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9 月24日、物理学の研究対象は、物理的に非自明であれば何でも良い。実は、ちょっと研究してみたい対象がひとつ。ヒゲはなぜ剃れるのか?ということ。まあ、通り一遍の説明はアチコチに転がっているのだけれども、定量的に、再現可能な形で論理をまとめるのが物理であって、その定量性が見えない説明は、いくら見ても心に響かないのである。髭剃りメーカーは、色々とノウハウを持っているんだろうけれども、できれば計算物理屋ならではのアプローチを考えたいのだ。ヒゲ剃りの物理シミュレーションである。どんなメッシュを切れば良いのかなー。刃物で物を切る所から、まずシミュレーションを始めないとダメか。やってみよか。

9 月23日、今日、祭日であることを、昼に教えられるまで気づかなかった。普段と、あまり何も変わらない土曜日。そういえば、バスが日の丸を掲げて運行している。そもそも、祭日とか土曜日とか日曜日は、研究者にとっては、特に年齢が高くなってしまった(!)研究者にとっては、まとまった研究の時間を得る、実に都合の良い日なのである。往往にして、週日に片付けられなかった日頃の業務の続きもこなす。場合によっては、週末に出没する学生に、ノンビリ時間をかけて研究打ち合わせをすることもある。「出没する学生に」であって、呼び出したりはしない。それはブラックへの第一歩。そういう感覚で日々を過ごしているけれども、さすがに、今日は大学の人口密度が随分と低かった。やっぱり祭日なんだ。

9 月22日、今年の秋は玄米ブームが再びやって来る! と、勝手に予想。玄米の何がいいのかというと、同じ条件であれば白米よりも長持ちする(確率が高い)ので、備蓄食料向けであること。また、プチプチの食感と、わずかばかり多いビタミン。まあ、白米とヌカを一緒に食べているようなものだから、好む人も好まない人も居るとは思うけれども。大昔の人々は、大量のモミを保管庫に入れておいて、蓄えがゼロにならないよう、古い方から玄米にして食べて行ったのだとか。新米は香りが荒々しくて、一年を経た古米の方が好まれることもあったとか、そんな文章を目にしたことがある。出典が付いてないものだったので、真偽の確認のしようがないけれども。関西風に婉曲表現で言うと「知らんけど」かな。

9 月21日、ひっつきむし、という虫ではなくて、植物のトゲトゲの種の話。ひっつきむしは、ひっつきむしなのであるけれども、その名前がオナモミ、またはオオオナモミであることを、今日初めて知った。後者は帰化植物なのだそうな。ともかくトゲだらけなので、中身がどうなっているのか、知ることなく過ぎ去った日はン十年。未だに何も知らないので、検索してみると ... あったあった。中に、二つの細長い種が入っていて、植えるとフツーに双葉が出てくるのだ。花はキク科の小さな花で、花びらが目立たないこととを除いてフツーのキク科の花なのだけれども、あれだけ花が集まっていてもタネは二つなんだ、というのが、ヒマワリやキクと随分違っている。こうして野山で手に入る植物は、育ててみる気があまり起きないのだけれども、この秋に少しタネを取っておこうか。

9 月20日、ニュートンの名著(???)プリンキピアの題名は Philosophiae Naturalis Principia Mathematica である。Philosophiae (女性名詞 Philosophia の単数属格) Naturalis (形容詞 Naturalis の女性単数属格) Principia (中性名詞 Principium の複数主格) Mathematica (形容詞 Mathematicus の中性複数主格) という構成なので、実は、語順をどう入れ替えても意味が通る。ただし、古典のように音の響きで語順を決めるという無茶なことはなく、フランス語やイタリア語と同じ語順になっている。ラテン語は冠詞と前置詞に乏しいので、何でもかんでも格変化を同定しないと意味を取れない。... って、日本語もそうだけど。数値計算で有名なソフトの Mathematica は、綴りは同じだけれども、女性名詞の単数主格だろうなー、恐らく。この「綴り字が重なっている言葉が稀ではない」のが、落とし穴だらけのラテン語の楽しみかもしれない。

