← 9 月と10月の1行日記  

8 月31日、量子誤り符号訂正、というものを取り巻くアレコレが、段々と気になって来た。そもそも、量子系に雑音を与えるモノがあるからこそ、量子情報に雑音が入るのである。従って、雑音を与える熱浴がある。さて、誤り符号訂正は、測定を元に行うか、それと同じように「雑音の捨て場」を作っておいて閉じた系で行う。これは、一種の冷却になっている。それも、マクスウェルの悪魔的な冷却である。当然、どこかが加熱される。従って、高温熱源と低温熱源があるということになるのかな。熱力学が取り巻いてますな。そうやって、どんどん安定化させて行くと、しまいには古典コンピューターへと行き着く道があるのかないのか、えーと ....

8 月30日、文章を入力しようとして「小球を」と書きかけたら、漢字変換は「昇給」とか「昇級」が上位の候補に。うーん、教員業やってるから昇級というのは定期的にやって来るのだけれども、最近は「昇給」ではなくて「減給」ばかりなのである。まあ、外から見れば「何を寝ぼけた事を言ってるのか!」とお叱りを受けるかもしれない。大学進学率の増加は頭打ち、18才人口は減る、それに合わせて教員は「有無を言わさず減らす」、という無慈悲な状況にはなってはいないのだから、有り難いと思うべきか。じゃあ小学校や中学校、高校はどうなってるの?調べてみると、既に教員の数が減り始めて久しい。このような統計の中に、非常勤が含まれているかどうか、それは興味のある所。非常勤だと、開講されない講義の場合は即刻雇用がなくなるから、厳しいものだ。

8 月29日、とりたてて信用があるという訳ではない私なのだけれども、段々と推薦状とか意見書なるものを書く機会が増えて来た。恩師曰く、全文をベタぼめするような推薦状は、それを読んだ人に信用されないのだそうな。悪いことばかりを書いては推薦状にならないから、推薦するに足る場合だけ推薦状の執筆を引き受けて、全体としては推薦するトーンを保ちつつ、ちょっとは改善して欲しいことはズバッと書いておくのが良いのだとか。私は、そこまでズバッとは書けない性格なのだけれども、恩師の教えは肝に銘じて執筆に当たる日々を過ごしている。では推薦し難い場合はどうするのか?というと、「私は信用ないから、もっと良い人を探して書いてもらいなさい」と言って逃げるのである。これはレフリー業を断る時に、よく使う手だ。もっとも、煮ても焼いても掲載に値しない論文は、即刻ズバリ Reject である。

8 月28日、ネコとライオンと虎。同じネコの仲間だから、目もネコのように虹彩が縦長の目か?うーん、チーターの目、山猫の目、ヒョウの目、思い出せない。いや、思い出せないというのは言い訳であって、注意深く見たことがない。よし、画像検索してみよう。あれ、ネコを除いて、殆どが丸い虹彩だ。猫の目も、よーく見ると縦にスパッと割れているのではなくて、楕円形に絞るようになっている。ウロ覚えというのは危険なものだと思った。じゃあ、丸くない虹彩を持ってる動物は?カエルとか、ヘビとか、その辺りに多いらしい。じゃあタコ焼きの看板に描かれているタコやイカの目は?タコは楕円のようだし、イカは複雑な形をしている。まあ光量を絞るという役割は、適当に絞れば役目を果たせるのだから、適当で良いのかもしれない。カメラにも、猫目絞りがあってもいい?

8 月27日、ロケットが何十億円する、という話がよく出て来る。額面だけ聞くと高価に聞こえるかもしれないけれども、その辺りを飛んでいる飛行機と同じような値段なのだ。数の出ないものを作ってあの値段なのだから、あまり商売になるモンではない。飛行機の値段を知って、耐用年数から一日1往復する長距離飛行のチケット代を計算してみると、人だけを運んでいたのでは採算が厳しそうだ。ガラガラの日の旅客機は、実は貨物輸送機と化しているのだろう。さてビルの値段は?その辺りを見上げてニョキニョキと建っているビル、耐久性はあるけれどもやっぱり何十億円か。建てて終わりではなくて、数十年の維持にも同じくらいの資金が必要となる。保険屋さんにとって、就職したての人は2億円を稼ぐ労働者に見えるとか。研究者の道も「何億円獲得した」ということが世間的には重要なのだろう ... か???

8 月26日、ヨーロッパやアメリカまで飛ぶと地球を半周したような気分になる。でも、時速 850 km くらいで12時間くらい飛んでも、1万キロメートルくらいしか進んでいないから、半周ならぬ四分の一周なのだ。同じくらいの距離の所はというと、ニュージーランド、メキシコ、ソマリア、エジプト、ギリシア、モントリオールなど。日本を中心に描いた地図を見ると、例えばスペインのマドリードまで飛んで行くのにモスクワを中継しようと、フランクフルトだろうとアムステルダムだろうとパリだろうと、あまり差がないことが良くわかる。むしろ乗り換え時間の方が問題だ。意外と距離感があるのが南アジア。地図を見て、ついついソコじゃないかと思ってしまうのだけれども、実際に測ってみると距離があるし、真っすぐに到達できる都市もあまり選択できない。地球は広いものだ。

8 月25日、水の上の話。初めて覚えた泳ぎは平泳ぎ。瀬戸内の男木島で何日か過ごす内に、何となく見よう見まねで泳げるようになった。以来、泳ぎといえば平泳ぎ。平行して、学校教育では小学校から大学まで一貫して「バタ足クロール」の指導を受けるも、夏休み前の「記録会」では必ず平泳ぎなのであった。クロールも、無理をすればできなくもないのだけれども、タイムを測ると平泳ぎの方が速いのだ。というわけで、久々に水に接した今日も平泳ぎ。50メートルのプールは記録会で借し切り営業、隣の25メートルプールで練習。25メートルを平均して30秒切るくらいか、衰えておるぞ ... そこで平泳ぎのイロハを検索してみると、あれあれ、泳法に驚きの変化が。昔は水没禁止だったので、水面を平たく泳ぐことを推奨されたものだけれど、現代はウェイブ泳法なんですか、それは昔「インチキ」と称して遊んだことがある。あれをやると、手をかかなくても進める。水泳の指導方法も随分と変わったものだ、昔はプールの端からドボンと飛び込んで、他端まで泳いだら上がってプールサイドをダッシュで戻り、またドボン。飛び込みは危ない(?)ということで、最近こういう事はやらないな。

8 月24日、素粒子を探すというのは、物理学に数ある「目標」のひとつである。物質の根本となる素を探って行くという、近世に発展した化学から原子物理へという流れの先にあるものだ。原子1個を真空中に飛ばして何かを測定する、これはなかなか精密にできる実験の一つだ。電子1個を真空中に飛ばすのは、電子が軽いだけにちょっと厄介だけれども、まあ用意周到であればシンプルな実験だ。安定しているのは、この辺りの粒子までで、その先なにか新しいものを見つけようとすると加速器を使って高いエネルギー領域へと進むことになる。そうすると、確かに何か出て来る訳だけれども、エネルギーが高くなれば高くなるほど「皮をかぶって」正体のわかり辛いものを一瞬だけ垣間みることになる。シンプルなものを見ようとすればするほど、皮が厚くなる、そこへ突っ込んで行く勇気が無かったのは○十年前の私。若い人は、どうぞどんどん突っ込んで下さい。

