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6 月27日、外国為替の相場を示す「曲線」がある。株の売買でもおなじみの「チャート」と呼ばれているものだ。この分野のことは良く知らないので、間違った言葉遣いをしているかもしれない。ともかくも、この「曲線」は、実は「曲線」ではない。売りと買いの、売買が成立するごとに、その時点での売買価格を点で打ったものなので、正確には「点の集まり」に過ぎない。そして、その点の並びは、時間を細かく見れば見るほどギザギザしている、という特性がある。また、取引する場所によって微妙な差異は存在し得るので、一物二価もアリである。細かいことは抜きにしよう。昔は、人が対面して売買していたので、せいぜい秒単位だった、この「点」も、最近ではどんどん細かく機械的に取引されるようになり、ますますギザギザが細かくなりつつある。このギザギザをブラウン運動に例える場合もある。統計的な性質は似ているけれども、ブラウン運動では「運動自体は連続である」という特性がある。何だか、論点がドンドンずれて行ってる。一つ公言すべきことは、相場から儲けを引き出すことは、ブラウン運動から仕事を取り出すようなものである、ということである。熱力学を信じる限り、これは非常に困難な道であり、かつ、確率的に必ずいくばくかの勝者が出ることも証明されるのである。

6 月26日、充電式マウスの電池残量がゼロになる。さあ充電 .... 誰だ、こんな設計をしたヤツは! 充電プラグを差し込む位置が、マウスの底面にあるではないか! ということは、その間、マウスは使えない。MacOS の場合、キーボードマウスという手がないわけではないけれども、いちいち使ってられない。有線マウスを、その辺りから調達したり、パッドに電池を入れて復活させたり。どうして、こんな設計になったのか? ... これは明らかに、デザイン優先の結果。なお、こんな風にマウスが電池を消費してしまうのは、パソコン側のアンテナにも問題があるということだ。本来、もっと微弱な電波で通信が可能であって、雑音から信号を拾う技術がまだまだ未開発であるということ。ここには、まだまだ、最先端の物理学が関与する余地がある。あ、なんだか、研究費獲得の糸口が見えて来たぞよ?!

6 月25日、更新した運転免許の講習資料を見ていると、高齢者の教習というものが目に止まった。75才になると、実車教習があるとかないとか。完全無事故超優良ペーパードライバーの私、エンジンを始動した途端、マニュアル車ならエンスト、AT 車なら急発進。てことは、運良く、この年まで生きることがあれば、免許は返納となる。... いやいや、よーくよーく眺めてみると、普通免許は手放して、原動機付き自転車の免許のみ持つということが可能らしい。原付なら、まあ、大丈夫だ。どちらにせよ、その年齢で普通に歩けるのであれば、望外の喜びとしなければならない。生命保険屋さんは良く言うのである、事故と病気は思いがけずやって来ますよ、また運良く生き延びてしまった時に何の蓄えもないのも、これまたリスクですよ、と。どっちに転んでも、保険屋さんの儲けになるような売り文句ではないか。なお、以前は払いもしなかった交通安全協会の納付金、今回は納めさせてもらった。今から警察を退職する人々に、少しでも安住の地が約束されているのであれば、それはそれで、良いことだ。

6 月24日、日本とあまり時差の無い、南半球のニューカレドニアという国がある。まだ行ったことのない国だけれども、関西空港でよく目にする「エアカラン」という航空会社が就航している、その行き先だ。フランスと縁の深い国なのだけれども、国名はニューカレドニア、の、フランス語読み。じゃあ、カレドニアって何じゃ?と思って調べてみると、ローマ人がスコットランドを「カレドニア」と呼んだのだそうな。ニューカレドニアは、キャプテンクックが、この島を見た時に、スコットランドを思い出したからだとか。史実はともかくとして、検索すると、そういう情報が引っかかってくる。さてそのカレドニアであるスコットランド、どうも、グレートブリテンから独立となるような、ならないような、怪しい雲行きとなって来た。ヨーロッパの国々というのは面倒なものだ、日本で言うと「藩」のようなものが、まだまだ色濃く残っているのだから。

6 月23日、雨上がりなので雑草を抜く。草は根元から抜かないと、効果ゼロである。花壇に生えている草は、主に2種類。ひとつは、ススキ。これは何度も書いているように、最強最悪の相手。掘る道具がないと、根絶は難しい。とりあえず、地上部が出てくるたびに、引っこ抜いている。もう一つは、芝のお化けのような草。これは、葉が平たくて、その根元を持つことさえできれば、ゴソッと抜いてしまえる。ただ、数が非常に多いことと、一部でも抜き損じると、再び生えて来てしまって、株分かれすると元の木阿弥となるので、結構面倒だ。その草の間に、ピンク色の「ネジり花」が咲いている。人によって呼び方が違う花だ。これを抜いてはいけない。区別が大変。まだまだ続くぞ、草抜き、草抜き。

6 月22日、999 x 999 を素早く計算する方法というものがあるそうな。何でも、(1000-1)(1000-1) と書いておいて、1000000 - 2000 + 1 と計算すると速いんだそうな。確かに、暗算する時には、これが便利かもしれない。が、本当にこれが速いのか? と問われると、ええと、999 x 999 を筆算する方がずーっと速いではないか? と言う気もするのだ。桁数が増えれば増えるほど筆算は困難になって行くから、ある程度の桁数になれば、確かに工夫して計算するしかない。9999999 x 9999999 は、筆算にすると繰り上がりだらけとなる。そうそう、繰り上がるとか繰り下がるというのは、もともと(キューの)並びの順番を入れ替える用語だけれども、不思議なことに筆算にも使われるようになった。多分、これはソロバンの影響ではないかと思う。調べてみようか。

6 月21日、桃や梅は、収穫時期が限られている作物だ。保存も効かない。パッと出回り始めたと思ったら、アッと言う間になくなってしまう。そこで、梅酒であったり、桃の缶詰となったり。あ、缶詰となる桃は、生ではゴリゴリしてて食べられないようなものだったっけ。ともかく、保存する方法が色々とある。これらの仲間ではないけれども、ビワやカリンも、似たようなものか。カリンは生では食べられないか、食べても美味しくない、カリン酒へ。ビワも、種だけ集めて、酒。なんか、要するにアルコールへと関心が集中するのは、その依存生の高さを物語っているような気がする。果物に戻ると、これから先は葡萄だ。これもまた、海の向こうでは葡萄はワインの源としか思われていないような感覚かも?

