肉というのがミソなのである、家計の自由落下を防ぐ心強い味方なのである。

5 月12日、朝顔の種が出て来た。数年を過ぎると発芽率が落ちるのだそうな。どうだろうか?と思って植えてみると、ちゃんと発芽した。条件にもよるのだろう、比較的乾燥している室内は案外、種子の保存には都合が良いのかもしれない。ところで、水の季節になるとハスの花が美しいものだ。このハス、その種子が長持ちすることでも有名。大賀ハスと名付けられた蓮がある。「書き物」を信じるならば、千年以上前の種子から発芽したのだそうな。当然、真贋論争がある。科学的に何か証明しようと思っても、千年の時間を系統立てて確かめることは難しい。せいぜい 10 年くらい、発芽率の低下を追うのが関の山だろうか。まあ、世の中にはアスファルトが液体であることを証明する実験など、気長に行ってる人が居るには居るのだけれども。

5 月11日、たくあん漬け、昔ながらの作り方で塩たーっぷりに作ると何カ月も日持ちする。塩蔵品だから当然といえば当然。さて問題は、この使い方。薄く切っても、ひと切れあれば丼飯一杯分のおかず(?)になる。そんな調子で食べていては、いつまで経っても減らない。薄切りにして水に晒してから、改めて揚げやらダシとともに煮込むという食べ方もある。まあ確かに、これはこれで良いのだけれども、何となく勿体ない気もする。スープを作る時に、塩気のあるものとして薄切りタクアンを加える方法もある。精進料理のような感じに仕上がる。食べた後、ずーっとタクアンの匂いが体の中から漂って来るような気がするけれども、気のせいだろうか?ピクルスの液に漬け直すと良いという話も聞くので、いちど試してみよう。

5 月10日、HTML ファイルの構造がよくわからない Home Page の管理は難儀なものだ。一部分だけを見て、少しの文字だけを変更するのであれば何とかなるけれども、テーブルの何処かに新しい欄を付け加えるなどという事になると、全体のバランスが崩れて見栄えが悪くなる事故もしばしば発生する。そんな複雑なフレームは組めないだろうって?いや、HTML エディターは何でも吐くのである。テーブルのネスティングがよーくわからない、そんな状態でもヘッチャラで Edit できるのがエディタの売りなんだけれども、HTML のソースをいじるアナログ人間にとってみれば、この手の GUI によるページ作成は「困ったもの」なのである。ちょっと、整理してみようかな。

5 月 9 日、久しぶりに「有志」で開催中の Dirac の読み会、今回は --- 今回も? --- けっこう調子良く行ってる。Dirac の有り難い所は、何といっても論理に飛びがないこと。どうしても、何らかの「飛び」が必要な場所には、ちゃんと言葉を尽くしての説明が入っている。だから、ちゃんと読めば、それに応えてくれるのである。一方で、ナナメ読みすると一発で途方に暮れる本でもある。読者を選ぶ本だとも言えるだろう。著者も、そういう意図を持っていたのか自覚症状があったのか、前書きの中に「平均的な学生向けではないよ」と、それとなくわかるように紹介してある。過去に行ったセミナーでは、途中の群指標の辺りで沈没する事が多かったのだけれども、今年の彼らならば乗り越えてくれるだろう。その先には、Dirac 方程式が待っていてくれるのだ。

5 月 8 日、音楽も楽しみたいというリクエストがあり、さて検索。連休の最中には色々とあったんだけどなー。その最中に、珍しい(?)記事を見つけた。連休の間のとある日に、高名な盲目のピアニスト(←と直接的な記述を避けておいて)が有名なコンサートホール(←と特定せずに書いておこう)にやって来て、即興演奏を披露した。けれども、観客のマナーに気をそがれて(←ということらしい)演奏を中断して、舞台袖に去って行ったのだそうな。コンサートホールには、主催者からの「おわび」が掲載されていた。この事象についてキーワード検索してみると、ええと、かの演奏者はちょっとした音を足がかりにして即興する名手なのだから、観客席からノイズが流れて来たのならば、演奏を中断するのも音楽の内、そういう珍説も引っかかって来る。まあそうかなー。講義室で「私語がウルサイから講義中断」してみようかなー、なんて昔は考えてたけれども、今では皆さん、私語よりもスマホの方が楽しいらしくて(←個人的な conjecture にすぎません)講義室は静かなものなのだ。

