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4 月20日、量子力学の教育メソッドはたくさんある。これは、量子力学がどのように使われるか?という需要によりけりだからだ。応用上は分子の安定性や反応について、量子化学計算を行うような利用が「世の中のお金が絡んだ量子力学の利用の大半」であって、それならばシュレディンガー方程式から入って行くのが妥当な習い方となる。一方、量子コンピューターのような、情報についての興味からは、量子力学の公理(?)から習い始めることとなる。ブラケットの世界だ。こちらの方が、量子力学としては「習った」という感触のある部分ではないかと思う。で、量子力学の測定とは何か?という点に興味を向けるのが、観測問題と呼ばれて来たもので、そろそろ再び、スポットライトが当たるのではないだろうかという予感がある。量子力学は 100 年くらいの歴史しかないので、まだまだこれから先の発展があるのだろう。教育メソッドも変化するはずだ。

4 月19日、包丁の刃は、段々と薄くなって行く。元々が分厚い刃の包丁だと、この減り分はあまり問題にならないのだけれども、薄い刃の小さな包丁の場合、厚みを減らさないようにサビ落としは程々にする必要がある。うっかり薄くしてしまうと、ペラペラになって刃のコントロールが怪しくなって来るからだ。酸性のものを切るだけで、そのままにしておくと減ってしまう。切れ味ももちろん落ちる。さっさと拭かなければならない。大事な包丁だから、長く使いたいし、毎日使いたい。相反する条件だけれども、これが刃物の宿命だ。まあ、同じようなものは幾らでも購入できるのだけれども。

4 月18日、ヘクソカズラとの戦いが始まった。戦術は、一網打尽。ツル植物を駆除するには、長く伸びたツルを相手にしてはいけない。狙うのは根本。ヘクソカズラの場合、茎が太くなった丸い部分が根のすぐ上にあって、ここから分岐してツルを伸ばして行く。従って、この「丸いやつ」をともかく狙って駆除しなければならない。その場所は、地面を這うツルが教えてくれる。数があるようで、数えてみるとあまり多くはないのがヘクソカズラの特徴だ。さあ駆除だ駆除だ、と臨戦態勢で準備を整えると、無常の寒い雨。気温も真冬の昼間並みに下がって、意欲を削いでしまった。また出直そう。

4 月17日、雨の1日。冷蔵庫を開けると、そば麺のパックと、ダシが目に入る。まず鍋に味醂と醤油を入れて、煮切る。そこへ、昨日の1番だしを加えて、少し熱いくらいまで加熱する。そば麺は丼に入れて、電子レンジで温まる程度に加熱。ダシを少しかけて、上からネギを好きなだけ散らす。ダシは、丼の上からは見えない量で充分だ。麺が泳ぐほど入れてしまうと、最後に汁だけが残ってしまい、難儀なことになる。また、麺のパックはお湯にくぐらせない方が良い。最近は保存の技術が上がって、昔のように酸やアルコールの臭気が残ることもないので、麺の香りが残るよう、学校給食のようにそのまま食べるのが美味しい。と、ひとりごとのウンチクを傾けて、サッサと食べてしまった。

4 月16日、正月の雑煮用に買っておいた昆布が、まだ残っていたのでダシを取る。分厚い削り節と一緒にガサガサと鍋に入れて、一番だし、2番だしと取って、あとは廃棄。いつもは合わせダシにして使うのだけれども、大量に取ったので分けて保存する。2番だしは煮物やスープのベースとして、何にでも使える。1番だしは、さて何に使おうかと楽しみにしつつ、冷却。この香りは1日くらいで飛んでしまうのだけれども、味は何日でも美味しいままだ。さて職場では、教師のバトンが大切なのだと思うことが多い。大学の場合、教員が仕事を抱え過ぎると、周囲に、そして後続に迷惑をかけることになる。業務は厳選して、重要なものに集中できる環境を整えることが大切だ。

4 月15日、神戸の山手で厄介なのが東西の行き来。西の方では山手幹線より上、東の方では市道山麓線より上では、場所によっては東西に渡る橋が全くない川もある。徒歩で渡る細い橋や、最悪でも飛び石があれば何とか渡れるのだけれども、それすら無いのである。予め地図をよーく見ておかなくてはならないし、地図に橋が書かれていても実は手間に私有地があって渡れないということもある。最後の砦はストリートビューなのだけれども、当然ながら、そのような獣道(?)までカメラがわけ入ることは滅多にない。結局それぞれの箇所について、登山案内などを手掛かりにして実況をよく調べておくしかない。そして、通行できると信じていた場所が、新たに造成地となって通行止めになっているのである。山道には山道ならではの厳しさがある。