9 月19日、脱皮したエビを食べる料理があるのだそうな。この、脱皮したエビだけを集めるという作業は、どんなものなのだろうか?じーっと水槽の前で待っていても、そんなに頻繁に脱皮してくれるわけではないから、沢山のエビを飼っていて、たまたま脱皮している光景を目にしたら、サッサと捕まえて凍らせるなり、茹でるなりして出荷するんだろうと推測したり、あるいは脱皮ホルモンでもエサで与えて、一斉に脱皮を始めたら一網打尽、そんなんだろうか?何か効率が悪い気がする。思うに、節足動物のイモムシが海水中で育つならば、そうそう、「海イモムシ」である、そんなものが養殖できたら、実は塩味が乗って美味しいような気がするのである。海から上がって、これだけ進化した昆虫でも、海に戻ろうとすると、敵ばかりなんだろうなー。自然界は厳しいものだ。

9 月18日、台風一過で、涼しい朝だ。いや、そんなことなかった。日中に向けてドンドン気温が上がって、日差しもキツくて夏に戻ったかと思ったぐらいだ。風があまり強くなかったらしく、街路樹が落とした枝葉も少なかった。雨が夜半早々に上がったので、道路も乾いて、要するに台風の爪痕なし。良かった良かった。夜にゴソゴソとレーダー画面を見ていた反動が、夕方にやって来て、しばらく意識不明状態に。ハッと気づくと、時計の針、じゃなくて画面のデジタル表示が何十分か変わっているのであった。若い頃のように夜更かしできないのは、仕方なし。スペインで仕入れたシエスタで、後半生をノンビリ過ごしたいものだ。

9 月17日、台風がやって来て、雨ザーザー ... となったのは、何時間かの間だけだった。海辺の自宅に高潮が迫るかと心配もしたのだけれども、近くの水路に濁流が注ぐくらいで、まあ安泰であった。特に、昼間はまあまあいい天気が続いたので、台風通過前の買い物を楽しんだ人々も多かったことだろう。台風が接近するギリギリまで粘って、半額セールの争奪戦に加わろうかとも思ったけれども、これは俗に言う「余分な消費行動」に直結する行いにも思えたので、自粛。アメダスを見たり、降雨レーダーを見たり、衛星写真を見たり、あちこちのツイートを覗いたりしつつ、夜更けを楽しんだ。

9 月16日、簡単なことこそ、間違えやすいものだ。よくニュースになるのが、調合ミス。点滴の濃度を半分にするのが倍になった、と言う類のもの。「ウィスキーを2倍」と聞いたら何を思い浮かべるだろうか?2倍の量のストレート?いやいや、そもそも、ウィスキーをそのまま飲むのは自殺行為に等しい。水で割る時に、2倍の量のウィスキーを入れるか、水を2倍にするか、どっちかの解釈で、さっきの言葉を受け取るだろう。大抵の人は前者で理解するだろうけれども、水を2倍入れる人が居ないとは限らない。酒だったら、まあ、直ちに命には関わらないけれども、薬は怖いのである。この手のミスを、傍目から見ていて気づく人はエラいと思う。大抵は、当たり前すぎて、誰も注目しないのだ。ミスを防ぐには、やっぱり、ちゃんとした手順が必要なんだと思った。

9 月15日、北海道は、いい天気でしたか? という文と、 北海道の天気は良かったですか? という文の違いを問われる。文法的な違いは直ちに説明可能だ。少なくとも、悪名高き学校文法を使ってならば。関西弁では「北海道ええ天気やった?」と「北海道 天気良かった?」のように、語順の違いくらいにしかならず、「北海道の天気」と、名詞の属格(所有格)を持ち出すことは自然ではない。こういう、細かい所ではあるのだけれども、比べてみれば、やっぱり標準語と関西弁というのは互いに同系の外国語なのだと感じる。格助詞は、必要な時にだけ登場する品詞だったのだろう、元々は。今日の標準語では、これが何処にでも出没するから、同じ内容の文章の言い回しが、こんなに沢山あるのだ。まあ、腹芸の自由度が高い言語であるとも言えるのだけれども。

