← 3 月と 4 月の1行日記  

2 月28日、魚の一夜干しを三枚におろす作業を延々と。骨ごと焼けば良いものでも、まあ一手間かけて、骨は骨で強火調理、身はサラっと (?) 火を通して。こういう骨は素揚げにしても美味しい。その場合、油は捨てるか、あるいは早々に魚料理か何かに使い回すので、少量で良い。干した魚は、生魚とは違った感触で、包丁も切ることをよりハッキリと意識する必要がある。新鮮な生魚が手に入ったら、自分で開き、塩をして干すのが本当は楽しいし、食べ物の成り立ちを確認する一環にもなる。ついでに、雑魚は安い。ちなみに、重量と価格の比で考えると、鶏肉もまた激安なのである。ササミの開き干しでも作ろうかな。

2 月27日、前夜のこと、そーろそーろ寝ようかなーと思っていた頃に、MacOS 10.9.2 の update を見つけてしまう。色々とバグ (?!) に閉口していたので、早速インストール。隣のマシンにも、えーと ... と無為な時間を過ごしてしまう。そういえば、そろそろ学期の切り替わりだから、学生さん達が使っている計算機も、常々の見回り点検に加えて、システムやらアプリケーションの大掃除をしなければならない。そこで、ちょっと思案するのが MacOS の扱い。あれは最近、User ごとにアカウントを持って使うようにドンドン方向付けされて来た。従って、サーバー管理者が「平均的な使い勝手のものを提供する」という作業形態が実態と合わなくなって来たのだ。どうしようかなー、もうこの際、新しく入って来る人々からは、OS のインストールから自分でやってもらおうかなー、もちろん、学内に置いておく限り「管理者」の監視監督は絶対に必要不可欠なのだけれども。

2 月26日、節分の頃のイワシは大きかった、まな板に乗せてさばく感触も骨っぽくて、梅酢と一緒に煮て柔らかくしたなー。春めいて来たら、イワシの漁獲は雑魚に戻る。ともかく小さい。真面目にさばく気にもならない、斜めに腹を切って、頭を落としておしまい、切る順番はどっちでもいいか。こうして、また1年、魚の成長を見守る ... 食べながら見守る?のである。そうそう、煮干しのストックも切れて来た、そろそろ大羽いりこを仕入れないと。これまた、チマチマとした作業になる。美味しいものに手間ひま惜しまず。こういう、日常的な細かいことも、折を見て若い人々に伝えて行く、そんな「食育」もしてみたいなと思う今日この頃。物理と何の関係があるって?食をおろそかにして、学問あらず。さて、包丁研いで、準備、準備。

2 月25日、とある百貨店の包丁売り場で砥石を買い求めた時の記憶がフッと浮かぶ。白い、アルミナセラミックの砥石が転がっていたので、「その、アルミナのセラミック砥石下さい」と係の方にお願いすると、意外な反応が。「これはセラミックなどではございません!」と。うん、じゃあきっと、ビトリファイド砥石とでも称してくれるのだろうと思って聞き耳を立てていると「私どもは、これを中砥と呼んでおります、決してセラミックではありません!」と。なるほど、砥石のメーカーさんから出荷されて、包丁屋さんで商品名が付けられて、そして売り場に並ぶという過程で原材料というか、素材についての知識が途切れてしまった訳か。これは科学屋さんにとっても、他山の石としたい事例だ。よくあるのだ、論文を片手に「ナントカ先生はこうおっしゃってます」と、言い張られることが。それも、学位を持ってる専門家が堂々とソレをやる。まあ、きっと、雑用が忙し過ぎて、論文の中身までカッチリと読む時間が無いだけの事なのだろう、そうと信じたいが ...

2 月24日、サボっていた下草刈りに着手。本当は、10月頃にやらなければならなかった作業だ。あまりにススキがぼうぼうに生えていて、ヤブ蚊も居るし、あれや、これや、と機を逸する内に寒い冬になってしまい、今日まで延び延びに。下草をちゃんと刈っておけば、今頃は春のお花畑になっていたはずなのだけれども、残念ながら今年は枯れ草の下。まあ、それでも、全く何もしないよりはマシだろう、花粉が来ない内に、少しは手入れしておかないと。今日は、ススキを倒して千切りにする。刈り取って積むという手も考えたけど、積んだ後は捨てなければならない。それならば、堆肥になってもらいましょう、と、地面に置く。夏までに朽ちるかどうか。まあ、もう少し季節が良くなったら、石でも積み直しましょう。

2 月23日、ぶわっ、オリンピック効果。スケートリンクが人で埋まっている。それでも、先週の日曜日に比べれば、まだマシなのだそうな。先週は所用あって氷に乗らなかったのだけれど、それで正解だったらしい。そしてあちこちで真央ちゃん効果が。腕を振り振り、演技の真似。時々「滑れないのに、上だけ真似して」とコメントする方もいらっしゃるけれど、そんなことはない。フィギュアスケートは全身運動なので、足だけでは駄目。例えば、安全を確認した上でのことだけれども、真上を見ながら滑ることも、腕を振り回しながら滑ることも、練習していなければ直ちには披露できない。そしてジャンプ ... 何度でも書くけれども、あれはイキナリやらない方がいい。スケート教室に入っても、片足のバック滑走がひとまず形になるまでは、飛ばせてもらえない。ともかく、そうして「新技」に挑戦しながら、楽しい時間を過ごすのが、スケートの良い所。神戸大学の学生さん、リンクの上に居たかも?

2 月22日、スケート場でいつも思うことは、貸し靴の足首のグネグネ。あ、日本語になってない …。貸し靴の靴自体はけっこう丈夫にできている。丈夫というのは、ボロボロになっても修理が容易で何とか使えるという意味であって、滑り易いという意味ではない。一番の問題が、足首が柔らかいこと。原理的には、足の重心の真下にエッジがあれば、運動靴のような靴でもスケート靴の機能を果たす。スピードスケートの靴が、そんな感じだ。但し、これには精密なエッジ位置の調整が必要で、誰が履くかわからない貸し靴では無理なのである。結果としてよく見かけるのが、足首の所で靴が折れたまま、エッジを寝かして妙な滑り方、いや滑るというよりも靴をズルズルとずらしながら歩いているだけの初心者。靴の履き方の問題もあるのだけれども、そこまでクタった靴なら、交換してもらった方がいい。こう書くと、貸し靴はダメダメだという響きになるんだけれども、子供や学生さん達の中には、貸し靴で上手に滑る人も居る。微妙な靴底感覚に、うまーく適応するのは、若さと表現するほかないものだ。

2 月21日、今日は「総括」に専念した日。1年の研究を締めくくる(?)発表が終わった所で、今後の研究の進め方から始まって将来の話まで、色々と見つめ直しながら膝を付き合わせて相談する。彼らの将来は、少なく見積もっても私より30年は長いんだなーと考えると、ちょっとうらやましくも思える。時間を無駄にすることは大切ではあるけれども、できれば無駄なく歩んで欲しいと思う。そうそう、最近、あちこちで「年会費」について考えることがある。例えば、年会費一万円と言われると、高価だなーと思ってしまうものだけれども、ええと、あと何回くらい払うんだろうか?と冷静に勘定してみると、生活の屋台骨を揺るがすものでもないなーと。まあ、春は色々と、先々の事を考えるには良い季節だということだろう。

2 月20日、私の専門とする(?)行列積状態、テンソル積状態のことなら何でも聞いて下さいよー、と若い人々に語りかけても、どうもあまり興味を持ってくれないようだ。まあそれは、何か物理現象から話を始めるという、物理プロパーな流れから離れた学際的な所で、情報系とゴニョゴニョ何かやっているだけのように映るのだろうし、実にその通りだからだ。そういう学問のニッチに、どうやって流れ着いたのか?という経緯も話すべきかなーと、最近になって思い始めたのである。研究は成果という「美しい上澄み」だけを見せるものであって、ドロドロした失敗の部分なんか話しても仕方ないよ、という美学を持ってこれまで過ごして来た。そこに至るジタバタも、近い人には伝えておかないといけないな、そう「思い上がる」境地なのである。教員が何か工夫しただけで、学生に大きな影響を与えると考えることを「思い上がり」と表現したわけだけれども、わかっていても口から次々と言葉が出て来る。そうだ、思い出してみると、私が職歴についた頃に、近くに居た先生も話し出すと止まらなかったなー、当時は傘で雨を受けるように、ひたすら聞くだけであったけれども、今になって思うと、ちゃんと血肉になっている。批判的精神は充分に受け継ぎました、○○先生。

