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12月 1 日、昔にどんな研究をしていたか、どんな考えで研究を進めていたか、そういう事は良く覚えているものだと思っていたのだけれども、改めて昔の仕事を眺め直すと、色々と忘れていることに気づいた。これは研究という生業が、いつも少し先のことを目指していて、直近の関心に基づいて日々の作業を進めているからなのだろう。大昔の論文の共著者を眺めると、色々と教わったことを改めて思い出す。ふと自分が、そのような立場にあるのだろうかと自問しつつ、卒業研究や修士論文の指導をして行こう。さて、自由フェルミ系のスレーター行列式で記述できる状態が二つ与えられた時、それらが同じであるかどうかを速やかに判定するには、どうすれば良いだろうか。問題設定によっては自明になったり、難問になったりするから自由フェルミ系も侮れないものだ。
11月30日、お昼前に離陸のフライトを見送ろうと、見晴らしの良い場所から眺めるも、目視確認できず。まず、着用していたメガネが長距離用のものでなかったのが失敗その1。散歩するような時には、ちょっと先に焦点が合えば良いので、星や遠くの飛行機を眺めようとするとボケてしまうのだ。次に、風があまりなくて霞が濃かった。クッキリと関西空港が見える時に、その方角を確認しておかなかったのが失敗その2。そして、もう一つの大きな要因が、フライトがアラスカから北極まわりでヨーロッパへと向かうコース取りであったこと。ちょっと前まで、ロシア上空を通過していたので、神戸のすぐ近くを通ってくれたのだけれど。難儀な世の中になったなーと思う。
11月29日、スロバキアからの来訪者との discussion も、今年は今日まで。2 週間は長いものだと最初は思うのだけれども、日々はあっという間に過ぎ行く。今は zoom でも何でもあるので、discussion を持とうと思えばいつでも可能なのだけれども、それぞれの地では日常の業務も待ち受けていて、なかなか余裕がないものだ。名残惜しいものだと思いつつ、また近い内に会う機会を持とうということで、しばしのお別れとなった。明日には長いフライトで帰途につく。フライトレーダーで見送ることになるだろう。天候が良ければ、神戸大学から関西空港を離陸する機影が見えるかも知れない。旅路が順調でありますように。
11月28日、スーパーマーケットへ行ってもパン屋さんを訪れても街中を歩くだけでも、すっかりクリスマス一色で、何だか楽しげだ。最近は宗教色を薄めて、ハッピーホリデーズとも称するらしい。よくよく商品やディスプレーを眺めると、サンクロースやトナカイは出てきても、十字架の飾り付けはあまり見かけない。この辺りが、八百万(やおよろず)の神々を崇める土着の慣習と、うまく溶け合っているなーとも思える。今日はお客さんがやって来て物理の議論を何時間か延々と。昔に比べると、自分が語る内容に大胆さが減って来たような気もしつつ。テンソルネットワーク黎明期は何を考えても凄い進展があった訳だから、学問には育つ時期というものがあるのだとも思った。次なる新しいドアはどこに待ち受けているだろうか?
11月27日、インド料理を食べることにして、お店探しから。三宮にゲイロードなき今、美味しかったショナルパへと赴くと、そこにショナルパなし。検索すると、Facebook アカウントで閉店のお知らせと、広島の新店舗での営業の案内に行き当たる。それではということで、今までお昼時にお店を眺めるだけで通り過ぎていたシャンカル三宮店へ。ドアを開けて中に入ると、そこはインド。当たり前か。大きな金属のプレートにナンとカレーという典型的なスタイル。端からどんどん食べて行く。どんなスパイスの調合になっているのだろうか、段々と体の中からも香りが立って来る。これは病みつきになる味だ。また食べに行きたくなった。
