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5 月27日、米からどれだけ酒が作れるか? という問題、よく目にする。普通に作ったらこれだけ、アルコール発酵を目的とすれば、その3倍は作れるとか、そういう話だ。ここで、簡単な化学の問題。米を食べるのと、その米を酒と酒粕にして、両方とも食べるのと、どっちがカロリーが高い? ええと、アルコールは燃えるから、酒に加工した方がカロリーが高いような気がしてしまうのだけれども、と、引っ掛け文章を書いた後で、当たり前のことなのだけれとも、二酸化炭素が逃げて行った酒と酒粕の方がカロリーが低い。ここで「非科学」を展開すると、以上の理由によって、酒を飲むことは全人類がダイエットするための秘訣であると言えるのである。信じて飲むか、それとも、疑ってみるか? 信じる人は居ないけれども、信じようと信じまいと、飲む人は飲む。

5 月26日、宮沢賢治、名前は聞いたことがあっても、誰なのか、何をした人なのか、よく知らない。詩人だったっけ、作家だったっけ、音楽家だったっけ。ふとしたことで、幾つか詩を読んでみたら、ああ凄い、すごーく才能のある人なんだということが、一瞬にして感じ取れた。現代かな遣いを作り上げて行った人々の一人かもしれない。博士か大臣かと呼ばれる程の、当時の大学のポストに呼ばれながら、断ったという話も、素晴らしいのである。但し書きをすると、作品として残ったものに対する観想であって、身近に宮沢賢治が居たならば、きっと逃げ出していたであろう、そんな気もする。何事においても、素晴らしいものを残す人、何かが欠けていたに違いないという、そんな予感なのである。何も欠けていない人というのもまた、存在し得ないものだけれども。

5 月25日、空中の湿度が高くなると、どんどん草が伸びる。伸びたものは、ひつこ抜く。これ、毎日の仕事。しばらく伸ばしておくと、葉が固くなって根元からごっそり抜ける。かといって、あまり固くなりすぎると、抜けないか、手が切れてしまう。こうして抜くべき草の本数をざっと数えてみると、1万本以上あるではないか。ええと、一秒に一回抜いても3時間仕事である。たとえ、抜き切れたとしても、また小さな芽がどこかから出てくる。そこで、ちょっとの間放置することにした。この間に自然淘汰が進んで、株の数が少なくなるだろうという皮算用だ。うまくゆくだろうか?

5 月24日、アイスクリームという得体の知れないものがある。あれ何じゃ? と問われたら「お固い意味での物性物理学では取り扱わないもの」だとか「領域11の人々が好んで取り上げる材料」とか言っておこう。この領域11というのは、物理学会で統計物理やら、何やら、要するに「その他の分野では扱えないもの」を寄せ集めたような(←表現をソフトにするために「ような」と付け加えておく)分野で、学会のプログラムを開いてみても、ここだけ妙にバラエティーに富んでいるのである。さてそのアイスクリーム、空気の泡と、脂肪の粒と、砂糖を含んだ乳清の部分の混合体で、場合によってはフレーバーの粒やら、野菜の繊維などが含まれている。融点はどこかはてなと聞かれても、ハッキリしない。力学的性質も、どっちかというとレオロジーの分野だ。ともかくも、アイスクリームは冷凍機という熱力学の成果あっての産物である。(真冬に寒い所で作るには作れるけれども。)熱力学・統計力学ばんざーい。

5 月23日、論文の執筆で大切なことのひとつが、「共著者を信じるな」ということ。どこぞの大騒ぎではないけれども、実験データに妙な所はないか、数値シミュレーションはマトモか、論理に破綻はないか。もちろん、そういう所はバッチリ注意している、つもりだ。しかし、抜けがあった。「文献 XX によると、YY という結果が得られている。」と、文献引用して堂々と紹介されている箇所のチェックを見落としていた。文献 XX を、よーく読んでみると、YY という結果など書かれていないのである。これは一大事。論文の、結構な部分の骨組みに影響してしまうではないか。まあ、見つかったのだから、良い。そのまま発表されていたら、エラいことになる所だった。これは、稀なことではなくて、自分が昔書いた論文について、変なコメントが他人の論文に堂々と掲載されていたりする。当然、「それ、間違った形の引用だよ」と、教えてあげる。いきなり、怒りモードで対応してはならない。真実を、淡々と書いて渡すのが、サイエンスの流儀なのである。フツフツとは怒るんだけど、顔には出さない。

