← 7 月と 8 月の1行日記  

6 月30日、初めて行く場所は、そこへ行く道中が日記のネタになる。何度も同じ場所へ行くことになると、とりたて意識することもなくなってしまう。日常と化してしまうわけだ。その中で、日々、新しいものを見つけて行くこと、それが「もの書き」の仕事、ネタ集めなのだろう。ネタといえば寿司、日本海の中部から北ではサワラが採れない、いや採れなかったという話を聞いた。寿司屋さんによると、カジキマグロのような魚をサワラと呼んで握る店もあるのだとか。そのサワラが、10年と少し前から日本海での水揚げが急増して、今では他の場所の漁獲を追い抜いてしまっている。暖流の流れが変わったのか、それとも気候も暖かくなったのか?まあ採れるんだから有り難いことだ。あれは大きな魚なので、一本で買うと結構な値段になる。けれども、身がタップリと付いていて切り身が何枚も取れる。1度さばいてみると、切り身の価格には手間賃がだいぶん入っていることがわかる。それはそうか、慣れた魚屋さんにさばいてもらっても、相応の時間がかかるから、それを更に小分けして並べるのは面倒なことだろう。

6 月29日、色々な言葉が流行するものだ、新聞にもブラック企業という言葉がよく登場するようになった。何でもかんでも白黒つけたいのかなー、というのが率直な感想。親分が黒いモンを白いと言ったら白、という類いのことであれば「どこの職場にもあり得ること」かもしれないし、何か大きな機械を新しく任されるようなことがあれば「本棚に一杯のマニュアル」を指差されて「3日後までに読んで来い」なんてこともよくある。それも舶来の機械だったらマニュアルが英語だ。なになに、とある大学もブラック企業としてノミネートされたって?うーん、その大学に勤めていたこともあるぞ ... 私が居た所はノンビリしてたけれどもなー。一方では不幸な出来事もあったと報道されている。今も同じように「大学という職場」で働く毎日、自分の周囲に「そのような圧力」を生じさせないように日々注意しているつもりはつもり。但し、余りにも何も言わない、つまり各自の自主性に任せているので、放任と取られているかもしれない。正解は誰も知らない。

6 月28日、朝起きると背中の右側が痛い。ここ数日の研ぎ作業で酷使したからか、それとも一昨日に重たい荷物を持って歩いたからか?これでは、今日の講義は右肩が上がらないんじゃないか?と思いつつ黒板に向かうと、いやいや、良い運動になって、どんどん「ほぐれて」行く。日頃から、高い場所に文字を書いたり低い場所に文字を無理矢理書いたり、黒板を上げたり下げたり、そういう運動をしていたわけだ。鍛えるという程には運動になってないけれども、マッサージ程度の効果はあるらしい。今日はパウリ行列の取り扱いから。どんな流儀の量子力学の講義であっても、スピンに入る頃からは線形代数との接点から逃れられなくなる。シュレディンガー方程式だけならば、関数方程式という「無限次元線形空間」を相手にしていることは、隠そうと思えば隠せるわけだけれども、どうせ教えるならば最初から隠さない方がいいんじゃないか?と思う。最初にバリアがあるか、最後にバリアを持って来るか、その違いだろう。

6 月27日、安物のダイヤモンド砥石は、使い始めには驚くべき切れ味を発揮するけれども、表面のダイヤモンドが欠けて行くと切れ味がどんどん落ちる。従って、最初の内に出た削りクズは大切に取っておくと後で「削り粉」として使える。切れ味が落ちた後も、砥石の表面には「丸いダイヤ」が並んでいるので、凸に飛び出た鉄の面は素早く削れる。ひとたび鉄の面が平らになると、後の進みは遅い。ついでに、削りくずが鉄だけなので、周囲を汚し易い。カーボン砥石の粗いものは、ダイヤほどではないけれども、「かかり」さえ良ければ速い研ぎが期待できる。また、砥石は削れて曲がり易いので、平面であっても砥石に「合う」場所が必ずあって、そこに加重を集中するとガリガリと研ぎが進む。うっかり削りすぎると妙に凹んで後で苦労するけれども。こうして、しばらくカーボンをかけたら、再びダイヤモンドで平面を確認する。このようにして、買って来た包丁の地鉄を削り、薄いハガネを残す作業中。そんな事したら、パッキーンと折れてしまうではないか?という心配もあるにはあるのだけれども、鍛冶屋さんに聞くと、好きなように研げばいいとのこと。ま、勉強するって、失敗を恐れていては駄目だということか。

6 月26日、とある新聞報道を教えてもらって、何かフに落ちない点が頭の片隅に引っかかったままなのである。その新聞記事によると、ある大学で、准教授が研究室の閉鎖を時限付きで「命じられて」過労死したのだそうな。この表現が、よくわからないのである。研究室の閉鎖って何だ?そんなことを突然大学が命令できるのか?もともと時限付きのプロジェクトだったのか?うーん、記事を読んだ側が、こんな疑問を持つということを記者は考えてなかったかもしれないし、考えていたとしても諸般の事情で書けなかったのかもしれない。それにしても、実験する研究室って大変だなーとつくづく思う。理論物理屋さんの場合、研究室の最小単位は「ひとり」だ。つまり、教員として雇われている間は、研究室が曲がりなりにも、ひとりぼっちであっても、存在するということ。こういう身軽さは、理論物理を職業として選ぶひとつの利点かもしれないし、ノンビリしすぎると私のような怠け者になってしまうという欠点なのかもしれない。

6 月25日、スピン角運動量とは何か?ということを、キチンと定義しようとすると、ドツボにはまる。平たくいうと「点に見えるものが持っている角運動量」ということになるだろうか。原子も、全体としては一つの粒子とみなせるから、原子が持つスピン角運動量という概念も当然あり得る。但し、スピン角運動量はその大きさが変わることは「あまり」考えないので、分子のように回転モードの自由度が表に出てしまうものにスピンという考えをコジ付けるのは良くない。陽子のスピンや中性子のスピンも電子と同じく 1/2 だけれども、これらの核子は複合粒子であることが知られている。複合粒子なんだから「励起された陽子」なんてものがあるはずで、これらは粒子としての名前は付いていないものの「共鳴状態」として一覧表にまとめられている。原子の励起モードとは異なり、複雑な多体系である核子の励起は、今もって謎の部分が多いそうな。核子のスピンはクォークから来る、と書いてある本があったら、それを丸呑みしてはならないようだ。一方で、電子はとても素直な点粒子だ。ミュー粒子もタウ粒子も同じく点「らしい」。特にタウ粒子は、生成するのも大変だから点かどうかの確認を本気で行うのはこれまた難儀 ...

