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3月13日、沖縄の朝は強風。そういえば、滞在している間に歩き回った範囲では、あまり背の高い木は見かけなかった。台風が来たら倒れるか、枝を折られてしまうのかな。空港へ到着すると、海には白波が立っていて、どこかの映画でこの風景を見たことがある ... と思い当たったのが、ひめゆりの塔の最初の映画の冒頭映像であった。この空港がある辺りも、那覇よりも南側の最後まで戦った激戦地なのだ。そこに防衛の要が今もあること、その意味はよく考えるべきものだと改めて思った。単純に賛成・反対と主張するのでは何も得られないのだろう。今を生きたい。と、考えているうちにエネルギーが切れて、沈没。体力をまず蓄えないと。

3月12日、テンソルネットワークについての講義 2 日目。今日は朝から 80 分講義を 4 コマ。こういう時には、喉を潰さないように気をつけなければならない。今日は、Strassen の行列乗算アルゴリズム、カラツバの乗算アルゴリズム、高速フーリエ変換、直交ウェーブレット変換などから題材を選んで、まあまあ詳しく話したものもあれば、キーワードを取り上げたものもある。どれも、1960-70 年代くらいに計算量の削減要請から編み出された計算手法なのだけれども、それらは必然的にテンソルネットワークになっている。自然な形のテンソルネットワークというのは、どこにでも存在するものだという証でもある。そして、本題の角転送行列形式から量子計算へ。最後は体力が尽きたかもしれない。Algebraic Bethe Ansatz と Tensor Network はもう少し掘りたかったかも。

3月11日、沖縄で迎える朝。何だか夜明けが遅い。かなり緯度が西なのだと実感する。そして寒くない。手荒れも治り始めている。ホテルの朝食が美味しい。従業員がハイビスカス模様のシャツを着ていて、リゾートホテル感たっぷり。同じ系列のホテルでも、沖縄に来ると、こうも違うものかとびっくりする。新聞は沖縄タイムス。琉球新報とともに、沖縄を代表する新聞だ。当然ながら、1面の記事編集も沖縄に焦点を当てたものになる。どちらかというと、琉球新報の方が強めの政治主張だろうか。朝の散歩を楽しみたい所だけれども、午前中は web 会議に出席。リモートワークが可能になったので、出張していても欠席できなくなった。昔は、出張を始めた時点で校務は忘れることができたのだけれども。今はそうも行かず。午後すぐに講義。その後はポースターを回った後に、タクシーに乗って訪れるべき場所あり。

3月10日、合格発表の日。これから 1 週間は SNS から目が離せない。偽大学生もけっこう湧いて出てくる。アカウント運用歴が浅いことが多いので、おおよそ見当はつくのだけれども、中には乗っ取りアカウントでヘンな動きを試みる者もいて、なかなか気が抜けない。幸い、生協の偽物はまだ見たことがない。合格者を AI で探そうとしても、それは流石に断られるわけで、探し方だけが表示される。容易にアクセスできる AI には「良心回路」が組み込んであるのだ。それを取り外すと、ハカイダーのような魅力的な AI になるわけで、きっともう存在してバリバリと活躍しているのだろう。さて、今日は火曜日なので arXiv がたくさんやって来るぞ、これも AI サーチに任せたいな。

3月 9 日、arXiv が早い時間に更新されている。そうだ、もう夏時間になったのだ。夏になると時間をずらすという発想は、おそらく高緯度の国々のものなのだろう。まあまあ赤道に近い日本くらいの中緯度だと、夏至の頃はともかくとして、そんなに目立って昼の時間が長くなるという訳でもないので、普通にいつも通り、太陽が南中したらお昼で良い。こう書くと、必ず天文学の突っ込みが入るもので、いつでも太陽が正午に南中するものではないとか、何だとか、コメントが降ってくる。人日に突っ込める隙間を残しておくのもまた、教員の道。そもそも、学問は大きい所から美味しいものだけをざっくりと拾うべきもので、最初から小魚を探して回るものではない。小さいのも、少しは獲っておかないと、日頃の研究費には事欠くのだけれども。

3月 8 日、かんぬき枝は、木の形を悪く見せるものとして嫌われている。ギリシア文字のΨのように、スッと立つ幹の同じ場所から両側へと伸びる枝を思い浮かべると良い。枝は交互に出るのがバランスが良くて、十字の枝分かれは人工的と感じられるものらしい。こうなってしまった場合、どの枝を切って形を整えるかを思案することになる。中を抜くというのが定説で、まあそこは臨機応変に対処するべきなのだけれども、真ん中を切るのが見た目が良いのであれば、そうする以外に選択肢はない。この作業、意外と難儀なのである。ノコギリを入れる場所が空いてないことが多いのだ。そういう場合には、まずノコギリを入れる場所を少しずつ切り開けてから、本番の作業に取り掛かる。何事も凝れば良いというものでもない、気長に取り組もう。

3月 7 日、掛け算は足し算より遅い、と言われる。確かに 202 + 101 は直ちに 303 と言えるけれども、あ、この例だと掛け算も直ちに 20402 になることがわかるか、まあそれでも掛け算は厄介だ。これは桁数によりけりで、1 桁の場合は 2 + 3 も 2 x 3 も大差ない。そこでハタと気づくことがあって、速いとか遅いとか計算速度について言及する時には、数を必ず位取り記数法によって表していることだ。石のように単に目にみえる個数 (?) で表現するならば、2 + 3 は石が 2 個の場所に 3 個追加するだけだし、2 x 3 は 2 行 3 列に石を並べて 6 個の状態にするだけだ。どちらも一瞬でカタがついてしまう。計算を遅くしているのは、位取り記数法なのである ... いやいや、チンタラ石を数えるのが面倒だからこそ、位取り記数法を取り入れているのだから ... うーん、計算量の話は単純ではないような気がしてきた。

3月 6 日、足し算と加法に違いがあるのか? というと、あるような、ないような、何とも言い難い違いがある。単に足し算と言ってしまうと、二つの数を足し合わせて、結果を確認すればそれておしまい。一方で、加法と言った瞬間に群を背景に背負うことになって、数は単に大きさを表すものから、群元に姿を変える。単に整数だけだったら、そんなに目立つ違いではないようにも思うけれども、剰余類とか言い始めると、段々と難儀なことになる。そういう難儀さに首を突っ込まなくても普通に仕事になるのが物理学で、この気楽さからいつの間にか自称物理学者となって、もう何年経つのだろうか。

3月 5 日、電車の駅を降りると、街中がもう卒業式モードになっている。私立高校の卒業式日程はそれぞれ違うので、チラホラとお祝いモードの登下校風景を目にするのだ。大学の卒業式も、そろそろ始まる頃だろうか。こちらは、夜の宴会モード ... というのは昭和の考え方なのかな。ペットボトルの飲料を手にして、その辺りで立ち話しているようなのが今時の風情なのかもしれない。もうすぐ大学の合格発表となる。推薦入学はずーっと前に決まってるから、不動産の引越しなどは、もう始まっているようだ。こういう光景に触れられる神戸という街も、なかなか素晴らしい環境なのだと思う。

