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6 月 8 日、研究は、色々な可能性のある中から選んで行うものなので、最初にどの道へと分け入るかには直感力が必要なことも多い。ところが、この直感力には信仰のような危うさも潜んでいて、宝の山へと通じる道を敬遠して、森へと迷い込んでしまう道を選ぶこともある。そういう意味では、この先は何も潜んでいないかなーと判断する撤退力もまた必要となって来る。こういう話には常に逆説があって、そこで撤退したから宝の山に到達しなかったのだという風な揶揄もまた可能だ。宗教の教本などには必ず「色々な選択」が書かれていて、行けと書いてあれば行くなとも書かれていて、うまく引用できるようになっているのだそうな。研究指導する時もまた、色々な言葉を連ねた方が良いのかも知れない。

6 月 7 日、パソコンの調子が悪いので調べてみるとディスクがソフトウェア的に(??)壊れていた。壊れていても動く? というのは何ともヘンテコなことで、壊れているかどうかをチェックする何かが壊れているのかも知れない。ともかく、一度フォーマットして、再インストールした上でアカウント移行してみた。やはり動作には不審な所があるのだけれども、とりあえず以前よりはマトモに動いているように見える。MacOS も、何だか今日このごろは作動が怪しい。Steve Jobs が見守っている間だけが、MacOS の安定期であるという伝説が出来上がりそうな雰囲気だ。本当にそうなのかも知れない。

6 月 6 日、研究は、色々な可能性のある中から選んで行うものなので、最初にどの道へと分け入るかには直感力が必要なことも多い。ところが、この直感力には信仰のような危うさも潜んでいて、宝の山へと通じる道を敬遠して、森へと迷い込んでしまう道を選ぶこともある。そういう意味では、この先は何も潜んでいないかなーと判断する撤退力もまた必要となって来る。こういう話には常に逆説があって、そこで撤退したから宝の山に到達しなかったのだという風な揶揄もまた可能だ。深い信仰を持った人から昔聞いたことがあって、宗教の教本などには必ず「色々な選択」が書かれていて、行けと書いてあれば行くなとも書かれていて、うまく引用できるようになっているのだそうな。研究指導する時もまた、色々な言葉を連ねた方が良いのかも知れない。

6 月 5 日、条里制で検索すると高松市や讃岐平野がヒットする。なにぶん平和な田舎なので、大昔のものが色々とそのまま残っているのだ。条里制の頃の道をそのまま残しているのも、その証だ。道が碁盤の目のように縦横に通っていて、航空写真を見ると一目瞭然。昔のままで残った理由の一つが、南北に流れる川の存在だろう。大昔に川の付け替え工事を行なって以来、あまり蛇行することもなく今日に至っている。また、あまり努力して真っ直ぐに碁盤の目を作らずに、元からある地形を生かして道路を設計した古代の人々の努力が、そのまま今日に受け継がれているのかも知れない。すこーし道が曲がっているのも、讃岐らしい風情だ。ときどきは帰ろう。

6 月 4 日、庭木を見渡すと、勢いの良い場所もあれば、伸びの悪いところもある。どうしてそんな差が出たのだろうか? と思案して、ハタと思い当たる事がひとつ。そういえば、伸びている場所にはダシガラを冬の間に撒いておいたのだった。昆布とかイリコとか、そのままでは塩分があって肥料にはイマイチなものでも、美味しいダシを取った後は塩が抜けて、良い肥料となる。取り除いておいた頭や腹が一番養分が高いので、これはそのまま撒くのが良い。ちょっと要注意なのが野良猫で、頭などはミキサーで粉末にしてから撒く必要がある。園芸は土づくりから。また次の冬に、ちゃんと肥料をあげよう。

6 月 3 日、梅の季節となった。今は青梅が並んでいる。梅酒や、カリカリとした青い梅漬けを作るのに適している。もうしばらくすると黄色い梅が出回って、さあ梅干しづくりとなる。今年は漬けたものかどうか。梅干しの使い方を見て回っていて、道場六三郎がダシで 1 時間煮ると言う動画に遭遇した。なるほど、そのままの塩分で梅干しを食べるという固定概念にとらわれなければ、いろいろな料理に通じるわけだ。梅の味が足されたダシを料理に使い、塩の抜けた梅を楽しむ、一挙両得の調理法だ、すごいなー。ちょうど、取っておいたイリコ出汁があるので、早速試してみよう。作って冷やして、味が落ち着く頃が美味しいそうだ。さて、どの梅干しを使おうか。