6 月24日、ブドウの木は、あまり何年も育てなくても幹に風格が出て来る。年月を経たような、シブい色の皮が幾重にも取り巻くのだ。これを有り難がって「そのまま」鑑賞していた、これまでは。何とはなしに、農家の栽培日記を見ていると「皮はぎ」という作業が目についた。なになに、皮の間に虫がついたり、色々と病が潜むことが多いので、冬の間にむいてしまう?なるほど、無農薬だからうどんこ病が出たり葉ダニがついたりと、色々と悩まされるのだとばかり思っていたのだけれども、基本的な作業がひとつ抜け落ちていたわけだ。というわけで、遅まきながら皮を少し掃除した。大切な表皮まで剥けてしまうのではないか?と心配したけれども、それは杞憂であった。片付いたのは一カ所のみ。他の木はどうしようか、ヤブ蚊が出て来たから、虫除けした上で、日中に作業しないと。夕暮れ時に出向くと、見事に集中攻撃を受けるしね。

6 月23日、午後にスイカを食う。皮が残る。これをそのまま捨てると重いし、腐ると臭うかもしれない。できるだけ量を減らそう、というわけで、白い部分を薄切りにしてスープにする。ちょっと柔らかい瓜といった感じ。冬瓜と比べると、ちょっと味にクセがあるので、ピリ辛いソーセージをスライスして加え、ショウガ味の軽いカレースープにした。スイカの白い部分はザクザクと切れるので、包丁を握っていてなかなか気持ち良いのである。味わってみて、未成熟なスイカを野菜として食べるのもいいんじゃないか?と思った。そういう商品が、奈良漬けを除いて市場に出回らない所を見ると、外見はともかく瓜やキュウリに価格で太刀打ちできないのだろう。じゃあ自分で栽培するか?と、食べたスイカの種をまいても、あまり上手く育たない。根が弱いので、接ぎ木苗を買って来る必要があるのだ。ところで、最後の最後まで残ったスイカの固い皮は?あれは流石に食えない。ウサギさんでも居たら、食べてくれるかもしれないな。

6 月22日、港を出る船をぼーっと眺める。係留のロープを外して離岸、船主を島へ向けてエンジンの音も快調。驚いたのが、そこから先。エンジン音がどんどん上がって行く。数十人は乗れそうな大きな船なのに、放たれる音はモーターボート真っ青の迫力ある高速回転そのもの。あの船は客船ではなかったのか?と不思議に思って調べてみると、高松と大島と庵治を結ぶ「官有船」であった。乗船料金は、有り難いことに無料。海の上の道路というか、渡し船ということらしい。大島に療養所があるということも、実は初めて知った。今年は、瀬戸内で芸術祭が開かれることもあって、島に渡る人も多いのだそうな。ポツポツとブログ記事も上がっている。こうして高松港を眺めていると「生きた港」だと感じる。次々と、島々へ出航しまた戻って来る船が行き交う。港の規模は神戸の方が大きいのだけれども、大きな船は「神戸」から離れた場所に接岸して荷下ろしするので、「いわゆる神戸港」に出入りするのは、出航したらループを描いて戻って来る観光船ばかりなのだ。

6 月21日、キュウリは安い食材、といえば安いような気がする。箱で買うと一本一本はタダみたいに安い。一本づつの袋詰めになると百円くらいする。重量で勘定するとスイカの方がずっと安い。意味のない比較はともかく、キュウリは色々な調理方法が楽しめるという点で、夏場のおかずには必須の野菜だ。ちょっと時間があったら、細長く千切りにして酢にあえるとハリホリと美味しいし、薄切りで酢の物、スティック、蛇腹切りにする、斜めの薄切りを扇に広げる、細切れにしてコールスローみたいに楽しむ、あれや、これや。皮が固いので、包丁の研ぎの善し悪しもすぐにわかる。キュウリやトマトの皮に抵抗を感じたら、刃先の研ぎへ。時間がない時には、小さな天然砥石を手にして、刃先をサッとなぞるだけで切れが回復する。但し、そう何度もこの手が使えるわけではなくて、何回かやったら、本格的に研がなければならない。さて今日もキュウリ。

6 月20日、科学で大切なことの一つが論理、あるいは論理性。ロジックと横文字で書いた方が、より限定的な意味で頭に入るだろうか。研究にはディスカッションが大切だと良く言われるけれども、この対話もまた論理に即して行われるものだ。どこかで論理が破綻していると禅問答になってしまう。ありがちなのが、結論がいつの間にか仮定に化けているという循環論法。あるいは、公理や仮定がそのまま結論になってしまうという、何も議論していない状況も空しい。もう少し手強いのが、証明されていないことが論法の途中で登場する場合。「それは何?」と問いかけて行くと延々と元に戻って、定義が無いことを自覚できれば良いのであるけれども、大抵はうまく詮索できない。また、議論の最後の最後で公理あるいは仮定などについて質問が飛ぶこともある。それはごく初期に議論しておくべきもの、ではあるけれども、そこの理解の有無が明らかになるのは最後の最後という面もある。ついでに、論法が崩れている時には、元に戻らせようという努力も水泡に帰すのである。このロジックの感覚は、何才頃に身につくのだろうか?それとも天性のものなのだろうか?

6 月19日、雨が四方八方から降って来る。水たまりも多いので、下からもハネ上がって来るような感じ。これだけの雨が降れば、庭木などもしばらくは安泰。街路に植わっているアジサイの木を眺めると、花がついているものと、全く花をつけていないものがある。花がないのは、夏以降に花芽ごと剪定してしまったからだろう。梅雨の季節というと、カタツムリがよく出て来るという記憶がある。記憶が、と断るのは、最近あまり見ないから。単に、都会に住むようになったから見ないのか、それとも注意を払っていないから居ても見えないのか、その辺りはよくわからない。葉の裏には居るのかもしれない。堂々と散歩していると、鳥さんのおやつになってしまうよね。あの可愛いカタツムリも、庭木にとっては芽を食らう害虫。農業やってたら、迷わず駆除する所だけれども、今は「よそに捨てて来る」程度。捨てた先が迷惑がるだろうか?

6 月18日、水素原子の定常状態とエネルギー準位を説明した後で、状態間遷移と光子の吸収・放出へと話が移る時には、チョイと謎掛けをするのが良い。定常状態って、定常なんだから、遷移なんか起きないよね?と。この辺りをちゃんと説明しようとすると、当然ながら電磁場の量子化に立ち入ることになる。従って、謎掛けしておいて何なのだけれども、その先は「量子電磁力学を学べば自然と理解できる」ということにしておく。何が「自然と」じゃい!と怒られそうだな。そう一筋縄では行かないのは、例えば「禁止遷移」なんていう言葉遣いがあることからも伺い知れる。遷移が禁止されているのだから遷移しない、という用語じゃなくて、禁止遷移という遷移過程があるのである。禁止遷移が起きなければ禁止遷移の禁止かい?こういうのを禅問答という。物理屋さんは、そんな話が好きだ。たぶん。

