3 月と 4 月の1行日記  

2 月28日、各大学の前期日程入試問題が、もう予備校作成の回答例とともに up されている。ちょっと面白かったのが、阪大の物理 II と、神戸大の物理 II。出題されている回路図がウリふたつなのである。珍しいことではない、高校で教える物理から題材を取ると、必然的に同じような問題が出来上がるのである。従って、興味を向けるべきは素材ではなくて、調理法だ。例えば、阪大・神戸大の問題を見比べると、まずスイッチを閉じる順番が違っていることに気づく。これは初期条件の作り方、その考え方が異なるということである。また、穴埋め式とするか、論述式とするか、その違いもまた興味深い。昔は、こういう回路を机の上で組んで発信器など作って遊んだものだ。おおよそ、回路というものは「まず組んで測定してみる」もので、その経験の中からコイルやコンデンサーの働きを学んだものだ。その途中に、コンデンサーが破裂したり、コイルからのスパークに感電して死ぬ思いをしたり、回路から発火したり。ハンダゴテの近くには石綿らしき台もあった。今の世の中では考えられないことだ。思い返すとゾッとする。

2 月27日、朝一番、神戸大学の「定年坂」に差し掛かる辺りで、後ろから急ぎの足音が聞こえて来た。よしよし、まずは抜いてもらって、坂道を登るペースメーカーとなってもらう。それが運動部で鍛えている若者であったならば、追随するのが精一杯。今日はというと、革靴の方であった。しばらく登った所でギアチェンジ、恒例の「抜き去りモード」に入る。今日は作戦どおり上手く行った。あの坂道で遭遇する「自分の限界」の原因は日によって様々。事前のアップが不十分だと、筋肉がつりそうになる。体調がイマイチの時には酸素摂取が追いつかなくなる。暑い日には、熱が問題になる。食った後は血の巡りが悪く。全て条件が揃った時には、とても軽く坂道を登り切れる。今日は ... 登った後が良くなかった、午前中に眠気を感じるほど体力を使ってしまったのであった。

2 月26日、月末も近くになると、年度末の処理が積み重なって来る。あれも、これも、書類を仕上げて、場合によっては役所に顔を出して書類の提出だ。しかし、今日は朝から別の作業が夕方まで、終わったら今度は会議、戻って来たのは20時のことであった。まずメールを読んで、今日のプレプリントの題目に目を通して、重要らしきもの(?)は例の DMRG リストに加えて、ええと、この日記でも書いて、それから岡山の鍛冶屋さんの日記を読んで ... あ、これは息抜き ... そのあと facebook をチラリと見て、再び書類に目を通して、文章の添削などして、ええと、もうスーパーマーケットの閉店時間が目前ではないか!ともかく、有り難いことよ、日々、こうして何か行うべき事があるのだから。

2 月25日、何かを教えるということは、実に根気が必要な作業であるか、あるいは何の努力も必要ないか、両極端のものだと最近よく感じる。教えようと思って、資料を渡しておいたら、次に会った時には免許皆伝ということが良くある。そうかと思えば、非常に単純なことを伝えようとした途端、その道具である基礎知識の、そのまた基礎知識が無いことに気づいて百歩戻るということもある。個人レッスンの場合、こういう違いは臨機応変に対応できる ... と信じたい ... のだけれども、講義室でとなると話は変わって来る。基礎的なことがらを繰り返しすぎると飽きを呼ぶし、進んだ内容ばかり追うと明らかに「理解されていないこと」を感じる。黒板に書けるだけ書くというのも、今となっては無意味になってしまった。ようやく、薄々理解できるようになったことが一つ。講義の為に教科書を書く、という先生方が多い事実。人の考え方に縛られず、自ら丁寧に構築した論理で教える、資料もある、当然ながら講義は教科書に沿ってる、となる。それを実行に移せるよう、いま溜まっている書き物を何とかしないと。

2 月24日、今日のスケートリンクは、団体さんが帰った後は比較的空いていた。3月に入るとそろそろウィンタースポーツも終りという雰囲気なのだろうか。スキーには春スキーという「オマケ」みたいなものがあるけれども、春スケートというのは聞いたことがない。本気になれば夏でも秋でも滑れるし、ホッケークラブの練習は時計の針が午前なってから始まるなんてことも多々あるくらいだからネ。さて今日の強化項目はバックスケーティング。バックで滑る時には、当然うしろの障害物に気を配っておかなければならない。首がクイッと後ろを向くならば苦労しない。しかし、体が固くて、そんなに視界を確保できないので、右後ろを見て左後ろを見て、時には前も見て、あれこれと注意することを繰り返す。これが自然にできるまで、まだまだ練習が続く。上級者になると、混雑したリンクでも平気で後ろ向きに滑っている。あれは逆立ちしても真似できない ....

2 月23日、障子紙は和紙なので、日焼けしてもボロボロにはならない。あ、洋紙だって、とある物質さえ使っていなければ、酸性にならずに長持ちするか。ともかく、日焼けしてしまった障子紙の話。毎年、大掃除に合わせて張り替えるのが習慣なのだろうけれども、破れもしないものを張り替えるというのは、資源の無駄遣いと言えなくもない。よし、できるだけ長持ちするものを張って、次に張り替えるまで「毎年の手間」を省こう。そう考えて、ぶ厚い紙を買って来た。厚いとは言っても、何やら透明度の高い繊維を使ってあるそうで、暗くない。さあ、ノリを塗って、張り替え作業。が、ここで問題が。紙が厚いと、ノリを吸い込んでしまうのだ。また、厚い分だけ「巻き戻り」し易くて、張り付けたはずなのにクルリンと巻いて、接着がはがれてしまう。しまったー、ノリを濃厚にしなければならないのだ。仕方ないから、ノリを足しながら右へ左へと作業したら、何倍も時間がかかってしまった。何年分の時間を無駄にしたことか。