6 月20日、スイカを食べて思うこと。単純に「甘すぎる」ということ。これは、果物全般に言えることなのだけれども、甘いということが商品価値である、という方向でドンドン品種改良やら栽培方法の研究やら流通が整備されて来た結果、激烈に甘い果物が商店に並ぶ時代となった。ああ、水分を取りたい、と思ってスイカにかぶりつくと、その甘さに一瞬、戸惑うのである。この流れは、あと百年くらい続いて、今世紀末には「甘くて見向きもされない果物」だとか「香りが強すぎて食べられない果物」が出現、ようやく価値観が反転して「バランス重視」となって来る、そんな気がする。もちろん、果物の品質を追求するという、平和な世の中が続くのであれば、それに勝る幸せはない。さて、甘すぎるスイカをどうするかというと、甘い部分は甘いのが好きに回しておいて、私は皮の白い部分のキワキワの、野菜っぽい部分を食べるのである。スッキリした甘さで、実は、密かにオススメ。

6 月19日、職場が停電の日であった。大学には、研究のために冷やしているものだとか、低温下、あるいはコントロールされた高温下で飼っている生物もある。それらを保つために、日中は発電機があちこちで回っていた。縁日で使う、あの小さな発電機から、結構大きなものまで、色々とあった。夕方の復旧時になると、トラックがやって来て、クレーンで回収して行く。そして、何事もなかったのように、また、研究室に明かりが灯る。えーと、明かりが灯るということは、今作業している私もそうなんだけれども、職場でゴソゴソとやってる人々が居るということだ。これは恐らく裁量労働の範疇に入る行いなので、残業とか超過勤務という訳ではない。自ら自然と「このようになってしまう」のはブラックではないが、研究者を目指そうとしている人々に「一日中勉強しなさい」と吹聴しまくるのはブラックの象徴だ。このサジ加減が難しいのだ、研究最前線の麗しきタコツボ環境では。

6 月18日、切り株にキノコが生えている。それだけ雨量が多い、今日この頃ということか。このように、菌が取り付いてしまうと、根元まで段々と枯れてしまうことが多い。かと思えば、ひこばえが、大木に成長することもある。そういう時には、菌の取り付いた部分は、うまーく隔離されるか、後から形成層に取り込まれてしまうんだろう。こう言う箇所を目の当たりにすると、樹木を大きく切ることに躊躇するようになる。断面がふさがるまで、だいぶん時間がかかるからだ。クスノキは、この取り込みが結構速い。カエデも、切りやすいか。ダメなのが桜。これは切ると、どうしようもなくなる。そんな桜がアチコチに。一つ一つ世話をするのも大変だしなー ....

6 月17日、二次方程式の解の公式の導出、これは案外簡単だ。しかし、その逆は、そんなに容易な計算ではない。元々の2次方程式に「解の公式を代入して」ゼロになることを確かめる検算を行った方はいるだろうか? もちろん、これは、一筋縄で「行く」計算なのだけれども、分数はあるし平方根はあるし、通分はしなければならないし、ともかく計算が面倒臭い事限りなし、なのである。理論物理屋が、そんなに計算弱くてどないする? と言われそうだけれども、直感に訴えない式変形ほど苦痛なものはないのである。まだ2次方程式だから何とかなるけれども、3次方程式になると、死ぬ。4次方程式は言わずもがな。一般の n 次方程式の級数解など、よくあれを検算できたものだと思う。まあ、それが数学者の仕事なんだろう。

6 月16日、等比級数の和、1 + x + x^2 + ... + x^(n-1) は、( x^n - 1 ) / ( x - 1 ) である。これ、因数分解で暗記しておいて、いちいち「作り直す」のが安全な方法。丸暗記しようとすると、初項と末項が、公比だけズレたようなものを間違って覚えたりして、使い物にならない。ともかくも、公式というものは、それを作り出す過程を覚えているに越したことはなくて、暗記したものを使うことに慣れてしまうと、途端に沈没する。実は ... 自分の書き物の中に、この間違いを発見してしまったのだ。そんな間違い、すぐに発覚するだろう?! と指摘されそうなのだけれども、正誤の間には極限を取ると消え去ってしまう差異しかなくて、気づかなかったのだ。多分、このようなバグは、どこにでも存在するものだ。あなたの使っている機器、大丈夫かな?

6 月15日、ふと、TMS9995 を思い出す。ワンボードマイコンを、この CPU で作ろうか? と思って、命令セットやら必要なハードやら、検討した事があったからだ。レジスターの本数が多かったなー、というのが当時の感想。Z80 を使う時に、裏レジスターを使い回しても、なかなか演算が苦しかった時代に、100 を超える数のレジスターが使えるという、余裕の設計は羨ましく見えた。もっとも、それだけのレジスターを指定する修飾子が必要なので、命令が間延びしてしまうという欠点はあるのだけれども。また、レジスターがメモリーの中に確保されるというのも面白い特徴だった。今のように速いクロックの時代では、なかなか考えられないことだ。68000 シリーズにしても TMS9900(0) シリーズにしても、ともかくミニコンからの発想で作られた CPU は、ことごとく X86 に打ち負かされた。マイナーな製品には、よほど光るものがなければ、世に出ないものだと感じる。

6 月14日、英文和訳、あるいは和文英訳を行う場合に、長文であれば「ひとつの文章を幾つかに分けて訳す」ことが必要とな流ことがある。←まあ、これくらいの文ならば一文で充分か。同時通訳を聞いていると、このような「文章の打ち切り」を、度々やっていることがわかる。「そうです。これは素晴らしいということなのです。昨日の夜に明らかになったことです。」という通訳の言葉が聞こえて来ても、実は「これは素晴らしいことで昨日の夜に明らかになりました。」という一文を、話者がポツポツと考えながら話しているだけ、そんなことが良くある。また、通訳される「原文」が、正しい英語や日本語であるとも限らないのだ。世界的に活躍しているスポーツマンへのインタビュー、実にたどたどしい受け答えなのに、通訳がバリバリに「正しい文章」に直して流している、なんてことも。この辺りの判断は、まだまだ自動化できないものだなーと感じる。

6 月13日、ウルトラマンって、どんな形だったっけ? と思って検索しても、正解はない。代々、いろいろな体型のウルトラマンが出てくるし、オリジナルに限ったとしても、イベント用の着ぐるみの場合だとか、収録に使ったものだとか、修理したものだとか、中に入ってる人が違うとか、色々と細部が異なる映像が引っかかる。これはメジャーな存在だからだろうと思って、じゃあウルトラの母はどう? と検索すると、もうカオスなのである。そっか、男物の服は LL, L, M, S くらいのサイズ指定しかないけれども、女物の服は、コマゴマと大きさの指定があるのだ、そういう多彩さがモロに反映されている。ファッションモデルと化したウルトラの母の写真も転がっている。それだけインパクトのある存在なんだろう。

