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12月31日、最近の狙い目は、半額になった時のウナギと穴子。半額になっても高価ではないか!と目クジラ立ててはいけない。ウナギは一匹の10分の1くらいあれば、丼飯が充分に美味しく食べられる。(ご飯がウマければゴマ塩でいいじゃないか?という突っ込みはナシ。)小分けにして冷凍しておいて、時々解凍して食卓へ。ただ、アナゴもウナギも大きく育ったものは骨やヒレがゴツくて、味わいを損ねることがある。ハモみたいに骨切りするのもなー、という訳で、最近は適当な大きさに切った後に陶器の容器に入れ、ラップを三重にかけた後に鍋へと放り込み水を注ぎ、数時間加熱するのである。燃料代がバカにならない?いや、トロ火のガスは安いものだ。これだけ加熱すると小骨はボロボロになる。味が妙になるということはない。こうして柔らかくなると、より少ない量で飯のおかずとなる。減給・増税時代に備えて、来年は更に節約しつつ贅沢(?)の研究をしよう。

12月30日、目玉焼きを電子レンジで暖めていて爆発した、そういう経験ないだろうか?有名な「ゆで卵の大爆発」は後始末が大変なだけでなく、下手をすると失明の危険もあるから、決して真似をしてはならない、その危なさは良く知られている。殻をむいたゆで卵も、少しは小規模ながら、同じように爆発するし危険だ。でもまあ、平たい目玉焼きなら問題ないだろうと油断して加熱すると、加熱中に噴火したり、加熱を終えて「さあ食べよう」と、その黄身を箸で突いた瞬間に小爆発するのである。これは火山の軽石爆発や、火砕流と同じ仕組みの現象ではないかと思う。しかしながらネットで検索すると「表面が殻の役割をして云々」という記述ばかりだ。確かに殻付き卵の大爆発に殻が重要だというのは理解できる。でも、殻がなくても、表面がなくても、要するに固体やドロドロの溶液の中に揮発性のものが含まれていたら、熱力学的に準安定であっても、何かの拍子に気化して爆発する。米の揚げ菓子でも、似た現象が起きているのではないだろうか?

12月29日、バリオスというギター演奏家・作曲家、クラシックギターを弾いている人々には有名、弾かない人にはピンと来ない人。世界中でそんなモンだろうと思っていたら、彼の故郷のパラグアイでは高額紙幣に肖像が印刷されている。いちばん良く知られているのは多分 La Catedral, 大聖堂という曲だろう。本人の演奏も短いながら復刻されている。昔の音楽はテンポが緩かった?とんでもない、コンサートで今日聞くことができる演奏と比べるとバリオスの演奏は速いものだ。細かい所まで、重箱の隅を突いて埋めるような今日の演奏スタイルと比べると、おおらかな所はあるかもしれない。まあ、時代から言ってライブテイクの一発勝負だったことは明らかで、何度も収録して響きを細かく調整してある現代の録音と比較するのは無意味だ。聞いていると、弾きたくなって来たな、またギターを。

12月28日、さあ転送終わったかな?... いや、妙だ、100 GB くらい転送するはずが、60 GB しか転送されていない、その状態で作業完了している。アカン、やり直し。同じ手を使うと、再度同じ目に遭うこと間違い無し。今度は、バックアップハードディスクから転送することにする。2時間くらいで完了するかな?うまく行けば。その間に、小掃除。大掃除は、去年の11月に1度やってるし、来年の12月に再び(ポスドクの移動による)大掃除の機会があるから、その間は不要物を見つけては小掃除を繰り返すことにしている。ついでに、古くて使い物にならないソフトウェアも、この際、エイヤッと捨ててしまう。再び使いたくなったら?そういう要望が多い古典的ソフトウェアは、ボランティアでエミュレーターが開発されていたりするし、中古売買もそこそこあったりするから、問題ないだろう。68K Mac の頃のソフトを使いたいという人間の方が先に居なくなるか。最後まで自分では消せないもの、それはここに書いてあるような文章かもしれない。うむ、ゴミを残さないために、一定時間経つと消えてしまうという情報の枠組みを考えなければならないな。→ そうこうする内に、無事に転送完了。現在の構成は、目の前に MacBook Air があって、USB で使い慣れたキーボードを接続、Cinema Display を外付け、バックアップ HD を USB 接続、ついでにタイムカプセルに無線接続。まあ2画面あれば不自由しない。

12月27日、ここ何日か「取り組まされている」MacPro の問題解決法は、結局のところ「即刻乗り換える他なし」となる。今日は10分に一度くらいで落ちるのだ。(シフトキーを押しながら起動すると、もう少し長く保つけど、やっぱり落ちる。OS のクリーンインストールも試みてみたけれど無駄骨だった。)部品取りのジャンクが転がっていれば、適当にむしって来て組み上げることも可能なのだけれども、今年は事情があって、ジャンク品で組めるようなものは既に組んでしまって何も残っていないのだ。注文した iMac が届くまでの間は、緊急避難用に確保しておいた MacBook Air で何とかすることに。ええと、MacBook Air には(アダプターが無ければ)ネットワークケーブルが接続できない。仕方ないから、1日かけて MacPro から MacBook Air に無線 LAN で情報転送中。当然のことながら、新しい iMac が届けば、また一晩かけて無線転送となる。反省も込めて、抜け殻となった MacPro は部品取り用のジャンクとして転がしておこう。もう3年は使っているから、デスクトップの PowerMac としては長持ちした方だと思う。G5 の頃の Mac はよく壊れたものだった。やっぱり、緊急出動用に「休眠している」マシンの一台や二台は持っておかないと駄目だな、20台くらいはマシン管理しているから、どれがいつ落ちるかわかったものではない。
 今日は仕事納め。いや、ジタバタして失った時間の分だけ取り戻す、仕事始めの日、覚悟して積み上がった諸業務にあたる、その始まりの日としたい。

12月26日、懸案の MacPro,30分に1度フリーズするようになって、もう仕事にならないので、ホコリを吸い取る、バラして組み立ててみる、java を抜いてみるなどジタバタするも変化なし。もう捨てることにした。というわけで、年末のこの時期にモデルチェンジしたばかりの iMac を発注。本当は MacPro にしたい所なのだけれども、あれは来年の2月にならないと手にすることができない。それまで仕事を棒に振ってる余裕はない。現行の MacPro の在庫探しも考えたけれど、そういう物を今の時点で購入することに説明がつくか?と考えると、価格のこともあるし、やっぱり iMac に軍配が上がるのである。という訳で、今日の午後はバタバタとソロバン計算ばかりで過ぎて行くのであった。ああ、疲れた。

12月25日、仕事に使っているパソコンが、いよいよ怪しくなって来た。ビデオカードが壊れたのか、それともメモリーに難があるのか、ソフトウェアのバグなのか、ウィルスにやられているのか、よくわからないけれども、画面にチラチラと妙な模様が出てきて、その内にフリーズしてしまう。ウィルスだったら、何をしてても落ちそうなものだけれど、テキスト処理や、単にウィンドウを開くといった作業では何ともない。画像が出て来ると(確率的に)アウト。従って、フラッシュプレーヤーで次々と出て来る新聞広告は文字通り「キラー・アプリケーション」となる。(←用語の意味を無視した用法だけど気にしないように。)仕方ないから、バックグラウンドで Antonio Lauro の曲でも再生させるか。→ やっぱり落ちた。デスクワークに専念しよう。