9 月14日、大学の図書館の横に、柿の木が生えている。この木は、当たり年と外れ年がハッキリしている木で、今年は当たり年。枝中がカキだらけで、カキなのか葉っぱなのか、よくわからないくらいになっている。この木が熟す頃、が、問題。これは国有財産であるから、勝手に手出しすることはできない。例年、羽のついた柿泥棒が現れて、甘く柔らかくなった頃に片端から突ついて行く。一昨年も、そうなるか?と毎日見ていたのだけれども、ある週明けに枝がバキバキに折られて、無残な姿となっていた。夜の闇に乗じて、ガードマンが巡回して来ない内に、急いで枝ごとカッさらって行ったのだ。それも、ほとんど全ての実を。今年はどうなるだろうか。あれは、国有財産だからねー。ホントかな?

9 月13日、大学の近くの道路で、白バイ2台に出会った。カッコいい、美しい、キラキラしている。普段、その辺りを巡回しているお巡りさんと比べるモンじゃないけれども、停車中の姿勢にまで気を配っているようで、華のある職業に見えた。夏場は(走っていなければ)炎天下で地獄のように暑いんだろうなー。今日はパトカーにも良く出くわす日で、辻々で出会う感覚だ。覆面パトカーのような自動車も、意味もなく停車している。あれは覆面か、それとも「民間の警備」か、傍目には見分けがつかない。かくのごとく、厳重に守られたこの近辺は平和そのものなのである。少なくとも日中は。深夜にはイノシシが出てくるから、そっちの方が要注意。

9 月12日、論文を投稿する時には、当然、著者全員の合意の下に投稿する。この、著者について、あまり明確な規定はない。ただ、幾つか「やっちゃダメ」と、一般に言われていることがある。研究に関係ない人の名前を並べること。例えば、アイザック・ニュートンを自分の論文の著者に並べてはならない。(これがやりたくて、わざわざ、アイザック・ニュートンという人を見つけ出して、「本当に」共同研究するならば、話は別。)研究の主要な部分を行なった人を著者にしないという、研究の搾取も良くない。資金提供しただけの人を著者にするのも、あまり ...。ただ、いずれにもグレーゾーンは広がっていて、研究設備を貸した人はどうか?とか、マウスに餌を毎日与えていただけの人は?とか、判定の難しい場合も多々ある。研究はできるけど、作文はからっきしダメという人が、プレゼンの達人と組んだような場合も、これまたグレーである。最近の論文は、どれもこれも、著者の数が多いなー。出版論文の数を増やそうと思ったら、何人かで手を組んで、常に共著論文にすれば良い、なんていう冗談とも本気とも思えない話を聞くこともある。たまには単著で勝負しよう。

9 月11日、阪急六甲駅で降りてから、大学に到着するまでの間の通勤路に、桜並木がある。ずーっと昔から ... とは言っても数十年くらいなのだろうけれども ... そこに植わっていた桜は風格があり、毎年、綺麗な花を咲かせていた。その木々に最近、赤いテープが巻かれている。倒木の恐れがあるので、近々伐採するのだそうな。うむ、確かに、幹の半分くらい皮がない桜ばかりだし、長年の無理な剪定によって腐った枝ばかりになっている。これが、河原にでも植わっていたならば、切り倒されなかったろうに。それぞれに、盆栽のような風情があって素晴らしいのだけれども、まあ公道で倒木が発生するというのは避けたいんだろうなー。来年の桜は寂しくなるな。

