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8 月15日

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8 月10日

8 月 9 日

8 月 8 日

8 月 7 日、検出されたコロナ感染者が数万人、その数倍以上、検出されていない感染者が居ると仮定すると、もう何十万人もの感染者が出たことになる。ここまで来ると、普遍的な感染症の一つとも表現できるだろうか。どんな感染症でも、重い症状が出るものには、罹患しないに越したことはない。インフルエンザなど、既知の感染症に加えて、新しく登場したコロナに「も」注意しつつ日々を送るというのは賛成だ。おかげで、今年はまだ風邪らしい風邪をひいていない。この騒動を通じて、満員電車の中で激しく咳き込みつつ、通勤通学する人は皆無となった。(←感染以外の原因で咳き込む人には暮らし辛い世の中かもしれない。)公衆衛生上の、相応な注意を払いつつ日々を送るならば、もうそろそろ、あらゆる制限について緩和を考えて行く時期なのではないか?と、感じるこの週末である。

8 月 6 日、匿名であってもバレバレということは、世の中でよくあることだ。論文のレフリーはよく知られた例で、一応は匿名ということになっているけれども、そもそも審査できる人は限られているし、日頃の議論や論文の文章の書き癖などから、誰が審査したのかわかってしまう。twitter の匿名アカウントもまた、多く投稿すればするほど、いつしか身近なことを意図せず引っ掛けてしまうし、フォロー関係や投稿や返事、いいねのパターン等から、誰が誰だか推測がついてしまう。フォロー関係を図に起こしてくれるソフトもある。こうして何人かの匿名アカウントの中の人が特定できると、後は消去法なども加味して、次々と掘り進むことが可能だ。また、こちらから real life で何か働きかけた時に -- カマをかけるとも呼ばれる -- それに反応するツイートがあれば、周囲の方だとわかってしまう。こういう事もあるので、誰か知人が、本気で注意深く匿名の活動をしているようなアカウントには、こちらから何も反応できないのである。

8 月 5 日、物心ついた頃には、まだ存命ながら既に伝説と化していたマリア・カラス、そういえば耳を立てて聴いたことがないな〜と、ふと思って YouTube へ。時代が時代だけに、動画映像はほとんど存在していなくて、それでも全盛期の録音がたくさん転がっていた。著作権がそろそろ切れる頃になるのだろうか。聴いてみて、オペラというよりロックではないか?と、最初は感じた。音が割れていて、声の質に関係なく大声を出したのではないか、と。いくつか聴き比べてみると、収録機器のダイナミックレンジが不足していて、フォルテになるとビビリ音声になってしまったのだと気づく。クセのある声色ながら圧倒的な存在感は間違いなくて、伝説を体感しているうちに夜が白々と明けて来た。いかんいかん、まだ週の半ば、仕事だ、仕事だ。

8 月 4 日、量子力学にも、古典力学と同じようにポテンシャルというものが登場する。ポテンシャルは空間(あるいは粒子間の相対位置)の関数で、変数が与えられれば値が一意に決まるものだ。そういう意味で、ポテンシャルは古典的なものだ。時として、量子力学に登場するポテンシャルを「量子ポテンシャル」と呼ぶこともあって、何だか妙な気がしている。量子ポテンシャルなるものがあるならば、パラメター極限として、普通に使われる「古典ポテンシャル」が導出されなければならない。ではさて、量子ポテンシャルなるものは何なのだろうか?量子測定を行うと、パッと値が定まるようなものだと考えれば、それ自身が量子力学自由度を持つ存在となる。二つの量子系が相互作用していれば、任意の片方を「量子ポテンシャル」と呼んで良い気がするし、我々がポテンシャルと呼んでいるものも、よくよく考えれば量子力学的に構成されたものだ。