3月 4 日、X ポストに、海中を漂うビゲロイという生物の記事が流れて来た。見た目が面白いだけではなくて、ニトラプラスト (?) とか呼ばれる窒素固定の細胞器官が備わっていて、今も進化途上なのだそうな。まあどんな細胞も、その器官も進化の途上であることには変わりないのだけれども、それが始まったのが 1 億年前くらいのことらしい。それはまだ、恐竜が活動していた頃であることを考えると、多細胞生物は細胞の基本的な構造的には進化がゆっくりしているものだと思う。単細胞生物は繁殖のサイクルが速いのかな。人類がうまくノアの方舟を作って、地球の生物を宇宙に広げることが叶えば、この進化は更に続いて行くことになる。そんな平和な社会発展は、いつ頃に達成されるのだろうか? それともスターウォーズに陥るのだろうか。

3月 3 日、今日の夕方は大阪で量子情報についての一般公演。昨日はその構想で、スライドを書きかけて時間切れで睡魔沈没。朝になって、作業続行 ... と思いきや、曇っていたので朝日を知らずにコンコンと寝続けてしまって、ガバッと起きたら既に日は高く ... いや雨が降っているけれども ... ともかく続きの作業に入る。まあ、今回作ったスライドは、バラして沖縄で行う講義の、各コマの枕に使うと良いものに仕上げたつもり。それはそうと、日々の大学業務はあるので、いそいそと坂を登る。今日は風が強い。衛星写真を眺めると、四国の南で雲が渦を巻いている。春先には、こういう前線から少し離れた雲の渦がよくできるものだ。季節は進んでいるんだなー。大阪を楽しもう。

3月 2 日、セミナーで話す内容をどう組み立てようかと思案していて、どうもまとまりが無いなーと思案のドツボにハマって久しく、うーん ... と思う頃に、要するに何か知っていることを語りかけようとする行いに間違いの第一歩があるのだと気づいた。科学者というものは、常に未知に取り囲まれているのだから、近いところも遠いところも含めて、何が未知なのかを拾って語れば、それが夢でありこれから先に人々が歩む道ではないだろうか。未知の道、未知への道、未知との遭遇。あ、映画のタイトルになってしまった。あれは Close Encounters of the Third Kind という原題の意訳なんだよなー、ヤマギワ電気みたいとか言われてたっけ。|未知との遭遇 〉を語って、周囲を取り囲む専門家と共有することにしよう。沖縄での講義もそれで行くか?!

3月 1 日、花壇を見て回ると、すでに紫色のカタバミが広がり始めている。これはツルでどんどん伸びて根を落として行くので、見つけ次第の駆除となる。間違っても花を楽しんだりしてはならない、すぐに実が弾けて大変なことになるのだ。とは言っても、どこにでも生えているものだから、風に乗ってホコリなどと共にタネが降ってくるのは防ぎようがない。対策は草抜きのみ。緑色の、球根を作るカタバミもまたアチコチに。こちらは広がるスピードは遅いのだけれども、独立に球根から生えているので、抜くのが面倒臭いし、残った部分からまた増え始める。もうカタバミの花壇にしてしまおうか。シーズンが終わってツルごとスキ込んだら栄養にもなるし。

2月28日、人間は水平方向とか地面には注意を払うのだけれども、頭上はスッポリと無視するものだ。目が上向についているわけでもないので、何かが落ちて来ても防ぎようがない。自然の中で暮らしていたら、木の上から鳥や動物などが何かを狙うような事もあって、少しは感覚が研ぎ澄まされるのかもしれない。現代の都会生活では、そういう危険も薄い。これを実感するのが、少し高い場所で何かの作業をしている時。すぐそこに、人々が歩いていても、誰も作業に気づかないものだ。知人がやって来ても、気づかれないのであれば、うっかり挨拶などしない方が良い。

2月27日、圧力が一定の条件の下では、温度の異なる理想気体を混合しても体積は変わらない。これは不可逆変化なので、混合によって全体的にエントロピーは増大している。普段はあまり意識しないことなのだけれども、たとえば暖房してある部屋と、冷たい部屋の間のドアを開けた時に、特に圧力変化が起きることはなくて、窓から空気が突然漏れ始めるということもない。これを統計力学的にシンプルに説明してくださいと問われると、しばし考え込んでしまう。そして、圧力がエネルギー密度とリンクしているのが理想気体の「理想的」なところなのだったと、ハタと気づく。熱現象というものに、いかに直感が届きにくいのかを実感する良い例なのだと思う。予備校ではこういうことも教えるのかな。知ってると、ラッキーなことがあるのかも知れないし。

2月26日、学内には色々な鳥がやって来る。最も近づいて来るのが鳩で、いつも地面で何かを探している。そんなに美味しいものが転がっているのだろうか。カラスは常に少し高い場所にとまっていて、何かを見つけたようにサッと飛び去るか、ゴミ袋などをあさりに行く。ハクセキレイは、時々その辺りまでやって来て、尻尾をパタパタと振る。あれは何のサインなのだろうか。ヒヨドリは雑木の頂に近い場所で、その名前の通りヒーヨと鳴き声をあげる。低い植え込みの中でゴソゴソしているのはスズメ。いつも何かに襲われる危険と隣り合わせかも。時々、カワセミのような青い鳥を見かける。あまり近づけないので、正体は不明だ。春になって、それぞれに一息ついた感じで伸び伸びと活動している。ちょっと羨ましい、仕事の一日。

2月25日、雨の一日。昨日の夜から降り始めて、今日の夜まで 24 時間ほど振り続ける雨、期待どおり花粉を洗い流してくれた。これは快適。畑の作物もどんどん伸びている。あっと思うのが、菜葉の仲間の塔立ち。花の部分は食べられても、外側はどんどん繊維質になって、最後は葉枯れしてしまう。食べ切れない分は、もう菜の花畑にしてしまおう。そのうちチョウが飛んできて、にぎやかな畑になる。有機循環農法と言えば聞こえがいいけれども、要するに食べられない植物質のものは全て土に戻してしまうのが、海辺で営む小さな畑。潮風が吹いて、マグネシウムだけは事欠かないのが良い。春のジャガイモも、もう植えていいかな、小さいものがあれば買って来よう。

2月24日、大学生らしくない面々がキャンパスをあちこち、慣れない様子で歩いている。明日は2次試験、その下見にやって来ているようだ。今日は春の陽気、歩いて六甲山を登るには、少し暑かったかも知れない。明日は雨上がりの日になるらしくて、それでも今日と同じくらいの気温まで上がる予報になっている。試験の日に、それなりに湿度があるのは悪くないと思う。花粉や粉塵も飛びにくいし、風邪にかかっていても喉の不調が少しは軽くなる。一般入試は一発勝負とも言われるけれども、丸一日かけて取り組むので、取りこぼしがないように細かく詰めることも大切。そこは答案の書き方指導が大切だと思うのだけれども、予備校みたいには丁寧にやってくれないかもなー。