6 月 2 日、雨の1日。神戸大学は既に雲の中にあって、すぐ近くの建物も霧っぽくてよく見えない。海辺で春先によく遭遇する濃霧によく似ている ... いやあれは激烈で、数歩先がもう見えない、しばらく立っていると霧粒で濡れてしまう難儀な霧だ。海の方はマシらしいけれども、それでも沖は見通せないので、止まっている船も多い。都会では電車が止まる必要はないのだけれども、通勤時の乗客はとても少なかった。リモートワークが定着したので、わざわざ条件の悪い雨の日に通勤する意味がなくなったのかも知れない。自然条件に打ち勝つ必要はなくて、単に悪条件は避ければ良いだけなのだ。

6 月 1 日、写経という学習の方法がある。最初は意味がよくわからないけれども、ともかく何回も書いて、とりあえず書き方を身につけてしまうのだ。無意味に見える文字の列の中から、意味のあるかたまりを見つけ始めることが、その次のステップとなる。所々で意味がわかってくると、その間を結ぶ言葉も段々と立体的に見えて来る。そこに誤解があっても別に構わなくて、つながらない部分が出てくると自然と考えて、やがて誤解は修正される。量子力学の学習にも、そんな所がある。あの世界は、最初はあまりアレコレと考えるべきものではなくて、まずは多読するのが良い。暇があれば書いてみるのが良い。シュレディンガー方程式を書かせてみると、何となくどれくらい勉強したかが浮かぶものだ。

5 月30日、今週後半からは、クォータの最後の週となる。ようやく前期の講義も半分までやって来たか、やれやれ。この前期は、90 分講義を週に 5 つ持つという、大学にしては過密スケジュールとなっている。学生とのセミナーの時間も確保しなければならないので、講義もセミナーも自然体で行うことが例年にも増して大切だ。あれもこれもと詰め込み教育してはならない、それは誰の利益にもならない。もうちょっと知りたい、それくらいの所で、その先を自ら探し歩くような講義が本当は良いものだ。 ... と、サボりの口実にも見える文句を吹聴しながら、さあ今日もセミナーだ。学生の発表は個性に満ちていて、飽きることがない。

5 月29日、片手でぶら下げることが可能な、カメラのストラップを作った。愛用していた革製品のストラップがボロボロになってしまったので、もう使わなくなった古いカメラの、樹脂製の首にかけるストラップを適当に切って、金属製のリングを通して、端をハサミで整形した後に、エポキシ樹脂で強化・接着して仕上がり。念の為、ホッチキスで止めた後でペンチで金具を圧縮して、その部分を瞬間接着剤で固めた。これだけの簡単なものでも、買えば何千円かにはなる。なお、この手の身につけるワイヤーものは、あまり頑丈に作り過ぎてはならない。何かに引っかかった時に、切れてしまうくらいでないと、怪我の原因になる。これはショルダーバッグなどでも同じだ。

5 月28日、神戸まつり、現地に行かなくてもサンテレビが中継してくれていた。東京ディズニーランドのフロートがやって来て、可愛い動きを披露。その間に俳優のように立つお姉さんは? 遊園地で演劇やってる方なのだろうか? と不思議に思って検索すると、アンバサダーなのだそうな。対外的な広報の面に立つ人、元々はホテル勤務、意外というか、さもありなんというか、人材はこうやって育てて行くものなのだなーと感じた。そんな検索の間にも着ぐるみを身につけて激しく動くキャラクターたち、中の人は熱中症にならないのだろうか? と、排熱の仕組みにも興味を覚えた。下手に何かを加えると、ますます重くなってしまうからだ。さて ...?!