6 月17日、包丁の切れ味が落ちて来たので、マルカ様にご登場願う。四角い砥石のフチに丸いハンコが押してあって、その中にカタカナの「カ」の字が押してあるからマルカ。高値で取引されているから、偽物が出回っているなどという噂も耳にすることがあるけれども、そういった噂の真偽はともかく、天然の砥石というものは実際に研いで確かめてみないと、その価値は定まらないものだ。良い、というか目的にかなった砥石は、その目的どおりに使うとバッチリ答えを出してくれる。今日も台所のマルカ様は、あまり時間がない中で、素早く刃先の研ぎを終えることに貢献してくれた。昔は、こういう天然の砥石で刀を研いでいたのだから、その根気に敬意を示したいものだ。粗い砥石から始めるにしても、あの長い刀を、機械に頼らずに手だけで研ぎ上げるのは気が遠くなる作業だから。そして、どんなに腐心して砥いでも、実戦で使ったら一発で刃こぼれしたり折れたりする。昔の人は気が長かったに違いない。

6 月16日、このページのサーバーを置いてある場所が今日は停電。サーバーは、停電後に自動復帰する設定にしてある。また、いつ電源が落ちても良いようにジャーナリングもかけてある。バックアップ中に落ちて「記憶内容全部パー」という事も有り得るけれども、複数のバックアップに順次アクセスして行くので1度に全部やられることは、まあないだろう。それよりも怖いのがクラッキング。そうなったら、サーバー捨てて、セキュリティーの厳しい専用サーバーを新しく立て直した方が早いので、HTML ファイルだけは別の場所にバックアップを取ってある。こうやって守っている web page の内容も、まあ浮き世のものであって、SNS と同じように時が来ればパッと消えてなくなるものだと心得ておく方が良いだろう。かのニュートンは世に3行の法則を残した、それだけ残れば御の字よ。(←その3行がニュートンのオリジナルかどうかは、よくよく吟味する必要があるけれども。)

6 月15日、風邪薬を飲んで、強引に症状を抑えての行動。さして副作用がないように見えて、座ると副作用がよくわかる。いつものように、ダレーッと座ると内蔵が圧迫されて気分悪いのである。座っていても、上半身はピンと直立、こうすると腹圧が減って何事もなし。ちなみに、副作用から逃れようとして薬を切らすと、途端にセキを我慢しなくてはならなくなる。セキ中枢を麻痺させているのだ、きっと。薬は、基本的には毒物なのだということが良くわかる。そして、ちょっと怖いのが依存性。このボーッと感は、何となくアルコール酔いに似たものがある。何日間か飲んで改善が見られなければ医者にかかれ、と書いてあるのは、様々な理由によるものだろうけれども、依存症防止の意味もあるに違いない。(と、勝手に解釈している。←個人の感想にすぎません、という逃げ。)

6 月14日、最近、あちらに行ってもゲホゲホ、こちらに行ってもゲホゲホ、乗り物の中でも近くでゲホゲホ、咳ばかり聞こえて来ると思ってたら、ついにウィルスを拾ってしまった。風邪のひき始めはインターフェロンが出て来るとやらで、ダルいのである。しかしながら、今日は昼からずーっと板書。段々と声が枯れて来て、板書の段取りも怪しくなって来た。しかし、もう6月も半ばである、今日は水素原子をひと通り説明し終えなくてはならない。ひと通り、というのは、量子数の物理的に詳しい説明は後回しにしておいて、ともかく微分方程式の固有関数を求めるという事のみを終えたということ。これから、またひと山、ふた山あるな。学期末には、少しくらいオマケで色々と解説できるくらいの余裕が欲しいものだ。

6 月13日、時々「あんたは、この分野のことヨク知ってるから、ちょっと論文原稿読んでみて」なんていう依頼が舞い込むことがある。これはまあ、付き合いみたいなモンだから、断れない。だいたい、気がつくことはコメントして差し上げる。そういう時に限って、しばらく経ってから、どこかの雑誌社のエディターからレフリーの依頼が届く。フタを開けてみると、過日コメントした、あの論文だ。こういう時には、一瞬だけど思案してしまう。簡単なのはレフリーを断ってしまうこと。でも、それは自ら「ポーカーフェースできませんよ」と白旗を上げているようなものだ。自分の中で、うまく公私を切り分けて、レフリーする(?)時には世の中の為にご奉仕する気持ちで事に当たるのが「物理職人」の技というもの。もちろん、職人たるもの、仕事を引き受け過ぎてはいけない。必ず仕事の質が低下するからだ。収入のない仕事ではあるのだけれども。

6 月12日、毎日眺めているものの変化には、なかなか気づきにくい。ナラ材の木工製品、よくよく買って来た時のことを思い出すと、最初は黄色がかった明るい色だったという記憶と改めて照合してみると、随分と落ち着いた色に変化している。写真は色を正確に反映し辛いものだけれども、周囲にある色が変化し難いものと比較することによって、経時変化を定量的に(?)把握することができる。じゃあ自分は?外見の変化は、木工製品の比ではないに違いない。しかしまあ、自分でマジマジと自分を眺めることはあまりないので、幸いなことに老化に気づかない。何とはなしに、このままの時間がずーっと続くかのような錯覚に陥っているわけだし、それは悪いことでもない。自由時間などという、有り難い言葉も、この辺りの鈍感と無縁ではないものだ。楽しい時間ほど、時計の針がどんどん進むわけだけれども。

6 月11日、携帯電話が普及した今でも、頑に「あんなモン持つモンか」と拒否し続けてはや十余年。何故かというと、着信という煩わしさの無いメールで済ませられることは済ませてしまえるし、数年前からは wifi 環境も整って来て、けっこう何処でもフリーの電波が来てるから、電話機能のない iPod でも持っていれば、そこそこ不自由しない世の中になったから。哲学は貫徹すべし、と思っていたけれども、幾つか「つまづきの石」に引っかかってしまった。まず、申請書類などに固定電話の欄がなくて、携帯番号を持っていないと登録できない、なんてことがある。もちろん、面倒な回り道をすれば良いのだけれども、2度3度と繰り返すとゲンナリする。また、メールを使わないという「マトモな商売感覚を持った人」も多い。チョイ電話する方が、時間を何分も使ってメールを書くよりも効率的なわけだ。相手が固定電話しか使わないという場合もまた同じ。地方の老舗に多い。色々とあって、もう観念せなあかん、と、思い始めた。ま、安いのにしとこ。

6 月10日、モノレールというと、ノンビリと走る乗り物というイメージがある。大阪モノレールも、直線は速いのだけれども、すぐカーブに差し掛かって減速するので、確かに駅間の移動時間はバスよりも随分と速いのに「速い乗り物」という感じはしない。どちらかというと、渋滞している道路を高見の見物でスイスイと通過して行く低空飛行の飛行船といった感覚だ。過日、東京モノレールに乗って、この印象は捨てることとなった。あの過激な走りは何だ、阪神電車のようにカーブも最小限の減速で進んで行く。一方、新幹線が速い乗り物だという迷信は、品川東京間では全く事実無根、いや、途中に停車駅がないから特急並みには速いにしても、在来線と並んで走る姿は新幹線ではない。ま、こういう事にいちいち引っかかるのは「おのぼりさん」の証拠なんだろう。楽しめる内に楽しんでおこう。