8 月 3 日、大学に立ち入るとは、どういうコトなのだろうか?まともには定義し辛いのである。大学の敷地に立ち入ってはならない、ということにすると、大学の周囲の道のうち、大学の敷地にあたる部分に立つだけで、立ち入ったことになる。大学の塀の中に入ったら立ち入りという定義だと、そもそも塀などない裏山とか崖とか、公園のように整備した場所などで、どうにも内外の区別がつかなくなる。おまけに、大学の敷地があまりにも大きい場合、公道が大学の中を貫いていることがあり、その場合は公道の上であれば誰が立ち入っても良い。こういうこともあって、小さな、よくまとまった敷地に校舎が建っているようなキャンパスを除いて、実質的な立ち入り制限は不可能なのである。結果として、歩いているのは犬の散歩ばっかり、という状況も生じ得る。まあそれが大学の姿であるのかもしれない。

8 月 2 日、大きな船の運行には、結構な頭数が必要だ。動かすだけでも、岸壁の地上係員と船員が揃う必要があり、乗客を乗せる場合には接客スタッフ、料理を提供する場合には調理人と給仕が加わる。そうやって運行している状況で、乗り込んで行く乗客がまばら ... となると、完全に赤字だ。神戸港では、観光船が動いているには動いているのだけれども、どう見ても採算ラインに届いていない。かと言って、営業停止してしまっても状況は同じ。ハコが大きいものほど、コロナの影響は甚大なのだ。さて大学生協は?食堂の規模としては、ショッピングモールの飲食店を全部合わせたくらいにもなる。何とか営業できる時間は営業して、どういう業態が生き残って行ける部分なのかを、よく見定めて行かなければならない。

8 月 1 日、海辺の昼間は浜風でまあまあ涼しいのだけれども、時としてナギのまま、ほとんど無風という状況になることもある。そんな時はもう、避けることのできない暑さと湿気で死にそうになる。たまらず、土日であっても、六甲山の麓にある大学まで、避暑にやって来るのである。途中の交通機関も涼しいし、今年はとても空いている。大学へは阪急六甲から登山となるので、比較的涼しいとはいえ、到着したら汗だくになる、少し涼んでから仕事と構えていると、すぐに日が傾いてしまうので、暑かろうと何だろうと、ともかくメールの処理などから始めて、各個撃破で仕事を進めて行く。やがて涼しくなって来ると、今度は睡魔が襲って来る。やっぱりというか、何か大きな事を成し遂げるには、若さも必要なものだと実感する。

7 月31日、いよいよ梅雨明け。夏らしい入道雲が ... 少し小ぶりな気はするのだけれども ... あちこちに浮かんでいる。全球シミュレーションを見ると、海水温もだいぶん上昇していて、そろそろ台風の一つや二つ、できても良い雰囲気になって来た。夏が来たらもう講義もおしまい。いや、今年はもう少し続く。ゴールデンウィークまで、ずーっと休んでいたツケが回って来ただけなのだけれども、お盆前まで講義がある。その後は、例年通り10月までは夏休み。今年は研究会とか合宿とか会議とか、そういう類いのものがオンラインになってしまったので、9月の予定は比較的空いている。今こそ、溜まっていた仕事を片付ける時だ。その前に、少しだけ休息しよう。

7 月30日、大学の周辺の地域からもコロナ感染者が「検出されて」いることから、大学関係者から「検出される」のも時間の問題だろうか。確率の問題として冷静に考えてみれば良い。問題はタイミングだ。検出されたら何らかの対応を迫られるという世の中が続いているので、何か重要な行事がある前には検出されて欲しくない、という気持ちが生じるのは不思議なことではない。検出されるとマズいという方向へと向かうと、最後には「貧困者ゼロの国家」と同様の、鉄壁の隠蔽構造が出来上がってしまう。大切なことは、検出された時に、効果をよく考えた上で、限定的に対応して行くことだろう。大騒ぎすれば誰もが体力を浪費して、将来に備える蓄えすら失ってしまう。バランスが大切だ。