5 月27日、目の前にはカップ焼きそばの大サイズがゴロリ。さて、どうやって食べたものか? と思案して、まず野菜を刻んで炒めた。麺は充分に塩辛いのだけれども、それでも少しは下味を付けないと、麺と絡めた時に味がうまく混ざらない。塩を振って、少しダシを加えて。これを先に器に入れておく。そして、カップ焼きそばに湯を注いで ... おっと、かやくを入れ忘れていた、ササッと湯に浮かべて蓋をする。そして待つこと 3 分、湯切り口から湯を捨てて、ソースと絡める。そして器の野菜の上に盛って出来上がり。けっこう美味い。美味く味付けしてあるのだから当たり前と言えばその通りだ。フライ麺ならではの質感もあって、まあこういうチープな食事も昭和の人間には似合っているなーと、しみじみ感じた。

5 月26日、Pitapa で阪急の改札を通過したら、あら運行停止。こういう事故が毎日のように起きるのは、明治時代からの鉄道のシステムを「あまり何も変えずに」使い続けて来たからでもあるし、社会の歪みの現れとも言える。新交通システムは、この辺りに充分に気を配って設計されていて、今ようやく一般の鉄道にフィードバックされ始めている。人々の背丈よりもずっと高い所まで壁のあるホームドアとか、完全に立体交差か地下を走っていて、線路に侵入できないようになっているなど、ほんの少しずつ、ゆっくりと改善が進んでいる。今日新たに気づいたのが、運行不能時には Pitapa をタッチするだけで、同一駅から出場できるということ。そんな仕組みになっていたのかーと、感心した。

5 月25日、鳥取大学の入試問題で出題ミスがあった件、よく見抜いたなーと感心した。最初に問題案を作成した人が勘違いしていることを、周囲の誰かが気付けるか? というと、かなり困難な事例だからだ。催眠術のようなもので、間違いを含んだ説明を「思い込んだまま自信満々に語られる」と、すーっとそのまま受け取ってしまうものだ。これは物理学の最先端でもよくあることで、誰もが誤解したまま自然を語っていて誰も気づかないからこそ、なかなか真理に辿り着けないままとなってしまうのだ。そして追加合格を何十人と出したのもまた凄い判断であった、学生定員の管理も大変だろうなと推察する ... まあ仕方ないことなのだけれども。

5 月24日、ギターの中で、エレキギターはちょっと変わった存在だ。ピックアップやエフェクターの使い方にもよるのだけれども、普通に「あ、エレキだ」という音で演奏する時には、どんなに強く弦を弾いても大きな音は出ない。また、一度弾いた弦は消音しない限り、ずーっと伸び続ける。こういう性質があるので、演奏方法もどちらかというとオルガンに近いものがある。音楽表現は音の切り方、タイミング、長さを組み合わせて何とかすることになる。そしてチョーキングはオルガンのフットペダルっぽい使い方になる。エフェクターを全部切ってしまうと、アコースティックのようにも使える節操のない所もまた、エレキギターらしい...。

5 月23日、今日は気温が下がって、この所の暑さと湿気も一段落。朝からベッセル関数あれこれ。この関数は極座標と仲が良いので、出てきた題材が太鼓。ドラムの振動モードを拾って行くと、全く調和的ではないことがわかる。弦とは違って、幕状のものはどのように貼っても、なかなか調和的にならないものだ。というわけで、講義室にあるいろいろなものを叩いてみる。黒板は Q 値が低いのか、あまり明確にモードを拾えなかった。良かったのが教卓。四角い枠に合板を貼り付けた構造になっていて、ポンポンと良く鳴る。叩く場所によって音色が変わって面白い。そして、教室の机は金属的な音であった。樹脂で固めた合板は石のように硬いのかも知れない。

5 月22日、野菜クズなど、細胞が生きている状態のものは干してもなかなか乾燥しない。サッと湯に通して、細胞としての活動を止めてしまうと一発で乾いてしまう。生命活動は細胞によって支えられているのだと実感する、そんな実例なのだと思う。食べ物の消化も似ているのだろうか、肉や魚にしろ野菜にしろ、火をよく通したものは消化が良いような気がする。土曜日に産直の野菜がたっぷりと届いたので、毎食が野菜なのだけれども、今朝はレタスのスープをいただいた。薄い苦味があるのがレタスの良い所で、今の時期に水分を補充するのにも向いている。

5 月21日、多面体の形を持った格子の研究をボチボチやっていて、多面体をうまく描くには? という秘訣を探ってみると、どうやら立方体をうまく描くことから始めなければならないようだ。正多面体は全て、うまく立方体の中に押し込めることができるからだ。立方体には立方体なりの難しさがあるようで、正しく平面に投影して描いても、時には厚みが薄いように見えてしまうのだそうな。また、建築のように消失点を設定して描くと、とがり過ぎになってしまうことも。この辺りが投影法の限界で、魚眼レンズで写したような曲がった絵の方が自然に見える場合もある。描くって難しいものなんだなー。