2 月19日、誤ったデータを誤っていると見抜けないか?というと、一発でわかることもあれば、なかなか判別のつかないこともある。自分は数値計算を使ってデータを集めることも時々あるので、プログラムを組んでパソコンにデータを計算させる。プログラムが間違っていると、当然ながら結果も間違いとなる。大抵の間違いデータは酷い振る舞いをするので、一発でわかるのだけれど、微妙に「データに山を出す」ようなミスがあっても、なかなか気づかない。そういうものが、アチコチで論文として出版されているのを目にすることがある。大抵、あまりクリアな結論になってないので、いわゆる泡沫論文となって消えて行くのだけれども。これはまあ、自分のミスで起きること。共同研究をしている時に、共同研究者の持って来たデータの誤りを見つけるというのは、更にハードルが高い。何か妙だなー、と思ってアレコレと詮索していると、段々と人間関係がおかしくなるような事もある。いや、サイエンスについて語るだけで人間関係を持ち出すのは間違いなのだけれども、まあ、そういうマズい状況が生じる可能性もあるわけだ。互いに信頼してデータを論文にまとめて、投稿して、後から、ああ間違っていたと気づくこともある。実は、そういう経験も2度3度ある。その度に、雑誌社に「詫び状」出して、世間に「間違いました」と頭を丸めて1ページくらいの公示を出すのである。幸い、他人から間違いを指摘される前に公示を終えることができた、今までは。ところで、立場が逆というか、何だか怪しいデータだなーという論文を審査することもある。妙だなーと思って、審査コメントを英文で雑誌編集者に返すと、その論文の著者から何ページにも渡る長ーい英文で反証されることもよくある。それに付き合うには、論拠を明らかにして長ーい英文の応報をしなければならない。… そんなん、無駄な努力やねん … と、根負けしなかったことが無いとは言えない。結果として、怪しい論文が怪しいまま雑誌に掲載されることは日常茶飯事なのである。今までの経験から言うと、大抵、そういうのは泡沫論文として消えて行く。編集者が見ても、査読者が見ても、読者が読んでも素晴らしいという論文は、サッサと通ることが多い。念のために付け加えると、サッサと落ちてしまう論文の数々の中にも、後にドンドン引用されまくる素晴らしい論文が少ないながらも一定割合で含まれている。査読者にも編集者にも「見識が欠けている」場合が無いとは言えないのだ。科学もまた人間の世界やのー。

2 月18日、幼少の頃から、海辺の岩にくっついている、ヒザラガイという小判のような姿の貝が好きなのである。あれはなんじゃ?という感じ。生き物らしい形をしていて、しかも岩にも馴染んでいる。時々、水面下で散歩しているやつも居る。この貝、どこでも岩にピタッとくっつけるわけではなくて、定住場所があるのだとか。住み処と決めたら、そこから散歩しても、また戻って来るらしい。なるほど、その定住場所に合う形に成長するわけか。毎日毎日、同じようなことを繰り返す、そこの所にも改めて近親感を覚えた。ある程度は都会の神戸という街に暮らしている私、店はアチコチに山ほどあるけれど、次々と新しい店を開拓するというタイプではない。たいてい、ふらりーっと入った店に2度3度通う内に、その分野の商品はそこで買う、そんな購買パターンとなる。自分のことを知らない人と、毎日のように相対することが面倒なのかもしれない。通っていた商店が潰れたりすると、大いに悲しいのであるけれども、その時に限ってまたふらりーっと、他の店に入って、またまた通い詰めるのである。赤いヒザラガイなんだろう、きっと私は。

2 月17日、エレベーターから降りようとすると、目の前にエッと言いたくなるパーティードレスの女性が。いや、他人の事を言えた義理ではないか、日頃から赤い私は。ともかくも、なんでこんな曜日・時間にパーティーなの?と思って調べてみると、その場所で年2回、3日間のダンスパーティーが開催されている、そのまっ最中だったのだ。紹介の写真やら、アチコチに転がってるブログなどをつなぎ合わせてみるに、生バンドとヴォーカルの下、フロアに繰り出す感じらしい。日常から切り離された世界、そういう意味では、昨日見たコスプレイヤー達と似ているものがあるのかもしれない。あるいは、週末ごとにスケートリンクに出没する我々とも、チト近いかも。氷の上に出てしまうと、全ては氷の上で決まるのだ。リンクの上では友達、そういう関係もよく見る。そうそう、思い出してみると、仙台に住んでいた頃に利用していたクリーニング屋さんは、実はパーティードレスの専門店も兼ねてたなー、世の中にはダンス好きな人が多いようだ、きっと楽しい世界なんだろう。さ、また氷の上に繰り出すか。

2 月16日、神戸空港が開港10周年なのだそうな。色々と催しが行われている。足湯コーナーが … 温泉の足湯はかけ流しなのだけれども、ええと、この場所で足湯となると … と思って遠慮しておいた。その両側にはこたつ。空港で足湯と「露天こたつ」というのは、なかなか見た事がない。他には、ジャズコンサートやってたり、物販してたり、就航都市の特産品紹介があったり。ちょっとびっくり、六甲アイランドでは時々みかけるコスプレ(コスプレイヤーたち)が、今日は神戸空港に集結。うむ、あれは、きっと生産的で楽しい趣味なんだろうけれど、何だか近寄り難いのである。はた目に見るカメラ撮影会とも、ちょっと雰囲気が違う。年齢層も、一概に若いという訳ではないようだ。野鳥の出るスポットを確認するなど、ひとしきり楽しんだ後に、空港から離れた。

2 月15日、中之島の公会堂、見るからに文化財。そして、現役のホールでもある。使える部屋はホールだけではなくて、会議室や控え室もある。どれくらいの値段で借りられるのかというと、営利だろうと非営利だろうと目クジラ立てるほどの額ではないことを知った。こういう文化財は使われてこそ文化財、という事なんだろうか。イザ現地を訪れてみると、造りは至ってクラシック。誤摩化しが効かないとは、まさにこのこと。腰壁には分厚い大理石を使っている、凄いなーのひとこと。天井も2階分くらいあるんじゃないだろうか。利用に際しては、文化財であることをよくよく考えるようにという類いの注意書きが延々と続く。公序良俗に反する使い方はダメですと、わざわざ書いてある所が大阪らしいのだろう、きっと。ここから少し北に歩くと、曾根崎へ。これまた、昔から今に至るまで、文化の中心地の1つだ。大阪は、やっぱり天下の大阪だと思った。

2 月14日、大学の構内に神戸市バスの姿が。普段は門の外側を通過して行くだけのバスが、どうしてここで?雪の影響かな?と、思案していると次のバスが来て、事情が飲み込めた。丘の上の方は雪が積もって、チェーン無しでは走行できないから、チェーン装備のバスがトロトロと巡回しているのだ。一方で「下界」までチェーンでやって来るのは非効率なので、大学の正門前で「乗り換え」という形で運行していたのだ。もう少し登った所はどうだろうか?こういう日には六甲山の上は完全に「雪のアスファルト」となる。毎日、夜の10時まで運営している、山上の「とある施設」のページを見てみると、今夜は交通の便が「途絶する」可能性があるので、夜の8時で運営終了すると書いてあった。神戸の市街で雪が積もることは何年かに1度だけれども、六甲山の上では毎年ほぼ必ず積雪がある。実は、雪国はすぐそこ、見える所にあるのが、海も山もある神戸の良い所かな。

