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2 月17日、ふわふわっと暖かくなって、起きた現象はというと、至る所の結露。廊下のアチコチに、魔のスリップ箇所ができている。一見、滑ることがないような、デコボコのタイルの上も、歩いてみるとスリッピーなのである。北国の春を思い出す現象だ。仙台に着任した頃に「どうして、壁が砂っぽいんだろうか?」と不思議に思ったことがあった。それは砂ではなくて、カビが乾燥したものだったと知ったのは、しばらく後になってからの事だ。「どうして、書庫の蔵書がフカフカしているんだろうか?」... いやいや、それはターップリ夏の間に水気を吸い取って、部分的にカビているからフカフカなのだ。かくして、除湿機は必須の道具となった北国の春から夏。南国では、同じ現象が春先に起きるのだ。

2 月16日、ふわっと暖かくなってラッキー?いや、どうも、そうではないようだ。毎年、この時期になると膝関節の調子が悪くなる。豊中にある某大学のキャンパスを、ローラースケートで走り回っていた頃に、膝関節を痛めたのが原因だと永らく思っていたのだけれども、どうやらローラースケートが原因ではなくて、この時期に花咲く何かにアレルギーを持っていたらしいのだ。この不調は、梅雨になる頃にはすっかり消え去ってしまう。また、仙台に「避難」していた数年間は何の問題も生じなかったのだ。なお、湿度が高いアイススケートのリンク内では、滅多にアレルギーが出ない。花粉の季節になったら、スケートリンクに「避難」しようか。

2 月15日、メチルアルコールは、五感ではエチルアルコールと区別が難しいという意味において「も」、難儀な毒であることが知られている。アルコールは、もっと色々な種類があるので、それぞれ、どんな毒性があるのか?と調べてみた。エチルアルコールより炭素が一つ多い 1-プロパノールは、実は「酒」とされるものには微量ながら含まれるのだそうな。その毒性は?色々と書かれているけれども、危険性は高く見積もってもエチルアルコールの何倍か、と言った所らしい。グリセリンもアルコール。これも良く使われているし、脂肪の一部みたいなものなので、毒性が議論されることは滅多にない。色々と比べて、結論: 何よりも危ないのは、やっぱり、どこでも、いつでも、大量に手に入るエチルアルコールである。

2 月14日、最近のお気に入りは、C. エレガンス。名前がいいよね、何たって、C. エレガンスだから。これなーに?と思ったら、検索してみると良い。人によっては、気色悪いと思うかもしれない、とても小さな線形動物だ。でもまあ、名前の通り、動きに気品があって、普段は綺麗な波型に沿って進んで行く。何かに触れると、バックしたり、方向を変えたりする。結構、複雑な動きをするのだけれども、神経細胞がたったの 302 個。体細胞が 1000 個くらいしかないのに、3 割も神経細胞に使っているわけで、これは人間などと比べると「超高密度」な神経の持ち主なのである。神経細胞のネットワークも、解剖学的には判明している。だが、その動作の理解はまだまだ。こういう基礎研究は、凄いなーと思う。

2 月13日、お昼頃、なぜかプレプリントサーバーのアクセスができなくなる。どないしよか?とアチコチのミラーサーバーをアクセスして行って、スペインのミラーが生きていることを発見。早速、閲覧する。全部落ちていたら、それはそれで、何もしない(?)ノンビリした昼食になっていたことだろうけれども、アクセスできてしまったので、いつもながらのお昼休みに。しかしまあ、多くの論文が出るものだ。まだまだ、世界には教育機会に恵まれない、才能ある人が埋もれていることを思うと、これからもドンドン論文の数が増えて行くだろう。プレプリント見て回るだけで1日が終わるかも。

2 月12日、あまり体力を使わずに氷に乗る方法がわかって来た。が、ここに盲点が。スケート場が寒いのである。上半身も含めて全身運動すれば、体が温まるはずなのだけれど、混んでいるスケート場で、そんな目立つこともできない。上下運動で足ばかり使ったら、暖かくなるにはなるのだけれども、疲労が一部に集中してしまう。体力の切れ目が暖かさの切れ目。売店でうどんを食べるという手もあるけれども、ストイックに運動しに来て満腹になって帰るのでは、本末転倒。... こだわり過ぎているのかもしれない。というわけで、リンクから早々に退散。ところで、そろそろエッジの鋭さが鈍くなって来たので、研磨し直さなければならない。今の靴も 10 年履いてるし、そろそろクタって来たかな?