11月26日、挿し木しておいたラベンダーの幾つかが育って来た。恐らく発根したのだと思う。今は冬の初めなので、少し育って一度休眠して、次の春にグングン伸びるという皮算用をしつつ、他の挿し穂も見守る。同じように挿し木しておいたローズマリーはそのまま。あれは葉が分厚くて、普段から急には育たないから、こんなものかとも思う。ダメ元で挿しておいたサツキは、早々に枯れてしまったものと、全く様子の変わらないものに分かれた。簡単に挿し木できると思っていたシソは全滅。秋には花が咲いて枯れてしまうものは、今の時期に挿し木するだけ無駄なことだと、後から悟った。園芸はうまく行くものを選んで作業するのが楽。珍しいバラの挿し木などに挑戦し始めると、きっと面白くなくなる。
11月25日、 海辺の自宅からトコトコと、ちょっとだけ電車に乗って月見山駅で降りて、須磨離宮公園を初めて訪れた。入り口から植栽を眺めつつ、しばらく歩くと突然視界が開けて、ここは日本なのか? という開けた洋風の庭、いや巨大なガーデンが目に入る。至る所でバラがたくさん開花していて、こんな時期にも咲かせる技術が凄いなーと感じた。その後、陸橋を渡って隣の植物園へ。こちらは、どちらかというと和風で、茶室があったり紅葉があったり。温室に入ると中ではランの展示会が開催されていた。見晴らしの良い場所から眺める須磨の街並みは緩やかな勾配の住宅地で、日当たり良く海も良く見える。駅近には浅築のマンションもあって、それぞれの建て方が面白かった。
11月24日、比較的良い天候が続き、昨日は暑いくらいだったけれども、一転して北風が吹き、少しは冬へ歩み始めたようだ。今日はもう休みにして、4 連休を楽しもうか? 冗談はさておき、ついこの前に海外から visitor を迎えたばかりなのだけれども、早くも滞在の後半となった。幾つかの課題について discuss した後に、何件かのデータ収集を行うことになった。対面で議論すると色々と案が出てくるものだ。まあ、想定した通りにデータが出て来るかどうかは、数値計算をやってみるまでは何とも言えない。conjecture を語り過ぎてもダメだし、conjecture を持たないのもダメ、この辺りが理論物理学の難しい所だろう。
11月23日、JR や阪神に乗ると阪急よりも随分と南側を走るので、六甲山がよく見える。海辺の自宅にほど近い駅を出て一路東へ。塩屋の辺りでは山からすぐに海に落ちる崖のような場所を抜ける。その辺りから六甲山系を北に眺めつつの車窓となり、神戸大学に通う最寄り駅の六甲道では、駅近くのビルの谷間から神戸大学がよく見える。降りずにそのまま、大阪へと電車の旅を続けると、甲南大学、神戸薬科大学、甲南女子大学などのキャンパスが目に入る。そして、中学校や高校も散らばっていて、六甲山の南側は文教の街だなーと感じる。西宮の辺りからは山がずっと遠くなり、大阪平野に入って行く。ちょっとした旅もまた楽しいものだ。
11月22日、水挿ししてあるトマトの茎は、この時期になると発根が遅い。発根していない状態で土に挿すと枯れてしまうことが殆どなので、ちょっと工夫した。水挿しした茎をグニュっと曲げて、先端付近を別に用意した鉢の土に突っ込んでおくのだ。茎に十分な水が回っているので、土に触れた部分からサッサと発根して定着する。その後、水挿ししてある方も同じように土に突っ込むと、またまた発根定着する。こんな風に、トマトは無限に増えて行く ... 無限になどと語ると数学屋さんに怒られるか。そもそもこのトマト、プチトマトを鉢に転がしておいたら芽が出て、夏に伸びたものだ。同じように芽生えても伸びの速い遅いがあるのが、生物としての賢い所なのだろう。
11月21日、何歳になっても「やらかしてしまう」所はなかなか治らない。ホウホウの体で大学に辿り着いて、ようやく夕方頃からシャキっとして来る。その間にも discussion を重ねて、幾つか考えるべき方向性が見えて来た。具体的に進められる研究は、お客さんの滞在中に何とかデータ取得まで行けるように思う。今日のちょっとした驚きは、Potts 模型の境界では、状態の数によらず 2 次転移が起きるという話。何でも、状態数が多い場合には臨界指数βの値が 3 にもなるのだそうな。不思議なこともあるものだと思った。曲がりなりにもサイエンティストなので、伝聞や論文のアブストラクトのみを信じずに、そうなる理由も時間がある時に理解しておこうか。