8 月23日、今年もまた、スイカの皮対策。表面の固い所だけ取り除けば、冬瓜ほどはシッカリしていないけれども、スープの具にはなる。農薬云々と書いている文章も度々目にするけれども、そもそも皮のすぐ下側の部分が危ないのであれば、中身も危ない。中身を食うんだから表皮を薄く取り除いた皮も食うことに文句の付けようが無いではないか? まあ、何を食っても「よくよく分析すれば」何らかの害は出て来るものだろうから、食生活全体でバランスを欠いてなければそれで良し。実はスイカの皮、あれ、全重量に結構な割合を占めてるんです。3次元空間の不思議。じゃあ、4次元や5次元にスイカがあったら?数学の教える所によると、次元が上がるほど中身の割合がドンドン減って行く。わしゃ、低次元な生活の方がいい。

8 月22日、2台の Mac と iPad の間でメモ帳を同期していたら「消せない予定表」ができてしまった。正確には、消せるけれども、必ず少し前の古いバージョンが復活するという、厄介な症状だ。クラウド側に何か問題が起きたに違いない。Mac 側でどう操作しても改善しないので、iPad のメモ帳を見てみた。ありゃ仰天、あたかもバックアップしたかのように、ここ半年分くらいの予定表が二百枚も詰まっているではないか。ええと、これを一気に消すには .... あかん、一枚ずつ消して行こ。そして、10 分近く消去作業した後、全てのメモを空にしてしまい、Mac からも iPad からも「何も見えない、復活しない」状態に持って行って、ようやく一件落着。再発防止のために、とりあえず iPad はクラウドから切り離すことにした。2つの OS から同じクラウドを使うという所に、危険が潜んでいるんじゃないかと邪推してのこと。効果はあるかな?

8 月21日、隣の建物のガラスに反射した夕日が、窓からデスクに差し込むようになった。これは春分や秋分が近い証拠。気温は相変わらず高いけれども、日差しは多少柔らかくなって来た。夕方になると雷雲の上に筋雲が見える。ジェット気流も戻って来つつあるようだ。辺りは地蔵盆の雰囲気だろうか。夏休みは来週で終わり ... 義務教育の場合は。大学生の夏休みは、まだまだ続く。大学の教職員は? よく、夏の間はずーっと休んでいると勘違いされるのだけれども、そんな事はなくて、ちゃんと平日は働いている。国によっては、大学の先生に長い夏休みのある所もある。但し、そういう場合は「無給休暇」である、というか、そもそも雇用期間に含まれていない。と、書いている内に辺りは凄い夕焼けになった。もう秋だな、やっぱり。

8 月20日、色収差のあるレンズというと、粗悪品の代名詞のような響きがあるかもしれない。もちろん、どんなレンズも色収差と無縁ではない。それが可視光の範囲で無視し得るかどうかという、程度の差だ。目で見てもわかるような色収差があったら、写真を撮っても上手く写らないだろうと思われがち、かもしれない。いや、その辺りの虫眼鏡を持って来てカメラの前に差し出しても写るモンは写るし、少々の収差があっても注意して見ない限り、そんなに気にならないものだ。積極的に良い点を述べると、収差を足がかりにしてピントの山がつかみ易いということ。色収差が大きいレンズは焦点の前後でピンぼけの色が違うので、少々目が悪くても色だけ見ていたら、何となくピントがつかめるのだ。一説によると、そもそも高等動物(?)がの目ピントを即座に合わせられるのも、この色収差のおかげということらしい。また、キラキラ光るものや、白いシャツから「青紫のニジミ」が出るのは、それはそれで清涼感があっていい感じになる。ともかくも、アバタもエクボ、貧乏人が使うレンズは色収差付きなのである。

8 月19日、暑い気温はともかくとして、日差しの厳しさは少し和らいだ。しかし、地面に目をやると土はカラカラ。雑草というと強靭な生命力で枯れたりしないものだという印象があるけれども、さすがに夏場は別。種が落ちて何かが少し生えても、根から乾燥してしまったら、アッサリと枯れる「ものもある」。単子葉植物は多少なりとも乾燥に強いようだ。全く乾燥した気配のない植物もある。憎きヘクソカズラ。ツルの部分に騙されてはいけない。本体はとても根が深いのである。所々にミニ人参みたいな太い根があって、これを完全に掘り出すとゾッとするほど長い根が縦に伸びていることに気づく。あれだけ根が深いからこそ、夏の乾燥もヘッチャラなのだ。この強さ、駆除する時には難儀、という事は度々書いているけれども、もう一度繰り返す。ヘクソカズラには気を許すな!

8 月18日、ホテルの朝食に、よくカリカリのベーコンが出て来る。ベーコンは半分以上、7割方くらいが油だから、あそこまでカリカリにすると油ばっかり逃げて勿体ないものだと思っていた。いやいや、その相方に、必ず目玉焼きなどの卵料理がある。自宅で普通に焼くよりも美味しい。何が違う?と思って油を舐めてみて納得。あれは動物性油脂、見事にベーコンの油だ。ということは、ネットリと美味しいものの例に漏れず、コレステロールの塊。健康診断の度に、コレステロールがギリギリ、あるいは「注意印」が付いてしまう私、やっぱり卵は遠ざけよう。ベーコンの半分以上が油脂と聞いてビックリしてはいけない、ソーセージを買って来て、よーくローストすると油が出てしまった後に、カラリとひからびた塊が残る。油脂の重さを測ってみると、相当な量になる。また、天ぷらのカリッとした所も、ほとんどが油。目の敵にするわけではないけれども、やっぱり要注意なのである。ハンバーグもまた、自分で赤身肉を買って来てミンチにしない限り .....

8 月17日、スイスの至る所に咲いていたゼラニウム。あれは世話いらずの良い花だ。適当に伸びて、次々と赤や白の花をつける。青いゼラニウムは見たことがない。バラと同じで、青い色素は無いのだろう。よし自宅でも育ててみるか。株を買って来たら、プア〜ンとゼラニウム臭が漂う。そう、あれは温度が高い所に持って来ると、ますます臭うのだ。スイスのように冷涼な気候だからこそ、気にならずに花だけ楽しめるのだと気づいても後の祭り。買って来たんだから、どんどん大きく育てて、秋が深まるまで花を楽しませてもらおう。あ、あれは挿し木ができる多年草だった。病気にならない限り、何年でも楽しめるのだ。と、いうことは?スイス人は倹約でも知られているから、実はあの株は、どこかに保存しておいてまた来年使うの???