2 月13日、スキーの教え方は?自分が教わった時の事をよく思い出すと、レンタルスキーでボーゲンから入るのは、難行苦行への入り口。インストラクターが、よく磨いたエッジでアイスバーンだろうと何だろうと、楽々とボーゲンで降りて行く姿の真似をしようとすると、エッジの怪しい貸しスキーではズルズルと滑り落ちて行くだけなのである。仮にエッジをかけ損ねて滑って行っても、慌てなければ何も起きないものだけれども、初心者はそこで転倒する。何度か、このような経験をして、これは怪しいぞ?と気づいたものだ。自前のスキーを購入してみて、あらびっくり。ガリガリの急斜面でも(コースが広ければ)ガツッとエッジを立てれば止まるではないか。その安心感は板のコントロールを容易にしてくれたものだ。格言:初心者には良い道具を使わせよ。さて、とある北国のスキー場で、上手なフランス人が初心者に「立っている限り真っすぐに滑り降りても、風圧で減速するから大丈夫」と直滑降を教えていた。まあ、25度くらいまでの整地された斜面ならば間違ってはいない。不思議なもので、怪しいながらも、彼の連れの初心者が凄い速度で直滑降して行く。うーん、本場ではそういうメソッドもあるのかー、と、感心したものだ。ちなみに、後日、その初心者が「その日の内に骨折した」事を、人の知らせを通じて知った。これもまた、密かに思うのだ、怪我をするような転倒に遭遇したのはエッジが怪しい貸しスキーだったからではないか?と。

2 月12日、弁当などに付いて来るけれども使わない、タレとかマヨネーズとかソースとか。不要ならば捨てていたけれども、案外長持ちすることを知って、溜め込んでおいたら結構集まった。集めるだけでは仕方がないので、さあどうやって使おうかと思案。安いものは安いもの同士で合わせるのが良い、ミンチ肉を買って来て、調味料を何個か分だけ投入して、ショウガや香辛料を放り込んで、あとはグツグツと煮るだけ。安いミンチ肉は半分くらい油だったりする。そのまま食うと油の採り過ぎ。適時、上からスプーンで油をすくって、更に煮る。こうして作った「枯れそぼろ」は、まあまあ何にでも使い回しが聞く。そのままご飯のおかずにしても良いし、カレーの素にもなる。さてそのミンチ肉、閉店前には半額になるのが常であった某スーパーが、最近3割引き止まりになった。朝の開店を狙って買い物に行くのが良いのだろうか?

2 月11日、ながらく守っている「師の教え」が1つある。それは、博士論文の発表に予行演習をしないこと。少なくとも2回以上は見たことがあるのだけれども、恩師は発表の予行演習を頼まれても、「すべて、本番で聞く」と追い返すのであった。自分が学位指導する立場になってから今日まで、この点は堅持しているし、今後も曲げないでおこうと思っている。博士号を与える (?!) というのは、自立した研究者として送り出すという意味があるのだから、何かに依存する様子が漂っているのでは駄目なのである。博士論文ではない場合は?と問われると、「自立への道」への手助けが多少とも必要になって来る場合もあると思う。しかしながら、それは事前の準備に限定されるべきだと考えている。聴衆の前でひとたび発表が始まったら、指導者は何も手助けできないし、するべきではない。その立場は、音楽やスポーツの指導者と全く同じなのである。助け舟を出す、という言葉があるけれども、聴衆の面前て何か助言が入るというのは、誰の為にもならないことだろう、恐らく。

2 月10日、ギョーザをつくる時、皮の枚数と具の量の関係で、どれくらい詰めれば良いのか判断に困ることはないだろうか?経験とカンに従うと、ギョーザの皮の一袋分が、だいたい片手で持てる具材の分量に対応している。スプーンですくう具の量をどれくらいにするべきか、ナビゲートしてくれる「計量はかり」があったら便利だろうなー、「次はもう少し詰めて下さい」とか「あと何個包めます」とか。理系的には、横軸に包んだ個数、縦軸に残りの具の重量が表示されたグラフと、目標とする個数への直線 (guide to eye) が示されているものが良い。名付けて餃子ナビゲーター。ちなみに、私は少し多めに皮を買って来て、余ったら適当なものを詰めることにしている。振りかけと混ぜたご飯とか、その辺りの漬け物だとか、ともかくご飯に合うものなら、大抵は大丈夫なのだ。梅酢で合えたものも良いかも。

2 月 9 日、発表は充分に準備をして、と指南するのは師たるものの口癖のようなもので、毎年同じように繰り返してきた。でも、ちょっと待てよ、自分の例で考えてみると、最近は自分の発表では直前になるまで何も準備しないことの方が多いぞ。それは何故かというと、発表する場の面々の顔を見てから何をどう組み立てるか、考え直すから。また、充分入念に準備する時間があれば、その分だけ他の活動をしている方が生産的だ。そういう訳で、今年は特段セカすようなことをしなかった。これが吉と出るか凶と出るか、それはよくわからない。1年だけの観察で結論が出るようなものではないだろう。そういう事も含めて、最近になってよく口にするのは「パソコンが壊れても、プロジェクターが壊れても、ホワイトボードがなくても良い、そういう境地を目指すべし」という意味の言葉。文系、特に哲学などでは、マイク一本の講演が常らしい。理系もまた、それに挑戦、いや再挑戦する頃合いなのではなかろうか。

2 月 8 日、気温が下がると暖かくなることがある。境目は氷点下2度くらいだろうか。昼間は服にはり付き、そのまま融け、至る所に湿気をまき散らす雪の粉も、氷点下になってしまえばパラパラと落ちて行くだけだ。手袋を濡らすこともない。カサを持たない時には、特にこの違いはまさに天国と地獄。但し、地吹雪がなければという条件付きで。この、温度が高くて寒いという事態を未然に防ぐのが毛糸の凄い所。毛糸のセーターを一枚着ているだけで、上着が濡れても中までズブ濡れにはならない。動物繊維はタンパク質だったっけ、油と相性が良いのだろうか。綿などの植物繊維は、もともと水を通すのが重要な役割なので、防水を考えると頼りにならないようだ。さて今日は雪か?と期待したけれども、結果は冷たい雨であった。ちと残念。

2 月 7 日、冬の一番寒いこの時期、地面を見るともうニョキニョキと球根から芽が出始めている。スイセンは特にはやい。寒気がやって来る度に、適度の降水があって、寒いから乾かない。その水をどんどん吸い込んで根から成長して行く。植物はタフなものだ。放置していると芽が出て来るのは台所の芋も同じ。冷蔵庫ではあまり上手く温度管理できないから、買って来たら即座に料理に回す。うっかり使い忘れると、もう緑色になったり、芽が出たり。まあタマネギの芽は美味しいネギだし、サツマイモも芽が出たからといって直ちに芋の質が落ちるわけではない。問題なのはジャガイモ。あれが育ち始めたら、地面に植えてしまって、しばらーく後にできる「新芋」に期待するしかない。今の季節のショウガはあまり芽を出さない、そして芽を出さない内に腐ってしまう。まあ、地面の中に生えているものが楽しい季節かな、冬は。

2 月 6 日、冬の伐採作業が辺りで続いている。日本の自然というのは、ハッキリ言って「放置すると森」なのである。やれ自然破壊の何のと言われるけれども、人の手が入らなくなった土地は数年で立ち入りがたい薮となり、10年も経つと桐やウツギのように成長の速い樹木が目立つようになる。従って、広い土地を管理すると、必然的に一年中どこかでノコギリを使う羽目に陥る。特に冬は、木々が葉を落として軽くなっているので伐採にはうってつけの季節。こういう時に、普段は手に入らない種類の材木もドンドン出て来るので、ストックしておくと良い。但し、細くて若い枝からは身の詰まった心材は殆ど取れないので、こうして集められるのは辺材、いわゆる「しろた」だけ。大きな木を切った時には?稀に、価値のある種類の木が「雑木」として伐採されることもある。そういう物は、ちゃんと流れるべきルートに流れて行くと聞いたことがある。また、検索してみると「雑木引き受けます」という方も結構いらっしゃる。運んで来てくれるならば、燃料としてはまあまあ使えるというわけか、短距離の運搬で済むならばエコロジカルで良いことだ。

2 月 5 日、寒い日になった、と言いたいのだけれども、意外と寒さを感じない。陽が暖かいからだろうか?聞く所によると、年を取ると寒さに鈍感になるらしい、要するに老化現象なのだろうか。さて、今日は包丁を研ぐ日。とは言っても、本腰を入れて研ぐという訳ではなくて、毎日使っている包丁の刃の状態をキープする程度の軽い研ぎ。こういう場合には、天然砥石が使い易い。水をチラッとかけると、直ちに研ぎに入れる。研ぎ場の片隅に転がっていた、今まであまり使わなかった砥石を拾い上げてシゲシゲと眺める。この石は、裏側がデコボコしていて、使い辛いから放置してあったのだ。よし、面直しの砥石で裏を削ってみよう。しばらくゴシゴシやると、砥石の裏にも平らな面が少し出て来た。試しに、その面で研いで見ると、あら不思議、表よりもよく研げる。わずか何センチかの「石の場所の違い」で、こんなにも性質が異なるのだ。そういう訳で、この砥石は、これから「しばらくは」裏ばーっかり使うことになるだろう。そのうち、研げない層に達したら、その時はその時でまた考える。ちなみに、天然砥石を薄くなるまで使うのは、なかなか難しい。ちょっと刃を当てると、充分に刃が付くので、研いでも研いでも減らないのである。また、あの感触もいいな、昔の人はこうやって刃物を研いだんだなー、という雰囲気が伝わって来る。さ、料理しよっ。