4 月14日、ツル植物は伸び始めると速い。根に栄養を溜め込んでおいて、一気に伸びるタイプのものは、最初からグングンと伸びてくる。朝顔のように、ふた葉が頼りで少しだけ伸びて、あとは本葉が光合成するタイプのものは、日当たりが悪いとそこで停滞するし、環境の良い所にうまく育てば、そのまま伸びて行く。いずれにしても、伸びる場所の運不運はあって、いくら根が立派であっても、その土地の目の前に新しい建物が建つなどして光が遮られて仕舞えば、やがては枯れてしまう。そんな場所にも育つ植物があって、自然は重層的に構築される。不思議なものだ。学問の世界も、似たような感じだろうか、色々な専門家がそれぞれ、手広くやらないといけない。今年は予算申請が前倒しされるのだそうな。

4 月13日、今日は雨が降るような降らないような、何とも言えない天気だ。前線がふたつに分かれてしまっていて、関西辺りはちょうどその合間に入ってしまっている。新学期となって、それぞれの学年で「1年が経過した」ことを実感したことだろう。昨年は新入生ばかり、同じように?入試をくぐり抜けた合格者がつどった、そんな感じだっただろうけれども、2年目になると、そして3年目になると、入学年度の異なる人々とも同じように専門科目を受講する、いや、そもそも出席しない人も多い、そんな光景が広がっているだろうか。ここが大学の面白い所で、どのようにでも、好きなように学べるのだ。学ばない自由もまた、誰にでもある、これぞ大学。

4 月12日、新学期だ新学期だ新学期だ、あ、新学期は4月1日に始まっていたのだ。正確に言うと新年度の前期1クォータか。何だか面倒臭いものだ。今日は1クォータの授業が始まる日だ。大学生も続々とキャンパスにやって来て ... という雰囲気でもない。昨年度に蓄積した遠隔のノウハウは絶大なものがある。共通教育は遠隔で、という新しいスタイルは、このまま定着するのではないだろうか。大きな教室に集まって、わざわざ見辛い聞きづらい講義を受けるよりも、パソコン画面の方がずっとよい状態で受講できる。100 % それで良いわけでもなくて、時々は対面もある、そんな感じで良いだろうか。専門科目になると、また少し事情が違って来るだろう。

4 月11日、最近の生ゴミの主なものが、柑橘類の皮。夏になると、スイカなどの皮になる。野菜に比べると、果物は食べられない部分が多いものだ。植物の生きた部分は、ゴボウのような硬いものであっても、ほとんどが水分だ。そのまま捨てると、水を捨てるようなものだ。というわけで、そのあたりに干す。屋外で干すと、カモメやカラスがやってきてイタズラするので、屋内に段ボールを広げて、その上で干す。あまり水気の多いものの場合は、割り箸でも置いておかないと、段ボール自体が水でふやけてしまう。カラカラになってしまえば、捨てる時にも軽いし、堆肥にもできる。大昔は、こういうものが燃料になったんだろうなー。

4 月10日、海辺のわが屋からボチボチと歩き出して、電車ゴトゴト阪急六甲駅に降り立って、まずは六甲苑で昼飯の弁当を仕入れる。そのまま真っ直ぐに大学に向かわずに、バスが通る一方通行の道を進んで信号を渡ると、ケーキ屋さんの前に出る。その少し南に「パイ屋さん」がオープンしたので、さっそく立ち寄って2個買い求める。Everypie なのだそうな。それから先はダイエットの登山。さて大学に到着すると、もうお昼の時間だ。まずはパイを賞味。パイ生地というよりは、揚げ餃子の皮のような感覚だろうか。パクパク食べてから、弁当に手をつける。明らかにカロリーオーバー、午後の作業もそこそこに、更にダイエットの登山となった。英語の試験で、新入生がたくさん集まっていた。

4 月 9 日、来週から講義が始まる。例年?に比べて、数日遅い始まりだ。思うに、この日程を定着させるのが良い。後期入試からの日数が少なくて、コロナ以前はどうしても新学期までに時間的余裕が乏しかった。去年は、たっぷり時間があって、いやあり過ぎて、何だか夏休みを先取りしてしまったような感覚だったけれども、今年の日程は、ちょうど良い感覚だ。日程のシフトにより、お盆前まで授業が続くけれども、最後の最後は遠隔とかオンデマンドなどにするなど、色々な手段が獲得されているので、コロナ以前よりは工夫する余地が広がっている。何事もポジティブに捉えて、改善できるものは改善して行くのが「伝統と歴史」というものだろう。

4 月 8 日、スポーツと音楽には、ちょっと羨ましい教育環境があって、その才能に応じて、比較的安価に次々と上のレベルへと習い進むことができる。書道などの「習い事」も同様だろうか。これが、数学とか物理学、あるいは理学一般や工学となると、なかなかうまく行かない。教科の一部とみなされる部分があって、才能ある者が「数学道場」やら「物理クラブ」などで学べる訳ではない。ブルーバックスなどの単行本が、このような需要の一翼を担って来た。ようやく最近、YouTube に次々とコンテンツが上がり、独学を支えつつある。才能を拾うには、もう一段の交流が必要だろうか。YouTube とクラブハウスを合わせたような SNS が、やがて新しい教育を生んで行くのだろう。

