1 月と 2 月の1行日記  

12月31日、長らく研いでいた包丁にケリをつける。もともと、片刃の「和包丁であった」ものだ。購入した後、ねじれる形にどんどん狂って来て、使い物にならないとは言わないまでも、握るたびに気になるようになった。そして「ああでもない、こうでもない」と研ぎを繰り返している内に、とうとう小型の洋包丁風になってしまったのだ。それならば、エイ、もう片刃の洋包丁にしてしまえ、というわけで、裏スキを完全に平らにして、表はハマグリ刃に改造。鋼が柔らかくて、そのままでは刃が容易に波打ってしまうので、小刃付けして完成。ここまで来るのに、ン千円もする砥石が2本も研ぎ減ってしまった。研ぎの技量を身につける教材だったと考えよう。研ぎ終わった包丁は、使っていて実に気持ち良い。スッと刃が入る、一本ケリがついたので、さあ、来年は「あの小刀」に取りかかろう。

12月30日、起床して、朝食の準備をして、食って、片付けて。そこで急に寒くなって、体調不良につき再び床につく。そのまま午後は寝て過ごし、気がついたら日が西に傾いていた。12月は無理を重ね過ぎたものだと思う。ここで休養を取っておくことも大切。眠っている最中にも、何とはなく研いでいる途中の鉄製フライパンの事が気になるのであった。そう、フライパンを研ぐのである。厚い鉄のフライパンだから研げると言ってもいい。安価な鉄パンの場合、プレス形成した後の表面研磨は省略してある。いや、研磨してあるものでも、原価に含まれる手間賃の範囲内だから、どこかに凹みがあったりする。そういうものを取ってツルツルにして、再び酸化させた後、水に接触する前に油を塗ると見事な表面が出来上がる。いま作業中のものは、プレス機の「ガタガタ」が周囲に残っているという、誠に手強いフライパンで、砥石でガリガリ、ガリガリ、ガリガリ、夢中になって作業しても、まだ完成まで一週間はかかる。夢の中にまで砥石が出てくるわけだ ...。

12月29日、お正月からデパートも営業してるのだから、何も歳末に買い物をする必要もないだろうとは思うのだけれども、ついつい買い物に出てしまう。お正月料理の食材が並んでいる。買って、おせち料理を作る。但し、重箱に詰めたり、正月を待ったりしない。食材が冷蔵庫で日々おいしくなるわけではないし、美味しいものを並べて幾つも食べ比べると満腹になりすぎる。金時人参もカマボコも何も、買ったら早速食卓に並べるのである。餅も、せっかく柔らかいのだから買った日からどんどん食べる。そうそう、漆の器も早々に出して来ないと。会津塗りの頑丈な物だ。漆の器を使っていれば、「漆でない器」との見分けが付くようになる。見分けがついても、何の足しにもならないけれど。

12月28日、昨夜、世界最先端の装置が小さな作業空間で生まれる現場を見学させてもらえた。ガラスを研磨して光学精度を出す、その作業の中には仮説と検証という、もの造りならではの工夫があるのだそうな。実験物理学に相通じるものがある。その後、貴重な天体望遠鏡を覗かせてもらった。今までにない解像度で月が見え木星が見え、そして M42 の「モヤモヤ」の細かい構造が見える。そのイメージを大切に持っておこうと思う。今度、屈折望遠鏡を覗いた時には、きっと心眼が働いて、少し細かい所まで見えた気分になることだろう。ところで、大学の研究室には「反射望遠鏡の作り方」という単行本が転がっている。小学校高学年の頃に、反射鏡を手作りしようと考えて本を買ったのであった。第2版、定価2500円である。初版本ではないのがチト残念。本を買った頃から後、数学物理に興味が移って行ったので、いまだに反射鏡を磨いた経験はない。来年、やってみようか?!

12月27日、年越しソバが何玉も目の前にあるので、年が明ける前に毎日食べる。ソバに付いてるソバツユは、充分すぎる分量が入っていて、どういう風に使ったものかと思案する。ソバ湯で飲んでしまうという手もあるけれども、毎度やると塩分の過剰摂取。少し取り分けておいて料理に使うとか、自分だけで食べるのであれば天ぷらのつけ汁に「使い回す」とか。打ちたての生麺か、乾麺以外のものは、マトモなソバ湯が取れない、という問題(?)もあるか。ソバだけ食べるとバランスが悪いので、つけ合わせを何にするかも思案する。天ぷらが定番?キュウリやトマト?それとも、豆腐にでもする? 冷蔵庫をガパッと開けて、フランスパンとチーズが転がり出て来たので、それにする。色々と考えることに意味があるのであって、結果を見て笑ってはいけない。... 笑ってしまうけど。

12月26日、「お代理さま」稼業は今日も続く。本日の作業は、PiTaPaカードの作成。これ、クレジット契約なんですね。そこで必要なのが、職場の登録。最近は、ネットで郵便番号を入力すると、住所を表示してくれるようになった。そこで、神戸大学の郵便番号 657-8501 を入力する。が、しかし、システムは受け付けないのであった。所在地の町名どおりの 657-0013 でなければ、六甲台町という正しい住所が表示されないのである。しかも、住所欄には直接触ることができない。こういう場合は仕方がないので、町名に合わせて 657-0013 で登録する。まあ、8501 なんていうのは特定の機関に割り振られる特別な郵便番号で、それさえ書いておけば住所記入不要というものだから、例外中の例外と言えなくもない。でもねー、何となく、システムが妙な枠を設定しているみたいで、気持ち悪いんですよねー、この手の不自由さは。

12月25日、遠路はるばる、お客さんがやって来た。充分に満足できるように、何かを答えることができたかどうか、あまり自信ないけれども、知り得る所、最近とくに気になることなど、少しは伝えることができたのではないかと思う。そのあと今日は、銀行口座に関係した書類を色々と取り寄せたり、書いたりした。銀行コードは、ええと、日本銀行が0番で、普通のメガバンクは順番に .... え?、都市銀行の番号って、こんなに飛び飛びだったのか。昔に比べると、だいぶん銀行の数も減ったしね。最後はハンコ。ヘタクソに押したら、ずれた印影になってしまった。もう一度、隣に押して、任務完了。まだまだ書類の準備は続く。

