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5 月22日、大学は、少なくともそこで学ぶ学生達にとっては、ノンビリした場所である。時間割が詰み詰みということは絶対になくて、高校から進学した1年生にとって「1限と4限だけあって、2限と3限が空きコマなんてアリ?」とか、「3年までで大方の卒業単位が揃うのなら、なぜ4年在学なの?」など戸惑うこと必至だろう。この、一見すると無駄に空いているように見える所が大学の大学たる所で、そこで好きなように時間を過ごすことが、誰の指図も受けずに自立して行動し始める為には大切なのである。但し、どの大学でも、そのような運用になっているか?というと、必ずしもそうではない。大学を選ぶ時には、カリキュラムもよく見て欲しいと思う所があるのだけれども、実際問題としては、やっぱり「偏差値」ということになるのだろうな。

5 月21日、普段とは違う道筋で、阪急六甲駅から神戸大学へと歩いて行くのも、また楽しいものだ。色々な発見がある。中身を空っぽにしてリノベーションしていた一軒家は、賃貸住宅として生まれ変わったようだ。あちこちの更地に、家が建って風景が豊かになった。一番の変化は、崖の中ほどに通っている車道から、藪の中へと抜ける道が整備され始めたこと。今まで、そこに斜面という土地があっても、改良工事を行わない限り使えないという、価値があるのかないのか良く判らない土地のままン十年間も放置されていた場所だ、これで新しい宅地の開発がまた始まるのだろう。駅からほど近い、眺めの良い場所だ。しばらく注目しておこうかな。

5 月20日、室内の観葉植物というと、昔はゴムの木が定番であった。あの木を日本の室内で栽培してゴムが取れるのかどうかは?だけれども、何となく、その辺りには生えていない、ちょっとエキゾチックな感じが良かった。最近あまり見かけないような気がする。実に様々な観葉植物が入手できるようになって、ゴムの木の出番が減ったのだろう。うまく切り戻さないと大きくなってしまうという点も、ちと人気が陰った原因かもしれない。枯らそうと思ってもなかなか枯れない、頑強な所が、なかなか憎い木である。その割には、大木にまで育ったものを目にしたことはない。少し広い土地に触ることができるならば、またどこかで育ててみようか?

5 月19日、神戸まつり、第一日目は地区の祭り。朝方まで雨がパラついて、ようやく雨が上がる、そんな天気の中ではあったけれども、海辺の自宅から少し歩いた場所では例年の如く出店が並び、人々もそこそこ集まって来ていた。潮風が強くて遮るものがない場所なので、曇っていて良かったかもしれない。その後、電車に乗って一路東へ。三宮に到着すると、ゴールデンウィークとは違った、地元の人々による賑わいがあった。フラワーロードを南に下り、公園のステージを見に行くと市長が挨拶している所であった。そのまま居留地まで歩いて行くと、大丸の横が通行止めになって、ここも出店で賑わっていた。結局、見るだけでおしまいの、貧乏な神戸祭り鑑賞であった。

5 月18日、ついこの間まで、とある職場でときどき会って仕事をしていた方の訃報に接する。虚を突かれるというか、全く実感が湧かないというか、とても快活である姿ばかりが思い浮かび、同姓同名の別人ではないかと疑うばかりだ。これが、信じられないという感覚なのだろう。e-mail を出したら、返事が戻って来るのではないだろうかと、そんな気さえする。職場では、仕事の隅々まで細かく注意を払っていただき、色々とお世話になった。その際のやり取りが、思い出そうとするまでもなく、音声付き映像が次々と浮かんで来る。ひと仕事終えて、また別の機会に、ひょっこり別の場所でお会いするだろうと、そんな予感さえあっただけに、喪失感は大きい。静かにお祈りするばかりだ。

5 月17日、神戸大学生協にも、ハラールフードを出す食堂がある。いつもは混んでいるのだけれども、今日、チョイとのぞいてみると、あら比較的空いている。もうゴールデンウィークが終わったから?いや、お店の人によると、ラマダンに入ったのだそうな。そう聞いて、ハラールフードを昼食時に提供する食堂の運営とは、なかなか難しいものだと思った。では、やって来ているお客さんは?見渡すと、それなりに「外国人食堂」として機能しているようだ。色々な言葉が飛び交っているし、西欧からの留学生も目立つ。こうやって、段々と利用者が増えて行くと、ハラール食堂の営業時間も長く設定できる。そうなったらいいな。

5 月16日、Wifi のアクセスポイントは、ネットワーク機器の中でも「古いものが使われ続けている」率が高いものだ。古いと、遅いとか、数多くの接続をさばけないとか、セキュリティーが甘いとか、まあ様々な問題を抱える傾向がある。そのような事もあって、何かの機会にエイヤッと機器を更新してしまうのが良い。そうして、何かご利益があるか?というと、利用者の少ない場所では、あまり何も感じないかもしれない。ただ、管理者の側からすると、機器更新したという免罪符を得たという冗談は置いておいて、問題が発生するリスクを多少とも低減できるだけでも、安眠への道なのである。そのような視点で辺りを眺めると、まだまだあるぞ、危ない機器が ...