4 月 7 日、「新入生歓迎会、アルコールも準備しています」という言葉を耳にして、一瞬だけ ... いや、一瞬ではなくて1分ほどの間、今年はアルコール「飲料」が復活するんだ〜と、ヘンテコな勘違いをしてしまった。当然ながら、準備されているのはアルコール消毒液である。歓送迎会とアルコールがセットであったのは、平成までの世の中のことだ。今は「飲む人」が少数派となっている。やがて酒類は味醂のような、調味料としての扱いになって行くのだろうか。その方が人類の幸せにつながるようにも思う。新学期も近くなって来たので、そろそろ心身をシャキッとした状態に持って行かなければ。

4 月 6 日、新入生のツイートを見ていて感じるのは、責任を持って回答できる人なり受付窓口へと「質問することを躊躇する」傾向が強いことだ。履修のことであれば教務担当の人々へ、教科書のことであれば担当教員でもいいし販売ならば生協なり本屋なり、健康診断のことであればそれを行なっている窓口へ、どこへ何を問い合わせて良いかわからなければ学科長なり何なりを掘り出して問い合わせれば良いのである。思うに、これまでの教育の場で何か質問したら「何とかに書いてあったでしょう」などと面倒臭そうに応対されて、あるいは叱責されて来たのではないだろうか。大学では ... 質問を受けた場合に、責任のない回答はできないのは確かだけれども、責任ある人なり窓口を紹介することにはなるだろう。

4 月 5 日、さあ新学期の月曜日、明日は入学式だ。この時期は申請書と報告書が重なって、身動きできなくなることが多い。誰かにメールしてみて、レスポンスがなければ、いわゆる「死んだ」状態にあること間違いなし。ある程度は分業も必要になって来たのではないか?と思う所もある。申請書作成請負業とか、報告書作成云々。政治の世界では立案スタッフが居るのは当然のことだろうか。科学者の本業は科学の研究だから、それをうまく進めるための枠組み作りに ... と、考え始めると、科学者が仕組み作りに没頭してしまうわけで、この辺のバランスは難しいものだと思う。まあどんな業界でも、似たような悩みはあるものだろう。

4 月 4 日、1年半前には出来上がっているはずの書き物を、ようやく「仮仕上げ」の段階まで持って来れた。若い頃の「馬力」が、そのまま続くと過信して予定を立てると、このようになる。自分で「できるはずだ」と思って立てた計画と、実際の進捗状況が乖離し始めると、最初は「すぐに戻せる」とタカをくくり、次に「おかしい」と思い始めた頃には既にドツボにハマっている。もうダメ人間になってしまったから、見捨てて下さいと逃げに入った状態を、静かに見守っていただいたことに感謝するばかりだ。ようやく意欲が戻って来た時に、卒なく続きの応対に入ってもらえた。人の輪の中に居ることが大切なのだと再認識した。

4 月 3 日、じーっとにらめっこ。原稿から目を離してはならない。どのような文章にも、必ず穴がある。そして、最後の最後まで「大きな組み直し」も躊躇してはならない。設計がマズい文章は、小手先の修正ではどうにもならないのだ。しかしながら、納期というものもある。妥協することは必要だ。美学をもって作業に当たらなければならない。美学が先走ると読者との距離が生まれてしまう。ウケ狙いは往々にして外れる。真面目一本では読んでいて重苦しく、軽妙さを失ってはならない。ああもうダメ、文章が頭の中に入らないという、そんな状態になったら休む。そしてまた、にらめっこ。「国語は大切ですよ」との、高校の先生の言葉に間違いはなかった ....

4 月 2 日、花吹雪の1日。神戸大学に登る道は、そろそろ暑さへの対策が必要となって来た。冬の間は、登る方はどんどん体が温まるので、最大酸素摂取量まで体と相談しながら登れた。いま、そのように登ると熱でダウンしてしまう。薄着にしても、皮下脂肪という防壁があるので、最終的には運動量を抑えるしかない。昔は毒ガス戦用のスーツとか宇宙服が、そういう感じで熱との戦いだったらしい。今はラジエーターが発達したとは聞いているけれども。これから先は、夏でも涼しい冷房スーツが流行るのだろうか。建設現場で、小型扇風機が仕込まれた作業服を見て、世の中進んでいるものだと思った。

4 月 1 日、春休みのつもりで、のんびり活動していたら、いつの間にか新学期になってしまった。昨年の春休みが、あまりにも長かったからだろうか?昨年は、ドタバタはあったけれども、とても有意義に過ごせたなーと、懐かしく思う ... なんて書くと、世の中から「だからセンセーは」と指差されること間違い無いのである。世界中が、そういうモードであったので、新世紀の大発見が、実は相次いでいるのではないかと思う。大発見というものは、世に理解されない類のものが多いので、静かに現れる。誰も気づかない大発見、それを目指して今年度も研究を続けよう。