6 月12日、ペットボトル、水も空気も通さない、という気がするけれども、空気は結構通す。水も全く通さない事はなくて、薄いボトルの場合、何年もかけて、少しずつ「天使の分け前」よろしく減って行く事がある。何年も前の、ミネラルウォーターを引っ張り出して来ると、あら、ボトルが凹んでいる、なんてことも。災害備蓄してある飲料水を見る機会があったら、確かめてみるのも良いだろう。もちろん、毎年のように、ちゃんと入れ替えてあったら、こういう事は起こらない。ペットボトル自体が何年間保つものか、適当に調べてみたけれども、確たる答えは得られなかった。ガラス瓶なら、ガラスが結晶化さえしなければ 1000 年くらい保ちそうなんだなぁ。

6 月11日、木の枝の伸び方は、なかなか予測がつかないものだ。枝同士がクロスするような、美しくない状態があれば、クロスしている枝のどちらかを切る。場合によっては、両方とも取り除く。やれやれ、と、思っていたら、また翌年に新しい枝がクロスしてしまったり、あるいは切った枝の勢いが全くなくなって、周囲の枝に負けてしまうとか、場合によっては枯れてしまうという事もある。木を表面から眺めていても、なかなか、内部というか、形成層の事情を知ることはできないものだ。破壊せずに形成層の状態を検査すること、できないかなー。木肌の MRI というのも、何だか、需要がある気がする。

6 月10日、商標というもの、ぼんやりと知ってはいても、ただの「りんご」が、世の中で広く情報機器の商標に使われているのはなぜ? と問われると沈没する。調べてみると、果物のりんごに「りんご」は商標登録できないけれども、当たり前ではない商品サービスとの組み合わせなら良いのだそうな。電信柱に「りんご」の商標を申請したら、通るかもしれない、と言うことか。あれくらい有名になったら、果物以外のあらゆるものに商標を登録しているかもしれない。そろばんに「りんご」なんて、悪くない組み合わせだと思うのだけれども、そろばんは情報機器なのかもしれないな。じゃあ、紙と鉛筆はどうなんだろうか。ああ、こういうことは、科学者の考えることではない、法律家の仕事だ。法学は数学のような側面もあるから、興味ふかいものではあるのだけれども。

6 月 9 日、名文と迷文は紙一重と言える。Gibbs の統計力学、これはなかなか良い本なのだけれども、読み解くのが大変なのだ。もちろん、物理の部分は既知の内容が殆どなので、それの理解に苦しむということはない。ただ、英文が、凝っているのである。凝っているのか、ただ単に当時の言い回しが、ああいう風に長文だっただけなのかもしれないけれども、どうとでも読めるような含みのある表現が、そこかしこに散らばっているので、一体何が言いたいんやねん! と Gibbs に楯突きたくなるのである。このあたりは、ニュートンの英語にも共通していることかもしれない。ニュートンは、几帳面すぎるくらい、どうでも良いことを ... 今日的には ... 並べ立て、肝心の所が幾何学だったりする、超まどろっこしい議論を吹っかけるのが得意なのである。「いらっしゃい、理解できる人は」という感じ。いや、学問の書物は、そのようでなければならない、というのは、確かにその通りだ。

6 月 8 日、良く調べられていると思っているものでも、ちゃんと計算してみると、色々と出てくるものだ。Ising Model でさえ、まだまだ研究の対象なのだけれども、Potts 模型になると、様々なことが怪しくなって来る。Clock 模型は言うに及ばず。5状態 Clock 模型が、BKT 転移を持つかどうか、現在でも議論がある。どうして、こんな事になっているかというと、確定的な結論を「力任せに」得るには指数関数的に ... いやもっと ... 増大して行く計算量が必要だからだ。力任せだったら、昨日も話題にした「京」があるじゃないか? と、指摘されそうだけれども、手元にあるパソコンと「京」のパフォーマンスの比では埋めようがないほど、大変な計算なのである。さて、頭を使うとなると、色々な計算方法やデータ処理が思い浮かぶ事になる。すると、「頭の使い方によって結果が異なる」なんて事にも。当然、議論が起きる。真実は一つなのになー、計算方法によって、一体、何本の論文が出ているんだろうか ...

6 月 7 日、最も初期のスーパーコンピューターは? という質問には、あまり意味がない。1940 年代に存在した初期のコンピューターは、その規模から言っても、価格から言っても、当時なりの計算速度から言っても、スパコンと呼ぶに相応しいものであるからだ。やがて、その演算能力は電卓として市中に出回ることになる。一般には、データを存分に並列処理するものがスパコンであるという認識もあるから、それを言うならば、成功したものとしては Cray-1 から、ということになるか。あれは 100 Mflops のオーダーの速さだった。iPhone が 1 Gflops くらい。そのまま比較すると iPhone が 10 倍速いけど、ベクトル型スパコンのメモリーアクセスは特殊だから、本気で勝負したらトントンくらいだろう。(... もっとも、コンパイラが進化してるから、何とも言えない。) いまは「京」コンピューターの時代、あの「大きさ」が見学上の売りらしいけれども、大きいということは、本当はトロいということなのだ。あれが弁当箱くらいに入る時代が、もうすぐそこにやって来ているはず、その頃の情報機器は何に使われているんだろうか?