2月23日、建国記念日。心なしか国旗を掲げているお店が目立つ気がする。日の丸は長い歴史の中で段々と使われるようになって来たもの。生まれた時から (?) そこにあったもの。自然に受け入れて良いのではないかと思う。今日は畑から少し離れて、庭木の手入れ。金木犀の幹から芽が吹き始めたので、これまで切れなかった立ち枝を抜く作業に没頭する。金木犀は放置すると丸く育つ木で、小さく管理する場合にもそういう樹形そのままで縮小したいのだけれども、これまでの経緯などからスッと垂直に細長く管理されて来た。これを拡がりのある木に戻すには、まあ数年は軽くかかる。気長に手入れしよう。

2月22日、オリンピックが終わる。今回は、あまり競技を見なかったなー。テレビの衛生 (?) 中継を眺めなかったのも、一つの理由だろうか。そんなの配信で、と思うかもしれないけれども、配信のコンテンツは多岐にわたるので、その中で特に時間をかけて視聴するという選択に至らなかった、ということだ。そういえば、サブスクの利用料金に比べると、いわゆる受信料というのは法外に (!) 高価だなーとも、今となっては感じる度合いが強い。巨大な組織だけに、人件費がバカにならないのだろう。まあ、何かを視聴しなければ生活できないわけでもない。物理を考えるのもまた楽しい、という生活に戻る準備も怠らないでおこう。たぶん、純粋に戻ることはないだろうけれど。

2月21日、休日になって、大手を振ってノコギリが使えるようになったので、昨日の続き。何をどうすれば良いのかは、だいたいわかって来た。ともかく絡んでいる枝を、目立つ所から次々と躊躇なく抜いて行けば良いのだ。作業が進むと、あちこちが幹だらけになる。それが当座の目標。ロベリアやモッコクは、成長が特に速いわけではないのだけれども、光が当たれば幹から確実に芽が出てくるので、どこまででも切れる。広葉樹は、この辺りが管理し易い。ただ、ザッと眺めて千本くらいは枝を払う必要がある。気長に取り組むのが吉、短気は厳禁。

2月20日、職場の生垣を眺めていて、どうも大きくなり過ぎているなーと感じ始めたのが昨年のこと。安上がりに生垣を管理しようとすると、トリマー (バリカン) を使って、毎年のように定形に刈り込むのが定番作業となる。その管理で大きさを一定に保つのは難儀で、大抵はじわじわーっと大きくなって行く。しかも、複雑に絡んだ細い枝が内部に密集した状況となる。改善するには、枝抜きする形で剪定する必要がある。どう拔くかが問題で、パッと見では手順が見えて来ない。しばらく作業をしていて気づいたことは、根本から切って行けということ。そこがスッキリしていなければ、上の方まで矛盾が残ってしまい、うまく治めることができない。というわけで、ノコギリを持って、あちら、こちらと切って行く。これはしばらくかかるなー。

2月19日、毎日のように会っているけれども、名前が思い出せなくなる現象、ある年齢から増えてくる。面と向かって話している人が、誰かはよく知っているのに、名前だけ (?) が、どこかに引っかかっていて、出てこない。これは単純に忘れているというよりも、複数の経路で頑強に結びついているはずの記憶システムに、けっこう沢山の穴が空いている証なのだろう。昨日はその逆に、毎日会っているはずの人の名前を聞いても、その人に思い当たらないという事例に遭遇して、自分的にはけっこうショックであった。芸能人の名前とか、自動車とか電車などの名称だと、そういうパターンの忘却はあってもおかしくない。今までは自然に覚えて来たことでも、還暦を過ぎると努力が必要になるのだろうか。やがて周囲の人々から、「そういえば、あの頃から既に ...」などと語られる入り口に立っていそうで、命を削るような不摂生はダメだなーと実感した。まだ若干年は教員として働かなければならない。

2月18日、玉ねぎから青葉が出て来たので、外側は美味しくいただいて、真ん中だけを植木鉢に軽く乗せる。ねぎ類の強さは根にあって、早々に根を広げて、更にどんどん伸びて行く。この先、ねぎ坊主が出たら、脇芽を伸ばして株分けする。自然のままでは、あまり広がらないのが玉ねぎの慎ましい所なのかも。あ、ねぎ坊主からタネが飛ぶ増殖のパターンもあったっけ、そちらは大きく育つまでに時間がかかるけれども、運が良ければ数メートル先から芽が出てくる。こうして繁殖を続けるネギたちの弱点は真夏の休眠期。それまでに十分に育ったら、収穫していただく。そして、また芯だけ植えて ... の繰り返し。畑の土の恵みは尊い。

2月17日、朝になって X を開けると、冬季オリンピック一色。あちらの夜に行われる競技は、こちらの早朝になる。on time で視聴するのは、ちょっと苦しいので、タイムシフトして朝遅くになってから、リプレイで閲覧する。オリンピックは一発勝負なので、色々と番狂せがあるものだ。また、そろそろ国会が始まるので、政治の方も次々とポストが巡って来る。いまは X 界隈が政治の主戦場になっているし、それに対応していない党から票が取れなくなって退場となるか、あるいは一部のコアな支持に頼る、残存者利益へのシフトとなる。大学で勤める身としては、マジョリティーに追いつかないとなーと、あれこれ勉強する。

2月16日、春がやって来て雑草が大きくなるスピードが速くなっている。草は光合成によって大きくなるので、数学的に考えると最初のうちは指数関数的に育つことになる。いわゆる倍々ゲームという増大で、油断すると雑草だらけになってしまう。そこで目立つものから抜いて行くのだけれども、そこは自然の仕組みの巧妙なところ、抜いた雑草のすぐ横に小さな芽が顔を出している。こういう芽は、陽が当たらないと枯れてしまう運命なのだけれども、このように上が抜けて日光に当たると伸び始める。あまりに小さいと抜くのも面倒なので、しばらく育ったら抜くことにする。こうして、草抜き作業は延々と続くのである。

2月15日、改憲が話題となっているので、憲法の全文を読み返してみた。「行ふ」とか、小さな「っ」が全て「つ」になつているなど、古い言い回しが残っていて、こういう所は一括変換で良いのだろうと思う。付則も必要ない気がする。パッと見渡して、やっぱり自分は法律の専門家じゃないんだなーと実感する。立体感が浮かんでこないというか、そんな条文がわざわざ書いてあるのは何故なのだ? ということが、大きな法体系の中から見えてこないのだ。法学部でたくさんの法律を学んだ人々には、たとえ法曹の人々でなくても、より有機的に見えるものがあるのだろう。あ、そうだ、こういう時こそ AI だ、「日本国憲法はどんな構造になっているのですか」とか聞いてみよう。... 時間がどんどん AI に吸い込まれて行く ...