5 月20日、ギターは弦の張力を表板の上に置いたブリッジで受ける構造になっていて、構造上このあたりから壊れることも多い。このような構造は琵琶やリュートなどの共通先祖から受け継がれたものらしい。バイオリンや三味線のように弦の張力をフレームで受け持つ方が力学的には安定しているのだけれども、弦をつま弾く演奏法から、どんな方向に弦が力を受けてもズレたり外れたりしないことが必要で、今の形に落ち着いたのだろう。木は力を受け続けるとジワジワと曲がるので、古い楽器になると表板が微妙に浮いて来て、弦高の調整が必要になる。メンテナンスもまた楽器の楽しみなのかも知れない。

5 月19日、雨がおやつ時には上がるくらいの予報だったのだけれども、もう少し長く降り続いている。前線が閉塞してだらだらーっと雨が降るパターンで、こういう時は一日中何となく湿っぽい感じとなる。その分、空気は随分と綺麗で、色々飛んで目がかゆいということはない。但し、カビが出るものが身の回りにあると、間違いなくカビる。もっとも厄介なのが果物の皮。特に、スイカとメロンの皮は要注意だ。どちらかというと、メロンの皮の方が端まで糖分が乗っていて、カビが出やすい。スイカの皮の方は、野菜として食べてしまえるので、案外何も残らないものだ。さて、今日はどんな果物を頂戴しようか。

5 月18日、量子測定は量子力学を教える中でも、なかなか正しく伝えられないものの 1 つで、うっかりすると「|0〉を得る測定」などの、突っ込み所を残した表現を発してしまう。「測定の結果として |0〉を得た」とか、もう少し丁寧に「測定の結果として 0 が読み取れたので、終状態が |0〉であることがわかった」と述べるのが、まあまあ妥当な所だろう。また、状態を直接測定できるのは稀なことで、おおよその実験が間接測定となっている ... というか、その方が自然だ。Feynman Lecture で登場する実験もまた「思考実験である」との断り書きがある。量子測定の実際について講義で延々と話すのは、他のコンテンツとのバランス上難しいので、色々と圧縮に思案する。どれをトピックスにしようかなー ...

5 月17日、とても暑い日になって、もう長袖シャツは着ていられないので T シャツ 1 枚で坂道を登る。それでも暑い。まだ体が暑さというものに慣れていないのだ。真夏だったら、もう 10 度は気温が高い。加えて今日は青空が広がって、日光がとても強い。夏至まであと 40 日くらいなのだろうか、夏至の 40 日後の、8 月頭と同じくらいの日照なのである。暑くて当然だ。こういう炎天下でソフトボールなど行うと、日焼けだらけとなる。昔はあまり日焼けを用心することがなかったというか、日焼けを推奨するような雰囲気すらあった。後から思うとヤバいことは、世の中に普通に存在するし、今も何かしらそういう奇妙な慣習を妙だと思わず毎日のように繰り返しているのかも知れない。

5 月16日、ガーベラの切り花を日陰で水挿ししていたら、いつの間にか種ができた。キク科の植物の繁殖力を見た気がした。さてガーベラ、まだ種まきが間に合う季節らしいのだけれども、どういう風に植えたものか。というのも、ピーマンの種やらゴーヤの種やら、あちこちにばら撒いて芽が出ていて、既に光の奪い合いになっているからだ。職場の窓際にはもう場所がないから、持って帰って海辺の畑にでも撒いておこう。トマトやナスビの横でガーベラが咲くのも良いのではないだろうか。カボチャの芽も出て来るのだけれども、栽培品種は大切に育てないとダメらしくて、いつの間にか姿を消す。

5 月15日、ギターでオーケストラ曲をコピーして演奏する、というパターンの映像がいくつも転がっている。それっぽく演奏できる部分をうまく拾って来て、うまく編曲してあるものだと感心する。真似てみたいのは山々だけれども、そのまま演奏できる技量はないので、更に簡素化して自分で音出しできるレベル、速さまで妥協する。元の曲の速さを保つ必要はなくて、場合によっては極端にゆっくりというのもアリな気がして来た。1分間くらい、ゆっくりワンフレーズ弾いておしまい。忙しい今の時代には、そういう時間を使わない演奏の方がウケが良いのかも知れない。

