5 月と 6 月の1行日記  

4 月30日、投稿してもいいや、と、思ってた論文原稿を真面目に読んでみると、大きく手直しする必要があることに気づく。近頃、常に10件くらいの「書きもの」が重なっていて、夜逃げ寸前。こういう時に限って、長い論文のレフリーが舞い込んだりする。これ以上増えないように、また請けた仕事は片端からこなして行きたいものだ。但し、義務として書くのではなく「書きたいものから書く」のである。これ、重要なこと。
4 月29日、野菜スープを無水調理で作る時に、粘性が高い汁の場合には焦げ付く恐れがある。いつも、鍋に付きっきりで作業していたのだけれども、かき混ぜてれば野菜が崩れるだけだし、時間ももったいない。そこで、湯煎調理することにした。大鍋に湯を満たして、スチームプレートを水没させ、その上にスープ小鍋をかける。結果は上々、フルーツのような香りも飛ばない仕上がりで、これからの定番調理法になりそうだ。空焚きには要注意。
4 月28日、青空が広がった。翌日の空の色は、気象衛星の「水蒸気画像」をみれば、おおよそ見当がつく。良い天気であっても、水蒸気画像で白ければ、空はあまり青くならない。それはどうして?え〜と、レイリー散乱が ... いや、それは水蒸気にかかわらず存在する。飛行機の窓から眺める時に目にするような、薄い雲が層状に出来ているのだろうか?水蒸気画像を全球で眺めると、北半球と南半球に似たパターンが見えて来る。赤道が境界条件か。
4 月27日、量子力学を教える時には、シュレディンガー方程式を「いつ」出してくるか?という問題がある。量子情報理論では、量子力学を使うにもかかわらず、最初から最後までシュレディンガー方程式が出て来ない。本家の量子力学も、ファインマンのように最後の方になって、ようやくシュレディンガー方程式が出て来る。もっとも、ケットの時間発展方程式は早々に紹介してある。一応、黒板には書いておいたけれど、まだ深入りしてないな。
4 月26日、Modern Quantum Mechanics という本がある。直訳すると現代量子力学あるいは前衛量子力学。何気ない題名に隠された秘密に気づいてしまった。古典つまり Classical の反対語は、世間一般には Modern つまり 前衛あるいは現代、物理学者には Quantum つまり量子。従って Classical Mechanics (古典力学) の対極として Modern Quantum Mechanics が存在するわけだ。J.J. Sakurai って、芸のある人だな〜、尊敬が深まった。
4 月25日、トリクロサンについて、あれこれと調べている。こういうのは難しい。たとえば大昔に、中耳炎の治療で延々と飲まされたクロマイシンは、副作用が出る可能性と効用を天秤にかけた結果、現在では用いられない。マーキュロクロムは、大量には使えないとか、金属イオンを含むので廃棄物になると困るなどの理由で消えた。一方、消えたサッカリンは、実はあんまり害がないらしい。じゃあトリクロサンは?毎日、接していることは、確かだ。
4 月24日、ひまわりは、お日様に向かって咲く元気のよい花。ひまわり、という題名の映画では、その花の明るさゆえに、違った風景が見えて来る。ひとつの花にも、色々なストーリーがあるものだ。例えば「ひまわり」と「闘病」をキーワードとして組み合わせて考えてみると、生きる力そのものを花に重ねることが思い浮かべられるだろう。花屋さんは、精神的に「も」タフでないと勤まらない仕事だな〜と思う。
4 月23日、さあ気持ちよく、坂を登るぞ、ルンルンルン。と、登坂途中で煙にむせてしまった。前方に歩きタバコ学生発見。下手に反応して逆ギレされても何なので、こういう場合は可能な限り即座に追い越すことにしている。追い越せなかったら?いや、喫煙中の者に酸素分圧と酸素摂取量で負けるわけには行かない。登坂ダッシュ!かくして、今日もヘトヘトになりつつ坂を上りきったのである。風邪ひいてる身には辛い?!
