5 月と 6 月の1行日記  

4 月30日、えーと、今週は金曜日の授業があったっけ、無かったっけ? と思ってカレンダーを見る。ああ、祭日爆弾に見事的中。なるべく進んでおきたかったけれども、祭日では仕方ない。もちろん、学期初めに確認してあったことではある。ただ、毎回の授業で「積み残し」が出来たりすると、早い時期にクリアしてしまいたいと思ってしまうわけだ。今日の積み残し、あるいは疑問点の整理は、来週やるしかない。それにしても、講義ノートは見れば見る程、新しい「穴」が見えてくるものだ、サッサと埋めて来年に備えなければ。そうすると、来年は来年で「新たなる穴」が見つかるのだけれども。

4 月29日、海沿いの土地は、どこまで誰が立ち入っても良いのか、あまりよくわからない。ふらーっと歩いていると、いつの間にか貿易会社の荷下ろし場になっていて、その辺りに「立入禁止」などと書いてあったりする。その海側はもっと不思議な空間で、海は海なんだから誰が泳いでいようと良いようでもあるし、倉庫の近くでボートをウロウロさせると破壊工作船とかドロボウのようにも見えてしまうだろう。こういう、一見すると権利関係が曖昧な所にも法律の効力は及んでいるはずで、専門の弁護士さんにかかると立て板に水で説明してくれるのだろう。道路もそうか、時として座っているだけで逮捕されることもあるとか。

4 月28日、そろそろヘクソカズラが芽を吹き始めた。あれは伸びるのが速い、伸びた先で丸い節を作って強く根を張る、そこから分かれて四方へ増える。生え始めるとロクなことがない。ススキも顔を出し始めた。これまた、油断して穂をそのままにしていると、種が飛んで翌年には可愛いススキが芽を出す。可愛いからといって放置すると、その場所で宿恨して年々強くしげる。じゃあ完全に放置すると、どうなるのか?山で観察してみると、このようなシブトイ植物にも生存競争は厳しく、最終的には木々やクズに敗れ去るようだ。

4 月27日、塑性変形と弾性変形という区別は、工学的に重要である。と、書いておいて何だけど、その間に相転移のようなハッキリとした区別があるのだろうか?何となく、ある臨界温度以下で弾性変形と塑性変形に区別が生じるようなイメージがあるけれども、dislcation の移動などの構造的な背景を考えれば、ガラス転移のように連続な変化が巨視的には相転移に見えているだけのような気もする。いやいや、ガラス転移もそんなに簡単なことではないか。うむ、頭を柔らかくして考えてみよう。既に先人の知恵がアレコレとあるはずだけど、まあ、しばし思索を楽しむ。

4 月26日、突然ゴロゴロと雷が鳴って雨が降る。あまりに急なことだったので、音を聞いても最初は雷とは思わなかった。その辺りで、スチール家具を運んでいるのだろうと思っていたら、雨がザーっと。ビショ濡れになって走る人も居たことだろう。その雨はサッサと去って、再び晴れる。しばらく後に、天気図を見ると高層に切離した寒冷低気圧がゴロンと構えている。これが、前線を伴った地上低気圧と一体化しないのが初夏の天気の特徴。いつまでも居座る切離低気圧のまわりを、グルグルと小さな地上の悪天候が巡る、そんな天気がしばらーく続く。それが過ぎ去ると、いよいよ梅雨だ。梅雨前線を天気図から読み取る訓練を積んでおこう。あれは難しい ...

4 月25日、新しい環境へと進まれた方々が、そろそろ「お客さん」ではなくなるのが今の時期。研修しているようであっても、実質的にはもう何らかの「働き手」となっている。例えば、不慣れな新人を見守る周囲の人々を知らない内に育てているなどの影響も、その中に含まれるかもしれない。大学院という研究環境では、いつの頃から「働き手」となるのだろうか?これは、本人が「働いている」と実感することもあれば、単に学習研究を楽しんでいるだけなのに、周囲から見てカッ飛んだ成果となって「働いた実績ができてしまう」こともある。平均的には、博士課程に在籍している間のいつの時点かに、その「働き始める」時期があると思う。大切なのは、何か意味がありそうだと感じることに自分の理解が及ばない時、ちょっと時間を割いてよく考えてみることだ。

4 月24日、天ぷらと寿司、かなり対局にあるような料理だけれども、カウンターでお任せにした時に出て来る順番には対応があるような気がする。和食はどれも懐石と影響し合ってるから、段々と似通って来たのか、それとも単純に味わいの順番から必然的にそうなったのか、その辺りはよくわからない。両方やってる店も多くて「寿司天ぷらコース」とか「天ぷら寿司コース」というのもお目にかかることがある。もちろん、均等に出てくることはあり得なくて、天ぷらのオマケで寿司が出るか、寿司の途中で軽く天ぷらを味わうか、どちらか。それも、胃袋に自信がある時だけ。疲れてる時には、軽く好みのものを食べて、ものの30分くらいでサッと立ち去るのも悪くない。

4 月23日、同じ距離を歩む場合でも、変化のある景色を楽しみつつ歩くのと、延々と真っすぐに続く道を行くのでは気分的な距離が違う。高速道路の高架下を歩くというのが最悪のパターンだろうか。地下道は、意外と楽しい。例えば梅田から天王寺というのは、たいした距離ではないのだけれども、御堂筋脇をずーっと歩くのはハッキリいってしんどい。但し、ホコテンになってる時だと、更に真っすぐ見通せるのに、とても気分良く進める。不思議なものだ。強引に「学問」に話を振ると、真っすぐ見通せる時には、見通せる所までは一瞬で進んでしまう。そこから先は努力に見合わないとしか思えないくらい、全然進まない。トロトロしている頃に、脇からスッと抜かれてしまうのだ。発想の転換あるのみ。