12月24日、銀盤の女王という言葉がある。これがスケートという競技の「男女格差」(格差というよりは区別か?)そのもの。男性に対して銀盤の王とか王子とか貴公子とか帝王などと呼ぶことは、あまりない。「銀盤の」を外した呼称は幾つか耳にすることがあるけれども、銀盤の女王ほど確立された表現にはなっていない。その銀盤、スケートリンクは光を強く反射するので、ゲレンデの女王と同じように下から照り返しを受ける。優雅に滑っている姿は、競技中のみならず、練習中も美しい。スケートの競技者が陸に上がると?あれれ、「普通の人」になってしまう。リンク上の知り合いに、街中でバッタリと出会った時、咄嗟には誰かわからないくらいだ。光線の具合と、立ち姿の違いで、かくも別人のように見えるものか?と思うことしばしば。これが、ローラーブレードにイマイチ人気がない理由かもしれない、かも。

12月23日、大阪の地下鉄の路線図、ものすごーく南北に圧縮されている。谷町線が、東梅田辺りで妙に道草しているように図の上では見えるのだけれども、実は大日駅は梅田の東ではなくて、北東にある。そこから本来の予定では御堂筋線の梅田駅まで接続する「つもり」でエッチラホッチラと梅田方面へ向かい、東梅田で一転して南下する。何も梅田まで走らせなくても、碁盤の目のように南北に整然と路線整備すれば良いように感じるかもしれないけれども、梅田(あるいはなんば)を通らない路線は採算が厳しいという現実がある。そして天満橋の手前で急カーブした谷町線は一路南へと走る。今日は、その天満橋で下車。中之島の東の端を見ることができる、水の風景が美しい場所だ。ここは大阪?いや、こここそが大阪。

12月22日、クリスマスケーキ、白い雪のようなケーキもあるし、チョコレートたっぷりの黒いのもどんどん売れている。さてそのチョコレート。原料のカカオ豆の税率は無税と聞く。国内で栽培収穫できるものではないので、関税をかける理由もないらしい。それじゃあドンドン自由に取引できるのか?というと、流通ルートは限られているようだ。カカオ豆の生産国は沢山あるけれども、日本は主にガーナからの輸入。コーヒー豆もそうだけれども、一次産品の取引は一筋縄では行かないらしい。これだけ愛されるチョコレート、どんどん消費されているんだと信じ込んでいたら、あら、「西洋」に比べて実に控えめな消費量であった。そうそう、思い出したぞ、コース料理を食べた最後に、ドカッと丼鉢一杯のチョコレートムースが出て来たことを。それも、一度や二度ではなかった … そんな文化まで「有り難く真似する」必要はないか。

12月21日、今日は休息の日。毎日が休息の日ではないか?というと、確かにそのような毎日なのだけれども、計画したことをキッチリとやって行くことを考えるか、それを考えること自体を1日の間放棄するか、その違いだ。もちろん、締切から逆算して、どうしても休めないような物があれば、それから先に手を付けなければならない。また、税金で有り難く雇ってもらっているのだから、組織への奉仕も有り難く引き受けるものだ。さて、休息の日に何をするか?というと、研究デスク周辺の掃除から手をつけた。掃除している間は、少なくとも雑念から離れられるのである。それにしても、何だ、この紙とゴミの山は ... ペーパーレスの時代なのに、どういうわけか紙が溜まる。

12月20日、ここはトリビアル、と思った瞬間に、足下をすくわれていることが多いものだ。今日もやってしまった。式変形の計算を一カ所サボっていた所がモロに後で問題となって沈没。いや、それは式計算をしていなかったから沈没したのではない。よーく式の意味を考えることを放棄していたと言ってもいい。何を忘れていたのか?というと、次の内容。内積が1に近い2つのスピノルの線形結合を考えると、2つのスピノルが表すスピン状態を「補間する」ようなスピン状態になるという事。もちろん、これには条件があって、線形結合の係数が正である場合のみを考える。そんなの、式計算しなくても明らか。但し、計算を完全に放棄してしまうと一般化が難しくなる。そこで忘れてはならないのが、リー環がリー群を生成すること。結局は、そこに行き着くのである、古典力学も、量子力学も。

12月19日、冬の日は、日差しの角度が低いので、少しでも雲があると、直射日光はなかなか望めない。これは感度の低いカメラには厳しい条件で、何を撮ってもコントラストが低いものになる、いや「コントラストが低くなりがち」になる。条件の悪い時には、少しでも光のある方向へとカメラを向ける。結果として、ますますコントラストが低くなることがある。条件が悪かったら、暗い方にカメラを振ってみる、くらいの覚悟で良いのかもしれない。ダメやー、と思った失敗画像をゴミ箱から拾って来ると、意外とヘンテコに写って面白いことがある。コントラストを強めてみると、ノイズが乗ってて、何となく写真週刊誌の隠し撮りみたいな感じになる。まあ、そんなのもアリかな。今日は幸いにも?陽の光が戻って来ている。少しの間、カメラを振り回そうか???

12月18日、七味の類いの香辛料は、台所の肥やしとなることが多かった。使わないで置いておくと、いつの間にか変色して来たり、よーく見るとカビが生えていたり。うまい利用方法はないものかなー、と、ずっと思案していた。何のことはない、カレー粉(というかマサラ)を作る時に、その材料にすれば幾らでも消費できるのだ。ミルやすり鉢の中に、カルダモン、クミン、七味の粉、粒コショウ、コリアンダー、その他のスパイスを適当に放り込んで粉にして、ターメリックの粉と合わせれば香り高いマサラに変身。七味を使うと山椒の酸味の混ざった辛みが入る。香りが一番強く漂うのは粉にした直後なので、サッサと料理に使う。カレーなど汁気のあるものに入れると辛く感じるけれども、ハンバーグなど練り物に入れるとスパイスの感じがあまりしない。ソース、あるいは食品の表面にまぶして使うのがスパイスを有効に利用する調理法らしい。

12月17日、イワシを買い求める。少し前までのイワシは小ぶりで、ウロコも大したことなかったので、三枚におろしてそのまま煮付けていた。冬になると、ずいぶんと大きくなるものだ、手に持った感じもズッシリしている。ウロコもバリバリと取れる。ただ、イワシはイワシ、おろしてみると身は水のように柔らかい。そのままだと水っぽいので、どういう調理をするにしても多少は「水を抜く」ことを考えなければならない。焼けばいい、のは確か。でも、イワシの油は焼くとメザシっぽい香りになってしまう。じーっくり油の中で煮るとか、揚げるとかすると美味しいのだけれども、目が離せない。仕方ないから、定番の煮付けとする。三時間じーっくりと煮て、小骨がボロボロになった事を確認して、身を一枚ずつ容器に移す。手間かかったなー、そういう物ほど、一瞬で味わいたいものだ。美味しい時には、じーっくりチビチビと味わうものではない、サッサと食べてしまうのが美味しい証。

12月16日、インドから戻って一週間、ようやく疲れも取れて ... と書きたいけれども、実はその逆。アチラでベジタリアンフードの美味しいものをいただいて、ノンビリとしていた分、日々の仕事が溜まっていたわけである。戻って来て、書類やメールの山と格闘していると、師走とは良く言ったもので、次から次へと新しい案件が降って来る。それも、即答あるいは締切が目前のものが。それらを先に仕上げると、当然ながら「山」の方は残ったままになる。山を少し崩して、次にメールに応対して、また山と格闘する。昨日も平日のごとく業務を片付けてたので、月曜日という気のしない月曜日なのである。クリスマス休暇は有り得ないな、せめて正月は無事に迎えたいものだ。さあ仕事、そう思った瞬間、とてつもない眠気が。明らかに逃避行動へと走りつつある師走であった。