2 月11日、新芽の野菜が美味しい季節となって来た。ちょっと暖かい地方から、菜の花、芽キャベツ、少し伸びたブロッコリー。さっと茹でて、そのまま食べても十分に美味しい。塩でもダシでも、マヨネーズでもイケる。茹で汁にも、春らしい香りと味が乗るので、そのままベーコンなど放り込んでスープにしてもいい。後はパンとチーズでもあれば、朝飯や昼飯としては満足なものになる。が、季節は冬、カロリーも少しは欲しい所、あれやこれやと食後につまみ食いして、気がつくとディナーの域に達する休日の食卓であった。冷蔵庫が食材で満ちているというのも、ちょっと考えものなのかもしれない。

2 月10日、日々、朝のラッシュアワーの電車に乗る。いや、普段は、だいぶん遅い時間に通勤しているか。ともかくも、大昔のような殺人的な混雑は、だいぶん緩和している。確実に「通学」する学生・生徒の数が減っている。こういう意味で、神戸は田舎に分類されるのだろう。もうちょっと開けた都会になると、まだ学生さんはゴロゴロしているらしい。ひとたび神戸大学にやって来ると、少子化を感じることは、少なくとも普段はない。普段は。ただ、昔のようにガチンコで物理だ数学だと、典型的な学問を学んでもらうことは難しくなりつつある。情報科学や新しい工作技術などが、確実に物理学のあり方を変えているし、進路の選択肢も増えたし .... まあ、余計なことは語らないでおこう。

2 月 9 日、1月に雪が降った時は、北から深いトラフが一発やって来た。今度の寒気は、どちらかというと鍋底。全体的にジェット気流が南下していて、天気がハッキリとしないゾーナル気味の流れ方をしている。もっともっと、大きなスケールでは、確かにトラフなのだけれども。神戸大学の「裏山」の六甲山はというと、今日はスッポリ、雲の中。雪が降っているのだろう。明日は久しぶりに雪山と化した姿を見せてくれるのだろうか。想像「だけ」は膨らんで行く。実際のところ、六甲山に雪おろしが必要なほどの深い雪が積もることは、滅多にない。晴れたら、太陽熱ですぐに融けてしまうのが、南国のちょっと寂しい所。

2 月 8 日、量子力学を習う時に、ごくごく基本的ながら、本質的な理解が一番最後になるものが、量子測定だと思う。そんなの、最初に波動関数を習った時に、確率として学習済みではないか?と指摘されるかもしれないけれども、何らかの演算子を対角とする測定という概念は、演算子の固有値・固有状態を習った後でないと理解不能だ。また、特定の演算子を対角とする測定を、どのような実験装置で実現するか?という技巧的な問題もあって、話はそんなに単純ではない。ここを注意深く、なるべく議論に飛びがないように進めてあるのがファインマンの講義録と、その元ネタの一つであることは間違いないディラックの教科書だ。これらは、量子力学のダイナミクスに入るまで、延々と「枠組みの勉強から始める」という不便さがあって、近年はあまり講義テキストとして用いられなくなって来ている。結果として、量子測定は「量子力学を復習する良い題材」となっているのである。

2 月 7 日、研究室の窓から外を眺めると、中庭の木々が目に入る。最近は、その枝という枝に、ヒヨドリが集まってとまる。何が目的で、こんなに大集合するのか理由はよく分からない。近くに、ハゼの木だとか珊瑚樹だとか、木の実がたくさんある事は確かだ。ちょっとボッテリとしたヒヨドリ、どうやって飛ぶのだろうか?と不思議にも思うのだけれども、見かけより体重は少なくて、Lサイズの卵よりわずかに重い程度の体重しかない。羽毛は軽いから、羽布団というものが造れるわけだ。可愛げのある鳥には間違いない。ただ、時々は農作物を集中して荒らすらしく、猟を行なっても良い場所では、とって食っても良いのだそうな。

2 月 6 日、ヌスケーゼというチーズに出会う。見た目や、柔らかさはラクレット。パンケーキ型の硬いチーズを作る時には、カビないように表面を拭く作業を行う。この時に、どんな液を含ませた布を使うかで、様々なバリエーションが生まれる。ヌスケーゼは、クルミなど、ナッツの油で拭くのだそうな。食べてみると、あら不思議、イベリコ豚のような風味がある。まあどちらも、木の実の油脂の香りなのだから、似てて当然といえば当然なのだけれども。ヌスケーゼは溶かして食べても、当然ながら、美味しい。タンパク質とカルシウム補給にパクパクパクと。ええと、塩分と脂肪分のことは気にしないことにする。