5 月22日、アンパンマンとバイキンマン、ちょっと待てよ、アンパンのパンは、酵母菌という菌界の真核生物、バイキンと称されるものは原核生物であることが多い。大腸菌もバイキンの仲間ということになるか。早速余談に走ると、大腸菌という名前を聞くと、排泄物の主要な成分であるかのようにも聞こえるけれども、割合としては多くないそうだ。ともかくも、微生物をバイキン呼ばわりしていても仕方ないのである、どこにでも大量に居て、いつでも飲み込んだり吸い込んだりしていて、更にはドバッと増やして環境に戻しているのである。土に触れても、絨毯に触れても、布団の中にでも、ともかく、細菌などだらけ。そんな中で抗菌加工しようとしまいと、関係ないのである。というわけで、バイキンマンが懲りずに、憎まれずに、毎回のようにやって来るという筋書きは、よく実態に即したものとして歓迎する。ついでに、JR 四国を豊かにしてくれている。

5 月21日、グレープフルーツジュースを、どうやって作る?という長年の研究、どうやら答えが出つつある。問題かなーと思っていたのが、表面の防カビ剤入りワックス。食品に使ってる物だから、「そればっかり」集めて口にしても健康に問題が無いのだとは思うのだけれど「防カビ剤使用」なんてシールが貼ってあるから気になるのである。表面の、黄色い皮を包丁でリンゴのようにむいてしまって、その後で半分に切って、手を持ち替えながらゆっくり絞れば良いのである。しっかり、ほとんど残さず絞れる。飲んでみた感じは、悪く無い。むいた表面の白い部分から出る苦味を少なくしようと思えば、汁たっぷりの実が出るまで包丁で皮をむいて、ドロドロの実だけを絞れば良い。その分、歩留まりは悪くなる。

5 月20日、出刃包丁、刃が太いので、普通は魚や肉をさばく時にしか出番が無い。大根を真っ二つにするような時に出刃包丁を持ってくると、切れるというよりも、割れる。では全く使い物にならないのか?というと、例えばキュウリの千切りのような切り方であれば、うまく使える。また、切っ先を抜くように切れば、割と刃の厚さも問題にならないので、ネギやアスパラガスを切る分には問題ない。じゃあ、どこまで使えるんだ?と、気になって来て、しばらくの間、出刃ばーっかり持つことにした。案外、刃渡りの長い柳刃包丁よりもうまく利用できるかもしれない。包丁としては重たい部類になるので、落とさないように気をつけることも、普段以上に。垂直に落ちたら、まちがいなく足に刺さる。天才バカボンか何かで、そんな光景を見たことがある。

5 月19日、数学で、あまりちゃんと教えられることがないのが、カッコ。小学校で「気がついたら教えられていた」という人ばかりだろう。それも「カッコ書きの所は先に計算する」という、かなりマズい教え方を通じて。この「先に計算する」という文句を固く信じると、中学で習う「式の展開」が理解できなくなる。また、5 x (-3) という書き方のように、複数の演算記号が並ぶことを回避するためのカッコの使い方に接した時にも、困惑する原因となる。カッコの正しい教え方は、分配法則のみである。カッコを含む式と、含まない式という「文字の列」に対して、等価である条件を定める規則、それだけなのだ。この場合、(-3) は、まあ 1 x (-3+0) とでも考えてもらおうか。こうやって式を眺めてみると、当たり前に思っている数式でも、色々と不思議に思う、思ってみるポイントは沢山あるものだ。

5 月18日、旅客機の多くが後退翼を採用している。その理由は何か?という定量的なデータを探しに行っても、なかなか検索にヒットしないのである。幾つかの説がある。造波抵抗を減らすには、翼が薄い必要があって、後退翼にすれば、構造物としては太いまま、実効的な翼の薄さが担保できるというのが、もっともそうな理由の一つ。仮に、翼が根元から翼端まで同じ太さで、無限に長ければ「翼の前縁に対する速度の成分が云々」という考え方が生きて来る。但し、飛行機を見るとエンジンもブラ下がっているし、羽の長さも有限だ。そうそう理想論ばかりという訳にも行かない。えい、物理屋たるもの、データが転がっていなければデータを得るまでよ、と、考えてはみたのだが .... ナビエ・ストークス方程式くらいまでのソフトは転がっているものの、遷音速領域の非線形方程式やら、衝撃波についての経験的データが入ってるシミュレーターは、おいそれとは手に入らない。経験則がなければ自分で求めろって?それは大変。分子運動に踏み込まなければならない。結局、風洞実験に立ち戻るのである。