12月15日、元町商店街に、文具屋さんが何軒かある。売っているのは文具。それで商売が成り立つのだろうか?と、疑問に思うかもしれない。例えば大きな書店の一角やら、ホビーを総合的に提供する量販店ならば、万年筆やら電卓やら眼鏡などビジネス用品(?)と一緒に売るなどして、紙やエンピツだけの商売という訳ではない。ともかく文具店で足を止めて、中を見て回った。おお、ノート一冊にも付加価値の高いものが沢山あるのだ。単行本のような立派な表紙がついたものやら、和紙のような紙を使ってあったり、和風テイスト、洋風、キンキラキン。見ていると、欲しいと思ってしまうものが沢山並んでいる。いけない、いけない、今日は封筒を買いに来たのだ。と、財布の紐を締めたはずなのに、買い求めたのは数百円もする封筒であった。なるほど、商売が成り立つわけだ。

12月14日、目指す目的地はルミナリエ会場のわずかに南。さて、どうアプローチしたものか。東を迂回するとなると、フラワーロードを延々と南の端近くまで歩いて行かなければならない。西を迂回するならば元町商店街近くまで歩かないとダメ。よし、あの人波を横断することに挑戦してみよう。警備のお巡りさんに出会う度に、こちらから「南へと横断できますか?」と聞いてみると、いつも「はい、できます」の2つ返事。なるほど、会場近辺に用事がある人の妨げにならないよう、配慮しているわけだ。いよいよ、ルミナリエの人波へ。遠くから見た時には「こんなの渡れるか?」と思ったけれども、近づいてみると所々で隙間が空いている。警備員に一声かけて、いざ横断。無事に、ルミナリエの南へと抜けた。こうして「参加しないルミナリエ」を経験してみると、もうそろそろ神戸のクリスマスを「自由にしてあげても」いいんじゃないかと思った。

12月13日、神戸大学から大阪大学の吹田キャンパスへ行く経路、おおよそ3つある。阪急六甲駅から西宮北口で乗り換えて宝塚へ行き、そこから蛍池、万博公園前、阪大病院前と進むのが経路1。阪急で十三まで行き、そこで乗り換えて蛍池を経由するのが経路2、あるいは十三で京都線に乗り換えて南茨木まで行き、そこからモノレールに乗り換えて阪大病院前を経由する経路3。ダイヤ検索すると、時間帯によって色々な経路が提示される。無理を承知で JR を使うと大阪駅か北新地駅へと足を延ばせるから、地下鉄御堂筋線と谷町線、そして京阪の利用が視野に入って来る。あるいは幾つかのバス路線も使えるには使える。こうやって眺めてみると、吹田キャンパスは実に広い世界(?)とつながっているのである、万博のインフラは半世紀後にも生きているものだと実感する。エキスポランドが更地になって、何だか工事が始まっていた。大観覧車がここに建つのだそうな。深夜に太陽の塔が観覧車と格闘するようなイメージが広がるのであるが ...

12月12日、科学アカデミーがある国と、ない国がある。単に名前の問題?と思われるかもしれない。どこの国にも学会はあるし、大学もある、研究所もある。社会主義の国々や、かつて社会主義を掲げていた国々では、大学とは別個に、さまざまな分野から専門家を集めて、大学院生と研究者で構成されるアカデミーを保持していることが多い。訪れてみると、雰囲気的には研究所。色々な分野の研究者が居るので、大学のような景色も広がる。学部学生が居ないので、全体的に静か。結果として、研究者は講義を行う必要がない。どちらかというと、小さな規模の国に似合うスタイルだとは思うのだけれど、ロシア、中国、インドにもアカデミーがある。日本には?街を歩いていると、ナントカ音楽アカデミーという看板は見かけるが ...

12月11日、世界地図を眺める。インドネシアってどこからどこまで?これは超難問なので、もう少し簡単に、タイはどこからどこまで?と、色々と東南アジアの国々を見て回る。国境が山や川であれば、何となく自然に文化が分かれて、歴史的にも地形と国境が一致する時期が長かったのだろうと類推できる。国境がスパッと南北に通っている場所は、植民地時代の名残だ。どの国の植民地がいつの時期にあった?など考えて検索して行くと、たぶん一生かかっても全容を頭に入れることはできないであろう。人々が「多すぎる情報」に接する今の時代、情報から遠ざかることが実は新しいものごとへの創造の芽なのではないだろうか?と、ふと思うのである。そうは思いながらも、一旦始めてしまった DMRG ページの管理は、止めるわけには行かないのである。

12月10日、1次元の平面波、2次元の平面波、これらはチト引っかかる用語なのだ。3次元の平面波は、波面が平面だから平面波と呼ぶ、こう説明した後で、1次元や2次元に寄り道するのは気が引けるのである。どうして、こんな用語を使う習慣になったんだろうか?たぶん輸入学問から来てるんだろうと思って、英語を思い浮かべると Plane Wave である。あ、何ともシンプルな。Plane というのは、平面を意味することもあれば、混じりけがないという意味の言葉でもある。後者の意味で考えるならば、1-dimensional Plane Wave と言われても、何の違和感もない。Plane に当たる漢字が無いんだよなー、もう Plane Wave で統一しちゃうのが良いのかも。ところで、物理学で出て来るあらゆる面、たとえば水面だとか結晶表面だとか暗黒面(?!)だとか、全ての面を麺に一括変換してしまうと、何だかヘンテコな意味になって笑えるのである。

12月 9 日、冬が来ると、寒さは厳しいものだと思う。でも、冬が来なかったら?あらゆる植物は枯れることなく建物に鉄塔に電柱にはい登り、木製の構造物は防腐剤を塗ってあっても片端からどんどん風化して行く。冬に何とか耐えるには、必ず隙間のない家が必要となる。厳しさは端から端までキッチリと造る文化を育むのだろうか?文明は森が砂漠に変わる頃に出現するという話も聞く。文明の結果として砂漠が出来たという説もあるか。寒さと人類最大の発明のひとつである「衣類」もそう。まあ、どっちがどっちと簡単に片付けてはいけない、何十年もかけて少しずつ変化する気候と、文化の歩みと、どっちが先というのは妙な気もするからだ。同時進行という気もする。さて、ともあれ、冬の日本に戻って来て、ホッとするのであった。道端に牛が座っていない、野犬が居ない、ヤギさんも居ない、ちょっと寂しいけど。今日は書類の山、メールの返事など片付けの日。幸い、雨の日で寒さは厳しくない。ルミナリエの光も捉えたいものだけれども、まずは養生が大切。ついでに、何だって、ウィルス病には潜伏期間があるから、帰国してしばらくの間は要注意だって?正月が無事に迎えられるまで、安心してはいけないらしい。

12月 8 日、バンガロールを離陸すると、もう日付が変わる。シンガポールのチャンギ空港に到着したのは早朝。そこでしばらく、荷物を抱え込んで仮眠を取る。3時間くらいで、動けるくらいの体力が戻って来たので広い空港を端から端まで歩いてみる。道中、おいしそうなスープの香りが漂って来る。中華料理だ。春雨スープを注文して、昼食とする。う、うまい!汁を全て飲み干してしまった。赤道直下、華人の国(と書くと怒られるか、多民族国家だから)、シンガポール、恐るべし。空港の中は日本語の表示も多い。日本人乗客が多いのだろうか。昼も過ぎて、搭乗時間が近づいて来ると、あちこちから関西弁が聞こえて来る。成田便は朝10時前なのに、関空便は午後2時だとか、まだまだ買い物したいとか、まあ、そんな他愛のない話題で見知らぬ同士でも話してしまう、ここは既に関西なのである。そして、この日が終わる頃に自宅に帰り着いた。「生還」、というのが正直な感想。実に濃い、ハードな旅だった。