2月14日、自宅の門前に植えてある杉の木を剪定した。この時期が、剪定できるギリギリで、もう少し遅れると花粉だらけの作業となる。一年間に伸びただけ切り戻す必要があって、しかも風通しや日差しが透る隙間も考えての作業となる。普通に丸く刈り込んだだけでは、当然ながら日陰の枝葉は枯れてしまって、表側だけに葉がついたヘンテコな木になってしまう。また、針葉樹は一度枝まで刈り込んでしまって葉がなくなると、その枝は枯れてしまう。というわけで、日向側はスカスカに、日陰側は適度に葉を残して、花粉が出ないように花芽がついてそうな伸びた枝は全部伐採。こうやって、大木にならない範囲で樹木を管理するのが庭木の基本。街路樹に針葉樹を使わないのは、この面倒臭さ故だろう。

2月13日、専門に関係したディスカッションを2件、土曜日に行う。平日だと、長い時間を使っての議論は難しいものだ。そこで改めて感じたことは、物理学というのは大きな科学の体系の中にあるものだということ。科学に密接に関連した分野として工学、医学、農学、土木建築などがあって、そちらでは応用が中心的な課題となる。どちらかというと、定式化されたものを使うのがこれらの応用分野の特徴で、そもそもの定式化を疑ってみて、あらゆる角度から実験的に検証するという科学の慎重さとは文化的なベースがかなり違う。そこを埋めて行くのも科学者の勤めなのだろう。今では AI が結構、そんな普及活動を助けてくれる。何というか、実際に議論している人々の誰よりも AI が博識なご意見番として控えていて、AI 様のご宣託となると、誰も文句が言えないのである。誤宣託ということも、現在では珍しくないけれども。

2月12日、六甲登山口交差点には大きな楠がある。消火栓の備えられた一角が、ロータリークラブ寄贈の緑地になっていて、そこに生えている。植えられたものか、それとも自然に生えたのかは知らない。そもそも六甲登山口は名前の通り山への入り口で、そこから先は森になっていたのが本来の姿。バブルの頃までに山際へと宅地開発が進んで、今ではすっかり住宅地の交差点と化している。さてその楠、樹医の見立てでは倒木の恐れがあるらしく、近く伐採となる。これは街路樹の宿命。小さい内に最終的な大きさを想定して剪定しておけば、倒れるまで大きくはならなかったろうに。とは言っても、放置するとタダ、剪定すると有料。税金を垂れ流すのもまた良くないことだ。

2月11日、建国記念日。朝は雨で、畑の水やりが助かったので、春眠暁を覚えず。昼頃になってゴソゴソと活動を始める。冷蔵庫には、ご飯に乗せる系のおかずが積もっていたので、お米を研いでご飯を炊く。今日は、少しだけ残っていた餅米もブレンドした。けっこう主張が強いのが餅米の特徴で、そんなにたくさん使わなくても餅っぽいご飯になる。そして柑橘。スイートスプリングを切り分ける。この蜜柑は皮が厚いのが特徴で、丁寧に切り分けると重量の半分くらいが皮だ。それはそれで、良い有機肥料になるので、適当な大きさにハサミで切って、木々の根元に撒いておく。あんなに分厚い皮も、水が抜けてしまうと葉のように薄くなってしまうのが不思議。

2月10日、暖かい朝を迎える。日陰には、まだ雪から氷に変わったようなものが所々に残っている。無風なので、日向に出ると既に暑い。節分というのは言葉の通り、季節を分かつものだと実感する。木々を見て回ると、もう芽が大きくなっている。樹液が根本から枝先へと流れつつあるのだ。太陽が幹に当たって、温度が上がるのがスイッチになっているのだろうか。これから先は木々を剪定する前に、芽をよく見なければならない。捨てられた芽もあって、小さく縮んでいる。そういう枝はバッサリ切っても問題ない。伸びそうな芽のついた枝は、しばらくそっとしておく。色々と考える所があるのが、この季節の畑と庭だ。

2月 9 日、朝の坂道は完全に凍結。単に凍結しただけの路面は意外と歩きやすい。バリバリと音を立てて歩くのは、雪国みたいでなかなか面白い。難儀なのが、交差点などで遭遇する黒いツルツルの氷。この場所だけは、用心して歩く。太陽が高く上ると、あっという間に融けてしまうのが南国の雪と氷。昨日の寒さを体感した後の晴れた陽気は、とても暖かく感じる。選挙が終わって、これからは静かな雰囲気で早春を迎えることができるのも、ありがたいことだと思う。駅立ちする政治家もさまざま、当選した人あり、落選した人あり。まあ無理無理な枠組みで当選したら、落選するよりも難儀だから、みなさん落ち付く所に着地したのだと感じる。

2月 8 日、選挙サンデー。ともかく雪。海辺までこんなに雪が降ったのは何年ぶりだろうか。雪だるまを作る気にもならないくらい寒い。スキー場は綺麗なパウダースノーになったのだろうなー。夜8時になって投票箱が開けられて、世の中が SNS で感じていた通りになった。テレビとか新聞は、それらが SNS へと二次利用 (?) されない限り、もうこれからは目にしないような気がする。夜半になって、標高ゼロでも気温が氷点下になったので、給湯器が凍結しないうちにシャワーを浴びて、さっさと布団に潜り込む。なんか寒い。地面から床へと寒さが伝わっているのだ。あ、物理屋なら熱流で説明するべきか ...

2月 7 日、授業参観へと行く。じゃなかった、見学授業だった。テーマは水の比熱を求めること。これは意外と難儀な課題だ。そもそも比熱とは、水を準静的に加熱する過程の物理量として定義されている。準静的な過程など実現できるはずもなく、学校の理科室という高度に非平衡な条件の下では精密測定は夢のまた夢。その困難の下でも何とか工夫して、あるいはデータ解析によって、ひと桁くらいの精度は保ちたい所なのだけれども、実習結果としては遠く離れた値も報告される。何が原因でそうなった? どこを改善するべき? と、色々と考察してしまった。これこそ、授業参観での学び。いや、いや、授業見学での学び。

2月 6 日、小豆島からいろいろなオレンジが届く。毎年、この時期だけいただける、とても香りの良い果物だ。外側の皮を丁寧に包丁でむいて、芯の部分も切り取って、バラバラにして薄皮を取れば出来上がり。オレンジの香りの大部分は皮の部分にあるので、身だけをいただくと少しだけ香りの強いみかんのような感じとなる。作業の間にあたりを漂う柑橘系の香りが雰囲気作りとしては大切なものなのかも知れない。このフレッシュさは日に日になくなって行くので、届いた果物はサッサと消費してしまう。少しずつ種類を変えつつ、2 月中は柑橘の果物を楽しめるかな。

2月 5 日、陸軍林飛行場とともに香川県に跡を残すのが詫間海軍航空隊。ともに今日では工業利用されているのは偶然ではなくて、そもそも社会インフラとしてアクセスの良い場所を選んだ結果だろう。中学生の頃に技術を習った先生の親戚が海軍のパイロットだったとのことで、制空権が奪われた頃に米軍機と遭遇して、島陰をぬって離脱したという話を又伝えで聞いたことを、ふと思い出す。その中学校の敷地が、実は技術科の先生に縁のある農地だったと知ったのは随分と後のこと。そういえば、建物の図面を描いては「大学の先生に突き返された」とボヤいてたなー。うどん一杯には記憶が詰まっているものだ。

2月 4 日、百貨店の四国フェアで、うどん屋さん「うどん田中」を知った。1989 年から郵送を始めたとあるので、それ以前からあったのだろう。昔あった「林の飛行場」のすぐ南に位置しているので、同年に空港が「たま・たけもと地区」へと移転したことが契機なのだろうか。生うどんを購入して茹でてみると、とても簡単に茹で上がるのに驚いた。こういう、生あるいは半生麺で結構ありがちなのが、麺がくっついたり、折れたりすること。田中のうどんは折れたり切れたりしないし、打ち粉が澱粉質でたっぷり振ってあって、熱湯に入れて軽くひっくり返すだけで自然にほぐれて行く。もうリピーターになるしか選択肢はないのである。次はどこで販売するのかな?