7 月29日、芸事の世界で、芸そのものの実力が何なのか?というのは謎なのである。音楽であれば、端正に弾ける、音に表現力がある、それは当然ながら大切なことなのだけれども、ステージに立って演奏するとなると、パッと見た感じ、雰囲気、人間の器の大きさというものも含めての芸になる。声楽になると、もう芸能というか、芝居に近いものになる。バレエなどの身体表現も同じだ。科学にそんなモンないだろう?と思われるかも知れない。確かに、大昔の人であれば、大切な業績に名前が残る。しかしながら「話がうまい人」というのはどこにでも居るもので、予算取ったり、あれこれと現世で大活躍するのは、このタイプの人が多い。さて、どのタイプを目指したものか?

7 月28日、組織が大きくなればなるほど、その組織が永続的なものだと信じ切ってしまう。大企業であっても破綻することはあるし、国が消滅することさえ稀ではない。さて、梅雨明けの遅い今年の気候は、何となく、輸入米が食卓に並んだ、あの年に似ている。東日本では「やませ」が吹き、水田は実入りが悪く米が取れなかった。西日本には相次いで台風が襲来し、実った稲穂を倒して行った。随分と米の消費量が減って、輸入米の品質も確保できるようになった今日では杞憂なのかもしれないけれども、何となく肌感覚であの夏を思い出すのである。昔から、疫病と天災はセットでやって来たものなのだ。

7 月27日、プレプリントサーバーに何やら注意書きがあることに気づいた。プレプリントとは、査読もチェックもされていないブツなので、ニュース、メディアに安易に流したり、権威づけの道具にしないようにという、そんな注意書きだ。日頃から利用している我々には当たり前のことでも、なるほど、社会一般には「論文」というと、存在するだけで何やら価値がありそうだと信じられているわけだ。論文の「論」は論じるから論なのであって、論じている間は半信半疑で眺めよという「我々の常識」が、かなり社会とはズレているわけか。いやまあ、我々が非常識な存在であることは、間違いないのだけれども。

7 月26日、今から40年前の映画、ひまわり。i Girasoli ... スパゲッティと同じく複数形の原題に則して、ひまわり畑で始まり、ひまわり畑で終わる。これを見て何が印象に残るか?というと、ダモイというロシア語(ウクライナ語)だ。帰る所があって、それは北イタリアではなくてウクライナの街、そういう逆らえない運命が、あのひとことに込められている、そんな気がした。ソビエト連邦の美しい場面や、労働者が活き活きと描かれているのもまた、時代を感じさせる。広々とした感じがいいな〜と。ロシア語を真面目に勉強しようかな、今年の NHK テキストは再放送になってしまったけれども。

7 月25日、ここは気合で、学期末までの講義映像を収録するぞ! と意気込んで大学にやって来る。だいたい、連休という時に仕事をして、平日にはふら〜っと、あり得ない場所(?)に出没するのが、風来坊たる研究職というものだ。うーん、それにしても、量子コンピューターは考えれば考えるほど、古典世界に頼り切っている存在だ。いや、そもそも、量子力学は測定と切り離せないから、まずは測定を行うモデルを立てなければならない。それは大ごとなので、ステップを小さくして考える。GHZ 状態を作る時に、どれくらい「我々の介在」を少なくすることが可能だろうか?いや、GHZ 状態に限るわけでもないか、あらゆる初期状態の準備もまた、よくよく考えると我々が色々とお膳立てしている。

7 月24日、大学の隣に大学がある、専門学校の隣に専門学校がある、珍しくない光景だ。どちらとも十分に大きければ、福利厚生施設、つまり売店や食堂を個別に備えておく方が便利だ。それぞれの授業時間などの実情に合わせて、運営ができる。一方で、どちらも小さな学校であれば、食堂などは合同で持った方が、一般的には効率が良い。どちらの形態にしても、今のコロナ閉店の状況は厳しく、このまま春まで遠隔講義となると、食堂は存続の危機に追いやられる。全国にたくさんある大学の食堂のそれぞれが、厳しい選択を迫られているのだ。安全を確保した上で、少しでも利用できるよう考えて、大学あるいは社会にむけて情報公開して行かなければならない。