2 月 4 日、そろばんをパッと見て、数字が浮かぶ、そんなの当たり前だと、ずーっと思っていた。しかし ... 5玉の位置と読みの関係を、実はスッカリ忘れていたのだ。1玉は上げた玉の数が数字に対応していて、5玉は「下げた」玉の数を数える。これを思い出すのに数秒もかかってしまった。そして、理解した後も、いちいち玉の数を見てゆかないと、数字が浮かんで来ないのである。一応は5級まで(←ソロバンの世界では入門にもならない級だけど)取ったハズなんだけどなー、小学生の頃の経験というのは、何十年も経つと忘れてしまうものなのだ。小学生の頃に習ったものというと、漢字もだいぶん怪しい。いやいや、簡体字を見て思うに、漢字というのは見て読めれば良いものなので、正しい文字を押し売りされる義理はないのだ、そんな風に思うようになって細かいことを気にしなくなったのかもしれない。ソロバンも、うーん、今思うに、力学台車の代わりに使って遊んだ経験のアレコレの方が、今の仕事に役立っている。結局のところ、ソロバンに触れたことは無駄ではなかったということか。

2 月 3 日、ボンヤリと春霞。カスミと言えばイタリア料理、真っ黒なイカスミに限る。そういう、仕方ない駄洒落が年齢とともに蓄積して自動的に再生されるようになるから、おやじギャグと呼ばれるのである。脱線した。ともかく今日は、霧で視界が効かない。海が全く見えないのだ。アメダスの気温を見るとよくわかる。海辺は総じて気温が低く、少し標高が高い所の方が気温が高いか、あるいは標高が高いにもかわらず温度の低下が見られない。逆転層の中にスッポリと入ってしまったのだ。霧だけならまだしも、あらゆる塵と埃、カタカナで書くとチリとホコリ、ついでに流行の PM なんとか、ええと、11PM だったっけ?(←オヤジにしかウケない)その他諸々が空気の低い層に閉じ込められて、霞となる。この霞の中に居るようなものなのだろうか、宇宙というものもまた。宇宙の果ては、宇宙にかかる霞の向こう側にあるのだろうか?さて、再び春眠という名の居眠り状態に入ろうか。

2 月 2 日、いつまでも進まない時計、の話。パソコンを使う時には、いつも画面の片隅に表示される時刻を見て行動している。あの作業のあと、この作業をやって、時計を見て。結構仕事したけど、まだまだ時間あるなー、もう一仕事。あれあれ、まだ宵の口だ、もう一仕事。あれあれ、夜が明けて来た、おかしいぞ?と、ふと疑って時計の設定を確認しようとしたら、そこにマウスポインターを持って行っても何も起きない。完全に、時計だけがフリーズしていたのだ。システムの根幹にかかわる訳ではないにせよ、あんな簡単なアプリだけ落ちるなんて「想定外」のことだった。新聞サイトなど、時刻が確認できる所を常にアクセスして、時間を確認しておこう。いやいや、ちゃんと針のぐるぐる回る時計も仕入れておかなければ。腹時計も仕込んでおこうかな。

2 月 1 日、スケートの、初心者向けの道具として二枚刃の靴というものがある。エッジが2枚付いているのだ。昔は、靴底いっぱいの幅の2枚刃で、スケートというよりは厚底靴といった風情であった。最近のものは、もう少し幅が狭くて、何センチか離れてエッジが並んでいる。スケートが上手な人が滑っても、そこそこ使えるらしい。それはそうか、道具というものは常に改良の余地があるわけで、いま使われているスケート靴のエッジだって、これから先どんな風に変化して行くのか見当もつかない。ジャンプを連発するようなフィギュアスケート競技者が使うスケートのエッジは、カービングスキーのように氷に付く所の幅が場所によって違っている。お値段は10万円弱。どんなエッジ幅の設定が一般的なスケートの競技に向いているのか、また初級者から使い易いものなのかと言った検討は、まだまだこれから。100 年後の人々はきっと「昔はこんなに滑りにくいエッジを技術でカバーしてたんだ」と評することだろう、少なくとも初級レベルに関する限りは。日本のメーカー、こういう研究には手を出さないのかな … 自分で実験してみろって?なお、スケート靴でいちばん高価なのは、スピードスケートの靴(とエッジ)。もちろん、それは練習にかかる費用の10%にもならないけれども。

1 月31日、いりこの話。讃岐うどんに欠かせないのが、いりこダシ。美味しいダシを取ろうと思ったら、いりこの頭と腹は取った方がいい。それはどうして?と思ったら、集めた頭と腹「だけ」でダシを取ってみればわかる。何というか、濃い色のニガいダシになって、特別にニガ味を出したい料理以外には使いようがない。でも、ダシっぽい味もするから、捨ててしまうのは勿体ないものだと思う。そこで、いりこの頭を分解して、食べられる部分を探してみた。骨とか目とか皮は大丈夫。ダメなのがエラと腹。おお、これは大発見。いりこの頭をカチ割って、中のエラと腹さえ取れば、美味しいダシになるのだ。手間はかかるけれども、ダシが取れるものを捨てる訳には行かない。頭を割り続けること20分。皿に残ったのはエラと腹の塊だけ。これはもう食えない。カチ割った頭を集めてグツグツ、二番ダシくらいの物は充分に取れる。豆腐を煮るような時に用いると良い味だ。まてよ、この方法は生のイワシや、メボシにも使えるな。焼きウナギや焼きアナゴの頭からダシを取る時にも、割ってエラの残りは取ることにしよう。

1 月30日、日本語で書かれた文章を読むと、主語や目的語、そして動詞(あるいは終助詞)がハッキリしないものに、よく遭遇する。よくよく考えると、口語でこれらの要素が全て揃って出て来ることは、テレビで流れるニュースなどを除いて稀なことなのだ。どうして会話で完全な文章が必要とされないか?というと、単にまどろっこしいから。「ください」「二百円ね」とか「武庫川駅は?」「止まりますよ」くらいで会話が成立する場合に「私は、その棚の二段目の白い小さなクッキーを一枚買います」「はい、それは二百円でございます。」あるいは「これから私は普通電車に乗って ...」なんていちいち言ってられないのだ。このように、あらゆる要素を省略して言葉に落とせるのは、会話を交わす双方で状況を共有しているから。SNS やメールにも、まあそんな雰囲気あるか。論文を書くとなると、こうは上手くゆかない。学問分野の共通認識というのは非常に限られたものなので、大抵のことは1から説明しなければならない。ああ、まどろっこし。そういう訳で、最近は SNS で研究経過をつぶやく人も現れ始めた。世の中、変わって行くのかな?