2月 3 日、節分の日。今日は穏やかな晴れで、日差しも充分にあって暖かい。こういう朝には根気のいる作業も少しばかしこなす。ここしばらく気になっていたのが石。枯れ木を引っこ抜いたりしている内に、辺りが石だらけになってしまったので、鍬を入れた時にカツンと当たることもしばしば。その度に拾っては捨ててという事を繰り返している内に石の山ができてしまった。どれも立派な御影石らしいので、ホースで水をかけて洗ってみる。角張っているものは下地に、形が良くて適度に角の丸いものは玄関前の石畳の仕上げに、全く丸いものは玉砂利の周囲にアクセントとして並べる。適材適所とはこのことで、卒業・修了の発表準備を補助する時にも、同じようによく個性を把握してからコメントを添える。昔みたいにダメ出ししたら、今はハラスメントだ。

2月 2 日、iconservices agent の暴走が始まったので、クラッシュレポートをそのまま AI に入力すると、お達しは /Library/Caches/com.apple.iconservices.store を消去せよ、というキャッシュクリア。これを行って再起動すると、確かにしばらくの間はおとなしくなる。ただ、恒久的な解決とはならず、しばらく作動させている内にクラッシュが再現する。原因は別の場所にあるんだなー。ともかく、今までは読むのが大変であったシステムレポートに AI の光が当たったのは大きな収穫で、これから先は Linux 遊びをするにも、まずは AI という時代がやって来るのだろう。

2月 1 日、今日が唯一の選挙サンデー、各党を見て回る。候補者の演説よりも、そこに集まって来ている人々の層や、ビラを受け取る人、断る人の素振りなどを観察するのが面白い。ビラ配りに対して、アッチへ行けといった身振りをするのは高齢男性にありがち。あれも一種のハラスメントなんだけれど、そういう事が認識される以前の世代なんだろうなーと思う。政党によっては、支持者の年代がハッキリしている所もある。既に老年に分類される私、そうではあっても、老人クラブと化した所でウロウロとはしたくないのが心情。日頃の職場が教育現場なので、やっぱり感覚的には大学生のままなのだと思う。

1月31日、ようやく週末になったので、じっくりと畑仕事 ... いや寒い。ちゃんと防寒の野良着を揃えておけば良いのだけれども、そこは農家でもない家庭菜園家、色々と道具を買い求めると、あっという間に小さなガレージが農機具で埋まってしまう。というわけで、ナンテンの株分けをちょっとだけ行う。ナンテンはメギ科の低木で、根本から幾らでも新しい茎が伸びてくる。掘り出してみると地下で枝分かれしていて、それぞれの茎からも根が新たに伸びている。そこをパキッと割って、それぞれ苗床に植えると作業完了。春になって根が充実したら、目的の場所へと移植しよう。

1月30日、朝の畑をよく眺めると、所々に雑草が顔を出している。放置して良いものは放置して、適当な時期に耕して有機分になってもらう。ただし中には、ちょっと手強いものもある。イネ科の雑草は、種類によってはどんどん株分かれして行って、一面が草だらけとなる。そういう種類のものは、直ちに抜く。一気に引っ張ると手首や腕や足腰を痛めるので、じわじわっと土を浮かせながら、根を全て引き抜く。作業している内に雲が多くなって日照が途切れ途切れに。こうなると、冬の寒さを直に感じるようになるので、撤収して職場へ。そうこうする内に空が鉛色になって、雪が舞い始めた。陽光は戻って来ても、まだまだ寒い季節なんだなー。

1月29日、春眠暁は流しの選挙カーからの連呼で明ける。今度の選挙ばかりは、一体誰が当選するのか全く読めない。今日は姫路と垂水に首相がやって来るのだそうな。それが終わると、橋を渡って徳島へ。政治家は大変だなーと思う。移動中が休息時間なのだろう。大阪からは吉村知事が兵庫入りする。1区から12区まで、ともかく与党が強いのが特徴だけれども、その中でも自民党と維新の切磋琢磨はあるし、区によっては野党の組織票も強い。こうして要人がやって来るということは、ギリギリの所でテコ入れしている証だ。いくら票を取っても負ければただの人。このあたりは受験生にも通じるものがあるのかな。

1月28日、畑を眺めていると、あら雑草が枯れている。カラスノエンドウなど、春に伸びる雑草が新年の暖かさでどんどん育っていたのが、この所の寒波で凍結して萎れてしまったのだ。そういえば政治の世界でも、こういうことは良くあるものだ。風が吹いたら、立候補すればするほど議席が伸びることもある。風向きが変わると、目立った活動をしていなかった議員さんは次の選挙で落選してしまう。目立つというのが大切な所で、立法府で真面目に議員活動していれば良いというものではない。日頃から選挙区で有名人でなければならない。名士たれということかも知れない。それにしても沢山の候補者がいるものだ、今度の選挙は誰に投票しようか。

1月27日、衆議院選挙が始まる。朝から海辺にも選挙カーがやって来て、候補者名を連呼して去って行った。最寄駅は田舎なので閑散としていたけれども、三宮はもう選挙そのもの。これは面白いと、六甲道駅に向かうと選挙区の前議員さんが朝立ちの挨拶中。そこから歩いて六甲駅にやってくると、こちらもオレンジ色の党がビラ配り中。選挙でお金が何百億円も飛ぶという話もあるけれども、「まつりごと」と呼ばれるように、これほど面白いエンターテイメントは無いのだから充分にお釣りが来る。あ、今はデジタル決済なので、お釣りという言葉も使われなくなるのだろうか。ともかくも、2週間弱をフルに楽しみたい。

1月26日、普通に手に入る範囲で最も精巧な時計はクォーツ時計だろう。その中には、水晶で作られた小さな音叉のようなものが入っていて、高い周波数で時を刻んでいる。その発信数をどうやって調整して工場から出荷しているのかは、たいていの物理屋さんにとって謎なことだろう。私も聞いたことがない。音叉は音叉なので、温度が変わって熱膨張すると周波数が変化するはずなのだけれども、室温のあたりで温度変化が小さくなるように色々と工夫しているらしい。そうやって精密な仕組みを作り上げた上で、電波時計の機能を使って、実質誤差 0 という時計も最近では普通の存在となった。テクノロジーの進化は凄いなー。

1月25日、思い立って卵焼きをたくさん作る。少ない量の卵も、卵焼きにすると結構な分量となる。断面を眺めると、空気が結構入っている。それがケチ臭いというわけでもなくて、食べてみるとしっかり分量があるのが不思議なところ。卵を返すのには、加速度をうまく使いこなすことが大切だ。ほとんど無重量状態となる加速の下で、少しだけ箸を使うとクルリと卵の向きが変わる。最初は裏返し、少し大きくなってきたら 1/4 周まわして角を整える。そして皿に移して、冷蔵庫で放冷。冷えたら、キッチンペーペーに包んで、ラップかけして、再び冷蔵庫へ。何の味付けもないのも、まあ悪くないかな。