6 月 9 日、地面を散歩していたアゲハの幼虫を庭木に戻すと、ヘ音記号の形になってじーっと静止。前蛹という、蛹になる準備らしい。また別の場所でも幼虫を発見、その場にはもう餌があまりなかったので、これまた庭木に移す。こっちも、だいぶん育ったから蛹になる日も近いな。虫は人間たちとは随分離れた生き物だけれども、こうして日々進化の道を歩んでいる。その、生き物の進化というものの中では、トップバッターが次々と入れ替わって来た。今は人間が何となく頂点に立ってるような気分で居るわけだけれども、カラスが利口になって編隊飛行でもされたら、空を飛ぶ相手だけに、人々は逃げ惑う存在となるであろう。アゲハが利口になったら、いや、そのまえにカニが攻めて来るぞ!そういう平行進化って起きるんだろうか?

6 月 8 日、相談に乗るというのは、難しいことなのだ。使える知識を持ち合わせていれば解決の手助けも出来るものではあるけれども、当方に何もない時には自分で解決してもらえるように、話を聞く形で語るうちに相談者の中で整理してもらう。この場合の距離感の保ち方というのも、これまた難しいのである。君子の交わりは水のごとく、これは名言であって、相談するにもやはり水に流せるくらいの距離(?)がないと、溺れてしまう。かといって門前払いという訳にも行かない場合もあって、これは時間という形での距離を持って、つまり時が解決してくれるよ、というくらいの気持ちで事にあたらないと怪我をしてしまう。結局は自分が大切なのではないか?というと、全くそのとおりであって、相談者たるもの、まずは自分が安全な場所に居て地に足がついてないと、どうにもならないのである。

6 月 7 日、鍵とは何か?というと、まあ金属の棒に適当な溝が切ってあって、その上でギザギザと鍵のパターンが描かれているものだ。穴が並んでいる鍵もあるか。ともかくも、その表面の形状が関数であると考えると、正しく「開けることができる」鍵は、理想の鍵からある一定の誤差の範囲内にあるものだ。そういう類いの「ゆるい鍵」は、暗号の世界にもあるのだろうか?完全に正しいことは要求しないけれども、ハミング距離がある範囲内にあれば開く鍵だとか、とある関数の評価がある範囲に納まれば良いというもの。ああ、そうか、指紋とか血管パターンとか顔認識機能がそれか。そこで問題がひとつ。部屋の中に N 人いて、カップルの2人は同じ鍵を持っている。誰と誰がカップルなのか、パッと見つける方法はあるだろうか?鍵を比べるという作業で全てのペアを数え上げるのに必要な時間は ... なんてショーもないことを延々と議論して行くのが量子計算の量子計算たるところ。楽しいね?!

6 月 6 日、9月の学会の時期に、ちょうどマインツで研究会があるという知らせが入る。ついこの間、チューリッヒで会った面々が半分くらい講演者としてリストアップされている。でもまあ、この前のは数学に傾倒していて物理っぽい話は少なかったから、Quantum Many-Body Entanglement という視点で物事を眺めるのは、それはそれで違った視点からの意見交流となるだろう、そう考えたい。ええと、もし参加するならば、新学期が始まる直前に帰国となる。時差ぼけで迎える秋のセメスター、それは何だかハードな気もするけれども、耳学問というものは常々入れて「ふとヒラめく瞬間」に備えておかなければならないものだ、精進するか。さて日程を決めて行かないと。あそこはフランクフルトのすぐ隣、時間を無駄にしないことを念頭に置くとルフトハンザが唯一の選択肢となるかな。

6 月 5 日、ドナウ川があふれかかっているのだとか。昨年の夏は、そのドナウ川のほとりで、しばしボーっとして過ごした。その場所が今、濁流の水面下になっているのである。非力な川船では、あの速い流れに逆らって川をのぼることは不可能だろう。あの辺りは緩い山岳地帯だけれども、川のこう配が緩い。テーブルの上にコップの水をこぼした時のように、あふれた水はじーっと溜まってしまうのだ。知り合いには「大丈夫?」と連絡を入れておこう。もちろん大丈夫に決まってるのだけれども。天変地異といえば、オランダは大丈夫なの?というのは常々思うことだ。高速道路の上を水路がまたいでいる、なんて光景を眺めると、いつかは津波で全部水没するんじゃないかと気になってしまう。まあ、そんな事を言い始めれば、地球の上に安住の地なんか無くなってしまうかな。

6 月 4 日、一日中論文に手を入れる。時間が限られているので、ともかく集中して作業にあたらなければならない。時間は貴重である。ふと気がつけばもう6月、学期末も近くなって来た。学期末に向けての準備というのもあるし、講義中に受けた質問について、講義中に行った説明をまとめたようなレジメも作って配布した方が講義の効果も上がる。このような資料づくり等にも、もちろん時間がかかるものである。そして国際会議の準備だとか、書籍執筆だとか、あれやこれや。マトモに考えると体が幾つあっても足らないのである。ともかくも、時間を有効に切り分けて使わなければならない。あるいは、誰かの助けを借りるというのも、ひとつの手だろうか ....

6 月 3 日、日常の支払いやネットの利用料金など、どんどんカード払いにして現金の利用を減らしてみた。なかなか便利、と思っていた矢先に、思わぬ落とし穴が待ち受けていた。先々の国内・海外の出張に利用する航空券の予約を、カード払いしたらいつの間にか「利用限度額」を越えてしまったのだ。そのままにしておくと、まず通勤電車利用のカードから不払いになって、ブラックリストへ直行まちがいなし。何かで1度でも汚点を残すと、なかなか面倒なのが金融だ。慌ててカード会社に電話して、一時的に利用限度額を高くしてもらった。カード利用から引き落としまでの間に、ひと月ほどのタイムラグがあるので、実際は限度額の半分くらいがカード利用の目安かな、と思った一件であった。なお、今回の件は何ヶ月か分の出張に使う交通費をまとめて予約した関係で生じた事態であって、つねづね「カード利用額目一杯」使えるほどの手取り収入がある訳ではない。小学校から大学まで、おおよそ「先生」と呼ばれる職種の収入は大差ないのである、有名私立は別として。

6 月 2 日、天平の芸術は自由奔放、きっと舶来の文化を見よう見まねで採り入れて行ったのだろう、造形に喜びがある。四天王が踏んでいる邪鬼なんか、あのオムツのような下着がなんともユーモラスではないか。踏まれつつも苦しんでいるというよりは、ノンビリ愛嬌を振りまいている。朽ちかけた表面とは関係なく鑑賞価値があるというのが立像の強さだろうか。それとも人々が鑑賞価値を、視点を変えて保ち続けた結果なのだろうか。科学はどうか?というと、原典にあたればパイオニアの置かれた時代と、そこで何を考えたのかという面白さはあるのだけれども、結局は「ニュートンの3法則」などと超短く整理されたものだけが後世に伝わる。誰か、科学の古典鑑賞を意義付けして行く人が居れば、それなりに重宝されるだろう。その任にあたる余裕は、今は持ち合わせていないけれども。