12月24日、スケートの試合がテレビ放映された翌日のスケートリンクは、初心者の「友達グループ」が何組も出現するものである。きっかけは何であれ、スケートを楽しんでみよう思い立つのは良いことだ。そこで必ずみかける光景が、ジャンプとスピンへの「挑戦」という、あぶない試みだ。どちらも、技の前半までなら初心者でも何とかなるかもしれない。回るだけ、飛ぶだけ。しかし、回転から安全に抜けるとか、着地するという所で痛い目に遭うのである。今日も、頭から氷に落下して行く姿を何度か見かけた。下が氷であるのが、多少の救い。転倒激突した際に「ドコーン」と大きな音がする。エネルギーが床へと逃げて行った証拠だ。ローラースケートで同じように転倒したら、固いコンクリートが待ち受けている。何の音もしないかわりに、血を見るのである。

12月23日、クリスマスには金髪が流行るのだろうか?髪はともかく、道行く女性のお化粧の乗りが良い。消費量にして普段の倍にもなっているのではないか?と思われるほどに。そして、デパートの1階化粧品売り場は、揮発性の香りで満たされている。男性はサッサとエスカレーターに乗って他の階へと流れて行くから、この「揮発性分」から逃れることが可能だ。継続的にあの香りに晒されていると、酔いそうな気がするのだけれども、慣れて来るものなのだろうか?いやいや、営業妨害するつもりは全くないし、個々の製品は疫学的に「無害」であることも確かめられているはずだ。きっと、色々な売り場の「香り」が混ざるから、酔うように感じられるのだろう。... そう信じたいものだ。

12月22日、最近の建物は、どれもタイルを貼っている。コンクリート打ち放しとか、吹き付け塗装というのは小数派である。タイル貼りの方が、表面のメンテナンスサイクルが長くて、長期間にわたって平均してみれば割安になるという説もあるとか。ホントかどうか、私は知らない。そのタイル、同じものを生産し続けているとは限らないのだそうな。建物は数十年から百年程度は持つけれども、市場で売れる「売れ筋」の商品の寿命はそんなに長くないのだ。じゃあ、タイルが割れたり欠けたりしたら?地震などが来ると、そんな事が起きる。地震でなくても、年々の劣化で、やっぱり欠けるタイルが出てくる。そういう時には、似たものを探して来るか、特注品を焼くしかないのである。全面張り替えできるくらいの予備も、タイルを売っている内に持っておくべきか?!

12月21日、天気予報をチェックしていなかったので、降って来た雨に傘なし。百円カサでも良かったのだけど、手持ちの傘が一本足りないと思っていた所なので、少しは長持ちしそうなものを購入することにした。紳士売り場へ行くも、赤い傘はなし。そこで、婦人雑貨売り場へと向かう。私が赤い傘を探している分には、全く(?)怪しまれないのである ... たぶん。候補を2本に絞って、さてどちら?骨組みの精巧さが勝っている方を購入することにした。傘の骨も、金属加工の芸術品なのだと再認識した。ちょっと、値段も高かったかな?強風で折れそうな日には、使わずに濡れて帰ることにしよう ...

12月20日、区役所の窓口で、担当者に食ってかかっている人が居た。「お役人」の一言、一言が気に入らない様子。役所の事務は、税務署や警察署も含めて、随分と「サービス業的」になっているから、そんな場面に出会うのは意外であった。雑用を終えたら、徒歩で北上。途中で神社を通り抜ける。日当りも良く、美しい初冬の風景であった。寺社仏閣は、樹木が落ち着いた冬が奇麗、と、思う。昨日に立てたスケジュールの途中までは自らも同行して、そこから先は信頼できる「お助けマン」に任せた。うまく行っているだろうか?予定外のことが多かったのではないだろうか?そう思いつつ、大学に戻ってセミナー、講義、会議と「こちらのスケジュール」をこなして行く。明日も予定で一杯に詰まっているではないか、どないしてくれる!(←それが普通だって?あまり同意したくない ....)

12月19日、一日中、書類と付き合う。新生活を始めるって、こんなに書類があったっけ?と、改めて思う。いや、自分の生活であれば、ボチボチ時間を見つけながら、適当にやって行ける。が、誰かの生活スタート支援を行うとなると「適当」の2文字があってはイケナイ、集中して事にあたる。ここで陥り易い罠・キーワードが「世話をする」というもの。滅私奉公あるのみであって、見返りを求めるものではないし、当方がセコセコと書類を書いている間に、誰かが暇そうにしていたとしても、暇なのだから仕方ないのであって、カチンと来てはいけない。他の公務もあるから、完全にフォローできない所は助けを呼ぶことにした。その場合、スケジュールを組まなければならない。予定は予定どおり進まないのが通例なので、スケジュールには柔軟性を持たせなければならない。ともかくも、今日一日は物理が頭の中から消え去っていた。まずいなー。

12月18日、お寺や神社で「働いている人」は、どうやって「収入」を得るの?と聞かれて、回答に詰まった。まず働いている、という言葉遣いをどう考えるか、その点は度外視しよう。また、生きる為に必要な資金を収入と称するか、それもまた考えないことにしよう。それで、お布施や寄付だけで「経営」が成り立つかどうか?というと、かなり厳しいものがあると思う。檀家や、熱心な信者のサポートがあって、ようやく飢えない程度かと思う。じゃあ他の「収入源」とは?うーん、知らない。似たような質問で、学校の先生は「なぜ給与を頂戴できるのか?」というものがある。日本だと、さして疑問に思われないことかもしれない。けれども、世界を見渡すと、学校の先生がボランティアに近い所も稀ではない。高校の先生の身分を捨てて(?)他国へと赴くという例も聞いたことがあるし、ある国で大学の先生の給与を知って仰天したこともある。給与だけでは、絶対に飢えるのである。聞くと、郊外に畑を持っているそうな。なるほど。そういえば、田舎のお寺の裏にもあったな、畑がいくつか。

12月17日、月曜日、スタート時に既に疲労困憊。週末のどちらか1日は、物理や書き物は別として、雑用(?)からは距離を置くべきだと思う。が、そうも言ってられないので、今週は騙し騙し行くしかない。不動産の賃貸契約というものが、何だか最近、とても複雑になっているのではないか?と思う。0敷0礼に引っ張られて、審査あり保証金あり印鑑証明あり、重要事項説明は倍の分量に。昔は、不動産屋でコワモテの「おっちゃん」が家主に電話一本入れたら、契約書を読み上げて、サッサと現金決済して契約成立、実に単純だった。敷金が高かったけれども、敷引きはせいぜい2カ月分くらいまで。楽なモンだったなー。さて、会議前に、また足を運んでおかないと。→会議から戻る。会議の間に体力復活。ジーッとしておくだけでも、養生になるようだ。