1月24日、ポートアイランドにあるプラネタリウムへ足を運ぶ。ポートピア博覧会から引き継がれた道路や建物が今もインフラの核となっているのがポートアイランドの特徴で、どこを歩いても、万博の跡地という風情がある。プラネタリウムは科学館の中にあって、何年か前に投影設備を更新したのだとか。映し出される星々の映像は、なかなか美しいものだった。見え過ぎというか、人工の光がなければ、ここまで美しく星々が見えるのかとも。メシエ天体がゴロゴロと肉眼で見える。今日は、この星々と共に Acherie の歌を聴いた。音楽が流れている間も、どの星がどの星座と気になってスクリーンを眺めていたのは内緒。

1月23日、さらに凍結の朝。アメダスによると、神戸気象台では午前 3 時頃には氷点下となっていたようだ。海辺はもう少し暖かいはずなのだけれども、完全に凍結。散水ホースも凍ってしまって、今日は何もできない。こういう時に湯をかけると、配管が破裂したりする。配管修理の詐欺も、こんな日にやって来るらしい。わざと水を流しておいて、配管が壊れました、修理しますという算段だとか。詐欺よりも効率的な仕事は幾らでもあるはずなのだけれども、適材適所で働いてもらえるような社会にはなっていないということだ。この辺りの人材掌握は AI の出番なのかも知れない。選挙の争点でもあるのかな、人々の平穏な暮らしは。さあいよいよ解散総選挙。演説を聞きに行こう。

1月22日、風が緩い、放射冷却の朝は氷点下になった。一見すると地面が乾いているようだけれども、よくよく眺めると凸凹していて、霜柱が立っている。凍結した地面も少し掘ってみると普通に湿っていて、この部分から地表へと水が運ばれて行くのだ。そんなわけで、解凍が必要な場所だけに少し水を撒いて、さっさと畑仕事から撤収する。自給自足するには少し狭い畑なので、やがて退職する時にはどこか広い場所へ移るのが良いのかも知れない。パッと見渡すと、放棄された農地も目立つには目立つのが今日の日本。ちゃんと所有者がわかっているのかなー、明治維新以来の面倒な土地登記のシステムも、そろそろ改革するべきなのではないかと思う。もう始まっている選挙、候補者に出会えば色々と意見してみよう。

1月21日、大寒の日。昨夜は雪が舞っていたので、今朝はさぞ寒かろうと思っていたけれども、水道が凍結するような気温にはならなかった。風もまあ落ち着いていて、普通に冬の日といった感じ。今日は arXiv の論文数が多い。というのも、19 日がキング牧師の記念日でアメリカの祭日、その影響で昨日の火曜日に arXiv がお休みとなったことから、今日は 3 日分くらいのプレプリントが上がって来ているのだ。こういう日には、はっきり言って何のためにプレプリントに目を通しているのか訳がわからなくなる。arXiv の中から何かを探す作業も AI 化しないとだめかなー。

1月20日、暴風の朝。畑が乾いている。寒い日というのは絶対湿度、つまり空気中に含まれている水蒸気の量がとても少ない。そこで風が吹くと、どんどん地面が乾いてしまうのだ。当然、枝葉からも水分を奪って行く。ある意味、真夏よりもずっと注意が必要で、うっかり作物の枯れそうなサインを見落としてしまうと、夕方には葉先が萎れ始めてしまう。というわけで、朝から散水。風上から散水しないと、噴水のような水しぶきを浴びてズブ濡れになってしまう。けれども、風に吹かれるとあっという間に乾いてしまうのだ。ひと仕事終えて職場にやって来ると、電動車椅子や自転車、キックボードなどの体験会が開かれていた。キックボードに試乗させてもらう。感触としては、電動ではない、ニュートラルな瞬間の方が直観的で動かしやすい。自動車のように駆動系に VVVF でも入ると、もう少し乗りやすくなるのだろうか?

1月19日、天気予報によると春は今日までらしくて、このあとは寒波が入って月末まで寒いらしい。阪急六甲に降り立ってみると、何だか普段とは雰囲気が違う。今日は休講日で学生の姿が少ない。加えて、六甲八幡神社で厄神さんのお祭りが催されている。というわけで、少し寄り道。昔は何だか大きなお祈りをしたような覚えもあるのだけれども、今はもう日々の平穏を祈るばかりだ。今日は琴平宮も扉が開いてお供え物も並んでいて、故郷を思い出してお祈り。お寺にお参りしているわけではないのだけれども、去って行った面々が心に浮かぶ。今が大切なのだと金比羅さんからのお達しだろうか。ぼちぼちと歩いて丘を登って、緩やかな雰囲気の職場にたどり着いた。

1月18日、やんごとなき業務の 2 日目。昨日は誰もがピリついていて、自分もその緊張を身にまとってしまった。そのまま今日も続けて、そんな雰囲気なのだろうかと気にしつつ現場に入ると、あら肩の力が抜けて人間味があるというか、慣れてしまったというか、とてもリラックスした雰囲気になっていた。こういう場所では、働くうちにどんどん疲れが取れて行く。今日は日曜日なのだという、本来の緩やかな空気へ戻って行くように感じた。明日はもう月曜日なのだなーとは思うけれども、そういう忙しさに直面できるのもあと何年かのことで、仕事があることに感謝したい。若い人々が次々と、楽しそうに坂道を降りてゆく姿は神々しかった。

1月17日、とあるやんごとなき業務へと朝から出向く。今日は震災の日でもあって、土曜日の朝だけれども三宮の乗降客はけっこう居た。看板持った人が居たら嫌だなーと思いつつ歩くと、要所要所に警官が立っていて、来賓も来ることから、それなりに警備には気を配っているらしいし、実際にヘンテコな面々には遭遇しなかった。総選挙が近いので、朝立ちして演説している政治家も。左派、中道、右派という言葉も耳に入るけれども、今の時代、そういう区分ではないのだとも感じる。若・壮・老で人々の考え方が分かれてしまっている気がするのだ。どの政党も、この辺りをうまく切り分けられていない。単に融合と配慮ではもうダメなのだと思う。

1月16日、今日はとても暖かくて畑作業も楽々 ... と思っていたら、目の前を右へ左へとうるさく飛ぶ小さな虫が。これはブユ。ふわりと暖かくなった風のない日に出没する、とても厄介な虫だ。ヤブ蚊のような禍々しさがなくて、一見すると可愛いのが油断を呼ぶのだけれども、無視して作業を続けると必ず刺される。けっこう大量に (?!) 血を吸うので、吸血中に見つけて潰すと手のひらが血だらけになってしまうのだ。いまブユに付き合う暇はないので、作業を早々に切り上げて、電車に乗る。見渡す景色で気になるのが、クレーンの数が少ないこと。ちょっと前まで、あちこちにクレーンが立ってマンションが建築されていたのに、パタっと建設が途切れたようにも見える。不動産バブルが終わりに近づいているのだろうか。