2 月22日、それは昨日のこと。卒業・進級関係の発表会も一段落したので、修羅場をくぐり抜けた後に「体力が残っているツワモノ達(?)」とともに、軽く打ち上げへ。場所は?隠れ家的な所がいいだろう、そういう所には詳しくないので、google 様に「新神戸 フレンチ」とお伺いを立てて、ヒットした所へ予約もせずに行く。お店につくと、木曜日だからだろうか、明かりは灯っていても誰もいない。ドアをくぐって、「こんばんわー」と呼びかける。シーン ...。呼び鈴もあるぞ、チーン。しかし反応なし。妙だなーと思って、厨房のドアから中をのぞくとシェフが仁王立ちで何か考えている。ドアの外から、もういちど大声で「こんばんわー」。... 反応なし。えいっ、叩き起こしてやる!、厨房のドアを開けて「くぅおぉんぶぅわぁんわぁあ〜」と叫ぶと、不意を突かれたような反応。「営業してますか?」と質問すると、ようやく「ええ、いらっしゃいませ」となった。始まりがコレで、どないなるんやろう?!と一瞬思ったけれども、料理が運ばれて来ると、どれも見かけ以上の美味しさ。貸し切り状態で、ゆーっくり過ごせて、料理や盛りつけの勉強になった。良い刺激を受けて帰宅して、それから3時間、包丁を握ってしまった。今日は、仕込んだ具材を食べる日。味見してみるとやっぱり、プロよりも火を入れ過ぎている。難しいものだ。

2 月21日、競技会や実技試験の審査員は、審査が始まる前に注目しているという事をよく聞く。相撲みたいに、勝ち負けが(大抵の場合)誰の目にも明らかなものは別として、例えばダンスの審査、料理の審査、スケートの審査などは「審査員の着目点」が大きな割合を占めるものだ。競技に出る人、審査にエントリーした人、それぞれ「事前の印象」は良いに越したことはない。本番で、細かい取りこぼしがある場合でも、日頃の出来映えというものが審査員の頭に入っていれば、大過なく事を運ぶことができる。似たような話を、科学の世界でも聞くことがある。無名の人が「並の論文」を書いて科学雑誌に投稿すると落ちるけど、有名な人が「並以下の論文」を書いて投稿しても、なかなか「落とせない」という類いのことだ。もちろん、「画期的な論文」であれば、誰が投稿しても一発で掲載となる。当落線上の微妙な所に、人間臭い所が出てしまうのは、科学もまた「人間の」知恵だということだろうか。自然の仕組みは、宇宙が始まった時に出来上がっているもの、たぶん人が介在する余地はない対象だ。(←工学屋さんは違うことを言うかもしれないけれど。)

2 月20日、今日は土佐文旦。夏みかんよりも外皮が固いので、切れ目を入れても容易にはむけない。頭とおしりの皮をまず切り取って、その後に外皮に切れ目をいれて中身を出す。ここで真ん中に指を入れて割ろうとすると、これまた失敗し易い。包丁を使って、どこか一房を中心までまっ二つにすると、カパッと割り易い。その後、ひたすら房に小分けした後で、種の部分をベティーナイフの切っ先で切り取る。この一連の作業を終えて、ようやく身にありつける。が、種の多い昔ながらの品種であれば、再び種と格闘することになる。この種は、ジャムをつくる時にはペクチン取りに使えるし、砂糖かアルコールに漬け込めばエキスも採れるらしいけれども、面倒なので捨てる。ようやく身を取り終えて、初めて賞味となる。この作業中に吸う香りが、ブンタンの味の一部だろう。食べ終わった後も、ながく香りが室内に漂う。まさに果物の王様。ええと、目の前に、あと10個もあるぞ ...

2 月19日、デコポンをどうやって食べるか?普通のミカンのように皮をむいて薄皮ごと食べると、あまり美味しくない時もある。大抵、上の方から水が抜けて行くので、その部分の食味が美味しさを減らすのだ。そこで、まずデコの方から包丁で薄く輪切りにして行き、水が枯れた部分は捨ててしまう。その後、包丁でグルグルとリンゴのように皮をむいて、果肉だけになった丸い塊を縦にまっ二つにする。その後、中心の皮が集まった部分をV字に切り捨てて、残った部分だけをスマイルカットに。こうすると、手際良く美味しい部分だけを取り出せる。少し大玉の「せとか」も、同じように切り分けて食べることができる。グレープフルーツは駄目。あれは、果肉を丸く取り出した後で、ナイフを使って一房づつ果肉を取り出し、残った果肉を絞ってジュースにするのが手早い。フルーツはそれぞれ個性があって、包丁の入れ方も色々と工夫があるようだ。

2 月18日、宴会の参加者がその場で撮影した写真を、うまく共有する仕組みができないものか?と思案する。例えば、ナントカ先生還暦祝いの party のアチコチで撮影された写真を、ただそのまま一つの「ためこみ場所」に突っ込んでしまうと、閲覧しようとする人は「ファイル名かサムネイルの羅列」という意味のないものを辛抱強く見る必要がある。枚数もシカリ。撮影時間と位置情報が入っていれば、時間と空間に切り分けて写真を「自動的に整理する」ことも可能だろうか。プライバシー保持やアクセス制限の問題は、えーと、えーと、考え始めると、やっぱり沈没するのである。ところで、何台かのカメラの間で、同期フラッシュとか同期シャッターが切れれば、ちょっと面白いなと思う。ライティングしかり、同じ一瞬を捉えるというお友達感覚しかり。

2 月17日、コンクリートの建物は何年保つのか?物の本によると、何もしなければ数十年で建物としての用をなさなくなるのだそうな。その先、すぐに崩れ去るかというと、さにあらず。盛大に雨漏りして壁に穴が空いたような廃墟の状態で、その後もン十年遺る。山中に、時々そういうものを見かける。では、定期的に手入れした建物は何年保つのだろうか?塗装の塗り直しなどを定期的に行った場合でも、二酸化炭素の影響でコンクリートが中性化してしまうと、鉄筋の錆を呼んで劣化を早める。そこまで劣化するのに 65 年とか、100 年という品質を売り物にする時代になった。本当にそれだけ長持ちするかどうかは、実際に時間をかけて「実感する」しかない。もちろん、たびたび「お金をかけて修理して」それだけ保つのだから、ビルというのも難儀な代物だと思う。

2 月16日、開かずの間という言葉はよく耳にする。大抵は、日常的には使わないものがギッシリと詰まっていて足の踏み場も無くなり、物置と化した部屋だ。中に入っているものは、昔は価値があったものかもしれないけれども、時間とともに何でもゴミと化す。つまる所、開かずの間に入っているのはゴミばかりとなって、今の世の中では高価な床面積を占拠し続けるのである。そういう目で研究室を見渡すと、開かずの間ならぬ「開かずのコーナー」が無いとは言えない。フロッピーディスクが出て来ても、どうしようも無いのである。昔は両面倍密度なんていう言葉もあったな、こうして、もう1度お目にかかって、昔を思い出したんだからフロッピーディスクも本望だろう、エイヤッとゴミ箱へ。