6 月 6 日、6月6日に雨ザーザー降って来て、というのは夜半まで待たなければならなかった。ええと、あの歌は「かわいいコックさん」だった、透明なガラス板に、歌のお姉さん? が、両手で筆を持って一気に描くという場面が思い浮かぶのだけれども、映像は検索しても出てこない。あの当時は、ビデオテープが高価だったから、フィルムに焼いてなければ、残ってないものも多いらしい。この「コックさん」、どういう外来語なんだろう? と思って調べると、元々はオランダ語だとかデンマーク語だとか、要するにラテン語がバイキング風になまった言葉から来ているようだ。うっかり英語で、この発音をしてしまうという冗談をよく見かける。最近では、フランス語のシェフという方が外来語としては主流だけれども、これは「料理長」にしか使えないので、ちょっと使用範囲が狭い。気にせず、誰でもシェフと呼ばれる場合もあるけれど。

6 月 5 日、1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 + … = 1 は、図形的にすぐ示すことができる。1/3 + 1/9 + 1/27 + 1/8 … = 1/2 というのは、なかなか図示するのは難しいと思っていたけれども、描いてみると、意外とズバリ 1/2 の図形が紙の上に描けてしまう。じゃあ、他の等比数列はどうだろうか? 図に描くのであるから、できる限り、小学生でもわかるような、素朴な描き方をしたい。この「素朴な」という感覚が物理で言う所の直感に相通じるからである。図形を、何でもかんでも、代数的に取り扱うと、一応の結果は得るわけだけれども、それで「納得した」というのは、チト気が早いような気がする今日この頃なのである。

6 月 4 日、パプリカが値崩れ中。もちろん、この時期、パプリカは、放置しておいても、いくらでも出来てしまう。多少の保存ができる肉厚なパプリカであっても、たくさん採れれば経済原理によって、どんどん値が下がる。有り難いことだ。切って、鍋にぶっ込んで、加熱するだけ。じーっと待つと、甘い汁になる。甘い汁を吸う、というアブラムシの心がよくわかる。この汁は、冷やすと更に味わいが増す不思議な汁だ。パプリカジュースというものがあっても良いのではないかと思うほど。値段が高くつくのかな。種を取り除く手間もあるし。さて、今日も甘い汁を吸うことにしよう。

6 月 3 日、大西洋を横断する、太平洋を横断する船員、毎日、少しずつ起床時間が違う、ということになる。これを吸収するのだろうか、それとも、寝ても起きても船は進むから、三交代制にでもなってて、時差なんて問題にもならないんだろうか。うーん。飛行機の場合は、12 時間くらいのフライト時間の間に、交代で休みを取ることもできるとか、できないとか、書いてある。大学院の集中講義も「朝起きてから、晩に寝るまでの間」なんていう、トンデモナイ時間を組んでみたいものだ。… 講義の準備など始めると、ロクでもないことばかり、頭の中を巡るものだ。

6 月 2 日、秋晴れの1日となる。ちょっと蒸し蒸しとした日が続いた後で、スッキリと晴れて涼しい風が吹いて、天高く青空が広がると、気分は秋なのである。海外旅行しているような1日でもある。少なくとも、窓から見える景色は。さて、むかーしむかし、Z80 マイコン全盛期の頃のパソコン雑誌というと、アスキー、I/O、そして硬派な所ではインターフェースだとか、トランジスター技術があった。そのアスキーの創業者が、神戸ゆかりの人だということを、今日になって初めて知った。学校法人経営の一族の方だったのか。そして、今は、その学校法人の校長としてご活躍中。ここ何年間かで、エラく偏差値を上げたらしく、良い意味での「カエルの子はカエル」なんだろうと思った。

6 月 1 日、コケを生やすには?ただ、単に、湿った状態を継続すれば、それだけで良い。手間がかかるのは、そこに草が生えないように、芽を見つけ次第抜くこと。また、ゼニゴケのような、見栄えの悪いコケが生えてきたら、またまた、抜くか、はぐ。どちらかというと、湿ってはいても、少しは乾いた時間もある、そんな湿潤のサイクルがある所に、スギゴケのような美しいコケが生えるようだ。コケで悩むのは、段々とボコボコになって来ること。生えた下から土に変わって、最初の平たさを保てないのだ。ボコボコになったら、裏を削って、また戻す、そんな手はあるのだけれど、面倒臭いこと限りなし。さて、どないしよ。

5 月31日、微分や積分に比べると、線形代数は「忘れ去られやすい」ものだと感じる。いや、感じるだけでなくて、実際にそうだ。これは多分、代数というものの宿命で、「エルミート行列は直行変換で対角化できる」なんていう事は簡単に覚えていても「直交変換ってナニ」と聞かれると、ええと、直交座標間の座標変換に出てくる行列で、連続に移り変われるものと、鏡映を使うものの組み合わせで、変換行列が行も列も互いに直交しているもので、ええと、その行列式が1であって、と、次々と無用の言葉が口から出任せになってしまうのである。また、物理屋があまり付き合わない「ジョルダンの標準形」という困ったものもある。危ない所では、火薬、じゃなかった、可約と既約がある。既約って何かというと、可約ではないもの、というマイナーな笑い話もある。ともかくも、代数は面倒くさいものだ。教える立場でも、つくづく、そう思う。

5 月30日、湿度が増して来ると、カビが繁殖し始める。何度も話題にした、カビによる植物の病気、これとの戦いだ。動物の肌に生えるカビもあったっけ、あれは水虫だ。どっちも菌類の仕業。このカビの面倒な所は、生きた細胞の「外側」に巣食うという習性。動物なら免疫、植物なら ... 植物の免疫ってどうなってるのか知らない ... いや動物の免疫だって、あまり仕組みは知らない ... ともかく免疫で何とかなる、その外側で繁殖するので、なかなか退治できないこと。治療には、外側にへばりつく薬剤が必要となる。幾つかの種類を組み合わせて、散布、あるいは塗布。愛する観葉植物に、一枚一枚、筆で薬を塗るのも、なかなかしんどいものだ。スプレーは楽だけど、ほとんどロスしてしまうしなー。

5 月29日、野菜がドンドン育つ夏になった。今頃が、一番美味しいのではないかと思う。日照量が十分にあって、気温も適度。鍋に適当に放り込んでおいて、加熱するとスープに変化してくれる。大変に甘いのである。メロンの類も、一番成りが出てくる今の時期が、なかなか美味しい。二番成りでも三番でも、じっくり作れば美味しいのだろうけれども、段々と株の管理が難しくなる。それに比べれば、サツマイモは楽だなー、作るだけならば。掘るのは大変。カボチャは、南半球から美味しい保存物が届いて来る。これも、少量の水で、無水調理のように蒸すと美味しい。わずかにフルーツのような味があることがわかる。ダシで煮込んでしまうと、飛んでしまう香りだ。ともかくも、ここしばらくは、食材に困らない、良い季節だ。

5 月28日、ピザを頼むと、切ったピザに、ピザカッターが添えられていた。切ってあるのだから、カッターなんか不要ではないか? と、最初は思っていた。やがて食べ進む内に段々と冷えて、チーズが再び固まり始めると、切られていたはずの場所が、ピタッとくっついてしまっているではないか。ここで、ピザカッターの登場となる。いや、何も、そんな道具なんかなくても、ナイフとフォークで十分なんだけど、ビザカッターで切って楽しんでもらおうというお店の方針なんだろう。なかなか、本格的な薄いピザであった。外を眺めると、何だか、デモ行進している。後で調べてみると、今日は3つの団体が、合流するようにデモ行進が行われたとのこと。言論の自由は民主主義の根幹、もっとやるべし。