12月16日、その昔、阪急六甲の駅前のファーストフード店の脇で、マイクと拡声器1つ、ただ一人だけの孤独な演説をしている人が居た。ある時はビラを配り、六甲道でも時々みかけた。やがて、ビラ配りの手伝いをする人を含め、何人かで活動する姿も目にするようになった。どういう境遇にあっても、主張にブレがない、これは人を信じる上で大切なこと。先週の、とある日の夜、選挙本番の大切な時間に、その方はいつものスタイルで辻立ち演説していた。近寄って挨拶すると、手を差し伸べられた。握手はガッチリと力強く、気力を感じるものであった。当方、うっかり手袋をしたまま握手してしまい、今更ながら惜しい事をしたものだと思う。昨日は六甲道辺りで車から身を乗り出しつつ、いつものスタイルでマイクを握っていた。政治家というのは、超人的な気力と体力があるものだ。末は首相と信じたい。

12月15日、自分が住む訳ではないのだけれども、正午から4時間、とある不動産屋さんのお世話になる。そして本意ではないけれども、避け難い理由により別の不動産屋へ足を運び、再び4時間、同じようにお世話になる。そして、またまた本意ではないけれども、結果は保留。土曜日を半日使って、当日中に何の成果も出なかったということを考えて行くと、不動産の仲介という仕事は、その手数料だけでは利益をあげ辛いものなのだろうと思った。物件管理など細々とやって、なんとか稼いでいるんだろう。2軒とも近隣の不動産屋さんなので、またいつ、何らかの必要に迫られてお世話になるかもしれない。従って最初から「ふたまた」というのは、可能な限り避けたいと常々思っているし、今日もソレは避けたかったのであるが ...。皆が皆、不動産探しに倍の時間をかけると、倍とは言わないまでもコスト増となり、最終的には明示的な、あるいは隠れた負担増となってハネ返って来る。ともかくも、自分が直接契約しないものには、首を突っ込むな、ということか。

12月14日、選挙もいよいよ終盤にさしかかる。もちろん、こんな場所で「どこに投票しろ」とか「投票に行け」など書けないし、投票に行く自由もあれば行かない自由もある。そこでまあ、自らの「世を忍ぶ仮の姿」について話すならば、今までは政党政治の仕組みを信じて推したい政党の候補者に投票して来た。しかしながら、そうして推した人々が、次々と墓穴を掘る事態を目の当たりにして、やっぱり人物というのはちゃんと見なければならないな、と、思うようになって来た。ここで言う墓穴とは、マスコミに叩かれるという類いのものではなくて、どう考えても当座の気休めでしかないような、将来を考えない政策を吹聴するということ。まあ、今回も自分の信じる人に票を入れよう。それはそうと、ユーロがだいぶん高くなって来た。開票の結果を織り込んでのことらしい。これは客観的な指標なのか、それとも例のごとく売り浴びせられているのか、さて ...

12月13日、風も穏やか、気温も高く、陽気に誘われて飛行船が飛んで来た。天気の悪い間は、どこに係留あるいは格納されていたのだろうか。形が丸くて羽がついていないので、いつもフラフラと安定しない航跡を描いている。飛行船に羽がついていれば?重量が重くなるので、そのままでは浮遊できなくなる。その分だけエンジン吹かして飛ぶ。そういうハイブリッド飛行機も、随分と前から工学的には考えられていたな、確か。充分に近づいた所で、カメラを向ける。いけない、まずファインダーの調整がおかしい。慌てて調整するも、何だか画像が甘い。おや、絞りが半分くらい閉まってるではないか、開放に持って行く。こういうタイムロスをしないように、器機の調整は常々行っておかないとね。幸い、プカプカとゆっくり飛行する物体だったので、無事にカメラに納まった。やれやれ。

12月12日、日本地図をよく覚えていますか?と聞かれると、そんな事は全くない。飛行機で上空を飛んでも、地形を見ていま何処の上空なのか、わからない場合も多々ある。海岸線は、いちばん判り易い地形である。それを眺めずに、東京湾から大阪湾までの間に、どれだけの数の湾があるか?岬があるか?思い出そうとすると沈没する。白地図を見直して、ようやく理解できる程度である。次に上から眺める機会があったら、事前によーく予習しておこうと思う。それはさておき、地図をジロジロと眺めてもよくわからないのが、羽田空港と成田空港の構造。規模が少し小さいけれども、西の方では関空もセントレアも大阪国際(?)空港も実にスッキリとしているだけに、ターミナル間の連絡とか、誘導路の走り方など、羽田も成田も妙な「曲がり」を抱えていることが目に付く。空港の中に、民間のお家があったりするのも、なかなか珍しいものだ。

12月11日、講義をしていて、最近、受講学生との距離が広がりつつあるのではないか?と思うことが多い。単純に年を食っただけなのかもしれない。信頼できる先生であってはならない、軽んじられるくらいが「気軽な質問」を呼び寄せ、よく勉強してもらえるのではないかと思うからだ。それとも、老眼になって、焦点が合う範囲の学生としかアイコンタクトが取れないようになった事も原因なんだろうか。いやいや、黒板に向かってブツブツ言ってる時間が増えて来てしまっているんだろうか?よし、ここは「年寄りの冷や水」大作戦だ。何から始めようかなー、えーと ... と、既にアイデアに詰まる。レポートの受け取りと返却を、ひとりづつ丁寧に行うというのも、こちらが一人一人を覚えるには良いのかもしれない。あの手この手で、何とかするぞ ...