2 月15日、統計力学の教科書を開くと、ボルツマン因子の導出方法が必ず書いてある。あるいは逆に、温度Tとボルツマン因子というものの存在を仮定しておいてから、巨視的なアンサンブルへと橋渡しする。どちらの橋も、簡単に渡ろうと思うならば、ひとつ仮定をしなければならない。部分系というものが、うまく切り出せるという仮定である。少し長距離の相互作用があると、これが怪しくなる。部分系の領域を拡大するにつれて、境界項が小さくなって行くような場合はまだ何とかなる。相互作用が power decay したりすると、もうお手上げ。いや、そもそも、統計力学の微視的な基礎に熱浴と部分系の相互作用エネルギーが登場しないのが妙なのであって、それを含めた上で「教科書に掲載できるような」単純な描像が得られないものか?と、ちょっと思案するのである。何を教えるにしても、出来るだけ簡単に、そして一般的なものを「教室で提供できる」のであったら、それに越したことはない。

2 月14日、相対論的量子力学の本を開くと、「Foldy-Wouthuysen-Tani 変換」という専門用語が必ず載っている。最後の Tani というのは日本人だ。当代の文献には、ちゃんと FWT 変換と書いてあるのだけれども、段々と時代が下るにつれて Tani さんの名前が抜けて行き、現在では Foldy-Wouthuysen Transformation (FW 変換) と記載される場合が非常に多い。磁性の本を開くと「Ruderman-Kittel-Kasuya-Yosida 相互作用」という用語が目に入る。これも危ういことに、Ruderman-Kittel Interaction という組み合わせが、段々と文献に広まりつつある。 研究論文という「文語」でこのような変化が起きる背景には、それに先だってセミナー等での「口語」に変化が起きている実情がある。何人も名前を呼ぶのが面倒で、ついつい「後ろの方」の人の名前を抜かすと、口伝えに段々とその「省略形」が定着して行く。この手の手抜きには、それぞれ現場で目を見張っておく必要があるものだと、常々思う。

2 月13日、今日はバレンタインデーの前日なのだけれども、スーパーでは、チョコレートは既に「見切り商品」と化している。バレンタインデー前の週末までがバレンタイン商戦であって、そこを過ぎると売れ残り扱いなのか、チョコレートにも哀れあり。このチョコレート、原料のカカオは生産地が限られているから、コーヒーと同じように、昔の植民地の歴史が流通にも現れている商品だ。木から採れるものなので、砂糖のように「どこにでも植える、すぐ収穫する」という訳には行かないのネ。それだからかどうだか、舶来品のチョコレートが「一段も二段も格上の商品」として化粧箱に詰め込まれ、プレゼントと化す。同じようなことが、学問の分野で起きていないことを祈りたいものだ。洋行するとハクが付くとか何だとか。まあ、日常業務を放ったらかして学問に集中する最良の方法の一つではあるんだけど。

2 月12日、寒い3連休が明けた朝は、暖房を入れてもなかなか教室が暖まらない。コンクリートが冷えきっているのだ。座っていると寒いので、途中から立って発表を聞く。足元が夏と同じ、という服装にも問題があるか。スケートリンクよりはずーっと暖かい教室なのに、ジーッとしていると、ジワジワと寒さが忍び寄って来るのである。運動すれば暖かくなる?教室で?確かに、講義している時には寒さが気にならない。板書というのは、結構な体力を使うものだと実感する。実はやってみたい事がひとつ:研究室に「こたつ discussion Room」を造ること。自然と、みんな、寄って来て、わいわい、ガヤガヤと、えーと .... 将棋やマージャン始めるのがオチか。

2 月11日、研究発表のシーズンがやって来た。発表用の「パワーポイント」が上手く作れない、という話を良く聞く。白い画面とニラメッコしつつ、何をどう入れれば良いのか、皆目見当がつかないらしいのだ。昔はどうだったろうか?相手は「トランスペアレンシー」という、透明フィルムだ。但し、そこへいきなり、マジックで書き始める人は少なかったろうと思う。まずは、その辺りの白紙を小さくコマ割りしておいて、何枚目には何を書くという「絵コンテ」みたいなものを作っておいて、おおよそ感覚が掴めたらもう少し詳しく下書きしてみて、よし、イケルとなった時点で初めてマジックを握った。この、マンガで言う所の「ネーム」に似た作業を踏むことは、現在でも大切だと思う。学生さんには、まず盛り込む内容を付箋にでも書いておいて、ペタペタとボードに貼って話の順番を確かめなさい、と、毎年のように勧める。実行してくれていると、信じたいものだ ...

2 月10日、鉄フライパンと格闘した。外側は、これまでの作業で酸化膜をはぎ取って、プレス時のデコボコをほぼ取り去ったが、内側が問題。金属は柔らかくても、酸化物は石のように固いのである。凹んでいるから、外側のように砥石でガリガリと削るわけには行かない。カーボランダムのサンドペーパーでも、剥離は遅々として進まない。そこで、助っ人登場。まず、アルミナ砥石で内部をこすって、アルミナの泥を作る。そこにサンドペーパーをかけると、部分的に強い圧力でアルミナを押し付けることができる。この手順を発見してから、急に作業のペースが早まった。但し、出て来る酸化鉄の粉は細かくて真っ黒。一瞬で爪が黒く染まったし、容易には取れない。酸につけるという手はあるけど、それもねー。面倒臭いから、そのままにしておこう、どうせ明日も同じ作業だし。

2 月 9 日、3週間ぶりに氷に乗ると、最初の一歩でコケそうになった。体で覚えているつもりでも、微妙な感覚のズレはそのまま「力学」に現れるのである。元に戻るまで、30分くらいはかかっただろうか。今日もメタボ減らしを、と思ってはいたが、病み上がりの体にスタミナはなく、数周するだけでもう続かなくなる。息が切れる所まで体を使えない。仕方ないから、ゴリゴリとエッジ、特にアウトエッジの深い所の練習をした。2月に入るとリンクが空いて来る。但し、テレビで日本選手が放映される度に、その翌日か、翌週は再びリンクが人で埋まる。全国のスケートリンクで同じ現象が起きているのだろう。初心者の小学生が、選手の真似をしようとアレコレやるのも微笑ましい。中には、貸し靴なのにかなり難しいことをホイッとやってしまう子供も居る。あれは才能そのものだ、スケート選手になるべし。物理って学問も、あんな風に、才能が目に見えたらなぁ。