5 月27日、米からどれだけ酒が作れるか? という問題、よく目にする。普通に作ったらこれだけ、アルコール発酵を目的とすれば、その3倍は作れるとか、そういう話だ。ここで、簡単な化学の問題。米を食べるのと、その米を酒と酒粕にして、両方とも食べるのと、どっちがカロリーが高い? ええと、アルコールは燃えるから、酒に加工した方がカロリーが高いような気がしてしまうのだけれども、と、引っ掛け文章を書いた後で、当たり前のことなのだけれとも、二酸化炭素が逃げて行った酒と酒粕の方がカロリーが低い。ここで「非科学」を展開すると、以上の理由によって、酒を飲むことは全人類がダイエットするための秘訣であると言えるのである。信じて飲むか、それとも、疑ってみるか? 信じる人は居ないけれども、信じようと信じまいと、飲む人は飲む。

5 月26日、宮沢賢治、名前は聞いたことがあっても、誰なのか、何をした人なのか、よく知らない。詩人だったっけ、作家だったっけ、音楽家だったっけ。ふとしたことで、幾つか詩を読んでみたら、ああ凄い、すごーく才能のある人なんだということが、一瞬にして感じ取れた。現代かな遣いを作り上げて行った人々の一人かもしれない。博士か大臣かと呼ばれる程の、当時の大学のポストに呼ばれながら、断ったという話も、素晴らしいのである。但し書きをすると、作品として残ったものに対する観想であって、身近に宮沢賢治が居たならば、きっと逃げ出していたであろう、そんな気もする。何事においても、素晴らしいものを残す人、何かが欠けていたに違いないという、そんな予感なのである。何も欠けていない人というのもまた、存在し得ないものだけれども。

5 月25日、空中の湿度が高くなると、どんどん草が伸びる。伸びたものは、ひつこ抜く。これ、毎日の仕事。しばらく伸ばしておくと、葉が固くなって根元からごっそり抜ける。かといって、あまり固くなりすぎると、抜けないか、手が切れてしまう。こうして抜くべき草の本数をざっと数えてみると、1万本以上あるではないか。ええと、一秒に一回抜いても3時間仕事である。たとえ、抜き切れたとしても、また小さな芽がどこかから出てくる。そこで、ちょっとの間放置することにした。この間に自然淘汰が進んで、株の数が少なくなるだろうという皮算用だ。うまくゆくだろうか?

5 月24日、アイスクリームという得体の知れないものがある。あれ何じゃ? と問われたら「お固い意味での物性物理学では取り扱わないもの」だとか「領域11の人々が好んで取り上げる材料」とか言っておこう。この領域11というのは、物理学会で統計物理やら、何やら、要するに「その他の分野では扱えないもの」を寄せ集めたような(←表現をソフトにするために「ような」と付け加えておく)分野で、学会のプログラムを開いてみても、ここだけ妙にバラエティーに富んでいるのである。さてそのアイスクリーム、空気の泡と、脂肪の粒と、砂糖を含んだ乳清の部分の混合体で、場合によってはフレーバーの粒やら、野菜の繊維などが含まれている。融点はどこかはてなと聞かれても、ハッキリしない。力学的性質も、どっちかというとレオロジーの分野だ。ともかくも、アイスクリームは冷凍機という熱力学の成果あっての産物である。(真冬に寒い所で作るには作れるけれども。)熱力学・統計力学ばんざーい。

5 月23日、論文の執筆で大切なことのひとつが、「共著者を信じるな」ということ。どこぞの大騒ぎではないけれども、実験データに妙な所はないか、数値シミュレーションはマトモか、論理に破綻はないか。もちろん、そういう所はバッチリ注意している、つもりだ。しかし、抜けがあった。「文献 XX によると、YY という結果が得られている。」と、文献引用して堂々と紹介されている箇所のチェックを見落としていた。文献 XX を、よーく読んでみると、YY という結果など書かれていないのである。これは一大事。論文の、結構な部分の骨組みに影響してしまうではないか。まあ、見つかったのだから、良い。そのまま発表されていたら、エラいことになる所だった。これは、稀なことではなくて、自分が昔書いた論文について、変なコメントが他人の論文に堂々と掲載されていたりする。当然、「それ、間違った形の引用だよ」と、教えてあげる。いきなり、怒りモードで対応してはならない。真実を、淡々と書いて渡すのが、サイエンスの流儀なのである。フツフツとは怒るんだけど、顔には出さない。

5 月22日、アンパンマンとバイキンマン、ちょっと待てよ、アンパンのパンは、酵母菌という菌界の真核生物、バイキンと称されるものは原核生物であることが多い。大腸菌もバイキンの仲間ということになるか。早速余談に走ると、大腸菌という名前を聞くと、排泄物の主要な成分であるかのようにも聞こえるけれども、割合としては多くないそうだ。ともかくも、微生物をバイキン呼ばわりしていても仕方ないのである、どこにでも大量に居て、いつでも飲み込んだり吸い込んだりしていて、更にはドバッと増やして環境に戻しているのである。土に触れても、絨毯に触れても、布団の中にでも、ともかく、細菌などだらけ。そんな中で抗菌加工しようとしまいと、関係ないのである。というわけで、バイキンマンが懲りずに、憎まれずに、毎回のようにやって来るという筋書きは、よく実態に即したものとして歓迎する。ついでに、JR 四国を豊かにしてくれている。

5 月21日、グレープフルーツジュースを、どうやって作る?という長年の研究、どうやら答えが出つつある。問題かなーと思っていたのが、表面の防カビ剤入りワックス。食品に使ってる物だから、「そればっかり」集めて口にしても健康に問題が無いのだとは思うのだけれど「防カビ剤使用」なんてシールが貼ってあるから気になるのである。表面の、黄色い皮を包丁でリンゴのようにむいてしまって、その後で半分に切って、手を持ち替えながらゆっくり絞れば良いのである。しっかり、ほとんど残さず絞れる。飲んでみた感じは、悪く無い。むいた表面の白い部分から出る苦味を少なくしようと思えば、汁たっぷりの実が出るまで包丁で皮をむいて、ドロドロの実だけを絞れば良い。その分、歩留まりは悪くなる。