12月10日、本日の高層天気図を見ると見事なジェット気流が日本の南岸を流れている。東に向かっての飛行はカッ飛び、対地速度は 1111 km/h を記録。(端数が出るのは、元の速度を kt で測ってるから。)降下を初めてしばらく後に、少し機体が揺れ始めた。その途端、強烈なブレーキ感覚を感じて、ズガーッという振動と音が。何じゃ?と、主翼を眺めるとスポイラー全開であった。追い風で降下が間に合わなかったのか、それとも単に乱気流を早々に抜けたかったのか、あんなに見事に開いて、それも長い時間続けるのは初めて見た。フラップを開いている時に、操舵の助けとしてスポイラーを使うことは良くあるけど、そんな些細なモンじゃなかった。ある意味、燃料の無駄になるわけだけど、運行の安全には換えられないものなんだろう。

12月 9 日、なに、閉会の言葉を述べよだって?それは重鎮の役目。ええと、ありゃりゃ、年齢的には、会議参加者の中でも最高齢のグループに入ってしまったではないか。DMRG の 20 年。もうそんなに経ったか。何を述べるか、迷ったけれども「まず DMRG ありき」という考えを捨てて「まず何よりも物理が好き」ということを強調することにした。自戒を込めての発言である。何事も道具や形式から入るとロクなことがない。必要にかられて、仕方なく DMRG あるいは数値計算を使う、それくらいで良いのではないかと思う。プログラムを書く、データを取るという作業は、やはりどこか思考回路をスポイルする部分があるのではないかと、感じる部分があるのである。もちろんそれは、手計算しかり、論文読みしかり。結局は、まあ、サボる限り何も得られないのではあるが。

12月 8 日、天候は雨、気温は何度なのだろうか、寒さは感じない。手荒れが治って行くような気もする。湿度は高い。木々が緑色をしていて、枯れる気配がない。道行く人々は冬の格好をしているけれども、あれはファッションではないかと思ってしまう。それを言い始めると、梅田のデパートの中で厚着をしている人々も、本当は暑くて暑くて脱ぎたいのではないか?と思う事が良くある。雨で濡れたら、しばらく乾かないだろうなーと思ってたら、意外にも翌朝には奇麗サッパリ乾いていた。蒸発現象には気温が大切なのだなー。昼食の弁当はベジタリアンのものを選んだ。豆腐らしきもの、昆布、コンニャク、小麦グルテン、それぞれボリューム感が出るように油で揚げるか、炒めてある。ベジタリアンだからといって、カロリーが少ないとは限らないようだ。どれも、微妙に、いや、ある意味では激烈に甘い、甘辛い味付け。これは神戸でも出会う味だなー。

12月 7 日、北回帰線の上では、夏至になると太陽が頭上から差すことになる。そういう場所に住んでいる人に、暑いか?と聞くと、当然のごとく暑いという答えが返って来る。山は除くとして、平地では紅葉ということも、あまりない場所なんだろう。お茶の名産地というのは、日本の茶畑の風景からすると意外ではあるのだけれど、やっぱり南の国らしい。新茶という概念はあるのだろうか?完全に季節が無い場所では、年中育つということなので、どの季節でも若葉を摘むことが可能だ。でも、何とか工夫して、一定期間は木を休ませて、若葉が出る時期を作ってあげる方が、より甘い茶が取れるような気がする。暑い乾燥地に水を引いて葡萄を作る時には、水の量で生育をコントロールするのだそうな。さて、お茶の木は? 調べてみると、高山で栽培するのだそうな。なるほど。

12月 6 日、阪急電車と同じ色が入った電車が、関西のアチコチを走っている。北千里まで、茶色の帯が入った地下鉄が走っている、神戸電鉄の内装の色が阪急電車と同じ、など。阪急と無関係ではないですよ、ということを形に表してあるようだ。大阪モノレールに、阪急色、というか京トレイン塗装の車両が登場した。これは何ですか?という感じ。例えて言うならば、阪急電車に阪神電車のジェットブルーをラッピングしたような感じだろうか。広告媒体として効果のある、大阪モノレールならではの工夫なのだろう、何とも言い難いけど、インパクトは大きい。電車でこれなら、阪急バスもマルーン色か?というと、例のごとく帯が入っているだけ。ラッピング車は今まで目にしたことがない。あまり広告の効果がないのかもね。

12月 5 日、毎日、少しづつ日本語を「教える」ことにした。まずは挨拶から。おはようございます、こんにちは、こんばんは。さっそく「ございます」が出て来たから「ございます、は、丁寧に文章を閉じる時に使います」と説明すると、すかさず質問されたのが「こんにちはございます・こんばんはございます」の組み合わせ。ええと、間に「で」を入れて「こんにちは『で』ございます」なら、喜劇で芸人が登場する挨拶にはなるし、外国人が「こんにちは『で』ございます」と口にすると場が和むかもしれない。そういうニュアンスが生じることを伝えた上で、文章を閉じる時には何でもかんでも「でございます」を付けるといいヨ、と教えておいた。こういうミニマム日本語(の指導指針)は、確かあったな。「私は 夕食を 食べます でございます。」みたいな、言葉の順番も決まってるやつが。

12月 4 日、「とある数式処理ソフト」は、確かサイトライセンスがあったはず ... と記憶していたけれども、実は「隣の大きな大学」で導入しているという事例を見聞きしたものが、ごちゃ混ぜに記憶されていただけであった。はい、買わなければなりません。これが学生さんだったら格安なんです、2万円と少し。しかし、研究用に使うとなるとグンと高くなって、私の安月給だと給料の半分がフッ飛んでしまいます。研究費の使い方としては、需要があって導入による効果が充分に期待できるならば迷わず購入するのが定石、清水の舞台から飛び降りる覚悟でエイッ!ただ、ソフト関係のもの、コンピューター関係のものは、購入代金の全部とは言わないまでも、一部が海外へと流出して行くんですよね、税金から来るものが海外に流れるのは、ちょっと残念かもしれません。

12月 3 日、またまた入国管理局に提出する書類を作る。書類の書き方は、入国(正しくは在留)の目的によって違って来る。短期滞在の場合、入国管理局に何も提出しなくても良い場合が多いけれども、ちゃんと申請する書類もある。そのほか「教授」「教育」「芸術」「文化活動」「宗教」「報道」「転勤」「企業内転勤」「投資・経営」「技術」「人文知識・国際業務」「技能」「特定活動」「興行」「留学」「研修」「家族滞在」「技能実習」「配偶者」「定住者」「その他」と、色々なカテゴリーごとに提出する様式が用意されている。そして記載内容を証明する書類を添えて、本人写真を同封して ... という、かの流れ作業が待ち受けている。これらをスッ飛ばすと密入国、じゃなかった、不法滞在となってしまうから、気が抜けない作業だ。その合間に、今日は神戸大学の隣の禅寺に電話する。始めてのことだったけれども、丁寧に案内してくれた。