5 月17日、ソフトウェアのアップデートが出る。さて、インストールするかどうか、しばし思案。というのも、前回の update で、画面が映らないというトラブルに巻き込まれて、解決にジタバタした悪しき記憶が蘇ってくるからだ。そして、実は、今でも再起動するたびに、外部ディスプレイを一度抜き差ししなければならない。ああ面倒くさい、アップデートすると再起動が必要となるではないか。バグが治ってると期待しつつ、インストールしてみようか。→やっぱり、抜き差しする事態となりました。バックアップディスクを参照しに行く時に、何かが起きている模様。そろそろ、こちらも買い替え時期なのかもしれない。

5 月16日、コクセターという数学者が居る。Wikipedia で調べても、影が薄い印象があるかもしれない。英語で検索しても、フランス語で検索しても、やっぱり少ししか記述されていない。コクセター群の方は、少しマシで、コクセター・ダイアグラムと供に色々と紹介されている。こういう事を調べていて、ちょっと驚いたのが、「ディンキン図形」そのものが、Wikipedia のタイトルに無いこと。英語、仏語では、もちろん説明されている。日本語でも、もちろん、リー代数の項目に含まれてはいるのだけれども、見出し語に無いのだ。数学というと、高校の先生という「膨大な数のアマチュア」、いや場合によっては第一線のプロを擁している分野でもあり、ボランティア著者も数多く居るものだろうと思っていたけれども、そうでもなさそうだ。別に、自分で充実させようとしなくても、英語から翻訳してくるだけでいいんだけどなー。ただ、そういう場合、algebra に、どんな訳語を当てるか?といったマイナーな問題があって、やっぱり著者の母集団は限られているのかもしれない。そうそう、コクセターだった、彼の著書が古本に出ていたら、get するのみである。

5 月15日、夏の日差しだー、と思ってカレンダーを見ると、もう夏至まで1カ月くらいしかない。今の時期の日差しは、8月上旬と同じ。暑いはずだ。一番日照が厳しい6月末が、梅雨の時期だというのは、実は神様からのお土産なのではないかと思う。一方で、今の時期のヨーロッパ、いいんだよなー。どこかの自治体の、とある首長さんではないけれども、こういう時期にこそ、外遊したいものだ。この「外遊」という言葉、なぜ「遊ぶ」という漢字が使われているんだろうか?政治が祭りごとならば、外交は遊びごとということなんだろう。まず良く遊んで、その中から学んで行く。まあ、ちょっと、関係ない人が遊びすぎたんだろうなー、という視点はあるかもしれない、昨今の騒ぎは。物の書物には、こうも書いてある。「罪のない者のみ石を投げよ」と。

5 月14日、平均気温が 20 度くらいになると、ヒルガオの仲間が活動し始める。ヒルガオは言うに及ばず、アサガオ、サツマイモなど、様々なものがツルを伸ばす。いよいよ、イモの植え付け時期だ。ビルの屋上に黒いパネルを乗せて発電するくらいならば、サツマイモをどんどん植えて育てたいものだ。秋になれば、ちゃんとイモができる。ただ、夜盗虫が出ると、表面に近い場所はガリガリに食われてしまうこともある。ともかくも、今の時期のサツマイモ、食べるだけではなくて、植木鉢に植えても楽しめることを認識しておこう。室外での栽培がオススメ。室内だと、アブラムシにやられてしまうことがある。それを駆除するのも、園芸の楽しみなのだけれども。