4 月22日、伊吹島の大羽いりこ1袋を下処理する。頭とお腹を取って、半分に割って中骨を取る。選別すると、身とクズが半々くらいになる。身の方はそのまま食べて良し、酢につけても良し、ダシも良く出る、申し分なし。さてクズの方は?腹だけでも取り去ってから水で煮ると、とりあえずエグいダシが出る。黒唐やショウガ、山椒などを加えると、佃煮のタレにはなる。ちょっとキモ風味の苦みもまあ良し。
4 月21日、浪速スポーツセンターに出没する。偶然のことであるが(??)神戸大の学生さん達も大勢やって来て滑っていた。若いって素晴らしいな、大学からスケート始めても、努力次第では2級くらいまで上達するのだから。四十の手習いでは、こうは行かない。この春までのシーズンでは、前進滑走の支持足のアウトエッジ感覚が多少掴めたことと、バックのへっぴり腰が少しひっこんだ程度の進歩があったかな。
4 月20日、量子力学に確率が出て来るので、まあチョイと演習も兼ねてアレもコレも、と、高校数学で習う確率の復習をしたつもりであった。が、かなりの部分が「復習」ではなかったようだ。これが、もう終りを告げた「ゆとり教育」で教えられなかった内容であたのか。まあ、少々のことを学んだかどうか?という点はどうでも良い。大切なことは、新しい内容を直ちに、論理的に理解できるかどうか、その能力である。
4 月19日、シソの芽が出てきた。少し大きくなったら、ポットに植え替えて苗にしよう。とても強い植物で、日当りが充分であれば巨大な株に成長する。花が咲く頃には、蕾も花も食べられるというオマケ付き。そして、放置しておくと種がバラバラと落ちて、翌年また何処からともなく生えて来る。吸った栄養に比べて、茎として残る部分が多いという非効率な面もあるので、それは「こやし」に戻してしまおう。
4 月18日、桜が咲いている間、視線が桜に吸い寄せられていたことに気づく。というのも、地面に咲いているカタバミやタンポポの花が、今日になって急に咲いたように思えたからだ。ホントは、一週間くらいかけて、じわじわ咲いて来たに違いない。その桜、一年中室内で育てると花をつけなくなるのだそうな。チューリップと同じように、一度は冷やさないとダメらしい。球根なら冷蔵庫に入れればいいのだけど。
4 月17日、スイスから来日のお客さんがセミナーを開いてくれた。その先生の本拠地はポール・シェラー研究所。Brugg という、ひなびた町の外れの麦畑のド真ん中にあって、川の両岸に研究所が分かれて建っている。スイスらしく、田舎もまた風光明媚。あんな小さな研究所なのに、素粒子やら流体やら理論物理やら、いろいろな人材が宝石箱のように詰め込まれている。何より、レストランの食事がウマい。日本の研究所も見習うべきか?!