5 月20日、出刃包丁、刃が太いので、普通は魚や肉をさばく時にしか出番が無い。大根を真っ二つにするような時に出刃包丁を持ってくると、切れるというよりも、割れる。では全く使い物にならないのか?というと、例えばキュウリの千切りのような切り方であれば、うまく使える。また、切っ先を抜くように切れば、割と刃の厚さも問題にならないので、ネギやアスパラガスを切る分には問題ない。じゃあ、どこまで使えるんだ?と、気になって来て、しばらくの間、出刃ばーっかり持つことにした。案外、刃渡りの長い柳刃包丁よりもうまく利用できるかもしれない。包丁としては重たい部類になるので、落とさないように気をつけることも、普段以上に。垂直に落ちたら、まちがいなく足に刺さる。天才バカボンか何かで、そんな光景を見たことがある。

5 月19日、数学で、あまりちゃんと教えられることがないのが、カッコ。小学校で「気がついたら教えられていた」という人ばかりだろう。それも「カッコ書きの所は先に計算する」という、かなりマズい教え方を通じて。この「先に計算する」という文句を固く信じると、中学で習う「式の展開」が理解できなくなる。また、5 x (-3) という書き方のように、複数の演算記号が並ぶことを回避するためのカッコの使い方に接した時にも、困惑する原因となる。カッコの正しい教え方は、分配法則のみである。カッコを含む式と、含まない式という「文字の列」に対して、等価である条件を定める規則、それだけなのだ。この場合、(-3) は、まあ 1 x (-3+0) とでも考えてもらおうか。こうやって式を眺めてみると、当たり前に思っている数式でも、色々と不思議に思う、思ってみるポイントは沢山あるものだ。

5 月18日、旅客機の多くが後退翼を採用している。その理由は何か?という定量的なデータを探しに行っても、なかなか検索にヒットしないのである。幾つかの説がある。造波抵抗を減らすには、翼が薄い必要があって、後退翼にすれば、構造物としては太いまま、実効的な翼の薄さが担保できるというのが、もっともそうな理由の一つ。仮に、翼が根元から翼端まで同じ太さで、無限に長ければ「翼の前縁に対する速度の成分が云々」という考え方が生きて来る。但し、飛行機を見るとエンジンもブラ下がっているし、羽の長さも有限だ。そうそう理想論ばかりという訳にも行かない。えい、物理屋たるもの、データが転がっていなければデータを得るまでよ、と、考えてはみたのだが .... ナビエ・ストークス方程式くらいまでのソフトは転がっているものの、遷音速領域の非線形方程式やら、衝撃波についての経験的データが入ってるシミュレーターは、おいそれとは手に入らない。経験則がなければ自分で求めろって?それは大変。分子運動に踏み込まなければならない。結局、風洞実験に立ち戻るのである。

5 月17日、ソフトウェアのアップデートが出る。さて、インストールするかどうか、しばし思案。というのも、前回の update で、画面が映らないというトラブルに巻き込まれて、解決にジタバタした悪しき記憶が蘇ってくるからだ。そして、実は、今でも再起動するたびに、外部ディスプレイを一度抜き差ししなければならない。ああ面倒くさい、アップデートすると再起動が必要となるではないか。バグが治ってると期待しつつ、インストールしてみようか。→やっぱり、抜き差しする事態となりました。バックアップディスクを参照しに行く時に、何かが起きている模様。そろそろ、こちらも買い替え時期なのかもしれない。

5 月16日、コクセターという数学者が居る。Wikipedia で調べても、影が薄い印象があるかもしれない。英語で検索しても、フランス語で検索しても、やっぱり少ししか記述されていない。コクセター群の方は、少しマシで、コクセター・ダイアグラムと供に色々と紹介されている。こういう事を調べていて、ちょっと驚いたのが、「ディンキン図形」そのものが、Wikipedia のタイトルに無いこと。英語、仏語では、もちろん説明されている。日本語でも、もちろん、リー代数の項目に含まれてはいるのだけれども、見出し語に無いのだ。数学というと、高校の先生という「膨大な数のアマチュア」、いや場合によっては第一線のプロを擁している分野でもあり、ボランティア著者も数多く居るものだろうと思っていたけれども、そうでもなさそうだ。別に、自分で充実させようとしなくても、英語から翻訳してくるだけでいいんだけどなー。ただ、そういう場合、algebra に、どんな訳語を当てるか?といったマイナーな問題があって、やっぱり著者の母集団は限られているのかもしれない。そうそう、コクセターだった、彼の著書が古本に出ていたら、get するのみである。

5 月15日、夏の日差しだー、と思ってカレンダーを見ると、もう夏至まで1カ月くらいしかない。今の時期の日差しは、8月上旬と同じ。暑いはずだ。一番日照が厳しい6月末が、梅雨の時期だというのは、実は神様からのお土産なのではないかと思う。一方で、今の時期のヨーロッパ、いいんだよなー。どこかの自治体の、とある首長さんではないけれども、こういう時期にこそ、外遊したいものだ。この「外遊」という言葉、なぜ「遊ぶ」という漢字が使われているんだろうか?政治が祭りごとならば、外交は遊びごとということなんだろう。まず良く遊んで、その中から学んで行く。まあ、ちょっと、関係ない人が遊びすぎたんだろうなー、という視点はあるかもしれない、昨今の騒ぎは。物の書物には、こうも書いてある。「罪のない者のみ石を投げよ」と。

5 月14日、平均気温が 20 度くらいになると、ヒルガオの仲間が活動し始める。ヒルガオは言うに及ばず、アサガオ、サツマイモなど、様々なものがツルを伸ばす。いよいよ、イモの植え付け時期だ。ビルの屋上に黒いパネルを乗せて発電するくらいならば、サツマイモをどんどん植えて育てたいものだ。秋になれば、ちゃんとイモができる。ただ、夜盗虫が出ると、表面に近い場所はガリガリに食われてしまうこともある。ともかくも、今の時期のサツマイモ、食べるだけではなくて、植木鉢に植えても楽しめることを認識しておこう。室外での栽培がオススメ。室内だと、アブラムシにやられてしまうことがある。それを駆除するのも、園芸の楽しみなのだけれども。