12月 7 日、亜熱帯から去る日になった、一気に疲れが出て何だかダルい。熱帯で気をつける病気の情報をアクセスしてみると、何やら恐ろしいものが色々と並んでいる。ともかくも、重い荷物を担ぐ時間を減らし、なるべくアチコチで可能な限り睡眠を取り、養生して日本までたどり着かないといけない。また4時間のガタピシ道を戻り、その後 30 分くらい混雑する道を進み、空港へ。まあ、少し遅れるくらいの事でジタバタしてはいけない、何事も予定通りでなければという切迫感を失った5日間、予定外のことに慣れてしまった。いいのかなー、そんなので?帰り着いたら、卒業研究など目白押しで、時間ないぞ ... さて、計画はともかく、会議の場所であった Orange County Resort を出発したのは12時半、バンガローに到着したのが7時半、渋滞で思わぬ時間を費やすことになった。やっぱり、計画には必ず何か想定外の事が起きるのである。フライトは今日なので、だいぶん焦った。タクシーに乗り換えて、空港到着が8時過ぎ。ここでセキュリティーが幾重にも張り巡らされていた。空港の入り口で搭乗券とパスポートのチェック、荷物を預けた後で出国。出国書類を書く時に、インドで過ごした場所を書かなければならない。その後、手荷物のセキュリティーチェック。ようやくゲートに到着、もうヘロヘロ、何もする気にならず、ただボーっと午後10時過ぎの搭乗開始を待つのであった。飛行機に乗る時にも、手荷物のタグが完全でないとクレームが付き、再びセキュリティーチェックに戻り、ドアが閉まる直前の飛行機に飛び乗る。ああ、汗かいた。ともかく、ガタガタと動かない座席に座って休むことができる、何と素晴らしいことなのだろうか。

12月 6 日、目の前に小さな鳥が居る。でも、それはとても素早っこくて、カメラを構える暇を与えてくれない。だいたい、この辺りに出て来そうだという事を知っていなければ、撮影は無理。鳥を見る、鳥を撮るというのは、結局の所、その鳥の習性を熟知しておくことなのだ。鳥がどこに居るかわからないことも多い。大抵は、目の前に居る。人間の近くに鳥が近づいて来ないだろう、と思い込んでいると、発見の機会を失ってしまう。でも、目の前の葉の裏に居たら、見えない。音に敏感でなければ、というのもまた思い込みかもしれない。音もなく移動する鳥も居る。じゃあどうすれば良いのか?とりあえず、望遠レンズを構えて林に向けてみるのだ。何となく、感じる所に向けると、意外なものが見えたりする。今日は、鳥ならぬリスを見つけてしまった。ま、いいか、鳥じゃなくても。なお、人間に近寄って来るほ乳類が居たら、こちらが逃げなければならない。ここは狂犬病が存在する場所なのだ。

12月 5 日、会議も中日となる。今日はエクスカーション。ガタガタの道を3時間走ると、突然開けた街マイズルに出る。道が土っぽくても、目の前にゴミが沢山落ちていても、至る所が工事中みたいな不完全に見える状態であっても、鉄筋コンクリートの建物が建設途中の状態で営業していても、ともかく大抵のことは気にならなくなって来た。え、寺院やパレスは裸足でお参りするの?その辺りにはウンも沢山落ちているんだけれど。で、まあ、みんな裸足になってるから、エイヤッと靴を脱ぐ。しばらくの間は下を見て色々と気にしながら歩いたけれども、段々とどうでも良くなって来るから不思議。何か物を買った時のおつりが、だいたいの計算で戻って来るのも、うーん、何だなー、慣れちゃダメだなー。帰りは、またガタガタの道を3時間と少し。日没の後の方が、時間が余分にかかる。帰り着いたらもう、死にそう。車酔いではなくて、体力的に厳しいのだ。不思議なことに、車を降りたら10分で元に戻った。

12月 4 日、合宿をしての発表というのは、どれだけ画期的な内容を話すかというよりも、発表の内容がどれだけ「誰にでも」理解できるか?ということが重要だと思う。今日も、それに注意しつつ、実践したつもり。まあ、正弦2乗変形というのは、誰にでも理解できるし、誰にでも不思議に思ってもらえるものだから、こういうヘンテコなものに出会ったことに感謝したいと思っている。座長というものを引き受ける時にも、理解し易さという点には注意したいものだと思っている。聴衆が理解を放棄したな、と感じられる時には、適時アホウな質問をして、色々と議論を引き出す契機にする。それがアホウな質問であればあるほど、次の質問の呼び水になる、そう信じて滅私奉公するのである。座長はサービスに徹する、そして時間もなるべくキープする、まあ、コンパの幹事かな。

12月 3 日、コーヒー豆を見る。コーヒーの樹は、おおよそ背の高さまでで栽培するものらしい。それよりも高くなると収穫に苦労するとか。緑色のコーヒー豆が、やがて赤くなって、女性が手で収穫。男性は「雑い」から、実をもぎ取る繊細な作業には向いていないのだとか。その後に種を出して、洗って干して、奇麗にする。さて、その豆は全くコーヒーらしくなくて、香りもヘンテコ。ローストして初めてコーヒーの香りが漂う。とまあそんな具合に、一通りの知識を、プランテーションを散歩しながら学ぶ。難儀なのは、まとわりついて来るヤブ蚊。長袖は不可欠。それでも、手の甲やら額を狙って来る。早々に引き揚げて、ハイビスカスの花などを見て和む。さて、明日もまた朝早くからバードウォッチングだとか。ちょっと待った、そんなに副業に精を出したら、本業の研究会中に眠ってしまうではないか、みんな、凄くパワフルだ。(後日談:関西空港の検疫に「蚊にさされたら報告して下さい」とあったっけ ...)

12月 2 日、バンガロールを出発、ひたすらガタピシの道を5時間ほど走って、コーヒーの産地 Coorg に行く。どんなコーヒーが出て来るの?何回か「美味しいコーヒー」を頂く内に、なるほど、こういう味わい方もあるものか、と思うようになる。ミルクと砂糖がターップリ入っていて、ついでにカルダモンかシナモンか、何だかよくわからないスパイスも入っている。そしてシッカリとコーヒーの味も残っているから、きっとギトギトに濃いコーヒーなのだ。美味しいか?と問われると、美味しい。飲みたいか?と問われると飲みたい。それは何?と問われると、ええと、溶かして暖めたコーヒーアイスクリーム。そんな所だろうか。日本で例えるならば、抹茶アイスクリームを溶かして暖めたような物。そんな事を考える内に、コーヒーに砂糖を入れずにブラックで飲む日本人の割合というのは、世界的に見て高い方に入るんじゃないかと思い始めた。お茶に砂糖を入れない文化が影響してるのだと思う。お茶、緑茶に砂糖を入れない?というのは、じつは海を渡ると常識ではない、ということに気づくのではあるが。

12月 1 日、後ろの座席で、何やらお目出度い事が起きているようだ。お客さんがお誕生日?それともハネムーン? ともかく、お目出度いお2人をお祝いするケーキを持って来て、記念撮影して、口々にお祝いの言葉を述べている。ここは、赤道付近へと向かう飛行機の機中。乗員がスカーフを着用せず、その代わりに髪型に凝っているのも珍しい。エコノミーながら、飯がちょっと美味しいような気もする。実は、(東)南アジアへと向かうのは初めての経験なので、何もかもみな目新しい。この後、風光明媚な所へ行くのか?というと、そうでもなくて、到着したら「合宿所」へ一路バスで向かって、いわゆる缶詰状態となる予定だ。せいぜい、羽のついた乗り物を「乗り換える時に」羽を伸ばそう。→ チャンギ空港到着。しばらく過ごすにはいい場所だ、そして西へと再び飛び立つ。そしてバンガロール(ベンガルール)に到着。