6 月 1 日、丸亀町という場所が何処にあるかを問われて「高松」と返答するのは、たぶん地元の人だけだろう。丸亀と名前が付いたら、瀬戸大橋のちょっと西にある丸亀市のことを思い浮かべるか、あるいはそもそも高松市も丸亀市も何処にあるのか知らない人が大多数かもしれない。ともかくも、その丸亀町を久しぶりに訪れるとエラいことになっていた。ファサードの美しさでは JR 京都駅や JR 大阪駅を凌ぐかもしれない。ここは国際空港のショッピングモールなのか?と疑うほどのキラびやかさ。真価が問われるのはこれから。あの透明な屋根が曇って来るようでは先が知れている。管理に充分なお金を投じられるだけ、丸亀町が栄えることを祈るのである。

5 月31日、「カリグラフィー見て」と声をかけられて振り向くと外国からの研究員さんが嬉しそうに半紙を何枚か手にしている。なになに、日本語コースで習字をしたらしい。どれどれ、お、うぉっ、ぐぁぉおおオ〜ん!素っ晴らし〜い! 自由奔放、半分以上が黒い墨でにじんだような文字もある。「上手な習字」を習った我々は、ボテッと墨が落ちたら失敗として捨ててしまう。筆が滑ったりすると、これまた没。いやいや、全体がそんな風に色々な「変化」で満ちていれば、それはそれで楽しくて芸術となるのだ、ということを外国人から学ばせてもらった。また、画数の多い漢字を脈絡なく平仮名にして書かせるという「お習字スタイル」もなかなかイケてた。当然、そんなの漢字だよ、と思ってる所に「かん字」と書かれると、スッとエアポケットに吸い込まれたような気分になる。習字を見直そう。

5 月30日、世の中、中身がどうなっているのか良くわからないものが色々とある。その典型が積乱雲の中。そんなの、気象シミュレーションで大体のことはわかってるんじゃ?と言われそうだけれども、シミュレーションを行うメッシュの大きさを聞くと「中に突っ込んだらどうなの?」という疑問に対して、人々が納得する形で答え得るものではないことが容易に想像できる。積乱雲の中では「下から氷の塊が次々と飛んで来る」のだろうか、そもそもどんな大きさの氷がどういう速度分布しているんだろうか、乱流はどんな具合なんだろうか、それから ... 外側のモクモクした形だけでは、何とも言えないのである。ついでながら「積乱雲」と検索してみると、里中満智子のコミックがヒットした。表紙を見て中身が想像できるだろうか?

5 月29日、5メートルというのは、長さを表す物理量だ。5メートルの次元が「長さの次元である」という表現をすることもある。分解すると5という数字は5倍という係数であって、無次元の数字だ。長さの次元を持つ1メートルという「単位長さ」の5倍であることを示す、数字なのである。これらの点を念頭に入れて物理の本を開くと、「一辺の長さが x である。つまり x は長さの次元を持つ」という記述がスンナリと頭に入る。もしも「一辺の長さが x メートルである。つまり x は長さの次元を持つ」と書いてあれば、それは妙なことになる。どちらともつかない表記が「一辺の長さが x [m] である。つまり x は ...」というもので、この場合の [m] が単位を添えるものであるのか、それとも長さの次元を持つ量であることを注釈として加えているのかは、判然としない。論文を書く時には気をつけたい点だ。

5 月28日、漢字の部首の「のぎへん」に何か意味があるのか?と問われて、答えられなかった。ついでに「のぎへん」を正しく書くことも、充分に意識しなければ難しい状態に陥っていることに気づいた。日頃のクセで、ついつい数字の4のようなものを縦に2つくっつけた形に書いてしまうので、一点一画を疎かにせず書くのは難儀なことなのだ。元に戻って「のぎへん」の意味はというと、釈迦に説法の伝聞だけれども、稲のように実った穀物を表すのだとか。大昔に習った時には覚えていたのだろうか?これに限らず、漢字の部首は手強いのである。漢字は分解してしまうと、ほとんど意味をなさないし、それが逆に漢字という体系をここまで広げることができた隠れた仕組みなのだろう。

5 月27日、梅雨の時期は天気図を見るのが楽しい。いや、楽しむ順番は(1)まず衛星写真を眺める(2)レーダーの降雨情報を眺める(3)アメダスの気温・風向など眺める(4)天気図を想像する(5)天気図を見る。梅雨時に何が楽しいのかというと、予報官が自信を持って引いた梅雨前線の位置を確認すること。今日はなかなか手強かった。雲を見ると明らかに中国に低気圧がある。が、前線らしきものはハッキリしない。その代わりに、バルジ状の雲が大きく波打っている。うーん、まず低気圧がボンとあって、それは関係ない台湾辺りの、切れ切れの梅雨前線か?と考えてフタを開けると、天気図には前線の印ナシ。やられたー、そんなんインチキや!いやまあ、確かに、前線に対応するジェット気流が近くに無いのだから、線を引けなくて当然といえば当然なのだけれども。

5 月26日、酒心館へと散歩に行く。あそこは、神戸製鋼の土地のすぐ北で、もう海辺といった風情。昔はたぶん、酒蔵から船に樽を積み込んだのだろう。すぐ前の神社では、だんじり祭りをしていた。片側3車線「も」ある道路の真ん中を、だんじりが進むのである。自動車は、警官の誘導により迂回。なかなか面白い光景であった。さて酒心館で仕入れたのは石鹸。すぐに使っても良いけれども、ちょっと実験、目指すはアレッポのオリーブ石鹸のような、エイジングをかけたもの。市販の石鹸でコレをやると、往々にしてひび割れだらけになって砕けてしまう。釜だき石鹸は、割と割れにくい。表面が土色に変われば、熟成完了。何年くらい貯蔵しておこうかな。

5 月25日、土は園芸に欠かせないものである。しかし、園芸をやっていると、土がどんどん増えて来るのである。夏の内に育った枝葉が秋になって枯れると、ビニール袋に詰めて腐らせる。これを土に混ぜて、というサイクルを繰り返す内に、土が畑や田んぼのような感じになって来てしまった、そろそろ「ふるい」を買って来て、小石を取り除いたり、余計なクズを取り、更に細かすぎる粘土質をふるい分けて捨ててしまうなど、色々と考えなければならない。なるほど、人が住めば、その地はどんどん「土が積もって」高くなるはずだ、遺跡というものは、たいていは地下に埋まっている。その年月の差が高さの違いとして表れているわけか。