2 月 8 日、朝起きたら銀世界になっていた。ホンの少ししか降らなかったけれども、前夜からの低温で降った雪が解けなかった。真っ白な風景は、陽が出るとドンドン消えて行った。神戸大学は少し丘を登った所にあって、建物の関係で昼まで陽がささない場所もある。そこに「なごり雪」を見つけて楽しんだ。雪が邪魔臭くないのは暖地の証拠、邪魔になる頃には融けて無くなってしまう。仙台で雪が降った後は、夜に凍ってツルツルになる、いつまでも融けないから薄汚れた砂のようになってあちこちに溜まる、融けかけたとおもったら思いっきり泥水になる、春になったらアチコチが土ぼこりだらけになる、そんな感じだった、確か。スキー場の雪はあんなに美しいのにネ。

2 月 7 日、塩で水気を軽く抜いてから、味噌に漬け込んだ魚の切り身が冷凍室に転がっていたので、出して来て半解凍する。中まで充分に味噌味が浸透しているので、水道水で完全に味噌を洗い落とし、ひと口サイズに切り分けてからオーブンで焼く。味噌が落ち切っていないと、そこから焦げるし、そもそも漬け込む味噌をそのまま焼いたら水気が飛んで塩辛くなるだけで、美味しいはずがない。どうしても味噌が乗った状態で焼き上げたい時には、火が通った所で仕上げに甘く練り合わせた味噌を塗ってから、サッと加熱する。焼き上がりは上々。脂肪分が少ない魚の場合は、オリーブオイルでも使ってフライパンで焼く方がいいかもしれない。魚は、安く手に入った時に漬け込んでおくので、いつも冷凍室から取り出すことになるのだ。さあ食べよう。

2 月 6 日、大学の中で声をかけられた。「すいませーん」はて、見知らぬ人だ。「はぁいぃ?」と伺うように返事すると、「プライマーを運ばれている方ですよね。」と確認するかのように問われた。「え、いや、あの、わたし、いちおう教員なんです。」と、ニガ笑いしながら答え、立ち去った。プライマーっていうことは、塗料か接着剤の業者さんと間違われたのだ。うん、確かに、下塗り塗料が入った四角い缶を持ち運んだり、ハケで塗ったりするような出で立ちで歩いている。そういえば、ジーンズというのは元々は作業着だったのだ。赤いかどうかは別として。しかしまあ、プライマーとは良く言ったものだ、教員業というのも似たような役割だ。教育は人間形成の下塗り。なんて大々的に発言するのは、教員として恥の上塗りか。

2 月 5 日、冬に部屋の中で植物を育てると、温室栽培となる。温室と部屋の違いは日照時間。これがけっこう、栽培上の問題となる。温度だけは充分に高いから芽は出る葉は出る、でもそれを支える光合成は追いつかない、そしてヒョロリと伸びてしまって、倒れたり、虫がついたり、病気になったり。温室栽培という言葉を人間にも使うけれども、要するに環境の変化に弱いということなのだと実感する。野菜も、特にイモなど部屋の中に転がしておくとドンドン芽が出て来る。ニンニクの芽なら食えるけれども、ジャガイモの芽は毒。(←と聞くから食った事ないけど、人体実験してまで確かめる気は起きない。)ブロッコリーを転がしておくと花が開き始めて駄目になってしまう。暖かければソレで良い、というわけではないものだ。

2 月 4 日、カゼ薬に頼っているわけにも行かないので、飲まないで仕事場へ Go! ... と、意気込んでいたが、若い時ほどの回復力なく、夕刻には何をやっているのか訳がわからない状態となった。慌てて風邪薬を飲む。元の状態まで戻ったのは、それから数時間後であった。息苦しいとは思わなくても、知らず知らずの内に換気能力が落ちているのだろう。しかし、この風邪薬、飲む事がクセになるのではないか?という危惧も少しはある。それほど、劇的な効き目がある。少なくとも、自覚している限りは。周囲から見ると、単にノロマになっているだけかもしれない。例えばアルコールを飲むと冴えるという人がいるけど、飲まずに付き合っている側から観察すると、大抵は麻痺する方向へと変化して行くのだ。

2 月 3 日、阪神大震災の後、色々とビルが建設された。その頃の工法では、コンクリートがツルツルな状態で仕上げられることが多かったと聞く。ツルツルな上に何かを付着させて長持ちさせることは、難しいこともあるようだ。その後、色々と研究が進んだようで、コンクリートを打つ時に最初からタイルを仕込んでしまう方法とか、タイルまで貼った状態の梁や柱を作っておいて現場で接合して行く工法とか、コンクリートがギザギザに仕上がる工法とか、また貼付ける接着剤に弾力があって長持ちするものだとか、色々と新しい工法が編み出されて来た。それぞれ、新しいことは新しいことで、後から問題も出て来ることだろう。そのような長い経験に裏打ちされて、段々と建物が良くなって行くのであれば、それでいい。が、段々と手が抜けると解釈するならば、そういう方向の考え方は良くないと断言できる。

2 月 2 日、なんだか陽気である。氷にも乗りたい気分だけれども、ゲホゲホと咳が続くようでは問題外である。スケート選手くらいになると、平熱に戻ったらマスクをしてでも氷に乗るらしい。年を食うと、そんな時に関節を使うと、軟骨がボロボロになってしまうのだ。従って、今日も養生あるのみ。久々に庭の手入れでもするか。冬は、土を見て、また芽を見定めることが大切だと思う。芽があれば、その上まで切り詰めてしまうのも、園芸の面白さの1つだ。大きくなれば、鉢という小さな世界では生きて行けない。鉢に見合った大きさで、奇麗に育つこと、その準備をすること、これが園芸のひとつの姿。一方で、学生さん達には、そうなって欲しくはない。大地に根を張って、枝葉を伸ばす、そうするお手伝いが我々の仕事。でも、タマには余計な方向への枝を刈らないとネ。

2 月 1 日、物理を教えている身分で「物理を教えるのは難儀なんや」と発言すると袋叩きに遭うのだけれども、大学で学ぶ物理には「数学」を使うので、数式と物理的現象の間にうまく橋がかかっていないと、即座に沈没する。よくあるのが、運動方程式は書けるし、運動方程式の解も数式で書けるのだけど「じゃー何が起きてるの?」と質問すると沈没するパターン。そう、物理は、こういう質問を繰り返しながらマンツーマンで教えるのが一番手っ取り早い。アカデミーというのは、本来そういうものだろう。が、しかし、教える相手が百人も居るとそうは行かなくなる。講義形式で、マンツーマンの時のように、何かを直感的に伝えて行く、これがいかに難しいことか、毎度のことながら学期末になると、痛感するのである。格言:手を抜いたら、必ずしっぺ返しを受ける。え、誰が手を抜いたって?!