1 月29日、その辺を歩けば、いくらでも木切れや枝が落ちている。大抵は朽ちかけているけれども、木の中には腐りにくいもの・部分もある。切り株の辺りは組織が緻密なのか、それとも樹脂が多いのか、なかなか風化しない。拾って来て乾燥させると、使えることもあるし、乾燥とともにひび割れて、そのままでは使い物にならない場合もある。割れてしまった木はエポキシ接着剤とともに袋に入れて、空気を吸い出してしまうと一応は「ひとかたまり」になって、素材に戻すことができる。さて何に使うのかというと、ナイフの柄。刃の方はどうするのか?というと、実はナイフの刃はそんなに高価なものではないし、世の中には「使われなくなった刃物」というものが満ちあふれているから、その気になったら拾って来ることもできる。素材に事欠かないのが、ナイフ造りの趣味かもしれない。ツワモノになると、石を拾って来て、それで柄を造るとか。そこまでの根性はない。

1 月28日、とある東欧の国の方から、新聞の代金について聞いたことがある。曰く、ネット版だけだったら月に数百円。紙の配達を頼んだら、月に何千円か。なるほど、これは実に合理的なことだ。割と小規模な国だと、こういう「メディアの変革」もスピードを持って進めることができるのだろう。日本くらいの規模になると、印刷・配達・読者獲得という巨大な(?)システムをホイッとネット版へと移行しようとすると「会社の経営規模にかかわる一大事」になるのだろう、きっと。但し、同じ量の情報を得るのにディスプレイと新聞紙を比べると、まだ紙の方が速読に適している状態だ。この辺りは、まだ「画面上の組版」という技術の蓄積が乏しいのだと思う。新聞紙も、単に紙として使うだけなのだけれども、タマには必要だ。実は、今の新聞紙の流通量を考慮してのことだけれども、白い紙を買うよりも新聞紙の方が安いこともある。それで、私は新聞を取ってるのか?と問われると、いえいえ、神戸に引越して来た時から、ネット版の「ただ見」しかしていない、と答えるのみ。月に数百円くらいだったら、払う用意はあるんですけどね ...

1 月27日、昨日撮った写真を眺めることしばし。ちょうど、陽が西に傾きかけた頃であった。南北の壁に、南側から斜めに光が差す逆光のコンディション。こんなので写真撮れるのだろうか?と思いつつも、とりあえずシャッターを切ってみると、意外に写りが良かった。少し粗い、コンクリート打ちっぱなしの壁が天然のレフ板となって、照り返しを与えてくれたのだ。逆光は髪の毛のラインを奇麗に出す時に使えると、物の本に書いてあった通り、ちゃんと印影を与えてくれた。このパターンは覚えておいて、使い回ししよう。人物写真を撮るのに、壁を探しまわっているヘンテコな人が居たら、私かも。改めて日差しを確認すると、もう春が近いことがわかる。冬至からひと月以上経過しているのだ。写真は、拡大して隅々まで眺めると、色々と発見するものだ。全体が駄作で、ごく一部分の切り出しがまあまあイケる、そんな事もよくある。時間があれば、没にする前に、チト確認。論文のネタと、少し似ているかも。

1 月26日、大学の先生は儲けてるんでしょ?と、聞かれることがある。「ボーナス3百万円くらいですか?」なんて質問されることもある。うーん、末は博士か大臣か、そういう言葉のイメージがまだ残っているのだろうか?そんな高給出したら、大学は一発で潰れる。最近は何でも調べられる時代になったので、例えばキーワード「大学教員 給与」で検索をかけてみると、実態は簡単に把握できる。まあ、他の職種と単純比較してはいけない、仕事の内容も違うし、教員というのは(下手をすると)生涯の仕事かもしれない、つまりリタイアというのも曖昧だからだ。研究職を目指し、(就職活動とは無縁の)学習研究している若い方も、この辺りの実態は知っておいて損はない。そんなの関係ないヨ、研究面白いし ― と心底思うならば学究の道を進むべし。ちなみに、研究職というと四六時中研究しているように思われがちなのだけれども --- そういう研究者ももちろん居るのだれれども --- 私の場合は勉強している時間の方がずっと長い。ごくごくたまーに、ちょっとはイケてるかな?というアイデアを得て、それを論文に落として、発表する。何か思いついた瞬間は「ざまーみろ!」と思ったりもするものだけれど、科学という大自然の前では謙虚な姿勢あるのみ … そう思う日々である。そんなに「儲ける」もんじゃないな、こんな楽しい稼業で沢山稼いだらバチが当たる。

1 月25日、ちょっと量子コンピューターの散歩。C-NOT と呼ばれる素子(というかゲート)があれば、量子コンピューターのおおよその部分が造れてしまう。その C-NOT は 2 入力 2 出力で、制御 bit と呼ばれる入力は「そのまま出力される」のだ … と書いてある解説をよく見かける。実は英語版の wikipedia にも ... noticing that the operation on the first bit is identity, ... なんて書いてある。でも、ちょっと待った、ゲートというのは入力の 2 q-bit 間で相互作用が起きるものだ。ユニタリー発展の前後で制御 bit について密度副行列を造ってみると、ゲート通過前と通過後で全く値が異なる。実は C-NOT の 2 q-bit は「対等な」関係にある。いわゆる Z 対角の基底で (0,0)→(0,0) (0,1)→(0,1) (1,0)→(1,1) (1,1)→(1,0) と表すから制御 bit が不変に見えるだけで、(+,+)→(+,+) (+,-)→(-,-) (-,+)→(-,+) (-,-)→(+,-) と、X 対角な入出力で考えると「制御 bit」の方が値を変えることがわかる。じゃあ結局、C-NOT って何をやってるんだい?と質問されると、当座のところ「Entangler です」としか答えようがない。ともかくも、量子回路の描き方というものは、初期条件と、観測する際の量子化軸に都合の良い描かれ方をしているだけで、回路図そのものに本質的な物理があるわけではない点には注意が必要だ。

1 月24日、一昨日、右足の調子が妙であった。血流が悪いというか、つる直前の状態というか、酷使した翌日の状態というか、そんな感じ。昨日は講義の後でノドがいがらっぽかった。大声で2時間近くも講義すれば、声がおかしくなる事もあるから、まあ、そんなモンだろうと。足の調子は段々と回復した。今朝は?はい、見事に風邪でした、気管がやられてます、声が出て来ない。ここまで来て、一昨日の症状がインターフェロンかサイトカインか何か、免疫のイタズラであることが(自分なりに)判明したのであった。また一週間は、風邪薬のご厄介になることになる。風邪薬はどれも似たり寄ったりの成分だけれども、なるべく以前に服用したものと同じ製品を服用するようにしている。効き具合がわかっているのと、一応は空腹時に飲んでも(自分的には)大丈夫だとわかっているから。注意が必要なのは習慣性の方で、何となく何事も気にならなくなる、そういう精神的な効果もあって、服用の中止が延び延びにならないよう、気をつけている。養生あるのみ。

1 月23日、Dirac の量子力学の教科書を再び開く日がやって来た。とりあえず、セミナーの日程を決めてみて、まず最初の段落を読み解くことから始めた。これまでは、その辺りはあまり味わうことなく素通りしていたのだけれども、よーく読んでみると最初の一段落は実に興味深いのだ。前書きの後、最初の章の最初の段落は、Dirac にありがちな少し長い文章が4つで構成されている。その4つは、起・承・転・結 の論理構造を見事に含んでいる。原文で読んでみると、そのことがハッキリとわかるだろう。たぶん何度も推敲を重ねたに違いない。訳本はどうなっているんだろうか?と気になって、学生さんが手にしている朝永訳を音読してもらうと、ふむふむ、なるほど、起承転結の構造を意識しながらも、日本語として読んでおかしくないように意訳してある。最近では、やれ科学英語、それ英語試験のスコア、ホイ国際化という声ばかり聞こえてくるけれども、Dirac の教科書のようにどんな言語に持って行っても意味のあるものを文章に落とす、またそれを読み取るという、言葉のインターフェースの「真の目的」について、もっと良く考える・考えさせる教育を目指したいものだ。

1 月22日、文章の添削について、の、続き。最近の私の業(なりわい)の、かなりの部分が文書執筆となっている。文章を書くことが嫌いだったら、こんな仕事は勤まらないのである。よーく思い出してみると、小学校で作文用紙を渡された時には、延々と何でもかんでも書き込んでいた記憶がある。作文が嫌いになったのは「読書感想文」という無用の長物を宿題に出されるようになってからだ。感想もヘッタクレもないではないか、書いても仕方ないジャン、と思ったものだ。今もそう思ってる。それからずーっと、あまり文章を書かない状態が続いて、再び書くようになったのは友人と「ハガキ一枚にどれだけの文章を詰め込めるか」を競った頃からだろうか、あるいは e-mail に色々と書くようになってからだろうか。ともかくも、ひとたび文章を書くようになると、何か目的を持って書く時には「本気」になってしまうのだ。添削しているはずだのに、いつの間にか全てが自分の文章と化してしまう、そんな事が時々ある。いかんなー、それを「自分の文章だ」と思って勝手に使い回すと、添削するオリジナルの文章の作者にしてみれば「無許可転載」と感じるかもしれないしなー。ま、添削の経験は自分の「こやし」にしておいて、関連文章を書く時には、より良いものを作成するよう、努力してみよう。