5 月24日、今頃が「夕暮れ遊び」の時期なんだろうか、夜遅くまで、というか朝まで学生さん達の笑い声が街のどこかから聞こえて来る。講義をしていても、金曜日の午後なので、なんだか周囲が開放的だ。天気もいいし、黒板にチョークの白い粉が張り付くほど空気も乾燥している。こういう日のアフターファイブは、優雅に遊びたいものだ。この季節を逃すと、後はヤブ蚊との戦いになって、なかなかテラスで延々とお喋りという楽しみが持てなくなる。そんな日本の風土にうまく合致しているのが屋上ビアガーデン。あそこまで蚊がやって来ないという点に、最初に着目した人はエラいものだ。そういうパイオニアになってみたい。

5 月23日、量子情報というのは面白い分野だと思う。何が面白いのかというと、何を研究すれば研究となるのか、それが良くわからないことが面白いのである。そういう状況なので、セミナーを行っている最中にも色々な質問が乱れ飛んで、そしてそもそも質問の意味を質問者も把握していないという場合もあって、語り手・受け手の双方で少しづつズレた討論が続く。そういう中に、何らかの価値が埋もれているはずだから耳を澄まして聞き入るのである、交通整理役の私は。まず始めに pure state と mixed state の違いは充分に頭の中に入れておかないと駄目かなー、そういう話と、統計力学で扱うアンサンブルという概念の接続点は、今もって怪しいのである。怪しいというと研究者に失礼かもしれない。素人が容易に理解できるような形式が整備されていないのである。さあ、当座は量子アンサンブル?

5 月22日、ジェット気流を縦に切って眺める図の「眺め方」を今までずーっと知らなかった。他の天気図とは見かけが全然違うので、圏界面くらいしか見えて来なかったのだ。圏界面ってなーに?という定義も、実はあまり知らなかった。そこで対流不安定性が終わる所、というぐらいしか考えてなかったので、定量的な定義があるというのを知ったのは新鮮であった。その定義が、常に気象の実態を反映しているかどうかは知らないけれども。元に戻ってジェット気流、あれに乗ると速い速い、対地速度は 1000 km/h を余裕で越えるのである。逆に真正面から吹けば対地速度が 700 km/h 台まで簡単に落ちてしまう。この差は大きいので、妙な気流に向かうことになった飛行機は、右へ左へ、あるいは高度を上げたりして難を逃れようとする。飛行機の中で、ジーッと気温と対地速度と高度ばっかり眺めている変人が居たら、それは私かもしれない。

5 月21日、時差もだいぶん取れて来た、と思いたいのだけれども、ふっと周囲の認識が途切れることがある。あれ、スクリーンを見ていたはずなのに、もう発表が終わっている。これではいけない、目を覚まして頑張る。こうやって無理して頑張ろうとすると、時に副作用が出て「用もない所で突っ込んでしまう」という傾向が出てしまう。副作用はそれだけではない、少しは蓄えておいた非常用の体力まで浪費してしまうので、再びドッと疲れる、悪循環というものだ。夕暮れになると、ちょっとはいい風も吹いて来たから、今まで歩いたことのない道を通って戻って来る。途中、人々の日常生活が垣間みれて面白かった。道端にどれだけ雑草が生い茂っているか、そんなことだけでも、何となく界隈の雰囲気がわかって来るのだ。

5 月20日、霧雨が降る時に傘をさしたものかどうか?というのは、東日本の梅雨時では典型的な問いの1つだろうと思う。仙台で過ごした4年と半、いつも東からというか、海からわき上がって来るような雲とも霧雨ともつかない天気に閉口したものだ。西日本の梅雨は時にシトシト、時に過激な集中豪雨。バケツの底をひっくり返したような雨の中では、もう傘もさして用をなさない。諦めてズブ濡れで歩く姿すら目にする。どっちのパターンであっても、雨粒というのはどこかから来て、自分の所までやって来るわけだから、自分のごく近くで「そっと押し分ける」ことができれば、SFみたいに自分の所だけポッカリと雨が降らないという状況も作り出せるはずだ。人類が傘をささなくなる日、これを夢見て何か基礎研究を始めようか。頭上の雨粒を実時間で観測し、運動を予測、そして逆に何らかの手段により弱い摂動を与えるだけなのである。どうかな?

5 月19日、日付が変わる。今回も、North Korea 上空を通過。迂回が少なくて済むのは良いことだ。そのまま真っすぐに関西空港へと到達出来れば申し分ない所だけれど、最後はやっぱり瀬戸内海と淡路島南を通って、南側から着陸となる。エールフランス便も、ほぼ同時に到着。関西空港に到着したら、何かお祭りをやっている。各国の観光局や、航空会社、日本各地の観光協会などがブースを出して、ステージではブラスバンドの演奏。特に格安航空が「キレイどころ」をズラリと揃えて、カメラ撮影に応じていた。朝早い内なので、まだ「本気モード」になっていないブースも多数あったのがチト残念。神戸には海を渡って戻って来た。ポートアイランドで国際会議があるらしく、ポスターの筒を抱えた外国人が何人も船に乗っていた。口々に聞こえて来るのが「何度乗り換えるんや?」という英語の文句。確かに、乗り換えの回数が多い。短い仮眠を取って、さあ残務整理。

5 月18日、今日は、気分的には「消える1日」である。時差の関係で24−7=17時間の1日となるからだ。朝6時に起きて、7時半にはホテルを離れ、トラムに乗ってチューリッヒ中央駅へ。そこでチョイと南へと足を運んで、まだ閉まっているグロスミュンスターとフラウミュンスターを外から眺め、橋の上から写真を撮る。今日は天気が良くて、アルプスが見渡せる。滞在最終日でようやく顔を出してくれた雪山を拝んで、駅に戻る。列車を撮影していると「フイーッ」という笛の音が耳に入る。発車の合図だ。慌てて列車に飛び乗ったら、すぐに動き始めて、空港に到着。ここまで来たら、もうスイスというよりはヨーロッパの交差点のひとつ、歩いているのが何処の人だか皆目見当がつかない。アムステルダムの乗り換え時間は1時間、チョイ短いような気がしたけれども、実際はたっぷり余裕があった。スキポール空港は年々便利になって行く。

5 月17日、ワークショップも最終日となる。最終日の発表で良かった良かった、内容の軌道修正をする準備もできたし、英語も少しは詰まらずに話せるようになって来たし。ついつい「サービス精神」を出してしまって蛇足に走るクセは、何語で話しても同じ、時間を浪費してしまうのだけれど、それもまた自分の講演スタイルだから今更どうにもならないのである。会議では互いの手の内を明かしておいて、まあ色々と発展できる可能性の中から次はどこへ行こうか?と思索したり、徒党を組んで何かに取り組もうとしたり、ともかく discussion というもののネタが尽きない。ついでに、廊下の端っこにカフェコーナーがあって、あらゆる階の隅であーでもないこーでもない、議論が尽きない様子を見学できた。研究スタイルも国によって色々、かな。