3 月31日、枯れ枝の続きから。山に分け入って出会うツツジは、大きく伸びていて庭木のサツキとは全く異なる形に育っている。それを刈り込んで丸く、あるいは四角く仕立てるのが園芸だ。当然ながら、ストレスをかけながらの栽培となるので、うまく形が整わないこともあるし、無理をすると大きな枝が根本から枯れてしまう。枯れ枝を放置すると?しばらくそのまま枯れ枝で、何年か経つと菌類が入ってボロボロに崩れてしまう。そして、台風や冬の大風に揺られて、地面に落ちる。うまくできているものだ。庭木の場合は、中が詰まっているので、このプロセスがうまく行かずに全体が枯れることもある。管理用の隙間は空けておかないと駄目だろうか?

3 月30日、黄砂が本番、よく晴れているけれども真っ黄色の空となった。大陸には水分の供給が乏しい地域が必ず現れ、砂漠となるという自然の摂理を間接的に感じるイベントだろうか。自然環境破壊だとか砂漠化だとか、色々と議論されるけれども、例えば日本はどうやっても、砂漠にしようと思っても砂漠にはならないわけで、大自然に対して人間が大きく関与できると「信じすぎる」のも、どうかなーと思う。環境に配慮しないと「既に人間が住んでいる場所が、やがて住みづらくなる」というのは充分にあり得る話で、これをもって環境破壊と称するのならば理解可能だ。砂漠はどうでもいいから、とりあえず枯れ枝から整理して行こうか。

3 月29日、雨が上がって、辺りを見回すと、あ゛ と表現するほかない。下草も木々の新芽も伸びまくり。昨日がずーっと、雨で暗かったので、植物が伸びる条件が整っていたのだ。ふさふさを通り越して、ボサボサ。この競争の中で、光を獲得したものが次の世代に種を継ぐことができる。中には、ちゃっかり既に種を作ってしまった下草も。春だけ出てきて、サッサと姿を消すというサイクルもあるのだ。全体的に見て、イネ科はスタートダッシュが遅いように見える。根にタップリと栄養を蓄えたものが、伸びもいいようだ。そろそろ山菜も出てくる頃かな。空は砂で黄色い。海辺を散歩すると、緑の衣をまとった 12 音の使い手に巡り合う。才能あって、かつ研鑽を重ねた人の技は素晴らしいものだ。

3 月28日、昼から雨。ずーっと上がらずに、夕方まで雨。日曜日の午後を狙い撃ちする雨、ようやく日が落ちてから小雨になったので海辺を散歩する。雨の日は何の花粉も飛んでいないので、呼吸が楽に感じられる。ただ、そろそろ暑さが気になって来た。冬の装束のままでは、少し動くだけで汗ばんでしまうのだ。そろそろ、一枚ずつ薄着になって行かないと。近所の安いスーパーマーケットをのぞいてみると、けっこう早い時間に値引きが始まっていた。雨の予報が出ているからといって、商品の入荷を大きく減らすわけにもいかないのだろう。半額とはいえ、惣菜の山を買っても仕方ないので、見て見ぬ振りをしつつ立ち去る。

3 月27日、原稿というものは長く抱えれば良いものではなくて、サッサと筆が進むに越したことはない。論文は論点がハッキリとしているので割と書きやすくて、気がついたら数時間で作業が終わっていたなどということもある。面倒なのが、業界レポートみたいな作文。自分のことだけではなくて、これまでの発展の経緯をそれぞれ拾って、軽重をつけつつ、軽重のないように(?)まとめて行かなければならない。気がついたら何年も経過していた、ということもあり得る。文章はコンスタントに書いていないと、ちょっとした言い回しで詰まることがある。何事にも練習は大切だ。

3 月26日、壁一面汚れていると、汚れているようには見えない。どこか1箇所だけ綺麗にすると、そこだけ目立つ。なかなか難しい問題で、浮かないよう困らないよう、うまくバランスを取りながら清掃作業は行わなければならない。同じように、海千山千の面々が集う場所で、ひとり貧清で居れば良いわけでもない。かといって積極的に悪事に勤しむわけでも、道から外れることを推奨するわけでもない。周囲に馴染んで目立たないように、そして自分の好きなように活動できるということは大切だろうか。それぞれ、才能が活かせるようにストレスなく自らの道を進めば、大きな発見も相次ぐはずだ。

3 月25日、卒業式、今年は去年より落ち着いた雰囲気の中で行えたのではないだろうか。写真撮影は午後から、天気が心配だったけれども、何とか正午には雨が上がった。そのあとは曇り。最後に、少しだけ太陽が顔を出した。集合写真の撮影条件としては、曇りも悪くはないだろうか。少し色が乗りにくいのは確かだ。夕日の色がつかない、という意味では、悪くないのかもしれない。みなさん、これから新しい環境へと第一歩を踏み出す。東京へと活躍の場を移す人もいれば、そのまま進学する人も。それぞれ、道が分かれるのが卒業ということなのだろう。眺めていて、その若さが羨ましいなーと、感じる年齢になってしまった。ま、自分の時間は自分で楽しもう。