1 月31日、1月の末にして、もう春がやって来た。風ほとんど無し、快晴、夕方まで気温も高く、夕日は赤く美しかった。仙台で暮らしていた頃を、ふと思い出した。こういう、天気の良い日には休暇を取ってスキーにでも行くのが正解だなーと、毎日考えていたものだ。そうは思いつつも、結局は実行することがなかった。たぶん「助手」という身分に遠慮があったのか、早々に抜け出したい気分があったのか、いや結局は「アセって機会を逃す」ことを繰り返していたのだと今になって思う。今日もフラりと、どこかへ散歩に行きたいような陽気を尻目に、デスクワーク中。そして、これから先、天気が良い週末の日になると花粉が飛んだりするのだ。誰だ、日本の山に杉を植えまくったのは!

1 月30日、毎年2%のインフレが目標という話が新聞に掲載されている。毎年2%の「複利」だったら、34年後には物価が倍になる計算だ。これを目標として経済的な数字が「相似的にすべからく増大して行く」と仮定するならば、長期金利がすぐに反応しても良いはずなのだけど ... どうも市場は「信じてない」ようで、年末に急上昇するかに見えた長期金利は年明けに再び下降。短期金利がゼロにはりついた状態で通貨供給を伸ばそうとすると、こういう動きになるのかー。住宅ローンの変動金利は今も低い水準にとどまっていて、これは大いに助かっている。少しでも金利上昇の気配があったら、貧しい我が家にも当然ながら「破産への道」が待ち受けているのである。こういう日本の将来を支える人々から、時々「将来は研究者になりたい」という希望を聞くのである。エラい! ... できれば、海外で活躍することを祈る ...

1 月29日、毎日 DMRG 関連の論文を探しては、リストに付け加えるという地道な作業を行っている。もう、かれこれ15年はやって来た。最初の頃は容易に検索できたのだけれども、最近は分野も広がって来たし、視点も様々、非常に数学的な論文まで出るようになって来たので、タイトルやアブストラクトを読んでも「これは DMRG だ」と判別が付かないことがよくある。リストに記載もれがあった時に「こんな論文出てますよ」と連絡してくれると、大助かりなのである。昨日も一通いただいた。有り難いことだ。さて今日は、大御所 Kadanoff の論文が出ているではないか。そう、実空間繰込み群には長い歴史があるのに、新旧をつないでくれる文献が今まで無かったのだ。温故知新、そして新しいものはどこが新しいのか、ハッキリと見せてくれる ... と、期待して読んでいるんですが ... あんまり ...

1 月28日、風邪により、あいかわらず開店休業状態。風邪薬の助けをかりて、ようやく出歩けるには出歩けるのだけれども、座ると眠気が襲って来る。副作用だけなのか、それとも風邪と戦う結果として体力を消耗しているのか。寝る前になると決まって、セキが止まらなくなる。どうやって押さえ込むか苦労した。うつぶせ寝が、少し効果があった。さて、5月の研究会の案内が届いた。何を話すか、2月末までに決めなさいと。あと1カ月である。去年、アチコチで話をして来たので、持ちネタが尽きつつある。フラクタルに再び手を伸ばすか、どうか、よく考えてみよう。考えてみよう。考えてみよう。グー.... いかん、居眠りしてた。

1 月27日、マンションの植栽、あちこち見て回ると、大抵は「どこかおかしなもの」を植えてある。クスノキが良い例。あれは植えたら、盆栽のように注意深く剪定して管理するか、それとも巨大化することを容認するか、どちらかである。幹をブッた切った形跡があることも多いものだ。巨大化し始めて、慌てて切ったのだろう。スギやヒノキの仲間も、ハイマツのように樹高が低いものは別として、巨大化するか、枯れるか、いずれかの運命が待ち受けている。特に、電信柱の隣に植えるのは地雷を埋めるようなものだ。まあ、木々を「クリスマスツリーのように」考えて、経年変化で見苦しくなったら植え替えてしまおう、と考えるならば、何を植えるのも自由か。アンデルセンの童話にもあったな、クリスマスツリーの無惨な話が。

1 月26日、物理には、ちょっと条件を変えると答えが容易には得られなくなる問題が多くある。例えば、笛。長さLの管の一端にストローで作ったリードを取り付けて吹くというのは、教科書に必ず載っている状況設定だ。では、管が末広がりになってたら?ラッパのように、リードとは反対側の端の方で、すこしだけ広がっているのならば、音の高さは大して変化しないだろう。音質には影響があるらしいと聞く --- 受け売りには検証が必要だけれども。では、円錐のように広がっていたら?これは難儀。有限長の円錐を扱うなんて、初等物理では目にしたことがない。円錐の広がりを増すと、ついには平面に至る。そのまま更に角度を増して行くと、もはや「管」とは呼べなくなる。たぶん、この一連の変化では共振周波数はあまり変化せずに「Q値」だけが落ちて行くのだと思うけれども、ちゃーんと計算してみないと、あるいは、ちゃーんと物理を考えてみないと、何とも言えない。

1 月25日、今朝は心地良い夢の後の目覚めであった。その内容はというと、日常を捨ててフラリーッと長距離列車に飛び乗ると雪国に到着して、ローカル駅の一つでフラリと降り、ひなびた商店街をボチボチ歩くというもの。現実逃避願望でもあるのだろうか。その今日はというと、朝(?)からカラスが鳴くような声しか出ない。昨日の講義では辛うじて何とかなった、1日ズレてて幸運であった。目覚めとは裏腹に、体調の方は最悪、いわば開店休業状態。物理は思索を巡らせることから始まる、その思索を始めると居眠りへと直行するのである。週末は養生に徹する事にしよう。

1 月24日、週明けからウィルス感染の兆候あり、というか既に感染していた。じわじわーっと症状が来る風邪は要注意なのだ、治るまでにも長くかかる場合が多い。夕方には声がかすれてしまった。しばらく、話さないでおこう。と、思ってはいても、この時期は卒業に向けて色々と「ご指導させていただきまする」時期で、口頭で述べ伝えることが重要だ。テレパシーでも使えると楽なんだろうなー、残念ながら、それは夢のまた夢。ハッと気がつくと、もう午後9時半だ、しかしながら今日中に終えてしまわなければならない仕事は、目の前にテンコ盛りになっている。どれから仕上げるか、ともかく片端から仕上げないと。そういえば、もう12時間を超えて何も口にしていない。風邪のせいで、食欲も湧かないのかな。これぞ水飲み教員。いや、給料はもらってるから「税金飲み教員」か。世の中に奉仕あるのみ。退職金目当ての早期退職なんかするモンか! → 23時11分、とりあえず今日のデスクワーク終了。帰宅してから、論文読みか ...