12月 2 日、今日も氷に乗る。片足スネークの方法を、実は今まで間違っていたのではないだろうか?と、思い始める。今までのトレースを見ると、正弦波のようになっている。これは、カーブの頂点でエッジに力を入れているから。この方法では、幾ら強く蹴っても「そのまま円を描く」ことはできない。エッジチェンジしたら、すかさずエッジに力をかけ続け、カーブの頂点を作らないように丸いトレースを描く、これを今後の目標としたい。結果的に、エッジには常に加重を書け続けることになるはずだ。試してみると、これまでとは違った乗り位置で、氷がゴリゴリと音を立てるようになった。そんな練習の隣で、小さな子供達が「右にループ、チェンジエッジして左にループ」という図形を片足でドンドン描いて行く。参考にするべし。あんまりジロジロ見てると「ヘンなオッチャン」と思われるから、時々。

12月 1 日、六甲道と大学の間をバスで往復する。六甲登山口からウェルブ六甲の南までの区間は、信号だらけで、歩いた方が速いくらいトロトロと進む。今日が晩秋の土曜日で、日中の交通量もソコソコあるという原因もあるだろうか。ついでに、ノンステップバスの降車口付近は、座席を撤去してスッキリさせた方が良いのではないかと思った。あそこで、いつも乗客が押し合いへし合いするので、よく乗客同士で口論になるのを見かけるからだ。今日も、なんだか険悪な雰囲気になっていた。床のステップは平らにできても、人々の心まで(自動的に)「平らか」にはできないのである。工学的には、もっと小さな車輪でバスを造れないかという課題もあるだろう。舗装道路を走る限り、少しは小さくできるかもね。車輪の数は増えるかもしれないけれど。

11月30日、さあ急げ、もうすぐ大阪空港にお客さんが到着する。阪急蛍池で降りて、モノレールへ急ぐ。おお、みんな走っているではないか、ホームに出て発車直前の列車に飛び乗る。さあ空港へ! ... あれあれ、なんか、待兼山の方向へ動いて行くではないか。ああ、やってしまった、柴原駅までチンタラチンタラ、そこで降りて折り返し。これで10分ロスしてしまった。気をとりなおして空港方面へ乗り換えて、到着したのは朝の9時半頃。大阪空港の欠点(?)は、チェックイン荷物の取り扱いがあまり速くないこと。手荷物だけでサッサと出て来る乗客よりも随分と後になって、ようやく「荷物だらけ」のお客さんが笑顔でやって来た。この日は、大学→不動産屋→区役所と、アチコチ巡る目まぐるしい予定を何とか5時までにこなせた。過酷だったかな、24時間の旅行の後に、こんなに詰め込むのは。

11月29日、神戸大近辺にやって来て、ホイッと新生活を始める、その時に何が必要だろうか?と、あれこれ思索を巡らせる。充分に準備したつもりでも、抜けている項目が後から後から出て来る。やっぱり、2週間そこらの一時的な滞在と、1年を超える長期滞在では手続きに大きな違いがあるものだ。お役所との折衝も色々と出て来るだろう。日本語の標識が読めなければ?この点、神戸は「わりと」大丈夫らしい。けっこう、あちこちの表示がローマ字併記になっている。来日の初日が金曜日というのも、今から考えればせめて水曜日にしておくのだったと反省。まあ、週末は、休息を取る時間に充ててもらおう。あ、キーボードは JIS 配列ではいけないのだった、欧文配列を探しておかないと。いや、それとも、今時分のことだから、パソコンは自分のを持って来るかなー。まとまりのない1日であった。

11月28日、横断歩道を渡っていると、停車中のマイクロバスの運転手さんが窓から身を乗り出して後方確認。いや、何だか方向が違う。後方は後方でも、視線は空に向かっている。その先に目をやると、空にプカプカと飛行船が。これは珍しい被写体、横断歩道を渡ったら、早速カメラを向ける。あら、スヌーピーが描かれている。去年も見たかな。調べてみると、来年の1月初旬まで関西の空を行き来するようだ。運転手さんは、どうやって気づいたのか?そのマイクロバスが、幼稚園の送迎車であるというのがポイント。きっと、車内は飛行船出現で騒然としていたのだろう。飛行船はというと、神戸港あたりで方向を変え、またまた神戸大学の真南までやって来た。望遠レンズを向けてみると、パイロットらしき人影が辛うじて見えた。パイロットさんが双眼鏡を地面に向けると、きっと凄い数の視線に気づくことだろう。

11月27日、デスク横に立ててあった、10年以上「書いたまま」消さなかったホワイトボードを、ついに白くする。ずっと昔のこと、まずイレーサーが役立たずになって、また室内でマジックを使う臭気も気になって、長らく「書きっぱなし」で放置していた。イレーサーが駄目なら、水を含んだ雑巾ならどうだ?そういう工夫をしているのを、アチコチで見かけたから「自分でもやってみよう」と、思い立ったのだ。試してみると、実に良く消える。ボードが白くなったら、使ってみようという気になるから不思議。今日のディスカッションは、久々にボード前。それまでは?机の上で、紙と赤ペンを使っていた。数人までなら、この方法も案外うまく行く。この時に使うのは「裏が白い紙」で、ついでに「表がヤバくない」もの。段々と、みんな両面印刷するようになって来て、裏が白い紙も尽きてきたから、このまましばしボードを使い続けるか。

11月26日、古いスキャナーを復活させることにした。但し、ドライバーは Windows 用か、あるいは PowerPC コードのものしかない。最新の MacOS X では動かないのだ。これを何とかする為に、秘蔵しておいた Mac Cube を復活。但し、古い OS を使うからには、ネットから切り離しておかなければならない。ファイルのやり取りは、USB メモリーを使っての事となる。しかし、この四角いマシンには、USB ポートが僅かに2つ。給電能力が低くて、メモリーを挿したりしたら音を上げる。仕方ないから、給電付きの USB ハブを入れる。何はともあれ、セッティング完了。年季の入ったマシンの組み合わせではあるけれども、動作は盤石。さて、手始めに昔書いた博士論文でもスキャンしようかな。

11月25日、阪急電車 8000 系の内でも初期の 8001F に乗る。この頃の 8000 系の特徴は、VVVF インバーターの音が大きい、低速から中速にかけて加速のスムーズさに欠け、雨の日は空転し易いことなど。ところが、あれれ、今日の 8001F は 9000 系のような加速の粘りがある。ついでにインバーターの変調音も違う。早速ネットを叩くと、夏の内にモーターとインバーターを「片側の先頭車だけ」入れ換えたのだそうな。1両だけで、こんなに劇的な効果があるということは、初期の 8000 系が秘めていた駆動能力は悪くないものであった、ということだ。制御がイマイチで本領発揮とは行かなかったのだろう。これから、どんな形で「つぎの車両の改装」をして来るかが楽しみになった。

11月24日、スケートを習う場合、貸し靴では上達が遅いというのが定説である。もともと、あまり良いエッジが付いていないし、足のサイズが完全に合うことも期待できない、ついでに(靴が完全に倒れてしまったような)想像を絶する履き方を繰り返されて、足首の部分がグネグネに折れてしまっているからだ。でも、時々いるんです、この逆境をハネ返す強者が。特に子供。貸し靴のエッジにバッチリ乗って、フォアもバックも楽々スラローム!これこそ才能のなせる技、教える人が教えたら全日本クラスの大会にポーンと出て行くんじゃないかと思うほどだ。今日はスケートの大会が放映されたから、これから先はスケートリンクがどんどん混んで行くはずだ。朝型にスイッチして、午前のリンクで練習しようかなー ....