8 月16日、飛行機は離陸するとサッサと高度を上げて巡航に移るものだ、と思い込んでいた。欧州を飛び立った B777 は、離陸後すぐに離昇出力からスローダウン、管制によって高度維持を命じられたのかと思ったら、その後もじわじわじわと高度と速度を上げて行き、30 分程後に高度 3100 m での巡航に「そのまま」移行した。確かに、高度が台形の「角がある」経路を選ぶよりも、経済的であるような気がする。さて高度を落として行く時はどうだろうか?こちらは、空の事情もあってか、通常通り「角のある」降下開始であった。そして、じわじわーっと機内の気温が上がる、ような気がする。外気から伝わって来る輻射熱なんて、そんなに無いはずなのに。関西空港に到着して、機体のドアから出ると、そこは亜熱帯であった。

8 月15日、どのホテルに泊まっても、最近ではアンケートが追いかけて来るようになった。アンケート結果を受け止めて改善できる素地があるのかなー、と疑問を感じるのである。例えば論文の掲載の可否はレフリーが行うけれども、そのレフリーはエディターが経験に基づいて選ぶ。結果として、大抵のレフリーは次々と論文へのコメントを求められ、「妙なコメント」あるいは「形式的で中身のないサボったコメント」を何回も寄せればレフリーとして信用されなくなる。ミシュランの星には様々な意見があるにせよ、一定の評価基準を持った覆面調査員が評価するからこそ、それなりの評価があるのだ。アンケートはどうか?というと、それを書く人々の「統計的揺らぎと行動様式」を予め把握していないと、改善策の立てようがないのである。企業の facebook アカウントに、メタクソなクレームの書き込みが相次ぐことは当然予測されることで、そういうものは即座に消去すべきだと私は思うのだけれども、真面目に答えたが故に、再び複数回に渡って超メタクソなコメントが寄せられる例を時々見る。単なるクレーマーを上手くフィルターにかける仕組みが必要なのだ。

8 月14日、楽しい10泊の Wengen 滞在も今日でおしまい。涼しい気候に慣れてしまうと、灼熱の環境に戻って行けるかどうか、少し心配な所がある。以前、厳冬の日本から南半球へと旅行した時は、ひとときの暖かさを経験した後に、また寒さに順応できた。今度はその逆にトライすることとなる。ひとときの夢を見ていたと思うことにしよう。そして、日々の暮らしに戻ったら、余計なことは「そぎ落として」旅の途中のように質素簡潔に(?)暮らして行こう。ちょっと待てよ、一体幾つの仕事が平行して走っているのだったっけ、常に仕事の切り替えに時間を取っていたのではないだろうか、一週間の曜日毎くらいに大きく時間を取って、ひとつひとつの仕事に没頭する時間を作って行きたいものだ。さて、そんな言い訳せずに、今日も仕事、仕事。せっかく良い気候の下に居るのだから、移動中も執筆あるのみ。

8 月13日、山々に囲まれた中でストイックに会議をやっている面々も時として居るものだ。去年ピレネー山脈中腹に籠った時には、天気の良い日も悪い日も午前中は会議、午後もディスカッションと、なかなか禁欲的に過ごした。今も山々に囲まれているけれども、やっばり執筆の事が気になるので、ストイックにパソコンに向かう。ロビー近くで黙々と執筆していると、山へと出発する人あり、山から降りて来た人あり。行きたいなー、行きたいなー、と思う心は悟りが開けていない証拠。どのような欲望も、ひとつひとつ遠ざけて行くことこそ仏教の理想。じゃあ、どうして執筆しているのか?原稿料のため?いやいや、それはオマケのようなものであって、文章を読んだ人々が少しでも科学的真理の理解へと近づいて行く、それが楽しみで筆を進めて行く。こういう希望もまた、悟りが開けていない証拠なのだろうか ...

8 月12日、高い山がそびえ立つ所で、低い山の山頂へと登る道をたどるかどうか、これは興味深い選択だ。当然、そういう場所に好んで登る人は少ないので、山頂を独り占めすることができるチャンスが多い。ついでに、周囲の高い山々を見通すこともできる。高い山は、一旦登り始めると、山頂はなかなか見えてこない事が多い。途中でやーめた、という事になるとか、山頂にたどりついてみると「登山ラッシュ」で道が渋滞していたり、ロクなことがない。山は高さだけの問題ではないから、前人未到のルートを探して登るとか、そもそも人が立ち入れないような奥地の山を目指すとか、絶海の孤島に突き出たような溶岩の壁を垂直に登るだとか、色々なアタックがあるものだ。さて、山々に囲まれた生活もあとわずか、どこから登って行こうかな?... 山々に囲まれた研究生活も?!

8 月11日、アルプホルンは少し末広がりになっている直線的なラッパ。細いので倍音列が出る。どれくらい自由に音を出せるか、それは普通のラッパと同じで吹き手の技次第。一番低い音は楽に出そうで、実は案外面倒。立ち上がりが遅くなりがち。そういう難儀な部分も、何本も並べて合奏すれば互いに補い合って、山々に響き渡る丸い音となる。遮るもののない山中ではカウベルの音もまた、随分と遠くまで聞こえる。霧の中で迷い牛が出ても、すぐに探し出せる工夫なんだろうか。カウベルに色々な形があって、少しずつ音色が異なることに何か意味があるのだろうか。そういえば牛の種類も色々あるのだということが、放牧地を見渡すとよくわかる。ともかくも、カウベルの音がアルプホルンの音楽を邪魔しないのが、これまた不思議なところ。そういう風に音楽がノンビリしている。仕事せずにノンビリも、あとわずか?!

8 月10日、山道を歩いていると、ドカドカドカと団体さんがやって来て後ろでピタっ。ガイドさんらしき方が杖を宙にかざして話し始める。しばらく講釈が続き、またドカドカドカと先へと進んで行く。あんなに速くて大丈夫かなー、と思ってたら、絶景ポイントでくつろいでいた。押さえる所はちゃんと押さえるのがガイドの仕事、お見事。旅行のパンフレットには「天候によってはナントカは見えないことがあります」と書かれている。今日、山道を歩いた人々は「2回に1度」の幸運を手にしたのだ、おおよそ皆さん上機嫌の模様。一方で、高山から降りて来る登山電車はというと、天候にかかわらず半分くらいの方が寝ている。千メートル以下の所から電車で一気に富士山の8合目くらいまで連れて行かれるのは、ちょっと厳しいかな、と、毎度のことながら感じる。2千メートルを越える場所で運動すると、すでに普段の体力はないものだ。

8 月 9 日、雨の日の過ごし方は、執筆。晴耕雨読という言葉、ちょっと変えて晴耕雨筆、あんまりうまく表現できてないか。雨書というのも何だし。旅先だと、ついつい日常を忘れて時間を過ごしてしまうのだけれども、ハッと気がつくと積もる仕事はちゃんと積もっている。どこかで帳尻を合わさなければならない。いきおい、パソコンを開いて黙々と執筆なのである。場所はどこか?というと、本来くつろぎの為にあるロッジの談話室。黒髪赤服の妙な東洋人が黙々と仕事をしていると、警戒されるのか、1人去り、2人去り、そして辺りはシーンとなるのであった。ま、あまり気にしないでおこう。やがて、人畜無害なことがわかって来たのか、段々とまた混雑して来た。負けずに執筆。筆は進んだのか?と言われると、トータルな時間が限られているから何とも言えない。効率はちょっと良かったかもしれない。

8 月 8 日、パソコンの電池、充電はすぐに済むので、消費率をあまり気にしないで良いはずなのである。しかし、毎度のごとく70パーセント付近で再充電してしまう。こういう使い方は、昔のバッテリーでは「良くない」とされたし、事実よくなかった。最近のバッテリーはメモリー効果を克服した、と言われてはいるけれども、充電回数に限りがあるとも聞く。やっぱり、使い切ってから充電するべきなのだろうか、と、思案する。バッテリーは消耗品だから、何度でも入れ換えれば良いのだという考え方もある。ところでバッテリーの消費はというと、実は何もしていない間に進むのである。パソコンに向かってボーッとしていることはないだろうか?そういう瞬間を検知して、パソコンの電力消費を抑える技術ができれば、随分と使える時間が伸びるはずだ。伸びたら、仕事をする時間が増えるのか、それともネット中毒に全てを吸い取られるのか、さて ...