11月20日、国際会議に行ける場合、行けない場合、色々とある。まず、講義や行事と重なっていて時間が取れないのが最もありがちなパターン。特に、滞在型の長い研究会が 2 月とか 7 月にあったら、それはまず無理だ。次に、行き先による制限が生じる場合。日本と国交のない国は稀だと思うのだけれども、渡航制限があるとダメだ。また、A 国に入国すると B 国への入国が非常に困難となる、そんな場合には塾考が必要となる。家庭の事情もまた色々とあり得て、生老病死という一大事に関係していたり、入試などと重なっていても、なかなか自宅を離れる気にはならない。あれこれとあって、invitation を有り難く頂戴しても、それに応えることが無理なことも多い。
11月19日、スロバキアからの来訪者 3 名と神戸の海を楽しむ。まずは船の選択から。同じように神戸の海を巡る船とはいえ、行き先が微妙に異なっている。明石海峡大橋を目指すもの・くぐるもの、神戸空港沖へ行くもの、ポートターミナルまで行くもの。小さい観光船は、その場所へ行くことが主な目的となっていることが多く、船が大きくなるほど食や非日常の演出へと焦点が移って行く。船の上で誕生日を祝ったり、プロポーズをしたり、そういう利用も盛んらしい。色々と勘案して、船遊びは景色眺めに徹することにした。海の上は広いなーと、いつも感じる。しばらく夕暮れを楽しんで港に戻って来て、夕食には海の幸のスパゲッティーをいただいた。やっぱり神戸は海の街だ。
11月18日、園芸品種のランタナは、茎が細くて可愛いい花が付くものが多い。おおよそ園芸品種というものは、人の手を離れると自然淘汰されるようなものが多いから、まあ当たり前のことか。同じランタナでも、野生のものは頑強で、一度根付いてしまうと駆除が難しい。地上の部分は何とか切り取れても、根が残っているので翌年になるとまた芽吹いて来る。この時点で、根気よく芽を詰むと、やがては根も枯れてしまうのだけれども、たかがランタナの切り株を毎日のように相手にするのは割が合わない。かくして、空き地があればランタナ、石垣にランタナ、どこでもランタナとなってしまう。この難儀さはウツギにも通じるものがある。園芸品種のウツギは綺麗な花を付けるんだけどなー。
11月17日、朝には気温が 10 度を下回るようになって来た。そろそろ、手袋を着用しないと、指先の皮がひび割れする。海辺の路地に植えておいたトマトも、そろそろおしまいだ。何本かを畑から引っこ抜いて、室内での水耕栽培に移すことにした。夏の間、大地に張った根は凄いもので、引っこ抜くとジャングルのように茂っている。細い根が切れた状態となるので、茎や葉を剪定して、根とのバランスを整えてから、まずバケツに放り込んでおく。水回りが落ち着いた頃合いに、スポンジで包んで準備しておいた容器へ。ここから先は、水の様子を眺めながら、時々、少しずつ肥料を与えることになるだろうか、うまく行けば。
11月16日、外国からのお客さんをお迎えして、ホテルにチェックインするまでアテンド。その後に大学の坂を登って日々の作業をこなす。この一年で神戸の街がどう変化したか問われて、ええとと、思案する。ボートタワーが改修された? JR 神戸駅の駅ビルが更地になった? キャッシュレス決済が進んだ? 神戸阪急が阪急らしくなって来た? うーん、そんなに思い当たるものがない。神戸大学の近くでは、六甲苑が閉店して、新六甲ビルがほぼ空っぽになってしまった事が最も大きな変化だろうか? あちこちの更地に建物が立ち始めたのも目新しい変化かも知れない。我々にとっては円安による物価高が、最も影響のある出来事だったなー ... など思案しつつ。
11月15日、筑波大学にやって来るのは 30 年ぶりくらいになるだろうか。昔と同じようにレンガ色の、ちょっと凝った設計の建物が立ち並んでいて、それなりに古色も増して昔よりも落ち着いた雰囲気になった気がした。さて昼時は生協でご飯を ... あれ、生協がない。検索すると、筑波大学には生協がないのだそうな。それもあってか、パスタとか大盛りの丼ものとか、普段は生協で見かけないメニューが色々とあって、visitor としては楽しかった。ただ、スパゲッティーと鳥の唐揚げを食べたい、という組み合わせには、なかなか応対できないわけで、その辺りのバランスが難しいものだと思った。フードコート形式にすると高くつくしなー。