4 月22日、神戸は坂道だらけ、東西でも南北でも、上り降り自在に歩けないと移動に難儀する。そういう所で日々過ごしていると、各地の「なんとか坂」という名前のある坂道を歩く度に「あれ坂道なの?」という印象を繰り返し持つことになる。とは言っても、坂道は坂道なので、始まりから終りまで「平地のごとく」息も切らせずにスタスタと登り切って、初めて自分なりにその地を制覇したことにしている。今日もひとつ挑戦して、難なくクリア。なお、宗教的な修行で定められた坂道は、段違い、いや桁違いにハードなので、ひとまず目標からは除外している。郷里の大先輩・弘法大師様は超人と表現するほかない。日々の積み重ねで足腰が鍛えられたら、そのうち挑戦してみたいものだ。

4 月21日、先日難儀した、レンコダイの扱いを色々と教えてもらう。塩焼きが一番いいとのこと。さばいた身が柔らかい時には、少し塩か昆布で締めると身が扱い易くなるけれども、塩の振り過ぎは味を損なうと。アラから取ったダシで鯛飯も美味しいそうだ。スーパーで夕方に安売りしているようなものでも、ちゃんと処理して締めると生食できるのだそうな。新鮮な車エビの頭を軽く唐揚げしてから、焼いたものも美味しい。パクパクッと、20分くらいで近場の魚介を食べる。うまいモンはゆっくり味わって食べる?いや、サッサと食べるに尽きる。

4 月20日、研ぎを始めると、台所にある「あらゆる包丁」の「あらゆる所」が気になって来る。刃は多くの面で構成されていて、小さいからと言って放置して良い面がある訳ではない。アゴの裏など、よくサビが出ているものだ。また、刃でない角は何処も丸くなければならない。これらを丁寧に削って磨くと、刃という鉄の塊が絹のような滑らかさを感じさせるようになる。柄と刃の継ぎ目には、充分に油か接着剤が流れ込んでいる必要がある。柄は磨いてあるのが良い。白木のままが使い易いけれども、痛み易いので磨いてオイルをかける。刃とのバランスが崩れていたら少し柄を短縮したり、削ったりする。色々といじっている内に、包丁というよりもナイフのようになった。使い易くなったかどうか、それは怪しいものだ。

4 月19日、レンコダイが安売りになっていたから、包丁の練習も兼ねて5匹拾って来る。さばいてみると、安い理由が良くわかる。放血していなくて、エラと大動脈に血の塊が。また、マダイに比べると身が柔らかい。どうしようかなー、と思案して、とりあえず煮付ける。アラは良く洗ってダシを取る。このダシが濃かった、これだけ濃い味が出るのだったら、湯をかけた後でもっと洗っても良かった、今後のために覚えておこう。ちょうど出刃包丁がメンテナンス中だったので、調理には万能包丁を使った。見事に刃がギザギザになってしまったので、研ぎ直す。無駄に包丁を研ぎ減らした気がする、やっぱり出刃は2本持っておく必要がある。

4 月18日、セミナーで、情報とは何かと聞かれてハタと困った。何か文字列で、もう少し数学的に言うと何らかの集合の元の並びとして表されるものについて、情報の量を定義することは可能だけれども、だからと言って情報が何かという質問に答えたことにはならないからだ。また、例えば連続関数が区間 [a, b] で持つ情報の量というのも定義できない。簡単な多項式と、込み入った関数では「代数的に簡便な記法があるかどうか」という、とあるエントロピーに関連した議論が出来ない訳ではないのだけれども、それでも情報って何ですかと聞かれると答えようがない。受け渡せる「何か」か ...

4 月17日、コンピューター言語がどんどんオブジェクト化へと向かうのは必然的な流れ。画面上にホイッと図形を描いてマウスで動かせるのもクラス・ライブラリーあってのこと。この便利さの反面、初心者にはコンピューター言語が、どんどん取り付き辛くなって来ている。高校の教科書に書いてあるのは確か BASIC だったっけ、あれくらいの単純なコードから書けるオブジェクト指向言語があればなー、と、思う。もちろん、何でもかんでも省略できるように環境を組んでしまうと、プログラマーの意図に反する動きを生じかねないから、それは要注意。それとも、あれかなー、ゴリゴリにオブジェクティブな言語でも、何がどのように動作するのか、またスコープがどうなっているのか等が「透けて見える」ような Edit 環境を準備してあげるべきなのかなー ....

4 月16日、デジタル時代のテレビ、何でも繰り返し再放送している。フランダースの犬もチラリと目に入った。そうそう、アムステルダムのスキポール空港では、巨大なチーズが売られている。一見すると、あれ、機内持ち込みダメなんじゃないかと思ってしまうほどだ。1度、試したことがある。チーズの重い袋を抱えてゲートに向かう。何事もなくフリーパス。それはそうか、空港の中で売ってるんだから。また、検疫や税関にひっかかるんじゃないか?とも思ったけれども、検疫済みのシールが貼ってあれば合計何万円か(←額は時々改訂される)を超えない限り免税。最大の問題は持って帰った後の「冷蔵庫」であった。貧しい暮らしゆえに、小さな冷蔵庫を使っているのだけれども、それがチーズで一杯になると、毎日チーズを食って暮らすしかなくなる。今度あそこを訪れたら、再びチーズに手を出すのだろうか ...