7 月23日、今日、大学では(?)普通に(??)授業が遠隔で行われているので、休日という感覚が全くない。ただ、事務的なことは全てお休みなので、学内で見かける人々の数は、やっぱり少ない。業務メールも今日は沈黙。ついでに、営業電話もかかって来ない。そう言えば、賃貸を目的とした不動産ビジネスの勧誘、今年はほとんど無い。都会の賃貸需要がとことん冷え切っていることは容易に想像できて、投資する人も居なければ、金融からのあらゆる融資も用心深くなっているのだろう。あ、それでも、遠隔講義の収録中に一件、電話が入ったな。映像に残る記録として保管しておこう。

7 月22日、ひょっとすると、大学は修道院のように先祖返りして行くのかも知れない。来るものは、目的が明確である限り拒まない。去るものは追わない。何のハク付けがあるわけでもないけれども、修行した滞在記録は残る。つまり、研究の場所として、あるいは教育情報発信の場所として、また部活などの拠点としてはは残るのだけれども、共通教育とか学部教育の実習以外のものについては「どこで学習してもらってもいい」という感じだ。現場の大学と、通信制を平均したような姿だろうか。元々、大学院はそのような場所であって、授業で教わる項目だけを追っても、大学院らしい学習・研究にはならない。New Normal が、さて、そのような方向へと進んで行くだろうか?

7 月21日、アメダスを見るに、今日も 30 度超え。空気は比較的カラリとしている。雨が降らないので、段々と地面が乾いて来た。神戸大学のあちこちにある、石垣からの「沢水」もだいぶん少なくなり、枯れてしまった箇所も目立つようになった。いよいよ、夏枯れが始まる。急いで種を作る雑草も、これから花盛りを迎えるものも。夕暮れ時は、夏至の頃よりも既に数分早くなっている ... はずなのだけれども、晴天のおかげで、何だか夕方が延びたような気持ちとなる。夕涼みの散歩に行きたい行きたいと、呼ぶ声が聞こえる中、今日も遠隔講義の収録に勤しむ。もう少しで夏休みだ。

7 月20日、今年の梅雨は、週末の土曜日か日曜日に開けていた、ということになるのだろうか。まだちょっと涼しいけれども、もう雰囲気はすっかり夏だ。大学は?少しは人々が戻って来たけれども、相変わらず滞留人口は少ないので、うりぼうたちの天国となっている。目撃情報も相次いでいるし、あちこち掘り返した痕もある。セミとかカナブンの幼虫が出てくると、おやつくらいにはなるのだろうか。秋になるとドングリも食べるらしい。例年のごとく定期的に草刈りも行われていて、刈り終えた場所を目ざとく狙って、掘り返しに来るのである。山の上の大学ならではの光景だ。

7 月19日、日曜日の大学は普段から訪れる人も少なくて、快適なものだ。同じように、深夜の大学というのも実に良くて、理論物理学をやるならば人々が活動しない時間帯に活動するべきである。と、思って実践できたのは大学院生の頃から、講義をあまり持たなかった教員としての駆け出しの時期までだっただろうか。一番のネックは会議とか打ち合わせというもの。これは、他人と合わせるしかないので、勤務時間に行動する選択肢があるのみとなる。ともかくも休日は仕事の組み立てが簡単だ、途中に電話やメールが割り込んで来ることもない。ポツポツと、オンデマンド講義を視聴したという知らせが届く程度だ。けっこう、週末に視聴されているらしい。

7 月18日、梅雨の晴れ間がやって来る。いや、もう梅雨明けなのかもしれない。ジェット気流を見ると、もう消えかかっている。冬の間は、あんなに太く速く吹いていた上空の気流が、細くなって大きく北に蛇行しているのだ。やがて日本海に低気圧が入る頃に、梅雨も終わりとなる。今でも、日本海側と太平洋側で、そんなに気温や湿度の差があるわけではない。雨が降っていても、散発的というか、スコールの様子を呈している。夏が来たら海開きだ、というのが例年のことで、今年は静かな海。実はこれ、写真撮影のチャンスなのである。夏の海でカメラを持ってウロウロしていれば変態なのだけれども、今年は堂々と海の写真を撮りに行ける。かな?