11月14日、旅に出ると、ちょっとしたことに人々の優しさを感じる。ふと立ち寄ったお店では、商品の選択に右往左往しかかっている所で助け舟を出してもらえた。タクシーに乗って行き先を告げた時に、うっかり言い間違えるも、柔和な笑顔で行き先を確認してもらえ、感謝あるのみ。身近な人々に、そして一見さんに気配りするという慣習は、普遍的なものだとは思うけれども、都会を離れた場所へ旅すると、改めて気付かされるものだ。昨日の目まぐるしく変わる天気を経て、今日は穏やかな日差しが注ぐお昼時に。ゆったりと海から吹く風は、いろいろな記憶を運んでくれているようだ。
11月13日、思い立って海を渡る。昔は連絡船を使って、まず高松港から宇野港へと渡り、その後は快速で岡山へ、そして新幹線で新大阪、そんな乗り換えだったなーと、全く懐かしくない思い出も浮かぶ。時間がかかるばかりだったし、何より全ての乗り物がタバコ臭かった。特に、窓の開けられない新幹線が最悪で、満員になると車内が霞んだほどだ。... と、色々と思い巡らせるまでもなく、今日はあっさりと行き先の駅に到着。讃岐は空気が綺麗だなーと、いつも感じる。あれくらいの人口密度で、田んぼもあれば小さな街もあり。宅配とか通販が充実している今の世の中、地方と都会の違いも段々と埋まって行くのかも知れない。
11月12日、六甲祭の二日目。今日もまた、少しだけだけれども様子を見に行く。なんか少し音量が下がったような気もする。マスク姿もまた健在で、既にお洒落の一環として定着しているのかも知れない。終わった後は、一気に下山の人波が発生して、祭りがそのまま阪急六甲駅へと移動しているような感覚であった。人々が去ったあとのキャンパスはひっそり。その中で、撤収作業が続いていた。研究室に戻って来ると、何人かがそこで黙々と研究中。そろそろ修士論文などまとめる時期なのかな。博士論文は、もう形になっていないとマズい時期だ。審査直前に完成版を提出となると、修正指示の出しようがなくなるので、余裕をもって完成させることが大切だ。と、言いたい面々は ... まあ日曜日には言うまい。
11月11日、六甲祭の一日目。ちょっとだけ様子を見に行く。とても沢山の人々が集っていて、七夕祭りを超えた賑わいを見せていた。まず何よりも、辺りに響き渡る軽音、特にロック。ともかく叫んでいる。ともかくドラムを叩いている。コーラスが、濁っていようと何だろうと絶叫している。今年は、ようやく飲食物を提供する模擬店も戻って来た。学祭はこうあるべきだ、という所まで戻って来たとも言えるだろうか。明日は 2 日目。ますます絶叫となるか、相次ぐ絶叫に飽きてバラードとか演歌も入れるのか、ちょっと気になる。夜になると、あちこちで X の space が上がっていた。久しぶりの本格的なお祭りだったからなぁ。
11月10日、久しぶりの雨の日となり、今日で初秋の終わりとなるらしい。濡れて重くなった桜の葉が次々に散って、地面を覆っている。学祭の準備が雨の中でも着々と進んでいて、大学が何だか賑やかだ。週末の天候はまあまあ良いらしい。学祭の様子は twitter で楽しむことにして、この土日は海辺の我が家で過ごすことにしよう ... というのも、ここ何日か「半額の食材」を買い求め過ぎて、冷蔵庫がタンパク質だらけになっているので、食べて消費する他ないからだ。昨日に仕込んだミートソースは何に使おうかなー、そのまま食べて美味しいから、そのままおかずにしようか。
11月 9 日、故郷の高松の冬と、こちら神戸の海辺の冬を比較すると、同じように海に面しているとは言え、神戸の方が寒い。また、感覚的には高松の方が冬の西風が強い。季節風が瀬戸内海を北西、いや西北西くらいに吹いて、その間に若干の湿気を吸うことから、この違いが生まれるのだろう。高松では柱サボテンを地植えにしているのを見かける一方で、神戸でそのように育てると、最も冷え込んだ冬の日に凍りついて枯れてしまう。さて大学の近くに、うちわサボテンを地植えにしている所があって、冬に凍りつくと部分的には枯れるのだけれども、また次の夏には新芽が出て復活する。なるほど、条件の良い場所が自然に選ばれるような仕組みになっているわけだ。さて、今年はどんな冬に?!