1 月23日、東京へ行って帰って来る、この時、どうすれば安上がりになるか?金券ショップへ行けば、エコノミー切符を売っているから、それを使うのは一つの手だ。但し、繁忙期は使えないし、座席の予約や予約変更の手間もあるから、誰にでも(外国人にでも)簡単に勧められる訳ではない。往復割引という手があるか。但し、新神戸・東京間は往復割引で必要な 601 km 以上という条件を満たしていない。ネットを叩くと、乗車券を西明石から買えば良いと書いてある。東京側で「都区内よりはみ出して」買うことも出来る。これで、千円チョイ安くなるらしい。何だか、これは「10本買うと2割引」というのに似ている。事実上、9本買うことができないわけだ。実際はどうなんだろうか、新神戸−東京の発券と、西明石−東京の発券、どんな割合になっているんだろうか?たぶん、西明石は1割行ってないんじゃないかと思う。

1 月22日、受け持っている波動物理学の講義も終盤に差しかかった。教科書の最後の方には色々な波が登場する。水の波という、恐ろしいものもある。波頭が砕け始めたら、もう数学的解析が及ぶ所ではない。少なくとも、いま我々が持っている数学のテクニックを使う限りは。コンピューターを使ったとしても、バケツの水を地面に向けて放り投げるような場面は追い切れないと思う。あまりにも、沢山の「しぶき」が空を舞い、互いにぶつかり合う、そんな様子をシミュレートし切れるとは、ちょっと思えないからだ。(馬力を使えば何とかなるのかもしれないけれども ....)そして最後は量子力学の波。うむ、これは量子力学で習うから、その時に登場させることにしよう。今は、封印。いや、「来年やります」と言っておけば、意欲のある学生さんは、もう勉強を始めるに違いない。... と、信じたい ...

1 月21日、私達は共通一次を受けた世代。まあ5教科7科目が必須であったことを除けば、今のセンター試験と似たり寄ったりだろう。あれを2日間ミッチリ受験した後は「これで社会も国語も英語も勉強しなくて済む!」と思ったものだ。2次試験で受験した教科は数学と物理と化学であったから、ともかく「差がつきやすい」数学に取り組んだものだ。いま思い出しても、どうやって、日々「問題を解くだけ」に集中できたのか、不思議である。2次試験を前に、登校日が何日かあったと記憶している。(自習日が多かったけれども、授業時間は確保されていたんだろう、たぶん。)登校日に何をやっていたのかなー、という事は忘れてしまった。今日も高校生がフラフラリ、と、歩いている。受験前の余裕なのか、それとも既に推薦入学が決まっているのだろうか?!

1 月20日、良く切れる包丁が欲しいかどうか、人々に尋ねてみると、大抵は欲しいという答えが返って来る。でも、良く切れる包丁を買いたいかどうか聞いてみると、既に包丁を持っているのだから、と口を濁される場合もままある。実は、良く切れる包丁をタダで手に入れる方法がある。実に簡単で、会う人ごとに「サビて使えなくなった包丁ありませんか?刃が折れたり欠けたりして使えなくなった包丁はありませんか?」と聞いて回るのである。サビるというのは、鋼の包丁である証。折れるというのは、少なくとも折れる程度には固い素材である証拠。もらって、研ぎ直すと、元通りとは行かなくても満足に切れる包丁として再生できるのだ。折れた包丁は、どこからどう利用するか、思案するのも楽しいだろう。少しお年を召された方に尋ねると、大抵は一本二本、そういう「不要物」を持っているものだ。

1 月19日、スケートの楽しみは色々。習い始めは、靴さえ合えば楽しいものだろう。友達とやって来て、互いに「その1日の大きな前進」を讃え合う姿は、それが少し非効率的な学習方法であったとしても、そっと見守りたいと感じる。デートにやって来るお2人さん、氷の上でも仲良く手をつないでいる。手を放した方が滑り易いし、上達も速いとは思うのだけれども、手を放したくないのだろうから、それで良いのだろう。子供達は初心者であっても、時として恐ろしい走り方をしている。普通に地面を蹴って走るように、ツマ先で氷を蹴って「トットットットッ」と走って行くのだ。真似をしてみるとわかるけれども、とてもバランス良く氷に乗っていないと、安定して走ることは出来ない。教え込めば上達すること間違いなし。少々ヤバいのは、止まり方を知らずに暴走する高校生くらいの男の子。あ、見ていたら、やっぱり激突した ...

1 月18日、久しぶりに黒い靴をはいた。そして花屋さんへ行った。が、異変は道中で起きた。何だか、靴が緩くなり始めたのだ。花屋さんに到着する頃には、靴底が剥がれて、中敷きがはみ出て、靴からは足先がこんにちは。どうにもならないので、靴を履き換えた出発地点に戻る。この、戻る道中が難行苦行であった。この寒い中、分解してしまった靴を抱えて靴下で歩く人が居るだろうか?足が冷たいだけなら我慢すれば良い、地面の砂利で足底が痛いのも苦にはならない。こういう時に限って、路行く人が多いものだ。日頃とは別の意味で、とても目立ったのであった。もう、あのメーカーの靴は二度と買うもんか!いや、まあ、靴は買ったら即刻使って、朽ちるまで履き続けるものであって、下駄箱に収納したままにするものではない、という事も学んだ。日々、何が起きても、シッカリせいよ、準備が大切という天からの戒めかもしれない。

1 月17日、昨晩、ふとある文章が頭の中に浮かんだ。「すでに無常の風きたりぬれば、即ち二つの眼たちまちに閉じ」という下りである。唐突にどうして?という思いを抱えた覚えがある。きっと、震災の報道が繰り返されていたからだろう、そんな風に考えて床についた。一晩明けると、今日の風は冷たかった。まさかの知らせが入る。何かの間違いに違いない、いや、きっとそうだ、と信じ込みたかったが、こういう時の知らせに誤報はないものだ。こういう時には、平行世界というものが幾多もあることを信じたくなる。少なくとも否定する材料はない。そうは思ってみても、いま、事実に接している世界が自分の属している世界なのだ。