7 月17日、人間は紙を食ってもほとんど栄養にならない。... どうやら、半分正解で、半分ウソらしい。ものすごーく細かく砕いて粉にしてしまうと、何らかの過程を経て、吸収できるらしい。セルロースが間接的に栄養として吸収できるのは草食動物だけだと信じていたけれども、それはそうか、最初の細かくする段階さえクリアしてしまえば、セルロースを食べて養分に変換してくれる腸内細菌は居ないわけではないのか。で、そういう話を最近になって聞いていた所に、SNS から興味深い記事が流れて来た。セルロースを含む、とある食えないものを粉にすると、食べられるようになるという内容だ。食べられるようになる .... まあ、食べたくない気分はよくわかる。いろいろな話が聞ける、この人脈というものが、実は生活の栄養になっているのだと実感した。

7 月16日、今日もクズだらけの斜面を眺めつつ大学に登る。そのクズの山から、細い竹が突き出すように何本も生えて伸びている。竹とクズの争い。クズがいつまででも伸びるのであれば、この戦いはクズの勝ちとなるのだけれども、どうやらクズの根に蓄えられたエネルギーも、夏前には尽きかけるようで、そこから先は水の少ない夏に葉でタップリと光合成して、秋までには根元に回収するようだ。クズの根から取れるからクズ粉、昔の人は苦労して採取したものだと思う。冬とは言っても、あのヤブの中にわけ入って、張り巡らされた根を掘り出して、その後に強いアクの根からデンプンを選り分ける冷たい水の作業をして。くず粉と芋のデンプン、質が少し異なる。分子量など違うのだろうか。

7 月15日、梅雨の中休みとなった。秋風よりも涼しい風が吹き渡っている。秋かせよりも?と表現すると、それは言い過ぎだろうと思われるかもしれないけれど、今日の風が真夏の後に吹けば、まさに秋風を超えた秋風なのだ。これから先、とても暑い空気に慣れてしまうと、30 度くらいの風でも涼しく感じるようになる。風があれば涼しいのである、そのような感覚になってしまうのだ、気温が体温を大きく超えない限りは。この「秋風」は長くは続かず、週末には熱帯夜が始まる。そうすると、もう夏祭りの雰囲気が漂い始めるはずなのだけれども、今年は残念ながら祭りという祭りが中止となってしまった。道端の草に夏祭りを見つけよう。花火のように実る雑草など眺めつつ。

7 月14日、この時期、出勤時間や通学時間に雨が降ると、職場である講義室では、教員も学生もズブ濡れという光景が広がる。例年であれば。今年は遠隔講義なので、このような心配がない。集中講義の時には、遠隔講義になるとか、雨宿りしながらでも携帯で講義が受講できるとか、そういう方向へと大学教育が変化して行くかもしれない。遠隔講義で良く感じるのが、ともかく出席者が多いということ。いや、今までの「感覚として半分くらいの出席(知らんけど)」というのが、少なかったと言うべきだろうか。教育の機会や効果が増すのであれば、普通の講義形態の下で、シームレスに遠隔にも対応できる、そんな柔軟さをこれから先も取り入れて行くべきだと思った。それにしても、今朝はよく降った。