11月23日、宇多津駅で列車を連結する作業を見た。2つの列車を連結するというのは、信号を律儀に守る限り面倒なものだ。普通は閉塞区間へは1編成しか進行できないからである。停車している列車へと近づいて行く列車は、赤信号が出たまま手信号で閉塞区へと入って行く。そして、手前で1度停車。作業員が乗り込んで再び発車。そして、また直前で停車。その後発車すると、ガチャンと連結される。その後、運転台を貫通させて通路にする。これが面白い。普段は車掌さんが座っている場所に、誰でも入れるのだ。誰も居ない運転席も横から、ガラス越しに見ることができる。連結した編成が別の種類の車体だと、なお面白い。その宇多津、昔に比べるとエラく開けたなー、結婚式場がゴロゴロ建っている。

11月22日、講義担当の関係の事務書類に学位記のコピーを添える必要があるので、久々に筒から出して広げてみた。門下生(?)の中でも、総長として先生の名前が入った学位記を持っているのは、数えるほどしか居ないはずだ。5年間に渡って教えてもらったことを含めて、大切な宝物である。台紙は普通の紙なので、そろそろ紙質が固くなって、広げ辛い。真っすぐに広げておく方が良いかなーとも思う。但し、額に入れて飾るのは趣味ではない。今後またコピーが必要になった時のことも考えて、余分に数枚のコピーも取っておいた。事務書類の方もサッサと仕上げなければ。こうして、講義担当できる身分に今あるのも、おかげさまと思って日々精進するか。その前に、ちょっとお茶。

11月21日、イチョウの葉が黄色くなって落葉する様子を眺めていて、ふと思った。あれは、分類上は針葉樹であったはず。針葉樹といえば松に杉に檜、どれも真冬でも葉を落とさない。従って針葉樹は落葉しないものだと信じ込んでいた。そうか、イチョウが落葉するのだから、針葉樹も落葉していいんだ。ここでネットを叩くと、カラマツなど落葉する針葉樹が次々とヒットした。世の中広いものだ。ところで、記憶に引っかかっていた「イチョウ針葉樹説」は本当なんだろうか?調べてみると、答えは「そうとも言えるし、そうでないとも言える」という曖昧なもの。針葉樹という言葉の定義が、ハッキリとはしていないのだ。生物学というのは、寛容な学問なんだと思った。

11月20日、もう来週には、海外から研究員がやって来る。辺りを見回すと、まだガラクタの山、これをどうにかして収納してしまわなければならない。例によって、まず捨てられるもの探しから。インストールディスクの類いは、不要なものだらけである。当然、その解説書も。これが「初代 Mac」ならばプレミアも付くのだろうけれども、そこそこ数の出た「潰れかかった頃の Mac」ではどうにもならない。PowerPC の泣き所は、結局のところチューニングされたソフトが不在であった点だろうか、本来の能力を活かしきれないまま「Mac の世界」からは消えてしまった。ああ、いかんいかん、こういう知識のガラクタも捨ててしまって、どんどん作業を続けないと、来週までに最終的な掃除まで済まないぞ、さあ、急げ、急げ ....

11月19日、カブが美味しい季節である。大根は年中出回っているけれど、カブはそうは行かない。特に、葉が柔らかいカブは、花芽と縁のない今の時期ならではの食材である。すぐに火が通るし、味わいも特徴があって良い。魚の切り身と煮てもおいしい。閉店前のスーパーで、刺身でも拾って来たら、角切りにしたカブと合わせて、サッとダシでゆでる。美味なること限り無し。... 大げさか。カブの難点は、根菜なのに、すぐに痛んでしまうこと。買ったら、すぐに食べる。値上がりを期待して売り買いする(?いや、投資はそういう目的でするモンじゃないですが)カブとは、ここが違う所。さて、今日は売ってるかな?ついでに、半額シールの魚もあるかな?。まあその、教員稼業というのは、細々と粗食に小さな喜びを見いだすことができる身分なんですから、有り難いもんです。

11月18日、今日も氷に乗りたかった、が、乗れなかった .... まあともかく、今日は山の上まで足で登ったから、足腰を鍛えたという意味ではスケート上達に貢献できたと思って、わずかばかりの慰めとしよう。氷から離れると、ますます氷に乗りたくなるのである、来週はきっと乗るぞ!さて、自宅で使っている保温電気ポットの調子がおかしくなって来た。保温の温度が保てなくなったのである。温度が下がると、自動的に再沸騰となるから、1日に何度も沸騰する。制御不能状態とまでは言わないけれど、何とも落ち着かないものだ。エネルギー消費も増えていることになる。原因はたぶん、魔法瓶の真空度が何らかの影響により落ちたことだろう。これはもう、買い替える他ないと判断して、10年以上使ったポットを買い替えた。古い方はどうしようかなー、ゆで卵を作るくらいの用途には使える。いや、ビニールパックに入れた食材の煮込み料理なんかにも使えるだろうか?

11月17日、氷の上で、今日も足腰を鍛える。いま直面している問題は、アウトエッジの小回りができないということ。片足のスネークで描く程度の大回りなら何とかなるのだけど、もっと小さな円、例えば30センチくらいで回れと言われると、全く無理。インだと、不安定ながら、何とか回れる。その場合のエッジの使い方からすると、少しトウ側に乗るのだろうか?今度、延々とその練習している人が現れたら、よく見ておこう。ずーっと上級の子供達は、ステップの中で楽々と小回りしている。ただ、動作があまりにも矢継ぎ早で、どこをどうやって運動しているのか、見当もつかないのである。大学に入ってから本格的にスケートを始めた、という学生さん達を見て学ぶのが、手っ取り早い「ただ乗り練習」の方法である。先生を雇う余裕は、残念ながら無い ....