4 月15日、八重桜がキレイに咲いている。見た感じは、枝に桜餅がぶら下がっている状況そのもの。その近くの緑地も、下草が色とりどりの小さな花を咲かせている。近寄ってみると、うーん、こやしが ...。犬の飼い主さん達、なにも人が近寄りそうな緑地でわざわざ用を足さなくても、その辺りの裏でしてくれればいいのに。いや、奥の方も要注意だ、ある緑地で下草刈りしていると、けもの道の先にこつ然と「山」が出現したことがあった。大型犬の、毎日のトイレになっていたらしい。今年はきっと、その辺りで野草が茂ることだろう。茂みには近寄るべからず。山菜なんかも、充分に洗って火を通すべし。さあ、ともかく、ヤブ蚊が出現する前に、下草刈りに一応のケリをつけておかなくては。

4 月14日、書類書きのために、と称して、休日の大学にやって来る。何やら、妙な学生が何人も、他人の視線を注意するように建物の影に隠れて移動している。これは窃盗団なのではないか?「見たな、コロス!」と銃を向けられたらどないしよ ... という雰囲気でもない、女子学生も混ざっている。どこかのサークルが、大学の中で「鬼ごっこ」みたいな遊びをやっているのだった。全速で走って逃げる女の子を、後ろから男子学生が追いかける、そんな光景も。そして、逃げ足の方が速い。子供だったら、遊んで楽しかった、おしまい。彼ら彼女らは、きっと第二部「うちあげ」でも楽しむに違いない。さあ、書類書き、書類書き。

4 月13日、出張する時のホテル探し、色々と方法がある。とあるカードサービスに、法人契約で全国のホテルの空きを確保しているとか何とかで、宿を安価に安定供給できるというオマケが付いているので、試しに幾つかのホテルを探してみた。ちゃんと部屋の候補が出て来て、価格も表示される。さて、ホテルのサイトに直接アクセスして、同じように価格を調べてみると、ホテル側が提示している方が安い。うーん、まあ、色々と条件が異なるので直接比較はできないけれども、世の中何事であっても、説明書きをそのまま飲み込んではいけないようだ。

4 月12日、コーヒーフィルターが切れて以来、茶こしでコーヒーを入れている。味わいはというと、ギリシア料理店で出て来るコーヒーに近い粉っぽさがある。コーヒーは豆なので、粉はガスが抜けて水分を吸えば沈む。伝統的には、この給水過程を沸騰・冷却・沸騰と温度サイクルで実現して、コーヒー粉を沈ませて上澄みを飲む。温度変化を嫌うならば、圧力を変化させる過程でも良いか。そう考えればエスプレッソもまた、コーヒーの歴史を引き継ぐオーソドックスな抽出法に見えて来る。茶こしに入れると、何となく「もう1度薄いコーヒーが飲めそう」な気になる。確かに、無理矢理お湯を注ぐと何やら色水が出る。西部劇でヤカンから注がれる「出がらしコーヒー」は、こんな味だったのだろうと思わせるものだ。おっと、あのヤカンに放り込むのは、浅い煎りの豆だったか。

4 月11日、書類を仕上げるぞ、書類を仕上げるぞ、書類を仕上げるぞ、と、思う矢先から、次々と書類が降って来るのである。抱え込んではいけない、次々と片付けるのみ。さて、通勤の途中など、地域の小学生達と一緒に横断歩道の前に並ぶことがある。特に新一年生が含まれる時には、黄信号への駆け込みだとか、赤から青になる一瞬前(←ということにしましょう)に横断を開始したりしてはイケナイ。信号が青に変わったら、模範的に、まず右を確認して、左を確認して、もう一度右を確認して、よしOK、さあ!... と足を踏み出すと、既に向こう側から横断して来た人と衝突の危機!、前もちゃんと確認しなければネ。もっと怖いのが、十字路で後方からやって来る右折車。対向車に目を奪われていることが多くて、よーく確認しておかないとホントに接触しそうになる。接触しなくても、びっくりして腰を抜かすご老人もいらっしゃる。さほどに、横断歩道「は」危ないんや ....

4 月10日、昨日の作業の続き。内蔵ハードディスクが「微妙に」壊れた、困ったマシンが一台あった。記録や読み出しが可能は可能なのだけれども、想定される何十倍も遅いのである。フォーマットしても効果なし。信号の授受にノイズが乗っていて、何回も読み直しをしているとしか思えない。そこで、パソコンをカパッと開けてハードディスクを撤去、外付け USB に OS をインストールする。この外付けも、過去に1度熱暴走した「いわく付き」のものだ、あまり信頼してはいけない。バックアップは必須である。ともかくも、こうして一台は復活。少し気になるのは、あの「微妙に」壊れて取り出したハードディスク。ひょっとすると、別のスロットに差し替えるだれで、完全動作するのかもしれない。1度ためしてみよう。

4 月 9 日、パソコンの耐用年数は、電卓のソレよりも随分と短い。一番やられ易いのがハードディスク。ディスプレイも結構弱い。キーボードの耐用年数は、使い手次第だろうか。これは、パソコンというものの進化が激しくて、壊れようと壊れまいと、何年か経つと存在意義が薄れるという実情があるから、別に2〜3年で壊れる製品がポツポツと出ても問題ないということなのだろう。論文を書く道具として考えるならば、10年前のパソコンでも「動けば」立派に使えるのだから、もうちょっと長持ちしてよ、と、思うこともある。特に、新学期になって、研究室のパソコンを右へ左へと動かす作業中に、思わぬ故障に遭遇すると、「もう壊れたのか!」とゲンナリすることが多い。

4 月 8 日、未来少年コナンに出て来る、不思議な都市がある。その名もインダストリア。そびえ立つのは三角塔という大きな建物。むかしアニメを見た当時は、あんな絵空事のようなビルと思ったものだ。では21世紀の現代では?あります、あります、世界のアチコチに三角形、あるいは3棟が組み合わさったような高層ビルが。ご丁寧に、いちばん上部にヘリポートまで付けてあるものは、まさにコナンの三角塔。ということは、その近くの地下には、ギガントの格納庫があるわけですね。あのギガントのエンジンも、昔みた時には、あんな葉巻みたいなの、と、思ったものだ。最近のジェットエンジンは、段々とアレに近い形になって来ている。恐るべし、アニメあなどるべからず。