7 月13日、報道される天気図には現れないものが気温。予報用に気象庁が発表している天気図には、気温も記載されていて、気象現象を頭に入れるには都合が良い。ただ、注意深く眺めないと、なかなか大気の様子が思い浮かばないという欠点がある。全球シミュレーションを可視化したものは、この点がよくできていて、パッと見ればおおよその大気の動きが把握できる。縦方向の大気の動きを断面で表示してくれる機能があれば、なお分かり易いだろうと思うし、そのうち実現というか、供用されるだろう。まだまだ大気という流体には理解の進んでいない現象が潜んでいるはずだ。そのような隠れた現象も浮かび上がることだろう。予期せぬ雨に出遭って、ふと思った。

7 月12日、六甲山は、明石海峡大橋がかかる垂水のすぐ東側で海に接するように始まり、東北東に延びて宝塚の辺りへと至る、小規模な山脈だ。神戸市は、この山で南北に分断されている。山の向こう側には、西区と北区が広がっている。このような地形だと、昔は別の行政の下にあったのだろうと、つい考えてしまうのだけれども、(神戸市の西の端を除けば)ともに摂津国の一部である。海と山の間で物資の交易があったのだろうか。谷筋から回り込めば、軍隊も動かせるくらいの低い山だという地形も、この一体感に関係しているのかもしれない。開発が進み、今では六甲山の西側は、いわゆるニュータウンが点在する地となった。近くから眺めていて、在宅勤務には良い地域だと思う。

7 月11日、オンライン研究会の良い所はというと、もちろん遠隔地でも旅費も宿泊もなく参加できること。良くない所は、ちょうどその裏返しで、日常から離れられないこと。大学で用務があれば、その間はオフラインとなる。けっこう細切れに、いくつも入ると、気がついたら結局は通して聴いた公演がひとつもない、ということになってしまう。映像は残っているから、後追いで見ることは出来る。これはオンラインでもオフラインでも同じことかな。ただ、オンラインだと全てが最初から映像として流れているので、それを収録するだけで良い。オンライン懇親会には、残念ながら参加できなかった。自宅で夜に話し込めないもんなー。

7 月10日、自分に都合の悪いことが生じると、それが問題であるのか、あるいは議論すべき重大な事柄であるのかという「軽視」の立場から、まず考え始めるものだ。これは、自己防衛という大切な精神の働きの結果でもあり、一概に悪いとも言えない。また、事を表沙汰にしない、あるいは公表について、その方法を考えるなど、情報の遮断についても検討する。表現を変えると「隠蔽」となる。これまた、無用の騒ぎを身辺に起こさないという防衛機能である。「言い逃れ」もまた、普通に理解できる心理状況である。しかしながら、この範疇に解釈の及ばない心理現象にも、よく遭遇する。事実関係について、都合が悪いから隠そうというのではなく、心の底から現実に無関係なストーリーを信じ切ってしまうのである。このようなケースに遭遇した場合、何か客観的な証拠を突きつけて、その一部でも認めさせようと試みても無駄であることが多い。「上塗りの記憶」に固くブロテクトされて守られているので、突き崩しようがないのである。その場からそっと離れ、以後は関わらないのが一番良い。

7 月 9 日、授業が休みになると、勉強が遅れるという論理が、まことしやかに語られている。大学教員の、教員としての自己存在否定となるのだけれども、それはウソというか、冗談だろうと思う。だいたい、義務教育にしろ高校教育にしろ、教科書に目を通せば頭に入るように作られているし、仮に頭に入らなくても「その時点で知っている必要が特にないもの」も多いから気にしなくて良い。また、スンナリ頭に入らないものは、どのみち頭に入らない。音楽でリズム感が悪いと言うのが、その良い例で、どうにも治しようがない。大学教員は、教育について否定されても、研究という identity の持ちようがあるから、授業にこだわる必要がないのかもしれない。高校だと、教員の職の重点が教育にあるから、「先生いない方が勉強が進むよ」と、真実を語れないのだろうなー。