11月16日、大学の総長の肉声に接する機会というのは、そんなに巡って来ない。学生だったら、入学式と卒業式くらいだろうか?大学で勤めていても、その運営にかかわらない限り、年に1度お目にかかるかどうか、その程度だろう。「研究室の先生」が総長になったら?そういう研究室も、必ずあるわけで、そういう場合には形の上では「週に1度くらい総長に会う」ということになる。しかし、研究室にやって来るのは相変わらず「研究室の先生」であって、総長らしい姿は見えて来ないものだ。そしてやがて、卒業式となって、ようやく「総長になった先生」を目の当たりにする。立派という言葉について短い「お話し」があった。派を立てるから立派なのだと。いま、何か派を立てることができたかどうか、自問すると .... 徒党を組む程度で満足しているのではないかと思う。

11月15日、この時期、晴れていると思えば、サッと通り雨がやって来ることが良くある。ちょうど、そういう時に移動しなければならない、という不運もあれば、うまく雨を外して行動できるという幸運もある。こうして文章に落とすのは、大抵が不運な場合。気象レーダーを見ても、狙い撃ちされたとしか思えないような、ごくわずかな時間の雨に、ちょうど重なってしまった。移動し終えると、またカラリと晴れ。まさに時雨。今日の夕食のおかずは、時雨煮にするか?いや、あれは短時間では、なかなか調理できない。油だらけの霜降り肉を使えば、何となくそれらしい物を短時間で調理することも可能で、それなりに美味しいのだけれども別の料理。時雨煮を大根に、いやカブにかけて、お椀で出す。汁も張るか?トッピングは何?前後に出す皿は?ボケ防止に、毎日料理に頭を使わないとね。

11月14日、職場の部屋の整理も大詰めとなった。今日は本棚やキャビネットの内容物の移動に取りかかる。ひとつ、ひとつ、物を手に取る度に、それを使っていた頃のことを思い出すものだ。例えば、何年か前に行っていた講義の資料で「お蔵入り」のものもある。当時の講義風景はこんな具合だったとか、あそこで板書に詰まったとか、色々な出来事が浮かぶ。曲がりなりにも教員として働いている、いや、働かせてもらっているので、他にも保管しておくべき「紙の山」はいくつもある。これらを、棚から棚へと移動する作業の途中で、少しだけ久しぶりに眺め直した。当時は機械的に見ていたものも、改めて目の当たりにすると行間に人間を感じる。そうこうしている内に日が暮れて、気がつけば夜であった。辺りは暗いけれども、心に灯をともして帰ろう。

11月13日、昼過ぎに講義をしていると、曇り空が更に進んで、辺りがどんどん暗くなる。講義室で受けた質問が、なかなか興味深かった。フーリエ級数で、フーリエ係数は加算無限個なのに、どうして実数を引数に持つ関数を表せるのですか?というもの。そんなん、物理学者の私に問われても、よー答えん。フーリエ級数で表せる関数は二乗可積分であって、しかも値が飛ぶ時には中点に「孤立した飛び値」を持つという性質があるから、それらを満たさない関数は「幾らでもある」と答えるのが関の山である。改めて、実数というものを理解しないまま日頃から使っている「物理屋の習性」について考えた。さて講義が終わってあれこれ作業をしていると、激しい雷雨がやって来た。雨が降り出すと、空が明るくなる。不思議なものだ。

11月12日、倉庫番という頭脳ゲームがある。倉庫の中に本棚のような荷物が並んでいて、押して移動するというだけのシンプルなルールである。引っ張れないというのがミソで、下手をすると自分で移動した荷物に閉じ込められてしまう。そうならないように、右へ左へと、空間を空けながらの移動が肝要だ。さて今日は、まさにその作業日。居室の中の、本棚の位置を壁際から部屋の中央に移した。本棚の高さは1メートルそこそこ。ギックリ腰にならないよう用心しながら、ズルズルと移動して行くこと○時間、体力が尽きる。メタボ減らしには良い運動だっただろうか?いや、酸素摂取量は大したことなかったかもしれない。

11月11日、雨の1日。朝の9時から13時まで会議。1年以上にわたって、月に1度以上集まって精査して来たことに、一応の決着がつく見通しができた。但し、これは作業の始まりを意味するのである。来年の春まで、休日の会合が今しばらくは続くはずである。遅い昼食をはさんで、次はスケートに燃える。片足のスネークを、なるべく「半円から半円へ」とエッジが乗った状態で行う練習を延々と続けた。周囲には、単なるアホウと映ったことだろう。目標は、毎度あちこちで吹聴しているように、同じ場所で8の字を延々と描き続けること。まだ、エッジを返す時の加速に頼っていて、上下動と連動していない。ともかくこれの8の字が、左右の足で前後どちら向きにも描けるようになったら、行く行くはターンを入れてみたいものだ。

11月10日、訪問団の皆様は今日の便でお帰り。最終日まで天候が保って、まあまあ温暖な気候でよかった。韓国の料理を思い出して、日々の食卓にキムチを並べてみようかとも思う。さて、その調理について:最近は野菜を蒸す方法の研究中。陶器の中に根菜などを入れて、ダシを少しだけ加えてラップしたものを、1時間ほど静かに蒸すと、野菜の風味が飛ばずに「煮物」が仕上がる。煮くずれることもない。蒸す時には、とても大きな鍋にスチームプレートを敷き、そこへ容器を並べる。温度が上がると空気が膨らむので、あまり空気が入らないように容器の大きさを調整すると、調理中に「積んだ容器」が傾かずに上手く蒸せる。和食屋さんのキッチンで見た調理法を、ちょっと真似しているだけ、なのではあるが。

11月 9 日、ハーバーランドで、訪問団ご一行様の送別会を行った。当然、2カ国語を通訳しつつの式次第となる。日本語とハングルの間では、文章の途中で適当に区切っての翻訳が容易らしい。通訳さんが、時々、日本語で聞いたものを日本語でオウム返しにしたり、その逆があったり。それくらい、簡単にスイッチできるということなのだろうか、これら2つの言語は。確かに、留学生の中で、いちばんペラペラと日本語を話すのは、韓国からの留学生だ。土産話は尽きないけれども、楽しかった交流も一区切り。また来年、こちらからの代表団を送れるよう、精進して行かなければならない。