4 月 7 日、エビの頭、ええと、あれは正確には頭の部分は先っぽだけで、殆どの部分は昆虫などの「胸」に相当する部分だったっけ、ともかく、そのエビの頭はドロさえカンでいなければ、そして鮮度が良ければ美味しく食べられる。車エビの頭は特に美味しい。じゃあ、伊勢エビとかロブスターは?濃厚な海老ミソの美味しさは良く知られている。でも、それ以外の頭の部分は、固くて「ダシ汁を出すしかない」と思い込んでいた。ヒゲや脚を動かす筋肉が、カニのように少しは付いていると教えられて、バリバリと殻を割ってみると確かに身がある。悟ったぞ、これから伊勢エビの頭が出て来たら、両手でバラして身を楽しもう。たとえそれが、結婚披露宴の最中であっても。こんな事を書くからか、最近、まったくお呼びがかからないけれども。

4 月 6 日、春の嵐、去年の強烈な嵐の記憶が新しいので、とても警戒していた。しかし、当日朝の実況をアメダスなどで見ると、日中は上空の気流と地上付近の前線の対応がイマイチで、発達も限定的に見えたので外出する。この判断、まあまあ当たり。雨は時々降ったけれども、横殴りではなかった。夕方に戻ってから、暖域を抜ける線状の降雨の後で空は晴天となり星が見えた。ここから風が強くなり始める。アメダスを再び見ると、九州には寒気が入り始めている。たぶん、朝方にかけて、何度かパラパラと雨が降りながら、気温が下がって行くだろう。その頃、首都圏がどんな嵐に見舞われるか、それは定かではない。

4 月 5 日、暗い所で写真を写す時には、三脚があってもブレることがある。持ち運びできるような三脚の脚では、ちょっとした風などでグラグラと揺れてしまうのだ。こういう場合には、その辺りの固定物にカメラを乗せて写真を撮る。好きな方向にレンズを向けるのは難しい。鉛筆をはさんでみたり、アレコレと涙ぐましい努力をする。時として使える救世主が双眼鏡。ほら、観光地でニョキッと立っている、コインを入れると見える、あの双眼鏡。あの台は凄く丈夫。そもそも、何か見るものがあるから据え付けてあるわけで、カメラを乗せて写真の撮り放題。時々、双眼鏡を使う人が居ないか気にする必要はあるのだけれど、夜にコインを入れてまで遠景を見たいという人は、滅多に居ない。

4 月 4 日、とあるお菓子売り場で配送を頼む。働いているのは3名。店長さんらしき人物はひたすら商品管理。応対してもらったのは新人さんらしい方、そして新人さんの配送処理を逐一助言する常勤スタッフらしき方がひとり。新人さんは、ほとんどナチュラルな日本語を話すし、容姿も日本人そのものだけれども、よーく言葉の隅々まで耳を傾けると外国人であることがわかる。とても丁寧に物事をゆーっくりこなして行く姿に、先輩のお2人がじーっと我慢している。その気持ち、実によーくわかる。処理が終わって支払を済ませ、「ありがとうございました」と3人揃って見送ってくれた時に、店長さんにシブい笑みを送ると、向こうも口が「への字」の笑顔を返してくれた。新人は褒めないと育たないからねー。

4 月 3 日、加速の速い電車は?数字の上でも、実際の運用でも、国内の現役電車では今の阪神電車(の青い方)にかなうものはない。但し、乗車していて加速を強く感じる電車という意味では、東京の近郊電車もよく引き合いに出されるし、実際に乗車するならば加速を意識していないとヨロめいてしまう。これは何故かというと、阪神電車は加速度の変化が緩く、またダイヤ的に強く加速する必要のない区間では本気を出さないので、たまたま乗った車両で「ヨロめく加速体験」をすることがあまりないのだ。一方、東京近郊では線路を酷使していて、加速中にも左右に振られるし、予告なく急加速急減速する。要するに使い方が荒っぽいのだ。ま、その分、運賃が半分くらいなんですけどね。

4 月 2 日、桜は先週末の咲き始めが一番美しいと思っていたけれど、今日の曇り空の桜もなかなか良い。大学に植えてある桜が見事で、研究室からも見事な枝振りの桜が見えるので「花見」に行くという気が起きないくらいだ。さあ、今日は火曜日だし、プレプリントサーバーに論文の投稿がゾロゾロとあるぞ、と、意気込んで読みに行くと、あら閑散。そう、先週末がイースターだったから、西欧の皆さんはイースター休暇中。東方教会は日が違うんだったっけ?日本は今週が企業の新年度スタート、来週からは学校の授業もスタート、今期の授業で復習プリントの手渡しを心がけようか。意気込みだけで、計画倒れ、桜のように散るかもしれないけれど。

4 月 1 日、新年度になる。この時期、人々が大移動するということを失念していた。どこへ移動するにも、なかなか切符が手に入らないのである。こういう場合には、最後のドン詰まりにコロリと出て来る空きをすかさず確保するという賭けに出る手もある。それに失敗したら、まあ、通常料金で「自由席」ということになるか。最近では新幹線も速いし、時間がなくなったら大阪空港に駆け込むという手もあるし、まあ、どうにでもなるか。前泊するかどうか、というのも考える所。昔は徹夜移動なんかしたけど、今それをやるとイザ仕事という時になって眠気がやって来て使い物にならなくなる。どこに居ても日常を崩さないように心がけよう。

3 月31日、幾つもの作業が重なっている。こういう時に、平行して全てを同時にこなそうとすると、パソコンと同じようにフリーズへの道を歩む。今日はエイヤーっと1日をM系列乱数に費やす。この乱数の生成の具体的な方法はとても単純で、昔は電子楽器のホワイトノイズ生成にも良く使われていた。(今はサンプリングが主流になったけれど。)問題は、その原理。係数が0か1しかない多項式の加減乗除は、20歳の頃に1度習ったきり忘却の彼方へ。そんなものが、目の前の乱数発生に関係あったのだと、今頃にしてようやく復習することになった。ついでに、方程式の解を使った代数拡大という、今まで何気なく使っていた数学の道具も仕入れ直した。複素数的な意味において、この「解の正体」がハッキリしないのは気になる、でも気にしても仕方ないのだけれど。さあ、これで気兼ねなくM系列乱数が使えるぞ。