3 月24日、人々が住んでいる場所は、年々、土地が「かさ上げ」されて行く。100 年前の写真を見ると、威風堂々としていた石垣が、現在では舗装道路の端に頭だけ顔を出している、そんな光景に次々と行き当たる。特に神戸は、背景に六甲山があって幾らでも土砂が運ばれて来るので、現在のような護岸が整備される前は、水害のたびに土砂で埋まった経緯もある。現在でも、建物を建てる時に(ガレージや地下室はともかくとして)わざわざ土地を掘り下げるということはなく、何らかの盛り土をしてから新しく建て始める。こうして、0 メートル地帯だったはずの場所が、いつの間にか小高くなって行く。不思議なものだ。

3 月23日、大学の桜が、ほぼ「開花」の状態になった。この調子だと、卒業式の日には桜の下で記念撮影できるだろう。今年は花見も、少しは賑わうのではないかと、そんな予感がするし、実際に街中の人手はもう減ることがない。街頭では、立候補予定者の演説が一段と力強くなって来ている。今度の選挙は、さて、政党や政策が論点となるだろうか?密かに、いやハッキリと感じるのが、次は世代間の戦いになるだろうということ。政策にはガンダムのレバーのような所があって、焦点をどこに合わせるか?が議論の対象となる。教育機関も似たような所があるだろうか、生徒・学生にフォーカスされているだろうか?

3 月22日、作文を見直してみると、書いた時の精神状態がよくわかる。面倒だなーと思って書いた部分には、面倒さがにじみ出ている。楽しそうに書いた所は筆が進んでいる。その凸凹が第三者の目に触れるのは良くない。少なくとも自分なりの美学に合わない。凸凹のある所は、この日記にでも吐けば良いのであって、作品として人々に見てもらうものは、整然と客観的に書かなければならない。科学の書き物は丁寧に、その分野の専門家でなくても食いつけるように、必要な記述は面倒臭くても抜けのないように、後で定義されるものが先に出ないように。ええと、それでも、大きな不具合は「自覚症状がない」から残ってしまうもので、第三者の指摘は重要だ。

3 月21日、何かを学ぶときに、何か道具が必要か?という準備の議論はどこにでもあるものだ。大学に入ったらパソコン?くらいは使えるようになっていなさい、というのは今日的にはまあまあ正しい suggestion だとは思う。だからと言って、携帯では無理ですとは言えない。どちらも同じように情報デバイスで、入出力及び表示に使う画面の大きさが少し違う程度の差しかない。要するにどんな道具でも、それを使いこなせれば良いわけで、CPU の規格がどうの、キーボードがどうのと、外野からあれこれ指示されるべき性質のものではない。間をつなぐものとして誕生したタブレットという存在が、実は既にパソコンを追い越してしまっている。

3 月20日、後期試験の合格発表があった。twitter を眺めていると、前期試験の合格発表とは随分と様相が違っている。前期は、もう喜び満載、弾けている。後期は複雑だ。一度、不合格を経験しているのだから、さまざまな想いがあって当然と言えるだろう。目の前の選択肢について考えることは、人生の常であって、時には大きな判断となる。そのような状況に、いま直面しているわけだ。お勧めできることは、とりあえず大学生というものを、早い内に経験してみることだ。お好みに合わなければ、別の道を歩めば良いし、時間の無駄というほどの無駄はないと思う。神戸という街が気に入れば、居着いてしまえば良い。

3 月19日、昔の街並みの写真を見ていると、中規模のスーパーマーケットがけっこう目に入る。同じスーパーといっても、肉に強いお店もあれば野菜のお店もあって、元々は何屋さんだったとわかる店も多かった。今は、特に都会ではコンビニに置き換わっていて、現代の人々が日々求めるものが並んでいる。昭和の末から平成の始まりの頃は、異なるコンビニが並ぶ光景もあった。段々と決着がついて、「この地域のコンビニはこれ」という棲み分け状態になりつつあるだろうか。一方で、何屋さんかよくわからないけれども、オシャレなカフェのような八百屋さんなど、特徴的なお店も増えてきた。新しく下宿を始めた新入生は、神戸の住宅街の街並みを見て、どのように風景を記憶に収めるだろうか?

3 月18日、日常では殆ど耳にすることのなくなった、プロレタリアという言葉、語源について意識したことがなかった。幼少の頃はソビエト連邦もあったし、日曜版の赤旗などから自然に覚えてしまった言葉だからかもしれない。つづりは Proletariat だ。最後の子音を読まないとすると、フランス語的に発音したことになる。検索すると確かに、フランス語を経由した造語で、もともとはラテン語の proletarius だ。女性形主格が proletaria で、女性形複数が proletariae、あれあれ、中性形複数も proletaria だ。階層を示す用語だから、この中性形複数主格から持ち込まれたのだろうか。この用語が使われなくなったのは、対象となる階層の人口比が落ちているからだ。あるいは業態として細分化されているからかもしれない。今の時代に昔の思想家を連れて来たら、現在の状況を何と命名するだろうか?