9 月10日、遺跡に残る文明が起きたのが、まあおおよそ数千年前。その下支えとなった農耕は、2万年くらい(のオーダーだけ)前に始まったらしい。1000 代前のご先祖様というわけだ。1代ごとに 10 Km ずつ移動すると、1000 代で1万キロメートルも動く。あ、それを言い始めると、1日に 10 Km 歩けば、3年でシルクロードを横断してしまうとか、馬に乗れば半年以下だとか、そういう話になるのだけれども、それはそれ。その 1000 代前の頃までは、ヨーロッパでネアンデルタール人が現役生活を送っていた可能性があるのだそうな。以外と現代に近い気がするのである。さて、電話や無線が使われ始めたのが18世紀後半から19世紀の初め。それから今日までの発展は、1000 代後の子孫には情報通信革命とでも呼ばれるのだろう。細かい年表で伝わることは、決してない気がする。あるいは、教育が行き渡る時期として後世に語り継がれるかもしれない。確かなことは、我々が「旧情報時代」に生きているということだ。

9 月 9 日、キーボードを使うのは、多分、石器時代の人間なのだろう。長〜い文章を入力する時に、キーボードの速さに匹敵する入力メソッドがあるか?と問われると、今のところは、それ以外の方法ではトントンが限度だけれども、ひょっとすると「考えるだけで文章が書けてしまう」トンデモな技術が開発されるかもしれない。まあ、それまでの間だけであっても、キーボードは貴重な道具であって、石器時代の石器である。その石器時代の石器が、実際にどのように使われていたのかは、不明な点が多いような気がする。いま、普通に切れる刃物を手にしても、どれくらい使えるかは千差万別だからだ。華麗な石器の使い手がいて、実は美味しい料理をみんなで食べていた、ということも十分にあり得るのである。包丁人が居るんだから、石器人も居たはずだ。どんな石器さばきだったのかなー。

9 月 8 日、いろいろな施設利用の後で、アンケートが届くことが結構ある。意見を求めてどうするんだろうか?という気がしないでも無いのだけれども、指摘されるまで気づかないことも、たまにはあるのだろう。ただ、「当○○を、知り合いの方に勧めたいですか?」と問われても、自分の好みが他人にも共通かどうかはよく分からないから、何とも言えないし「感動する体験はありましたか?」と来ると、もう読む方が恥ずかしくなってしまうのである。いや、まあ、それくらいならまだ良いか。「どこを改善すると、もっと知り合いの方にお勧めいただけますか?」というアンケート項目を見た時には、目眩がした。うーん、こんなんじゃ、アカン。と、他人が実施するアンケートには辛いのだけれども、自分がイザ、アンケート案なるものを検討する段になると、同じ類いの過ちを犯してしまうのだ。はっきり言うと、アンケートなるもので人々の貴重な時間を費やすのは、労力と費用の無駄なのである。

9 月 7 日、カボチャの煮物、水気をあまり使わない方法が、割と気に入っている。蒸し器で蒸して、サッとダシをかけて食べるのが一番のような気もするのだけれど、ちょっと道具が大きくなるので、ごく少量の味醂とダシを鍋底に入れておいて、切ったカボチャを加え、無水調理に近い形でゆっくり加熱する。この時、カボチャが水を出すか、吸い込むかによって、その後の対応が違って来る。野菜だから、加熱したら水を出すモンだと、タカをくくっていると、加熱とともにダシを吸って空焚きになってしまうことがある。焦げてしまったら、調味料の無駄。ただ、真っ黒焦げにならない限り、焦げ臭が全体に回ることはないので、食べられる部分は十分に残る。ともかく、仕上がる頃には鍋から水気がなくなるようにして、煮上がったらサッサと容器に移す。これで、水っぽくないカボチャの出来上がり。冷やすと、サラダにも使えて便利だ。カボチャは、量の割には安い野菜なので、冬が来るまで、ドンドン使って行こう。