3 月30日、何年か前に薄刃の和包丁を購入した。使ってみると何だかおかしい。妙だなーと感じつつ刃先から眺めて仰天、メビウスの輪の一部のように捩じれていたのだ。叩いて直すとか、押して曲げ直すという方法があるらしいけれど、素人にはピンと来ないので研いで修正することにした。これが実に長い作業となったのだ。結局は和包丁であることを捨て、少し短めの洋包丁へと研ぎ縮めた。刃の重量は半分くらいになっただろうか、相対的に柄が重たくなったので、思い立って柄をナイフ風に削り込んだ。刃を差し込んだ部分にはエポキシを重ねて、水の侵入を防ぐ。こうして全体に軽く固くなったら、包丁全体が楽器のような音を立てるようになった。なるほど、本焼きの包丁が立てる音が違うのは、こういう固さにも秘密があったのか。

3 月29日、桜のトンネルが見頃になっている。あそこはバスも通る一方通行の車道で、花の見頃になると通り抜けの為に自動車の行列ができる。住宅地の道路なので、街灯が夜も照らしてくれる有り難い場所だ、夜桜見物の散策に向いている。人も住んでるから、深夜でもない限り一人歩きしても大丈夫。この場所から神戸大学に通うには、いちど車道近くまで降りて行かなければならない。途中に川が流れていて、橋がかかっていないのだ。昔のこの辺りは完全に山の中の林で、川を渡る生活道路の必要も無かったのだろう。その桜のトンネルの近くに神戸大学の学寮がある。学生の皆さんは、毎朝この谷を渡り、再び大学まで登るのだ。恐らくその道中、日々、色々と考えながら。

3 月28日、朋という漢字について突っ込まれた。崩とか棚とか、月が2つある漢字は幾つかある。月は、夜空の月、肉の「にくづき」、舟の「ふなづき」など、幾つかの由来がある。月に限らず、漢字の部首には複数の起源を持つものが幾つもあり、朋の2つの月がどの月かと聞かれても、この漢字の意味や由来を知らないので答えようがない。これではイカン、早速調べた。興味のある方はどうぞ、ネットを叩いてみて下さい。それにしてもまあ、これだけ良くできた文字システムが2千年前にはほぼ完成していて、かつ絶滅しなかったというのは興味深いことだ。くさび形文字も「紙」に乗ることに成功していれば、絶滅を免れたのだろうか?いや、マヤ文字みたいに紙に描けても絶滅した文字もあるな。

3 月27日、海の向こうから、どんどんレフリーが回って来る。一方で、国内からレフリーが回って来ることは滅多にない。私が関心を寄せている分野に、国内の研究者が居ないのか?というと、そんなことはない。結構居る。しかし、私も含めてそれらの人々が国内の雑誌に論文を投稿するか?というと、それは滅多に無いことだ。理由は?色々あるとは思うけれども、結局は「エディターとレフリーの蓄積規模が違う」という点にたどりつくのではないだろうか?Facebook ではないけれども、「つながり」の大きさはイザという時に重要になる。国内の論文雑誌を何とかしたいならば、この辺りに工夫が必要だ、サーバーを何処へ持って行くにしても。

3 月26日、今年の卒業式は桜が咲いている。冬は寒かったけれども、ふわーっと一気に春がやって来た。毎年のごとくカメラを構えてバシバシ撮りまくる。室内は暗いので、ブレたりピボケたり、人の影に入って写ってなかったりと、使える写真は10枚に一枚もない。望遠レンズなど構えている方が悪いのだけれども。同じ質の写真を撮りたいならば、まず広角で撮っておいて引き伸ばした方がマシかもしれない。その目的には RAW 画像が向いているか。最後に、全員が1階に降りて集合写真、の、ようなものの撮影となった。広角のカメラがないので、何枚か撮って接続することになったようだ。そして、研究室に戻って来て、掃除。

3 月25日、桜がいちばん美しい日、と、勝手に決め込んだ。桜がチラホラと咲き始める頃、この頃がいちばん桜の花の形が良くわかるし、蕾の赤さも際立っている。山桜は葉も赤くて更に美しい。満開になって人々に囲まれるようになると、遠くから風景の一部として眺めるような感じになる。よくよく考えると研究というのも同じようなもので、例えばいま物理でト○○ジーが流行しているからと言って、今から飛びついて仕事しようとするのは満開の桜に近寄るようなものだ、一旗揚げるにしても桜吹雪の花びら一枚かもしれないぞ。(←が、覚悟して近寄る者には特別な一枚が当たるかもしれない。)

3 月24日、そろそろシーズンが終わる「氷」に、今日も乗って来た。まずは、スケートリンクにたどり着くまでが大変だった、隣のホールでコンサートがあって、そこへ入場する女性が渦巻いているではないか。少しでも警備を間違えるとレミングの大移動が起きるような、そんな雰囲気であった。さて、今日の練習で会得したのは肩からアウトに乗り込んで行く前進滑走の感覚。(←どちらかというと、スピードスケートの走り方なんだろうか。)S字を描いて進み、足の蹴りも外ではなくて上に伸び上がり、エネルギー消費も減る。但し、何か芸をするには自由が効かない滑りでもある。スピード、ホッケー、フィギュア、それぞれがまた細かく分かれているスケートの世界、氷に「乗っている」限り、何でもアリといえば何でもアリなのである、それぞれに楽しみがあって良い。

3 月23日、ちょっと遠くまで足を伸ばす。まず大阪駅から天王寺駅まで、環状の内回りと外回りのどちらを選べば良いのか迷う。以前、京橋側を走る外回りでえらーく時間がかかったから、今度は内回りの快速にしてみた。速い!どうやら外回りの普通よりも5分は短縮できるようだ。そこから近鉄に乗り換えて、更に南へ。古墳が目に入る。電車を降りて歩いてみると、川が流れていて、風が通り抜ける平野が広がっていた。大昔はどんな風景だったのだろうか、今のように開けていたのか、それとも林が広がっていたのだろうか。穏やかに日が暮れて、神戸に戻って来たら、もうすっかり夜更けになっていた。