5 月13日、南風が吹くようになった。神戸市は背景に六甲山があるので、この地形的な条件もあって、良く晴れた日には海風が吹きやすい。潮の香りのする風が吹いて来るのである。強風の時には、本当に塩のツブが窓にくっついたりする。さて、この南風が吹く時には、たいてい、ものすごく気温が高い。暑いなー、と、ヒーヒー言いながら歩いていると、ふと涼しさを感じる時がある。それは、川を渡る時。水の蒸発熱って、こんなにあるんだと実感する瞬間だ。ということは、海辺の方は、いつも、もっと涼しいんだ。そう思って、思い出してみると、須磨にしろ、塩屋にしろ、垂水にしろ、いつも涼しい風が吹いていたではないか。水辺っていいなー、と、その瞬間だけは思うのである。住んだら住んだで、湿気との戦いだとか、虫がブンブン飛んでくるとか、いろいろと不都合なこともあるのだろうけれども。

5 月12日、テンセル、この言葉は、ジーンズ好きな人なら、よく知ってることだろう。テンセルで編んだ生地は、テンセル・ネットワークと言えるだろうか?ちょっとだけ文字を置き換えた「テンソル・ネットワーク」も、検索してみると、幾つかヒットする。そこに、どういうわけか、世界史と日本史なる雑文が転がっている。若気の至りで、主観的に描きすぎているなーと、思うところもあるので、今、新しいバージョンを鋭意作成中である。そういえば、テンソル・ネットワークについて、日本語で少しずつ学んでもらうような、学習教材を作る作業を行って来なかったなーという気もしている。結果として、国内でも、テンソルネットワークの日本史を知らない人材が増えて来てしまった。怠慢を反省して、レビューを書こう。教科書を書こう。無料公開しよう。今日、決意だけ、する。

5 月11日、今日の仕事を始める前に、まず免許更新。1時間程度で完了。道路交通法の改正で、軽車両に関する項目が追加されていることを知った。というか、それ以前は自転車の車道右側通行という、超危険運転が違法ではなかったという事実にびっくりする。自転車についての項目は、そのまま、エンジンを切った原付きに適用されるから、「エンジン切ってるやん」という抜け穴は、多少、ふさがったかもしれない。さて、更新時に流れるビデオには、悲劇的なものごとが含まれる。何千人もの人が、交通事故で命を落とす。印象に残るのが、ビデオ映像に映り淡々と語る、子を亡くした親の「長女だった子」という過去形の言葉づかい。例えば、誰かの親は生死に関わらず「父」「母」であって、亡くなったからと言って「父だった人」「母だった人」とは、普通は言わない。どれくらい長い時の感覚として意識されているのか、しばし考えてしまった。それにしても、更新センターの講師さんは、いつも、仏顔の人だ。仏顔で「事故現場でちり取りを持って、掃き集めた」などおっしゃる方も居る。彼らも、何かを背負っているのかもしれない。

5 月10日、高層天気図を見ると、段々と梅雨っぽくなって来た。ジェット気流が、北回りと南周りにパカッと分かれてしまうのが、その特徴。南の方は割とシブトくて、北の方はハッキリしている時と、姿が見えない時が交互にやって来る。ジェット気流も避けるほど、ヒマラヤ山脈が高いということらしい。(境界条件としては、十分に高い。)そして梅雨がやって来ると、もうカエルの季節。ゲコゲコと、あちこちで雨を呼ぶように鳴く。そして、辺りに「おんぶ」してるカエルが見えたら、オタマジャクシがウヨウヨ。あのノンビリしたオタマジャクシが、どうやって難を逃れるのか、不思議なものだ。

5 月 9 日、簡単なことでも、それを言葉に落とすと難しくなりがちだ。物理は数式に落とさなければならない。その時に、どんな記号を使うか、それが問題となる。厳格に、誤解のないようにと、ガチガチの記号を添え字だらけて書きまくると、間違ってはいなくても読めなくなる。じゃあ、ちょっと見やすく省略しようか?と記号を単純化すると、初学者にはウケが悪くなる。その中庸をうまく取らなければならない。なお、こうやって苦労して決めた設定に揚げ足を取られることが、毎度のようにある。曰く「論文 A では、これこれ、こういう場合のみが取り扱われていて、一般性に欠ける」と。そんなの、一般化は自明じゃないか! と思っても後の祭り。そういうわけで、注意深い論文著者は、あちこちに「一般性を失わない」とか「拡張は自明である」などと、言葉を転がして投網を張ってある。なんか、世知辛い世の中やと思う、この業界も。

5 月 8 日、そろそろ、豆まきの時期となった。豆まき?それは節分ではないか?と、思われた方もいらっしゃるかと。一応、立夏の前の日も節分だから、今が節分の時期だと強弁しておこうか。冗談はともかく、そろそろ、大豆だとか、黒豆だとかを種まきして良い気温になって来た。どこに撒く?植木鉢?その辺りの空き地?それとも、プランターの隙間?一応、作物であることには注意したい。デカくなるのである。ジャックと豆の木、という話があるように … ええと、どんな話だったっけ? と、調べてみてびっくり。ジャックと豆の木って、こんな酷い話だったのかい?と。鬼とか巨人とか、全く人権蹂躙の物語が、昔話にはよくあるなーと。

5 月 7 日、木は長く成長するものだけれども、ふとしたことで枯れるのもまた木の運命。その中で、しぶとく枯れないものが桐だとか、ミカンだとか。特に柑橘系の樹は、どうしてあれだけ強いのだろうかと思うほど、切っても、折れても、枯れる気配がない。幹をブチッと切っても、周囲から芽が出て、翌々年には切り口までふさがってしまう。古木で、半分枯れてるように見えても、残った半分でシッカリ栄養を運んで、ふさふさと茂っている。アゲハが来て丸ごと食われても、すぐに芽が出る。あれだけシブトイ樹に目をつけたからこそ、アゲハ蝶も生き残ったんだろうと思う。柑橘類、恐るべし。

5 月 6 日、統計力学のテクニックの一つに、レプリカ法というものがある。このレプリカ法は、すべての数式について厳密な計算が可能なのであれば、極限を取る先が真性特異点であるような例外(?)を除いて、信じて良いのではないかと思わないこともない。但し、それぞれの数式のどこかに近似を持ち込んだ場合には、正しい極限が取れているのかどうか、一抹ならぬ不安を抱えたまま計算を進めることになる。物理学的には、結果オーライで、それらしい物理が導かれれば、論文になる。どちらかというと、レプリカ法を使って計算を進める過程に、スピングラスなどの概念を自然と会得しつつ、計算のテクニックも吸収する、という、途中経過として重要な意味を持っているのではないかと感じる。さて、テンソルネットワークの分野でウロウロしている私が、なんで、レプリカなの?ということを嗅ぎ付けられると、飯の種が流出してしまうから、もう、この話は、この程度にしておこう。(←十分に流出してるんだけど ...)