5 月13日、南風が吹くようになった。神戸市は背景に六甲山があるので、この地形的な条件もあって、良く晴れた日には海風が吹きやすい。潮の香りのする風が吹いて来るのである。強風の時には、本当に塩のツブが窓にくっついたりする。さて、この南風が吹く時には、たいてい、ものすごく気温が高い。暑いなー、と、ヒーヒー言いながら歩いていると、ふと涼しさを感じる時がある。それは、川を渡る時。水の蒸発熱って、こんなにあるんだと実感する瞬間だ。ということは、海辺の方は、いつも、もっと涼しいんだ。そう思って、思い出してみると、須磨にしろ、塩屋にしろ、垂水にしろ、いつも涼しい風が吹いていたではないか。水辺っていいなー、と、その瞬間だけは思うのである。住んだら住んだで、湿気との戦いだとか、虫がブンブン飛んでくるとか、いろいろと不都合なこともあるのだろうけれども。

5 月12日、テンセル、この言葉は、ジーンズ好きな人なら、よく知ってることだろう。テンセルで編んだ生地は、テンセル・ネットワークと言えるだろうか?ちょっとだけ文字を置き換えた「テンソル・ネットワーク」も、検索してみると、幾つかヒットする。そこに、どういうわけか、世界史と日本史なる雑文が転がっている。若気の至りで、主観的に描きすぎているなーと、思うところもあるので、今、新しいバージョンを鋭意作成中である。そういえば、テンソル・ネットワークについて、日本語で少しずつ学んでもらうような、学習教材を作る作業を行って来なかったなーという気もしている。結果として、国内でも、テンソルネットワークの日本史を知らない人材が増えて来てしまった。怠慢を反省して、レビューを書こう。教科書を書こう。無料公開しよう。今日、決意だけ、する。

5 月11日、今日の仕事を始める前に、まず免許更新。1時間程度で完了。道路交通法の改正で、軽車両に関する項目が追加されていることを知った。というか、それ以前は自転車の車道右側通行という、超危険運転が違法ではなかったという事実にびっくりする。自転車についての項目は、そのまま、エンジンを切った原付きに適用されるから、「エンジン切ってるやん」という抜け穴は、多少、ふさがったかもしれない。さて、更新時に流れるビデオには、悲劇的なものごとが含まれる。何千人もの人が、交通事故で命を落とす。印象に残るのが、ビデオ映像に映り淡々と語る、子を亡くした親の「長女だった子」という過去形の言葉づかい。例えば、誰かの親は生死に関わらず「父」「母」であって、亡くなったからと言って「父だった人」「母だった人」とは、普通は言わない。どれくらい長い時の感覚として意識されているのか、しばし考えてしまった。それにしても、更新センターの講師さんは、いつも、仏顔の人だ。仏顔で「事故現場でちり取りを持って、掃き集めた」などおっしゃる方も居る。彼らも、何かを背負っているのかもしれない。

5 月10日、高層天気図を見ると、段々と梅雨っぽくなって来た。ジェット気流が、北回りと南周りにパカッと分かれてしまうのが、その特徴。南の方は割とシブトくて、北の方はハッキリしている時と、姿が見えない時が交互にやって来る。ジェット気流も避けるほど、ヒマラヤ山脈が高いということらしい。(境界条件としては、十分に高い。)そして梅雨がやって来ると、もうカエルの季節。ゲコゲコと、あちこちで雨を呼ぶように鳴く。そして、辺りに「おんぶ」してるカエルが見えたら、オタマジャクシがウヨウヨ。あのノンビリしたオタマジャクシが、どうやって難を逃れるのか、不思議なものだ。

5 月 9 日、簡単なことでも、それを言葉に落とすと難しくなりがちだ。物理は数式に落とさなければならない。その時に、どんな記号を使うか、それが問題となる。厳格に、誤解のないようにと、ガチガチの記号を添え字だらけて書きまくると、間違ってはいなくても読めなくなる。じゃあ、ちょっと見やすく省略しようか?と記号を単純化すると、初学者にはウケが悪くなる。その中庸をうまく取らなければならない。なお、こうやって苦労して決めた設定に揚げ足を取られることが、毎度のようにある。曰く「論文 A では、これこれ、こういう場合のみが取り扱われていて、一般性に欠ける」と。そんなの、一般化は自明じゃないか! と思っても後の祭り。そういうわけで、注意深い論文著者は、あちこちに「一般性を失わない」とか「拡張は自明である」などと、言葉を転がして投網を張ってある。なんか、世知辛い世の中やと思う、この業界も。