3 月17日、電動アシスト自転車が普及して、坂道を信じられない速さで登って行く自転車によく遭遇する。神戸大学の周辺の坂道は、かなりの急坂で、アシストがなければ変速機を使っても、そんなに簡単に登れるものではない。そこを、いわゆるママチャリのお母さんたちが、スーッと軽々と進んでいくのは、アシストと頭でわかっていても驚異的だ。バッテリーが切れたら、機械の重さも加わって難儀するだろうなーと、それは原付のエンストと同じか。自転車にも、ハイブリッド車のようなエネルギー回生が可能だとは思うけれども、まだ実際に目にしたことはない。二輪車の発電ブレーキは、転倒の危険があるかもしれない。

3 月16日、酢味噌は便利なものだ、今の季節に新しく伸びた野菜をサッと茹でて、酢味噌を少し。野菜の汁を作るよりも、塩分摂取も控えめにできる。汁は分量が多いから、わずかな塩味でも 1g になったりする。酢味噌で 1g の塩(ナトリウム相当)を摂るのは、かなり難しい。茹でたてというのがポイントで、一度冷やしてしまうと香味が飛んでしまい、より多くの調味料で味付けしなければ物足りなくなる。市販のサラダが、油脂と塩気でボリューム感を出しているのは、仕方がない部分もあるかなー。酢味噌の良い所は、染み込まないこと。表面についたままなので、少量で満足感があるのだ。欠点はというと、ついつい、ご飯を多く食べてしまうことくらいだろうか。

3 月15日、学会が遠隔というのはなかなか便利なもので、好きな所にいつでも参加できるし、マルチ画面という技も可能だ。現代人は、聖徳太子くらいの情報処理をしていることになるのだろうか?(そんな比べ方をすると、バチが当たるか。)学会講演を聞いていて感じるのは、日本語の均一化が進んでいるということ。方言は方言として存在するのだけれども、若い人々は「流暢な標準語」で話すことに慣れている。バイリンガルと言えるだろうか。クラブハウスなど、音声的な SNS の存在が、今後は更に日本語をまとめて行くだろう。文章を書いていて、日本語はもうちょっと言語として簡素化して欲しいなーという所はある。

3 月14日、冷蔵庫を、ほぼ空にする。そろそろ季節の変わり目なので、目新しい食材や調理品を仕入れて気分一新、そんな目標を立てて、ありあわせの組み合わせで朝昼と食べて、庫内が綺麗になった。さあ買い物だ、と、スーパーへ繰り出して、戻って来て冷蔵庫に買ったばかりの食材を詰めると、あれれ、見慣れた光景だ。ついつい、日頃から仕入れる食品に手を出してしまって、新味も何もない買い物となっていたわけだ。何だかこれは、研究にも似ている気がする。目新しいことを探してサイエンティフィックな日々を過ごしているはずなのに、学会の講演タイトルを眺めてみると、いつも同じような発表をしている気がする。

3 月13日、学会のジュニアセッションに参加する。最初の会場にずーっと貼り付いていれば良いのだと思って、次々と講演を聞いていると、あれれ、タイトルが「一覧表」と合わないぞ?と、途中で気づく。あ、マズい、休み時間を挟んで、会場を移動しなければならないのであった。という失敗から、2 つほど講演を聞き逃してしまった。講演では、学校ぐるみでスクラムを組んで準備している手際の良い発表もあれば、素朴な発表もあった。どちらかというと、個人的には素朴さが好きなのだけれども、用意周到な準備を評価しない理由はない。ただ、あまりプレゼン道を持ち上げ過ぎると、誰にとっても過酷な準備の山が更に増える、予算申請のような道が行き着く先にあるわけで、考える所はある。

3 月12日、暖かい雨の日で、またまた下草が伸びてしまった。もう草刈りに入るべきレベルだ。そこに生き物も出入りし始めたらしくて、スズメが地面をしきりに突いている。イノシシがやって来て、あたり一面、掘り返すのは恒例行事。特に、人の気配が消える週末の夜はやりたい放題だ。そんな中、今日は後期入試、受験者の皆さんはどんな心地で試験に臨んだのだろうか。神戸大学に受験に来るということは、合格したら入学してくれるのかな?と期待。どうも最近、記念受験のような書き込みが目立つので、うーんと。なんか、私立に入学することを心に決めておいて、せっかくだから受験するとか何とか。ま、冗談かな ...