3 月22日、賞味期限当日となった「うなぎ」が半額で販売されていた。半額で一匹千円、ひと昔の通常価格である。昨夏は一匹3千円まで高騰したことを思い出す。今年は素人を巻き込んでの「うなぎ相場」が形成されるに違いない、「うなぎバブル」とでも呼ぼうか。少なくなったら何でも高騰すると思い込むものだけれども、クジラ肉を見れば一筋縄では行かないことがわかる。食卓が相場に左右されてはいけない、ウナギが半額で目の前にあるならば、それが食卓にとって「旬の食材」なのである、うなぎ飯をつくって有り難くいただいた。冷凍して夏まで置いておくことも一瞬考えたけれども、家庭の冷凍庫は温度が高いので、長期保存はやめておくことにした。暑い季節には、ほかの食材でカバ焼きを作って食べようか。

3 月21日、今日も親子連れをキャンパスの内外で見かけた。あ、なるほど、合格発表の日だったのか。いまの時代に掲示を見に来る人が居るのだろうか?と思ってたら、どうやら記念撮影に訪れる方がけっこう居る模様。さて研究室の方も、人の出入りがある頃になったので、翌年度の準備をしなければならない。今度は作業量が増えるので「パソコンの乗り換え」なんていう面倒な作業は原則として受け付けず、卒業生が使い終えたパソコンはクリーンな状態に戻して、新しくやって来る学生向けに充てがう、つもり。パソコンも、まあ、ひと頃に比べると普及品となってしまったので、新機種も旧機種も、実用上の差異は大きくないから、有り難みも薄くなったものだ。

3 月20日、今日は体調が最悪。花粉アレルギーが体調全般に影響しているようだ。隣の国の大気汚染が盛んに報道されるのは、実は「人々の目をそらせる」目的があるのではないか?と強く感じている。花粉公害という認識が、ネットで検索すれば幾らでも出て来るには出て来るのだけれども、オオカミ少年だった新型インフルエンザほどの騒ぎになることはない。春という素晴らしい季節の Quality of Life を下げるだけならまだしも、疫学調査すると平均寿命にもかかわっているんじゃないかなー、この花粉というものは。

3 月19日、昨夏に集めておいた葡萄の種を植木鉢に盛って水をかけると、表面に白カビが生えた。こうやって、発芽を抑制している物質が分解されるらしい。そのまま、土に混ぜ込んでおくと、芽が出て来た。全て、日中は20度くらいまで上がる室内での話。葡萄を実生で栽培する場合には、最初の何年かは室内で管理する方が、生育期間が長く取れるので果実の収穫までの必要時間が短くなる。但し、花芽を付けるには木を休眠させなければならないので、その時には屋外に出して管理するか、あるいは水を切らして葉を枯らすことになる。ブドウの果実は ... 1日中日光を浴びる農園と同じような収率を目標にはできないので、まあ楽しむ程度で。田舎に土地を借りて「食えない雑種葡萄園」でも開きたいものだ。スズメガの餌食となるか?!

3 月18日、阪急電車の 8001F に乗る。あれ?雨の日なのに、8000 系特有の不安定な空転がない。よく音を聞いてみると、交流変調の音も違う。また、電流計の値を見ていると回生ブレーキの電流が停止寸前まで落ちない。総じて初期の 8000 系とは別次元の走り。調べてみると、この編成はもう半年も前から、駆動部分を試験的に入れ替えていたのだ。こういう車両と、3000 系のような古い車両が混在して走っているというのが鉄道の面白い所だ。どうして?と問われると、それに答える経済学を持ち出すのが理系の考え方だろうか。そういう、線形計画のプロが、どこかで働いているはずだ。鉄道に特化するならば、たぶん、全国で何人か居れば充分だと思う。

3 月17日、神戸に住んで何年になるのだろうか。それでも、日々「自分的新発見」というものがある。三宮センター街から南へ折れると、赤い鳥居が立っている。あの鳥居は何?ということを今まで気に止めたこともなかった。そこからずーっと登って行くと、生田神社があるではないか、今の街ではあまり見通しが良くないので、今の今まで気づかなかったのだ。これはイカん、神戸のことも少しは調べておこう。特に、西の方は神戸・兵庫の歴史たっぷりの地域ながら、あまり足を踏み入れたことがなかった。最近ではストリートビューもあるから、空いた時間にネット散策してみるか。

3 月16日、スケート場も春になると、もうシーズンの終りという雰囲気になって来る。まず空いている。スケートが好きなリピーターばかり氷に乗っているので、初心者であっても、それなりに滑れる人が多い。スケートを習っている子供達は、シーズン始めよりも随分と上達している。大人は、そんなに急には上達しない、残念ながら。但し、氷に慣れるという意味では老若男女誰にでも前進があって、長く氷に乗っていればグラつくような滑りが段々と改善されて行く。さて今シーズンもマスター出来なかった代表格がループ。あれ一体、どういう動きなんや?というのは注意深く観察していても、なかなか見えて来ない。上手な人はいとも簡単にやってのける。まだまだ精進が足りないな。

3 月15日、良く知っているつもりのことでも、復習すると「あれれ?」と思うことがある。拡散現象のミクロスコピックな記述というものは、たぶん何処の大学でも学部のカリキュラムに含まれていないものだろう。そして1度も習わない、あるいは気にしないまま、物理を教える立場になってしまった。拡散現象をカスるものは、例えば経路積分や格子模型など幾つか取り扱って来たけれども、ブラウン運動はもちろん、拡散係数を導出して下さいと言われると白旗を揚げるか、カンニングする他ない。やっぱり、学んでいないものは素直に復習するのが君子(?)の行い。ええと、なるほど、なるほど、うむ。それぞれの散乱過程は、量子力学過程でないか!すると、相手にするのは量子アンサンブルということになる。ここに「デコヒーレンス」なる言葉をエイヤっと投げる悪行が始まってン十年、そろそろ悔い改める頃ではないか?