7 月 8 日、未明に大雨が降った。雨だけではなくて、海風とも山風とも何とも言えない強風も吹いて、メソ低気圧が通過したのではないかと、そんな気がした。大学へと歩いて登ると、恒例の落葉の山。葉が雨で落ちるというよりも、既に落ちていた葉が濁流に流されて、側溝の柵に詰まってしまった、そんな状況だ。また、盛り土の部分からは、ミニ土砂崩れのように、筋が入って土が道路に流れ出している。これが自然の摂理というもので、積み上げたものはやがて崩れ落ちて海へと流れ下る。そこへ手を入れて、再び盛り土するのだから、人間の行いは自然に反したものだと、そんな事をポツポツ考えつつ今日も講義を収録した。

7 月 7 日、七夕を迎えた。何か願い事は?学生さん達がキャンパスに戻って来れますように。それ以外に願うことはない。ただ、以前の通りに活動することを願うか?というと、そうとも言えない部分がある。かなり無理をして講義室にやって来ている学生を、よく目にしていたからだ。来るなり突っ伏して眠っている、という状況なのであれば、通学時間を睡眠時間に充てて、講義は遠隔で受講してもらうのが効率的かなーと思う。咳が絶えない、という状況でも同じだ。クラブ活動も同じような感じだろうか、何かスポーツを楽しむのであれば、その時間だけ集まれば良くて、長々とグループで夕食を付き合ったりする必要はない。Stay Home で、世の中の楽しみ方が変わった部分があったら、それは慣習として大切に残しておきたい。

7 月 6 日、大学の建物が高層化されることは、まずない。もちろん例外は、探せば出てくるけれども。高層ビルの欠点は、縦方向の移動に時間がかかること。授業時間ごとに、人々が一斉に移動するという大学の行動パターンには、低い建物が並ぶ団地方式が向いているのだ。まとまった土地が一度に確保できた大学の場合、ちゃんと(?)建物が移動を考えて配置してある。歴史のある大学で、少しずつ建て増して行った場合、ある時点で「近くの飛び地」に進出せざるを得なくなって、アチコチ行き来する必要が出てくる。今日のような雨の日には、濡れてしまった靴をズブズブと言わせつつ、建物間を移動するのである。例年ならば。今年は遠隔だから、雨にも濡れないか。

7 月 5 日、神戸大学辺りだと、北は山、南は海、坂道を降ると自然と南に歩くことになる。その感覚が「神戸」と名の付く場所で、ずーっと続いていると信じると、妙なことになる。神戸大学の医学部あたりから西は、山の位置が微妙に北西になって、南に下ったつもりが南東へ移動してしまった、などという「道に迷う」原因があれこれと潜んでいる。その辺りまで西になると六甲山もなだらかな丘のようになり、神戸三宮などに比べると、土地が開けている。平清盛が遷都しようとした、そんな地域であることが、ストリートビューで歩き進んでみると理解できる。神戸大学医学部は四角い土地に、コンパクトにまとまっているな〜。

7 月 4 日、何年前のことだろうか、あるお店のレジに柔らかな雰囲気のアルバイトさんが居て、制服がよく似合っていた。ポツリと、物理を習っているのだと教えてくれた。それから 10 年を超えて、ある時は近くで、あるいは少し離れた所に、チラホラと姿を見かけるようになると、その時には全く思いもしなかったものだ。直接、物理の何かを教えるという関係にならなかったのが、緩い雰囲気で時々コンタクトできた要因だったかもしれない。ファインダーの中に映るその姿は、いつも少しだけトボけたようで、その周囲の雰囲気をいつも丸く保っていた。何かを削っていたことに、誰も気が付かなかったのだろうと思う。少し雨が降って、やがて止んだ。

7 月 3 日、ケーキ屋さんの近所にケーキ屋さんができる、パン屋さんの近くにパン屋さんが open する、花屋さんの真向かいに園芸店が新装オープン。一見すると無謀に見えるこの勝負、勝率から言うと案外高いのかもしれない。既に、その場所で何らかの業態で商売になっている、お客さんが居るわけだから、より良いサービスを提供すれば商売繁盛する余地がある。何もない場所に、いきなりレストランを open しても、待つだけ ... となる可能性も大きい。そういう事例を何度も目にして来た。コンビニの隣にコンビニが ... こう言う場合には、元からある店の撤退がとても速いことが多い。大学の隣に大学が?これは不思議なことに大丈夫だ。教育機関ならではの良さではなかろうか?