11月30日、家具など木の表面にオイルを塗って仕上げる、オイルフィニッシュという塗装、木の表面に「わずかに」浸透するだけなので、塗装した面を触ると木の暖かい感触を感じることができる。浸透する度合いは、木の種類や、断面の方向によって異なる。木口はよく油を吸い込むので、どんどん吸い込ませると木の中まで油だらけになる危険がある。これを防ぐために、何度かに分けて、乾かしては磨いて、再び油を塗る。そうこうする内に、油を吸い込む所がほぼ無くなって、塗装の完了。まあ、これが普通。包丁やナイフの枝に油を塗る時には、もう少し入念に行う。塗装が完了して、しばらーくの間、刃物を実際に使ってみる。そうすると、塗装がすり減る所もあれば、木に細かな割れ目が入る所もある。そうなって来たら、再び油の登場。割れ目に油を軽く塗り込み、表面を磨き、乾燥させる工程を再び踏む。その後、刃物は現場に戻して使い、メンテナンスのサイクルを繰り返す。そのうち、段々と油を吸い込む所が消えて行き、完成品となる。結局の所、完成品が出来るのは使っている現場ということになる。頭も、そんな風に使いたいものだ。

11月29日、幾つかのことが気になって、ガバッと飛び起きる。夜中じゅう何か考えていたはずなのだけれども、朝起きて3分でカタがつくようなものに延々と何時間も頭を使っていたのだから、結局は夢うつつだったのではないかと思う。ま、じーっと幾つかのことを整理して頭に並べることには役立ったのではないだろうか。いつも同じように、諸問題が頭に残っていてくれれば、何でも計画どおりに進んで行くはずなのだ、そう過信している面は多分にあるのだけれども、ほとんど全てのことが右から左へと抜けて行く日常は何とかしなければならない。まず自ら働かなければ、誰も協力してくれないものだ。さて、今日は、ええと、あのレポートを仕上げて、それから、それから ...

11月28日、文献を読む時には、よくよく最初の方から目を凝らしておかないと、すぐに足下をすくわれるものだ。何気なくコロンと転がしてある語句を読み飛ばすと、完全に意味を取り違えることがある。何か文章を書く時には、こういう事が起きないように、どういう順番で読者に必要な情報を提供して行くか、よくよく考えるものだ。しかし、一から百まで全てを書くわけには行かないので、ある程度までは常識というものを仮定する。問題は、その常識というもの。とあるコミュニティーでは、全く何も言わなくても通用するものが、別の場所では全く知られていなかったりする。大昔の楽譜を見ると、何が書いてあるのか見当もつかない、そういった状況に似ているかもしれない。さて、しばらく時間を作って、ボチボチと文献を読んで行きましょうかねー、1行ずつ数式に落としながら。

11月27日、エポキシ接着剤、2つのネバネバした液を混ぜて、硬化させる。ゆっくり重合が進むタイプのものもあれば、速いものもある。速く硬化するものであっても、最初は「とりあえず固まった」状態になるらしくて、本当の接着強度が出るのは1日後くらいらしい。どちらのタイプを選ぶかは、作業の都合も去る事ながら、しみ込んで欲しいかそうでないか?といった要素も重要だ。隙間の隅々まで広がって欲しい時には硬化時間は長い方がいいし、しみ込みの激しいもの、例えば木口の接着などには、早々に固まってしまう方が確実に接着できる。工場では、この辺りを温度管理で上手く処理していると聞く。適当にしみ込んだ所で、温度を上げてサッサと重合硬化させるのだとか。気泡があると問題になるだろうから、そういう作業を行う時にはバイスか何かでカッチリ固定してるんだろうな。素人作業では、輪ゴムが欠かせない。木の屑を適当に買って来て、エポキシで練って板を作ってしまう人も居る。削ると、プラスチックはプラスチックなのだけれども、予期しない木の断面も見えて楽しい。

11月26日、気温が10度以下に下がると、秋までなら何とか緑を保っていた植物たち、例えばサツマイモやショウガもそろそろ枯れ始める。ススキもそろそろだろう。枯れて葉も落ちてしまうと、そろそろサボっていた大学庭園の下草刈りに精を出さなければならない。けれども、その作業を北風が吹く日にはやりたくない、という手荒れに関係した事情もある。手袋をして作業すれば良いことなのだけれど、それはそれで、ハサミの類いを扱い辛い。鉈を持って振り回すという手もある、但しその作業は傍目から見ると正気の沙汰ではない。鉈の扱いも、慣れていないと意外と葉の上で滑ったりする。(そもそも、刃の研ぎが大切なのだけれども。)ともかくも、桐の木は葉が落ちたので、恒例の切り倒し作業に入ろうか。うーん、全部合わせると1日仕事になってしまうな、昔みたいに、手伝ってくれる人、居ないかなー ...

11月25日、飲食店の予約、何時頃に電話を入れるといいのか、いつも思案するのである。朝食時間とか夜とか、ともかく営業で忙しい時はアウト。これはいいとして、じゃあ午後は?午後もずーっと営業している店なら気を使わないのだけれども、午後に一旦休む店の場合は、チト要注意。料理人の求人を見ると「朝○時か夜○時まで」と書いてあるにはあるけど、実際に料理人に話を聞くと早朝に仕入れして、午前中は仕込みして、昼は仕事、夜帰るのは深夜という風らしい。とすると、午後に仮眠取れないと、しんどいなーと思うのだ。午後3時頃に電話すると、フロアのスタッフが電話に出てくれる所もある。その閑散時間にアルバイトを雇っているのだろうか?じーっと待って電話がつながって、料理長の眠そうな声を聞くようなことがあれば、マズったかなーと思うこともある。単に、午後も仕込みしてただけのことかもしれないけれども。

11月24日、西宮の鳴尾浜にあるスケート場に行ってみた。行ってみてわかったことは、神戸からであれば難波リンクの方が時間的に近いということ。まあ、ともかくも、滑る。いや、ちょうど製氷の時間だった。製氷車は小型化された新しいもので、運転も高速。ついでに氷が超フラット。これは、氷温が低いことと関係あると思う。氷を削って水を張ると、もう平らに氷り始める。神戸の柔らかい氷に慣れていたので、滑り始めはちょっと戸惑う。慣れた頃に館内放送があって、夕方4時から音楽と照明が始まるのだという。なんじゃ?と思っていると、突然真っ暗に。そして、ミラーボールが回るスポットライトみたいなのも出て来る、要するにディスコ状態となる。そんな中で滑れるんかい?と思ったけれども、音楽があると自然と足が出て楽しい。細かいことを気にしなくなる、とでも言えるだろうか。しかし、これが2時間続くのである。最後は体力が尽きて、営業終了後に神戸へと戻る最中は歩く居眠り状態。今度はやっぱり、神戸で滑ろう。

11月23日、むかーしの本を開くと、カーボンマイクという物に行き当たる。そうそう、あれは面白いものだった、不要になった古いフライパンの上に砂糖を盛り、加熱すると飴が泡立って火がついて炭が残る。その炭を、あまり細かくなりすぎないようにバリバリと砕き、電極ではさむように軽い容器に入れる。その容器を、適当に紙で作った振動板に取り付けるだけでマイクの完成。振動を受けると、抵抗が変化して確かにマイクとして働く。音質は?中の炭が、ザラザラと流れるような状態であれば、音も「砂っぽい」雑音だらけのものとなる。ところが、適当に圧力をかけて、炭があまり動かないくらいまでに調整すると、まあまあの音質が得られる。このマイクは、抵抗の変化がけっこう大きいことと、ある程度までの電流に耐えるというタフな側面があって、増幅器がボロくても使えるという特徴があった。マイクの出力を大きくしようとして、どんどん電圧を上げて行くと、最後は発火する。炭だから、燃えて当然。素朴な機械だったな。さて、その抵抗変化、理論的に何か言えることあるんだろうか?