5 月 7 日、お客さん来日。さて、しかし、書き物ばかりの仕事は続くわけで、キーボードをカタカタと言わすとお客さんに迷惑だろうなー。そう考えて、今まで使っていたストロークの大きいキーホードをついに放逐。代わりに、ほとんど音が出ない、電卓ボタンみたいなストロークの浅いキーホードを使うことにした。そういえば、往年の MZ-2000 だとか、パピコンだとか、浅いストロークのキーボードだったなー。当時は使い勝手が悪いキーボードだと思ったけれども、実は世の中を先取りしていたのだと、今になって感じる。更に音を立てないには、ええと、スマホみたいな一枚板のキーボードが既に販売されているから、それを使うといいかな。

5 月 6 日、パソコンにスマホ、この世の中で駆逐されたものは?本棚ではないかと思う。研究室のスペースを見渡すと、昔は本棚が占める割合が多かった記憶がある。1度買った本は、そう簡単に捨てるものではないのだけれども、建物の改修やら異動やら、そういう経験を重ねる毎に、何年も利用しなかった本から処分して行った結果、段々と本の数が減って来たのである。現在、理論物理屋の研究室で必要なスペースは何なのだろうか?とりあえず椅子と小さな机があれば用は足りる。後は全て、ディスカッションの場にしてしまうのが良いだろうか?ともかく、職場の居室はなるべく空にする、そういうボリシーで整理整頓して行こう。

5 月 5 日、休日中は少なくとも新しい仕事は舞い込んで来ないぞ、と思っていたら、何件か舞い込んで来た。みな、考えることは同じなのである、「休日だから仕事に専念しよう」である。ついでに、月曜日には海外からの連絡も舞い込んで来る。週日というものは祭日であっても週日なのである、と認識するしかない。まあ今週は、水が休み明け、木が中日、金が休み前、たった3日で再び土日なのである、今日できなかった仕事は、今度の土日にゆっくりやろう。←どうせ、また、みんな、同じように考えて行動する結果、今日のようになるに違いない。

5 月 4 日、いい天気だ、こういう日にはノンビリするのが良い。とは思うものの、連休に入るまでに連休明け締切の書類が仕上がらなかったので、今日も色々と書き物。まあ、天気の良い日というのはノンビリした雰囲気があって、周囲から緊急の連絡が入ったりはしないから、日頃に比べると充分に余裕を持って作業ができる。休日というのは有り難いものだ。さて、書類を提出するサーバーにアクセスして、まずは様式に書き込む中身の検討から。ま、仕事がソコソコは進んでいるから、書くことは沢山あるのだ、地道に、アセらず、作業、作業。

5 月 3 日、砂糖を加えた煮豆を作っていて、しばらく見てなかったら鍋のフチがアメ色に。ここまでならセーフ、カラメルと化しているだけだから、食味が落ちることはない。さてこのカラメル、その正体は何?砂糖だけでも煮詰めると茶色のカラメルになるし、タンパク質を含む肉や豆腐と糖分を水が飛ぶように加熱しても、同じ用にアメ色となる。材料が違うので味も異なる。そのすぐ先には炭化というコゲが待ち構えている。じゃあ、ちょっと焦げたのがカラメル?いや、幾ら少量でもコゲたらコゲであって、カラメルではない。どんな分子構造してるのかなーと思って調べてみると、実は混沌。そうか、現実の世界の統計力学というのは、実はトンデモない複雑さを包含しているのか、多元数理屋さんが好きそうなネタかも。

5 月 2 日、行列は順番が大切だ。行列は順序が大切だ。行列の順番を入れ替えると、結果が違って来る。... と聞いて、何を頭に思い浮かべるだろうか?普通に日常会話で考えると、何かの目的で人が並んでいて、順番を抜かしてはいけないヨとか、受け付けの順番が変わると作業の流れも違って来るよ、とか、そんな意味で受け止めるものだ。しかし、一部の理系人間、とくに数理屋さんは違う意味で受け止める。正方行列AとBの積ABは、順序をひっくり返した積BAとは異なるよ、という理解である。従って「行列のできる店」などと聞くと、えーと、行列なんだろうか?と一瞬意味不明なものが頭の中に思い浮かぶのである。

5 月 1 日、お客さんがしばらく滞在される、そのデスクスペースを捻出するために、少しオフィスの配置を変える。計画は特になし。パッと目についた感覚を大切にして、できるだけ小規模のレイアウト変更で済むように、イスを動かしたりパソコンを置き換えたり。今まで、スペースを贅沢に使い過ぎていたのだ、ミカン箱と丸太の椅子でもあれば、ノートパソコンを使って仕事ができるではないか。ついでにスキャナーの位置も少し動かした。そして、空いたスペースにはガラクタの山。うーん、本末転倒ではないか?まあ、いいか、そのようなガラクタを捨てずに置いておいた日頃の怠慢が形になって現れたのだ、改心して毎日捨てるものは捨てるようにしよう。

3 月と 4 月の1行日記