1 月16日、クレジットカードの審査の方法について「うわさ話」が色々と転がっているので、しばらく眺めてみた。自分専用の電話番号を持っている、というのは大切なポイントの一つらしい。ただ、絶対条件ではないようで、電話は職場にあるだけ、という方でもカードが発行される例もある。総合的な判断だけが、カードの発行・不発行として表に出て来る情報なので、理系で言う所の「逆解析」はなかなか困難なものだ。なんか、この辺りは研究のネタが埋もれているような気がする。それはそうとして、電話というものは生活して行く上で不可欠なものなので、カード云々は別にしても、できれば個人で1つくらいは携帯なり固定なりIPなり、回線を持っておく方が良いと思う。確かに、電話を使わなくても「ネットで通話」は可能なのだけれども、何かを申請しようと書類を書く度に電話番号を書く欄があるのだから。緊急の連絡にも使うしね。

1 月15日、成人式の日も終わって、お正月らしいものがすっかり消えた週の始め、地面は通り雨で終日湿っていた。気温が低い日は、なかなか乾かないものだ。いや、ひょっとすると、空気中から水分を吸って湿っているのかもしれない。日中は低温ながら穏やかで、夜になると逆転層ができた。工場からの煙突の煙が、昇って行かずに、ある高度で横にたなびく。神戸で出た煙は、北風に乗って大阪湾へと向かう。対岸に着く頃には希釈されている、そう願っておこう。飛行機から眺める大阪湾は、あんなに狭い所なのに、水上では対岸が遥か彼方に見える。冬の寒い日には、ちょっと景色が浮いて見えるので、水際から対岸が奇麗に眺められる日も多いものだ。霞むようになったら春なんだな。

1 月14日、今日も氷の上はものすごい人出であった。連休で天気が悪くて、行く所がなかったのだろうか、親子連れでリンクは満杯。そして整氷しても整氷しても、すぐに氷はガリガリに。何を練習したものだろうか?人をよける練習をするしかない?常連さん(?)の中には、初心者にスケーティングを教えて楽しむ人も居る。教え方のスタイルは色々で、基本に忠実に一歩づつの前進を指導する人、スケートリンクに立ったということを何時間か楽しんでもらおうという人、欠点を指摘した上でお手本を見せてサッサと立ち去る人。物理の教育にも通じる所があるなー、と思った。先々を見通すならば基礎は疎かにできないし、しかもモチベーションは常に持ってもらわなければならない。うむ ....

1 月13日、ずーっと以前のこと、体調を崩された方を関西空港までお送りすることがあった。宿泊場所から空港までタクシーで移動、結構な運賃になった。こういう場合に帰りは空港で客待ちするのかどうか、ふとタクシーの運転手さんに聞いてみると、神戸まで帰る人を除いて乗車させてはダメなので、事実上そのままUターンするのだとか。帰宅してから検索してみると、出て来る出て来る、タクシードライバーのホームページが次々と。色々な決まり事があるんですね。そういえば、新神戸までお客さんを送って行った時も、新たに誰を乗せるでもなく、走り去って行ったかな。流しのタクシーが迎車でもないのに追い越し車線を走ってて拾えない、というのは、このパターンなのかな。

1 月12日、前進滑走の支持足はアウトエッジ、という「注意書き」の意味が、もう少しわかって来た。ただアウトエッジに乗っているというだけではダメで、その状態でカーブの外側へと足を押すように力をかけ続けることが、速度を失わない秘密(?)だったのだ。そのまま強く押して行くと、最後は氷を削って片足で停止できるはず。しばらく、この危ない方向へと練習を重ねようかと思う。前進で得た感覚はバックにも活かしたいものだ。しかし、バックでは、どんなエッジでもゴリゴリと音がするほど強く押せない。精進あるのみ。バックアウトの小さな円は、段々と描けるようになって来た、何だか嬉しい。

1 月11日、今まで java の取り扱いは、Mac の Xcode で行っていた。少ない人数に java を扱ってもらう場合には、まず Xcode の立ち上げ方から教えている。しかし、この方法だと、1クラスの何十名という学生に一気に教えるには手間がかかりすぎる。そこで、ターミナルを立ち上げて、コマンドラインから実行することにした。fortran や c では当たり前の、この「コマンドを叩く」という作業を、java で行うのは初体験だ。やってみれば、当然のことながら、一発で動く。動いたら、さあ次はプログラムだ。java を使うならば、まずオブジェクトの概念から会得してもらいたい所だけれども、それではアブハチ取らずになりかねない。FORTRAN みたいな、平たいコードの方が、初心者には読み易いようだ。java らしくないじゃないですか!と指摘されそうで怖いなー、それは「物理」教育的配慮なんですよ ....

1 月10日、桜の木は、太い枝を切らない方が良い。切るならば、まだ枝が細い内。しかし、何らかの理由で腐ったり、大風で折れたりしたら切るしかない。その場合も、切るポイントを間違えないようにしないと、切り口が塞がらなくなる。いや、事実上、塞がらないと考えても良いくらいだ。その場合、雨水で腐らないように、何かを塗って保護することになる。撥水性のある防腐剤がいい?専用の塗料がある?ともかく何か塗ってある。こういう手間のかかる桜だけれども、花に葉桜に紅葉にと、楽しませてもらえる、鑑賞価値の高い木なので、よく庭師さんを入れて世話をしているのを見かける。今日も、近くで剪定と枝を支える柱の取り付けが行われていた。切った枝が、ちょうどナイフの柄になりそうなので、一本もらって来た。よく乾燥させたら、次の工程に入ろう。

1 月 9 日、今日は安泰に ... いや、またしても引っかかった。関西の私鉄で使える Pitapa カードなんて、誰でも申請すれば発行してもらえるモンだと思い込んでいたけれども、あれもカード決裁なのであった。つまり、クレジットカード発行の審査というものが待ち構えていたのだ。結果は不発行。理由が開示不可能というのは仕方ないな。よし、Google 様にお伺いを立てよう。キーワード「ポスドク クレジットカード」を叩いてみると、出るわ出るわ、これが(延長なき)任期付雇用というものの社会的評価(?)なのか!まあ、ポスドクにも色々とあるから、一概に横並びで議論できるものではないだろう、年収次第なのかもしれない。同じ(ような)条件であっても、何年か前にはカード発行できたのに、今年はダメということもある。なんか、ガンダムの操縦レバーを思い出すなー。