3 月11日、後期試験の頃になると、もう春真っ盛り。これから先は、いつ桜が開花するかだ。昨年の桜はさびしく咲いて、さびしく散った。開花は自然の成り行きで、花見は人々の行いだということだ。今年は、花見の祭りは中止という所が多いけれども、去年のような誰もいない光景にはならないだろう。暖かい季節にそこそこ人が集まっても、地方都市ぐらいの人口ならば何も問題にならない。三代都市圏の、人が集中している市街地だけの問題だ。今年の花見は楽しむぞー。酒はなし、会食なし、通り抜けで充分だ。別に遠くの桜を見に行く必要もない。神戸大学の桜は立派なものだ。さて明日は、再び受験生が集まって来る。どんな光景になるのだろうか。

3 月10日、大学入試の合格発表、次々と合格のツイートが上がって来る。見つけたら「いいね」を押してお祝いする。時々、「いいね」の数が極端に少ないツイートもあって、そういうのは用心して調べに行くと、やっぱり合格者ではない「吊り」であることがわかる。合格者に対して LINE に誘い込もうとするツイートも、周囲からは全く反応が見られない。この辺りの感覚は、高校生や大学生から学ぶもので、私たちオッチャン世代は常に何かしら「やらかしてしまう」のである。合格しても Happy ではない、という方も稀に見かける。ここが進路指導というものの複雑な所だろうか。いわゆる仮面浪人は、システムとして出来るようになっているので、仮面ではなく公言して堂々としていれば良いのだろう。なんて、こんな所で書くのが、既に「やらかしてる」のかな。

3 月 9 日、合格発表の日なのだけれども、例年の記念撮影用の掲示はなし。例年の、とは書いたけれども、紙による掲示というのは意味がなくなって来ている、そんな世の中なので来年に復活するかどうかは、よくわからない。紙のカレンダーとか、ポスターとか、段々と見かけなくなって来たなー、それで何の問題もないのだけれども。こうして、何もかもデータ消去とともに消えてしまう世の中なので、大切なことは石に掘って残しておくという習慣が新たに生じても良さそうだ。数学の定理とか、石に彫って海や山に放置する ... いや、それは不法投棄だ。ともかく、何世紀か後に誰かが拾って、歴史遺産と見てくれそうなものが、どんどん埋まっているのは悪くないと思う。

3 月 8 日、今日からは、夜の提灯を巡ってもいいですよ〜という解禁日かと思えば、どうも一気に解禁ではないらしい。横並びで夜の 9 時までという感覚らしい。大学はどうか?というと、あれだけ人を集めて大学入試もやったし、人々が集まる機会も注意ふかくではあるけれども始まっているし、来年は対面授業も一般的になって来るだろう。都道府県の事情によって、レバーの上げ下げをコントロールできるようになったのは良いことだ。何もかも、人が多すぎる東京にならっている理由はない。感染者が数えるほどの過疎地域では、マスクすら不要なのではないだろうか?この一年で、一番よかったことは「せきエチケット」なる言葉が消失したことだ。言うまでもない、ということだろう。

3 月 7 日、魚は鳥の餌だと思っていたら、そうばかりでもないらしい。水際に大きな魚がやって来て、岸の近くにいる鳥をパクリという映像を見てびっくり。確かに水の中は魚の領域であって、空気がないとどうしようもない鳥では、長期戦は無理だ。海に浮かぶ水鳥もまた、大きいほど水中からの攻撃には不利らしい。逃げ足が鈍重になるのだ。潜りが専門の鵜は、その辺りが注意深いらしい。ナマズとサギの攻防の映像も見ていて、真剣勝負ながらユーモラスだ。これらの映像から学ぶことの一つは、強敵が目の前に居ることに、食べられるまで気づかないということ。確か、そんな漫画があったな、寄生獣だったっけ。

3 月 6 日、シュレディンガーの猫という、量子測定の問題設定がある。箱の中に放射線源があって、検出器が放射線を検出したら、機械が猫の頭を叩いてニャーニャー鳴かせるという趣向だ。(ちょっと違うかも ...)さて、機器は古典世界のものなので、それが猫を叩くかどうかは普通の機械の問題であって、量子力学には何の関係もない。というわけで、猫はいなくてもシュレディンガーの猫の問題は成立している。添え物である猫が、なぜか本題になってしまった、妙な事例の一つである。オマケの方が有名な、とあるお菓子と似たような所があるだろうか。検出器がどういうものか?という点について、テンソルネットワークで突き詰めて行きたい。

3 月 5 日、研究は20年も経つと忘れ去られてしまって、また新たに新発見として報告される。そんなことが珍しくない。既に忘れ去られてしまっているので、編集者も閲読者も新発見だと確信して、論文に掲載されることもよくある。そして、そこでまた忘れ去られる道を歩む。何度かの再発見の後に、時流にうまく乗って注目を集めたものがようやく定着して、その頃になってようやく昔の出来事の発掘が始まる。いま我々が日常的に使っている数値計算の手法の中にも、元をたどれば計算機など影も形もなかった頃に、論理的に提唱されたものが結構ある。計算機が広まって、ようやく使われ始めた、そんな計算手法だ。馬鹿げた提案も、たまにはしてみるものだろうか。