5 月15日、放置されていた場所に生えて来た松。その存在に気づいた時には、もう結構大きくなっていた。そのまま大木になるのであれば、好きなように伸びてもらって良いのだけれども、生えて来た場所では大木になれない。となると、庭木として管理しなければならない。が、時すでに遅し、徒長した姿では、庭木としては不恰好極まりないのである。枝をちょっとだけ残して、バサッと切るのが正しい道なのだけれども、誤魔化し誤魔化し適当に剪定して、今日まで見苦しい姿を晒していた。さて5月も半ばを迎え、枝を眺めると、結構小さな芽が出て来ている。よし今だ、という訳で、問題となっていた徒長枝を「何本か」切り取った。これで格好良くなったかというと、いや全然ダメで、あと数年ゴマ化した後に、別の徒長枝を切って、その間に芽を伸ばすという作戦。策士策に溺れるとも言われるから、上手くゆくかどうかは、未知数だ。

5 月14日、離陸して空港の近くを旋回する飛行機の中から、下の空を眺めると、滑走路へと着陸しようとする機体が目に入る。新幹線くらいの速さで飛んでいるはずだけれども、上空から見ると無動力のグライダーが着陸して行くように、ゆっくりに見える。機体が随分と大きいから、相対的にゆっくりに見えるのだと思う。ちょっとグライダーらしくない所を探すと、主翼が太いこと。フラップを下ろしているので、余計に太く見える。ああやって、揚力を増して、その抵抗に打ち勝つためにエンジンも適当にフカす。何事もこれ、商売上の空の世界は燃料が無くては始まらないということを実感する。

5 月13日、電磁気学で相手にしたくないものが「質量のない膜電荷」である。コンデンサーの電極みたいなもので、質量のないものだ。有限の大きさの円板電荷が互いに引き合って運動する時、円板の運動に伴って電流が流れるので、周囲には磁場が生じる。この磁場が、実効的な質量となるので、無限の速さで円板が引きつけ合うことはない。円板なら、面倒だけれども、まだ問題の程度が少ないのだ。本当に困るのは、ふくれたり縮んだりできる球上に一様に分布した「質量のない膜電荷」である。これが二重になっていると、同じように引きつけ合って運動するけれども、この時には磁場が現れない。対称性より明らかだ。じゃあ、そのエネルギー、どこへ行っちゃうの?(ちゃんと電荷の質量がゼロになる極限を取ってないからだ、というのが一応の説明だろうか?)

5 月12日、船着場に到着して、さあ乗船。出航すると、明石海峡大橋手前までの折り返しの2時間弱クルーズでノンビリできる。目的その1は、タンゴ演奏を楽しむこと。タンゴといえばバンドネオン。今日はピアノと二重奏。いや楽しかった。それはそうと、演奏以外にも楽しいことが。望遠レンズの出番なのである。航路の真上は、ちょうど関西空港へ着陸する航空機や、離陸した機が低空を飛んで行く真下なのである。ついでに神戸空港もある。暇になる暇がないほど次から次へと飛んで来て、エンジン音を響かせて去って行く。カメラの準備を怠ると、起動や追尾が間に合わなくて、アホウのように長い筒だけを振り回す、道化を演じてしまう。いつでも来い、と、準備して撮影。

5 月11日、ノンビリとした金曜日がやって来たので、久々にスケートの動画を見る。ちょっと気になったのが、スピードスケートのマススタート。オリンピックの決勝では、序盤・中盤の画像がカットされているので、あまり良く分からないかもしれないけれども、スタート直後から「格闘」が始まっているのである。狙い通りのポジションを確保する戦い、場所が空いていなければ押したり引いたり肘鉄を食らわしたり、(ルール違反の取られない範囲でなら)何をしてでも空けて割って入るという氷上の小競り合いを積み重ねて、ようやくトップ集団に入る、あるいはそこへとチームメイトを送る。これに気づくと、何回見ても楽しめるのがマススタートの面白さだ。道化者が何人もいるのである。物理学会にも、似たようなのがいるかも?