11月 8 日、夕方になって帰る頃に、大学にやって来る学生が目立ち始めた。神戸大学の大学祭、六甲祭が近づいて来たことを実感する。学生のお祭りなので、お客さんのメインは大学院生以下くらいの年齢層だ。まあ教員が見て回っても制止されることはないけれど。音楽は割と楽しめる出し物で、たまにガチ本気の演奏にも出会う。音楽の才能があっても、それを専門にはしないという選択をする人々は、まあまあ居るらしい。技量に関わらず練習成果をステージで披露できる貴重な機会でもあって、聴いていると求める音楽の姿が浮かんで来る、そういう楽しみもある。去年は雨天だった、今年は好天だといいなー。
11月 7 日、1 カ月後の日の入り時刻は 16:48 で、この頃に最も日の入りが早くなる。実は既に 17 時頃には日没なので、これから先の 2 カ月は太陽の位置があまり変化しない。一方で気温はこれからどんどん下がって行き、山は黄色く・赤く染まった後に落葉する。春とともに毎日の変化が目立っていて、六甲山が毎日のように異なる姿を見せてくれる。これから先は六甲おろしの季節でもある。そういえば日曜日の夜に六甲おろしが各地で歌われた 38 年ぶりのイベントもあったっけ。さて、ここ数日の間、頭の中で「なぜ」と思うシュトラッセンのアルゴリズムに何とかケリをつけないと。
11月 6 日、理系学問は理解に基づいて論理を構築するので、一度しっかり学べばその知識は一生物になる。というのは確かに基本なのだけれども、例えば2次方程式の解の公式を導いてみよ! と命じられると、平方完了すると良いとは覚えていても、実際に紙を前にすると高校生のようにスラスラとは導けない。自由フェルミ系の基底状態でハミルトニアンのエネルギー期待値を求めてみよ! と言われると、それは1粒子エネルギーの和になることは丸暗記で覚えていても、じゃあフェルミ演算子の交換関係と真空と自由ハミルトニアンだけから立証してみよ、と言われると、ええと、まずハミルトニアンを対角表示して、場の演算子を線形変換で作って、それから ... と、面倒なことを始めないといけない。これは講義ノートでも作っておかないとマズい案件だ。黒板の前でいきなり語り始めると、効率の悪い力技を見せることになって、見通しの悪い解説になってしまう。
11月 5 日、全ての曲が初演という演奏会にお邪魔した。ジャンルはクラシックで、日本語の曲名のもの。歌曲は全て日本語。歌詞が付いていると初めて聴いた曲でも何となく雰囲気が伝わって来る。ただ、ソプラノの高い音域になると言葉の聞き分けが難しくなるので、プログラムに掲載の歌詞を最初に頭に入れておく。この辺りは歌舞伎のような古典芸能でも同じか。作詞・作曲・演奏が全て分かれているのも、クラシックの楽曲・演奏らしい所。同じ歌詞に、別の作曲家・演奏家のセットで取り組まれた2つの曲を聴き比べることもできた。最後は出演者が総出で合唱。盛りだくさんだったなー。
11月 4 日、おやつ時に、野菜を大きく切って鍋に放り込んで、ベーコンの厚切りを加え、酒と水、そして塩昆布少々を流し込んだ後、鍋蓋を閉じてトロ火にかける。後はひたすら待つだけ。伝統的なポトフの仕込みだ。怪しく語り継がれる所では、農作業に出る前に大鍋に具材を入れてストーブの火にかけ、仕事から戻って来る頃には食べるスープが出来上がるというのが、元祖ポトフらしい。ついでに、固く乾燥したパンをふやかして食べるという話も目にする。いずれも根拠資料を直接目にしたことはないのだけれども。ともかくも、3 時間が経過して出来上がり。サワラの味噌漬けを炒めたソースのパスタも即席で作って、一瞬のディナーを楽しんだ。
11月 3 日、今日から連休なのだそうな。普段どおり arXiv プレプリントサーバーを巡回して、論文を拾う。今日はちょっと面白いのがあったかな。その後は電車に乗ってノコノコと職場へ。最後の登山は、ゆっくりと歩いて道中の秋を写真に収めた。祭日なので学生があまり居ない、ということは普段はカメラを向けられないような場所で、閑散とした風景が撮影できるわけだ。この感覚は、いつか味わったなーと思い返してみると、2020年の 3 月 4 月に人通りが全く絶えてしまった時の光景と、よく似ている。もっとも、人々は街へ海へ山へと赴いていて、大学には寄りつかないだけなのだけれども。学内で、電子スピン関係の研究会が行われていて、そこだけは少しだけ人々の姿を見た。web file の更新が終わったら散歩に出かけようか。