5 月14日、鉢植えの植物、そのまま何年も楽しめる強い (?) 種類の木もあるけれども、大抵はすぐに勢いがなくなって、場合によっては枯れてしまう。芽や葉が毎年出るように、新しい根が伸び続けることが必要らしい。植えかえというか、土を入れかえる目的で鉢をひっくり返すと、びっしりと根が詰まっていて、土なのか根なのか訳がわからない状態になっているのを目の当たりにすると、ああ窮屈だったのだろうとも思えてくる。ありがちなのが、春先に種から生えて来た雑草の根が伸びまくっていること。ナス科の雑草は特に強くて、あっという間に「鉢の主役」を奪ってしまう。栽培する草木は、野生のものに負けてしまう。学問もそうだったりして。

5 月13日、この週末は色々とイベントがあるので、あちこち遊びにゆこうかとアレコレ考えていたものの、午後から雨。一気に出不精となる。雨なら屋内ということで、海辺の駅からトコトコと電車に乗って浜を眺めつつ三宮へ。お目当ては北海道物産展のベーコンなど。肉の感覚たっぷりの豚肉製品は北海道らしい豪快さがあって、毎度楽しみにしている。ついつい多めに買ってしまうので、一部は冷凍へ。スライスされていたハムも購入。目的の品が手に入ったら、さっつと帰宅。ハムを食べてみてびっくり、スライサーではなくて包丁で切られていた。1 cm くらいずつ、細かい段差が切り口にあって、丁寧に手作業で切られたことがわかる。そう言えば売り場の裏で包丁を研いでいたっけ。

5 月12日、クズのツルが伸びて来た。あの厄介な植物は、根にたっぷりと澱粉を蓄えているので、初夏になると勢いよくツルを伸ばす。朝に眺めて、夕方に同じ場所を通ると、もう目に見えて伸びている。下にも横にも上にもどんどん伸びて行くので、あっという間に辺りがクズの山と化す。この藪の中は獣にとって居心地が良いらしくて、夏頃にはガサガサゴソゴソとイノシシが動く音が聞こえて来るようになる。これが立ち木に絡みつくと光を奪って、部分的な枝枯れならまだしも、株全体が枯れてしまうこともある。根は澱粉を取ったり、薬として使ったりと、まあ使える草木ではあるものの、根というか地下茎を掘るのもまた大変だ。昔の人は根気があったのだろう。

5 月11日、木曜日の朝は量子力学の講義だ。これは、「真面目な初学者」にバリアの高い学問でもある。そういう層にはまずリー環を与えておいて、そこから表現を幾つか与えて、互いの関係を説明するのがスッキリしているとは思うのだけれども、そういう組み立て方をしたら大多数の受講者にとっては理解不能なものになってしまう。そこでまずは色々とコンテンツを並べておいて、段々と量子力学的な考え方に慣れてもらうことになる。しかしながら、それもまた何が出発点になっているか、気持ち悪く感じさせることにも繋がる。うーん、ターゲットを絞るのは難しいなー。

5 月10日、ベルーガが神戸空港にやって来たようだ。便利な世の中になったもので、写真を撮って上げてくれるので現地に行かなくても楽しめる。あんな大きなものでわざわざ運んで来るくらい、ヘリコプターは高価なものなのだ。船便の普通のコンテナには、バラバラにした部品でないと入らないのかな。ゴールデンウィークも明けると、そろそろクォーター末となるので、試験の予告をしなければならない。昔は中間テストと呼ばれていたものだ。どんな問題で実力を試してもらおうかなー、どっちかというと学習効果が上がるような問題を設定しなければならない。評価するだけが試験の目的ではないからだ。

5 月 9 日、だいぶん日照が長くなって来て、いよいよメロンに甘味が乗って来た。瓜の系統のものは気温も日照時間も大切で、どちらかが欠けると実はできても本当に瓜のように味気なくなる。また、ツルが伸びて陽が充分に当たるだけの面積も必要になる。こういうものはプロに任せておいて、より簡単なキュウリでも作って、時々曲がったのをもいで食べるのが気楽だ。そんなことをボンヤリと思いながら、今時にキャベツが出てくる不思議さにも慣れてしまったことを、ふと感じる。イチゴは放置しておいても実ができてしまう時期に差し掛かり、昔は安くて不揃いなものが出回っていたような記憶もあるのだけれども、最近ではなかなか見かけない。流通も変わったのかも知れない。