1月15日、お正月が明ける。これから先は春節へと向けて、中華圏からの論文投稿が少し減る。arXiv の論文数はどんどん増えていて、人口が多い地域が発展して物理学者の総数も底上げされていることがよくわかる。これから先はインドなのだろうか。南米もかなり目立つようになった。物理学者になれる自由が低緯度の国々にあまねく広まると、arXiv への投稿数は今の 10 倍に達するのではないだろうか。そうすると、もう目で眺めてチェックできるものではない。時を同じくして AI が立ち上がるのは自然の成り行きだったのかも知れない。そんな事をぼんやり考えつつ、目の前に並ぶ arXiv 論文のチェックを今日も行う。

1月14日、平らに塗装しようとして、塗料を盛った面にやすりかけしても、なかなか平らにならない。原因は、塗料の粉の目詰まり。ヤスリの上に塗料が塊となって乗ると、うまく研磨できないのだ。どうしたものかなーと数日、思案しつつ、塊を取る別の面を用意して交互にやすりがけしたり、工夫したつもりだけれども、何かがおかしい。そういえば、ギター制作の現場では最後に水をかけつつヤスリかけしていた。試しに、少し水を落としてやすりかけしてみると、あらびっくり、塊になる問題が一気に解決して、塗面も綺麗に平らになった。また、粉も飛ばないので作業も綺麗にできる。これがノウハウというもので、いわゆる「目で盗め」というものなのだろう。とてもよく削れるので、今度は削りすぎに注意しなければ。

1月13日、暖気が入った後にプチ寒気がやって来る時雨の1日。今日は火曜日なので arXiv 論文が昼過ぎに出る。それまで畑作業でもしておこうか? と思うのだけれども、日照がないと寒いので億劫さが先に立ち、ダラダラと過ごす。群馬県の前橋市の選挙結果で世の中が騒がしい。今までのメディアによるスネ傷探しと政治家の追い落としに、人々が飽きて来たということなのだろう。その先駆けとなったのが兵庫県知事選挙で、今は粛々と財務の健全化も進んでいるのだから、人々の選択には理があったのだと感じる。そんな思い返しをしている間もなく、総選挙が近づいてきた。国政がどういう構図になるのかが焦点だけれども、どこの政党でも世代による乖離が激しいのだと思う。世の中、テクノロジーの進化が速すぎるのだろうか。何とかして追いつこうとするのが、我々、濡れ落ち葉世代だ。

1月12日、氷点下の朝 ... ではなかった。日付が変わる頃の神戸気象台は 0 度を示していたのだけれども、その後はじわじわーっと気温が上がって、朝には 2 度くらいまで上がっていた。今日は適当に西風が吹くけれども、10 度弱くらいの暖かさにはなるらしい。何よりも、日差しがもう戻り始めていて、日向で畑作業していると暑さすら感じる。人類の発展はこのように農作業から始まって、やがて AI ロボットへと引き継がれるのだろう。祭日で飛んだ月曜日の講義は水曜日に実施となる。もうイジング模型も相転移も終わってスケーリングも概略を話したから、後は何でもアリの状態だ。物性にわけ入ることも可能なのだけれども、それは物性物理学の講義範囲になるのかな。今日のうちに考えを練っておこう。

1月11日、クラフトにカシュー塗料を塗って、作業が終わった所で缶が転がるトラブルが。カシュー塗料は粘度が高いので、こぼれた量は少なく、また回収も容易なのだけれども、問題はその後の始末。紙で拭って、最後に薄め液で乾拭き (?) して。気がつくと、手にも塗料が付いていた。これも薄め液で取れるには取れるのだけれども、それは手荒れに直結するし、健康にも良くない。ワセリンを塗って取れるかなーと思いきや、これもダメ。でも、ワセリンを塗った手にミントスプレーをかけてみると、あらあら、面白いように溶けて行く。これは新しい発見であった、さっきの掃除もメントールで済ませれば良かったのかも。

1月10日、暖かい1日。思い立って、某所の庭のプチ改造をする。白玉石が置いてある場所なのだけれども、下地が土の場合には、年々埋まってしまって、最後は土の上に白玉石が少し顔を出したような感じになってしまう。これでは宝の持ち腐れだ。全部掘り出して、一度普通の小石を適当に敷き詰めて、その上に白玉石を並べ直して、最後に散水して洗浄。丁寧に作業するならば、洗浄が先になるはずなのだけれども、そこは少しだけ手抜き。洗い落とされた泥は下地の小石の隙間に入ったことだろう。白玉石は石英なので、散水して乾かしてを繰り返すことによって白さが増す。時々は様子を眺めることにしよう。

1月 9 日、連休前の金曜日になって、すでに朝から週末感が漂っている。大学で過ごしているからなのだろうか、新成人となる低学年生が頭髪を整えている割合が高いような気がする、いやいや、本当に目立つ。すでに今日から新成人を祝うのだろうか、パーティーに赴くような姿の方々も。無敵の強さというか、天然のエネルギーがあるのが若さなのだろう。これから先、AI やロボットなどが生産の現場にも消費の現場にも生活の場にも入って来る、そういう中で違和感なく活動できるのが、Z 世代と呼ばれている人々と、その後に続く世代。私たちは、戸惑うことのないようにアレコレと学んで行かなければならない。そのうち、公道を歩いたり電車に乗ったりするだけでも、認証付き端末が必要となるのかも知れない。そのように運用されている国も既にある。ところでイラン情勢はどうなってるのだ? なぜかメディアはトップニュース扱いしないのだ、これまた不思議。

1月 8 日、畑の畝に勝手に生えて来て、放置すると茂ってしまうものの代表格がナンテン。いま時に赤い実が目立つことから、鳥が食べた種があちこちで芽生えるのだ。おめでたい木とも言われるけれども、畑の畝では邪魔になってしまう。これまでは抜き去っていた。ふと思いついて、丁寧に根を掘ってポット苗にすることにした。生えるべき場所に集まって生えていれば、それなりに綺麗な庭木なのだから、捨てるなんてもったいないのだ。ポットに根を張って適当な大きさになったら、畑からちょっと歩いた一軒家、海辺の自宅の玄関前にでも植えることにしよう。オタフクナンテンやマホニア・コンフーサと混植すると、庭づくりの背景にもなって経費削減もできる。

1月 7 日、室内の植物に段々と細かい点々が増えて来た。アブラムシが増殖中なのだ。これは難儀な戦いで、駆除に効果的なのは毎日の十分な散水とは知っていても室内ではそうも行かず、何かを吹き付けるにしても毎日のように吹くとあちこちベトベトになるか、あるいは吸い込んだ人間の方が気分悪くなる。効果的なのはオルトラン粒剤だけれども、これまた水に触れてメタミドホスとなって空中を漂うので、多量に使うと人間様の方から先に病院送りとなる。アブラムシが付くような植物は、枯れない程度に十分に剪定して、そもそもアブラムシが取り付く場所を限定してから、叩き落としてみたり、部分的に少量の薬品を使ったり、そういう小まめな対策を繰り返すしかない。手間はかかるけれども。