3 月14日、前期入試合格者の入学手続きが行われている。桜が咲く前に、笑顔が咲き乱れているようだ。新入生の数よりも、クラブ活動の勧誘に訪れた先輩方の方が多いんじゃないか?と思うほど、ユニフォームに身を固めた学生さん達であふれ返っていた。何かに打ち込むのは良いことだ、教員としては勉学も頑張ってネと付け加えたいけれども、まあ、クラブ活動でそこそこ頑張れる人は、どこへ行っても通用するものだ。私は何のクラブ活動をしていたかって?ええと、阪大に入学して、最初にスケート部のドアを叩いて、何回かリンクに乗ったけど、勉学との両立が難しくなって早々に辞めて、その後でギター部に入って、それは卒業するまで続けられた、かな ...

3 月13日、書類の作成のお手伝いの目的で灘区役所に足を運ぶ。2つの窓口を回って、あれこれと住所氏名を記載する。窓口で親切丁寧に色々と教えてもらったので、スムーズに事が運んだ。窓口のお姉様方がとても美しくて、書類を書きつつも気はそぞろ、ここはお役所なんだろうか?と思ってしまった。それはともかく、住民登録の時に世帯の家族関係を示す必要があることを初めて知った。日本人であれば戸籍をたどれば家族の関係は容易に(?)わかるので、普段は特に明示する必要がない。が、外国人の場合、住民登録に「妻・子」などの家族関係を書き記すには、婚姻や出生の証明書が(入国関係の書類の作成の時に加えて、改めて)必要なのだ。証明書が無い場合は同居人、平たくいうと「居候」扱いで世帯に登録されるのだとか。お役所の規則というものは、現実に柔軟に対応できるようになっているものだ。今回は幸い、証明書が手元にあったので不都合は生じなかった。

3 月12日、朝の空気を吸いながら、いつもどおり法学部・経済学部まで丘登りして、そこで海を眺める。今日は逆転層が出来ていたらしい。水平に広がるモヤの層が、大阪湾の対岸の風景を完全に隠し、その上からチラリと遠くの山々が見える。もう少し注意深く、工場からの煙のたなびき方も見ておくのであった、惜しいことをした。モヤの色が、どちらかというと黄ばんでいて、無害な土ぼこり(?)かもしれないけれども、あまり宜しくないような雰囲気を感じた。そこへ、六甲山上で営業している有名なホテルからの送迎バスが到着、何人かの昇降客が見えた。朝のこの時間に「あのバスを、あの場所で」見たのは初めてであった。なるほど、神戸大学に近い宿泊場所として六甲山上を念頭に置いておくのは、なかなか良いアイデアだと思った。

3 月11日、気温の上では冬に逆戻りしたらしい。が、この所の陽気で地面や建物が暖まっているし、日差しも強く、寒い気がしない。植物はというと、もう既に芽がどんどん膨らみ始めている。特に、蕾は真っ先に成長し始める。花が咲いたら春。さて、神戸のあちこちに、空き地がある。三宮のような一等地であれば、空き地のまま残すと税金が払えないから、駐車場になっていたり、あるいはプレハブのような低層の建物が不釣り合いに広い区画を占めている。こういう場所が、元あった不動産の蓄積を取り戻すことが可能なのかどうか、まだまだ見えてこない。そんな、空き地のような所にも、草花は根を張って小さな花を咲かす、しぶといものだ。

3 月10日、会議で何か実質的なことを検討するとなると、幾つかの筋書きを念頭に置いて「どちらに流れても何とかなる」ように考えておく必要がある。ある方向へと向かって意見形成がなされつつある時に、逆向きに方向修正しようとしても、うまくは行かない。後ろから押すように情報を提供すると、ドドドッと着地点に到達するものらしい。そういう、流れが生じつつある時には、幹事のような役割が重要となって来る。第三者的に見て意見を整理し、要所要所でポツリと議事の確認などして行き、堂々巡りを防ぐ。こういう役割は、一見するとあまり目立たない人に向いている。目立たないように見えても、実のところ、一番重要な立場にある。そういう姿を見た今日であった。

3 月 9 日、スケート場の隣はワールド記念ホール。今日は「神戸コレクション」が開催されていて、辺り一帯は着飾った若い女性ばかり。何というか、目立つものはポツポツとあるからこそ目立つのであって、目立つものを集めれば皆どれも砂粒と同じ、そういう気分になった。そうそう、源氏物語も書き出しが「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。(←出典??)」ではないか。古文を字句どおり現代文的に解釈すると失笑を買うに決まっているけれども、やっぱりズバ抜けて気を引く対象が孤立していなければときめかないのである。あ、古文の「ときめく」って ....

3 月 8 日、確定申告に行く。書類は郵送でも良いには良いのだけれども、近くの税務署は川が流れる公園のそばにあるので、春の散歩も兼ねて足を運ぶ。予め用意してプリントアウトした書類に、源泉徴収票を糊付けする作業のために、申告書作成会場へ。デスクの半分はパソコンになっていた。昔は電卓がズラリと並んでいたから、様変わりしたものだ。会場の係員が、アチコチの人を助けていた。「おばさん、書類に誤りがありますよ」と声をかけていたから、チョイと耳を傾けると「これは必要経費だから、この分を差し引くと納税額が減ります。」... おお、なんと親切なお役人様!いつも、税務署の窓口には青色申告の人々が「なんでこれが必要経費にならへんのよ!」と食ってかかってる、税務署員は首を横に振る、そんな場面ばかり見て来たから、ちょっと意外だった。いや、お役所仕事は公平平等、税の取り過ぎもないように、真面目に仕事をしているのだ、有り難いことよ。