4 月16日、ミンチ豚肉の特価販売があった。何でもミンチにしてしまえば、判別がつかなくなるとも聞く。細かいことを心配しなくても良い調理方法とは?まず充分な量の水に放り込み、ショウガとともに、ひとまず沸騰させる。先に混ぜるべきか、沸騰してアク取りしてから混ぜるべきかは別として、ともかくバラバラに混ぜてしまう。そして、浮いた油や脂身を丁寧にすくいつつ煮詰めて行く。こうして作った脱脂そぼろを、各種調理に使う。安い肉は、やっぱり油が多いものだ。
4 月15日、大学近くの「おばの山」をず〜っと登ってみた。六甲学院から上へ延々と進むと、突然目に入る安藤忠雄設計に間違いない個人住宅。宅地のニューフロントだ!? 更に登って、長峰への登山道を半分まで上がる。日没が迫ったので下山して、今度は篠原台へ抜ける裏道に入る。あれは危ない道だ、少なくとも降りる時には使わない方が良い。宅地に入ると、山の中腹であることは忘れてしまった。
4 月14日、久々に大阪城まで足を伸ばす。あそこは、大阪のアートスペース。ストリートパフォーマーの巣でもあるし、園芸も披露してくれる。中国拳法してる人も。あの天守閣、鉄筋コンクリートなので戦後の作品だと固く信じていた。中に入って説明書きを読むと、戦前のものだと。そうと知っていれば、もっとコンクリートの肌をよく眺めておくのだった。昔のものは、砂粒が美しいものが多いのだ。
4 月13日、量子力学の第一回目。色々と、核心を突く質問が飛んで来る。例えば、波動関数の次元は何ですか?波動関数は場だと思っていいんですか?など。今年も面白い経験をさせてもらえそうだ。さて、デルタ関数には色々な構成方法がある。どう構成しても「同じデルタ関数」になってしまう所に、実数というものの定義と極限操作の不思議があるものだ。少しは進んだ内容も講義できるかもしれない。
4 月12日、あいびき肉のラグーをいっぱいつくった。何に料理しようか?と悩んで、一旦冷却。そうだ、ラザニアにしよう、と、思い立って四角い麺を買って来る。水でゆでなくても使えるのだそうな。バットに麺を敷いて、ラグーを厚塗りして、チーズをおろして、これを何段か繰り返し、最後にトマトジュースをかけてオーブンに入れる。出来上がりを見たら、麺が膨れて大きくなっていた。そっか、膨張率(?)も計算に入れないとダメなんだ。
4 月11日、保険はどれでもそうなのだけれど、支払い条件を良く読んでおかなければ意味がない。旅行保険で、物損について何十万円まで補償と書いてあっても、一つの物品についての支払い上限は、それよりも低い場合がある。こういう場合には用心して、支払い上限額以下の物品しか携帯しないように心がける。空港で預けた荷物は「無いものと思っておく」と、イザ消失した時に慌てなくて済む。国際会議に行くと、参加者の誰か1人はロストバゲージに遭うものだ。
4 月10日、とある場所で ブログ を始めるのだそうな。「文屋」の私に最初のお鉢が回って来たので、最初から画期的なことを書かないように、地味なものを掲示してみた。なにせ、現代物理学の手が届かないような領域への話なので、突っ込みどころだらけだろうと思う。最後の1行も、たとえば大臣が発言すると新聞ネタとなるかもしれない。ある程度、発言の自由を確保するには、日頃から人々に「信頼されないこと」が必要ではないかと思うのである。
4 月 9 日、パソコンの中身を消去する。一応、一度はゼロを書き込んで、中身の復活を「ほぼ」完全にできないようにする。これが、結構時間がかかる。普段、ハードディスクの中身を端から端までアクセスすることなど殆どないので、読み書きの時間をあまり気にすることはないのだ。ハードディスクの容量は大きい方が良いと考えがちだけれども、それは部屋の中に次々と整理せずに物を放り込むような行為を準備する環境なのである。
4 月 8 日、材木の価値というのは、実によくわからないものだ。建具や家具や額縁など木を組み合わせるものや、ハシのように曲がっては困るものには木目が真っすぐに通った、節などのないものが良い。理想的な柾目の材は高価である。一方で、ナイフの柄や木のボタンなど、一風変わった木の持ち味を出す時には曲がったり樹脂がしみたり針虫が入ってたりするものが重宝され、これまた高価。適材適所という言葉そのものか。
4 月 7 日、京阪七条で降りて JR 京都駅まで歩く。京都は見通しが良い。現代の車道は、平安時代の頃よりもきっと随分と広いんだろうな。と、思ったので帰宅してから調べてみると、あらびっくり、平安京の道路は戦車パレードもできれば滑走路にもなり得る広さ。どうして、そんなに土地が広く取れたの?それだけ広い道路で区切ってあったのに、どうして「先のいくさ」で燃えてしまったの?