8 月 7 日、夜中に目覚めて、ふとパソコンを開くと職場でメールが飛び交っている。いま読んではいけない、と思いつつ、ついつい読んでしまう。読むと返事したくなる。しかし、ちょっと待てよ、遠隔地から不用意に返事をすると誰かに越権行為させてしまうかもしれない。珍しく「熟考」して、結局は何も返答せずに再び寝る。なんか寝付きが悪いのであった、その後は。朝再びパソコンを開くと、またまたメールが溜っている。三大陸の間で情報をやり取りしたりすると、結局は24時間ずーっと情報をやりとりする事になる。世の中便利なのだけれども、落ち着かないなーと感じるのであった。ところで円とユーロの比率はというと、お盆休みを前に円高へと振れ始めた。外為を毎日見ないといけないのも、何だか落ち着かないなー。ま、そんな日々を過ごしつつ世の中の変化に追随するものかもしれない。

8 月 6 日、山の天気は晴れ時々曇り午後には雨か雷雨、そんな感じの予報が毎日続くので、天気予報屋さんがサボっているのだろうか?と思っていたら、毎日そんな天気なのであった。従って、朝飯を食べたらサッサと行動開始。午後になって、輪郭のハッキリとしない灰色の雲底を持つ雲が遥か遠くに見えてきたら、サッサと撤収。これができるのは風向きがわかっている時だけ。ウッカリすると、知らない内に周囲から雲が「わき立って」ガスに包まれてしまう。そのまま何処にも避難できなければ怖いことになるだろう、雷鳴とどろく雷雨、いや降氷の中で、ジッと耐えなければならないのだ。軽装で山に登って遭難というのは、こういうパターンもあるのだろう。気温が氷点下でも、真夏の太陽光の下では寒さを感じないものだ。しかし、雨に当たろうものなら雪よりも寒い。この辺り、人間の皮膚感覚はいい加減なものだと思う。

8 月 5 日、チーズの原料は牛乳。こればかりは、今のところ合成のしようがない。いや、仮に合成できたとしても「合成タンパクのチーズ」は食いたくない。チーズの味は、発酵過程によって随分と変わるものだけれども、同じように作っても出来上がりの味(と価格)に原料の影響は大きいものだ。チーズを切って盛った時に漂って来る香り、そこに草っぽい香りが漂うこともあれば、表現はともかくとしてゲロっぽい香りが漂うこともある。草っぽいのは食べる草の影響や、表面に擦り込む塩水に含ませる秘伝の液体のもの、ゲロっぽいのはチーズを固まらせる時に使う酵素を子牛から採るから、ということらしい。いろいろとウンチクを傾けても、結局のところ、美味しいチーズは美味しくて、より美味しいチーズはより高値で取引される、そういう経済原則はシッカリと機能している。関税の影響を除けば、という仮定の下での話。

8 月 4 日、お花畑は、季節によってその姿を変える大地の営みそのもの。春の早い時期のお花畑は、花を見つけると楽しくなるようにポツポツと。もう少し季節が進むと、ここにもあそこにも、見つけて欲しいかのように次々と花が開いて行き、夏至の頃になるともうゲップの状態。それから主役が交代して、色が変わって行く。また、既に開花した草花の実りも進んで行き、よく見ると種っぽい草地が広がるようになる。この頃になると、もう秋風が吹き渡り始めて、お花畑もおしまいとなる。花は咲いているだけ?いや、昆虫達が次々と訪れ、それを食べる鳥も集まり、また草花は鹿が狙いに来る。穴が見えるからネズミかモグラも居るらしい。こうやって食われるのは計算の内。見たくないのが焚き火の跡。炭が残っているのは言語道断として、片付けてあったとしても植生の限界近くで焚き火すると、回復には時間がかかるものだ。

8 月 3 日、テニスコートで怪しい数人組が何かエンジンのついた物体と格闘していた。その物体は小学生が両手両足を広げたくらいの大きさの、星形に見える白くて平たいもので、真ん中にファンが付いているようであった。よくよく見ると戦闘機の形をしている。そうか、垂直離着陸機の模型なのであった。飛行実験であろうか、傍らにリモコンを操作している人が何人か。そして何よりも滑稽なのが、飛行機の模型を手で持って支えている黒ヘルメットの2人。このクソ暑いさなかに、ヘルメットと長袖と手袋で完全防備。要するにコントロールが効かない危険な物体であるということだ。けっこう本気度高し。大学院の研究の一環なのだろうか。傍目には全くのオタクなのだけれども、ひょっとすると、将来どこかで画期的な飛行機を設計する人材集団となるかもしれない、と思った。■■■つづき→■■■国内線の短いフライトを定期的に利用しているからか、1時間くらいの短いフライトでは 12,000 メートルまで上昇することはないだろう、と思い込んでいた。今回利用した国際線、まず長時間の移動は 777 で、最高高度は 10,500 メートルくらいまで。乗り継ぎ便の 737 は軽快だった、離陸してから迷う事なく 12,000 メートルまで上昇。そのままグライダーに乗るかのように高度を距離に変換して山間のとある空港に到着した。スポイラーは利用しない、自然な降下だ。降下時には、積雲を幾つか避けて右へ左へと舵を取るも、最後にひとつの雲の塊に突っ込み、ガタガタと揺れる。積雲でこれだから、積乱雲の怖さがよくわかる。降り立った空港では、あちこちに鷹が居た。穴ネズミでも狙っているんだろうか。ウサギが居るのかもしれない。

8 月 2 日、プレプリントサーバーを見ていると、何だか大昔に見たことのある形式が「新しい発見」として投稿されていた。そうだよなー、Baxter の変分法だって、1970 年には完成していたのに、ずーっと埋もれていたモンなー。こういう事は良くあるのだ。興味深いことはというと、一時は流行ったけれども下火になって忘れ去られてしまうという計算・解析手法は山のように積み重なっていて、次に「新発見」した人の名前で再び流行することが稀ではない事実。そういう事が、2度、3度と繰り返されることもある。例えば Hubbard I という解析方法は、単純な故にそれと知らず「ちょっとした新開発手法」としてアチコチで見かける。NRG やら DMFT という方向へスンナリと連続的に発展して行った訳ではない。この辺りの事を、誰かまとめてくれないかなー、自分で review 書く気はサラサラ無いけれども。

8 月 1 日、国際便の航空運賃の動きは、なかなか面白い。数ヶ月先の料金を検索してみると、けっこう安い。2カ月先くらいで席が「一応は」埋まってしまうと高くなって、場合によっては大陸間のエコノミー運賃がビジネス料金や、世界一周チケットに肉薄することもある。その後はジリジリと下がることが多くて、翌日から3日先くらいまでは、席が空いている場合には最初の価格辺りに戻ってしまうのだ。まあ商品は何でも野菜や魚と同じ、需給関係で価格が決まるのだから、空いてれば埋めた方が良いよね。昔はオーバーブッキングと称して、ビジネスクラスの空きも全部埋めるという販売もしていたけれども、最近はネットで事前座席予約なんかも可能になったから、あまり大っぴらにはオーバーブックできないだろう。この飛行機、乗ってると空の上を「クリーンに」飛んでるような気がするけれども、ちゃんと排ガスが出る乗り物。空港の地上を歩いてみると、灯油の匂いがどこからともなく漂って来る。

7 月31日、国際会議の参加費というものを支払いに、銀行へと行く。海外送金は、そう度々利用するものではないし、送り先の書き方は毎度のように違って来るので、10回は繰り返している手続きにもかかわらず、全く慣れることがない。今日も、先方の住所が不明という所で時間を食ってしまった。もともと海外送金はバクチのようなもので、とある東欧の国に送った時には「仲介銀行」とやらが予定外にボコボコ入って、振り込んだ全額が相手方手数料に化けてしまったという経験もある。そういう事も覚悟して、相手方の住所不明のまま手続きを進めるという決定に20分は待ったかも。日本の銀行は慎重だ。難儀したのはヤブ蚊。手続き中に、足元に2〜3匹飛んで来て、次々と攻撃されてしまった。足首に集中して6カ所も。痒いこと限り無し ...