5 月10日、空気は簡単に圧縮できるのに、水はほとんど圧縮できない。... 少なくとも人間が容器を押したくらいでは。この事実は小学生にも教えられるものだけれども、その説明は高校の物理学ではまだ難しい。辛うじて、空気が圧縮できる程度の所までは何とかなるけれども、水の圧縮となるとお手上げだ。最初から水というのも、実はあまり良くないのかもしれない。もちょっと単純な単体の液体がいいんじゃないか?と思って探すも、適当なものはなかなかない。液体ラドンという、チョイ危ないものが思い浮かび、誰か写真やムービーにしてくれていないだろうか?と、検索してみると、怪獣の写真ばかりヒットした。言われてみると、確かに怪獣の名前っぽい。

5 月 9 日、恒星の中身は、今のところ直接的に観測できないので、理論的に想像するしかない。物質が絡んだ物理には妙な所があって、大体の場合、物質が濃い所、つまり密度の高い所は上手く説明ができて、薄くなるとヘンテコな事が次々と起きる。我々が存在できるのも、そのヘンテコな薄さの物質のおかげだ。逆に、恒星の中身は上手く想像できるようである。さて、中にあるのは物質だけではなく、光も満ちている。太陽くらいの星でも、中心温度はン千万度にもなるので、強烈な青い(?)光を放っているはずだ。もっと重い星になると、この輻射圧の方が優勢になって、星の中心を光が支えている状態となる。天体は豪快な物理対象だ。それもこれも、今日、ささっと講義した、電磁場のボルツマン統計が入り口となる。理解してもらえただろうか?

5 月 8 日、野菜ジュースの中に入っているミカンの果汁、原材料名は「うんしゅうみかん」と書かれている。植物としての通称はウンシュウミカンと、カタカナ書きであるらしく、漢字で温州蜜柑と書くことは稀なことらしい。温州とはどこ?と思って、しばし空想にフケる。暖かい州だから、紀州とかその辺りだろうと当たりをつけて、さて検索。結果は、お隣の国、中国の沿岸部の地名であった。ただ、蜜柑の木自体が中国原産かどうかについては、諸説あるようだ。ついでに、ウンシュウミカンと一括りに書いてあっても、実は細かい品種に分かれていて、ミカンひとつでも区別があるのだということを理解した。同じような区別は、殆どの農産物にあるのだろう。無いのはマツタケくらいか?

5 月 7 日、汎関数と偏微分記号ほど厄介なものはない。汎関数微分は、その意味をまずキッチリと定義しておく必要があるのだけれども、それはともかくとして基本的には「他の変数で微分するのではないですよ」という意味において、偏微分の一種である。しかしながら、「その変数が動くことによって引き起こされる、汎関数の変化は全部拾ってください」という意味においては、全微分というか、普通に普通の微分なのである。だから、誤解を避けようと思うと、独自の記号を定義するしかない。ただ、そのような独自の記号は当たり前ながら一般的ではないものなので、その講義、そのプリント、その本に限った記号の使い方となってしまう。マクスウェルの時代のように、微分は全部、d で表しますよ、という時代に戻っちゃうと、教える方としては楽チンなのではないだろうかとも思えるのだ。

5 月 6 日、カナをどうやってタイプするか、色々な方法がある。... と書いた時点で、もう終わっているのかもしれない。いま、日本中でやり取りされる和文は、量的には殆どがフリック入力によるもので、タイピングなんかお呼びではない。仮にタイピングに限定するとしても、9割方がローマ字入力だし、その方が、手を痛め難いのではないかと思う。和文で JIS 配列カナ入力を使うのは、残りの1割の人々で、私はそのマイノリティーの一人だ。ただ、人にはあまり勧められない。一番の難点が右手の小指を酷使すること。これを避けようとして、薬指か中指を使う変態タイプを行うと、ミスったり、右手首を痛めたりする。「ホームポジション」と JISカナ配列でタイプするだけで、欠点が良くわかる。このカナ配列を決めた頃から既に半世紀ぐらい経過していて、外来語の使用頻度が違うのだ。解決方法の一つは、ホームポジションを右に一つズラすこと。但し、英文を打つ瞬間に、また戻って来る必要があって、これもあまり良い案ではない。ローマ字かなー、タイプ回数が多くて煩雑だけど。

5 月 5 日、久々に大阪に降り立つ。阪急三番街が改装されて、少しモダンになっている。三番街らしくなくなった?いや、私にとっての三番街は、大昔に川が流れていた頃で終わっているから、いまどうなろうと、あまり関心はない。基本的に、地下街を人々が速く歩き、そして左右からテレビゲームのように人が攻め込んで来る、あの感覚はいつの世も同じだ。そのまま南へ向かって、第1ビルから第4ビルの辺りにやって来ると、時代は昭和のままフリーズしている。もっとも昔は、その北側の地上にバラックが集まったような雑然とした街があったのだけど、ディアモールが出来上がる頃に消えてしまった。いちばん大きな変化が、梅田から通年のスケートリンクが消えたことを含め、茶屋町が綺麗になってしまったことだ。また、どこかにリンク造ってくれないかな?