11月 2 日、久しぶりに風邪になる。タイミングから恐らく、先週末に大阪へ出た時に拾ったのだろうと思う。このように感染するのも、都会に集まって住む現代人の宿命だ。それを3年間くらい無理矢理抑えていたのだけれども、誰にとってもコストに見合わない努力だったのかなーとも感じる。まあ、感染力が無くなるまで、あと何日かの間はおとなしくしていよう。海辺の田舎なので、散歩くらいはするけれども。ちょうど明日からは連休に入るので、ここいらで年次有給休暇を合わせて取ると、ひとり黄金週間になるかなーなど妄想しつつカレンダーを眺めると、週明けに早速予定が入っていて幻滅した。
11月 1 日、物理で Fuzzy Sphere と呼ばれるものがある。名前の通りだと、毛の生えた球なのだけれども、球の上での対称性を保ったまま有限自由度の「格子」を持ち込んだもので、そのまま有限自由度の2次元系を構築したり、1+1次元のモデルだと考えたりする。似たようなことは色々な多様体で考えることができて、最も簡単なのがトーラスの上に構築した Fuzzy Torus だ。このように、対称性が高い多様体の上では数式を使って有限自由度のものが書き下せるのだけれども、このような考え方はジャガイモのような閉曲面の上でも考えられる。一般論あるみたいだけれども、数式の見た目が超難解。単純な現象も数式に落とすとなると難儀なものなのだなー。
10月31日、arXiv プレプリントサーバーが予告なく更新停止。サーバーで何かあったのだろうか。普段から、火曜日には週末に溜まっていた投稿がドカッと公開されるので、もし火曜日の更新が止まると水曜日にトンデモない量(普段の3倍弱)のプレプリントが一気に公開されることになる。こうなると目視による拾い上げは、ほぼ不可能になって、キーワード検索などによる狙い撃ちとなる。なるべく的確なキーワードを設定したいものだと普段から思っているのだけれども、今のところは原子的に tensor matri(x, ces) dmrg renor fidel entrop(y, ic) entan(gle, glement) "density matrix" "density-matrix" などを次々と検索して行き、最後にざーっと new submission を眺めて、目の端に引っかかったものを粗く確認している。... と書いているうちに更新されて、やれやれ、さて目を通そう。
2023
7 月と 8 月 (散水散財編)
9 月と10月 (Mac!裏技編)
1 月と 2 月 (野菜料理編)
3 月と 4 月 (テンソル編)
5 月と 6 月 (授業ゼミ編)
2022
7 月と 8 月 (論文執筆編)
9 月と10月 (円安値上編)
11月と12月 (制限緩和編)
1 月と 2 月 (ギター曲編)
3 月と 4 月 (Mac!苦闘編)
5 月と 6 月 (素麺円安編)
2021
7 月と 8 月 (散水栽培編)
9 月と10月 (選挙音曲編)
11月と12月 (片付整頓編)
1 月と 2 月 (共通試験編)
3 月と 4 月 (剪定草抜編)
5 月と 6 月 (執筆出版編)
2020
7 月と 8 月 (映像収録編)
9 月と10月 (街海散策編)
11月と12月 (風邪感染編)
1 月と 2 月 (暖冬珍病編)
3 月と 4 月 (在宅勤務編)
5 月と 6 月 (遠隔講義編)
2019
7 月と 8 月 (夏空日傘編)
9 月と10月 (残暑熱帯編)
11月と12月 (讃岐行脚編)
1 月と 2 月 (ダイエット編)
3 月と 4 月 (平成令和編)
5 月と 6 月 (講義出張編)
2018
7 月と 8 月 (酷暑昼寝編)
9 月と10月 (神風来襲編)
11月と12月 (国際会議編)
1 月と 2 月 (教務調整編)
3 月と 4 月 (早桜花見編)
5 月と 6 月 (方向解釈編)
2017
7 月と 8 月 (東西行来編)
9 月と10月 (台風暴風編)
11月と12月 (胃痛通院編)
1 月と 2 月 (朝オムレツ編)
3 月と 4 月 (激戦挑戦編)
5 月と 6 月 (研究員待編)
2016
7 月と 8 月 (研究行脚編)
9 月と10月 (技術鍛錬編)
11月と12月 (SLOVAKIA編)
1 月と 2 月 (共形情報編)
3 月と 4 月 (朝型昼型編)
5 月と 6 月 (昼夜逆転編)
2015
7 月と 8 月 (机前執筆編)
9 月と10月 (講義ゼミ編)
11月と12月 (懐古探訪編)
1 月と 2 月 (赤筆修正編)
3 月と 4 月 (客人来神編)
5 月と 6 月 (地球半周編)
2014
7 月と 8 月 (離陸着陸編)
9 月と10月 (玉翠準備編)
11月と12月 (テンソル編)
1 月と 2 月 (雪面滑降編)
3 月と 4 月 (花粉飛散編)
5 月と 6 月 (東奔西飛編)