9 月 6 日、あれー、久しぶりに gfortran と叩いてみると、通らないではないか。原因は何?迷路に入ったのは、そこで表示されたメッセージを真に受けた事だった。あれこれと1時間くらい調べて、辿り着いた結論は「改行コードの違い」であった。プログラム全体が、なが〜い1行だとみなされていたわけだ。これでは動くはずないのである。さて、調べていたのは行列同士の積が、目の前の iMac (Late2015) で、どれくらい速く動くか?ということ。gfortran の -O3 で、1000 次元行列の積が、組み込み関数の matmult で 0.5 秒くらいだった。4 Gflops くらいかなー。i7 のスレッドは 8 個まで立つから、並列に投げると 32 Gflops か。まあまあの値だろう。アチコチ見ると 80 Gflops くらいまでは optimization の範疇で行くらしい。BLASS は 130 Gflops くらい行く。GPU を使うと、更にその何倍かの performance が得られるとか。あ、いかんいかん、自分で考えたらアカンのよ。これは宿題として提出する、レポート問題なんだから。

9 月 5 日、計算機の能力を活かす、という言葉は何通りにも解釈可能なので、何をもって良い計算パフォーマンスと呼ぶか、その評価は難しい。とりあえず、誰の目にも明らかな指標として、FLOPS と言うものがある。浮動小数点演算を一秒間に、どれだけこなすことができるか?という速さを示すものだ。それぞれの計算機ごとに、最大の FLOPS 値があって、これをフルに使うことは困難なのだけれども、まあ1割くらいは使って欲しいものだ。(昔のベクトル型計算機だと、実際にフルに使える場合もあった。)計算を速くこなすには、その辺りの CPU でも、結構深いパイプライン処理を乱さないよう、プログラムする必要がある。実は、これが結構、計算の初心者にはとっつきにくい題材なのだ。数を入れたら、後は計算してくれるもの、これが計算機だという認識から、計算機の内部構造を意識したプログラムが書けるようになるまで、しばらく時間がかかる。早い人で1日(^^;)、遅い人は永遠(^^;;)。結局の所、この職人芸に、どれだけの価値を見出すのか?という、選択の問題になるのである。ただ、遅い計算プログラムの為に、高価なハードウェアを購入するモチベーションは、なかなか浮かんで来ないのである。

9 月 4 日、大学の中庭に生えて来た松、軽く3年間は徒長させていたので、大木コースで成長している。要するに、新芽が伸び放題。あれは放っとくと、年に20センチから30センチも伸びることがある。徒長させてしまうと、その間からは枝が出て来ない。庭木として、それらしく育てるならば、幹をバサッと切り詰めて、やり直す必要がある。けれども、それをやったら、3年間くらいは更に不格好になる。庭は愛してもらってナンボのもんだ。そこで、幹の長いのはもう観念して、枝の張り方で松らしい風情を出すことにした。これとて、ちゃんと見えるようになるまでに数年はかかる。それでも、松の手入れは楽しいものだ。一番難儀なのは、松の根元にビッシリと生えているイネ科の雑草。いっそのこと、除草剤を撒いたろか、と思うくらいだ。まあ、ヤブ蚊が去ったら、また考えよう。

9 月 3 日、山田さんを訪ねます。山田さんに尋ねます。声に出して読むと、一文字しか違わない。イントネーションが変わる地方は多いかもしれない。訪ねる、と、尋ねる、の、音が重なっているのは、ともに、あまり使われない言葉で、主に書き言葉で使われるからだろう。訪ねるではなく、行くとか、訪問する、を使い、尋ねるではなく聞くとか質問しますとかを使う。日本語を習っている人に「今日、下田さんを訪ねる、山田さんに尋ねます」という文章を読んで聞かせたら、まず沈没するんだろうなー。日本人だと、引っかからなだろうから、もう一捻りして「今日、山田さんを訪ねる、山田さんです」なんていう意地悪をしてみようか、訪ねる相手が同性というのは珍しくはないのだけれども、これを聞いたら「えっ?」と変な顔をするだろう。何でも文法だけで解決できると思うな、という戒めかもしれない。表現こそ文章には必要なものなのだろう。