5 月 8 日、連休明け。朝から色々と仕事メールが届く。今すぐ応答するべきもの以外は詰んでおく。このようにしておくと、いつの間にか返答の必要がなくなるか、あるいは段々と締め切りが迫って来るかのいずれかとなる。そのようにして、重要なものから手を付けることを覚えるのかも知れない。政治や行政の仕事となると、流れるものも沢山出てくるとは聞くし、一応は公に奉公する仕事なので、当然の如く本当に必要なのかどうかと思うものまで色々と降って来る。こういう時には、適当に数字や文字を埋めて返すのもまた世のため人のため。埋めないと、催促する人の手間を増やしてしまう。そうして、いつの間にか忘れ去られるファイルの山が積もり、いつしか消え去って行くのである。

5 月 7 日、雨が降ると、商店に行くこと以外あまりやることがない。木工とか包丁研ぎとか、探せば趣味はいくらでもあるのだけれども、まあ当座はそんなに工作の必要もないので封印して久しい。雨の日の商店は、雨だからと言って極端に仕入れを抑えることもできないので、結構な割合で値引き販売となる。半額だと流石に原価割れとなるのだろうけれども、まあ他にも色々とついつい買ってしまうので、半額品を狙いに商店を訪れて得した感覚があるかというと、あまり無い。それでも、ついつい半額だと手を出してしまうのが、インセンティブという名前の魔物なのだと思う。

5 月 6 日、平日に戻る。いろいろな制限もとけて、本当の平日に戻る。でも以前の平日ではない、削るべきことは削り、無駄な慣習は引き継がない。ビニールシートを取り去った商店も多い。事務窓口でも、だいぶんバリアが撤去された。この間、銀行の窓口がだいぶん変わって、可能な限りはモバイルで済ませてしまえるようになった。公共料金が専用端末で処理できるようになって久しい。税金もまた携帯のカードリーダーを使っておおよその手続きが可能になった。でもまあ、税務署を訪れるのも悪くはないと思う。行く度に、窓口に食ってかかっている人が必ずいて、世の中そういう仕組みなんだと感心することもあるので。

5 月 5 日、こどもの日。こどもの特権は未来があること、屈託のないこと、無駄を気にしないこと。人類の存在もそんな感じなのかも知れない。太陽、地球それぞれに長い時の果てがあることがわかっていても、それまでには宇宙に出て行けるという、確証はないけれども何となく無限の未来があるという意識は共有されているのだと思う。物理的に突き詰めて行くと、エントロピーの捨て場が幾らでもあるということが大切であって、そのような宇宙である限り情報を伝達することが可能であり、次の世代へと何かを繋ぐことができる。青空の向こうには、そんな空間が広がっているのだろうなーと思いつつ。やっぱり今日はこどもの日だ。

5 月 4 日、雑草の中でヒルガオが目立つようになって来た。街路樹に巻きついて光を奪うのが得意で、道路ぎわのサツキの上に顔を出して、陽が少し短くなって来る夏の頃に花を咲かせる。栽培品種の朝顔よりも太陽光が必要で、条件が悪いとツルばかりになって花が付かなくなる。そのくせ、翌年には同じ場所からまた生えて来る。鉄柵のようなツルツルな棒にも巻きついて、花咲く生垣となることもある。そういう姿が想像できるにも関わらず、ヒルガオが生えて来る季節は何となく嬉しい。花粉の飛散が収まる季節だからかもしれない。同じようにツルで生えて来ても、ヘクソカズラは嬉しくない。不思議。

5 月 3 日、5月は祭りのシーズン、昔の西日本では今頃から田植えの準備を始めたのだろう。神様が山車や神輿に宿って地域を巡り、神事の中でも参加あるいは拝観して楽しめる要素が豊かで、祭りの日はどの地域も普段にない活気がある。旅先で眺める祭りもそれなりに良いのだけれども、どこか単なるお客さんであるような感覚があって、地元の祭りほどリラックスできない。さて今日は平日、論文が沢山上がっているので、普段のように大学にやって来た来た、まずは arXiv の論文検索から。大学の周囲でも祭りが催されている、職場の近くなので半分くらい地元の祭りみたいな感覚。