1 月21日、もう眠くてアウト。昼間は色々と仕事あるし、夜は論文添削となる。寝る時間を削って何とかしよう、と、ジタバタしてみたものの、限界というものは厳然と存在するものだ。… 限界が厳然と存在?なんか噛み合ない表現だ、頭が回っていないことを如実に表している。そうそう、我々の世代はすでに「なかんずく」とか「けだし」と言われてもピンと来ないのであるけれども、「如実」なんていう表現も時代遅れになってしまうのだろうか?論文添削にあたっては … 論文添削に「おいては」と書くのは既に古いかも … なるべく主著者の言葉遣いに合わせて添削するよう努力が必要なのだ。共同研究では添削は日常茶飯事なのだけれども、その結果としてパッチワークのような文章になるとマズいのである。漢語をいーっぱい使ったりしたら、一発でアウト。英文の場合は受動態ばっかりだとか、どの文章にも必ず and が入ってるとか、人によって色々とクセがあるものだから、他人の文章に書き加えたりする場合には、日頃のクセが出ないように注意するのである。その割に、著者バレバレなのだけれども。

1 月20日、あてどもなく、ふらーっと歩くのは楽しい。太陽が出ている内、あるいは星座か惑星が見える内は、だいたいの方角はわかるから、迷子になるということは滅多にない。いよいよアカン、という事になったら、その辺りの誰かに道を聞けば良いだけのことだし。さて、この道沿いに30分歩いてみよう。何に出会うだろうか?古着屋があったり、肉屋さんがあったり、今は絶滅しかかっている駄菓子屋さんがあったり。もちろん、コンビニは数知れず。ただ、コンビニと言っても、全く均質なわけではなくて、元々が八百屋さんというコンビニだと、品揃えも八百屋さん風のまま、そんな事もある。学校があったり、廃屋に出くわしたり、新築マンションがあったり。お菓子屋さん、えーと、パティスリとかパティシエと言う雰囲気にしたいんだろうか、でも中身はお菓子屋さん、そんな店も道沿いにはあるものだ。古い雰囲気そのままだったり、何処かで修行したのか、外国っぽい雰囲気にしてたり。ついつい、立ち寄って何か買ってしまうのであった。一生懸命作っている、そういう店ほど早く潰れたりする、運不運なのか才能の差なのか、よくわからないものだ。研究も似たような所あるかな ...

1 月19日、一年に何度か、いや何度も「研究論文の書き方」の一端を、この場で述べることがある。もちろんこれは、研究者向けの記述ではなくて、研究の成果を初めてまとめる方、これから研究生活に入ろうという方、また、研究者の「そば」に居る人々、あるいはこれらに興味を向ける人々へのメッセージである。何事も透明であること、これが第一に重要なポイント。過去との接点を持つ研究であれば、従来どのような研究が、どういう意図で行われて来たのかを、重要なものについて整然とまとめる。受け売りの部分については、科学史的に意味がある発掘など特別な例や、初学者へまとまった学習資料を提供するレビューなど特殊な場合を除いては特に水からの寄与など無いのであるから、ちゃんと原典まで読者がたどりつけるよう配慮する。間違っても、過去の経緯を意図的に曲げて書いたり、それを自らの研究の一部と誤解されるような表現を持ち込んではならない。完全に全く新しい研究、これは珍しいものだけれども、その場合は出発点と目的をハッキリと述べる。その上で、研究の核となる、自らの研究によって新たに得られた科学的知識について、人々が誤解なく、そしてなるべく苦労なく理解に到達できるよう配慮して簡潔に解説する。当然ながら、1人では手がつけようのない広大な発展の可能性が見えて来るわけで、その議論も惜しげも無く最後に述べる。そんな事したら人々に研究のネタを盗まれるではないか?という世知辛い世の中になりつつあるようだけれども、そんなチンケな事を言ってはならない。美味しい所は自分で食べて論文にしたのだから、自分が満腹になってテーブルの上に残ったものについては、ちゃんと「残ってるヨ」と世に知らせる事が、人類が興味を持つこととなった科学という不思議なもののコヤシとなるのである。科学のためなら滅私奉公、科学を行う者はカッコ悪くて良いし、カッコをつける事は少なくとも主目的ではない。最後に、盗作云々について短くコメントすると、研究の核となる部分について、他人の引用であるにもかかわらず自らの研究成果と主張した場合、それは自明な盗作と言えるだろう。一方で、過去の経緯についてまとめた部分、あるいは既に人類共通の資産となっている過去の研究成果について延々と何処かから持って来たとしても、その引用について「透明さ」を保ってキッチリと述べてあれば、それはそれで良いのである。完全にコピーしたものであれば「コピーですよ」と言って人に渡す、それはコピーマシンのない大昔には、普通に行われていたことなのである。写本とか書き写しノートと呼ばれていたものだ。「コピーですよ」の言葉が抜けるとマズいのであるが。あ、疲れて来た、何だか最初の書き出しと結びが呼応していない。文章はやっぱり、起承転結の設計図をシッカリと作ってから書き始めるべきである。これが、今日さいごに述べたかったポイント。

1 月18日、英気を養って、忙しい難局を切り抜けよう、という時に限って、幾つもの相談が舞い込むものだ。これはもう神様が差し出してくれた杯だと考えてあり難く引き受けるしかないのである。分身の術は使えない。よし、ウナギ飯を食べよう。小?中?大?いや、特大だ!... ええと、特大になったからご飯も大盛りという訳ではなくて、ウナギが「昔くらいの」大きさ、つまり一匹分になるのである。それにしても、ウナギは高価になったものだ。昔は千円出せば、一匹買えた。今は二千円出しても買えない。そこで、毎日のように半額ハンターとして活躍して来たわけだ。幸いなことに、ウナギは少々古くなっても味が変わらない魚で、買って来たものを蒸してみると、普通に焼いて直後に蒸しを入れたウナギと遜色ない状態に戻るのである。蒸して落ちた汁は、そのまま元のウナギに戻すと雑味を戻すことになるので、コンニャク料理などに使い回す。これで一匹の半額ウナギが2回楽しめるのである。また、ウナギの本来の旬は冬なのである。夏よりも、安価に手に入る。そして、極寒の日には客足が遠のいて、目出たく半額になるのである。えーと、なんかい「半額」って書いたっけ、結果として半額ウナギが転がっていると「欲しくもない日にも手を出してしまう」半額貧乏に陥るわけだ。スーパーの戦略恐るべし。

1 月17日、学位論文やレビューのようなものを書く人々には、いつも「原典にあたりなさい」という言葉をかける。例えば物性物理学で古くから知られたモット絶縁体。モットの原論文は何編かあるのだけれども、実際に読んだ人はどれくらい居るのだろうか?大抵は、引用まで含めて受け売りなのではないだろうか。そして、モット絶縁体のモデルの「ひとつ」であるハバードモデルは?モデル自体は、スレーターも考えたに違いないと耳にしたことはあるのだけれども、そのものズバリを掘り当てたことはない。ハミルトニアンの形で、ズバッと書いてあるのはグッツヴィラー、金森、そしてハバードの幾つかの論文。従って GKH モデルと呼んで不思議ではないのだけれども、いつの間にかハバードモデルという名称が定着した。ハバードは比較的若くして亡くなり、金森先生にも事情を伺う術は既になく、ご存命のグッツヴィラー氏はカオスの方に興味が移ったとかで、結局どうして先に提唱した人々の名前がモデル名として残らなかったのか、理由がよくわからないのである。さて、イジング模型の原典にあたってみようか。

1 月16日、波動物理学では弦の振動を波のモデルとして取り扱うことが多い。ギターは手軽に取り扱える実験道具として、よく登場する。しかし、ギターは一筋縄では行かない。そもそも、ブリッジの部分が完全に固定されていれば音が出ないので、境界条件としては「ほぼ固定端」ではあるけれども、わずかに弦の振動に摂動を与え、エネルギーを奪って行く。それだけでなく、弦の振動方向も表板に対して垂直方向だったり、水平方向だったり、時間変化が激しい。さて、ギターを弾く時に大きな表現の違いとして、アポヤンドとアルアイレがある。力学的にどこが違うのか?と問われると、これが難儀。最初に弦を弾く方向が違う、あるいは爪と弦の角度が違う、諸説紛々。音の立ち上がりは大きく異なるけれども、減衰部分は大差ないような気もする。また、弦をはじいた時に、実はポンと指板を叩くような、打楽器的な音も出ているので、その音質が異なるのかもしれない。ナイロン弦は、まだ単純な方か、金属弦はさらに剛性という難儀なものがつきまとうから、更に厄介な解析が必要となって来る。楽器は楽しいものだ、その音も、その物理も。