4 月 6 日、ノートパソコンの状態を見て回る。ひとつ、妙なのがあった。キーボードの感触が尋常ではない。よく見ると、幾つかのキーがオシャカになっている。ピアノを弾くようにキーボードを叩くと、こうなる。タイピングでは、弱い指も強い指も、粒をそろえて同じ強さで、同じリズムで刻むのが基本。でも、今の世の中、タイピングだけを教えるなんてことは、もう無いよね〜 ...
4 月 5 日、免許の更新講習では、歩行者に安全を感じさせる走行についても気を配るよう書かれた冊子を受け取る。安全な間隔が無ければ法に定めがあるとおり徐行。危険を感じた歩行者が腰を抜かして転倒したような場合では運転者に責任が問われることがある、と。拡大解釈のし過ぎはイケナイけれども、歩行者の立場にある時は、常々守られて欲しいことだ。ときに道路脇の電柱、あれ、場所によっては危険を招いていないかい?
4 月 4 日、講談社の「相対論的宇宙論」を改めて開いてみる。(残念ながら初版本ではない。)イラストの多くを松本零士が描いていることでも有名な本だ。新装版になって、現在も売れ続けている。そうだ、著者のサインをもらっておこう、と、思い立つ。幸い、ご近所にいらっしゃるのである。著者に「これを読んで、結局は非相対論的物理屋になりました」とでもコメントするべきであろうか???
4 月 3 日、一体どれだけの雨が短時間に降ったのだろうか?とある場所の地上階に水が出たので、清掃員に早変りする。こういう時に、全身赤というのは実に都合が良くて、モップや毛ブラシで床を掃き拭きする姿に違和感がない。(←と、信じている。)毎日の丘上りで足腰を鍛えていると思っていたけれど、腰を入れての作業は筋肉痛を呼ぶこと間違いなし。
4 月 2 日、土佐文旦の露地物がドッサリひと箱。一個120円くらい。皮は厚めで、中身は当たり外れがある。外側の皮をむいた後で、白いワタを取らないのが身を奇麗にむくコツらしい。中には、種ばっかりの実もあるので、既にコップ一杯分くらいの種が取れた。植えて芽生えさせれば、運がよければ文旦の苗になり得るものが出て来るかもしれない ... と信じて種を集めるのである。
4 月 1 日、天平の立像を何体も見る。一見すると怖そうに見える像も、よくよく眺めるとユーモラスなのである。誰かに真似させてみると良い。どうして、あんな格好になったのか、理由が知りたいものだ。足首を開いて足下を閉じる運び方は舞踊でよく見かける。八部衆が激しく舞う踊りがあったのだろうか?同時期の青銅器も色々と眺める。少し削ると、きっと中身はブラス色してるんだろうな?!
3 月31日、えら〜く荒れた天気となった。育てていた植物も、鉢が倒れたり葉が枯れたり、さぞ大変なことになっているだろうと見て回ると、意外と平穏であった。冬のうちに、たびたび強風にさらされて来ただけのことはある。高層天気図を見ると、ずーっとトラフが長居するパターンになっていて、春になっても寒気爆弾が次々とやって来るのが今年の特徴らしい。
3 月30日、何とか接着を外すことに成功。割った断面に、今度は2液混合型エポキシ接着剤を塗り、刃を挟んで再接着。はみ出した接着剤はエポキシ塗装として木の表面に塗りたくる。その上から輪ゴムかけして放置する。完全硬化まで48時間。その間の適当な頃合いに輪ゴム外しと、接着剤が盛り上がった部分の削り取りなどが待ち受けている。硬化したら樹脂の削り飛ばしと表面研磨、オイルかけ乾燥、更に研磨と続く。
3 月29日、小さな木片に、チョイと3カ所だけ木工ボンドをゴマ粒ほど乗せて、もう一つの木片を「仮接着」した。2つの木片が合わさった状態で切削加工し、仕上がったので接着を外そうと試みるが ... 意外と強力に接着されていて、離れない。水に漬けると木が狂ってしまうし、無理に広げれば割れたり凹んだりする。接着部分まで穴を掘って、丁寧に取り除くしか手はないか、トホホ。
3 月28日、ワイヤレスマウスの電池が、そろそろ切れるらしい。ワイヤレスという自由度を獲得した引き換えに、使用済み電池というゴミが出るのである。まあ技術というのは進歩するモンだから、そのうち解決方法も見つかるだろう。技術が進歩して、新しい器機を購入すると、古いものが必ずゴミになるのである。ゴミを出さないでおこうと思えば、欲しない他に手はない。なんか、ホトケの道に通じてないか?!