7 月30日、ゾーンプレートを検索してみる。Zone Plate って何?かというと、フィルムか平らなガラス板に、蛇の目模様を書き込んだもの。たったそれだけの物なのに、レンズとして働くのである。小型のものは安く造れるので、光学的ピックアップなど、半導体レーザーと組み合わせて使われることが多い。少し大きな口径のものをキッチリと造ればカメラレンズとしても使える。但し、諸収差をコントロールするのは容易ではない。そういう理由もあって、販売されているのは小口径のものだけ。普通のレンズとはちょっと変わった、というかボケてにじんだような画像を撮るための特殊なレンズとして。これに飽き足らない人は自作するしかない。原理はというと、ヤングの干渉と根は同じ。電波望遠鏡の原理と言ってもいい。さて、まずはフィルムカメラを買って来ようかな。

7 月29日、今日は雨。天気図を見ると前線が書いてある。一応は梅雨前線なんだろうか、対応するはずのジェット気流はヘンテコなことになってる。まず北極の上空に比較的まとまった低気圧が位置していて、その周囲にあるのは切離された「ゆるい渦」ばかり。日本付近では本州の真北から真南にジェット気流が吹き降りている。下層の気流は西から東に流れる暖気。これらが高度差を持って出会う所が能登半島付近で、雨がザーザーと降っている。という訳で、古典的に(?)前線に空気が乗り上げて行くイメージではないので、前線を解析して天気図に描くのも「気分次第」といった所ではないかと思う。雨が降ってるのに、何も描かないのか?と言われるのも怖いものだろう。天気図の表現方法も、改良できる部分があれば改良して行く時期なんだろうか。

7 月28日、一日中曇りで、西風が吹いた。高気圧のヘリに居るらしい。神戸の西の方の空を見ると、雨が降っているのか、その向こう側は霧に隠れて全く見えない。これはやがて雨が来るぞ、来るぞ、と、構えていたけれども、空振りであった。ずーっと日照りだから、雨乞いしたい気分である。さて、しばらく放置しておいた包丁の研ぎを再開する。仕上げ一歩手前までの状態から、最後の研ぎ上げへの工程である。実は、一歩手前というのは作業者の思い込みであることが多い。例に漏れず、今日中に研ぎ上げることはできなかった。面がフラットに近い時に砥石を正確に当てるのは、ホントに難しい。滑ってしまったり、砥石が凹んだり。ろくなことがない。この点、プロの仕上げた研ぎは、面が平らに仕上がっていて、なかなか美しいものだ。手抜きしていない限りは。

7 月27日、グランフロントに行く。阪急がある茶屋町側と、グランフロントが東西に行き来できるという事を初めて知る。あの辺りは阪急から西へは行けないという先入観があって、それを「ひっくり返す」事実を納得するのにしばらくかかった。頭の中で地図がつながらないのである。ちゃんと地図を見てシブシブ納得。そういえば、地図を見なければピンと来ないのが「なんばと天王寺」の位置関係。何となく、なんばから真南に行くと天王寺に到着しそうな気がするのである。これは鉄道の路線図が随分と歪んでいるから。だいたい、環状線は丸くなくて、どちらかというと三角なのである。阪神なんば線が、尼崎から先で随分と時間がかかるのも、地図を見れば納得できる。ともかく、都会の地理は歪んで頭に入る傾向があるものだ。

7 月26日、旧約聖書に「蔵言」という書物が含まれている。こういう風に生きて行きなさい、という指針みたいなものが、良い例・悪い例を短く要約しつつ語られていて、信心の薄い私でも面白く読める。その一節に「あなたの若い時の妻を楽しめ」というフレーズがある。前後の文脈からすると、妻の賢さを正しく評価して道を踏み外さずに仲良くしなさい、という意味の一部であることは確かなのだけれど、日本語に訳してしまうと「若い時の」という修飾のかかり方が不明確になるな、と思う。原文ではどういう意味を持つのだろうか、知りたいものだ。それにしてもまあ、何千年も前から口伝えされて来たことだけあって、読めば読むほど耳の痛い事。おおよそ、日頃の悪い行いをズバリ突いているので、ニガ悪いを通り越して、極楽浄土への道など有り得ないなと、覚悟する日々である。

7 月25日、科学の香りというものを「感じてもらう」講演の準備の仕上げ中。仕上げとはいえ、色々と迷うことあり。一般講演であっても、目指す所は「科学の論理」である。しかしながら、大抵の場合は「地道に論理を組み立てて行く」ための時間的余裕はない。そこで、どこかで詳しい説明を飛ばすことになる。どこで飛ばしても「端折ったな」という風なボロを出してはいけない。有り難くも聞いていただいた方々に、科学的に満足してもらわなければならない。そしてまた、時々、こちらの予想するよりも遥かに専門知識を蓄えた方が聴衆の中にいらっしゃる事がある。あまりに啓蒙の方向へと走りすぎると「何かウソ八百、デタラメ言ってませんか?」と鋭い指摘を受けかねないのである。たとえ指摘されないにしても、啓蒙という方向に流されるのは良くない。やっぱり、科学は論理に基づく哲学なのである。さ、仕上げ、仕上げ。

7 月24日、梅雨明け10日という言葉どおり、暑い夏が2週間ほど続いた。その後やって来たのが、いつもならばお盆辺りにやって来るような不安定な天候。衛星写真を見ても、特に水蒸気写真を見て高層の気流を把握してみようとしても、何が何だかよくわからない。ジェット気流が弱い上に、地球上のあらゆる場所で蛇行しているのだ。まあ、ジェット気流は蛇行し易い性質のものだけれども。20代の末に暮らした仙台はというと、まだ梅雨明けせずに気温が低いまま。あの「輸入ブレンド米の秋」が思い出されるのである。あの年は七夕祭りも寒かったし、花火は霧の中に消えて行った。この先を読むには、ずーっと高い高度まで天気図を見ておく必要があるかもしれない。さて、米軍サイトを見に行くか。

7 月23日、睡眠不足で活動した1日、その症状は「暑気」であった。朝の通勤で熱を溜め込んでしまうと、いつまで経っても汗が引かない、椅子に座ってられないといった感じ。暑いんだから、熱を出しているのではなくて、熱が下がっているのである。クーラーにドバドバと当たって、ようやく活動できるように、ならなかった。今度は例のごとくマイクロスリープに。水鳥のヒナのように、ふーっと首が左右に倒れて、そのまま睡眠モードに入ろうとする。イケナイ、イケナイ、仕事、仕事。よし紅茶ドーピング、いったい何杯飲んだんだろうか。集中力を高めるとはいっても、集中すなわち飛行機の離昇出力みたいなもので、いつまででもそのままという訳には行かない。これはどんな薬を使っても同じこと、眠気払いの効果が高ければ高いほど、後にツケが回る。税金、上げなくていいんかい?