3 月 7 日、ダイヤモンド砥石には、刃物を当てた時に最初は作業が進まないのに、削れ始めるとますます削れるという特徴がある。固い天然砥石と少し似てるかもしれない。削りくずの中に、欠けて浮いたダイヤモンドの粉がウヨウヨしていて、これが役に立っているような感じがする。そういえば宝石屋さんが加工に使うのは、最初から粉のダイヤモンドだ。うむ、それならば、包丁研ぎにもダイヤモンド粉をチョイと撒けば良いではないか。そう思って価格を調べてみると、とても安価なものでびっくりした。正確には、砂のようなものが一番安くて、粒を揃えて「番手」ごとに売っているものは高価。ダイヤモンドを使うような研ぎ物は、どのみち荒研ぎなので、安物をゴリゴリと潰して使うのがいいか。仕入れてみよう。

3 月 6 日、木綿豆腐を買って来て、サイコロに切って熱湯で煮ること10分、浮かんで来た所でザルに上げて熱い内に押すと水分が出る出る、半分くらいに縮んだものを鍋に移し、少し油とダシを加えて煎る。油タップリで砂糖を加えると中華風の精進料理に使われる食材になるらしい。今日は、菜っ葉の炒め物用の仕込みなので、薄味。豆腐といえば、にがりの代わりに海水で造る豆腐もあると聞く。実はこれ、家庭で簡単に再現できる。にがりに塩と水を加えれば、無臭の「海水もどき」が出来上がるので、これを使えば良い。豆乳を買って来て混ぜると、何のことはない、塩気を含んだ豆腐が出来上がるのであった。酒の突き出しに良いかも。海が近いので海水はいつでも採りに行ける、が、神戸港の海水を使うのは、ちょっと ....

3 月 5 日、スロバキアから1人、来訪者あり。大学で撮影を専攻した方で、今は独立してドキュメンタリーフィルムを造る専門家なのだそうな。物理を研究することは「金にならない」ので、若い人が「逃げて行く」という万国共通の傾向を話題に振ると、ドキュメンタリー造りも似たようなものだとおっしゃる。映像を撮るにしても、お金になるのはコマーシャルやテレビ番組などスポンサーが付いて短い期間で撮れるもので、地道に物事を追って行くドキュメンタリーは造り手が集まらないのだとか。さてそのカメラマン、いや、映像作家の方は、はて、来日して何を撮っているのだろうか?なんでも、海外で修行しているスロバキア人の活躍を、スロバキアの子供達に見せて元気づけたいのだとか。しまった、今回の企画で何カ国を訪問するのか、聞いておくのだった。

3 月 4 日、学生さん達が、次々と卒業旅行に旅立って行く。うらやましーなー、卒業旅行なんてしたことない。それもそのはず、いまだに大学を離れられずに居る私。まあ、定年までに「卒業旅行」すればいいか。学生さん達の行き先はヨーロッパ方面が多い模様。他方、長いヨーロッパ滞在から戻って来た人も居る。いまの季節は、人々の出入りがあるものだ。さて、地面を見ればもう下草から芽が伸びて小さな花が咲いている。いけないけいない、庭園の管理が追いついていない。サボっていた下草刈りを完了しなければ。すぐに、カラスノエンドウが芽を出して、あちこち雑草だらけになるぞ。というわけで、少しばかし野良仕事。

3 月 3 日、ひな祭り。デパートの地下食料品売り場は、ちらし寿司とひな祭り風の食材だらけ。その中に、和三盆糖も並んでいた。白砂糖の製糖では、糖分を結晶化させたところで、糖蜜と粒砂糖を遠心分離する。和三盆糖の場合は、この工程が圧縮による分離となる。練りと圧縮を三回繰り返すのだとか。さて、お目当ての品はその和三盆糖ではなくて、分離された糖蜜の方。いわゆる、くろみつ。これは非常に便利。お菓子を造った後の生地のクズだとか、ちょっと甘みの足りないフルーツだとか、ともかく何でも小鉢に詰め込んで黒蜜をかければ、立派にデザートになってしまう。粉砂糖だと、こうは行かない。煮物の仕上げにも使える。今回は運良く黒蜜を入手できた。なにぶん、安い品なので、和三盆の出店には置いていないことも多い。

3 月 2 日、鍛冶屋さんが叩いて造る包丁、全体が銀色に光っているものは、随分と多くの鉄を研ぎの段階で飛ばして(←削り取って)いる。刺身包丁などに多いタイプがコレ。表面に黒い酸化膜、いや膜というよりも酸化「層」と言えるほど分厚い皮を残した「黒打ち」の包丁では、こうやって飛ばすことができない。菜っ切り包丁で時々見かける。少し安価で形の揃った包丁だと、鋼材を重ねて圧延した板から型通りに切り出して来て、荒削りした後に熱処理、仕上げ研ぎという段階を経て製品になる。ご家庭の台所には必ず一本あるはず。こんな話をすると「どれが良いの?」と聞かれること必至。それぞれに長所短所があるから、色々と買ってみて比べて下さい、というのが私のおすすめ。陶器や鍋が棚からあふれる程そろっている台所に、包丁が一本しかない、そんなことありませんか?

3 月 1 日、むかし昔の文化では(?)結婚式というものは公開のものであった。... なんて、見て来たような事を受け売りで言うと突っ込み放題か。今でも、神社の本殿挙式は一般の参拝者の前で執り行われるし、ヨーロッパの有名どころの教会にフラリと観光で訪れたら、たまたま結婚式中ということも多々ある。その伝統(?)を受け継いでか、結婚式場の中には挙式の光景を何枚も詳細な写真で「一般公開」している所がある。FaceBook の影響なのか、最近は「顔出し」に抵抗が少ないようだ。神戸のとある式場が、ときどき挙式写真を up しているので、写真の撮り方の勉強を兼ねて、折々見に行く。すると? あれあれ? そこには知っている方が主役として写っているではないですか。そんな偶然もあるんですね。まあ神戸は狭い街だから。「見ーちゃった!」という事は、しばらく伏せておこう。(←公開の場に書いておいて伏せるも何もあったものではないですが。)

1 月と 2 月の1行日記