3 月27日、「いかなご醤油」は、もちろん今年も仕込んだ。検索すると、自家仕込みを行う方も段々と増えて来たようだ。必要なものは、いかなご、塩、容器。新子の漁は、ほぼ終了したので、これから初夏までの間に「いかなご醤油」を仕込む場合は、10センチくらいに育った「ふるせ」を使うことになる。まあ、どっちを使っても作り方は同じ。出来上がりの味はチト違うようだけど。
3 月26日、明日の講演の準備をする。たった○分のことで、あの重たいラップトップを持って行く気が起きない。iPod との接続コネクターは持ってないし、エイッ、このさい「プロジェクターを放棄する」ことにした。板書という手もあるけれど、流石に時間が足りないので「A4 用紙の紙芝居」で講演することにした。ホントは、図や式を見せずに、マイク一本でやってみたいんだけどな〜。
3 月25日、学会会場でポスターの座長を勤める。座して待つだけの役目。淡々と進めば特に仕事がないので、時間を有意義に過ごせるよう色々と準備しておいたのだけれども、実際は次々と共同研究者などと遭遇して、暇になるという心配は杞憂であった。日が暮れてから帰ったら、どういうわけか仁川駅に到達した。ビゴのパン屋さんが、ここにもあることを知った。フランスパンは、既に売り切れ。
3 月24日、ふと、昔の「発煙事件」を思い出す。C-MOS 4000 シリーズで回路を組んで遊んでいた時に、接続先のリレー回路のコイルから、一瞬の負電圧が IC 回路に印加された。途端に、定電圧電源の電流計が振り切れて、IC の一個が「ぷしゅっ」と音を立てて発煙した。懐かしのラッチアップ現象である。その IC も含めて、10個くらいのチップがオシャカになった。ひと月分の小遣いがパーになったが、学んだものは多かった。
3 月23日、発光ダイオードについて、ちゃんと説明せよ、というメールをいただいたので、ちょっと解説文 を書いてみた。今日は卒業式なので、色々と行事があって時間切れとなったけれども、まあまあ雰囲気はつかめるのではなかろうか?大切なことは、原理から物事を考えるということである。人々が何をどのように「言い張る」かについて、深く追求するつもりはない。
3 月22日、科学を志す者は一事象を掘り下げよ。掘った穴の底が見えたら周辺を見回して新たな事象にも着目せよ。さて、北海道から沖縄まで、色々な地域の高校入試問題の「物理分野からの出題」を見比べて行く内に、指導要領が気になって来た。調べてみると中学理科は(内容がより充実した)新課程へ移行する最中で、新しく加わった分野からの出題は手探り模様らしい。高校の指導要領も近く新課程へと移行する。大学関係者もやがては「手探り」に遭遇するのか?!
3 月21日、共形場理論を、それ単体で学ぼうとすると、代数から入ることになるかな?そうすると、何が「場」なのか訳がわからなくなる可能性がある。場を最初から与える、例えば自由場から入ると煩雑な数式とつき合うことになる。期待値の共形性から入るのが割と面白いのだけれども、そうすると背後に「場」があることを忘れてしまうかもしれない。どないしてくれる?
3 月20日、ウツボカズラの鉢は、水につけておくのが良いのか、空中に吊っておくのが良いのか、栽培している人に聞いてみたら、気にしなくていいとの回答であった。栽培の現場では、葉が大きく茂りウツボも特大サイズ。湿度と温度の管理が大切なのだろう。それにしても、あの場所、ヤブ蚊が年中発生するのを、どうやって抑えているのだろうか?
