学童期を過ごした家は、田んぼのまん中の団地だった。冬になると、
水田はレンゲ畑になった。秋に種をまくらしい。それは絶好の遊び場。
空が広いので、竹ヒゴで作る模型飛行機を飛ばして遊び始めたのが、
飛行機狂いのはじまり。ゴム動力のプロペラ機は、正確な主翼の工作
と、軽量化で勝負が決まる。でも、ゴム動力が切れてからはサエない
飛び方なので、プロペラを重りに変えて、グライダーとして飛ばし始
めた。

 ガキというものは、カッコええ物にひかれるもの、例にもれずに超
音速を目ざした頃 (大戦末期から終戦後) の飛行機を真似たグライダー
を作ることを思い立つ。バルサ材を買って来て、見よう見まねで作っ
てみたのが、後退角付きの無尾翼機。主翼前縁を下側に削り、後縁を
ハネ上げるように削ったら、スピーディーに飛ぶ飛ぶ、一発でトリコ
になってしまった。 (運が良かった。捩り下げ翼は空力的に安定して
いるから。) それからは、三角翼、ノースロップの真似事、厚翼、薄
翼、ウレタン素材や紙、大小様々な物を作って遊んだ。カタパルトで
一気に 10 m 以上打ち上げて、その後の滑空を追う。概して滑空比は
悪かったけど「無尾翼なら誰にも負けないぞ! 」という気概があった。
木工の趣味 と、飛行機の趣味が合致した、楽しい一時だった。

   (マイナー指向は今に始まったことではないらしい。)

 やがて平和主義者になり、戦闘機モドキの趣味から離れたのだけど、
今でもアチコチの空港で珍しい飛行機を見ると、心が騒ぐ。モスクワ
空港などが面白い。もっとも、乗っている飛行機の横にスクランブル
戦闘機が出て来るような事態は願い下げなのだが。