7 月 2 日、普段は日本の天気図しか見ていないので、天気って大体、こんな物だと思い込んでしまっている、「典型的な天気図」がある。ぐるっと地球儀を回してみると、どうもその常識が通用しないことに、最近になって気づいた。インド洋は今の季節、赤道をまたいで吹き込む季節風が卓越しているし、大西洋は狭くて高気圧か低気圧が 1 つだけしか入らない。イギリスとかアイルランドはいつも低気圧の東側にある、ということは南から風が吹き込むことも多い。アフリカ、ユーラシア、北米など大陸では風があまり吹かない、南極の冬は信じ難く寒いし、周囲は低気圧だらけだ。陸地の分布というものが、これほどに天候に影響があるものだとは。梅雨もまた大陸の存在があってこそ。

7 月 1 日、提出日というもの、どう考えるかは様々だ。仮に100人のレポートを集めるような時に、全員のレポートが提出日に「一気に」揃うのは、好ましいように思えて、あまりありがたくない。ポツポツと提出があって、受け取り次第、軽く目を通せるというのが理想的な状況だ。こういう裏事情から見ると、提出日を少し遅れて、ポツポツと提出があるのもまた悪いことではない。もちろん、最終的に成績を提出するという、教員に課せられた締め切りを過ぎて受け取ったレポートは、評価は出来ても成績には勘案できないことになる。1日遅れのレポートで、直ちに「申し訳ありません」と頭を下げて提出するのも、どうなのかなーと思う所がある。しれっと、提出してくれると受け取る方も気楽でいいのだけれど。


2019
1 月と 2 月 (暖冬珍病編) 3 月と 4 月 (在宅勤務編) 5 月と 6 月 (遠隔講義編)
2019
7 月と 8 月 (夏空日傘編) 9 月と10月 (残暑熱帯編) 11月と12月 (讃岐行脚編)
1 月と 2 月 (ダイエット編) 3 月と 4 月 (平成令和編) 5 月と 6 月 (講義出張編)

2018
7 月と 8 月 (酷暑昼寝編) 9 月と10月 (神風来襲編) 11月と12月 (国際会議編)
1 月と 2 月 (教務調整編) 3 月と 4 月 (早桜花見編) 5 月と 6 月 (方向解釈編)

2017
7 月と 8 月 (東西行来編) 9 月と10月 (台風暴風編) 11月と12月 (胃痛通院編)
1 月と 2 月 (朝オムレツ編) 3 月と 4 月 (激戦挑戦編) 5 月と 6 月 (研究員待編)

2016
7 月と 8 月 (研究行脚編) 9 月と10月 (技術鍛錬編) 11月と12月 (SLOVAKIA編)
1 月と 2 月 (共形情報編) 3 月と 4 月 (朝型昼型編) 5 月と 6 月 (昼夜逆転編)

2015
7 月と 8 月 (机前執筆編) 9 月と10月 (講義ゼミ編) 11月と12月 (懐古探訪編)
1 月と 2 月 (赤筆修正編) 3 月と 4 月 (客人来神編) 5 月と 6 月 (地球半周編)

2014
7 月と 8 月 (離陸着陸編) 9 月と10月 (玉翠準備編) 11月と12月 (テンソル編)
1 月と 2 月 (雪面滑降編) 3 月と 4 月 (花粉飛散編) 5 月と 6 月 (東奔西飛編)