1 月15日、iMac が届く。仮住まいをしていた MacBook Air からの乗り換えはスムーズに行った。CPU を見ると、全部で仮想ながら8コア見える。実装してあるのは4コアだけれども、チップ内部の交通整理とボトルネックを考えると、実際の CPU コア数の何倍も見えたとしても妙ではない。乗り換えてみてパワーの差を感じたのが、検索データベースに割く余力。検索が数個走っていても、CPU は青天井であるかのごとく空いている。ちょっと負荷をかけてやろう、と思って全画面表示の動画を再生しても、一つの CPU がチラッと使われる程度。Adobe の各ソフトはメモリーも CPU も食うと思っていた今までの印象とは打って変わってサクサクと動作する。その能力を受け継いで研究も教育もサクサクと行けば理想的なのであるが、そうは上手く行かないようだ。まずはバックアップの整合を取ることから始めよう。これが意外と面倒な作業だ、幾つものバックアップディスクがあるので、時間がかかる、かかる ...

1 月14日、反射の法則は、いつ習うのだったっけ?ええと、確か、中学理科だった記憶がある。但し、小学校でも鏡による太陽光の反射を扱った覚えがある。そうだそうだ、あれは木造校舎の古い教室の出来事だったから、小学校3年生以下の時のことだ。ちなみに4年はプレハブ校舎、5年と6年は鉄筋コンクリート「新」校舎で過ごした。みんなで鏡を持って、窓際に集まり、太陽光を黒板の一点に集めるのだ。とても明るかったな。当然ながら、その対象は先生にも向けられたのであった。眩しそうだった記憶があるぞ。そして天井に、アチコチに、光の乱舞。もうすっかり忘れていたことなのに、ふと思い出すものだ。そうそう、机も椅子も古い木でアチコチがささくれてたな。卒業生達は、毎年のように木の椅子を雑巾で磨いてから卒業するのだった。ええと、新校舎に移ってからはどんな椅子や机に座っていたっけ?この辺りで記憶が怪しくなる。講義室の机や椅子って、当たり前の存在だから、案外当たり前に(?)何も覚えていないものかもしれない。

1 月13日、今日は成人の日。街中が華やかであった。私の成人式の日?その日はたぶん、下宿で普段どおり、何かゴソゴソと予習でもしてたはず。ええと、大学生が下宿する場合、生活の基本が実家にあれば、住民票を下宿に移す必要はない。当時は荷物の大部分が実家にあれば、長い夏休みに春休み、そして冬休みも実家で過ごしてたから、下宿は「仮住まい」という位置づけであった。従って成人式も故郷からの案内となる。わーざわざ、交通費を払ってまで行く価値ないやー、スーツなんて着るの面倒だし、と当時は思って欠席。まあ実際のところ、20才の誕生日を迎えても成人という意識はゼロ、そのままずーっと、いやズルズルっと今日に至る気がする。近年のように連絡がとり易い時代であれば、友達の誰かが参加予定という情報も断片的に入るはずだから、もっと成人式への参加モチベーションも上がったかもしれない。いや、当時は、なるべく早く故郷の縁から離れていようと考えていたから、やはり欠席だったかな。まあ、それも1つの選択か。

1 月12日、思い立って六甲山のスキー場に行ってみる。その昔、4回の冬を仙台で過ごした私、スキーというと蔵王雫石網張八方と、まあまあ広大な(?)場所を思い浮かべてしまうので、神戸にスキー場があると知ってても「食わず嫌い」で今まで行ったことがなかった、六甲山には。さて行ってみての感想は?「冬の間に春スキーが楽しめる」というか何というか、ともかくそれなりに面白い。そんな所まで1時間足らずで到達できるのだから、神戸にやって来てから17年の間の今まで、実に勿体ないことをしていたものだと思う。スキーをはいたのも、17年か18年ぶり。古い板は重くて長くて運べないので、レンタルスキーにする。あれれ?これは何じゃ?すごーく後傾にして、ほとんどスキートップが浮いててもスキーコントロールできるぞ?ザラメっぽい春雪の上をサーフィンしているような感覚、用具も進歩していたのか。コースは、長くはないので、直滑降すると一瞬で終わる。それは仕方ないな。ながーいコースを楽しむには、それなりにながーい旅に出る必要があるしね。

1 月11日、刃物が切れる、ええと、これはどういう表現なんだろうか?刃物が切れる状態にある、という意味であることは自明で、これが「期限が切れる」だとか「ダチがキレる」だとか「じゃが芋が切れる」と文形が同じであることを、外国人に説明するのは至難の技なのである。これはどうして?という所に、格という概念が明示的に文形に出るとは限らない日本語のややこしさが、原因のひとつ。名詞の後に助詞がくっついて名詞節をつくる、というのが標準語的な考え方だけれども、よーく考えてみると方言では名詞節そのものが一体の場合が多くて、助詞を分けて考えるというよりも名詞の接辞にすぎないと考えた方が説明がつき易い。関西の方言について、よく「助詞が省略されている」と言われることがある。あれはウソだ、そもそも必要ない所に接辞が発達しなかっただけなのだ。「刃物きれる?」「期限きれてる。」「ダチ、切れたで」「じゃが芋きれた」要するに、並べれば意味が通るから文形もヘッタクレもないのだ、そこに「が」という助詞を挟んで考えるから面倒なのだ。

1 月10日、自分のことを、こうやって自分で書く時には何も迷わない。科学的真理について客観的に書く場合も迷うべき要素は、話の順番を除いて特にない。第三者が他の誰かに何かをしたという場合も、まあ、客観的視点だけだから、事の流れさえ押さえておけば、特に問題ない。厄介なのは、自分が端っこに所属しているような団体が、何かを行ったというような事象を文章に落とす場合。日本語で書いてると、主語が省略されるものだから、よく注意しておかないと、いつの間にか自分なのか団体なのか訳がわからなくなってしまうのだ。英語だとどうか?というと、これまたクセ者の We とか One とか They という主語がある。フランス語だと On か。自分のことを、こんな風に他人を含む主語に化かして書かないと都合が悪くなる、というのは、どこの国の言葉でも似たようなものかもしれない。

1 月 9 日、スーパーに行くと、カレイの一夜干しが転がっていた。冷え込む日の夜には、いい商品が転がっていることが若干多い気がする。売り切れで棚が空ということもある。商売は難しいものだと思う。ともかく、カレイを仕入れた。ヒラメやカレイは5枚におろす、という情報を検索で仕入れて、やってみる。どうも、あれは刺身が取れるくらい大きな生魚の場合らしくて、小魚の場合、それも干してあればヒラメもカレイも普通に三枚にした方がやり易い。ともかくも身をはがして骨を取り分け、ともにオーブンに放り込む。じーっくり焼いて、生っぽさが取れたら仕上がり。魚は海のものだから、こうやって水を飛ばせば充分に塩気が出て来る、塩は控えめがいい。骨の方は、そのままバリバリと行けそうな案配だったけれども、水で戻してスープを取った。最近、この手のスープがたまり気味だ、サッサと使って行かないと、冷凍室がパンクする。結果として、最近、ダシを取ることが少なくなったような気が。

1 月 8 日、スーパーに行くと、ブリの骨が転がっていた。これは濃いダシが取れる食材だ。よく洗って、湯通しして、軽く茹でた時点で身が取れる部分からは身を取り、更に煮込むこと数時間、骨までドロドロになってしまう。圧力鍋があったら、もっと速くこの変化が進むか。ともかく、ウチは常圧調理なのである。このドロドロから液体をこしとって、しばらく置いておく。浮かんだ油は丁寧に取って、冷やして、一旦冷蔵。まあ、魚っぽいゼラチンと表現すれば良いだろうか。ここに、ショウガと大根を放り込んでしばらく煮ると、ブリ大根となる。あ、取り分けておいた身の部分を再び加えないと、勿体ないな。これからは財政削減の上にインフレの時代である、大学教員たるもの、骨を食らって論文を書く覚悟で研究にあたるべし。実際のところ、腹いっぱい食べると、研究する気が起きなくなるものだ。