11月22日、ええと、POVM の簡単な例って何やったっけ?と思案して、そうか、単純に 1 = 0.5 + 0.5 というのがナンセンスな POVM の典型例だということに気づく。射影測定しか頭にないと、こんな意味なきものは思い浮かばないものだ。一方、弱測定という考え方から行くと、この POVM というのは便利な道具なんだと、ある文献から教えられる。強い測定しか出来ないような場合でも、系を複合させれば弱測定に。ここで、ちょい気にかかるのが、シュレディンガーの猫との関係。あれは、複合系に対して部分的な測定を行えば、残りの部分について POVM を行ったという形に書き換えることもできるような気がする。それが「目立たないもの」のであれば、誰もさして気にとめないのに、生死という「一大事」になると議論を巻き起こすのだ。どことなく、相転移とスケーリングを彷彿とさせるものがある。Probe (小)の先に、Probe (小)と相互作用する Probe (中)があって、その先に ... というタマネギ、しばらく食べて遊びたいものだ。

11月21日、お好み焼き、大抵は2枚目から先の方が上手く焼ける。鉄板に熱が回った状態が大切だと言われる。これは鉄板のみの話ではなく、鉄板を支える台であったり、コンロのガス口であったり、その周辺にも熱が充分に行き渡っている状態を指すのだろう。そうなっていれば、生地によって鉄板が冷えすぎることなく、うまく焼けた層が出来上がる。また、生地の温度が段々と室温に近づいて行くという要因も無視できないだろう。ついでに、鉄板の表面の油なじみが良くなる。これが、物理的にどういう状態なのか、あまりよくわからない。鉄の表面はたぶん酸化膜に覆われている。その上に油が乗ると?高い温度で焼かれているから、どこからともなく酸素が浸透して来て、酸化して固くなった油が付着しているのではないか?と想像している。これはゴシゴシとこすり取ると、取れてしまうような層なのだろう、よく洗った鉄板は、必ず油を薄く塗って保管するように、と誰もが言う。確かに、そうしておくと、次に使い易い。少し暖めた時に、古い油は軽く拭き取り、新しく油を塗る。さあ、料理だ。

11月20日、講義で自由端反射を扱う。自由端の弦というのは、ええと、端が開いていればいいんだから、縄跳びの縄を縦に垂らして、下をブラブラとさせれば自由端じゃないか?と一瞬考えた。でも、よく考えてみると縄にかかる張力は一定ではない。端で張力がゼロになるのである。ということは?自由になっている下端で「波の速度」がゼロになる。いや、微少変位の扱いに立ち戻って考える必要があるかもしれない。何が無視できる量なのか、端っこでは自明でないのだ。実験的にはどうか?というと、弦となるものの剛性が問題となる。どんなに曲がり易いものであっても、張力がゼロになったら、ゴワゴワと「自分の形」を持とうとする。こういう面倒なことに付き合わされる場合、まずチラリと頭に思い浮かぶのが「シミュレーション」という文字である。もちろん、画面上で弦の動きを見て満足するのではなくて、それを参考にして有効理論を組み立てる足がかりとする、という目的で使うのだ。縄の運動解析にしては、チト大掛かりすぎるか?なお、素粒子の弦模型には「開弦」というものも、ちゃんと含まれている。端っこの速度は光速、という境界条件が出て来る。そんなものが「静止」している、それが量子力学という枠組みの不思議。

11月19日、Safari の反乱続く。MacOS を update した後で、どーもブラウザーの Safari が「システム落とし」の原因となっている。しばらーく使っていると、画面にゴミが飛んでフリーズするのだ。Java か Flash か、ともかくプラグインとの相性が悪そうだ。それが証拠に、文字だけのようなページでは落ちない。そういう状況なので、日中は「無用のブラウザー閲覧は禁止」という禁欲的状況で行動している。あれれ、何だか仕事がスカスカと進むぞ、いつも、色々と無駄な時間を使っていたものだと気づく。スマホの普及以来、行列や待ち時間に人々が耐えるようになったという話も聞くけれども、ようするに創造的思索活動から遠ざかっているだけではないのだろうか、と、思い返してみる旧人類であった。なんせ、生まれてからネットにどっぷり浸かるまでの時間がけっこう長かったからね、いまネットが完全に落ちても、まあ、普通に暮らして行けるだろう。

11月18日、現代のオーケストラ、どの楽器も強い音が鳴るものだ。そういう風に楽器が進化して来たから。その中に、あまり大きな音が出ない楽器が入るとヘンテコな事になる。クラヴィコードだとか、リコーダだとか、ギターだとか。有名なギター協奏曲があるではないか?と指摘されそうだけれども、あれはオーケストラが抑えた上に、プロのギタリストが音をシッカリ出しているから成立するのであって、「貴方もアランフェスが弾ける」という文句に飛びついてステージに上がったりすると、音の無さにいや気がさすことだろう。そのリコーダー、義務教育では「誰でも扱える楽器」として珍重される。どうして、そうなってしまったのか、よくわからない。子供にラッパを持たせると器用に吹くし、鍵盤楽器だって「貧しくて買えない」のは昔の話、今ではミニキーボードでよければ、リコーダ買うより安い。リコーダの何が難点かというと、ダイナミックレンジが狭くて、表情をつけて演奏することが難しいのだ。(もちろん、楽な楽器など無いものだけれども。)そろそろ、ラッパか何かを持たせようよ ....

11月17日、海を渡る。それは、そこに橋がかかっているから。讃岐に到着したら、うどん食うのみ。高松駅はヨーロッパ風というかターミナル駅なので、なかなか面白いのである。次々と列車が違うホームに入って来る。気動車もどんどん入線して来る。写真に撮って、おっと、人が写ってはいけない、肖像権はもとより、プライバシーにも気を配らなければ。ここで、車掌さんや運転手はどうなのか?という話題をよく耳にする。駅や列車の一部として、個人が特定できないような形、後ろ姿だとかシルエットだとか手だけだとか、ボケているだとか、ともかく写真全体として作品の一部となるような切り出し方なら良いという説明書きも目にする。が、何となく「酒を飲む理由」と同じ香りがする。境界線がハッキリしないので、いつソレを踏み越えるかわかったものではない。君子危うきに近寄らず、人々がファインダーの中から消え去るまでジーッと待つのである。意図せず写ったら、それは没。じゃあ、google さんはどうなってんや?という、別の話題もあるな。

11月16日、ぼーっと海辺を歩く。翌日のマラソンのランナーも海辺で調整していた。天気が良くて陽が差していたので、ボチボチ、ポートアイランドから三宮まで歩く。道中、特別なこと何もなし。あのルートは、夏は暑くて難儀するから、歩くなら秋冬がいい。春は春でダストやら花粉やら、色々と過ごし辛いものがある。道中の眺めは、海霧やモヤが出ていない日の方が楽しめる。今日は、どちらかというとモヤのある日だっただろうか、日没前に太陽もうす雲に隠れてしまった。日が落ちても明るいのが都会の神戸。どこに居ても夕暮れという気がしないほど、店舗から照明光が漏れて来る。人工衛星から見たら、さぞ明るい都市として映っていることだろう。ある意味、エネルギーの無駄遣い。そんなことを考えつつ三宮までやって来ると、もう体力が残っていなかった。買い物もせずに、早々に帰宅。