3 月 4 日、機械学習の定番ネタとして、手書き数字の自動認識がある。数多くの数字を次から次へと見せて学習させておいて、微妙な文字を見せてどの数字かを判定させるのである。手書き文字なんて読めて当たり前ではないか?と思ったら大間違い、そうではないという事実は数字に接してみればよくわかることだ。期末テストなどで、答え合わせをすると読めない数字には次から次へと遭遇するものだ。昔の銀行は、どうやって運営していたのだろうか、手書きの帳簿なんて、今ではとても考えられない代物だ。シリコンを壊してしまう光線でも出現したら、世の中また原始時代に戻ってしまうのだろうか?昭和の人間は、それでも大丈夫なんだけど。

3 月 3 日、イエペスのギターを久しぶりに聴いた。スペイン語のかすれたような声そのもので、ギターの演奏にも民族性があるものだと思った。ドカッと椅子に座って、あっという間に音楽に入って行く姿はいつ見ても圧巻。ああいう迫力は、あの時代には人々が共通して目指したものだったのだろうか。有名人は揶揄の対象にもなるもので、ゴンザレスによる「愛のロマンス」は、最後にイエペスの幻影を撃ち落として終わる。それにしてもイエペス、老いても指は速いままだ、あの体力はどこから湧いて来たのだろうか?日々の鍛錬を怠らなかったことは見て明らかだ。

3 月 2 日、すごい雨で、朝から靴がぐちょぐちょ、仕方ないから履いたまま乾かす。このモードで乾かしてしまうと、雑巾のような匂いが出てしまうので、どのみち洗濯となる。最近のランニングシューズはよく出来ていて、洗濯機の丸洗い前提で作ってあり、よく汚れが落ちるし、干せばサッサと乾いてしまう。耐久性が落ちたかというと、そんなことはなくて、むしろ普通の革靴の方がずっと寿命が短い。そもそも革靴なんて、もう何年、履いていないのだろうか。コロナの年に、革靴とか背広とか、その辺りも人類規模で考え直す良い機会なのかもしれない。ネクタイもまた、あんな面倒なもの、どうしてわざわざ好んで着用するのか、よくわからないものなー。

3 月 1 日、気がつくと3月。もう講義は終わり、入試も半分終わったし、新入生を待ち受ける季節となって来た。去年はドタバタがあったけれども、もうコロナがあってもなくても世の中、変わらないではないかという定常的なモードに入ってしまったので、今年の新学期は普通に迎えられそうだ。遠隔講義は相変わらず活用されることだろうし、100 % 対面に戻ることは、もう未来永劫ないだろう。それほどに、遠隔講義は便利なものとなってしまった。特に、受講者が非常に多い講義に対して、教室を確保せずに遠隔としてしまう手段が確立できたことが大きい。ハコモノの終焉だろうか。それでも、大学に来て、生協のご飯を食べて欲しいな。


2019
1 月と 2 月 (共通試験編)
2019
7 月と 8 月 (映像収録編) 9 月と10月 (街海散策編) 11月と12月 (風邪感染編)
1 月と 2 月 (暖冬珍病編) 3 月と 4 月 (在宅勤務編) 5 月と 6 月 (遠隔講義編)
2019
7 月と 8 月 (夏空日傘編) 9 月と10月 (残暑熱帯編) 11月と12月 (讃岐行脚編)
1 月と 2 月 (ダイエット編) 3 月と 4 月 (平成令和編) 5 月と 6 月 (講義出張編)

2018
7 月と 8 月 (酷暑昼寝編) 9 月と10月 (神風来襲編) 11月と12月 (国際会議編)
1 月と 2 月 (教務調整編) 3 月と 4 月 (早桜花見編) 5 月と 6 月 (方向解釈編)

2017
7 月と 8 月 (東西行来編) 9 月と10月 (台風暴風編) 11月と12月 (胃痛通院編)
1 月と 2 月 (朝オムレツ編) 3 月と 4 月 (激戦挑戦編) 5 月と 6 月 (研究員待編)

2016
7 月と 8 月 (研究行脚編) 9 月と10月 (技術鍛錬編) 11月と12月 (SLOVAKIA編)
1 月と 2 月 (共形情報編) 3 月と 4 月 (朝型昼型編) 5 月と 6 月 (昼夜逆転編)

2015
7 月と 8 月 (机前執筆編) 9 月と10月 (講義ゼミ編) 11月と12月 (懐古探訪編)
1 月と 2 月 (赤筆修正編) 3 月と 4 月 (客人来神編) 5 月と 6 月 (地球半周編)

2014
7 月と 8 月 (離陸着陸編) 9 月と10月 (玉翠準備編) 11月と12月 (テンソル編)
1 月と 2 月 (雪面滑降編) 3 月と 4 月 (花粉飛散編) 5 月と 6 月 (東奔西飛編)