9 月 2 日、電離層について、最近ではあまり、学ばれなくなったのではないだろうか。昔は、短波放送などで、「フランジャー効果のかかった」妙な海外のラジオ放送を聞いたものだし、それを受信するラジオも身近にあった。あの揺れるような音は、電離層が安定した存在ではないことを如実に示しているのだ。時間的にも空間的にも不均一な電離層を電磁波が進む時に、幾つかの異なる経路を通って受信アンテナに電波が届くことがある。当然、近道した方が先に届き、回り道すると後で届く。これらを積分すると、櫛形の音声フィルターになって、受信音声にエフェクトがかかるわけだ。... と、定性的には言えても、これを定量的に説明・再現することは容易ではない。あ、そんな重箱の隅の話ではなくて、電離層そのものの話に戻ろうか。電離層は、上層大気について学ぶ良い題材なのに、学校理科では触れることが、滅多にないんだよなー。学習のために、実験してみるか?無線の免許を取らないといけないけれども。

9 月 1 日、昔を思い出してみると、田舎の小学校だったから、時々「脱走」が起きた。登校は毎日、集団登校だったから、欠席しない子供達は全て、校門をくぐるわけだ。でも、しばらくすると、あれ、どこへ行った?、○○君は。という騒ぎになる。今だったら、すわ誘拐事件、SNS で拡散してエラいことになってるだろう。いや、何のことはない、近くの裏山に一人で、あるいは何人かツルんで登って、授業をサボっていただけ。そうそう、クラスの男の子たちが、集団で廊下に机を出して、授業拒否したこともあったっけ。いずれも、最終的には「制圧」されるわけなんだけれども、子供だからってバカにするな! という意図は、先生方には十分伝わったと、確信している。時は少し流れて、高校の英語の先生を、本屋で見かけた時の話。成人図書(?)を手にしていたので、ことさら大きな声で挨拶したけれども、全く動じず、堂々と「品定め」していた事なども、なぜか思い出したぞ。


2017
7 月と 8 月 (東西行来編)
5 月と 6 月 (研究員待編) 3 月と 4 月 (激戦挑戦編) 1 月と 2 月 (朝オムレツ編)

2016
7 月と 8 月 (研究行脚編) 9 月と10月 (技術鍛錬編) 11月と12月 (SLOVAKIA編)
1 月と 2 月 (共形情報編) 3 月と 4 月 (朝型昼型編) 5 月と 6 月 (昼夜逆転編)

2015
7 月と 8 月 (机前執筆編) 9 月と10月 (講義ゼミ編) 11月と12月 (懐古探訪編)
1 月と 2 月 (赤筆修正編) 3 月と 4 月 (客人来神編) 5 月と 6 月 (地球半周編)

2014
7 月と 8 月 (離陸着陸編) 9 月と10月 (玉翠準備編) 11月と12月 (テンソル編)
1 月と 2 月 (雪面滑降編) 3 月と 4 月 (花粉飛散編) 5 月と 6 月 (東奔西飛編)

2013
7 月と 8 月 (大橋渡海編) 9 月と10月 (激変日常編) 11月と12月 (印度華麗編)
1 月と 2 月 (感冒養生編) 3 月と 4 月 (東西奔走編) 5 月と 6 月 (枯野夢旅編)

2012
7 月と 8 月 (高空気流編) 9 月と10月 (次々行事編) 11月と12月 (入国管理編)
1 月と 2 月 (厳冬感染編) 3 月と 4 月 (電圧発光編) 5 月と 6 月 (渡西来鴨編)

2011
7 月と 8 月 (飛行少年編) 9 月と10月 (鮮魚包丁編) 11月と12月 (場論執筆編)
1 月と 2 月 (鳥撮光学編) 3 月と 4 月 (日々激震編) 5 月と 6 月 (研屋鍵盤編)

2010
7 月と 8 月 (転地養生編) 9 月と10月 (研磨没頭編) 11月と12月 (涅槃煩悩編)
1 月と 2 月 (蛇行氷上編) 3 月と 4 月 (桜花観光編) 5 月と 6 月 (屈折望遠編)