5 月16日、研究会で配られたのが、ます目の入った「わら半紙」みたいな紙質のノート。この薄います目は、けっこう役に立つ。図を描く時、数式を書く時、文字の大きさを揃えたい時。強いて欠点を挙げると「ななめ書き」したくなくなる点だろうか。この紙に、色々と数式や図を描いて、写真を撮る。パソコンに移して、画像の明るさを調整して、それから画像の一部を切り取って「講演のプレゼン」へ貼り込んで行く。手書きの文字がズラズラと画面に出て来るのも、これはこれで良いのである。プレゼンというと、何か奇麗に書かなければならない、という強迫観念があるようだけれども、いやチョーク一本でプレゼンする、その準備を頭の中で練る方がずーっと難しい。初めての講義を受け持つ時も、似たような感じだったろうか。

5 月15日、チューリッヒにあるスイス工科大学、ETH のキャンパスは何箇所かに分かれていて、今日向かうのはヘンケルベルグの丘の上にある物理系の建物。バスに乗る。一日有効なゾーン券が千円弱。これは、非居住者向けの「倍額料金」なので、地元の人が払う料金は5百円くらい、いやスイスは物価が高い国だから、3百円から4百円くらいの勘定になるのかもしれない。この路線は20年前に何度も通ったことがあるバス路線、勝手知ったる ... おっと、時刻を記入するのを忘れる所だった。ときどーき検札が回って来て、チケットを確認するから用心しておかないと。まあ、無賃乗車していても、定額の罰金を払えば「罪にはならない」というシステムだったっけ。長距離列車では「必ず」検札がやって来る。

5 月14日、常識というものは何を根拠にしてそう考えているのか、常々よく確認しておくものだと思った。関西空港を飛び立った飛行機から、航跡を確認していると、以前のフライトではウラジオストクを目指していたのに、今日のフライトはもっと南。そして「空を閉ざしている」と言われている、North Korea の上を堂々と横切ったのだ。今日たまたまそうなのか?ということを後で確認してみると、風向きによりけりだけれども、この4月になってからは1日おきくらいに横切っている。ともかくも、この短縮は有り難いもので、午後2時半にはアムステルダムに到着した。これ以上の時間短縮は、空港近辺での離着陸時の迂回や、地上滑走などを短くして行くほかない、と言えるくらい快適で速い旅だった。3時間、メールのチェックなどしつつ過ごして、夕方にチューリッヒに到着、バタンキューで寝た。

5 月13日、すごーく天気が良くて、坂道を上がるのも気分が良い。そのままずーっと散歩したい所をグッと我慢して、さて書類に向かう。研究者としての活動は、それを単独に近い形で行う場合には、自分でマネージメントもキッチリやる必要がある。つまり書類書きが待ち受けているのだ。書類を書いている内に新しいアイデアが浮かぶ事もままあるので、雑務ではなくて研究の一環と考えるべきだろうか。また、書いた書類は読む人が居るので、あまりいい加減に書いてしまうと、それは誰かに対して礼を失することにもなる。うむ、どうせ礼を失するならば、トコトンその方向を目指すというのも、一つの選択肢ではあるが。うまく行くといいけれども、下手をすると予算獲得のチャンスを失う。待て待て、獲得したいのは予算じゃなくて研究のアイデアなのだ、それを支える為の有り難い研究費を得る機会を大切にしよう、そういう話。自戒を込めて。

5 月12日、オクラを茹でる鍋を見ていると、茹で上がり始めたオクラが時々半回転しているのが見えた。オクラの内部には空気があるから、熱湯に浸かっている側が暖まると膨らんで、浮力の関係で半回転するのだろうか?オクラを取り上げてアスパラガスを投入すると、これまたクルリと半回転する。表面に気泡が付くのが浮力の原因らしい。浮いて湯から出た部分が、相対的に重くのだろう。いずれにしても、クルリと回り始めるというのは熱が通りつつあるサインなので、茹で上がりを見極める材料の1つとなる。この半回転、効率が悪いけれども熱エネルギーを回転へと変換する熱機関の1つである。もっと注意深く探せば、台所にも熱機関がいっぱい見つかることだろう。

5 月11日、円安がドコドコと進んで行くと物理屋業界に何が起きる?!ええと、ポスドクの給料を「節約して貯める」かどうかは意見の分かれる所だけれども、仮に貯めるとしたら外貨でもらえる欧米海外のポスドクが金銭的に有利だろうか。海外で節約するというのも、なかなか難しい技ではあるけれども。そうして頭脳流出が続いて「国内教員空洞化」となるか?いやいや、それも極論だろうし、たぶんそうはならない。ポンとサマースクールに出稼ぎに行くというのは、有り得る話だ。あるいは、競争相手だらけではあるけれども、英語で「売れる教科書」を書くという手もあるだろう。印税が外貨で入る。もちょっとセコい話になると、旅費の内で滞在費は「なるべく先方に持ってもらう」という節約術も、奨励されるだろうか。税金による投資の経済効果は国内で消費されてこそ有効なのであって、税金の支出が海外に向かうというのは、何となく納税の意義を損なっている気がするからだ。

5 月10日、昨日の晩、スーパーで見切り品に手を伸ばそうとしていると「西野さん」と呼び声が聞こえた。誰であっても、これは「教員の財布はカツカツ」という窮状を生きる現状を、見切り品に手を伸ばす行為で見てもらえるチャンス(?!)である、さあ!と振り向くと、そこに立っていたのは隣の大学でも働かれているオルガンの師匠であった。国公大学と私立大学で「貧しさの披露合戦」しても仕方ないのである。谷を隔てた2つの大学、クラブ活動など学生レベルでは交流も深いし、文系の分野によっては、教員も互いに知り合う機会があるようだけれども、理系や社会系は「あちら」には無い。私のような物理人間が関わりを持つとすれば、それは趣味を通じてとなる。有り難いことに谷の向こうには、パイプオルガンがある。時々、無料で演奏も聞かせてもらえるのである。聞く方は無料。弾く方に、どれくらいの謝礼が出るのか、その相場は?!理系のセミナー講師よりは高いんだと想像している。

5 月 9 日、こんにちは、と、さようなら。日本語を習う第一歩は挨拶から。これが意外と難しい。毎日使う表現だけに、これらの挨拶は、発音によってその意味合いが異なって来るからだ。銀河鉄道999のエンディングのように「さよオーならアー」と長く発音すれば、それはもう今生の別れ。「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」は、また来週の意味 ...。短く「サヨナラ」と言われれば「もう来るな!」ということ。普段は「さよーならッ」くらいだろうか。コンニチワの方は、このまま平たく読めば大丈夫なのだけれども、クセモノは「長いン」にある。すぐに次の「に = ni」の子音に吸い込まれてしまって「コニチワ」と発音され易いのである。また、漢語の後に助詞(?)が続く言葉なので、漢語と和語の間にある音のリズム(長さ)の違いがあって、それを守らずに発音すると「外国人っぽく」聞こえる。面倒なものだ。