11月 8 日、保管しておくべき書類の置き場所を変えることにした。保管するべきとは何か?と、詳しいことは言えないのだけれども、何処にでも「そういうもの」は存在するものだ。但し、保管するべき期限が切れたものもあるので、一応、端から目を通しておくことにした。確かに「もう、これは秘密でも何でもないや」というものも多い。それはゴミ箱へ?いやいや、その次に「廃棄の方法」という壁が立ちはだかっている。秘密ではないにしても、例えば個人名が一つでも書いてあったら、そういう書類を「そのまま」捨てるわけには行かなくなる。うーん、紙なんか使うから、こうなってしまうのだ、全てコンピューターファイルにしてしまえば良いのに。... いやいや、その場合は鉄壁の流出防止対策をしなければならない。ともかく、紙にせよ、ファイルにせよ、受け取った時点で廃棄のことを考える習慣をつけようと思う。さもないと、ゴミ屋敷と化してしまう。

11月 7 日、去年は韓国・光州の朝鮮大学を訪れ、今年は訪問団をお迎えする。海を隔てて、山を隔てて、互いに人々が同じ目標へと向かって働いている、それを知ることは実に有意義なのだ。目標が同じであるとは言っても、それを実現しようとする方法は少しづつ違う。考え方の違いもあるし、兵役を初めとして環境も異なる。研究であるとか、企業の生産活動であれば、頑張れば「やがて対峙する」ことになるのだけれども、今回は大学生協同士の交流なので、活動の結果として資源の奪い合いになることはない。互いに頑張ろう、という認識が共有できる、良い関係だ。唐辛子とワサビのような関係、と表現しても良いかもしれない。幸い、週末まで天候が安定していて、紅葉も桜の木から始まって秋らしい雰囲気が楽しめるのでは?と期待している。

11月 6 日、本棚の整理もかねて、まず本棚の中身を全て降ろして、本棚を動かして、そして本の詰め直しをする。これが実行計画であった。さて作業開始。動かないだろうと思っていた、中身の入った本棚が押せば動くではないか。作業スペースがあまり確保できないので、移動を先に行うことにした。動かした後で、よーく中身を見てみると、やっぱり半分くらいは「もはや意味のないもの」と化している。何でも保管してある間に、価値というものは変わって行くものだ。それも、大抵は不要な方向へと。「購入時の予定どおり、配布先へと郵送した残りの、ほんの少しの予備分の」論文の別刷りも、この際、廃棄することにした。(←前置きが長いって?)最近では、別刷りゼロがデフォルトとなった雑誌社も多い。proceedings を出版しない会議も増えて来たな。それはそうだよね。

11月 5 日、阪大病院の近くにある、医学系の図書館の門構えは、なかなか堂々としている。あれ、何処かで見たことがある。記憶をたどって行くと、中之島にあった講堂のデザインと同じだ。千里に移転する時に、伝統ある風格を、そのまま移したかったのだろうか。阪大の千里キャンパス(と豊中キャンパス)は少しばかり内陸になるのだろうか、神戸よりも木々の紅葉が早い。水辺があって、カメやカモが泳いでいた。カメは、望遠レンズで見てみるとミドリガメ。カモの方はカルガモ。繁殖力の強い組み合わせだ。ハクセキレイなども遊びに来ていた。圧倒的に目立つのがカラス。やっぱり、食い物のゴミが出る場所には、この鳥が必ず出没するものだ。

11月 4 日、5カ月と少しのブランクを空けて、再び氷に乗る。直前にエッジ研磨をかけておいたので、「甘いエッジの倒し」でも引っかかって、そこそこ滑れた。シーズンに1度の研磨では、少し回数が少ないかな?と思ったりする。但し、あまり削りすぎると、エッジそのものがパーになるから、そこの兼ね合いが難しい。今シーズンの目標は、片足のスネークでエッジチェンジの度にターンすること。頭の中では、こんな風に動いて、と、思い描いてみるものの、実際にターンした後に深く乗ることができないのだ。特に、超苦手の LBI から LFO へのターンを確実にしなければならない。あれでボテッとコケたことが何度あるだろうか。

11月 3 日、とあるホテルで、来場者の受け付けを行う。70人くらいだろうか、名簿と照合して、テープル番号を案内するのである。名簿は年齢ごとにソートしてあるけれども、五十音順にはなっていない。1人来られて、探し当てるまでに速くて10秒、遅いと30秒はかかる。しかし、受け付け時間は1時間。当然、ドドッと何人か同時にいらっしゃることもあって、目は名簿にクギ付け。目を見て挨拶するという余裕なし。ホテルマンって大変なんだろうな、と、思った。人名漢字というのは、とかく難儀なものだ、講義の成績管理を行う時にも注意を払っておかないと、後から労力をかけての再点検の原因となってしまう。

11月 2 日、野菊が咲く季節になった。道端に、紫色の蕾や、白くて淡い紫色の花が並んでいる。日当りの良い場所に咲くので、探せば幾らでも見つかる。品種を調べてみると「ノコンギク」とか「ヨメナ」とか「ユウガギク」などだそうだ。私がよく見るのはヨメナらしい。園芸品種の丈夫な菊の花と比べると、花びらが細く薄くて、はかない美しさがある。紫色の色合いが、お坊さんの袈裟を連想させるようでもある。秋が深まる頃になって、ようやく花を咲かせる、季節の花。一見すると寂しげに見えるけれども、この頃に咲く花は少ないので、ミツバチが次々とやって来る。自然はうまく出来ているものだ。

11月 1 日、管を使って液体を移動させる時に、必ずお世話になる公式がある。ハーゲン・ポアズイユの法則である。これは粘性を持った流体を流す時に、管の両端の圧力差をどれだけにすれば、流量がどれくらいになるか?を計算する公式で、管の長さと直径がパラメターとして入る。あ、それと液体の粘性係数も。一般の方にとって、ちょっと意外なのは流量が管の断面積には比例しないことだろう。管の太さを2倍にすると、同じ圧力差のもとで、流量は16倍になる。圧力をドンドンかけると、どんどん流量が増えて行くか?これには「乱流」という限界がある。あまり圧力をかけすぎると、管の中の流れが乱れて、振動なり発熱なり、歓迎されない現象にエネルギーが吸い取られる結果、圧力の割に流れは増加しなくなってしまう。流体は難儀なものだ。

9 月と10月の1行日記