7 月22日、丑三つ時に、色々と予定が立て込んでいる事を再認識して飛び起き、シコシコと何軒か片端から片付けて、夜が白々として来た頃に再び眠る。次に叩き起こされたのは目覚まし時計であった。あ、書いてる今の内に、明朝の目覚ましもセットしておかなければ。こういう事をすると、絶対に次の日、いや当日の昼間に猛烈な眠気が襲って来るのである。例えそれに気づいていないつもりでも、ふとした瞬間に10分くらい時間が飛んでいることがある。結局、今日は朝食の後と、昼食の後に来た来た、目に見えない催眠光線が。本人は何とか踏ん張ったつもり。周囲から見ると、きっと四六時中リフレッシュに走っている姿ばかり目についたことだろう。仕事は頑張ってこそ仕事、気は抜けないのであった。

7 月21日、選挙に行く。投票用紙をもらって、ボールペンで ... 書けない。芯がぐにゃーっと曲がってしまうのだ。先端が半抜けになっているではないか、ネジ込み直して ... いや、ネジそのものが無くなっている。世の中には信じられない筆圧でボールペンを使う人が居るのだろうか。また、ネジを回す時もネジ切れるまで回すらしい。ともかく、書けないものは仕方ないので隣の仕切りに移る。ようやく書ける。まずは知事選挙から。その次は、小選挙区。さて書くぞ、と、ボールペンを使うも、またも書けず。インクが詰まりかかっている。エイッと念じて三回書き直したら三回目にようやく線が描けた。最後に比例代表。今度もか?と用心してかかった。いや、最後はちゃんと、マトモなボールペンに出会えた。技術革新という言葉は何処へ行ったのであろうか、油性ボールペンの進化は数十年前に終わったのかい?それとも、ボールペンも入札で最安値を仕入れてるんだろうか。

7 月20日、岡山でアンパンマントロッコ列車を目撃する。乗ってみたい、と思ったけれども、目の前で乗り逃がした。(後で調べてみると、実は全席指定の列車であった。)児島駅で再び目撃。なんと、普通の列車の半分くらいの平均速度で走る、ノンビリ列車だったのだ。それはそうか、時速120キロで走るトロッコなんて、風が強すぎて楽しむどころではないか。この列車のコンセプトはアンパンマンなので、小さな子供たちに人気があるらしい。珍しい列車では、岡山から高松に行く「うずしお」にも再び乗りたいものだ。こちらは、電化区間を走るにもかかわらず、ディーゼルカーでの運行なのだ。ついでに、宇多津駅でスイッチバックするという曲芸も見せてくれる。ディーゼルの何が良いのかというと、発車や加速の時に豪快にエンジンを回すのに、加速がトロイ所。これが楽しみだったのに、最近のディーゼルはハイブリッドになってて、加速も電車並みに良いのである。

7 月19日、ダイヤモンド砥石の切れ味は素晴らしい。ただ、その切れ味は比較的速やかに失われる。と、思い込んでいた。実はそうではなかった。ダイヤモンドは固くて、なかなか減らないものなので、鉄の削り屑が酸化しかかったような粉が油や水と結びついて、ダイヤモンドの粒の間に入り込んでしまい、砥石の面を平らにしてしまうのだ。これに気づいたのは、ダイヤモンド砥石を使った後の周囲の汚れが、普通の砥石の場合よりも取り去りにくいことから。じゃあ対策は?簡単であった。洗剤か石鹸かハンドクリームを砥石に少し載せて研ぎ始めるだけ。すぐ汚れが浮いて来て、砥石が元の銀色に戻り、削りくずの色も黒い屑から、金属色になった。削る感触も「木を削るかのようなガリガリとしたもの」に戻る。こういう時には、凄い速度で研ぎが進んでいるので、研ぎ過ぎに気をつけなければならない。ともかくも、時間を節約して研ぐ方法が見つかって良かった。ただ、洗剤は滑り易いので、ちょっと作業には注意が必要だ。

7 月18日、ゴボウが手に入ったので、切って酢水にさらして、いつものように煮て味見。うっ、苦い。いつも買い求めているのは、アクの少ないゴボウだったのだ。これでは食えないので、サイコロに切り直して、一昼夜水にさらす。こうすると、もうゴボウだか何だかよくわからない、ただの繊維の塊となってしまう。そういう場合には、中華料理の知恵を借りる。歯ごたえしか無い「味のない食い物」ものに味を含ませて「高級料理」に変身させる裏技(?)だ。さて味は何にしようか。この時期だと、梅がいいんじゃないかと思う。使い道なく蓄えられている梅酢を蔵から出して来るか。蔵出しの梅酢、言葉だけはいい響きだ。梅干しも、台所の奥に数年分くらいある。今年は流石に漬ける気にならなかった。ええとゴボウの話、とりあえず下味を付けた所で冷蔵、梅酢を合わせるのは今晩にしようかな。

7 月17日、昨日うろこ雲が見えた。これは、速い気流が上空を流れている証拠。梅雨明け前のジェット気流は前線と対応していることが多いけれども、今は?と疑問に思って高層天気図を見てみる。あれー、200 hpa の図に切離した渦があって、そこの周囲をグルリと強い気流が巻いているではないか。こいつは寒気の扇風機、雷ゴロゴロ鳴りまっせー。ジェット気流の本体はヒマラヤの北側の流れになってても、日本にやって来る頃に蛇行して南へと流れ下る寒気が出来ることもあるんですねー。じゃあ地上天気図は?前線を伴っているような、伴っていないような低気圧が沿海州にゴロンとあって、南からの風を吹き寄せている。要するに、関西では涼しくなる要因ゼロ。ま、ちょっと、積雲が太陽を遮る間だけでも日照がないのが幸いか。

7 月16日、昨日の内にヤブ蚊が一匹、部屋の中に舞い込んでいたらしい。夜になると、ブーンと羽音を立てて近寄って来る。眠たいから、退治せずに横になってたら、何カ所も刺された。欲張りな蚊だ。真夜中に活動できるということは、赤外線でも検知できるのだろうか?蚊の複眼は個数も少ないし、そんなに解像度は高くないように思うけれども、小さな虫が大きな動物の表面に舞い降りるのに、そんな高い解像度を持っていても無駄かもしれない。クモの目は、複眼よりももっと数が少ないのに、パソコンの画面上を登らせると、マウスポインターを虫と勘違いして追いかける。あ、そうか、二次元画像と三次元画像の区別が甘いのか。10個そこそこの単眼で三次元もヘッタクレも無いだろう。それで何億年も命をつなぐことができたのだから、立派なものだ。トンボはもっと視力がいいそうな。化石になってる巨大トンボの学名は「メガネウラ」だとか。眼鏡浦?いや、メガ・ネウラと区切って読むのだ。(←今日は尻切れトンボ。)

7 月15日、急速硬化エポキシ樹脂を練る。夏場にこの作業を行うのは一種の自殺行為でもある。予め練る回数を決めておかないと、練っている途中で粘度が高くなって来て接着あるいは盛り上げ形成という用途に使えなくなるからだ。今日の目的は、包丁の柄の差し込み口の防水。丁寧に行うならば、まずはゆっくり硬化するエポキシを薄く塗っては硬化させることを何度か行って、樹脂を充分に浸透させてから最後に防水エポキシを改めて盛り上げるべきなのだけれども、今日明日に使いたい包丁なのでイキナリ樹脂を盛り上げたのだ。こんな粗い作業では、いつの日にか「カリッ」と音がしてエポキシが剥げるだろう。でも、そんな時には、また接着すれば良い。自分で作って自分で使う道具の場合は、いつもそんな感じで気の抜けた作業を行っている。人にあげる時は別。充分に防水し切っていないと、すぐに壊れてしまうからだ。それでも、木の柄の刃物を食洗機にかけられたら、一発でオシャカになるだろう。