11月15日、権利と契約、これは微妙な関係にあるものだと思う。契約したことによって発生する権利というものもあるし、権利に基づいて契約に至るということもある。でも、この2つは基本的には別の概念だ。発言権という言葉がある。これもたぶん権利権限なのだけど、発言権に関する契約というのはあまり聞いたことがない。これが「労働」になると、両者が絡んで来るから世の中は不思議なものだ。労働権と労働契約。労働権とは、単に働く権利というだけではなくて、働いて「正当な対価を得る」権利を意味する。労働契約は、労働の条件や対価を明記しての契約だ。さて、企業で働き始める時、新入社員は幾つもの書類に目を通して書類にサインする。1年間はテスト雇用だとか、色々と書いてある。公務員は? 公務員の場合、労働契約に関することは法にツラツラと書かれているので、まあそれは「読んだこと」になっている。いや、当然読まなければならないのだけれども、何となく目を通す程度のことも多いだろう。教員も似たようなもの。労働の対価とか、労働権とか、あんまり考えている暇が現場には無い、という日常もある。それくらいの労力があれば、教育研究に振り向けたい、そう思う訳だ。でも、たまには読んでおかないと、いつの間にか「成績不良者は減給」ということになっても文句が言えなくなるぞよ?

11月14日、あなたにとって海はどの方向にあるものだろうか?讃岐で生まれ育った私にとって、海は北にあるものだった。海から霧がやって来るような日には、何キロも離れた先から汽笛が聞こえて来る。讃岐ならばどこでも海は北か?というと、そうではない。東の方だとか、半島や島の東では海は東にあるし、古くから文化が開けた香川県の西の方では、極楽浄土、西方に海がある。神戸大学から眺める海は南側にあって、故郷とは真逆。暮らし始めた頃は妙なもんだと思った。四国からやって来て神戸で学ぶ学生さん達も、似たような戸惑いを覚えるのだろうか、学期の始まりなどは、特に。そういう時には、ともかく海に行くのがいいのかもしれない。浜辺を歩くと色々なものが流れ着いているものだ。空き缶だったり、ボールだったり。ゴミといえばゴミなのだけれども、波の遊び相手のようにも見えて来る。しばらく眺めていても、飽きない。時々、見えざる手に導かれるように、集まったり、また離れて行ったり。もうしばらく、海を眺めていることにしよう。

11月13日、朝日を拝む。朝、出勤する人々に混ざって道を歩く。それが私の非日常。たまには、そんな経験もいいか。つくづく、大学の中で働くというのは世間から見て非日常、そしてたぶん非常識な毎日なのだと感じる。大学で過ごした学生さん達は、どうなのだろうか?やがて卒業して、企業で働き始める、そういう時に、大学の頃が非日常だったと感じるのだろうか?忘れてしまうのだろうか。お昼頃の街では、リタイアされた方々が楽しそうに過ごしている、そんな場面にも出会う。それが日常ということ、それもまたいいなー、と思ってみたり、今の「1日終わればホッとする」ような日々が日常なのがいいと思ってみたり、色々だ。年末にひと息つくまであと40日ほど、もう師走だと思って、1日を充分に楽しむことにする。寝るのも楽しみの内??

11月12日、コーヒー飲料が 500 cc で 150 円。うむ、コーヒーは安いものだったのだ。そういう話は大昔からあったか。輸入されている豆の価格と、焙煎した後の小売価格の間に、昔はえらーく差があった、と聞く。それなら自家焙煎して売ればエエやん?と思われるかもしれないけれども、そもそも豆の輸入ルートが限られていて、そういう「独自の流通ルート」はマイナーな存在だった。今は?おおよそ何でも横からスルリっと入って来る時代、コーヒー豆も、焙煎済みのものが大袋で安売りされてる。さて、そのコーヒー飲料、ぐびぐびっと一気飲みしたら、しばらーくコーヒー人間と化す。いくら喉が乾いていても、あの濃いのを1度に飲むものではない、と再認識した。翌日は一日中、紅茶。言うまでもなく、濃い紅茶で同じように一気飲みしたら、翌日は水しか飲みたくないだろう。ところで、傍らにはコーラの1リットル入りを抱えて食事している人が。あれ、毎日、毎食、そうなんだろうか?

11月11日、とあるレストラン、いつも見慣れたポスターが撤去されていた。色々な文句が並んでたんだけどなー、あそこも、やっぱり看板に偽りがあったのかなー。それで、興味津々、入り口のお品書きもチョッと眺めてみると、明らかにトーンダウンしている。うん、まあ、こうして即座に悔い改めているのだから、その姿勢を評価してあげないと。それはそうと、珍しい食材だとか、朝採りだとか、そういう希少性にばかり目を向けるというのも、どうしたものかなー?と思わないこともない。キャベツや大根を普通に買って来て、普通に美味しく調理する方法は幾らでもあるから、何でもいいから美味しい料理を出してくれれば、それに「いい値段」を付けていいんじゃないかとも思う。特に、卵料理はどこも不当に安いんじゃないだろうか?卵焼きは結構手間がかかる、オムレツも料理として出すには気合いがいる、それが、あんな値段じゃねー。オムレツが高価な店に、今度、入ってみようか。

11月10日、お好み焼きを作る。美味しく作る秘訣は?幾つもあるだろうけれども、焼いている最中に生地を上から押さえつけないよう気を配っている。押さえても、仕上がりが速くなる訳でもなく、まとまりつつある生地の構造を壊してしまったり、中身の詰まった硬い生地になってしまったり、ロクなことがない。どれくらい油脂を使うか?というのは、これまた難しい問題。油をいっぱい引くと、カラリと表面が硬い好み焼きとなる。こういうカリッとした所は、抽出して調べると油分だらけ。油で揚げた「あられ」やスナック菓子と同じ状態。いや、そんな事を言い始めたら、クッキーやら、サクサクのパイ生地なんか口に出来なくなるか。かといって、全く油脂を使わないで仕上げるのは、焼き面にテフロン加工でもしていない限り無理。そうやって油分を押さえても、最後に卵を割り落として表面に卵コーティングすると、結局は動物性油脂を食べることになる。うーん、どうでもいいわい、美味しい内に食べるのだ。

11月 9 日、包丁が研げない、というか、刃物を研いで使わないという話をよく聞く。そもそも研ぐことを前提としていない刃物もあるから、無理もないことだ。安全剃刀の刃を研ぐという話はあまり聞かない、柔らかいゴム砥石で研げるには研げるのだけれども。カッターの刃も使い捨てが前提。いや、あれも研げば何度でも使えるのだけれども、砥石を減らしてまで研ぐか、新しい刃を買うか、それは微妙な判断だ。忙しければ研いでいる暇などない。包丁は?カッターナイフのような「使い捨て包丁」というものが有って良さそうなものだけれども、販売しているのは見た事がない。毎日使う刃物だし、使う人の手の形や用途もマチマチだから、うまい共通の落としどころが見つからないのだろう。そして、良く切れるハガネやステンレスの包丁を買って来ると、刃が硬すぎて研げないという最初の話に戻る。研ぎのプロに意見を伺ってみると、アルミナの白い砥石で、速く研げるとのこと。早速仕入れて使ってみる。うん、切れ味鋭い。純白の、叩くとキンキンと陶器の音がする砥石、見かけたら迷わず購入すべし。