1 月 8 日、コマゴマとした約定は、コマゴマと読んでおかなければならないものだ。銀行口座が居住者のものと、非居住者のものに分かれているということを忘れていて、けっこうな時間を食ってしまった。居住者口座ならば、ネットバンキングは申し込めば即座に開始できる。非居住者口座の場合は利用不可。日本に住み始めた人であっても、口座開設から6ヶ月は非居住者口座しか持てないのである。この点について失念していて、ネットバンキング申込最中にエラー画面が出て、フリーダイヤルで確認、支店に電話しなおしとなって、調査の結果、ネットバンキング利用不可が(改めて)判明したのであった。6ヶ月経過したら、また支店へ足を運んで、口座の切り替え手続きをしよう。もっとも、漢字を読めない外国人に「何とか使えるヨ」と言ってネットバンキングの使用を勧めようとした事が、そもそもの間違いだったのかもしれない。

1 月 7 日、仕事始めである。まず未明に、抱えていた海外からの「読んでコメント頂戴という依頼」を一件片付けた。同じ仕事を、もうひとつ抱えているので、何とかしないと、と思っている矢先に、また一つ届く。物理業界のコヤシになれるのであるから、喜ばないといけない。それに加えて、溜まっている仕事をひとつひとつ、解決して(?)行く。待った無しの仕事から手をつけるべきなのであるが、どうでも良いような案件へと手が伸びる。怠け者根性丸出しの仕事始めとなった。例えば、ルーターを一つ仕入れるような、単純なことは考えなくても手が動けば良いだけなので、取りかかり易いのだ。あ、いけない、いけない、マウスの電池残量が低下している。静電気で充電できるような、そんな仕組みできないかなー?初夢にしておこう。

1 月 6 日、小芋は、あのヌルヌル感が好きなので、皮をむいたら、そのままダシで煮て調理するのが「わたし風」の食べ方。但し、煮ている最中に泡が吹きこぼれ易いので、煮ている最中にその場を離れることができない。タマには「手抜き」もしてみようと思って、下茹でした。確かに、こうすると長時間煮てもダシは澄んでいて、ぬめりも出ない。最後にクズをといて回すと、再びドロドロに出来るには出来るけれども、何か本末転倒な気がする。下茹でを少量の水で行っておいて、そちらで鳥ミンチでも煮てアンを作っておくという手もあるか。いや、結局は泡が出るから、調理を見守る必要がある。そうこう言う前に、鍋底に敷く網や、熱伝導が悪くて洗い易いセラミックの落とし蓋を買うべきかもしれない。安価な皿でもいいか。

1 月 5 日、アイススケートで軽やかにスキップするのは、とても難しい。片足で飛んで着地するという動作は、地上ではつま先で地面を蹴るだけだけれども、固いスケート靴では思うように跳ねられないのだ。かと言って膝だけで跳ねようとすると、スキップというよりはシコを踏むような感じになってしまう。ああでもない、こうでもないと氷上で試行錯誤してたら、後ろから声が聞こえた。「あの爺っちゃん、踊ってるぞ」と。爺っちゃんやって?オッチャンにしといてくれ。さて、5時を回ると、フィギュア教室の子供達が自主練習に入って来た。まだ小さな小学生なのに、滅茶苦茶速くてとても追いつけない。精進あるのみ、少しでも肉薄できるよう何周もゴリゴリと氷を蹴って走り回った。今日、ちょっと会得したことはと言えば、前進滑走の時に支持足をアウトに少し深く倒しておくこと。不意を突かれても右左の好きな方向へと曲がれるし、周回のカーブの入りも右のインに助けてもらうことなく入れ、その分だけロスが少ない。

1 月 4 日、ふかしたイモがゴロリ。そして、リンゴジャムに「なりかかった」ものも冷蔵庫に。どう料理してくれようか?まず、冷蔵庫の奥からバターを出して来て溶かす。そしてイモを入れて潰す。一旦冷やして、そこへ薄力粉を足して混ぜる。それを耐熱皿へ広げ、一旦焼く。表面に焦げ色がつく程度の所で、ジャムもどきを流し入れて、再び低温でじっくりオーブン加熱する。放冷の後、冷蔵庫に入れ、充分に冷えたところでラップする。食後のデザートとして取り出して、スプーンですくった端から皿に盛り、白下糖の蜜をかけ、電子レンジで湯気が出るまで暖める。これで冬のデザートの出来上がり。食べた後で、シナモンを振っておくのだったと、ふと思った。今日は、たまたまイモがあったからイモを耐熱皿に放り込んだけれども、パンの残りでも、スーパーで売っているようなビスケットを砕いたものでも、何でも応用が効く「生菓子」の作り方だ。

1 月 3 日、新幹線で神戸に戻って来る。岡山発の「ひかり号東京行き」がホームで待っていたので、それに乗る。京都までは各駅停車だ。乗車してみると、何だか外国人が多い。ああ、そうだった、外国人が来日して観光旅行する場合に使える Japan Rail Pass は、ひかり号は乗れても、のぞみ号はダメなのであった。何だか、日本の新幹線は遅いぞ、ということを宣伝しているような気がする。 今日は、その「各駅停車ならではの遅さ」を体感することはなかった。昨日の疲れ、主に睡眠不足、が猛烈な眠気としてハネ返って来て、乗車してウトウトし始めたらもう新神戸手前であった。こんなに無防備では、ドロボウさんのカモになるところであった。

1 月 2 日、高松に到着。懐かしい面々と再び顔を合わせる。あるいは、こうして集っている内に段々と新しい顔見知りが増えて行く。これは、友達の友達までたどれば、ほとんど全員に縁が出来る「小さな集団」だから容易なことなのかもしれない。また、文化祭など、同じイベントを同じ時期に体験したことも大きい。文化祭の前日に台風がやって来て、あるものが骨組みだけになったとか、身分の高い方のパレードが高校の横を通った時に一波乱あったとか。語らう内に段々とみんな、表情が若くなって行く。その変化を撮影できただろうか、今回は。夜中に、写真のトリミングをして、いま一度、会合を楽しんだ。

1 月 1 日、神戸といえば港、風も穏やかなのでフラリと散歩して来た。平日の昼間くらい人が居た。但し、聞こえて来るのは外国語。正月に出て行くのは神社や初売りというのが日本人の行動パターンだから、港へと観光に来るのは外国人ばかりとなるのだろう。さて、明日は10年ごと(?)に行われる同窓会である。高校で学んでいる頃に、机を並べたのは誰だっただろうか?体育で同じグループになったのは?と、思い出そうと何分間か努力してみた。... が ... 記憶の糸をたぐるには、キーワードが必要らしい。あるいは、記憶というものは「集団で保持するもの」なのだろうか。明日は、そこに集う人のみならず、その場に居ない人々についても思い出を語り合うことができればと思う。つい昨日、卒業したばかりであるかのように。

11月と12月の1行日記