5 月 8 日、そろそろ、豆まきの時期となった。豆まき?それは節分ではないか?と、思われた方もいらっしゃるかと。一応、立夏の前の日も節分だから、今が節分の時期だと強弁しておこうか。冗談はともかく、そろそろ、大豆だとか、黒豆だとかを種まきして良い気温になって来た。どこに撒く?植木鉢?その辺りの空き地?それとも、プランターの隙間?一応、作物であることには注意したい。デカくなるのである。ジャックと豆の木、という話があるように … ええと、どんな話だったっけ? と、調べてみてびっくり。ジャックと豆の木って、こんな酷い話だったのかい?と。鬼とか巨人とか、全く人権蹂躙の物語が、昔話にはよくあるなーと。

5 月 7 日、木は長く成長するものだけれども、ふとしたことで枯れるのもまた木の運命。その中で、しぶとく枯れないものが桐だとか、ミカンだとか。特に柑橘系の樹は、どうしてあれだけ強いのだろうかと思うほど、切っても、折れても、枯れる気配がない。幹をブチッと切っても、周囲から芽が出て、翌々年には切り口までふさがってしまう。古木で、半分枯れてるように見えても、残った半分でシッカリ栄養を運んで、ふさふさと茂っている。アゲハが来て丸ごと食われても、すぐに芽が出る。あれだけシブトイ樹に目をつけたからこそ、アゲハ蝶も生き残ったんだろうと思う。柑橘類、恐るべし。

5 月 6 日、統計力学のテクニックの一つに、レプリカ法というものがある。このレプリカ法は、すべての数式について厳密な計算が可能なのであれば、極限を取る先が真性特異点であるような例外(?)を除いて、信じて良いのではないかと思わないこともない。但し、それぞれの数式のどこかに近似を持ち込んだ場合には、正しい極限が取れているのかどうか、一抹ならぬ不安を抱えたまま計算を進めることになる。物理学的には、結果オーライで、それらしい物理が導かれれば、論文になる。どちらかというと、レプリカ法を使って計算を進める過程に、スピングラスなどの概念を自然と会得しつつ、計算のテクニックも吸収する、という、途中経過として重要な意味を持っているのではないかと感じる。さて、テンソルネットワークの分野でウロウロしている私が、なんで、レプリカなの?ということを嗅ぎ付けられると、飯の種が流出してしまうから、もう、この話は、この程度にしておこう。(←十分に流出してるんだけど ...)

5 月 5 日、硫酸銅に、どれくらいの毒性があるのか、調べてみても、よくわからない。硫酸銅が含まれる農薬の袋には、毒性として「普通物」と書いてある。普通物とは、砂や台所洗剤のようなもので、「意図的に無理矢理食ったら」問題が生じるかもしれない、それくらいの毒性。この、硫酸銅がカビには効くらしくて、いろいろな植物のカビ病の防止に役立つとか。ただし、完全に防ぐ場合には、散布量・回数ともに、バカにならないくらい繰り返す必要がある。また、適当に空中散布すると、葉の裏には薬剤が届かないので、まずは葉の裏から散布する、それくらいの気持ちで取り掛かる必要がある。そうした上で、最終的に、何かを収穫しようという段になると、万が一にも薬害、つまり作物に黒点や黄ばみが出ないように、散布をストップしたり、別の薬剤にしたり。ともかくも、無農薬栽培というのは、それが可能である一部の作物に関する、理想的な栽培であって、ちょっとでも収量を気にしたりすると、成立しないのではないかと思う。サツマイモでさえ、ツルを食われるとおしまいなのだから。

5 月 4 日、国語という教科が面白くない、という話、誰にも共通するものではないかと思う。その理由の一端が、国語で紹介されている文章は、好きこそ物の上手なれ、物書きのプロによる作品である(ことが多いであろう?)のに対して、教科書執筆陣は、どちらかというと書くよりも論評するのが仕事という方が多いという、微妙なギャップにある、ように思える。いや、この点は問題にすべきではないかもしれない。更に国語の教育現場へと至ると、文章を読み書きする基本的な技量が怪しくなって来るのである。(「先生の書いた文章」にロジックの矛盾を何箇所も見いだす、そんな経験を持たれた方々も多いだろう。私も、よく、やらかすのであるが ...)理系科目にも、同じ問題がある。と、前振りしておいて、修士卒・博士卒あるいは中退、この経験を中等・高等教育に生かす方法がないものか?と、常々思うのである。どんどん、教員として活躍してもらいたいものだ。ただ、その職場は、これから人口減少とともに縮小して行く運命なのであるが。