7 月14日、紫檀と黒檀に立ち向かう。ナイフで削ろうと四苦八苦。なかなか気難しい。固い木なので、深く刃を入れることはできないし、ちょっとでも逆目に削ろうとすると、表面がガタガタに割れ飛んでしまう。一方で、木口の固さは普通の木と同じ。針葉樹よりも木口は柔らかいくらいだ。ともかくも、どうすれば速く作業できるだろうか?と首を傾げる。待てよ、この感触は石膏の塊に似ている。それならば削った方が速いはず。木工ヤスリを取り出して当ててみると、ガシガシと削れて行く。なるほど、紫檀・黒檀というものは、切削加工に向いているのだ。それから先はヤスリがけ一直線。紙ヤスリも取り出して何時間かスリスリ、部屋の隅で怪しい作業に没頭する。ええと、この後は、仕上げの磨きと、オイルで何度かの目止め作業の後、仕上げのオイル磨き。包丁の柄も工夫しだいで奇麗になるものだ。

7 月13日、選挙カーが来ない選挙、というのが今回の参議院選挙の感想。他の広報手段があるから??? ネット解禁だそうだけれども、わざわざ政党や候補者のページを見に行くのはしんどいものだ。日頃から熱心に情報発信している政治家の何人からは、常々 SNS でコメントを閲覧している。要するに日頃の活動の問題であって、選挙の時にネットで広報しようというドロナワでは何もプラスになるものは無いのだ、と、私は感じている。ところで、義務教育の下で、選挙とか民主主義というものはどう教えられているのだろうか?選挙へ行きなさい、と教育されたら行く気が失せる人も居るだろうし、選挙なんか行かなくてもいいですよと教育されたら、意地でも、命の危険があっても投票所へ足を運ぶ人も居るだろう、私はアマノジャクだから、教育されたら必ず「違う方向」に歩むのである。さと今回はどうしたものか。

7 月12日、連休返上で公務に没頭することになるんだろう、と、隣の隣の市で起きた火炎瓶事件を見て思った。業務が電子化されているとはいえ、処理途中の申請用紙もあるだろうし、そもそも事務処理の復旧を考え始める前に、水浸しになった建物の排水から始めなければならない。消火に使う水の量は凄いもので、水平な建物に放たれた水は容易には流れず水たまりとなる。そして階下にも漏れ流れ、意外な場所まで濡れてしまう。火が出た場所が使えるのは早くても夏過ぎかなー。あの光景は、20年と少し前に大学で見た爆発火災事故と重なる。その時は、ともかく凄い数の消防車がやって来て、その他にも現場に急行する人々の自動車が集まるので、たちまち渋滞が起きた。後から来た消防車が鐘を鳴らしても渋滞したまま。拡声器から「どきなさい!どきなさい」と消防士の警告が辺りの響き渡るのであった。今日の現場も、きっとそんな風だったのだろう。

7 月11日、アメダスを見ると、何だか凄い気温がアチコチに表示されている。多くは内陸。海辺の神戸は30度くらい。木陰に入ると、海風が吹いて涼しさを覚える。暑く感じるのは、むしろ風がパッタリと止むことのある凪(なぎ)の時間帯と、車道の近く。車道の1メートル当たり、どれだけの燃料が燃やされているのか、勘定すると暑くなるのも道理だろう。また、車道は黒い上に日光を遮るものが(法律により?)周囲になく、そして水気が全くない。この蓄熱の仕業なのか、夜になっても山風が吹き降りて来ない時もある。よし、昼間は風力発電しておいて、夜になったら風車を「巨大な扇風機」にして冷風を送るのだ。そんな風車が海辺に林立するって、どんな風景なんだろうか?オランダに行くと、すでに海岸沿いは風車だらけ。いや、あそこは昔から風車が沢山あったのだったっけ?

7 月10日、半額の解凍エビと目が合った、いや、それは有頭エビじゃなかったので目は合わなかった、ともかく値札に吊られて三パック買う。腹開きで世話をするほど暇ではないので、殻付きのまま背中側を小刀で切り開いてワタを取り、尾を少し切り落とし、スルリと身を抜く。ここで、落ち着いて少しずつ湯がけば良かったのだが .... 熱い塩水にエイヤッと全部放り込むと、温度の高い所と低い所が出来て鍋を回したり配置を変えたり、世話をすること90秒ほど。そこから、全て皿に上げるのにも30秒はかかった。結果として、火の通り過ぎたエビが半分くらい出来てしまった。ちょっともったいなかったかな。充分な量があるから、さて、酢の物以外に何を作ろうか。甘辛く醤油で煮付けるという手もあるけれど、せっかく柔らかく下処理したので、ちょっと勿体ない。薄切りにして卵巻きにする?それとも寿司の具?野菜の煮物に合わせる?ともかくも、もう1度、軽く酢で洗うことから始めよう。あ、卵料理の時は酢で洗っちゃダメか、うーん。

7 月 9 日、日頃使っている卵焼き器は銅製。表面にスズのメッキが施してある。このメッキは、ちょっと高温になるだけで容易に溶けてしまうので、油を引いて温度の上昇に気を配っておく。卵を流し込んで、サッサと丸めて、また流し込んで。火加減次第で、けっこう調理時間が変わって来る。中火くらいでも、とても忙しい作業になる。銅の熱伝導は素晴らしいものだ。うっかり熱い銅に触ると一発でヤケドする。かといって、弱火すぎると、卵が固まっただけの、焼けていないノッペリとした卵の塊になってしまう。だし巻きの時にダシを含ませすぎると、これまたノッペリ巻きになり易い。こうして、しばし焼きを楽しんだら、皿に転がして放冷。更にラップをかけずに冷蔵庫で充分に冷やし、その後でラップを巻いて完成。手をかけて、という程でもないけれども、食べる時には一発でなくなるのが良い。食べ物は眺めていても仕方がないものだから。

7 月 8 日、昨日の夜、大学の方角から山を降りて来る浴衣の一群あり。この時期に地域の夏祭りは無かったはずだけれど?と思いつつ大学の広報を見ると、七夕祭りなのであった。今日は、その撤収作業を行っていた。昨日まで準備設営に励んだ若者たちにとって、今日は打ち上げの休日。そうそう、休日の人々を相手にする仕事を選ぶと、平日に休暇となる。かつて、とある音楽アーティストが語った所によると、(常に)平日に宴会というのは何処となく違和感があるのだそうな。レストランにしろショッピングモールにしろ、ガラーンとしていて楽しそうでないとか。当方はというと、今日は授業はないけれども、月曜日は大抵、色々と書類の作成などが待ち受けていて、気がつくともう日が暮れている、というのが通例。さあ仕事。

7 月 7 日、facebook の休眠アカウントが乗っ取られたのではないか?と思われる「友達」を削除した。記憶をたぐって行くと、「友達」として登録した時には共通の友達が1人だけだったし、友達申請された方(?)の書き込みも非常に少ないものであった。最初からダミーアカウントだったのかもしれない。ダミーアカウントがひとつあれば、友達の友達をたどって、結構広い範囲の人々を次々と検索対象に加えて行くことができる。意図せずして、他の「友達」を危険に晒していた可能性があるわけだ。そういう目で見て行くと、顔写真が出ていない幾つかのアカウントも気になるものだ。もちろん、顔が出ていても怪しいものは怪しい、怪しくないものは怪しくない。仕組みとしてはメールの転送場所さえ作っておけば偽アカウントが作り放題だから、セキュリティーの保持は難しいものだ。まあ、SNS は一般的に掲示板よりは一歩進んだシステムではあるけれども、ある程度の隠蔽が可能なだけに、詐欺等にもこれから「活用」されるようになるであろう。いや、既に ... 。