3 月19日、梅干しは非常食としても有用である。少なくとも塩分は摂取できる。この所、溜め込んでいた保存食から食べて行くことにしている。いわば、保存食の「自らの手?による現金化?」である。このようにして、国庫支出に占める人件費抑制の「とめどない流れ」に対応して行こうとしているのである。保存食を食べ尽くしたら?仙人のように、野山の草を食らうかも。
3 月18日、ウツボカズラの水ゴケをバラしてみた。内側は、どうやら腐ってしまったようで、あまり良い臭いがしない。根腐れしているものは、根が伸びていない。根が充分に伸びているものは、当然ながら茎も葉も茂っている。ともかくも全て植え替えして、徒長した部分は斬り戻して挿し木を試みてみよう。結果がわかるのは、ひと月後くらいかな。
3 月17日、ボルタ電池が世に登場したのは西暦1800年頃のこと。現在では誰もが手にする携帯電話の重量の何割が、電池によって占められているか考えてみよ。電池の発明は電磁気学史上の一大イベントであった。試行錯誤もあったのだろう、最終的に選ばれた金属は Zn と Cu であった。その起電力は約 1.1 V である。単独では、今日市販されている LED 素子を発光させることはできない。
3 月16日、机の上を見直す。机の上に置いておけば、いつでも読めると思って置いた本に限って、置いたままになっている。そろそろ、元の場所に戻してあげよう。積んだままになっている論文のコピーも、もう紙の時代ではないのだから、取捨選択することなくバサッと捨ててしまおう。空いたスペースに紙とエンピツを置いて、計算しよう。紙?!
3 月15日、元気のないクスノキを発見。根元を見ると、植え込む時に根鉢をくくっていた帯がパンパンに張っていた。まずこれを切断。上を見ると、無造作に払った枝から腐れが入って穴が空いていた。慎重に幹を切り戻して、腐れがなくなった所で斜め切り。切断面が茶色なので、もう少し切った方が良いかもしれない。観察を継続するか。
3 月14日、中層の週間天気予報を見ると、一週間後に強い寒気を伴ったトラフがやって来る予想となっている。春分へ向けて、段々と日照による加熱が効いているからか、先日ほど寒くはならないらしい。北で蓄えられた寒気がボチョンと低緯度へ降って来る様子は、アニメーションで見てみたいものだと思う。きっと、そのうち、そんな表示にも対応するだろう。
3 月13日、階段を昇降する時に、なるべく土ふまずを使わないように気をつけている。赤い色で機能的にも気に入っているクロスカントリー用の靴に、ひとつだけ泣き所があって、濡れて平滑な面上ではツルリと滑ってしまうのだ。特に、階段で土ふまずから滑ると、下に続く段でカカトもツルリと滑るので止まらなくなる。この前、ブラックアイスの上でも見事に滑ったな ...
3 月12日、クロマチック・アコーディオンが欲しくなってしまった。それも、小さいやつ。演奏方法が、ちょっと鍵盤楽器とは違うのかな。ボタンを押さえたままだと、ベースも旋律も同じように強弱をつけることになるから、カットしたり、インパクトを高音のリードに加えたり、色々と工夫してるみたい。四十後半の手習いを始めることに?