2 月 5 日、今日はガッツリ滑ろうと、スケート靴の紐を少し強めに巻いたら、3分でギブアップ。何というか、足の落ち着き場所が妙で、靴と足が擦れ合って痛い。紐を緩めてみると、あら不思議、フィットして自然な履き心地に戻る。何事にも遊びが必要ということか。今日も割と人が沢山リンクに乗ってたので、エレメンツの練習はやめて、滑りを楽しむことにした。ついつい、やってしまいがちなのが、インエッジに長く乗ってダラーっと滑ること。アウトエッジに軽く乗せる方が、ずっと足への負担が小さいのだけれども、ついつい、インに乗ってしまうのだ。下手ほど疲れやすい理由の一つだ。

2 月 4 日、蜜柑の種を見て、さて、これがどう芽吹くのか、ちと思案した。ぼてっと蜜柑が木から落ちて、転がる。その辺りで腐って、そのうち芽が出てくる。いやいや、まず鳥がつついて、遠くに飛んで行って、糞になって落ちた所が運よく土だったら、そこから芽吹く。それとも、サルがやって来て、食べる?酸っぱければ投げ捨てる。「サルに似た動物」が、美味しくいただいて、種を土に撒いたりもする。人間も自然の内か。ところで、種の入っていない蜜柑は、花粉がつかずに、そのまま実だけが大きくなったものだそうな。不思議なものだ、植物が実をつけるということの意味と意義は。

2 月 3 日、普段と違って、今日はイワシが「高級魚」となる日である。特別に大きなイワシが、うやうやしくパック詰めされて、目立つ場所に並ぶ。確かにイワシは美味しい魚なのだけれども、ここまでしなくても ....。イワシは、触るとドンドン身やせしてしまう魚なので、頭と内臓を取ったらサッサと梅と一緒に煮てしまうのが良い。もちろん、開いても美味しいのだけれども、その分ロスが出てしまう。頭はどうしたモンかなー、猫にあげようにも、猫は居ず。野良猫にあげるというのも、今は白い目で見られるしなぁ。鳥さんにあげる?いや、岸壁の水鳥さんたちは、贅沢なので、身のついたのでないと見向きもしてくれないだろう。ま、いいか、肥料にしよう。

2 月 2 日、紅茶をよく飲むようになって、実は、イエローラベルばっかし買っている。昔は「あんなものは ...」と差別的な目で眺めていたのだけれども、いや、抽出温度さえ間違わなければ十分に美味しいし、何と言っても経済的だ。たまに、もっと値の張る紅茶をいただくと、確かに雑味が少なくて、より優雅な気分にはなれるけれども、何杯も続けて飲むと「有り難みが薄れて」普通のお茶になってしまう。毎日のご飯もまた、同じようなもので、産地にこだわることなく、安くて美味しいものを。最近では、北海道のコメが、コストパフォーマンスが高くて、お気に入り。教員業は貧乏稼業なので、間違っても目指さないように。

2 月 1 日、段落の切れ目がどこにあるのか?ということについて、あらかじめ「こうだ」と文章構造を決めてから書き始める方法と、適当に書いておいて後から段落の切り分けをする方法がある。慣れてくると、両面から考えを進めることが可能になって来る。構想に基づいて書き、書いているものを見て修正する。この際に、文章の骨子は何か、段落の目的は何かということを、客観的に見る目が必要となる。「自分の書いた文章」は魔物で、自分で読めば意味がわかってしまうのだけれども、例えば「自分で書いた文章」とするべきか「自分の文章」なのか、考える余地があるし、そもそもこんな文句が必要かどうかも、考慮の対象だ。そして、「あ゛ーッ」と叫んで、全部消してしまって、振り出しに戻る。正しい姿勢である。二回目には、より良いものが出来上がるだろう。

1 月31日、スーパーマーケットに、豆が並ぶ日々、もう節分が近いのであった。さて、節分の「おにはそとー」という童謡、むかーしから歌われていたのだろうかと、ふと思って検索すると、なんと「えほん唱歌」という、昭和初期の作と。教科書的に無理のない和音進行と、節分は必ずやって来るという年中行事にちなんで繰り返し歌われる、これが時代を超えて残っている理由だろうか。よくよく音形を見ると、色々と料理できそうなことがわかる。間違いなくポップスになるし、ロックだろうと、ジャズだろうと、自由に編曲できるではないか。フーガも行けそうだぞ? 節分ロック、祝って見たいなー、赤鬼青鬼のダブルギターで。