5 月 4 日、神戸の街を歩くと、まず旧居留地の南の端の、石造りのファサードの前で「前撮り」するカップルひと組に出会う。そしてしばらく進むと、モザイクの南の灯台前でまたまた前撮り。もうしばらく歩くと、また前撮りカップルに遭遇。どのカップルも、幸せそうにしていて、ついでに経済力もバッチリの模様で、これは長続きするのではないか?と思えた。統計的に言って「前撮りするカップルは離婚率が低い」という記述は、恐らく正しいのではないかと思う。少し言葉を足すと「(結婚式・披露宴を行えるだけの余裕があって、更に)前撮りする(ほど経済的に恵まれている)カップルは(相対的に)離婚率が低い」ということだ。こう書いていて、複雑に思う所がない訳ではない。同じようなことが、学問についても言えるからだ。

5 月 3 日、朝は強風、昼からは陽気、まあまあの外出日和の憲法記念日。だーれも大学に居ないだろうと思っていたら、結構居る居る。そうか、卒業生が訪問するには、ちょうど良い連休なのだ。バーベキュー風景もあちらこちらで。普段、学生とバーベキューを囲むと、結構アクティブな光景となるのだけれども、卒業生となると風格が出てくるというか、大人しくなるというか、優雅に時間を楽しむようであった。色々と近況も聞けて有難い時間を過ごさせてもらった。さて、仕事仕事。とは言っても、今日の仕事は arXiv に出た論文から少しだけリストに付け加える程度だ。サッサと済ませて、遊びに行こう。

5 月 2 日、高温超電導は既に20年以上の歴史を刻んで、常温超電導も「あって不思議ではない」所まで来ている、と考える人が居る現状に、特段の不思議を感じない。(個人の感想です。)超流動はどうかというと、高温超流動という話は聞いたことがないし、常温超流動なんて夢のまた夢である。流体は分子からなる、という所が明示的なネックで、分子量が大きくなると、大抵はコヒーレンスが失われ、相互作用は大きくなる、とまでは言わなくても、減ることはない。結果として、一番シンプルなヘリウムが、今なお超流動の最先端を行くのである。なお、中性子星はデッカイ原子核みたいなものだから、あれについては問わない事にしておく。

5 月 1 日、連休の中日である。今日と明日は講義がある日。でも、明らかに大学に居る学生の数が少ない。当たり前だとは思いつつ、明日の講義について構想を練る。どれくらい来てくれるかなぁ、そんなに期待していないのだけれども。でも、明日は、カノニカルアンサンブルの重要な箇所だ、欠席した人はぜひ、幾つかの教科書を借りて来て、比べ読みして、ボルツマン因子の導出について理解しておいて欲しいものだ。かくいう私、ボルツマン因子の、一応の理解に至るまで、けっこう時間がかかった。最初に読んだ教科書が悪かったのだと思う、どの本とは言わないけれども。キッテルの統計力学は、とてもわかり易い。Gibbs の伝統が生きているように感じられるものだ。オススメ。

2018
1 月と 2 月 (教務調整編) 3 月と 4 月 (早桜花見編)
2017
7 月と 8 月 (東西行来編) 9 月と10月 (台風暴風編) 11月と12月 (胃痛通院編)
1 月と 2 月 (朝オムレツ編) 3 月と 4 月 (激戦挑戦編) 5 月と 6 月 (研究員待編)

2016
7 月と 8 月 (研究行脚編) 9 月と10月 (技術鍛錬編) 11月と12月 (SLOVAKIA編)
1 月と 2 月 (共形情報編) 3 月と 4 月 (朝型昼型編) 5 月と 6 月 (昼夜逆転編)

2015
7 月と 8 月 (机前執筆編) 9 月と10月 (講義ゼミ編) 11月と12月 (懐古探訪編)
1 月と 2 月 (赤筆修正編) 3 月と 4 月 (客人来神編) 5 月と 6 月 (地球半周編)

2014
7 月と 8 月 (離陸着陸編) 9 月と10月 (玉翠準備編) 11月と12月 (テンソル編)
1 月と 2 月 (雪面滑降編) 3 月と 4 月 (花粉飛散編) 5 月と 6 月 (東奔西飛編)