11月 8 日、MacOS を Marverics に update した後で TeX が「X11を何とかしろ」と言って来たら?この現象に出会った最初、何が原因かわからなかったので、ともかく TexShop を最新版まで update してみた。でも改善せず。しゃーないから、google にお伺いを立てる。転がっていた答えは XQuartz を再インストールせよ、というもの。何故そうなのかは良くわからないのだけれども、ともかく再インストールすると、バージョンが 0.02 上がっていた。そして TeX のコンパイルを行うと、今度は正常に動作。OS の update は「人々よりも少し遅れて行う」ことが大切だと再認識した。さて、これでひと仕事おしまい、じゃなかった。ちゃんと TeX をバリバリ使う仕事をこなさなければならない。さあ、筆を入れるぞ、筆を入れるぞ、筆を入れるぞ。

11月 7 日、この季節になると、ヨメナという青い菊が咲き始める。栽培品種の菊とは趣が異なる、スマートな美しさがある。この花が咲き始めると、大学祭の準備も佳境に入る。あちこちで、トンカチの音やら、カセットから音楽が流れて来たり、踊ってたり。一方、この時期にキャンパスを脱出して、冬営業前のスキーロッジみたいな所で合宿を行うクラブもある。こういう時期に、目立つ所に居る人だけに目を配っていてはいけない、みんなそれぞれ、元気に過ごしているかどうか気になるし、ちょくちょく確かめておかなければならない。教員に、その「当たり前のこと」を行う気力が欠けていると、そう時間が経たない内に深く反省することになる。日が短くなる今頃、夕方の空に日が落ちる時、後悔ばかりが先に立つのである。今日はちゃんと自ら働けたかどうか、それも思案するのである。

11月 6 日、This というと「コレ」の意味で単数の代名詞。Sで終わる単数の名詞というのは、あまり多くない。それも、大抵の場合は「複数のものがまとまって1つのものとして機能する」ような場合、例えば news のような言葉だ。複数が These で、まあ i が e に変わるくらいの事には目をつぶるとして、最後に e を付けて複数を表すというのは、少なくとも規則的ではない。不規則なものは、それが言い易いか、あるいは古いか。よっしゃー、古英語にあたってみよう。と、しばらく調べて、行き当たったのが P の縦棒を長くしたようなヘンテコな文字やら、偏微分記号∂が出て来る「読めない英語」だ。なになに、This にあたる品詞の使われ方は随分と変化してるって?ついでに、単数、複数、双数と格変化があって、その一覧表を頭に叩き込んでおかないといけない?!ともかく、その難儀な一覧表から「ひとつだけ」転がり出たものが(というか、一つに収れんして)結局は This に落ち着いたのだそうな。この辺りはラテン系の言葉の方が、整然としてるな、と、思った。

11月 5 日、人物本位の入試、という言葉が一人歩きしているようだけれども、それならば人物本意、人物重視の教育というものが、その後に続くはずだ。ええと、それは何だろうか?私は、人物はどうでも良いと思うのだけれども、コミニュケーションを取るということは常々訓練して行くべきだと強く考えるのである。面と向かって意思の疎通をはかる、メールでやり取りする、大昔の人々が書いた文献を読み取る、近い、あるいは遠い未来へと向かってメッセージを発する、年上または年下の話し相手に誤解なく意思を述べ伝える。そして、この鍛錬は学習者だけに求められるものではない。教育者が、まずコミニュケーションを放棄しないように工夫しなければならない。と、エラそうに書いておいて、最後にぶっちゃけて言ってしまうと、毎年のように、私のコミニュケーション能力は落ちているのではないだろうか?と薄々感じているのである。それを補うのは、もう「誰が聞いても理解できる簡潔で平易な表現に徹する」しかないかなー、と。

11月 4 日、常温で何時間も放置した仕出し弁当、食ったら当たるかもしれないなー、どないしよーかなー、容器に移して蒸すのがいいかなー、それは面倒だなー、電子レンジでは均一に加熱できないしなー。そう思案した後に、おかずもデザートも刻んで鍋に放り込み、水をタップリそそいでスープをつくり、そこにご飯を放り込んで、雑炊の出来上がり。中華料理に、確かこんな雑炊の作り方があったな、コース料理を片端から大鍋に入れて、煮込んでしまうという方法が。食べてみると、美味しい。美味しいとともに、予想外に味が濃いことにも気づいた。弁当というものは、結構な塩分が含まれているものなんだ。三食とも弁当、という状態は可能であれば避けた方が良いと思った。クセ者は、ご飯。表面だけではなくて、塩水で炊いてあるんじゃないかと思うほど味が付いているのであった。

11月 3 日、JR大阪駅から、気動車の特急が発車した。轟音とともに、ゆーっくり動き出して、そのままずーっと歩くほどのノロノロ運転。ホームを出るまでずーっと。さすがは特急列車、優雅に発進するのだと感激していたら、ポイント前でついに停車。何にも抜かれない特急列車も、赤信号にはかなわないのであった。そして信号が青になると、今までのウサ晴らしのように、再び轟音とともに急加速、いや、なにぶん車体が重いので急には加速できないけれども、ともかく迫力の走りで去って行った。なお、こういう出発だったので、見送り客の中にはホームの上を延々と歩いた方もいらっしゃった。大昔、蒸気機関車が運用されていた頃には、こんな感じだったのだろうか。ヨーロッパのターミナル駅では、今でも時々、こんなノンビリした出発を見ることがある。なにぶんホームの数が多くて、渡り線だらけなので、駅から少し離れるまで加速できないのだ。

11月 2 日、数ヶ月ぶりで氷に乗る。最初は安全第一の慎重な滑走。粘り強いエッジの使い方ができない、急に操作してガガッと無駄な減速を呼ぶこと頻発。エッジ研磨を忘れたまま氷に乗ったので、ブレーキはコントロールし易かった。次に研磨した時に、どんな「怖さ」が待っているだろうか?さてリンクサイドには、往年のスピードスケートのメダリストがやって来て、記念撮影に応じていた。春以来の再開となる大人の方々は、半年前のまま。子供は?半年経つと、随分と大きくなるものだ。ジュニアのスケート選手が、見る間に大人になっている。スケート選手も小さい内は、飛ぶようにリンクを走っていても「走ってるなー」くらいしか感じないのだけれど、大きくなったら「怖い」くらいのスピード感、いや質量感がある。ともあれ、選手にとって我々はリンク上に置かれた三角コーンのようなもの、滅多に衝突することはない。あの走り、目標にはすれども、到達し得ず。

11月 1 日、文章の、章や節の見出しが、その後の本文の冒頭に出て来ることは少ない。例えば「5節 ポテチ: ポテチとは、ジャガイモを油で云々」というような書き方は、辞書や百科事典では頻出するものの、論文では回避されることが多い。その理由は? 同じ言葉が連続するので無駄に見えるとか、大切な用語には「出すタイミング」があって、それが冒頭である必然性は低いとか、まあ色々と考えられる。そういうウンチクを抽象的に説明するよりも、具体的に「納得してもらう」良い方法はないだろうか?と考えて、いい方法を思いついた。歌である。歌のタイトルが、歌詞の歌い始めである曲、見かけるだろうか?童謡には「大きな栗の木の下で」という典型例がある、「カエルの歌」もそうか。でも、それは少数派だ。赤とんぼは「夕焼けこやけ」から始まるし、津軽海峡冬景色は「■■(←著作権問われそうなので削除)」から。曲名はサビで連呼されることが多い。盛り上がった所で、バンと曲名が提示されるのだ。この理由により(?)最初にサビから始まる曲の場合、最初から曲名がババーンと来るものが、あるにはある。あ、イカん、本論は、文章の見出しと、本文を同じ文字で始めるな、ということであった、脱線しまくり。

9 月と10月の1行日記