1 月30日、朝の神戸大学は、霧の中、いやいや、雲の中であった。湿度 100 % とは、こういう状態かと、いつも早春に思うものだけれども、早々と今の時期に体験してしまった。地面や建物は冷え切っているので、どんどん結露して行くのだ。際限なく水が供給されるという意味において、雨が降りかかるよりもタチが悪い。そもそも、雨がかからない場所というものには、防水という発想は無いのである。これは難儀だと思っている間に、どんどん霧が晴れて、空気が乾いて来た。よかった、書物がフカフカに濡れ始める前に、何とか霧が去ってくれて。

1 月29日、雨が降るという予報、そこで朝から氷に乗る。神戸のリンクは、昔から使ってたザンボが故障して、先週はガソリン車の代車で整氷していた。今週は、どこから調達したのか、プロパンガス車のオリンピアで整氷。朝一番の氷の質は、以前と全く変わらず、製氷機としての性能は悪くない。お昼も過ぎると、そろそろ、雲行きが怪しくなって来たし、こういう日の常として、どんどん子供たちがやって来て、マトモに練習できなくなるので、サッサと撤収する。雨は、ザーッと来るかと身構えていたのだけれども、夕方までは、ポツポツのままであった。結局、あまり本降りということのないまま、夜が更けて行ったのであった。

1 月28日、さあ、仕事やるぞ! と、やって来た職場でメールサーバーの一時停止を知る。これで、仕事への気力が半分減退してしまう ... ようではイケナイ、そもそも研究というものの本質に、メールサーバーが関係しているはず無いではないか。気をとりなおして、いま実行できる仕事、あとで送受信して片付ける仕事、今の環境では不可能な仕事と「仕分け」して、片端から取り掛かる。それにしても天気いいよねー。天気の良い日ほど、仕事がスイスイ進むという法則も、あるのではないかと思う。大学は土日返上の雰囲気が満ちている時期である、昔ならば今頃、ハサミや糊を手に、セカセカと論文にグラフを貼り付けたりしていたのだ、今は全て、パソコンの上での作業かな。

1 月27日、古事記と日本書紀って、どんな書物?と、ふと思って、公開されている原文(のひとつ)を閲覧すると、完全に漢文。いや、漢文なのかどうなのかも、よく分からない。どのように読み書きしていたのか、中国語だったのか、あるいは訓読していたのか、など。なるほど、この分野に専門家がたくさん居て、研究が脈々と続いているわけだ。木簡など発掘物もポツポツとは見つかり続けているとかで、これはなかなか、研究としては目のつけどころが良いと思った。木簡か。ツイートの中から選りすぐって、木簡でもチタンでも石でも何でもいいから、朽ちないものに刻んで、日本海に投げ込んでおくと、やがては「陸地」から掘り出されるかなー。

1 月26日、風が吹かないだけで、こんなにも暖かなのかと思う朝から、ちょっと歩くと日差しで汗ばむ昼過ぎ。春のスキー場に降り立った気分だ。花粉が飛んでないので、春よりもずっと気分いいかもしれない。工場の煙突から立ちのぼる煙もまっすぐに上昇。煙とは言っても、今の時代、ほとんど二酸化炭素と水蒸気だけなのだけれども。ウィンドプロファイラーを見ると、ほとんど無風。と言うか、上空に雲がないので、観測が成立していない。少し大掛かりな装置を使うと、雲も何もない場所での空気の揺らぎも検出できるそうなのだけれども、予算が限られているんだから、まあ、こんなモンか。暖かくなって喜びたいような、いや、酷暑への一歩を歩み始めただけか、と、複雑な気持ちの春の日であった。

1 月25日、イチゴの種類。色々とある。小さくて、いかにもイチゴらしいのが、さぬきひめ。この「いかにも」というのは、家庭で栽培する路地イチゴの雰囲気が、そのまま出たような小ぶりの実をつけるからだ。少し端正な、ケーキに乗っているような円錐形の、さちのか。これは扱い易いイチゴだ。ヘタを取り除き易く、当たり外れが少なく、どれもバランスの取れた味。王様の、あまおう ... 実は、あまり買い求めることがない。ちょっと粒が大きすぎる印象があって、値段が高めであることもあって、ハズレの粒に出会った時の落胆が大きいからだ。密かにイチオシなのが、女峰。ネーミングが、実に昭和している所もまた、何とも。甘み控えめで、酸味と香りが強い。イチゴミルクとの相性が抜群で、これぞイチゴ! という味。残念なことに、あまり出回らない。さて、どんなイチゴを食べましょうか、今度は。