5 月 3 日、昨日に引き続き、休日も何もなく仕事。眼下に広がる神戸の平野から、鐘の音が聞こえてくる。だんじりの音だ。ずーっと同じ調子のリズムが続く。と、思い込んでいた。よーく聞くと、とんでもなく複雑なことをやっている。バリエーションが多くて、アドリブのようにも聞こえる。一体、どうやって一体感を保っているのだろうか?また、リズムも早くなったり遅くなったり。みんな、打楽器奏者そのもの、年季が入っている。聞いていると、ハマってしまうのた。いけない、いけない、仕事、仕事。音楽の中での仕事は、ゆーっくり進むのであった。... 進んでないかも。

5 月 2 日、連休の谷間の月曜日。誰も月曜日だと思っていない所が、何とも不思議な月曜日だ。が、私にとっては、昨日に書いた通り、まさに月曜日なのである。ついでに、全世界から arXiv プレプリントサーバーに、ドコドコと論文が降って来る。そんなのに、イチイチ目を通さずに、research gate とか googlo scholor とかの研究ネットワークで接する論文だけ見なさい、という悪魔のささやきに身を委ねたい気はするのだけれども、まだ何とか、ほとんどのタイトルに目を通すことが可能なので、旧来通り、最低でも 30 分は時間をかけて、論文リストを見て行く。今日は、学生との Feynman 読み会の立会いもした。口語の仮定法が、ちょっとわかりづらいようだ。これは英語に限ったことではなくて、日本語で話していても、方言によって「仮定法や条件法の作り方が違う」ので、よーく確認しないと誤解してしまうことがある。文章なら、なおさら意思の疎通が難しいものだ。

5 月 1 日、ノンビリ構えている内に、もう5月になってしまった。締切のある書き物やら書類やら、どんどん仕上げて行かなければならない。今週の金曜日が、一つの修羅場となるであろう。ということは、連休は完全に潰れるということだ。いや、もともと、そのつもりで作業して来たのかもしれない。周囲を見回すと、同じように、連休に仕事を固め打ちする方々がゾロゾロと。どうせならば、連休に論文を書いて仕上げてしまうとか、連休に新しい着想を得るとか、それが無理でもしばらく前から頭に引っかかっていることに着手するとか、ちょっとは実のある活動をしたいと思うので、その理想へと一歩でも近づくように、報告書をまとめるに当たっても、何かしら新しいことをイメージしつつ、ジタバタしたいものだ。

2016
1 月と 2 月 (共形情報編) 3 月と 4 月 (朝型昼型編)
2015
7 月と 8 月 (机前執筆編) 9 月と10月 (講義ゼミ編) 11月と12月 (懐古探訪編)
1 月と 2 月 (赤筆修正編) 3 月と 4 月 (客人来神編) 5 月と 6 月 (地球半周編)

2014
7 月と 8 月 (離陸着陸編) 9 月と10月 (玉翠準備編) 11月と12月 (テンソル編)
1 月と 2 月 (雪面滑降編) 3 月と 4 月 (花粉飛散編) 5 月と 6 月 (東奔西飛編)

2013
7 月と 8 月 (大橋渡海編) 9 月と10月 (激変日常編) 11月と12月 (印度華麗編)
1 月と 2 月 (感冒養生編) 3 月と 4 月 (東西奔走編) 5 月と 6 月 (枯野夢旅編)

2012
7 月と 8 月 (高空気流編) 9 月と10月 (次々行事編) 11月と12月 (入国管理編)
1 月と 2 月 (厳冬感染編) 3 月と 4 月 (電圧発光編) 5 月と 6 月 (渡西来鴨編)

2011
7 月と 8 月 (飛行少年編) 9 月と10月 (鮮魚包丁編) 11月と12月 (場論執筆編)
1 月と 2 月 (鳥撮光学編) 3 月と 4 月 (日々激震編) 5 月と 6 月 (研屋鍵盤編)

2010
7 月と 8 月 (転地養生編) 9 月と10月 (研磨没頭編) 11月と12月 (涅槃煩悩編)
1 月と 2 月 (蛇行氷上編) 3 月と 4 月 (桜花観光編) 5 月と 6 月 (屈折望遠編)