5 月 2 日、ゴールデンウィークの平日。昨日は「木曜日の授業日」で、今日は「金曜日の授業日」だ。そういえば昨日、量子力学の講義で「運動量演算子は並進を生成する」という類の話をした。exp( a p ) という演算子を状態ベクトルに作用させるのだ。この場合、a だけ波動関数がズレる(状態としてはその逆向きにズレる)のだけれども、a が複素数だったら? と、ふと思った。波動関数は複素関数で、複素関数は一般的に複素数から複素数への map で、解析接続する際のテイラー展開の微少量 a は複素数で良い。ということは、波動関数が複素平面の上でどんな形をしているかが、a が複素数である場合に顔を出して来るわけだ。なるほど、と、納得して頭の引き出しに入れておいた。リーマンのゼータ関数の零点探しに使えないかなー。

5 月 1 日、今日の量子力学は、ケットベクトルに対する時間発展方程式から、シュレディンガー方程式を導いた。導くと言っても単に橋渡ししただけで、どちらがより基本的ということはなくて、単に同じように物理現象を記述するということを示したに過ぎない。導出の途中で、p 表示の恒等演算子を導入したり、デルタ関数の積分表示を括り出したりと、色々と式変形する必要がある。デルタ関数は便利な道具なのだけれども、前述の通り部分積分には注意が必要だ。ケットベクトルの線型結合など、もともと数ではないものに対して部分積分するわけで、解析学で教わったままではないからだ。まあ、最終的には部分積分できてしまうのだけれども。

2023
1 月と 2 月 (野菜料理編) 3 月と 4 月 (テンソル編)
2022
7 月と 8 月 (論文執筆編) 9 月と10月 (円安値上編) 11月と12月 (制限緩和編)
1 月と 2 月 (ギター曲編) 3 月と 4 月 (Mac!苦闘編) 5 月と 6 月 (素麺円安編)

2021
7 月と 8 月 (散水栽培編) 9 月と10月 (選挙音曲編) 11月と12月 (片付整頓編)
1 月と 2 月 (共通試験編) 3 月と 4 月 (剪定草抜編) 5 月と 6 月 (執筆出版編)

2020
7 月と 8 月 (映像収録編) 9 月と10月 (街海散策編) 11月と12月 (風邪感染編)
1 月と 2 月 (暖冬珍病編) 3 月と 4 月 (在宅勤務編) 5 月と 6 月 (遠隔講義編)

2019
7 月と 8 月 (夏空日傘編) 9 月と10月 (残暑熱帯編) 11月と12月 (讃岐行脚編)
1 月と 2 月 (ダイエット編) 3 月と 4 月 (平成令和編) 5 月と 6 月 (講義出張編)

2018
7 月と 8 月 (酷暑昼寝編) 9 月と10月 (神風来襲編) 11月と12月 (国際会議編)
1 月と 2 月 (教務調整編) 3 月と 4 月 (早桜花見編) 5 月と 6 月 (方向解釈編)

2017
7 月と 8 月 (東西行来編) 9 月と10月 (台風暴風編) 11月と12月 (胃痛通院編)
1 月と 2 月 (朝オムレツ編) 3 月と 4 月 (激戦挑戦編) 5 月と 6 月 (研究員待編)

2016
7 月と 8 月 (研究行脚編) 9 月と10月 (技術鍛錬編) 11月と12月 (SLOVAKIA編)
1 月と 2 月 (共形情報編) 3 月と 4 月 (朝型昼型編) 5 月と 6 月 (昼夜逆転編)

2015
7 月と 8 月 (机前執筆編) 9 月と10月 (講義ゼミ編) 11月と12月 (懐古探訪編)
1 月と 2 月 (赤筆修正編) 3 月と 4 月 (客人来神編) 5 月と 6 月 (地球半周編)

2014
7 月と 8 月 (離陸着陸編) 9 月と10月 (玉翠準備編) 11月と12月 (テンソル編)
1 月と 2 月 (雪面滑降編) 3 月と 4 月 (花粉飛散編) 5 月と 6 月 (東奔西飛編)