1 月24日、北国に行くとパウダースノーに出会う、という話を良く聞く。では南国の?神戸では出会えないのか?というと、いや、一年に何回かは、そんな雪が六甲山に積もる。そんな時を狙い撃ちして、六甲山スキー場へ行くと、軽い雪国体験ができる。足元でキュルキュルと音を立てる、あの感触。雪が降ってる時には、新雪もある。ただ、ちょっとでも気温が上がると、すぐに普通の圧雪になってしまうので、本当に寒い日を狙うしかない。こういうチャンスに限って、仕事が入っているものだ。まあ、その代わりというか、何というか、スケートリンクには恵まれている関西の冬である。ポーアイのスケートリンクは、電動のザンボの調子が悪くなって、今はガソリン車で製氷中だとか。ザンボってなに?と思われたら、検索してみることをお勧めする。

1 月23日、再び雪の舞う午後となった。東方に低気圧あり、西方に高気圧あり、典型的な冬型だ。直接的に日本の天気には関係しないけれども、そのもう一つ東に、デッカイ温帯低気圧があって、気圧が 940 hpa 台になっている。これは空間的スケールが大きいということで、台風のように中心が目立って強風というわけではない。直接関係ない、とは言っても、上層の空気の流れに影響を与えるものだから、この大きな低気圧も間接的には、今の天気に影響しているし、そしてこれから先の天気に関係して来ることだろう。ともかく寒気がドカッと西日本まで降りて来るとしたら、まあ、もう一回くらいが限度かな?その後は、だんだんと昇温して来るだろう。

1 月22日、氷の上は子供達だらけ。やっぱり、少し天気の悪い午後は、スケート場が混む。今のシーズンになると、スケートの上手な子供もポチポチと目立ち始める。貸し靴でスイスイと滑って行くのは、たいしたものだ。大抵の貸し靴は、下手に引っかからないように、アウトエッジがものすごーく甘い。これで、クロスの練習をさせるのか! というのが、正直な所である。なお、クロスを、そんなに早くから練習する必要あるのか?ということは、長年の疑問点だ。左足のアウトエッジで踏ん張り辛い靴で、カーブに差し掛かって、乗れないエッジでクロスすると、上体がカクカクと滑稽に動くばかりの、ヘンテコなクロスとなる。... と書きつつ、自分のスケーティングも、相当妙なのだろうなーとは思っている。

1 月21日、ディスエンタングラーは、どういうものだろうか?と、しばし思案する。そして、単にディスエンタングルするだけならば、ありとあらゆるディスエンタングラーが作れてしまうことに気づく。MERA や TNR で用いられるディスエンタングラーは、変分計算の一翼を担っているのだ。うーん、エンタングルメントだけを指標にしてディスエンタングラーを作るというのは、ちょっと難しいことなのか。ただ、ディスエンタングラーを求めるために用意する環境は、もうちょっと簡便に作れても良い気がする。ちなみに、エンタングルの反対語はディスエンタングルであって、ディスタングルではない。何とも言えない、英語のエンタングルメントである。

1 月20日、今日は普通の (?) 道筋で大学へと向かう。なぜか調子良く登れ、アッという間に六高台キャンパスまでやって来てしまった。調子に乗って、発達科学部まで歩いて上がろうか?という気持ちが頭をかすめたけれども、後のことを思い出して、それはやめておいた。もうすこし高い所まで登ると、神社があったり、眺めの良い橋に出たり、ケーブル山頂駅まで辿り着いたりする。でも、確か、今日は、午後から天候が急変するんだった、そんな哲学の散歩をしたら、遭難して戻ってこれなくなる。というわけで、早々に理学部へ向けて「下山」、随分と早く職場に着いたものだ。そこから先は長丁場なんだけどね。

1 月19日、阪急六甲駅に降り立って、大学へ行く。この、通勤の道筋も、毎日同じでは飽きてしまう。今日は、ずーっと東寄りのコースを通って、工学部あたりに出る道を歩いてみた。そこで驚いたのが、新築建売りが急増していること。これまで、更地だった場所が、何だか急に動いているのである。世の中、浮き金が出てきたのだろうか。景気が良いような感触があるような、無いような。何せ、景気というのは、コップの水が少し足らないか、溢れるか、という程度の微妙な差で成り立っているものだから、ちょっとバランスが崩れるだけで、コロリと冷え込んでしまうからだ。その後に残るのは不良債権。戸建てが、そうならないことを祈りつつ、大学に到着した。