3 月11日、日曜日の朝から会議。何十年も先を見越した時に、その備えを今の内に積み上げるか、あるいは後年負担とするか、これは難しい問題だ。予め積んでおくのが無難なのだろうけれども、自分には関係ない頃合いの事かもしれないし、その間に通貨価値がガラリと変わってしまうという危険もある。価値観は人それぞれ、議論を深めたい。
3 月10日、春日野道駅北側を、ふと眺める。駅の南側と北側で、震災以後の投資が異なるものであったのだろうか。しばらくして、ポートライナーを眺める。神戸空港へと伸びる路線はまっすぐなのだけれども、三宮から市民広場までの古い路線はデコボコしている。許容範囲なのだろう。注意してみれば、傾いたビルも多いものだ。
3 月 9 日、双曲空間というものを、ちょっとはマトモに理解しておこうと改心して、あれこれと読む。局所的には平面と同じ、というのは地球上で暮らす我々の「土地」に対する感覚と同じ。脇道にそれると、Google の地図を適当な縮尺で何枚かプリントアウトして、それを貼り合わせて地球儀が作れるかどうか考えてみるのも面白いだろう。
3 月 8 日、朝は晴れていたけれども、午後からドンヨリ。しかし気温は毎日のように10度に届き、夜も氷点下とはおさらば。下草が動き始めた。早く下草を刈ってしまわないと、春の野草を楽しめなくなる。という訳で、ドロナワの草刈り。難儀なのが、ススキの根元、というか茎。これは盛り上がっていて、容易には駆除できない。努力あるのみ。
3 月 7 日、保険という考え方と、共産という考え方に、どれくらいの重なりを見いだすことが可能なのだろうか?貯蓄が充分にあれば保険は不要という文句を裏返すと、保険が充分なら貯蓄は不要となりそうだけど、それは本当ではない。共産が充分に実現されれば貯蓄は不要、というのは多分正しい記述だ。銀行家のエンゲルスさん、教えて下さい ...
3 月 6 日、いかなごを甘辛く煮る。クギ煮になるまで待つと焦げそうな雰囲気だったので、少し柔らかい状態で調理を終えた。ソフトで美味しいけれども、保存が効かないのが難点。小分けにして冷凍しようかな。さて今年も「いかなごしょうゆ」の季節となって来た。今度こそ(?)誰かに「瀬戸内文化」を広めて行こうと思う。
3 月 5 日、人々が去り行く3月である。大学とはどういう場所なのか?というと、教育機関であるから基本的には「長居しないのが良い場所」だと思う。ただ、どれくらいの期間を大学で過ごすか、それを自分で決めることが可能であるので、気に入れば長居するのも悪くはない。自分で判断して卒業する、それが大学というものだ。
3 月 4 日、製氷後に、大きな転倒音が二度響いた。スケートを習うと、氷の上で足を払われたように転倒する事態に必ず見舞われる。スキー教室では、必ず安全な転倒方法を教えるけれども、スケート教室では教えないこともあるし、そもそも習わずに氷に立つ人が多い。結果として (?)、何万人かに1人は、大きな怪我を負うのである。まあ、それはスキーも同じか ...
3 月 3 日、ローザンヌ・バレエコンクールの Final を通して見る。コンクールというと、退屈なものが多いものだけれども、単調にならないよう司会進行に工夫がある。コンテンポラリー部門では、たった数日で内容を組み立てさせるので、練度に大きな差が出ていたように映った。審査員が楽しそうにしているのが印象的であった。
3 月 2 日、イ号館の中が奇麗になっていて感心した。ちょっとレトロな建物ではあったけれども、昔は普通に講義に使っていた場所だった。今は、講演会向けのホールのような感覚。帰りの電車で、武田製薬の建物をチラリと見る。そうそう、あれぞ「阪大」の伝統的建物である。設計事務所が同じだったのかな?働いてる人も阪大出身者が多いのかも。
3 月 1 日、二枚の板を合わせてナイフの柄を作る場合、刃の接着方法が問題になる。柄を作ってから接着剤を穴に満たして中子を挿すのが簡単だけれども、接着面が見えない作業となる。柄を二枚に分かれた状態で仕上げて、サンドイッチしながら接着するのが確実だけれども、分かれた状態で柄を削るのは難しい。結局、仮接着して削り、再び分けてから接着し直しという工程となる。その後で「おしり」の部分に固い木を接着して、刃のついた状態で再び削る。どんな木を使おうかな?

1 月と 2 月の1行日記