1 月 7 日、やって来ました、恒例の「科学的心遣い」の講釈の時期が。ダマされない、ダマさない、よく理解してもらう、その第一歩はコミニュケーションから。勉強や研究したことを語る、発表する、そればかりに気を取られてアセると、大切な時間を使って聞いてくれる、又は読んでくれる人々に大変な苦労を強いることになる。まず、何を発表したいのか、1文で述べてみなさい。次に30秒くらいで要点を全て伝えてみなさい。勉強した、あるいは考察した順番どおりに話すのが最良の方法とは限らない、いやそんな「行き当たりばったり」を披露しても誰も何も喜ばれないヨ。起承転結がわかるように、ええと、あれも、これも。… などと、来る人ごとに「言葉を変えて」説明する。講演を聞いたら何でも質問しなさい、と教えられるのは、理解不足というコミニュケーション欠落の状態のまま「講演いいね」の拍手なんかできないヨという意味も含まれているし、そんな不満足な状態を講演者にもフィードバックする役割もある。こうして、ひとしきり語った次の打ち合わせで、大体の勝負がつく。よい下書きが上がって来たら成功。何も持って来なかったら … うーん、失敗というのは、すべからく「指導者の失敗」だからなー …

1 月 6 日、仕事に使う Mac を、Core 2 Duo のオンボロ Mac Pro から MacBook Air に乗り換えてみて迎える新年の仕事始め、とてもサクサクと気持ち良く進む。CPU を見ていても、全く飽和する気配がない。4コアもあるから、負荷が大きい時には分散するし、そんな時でも大抵はどこかのコアが空いてるわけだ。こういうのを見ていると、やっぱり知識の蓄積というのは大切なものだと思う。intel が 8080A を作ってた頃、色々と他にも「当たる芽のある」CPU はあったけれども、汎用 CPU として大きな流れを得ることなく消えて行った。ソフトウェアが、ハードウェアに依存する形で育って行ったことが一つの要因ではないかと思う。世の中段々と進んで、今日では「とりあえず Unix が動く」というレベルでは、CPU を選ばない時代となったけれども、やっぱり厳しい条件で最高のパフォーマンスを得る時にはハードとソフトの連携が必須となる。そういう、目立たない所のソフトに人材をどんどん送り込むこと、やって来た組織と、やらなかった組織、まあ、そんな所か。

1 月 5 日、昨日に引き続き、論文執筆の話。研究者として「それなりに」何とかやって行けるかなぁ、という自信をつけるには、自分ひとりで論文を書くのが良いと思う。論文を投稿したら、それをレフリーが読む。この査読というプロセスには議論がある所だけれども、プレプリントサーバーという投稿場所がある今日では、論文の内容の公開はレフリーの動向とはリンクしていない。大切なことは、査読者はおおよその場合、その分野で研究を進めている人々であり、多くの場合は常勤職の研究者だということ。そうした、査読者・レフリーから掲載可のコメントを頂戴することは、まあまあ良いことだ。「まあまあ」というのは、もっと良い場合もあるから。掲載不可のコメントをもらったら大喜びしよう。覆面レスラーであるレフリーを「編集委員たちの目の前」という半ば公の場所で蹴落とす一大チャンスなのである。論拠を挙げてレフリーの間違いを指摘して、論文を通す。この一連のプロセスを自分1人で行えるようになったら、一人前と言って過言ではないだろう。研究を始めた頃に、掲載不可(ズバリ reject!)のコメントを何回も頂戴したけれども、ことごとくひっくり返したのは良い経験だった、覆面レスラーに感謝したいと思う。いま現在の私はというと、時々は、そうした「間抜けレスラー」として働きたいものだと考えて、厳し目のコメントを返したりすることもある。もちろん、良い論文ならば一発で掲載許可の返事をする。不思議なことに、そういう時に限って、編集委員が 3rd referee を用意したりする。レフリー業も説明責任があるってことか。

1 月 4 日、いっぱい仕事を抱えていると、どれも進まないことが多い。そこで、冬休みに入ってから、ひとつの仕事に集中している。論文の手直しというもの。これ、なかなか難儀なものなのだ。論文というのは、客観的に書きなさいと誰もが指南されるものでありながら、やっぱり主観の塊になるのである。著者が変われば、物事の組み立て方も変わって来る。それを全部「ホイッ」と引き受けて、自分なりに「人々が読んだら理解できるだろう」という仮想的読者になったつもりで直して行くのである。この仮想的読者がクセ者で、自分の分身でしかないから、結局は手直ししたつもりが、自らの主観の塊になってしまうのである。そして「手直ししたよ」と、元の著者に渡した途端、またそちら側でそれなりの主観をもって書き直すこととなる。これは無限に続く生産性ゼロのループを生み出す行為で、最終的にはどちらかが折れなければならない。

1 月 3 日、プレプリントサーバーの arXiv.org, 今年の一番乗りはどこ?と物理の各分野を探すも、0001 という番号はナシ。どこじゃ?とおもって番号をタイプすると、ありました、ありました、computer science に。物理は Astro Physics が3番乗り。この件で新たに知った事は何かといえば、いつの間にか arXiv のカテゴリーが増えているということ。Finance なんていうカテゴリーもあるんですね、こんな所に Matrix Product State 関係の論文が投稿されるようになったら、もう私の DMRG サーチも「人力だけ」ではどうにもならなくなる。今でも2割くらいは arXiv 論文から DMRG 関連論文を拾い出す作業に漏れがあると感じているのだ。完璧を目指そうとすると、今の倍以上の努力が必要となる。そんな事になると爆発するから、自ら貢献できる範囲で世の中に貢献して行こうと、日々思っている。(何の話かわからなければ こちら へどうぞ。)

1 月 2 日、今日は滑り初め。スケートリンクは、日頃とは打って変わって満員御礼。いや、もうちょっと入ってもいいんだけど、最近は子供の数も少ないことだし、こんなモンだろう。従って氷はガリガリ。こういう氷の場合、ストップの練習をするのが良い。エッジをずらして適当に横滑りさせ易いし、どうせ荒れた氷だから、強く削っても白い目で見られることがない。(製氷したばかりの氷をガリッと掘るのは馬鹿だと断言できる。)フィギュアの靴を履いているけれども、ホッケーの人々が繰り出す華麗なストップの数々は会得したいなー、と常々思っているのだ。今日は、両足のエッジを縦にそろえた状態で横滑りさせる、二の字ストップの変形版の練習。準備なしに、いつでもコレが出来るようになったら次は片足のアウトエッジで止まるストップが待っている。スキーもスケートも、滑りものは暴走しないことが絶対条件、速度のコントロール(←必ずしも停止しなくて良い)は日々の練習項目だ。初心者はよく壁に向かって「トン!」とエッジを当てて止まろうとする。あれは危ないから止めた方がいい、その直前でコケたら頭から壁に突っ込むぞよ。

1 月 1 日、神戸港に響く新年の汽笛を聞いて、大阪湾一帯で打ち上げられる花火を遠くから見て、それから仕事始め、パソコンに向かって4時まで粘ったら気力が尽きた。目が覚めたのは10時過ぎ。雑煮を作ろう、ダシはまあ取れば良いとして、味噌は … あ、しまった、甘い白味噌を買うのを忘れていた。仕方ないから、魚の切り身を漬け込む時に使う、少し塩気の強い白マメ味噌を使う。甘味のために黒砂糖を少し足す。大根も人参も丸く切って、電子レンジで暖めた餅を入れると出来上がり。半額で仕入れたカマボコを切って、さあ正月。その後、身支度をして新幹線に飛び乗り、瀬戸大橋を渡る。正月の故郷は、故郷のようで故郷の日常とは異なる光景だ。都会で働く人々が帰省して来るので、いつもより都会っぽい。正月は、地方と都会の文化交流の時間なのだろう。日が暮れてから神戸に戻って来ると、これまた正月の神戸は、いつものオシャレな神戸ではない。どちらかというと東京的、没個性な雰囲気となる。買って来た半生うどんで「年明けうどん」を楽しむ。その後、またパソコンに向かい、やっぱり朝の4時頃に沈没する。

11月と12月の1行日記