1 月18日、半世紀ほど生きて、初めて知った事実。「バルタン星人」が正解であって、記憶にある「バルダン星人」は誤りであること。また、この誤りがあっても、コミニュケーションが成立していたこと。語中の清濁というものは、かほど聴き分けが難しいということだ。子音の硬軟もまた、聞き分けにくいものの一つで、あちこちの方言に「きにょう」という、昨日の発音が残っているけれども、注意していないと聞き取れない。余談ながら、この「きにょう」はローマ字ならば KINNYOU となるので、パソコンが「きにょう」を勝手に「金曜」に変換してしまうのだ。そんなことないように、わざわざ「かな入力」してるのに、お節介なパソコンやなー。

1 月17日、バナナは種ができない。食用になるバナナは、三倍体だから種ができない、ということらしい。種ができなければ、どうやって増やすのだろうか?バナナの木をぶった切って、挿し木にして増やすのだろうか?と思って調べてみると、「木」に見えていた部分は葉っぱの鞘がグルグル巻きになっているだけで、芯がないのだそうな。また、あの巨大さに見間違えてしまうのだけれども、あれは単子葉植物。ということは、茎と葉の間からしか脇芽が出てこない。そして、茎は大抵、地下に短く収まっている。写真検索すると、根元から生えてくる子株を、株分けして増やすとある。なーるほど。二倍体のものは、ちゃんと種もできるから、品種改良も可能なわけか。調べている内にバナナの分類が簡単ではないという、泥沼のような記事を見つけてしまい、情報検索時代の罪深さを実感した。

1 月16日、センター試験の問題が全部公開されたので、パラパラとめくってみる。どこを見るかというと、誤答を眺めるのである。社会科の科目の誤答が、なかなか面白いのだ。共通一次試験から現在のセンター試験までを見て「抱腹絶倒の誤答集」を作ったら、絶対に売れるんじゃないかと思えるほど、おかしなもので満ちている。それに比べて、正答の何と味気ないこと。これは世の中に共通することかもしれない。正しい答えは、常に面白くなく、正しくない受け答えがウケるのである。太平洋の向こう岸で、まさにウケ狙いのやり取りがあるようで、今朝もテレビに長時間流れて居た。ウケない日がない大統領を選ぶ理由も、わかるような気がして来た。

1 月15日、神戸市内は一面の雪。海辺のわが家も、横を流れる用水路の上に氷が張る、その上に雪は積もる、そのすぐ横の車道を行き交う自動車は、六甲山の山を越えてやって来たのだろうか、屋根に雪が乗ったままだ。何より怖いのが、足下。ところどころ、ブラックアイスができているではないか。もっとも、暖かい地域だけに、陽が昇ると、この楽しい状況はすっかり消え去ってしまった。むかーし居た仙台では、きっと今頃、足下がキラキラと輝き、氷が薄汚れた砂となって車道の脇にたまり、降ってくる粉雪が地面を這うように風に流されて居ることだろう。今は地下鉄東西線もできた仙台、雪の日も、昔ほどは不便ではないだろう。

1 月14日、センター試験始まる。噂では、今の形態でのセンター試験は、来年、再来年、その次までの、あと3回ということらしい。こんな風に、入試の形態を変えて行かないといけない理由は、色々あるけれども、一番の理由は「固定化すると科挙になってしまう」からだろう。受験者側が、傾向と対策について高度な技を身につける「定番の学習方法」が生じ、学問に向かうという本来の学習意欲とは違った価値観が生じかねないこと。また、その技の習得を支え得るブライベートスクール受講機会が「金次第」という、世知辛い世の中になってしまう危険があること。... もちろん、裏付けのない推測だが。また、試験の仕組みを変更したことにより「合否に影響する」とすれば、それはボーダーラインの辺りに限定されるものだろう。結局、誰のために試験のシステムをいじるんだろうか?と、思わなくもないけれども、試行錯誤も「全体としては」悪くないか。個々に、利益・不利益があることは確かだろう。

1 月13日、物理のこと以外、なーんも知らない私、今日は「手形」についてお勉強。何か副業でも起業しない限り、まず使うことはあり得ないのだけれども。こういう時には、やはり、日本銀行のサイトが頼りになる。何となく雰囲気で文章を書くということはまず無くて、誰が読んでも誤解がないように、押さえるべき所を抑えた簡潔な文章で説明してある。なーるほど、ちょっとクレジットカードに似た決済手段なわけか。いやいや、これは信用を基にした通貨モドキの発行でもあるから、(本来は)無制限には手形を乱発できないわけだ。ここで知ったことは、大昔からある、つけ払いとか、あるとき払いなどが、経済活動を円滑にする道具として自然発生したことには、道理、いや、数理があるものだということ。面白いなぁ、経済学は。