5 月 5 日、硫酸銅に、どれくらいの毒性があるのか、調べてみても、よくわからない。硫酸銅が含まれる農薬の袋には、毒性として「普通物」と書いてある。普通物とは、砂や台所洗剤のようなもので、「意図的に無理矢理食ったら」問題が生じるかもしれない、それくらいの毒性。この、硫酸銅がカビには効くらしくて、いろいろな植物のカビ病の防止に役立つとか。ただし、完全に防ぐ場合には、散布量・回数ともに、バカにならないくらい繰り返す必要がある。また、適当に空中散布すると、葉の裏には薬剤が届かないので、まずは葉の裏から散布する、それくらいの気持ちで取り掛かる必要がある。そうした上で、最終的に、何かを収穫しようという段になると、万が一にも薬害、つまり作物に黒点や黄ばみが出ないように、散布をストップしたり、別の薬剤にしたり。ともかくも、無農薬栽培というのは、それが可能である一部の作物に関する、理想的な栽培であって、ちょっとでも収量を気にしたりすると、成立しないのではないかと思う。サツマイモでさえ、ツルを食われるとおしまいなのだから。

5 月 4 日、国語という教科が面白くない、という話、誰にも共通するものではないかと思う。その理由の一端が、国語で紹介されている文章は、好きこそ物の上手なれ、物書きのプロによる作品である(ことが多いであろう?)のに対して、教科書執筆陣は、どちらかというと書くよりも論評するのが仕事という方が多いという、微妙なギャップにある、ように思える。いや、この点は問題にすべきではないかもしれない。更に国語の教育現場へと至ると、文章を読み書きする基本的な技量が怪しくなって来るのである。(「先生の書いた文章」にロジックの矛盾を何箇所も見いだす、そんな経験を持たれた方々も多いだろう。私も、よく、やらかすのであるが ...)理系科目にも、同じ問題がある。と、前振りしておいて、修士卒・博士卒あるいは中退、この経験を中等・高等教育に生かす方法がないものか?と、常々思うのである。どんどん、教員として活躍してもらいたいものだ。ただ、その職場は、これから人口減少とともに縮小して行く運命なのであるが。

5 月 3 日、昨日に引き続き、休日も何もなく仕事。眼下に広がる神戸の平野から、鐘の音が聞こえてくる。だんじりの音だ。ずーっと同じ調子のリズムが続く。と、思い込んでいた。よーく聞くと、とんでもなく複雑なことをやっている。バリエーションが多くて、アドリブのようにも聞こえる。一体、どうやって一体感を保っているのだろうか?また、リズムも早くなったり遅くなったり。みんな、打楽器奏者そのもの、年季が入っている。聞いていると、ハマってしまうのた。いけない、いけない、仕事、仕事。音楽の中での仕事は、ゆーっくり進むのであった。... 進んでないかも。

5 月 2 日、連休の谷間の月曜日。誰も月曜日だと思っていない所が、何とも不思議な月曜日だ。が、私にとっては、昨日に書いた通り、まさに月曜日なのである。ついでに、全世界から arXiv プレプリントサーバーに、ドコドコと論文が降って来る。そんなのに、イチイチ目を通さずに、research gate とか googlo scholor とかの研究ネットワークで接する論文だけ見なさい、という悪魔のささやきに身を委ねたい気はするのだけれども、まだ何とか、ほとんどのタイトルに目を通すことが可能なので、旧来通り、最低でも 30 分は時間をかけて、論文リストを見て行く。今日は、学生との Feynman 読み会の立会いもした。口語の仮定法が、ちょっとわかりづらいようだ。これは英語に限ったことではなくて、日本語で話していても、方言によって「仮定法や条件法の作り方が違う」ので、よーく確認しないと誤解してしまうことがある。文章なら、なおさら意思の疎通が難しいものだ。

5 月 1 日、ノンビリ構えている内に、もう5月になってしまった。締切のある書き物やら書類やら、どんどん仕上げて行かなければならない。今週の金曜日が、一つの修羅場となるであろう。ということは、連休は完全に潰れるということだ。いや、もともと、そのつもりで作業して来たのかもしれない。周囲を見回すと、同じように、連休に仕事を固め打ちする方々がゾロゾロと。どうせならば、連休に論文を書いて仕上げてしまうとか、連休に新しい着想を得るとか、それが無理でもしばらく前から頭に引っかかっていることに着手するとか、ちょっとは実のある活動をしたいと思うので、その理想へと一歩でも近づくように、報告書をまとめるに当たっても、何かしら新しいことをイメージしつつ、ジタバタしたいものだ。

2016
1 月と 2 月 (共形情報編) 3 月と 4 月 (朝型昼型編)
2015
7 月と 8 月 (机前執筆編) 9 月と10月 (講義ゼミ編) 11月と12月 (懐古探訪編)
1 月と 2 月 (赤筆修正編) 3 月と 4 月 (客人来神編) 5 月と 6 月 (地球半周編)

2014
7 月と 8 月 (離陸着陸編) 9 月と10月 (玉翠準備編) 11月と12月 (テンソル編)
1 月と 2 月 (雪面滑降編) 3 月と 4 月 (花粉飛散編) 5 月と 6 月 (東奔西飛編)

2013
7 月と 8 月 (大橋渡海編) 9 月と10月 (激変日常編) 11月と12月 (印度華麗編)
1 月と 2 月 (感冒養生編) 3 月と 4 月 (東西奔走編) 5 月と 6 月 (枯野夢旅編)

2012
7 月と 8 月 (高空気流編) 9 月と10月 (次々行事編) 11月と12月 (入国管理編)
1 月と 2 月 (厳冬感染編) 3 月と 4 月 (電圧発光編) 5 月と 6 月 (渡西来鴨編)

2011
7 月と 8 月 (飛行少年編) 9 月と10月 (鮮魚包丁編) 11月と12月 (場論執筆編)
1 月と 2 月 (鳥撮光学編) 3 月と 4 月 (日々激震編) 5 月と 6 月 (研屋鍵盤編)

2010
7 月と 8 月 (転地養生編) 9 月と10月 (研磨没頭編) 11月と12月 (涅槃煩悩編)
1 月と 2 月 (蛇行氷上編) 3 月と 4 月 (桜花観光編) 5 月と 6 月 (屈折望遠編)