7 月 6 日、この時期に剪定を行っている光景に出くわすことがある。何の木か見てみると、モクセイの仲間であった。今の時期にバサッと切って花が付くのかい?と不思議に思って調べてみると、その心配はなくて、今の季節がちょうど剪定の好機だということを理解できた。キンモクセイにしろヒイラギモクセイにしろ、どうやって剪定すれば良いのだろうか?立ち枝を切るとか、カンヌキ枝を作らないとか、まあ色々と作法があるようだけれども、まずはハサミを入れてみて、調子を見ながら段々と流儀を固めて行けば良いということにした。秋になるとまた伸びるので、これでもか!と思うほど切り込んで、枝ばかりの姿にした。ほんの少しの葉を残してはあるけれども。植木屋さんは、そんな姿まで切って行くのも一瞬。太い枝をバサバサと切って行く。素人は、無駄なハサミが多い。精進あるのみ。

7 月 5 日、サブハイが勢力を増して今日はもう亜熱帯の午後。まだ曇り気味で、カラッと夏の空というわけではない。そういう午後に、今日も量子力学の講義。スピンを扱い始めると、色々と小細工的な楽しみができる。その技巧が、量子情報や量子コンピューターの理論的、時には実験的な基盤を与えているのだ。将来、量子コンピューターが広く使われるようになった日には、量子力学の講義も少しは様変わりするのではないだろうか。いま、量子情報の人々が何を使って量子力学を学ぶのか?ニールセンの教科書で量子力学の入門学習はおしまいと断言する人も居る。確かに、Dirac 的な量子力学の記述から、解析力学的な要素をスポッと抜いてしまえば、ニールセン流に到達する。枯れた線形代数の世界に、測定という操作が入った世界だ。そういう観点から見直すと、量子力学で本当に難しいのは論理的な核ではなくて、その基礎的なブラケット表記と、何か現実の観測を結ぶ各論なのではないかと感じるようになって来た。原子の電子波動関数なんか、その代表例だ。あれは何度教えても、暗記できるほど甘くはない。

7 月 4 日、レーダー降水ナウキャストを見る。気象庁のページ、ふと横を見ると「土砂災害警戒判定メッシュ情報」という欄もある。「どしゃさいがいけいかいはんていめっしゅじょうほう」とクリアに発音できる人、手ぇー挙げて!それはともかく、降水のパターンを見ると、近畿付近と九州付近の2列になっている。天気図では、これをどう表現しているのだろうか?と思って見てみると、前線を波打たせて表現していた。では対応するジェット気流が波打っているのか?というと、そんな事はない。実は、低層の小さな低気圧が隠れているけれども、それくらいのスケールのものは天気図には描かないことになっているのだ。その罪滅ぼしに、チョイと前線を曲げて描いた、という意味のことが、予報の解説資料に書いてあった。この気象予報士向けの資料、気象庁の予報部が「教育的配慮」を持って公開しているもので、毎日少しづつ、色々と新しい概念や用語を学ぶことができる優れもの。12時間ごとに1度の頻度で、盆も正月もなく更新し続けている、なかなか凄い努力である。

7 月 3 日、和食の職人さんは薄刃包丁と柳刃を使っているものだ、と思い込んで居ると意外なものに次々と遭遇する。寿司の板前さんが牛刀を握っているとか、天ぷら屋さんが文化包丁を使っているとか。その「文化包丁」がとても面白いものであった。少し長めの和包丁で、先端は柳ではなくて文化風に斜めに切り落としてあり、裏が完全に平ら。そんな売り物は見たことがないから、特注品なのだろうかと思って板前さんに聞いてみると、「自分で研ぎました」とのこと。和包丁の特色は裏スキにありとか、裏押しばかりするのはヘボの研ぎなどとアチコチに書いてあるから、これは驚き。天ぷらの芋などを切る時に、裏スキがあるぶ厚い包丁では都合が悪いのだそうな。また、一本の包丁をちゃんと管理して野菜から魚まで、何でも扱うには文化包丁風の形が都合が良いのだとか。なるほど、必要にあわせてプロが選んだ包丁の形状なのだ、説得力がある。ということは、やっぱり、台所で日常的に使う包丁は文化包丁か牛刀がオススメという事になるのだろうか。ちなみに、私が日々握っているのは、裏が平らで、表がハマグリの形に研いだ和包丁。邪道だとは思いつつも、自分で便利なように研いで使っていたのだけれども、今日から「邪道」の二文字は外すことにする。

7 月 2 日、ANA の国内線航空券の予約分の支払いをしたら、最終段階でブラウザーがフリーズ、決済が確認できなくなった。銀行口座を見に行くと、既に引き落とし済み。こりゃエライこっちゃ、振込が宙に浮いてるかもしれない。宙に浮くというのは、決済代行業者の口座に入金したまま、その先に届かなくなる現象。アメリカの大学宛の振込で、こういうケースに遭遇したことがある。(←最終的には解決できたけれども。)ともかく、こりゃ大変、慌てて ANA 窓口に電話して、最初に声に出したのが「あの、JAL 便の ... 」という言葉であった。大昔に、新潟空港で ANA 便の時刻変更を JAL 窓口にお願いに行って以来の失敗。えい面倒じゃ、だいたい小さな国に2つも航空会社の旗が立ってるのが面倒なんじゃい、ヨーロッパの国々を見てみよ、メジャーなのは一国一航空会社ではないか!と、悪態を突いても仕方ないか。そうそう、電話の方。あ、間違ったと、更に慌てて「..あ、ANANANA 便のあのあのあなあの ... 」何を喋っているのか、もう訳がわからないのであった。結局、確認できたことは、最終的に決済がつくのが翌日の20時頃のことで、それまで待てば良いだけということ。よし、果報は寝て待て。

7 月 1 日、洋包丁の売り場で、照明の反射具合をじーっと見て研ぎ上げ方を学んでみた。今日の着目点はアゴの辺りの研ぎ。押し切りの包丁だと、アゴに向けて薄くなって行く研ぎのものもある。ペティーナイフは引き切りにも対応している。製品になっているものは、概して刃が分厚い。特に肉切りが目的のものは、これでもか、と言うほど包丁全体が丸く膨らんでいる。台所で肉の塊を切り開くということは、あったとしても鶏肉一匹分くらいなものだから、小出刃でもあれば充分だ。牛刀を買ったら、たぶん少しは刃を薄く研ぎ直した方が使い易いだろう。和包丁は真っすぐな刃付けと、贅沢な鋼が特徴。和包丁の研ぎのうち、裏スキと呼ばれる凹みは通常の砥石では真似できない。ひとつ丸い研石を作ったとしても、鋼の裏を丸く削るのは容易なことではない。昔の研ぎ職人さんは辛抱強かったのだろうか?それとも、今は失われた速い手研ぎの秘伝があったのだろうか?色々と考えつつ、今日は何も手にとらずに売り場を後にした。バーゲンセールになっても、刃物の安売りはない、あるいは魅力のないステンレス包丁ばかり、安売りワゴンに並んでいる。まあ使えるには使えるけれどもね、毎日研げば。

5 月と 6 月の1行日記