1 月12日、Facebook、見ず知らずの方からの友達申請、まれに承認することがある。もちろん、(a) ごく最近作成された (b) 経歴に矛盾がある (c) 著名人と名前が同じ (d) 化粧した女性の顔写真がバーンと出ている、など、明らかに SPAM なものは除く。また、承認してみて、同様のヤバいアカウントを大量に友達に持っていたりすると、そそくさと縁を切る準備はしている。時々見かけるのが、クリック広告や、誘導広告の媒体と化しているアカウント。一方で、無限連鎖講はどうも、SNS とあまり相性が良くないようだ。アシが付き易いのだろうか、それとも直ちに報告されてしまうのだろうか。ともかくも、稼ぎの道具には、あまり向いてないな、と思うのである、SNS は。

1 月11日、キャベツと白菜以外の菜っ葉は、下処理がなかなか厄介。工場で水栽培されたものを除き、必ず土ぼこりをタップリとまとわり付かせている。それも根元の隙間に。無農薬とか有機とか書いてあると、イモムシさんこんにちは。あるいは、アブラムシがゾロゾロ。葉をバラバラにして、よく水洗いして、まずサッと下ゆでしてアブラムシなどを落としてしまい、よーく確認の後に調理に入る。結構大変な割には、最終的に残る量が知れている。讃岐でいう「まんば」くらい、たっぷりと残ってくれる葉物野菜は売ってないかなーと、あれこれ探し歩く昨今なのである。歩留まりなんか気にせず、根元を無視してしまえば楽は楽なんだけれども ....

1 月10日、NTSC方式の映像伝送、昔の人はよく、こんなものを思いついたものだ。タフな信号伝送方式で、粗悪な回路でも、ともかく映像だけは映るし、ヘンテコながら、とりあえず色も出る。特に、カラーのハッキリした、古いフィルム映画なんかに似合っていた。信号線一本でいい、というのも、安易に色々な機器を接続するのに好都合だった。この NTSC 方式で送られて来た番組を、延々と見たはずだけれども、記憶に残る映像はなぜか、デジタル画面のように思い出されるのである。人間の記憶の不思議だ。ネットに転がってる当時の映像を見直すと、まあなんと、ボケボケなこと。記憶は、こういう風にして美化されるものだと気付いた。

1 月 9 日、連休の間に、どんどん仕事が降ってくるのである。まず、海外からは、連休も何も関係なく、様々なメールが舞い込む。これはまあ仕方ないことだ。問題は、「休日だから、たまった仕事を整理しよう」という、休日勤務組からの連絡。気分は良くわかる、休日や連休にこそ、集中して「書類の山」と格闘できるのである。普通に考えればブラックなのかもしれないけれど、何となく、もう、身についてしまった慣習なので、仕方ないか。なお、研究職はいつ研究しているのか?というと、問題を頭に引っ掛けておいて、何気無い時間にふと思い出しては、アプローチを検討するのである。机の上で「研究するぞ」と息巻いても、進むものではないのだ。

1 月 8 日、今日は雨だし、スケートなどにわざわざ足を運ぶ人も少ないだろう。と、甘く考えていた。それは歩行者の発想であって、マイカー族の存在をすっかり忘れていた。スケート場についてみると、見たことがない盛況。更衣室のロッカーが、ほとんど埋まっている。冬休み最後の日曜日、遠出もできないことだし、スケートしよか?という親子連れで満ちていたのだ。何の練習もすることなく、リンクを周回する。いや、まあ、氷の乗りだけは、少しキープできたかもしれない。特に、エッジチェンジする時に、少しエッジを先行させて正しい位置に体重を乗せる感覚が掴めたかもしれない。また来週、ちゃんと滑ろう。

1 月 7 日、今日は何を食べようか?と思案して、鉄板を引っ張り出して来た。分厚い鉄板をコンロにかけて、弱い中火でじっくり温める。そこで、お好み焼き。ついでに、焼いてある餃子も温めて、ちょっと鉄板焼きの気分を味わう。ステーキハウスなどで使う鉄板は、手では絶対に持ち上げられない重量なのだそうな。台所に、そんな鉄板の場所を作りたいものだけれども、貧乏人には手の届かない設備だ。いや、手が届いても、その重量を支えるには、床の補強が必要となる。ウチの、やわい木造の床では、そんな物を据え付けた段階で床がたわみ、その反動で壁が曲がり、ひいては家屋倒壊となるであろう。