1月 6 日、塗料、特に漆など天然素材は厚塗りしないのが基本。多量の塗料を面に乗せてしまうと、なかなか乾燥・硬化しないし、揮発成分を含む場合には縮んで表面にシワが寄ったりする。この状態になると、一見すると表面が固まっていても、内部は何ヶ月にも渡って柔らかいままとなってしまい、落ち着くことがないし、何かに当たると容易に掘れてしまう。薄く下塗りしては軽くヤスリかけして面を整えて、また塗って、この繰り返しでコントロールされた厚さの塗面は美しい上に強度がある。この極みがお正月に使う漆器。強いとは言っても天然素材なので、熱には弱いし、硬い金属や陶器と擦れあうと簡単に傷がつく。そろそろお正月も片付けて、平常運転へ。つと

1月 5 日、大学にやって来て、エアコンのスイッチを入れると ... E06 というエラー表示が出て、止まってしまう。解説書を開くと、通信系エラーとしか説明されていなくて、どうしようもないのでサービスをお願いする。壊れ時と言えば壊れ時で、導入してからすでに 20 年くらいにはなるのだから、仕方ないのかも。極寒の日ではないのが、まだ救いだ。今日は arXiv を眺めたら、サッサと神戸の初詣に出かけようかなー。いやいや、レフリーで読む論文とか、あれやこれやと、正月明けならではの仕事も積み上がっている。片端からケリをつけて行かないと。

1月 4 日、お正月休みの最終日は、のんびりと自宅で過ごす。お正月の食材を胃袋に入れてしまうというのも、お正月ならではの必須のミッションだ。どうしても、かまぼこが目立ってしまう。それでは寂しいので、卵焼きを作る。1 パック 10 個の卵で 2 本の卵焼きを仕上げて、パクパクといただく。焼く時には、力学に従って「無重量状態」を作り上げるのが、卵焼きをひっくり返す作業のポイントとなる。お餅はどうしようか、雑煮ばかりでは面白くないので、あずきあんの缶詰を開けて、お汁粉にしていただく。餅を焼く作業にも物理法則が色々と詰まっているなーと、ぶつぶつ独り言をしつつ、黙々 (?) と調理した。

1月 3 日、電車から景色を眺める。山々が結構おもしろい。とてもアクセスできそうにない場所に住宅が建っていたり、岩を切り出していたり、コンクリートの原材料を作っていたり。また、自然の山々もあれば、人の手が入っている場所も。一見すると自然に任せてあるような場所でも、針葉樹が生えていたり、桜の木があったり。川の流れや、それに伴う地形もまた興味深い。河岸段丘とか蛇行とか、少し高い位置から見渡さないと全容が掴みにくいものも一気に眺められる。直線的であれば、そこにはやはり人の手が入っている。千年以上にわたって米作りや畑作を続けて来た山村には、それなりの落ち着きがある。メガソーラが並ぶ景色もまた、やがては歴史の一部となるのだろう。必要な場所には残り、不要であれば木々が容赦なく覆って行くはずだ。

1月 2 日、高校の同窓会に出席する。今年は参加者が多い。みなさん、退職したり嘱託になったり、これからセカンドライフを設計したりと、色々と語るべきことがあるようで、会場を巡って出会いがあるごとに、あちこちで盛り上がっていた。そのまま 2 次会へとなだれこむ人々も。自分は1抜けたして、あとは家族と過ごす。高松の夜は静かだ、これは大都市にない良い所だと思う。今の時代、賑やかなのは SNS の中だけで良いのかも知れない。その静かな中で、黙々と働く人々も。清掃スタッフの中には、人の気配がない時にこそ本領発揮するという役目もあるようで、ビルフロアの床などを磨くのは深夜の仕事だ。遠くから消防車や救急車の音も届く。お正月にも働く人がいるのが現代社会。

1月 1 日、元旦。今日の arXiv は? とサイトをアクセスすると、ちゃんと更新されている。ということは、今日は仕事の日だということ。アカデミックな世の中に休暇という概念はないのである。まあ、その逆に、講義やセミナーや会議などの予定が入っていない時には休暇をとる自由もあるのだけれども。年末年始は卒業や修了のシーズンなので、学生個々に応対していると、なかなか空いた日が作れないという現状もあるけれども。ところで最近、dmrg home page の調子がおかしい。折々に応答しないのである。どうも、サーバーのスリープ設定がうまく行っていないようだ。仕方ないから、元旦からサーバーの調子をチェックしてみるか。現地に赴かないといけないので、仕事始めとなる。


2025
1 月と 2 月 (コロナ滅編) 3 月と 4 月 (植栽剪定編) 5 月と 6 月 (相思樹歌編)
7 月と 8 月 (酷暑散水編) 9 月と10月 (残暑延々編) 11月と12月 (温暖庭園編)
2024
7 月と 8 月 (乾夏麺食編) 9 月と10月 (健脚酒断編) 11月と12月 (編曲演奏編)
1 月と 2 月 (卒業発表編) 3 月と 4 月 (去人来人編) 5 月と 6 月 (剪定育苗編)
2023
7 月と 8 月 (散水散財編) 9 月と10月 (Mac!裏技編) 11月と12月 (清掃撤収編)
1 月と 2 月 (野菜料理編) 3 月と 4 月 (テンソル編) 5 月と 6 月 (授業ゼミ編)
2022
7 月と 8 月 (論文執筆編) 9 月と10月 (円安値上編) 11月と12月 (制限緩和編)
1 月と 2 月 (ギター曲編) 3 月と 4 月 (Mac!苦闘編) 5 月と 6 月 (素麺円安編)

2021
7 月と 8 月 (散水栽培編) 9 月と10月 (選挙音曲編) 11月と12月 (片付整頓編)
1 月と 2 月 (共通試験編) 3 月と 4 月 (剪定草抜編) 5 月と 6 月 (執筆出版編)

2020
7 月と 8 月 (映像収録編) 9 月と10月 (街海散策編) 11月と12月 (風邪感染編)
1 月と 2 月 (暖冬珍病編) 3 月と 4 月 (在宅勤務編) 5 月と 6 月 (遠隔講義編)

2019
7 月と 8 月 (夏空日傘編) 9 月と10月 (残暑熱帯編) 11月と12月 (讃岐行脚編)
1 月と 2 月 (ダイエット編) 3 月と 4 月 (平成令和編) 5 月と 6 月 (講義出張編)

2018
7 月と 8 月 (酷暑昼寝編) 9 月と10月 (神風来襲編) 11月と12月 (国際会議編)
1 月と 2 月 (教務調整編) 3 月と 4 月 (早桜花見編) 5 月と 6 月 (方向解釈編)

2017
7 月と 8 月 (東西行来編) 9 月と10月 (台風暴風編) 11月と12月 (胃痛通院編)
1 月と 2 月 (朝オムレツ編) 3 月と 4 月 (激戦挑戦編) 5 月と 6 月 (研究員待編)

2016
7 月と 8 月 (研究行脚編) 9 月と10月 (技術鍛錬編) 11月と12月 (SLOVAKIA編)
1 月と 2 月 (共形情報編) 3 月と 4 月 (朝型昼型編) 5 月と 6 月 (昼夜逆転編)

2015
7 月と 8 月 (机前執筆編) 9 月と10月 (講義ゼミ編) 11月と12月 (懐古探訪編)
1 月と 2 月 (赤筆修正編) 3 月と 4 月 (客人来神編) 5 月と 6 月 (地球半周編)