5 月 8 日、自分が実験屋に向いていないと思う瞬間のことをアレコレと。大根をかつらムキにして、細長く切って、さあつけ汁を合わせようと思って容器に砂糖と塩を目分量で入れて、酢を注ぐ。いや、注いだと思っていたら、手にしていたのは酒の一升瓶だった。甘い酒ではダメ、仕方ないから煮切った後に酢を再び足す。美味しいには美味しいのだけれども、予定外のことで一手間増えてしまった。他にも、茶葉を急須ではなくてコップに入れようとしてみたり、最悪なのが茶筒を開けてそこへ湯を注ごうとしたり。幸い、注ぐ直前に気づいた。注ぐものが液体窒素だったらと思うとゾッとするのである。コンピューターだったら、壊れてもまあ本体がイカれるだけだから、今は数値実験のようなものを生業にしている。

5 月 7 日、量子力学にはシュレディンガー表示とハイゼンベルグ表示(と相互作用表示)がある。従って、あらゆる演算子にもシュレディンガー表示のものと、ハイゼンベルグ表示のものがある。その両者はユニタリー変換で結ばれる。そうそう、ハミルトニアンも演算子ではないか、従ってハミルトニアンにもシュレディンガー表示とハイゼンベルグ表示があることになる。その違いは? ... と質問すると、大抵の学生が沈没する。(相互作用表示に立ち入らなければ)時刻変化を記述するユニタリー変換は、どっちの表示でも同じ物になるし、ハミルトニアンは(経路積分的に考えた)ユニタリー変換の微小な生成子にすぎないから、表示がどうのこうのと言っても仕方ないのだ。但し、ハミルトニアンを「演算子の組み合わせとして数式で表す」なんてことを考えると、どの表示の演算子を使うか、決めておかなければならない。そういう「書き方の問題」として、ハイゼンベルグ表示のハミルトニアンとか、シュレディンガー表示のハミルトニアンという言葉遣いをする文献もある。混乱を招く原因となるので、あまり勧めはしないけれども。

5 月 6 日、またまたパソコンの話。切り替えたパソコン、とても速い。何が速いのかと思いきや、CPU もさることながら、ハードディスクが無くて主記憶が SSD なのだ。OS を格納するドライブを RAM ドライブすれば「超高速」になる、というのは良くしられた裏技。大昔のパソコンを引っぱり出して来て、RAM ドライブ化すると、感激のスピードを叩き出すのである。(但し jpeg 画像の展開など重い作業は別。)あれに近い感覚だろうか。ということは、デスクトップパソコンも主記憶を SSD 化すれば、日頃の「待ち時間」というものが、かなり軽減されるはずだ。特にスリープしている HD は起動に時間がかかる。最近は SSD も安いし、寿命があるとはいえ壊れた経験ないし、この際、ドバッと全て SSD 化してみるか?

5 月 5 日、連休明けには、またまた文書を書く仕事も次々とこなさなければならないので、仕込みをした。とはいっても、文案を練るとか、構想10年とかいうヤツではなくて、毎日目にするパソコンの画面。アチコチから良いという噂を聞く Rettina ディスプレイのノートブックに切り替えた。おお、凄い、アウトラインフォントというものは、フォントうは、いや本当は、あんな風に角が立っている文字だったのだ。今までボケボケのものを眺めていたわけだ、よくン十年も我慢できたものだ。いやいや、待てよ、NeXT Cube の文字は結構奇麗だったような記憶があるし、デザイン用に用いる CRT ディスプレイは「ドットが四角く見える」という話もあった。機材それぞれに注ぐ費用というものが今とは比べ物にならないけれども、毎日使うものに安物を選んではいけないと思った。

5 月 4 日、連休中の大学にヒョッコリ顔を出すと、何人かの学生さんが普段どおり頑張っていた。そうそう、思い出してみれば、自分も院生の頃は祭日や夏休み冬休みにも研究室へノソノソと出没して、同じように集まって来る友人達と顔を見合わせていたなー。そんな「明るい?休日の研究室」に、就職したクラスメートが「給与をもらう社会人」として訪問することもあった。若いっていいモンだ、互いに「向上心丸出し」で近況を語り合うのであった。そしてその、有給の旧友が去った後で、研究室の「明るい?面々」たちは、ますます燃えるのであった。(←昔の記憶なので多分に美化されている ...)

5 月 3 日、かれこれ30年はボチボチ付き合っている手持ちのクラシックギターは、良く知られたM工房の作。いわゆる量産品で、手工クラスのものではないけれども、丁寧に弾けば良い音が出る。難点は高音域が弱いことと、バカ鳴りする音があること。どちらもクセを予め知っていれば何とかなる。さてこのM工房の職人さん、ごく近年に他界されたらしい。ギターはまだまだ進化途上の楽器で、造る人ごとに内部構造がかなり異なる。同じタイプのものは、もう手に入らないのかもしれない。これからも、大事に、遠慮なく弾いて行こう。それはそうと、ちょっと前に、楽器屋で試奏させてもらった百万超の楽器、あれは楽にいい音が出た。貧乏暮らしの私は手を出せないものだ。

5 月 2 日、「いらっしゃいませ」とか「いってらっしゃ〜い」という言葉は毎日のように耳にする。文法的に説明してみよ、と問われると、答えるのは至難の技だ。文法的な説明には2通りの立場があると思う。歴史的な経緯、言葉の変化を重要だと考える立場と、現代人が自分たちの言葉を「ありのままに」見つめる立場。後者に立つならば「らっしゃい」とか「んしゃい」とか、そういう動詞の接尾(?)に着目して、類例を多く集めて判断することになる。生まれてから今日まで、そのようにして日本語を覚えて来たはずだ、頭のどこかに「らっしゃい」の蓄積場所がある。段々と情報がスパゲッティーのように絡まって来ると「ナントカしてらっしゃい」の形、例えば「食ってらっしゃい」なども許容範囲となって来る。言葉って、いい加減なものだ。

5 月 1 日、物理学者は「おおよその話」が好きである。日本の資産は、金融資産が1千兆円くらい、不動産がやはり1千兆円くらい。単純平均すると、1人頭で一千万円づつ。国債の新規発行額が毎年50兆円で、発行したものを元に戻してしまおうとすると、1人頭にして50万円分くらいの「先送りした隠れ負担」となる。景気が良くなって税収が増えれば自然に埋まるという話も、よく考えれば最終的には税金として「誰かが」負担することになるのだ。埋まらなくて通貨だけ膨らんだ状況になると、貨幣価値がやがては落ちて行く。一見すると「富める者が損をする」という風に見えるのだけれども、商売は回転が勝負だから、富める者は借金を抱えるのが常。日本で一番借金を抱えているのは、どこ???

3 月と 4 月の1行日記