1 月 6 日、ボディーキャップレンズという、「写ルンです」みたいな写真が撮れるレンズがあると聞いて、仕入れてみた。こんな、針穴みたいなので ... と思ったけれども、その昔、写ルンですで、とても綺麗な写真が撮れてびっくりした覚えがあるので、予断を交えずに使ってみた。あらびっくり、明るい場所だけでなく、室内でもちゃんと写るではないか。これは結構びっくり。それだけ、センサーの感度が上がって来たという実情もあるのだろうけれども。パンフォーカスで、あまり何も気にせずに、どんどん撮れるのが、また面白い。大きなカメラだと、ついつい、ピントを合わせたり、露光の調整をしたり、あれこれといじってしまいがちなので。

1 月 5 日、たっぷり昆布と鰹節を使ってダシを取って、雑煮を作ってみた。美味しい。これらの素材は、既に完成された調味料だと考えて良い。よく、「化学調味料は使わずに、丁寧にダシを取って」という表現が使われるけれども、それは既に素材に含まれていた美味しさを、損なわないように汁に移し替えただけのこと。大部分の手間は、昆布を干す作業と、鰹節を熟成させる工程にある。煮干しを使う場合も同様。ただし、煮干しの場合は頭を取ったり、腹を除いたりという、調理前の手間も少しはかかる。ともかくも、雑煮は、こうした手間の集大成だということが、よくわかった。餅を焼くのもまた、ひと手間。楽しいことだ。

1 月 4 日、狭い空間で何人かが酒を飲むと、その空間がどんどんアルコール蒸気で満たされる。一緒に飲んでいる時には、多分気づかない現象だ。かほどに、アルコールは蒸発しやすいものかと思った。でも、どこから蒸発した?酒を注いだ容器の表面?そこは、あまり表面積が大きくない。ただ、容器に入っている酒のアルコール度数は高い。それとも、呼気からアルコールが出てゆく?そういえば、お巡りさんの検査も、「吹いてください」だ。血中アルコール濃度は、大したことないはずなのだけれども、肺胞の表面積は非常に大きなものだ。さて、どちらが主因なのだろうか。

1 月 3 日、脱カゼ薬を決行。カゼをひくと、だるーくなってしまうので、ちょっとでも体感を改善しようと、カゼ薬を飲んで「カラ元気」な時間を過ごすのが、いつものパターン。今回も、それに乗って飲み続けること一週間。しかし、ノドが渇くなど、色々と不都合なこともあるので、今日をもって離脱。... してみたら、その途端に、また咳払いが戻って来て、ありゃリャ。もうしばらくは、分量を半減してでも、飲まないと満足に動けなくなってしまうかなーと。この微妙な「禁断症状」は、アルコールなどと共通するものがある。中枢神経のどこかに、何らかの作用があるのだろう。要するに「クスリ」なのである。

1 月 2 日、ライカのレンズに、初めて触れる。大きさの割に、とても重たい。一方で、フォーカスリングや絞りリングは、軽く回って、止める時にはピッタリと止まるし、メカのガタ付きが感じられないほど小さい。スーッと、導かれるままに撮るような感触。なるほど、これがライカの面白さなのかと思いつつも、値段が値段だけに、自前のものを用意することは無理。「ちょっと貸して」が関の山だ。中古では、色々と安いライカのレンズもあるのだけれども、「これがあったらなー」というスペックのものは、おしなべて高価であるか、あるいは難あり品。世の中、まだまだ、ノウハウの塊というものがあるものだと感じた。

1 月 1 日、餅を焼こう、いつもはオーブンで焼いているのだけれども、ガス火でも簡単に焼けるので、その辺りの網を持って来て、チョイチョイと火にかざす。硬くなって、どこにも水分がないような餅の表面も、こうして火に当てると、ふわっと膨れて、かき餅のような食感になる。オーブンや電子レンジだと、ここまで持って来るのは大変だ。千度を超える炎の上端すぐの場所の火力は、実に強いものだと感じる。周囲が焼き固まる頃に、不思議と内部に熱が行き渡り、ぷっくり膨れて来る。ここで物理がチラリと頭に浮かぶ。これは、多分、餅を作る時に入った泡の所から膨らみ始めるのではないか、と。均質で泡のない餅が仮に作れたならば、過熱の結末として、爆発的に膨らむのではないだろうか。実は、そうなってるのかもしれない。ともかく、餅の物理は、定量化が難儀そうだ。トライし甲斐があるネタかもよ?


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2012
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2011
7 月と 8 月 (飛行少年編) 9 月と10月 (鮮魚包丁編) 11月と12月 (場論執筆編)
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2010
7 月と 8 月 (転地養生編) 9 月と10月 (研磨没頭編) 11月と12月 (涅槃煩悩編)
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